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10年前の夏。一週間の金沢出張を終えて帰宅した翌朝のことでした。当時の私はお行儀が悪く、洗面所ではなく台所で顔を洗っていました。洗面所に立っていたならば、もう少し早くその異変に気づいたことでしょう。何となく違和感を感じながら歯を磨き、口をゆすごうとしたその瞬間…。右の口角から、ダラダラと水が出て行きました。「ほよ?」もう一度。ダラダラぁ~「…」そこでやっと鏡で自分の顔を見てみました。「がぁーーーーん!」顔の右半分が、めっちゃブサイクになってました。顔面神経マヒでした。で、この日から始まった楽しいはずの一週間のお盆休みは、なさけない顔で人目をはばかり、治療のために毎日点滴注射をするハメになってしまいました。原因は不明。総合病院の耳鼻科で治療を受けていました。意外でしたが、顔の神経は耳鼻科の担当なのだとか。でも念のため、脳の神経も検査することになりました。毎晩、血管がブチ切れるほど酒を飲んでいました。「いつか酒で死ぬ」そう思いながらも、飲んでしまうアホでした。も、も、も、も、もし…脳の血管が切れていたら…。顔面神経マヒって、常時顔半分だけ「あっかんべぇ~」してるような、なさけなーーい顔になってしまいます。憂鬱ではありましたが、この機会に脳の検査をしてもらえるのはありがたかったです。MRI検査を受けることになりました。「MRI検査を受ける方へ」という、書面とパンフをいただきました。「きゃはは、まるで人間魚雷発射管じゃん」写真を見て、呑気に笑っていました。しかし実際に検査台に寝ると意味もなく不安になりました。「うぐぐ…」「火葬場みたい…」不吉な連想をしてしまいました。想像力が豊かってのも、困りモンです。さらに看護婦さんが、脅します。私の右手にゴムボールのようなものを握らせて、「何かあったら、これをぎゅっと握ってくださいね」 ・・・汗「何かって、ナニ?」機械の故障で煙が出るとか?あ、急に○ンコしたくなったとか?アホなこと考えてる間、検査する私の頭がしっかりと固定されます。「よろしいですか?」『さっさとやってくれっちゅーの』ゆっくりと機械に吸い込まれて行く私。私を「見送る」検査技師さんや看護婦さんが、永遠の別れをするような表情なのが気に食いません。かぁーーん、こぉーーん「お、始まりよった」数分後、少しだけ頭が痒くなりました。「ん…」土管の中のような狭い機械の内部。肩が脱臼するのではないかと思うほど無理矢理に腕を動かして頭を掻こうとしました。しかし、頭を固定する器具がじゃまになり、痒いところに手が届きませんでした。「うぐぐ…」こういう苦しみって、おわかりになります?あ、ビールの時間になりました。今夜ple嫁は、友達と飲みに行ってます。心おきなく飲めます。クラシック・ラガーを買ってきました。昼間、煮込みハンバーグを作ってあります。さ、飲むぞ~ つづく
2006.01.28
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先日の通勤電車では、発狂しそうなくらい苦しい思いをしました。それでも思い出すと自分でもおかしいし、こうしてblogのネタにしてしまいます。毎日の通勤の足はJR京都線です。大阪駅に近いため、普段でも、だいたいどの電車も満員です。何かのアクシデントで電車が遅れたりすると、超満員になってしまいます。せっかく電車が来ても、無理矢理乗り込んでも1つのドアから3~4人しか乗れないってこともあります。先日がそうでした。2本くらい電車をやり過ごし、やっと乗れた電車では身動きひとつとれないくらいに、ぎゅうぎゅう詰め状態。 ほんのちょっと耳の辺りが痒くなった時、「それ」がやって来ました。普段なら、2~3度指の先で「こちょこちょ」って掻いて終わる、意識もせず記憶にも残らない、何でもない出来事のはずでした。しかし、腕は1cmたりとも動きません。不思議なことに、そうするとどんどん耳の辺りの痒さが増してくるのです。おでことか頭とか背中とか、いろんな場所が痒くなるのです。そして「それ」がやって来たのです。 私が初めて「それ」に気づいたのは、今から10年ほど前のことです。病院で「MRI検査」を受けた時のことでした。「身動きがとれない」「こんな状態が20~30分続く…」「…」「…」「うわぁ~!!」(T∞T)初めて自分が「閉所恐怖症」だったことに気づいた瞬間でした。あ、朝ご飯の時間なので… つづく
2006.01.27
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素盞嗚氏の「邪馬壹国シリーズ」も、佳境に入ってまいりました。次回は「奴国」の話題だとか。まだまだ「鏡」のこともありますし、合間に飲んだくれた話題も入るので、2週間は続きそうです。jasmintea7さんと、この次は「蘇我氏」を採り上げるようリクエストしています(ん?初耳?)。主に別のサイトに書いていますが、パワースポットと呼ばれる場所、神社、遺跡を訪ね歩いています。実際に奈良~大阪~京都を歩いてみて思うのですが、明日香に都があった時代以降、どこでもいつの時代でも古代史上でちらつく影があります。秦氏の存在です。歴史上では、秦河勝以外にはほとんど個人名は見られません。しかしこの秦氏は、日本の古代史に大きくかかわっています。1000年の都平安京も、彼らの存在なくしては出来なかったかも知れません。平安京の西、現代では映画村で有名な太秦(うずまさ)を本拠地とし、松尾大社を造り、分家は深草に移ったと言われます。全国で3万余とも4万社とも言われる稲荷神社の総本社、伏見稲荷大社も秦氏ゆかりの神社です。あきらかに渡来系の氏族でありながら、古事記や神話に登場する神々とかかわりを持つ秦氏。一方蘇我氏は、大王(おおきみ=天皇)に認められるような祭祀すべき神を持たなかったがために、仏教を奨励したと言われます。そのルーツを探れば、秦の始皇帝や遠くイスラエルの話題まで出て来る秦氏という氏族は、謎だらけです。「はたおり」「服部(はっとり)」「呉服」は、秦氏から来た言葉です。jasmintea7さん、予習しておきましょうか・笑?素盞嗚氏の酒の量が減ると思いますよん。
2006.01.22
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春日大社の参道脇の、清らかな小川に気づく人はあまりいません。冬という季節のせいだけでなく、奈良公園名物の鹿たちが下草を食むせいか、周辺は樹木の幹だけが目立ちます。春日山原生林が育んだ清水は、京都・下鴨、糺ノ森の瀬見の小川を思い出させる優雅さと、どこのものよりさりげない素朴さを感じる流れです。しかしここ春日大社に来ると、いつも残念に思うことがあります。参拝者、特に団体客のマナーの悪さです。50代・60代とおぼしき人たちが、手水の作法さえ知らず、柄杓に直接口を当てたり、ひどい人はうがいをします。神域で大声をあげ、煙草を吸い、添乗員は「はい、ここでみなさん二礼二拍手」などとハンドスピーカーで指示しています。私が添乗員なら、手水の作法や参拝の作法の説明はバスの中でやります。境内でハンドスピーカーを使うとしたら「神域ではみなさんお静かに」と、他の参拝者に気を配りながら言います。彼らの多くは参拝者ではなく、ただの下品な観光客でしかありません。「旅の恥はかき捨て」この諺の本来の意味を、恥を知る民族である日本人が忘れてはいけません。京都や奈良は、温泉地の歓楽街ではありません。大仏殿や春日大社を、温泉街の秘宝館といっしょにしては困ります。ちなみに、奈良公園の鹿たちは、日本人と動物(自然)との共存の象徴のような気がします。鹿たちは野生でありながら人になれています。牡鹿は毎年角を切られますが、人を怖れていません。鹿たちは決して観光客のおやつも、店先のものも奪わず、観光客が買った「鹿せんべい」だけを求めます。人も、そこに鹿がいることがあたりまえのように話しかけたり、撫でたりしながら鹿たちとすれ違います。野生動物のニオイや、そこいら中の糞にも憤慨せず、「鹿のふん」などという名の菓子を作ったりします。ちなみに以前、「大仏様のはなくそ」というお菓子もありました。さすがにこれは、関係各所の抗議か良識(?)ある人のはからいか、最近は見なくなりました。私はどちらも食べたいとは思いませんが・・・。
2006.01.15
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平安京造営の起点となった船岡山は、清少納言の枕草子でも紹介されています。運動を兼ねて、四条大宮から歩いてみました。秀吉ゆかりの出世稲荷神社から北野天満宮、わら天神と今宮神社参拝後、夕暮れ近い船岡山に登りました。千本通りには多くのおまわりさんがいました。ハンドトーキー片手に、なにやら事件の香りがしました。3人のおまわりさんと目が合いました。きっと私を「仲間」だと思ったのでしょう。(けっして怪しい人物に見られたわけではありません)3人目のおまわりさんと目が合ったとき、悪戯心が湧いてきました。「おまわりさんと目が合った時、ダッシュしたらどうなるだろう・・・」次におまわりさんと会ったら、やってみようかと本気で思いました。残念ながら、以後おまわりさんには出会いませんでした。でもよく考えたら、会わなくて正解だったのですよね。捕まってたりしたら、「おとなげない」では済まされません。今頃こうしてblogなんて書いてられなかったかも・・・。今年はもう少しマジメに生きてみようと思います。
2006.01.09
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おくればせながら、明けましておめでとうございます。悲しいことながら、明けましたら腹出とるでございます。お正月は岡山の実家ですごしました。よく歩き、腹八分、酒の量も抑えていたはず・・・。どうして太っちゃうのでしょうか。あら、もう少しスピリチュアルな話題を書くつもりだったのに、いきなり違う方向に進んでしまいました。大晦日には「鬼ノ城」という山城を訪ねました。7世紀の近江遷都の頃、次々に築城された朝鮮式山城のひとつとも言われますが、私はそれより以前からの「吉備王国」の王の城だと思っています。今では「桃太郎」の鬼のモデルになってしまいましたが。元旦には初日の出を撮影するために、吉井川の堤防を歩きました。東の空に雲があったため、太陽がなかなか顔を出してくれませんでした。おかげで30分も堤防を早足で歩きました。子供の頃に魚釣りに来たことや、散歩したことなどを思い出しながら、そしてちょっとだけトイレをガマンしながら歩きました。しかしご覧のように、白み始めた東の空にはかなりの雲が居座っていました。ちょうど少し前に、ほぎさんが「雲を消す」という日記を書いていたことを思い出しました。「あ、そうか」とばかりに、「雲さぁ~ん、消えてぇ~」と言いながら撮影ポイントを探しました。30分後、けっこうイイ感じで雲さんは消えてくれました。雲は消えてくれましたが、トイレへのよんどころない衝動は消えません。最後は走るようにして車に乗り込みました。実家までは車で5糞分。窓の汚れなど気にすべきではありませんでした。思いっきりウォッシャー液を出してワイパーをかけたとたん、とんでもない悲劇が・・・。ワイパーでフロントガラスいっぱいに広がったウォッシャー液が・・・汚れを洗い流すことなく・・・一瞬で凍ってしまったのです。視界「0(ゼロ)」ヤバイ・・・。汗「雲(うん)さぁ~ん、消えてぇ~」(*T~T*) お正月早々失礼いたしました。鬼ノ城や遺跡、桃太郎がお好きな方は「こちら」にもどうぞ。.
2006.01.08
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