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逃げる。逃げるが勝ち。逃げて飛ぶ、と詠んだ詩人もいた。逃げるほど、賢いことはない。私は旧司法試験を数ヶ月勉強しリサーチした結果、綺麗に逃げた。時は昭和61年。受からんし、10年、20年がかりで奇跡的に受かった時には廃人になっている、と見切って逃げた。私は、本腰を入れて勝負するときは、●勝つという選択肢しかないと腹を決めてきた。社労士試験は四年がかりで合格。法学部の五年を入れたら9年がかり。それでも、はやい合格だった。こないだ15年がかりで社労士を通過した友人の祝勝会をささやかにやった。なんという、執念!●抜いたら殺せと述べた人がいる。裏を返せば絶対にギリギリまで抜くな、と解される。抜かないなら逃げろ、と。できることと、できないことの見きわめとも言える。私も四捨五入したら60年となる歳月を生きてきた。できないこと、ストレスのかかることからは、極力逃げるようにしている。昔のように攻めにでる気力もないから、好きなことばかりやっている貧しいが幸せなジジイである。真実、女体にも飽きた。私は来週、文明に毒されていない本物の空をみる予定だ。グアム島の空、夜空‥‥‥‥。私は今、積み上げるよりも、削ぎ落としていく時期を迎えていると先日、痛感した。新しい情報も活字も、もういい。食事は減らそう。空を、風を、全ての美を純粋に受け止められる感性にもどろう、と、決めた。他に選択肢はない、と決めた。文学は16歳で志を立ててから、はや40年。これも敗けという選択肢のない戦い。40年で文学は滅び、今はブログの中に文学が僅かにのこっている。ライトノベル以外の小説は読まれない時代。あまつさえ、文学は読まれていない。しかし、一歩も退くつもりはない。文学が滅びても文学の精神は滅びない
2020.01.14
世の中のルールに従うのは、法律だけでいい。凄く楽になるよ。それぞれの場面の千差万別のルールに従っていたら、疲れるぜ。悪くすると鬱になる。自己破産は法令に定められた、いわば、権利。自己破産した人を軽蔑する人がいるとしたら、それは軽蔑する本人の課題であって、当事者とは関係ない。自分が猫が好きだからといって、猫を嫌う人に好印象持たないのは好印象もたないその人の課題。猫嫌いの課題ではない。ポジションマウンティングもネガティブマウンティングも、今や大流行の世の中。白いマウンティングであれ、黒いマウンティングであれグレーであれ、それはマウンティングしている人個人の課題、さ。傷つく前に黙って歩み去ればいい。しかし、まだ判断能力の弱い子供の場合はどうする?その昔は、威厳のある爺さん婆さんが街に溢れていて、親からの虐待を目にすると説教していた。どこにいった?威厳のある壮年や爺さん婆さん!裏を返すと世の中の道理を押し通し死んでも曲げないような爺さん婆さんが、因習を形成していたという見方もできる。世間様に顔向けできない‥‥‥‥‥‥、最近は、あまり聞かないセリフだが、これが罷り通っていた時代もあった。こうした恥の文化が今は秘めて沈められて、まだ、生きている。奨学金を返すために風俗で働く。自己破産を避けるためにソープで働く。俺はソープは行きたいが、ソープで働くくらいなら自己破産するのが正解、と信じる。ちなみに俺はワンコ大好き人間である。猫は別にニャンコー程度にしか思わない。ただし子猫は可愛い。ワンコを嫌う人間の気がしれない。ワンコを嫌うやつなんて生きる資格すらないと思う。それは俺の課題。貴方には関係ないのだ。こうしたことにお金が絡むと厄介だ。人は哺乳類だから、基本、群れたい。群れていられる上にお金までもらえるのがサラリーマンという奴隷制度。労働基準法によると労働者の定義とは、●労働者とは使用者の指揮命令に従い賃金を支払われるものをいうなぜか暗記している。賃金を支払われるる以上、使用者の指揮命令に従わねばならない。要するに会社なりそこの組織の方針に従わねばならない。これは辛い。無理がある。人の考えは100人いたらホントに100通りある。昔、ホンダに勤務していた営業マンから、労働相談をうけたことがある。「日本車でいいのは、やっぱりトヨタです。ホンダなんて死亡率が高いから警察ではホンダ車の別称が『棺桶』だからね松尾さん。それを知っていても職場ではホンダを勧めるのがサラリーマンです」と述べていた。要するにサラリーマンとは、嘘つきでなければ勤まらないといいたかったんだろう。労働者の労働基準法による定義は述べた。この条文がある以上、いや、労働者とかサラリーマンという概念がある以上、働くことが辛い時代であると思う。社長が猫がすきだったら、猫が、大嫌いでも猫好きのフリをしなくちゃならんのが労働者。辞めろやめろい!自分を偽るくらいなら、明日から屋台を引けばいい。ちなみに家事使用人は、労働者ではないから、労働基準法適用除外だ。つまり、個人が雇う家政婦さんやメイドさん。ボランティア活動も労働者となり得ない。もちろん、企業が強要する休日労働やサービス残業は、強制労働とも解釈できる場合が多い。●強制労働の禁止使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。 この労働基準法第5条に違反すると、労働基準法第117条により、「1年以上10年以下の懲役または20万円以上300万円以下の罰金に処せられる。最近は経営者のパワハラによって強制的に精神的な圧力をかけられて働かされる場合が多いのでこれは格好の飯のタネになると思っている判例でも調べるべ。自分の夢だの思いだのアメリカのビジネス書だので一人で盛り上がってパワハラによる強制労働を強いている経営者は、友人にすら多い。はやしたてるインチキコンサルタントも増えた。一度、牢屋に入って合法的な強制労働をしてみるべきだ。法律より千差万別なマイルールを優先しては怪我をするのは、貴方であり、おれだ。俺の場合、労働基準法適用除外の家事使用人、要するに美少女メイドを雇い無理難題の限りをつくす夢がある。この場合、たしかに労働基準法は適用にならないが、刑法がまず襲いかかる。民法も襲いかかる。売春防止法エトセトラ‥‥‥‥‥‥。怖い怖い‥‥‥‥‥。なかなか、アコギなことは、できるもんじゃないっス。世の中の千差万別なルールより、法律にだけは従おう。じゃあ、何が法律違反になるか?それがザックリわかるだけでも実はかなり難しい。そういう意味では底辺生活者ながら、法律屋の道を選んでおいて本当に良かった。だって法律の怖さを知らなかったら、絶対、美少女メイド雇うもの。ちょっと待った!美少女メイドを雇い、しょせんは男と女、自由恋愛に発展する場合はどうなる?この場合は、本人や関係者から告発されない限り、つまり、合意があるのだから、アレもしたいコレもしたい、と妄想が広がるが、ヤバいことは、ヤバい。となると、やはり、残された道は宗教団体か?オバハンしか集まらない気がする。男だらけとか。いつものパターンさ。世界征服して自分で法律をつくるのが、やはり一番、あ、ん、し、ん、だぁ!
2020.01.14

自分は2011年の晩夏に旧宅の一軒家から、通称『便所部屋』に居を移し、それから同じ札幌市の桑園、円山裏参道、ススキノの事務所でしばらく暮らし、また円山裏参道の同じアパートに落ち着き、落ち着いたかと思いきや地上げに遭って立ち退き料はいただいたが、同じ裏参道の2LDKのアパートに住んでいた。で、今はマルヤマクラスの隣の3LDKのボロアパートに棲んでいる。たった六年あまりで、7ヶ所に居を構えたことになる。小学校五年から、47歳まで、ずっと札幌市の山奥の平和の持ち家に住んでいた。一カ所に住むということがなくなり、形は様々だが、しばしば所を終われ、今は円山のこんなところに逢着(ほうちゃく)している。型の古いプロペラ機みたいに不時着を繰り返してきた。まつおひとり君よ。本当に愛した人は誰だったのか?それは、誰だったのか?既に答えは出ている。本当の自分自身、……本当の尊いあのエネルギーのルツボであるところの「自己」、そうして、誰の中にも存在する光り輝く栄光に満ちた無限大の「自己」であった。心は開かれた。しかし心が開かれたままだとエネルギーが強すぎて肉体は保てない。だから、肉体とか煩悩というツールを使って『自己』にチャックをしているようなんだ、無意識で……。肉体という着ぐるみは、粗雑で不完全だがよくできていて実際の着ぐるみよりも遥かに精巧な構造でそれは驚くほどリアルである。ここに昔、ダイブしてきた。ダイビングスーツは、二十世紀の昭和うまれの日本人で、非常にエロく身長は180センチ位で痩せ型筋肉質のずいぶんと変な機能をもつマニアックなタイプを『彼』は選んだみたい。みんな自分を失ってダイビングスーツの方を自分だと勘違いしていきていることが、まず、驚く点なんだよ、峰不二子くん。ダイビングスーツはダイビングスーツで大切だが、アナタではないではないか?ダイビングスーツを脱ぎたまえ不二子くん。裸の胸を開きたまえ。閑話休題。実は自分のフェイスブックの「友達」は、少数精鋭ながら、かなり優秀な人々だと思う。大半がTwitter経由で友達申請してくれた人々だ。中にはmixi経由だった人々もいるが、彼等もずば抜け優秀だ。どう優秀かというと、今の日本、世界、地球規模で実際に何が起こっているか、彼等は把握している人々であるからだ。しかし、地元の学校や職場がらみの人々は、普通の気のいい人々なんだ。その落差に悩んできた。俺は食べた昼飯やスイーツを毎度載せるような感性が一切ない。他に誰かが述べているようなことは、述べたくない。人様にいかに感謝しているかとか、鼻をかんだらティッシュは道端に捨ててはいけない類いの当たり前のことは書かない。雪がふったら、それはニュースでやっていることだし、誰かがアップしているから、天気の話をしない。誰かを誉めるより誰かの悪口を書きたい類いの人間だ。無難なことを述べていたら間違いないとか、本当はつまらないのに、無難なラーメンや定食の写真をタイムラインに載せている様子をみると、腹の中で、「けっ」と唾棄に値する画像だと吐き捨て、パソコンの画面に使いかけの汁のついたティッシュを投げ捨てるような男である。食べかけの飯をアップしたりする。つつがなく、つつがなく無難に生きていたら間違いなんなんて考えが今時は一番、小汚い。その小さな前例踏襲の根性が今は社会をあらゆる局面で悪くしているのは明らかだから。政治経済にしても、会社にしても家庭も学校も、誰かがやった範囲内でしかなにもできなくなっている。ネットではおれはキチガイあつかいされて上等と考えるしツイッター経由の約1000人の友達はそこを評価してくれているらしい。しかし地元の仲間からはほんとうにキチガイよばわりされている。年が明けて自分は数え年で57歳とあいなった。ここにイカれた頭のおかしい男が一人。変態。一歩も退くつもりなし!
2020.01.13
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