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Jul 30, 2014
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カテゴリ: 物語り

東莱の編(523年)



ここは朝鮮半島の金井山城である。洛東江を挟んで金海伽那の対岸に聳える

金井山750mを北端とし12kmの城壁を2段に囲った堅城は、新羅防備のために、

倭兵、東莱の倭人が16年前に、4年の歳月で築城したものである。

城内には5千の兵が常駐し、物部本流一族がこれを守っている。

烽火台が北、東、南に配置され(西は洛東江なので水軍が当たる)、

新羅来襲と見れば烽火により直ちに兵を出し対峙、増派が必要と見れば

他の門に要請する仕組みである。城内の自給体制は確立されており、

飼葉だけは城下~洛東江の間にある草原から毎日搬入している。

この金井山城に対して、新羅は山向こうに長安城、鷲津城を構えて

それぞれに5千の兵を擁している。



新羅側は、散発的に兵を動かし、これに倭軍は対応した。新羅は烽火に怯え

倭軍は4度目の攻撃は籠城戦と覚悟して、崖の木は切りたおし、

草には油を撒き、城内には石切場の石を粉砕し投石、礫などを備え、

東莱谷の農民を城内に収容した。

1ヶ月後、新羅軍が猛攻をかけてきた。倭軍が火矢を草原に放てば、

新羅軍が慌てて後退し、逆に火矢を放って燃え尽きた草原を進む。

断崖に取り付いてよじ登ろうとする新羅軍に、石、丸太が落とされ、

さらによじ登ろうとする接近戦では礫が飛ぶ。

熱湯が飛び、矢が飛ぶに至って半日で倭軍が勝利した。


・・・


しかし、籠城戦を守っただけであるから、新羅軍は、偵察を繰り返し

高句麗との対峙に当たっていた将軍を金井山城攻撃軍の軍主に任命、

5万の大軍を振り向けてきた。


・・・


この間に、金井山城では倭国本部と作戦を協議した。

 倭国から5尺の丸太を揃えて1万本送ってもらい、

城壁から板を組んで丸太を並べておき、浅い止め板を鳶口で外せば

落下する仕組みを考えた。物部一族が総出で丸太を倭国から切り出し、

海上運搬し、城内に備え付けられた。

・・・ 

 結局、新羅軍は、金井山城を堅城と認めて正攻法の力攻めを開始した。

戦闘の列が崖の中腹まで登り、最後の列が崖に取り付いたところで、

用意した丸太ミサイルの一斉爆撃を続ける。

一時間もすると丸太は残り少なくなり、新羅軍も大きな被害が出て

体制の立て直しを迫られている隙に、倭国兵と東莱谷の倭人は大事な

馬と共に城内を脱出し、迎えに来ていた50隻の船と水軍に乗り移った。

太宰府は、金井山城に派遣していた物部の兵がほとんど無傷で帰ってきたので

大いに沸いたのであった。



 金海伽那の城主は遂に倭国に見放された事を悟らざるをえなかった。

倭国は新羅に対し、5千の兵で、一度目は倍する敵を完膚無きまでに撃退し、

二度目は10倍の敵を相手にして3万の死傷者を出させて、無傷で脱出

したのであった。

・・

金海王は新羅・法興王の占領地視察出迎えの指示に従うしかなく、

貢ぎ物をもって出迎えた。

新羅がそれ以上のことを金海王に求めなかったのは、

倭国水軍を恐れたのである。



参考:金井山城について(WEBより)

・金井山城城壁と金井山

金井山城城壁と金井山

・金井山城

金井山城1



金井山城


・金井山城の周りのハングル表記(上が西の洛東江で、右が北に当たるようだ))

金井山城ハングル


・金井山城の高所

金井山城2高い所

・金井山城東門

金井山城東門

・金井山城南門

金井山城南門


・金井山城北門

金井山城北門


・金井山西門

金井山西門


・現代の釜山市のハングル表記(Google航空写真)

釜山(Google)

・釜山の観光地図(WEBのコネスト韓国地図より)

釜山観光地図1

多少の間違いがあるかも。WEBをご覧下さい。

(呆けの写経は続く)






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Last updated  Apr 29, 2020 06:49:32 PM
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