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私の同僚で、英米の建築史を研究なさっているS先生という方がいらっしゃるのですが、その方は現在、長年の研究の副産物ともいうべき本をご執筆中です。 その本のテーマは、ずばり、「崩壊」。建築物が免れない運命である「壊れる」ということをテーマとして、古今東西の建物がいかに壊れてきたか、ということを書かれているんですね。で、私、この文章がとある建築専門誌に連載されていた時、毎月楽しみに読ませていただいていたのですが、これがまたとんでもなく興味深い話の連続で、もしまとめて出版されたら評判になること間違いなし。 ところが、その後、この文章が連載されていた雑誌そのものが「崩壊」、いや、廃刊になってしまった。そして現実世界では、凄まじい崩壊が・・・。そう、ニューヨークの同時多発テロですわ。まるでS先生の連載の書かれざる最終章が現実に起こってしまったような感じです。 そしてあれから数年。何となく宙ぶらりんになっていたこの連載が、さらに数章を書き足す形で、いよいよ本の形で世に問われることとなったという次第。私はS先生に「あの原稿は本になさらないのですか」とずっと慫慂してきただけに、いよいよ出版が近いということになって、何だか我がことのように嬉しいですなあ。 で、その嬉しい知らせを伺った時、私はすかさず、「最終章は、やっぱり『9.11』ですか?」とお尋ねすると、S先生、「いや、それは敢えてやめました」とおっしゃる。先生によれば、あの悲劇的な崩壊は、結局政治とか宗教とかの問題が引き起こしたことであって、自分がテーマにしている「建物の自然崩壊」とか「天災による崩壊」とは、若干意味が異なるから、とのこと。おお! さすがS先生! 超高層ビルの崩壊としては、建築史上初の出来事であるあの事件を取り上げることは、話題性から言えば面白いはずなのに、何千人もの方が亡くなった現代史上の悲劇を、そういう形で「面白く」取り上げようとはなさらなかったと・・・。うーん、恐れ入りました。「上品な学問」とは如何なるものか、勉強させていただきましたね。 ところで、これは私のちょっとした自慢なんですが、実はこれから出版されるこのS先生の本に、私も「資料提供」という形で少しだけ貢献しているんです。先生は「文学における建物の崩壊」という文脈の中で、アメリカ文学の傑作であるエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」という短篇を取り上げられているんですが、この有名な短篇を象徴するような図版を探して、様々な文献を当たられたのだけれど、なかなかいい図版がない。そこで何かいい図版はありませんか、と尋ねられた私は、所蔵している本に当たってみて、これはというものを見つけ出し、先生にお示ししたところ、非常に喜ばれて、この本の中で使うことにされたというわけ。ま、古書マニアとして、この短篇作品の古いペーパーバック版を集めていたことが、意外なところでお役に立ったと言いましょうか。 しかし、自分の手持ちの資料が、他人の学問的研究のお役に立つ、というのは気分のいいもんですなぁ。少しは価値のあるものを集めていた、ということですからね。ま、そんな価値のあるものなら、自分の研究で使えって話ではあるのですが・・・。 そういえば、『パラサイト・イヴ』で有名な作家の瀬名秀明さんが書かれたロボット論アンソロジー『ロボット・オペラ』という大部の本にも、実は私は資料提供しているんです。これもまた、19世紀のアメリカで出されていたSFの古雑誌を少々研究していたことがお役に立った、ということなんですが、これも楽しい経験でした。 ま、それはともかく、S先生の「崩壊」の本、もうしばらくすると中央公論新社系の出版物として世に出るはずですので、まだ出る前から宣伝しておきましょう。この本、ものすごい名著ですから、(あらかじめ)教授のおすすめ! です。
February 28, 2006
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私は出版社のPR誌というのが割に好きなんですが、今は岩波書店の『図書』とちくま書房の『ちくま』を講読していて、毎月の月末から月初めにかけてこの2冊が相次いで郵送されてくるのを楽しみにしているんです。で、今日は『図書』の方が届いたので、夕食後、ベッドで横になりながら、この小冊子をぱらぱらとめくって、あちこち拾い読みしていました。 すると今月号には林望さんの「この書もしありせば:『完本 日本料理事物起源』を読みて」という小文が載っているじゃあーりませんか。お、リンボウ先生か、と思って真っ先に読み始めたのは言うまでもありません。 で、もちろんこのエッセイ自体はとても面白く、私も川上行蔵という方が書いたこの料理の本が読みたいな、と思わされたわけですが、しかし、その中に私にとってはとてもショックなことが書いてあったんです。 なんと、秋刀魚という魚を一般の人が食べるようになったのは明治の頃からで、それ以前は、「魚中の下品也」とされ、魚油を取るための原料にこそなれ、人が食べるものではなかった、というんです。 ガーン・・・。秋刀魚・・・。僕好きなのに・・・。君は「下品」な奴だったのかい・・・。 秋刀魚というと、現在では秋の味覚の代表の一つだと思いますし、それこそ佐藤春夫の「秋風よ 情あらば 伝へてよ ――男ありて 今日の夕餉に ひとりさんまを食らひて 思ひにふけると。さんま、さんま、そが上に青き蜜柑の酸を したたらせて さんまを食ふはその男が里の ならひなり」のように、詩にも歌われるような風物であるわけですけど、江戸時代以前には秋と秋刀魚が結びつけて考えられるようなことはなく、それどころか、秋刀魚について言及されている文献・文学作品が極端に少ないんだそうですね。で、それは先に言いましたように、人さまの口に上るものではなかったからなのだとか。ふーん。そんなもんですかねぇ。私なんぞ、焼き魚の中で一番好きなんだけどな、秋刀魚の塩焼き。 リンボウ先生によれば、件の川上行蔵博士も「さんまの大群が日本近海に来れば漁らぬはずはない。漁れば食べないことはないと思うが、記録のないのはどうしたことであろうか」と書いているとのことですが、食い物になるものがある、ということと、それを食べる、ということの間には、案外大きな隔たりがあるのかも知れませんな。たとえば日本人の感覚だと「犬」は食べ物の中に入ってないですけど、犬を食べる民族は世界には結構いますからね。 そう言えば19世紀のアイルランドでジャガイモの大凶作が続いたことがあって、随分多くの人が飢え死にしたり、アメリカへの移住を余儀なくされたりしたことがあったんですが、彼らだって海に囲まれた民族なんだから、魚を取ったりすれば死ぬようなことはないんじゃないかと思うのは間違いなのであって、当時のアイルランド人にとって「鮭」以外の魚は食べ物じゃなかったんですってね。ましてや貝だとか海草なんてのは、ネズミとかミミズみたいなもので、それを食うくらいなら人間やめた方がいい、というようなシロモノだったのだとか。貝好き、海草好きな日本人としては心外な話ではありますなあ。 ま、もちろんそういう話は他にも色々あって、タコやイカを食べたがらない民族は多いですし、ウニとかナマコを食べる民族はそう多くないですよ。身近な野菜で言えば、ゴボウを食べる民族って日本人くらいなもんです。今、中国あたりでさかんにゴボウが栽培されてますけど、あれはすべて日本への輸出品ですから。 私個人のレベルで言いますと、私はあまり食べ物に好き嫌いのない方ですが、それでもナマコとかホヤは、積極的に食べたいとは思わない種類の食べ物ではありますね。ただ噂に聞く「コノワタ」は、一度くらいなら試してみてもいいかな・・・。あと、苦手なのは虫系。蜂の子とかイナゴですね。あれも「食べて」と言われたらちょっと厳しいかも・・・。好きな人はおいしいと言いますけどね。 しかし、まあ、自分がおいしいと思っているものを人から「こんなもの!」と言われるのは嫌なものですから、私は「人間の食べるものは、すべておいしい!」と見なし、内心苦手な食べ物であっても、それに対して拒否反応を示すことはしません。それは下品な振る舞いだと思いますので。 ですから、その裏返しで、秋刀魚のことを「魚中の下品也」なんて言われると、傷付きますなあ。こら! 江戸時代の人たち! 焼きたての、油のジュウジュウ言っている秋刀魚にジュバっと醤油をかけ、ぎゅっとスダチでも絞って、大根おろしと一緒に食べてみなさいって。考えが変わるから。 あー、秋刀魚、食べたくなってきた。干物でいいから食べたい。秋刀魚の干物も、美味い奴は美味いですからねー。そうだ、家内に頼んで、明日あたり秋刀魚の干物でも焼いてもらおうかな。菜の花のおひたしでも添えれば、きっと季節外れの感じも少しは薄れるでしょう。
February 27, 2006
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昨日、今日と、我が大学は入試です。だもので、我々英語科の人間も試験の採点に駆り出され、土・日出勤していました。 英語の試験というのは、どの学科を受験する学生もたいがい受験するので、採点作業も大変です。15人くらいの先生方で分担して、2日がかりの仕事になってしまいます。ま、我々教員にとっても、年度末最大のイベント、といったところでしょうか。 で、もちろん入試ともなると、採点には神経を使います。ですから、精神的にも肉体的にもかなりハードな仕事なんですが、そんな中、唯一の楽しみなのが「おやつ」。つまり、先生方が数百円ほど出し合い、あらかじめおやつを買っておいて、採点室にずらりと並べておくわけ。クッキーあり、和菓子あり、果物あり、もちろんコーヒーや紅茶、ココアにハーブティーなども用意してあります。ですから採点作業に飽きると、各自おやつコーナーで適当にお菓子と飲み物をとってきて、これらを摘んでしばしリラックスしてから、また答案の山に立ち向かうというわけ。 で、このおやつがしょぼいと、年輩の先生あたりから「今年はちょっとおやつが寂しいな」なんて不満の声が出ますし、逆におやつが充実していると「お、今年は豪華だね」なんてことになって、採点者全員の労働意欲も俄然湧いてくるという次第。可愛いもんです。 あと、英語科の先生全員が顔を揃える、なんてことは年間を通してそんなにないことなので、この時期、採点をしながら互いに冗談を言い合ったりするというのも、科の志気を高めるという意味では重要な行事なのかも知れません。 で、そんなおしゃべりの時によく出る話題が、「赤ボールペン・ネタ」なんです。 入試の採点ですから、採点室にはあらかじめ赤ボールペンが用意してあります。それで、バブルの頃は大学も景気がよかったもんで、沢山の赤ボールペンがまだ封も切っていない箱に入れられてどーんと部屋においてあったわけ。もちろん、各先生方とも、採点の時に使ったボールペンは自分の胸ポケットに挿したまま家に帰っていたんです。で、それから先一年間、期末試験の採点などにもこの赤ボールペンを使っていた。それが当然だったんですね。 ところがここ数年、入試の時に配られる赤ボールペンが新品のものではなくなってきたんです。しかも「使い終わったボールペンは事務に戻して下さい」なんてセコい通達まであるという・・・。 だけど、長年、入試の時の赤ボールペンに頼り切ってきた我々としてはこれが納得できない。それでこのところ毎年、必ずと言っていいほど、入試の採点中のジョークとして、この赤ボールペンが登場するんです。 今年もこの吉例が続きました。同僚のS先生が口火を切ります。「ところで・・・このボールペン、貰っていってもいいんですかね?」 「いや、いいんじゃないですか?」と入試担当のY先生。「私もこのボールペンで、この先一年採点するんですから。これがなくっちゃ、どうにもなりません」 「でも、事務が返せって言うんでしょ?」とN先生。「数えてたりするんじゃないですか、ひょっとして。英語科はボールペンの紛失が多い、なんて言われてたりして・・・」 と、ここで何やらボールペンをしげしげと見ていたD先生が、「あ、ここに『使い終わったら返却すること』って書いてある!」と爆弾発言。英語科の先生方が一斉にボールペンを凝視。 「ウソですよ、ウソ」とD先生。一同のけぞる。 「しかし世知辛くなりましたなあ。ボールペン一つもらえないなんて・・」とK先生。 「まったく・・・。私の父の勤めていた私立大学なんて、入試手当が給料の一と月分ですよ。それに入試問題作成料がやっぱり給料一と月分。だから、入試に係わると、それだけで二ヶ月分の給料アップなんだから」と私。 「うちの大学なんて、入試業務は完全にボランティアだからね」とY先生のぼやき。 「でも土・日出勤分は手当つくんでしょ?」とN先生。 「それは超過勤務手当としてつきますけど、それだけですよ。入試手当、というのはないんです」とS先生。 そこですかさずK先生、赤ボールペンを振りかざしつつ、「だから、これが、この赤ボールペンこそが、我々の入試手当なんですよ!」 一同、賛同の拍手喝采。そして採点業務再開・・・。 かくして今年も、めでたく「赤ボールペン・ネタ」が終了し、採点業務を終えた先生方の胸ポケットには、ボールペンの赤いキャップが、まるで武功章のように輝いていたのでありました、とさ。 ま、それはさておき、二日に渡った奮闘の末、ようやく先ほど本年度の入試採点もめでたく終了しました。ま、我々にとっては一つの仕事の終わりですけれど、この結果によって来年度の新入生が決まるわけですな。彼らにとっては、これが一つの始まりなわけです。 さて、どんな新入生が、どんな期待を胸に、この大学の門をくぐるのでしょうか。それはまた、春になってからのストーリーということになりますね。いい学生が入ってきますように。今日も、いい日だ。
February 26, 2006
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昨夜遅く、NHKの衛星放送で「指揮者のいないオーケストラ」というようなタイトル(若干あやふやです)のドキュメンタリー番組を見ました。 例によって途中から見たので、これから書くことには、多少の誤解も含まれているかも知れませんが、とにかくこのオーケストラ、「オルフェウス管弦楽団」という小編成の室内楽団なんですけど、その最大の特徴は「指揮者がいない」ってことなんです。ですから、一人の指揮者が中心となって演奏を高めていく普通のオーケストラとは異なり、練習中に楽団員一人一人が意見を主張し、互いに討論しながら、その結果として、最終的に楽団員の総意に基づいた演奏を作り上げていくわけ。番組の中ではその練習風景も公開されていましたけど、誰かが「ここはこういう風に演奏した方がいいのではないか」と意見を言い出すと、とりあえずそのスタイルで演奏してみて、それが良ければ先へ進み、まずければまた別なスタイルを試してみる、という感じで試行錯誤を繰り返すんです。なるほど、個人の演奏ではなく、楽団による演奏ということであれば、こういうアプローチの仕方もあるわけだなあ、と見ていて非常に興味深いものがありましたね。 しかし、このドキュメンタリーが優れていたのは、これがただ単にオルフェウス管弦楽団を取材した番組ではない、というところなんです。このドキュメンタリーの視点は、この楽団がどうやって音楽を作り上げていったかということではなく、むしろこの楽団が選んだ「共同作業」というシステムが、ビジネスの世界でも活かせるかどうか、というところにあるんです。 構成員の意見を組織全体が吸い上げ、実地に試してみて、是々非々で採用するかしないかを決めながら、さらに次のステップへ進んでいくというオルフェウス管弦楽団の共同作業システム。この「個人」と「全体」の連携は、ひょっとすると西洋的な個性尊重のあり方と、東洋的な和を尊ぶ組織運営の、ちょうど中間あたりを行くシステムなのではないか。だとしたら、たとえば「企業」のような利益追究団体も、このオルフェウス管弦楽団のやり方から学ぶものがあるのではないか。ここにこの番組のテーマがあるんですね。 ですから、この番組の中でオルフェウス管弦楽団の練習風景を見ていたのは、一般の音楽愛好家ではなく、企業戦士たちだったんです。それもアメリカの超一流外資系投資会社の。日本人も沢山いましたけど、皆英語はぺらぺらで、楽団員たちの練習中の会話や討論もすべて聞き取れる。で、練習が終わったあと、企業戦士たちと楽団員たちの質疑応答があったのですが、「個人個人の間で意見の食い違いがあった時はどうするのか」「意見が気軽に出し合えるようになるのにどのくらいの時間がかかったか」といったような意見、はたまた「有能な指揮者が全体をリードしながら作り出す音楽より、自分たちの音楽の方がいいとなぜ言い切れるのか」といった厳しい意見も飛び出したりして、音楽かと企業人の間の歯切れのいい討論が繰り広げられ、それは実に面白いものでした。 指揮者を持たず、時間はかかっても互いに個性をぶつけ合いながら一つの音楽を作り上げていくことを選んだオーケストラと、組織の中でいかに個性を発揮するか、その方法を模索するこれまた一流の企業戦士たち。彼らの丁々発止のやりとりを見ていて、こういう場(社員研修?)を持つことを企画したアメリカの一流企業の発想のすごさにも感心させられました。 また、その中に沢山混じっていた日本人の英語力のすごさにも実に感心してしまった。日本人は語学が駄目、なんていうのは昔の話。今は若い人もある程度の年齢の人も、ガンガン英語で自在にコミュニケートしていますなあ! 大したもんだ。 ということで、色々な意味で、すごく面白い番組でしたね。こういう番組放送するんだから、NHKってやっぱりすごいな。受信料不払いに悩んでいるようですが、私は嫌な顔せずに払っちゃいますよー。ま、トリノ・オリンピック関連の番組で、何かというと「ここで視聴者の皆様からのファックスをご紹介します!」っていうの、あれは止めた方がいいんじゃないかとおもいますけどね・・・。
February 25, 2006
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今日、朝起きたら、すでにすごいことになっていました。荒川静香選手が女子フィギュアスケート・シングルで大きな大きな5円玉のような金メダル獲得! 何はともあれ、メデタイことでございます。 で、実際に金メダルものの演技を私が見たのは夜になってからでしたけど、確かにあの演技は贔屓目を抜きにしてもなかなか優美で良かったですなあ。曲と演技がよく合っていましたしね。仮に他の有力選手が演技の途中で転倒しなかったとしても、やっぱり金メダルは彼女のものだったのではないでしょうか。 また競技とは全然関係ないレベルの話ですけど、外国の方々から見ると、荒川選手のオリエンタル・ビューティー的な顔立ちは、ものすごく魅力的に映るんじゃないですかね。私は長年、「外国人の審美眼」の謎を研究してきましたが、その結論から言って、多分そうなんだろうと思います。荒川選手の顔立ち、まさにあれこそが「東洋の神秘」なのでございましょう。 ま、「神秘」と言えば、私から見ても荒川選手というのは神秘の人なのでありまして・・・彼女がどういう性格の人なのか、どうも今一つ掴めないところがある。 たとえば今回4位と健闘した村主選手なんかは、おっとりとしていて、頑張り屋さんで、でもちょっと抜けていそうなところもあって、すぐに友達になれそうだし、なったら楽しそうな感じがする。また安藤選手は、いかにも現代っ子ぽくて、私なんぞは5分も話していたらもう話題が尽きてしまいそうな気がするけれど、まあ、多分こういう子なんだろうな、ということは推測できる。でも荒川選手となると、どういう人なのか私にはまったく見当もつきません。彼女は寡黙で、ほとんどしゃべりませんしね。 ま、そんなこと、どうでもいいか・・・。スケートで自己表現しきったのですから。 とにかく荒川選手はじめ、女子フィギュア三選手の健闘によって、やや盛り上がりに欠けていたオリンピックも、大分持ち直してきたようです。あとどんな種目が残っているのか、よく分からんですけど、出場する日本人選手たちには頑張ってもらいたいものです。
February 24, 2006
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ニュースを見ていたら、例のライブドア・メールの一件で民主党の永田議員は辞職を申し出ており、党幹部は処分を前原党首に一任した、とのこと。 しかし「党首に一任」だなんて、民主党もえぐいことやりますなぁ。永田議員なんて実はどうでもよくて、これを機に「前原下ろし」をしちゃえ、と党内の実力者の間で衆議一決したんじゃないんですかね。だって、もし永田氏を辞職させたら前原氏は党の若手から突き上げられるでしょうし、逆に辞職させなかったら党の古株に前原批判の口実を与えることになる。民主党への世間の非難も、当然責任者である前原氏に集まるわけですから、どっちにしろ前原さんはもうおしまいなんじゃないでしょうか。今回のドタバタ劇の責任をみーんな押しつけられちゃって、前原氏も哀れなもんだ。 前原さん、要するにあなたは所属する党から捨てられたってことですよ。あなたは民主党のために頑張るつもりだったかも知れないけれど、民主党はあなたを支えようなんて最初から思ってなかったんじゃないですか? もういっそ自民党に鞍替えして、民主党を叩く急先鋒になるってのは、どう? さて、今週末に行なわれる入試の会場設営があるので、今日は大学はお休みです。ということで、私は朝から「編集作業」に没頭しておりました。うちの大学の英語科では毎年、年度末に論文集を出すのですけど、その編集を私が担当しているものでね。 前にもこのブログで書きましたが、それまで100%業者に丸投げして40万円も使っていたこの論文集の出版、昨年は私がすべて編集して版下まで作ってしまい、業者に頼むのは印刷と製本だけにするというやり方で、たった10万円で済ませてしまったんです。一気にコストを4分の1にしたわけで、その腕を買われて今年も私が編集作業に当たっているという次第。その「報酬」として、私は数万円を通常の研究費に上乗せしてもらっているので、英語科としても、私としても、悪い話ではないんです。 それにしても、編集作業って私の性に合っていますなあ。数人の同僚から預った論文の体裁を整え、統一したフォーマットに揃えているのですけど、そういうの全然苦にならないという・・・。で、編集をしながら校正もしているのですけど、たまにオリジナル原稿にミスを見つけたりすると気分がいいですよー。だってそれを直せば、また一歩パーフェクトに近づけるわけですから。ノーミスの編集作業をすること。これぞ私の編集魂が目指す、究極の目標なのでございます。 ということで、これからもう一篇、論文の編集作業に入ります。こいつは縦書きの原稿なので、他のものに比べるとちょっとしんどいのですが、昨年の経験を活かせばなんとかなるのではないかと思っています。さ、もういっちょ頑張りますか。ファイトー! いっぱーっつ!!
February 23, 2006
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私はお酒は嗜む程度、いや、そこまでもいきません。ビールだったら最初の3口(グビ、グビ、グビ。はい、おしまい)、ワインだったらグラスに1杯で十分、というところ。しかし、では酒が嫌いなのかというと、そういうわけでもなく、夕食の時に少しだけお酒を飲む、というのは決して嫌いではないんです。ほんの少しお酒を飲むと、食事が一層おいしくなりますからね。 もっとも基本的に酒が強い体質ではないので、辛口の酒は苦手。どうしても甘口のものを探してしまいます。ですからワインならドイツ系の白ワインが中心。コクのあるフルボディの赤、なんてのは私には渋過ぎて、好んでは飲みません。あっさりしたものでも、赤ワインはほとんど飲まないかな。 しかし最近、私にもおいしいと感じられる赤ワインを発見したんです。「カルロ・ロッシ」という銘柄の、「カリフォルニア・レッド・マスカット」という奴。これは、その辺のスーパーや酒屋さんで格安で売られているものなんですけど、赤ワインというより「サングリア」みたいな感じで、すごく甘くて飲み易い! これなら私でも敢えて飲みたいと思えるほどです。今輸入ワインの中でも人気急上昇みたいですね。ちなみに製造元の「アーネスト・フリオ・ガロ」というのはカリフォルニアのメーカーで、ロサンゼルスで在外研究していた時、ここのワインをよく飲んだものです。 で、この前1本飲んですっかり味をしめた私は、また飲みたいなと思っていたのですが、今日、大学からの帰り道に酒屋さんに立ち寄ったら、ありました、ありました。しかもすごく安い値段で。もちろん1本買ってしまいましたよ。今日は、ワインというよりはビールの方が合いそうな食事だったので、アサヒスーパードライを飲みましたけど、明日はまたこのワインを飲もうかな、と思っています。楽しみですね。 ということで、カルロ・ロッシのカリフォルニア・レッド・マスカット、教授のおすすめ!です。 これこれ! ↓カルロ ロッシ レッド マスカット 750ml(Carlo Rossi California Red Muscat)
February 22, 2006
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いつまで続く泥濘ぞ・・・という感じでしたけど、ようやく我が大学でも後期の期末試験が始まりました。やれやれ。 しかし、この期末試験というのも、実際、うざったいもんですなぁ・・・。ま、試験を受ける学生の方はもっとうざったいと思っているのでしょうが。 期末試験の何がうざったいって、試験監督をするのがうざったい。この空白の90分、無駄な気がして仕方がないんです。 少し前まで、私はこの期末試験の試験時間中、教室に本を持ち込んで、教卓のところで一心不乱に読書に勤しんでいたんです。めったに「見回り」なんかしない。もちろん、私が見回らないのをいいことに、中にはこっそり不適切な行動に出る学生もいたかも知れません。しかし、私としては「ズルして良い点とりたいなら、そうすれば」と思っていたんです。大学というのは、中学・高校とは違う。もういい加減大人になった連中が来るべきところであって、ズルして良い点取ろうが、勉強して良い点をとろうが、はたまた勉強しないで悪い点を取ろうが、そんなもん個人の勝手じゃ、と思っていたわけですよ。 しかし、数年前から、どうも私のような考え方は通用しないらしい、ということが分かってきた。というのも、「勉強をして良い点を取りたい真面目な学生」たちから、私の監督態度に不満が出るようになったのです。彼らの言い分では、「自分たちは一生懸命勉強して試験に臨んでいるのに、その一方で何も勉強せず、カンニングして良い点をとる奴らがいるのは許せない。だから、もっとしっかり試験監督をして欲しい」というわけなんです。 はぁ~・・・。大学生にもなって、何で他人のことを気にするかねぇ・・・。自分が一生懸命勉強して良い点取ったら、それでいいではないの・・・。 無論、正義の怒りに燃えた彼らの申し入れは、いかに私から見て「ケツの穴の小さい」主張であるとは言え、それ自体はきわめて正当な申し入れであるだけに、それ以降の私は几帳面に監督業を勤めるようになりました。試験中は教壇の上から睨みを効かせたり、「機関銃掃射」(=机間巡回のこと)をしたり、教室の後ろに回って背後から学生の妙な動きを監視したりしているわけです。かくして、期末試験中の私の楽しい読書時間は永遠に奪われ、果てしなく無為なる時間を過ごすことになったのでありました。 今日も、そんなのを3回やりましたからね。もう、くたくたです。 でも今日、試験監督をしている時にちょっと面白かったのは、教室の後ろに回って学生たちが一生懸命試験問題に解答している、その後ろ姿を見ていたら、何だか妙に彼らが可愛らしく思えてきた、ということです。 普段、授業をしている時に学生たちの顔を前から見ていると、「勉強向きの知的な顔してる奴が一人もいないよなー」と思うのですが、後ろに回って居並ぶ彼らの後頭部や背中を見ていると、誰も彼もみんな「いい子」に見えてくる。この子たちにはそれぞれ親が居て、その親にとっては、この子たちはそれぞれかけがえのない可愛い子なんだろうな、というのが分かってくるんです。そんなことを考えていたら、机間巡回をしている時に、「はい、君もいい子、あなたもいい子」って、学生たちの頭を一人ずつ撫でてやりたい衝動に駆られましたよ。もちろん実際にはそんなことしませんが。 昼間、泣きわめく赤ん坊にげっそりさせられても、夜になってその子の寝顔を見ると、やっぱり可愛いな、と思うようなもんでしょうか。 今週はまだあと2つ、試験監督があります。それだけ、私の時間が無為に過ぎ行くことになるわけですが、ま、それも給料のうちとあきらめるしかありませんね。また「可愛らしい」学生たちの後ろ姿でも眺めて、しみじみすることにしますわ。
February 21, 2006
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最近、「談合」の問題があちこちで取り沙汰されていますが、あれはあれで案外難しい問題ですね。 私の友人で建設業大手に勤めているのがいますが、彼に言わせると、談合やらないと小さい建設業なんてみんなつぶれるけど、それでいいの? ということになります。つまり、あれは業界内で案配して、一つの会社が儲け過ぎないようにするシステムなのであって、それをストップすると本当に弱肉強食になってしまう、と言うのですね。またそうなると地方の公共事業にも東京の業者が関わることになってしまって、地元の建設業界は仕事がなくなり、地方経済はますます先細りになる、ということもあるらしい。 さらに、談合抜きで入札をやる場合、入札に勝つため、極端に安い値段で工事を請け負ってしまった会社が、実際に工事を始めたらやはり赤字になりそうになって、仕方なく労働者の賃金を不等にカットしたり、「手抜き工事」をやる、なんてことも生じてしまいがちなのだとか。つまり、談合を止めてリアルに競争させれば万事よし、というような単純なことではないんです。 ですから、「談合=悪」と決めつけ、それさえ無くせばいい、なんてことではなく、談合というものの様々なメリット・デメリットを突き合わせて、うまい解決法を出さないといけないわけ。果たしてそれが我が国の政府にやれるかどうかは疑問ですけどね。 第一、談合が行なわれるもう一つの理由として、発注する側、つまり「官」の側の「予算の消化」ということも大きいのですから。「官」の側としては、入札価格が想定価格以下になってしまい、その結果予算が余るのはとても都合が悪い。予算が余れば、監督官庁からお叱りがあるばかりでなく、翌年の予算が必ず削られますからね。だから工事を発注する側にも「変に安く工事を請け負ってもらいたくない」という意志が働きます。これが「官製談合」が行なわれる事情の一つですね。もちろん、官製談合には「天下り先確保」というもっと大きな理由もあるのですが。 ですから、談合問題を云々するのであれば、「官」の側の「予算の消化」なんていう無駄なことをまず無くすことをやらないといけません・・・。 はい、ここまでが今日の話のマクラです。 というのはですね、このところこの種のアホらしい「予算の消化」ということが、私の身にも迫ってきているからなんです。今はちょうど年度末ですから、私のところにも事務から「早く予算を消化してくれ」の大合唱があるんですよ。消化しろ、消化しろって、タカジアスターゼじゃあるまいし・・・。 でも、これは実はおかしな話なんです。というのも、昨年、国立大学が独立法人化されてから、予算面では少し自由が利くようになり、研究費などが余ったら、翌年に繰り越せるということになったはずなんですよ。だからこそ私もわざと予算を15万円ほど余らせてあったんです。来年あたり研究室で使っているパソコンを買い換えようかと思っていたのでね。その年の予算だけでパソコンを買い換えると、研究のための本を買うお金が無くなってしまいますから。 ところがここへきて、「5万円以上の予算の繰り越しは避けてくれ」との通達が・・・。何だかんだ言って、文部科学省がうるさいらしいんです。 しかし、一体、文部科学省は何の権限があって「独立」法人に向かってそういうことを言うのか、さっぱり分かりませんなあ。独立しろ、独立しろと言っておきながら、やっぱり陰ではしっかり束縛しようというのですから、本当に質が悪い。大学も大学だ。文部科学省がうるさいことを言ってきたら「ばーか、お前らなんてもう監督者じゃないやい!」と言ってやれって。 ま、それはともかく、そんなこんなで私のコンピュータ買い換え計画はすっかり狂ってしまったのですが、そればかりではなく、出来るだけ早く少なくとも10万円は消化しないといけないという困った立場に置かれることになったのでした。しかも、この時期ですともう図書は買えないので、物品を購入するほかないという・・・。 で、結局、研究室用に「ロールアップ・ブラインド」買うことにしちゃいましたよ。数年前に部屋のブラインドが壊れて、ずっと中途半端に閉まったままだった、ということもあるので、まったく予算消化のための無駄な物品の購入というわけではないのですが。 それでも、やっぱりちょっと罪悪感があるなあ。 こういうのは私だけじゃないと思うんです。きっと今頃、私と同じように、特に切迫した必要もないのに予算消化のために物品を買って、ほんのちょっぴり罪悪感を感じている公務員や準公務員が日本中に何万人といるわけですよ。例の年度末恒例の「道路ほじくり返し」もそうですが、ばかばかしいですなあ。 最初に述べた談合の問題の解決も重要ですけど、この種の無駄な「予算消化」こそ、今すぐメスを入れるべきだと思います。これこそ、ほんとに意味なく、しかも日常的に行なわれている、この国の悪しき習慣なんですから。よーく考えよう、お金は大事だよ。 ・・・さて、と。で、ワタクシの研究室のブラインド、何色にしようか知らん。ブルー? いや、目にいいと言われるグリーン? ま、まさか紫? やっぱ遮光にした方がいいのかしら、それとも・・・。あれれ、予算の消化って、結構楽しいじゃん! (駄目だコリャ!!)
February 20, 2006
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永田某民主党議員による「堀江メール・スキャンダル」。しかし、その後の調査が進むにつれ、どうやら本当に「ガセネタ」っぽくなってきましたなあ。 夕方のニュースなどでも言ってましたが、メール・ソフト「ユードラ」の書式が、ライブドアの人たちが使っている最新バージョンのものと、永田議員が告発している「証拠物件」とでは、異なるらしい・・・。それに第一、そんなヤミ献金みたいなものを証拠の残り易いメールで指示したり、銀行口座に振り込んだりするか? ということもあります。ああいうのは実弾(現ナマ)でやるもんなんでしょ? また、かてて加えて永田議員の国会でのやりとりの情けないこと・・・。自分で騒ぎを起こしておきながら、与党側に痛烈に反論されると、とたんに議長に助けを求め、「議長、見て下さい、この雰囲気・・・一方的な攻撃ではありませんか」などと噴飯ものの物言いをするという・・・。これでは小泉首相から、「いいですか、永田さん、冷静になって下さいね。あなたが、信憑性が疑われる証拠をもとに、一方的に武部氏を攻撃しているのですよ」などと指摘され、完全に子供扱いされるのも当然じゃないですか。 民主党党首の前原さんも、こういう若手の無謀な暴走を事前に押し止めるだけの実力もないらしい、というのが見え見えですなあ。成り行き上、仕方なく「信憑性はあります」などと強弁していますが、なんか及び腰で、本当は自信がないのに、無理に強がっている風がこれまた見え見え。 こういうのを見ていると、現在の民主党というのが、かつての土井委員長時代の社会党と同じく、「万年へなちょこ野党」の柄が板についてきた、というか、しみついてきた感じがします。こんなんじゃアメリカ式の「2大政党制」なんて無理無理。情けないなぁ。ほんと、もう少ししっかりした野党というのが出て来ないと困りますよ。民主党には、猛省を促したいものです。 閑話休題。 さて、今日は仕事の合間を縫って、お昼を外食してきました。行ったところは以前にもご紹介した「オリエンタルの青い月」というトルコ料理の店。名古屋郊外の塩釜口というところにあります。 今日食べたのは、「ケバブサンド」。これはピタパンにドネルケバブ(回転する焼き串に刺した肉をナイフでそぎ切りにする焼き肉料理)をどっさり挟み、さらに野菜をたっぷりいれて食べるというもの。一人分350円と、値段もリーズナブルです。そしてこれに「羊飼いのサラダ」「シシケバブ(串焼きのラム肉)」を付け足し、さらにトルコ風アイスクリームの「ドンドルマ」を注文して二人分で2800円。いや、実においしかった!! この店、ほんとにいいですよ。次に行く時は、「花嫁のスープ」と「坊さんの気絶」も注文するつもり。料理のネーミングもステキ!ですよね。 で、帰りにちょっとスバル系列の自動車屋さんに寄って、「R2」という軽自動車の試乗もしてきちゃいました。このブログでも言及していますが、セカンドカーとして軽自動車はどうかな、と思っているもので。 で、R2に乗ってみてビックリ! なんだこの上質な走りは! 先日試乗したダイ○ツ・ム○ヴとはまるで格が違う。普通車と同じような、いや、リッターカー以上の走りをするじゃないですか! さすが軽自動車としては珍しい4気筒エンジン&4輪独立懸架の足周りです。CVTの変速も滑らかだし、内装の質も相当趣味がいい。これは気に入っちゃったなあ! ということで、今日の試乗で、急ごしらえの「スバリスト」になりつつあるワタクシなのでした。さて、我が家のセカンドカー選び、どうなることやら。それでは、また!
February 19, 2006
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今日は所属するアメリカ文学関係の学会で例会がありました。 今、私はこの学会の運営を引き受けているので、例会で研究発表をしていただける方を所属会員の中から探すのも私の役目なんですが、今回は入試の時期などと重なるためもあって、発表者二人を確保するのにひと苦労してしまいました。 で、ようやく二人を確保することが出来たと思ったら、なんとこの二人が同じ作家について研究発表したいとおっしゃるではあーりませんか。うーん、厳しいですね・・・。やはりある程度、バラエティに富んだプログラムにしないとまずいよなぁ・・・。 しかし、ふと漏れ聞いたところによると、なんと今日はこの作家の75歳の誕生日だとか。ひゃー、ラッキー! だったら「誕生日記念特集」ということにすれば、二人の発表者が同じ作家について研究発表する口実になるではないですか! ということで、今日の学会は「トニ・モリスン特集」と銘打って興行することに。ちなみに、このトニ・モリスンというのはアメリカの黒人女性作家で、ノーベル賞とっている人なんですけど、日本でもアメリカ文学研究者の間ではとても人気があります。「黒人」であり、かつ「女性」であるという、2重の意味で弱い立場にある人々の声無き声を代弁してきた作家ですからね。 かくして、いささかこじつけ気味の「誕生日記念特集」例会だったわけですが、蓋を開けてみたらいつも以上に聴衆が入ったという・・・。ま、怪我の功名みたいな感じですけど、結果オーライということにしておきましょう。実際、二つの発表とも良かったですし、発表後の質疑応答も活発で、例会としてはなかなか盛況でした。やっぱ、トニ・モリスンを看板に掲げると失敗しないなあ。 特に一つ、今日の発表の中で私にとって面白かったのは、今アメリカの「トニ・モリスン学会」の肝煎りで、差別問題などで苦労してきたアフリカ系アメリカ人の苦難の歴史を記す記念碑として「道端のベンチ」というのが作られているという話題でした。これはアメリカ黒人の受難の地に公共のベンチを作るという運動なんだそうで、それらの土地を訪れた誰もが、このベンチに座って、かつてアメリカで行なわれた黒人差別の悲しい事実に思いを馳せることができるように、ということなんだそうです。銅像とか石碑などではなく、「ベンチ」を作るという発想が面白いですよね。 というわけで、今年度最後の学会もまずまず成功裏に終わりました。それでちょっとほっとしたこともあって、学会が退けた後、同年代の研究者仲間と会場近くのデニーズでおしゃべりをしてリラックスすることに。ま、別に研究とは関係のない、とりとめのない話をしていたのですが、学会の楽しみというのは、案外こういう友人との雑談の中にあるのでありまして、今日もこのおしゃべりのおかげで、このところあまりの多忙さに若干疲れていた心も晴れました。・・・それにしても、最近のデニーズのケーキ、小さくなりましたなぁ・・・。 さて、今週、まともに休めるのは明日の日曜日だけなんですが、月曜日に大学院の修士論文の審査が予定されているので、明日は担当する論文を査読しないといけないんです。すでに一読はしてあるので確認のための2度読みなんですけど、やはり気は抜けません。まだまだ年度末の忙しさは続きそうですけど、体調を整えて頑張ります。それでは、今日はお休みなさい。
February 18, 2006
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今日は卒業論文の口頭試験がありました。 これは1ヶ月ほど前に提出された学生たちの卒業論文にそれぞれ「主査」と「副査」を付けて審査し、その結果をもとに個々の論文の内容について当該の学生と質疑応答をした後、それぞれの成績を判定する、というもの。ま、4年生にとっては「最後の関門」というところでしょうか。 ところで、うちの科では数年前まで20人の学生に対して7人の教官が卒論指導に当たっていましたので、卒論口頭試験といってもそれほど時間がかかるものではなく、その後の成績判定会議も、7人の教官がそれこそコーヒーを飲みながら、膝を突き合わせて和気藹々とやっていたわけ。 しかし、アホな改組を行なった結果、今では60人の学生を20人の教員で指導することになってしまったので、この毎年の行事も大ごとになってしまいました。60人分の卒論にそれぞれ主査・副査をつけて読み合わせをするのも大変ですし、それを6部屋に分かれて審査するのも大変ですし、さらに20人の教員で喧々諤々成績判定会議をするのも大変な作業です。しかも今年は私が教務担当なので、主査・副査の組み合わせから、部屋割りから、成績判定基準の作成までぜーんぶ私の仕事。ですから、今日、朝から夕方までかけてすべての審査と成績判定が終わった時は、ほとほと疲れ切りましたわ。やれやれ、しんどいのう・・・。 ま、そんな感じで疲れ切って、自分の研究室でぼーっととしていた時のこと。ふと外を見ると、彼方に燦然と輝く火の輪があるではないですか! あれは何だ! この世の終末か?! はたまた火星人の襲来か?! いやいや、よく見たら、彼方に見える某遊園地の観覧車に夕日が当たって、きらきら輝いていただけでした。 しかし、その美しさといったら半端じゃない。別に観覧車の電飾が光っているわけではなく、ただ夕日が当たっているだけなんですが、それがこの世のものとも思われぬようなギラギラとした美しい輝き方なんです。思わず隣の研究室に飛びこんで、日頃私が「叔父貴」と呼んで親しんでいる目上の同僚のO先生に「あれを見よ!」と言ってしまいましたが、何とO先生も先程からあまりの美しさに見とれていたとのこと。 もちろんその観覧車は昨日今日出来たわけではなく、2年ほど前からずっとそこにあるわけですが、それがあんな輝き方をするのなんて今まで見たことがない。多分、夕日の角度とか、快晴であるかどうかとか、色々な条件が揃ったために、たまたま今日、私たちの居る研究室棟から見て、輝く火の輪に見えたのでしょう。事実、5分もしないうちに、炎が燃え尽きてしまったかのごとく、いつもの観覧車の姿に戻ってしまいましたからね。 というわけで、ほんとに一瞬のことでしたが、まったくこの世のものとは思われない「光のページェント」を見ることが出来て、今日、口頭試験が済んで、卒論にかかわるすべてのことが一段落した、その労がねぎらわれたような気が、私にはしたのでした。 すっかり疲れてしまいましたけど、やっぱり、今日もいい日だ。
February 17, 2006
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私立の大学なんかですと、いや国公立大学だって、ほんとならもうとっくに後期の授業が終わっているはずなんですけど、うちの大学は今年度に限り、校舎のリフォームがあって夏休み期間が異常に長かったため、2月のこの時期になってもまだ通常の授業をやっています。ま、それも今週あたりでぼちぼち終わりなんですが。 で、私に関しては今日で今年度の授業はすべて終わりました。来週以降は期末試験ということになるので、授業自体は今日で終わりなんです。 で、いつもであれば、一年の授業の最後の日ともなると、それなりに達成感というか解放感があるものなんですけど、今日はなかったですねぇ。というのも、最後の授業の途中で、私が怒って教室を飛び出してきてしまったからです。 原因は学生の私語。当該の授業は「アメリカ文学史」なので受講生が多く、しかも階段教室で行いますので、学生としては少しくらいしゃべったって目立たないと思っているのでしょう。しかし、教壇に立つと学生の私語というのはホントによく聞こえるものなんです。 で、どういうわけか今日はいつも以上に私語が多く、授業中ずっと「嫌だなあ」と思っていたのですが、あと30分というところで限界に達してしまった。で、しゃべっている途中でいきなり、靴音高く教室を飛び出し、ドアをバーン!と閉め、さっさと研究室に戻ってしまったんです。 言っておきますが、私は授業がものすごく上手な方で、退屈するような話はしていないはず。それを聞かないで、おしゃべりをしているというのは、もう受講者たちの知性が大学レベルではないということなんでしょう。そんな連中に「おしゃべりはやめて。ちゃんと聞いて下さい」なぞと「懇願」するほど、私はお人好しではない。大学の教員の中には私語に寛容な人もいますが、私は耐えられませんね。 でも、いきなり話を止めて教室を出てしまうの、結構、気分が良かったかも。うん、これいいなあ、「授業拒否」作戦。来年度は最初っからこれで行こうかしらん。 ま、それは冗談ですが、しかし、それにしても情けないなぁ、これが今どきの我が国の最高学府の姿かと思うと・・・。とほほ。 そうですね、あと30分くらいは落ち込む予定ですので、一人にしておいて下さい。(30分で立ち直るところが、釈迦楽流なんですが・・・。)
February 16, 2006
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今朝は通勤の途中で交通事故を目撃してしまいました。 いつものように車で大学に向かっている時、ある交差点で信号が赤になりかけたんです。で、止まろうか、突っ切ってしまおうか、一瞬悩んだのですが、たまたま今日は止まる気になった。そこで私は、やや急ブレーキ気味に制動をかけたわけ。 ところが私の前を走っていた車(ホンダ・オデッセイ)は、そのまま交差点をスピードを上げて通過していったのです。信号が赤に替わっているのに無理やり交差点を通過することを一般に「名古屋走り」と言うようですが、確かに名古屋ではよくある光景です。ま、私も時々やってしまうのですけど・・・。 しかし、事故はその直後に起こったのでした。無理に交差点を通過しようとしてスピードを上げていたその車は、交差点から30メートルほど過ぎたところで横道から飛び出してきた黄色い車(VW・ビートル)を避けきれず、その横腹にグシャッと突っ込んでしまったのです。あーらら。朝っぱらからついてないですなぁ・・・。 両ドライバーとも怪我はなかったようで、すぐに車から出てきたのは不幸中の幸いでしたが、二人とも苦い顔をして携帯でどこぞに電話をしていました。で、その脇をそろりそろりと通りながら、先程、どういうわけか今日に限って「止まろう」と思ったことが何だか「天の助け」だったような気がして、思わず神様に御礼を言ってしまいましたよ。もしオデッセイの後にくっついてスピードを上げて信号を通過していたら、私も事故に巻き込まれていたかも知れませんからね。くわばら、くわばら・・・。 でも今日の特記事項は、これだけ。水曜日というのは、大学全体として午後から授業がありませんので、キャンパスも静まり返っており、そんな中で私は静かに仕事をしていました。今日の名古屋は18度近くまで気温が上がり、4月下旬の陽気だったそうですが、そんなこともあって、何だかもう気分は卒業式後の春休みみたいな感じで、気分的にはとてもリラックスして仕事をこなすことができました。 しかし実際には、今週は週末も含めて仕事が山積みなんです。これを乗り切ると、少し楽になるのですけどね。 ということで、今日は早めに寝て明日以降に備えます。それでは、皆様、お休みなさい。ぐーぐー。
February 15, 2006
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トリノ・オリンピック。期待の日本勢は、今のところ確たる成果が上がらず、いま一つ盛り上がっていないようですが、やはり事前に期待し過ぎなんでしょうなぁ・・・。 しかし、ほんと日本の報道陣って、過去から学習しませんよね。いかに現代っ子っぽく見えても、日本選手が相変わらずプレッシャーに弱いことは、過去の経験から言って分かり過ぎるくらい分かっているはずなのに、毎回、事前に期待し過ぎ、取材し過ぎて、否応なく有形無形の重圧を選手にかけ、結果、彼らが実力を発揮できない環境を整えてしまうという・・・。 実際、今のところ日本勢で活躍しているのは、事前にほとんど報道されなかった選手たちばっかりではありませぬか? え? そんな人出てたの? という選手ばかりが、意外な(失礼!)好成績を示しているような気がする。また、可哀相に「期待外れ」のメダル候補者たちだって、事前の報道がほとんどない世界選手権などでは連戦連勝なわけですし。 もう報道協定かなんかを結んで、事前にオリンピックを盛り上げるような報道を一切しない、ということにすればいいのに。で、実力通りメダルをとったら、その時点で騒げばいいのであって、ね。 まったく、オリンピックが始まる前から「期待されるメダルの数」なんて、とらぬ狸の皮算用なんかしているから、こういうことになるんですわ。ほんと、少しは勉強してもらいたいもんだ。 閑話休題。 ところで、私が好きな冬のオリンピック競技は、と言いますと・・・うーん、スキーの「滑降」かな・・・。あれは正直すごい。120キロを越すスピードであの斜面を滑り降りるんですから。スキーのコントロールを失ったら死にますよ。あれ見てると、人間ってどこまで人間離れしたすごいことができるんだ! って思いますもんね。 一方、いま一つ分からないのは「モーグル」とか、「スノーボードHP」とか、そういうの。あれは・・・ああいうのは、スケボーで階段の手すりを滑り降りるみたいなのと同じで、オリンピック競技というより、「遊び」でやるもんじゃないのかしらん・・・なんて、オリンピック目指してこのジャンルで頑張っている人には申し訳ない言い方ですが。でも、そもそもオリンピックというのは「より速く、より高く、より遠く」で競うものなんでしょ? そういうことから考えると、物理的に成績を計測できない競技というのは、どうも、ね。 ま、とにかく、まだ競技は始まったばかり。当分は様々な冬季スポーツの祭典を楽しませていただきましょう。
February 14, 2006
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明日はバレンタイン・デーですなあ・・・。 バレンタイン・デーのチョコレートと言えば、私が最初にもらったのは小学校3年生の時でした。世代的に言って、バレンタイン・デーにチョコを贈るなんてことが、まだそれほど一般に知られていない頃のこと。ですから、私も何が何だかよく分からないうちにもらってしまったわけですが、残念なことに、私にチョコをくれた女の子は、その7年後に亡くなってしまいました。骨肉腫だったそうです。 次にチョコをもらったのは中学1年の時。もらったのは委員会活動で一緒だった女の子でしたけど、可哀相なことに、この子もその7年後に亡くなってしまいました。よく知りませんが、脳関係の病気だったそうです。 まったく、私に本気でチョコをくれる女の子は、どういうわけか皆、7年後に亡くなってしまいます。げに恐ろしいことでございます。 ま、そういう悲しい偶然はあるものの、私が中学生くらいの時はもうバレンタイン熱気の真っ只中にありましたから、この日の学校は一日中、何やらものすごい雰囲気(殺気?)に満ちていましたね・・・。チョコをあげる女の子の方も目が血走っていますが、もらう男子の方も密かに期するところがあったりして。 しかし、そこはそれ、こればかりは人気の問題ですから、チョコをもらえる子もいれば、もらえない子もいる。特に一つももらえない子というのは、悲惨なもので、やはり人知れず傷ついていたのではないかしらん。またそういうことを考慮して、2年生の時には担任の先生の発案で「クラスの女子は、必ず一人、クラスの男子にチョコをあげること」というふうに決め、お昼休みに男女一列に並んで「贈呈式」をやったこともあります。当時は、こういうのって教育的にどうなの? と思いましたが、一つもチョコをもらえないで家路につく子のことを考えれば、まあ致し方ないのかな、と今では思います。 私ですか? いや、私はそのー、それなりにコアなファン層をつかんでいましたので、大体7つか8つはもらってましたよ。もっとも、ほんとに沢山もらう奴というのはそれこそ20個も30個ももらうわけで、たとえば私の友人の中では川平慈英なんてのがそんな感じでした。奴も今ではミュージカル俳優として相当名前が売れてきて、漬物の宣伝に出たり、サッカーの解説なんかもしていますが、実際、テレビで見るままのナイスガイでしたから、彼が中学生当時、それだけチョコをもらうのも納得、という感じでしたね。 しかし、そんな幸福な時代も過ぎ去り、その後私は男子校に進学しましたので、チョコを幾つもらった、なんて話とは縁がなくなってしまいました。逆に、不憫に思った母や姉からチョコをもらう習慣ができたのは、その頃からです。姉なんぞ、いまだにくれますから、家族の絆とは有り難いものでございます。 で、今はもちろん家内が手作りのおいしいチョコレート・ケーキなどを用意してくれるので、これまた幸せな我が家でございます。 でも、そうは言っても「2月14日」と聞くと、何となく、何となーく、何かを期待してしまうのは、何なのでしょうか。いや、もちろん世界平和のためにも「義理チョコ」で十分なんですけどね。・・・おい、こら! ついこの間まで卒論で私にすごく世話になっていたゼミ生諸君! 僕の下駄箱、いや、メールボックスがどこにあるか、知っておろう。苦しゅうない。苦しゅうないぞ・・・。 なーんて、うちのゼミ生ども、今頃みんな、卒業旅行かなんかに行ってるんだよな・・・。 はーい、やっぱり唯一無二の家内のチョコレート・ケーキだけで十分でございまーす! 今日も・・・いや、明日もきっといい日だ!
February 13, 2006
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昨日のブログで書いた「すき焼き用黒毛和牛」ですが、今日、すき焼きにして食べました。うまかった! それに見事な霜降り肉の一片が、鉄鍋の半分を覆うほどの大きさですから、その食べ応えといったら・・・。お金持ちって、こういうのを食べているのかぁ~って思いましたよ。 それはともかく、今日の名古屋は風の強い、寒い一日でした。こんな日は出かけたがりの私ですら、外に出るのがおっくうになってきます。ま、そんなこともありまして、今日は一日家に籠もって、先日、鎌倉の古書店「木犀堂」で買ってきた『みみずく偏書記』(青土社・絶版)なる本に読みふけっておりました。 ところでこの本の著者である「由良君美」という人の名は、今どのくらいの人が知っているのでしょうか? 残念ながらもう15年以上も前に亡くなった人ですが、19世紀イギリスロマン派文学の研究者で、特にコールリッジがご専門でした。しかし、専門が何か、などということを遥かに超越した博学・博識・学際の人で、その才能を慕った弟子たちの中から、高山宏・富山太佳夫・四方田犬彦といった異能が次々と世に出たことからも、その存在の大きさが伺い知れるといった感じの人なんです。 しかし、「一つのテーマについて本を書き下ろすのは、60歳を過ぎてから」なんてのんびりしたことを言っておられたのが災いし、その膨大な学識をフルに発揮するような主著を書く前に亡くなってしまった。結局そのことが、今日、由良さんの名がさほど世に知られなくなってしまったことの原因なのではないかと愚考します。なにしろネット上の百科事典「ウィキペディア」でひいてみても、由良君美の項目がないんですから・・・。したがって由良さんの学識のすごさというのは、彼が書肆の求めに応じて書き散らしたこまごましたエッセイの類から推測する以外ない、というところがある。で、本書『みみずく偏書記』も、そんなエッセイ集の一つなんです。ちなみに「みみずく」というのは、由良さんの「号」です。 この本、「偏書記」の名の通り、自ら「書痴」を名乗っておられた由良さんの、本にまつわる各種の思い出や、本にまつわる本についての書評、さらにはもう少々本格的な英学論議などから成っており、本好きにはたまらない内容になっています。また由良さんが読まれ、論じている本の質と量のものすごさを知るにつれ、我が身の浅学非才さが身に沁みる、耳の痛い本でもあります。・・・と言うか、あまりのレベルの差に、逆に耳の痛さが快感になってくるところもあったりするんですが・・・。つまり、レベルの差を感じさせながらも、読んでいると「お前も頑張れよ」と言われているような気がしてくるんです。そこが凡百の博学の人とは異なるところですね。 実際、この本を読んでいると、由良さんがどういうふうにして本に親しみだし、やがて書痴になっていったか、その過程がよく分かって非常に面白い。 それによるとまず子供の頃は菊池寛監修の『小学生全集』に親しんでいたようですが、やがて日夏耿之介訳のバートン版『アラビアン・ナイト』を読みふけるに至って早くも児童用に易しく書き直された本はすべてインチキと見なすようになり、その後江戸川乱歩的なものを卒業してから鶴見祐輔の『プルターク英雄伝』で文体の妙に感じ入り、旧制中学・高校と進学して少し英語が読めるようになると、授業には出ずに図書館に入り浸る日々が始まった、という調子。 また戦後、日本の国会議員の読書のためにとアメリカのアイビー・リーグの諸大学が寄付してくれた無数の良書が、赤坂離宮の「狩の間」(国会図書館の前身)で読めるようになると、ここに日参して至福の時を過ごすものの、やがて日本の国会議員は本を読まないということが判明し、これらの本もどこかにやられてしまった、などという話が続くわけですけど、こういう記述は、なんだかディケンズの小説を読んでいるような面白さがあります。 そして、大学に入って哲学科を出、そこから更に英文科に学士入学しながら、既存の英文科のあり方に飽き足らず、しかも哲学や文学やその他あらゆる学問を総合するような知のあり方を模索して悶々としていた時に、ハリー・スロチャワーの「No Voice Is Wholly Lost」という本、そしてケネス・バークの諸著作に出会い、これらの本との邂逅が由良さんの学問にとっての一つの突破口となっていった、なんて話が続くわけ。ケネス・バークはともかく、スロチャワーに至ってはその名前すら知らなかったワタクシ・・・。もう、恥ずかしい!! しかし、もちろんこの本は、こうした由良さんの文学的成長の記ばかりで占められているわけではありません。もっと気軽なエッセイも沢山あります。しかし、その一方で、日本の英文学のあり方に対する叱咤とも激励ともとれるエッセイもある。たとえば辞書にまつわるエッセイの中では、由良さん愛用の辞書の話をしつつ、今どきの学者さんが、ろくな辞書も使わずに翻訳なんぞをして、恥ずかしい失態をさらしていることへの批判などもチラっと出てきますし、ある方面のことを研究する際に絶対はずせないはずの本があるのに、そういうものをまるで参考にしない日本の英学者の不勉強ぶりもところどころで批判されている。特に「書誌学」というものへの不勉強が、日本の(英文)学者の決定的な弱点であることを再三指摘してあるところなど、我が身を省みて反省させられます。 さらに、たとえば日本ではすでに神格化された感のある柳田国男の著作の多くが、実際には欧米で確立された民俗学の狭い応用に過ぎなかったことや、20世紀初頭のアメリカ詩におけるモダニズムの運動には、実は明治政府のお抱え外国人教師アーネスト・フェノロサの影響が大きかったことなど、短いながらも有無を言わせぬ筆致で指摘してあるエッセイなど、読んでいて純粋に「へぇ~!」と思わされてしまいます。 とまあそんな感じで、色々な意味でこの本、面白かったです。英文学に興味があろうがなかろうが、およそ本好きの方にはぜひおすすめします!・・・と言いたいところですが、この本、すでに絶版で、先程ネット上の古本屋である「日本の古本屋」のサイトで調べましたけど、どこにも売ってないんですよね。たかが20年ほど前、1983年に出版された本が、今やよほどの僥倖でもないと手に入らないということ自体、嘆かわしいことでありますなあ。 ところで、私、由良君美さんに関しては非常に残念な思い出がありまして。実は由良さん、私が通っていた大学に非常勤講師として教えに来ていらしたんです。で、私もぜひその授業を取りたかったのですが、確か必修の授業と重なっていて取れなかった。由良さんがあれほど早く亡くなると知っていたら、必修授業なんぞ捨ておいてでも聞きに行ったと思うのですが、今となっては取り返しがつくはずもなし。ま、そんなこともあって、せめて由良さんが残された本を古書として発掘し、読みふけることで、その謦咳に触れられなかったことの悔しさを慰めているワタクシなのでありました。
February 12, 2006
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夕方頃、玄関のチャイムが鳴り、出てみると郵便局からの届けものが二つ。 一つは仙台の姉からで、これは開けなくとも分かります。バレンタインデーのチョコですな! ゴディバのトリュフ! これがうまいんだ! いつも有り難うございます。有り難くいただきますです! しかし、もう一つ、この「クール便」というのは、何じゃ? なになに・・・すき焼き用黒毛和牛!? はぁ? おお! そうであった、そうであった! これ、お年玉年賀葉書の3等の賞品だ! そうなんですよ、今年、家内の友人で私もよく知っている方からいただいた年賀状が3等で当たっていたんです。3等というのは「ふるさと小包」という奴で、カタログに載っている日本全国の特産品の中から好きなものを選べるようになっているわけ。だもので、2週間ほど前に「すき焼き用黒毛和牛」を選んでおいたのでした。ひゃー、ラッキー! 開けてみると、これがまたおいしそうな霜降り肉で。よっしゃ、これで明日の夕食はすき焼きで決まりだな。わーい。 しかし、用心しなきゃ。実は私、割とくじ運が強い方なんですが、そういうもので何か引き当てたりすると、大抵、その直後に悪いことが起こるんです。 あれは小学校5年くらいの時でしたか、年末の福引でみかんを一箱当てたことがありまして。私はみかん好きなので、好きなだけみかんが食べられると大喜びしていたわけですが、それが不幸の始まりだったのでした。というのも、その直後にひどい風邪をひいてしまったばかりでなく、風邪を早く治そうと寝る時に使用していた懐炉が直に肌に当たって低温火傷をしてしまい、腕に巨大な水膨れができるという悲惨な状況に・・・。その時、私が「僕、何にも悪いことしてないのに、何でこんなことになるの・・・」と言ってさめざめと泣いたというのが、その後家族の笑い話となって、今でも時々からかわれるという・・・。 ま、このことを手始めに、他にも色々あるんですよ、くじに当たった直後の不運というのが。ですから今回も、すき焼き食べ過ぎてお腹壊したりしないようにしなきゃ。 ん? 待てよ、今回くじに当たったのは私ではなくて、家内か! じゃ、別に用心しなくていいんだ! おーし、明日は食うぞ~!
February 11, 2006
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今日は一つ、生まれて初めての面白い経験をしてしまいました。軽自動車なるものを運転したのです。 実は今、車の買い換えを考えているんです。今回の買い換えのテーマは「ザ・経済性」。二台所有している車のうち、一台を経済的な車に買い換えてはどうか、というのが根本的な狙いです。で、そういうことも踏まえ、思い切って中古の軽を買ってみたら・・・、ということを考えているわけ。 しかし、振り返ってみれば、私の今までの車遍歴の中に軽は一台もなかったので、果たして排気量660ccのエンジンにどの程度の実力があるのか、いま一つ分からないところがある。そこで、家の近くの中古車屋さんに頼んで、一度、試乗させてもらうことにしたんですね。 ちなみに、私と家内で相談して「これを買ってはどうか」と思っていた軽自動車というのは、ダイハツの「ネイキッド」という車。数年前に製造中止になった車種なんですが、カクカクとした箱型のジープのような面白いデザインの車です。しかし、その中古車屋さんにはとりあえずこの車がなかったので、同じダイハツの「ムーヴ」という軽(多分、5年落ちくらい)に試乗してみることに。 かくして興味津々で乗り込んでみると、これが結構広い。横幅こそ狭いものの、前後方向にはゆとりがあり、後部座席も大人二人が乗っても余裕です。上下方向となると、もう頭上に「広大な」と言っていいようなスペースがある。ある意味、下手なリッターカーより広いのではないの? という感じ。 そして走り出してみて、さらにびっくり。おやおや、結構走るではないですか! 一般道の車の流れに乗るくらいなら楽々。ほ、ほう、大したもんだ。ま、確かに上り坂になると途端に苦しくなり、アクセルを踏めどもスピードが乗って来ない感じがありますが、これに関しては、後から試乗したターボ版になると大分改善されます。 ただ・・・。うーん、やっぱりハンドリングがねえ・・・。なんか、玩具っぽいというか、頼りないところがありますなぁ。またステアリングが若干寝ているところも、やや違和感がある。それからブレーキもちょっと頼りないかな・・・。なるほど、5年落ちの軽というのは、ざっとこんな感じですか・・・一言で言って、微妙~!! しかも、その後、店の人にネイキッドについての情報を色々集めてもらって分かったのですが、この絶版車、案外高い! たとえば5年落ち、走行距離3万キロくらいの場合、他のメーカーの同年式の車よりざっと15万円ほど高くて、コミコミ70万から75万円はするらしい。そもそも軽自動車というのは中古車でも相当な需要があるので、なかなか値落ちしないんだそうですね。 一方、これが1~1.3リッターくらいのコンパクトカーですと、(ま、ピンキリですが) やはり5年落ちで40~50万円くらいの車はいくらでもあるんです。そうなると、その差額は20数万円になりますから、いかに税制面で軽自動車が優遇されていても、その差額分だけ得をするなんてことは不可能に近い。 じゃ、中古の軽を買う意味ないじゃん! それなら、むしろ普通車の激安車を買うか・・・、いや、それだったら今乗っているドイツ車の方がよっぽど性能もいいし、カッコイイわけで・・・。あれ? 何がなんだか分からなくなってきちゃったゾ? 今日は腹を決めるつもりで軽自動車に初試乗したのに、逆にどうするのが一番経済的な乗り換えになるのか、分からなくなってしまったという・・・。 ま、ただ、今日一つ分かったのは、スバルの「R2」という名の軽自動車だと、高年式・フル装備の車でも案外安い、ということでした。うーむ、スバルね。今まで一度も乗ったことがないですけど、昔から興味はあったメーカーです。ネイキッドが駄目なら、R2という選択肢もあるか・・・。こりゃ一度、R2にも試乗してみなければなりますまい。 ということで、ワタクシの自動車買い換えプロジェクトは、まだまだ先がありそうな展開になってきたのでした。(つづく) さて、今日は久しぶりに「週末アフィリエイト」と行きましょう。実は先頃、「教授のアトリエ」を一新したんです。今回は「800円から買えるアート」ということで、アート・ポスターを特集してみました。ポスターと馬鹿にするなかれ、これできちんと額に納めれば結構小洒落たインテリアになるんです。展示品は私のお見立てだから間違いなし。春になったら部屋の雰囲気を変えてみよう、なんて思っている方、ぜひ一度クリックしてみて下さい。ここをクリック! ↓教授のアトリエ
February 10, 2006
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立春を過ぎても、やけに寒いですなぁ。今日なんか、朝、凍えてしまいましたよ。このところ暖冬が続いていたので、今年の寒さは身にこたえます。 しかし、子供の頃のことを思い出すと、寒い冬でも結構元気に外で遊んでいた記憶があります。やっぱり子供は風の子、なんですかね。 私が通っていた学校は、小学校でも男子生徒だけ制服があって、それが半ズボンなんです。ですから、冬なんか足が冷えたはずなんですけど、それでも平気でしたね。よく友達同士で太股に「ピシャッ!」と平手打ちをくらわし、くっきりと手形が浮き出るのを見て笑い合ったりしてましたから・・・。今から考えると、なーにやってんだか、って感じですが。 そう、それで思い出しましたが、冬場、楽しかったのは美術の時間です。私の通っていた小学校は、「自学自習」を重視して、児童になんでも好きなことをさせてくれたんですが、それをいいことに、美術の時間になると「外に写生に行って来まーす」とか言って友達数人と教室の外に飛び出して行くわけ。外がいかに寒くても、暖かい教室の中にいるより、先生の目の届かない外の方が楽しかったんですな。 でもやっぱり外に出れば寒いことは寒いので、なるべく風の当たらない建物の陰なんかを探して、そこに皆でたむろするんです。そんな時、一番人気があったのは学校のスチーム用の配管が集まっているところで、小雪が舞う中、そうしたスチームのパイプに抱きついて「暖ったけー!」などと言っていたことを思い出します。馬鹿みたいですけど、やけに楽しかった。 ああ、思い出すと、何もかもが楽しかったなあ、小学生時代。 最近、あまりの寒さに、あるいは、寒い中、仕事に行かなければならないことに、顔をしかめてばかりいる自分にふと気がついたりしますが、これではいけませんね。まさかこの歳でスチームの配管にしがみつくこともできませんが、せめてもう少し、冬を楽しむ工夫をしないといけないな。 明日は、最近の自分を少し反省し、意識して笑顔になってみましょうか。
February 9, 2006
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今日は予定していた仕事が一つキャンセルになったため、いつもより少し早めに帰宅の途につき、途中、ブック・オフに立ち寄ることにしました。 ブック・オフ。普通の人はこの古書店をどの程度、あるいはどのように利用されているのでしょうか? 東京・神保町の古書店街に10年入り浸ってきた私からすると、こういう「白っぽい」古書店というのは、どうもあまり魅力がなく、通勤途中に一軒あるにもかかわらず、あまり立ち寄ることはありません。 この古書店チェーンに入店すると、いつでも4、5人の店員から変な節回しで「いらっしゃいませ~」の大合唱を受けるのが嫌だ、ということもあります。あれ、何とかならんですかね・・・。ま、そんなこと言いながら、結局、たまに寄ってしまうのが古書好きの悲しい性なんですが。 ちなみに、今日ブック・オフに立ち寄ったのは、新刊で買うほどのことはないけれど、ちょっと読んでみたい本があったからなんです。そういうのは、むしろこういう白っぽい古書店の方があったりするのかな、なんてちょっと期待してみたわけ。しかしその期待も虚しく、探していた本はありませんでした。ま、そもそも「探している本がそこにあるかも知れない」なんて淡い期待を古書店に対して抱く方が間違っとるんですけどね。古書店というのは「本と出会う」場所であって、「本を探す」場所ではない。そんなこと私が一番よく知っているはずなのに、時々それを忘れて、つい淡い期待を抱いてしまうという・・・馬鹿な私。 もっとも完全な無駄足というわけでもなく、『奇妙な果実: ビリー・ホリデイ自伝』(晶文社)という名著が105円均一のコーナーに置いてあったので、一応「文化財保護」しておきました。私のゼミ生で、たまにアメリカの黒人音楽を卒論に取り上げる奴がいるもので、ね。 しかし、それにしてもブック・オフで売られている古本の山を見ていると、よくまあ、こんなに沢山の本が出版されているもんだなー、という驚きがいつもあります。そしてそれらの本の99・99%が、私には未知のものであり、かつ私に対して何の興味も呼び起こさない種類の本である、というところにまた驚いてしまう。本好きであり、また日頃様々なメディアを通して新刊本のチェックを怠らない私にとってすらそうなのですから、普通の人にとってはなおさらそうでしょう。まさに人に知られずして出版され、人に知られぬ内に本としての命をほぼ終えてしまったと思しき無数の本の山。 とはいえ、そういう本だって、それが書かれた時には「売れますように」という願いとともに書かれたはずであり、またそれを書いた著者にとっては、畢生の大作だったのかも知れない。そういう思いの込められた本が、105円のシールを貼られ、いつ捌けるのかも知れず棚に並んでいるのを見ると、なんだかもの悲しい感じがしますなぁ。 いや、無名のまま終わった本も可哀相ですけど、かつて一世を風靡したベストセラーが、同じく105円のシールを貼られて棚に並んでいるのを見るのも、ちょっと寂しい感じがします。『マディソン郡の橋』とかね。こういう「かつての話題の本」って、時間が経った今見ると、なーんか寒い感じがしますもん。というか、なんだか当の本自体が「これで昔はちょっと流行っちゃったんです」ってな感じで、身悶えして恥ずかしがっているようにも見えますし・・・。 要するに、「自費出版」も含め、これだけ「出版」というものが身近になったとはいえ、実際には、出版というのは依然として難しい事業なのだ、ということなんでしょうな。 かくして、ブック・オフという敷居の低い古書店に入る度に、逆に気が重くなって出てくるワタクシなのでした。
February 8, 2006
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地方によって異なるのかも知れませんが、東京や名古屋では月曜の夜7時から某局で放送しているテレビ番組で、「月10万円で暮らせる町・村」というのがあります。 私は毎週、テレビに齧りつくようにして見ています。何故なら・・・ 私もこの番組、出たいからでーす! ガーン! いや、もう何だかちょっと疲れてきて、そろそろ大学辞めて田舎暮らしでもしようかな、と・・・。そいでもって田舎に移り住んで、使ってない農家みたいなのを大家さんのご好意でただで貸してもらって。ついでに農地も500坪くらいただで貸してもらって。 そいでもって、時々港に行って、漁師さんから魚をただで分けてもらって。それから、水は山の湧き水をひいてきて。 そういう生活にでも入ろうかなと・・・。 そう思っていたら、なんとなんと、私の友人が今度この番組に出るんですと。何だよ。先越されちゃったじゃないですか。 登場するのは、前にもこのブログでご紹介した、友人の陶芸家の井上恵介君とその奥さんの佳由里さんです。2月20日放送らしいので、皆さん見てやって下さいね~。私は絶対見ますよ。ビデオも撮っちゃったりして。それから、もし彼や彼の奥さんの作品が気に入ったら、ぜひ買ってあげて下さい。結構あちこちのコンクールで賞とっているんですから。 ちなみに、先日彼に会ったので撮影の時の話を色々聞いてしまいましたが、それによると、うーん、言っちゃっていいのかどうか分かりませんけど、実際には「月10万」というのはかなり過小評価してのことらしいですな・・・。ま、そうでしょうね、今どき。 でも、とにかく田舎暮らしって、羨ましい・・・。私も早く引退の道を用意したいと、そればかり考えている今日この頃なのでありました。今日も・・・引退日和だ。
February 7, 2006
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墓参がらみの短期の帰省も今日でおしまい。今日は名古屋に戻る日です。 このところ実家から名古屋に戻る日の昼は外食することが決まりのようになってしまったので、今日も昼食は外で食べることにしました。メンバーは両親と私と、両親のところに下宿中の姪の4人です。 で、今日はいつも行くようなレストランではなく、新しい店を開拓しようということになり、私がネット上で探した結果、多摩センターというところにある「アスタナ・ガーデン」という店に行くことに。 このアスタナ・ガーデンというのは、ガーデンと名のつく通り、本業はグリーン・インテリアのようで、テレビドラマなどのセットなどで使われる観葉植物などを育てている会社のようですね。そこが、最近、有機野菜など、厳選した素材を使ったレストランを小高い丘の上に作ったらしいんです。 で、実際に行ってみますと、多摩丘陵のなだらかな丘の上に建つ、鉄骨・ガラス張りの白いモダンな建物で、かなり広いスペースがあり、店の真ん中に暖炉が切ってあるなど、なかなか洒落ています。昨年創業の評判の店らしく、レストランは近所の主婦連と思しき中年女性グループでほぼ満席。辛うじて一つだけ空いていたテーブルを我々が確保した、という感じです。次からは予約をしていかないと危ないですね。 ランチは3つのコースがあり、我々が頼んだ「アスタナコース」は前菜・主菜・パン(またはライス)・コーヒーで1600円。前菜と主菜はそれぞれ3種類から選ぶことができます。 前菜ではスモーク・サーモン&ポテト(父・姪・私)とポタージュ&キッシュ(母)を頼みましたが、これがどちらも絶品。スモーク・サーモンは厚みがあり、風味も良かったですし、下に敷いてある茹でて味付けしたポテトがまたジャガイモの味が濃厚。またそれらを取りまくように添えてあるサラダもおいしかった。母が注文したスープ&キッシュもとてもおいしかったとのこと。さすが野菜の産地に心を配っているだけのことはありますな。 そして主菜ですが、父がビーフのクリーム煮、母と私が真鯛のソテー、姪がローストポークでしたが、それぞれ野菜がたっぷり使われたソースとともに供され、おいしかった。ま、強いて言えば、魚料理に塩をもう一振りするとさらに良かったと思いますが、塩味の濃さは人の好みによりますからね。 そして仕上げのコーヒー&紅茶もいい味で、1600円でこれだけの内容、天晴れであると申し上げて置きましょう。今日のランチは、先日の姪の誕生日、来るべき母の誕生日を祝って、私の奢りとしました。東京・多摩センターの「アスタナ・ガーデン」、教授のおすすめ! です。 さて、そんな感じでランチを済ませたあと、私は名古屋に戻ることに。なにせ今日は夜から東京・名古屋で雪が降るなどと予報されていますから、それに巻き込まれないようにしないといけません。で、3時に実家を出て、東名を一路西へ向かい、途中、霙混じりの雨に降られましたが、何とか7時半には名古屋の自宅にたどりつきました。3日ぶりに家内の手料理を食べましたが、アスタナ・ガーデンに負けず劣らずおいしかったですぞ。 と喜んでいる暇もなく、明日からまた公務に復帰です。今日は疲れたので早く寝ましょう。それでは、お休みなさいませ。
February 6, 2006
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今日は恩師Y先生の墓参の日です。Y先生というのは、小学校6年生の時の担任の先生。私の人生を変えてしまったと言っても過言ではない、私にとってはかけがえのない先生でした。 私は子供の頃、ふざけてばかりで、毎日自堕落に遊び暮らしていたんです。宿題なんかやったことない。夏休みの宿題もやったことない。一度、夏休みの工作の宿題で、商店街でもらった団扇に母親の香水を振りかけ、「いい匂いのする団扇」と称して提出したことがありますが、ことほど左様に、冗談だけで生きてきたようなところがある。 で、6年生になった時、その学年で一番厳しいと言われていたY先生のクラスになったんですね。それが決まった時は、おっかなそうな先生で、嫌だなーと思ったものです。 そして春の始業式当日。案の定、我がクラスはのっけから1時間半、Y先生からみっちり厳しい訓示を受けたのでした。ギリシャ彫刻のような、あるいはアブラハム・リンカーンのような彫りの深い端正な顔だち、触れば刺さるかと思われるような銀髪、鷲のように鋭い眼光、いかにも海軍兵学校卒らしい、一流剣士のような姿勢、そして若干の四国なまりのある、火のほとばしるような厳しい口調で、最上級生としての責任の自覚を促すY先生の訓示に、日頃やんちゃな我々も、まるで魔法にでもかかったかのように微動だもできず、息をするのも忘れるほどの緊迫の時間を過ごしたのを覚えています。 で、この時、ビキっと音を立てて、私の中で何かが変わったんですな。これまで自分が過ごしてきた怠惰で、いい加減で、ちゃらんぽらんで、無責任な生活のすべてが嫌になり、「この先生のように生きたい」という強烈な思いが沸き起こってしまったわけ。 かくして、ほとんどこの日を境に、私の生活はまったく変わってしまいました。ほんとに親も驚愕するほど、まったく別人になってしまったんです。予習はする、復習はする、部屋は片づける、親の手伝いはする、本は読む、正義の道を思い定める、堕落を憎む、・・・。ま、大げさに言えば、「人生、いかに生きるべきか」ということが、おおよそこの時に定まってしまったんですね。ですから私には「12歳の時に成人した(人と成った)」という明確な自覚があります。 で、また私も、もともと馬鹿な子ではなかったので(多分)、そういうふうに進む方向さえ決まれば、伸びるスピードも早かった。ですから、6年生の始業式の日から卒業式までの1年間の人間的成長と、それに伴う充実感というものはものすごいものがあります。そしてその成長の過程をすべて見ていて下さったのが、Y先生だったんですね。私にしてみれば、Y先生は絶対の存在ですから、先生のおっしゃる言葉は一語たりとも聞き逃すまいと思い、先生から薦められた本はすべて読みました。先生からいただくお手紙、毛筆で書かれたものすごい達筆のお手紙は、すべて宝物として、一通たりとも、葉書一枚たりとも、おろそかにしたことはありません。ベッドに寝ながら読んだこともありません。背筋を伸ばし、気持ちの上では直立不動の姿勢で、読んだものです。 そして卒業後も、私は折ある毎に先生のもとを尋ねました。何かを相談しに行ったということではありません。中学生や高校生の分際で、先生に「相談」しに行くなどということは、私には恐れ多くて考えられませんでしたし、先生の前に立って気安く話しかけることもできませんでしたから、ただ直立不動で先生のお言葉を待つ、という感じでした。すると先生が、ニコニコして「釈迦楽、よく来た。元気か?」と尋ねて下さる。それだけで私には十分だったのです。私の世界はY先生を中心に回っていたのですから。 その先生が亡くなったのは、私が高校3年生の時。大学受験も近い1月30日のことでした。享年53歳。過労による心臓発作でした。 まさに物思う頃の真っ只中にあった私にとって、それがどれほどの衝撃であったかは、言いますまい。ある意味、私は今でもこの時の絶望から立ち直っていません。私はそう易々と物事を忘れる方ではないのです。 それから1年後。私は先生の命日にお墓参りをしました。2年後もそうしました。3年後も、4年後も。おそらく一生、そうし続けるでしょう。 しかし、そうしているうちに、やはり私と同じように先生の命日にお墓参りをしている友達がいることに気付いたんですね。そして、それなら一緒にお参りしようではないかということになったのです。そして、皆の都合を合わせるためもあって、命日に一番近い2月の第一日曜日、午後1時に先生のお墓の前集合というのが決まりとなった。先生が亡くなってからほとんど四半世紀が経った今でも、別に事前の打ち合わせをすることもなく、この日には数名の同級生が先生の墓前に集まってきます。 今日も5人が集まりました。 もう20年以上も続く行事ですから、誰が線香を持っていくとか、誰がお供えの花を持っていくか、なんていうこともシステマティックに決まっています。そうして、その年、その年に集ったメンバーで先生のお墓を清掃し、花を供え、お水をあげ、それぞれがこの一年のことを先生の墓前に報告する。そして最後に先生のお墓の前で記念写真を撮り、その後皆で会食。互いの近況を楽しく語らい、来年またここで会うことを約して、さっと解散するわけ。それぞれ別な方角からやってきた5人のメンバーが、それぞれの車でそれぞれ別な方向に去っていく、というのは、なかなかいいものです。 こうして昔の仲間が、毎年一回、顔を合わせる機会があるというのも、Y先生が我々に残してくれた恵みなのかも知れません。 私がたとえ万障ありといえども、この日だけは何がなんでも名古屋から墓参に駆けつけるのは、そういうわけなのです。そして今年も無事、Y先生の墓参を済ますことができたのでした。 私は明日、また名古屋に戻ります。
February 5, 2006
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墓参は明日なので、今日は両親を連れて茅ヶ崎と鎌倉の方にドライブに行って来ました。 昨夜、鎌倉でも行くかという話しになり、じゃあ明日は早起きして出発だ、というふうに決めて寝たまでは良かったものの、さすがに名古屋・東京間のドライブで疲れたのか、不覚にも今朝私が目覚めたのは10時過ぎ。ひゃー、うっかり寝過ごしちまった、申し訳ないが今日のドライブはなしか、と思ってリビングに下りていくと、すっかり身支度を整えた両親がこたつに入って、私の起きて来るのを待ち構えていたのでした。あ、やっぱり行くのね・・・。 というわけで15分で支度をして出発。 ところで、今日の目的地は鎌倉ですから、東名横浜インターから横浜横須賀道路に乗って葉山まで行ってもいいのですが、思うところあって東名厚木インターまで行き、そこから129号線を南下し、茅ヶ崎を経由して鎌倉入りすることにしました。なぜ茅ヶ崎を経由したかと申しますと、ここに「開高健記念館」があるからです。 開高さんは1974年に東京から茅ヶ崎に居を移し、生涯ここで作家生活を続けられたのですが、60歳にもならぬうちに早死にされ、その後娘さんも亡くなり、先年は奥様で詩人の牧洋子さんも亡くなられてしまった。そんなこともあってか、彼の自宅は茅ヶ崎市に寄付され、今では開高さんを偲ぶ記念館となって、一般に開放されているんですな。入場料は無料です。 で、ネットで調べた情報を頼りにここを訪れてみると、なかなか趣のあるところで、なるほど日本人離れした行動力を誇った作家のベース・キャンプっぽい感じです。 主な展示室が二つあって、縁の品々が飾られていたり、自筆の原稿が飾られていたり。今回は、「作家の食欲」というのがテーマになっていたようで、彼が世界をまたにかけて食べまくったものにまつわる展示がなされていました。食に関して彼が書いた原稿などもそうですが、その他に、生前の彼が自宅にストックしていたワインや、その他ありとあらゆる酒が置いてあったり、それを飲む為のグラスやデキャンター(溲瓶形、なんてのもあったりして)が置いてあったり、はたまた、彼のところにうまいものを送ってくれる善き友人たちへに書いた、なかなか心の籠もった礼状が展示してあったりして、これがなかなか面白い。ニューヨーク・セントラルステーションの有名なオイスター・バーのメニューを自ら額装したものなども壁に掛けてあって、開高の旺盛な好奇心が窺えたりもします。 それからもう一部屋、彼の書斎が、主人が生きていた当時のままの形で残されているのも見ものでした。それを見ると、彼は和風の文机を壁際にこしらえた掘ごたつの上に差し渡し、座椅子を使って原稿を書いていたようですな。そして部屋の壁には、彼がつり上げた大物の魚の剥製があちこちに飾ってあって、いかにもこの人の書斎らしい感じでした。 最初の展示室では、生前の開高さんがNHKのインタビュー番組に出た時の模様が放映されていましたけど、そのしゃべり方、話しの内容ともに、関西人らしいエネルギーがほとばしり出ていました。開高さんは、色々な意味で日本人離れはしていますけど、彼が関西人であることを思えば、なるほどな、と思うところは多いですね。 展示も面白かったですし、彼の自宅が(庭も含めて)どんなふうだったのかがよく分かりましたし、ここ、訪れて良かったなあ。それに記念館の方たちも皆親切な方ばかりで、なんだかとても気分のよい時間が過ごせたました。私は彼のエッセイはかなり読んでいる方ですが、小説はほとんど読んだことがありません。これを機に、少し小説の方も読んでみようかな、なんて気にさせられましたよ。 さて、開高健記念館を楽しんだ後、我ら親子はいざ鎌倉へ。 しかし、鎌倉というところは車で訪れるにはあまり適さないところでありまして、なにしろ駐車場が少ない。しかも料金が高い。結局、駅前の東急ストアの駐車場に止め、後で買物をして割引してもらうことにしました。それが一番正解じゃないかな。 で、まずは腹拵え。「秋本」という店で天丼を食べましたけど、まあ普通でしたね。 そしてその後、小町通りを少し散策しました。本当は、骨董ブームの私ゆえ、古道具屋を一軒ずつ虱潰しに見ていきたいところですけど、時間がないのでさらりと流すにとどめたのが残念なところ。ただ、ここには「木犀堂」というなかなかいい古書店があるので、ここだけはじっくり見ました。で、由良君美の『みみずく偏書記』(青土社)を1500円で購入。他にもいい本が沢山ありましたけど、今日はこれだけで我慢。 で、今日は円覚寺が見たかったので、鎌倉駅からお隣の北鎌倉まで一駅電車に乗ることに。 円覚寺、久しぶりに訪れましたけど、なんか「ひっそりこん」としてしまって、寂しい感じでしたね。子供の時の記憶では、もう少し賑やかな印象があったのですが。 しかもこのお寺、有名な塔頭(たっちゅう)のほとんどが部外者立入禁止で、「漫歩・漫写、お断り」なんて書いてある。おや。それだったら、何の為に入場料取るんですかい? 入場料を取る以上、観光客に見せることを前提としているのではないの? 昔はそんなことはなかったのに、妙に敷居を高くしちゃって、一体何のつもりだろう。 ・・・そう言えば昔、アリゾナのとあるモルモン教会で、道を尋ねたことがありました。その時、教会の方が「今日あなたが行こうとしている道は教えてあげましょう。しかし、もっと大きな意味で、あなたが進んでいくべき道について、私たちとお話ししませんか」と、入信を勧められてえらい往生したことがあります。 しかし、私はそれは当然だと思います。彼らは自分たちの宗教に自信がある。だから彼らから見れば、私は道に迷ってばかりの可哀相な人間に見えるのでしょう。だから、何とかモルモンの教えに導いて、迷いを解いてあげたいと彼らが思うのは当然です。 それにひきかえ我が日本の仏教界は、どうなんざんしょ。たとえ物見遊山のつもりであろうと、寺の山門をくぐった観光客がいれば、それを一人でも入信に導くべきなのに、導くどころか「立ち入り禁止」と来たもんだ。 モルモン教会とは心がけが違うぜ。もしお釈迦様がこの「立ち入り禁止」の札を見たらどう思うか、考えて見ろと言いたい。ひょっとしたら、今日、何人かのお釈迦様の化身が、この札の前で涙を流したかもしれないんだぞ。 かくして憤慨した我ら釈迦楽家3人組は、もし寺の人に出会えば、こちらの言いたいことは言ってやるつもりで、「用のないもの立ち入り禁止」の塔頭の一つにずんずん入り、円覚寺の一角に眠る開高健の墓に挨拶してきたのでありました。 さて、そんな感じで思いの丈を遂げてやった我らは、満足して円覚寺を後にし、もう一度鎌倉に戻って車に乗り込み、今度は逗子新道から横浜横須賀道路、保土ヶ谷バイパス、東名と乗り継いで帰路についた次第。もちろんお土産は豊島屋の「鳩サブレー」でございます。 今日は、立春にしては寒過ぎる一日でしたけど、開高健記念館と鎌倉散策をそれなりに堪能できて、なかなかいいドライブとなったのでした。今日も、いい日だ。
February 4, 2006
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週末、お墓参りがあるので、一人で東京の実家に戻って参りました。 今日の東名はさしたる渋滞もなく、まあ快適でしたけど、何せものすごい横風で右へ左へ振られる、振られる。適度にスリルが味わえましたね。 ところで、運転している間、私は大体いつも考え事をしているので、3時間だろうと4時間だろうと退屈はしないのですが、今日はどういうわけか、牧ノ原を通過したあたりで、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」のメロディーが思い浮かんでしまったのが災いし、そこから約2時間半、運転しながら一人で熱唱するという椿事が起きたのでした。 歩いても、歩いても 小舟のように 私は揺れて 揺れてあなたの腕の中・・・(いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」) 何せ私は元聖歌隊にして元歌手志望ですから、歌を唄わせたらすごいです。ただ私は「カラオケ」なるものがとても嫌いで、そういう場所に足を踏み入れたこともありませんので、その図抜けた歌唱力を知るものは、世界広しといえども家内ただ一人というのが惜しいところ。 もっとも、私が知っている日本の歌謡曲というのは1970年代でストップしていますので、選曲はやたらに渋いですよ。 母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を上る度 いつもため息をついた・・・ (グレープ「無縁坂」) *さだまさしかよ! もしもわたしが家を建てたなら 大きな家を建てたでしょう 大きな窓と豪華なドアと 車庫にはポルシェと、ベンツがあるのよ そして庭ではキリンを飼うのよ キリンの横にはあなた あなたがいて欲しい ・・・ (小坂明子「あなた」) *替え歌かよ! 真綿色した シクラメンほど すがしいものはない・・・(布施明「シクラメンのかほり」) *「すがしい」って、どんな日本語だよ! あなたはもう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして 二人で行った横町の風呂屋 一緒に出ようねって言ったのに いつもわたしが待たされた・・・ (南こうせつとかぐや姫「神田川」) *男のくせに長風呂かよ! なのに この同じ空の下 暗い思い出の 残り火を 吹き消すように 身じろいだ あのひとは幻 だったのでしょうか・・・ (茶木みやこ「幻の人」) *茶木みやこって誰だよ!? ってな感じで、時々自分で突っ込みながら、唄う、唄う。我ながら唄い惚れ、聴き惚れましたわ。ま、そんな感じで今日のドライブは「釈迦楽・オン・ステージ」状態だったのでした。 ところが、偶然というのは恐ろしいもので、東京に近づいた頃、ふとカーラジオをつけてみたところ、そこから我が敬愛する井上陽水の70年代の大ヒット、「人生が二度あれば」が流れてくるじゃ、あーりませんか。私の影響で、ついにFMまで70年代歌謡に占領されたのか?! で、今までのノリそのまま、陽水の歌に聴き入っていたのですが、この歌詞がまた渋いんだ・・・。 父は今年2月で65 顔のシワは増えていくばかり 仕事に追われ、このごろやっと ゆとりができた 父の湯飲み茶碗は、かけている それにお茶をいれて飲んでいる 湯飲みに映る自分の顔を じっと見ている 人生が二度あれば、 この人生が二度あれば・・・ (井上陽水「人生が二度あれば」) 私は陽水の『断絶』というLPが好きだったので、小学生の頃、よくこの曲も聴いていたのですが、その頃はこの曲のことを「老けていくオヤジを、息子が見ている歌」だと思っていたんですね。つまり私も「息子」の視点に立っていたわけ。 しかし私自身が40を越えた今、久しぶりにこの曲を聴いてみたら、なんと、老けていくオヤジさんの方に思いを重ねている自分に気がついたという・・・。ああ、俺もそのうち、定年近くなって、「このごろようやく少し余裕ができてきたなぁ・・」なんて思いながら、かけた湯飲み茶碗で渋茶を飲んでたりするのかなー、なんて。 切ない! 切な過ぎる・・・。 ま、それはともかく、この曲を歌っていた頃の陽水の声の若々しいこと! なんとなく陽水って、若い時から老成していたような気がしていましたが、なんの、なんの、瑞々しい青年の歌声じゃないですか。そりゃ、そうだ。今や私の方が、この曲を歌っていた頃の陽水より、よっぽど年上なんですから。 というわけで、今日は何だかよく分かりませんけど、70年代の歌と現在の自分との間で、行ったり来たりしてしまったのでした。 ・・・それにしてもなんでまた今頃、陽水の歌がFMで取り上げられたのかと思っていたら、NHK・FMのディスクジョッキーのお姉さんが、「今日は、ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾで始まる曲のリクエスト特集でしたー!」と元気にのたもうたのでありました。 21世紀に入ってもう随分経ったというのに、まだそんな(昭和っぽい)スタイルでリクエストを募っているNHK・FMのセンスって、いったい・・・。
February 3, 2006
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明日、2月3日は、節分ですなあ。 このブログをお読みの皆さんは、節分の日に「恵方(今年は南南東の方角だそうです)」を向いたまま、太巻き寿司を丸齧りする、という風習をご存じでしょうか? ネットで調べてみたら、この風習、必ずしも名古屋の風習というわけでもなく、主に関西・中国・九州地方から伝わったもので、一説によると「バレンタインデー」的なものらしいですね。 しかし、東京ではそんな風習、聞いたこともありませんでしたから、私も最初名古屋に赴任した時に、なんでこの時期、スーパーやらコンビニやらが急に太巻き寿司を売り出し始めるのか、その理由がさっぱり分からなかった。分かった後でもやる気はしませんが・・・。だって、家中であらぬ方角を向いて、太巻き寿司をそのまま口に突っ込むんですよ。なんか、カッコ悪い! だけど、豆まきはやります。今年も準備万端。 でも、最近各ご家庭で豆まきをやるところが少なくなったんじゃないですかね。私の住んでいるマンションでも、まじで気合い入れて、ありとあらゆる窓やドアから豆を投げつつ、「鬼は外、鬼は外、鬼は外! 福は内、福は内、福は内、福は内!!」と絶叫しているのは、我が家くらいなもんです。ちなみに、「鬼は外」を3回、「福は内」を4回唱えるのが、釈迦楽家の仕来りでございます。 ま、それはいいんですが、豆をひとしきり撒いた後、家族のメンバー各自が年の数だけ豆を食べる、というのをやる。これが、私には拷問でして・・・。煎った大豆をぼりぼり食べるというのがどうも私は苦手で、なかなか喉を通らないし、無理やり飲み込んでも、そのあと大抵お腹を壊すんですよ。それに最近では40粒以上食べなければならないので、さらにきつい。 しかし、それでも食べるんだ。根性で。それが我が家の仕来りですから! でも、節分の行事をやると、また少し春に近づいた、という感じがしますよね、確かに。 今年の冬は寒かっただけに、春を待つ心もひとしおです。明日は元気よく豆を撒いて、豆を食って、派手にお腹を壊すことにいたしましょう。それでは、また!
February 2, 2006
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今日、2月1日は、私の姪の誕生日です。 仙台に嫁いだ姉は、何かと不安なことも多いということで、東京の実家で最初の子供を産むことにしたわけですが、当時私は大学院生で、比較的に暇だったんですな。ということで、いざ産気づいたら頼むよ、なんて姉に言われていて、私も「あいよ!」なんて気安く請け負っていたのですが、段々予定日が近づいてきて、いつ出動ということになるやもしれないと思うと、私もそれなりに緊張したことを覚えています。 で、ついにその時がやってきたわけですよ! 普段は気丈な姉も顔面蒼白・・・。こりゃ、えらいこっちゃ! ってなわけで、脂汗を流している姉と、父、母を乗せて病院まで車を飛ばしたわけですが、病院までの、わずか20分ほどの道のりの遠かったこと・・・。病院の救急外来に車を横付けして姉を下ろすと、もう立っていられなくてへなへなとしゃがみ込んでしまう。すぐに医師と看護婦さんが飛んできて、あとはお任せとなり、私としてはホッとしたわけですが、まあ、緊張しましたね。姉の様子から、車の中で産まれるのかと思いましたから・・・。 しかし、陣痛というのは長い出産のプロセスの最初でありまして、「そうすぐには産まれませんよ!」と医師に言われ、父と母と私は、安堵したような、拍子抜けしたような感じで、ひとまず家路についたという次第。病院から「産まれました」という連絡をもらったのは、その日の夕方頃でした。 で、今度は心も軽くうきうきと、新しい命に会いに3人で病院に向かったわけですが、病院に着いてみると、新生児の顔を見られるのはあと1時間後くらいと言われ、仕方なく近所で先に夕食を済ますことに。 ま、せっかく初孫が生まれた日なんですから、もう少し豪勢な食事でもすればいいものを、と今にして思いますが、その日一日の緊張やら心配やら、無事に産まれたというホッとした気持ちやらで、父も母も私も雲の上を歩いているような感じで、レストランを選ぶなんてことまで、気が回りませんでしたね。 で、結局病院の近くの、あまりパッとしない蕎麦屋で蕎麦を食べたわけですが、注文して蕎麦が来るまでなんだか嬉しくて、親子3人で「どんな子が産まれたやら」というような話で妙に盛り上がりました。他に客もおらず、がら~んとして寒々しい蕎麦屋の中で、我々のテーブルだけが明るく輝いているような気がしたことをよく覚えています。 そして、1時間後、いよいよ新生児室を覗きにいくと、ガラス越しに沢山並んだ新生児用の保育器の中で、先程産まれた我が姪っ子のところだけカーテンが取りのけられ、なりたてホヤホヤのおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃんと「ご対面」できるようになっていました。 初めて見る姪っ子の小さかったこと! しかし、可愛かったこと! 仙台から義兄が駆けつけてきたのはその翌日の早朝でしたから、私たち3人は、お父さんよりも先に、新しい家族のメンバーの顔を見る事が出来たのでした。 この姪っ子、ほんの子供の時に大病をしたことがあり、我々を大いに心配させたこともありますが、その後は元気に育って、今や花の東京で花の女子大生ですわ。 その後、姉はこの姪を含めて3人の子の母となりましたが、ま、姉にとっての第一子だったということもあり、また私自身が病院に送り届けたということもあって、この姪っ子の誕生日だけは、忘れられません。 というわけで2月1日という日は、我が釈迦楽家にとって、思い出深い記念日なのであります。今日も、いい日だ。
February 1, 2006
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