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依存心はだれでも持っています。生まれた時は依存をしないと生きていけない。それからだんだん依存することを手放すんですね。これが自我でそれから真我(ハイヤーセルフと、カバラではいいます。)の部分まで自分を見つめることを一生をかけてすること。それが、人間として成長しつづけること。でも、依存することは、なれている感覚だから、安心するんです。共依存で罵りあっているひと、なにかに執着すること、集中すること、これが潜在的依存心と関係するんですよね。そこで、ビジネスの多くがこの潜在的依存心をくすぐるような仕掛けがあります。この依存心を掘り起こすことで熱狂的なファンをつくることができます。私は、いろんなワーク、トレーニングを受けて、毎日、自分自身にワークもしています。楽しみながら注意を払うというワーク潜在的依存心、なにに依存しているかを見つけることが少しずつできるようになってきました。(まだまだ未熟です。)そこをくすぐるようなアプローチをすると、どんな商売もうまくいくんですね。整体でも占いでも、サプリメント、購買意欲を高める時も。そしてリピーターにするためにはアンカリングをどこかで作っています。知覚よりも感覚をどう記憶させるかでリピーターが作られます。感覚的なものってちょっとしたことで作れるんですね。たまにそういった方法を使うとどうしても自己嫌悪に陥る自分がいます。相手の方はとても満足している様子が伺えるんです。感謝の言葉を戴いたり、とても喜んで戴いたりするんですね。依存心を満たすことって・・・。逆に満たされない時にくる私への罵倒・・・。ニーズにあったマーケティング?いろんなマーケティングを学んでそれらのテクニックにはすごいと思えるところがあります。そしてそれらの根っこにあるものに満足させるニーズ、購買意欲をくすぐる心理的なアプローチ。できる自分としたくない自分、もっと高い視点でとらえている自分。どちらも満たすもっと高い視点からの自分。いろんな自分と自問自答しています。今一つ、答えが出てません。本質をすこしでも伝えようと思っているとどんどんニーズと呼ばれるものとはぜんぜん違うところに焦点がいくこともしばしば・・・。まだまだ不器用なんでしょう。ニーズを満たしながら本質も伝える。これをするのはどうしたらいいか?成功法則などのメンターに相談するとそれは私が成功することを本当の意味で自分に許していないから。お金を儲けることに潜在的な心理としてなにかしらの抵抗を持っているからだといつも言われます。お金は大好きです。お金儲けは好きです。お金に稼いで貰う投資はとても好きです。でも満足してもらうサービスが本質的に不健康(心や身体にとっって)になるってわかっていてもそれがニーズなら満足していただけることなら、提供してもいいのか?でも、そこのところからつながりもらい、その後のご縁となっていくきっかけだと考えれば必要なのか?私はお金儲け下手だそうです。この前、易の先生に言われました。私もそう思います。三方良しということは理想論なのかもしれません。三方良しとは「売って良し、買って良し、使ってよし」の理念です。お金儲けとしての仕事と、自分の本質を伝えるといことにこだわることは分けた方がいいと、よくアドバイス貰います。自問自答これを書きながら答えがすこしだけ出てきました。長々と、とりとめのない独り言でした。最後まで、読んでくださった方いらしたらとても有り難いです。ありがとうございます。
September 24, 2007
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よく自分を変えるのって難しいといいませんか?たとえば、今乗ろうとした電車を乗るのをやめることってむずかしいですか?もしあなたが車を運転していたら、その交差点を左折するのをやめらるのむずかしいですか? すぐにブレーキ踏むことはできますか?どれも簡単にできること。それだけでなにが変わるかというと繋がる未来が変わるんです。電車をひとつ遅らすことで、一緒の車両になる人も違う。出逢いも違う。ブレーキ踏むことで急な飛び出しに対応できるかも。難しいと思うと難しい世界が広がるよ。だってそれがあなたが認識したい世界だから。信じている世界だから。ちょっとだけ、ハンドルきってみませんか?
September 21, 2007
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競争社会について批判がありますよね。比べることにも。切磋琢磨することで新しい技術が生まれてきました。ライバルの存在が必ず必要だと言われています。スポーツの名勝負はそんなお互いがお互いの力を認めて今風にいうとリスペクトしているライバル同士の勝負勝負にこだわり結果にこだわらない姿勢にあると思います。今の競い合うは結果にこだわり勝負にこだわっていないと思います。こだわるのは、勝つという結果だけ。そのためには相手をけ落としてもいいという歪んだ競争。その結果勝負することからも逃げている。動物は生存競争をしています。ある種は一頭の雄しか子孫を残せなかったり・・・。そこには勝負から逃げるものはいません。勝負しない状態。それは、植物的な生き方。一生懸命生きていることには変わりないが、人間という動物として生きていないんです。勝負にこだわり結果にこだわらない。それが、つねに成長すること。もしかしたら精一杯生きていることとは自分の運命ときちんと勝負していること。どんな結果にもリスペクトできること。かもしれないね。
September 18, 2007
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運命って 命を運ぶこと。どんな運び方をするかは選ぶことができるんです。ただ、それぞれ向き不向きの運び方があるかもしれません。生まれた時の自分の命を運んでくれた環境の違いはどうしようもないかもしれません。でも、今までどうやって運んできたか?それがあなたが歩んできた道。あなたの人生。あなたは今、ちゃんと自分を運んでいますか?これからどんなふうに運んで行きたいですか?宿命は命を自分で運ぶのをやめた状態。生まれた時は宿命だけ。いろんなことを学んで、いろんな運び方があることも知っている。その運び方でうまくいかない時は、新しい運び方を学ぶことも必要かも。あなたは今、ちゃんと自分を運んでいますか?これからどんなふうに運んで行きたいですか?
September 16, 2007
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あなたのそのコンタクトの仕方は相手の流れを遮っていませんか?もしくは、自分の流れを止めていませんか?どちらが押しているでも押されているでもなく・・・、どちらが引っ張っているでも、引っ張られているでもなく・・・。それが、コンタクトしている状態、お互いがきちんと接触している状態。どちらにも主導権があり、どちらもきちんと受け取っている状態。これを、「能動的に受容する」と言ったりします。これって、文字で書いてもまったく伝わらないんだけど。もどかしいけど、書いてみました。
September 16, 2007
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先日、腰まわしについて聴かれました。本屋さんに平積みでおいているのを手にとってみたことはあるのですが詳しく見ていなかったので、本を見させていただきました。この通りすると身体のどこか痛める方多いかもしれないと伝えました。詳しくこの動作はここに注意しながらすると効果的です。ここに注意しないと痛める可能性があるっていろんな事をお伝えしました。回す方向、どちらからはじめてどちらで終わるほうがいいか。その時の重心の位置。足の裏の重心の場所。目線、呼吸など。身体のライン的にはyogi-の方なのかなぁって思いました。(身体のラインからいろんな心理的要素もありますね。)ビリーについても最近よく質問を受けます。ビリーについてはっきりこれだけは、伝えていること。あの動き、日常生活で使えますか?と私は日常生活での身体の使い方とトレーニングにおける身体の使い方は違うと思っています。普段どのような身体の使い方しているか知っていて自分の使い方をどんどんよくすることができているのであれば、いいのですが・・・。トレーニングの余計な身体の動き、使い方との違いをきちんと認識して日常生活の自分自身の身体の使い方ができるのであればいいと思います。日常生活にトレーニングの際にする余計な身体の使い方をしてどこかの筋肉が無意識で緊張をもたらしている方多いと思っています。
September 15, 2007
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よくNLPやいろんな心理カウンセリング、催眠でラポールを作ることの重要性を学ぶと思います。でも、むやみにラポールを作るだけだとはじめはいいけど、途中から、相手の方が、攻撃的になることもあるって知っている方は少ない。これって、ラポールがもっているもうひとつの一面。依存性の強い方とラポールを作ったときによく起こったりします。また、親への反抗もすこし関係したりもしますね。ストックホルム兆候とも関係します。夫婦間で結婚当初は夫を立てていたのに・・・。いつの間にか恐妻家になっていたりってのも関係したりもします。
September 13, 2007
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足の裏を使って歩く。これが大切です。ウォーキングといいながら、歩くではなく、エクササイズになっていることが多いです。踵から地面についてつま先で地面を蹴る・・・。その状態を忠実にしようとすると、足首の柔軟性はどうなると思いますか?足首の柔軟性と顎関節関係します。顎関節症の方って多いですよね。それってもしかして歩き方どうですか?足のアーチと口腔内は関係しますし・・・。
September 12, 2007
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癒しを求める人が最近多いようですが、癒しとは気持ちいい感覚だけじゃないですよ。そればかり求めると、それは、癒しではなく、至高体験を求めてしまいます。最近、波動をあげるとか、レイキやいろんな気やエネルギー系のワークがあります。それに触れるととても気持ちいい感覚はあるのですが、どこかむなしくなるのは自分だけでしょうか?たぶん、こんなことをいうとそれは、自分のネガティブなものが出てきたからと言われるのかもしれません。本質がそこにないからではないでしょうか?感覚だけで、知覚の部分がおろそかになっているような・・・エネルギーや波動という方は、ネガティブなエネルギーや波動はしんどく重たいものだと思っている方が多いです。ネガティブな波動の中にも、とてもきれいで軽くて心地良いと思わせるものもあるということ。だれが、ネガティブ=しんどい、重い、暗い って決めたんでしょうか?その認知自体が間違っていたら?ちょっとそんなことも考えてみて。知らないことを知らない。前に書いたけど、私たちは知らないことを知らないと認識できないんですよ。だって、知らないことを知らないと判断するためには、それを知らないことだということを知っている必要があるから。知らないって知っているってことは、その物事を知っているから。知らないって言えるんです。本当に知らなければ、そこにあることさえも、知らないんですから。言葉で書くと難しいですね。言語コミュニケーションはラポール(信頼関係)の質を下げるといわれています。 restore_neutral_line at 00:07 │コメント(0) │トラックバック(0) │
September 12, 2007
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愛が足りない。愛情がまったくない。愛している。愛って名詞じゃないんだよ。動詞なんですよ。愛が足りないんではなく、あなたの行動や言葉、心の使い方が足りないんですよ。愛情がまったくないのではなく、まったく、行動や言葉、心の使い方がその方にたいして行っていないだけ。もっといえば、行いたくないだけ。また、満たされないと嘆くとき、ちょっと考えてほしい。満たされないのは愛情それとも、あなたの欲望?欲望を満たしてくれたとき、相手の愛を感じるなんてのは、それは自分の都合のいい人を探しているだけかもしれない。欲はあってもいいけど、相手に愛を求めるとき、それは単なるあなたの欲望を受け止めて、満足させてくれる相手を求めてない?一緒にいてほしい。支えてほしい。毎日メールがないとだめ。好きな人と一緒にいたいという気持ちはとても素敵なもの。でも、それを素直に相手に伝えるコミュニケーションと相手のことを大切にする心があって、お互いの欲も愛も満たされると思います。それが、パートナーなんです。気づいてほしい。ばっかりで、待ってばかりもだめ。自分の気持ちばかり押し付けてもだめ。それが、相手ときちんと接していること。接触していること。お互いの流れがあってはじめてお互いが出逢えるんです。自分だけが一方的に流れても、片方の流ればかりにあわせても・・・。
September 11, 2007
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ものを買うとき、同じものなら安いほうがいいですよね。これを「ディスカウント」っていいます。でも、心理学のある学派で「ディスカウント」というと違う意味になります。「値引き」「ディスカウント」何を値引いていることでしょうか?値引くとは、実際の価値より低く見積もること。たとえば、こんなこと口癖の人いませんか?「私には無理」「どうせわたしにはできっこない」これは、自分の価値を値引きしているんです。自分の実はやれる力があるかもしれないのに、先に自分の価値を値引いているんです。また、「どうせ、あの人にはわかってもらえない」「もしこんなことを言ったら相手が傷つくかもしれない」「あの人にはこの問題は無理だからこっちをさせよう」この場合は、相手の価値を値引いています。相手が傷つく弱い人だと思ったり、相手にはわからないことだと相手の理解力の価値を下げているんです。値引いているんです。仕事上で相手の能力をみて、仕事を任せる場合も、そこに感情が入れば、値引きになってしまいます。これは、自分に対して、他者に対してだけではないんです。物事すべてにおいていえます。とても重要な事柄が起こったとしても、それを値引いていたらどうでしょうか?また、問題を値引いて適当に対応したらどうでしょうか?目の前の出来事を過小評価するのもある意味、値引いているといえます。もっと真剣に対峙しないといけないときに、その物事を値引いて、こんなものでいいと思っていたら・・・。具体的に言えば、ある人通りの少ない交差点で、この交差点を通る車いないと勝手に思い込んで(危険度の値引き、交通量の値引き)一時停止を怠ったとしたら・・・。あなたは、知らず知らすのうちに何かを値引いていませんか?
September 3, 2007
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物事を学ぶとき必ず気づくというプロセスがあります。でも、気づくということ自体は新しい知覚を使うためにとても学びになるんですが、その新しい学びを意図的に作られていたら・・・。今までのゲシュタルトを壊すこと。これが気づきの第一歩です。でも、壊されたゲシュタルトをもし、誰かの意図をもって再構築されたとしたら、それってどう?新しい感覚や出来事を体験したとき、それをどうにか解釈して安心しようとします。そのままの状態を楽しむことができるようになれば、もっと本質的な学びになるのですが、そこまでの学びの前に不安という感情がやってきます。それを処理するために、新しい考え方のフレームをつくりやすくなります。そうすることで、新しいゲシュタルトが再構築されちゃうんです。これは学びではなく、すり替えなんだけど。でも、新しいことには変わりないわけで。そのとき、どの方向性に行きやすいか?どうしても、感覚的に気持ちいい方向、心地よい方向に行きやすい。でも、気持ちいいって本当に必要な方向。ルシファーは気持ちいい方向に行ってしまったばっかりに堕天使になっちゃったんだよ。もともと大天使だったのにね。気持ちいい、心地よいって感覚にだまされないでね。だって、ドラックだって気持ちいいでしょ。SEXの100~1000倍以上の快楽(ドーパミンの分泌)が得られるんですよ。気づくために何かが必要ってワーク自体、気をつけてね。それは新しいフレームにするための道具かもしれないから。気やエネルギー調整ワークなんかもそうです。エネルギー、気という新しい知覚になりうる概念のすり替えかもしれないから。気もエネルギーもあるけど、それはゲシュタルトを変えなくてももともと感じているもの。知っているものなんですよ。だって、それがないと今、ここに生きていないのだから。
September 2, 2007
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