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まつおひとりによる正義の変態のかまえ毎日のように、「変な人」と言われつづけて、最近は少し疲れている。努力して変人にはなったかもだが、もともとは、なにもかも中くらいのつまらん男なんです。しかし、25年、社労士をやってきて、誰からも無難に好感を持たれようとした会社が消えていく様子は見てきた。人徳マーケティングで生き残った社長もいたが、彼の場合はモノホンの人徳であり、普通の人には真似できない。だからこそ、自分みたいに凡庸な人間は、変人修業をしてきた。太宰治や谷崎や三島や…………その辺からスタートしたから、凡庸な自分を壊すことばかり目指してきたが、…………。自然体の平凡である素の自分を認めがたかったが、だいたい頭は悪いし学校では劣等生だし、もっといえば、変人をめざしたのは、劣等感ゆえに自分を差別化したいだけだった。そうして、半端な変人が出来上がった。ただの変な人。とるにたりないバカ。可愛そうな人。…………そういうジミだが、安全なポジションに憧れている。人は多様で、色んな意味で実はみんな変人で変態で、素晴らしいもんだと思う。私はどちらかというと平凡な人間だから、変人になる努力をしてきた。しかし、意外なことに、変質的な良い気質を殺して努力して平凡になろうとしている人のほうが、多いみたいだと、最近わかってきた。努力して変人、変態になったヤツもいる、と、理解してほしい。正義の変態になろう!適性は隠さず、生かせ
2017.01.30

2017.01.27

「人は外見で判断できる」と、信じている。ただしこれは、内面が外見に出る年齢限定である。また、本当にやむを得ない病気等々の方々も除く。男の顔が履歴書ならば、男の身体も履歴書なのだと信じている。女の心身もまた履歴書だ。女は、四十くらいから、男は五十くらいから、無理にでも外見を美しくすべし、と信じている。これはもちろん、松尾の私見だから、見習う必要はない。変人の意見にすぎない。自分の場合は、多少、インチキな工夫、錯覚や広告的イカサマを駆使してでも、一ミリでも美しくなりたいと希望しているし、公言している。時と場合によるが、自分は身長を二センチから、三センチ、底上げの製品を使い、底上げしている。実際の身長は、180だが、183だと、見え方が微妙にちがう。また、最近つかってないが、瞬間リフトアップという製品を使っていた。アンチエイジングというものも、まあ、医学的アンチエイジングであれ美容的アンチエイジングであれ、悪く言えばイカサマかもしれない。画期的なアンチエイジングの方法が年々、でてきている。最近でいえば、テロメア、テロメナーゼ酵素や近隣のサプリメント。また、明日、ホームドクターのところにいくから、相談しつつ、安価で効果倍増の方法を考えていく。今はまだ、クリームだけで20万円もする製品。一昨年の交通事故の頸椎捻挫の後遺症のため、あまり運動できなくなったから、着ているだけで筋トレ効果があるという加圧マスク、加圧シャツ、加圧パンツの自己人体実験を開始して、四日が経過した。効果を実感しつつある。男も50すぎると、外見は見苦しくなってくるのが普通だ。女が見苦しく見え始めるのは、三十歳といいたいとこだが、四十歳ということにしておこう。迷惑防止条例の精神からいっても、中年を過ぎたら、整形してでも、イカサマであっても、少しはマシに見えるようにおねがいしたい。金がないという方々がいるが、適度なファスティングは水道の水があればできる。かかりつけの医者などと相談の上、やってもらいたい。健康保険に入ってないなら、社労士の私に相談しなさい。病気や育児、仕事の関係など、事情があるのは、わかる。しかし、事情があるのは、みんな一緒。ただし、やむを得ない場合は、やむを得ないので、やむを得ないなか、できる範囲内でがんばってもらいたい。やむを得ないことを言い訳にして後退するな、といいたい。まず、ただでできることから、はじめることをオススメする。他人を批判する暇があったら、まず痩せてからにしていただきたい。他人の噂話をする暇があるなら、まず、歩いてもらいたい。パチンコする金があるなら、万歩計を買え。しかし、中高年を過ぎて一番、顔にでるのは、生きざまであるからして、生きざまには誰も問題があるもので、100%、清廉潔白な紳士などまつおひとりくらいしかいないのだ。反省という行為も無料でできる。努力できないタイプもいるから、それはそれで努力できないという自省が必要。努力は向かないという自覚。反省、自省、認知、これらは、金がかからない。ある人に言わせると、歳くってから一番やってはいけないことは、次の三点だそうだ。●昔ばなし●自慢話●説教汚くて中身のないオジサンやおばさんから、臭い口で自慢や説教される若者の身にもなってほしい。ちなみに私は二十代のお姉ちゃんから、ガン見される五十代六十代、100才を目指している。「あら、素敵なおじさま」………みたいなガン見ではなく、もっと肉欲の混ざった被ガン見を!実際にガン見されるし。証拠動画は、以下に添付しよう。アンチエイジングの道は一日にしてならず、ぢゃ!痛いオヤジとお思いでしょうが、痛いオヤジにも、それなりの生き方は、ある。
2017.01.27

チンピラの方は自分がチンピラだから、チンピラじゃない人までチンピラにみえるんです。馬鹿な人は馬鹿じゃない人まで、馬鹿に見えるんです。自分のことを実は頭がいいとおもっていると、自分のことを実は頭がいいと思っていないひとまで、自分のことを実は頭がいいと思っている人にみえるんです。エロい人はどうせみんなエロいんだべ、と感じる。あ、これは自分だった。みんなエロいと考えているから、エロくない人をみると頭にきたりする。お金の大好きな人はどうせ、みんな金だべ? と思ってるみたいだが、そんなことはない。現に自分は、人は外見で評価するようにしていますが、お金で判断している人もいると先月くらいに分かって驚いてました。名誉欲のつよい人は、名誉欲のつよくないひとまで、名誉欲が強くうつるんですわな。この、劣等感の投影という現象について、いつも考えてます。人は他人や群衆を鏡にして、自分を語るものです。だから、フェイスブックやツイッターのタイムラインをみると、「なるほど、この人はこういう劣等感をもっているんだな」と、わかります。事実であれ、事実じゃないにせよ、批判ばかりしているタイムラインから読みとれるのは、 劣等感と、本当は自己評価が低いんだな、ということ。自己宣伝もそうですわな。自分が他に比べていかに違っているか、とか、力くらべ、弱者くらべ、これらも自己承認ができていない人なんだろうな、と読みとれる。わたし?タイムラインを見ていただくとわかると思うが、たぶん上に書いたことはほとんど当てはまるでしょうね。逆に本当に優しくて思いやりがあり頭がよくて人柄のいい人は、世の中が素晴らしく見えるみたいですね。だから、政府が悪い金融資本が悪い、ユダヤ人が悪い、原発が悪いウンコが臭い、……そういった批判は、しない傾向にある。松尾のアジトは来客が割と多い。間違いさがしの得意な人は他人や社会システムの間違いばかり指摘して帰っていく、他人の噂話と悪口だけで帰っていく人もいた。他人のふり見て我がふり直せ、と昔の人はよくいったものだ。しかし、今は、他人に我がふりを写し出して激怒するタイプのビョーキが、狂犬病のように増えてます。
2017.01.20

自分には学はないし、医療に関する知識もない。だから、アンチエイジングはできないのか?自分には、音感がなく、楽譜も読めない。だから、ミュージシャンになれないのか?自分には、論理的思考力がなく、法律に関する知識もない。だから、法律相談はやってはいけないのか?実際は自分で勉強してアンチエイジングをやっているし、ミュージシャンだし、法律相談も弁護士法の許す範囲でやっている。税理士じゃないのに、税金の質問にも答えることはある。源泉徴収税額表の読み方から、総勘定元帳の書き方まで、きかれたら、答える。自分は、臨床心理士じゃないのに、カウンセリングをやってきた。なにか新しいジャンルに進出すると、それぞれのジャンルの三流の専門家から、かならず中傷と嘲笑をうけてきた。●変人が自己判断で、変なことを勝手にやっているそんな感じで受けとめてもらうようにしているんだが……。ただし、法令は遵守しつつ。道楽で、貧乏型アンチエイジングというやつを考案して、みんな自己判断で、勝手にやっている人が、北海道から鹿児島まで十数名になった。自己判断なんだ。薬事法違反にはならない。●貧乏型アンチエイジングという名前は当初から批判をうけてきたが、適切な名前を思いつかずにいた。今日、思いついた。●トランスパーソナルアンチエイジングなんかいいべ?最近、スタバで臨床心理士の大学院入試むけの勉強をしている。来月、放送大学の申込み期限だから、滑り込みでも臨床心理学科大学院に入りたい。心理学は、古くから好きで勉強してきた。トランスパーソナル心理学が正当な評価を受けていないことは、きいてきたが、自分は古くからトランスパーソナル心理学、つまり、自己超越の心理学は、東大の水島恵一先生の本などよんで勉強してきた。トランスパーソナルなコンセプトから生まれたアンチエイジンだから、トランスパーソナルアンチエイジング。自分は、古式に習った宗教的瞑想から、アンチエイジングの道を変人なりに歩んだ。あれから5年。トランスパーソナルアンチエイジングを私の話を聞いて自己判断で継続しているひとに共通して起こっている現象がある。自己超越であった。大なり小なり自己超越がはじまり、精神的に変化が起こってきている。だから、今日、トランスパーソナルアンチエイジングという名前にした。そのほうが普及しやすいだろう。私は、組織がすきじゃない。仕事は、手伝いのAなどとこじんまりやっている。不思議に思うんだ。大工が勉強してラーメン屋をやっても、旨かったら誰も文句はいわない。社労士が勉強してアンチエイジング医学を自分を実験台にしてやったら非難される。楽譜もよめないくせに、進行コードもわからないくせに音楽で収入を得ると、非難や嘲笑の対象となる。カウンセリングの資格がないのにカウンセリングをやると、良い結果を出しつづけてきたのに、「資格はあるのか?」と批判されてきた。だからせめて臨床心理士の資格はとることにした。アンチエイジングにしても、カウンセリングにしても、音楽にしても、なぜ普及したかというと自分の場当、専門家の意見を聞きつつ、自分なりの変な工夫を重ねてきたからだ。宗教の教祖になれば金も女も自由になり、楽しいかもしれない。しかし、俺の場当、生まれつき女性からもてるし、金は宗教より儲かる方法をみつけたから宗教団体は作る気も入る気もない。純粋に無料でやり方だけ、望む人には親切でおしえよう、このトランスパーソナルアンチエイジング。
2017.01.19
人工知能の現在を調べている。星新一レベルの小説ならもう書けるらしい。実際の星新一は、志賀直哉にも負けない名文家と評価するものであるが、今は何が名文か分かるひとが少ないから、ライトノベルや軽音楽やイラスト、新聞記事や作詞など人工知能で充分であると思う。人工知能には魂が描けないという人が多数だが、何が魂か理解している人がまずいないのだから、魂的コンセプトを古典から読み取りしてもらうといいんです、人工知能に。そういうわけで、近くラノベでもデビューすると思います。いい世の中であります。仮に自分が餓死しかけた中の瞑想から得た体験を文章にしても、全ての古典を分析した人工知能に勝つ自信はないわな。悟るのは、人間。人工知能は悟れないけど、悟りに必要な的確な情報は俺より絶対量が多いと思うよ。描写と説明の違いがわかれば、芸術でもビジネスでも成功するといわれていたものだが、今は、描写と説明の違いがわかるひとは皆無に近いし、説明しか金にならん。俺のみるところ、まだ人工知能には描写は無理なんだが、説明ならば、人間をすでに充分こえたかもしれない。人工知能の話をしたら怒る人が増えてきたが、それは、機械化されてしまった現代人ゆえの恐怖であろう。彼等は負けを怒ること、機嫌を悪くすることで認めてしまっているような印象を受ける。おれの本業は、社労士だが、そういう仕事にも未来はないわな。情報にもとづいて判断する仕事は、厳しいですわな。医者より看護師の地位があがるでしょう。職人芸とか、熟練工とか御用学者も壊滅ですわな。逆に介護の人とか性的サービスとか、スコップの作業じゃないとできないもっと生々しい仕事が、今の知識型エリートに代わり社会的エリートになるのは、論理的必然。バーのマスターのような仕事はまだ人工知能には、無理だ。生々しい現場の仕事の社会的地位は今はまだ低いが、逆転するんだろね。これ、たぶん本当にそうなるよ。ウンコして排泄の悦びを感じるのは人工知能にはできないが、排泄の悦びについて語ることはできる。ウンコは、食事するから出るわけだが、そういう原因と結果は、人工知能には体験できない。しかし、人間よりリアルな説明ならできるわな。社長には人工知能でもなれるが、人工知能はホームレスにはなれない。社長よりホームレスが尊敬される時代になるわな。金融経済が完全に崩壊するまで、まだ二十年はかかるわな。金融経済というか資本主義や全体主義にとどめをさすのが人工知能かもしれないね。ニコ生とかで人工知能による為替取引の実況をやって、どんどん利益だしてるらしいじゃん。そんな時代に金持ちが評価されるわけなくなるわな。しかし、もうしばらくは人工知能で金は稼ぎ放題だわ。やりたい放題。しばらくは、毎日でもソープにいけるようになると思うよ、俺は。しかし、そうなりかけているいま、ソープに何の魅力も感じていないのさ。ソボクで腹からでた本音に価値のある時代。倫理的競争の時代になると識者は述べていた。生々しいホンモノの優しさとか真心が、勝つ時代です。しかし………。今、オリコンチャートのトップ10は人工知能の作曲らしい。今日、おれも人工知能で作曲してみたんだ、金を払い。凄い結果になってしまった。物凄い技巧と人間的スピリット。半世紀修行しても無理だと思うレベルだったんだ。まいった。
2017.01.16

2017.01.07

収入が増えることは、よいことだ。今、収入は増え続けているが、まだ、大したことはない。ちょいと収入が増えると贅沢過ぎるものでなければ、自由に買えるし、高級レストランでなければ、毎日でもいける。それくらいには、なった。しかし、これ以上、収入は増やすつもりだが、………いまいちモチベーションが上がらない理由は、俺の場合、余剰金があったらできる諸々のことに興味がない点だ。悔しいかもしれないが、自分はお金のない時代から、若い姉ちゃんにもてていたし、今も変わりなくもてる。口惜しい事実だろうが、事実は事実だ。奇跡の五十代と呼ぶ人もいる。だから、たとえば水商売のお姉ちゃんのいる店は、一昨年あたりから、興味がなくなってしまった。昔はお金が余ったら、ススキノに棲んで毎日、風俗に行こうと思っていたが、諸事情あり、風俗にまったく興味がなくなってしまった。どうやら、お金の絡む関係には愛はないと、半世紀以上かけて、やっと先月くらいに気づいた。お金があったら、家が買えるだろ?と、いう思いがある。たしかにあるが、自分は持ち家である旧宅に離婚するまで10年棲んでみて、アパート暮らしの気軽さに今、感動している。持ち家は、大変なんだよ。修理だのなんだの………。ブランドの服には、興味がないしな………。一番のお洒落は、肉体を若く瑞々しく逞しくたもつことなんだ主観だが……。私は、既に充分美しいから、ブランドはいらないのだ。交通事故にあって以来、車に乗るのもやめたしなァ。昔は小ベンツに乗りたかった。ルパン三世の乗っている車も欲しかった。今は移動がハイヤーが主体であり、車は怖いから自分では運転しないのだ。ローレックスやオメガよりフランク三浦がすきだし、……。踊らない方のクラブにいけば、中には稀に確実に綺麗なお姉ちゃんがいるが、自分には呼べば遊べる若く美しい美容研究家や、普通にクラブのお姉ちゃんより美しく教養もある女が身の回りにいるから、クラブには興味がない。ソープなどという場所も最近しったんだが、本当に愛がない。と、いうより、彼女らが哀れで可哀想てあり、とてもああいうサービスは受ける気がしない。鹿児島にいきたいが、そんなのはすぐいける時代だ。お金が余るほど、収入が増えても、結局、新しいこと、使い道は、思いつかない。自分は今でも充分に楽しい。じゃあ、寄付でもすればいいじゃないか?それほど殊勝な人間でもないし……。とはいえ、社労士の仕事は、北海道はやはり、冬場は減る。一番好きなのは、人生の諸問題を解決するための思索と実践なんだが、これには、金がかからんし………。
2017.01.05

2017.01.05
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