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聖地でファンに聞いてみた!
「努力・
成長
」
「潔さ」に惹かれ…
◆
「攘夷が攘夷を斬る」 !?
新選組は、攘夷派の浪士らと真っ向から敵対し、斬りまくったというイメージが強い。彼らが相手と同じ攘夷思想の持ち主だったとすれば、攘夷派が攘夷派を斬る、という戦いだったことになる。気軽に訪れる観光客に混乱を招かず理解されるのだろうか。
説明が終わって、 ガイド
氏に聞いてみた。「特段の補足はしておりません。ごく普通の説明ですから」と、もっともな答え。新選組が尊王攘夷派だったというのは意外かも知れませんが……といった解説の必要性を感じたことがなかったという。

屯所跡、八木邸は今、和菓子店となっている
=
京都市中京区壬生梛ノ宮町
店の若い女性店長は、7月の開店で近所にあいさつ回りをした際、そうした話を初めて聞いて意外に思ったという。店の前の通りで目が合った、一人歩きの男性バックパッカーは「聞いたような気もしますが、言われてみれば不思議ですねえ」と笑って足早に通り過ぎた。
✧ ✧ ✧
尊王攘夷は、今なら民主主義というほどの、ごく一般的な心情だったと言われる。当時、自分は攘夷ではない、と明言する人はいたのだろうか。開国政策を進める徳川幕府の将軍も、朝廷に出向いて" 奉勅攘夷 "の実行を誓っていた。 当時は おそらく 、問われれば全国のほとんどの大名や武士たちが、自分は尊王攘夷だと答えたのではないか。その中で、開国の必要性も論じられたと考えるのが、自然に思える。
それでも攘夷と開国は、さすがに同時には成立しないのが理屈だから、どっちかで行くしかない。
幕末の日本では
表向き
政策上の最重要テーマだったはずだが、政策論議よりも実施主体の幕府を支持するか否かがが大きな争点となる。実質開国でも、表向きは倒幕派、攘夷でも佐幕(幕府支持)派の各勢力が複雑に絡み合い、政策と政局がしばしばイレギュラーにねじれる。短期間で力関係が激変し、極めて分かりにくい時代。
ただし言い換えれば、政策など結果的に二の次、三の次。実態は、あからさまな力と力の対決でしかなくなる。どこか後進国のクーデターのパターンだが、勝負の決め手は「玉(ギョク)」。将棋ではないが、黒船などの外圧で激しくなった幕末の政争で、急速に発言力を強めた天皇の呼ばれ方だ。これをどちらが取り込むか。ある種、いす取りゲームのような、政策抜きの政局に翻弄された時代のように思える。
道楽れきし旅 幕末・京都編=⑥/⑥ 完 2022.01.02
道楽れきし旅 幕末・京都編=⑤/⑥ 2022.01.02
道楽れきし旅 幕末・京都編=④/⑥ 2022.01.02