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6月26日は、友だちを誘って、横浜の富岡八幡宮へお参りして、昔の海岸線に沿って、埋立地に作られた長い公園の道を歩きました。 ヤマモモの樹がおおくて、たわわに実り、赤く敷き詰めたように、落ちていました。 手の届く枝の実を食べては、食べ比べ。 桜の実も名前の知らない樹々も、実のなる頃。 梅雨のころは、実りの季節でもあるんですね〜♪ 祇園船が埋立地に少し残された海岸に、 お祭りを待って、スタンバイしていました。 山口県の祝島の船大工さんが作って、海路と陸路で運ばれて来たものです。 動画で紹介されていた、祇園船です。 野口英夫博士、ゆかりの長浜にある、野鳥観察の池の風景です。 唐突のようだけど、 こだわりや、囚われから自由になり、素直に生きたい、 またの名を、波除けの八幡さんに、お参りして、恵比寿さまの笑顔と、狛犬親子の息のあったところを目の当たりにして、そう願いました。 素直に耳を傾けて、伝えていけたら、いいな。 どの時代でも、市井の人もまた、災害にあっても懸命に生きてきたことを、歩きながらも思いました。
2017/06/28
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昨日は、詩の朗読と音楽のひと時に、参加しました。 2人の詩人の自作の詩と、コントラバス、フルート、それから、音を奏でる小さな物たち。 なんとも言えないハーモニーに、心が解放されていきました。 雨や水にまつわるところでは、金だらいと、小さなボール、アンパンマンのボール。 金だらいは、青森のとある倉庫に眠っていたものとか。 雨の音を聞きながら、いろんな擬音にチャレンジしたら楽しそうと、あとでお話ししました。 泉、 いのちの泉が、生命として溢れ続けている、力強い言葉たちの力に、心が歓喜しておりまして。 それは、死してなお、柔らかにブログの中で語り続ける、梨園のおかみさんの、言葉のようでもあり。 生きている、この一瞬において自由で自在に、思えたので。ブログを書いている時もまた。 そして、 この世界の片隅に、のすずさんと暮らしていた、呉で生まれた方と、知り合えました。 嬉しいですね、初対面でも通じ合うと感じること、 あるんですね。 今日は、雨が降っているうちに、出かけようと思います。 雨が上がるころの、木や草がホッとして、露をほろりと落とした一瞬が、微笑んでいるようで、 笑顔があふれるように。
2017/06/25
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6月11日の日曜日、新宮古趾という石碑のある、小さな古いお社にお参りしました。 いっしょに歩いた友だちが、野仏を見て、 あら、赤ちゃん抱っこしているわ! と言いました。 私は、なにやら、琵琶のようなものを抱えているように見えたんだけど、そうなのかもと思えてきました。 赤ん坊を抱いて、まっすぐ前を見て、なにやら語りかけているような、あったかさ。 いのち在り なにを語るや? 夏地蔵 〜よもぎ どくだみ草の花が終わりかけていましたね、夏至の10日ばかり前のこと。
2017/06/14
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