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陰陽師がはやった頃、気になって仕方ない神社でしたが、ずっとご縁がありませんでした 祭神は言うまでもなく、安倍晴明。 車で京都に行くと、南北の移動にはよく堀川通を利用します。 それでもこの晴明神社に行くことはありませんでした。ヘソマガリなので、流行の場所には行かないという理由もありましたど。 ここの「みずかがみのお守り」は効きましたよ~。やっとこさここに来れたわけは、この「晴明井」の存在。 近くに用事があったのですが、この湧き水の存在を知らなければ、今回もここに足を運ぶことはなかったかも知れません。 私は「いい水がある」と聞くとじっとしてられないのです。 毎年立春に、その年の恵方に取水口を回転させます。
2005.01.30
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「日出処の天子」を読んで、聖徳太子にハマりました。で、そのまま古代史が好きになりました。20年ほど前のことです。昨日、仕事で南河内郡太子町に行きました。たっぷり時間があったので、「近つ飛鳥」を堪能しようとたくらみました。久しぶりに訪ねてみたい場所はいくつかあったのですが、バスでの移動なので1箇所に絞らなければなりませんでした。バスは1時間に1~2本しかないのです。どこにしようか悩んでいると、ある「ポスター」が目にとまりました。「かわちりん」近鉄・富田林駅と喜志駅で、試験的に営業しているレンタサイクルです。地図を見ただけではわかりませんが、この辺りは坂がたくさんあります。10年前、暑い日に歩いて回ってエライ目に遭った経験があります。太子町推古天皇陵近くの坂道で、私はもう少しで即身仏になりかけたのです。自転車でもたいへんだと思います。明日香村のように気軽にサイクリングってわけには行きません。しかーし、「かわちりん」のポスターの写真は、電動アシスト付自転車でした。乗ったことはありませんでしたが、「スゴイ」という噂は聞いていました。失敗覚悟でチャレンジしてみたのです。午後1時頃喜志駅を出発して、仕事のアポ先に行く(そこにも自転車で行き、けっこうウケました)3時半までの間に、たっぷり太子町を堪能することが出来ました。二上山を眺めながら石川を渡り、先ずは叡福寺へ。電動自転車は、少々の上り坂など平気でした。(私はその電動自転車を、「厩戸皇子号」と名付けました)用明天皇陵を拝し、続いて推古天皇陵、二子塚古墳にも行きました。明日香村のレンタサイクルのように、地図がないので何度も道を間違えたのですが、きもちのいい景色と軽快なペダルのおかげで全く苦になりませんでした。小野妹子墓と近くの科長神社で、まったりとした時間を過ごすことが出来ました。帰りには少し遠回りをして、竹内街道を走ってみました。いったい何しに来たのやら…ただし、仕事の方もバッチリ成果を持ち帰りました。
2005.01.29
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京都御苑は南北1300m、東西700mの広大な緑地公園です。通常「御所」と呼ばれています。元々は200ほどの宮家、公家の邸宅があった場所です。私はこの建礼門前大通りのど真ん中を歩くのが大好きです。緑が多いせいなのでしょうか、京都では最も心地よい場所だと感じるのです。建礼門前大通りは、葵祭、時代祭の行列が通ります。古の高貴な都人になったつもりで、真ん中を歩くととてもいい気分です。平日・夕方ともなれば比較的人通りも少なく、神聖な気分さえしました。
2005.01.27
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私が初めて歩いたときの哲学の道は、何の変哲もないただの小径だったと記憶しています。特に周りの風景に感慨を覚えたわけでなく「京都の哲学の道を歩く自分自身」に酔っていました。休日には都心のアーケード街のような人ごみで、とても物思いに耽る気分にはなれません。各地の方言と、最近特に目立つ中国語の喧騒の中で、人々は何を「思い」ながら歩くのでしょうか。今ではすっかり整備され、緑の中にいてもCG画像に騙されているような気さえしてしまいます。それでも平日は人も少なく、CG画像に立つ私にそそぐ陽はやさしく、緑が育む風が香るのです。
2005.01.25
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アリステア・マクリーンの小説に登場する男たちにあこがれていました。映画の中のブルース・ウイルスに、1本筋を通したような小粋なタフ・ガイたちです。イギリスの作家ですが、その登場人物たちはジェームズ・ボンドのように、やたらと恋をしたりはしません。どの作品だったかは忘れましたが、そんな主人公のセリフに、こういうのがありました。「アメリカのアホどもは、上等のスコッチに氷を入れて飲みやがる」イギリスのタフ・ガイから見れば、水割りで飲む日本人など語る価値すらないかも知れません。「水割り」という特殊な飲み物は、夜の銀座が発祥の地だと聞きました。社用族、接待族たちが、酔わずになるべく長く歓談するために考えられたとか。私も以前、接待に明け暮れた時代がありました。当時よく見かけたのは、VSOPの水割りを片手に石原裕次郎の「ブランデーグラス」を唄うおじさんたちでした。私が懇意にしていたある会社の社長は、そんな人を見かけると「アホな奴らめ。俺はブランデーはヘネシーしか飲まん」そう言って、ヘネシーの水割りを氷でグラスをカチャカチャ鳴らしながら飲んでました。まだまだ若僧だった私でしたが、ヘネシーを自慢するならちゃんとグラスに掌のぬくもりを伝えながら、舌の先でころがすように飲んでほしいと思ったものです。もちろんストレートで。お気に入りだったバーのマスターも、水割りを注文する客が嫌いだったようです。私のハーパーには、アイスピックで割った不ぞろいな氷が入ってましたが、水割りの客のグラスには四角い氷を入れていたのです。他の客がいないとき、マスターにその訳を聞いてみたことがあります。「水割りの氷って、なんで四角い氷なん?」「鉄管ビール」「え、えー?もしかして、水割りの水も…」「鉄管ビール」そういえば水割りを注文する客がいると、マスターが露骨に蛇口をひねる音をさせることに気づきました。ああいう店で酒を楽しめたことは、とてもいい思い出なのです。※「鉄管ビール」=今や死語と化した、水道水を表す隠語
2005.01.24
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二上山の西斜面に位置する磯長(しなが)谷は、日本の「王家の谷」とも呼ばれています。蘇我本宗家にかかわりの深い天皇の巨大古墳が並んでいます。敏達・用明・推古・孝徳天皇と、ここ叡福寺の聖徳太子廟などです。「日出処天子」という漫画にハマって、聖徳太子ファンになってしまった私です。20年ほど前、ここを初めて訪れた時は、正直言って少し失望してしまったことを覚えています。廃寺のような、よどんだ空気を感じたのです。その後も何度か訪れていますが、毎回がっかりしてしまいました。ある意味ここは、法隆寺よりも重要な地だと思うからでした。しかし現在の叡福寺は、本当に大切にされている場所という感じがしました。私はなんだかとてもありがたい気持ちがして、何度も頭を垂れてしまいました。 叡福寺の北端に聖徳太子の古墳(聖徳太子廟)があります。聖徳太子(厩戸皇子)に特別の思い入れがある私としては、ご先祖様の墓参りと同様の気分(それ以上かも)になります。仕事のついでに3kmも坂道を歩いて立ち寄ったのですが、本当に来てよかったと思いました。実はここに来ることがメインで、仕事が「ついで」だったのかも知れません。太子廟の一部は削りとられ、無縁仏の多い墓地にもなっていますが、それはそれで「捨身飼虎(しゃしんしこ)」の精神を説く厩戸皇子らしい古墳と言えます。「大阪緑の百選」にも選ばれていますが、私にはここの木々は黄金色に見えるのです。
2005.01.23
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