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母親の見舞いにいった。 以前から、思っていたことだが、看護師の態度の悪さは、腹に据えかねるものがある。 年下の看護師でも、母や俺に平気で、タメ口をきいてくる。看護師は敬語をつかってはいけないと、就業規則にでも書いてあるのだろうか。 また、母は、気管切開した箇所に蓋をしないと話せない。だから、看護師にいつも蓋をしてくれと頼むのだが、こないだの看護師は、声がうるさいから、会話は30分以内にしてくれ、と要求してきた。他の患者さんは寝たきりで、みんな話せない方々だが、俺の母親は、話せる。話すのがいけないというが、一般の病院の患者さんは、みんな話しているではないか。 こんなこともあった。 ある看護師が、誰もいない時、身動きできない母に、 「あんたなんて、大嫌いだよ」 と言ったそうだ。 その時には、さすがに、父が怒り、ナースステーションに怒鳴り込んだ。 他の病院でも感じることだが、一部の看護師(全部とは言わない)は、いったい、自分を何様だと思っているのだろう。接客業の基礎以前に、あまりに常識がない! 前にも書いたが、数年前、俺がある病院にかかった時、俺より一回り以上年下の看護婦が、タメ口で随分と失礼な口をきいてきたから、俺は彼女を怒鳴りつけた。 すると彼女、 「我々は、特殊な業界の人間です!」 と、声を張り上げた。 特殊じゃない業界なんてあるのか? あまりに世間知らずではないか? また、数年前、知人の経営するパブで出会った看護婦が言っていたが、 「看護師の専門性は医師と対等ですし、社会的地位も医師と同じです」 とのことである。 看護学校の試験って、そんなに難しいの? 看護師国家試験って、合格率、何割? ほとんど合格するんじゃないですか? 法律系の国家試験は、法学部で四年間、みっちり勉強した人でも、合格するのは100人に数人だぜ。それでも、司法書士にしても、社労士にしても、行政書士にしても、一部の看護婦みたく、お客さんに向かって、 「あんたなんて嫌いだよ」 と言う方はお目にかかったことはない。 勿論、親切な看護師さんの方が多いのは分かっている。 一部の看護婦に対しては、腹に据えかねるものがある。 俺だけ?
2010.01.31
朝、父から連絡があり、入院中の母が俺を呼んでいるという……。 頻繁に見舞いに行ってはいるが、行く度に、 「子供の頃のお前は本当に可愛いかった。可愛いかった……」 などと、同じ話ばかりする母。 母。 この世で最も、俺のことを愛してくれた人。 間もなく逝くだろう母。 見舞いにいくたびに、最後の力を振り絞るようにして、俺に、人の生き方などを伝授しようとする、有り難い母。 きょうも、息子を連れて、琴似の入院先の病院に行ってこよう。 俺はマザコンだから、俺にとっても、長年、母は生きる支えだった。 できれば長生きしてもらいたいが、脳幹出血で一度は医師から、匙を投げられた母だ。今、生きていることが奇跡なのである。 幼少期からの母との思い出は、数えきれない……。 どれだけ世話になったことだろう。計り知れない程である。 さあ、きょうも息子を連れて、母の見舞いに行こう。 寝たきりの母は、俺の六歳の息子の顔を見た時だけ、笑顔になる……。
2010.01.31
数年前、倒産寸前の会社の社長に俺は助言した。 会社を整理するにしても、自己破産するにしても、お客さんにいくら迷惑かけたとしても、自殺だけはしてはいけないですよ、と。 病院で適当に病名つけてもらうなどして入院して、ほとぼりがさめるまで、当面はトンズラこけ、と俺は言った。 事実、俺の見た感じでは、その五十代前半の社長は、重い鬱状態にあるようだった。 俺があれだけ言ったのに、しばらくして、その社長は本当に自殺してしまった……。亡くなった後、蓋を開けてみたら、負債が約、五億円あったそうである……。 労働者には、労働者の苦労があり、経営者には経営者の苦労があると思う。 労使双方、みんなが喜んで仕事できるような社会の実現を、田舎の片隅から祈るばかりです。 ドロドロの人間関係の中で長時間労働や、イジメ、低賃金に苦しんでいる労働者も多い。 そんな状況を踏まえて、社会保険労務士として、自己の適性を生かして、俺にできることは何か、いつも考えている。 場合によっては、社労士の枠組みを飛び出してしまってもいいのだ。 最近、年齢の為か、社会貢献への思いが強くなってきている。 子供ができた為だろうか? 「未来」というものに、微力ではあるが、少しでも貢献したい、……と、本気で決意している。
2010.01.30
約束の時間通り、遠路はるばる代車の軽を運転して、今、メガドック新道東店です。これからお金を払って、スプリンター君を引き取りいたします。 スプリンター君よ、また、お世話になるよ。次の車検まで、これからの二年間、無事故でよろしく。スプリンター君、長生きしてくれよ。 二年間、俺も安全運転を心がけて、君を大切に扱うつもりだ。 スプリンター君、君は随分とお爺さんになっちまったなァ。 しかし、世間の査定がどうあれ、ちゃんと大切に扱いさえしたら、君はまだまだ10万キロ以上走るスプリンター君だということを俺は知っているよ。 ありがとう、俺のスプリンター君……。 写真は検査を終えたスプリンター君です。
2010.01.30
六歳の息子と、二人でテクテク、雪道を手をつないで歩きました。息子は一円玉の五枚入った小さなカプセルを握りしめていました。いつもながら、平和の里は凄い雪。 5円くれたお友達の家に到着しました。何かご商売をされているらしく、自宅兼店舗兼事務所のお宅です。 さっそく、先方のママが出てきました。肝心なお友達は、今日は爺ちゃんの家に遊びに行っていて、不在。 お友達のママにに向かって、息子に何度も頭を下げさせました。 「ごめんなさい」 と言っていました。 「うちの子が原因なをだから、よく注意しておくから」 と、ママさん。 再び二人でお辞儀して、帰り道、また、テクテクテクテクと雪道をあるいて、自宅にもどりました。 とりあえず、一件落着です。
2010.01.30
実は、うちの六歳の息子が、春、一緒に小学校にあがる男の子の家に遊びにいき、どういう経緯かはわからないのだが、パックにはいった一円玉を五枚、貰ってきていた。 相手のママは、そのことを知らないらしい。 お菓子とか、デュエルのカードの交換ならば、子供同士で取引しても、それは遊びだから、まあ、よろしい。 お金のことになると、また別だ。たとえ一円玉が五枚だとしても、だ。 きょう、初めてパパ(俺)だけにうちあけてきたことで、息子は特に罪悪感もないみたいだ。 どうやって教育しようかなァ、と少し悩んでいる。 このことは、うちのママ(妻)もまだ知らないこと。妻は今、外出中たが、帰ってきたら、話し合うつもりだ。そうして、五円を先方のママに返しにいくしかない。 五円……。 たかが五円と思われるかもしれないが、成長するにつれて、他人の家から、先方の親に内緒にして、500円5000円と貰ってくるようになったら、困る。 今から、ちゃんとお金の意味について、教えておかないといけないな、と思っている。 この件に関しまして、皆さんはどのように考えますか?
2010.01.30
結局、車検、検査してもらったら、一カ所だけ部品交換しなければならない箇所があるとのこと。 部品交換代、工賃などで、プラス一万円と少しかかるそうだ。 左前輪の付け根の所の部品を交換するそうだ。 だから、車検代、総額で7000円くらいになる予定だ。 明日、出来上がるということで、きょうは代車を借りて帰宅した。代車のお金は無料だそうだから、助かる。 俺は総額で十万円以上は覚悟していたから、救われた気分だ。 明日、修理がおわったら、さっそく現金を持って、代車でスプリンター君を引き取りにいく予定。 代車は軽のオートマチック車。 代車は任意保険は入っているけれど、車両保険がついていないので、明日、万が一、事故などあれば、弁償しなければならないそうだ。 明日の無事故を祈る! 皆さんも無事故で!
2010.01.29
今、メガドック新道東店にいる。予定の4時より少し早く到着。 これから、車を見てもらうが、部品交換、修理等、どこも悪いところが無ければ、オイル交換無料で、総額60800円! 安いでしょう? 前回、二年前は、いくつか部品交換があって、総額で10万前後かかったが。 なにせ、スプリンター君、平成八年車です。今回、どこも悪いところないと言われたら、まず、奇跡ですな……。 部品交換、修理等あった場合、また来週、遍路はるばるメガドックに来なければならないです。 一応、 「車検通るギリギリの線でお願いします!」 と窓口の女性スタッフさんには、頼んでおいたのだが、さて、どうなることだろう……。 何故か、若干、ドキドキしています。 見てもらっている間、メガドックの店内で、しばらく待機ということになりそうです。
2010.01.29
今、ハローワークに来ている。 どうでもいいのだが、最近のハローワークの駐車場は何時きても満車だ。 ハローワークがそれだけ繁盛しているということだろう。 しばらく並んだ後、ようやくスプリンター君を駐車できた。 ハローワークの手続きが済んだら、今度はお客さんの会社に訪問。 その後、車検だ。あわただしい!
2010.01.29
延び延びになっていたが、明日の、16時に車検の予約を入れた。メガドック新道東店に……。 今日は内勤だったが、明日は、午前中、書類提出の為ハローワークなどにより、一度帰宅してから、車検を取りにメガドック新道東店に向かう予定だ。かなりの遠方なので、片道、一時間半はみなければならないかな? 今日は暖かいとの予報だったが、五時頃、息子が遊びに行っている近所の、息子の幼稚園の同級生の家に迎えに行く途中、かなり滑った。 明日もまた、イカダを漕ぐようなイメージで、ゆっくりゆっくり、車の運転しようと思う。 今日、仕事していたら、友人の男性から電話があり、 「今、つなぎで働く為、アルバイトを探しているんだが、どこに電話しても応募者が殺到していると言われて、参っているよ。どこも、かなり倍率高いよ」 と、彼。 今どき、競争率が高いのは、正社員だけではなく、アルバイトも同じなのだな、と改めて痛感した。 彼によると、どこに電話しても、応募者多数の為に、まず書類選考があるそうだ。 彼は俺と同年代の男性だから、かなり厳しいと思う。 そう言えば、うちで補助者登録している大生時代のクラスメートからも連絡があった。 今週、月曜日から、大谷地のホームページ作成スクールに俺の代理で毎日、通っている。今日で4日目だ。 その親友によると、スクールの授業内容、段々と難しくなってきているから、予習、復習が欠かせないそうである。 今日は特に午後から、五時に息子を迎えに行くと約束していた関係で、相当に根を詰めて仕事していた。凝縮された時だった……。 できれば、今夜は、また、勉強だ。勉強の方は、俺は体質的に、リラックスしてグダグダと勉強した方が、なぜか効率が良い。 よく言えば、焦らず、じっくりと知識を定着させるタイプなのかもしれない。 実は学者肌だったりする。 アトピー性皮膚炎の方も、皮膚科に行ったおかげで、かなり好転している。 さあ、一時やすんだら、また行動だ!
2010.01.28
職場でも学校でも、家庭においても、他人から注意を受けたり、厳しいことを言われてヘソを曲げる方がいる。 ●言われているうちが花なんだよ。言ってくれる人に感謝しなさい。 と、若い頃、俺は祖母から習った。俺もその通りだと思う。 俺は不潔な上にズボラで、短所は数えきれないと思う。 妻は、諦めないで、しつこい程、同じ注意をしてくれる。感謝である 俺はどちらかというと、八方美人だし、耳障りのいいことしか他人に言えないタイプだ。 こんな自分は、ズルいなァ、と反省する。 他人に直接、厳しいことを言える人というのは、根本的に優しい方々だと思う。こういう方々には、心から感謝して、感謝の 気持ちを伝えよう! 反面、第三者を通して人の至らぬ点を告発するのは、陰口であり、噂である。これは避けたい。 今日も帰宅したら、早速、妻から小言を言われることだろう。夫に厳しいこと を言わなければならない妻の立場を考えると、感謝しなくてはならないし、 ●ああ、俺はまだ、諦められてはいないのだなあ! と、嬉しくなる。 本当に諦められた人と言うのは、人から、何も言われなくなるものだ。 人間、匙を投げられたら、孤独なものです。 尾崎豊のシェリーの歌詞の中にも、 「俺はまだまだ馬鹿にされているかい?」 というフレーズがあった。 馬鹿にされていると思っちゃいけないが、とにかく、他人からは、あれこれと言われているうちが花なのだ。 若いうちは、人間、他人から厳しいことを言われると、ヘソを曲げる方々も多いことだろう。厳しいことを言っている人の優しさが、理解できないのだ。 もっと拡大していうならば、生きていくこととは、難局の連続だと思う。 難局とは、神仏が存在するとすれば(俺は存在すると確信しているが)、神仏から与えられた自己変革へのチャンスであると言えよう。優しさに満ちたメッセージである。だから、難局の中にいる時ほど、逆に感謝しなければならない。 ●困難がやって来た時ほど、自分は安楽なのだと思いなさい。 と、中世、日本の古聖も言っている。 ●平凡 ほど、恐ろしいものはない。 と、思う。 別に成功するでも失敗するでもなく、ただただ平均的に、平々凡々と流れていく人生。そこに価値を見いだす方々の気持ちも分かるが、神仏からのメッセージが少ないのだなァ、と、残念に思うくらいが本当ではないか。 昔読んだマーフィー博士の本に、「平均の法則」という言葉があった。 平々凡々であり、平均の法則に飲み込まれた人生は、一見しあわせなようでいて、不幸なのだと俺は思う。 ●死後、既に地獄に堕ちることが確定している者には、現世(つまり、この世)では、逆に困難は起こらない 。 と、大乗仏教の教えにもある。 現代人には、こう言った、「平均の法則」に該当しそうな方々が、結構多いと思う。 そういう意味でも、難局こそチャンス、不景気、大恐慌、全てチャンスと考えたい。 今の日本は、国として見るならば、神仏からの強いメッセージを受けている、安楽ね時であり、チャンスの時であり、感謝の時だと、思うのだ。
2010.01.27
今日の札幌市は、日中の気温が、三度から四度と、暖かくなる見込みらしい。 昨日は、俺、夕方から、何だかよく分からないのだが、体調を崩して、吐き気などもして、夜、勉強できなかった。 そうして、きょうは行政協力で1日、とある公的機関で働く。 そういうわけで、また、今、バスの中だ。 今朝のニュースを見ていたら、今年の春闘のことについて報じられていた。全員の賃金を底上げする、いわゆる「ベースアップ」はこの不景気で見込めないようだが、「定期昇給」のストップだけは食い止めようと、連合の方々も頑張っているようだ。 実際は、春闘と言っても、大企業の労働者達のお話のような気がする。札幌のような地方の中小零細企業には関係のないことだろう。 日本の場合、学校で習ったのだが、全体の労働者のおよそ三割は、公務員や大企業の労働者だが、残り七割は中小零細企業の労働者。後者の方がずっと人数が多いのだ……。 年が明けたとおもったら、もう月末に近い。早いものだ。 先週末、愛用のスプリンター君を車検に出す予定だったが、延び延びとなり、今週末には持っていかないと、もう間に合わない。 俺は、いつもこうだ。なんでも、ギリギリになってから、やろうとする。 小学校の時の夏休みの宿題なども、いつもギリギリになってからやっていた。 ●明日できることを今日するな。 そんな、ことわざがスペインにはあるそうだ。遠藤周作氏の「ぐうたら生活入門」の中に引用されていた言葉。 あれもこれもと、なんでもパキパキと出来るタイプではないから、今、仕事に 関しても、大きな転換を考えている。平成四年に社労士を開業して以来の大転換になるだろう。 この大転換は数年がかりで行う予定だ。 従来通り、アナログでの活動を重視しながら、 ●専門分野の特化 それから、 ●インターネットの最大活用 この二点である。 まあ、今、四十五歳の俺が、五十になる頃にでも実現していればよろしい。 そのためには、更に勉強、勉強、勉強……。 元来、ぐうたらな人間である。 我ながら努力家なのだが、ぐうたらなのである。幾つものことを、器用に手際よく処理できない。そういうことは、どちらかというと女性の方が向いている、と思う。パートのおばちゃんの方が俺より数段、上手である。 要は、業務を高度化したい。 もっと早く気がつくべきだったが、俺は、若い頃いくつか勤務した社会保険労務士事務所での仕事のやり方にこだわり過ぎていた。自己の適性というものを全く忘れていた。 ●ぐうたら生活 良い響きの言葉である。 俺にとっては、自分の適性を生かした生活の仕方という意味になる。 ぐうたらな人間が生き残る道。それは、 ●高度化 であると思う。 だから、最近の俺の日記は、勉強、勉強、とうるさい……。 時間のかかることだから、数年は、潜伏するように生活しようとも思う。いや、一生かな? 華やかな表舞台があまり向かず、かといって縁の下の力もちにもなれず……。 中途半端な自分は、ぐうたら生活の中で、ひたすら努力して、牙を磨こう……。
2010.01.27
昨日から、うちで補助者登録している親友が、俺の代わりに、ホームページ作成スクールに通っている。 毎日通って、約一週間のコースだ。 ホームページビルダーを使っての講座らしい。 テンプレートをダウンロードするにしても、どうやらホームページビルダーの知識は必要らしい。 テンプレートだけで、ホームページビルダー無しで、ホームページ作成するのは、かなりの上級編であると聞いた。 妻も、ネットショップを開くと意気込んでいるが、妻は、ホームページビルダーを使う気はあまりないようだ。 スクールに通う前、詳しい人に時給を払って、マンツーマンで教えてもらおうという意見もあったが、人を探すのは時間がかかるし、ホームページ作成スクールも、ほぼマンツーマンに近い形みたいなのでスクールを選択した。 補助者登録している親友は、これからも毎日、自分のノート型パソコンを持って、地下鉄に乗り、大谷地のスクールまで通う。お疲れ様である。 俺のきょうの予定は、これからハローワークにいって、事務所に戻り、場合によっては息子を幼稚園まで迎えに行き、しばらく内勤してから郵便局などに行き書類を発送したりして、その後は、きょうは夜まで、厚生年金法・国民年金法の勉強となる。 予定とは、くるうものだが、予定、スケジュールは、ないよりあった方が良い。 今月当初は、月末までにホームページ作成する意気込みだったが、無理があった。 さて、きょうはどこまで予定を実行できるだろうか。 マイペースで頑張ろう!
2010.01.26
皮膚科、間にあった。 「凄く悪化しているわねえ」 と女医に言われて、普通の薬では治らないからと、抗生物質入りのステロイド薬を大量にもらった。我ながらよく、ここまで放置していたものだと思う。 帰宅して、少し眠ってから風呂に入り、風呂上がりに全身に抗生物質とステロイド入りの塗り薬を塗った。 今度こそ良くなるだろう。 薬は、様々な種類を、半年分もらった。おかげで全部で六千円もかかってしまったが、仕方ない。 今夜は、痒みも取れて、ぐっすり眠れそうだ。
2010.01.25
仕事が終わったので、これから、ようやく、皮膚科に行ける、というか、もう地下鉄で皮膚科に向かっている。 電話で確認したら、本日は夜6時まで受付とのことだったので、急がねばならない。 俺のかかりつけの皮膚科は、待ち時間が少なく、一度に大量の薬をくれるので、助かっている。 一度いったら半年分くらいの分量の薬をくれるのだ。 サービス、スピード、大満足である。 そこの皮膚科には、大学一年生の時から通っているから、長い付き合いだ。 院長も奥さんも、ともに皮膚科医で、夫婦で一緒に働いている病院である。 院長夫婦も、昔は若かったが、年をとった……。 跡継ぎは、いるのだろうか……。 我が身を振り返ると、たとえ俺のような超零細事業主でも、我が子が跡を次いでくれたら嬉しいものだと思っている。 勿論、本人の意向もあるから、無理強いはしないが……。 高校生くらいになってから、 「僕も社労士になるよ」 なあんて言われたら、俺はハッチャキになって事業の拡大を試みることだろう。 一方では、この、いつまで続くか分からない大不況の中、息子に自営業なんてやって欲しくないという思いも強い。 公務員か、条件の良い大企業に入ってもらいたいとも思う。 親の心とは、我ながら、複雑なものだ。
2010.01.25
最近、小説を読んでいない……。 思えば、俺は青春時代、様々な小説を乱読していた。 学生時代はSF少年だった。 今朝方、なぜか、アーノルド・シュワルツネッガー主演で昔、映画化もされた、「コナン・ザ ・グレート」や、その原作の数々のことを思い出していた。 ああ、俺にもロマンと神秘に満ちた夢みる少年の時代があった! いま、俺は、法律書しか読まなくなった。 勿論、楽しんで読んでいる訳ではない。格好よく言えば、もっと大きな使命感によって読んでいる。 今週はまた、大きな書店で労働法がらみの本をごっそり買う予定だ。 30歳過ぎまで、少年ジャンプも欠かさず読んでいた。 思えば、少年ジャンプを読まなくなったあたりが、俺の青春の終わった頃だったのだろう。 今、漫画も一切、読んでいない。 数年前、浦沢直樹さんの劇画、「モンスター」に、ひどく感銘を受けた記憶はある。新田たつおさんの「静かなるドン」も読んでいた。 繰り返すが、今は実務書しか読まなくなったァ……。 子供ができて、俺の楽しみは、今、六歳の息子に集中してしまっている。 息子が遊んだり、ご飯たべている姿を見ているだけでも楽しい……。 ●老いた…… と思う。 興味のあることは、生と死だとか、人間の生き方だとか、哲学、積極的な意味での宗教などに 限られてきている。 あと、息子の将来のこととか……。子供達の未来のこととか……。 若い頃さんざん遊んだ影響か、最近は、女性に対する関心も薄れてきている……。 大学生の頃は、暇さえあれば、ススキノのストリップ劇場に通っていた。あの時のワクワク感も、既に遠いものとなった。 平安時代の貴族は、大体30歳くらいの年齢になると出家して、山林に庵(いおり)を結んで求道の道に入るのが理想とされていた、と、昔、ある書物で読んだ。 俺は、もうすぐ46歳……。出家こそしないけれども、人生哲学的な、求道の生き方をしようと思っている。 すなわち、自らの死を見つめた生き方…長生きも仕事もするつもりだが、今後の人生は、死への準備の時間だと考えている。 消極的意味ではない。 俺は、限られた時間、死を抱きしめながら、情熱的に生きる所存だ。 ●命限りあり。惜しむべからず。 もっと、大きな使命の為に生きたい。大儀の為に生きたい。 と、自分の理想を述べてみたが、現実の俺、今の俺は、煩悩まみれの汚いオヤジではある。 若いお姉ちゃんを見ると条件反射のようにセクハラ発言がでるし、なるべくなら、ダラダラと楽をしたい思いも強い。不潔でもある。 しかし、理想は理想だ。 残された人生、俺は生と死と、未来だけを見つめて生きる。強く、熱く!
2010.01.25
ステロイドたっぷりのフルコートを全身に塗ってから数時間経過した。 驚くべきことに、全身のアトピーの赤みや腫れが、引いた……。 ステロイドって、凄い! 別に薬を服用しなくても、ステロイドって、人間の体内、……副腎から、分泌されている物質で、実はあらゆる病気の特効薬、万能薬らしい。体内で分泌されるステロイドに関してはね。医療用の外部からのステロイドの投与はリスクが伴うが……。 精神面に関しても、正常にステロイドが体内から分泌されている人間は、ストレスに強く、ノイローゼなどにもなりにくいと聞く。 ところが現代人は、体内で分泌されている以上のストレスにさらされている……。 ほとんどの人が、体内分泌のステロイドが足りない状態らしい。 体内分泌のステロイドの増加を促進させる方法がある。 食事だ。 ビタミンB3や、ミネラル、亜鉛、ビタミンE、カルシウムなどを、正しく摂取すると、副腎からのステロイドの分泌は促進される。 これによって、アトピーなどの疾病のみならず、精神病すら、治ってしまうという。 俺は、鬱っ気があるから、数年前、カナダから、これらのステロイドの分泌を促進させるサプリメントの商品を輸入して、服用していた。服用している期間は、アトピーが治ったのみならず、景色の見え方まで綺麗に見えてきて、驚いたものだ。 だから、現代人は、体内のステロイド分泌に関しては、常に、栄養失調の状態にあると言える。 こんな話がある。 大昔の話だが、精神病院に勤務する栄養師の男性が、院長の許可を得て、「玄米正食」と言われる、玄米と野菜を中心とした、バランスのとれた食事を入院患者に与えたそうだ。 すると、またたく間に、精神病で入院している患者が全員完治してしまい、慌てた院長は、玄米正食の投与を中止するように、その栄養師の男性に命じたそうである。 納得いかなかったその栄養師の男性は、医学会で、これらの出来事、心と食事の関係について発表したが、当然のように黙殺されたという。 以前、ディスカバリーチャンネルでも、精神疾患と食事療法の関係について報道しているドキュメンタリーがあった。やっぱり、同じような趣旨のことが、番組内の実験で、立証されていた。 この件に関しては、俺も、精神疾患と食事療法に関する本を読んで、研究していた時代がある。 導き出された結論としては、鬱病や統合失調症は、食事の改善や、サプリメントの大量服用によって治る……と断言できる。 ただ、こういったサプリメントの商品は、日本にはまだないから、研究が進んだ海外から輸入するしかない。 俺の場合は、毎月の高価なサプリメント代を払いきれず、服用を中断した。そうして今、アトピーで苦しんでいる。 特に、ビタミンB3の大量服用は、俺の実体験だが、アトピーは完治する。 ビタミンB3に関しては、もう一つ、世界の製薬会社や医学界が必死に隠している効能がある。それは、統合失調症に関して、ビタミンB3・ナイアシンアミドの大量服用に関するものだ。 断言するが、 ●統合失調症は、ビタミンB3の大量服用によって完治する……。これは、やはり製薬会社等によって黙殺されてしまったが、ノーベル賞を受けた、あの有名なホーリング博士などの研究によって立証されている既成事実である。 医療マフィアという言葉がある。 実は、精神病を含めて、大半の病気は、正しい食事やサプリメントの服用によって治ることを、製薬会社や医学界は、末端に配属された洗脳された医師たちを使って、隠蔽している! その結果、現代人は、薬漬けになってしまった。 医学の進歩は現代人に恩恵をもたらした。 しかし、食事で治る病気については、まず、食事で予防するべきだし、医師が匙を投げ出した症状については、食事や漢方、サプリメントに頼るべきだと思う。 皆さんは、末端の医師のことを信用し過ぎなのだ。彼等もまた、長いカリキュラムを通じて、医療マフィアを代表とするシステムに洗脳されているのです。
2010.01.24
うーん、突然ですが、世の中にはSMマニア、多いですね。 SMの中でも特異なのが、M女性の存在です。 男女とも、Sの方々は、俺も含めて、別に異性無しでも、SM無しでも生きていけるんですよ。 なのにM女性というのは、どうしてもパートナーがいないと、自分の存在意義の確認行為ができないようですな。 俺は、若い頃は、本当に、お酒と女性に溺れて、どうしょうもない時代がありました。ナンパ、ナンパの毎日だった時期もありますから、まあ、我ながら、マイナス経験豊富なオンヤズです。 常に、自分で、マイ鞭、マイ蝋燭、マイ縄など、SM道具をもち歩いている真性M女性がいました。 よく話を聞いてみると、美人でスタイルの良い方でしたが、心療内科にも通院しているとのことでした。 独身時代の、大昔のお話ですが、その真性M女さんとは、もちろんラブホに行きました。 ……凄い体験でした。俺は、当然のように、ドSですから、彼女の持っている色々な道具を使わせてもらった……。 盛り上がって来た時、彼女、お道具袋の中の道具では、もの足りなくなったのか、自分の着ていた服の、ズシリと重い皮のベルトを持ってきて、これで鞭打ってくれ、と言います。ご要望通りにしました。 「もっと強く!」 「もっと、もっと……」 と、彼女は言って、いくら鞭打っても満足しませんでした。 最後には、全身、血だらけ、傷だらけになっていました。ボロボロになっていました。 ●真性M女,恐るべし! 半殺し状態にならないと、きっと自己確認行為として、無意味だったのでしょうねえ……。 彼女とは、その後しばらく関係がありました。 今でも、年に一回くらい、携帯に電話がかかってきます。今じゃ、すっかり、俺は彼女の「心の悩み相談係り」になりました。勿論、肉体関係はありません。誤解のないように……。 昔から、俺は、女性からよく、 「話しやすい」 と言われ、色々な相談などを承ってきました。 社会保険労務士などにならず、臨床心理士などのカウンセラーが適職だったのかもしれません。 まあ、将来の一つの夢として、人事・労務コンサルティングの一環としてのメンタルヘルス業務は何時も考えています。一昨年には、うちで登録している補助者で大学の同級生の友人に、産業カウンセラーという資格を取得してもらいました。 SMは、神経症(死語?)などとも連関する、心の闇がもたらすプレイでしょうねえ。また、真性M女性というのは、命じられるままに、本当に何でもするものです。 最近は、 ●どうして、AC、アダルトチルドレンの女性にM女性が多いのか ということを考えています。 結局、ほとんどは幼児体験から来ているんですよねえ……。子供時代の虐待体験など……。 そうしてM女性ほど、実は真実の愛情を求めているものです。幼年期の親との愛情関係の欠落が窺われます。本当に愛している人になら、殺されてもいいと考えているのが真性M女性だと思います。だから、勘違いした単なる乱暴者のS男性が、M女性に接近したがるのは、タブーですよ。 こないだ、ゲイの方々との交流のお話を書きました。 セックスって、男女とも、とても興味深くて大切な行為ですが、趣向は、本当に千差万別ですね。 SMクラブの女王様から、又聞きした話ですが、一流企業の社長が、裸でベランダに出されて、動物のように、 「ウォワオォ~ンッ!」 と雄叫びを上げていた例があったそうです。 ベランダで全裸で雄叫びを上げなければ解決しない何かが、きっと彼の中にはあったのでしょう。 きっと、社会が複雑化して、人間がついていけなくなってきている面も否めないと思います。 ひとつだけ恐ろしいなァ……と思うのは、潜在的にゲイの男性が、ゲイであることを自覚せず、その攻撃性を女性に向ける形の「S」です。そこに愛情はありませんから、単なる誤解が生んだ残忍なプレイになってしまいます。そうして、ネット上などで見かける「自称ドS」の方々には、日記などよんでいると、このパターンの方々がいかに多いことか! ●Sだと自認する貴方、実は潜在的に、貴方は女性なのではありませんか? 結論としては、SもMも存在しない、いわば、「弥勒の世の到来」が期待されます。 どちらも心の闇が生み出すプレイです。
2010.01.22
アメブロ始めて、一週間くらいになるが、全くもって、不可解な世界だ。よくわからん。とりあえず、日記は、毎日更新しているが、今のところ、Googleしても、ケータイ一般サイトでしか、アメブロの自分のブログがヒットしない。PCサイトはいつになったら、ヒットするのか? また、楽天ブログなどと違って、リンクの仕方が分からない。 そもそも、普通のホームページの一件のリンクと、ブログの一件のリンクは、重みが違うというか検索エンジンに差別されているような気がするのも、ここ数年、体験的に学んだ。ブログのリンクは、ホームページのリンクに比べて一件あたりの価値が低い……。 超機械音痴の俺だが、今、アメブロという壁を破ろうと思っている。 なにせかにせ、愚痴は言っても、ネットとは面白い世界である。
2010.01.22
朝、便所事務所に出勤したら、ペットボトルに入っていた水がガチガチに凍っていた。 どういう訳か、便所事務所の気温は、外気より低い気がする。 はやく、便所事務所を脱出したい……。 寒いのは、暑いのよりずっと苦手だ。 俺は北海道に住むのは、向いていないのかもしれない。 両親や親戚のしがらみがなくなって、今の仕事のやり方も変えたならば、俺は遠い将来、東京か沖縄あたりに移住するかもしれない。 しかし、こんなことを思うのは、冬だからであって、春から秋にかけての北海道の過ごしやすさ、札幌市の利便性の良さを思うと、やっぱり一生、札幌市に住むのかなァ、とも思う。 俺は生まれたのは札幌市中央区、ススキノのはずれにあった産婦人科だが、実際の「故郷」と言える場所は、札幌市の中でも特に田舎の、西区、平和である。 今も住んでいる平和の里の春から秋にかけての自然の素晴らしさは、住んだ者でなければ、分からないだろう。 ●住む どこかに移住するにしても、やはり、自然の豊かな場所がいい。 暖かい地域がいい。 病院、図書館、書店、スーパーなど、ライフラインの高度に整備された地域がいい。 つまり、寒くさえなければ、札幌は理想的な住まいと言える。 ところが、札幌市の冬は、寒い! 稚内や旭川ほどではないが、冬は凍える……。 札幌市がもし暖かかったら? 移住者が増えて、人口が急増するような気がする。 今、札幌の人口、約190万人。ただでさえ増えすぎた人口が、これ以上増えるのは、住民としては、不本意だから、まあ、寒いくらいが、ちょうどいいんですかねえ……。 ああ、それにしても、北海道に住んでいる限り、冬は冬眠したいと思うのは俺だけだろうか。
2010.01.22
俺の愛用の平成八年車、トヨタ、スプリンターくん……。 今度の2月3日が車検の満了する日である。間もなく、車検を取りに行かねばならない。 きょうは午前中、内勤してから、午後、図書館に行って、労働法関連の本を数冊と、年金関連の本を数冊かりてから、札幌陸運支局に向かった。 なぜ、陸運支局にいったのかというと、こないだ、俺はスプリンター君の車検証を紛失していたことに気づいて、 「ヤバい」 と思い続けていたのだ。 ちょうど一年くらい前の1月、息子を幼稚園に送りに行く途中で、主婦ドライバーが一時停止を無視して、スプリンター君に追突してきたのだ。 たしかあの時、車の修理屋さんに求められて車検証をFAXした覚えがある。どうもあの時、俺は他の書類と間違えて車検証を廃棄してしまったようだ。 つまり、気がついたのは、ついこないだだけれども、俺は一年間も車に車検証を置かずに運転していたことになる……。なんということか。 そこで、遅ればせながら、きょう、陸運支局に車検証の再交付の申し込みをしに行った次第……。 窓口で申請書と印紙を買って、記入して提出したら、あっという間に名前を呼ばれて、新しい車検証を受け取ることができた。 そのスピードたるや、まるで区役所で住民票の交付を受けるような手軽さと料金で、非常に助かった。 ただ、札幌陸運支局は、俺の住む平和の里から、比較的遠方にあり、しかも今日は路面の状態が非常にわるかったので、渋滞しつつ、片道一時間以上かけて帰宅した。 車検の時は、いつも、モダ石油・札幌メガドックでやってもらっている。おそらく、札幌市内では一番安く車検の取れる工場ではないだろうか。 今のスプリンター君、買ってから、もう八年にもなる。買った時は中古で、確か七十万円か八十万円した。ところが去年、ぶつけられた時に保険屋さんに言われたのだが、今ではもう、十五万円の価値しかないとのお話であった。 ポンコツだと思われるだろうが、買ってから、まだ一度も故障していない。トヨタ車は、よく走る。走行距離はもう少しで10万キロに達するから、何だったっけ……ターニングベルト(?)の交換は必要になるだろうが、今のスプリンター君には乗り倒してやろうと希望している。車なんて、動けば何でもいい、という主義である。 機械音痴の俺は、もちろん、車音痴でもある訳だが、数年前、トヨタとホンダの両方に勤務した経験のある方から、 「トヨタ車は、走るよォ」 と聞いている。一般的には、二十万キロ以上の走行も楽勝らしい。 だから、スプリンター君には、まだまだ活躍してもらう予定だが、さて、どうなることやら……。
2010.01.21
願いごとというのは、デカい程、よいと思う。 願いごとにも色々ある。 彼女が欲しいとか、イケメンの彼氏をものにしたいとか、あれが食べたい、これが食べたい、海外旅行がしたい、親孝行したい、年収をアップさせたい、……等々、様々である。 企業経営者であれば、まずは、業績アップを願うし、労働者は、より、やりがいのある仕事を得て、昇級や良好な人間関係を願う。 願いごとといっても様々……。 元気のない疲れた人は、元気になることを願う。 今、日本人全体が、元気がない。一億総鬱と言われてから、久しい。現に俺も、去年、一昨年と、ひどく疲れきっていた。過去の日記が如実に物語っている。 ちょっと、オカルティックになるが、昔、アメリカにエドガー・ケイシーという方がいた。あの有名な「眠れる預言者」である。 たかがスピリチュアリストの言葉と思うなかれ。彼の正体がいったい何者だったか、この際、どうでもいいのだ。 エドガー・ケイシーは、元気になる方法、あるいは、成功する方法について、ヒーリングの中でこのようなことを言っている。 なるべく遠くの将来に向かって、大きな目標を持て、と。その目標とは、賛否はともかく敬虔なキリスト教徒だった彼に言わせると、宗教的なものがいいらしい。精神的なもの、……といいかえることもできるかもしれない。 例えば人類みんなが真に幸福になることを願う。エドガー・ケイシー流に言えば、信仰心にもとずいて、願う。日本人にクリスチャンは少ないから、例えば自分なりの精神性にもとずいて願ってもいいと思うし、信仰を持っている方ならば、自分の信仰に基づいたねがいがいい。般若心経を信じる方は、空観に基づいて願えばよろしいし、禅の好きな方は、自分の中の仏性に基づいて願えばよい。天台宗の方は、法華経の祈りで願えばよいし、日蓮を信奉している方は、妙法にもとずいて願えばよい。つまり、即仏的な願いではなく、精神性をともなったデカい願いがよろしいという趣旨になると思う。 例えば、未来、人類みんなが覚醒して、誰もが物心両面ともども充実した社会の実現を願う。願うというより、祈る。祈りが、真実になった時、世界平和は、その人自身の個人的な真実となる。 遠くのデカい目標を持つ。 そのことによって、現在の自分が燃え立つといった趣旨のことをケイシーは言っている。その目標が精神性の高いものであればあるほど、不思議なことに、シンクロニシティーが頻発して、現在の事象すら、奇跡的にプラス方向へと動くのだ。 ●未来への大願を抱くことによって、現在の自分が燃え立ち、大願ではない、現在の、ささいな願望が実現する。 ケイシーの言いたかったことは、そういうことであったと思う。 だから、例えば企業経営者にしても、単に即物的に、自分の会社を一部上場企業にしようとか100万長者になろうとか思っているうちは、願いはかなわないと思う。 企業経営者の例を出したから、その線でお話するが、 ●まず、より純度の高い精神性で、未来の理想的な社会の建設を、自分の願いとして本物にする。 ●そうして、そうした社会建設の為に、今、自分が人類に、どんな貢献ができるかと真剣に考え現在の自分を燃え立たせる。 ●自分の会社が、未来の理想的社会建設の礎になることを願うとともに、その方向に向かって現実に努力していく。 そうした流れの中で、個人に起こったシンクロニシティーが会社にも起こり、幸運が掛け算のようにやってきて、現在の、例えば一部上場への夢は実現する。 ケイシーのいいたかったことを拡大解釈するとそういうことになると思う。 俺はケイシー自体は、別に尊敬もしていないし、半ば、眉唾ものの人物であると思っている。しょせん、オカルティストであろう。 ただ、いいことを言っている。その思索なり、言葉自体は、喜んで受け入れよう。 いつも例に出す中世、日本人の古聖もこんな言葉を残している。 ●なんじ願わくば大願(だいがん)を抱きたまえ ……と。 残念なことに、俺は事業欲も金銭欲もあまりない。だから、一部上場企業を作ろうなどとは、ハナから願っていない。 若い頃の俺の願いは、ただ一つ! ●女 だった。本当に好きな人と結婚したいと思っていた。そうして、本当に好きな人が現れた。しかし、振られて毒蛇のごとくに嫌われて、周囲からも本人からも、交際にいたることは絶対にないと断言され続けた。 俺は、ケイシー流の願望実現法を実践した。願いが真に精神的純度が高くなった時、もう、彼女との交際など、そんなささいな願望などどうでもよくなっていた。ただ、未来への大願にもとずいて、彼女の人生が幸せでありますようにと祈り続けてはいた。 奇跡はおこった。 ある日を境に、彼女の方から、ことあるごとに、俺に接近してくるようになった。そうして、気がついたら、絶対不可能と言われ続けた彼女との交際が実現していた……。 その彼女とは、今の俺の実の息子の母親で同居人でもある人と同一人物である……。 ●大願 幸福へのキーワードである。
2010.01.20
地下鉄の中で、通勤途中などに、よく文庫版の小説を読んでいる方々をお見受けする。小説に限らす、地下鉄の中で、読書している方々は多い。 去年の俺は、いつも心に余裕がなく、マイナス思考であり、とうてい電車の中で読書する気力が湧かなかったものだ。 読書している人に共通して言えるのは、まず、表情が穏やかでリラックスしており、体つきも、どこか、しなやかで柔軟に感じられたものだ。 おれも、最近になってようやく、電車やバスの中で本を読む、ゆとりのようなものが出てきたかな? と、感じている。 そういえば、自宅での読書を含めて、この二年くらいは、ほとんど本というものを読んでいなかった。 今、労働法全書 の労働基準法の条文から判例、行政通達まで、暗記するほど、とことん読み込んでやろうじゃないか、という野望がある。 俺の経験では、勉強している時間というのは、長期的に見るならば、どんなに時給の高い仕事よりも更に時給が高いと信じている。 小説はまあ、いくらよんでも作家にならないかぎり収入にはつながらないが、生活を豊かにする。 十六歳からはじまって、俺の青春は、まさしく小説とともにあった。 過ぎたるは及ばざるが如し、ではないが、俺は小説を含めて、読書のし過ぎで、すっかり阿呆になってしまった……後悔しているといえば、後悔している……。 これからは、夢物語的な書物ではなく、現実的な法律の実務書なども、電車の中で読める人間になるつもりだ。 そういう人間に変わることが今年の目標の一つである。 勉強、勉強、更に勉強……。 法律実務家というものは、他の商売と違って、仕入れというものがない。勉強が仕入れである。 専門分野のオーソリティになることによって、オンライン・オフライン問わず小手先の営業をしなくても、お客さんというものは自然に寄ってくるものだろう。 そういう訳で、これから更に、社会保険や人事労務全般の中でも、俺は更に労働法の勉強を極めたいと思っている。 俺は、日本一、労働法に詳しい社会保険労務士になりたい!
2010.01.20
腹減った。なんか美味いもの食べたいなァ。 俺は、かなり粗食なのだが、今、珍しく美味いものくいたい、と思っている。 昔は、勿論、食い気より色気の方が先行していた。 俺の好きな食べ物は、まず、チーズケーキ。今、チーズケーキをバケツに一杯食いたい心境である。 そういえば朝から殆ど何も食べていない。 寿司くいてェ! 蕎麦屋で、蛯名天セイロ食いてェ! 絶品ものの札幌ラーメン食いてェ! 今、札幌西区の琴似にいる。車の中だ。色々な食堂みえる。おっとモスバーガーの看板が見えた。モスバーガー10個くらい食いてェ! 食いてェ! 食いてェ!
2010.01.19
こないだ、職業安定所に書類提出にいったら、大先輩の社労士さんに久しぶりに会って、挨拶した。やはり、書類提出に来ていたようだった。 その大先輩の社労士さん、もう八十歳を超えている筈なのに、未だに現役で頑張っているようだった。 そういえば、俺の父も、今年でちょうど八十歳になるが、健康で、未だにある会社の役員をやって、土曜、日曜となく働いている。ラジオ局のパーソナリティまでやっている。 一般にサラリーマンは、六十歳定年で、勤務延長などなければ、隠居の準備に取りかかる方が多いと思う。年金が満額出るのは、現在、65歳からだから、それまで厚生年金の報酬比例部分や預貯金、退職金、アルバイトなどで凌いでいると思われる。 俺なんかの世代だと、年金もアテにならんし、六十歳とか六十五歳過ぎても働くしかない。 その点、自営業には定年がないから、働けるうちは働こうと思っている。 俺は若いうち、遊んでばかりいたし、仕事にも社会還元の意識なく、ただ漠然と取り組んでいたから、随分と時間を無駄にしたと思っている。まあ、何事も体験で、何らかの意味はあったとは思っているが……。 俺は、思うに、父親ほど体が頑健ではない。だから、八十歳を超えても現役を続けるのは無理なような気がする。 ●七十五歳 きょう、色々と考えていて、できれば七十五歳までは、現役で働こうと思っていた。 七十五歳というと、今、四十五歳だから、あと三十年か……。 息子も三十六歳になっており、本人の希望があるならば、跡を次がせたいなァ、などと想像していた。 跡つぎがいると思えば、これからの仕事にも張りが出る。 今、世界は、大恐慌の入り口に突入しており、今後、二十年や三十年は、今以上の不景気が続くと思われるし、公務員や優良な大企業に息子が就職できればいいが、そうもいかない可能性が高いだろう。 それにしても、俺は七十五歳まで生きられるだろうか。 人間は、常に死と隣あわせの生き物である。 先頃、昔の遊び仲間の女性の妹さんが突然、心臓発作で亡くなった。まだ、三十歳そこそこの年齢だった。亡くなった妹さんとも、若い頃は、一緒にススキノでドンチャン騒ぎした仲だったので、俺はかなりショックだった。離婚して、若い頃から続けているファッションモデルの仕事をしながら、一人息子を育てていた。その、まだ小学生の息子の気持ちを思うと、尚更、やるせない気持ちになった。 死は、いつ訪れるか分からないから、後悔のないように、死を見つめつつ、今を生きたい。 これまで、俺は、親友や幼なじみ、お世話になった人や親戚、知人等々……かなり、まだ若い年齢の方々の死を体験してきた。 俺は、輪廻転生も死後の存在も信じているから、亡くなった方々にしても、肉体が無くなっただけで、厳然として「生きている」と確信している。 だから自分自身でも死はあまり恐れていない。死は終わりではなく、歓喜を伴った始まりであろうと信じている。 中世の日本の古聖は、 ●生も歓喜、死も歓喜 という言葉を残している。 とはいえ、この現実世界に使命があるならば、できるだけ長くとどまりたい、と希望するものである。長く生きて、これからは、未来のより良い社会建設の為の礎になりたい。 若い頃は、働くことが大嫌いだったが、ちょうど今、転換期にあるのだろう。俺は、進んで仕事に打ち込みたいと思うようになりつつある。これから年齢を重ねるにつれ、その気持ちは強まることだろう。 いつ、訪れるかもしれない死をしっかりと抱きしめながら、生ある限り、行動の人でありたいと思う。 さっきと同じ東洋の古聖の言葉で、筆を置くこととしよう。 いわく、 ●臨終ただ今にあり 死を孕んでいきるからこそ、現在の生が光る、という意味である。
2010.01.18
時々おもう……。 第二次世界大戦……。 あの惨劇から、人類はまだ、六十数年しか経ていない。 人類は、あれだけの惨劇を自ら作り出してしまったのだから、本当は100年間は精神的に喪に服するべきではないか、と思うのは俺だけだろうか。 毎年、夏になると、俺は墓参りの帰り道、学校法人の北海学園内にある、戦死した若者達への鎮魂の銅像である、本郷新氏製作の「わだつみ像」に、手を合わせてきた。 それが、去年に限っては、母親が倒れたり、マイナス思考の酷い時期であったりして、精神的に余裕がなく、わだつみ像に手を合わせに行くことができなかった……。 後悔している。 もう二度と、あのような惨劇が繰り返されることが無いことを祈るばかりだが、今の平和は、核兵器という凶器の傘の下での平和であり、真の平和ではない。 たった六十数年前にあれだけの「悲惨」があったのに、テレビをつけるとお笑い芸人が裸になって踊っているし、俺が言えたガラでもないのだが、世界中の歓楽街は今夜も賑わうことだろう。こうしたことに奇妙な違和感を覚えるのは俺だけだろうか。 ●第二次世界大戦では、日本が本当に悪かったのか。 この件については、何年か前、図書館通い詰め作戦で、やはり、相当に調べた。 以前にも書いたと思うから、詳細は省略するが、どうも本当の加害者は欧米人であったようだ。むしろ日本は、結果的にアジアやアフリカの植民地支配の道を絶った働きをした。結果論に過ぎないけれど。 欧米人は、アジア人である日本人と戦うことで、それまで神のように君臨していた植民地の民に、恥をさらしてしまった。それが発端となり、世界各国で独立の気運が高まった面は否定しようがない。 とはいえ、当時の日本の軍部は、全く愚かな戦争に突入してしまったものだ。政治家と軍人、しいては、当時の日本に蔓延していた「思想」に原因はあると思う。 確かに、ロシア人が日本から目と鼻の先のウラジオストクまで侵入して来ていた。アメリカからは、「ハルノート」という屈辱的な要求を突きつけられていた。 欧米人達は、世界各地で、ケタ違いの暴虐を繰り広げていた。 しかし……。 これも結果論に過ぎないが、戦争に突入するべきではなかった。 戦後、マッカーサー以下GHQによってもたらされたものは、一言で言えば、 ●日本人骨ぬき作戦 だったとは言えまいか。 しかし……。 たった一つ、マッカーサーは日本人によいプレゼントをくれた。 それは、信教の自由や、思想、信条の自由である。これにより、日本人は、国家神道という戦前の亡霊から解放された。これだけは評価できる。 その対価のように、一例を挙げるならば、髪の色を金髪にして、目に茶色や青色のコンタクトを入れた亡霊のような日本人の若者達ができてしまった。 ●なぜ、髪の毛を欧米人のように、金色や茶色に染めるのか。 最近では、大の大人までが、茶髪にしている者がいる状態だ。 あまりに、烏合の衆まる出しではないか? 欧米人は、日本人から思想を奪った。たとえ、間違えた思想でも、人間は、何も信じないよりは何かを信じた方がマシである。サンマの頭も信仰から、である。 一方では、そんな風にも思う。 ●戦争の真の原因とは何か。 勿論、経済的な需要と供給のバランスが崩れた時に戦争が起こる……とは、学校で習った。国内で供給過多となり、新しい市場(需要)を求めて海外進出するのが戦争(帝国主義)の原因である、……とガッコでならったが……。 戦争の原因はそれだけではない。 図書館通い詰め作戦の中でつかんだ情報だが、どうも、アメリカやイギリスの奥の院には、とんでもない権力を持った秘密の集団がある。 ●彼らが戦争を計画的に引き起こしてきた。 いうまでもなく、俺は陰謀論者ではない。 しかし、そうした秘密の組織があることは、これはどうも、疑う余地もなく、間違いない。 彼等自身が、情報を攪乱する為に色々な嘘の情報も流しているから、その真の姿は本当にわかりずらいが、彼等が実在することと、今現在も世界の政治経済や、バチカンを実質的に支配していることは、間違いない。彼等が悪魔崇拝していることも、俺は「薔薇十字」の研究等で、確信している。 これから、春がきて、また、同じように夏がやってくる。 終戦の夏……。 第二次世界大戦。 あれから、まだ六十数年しか経過していない……。 人類は、せめて100年間は喪に服するべきではあるまいか……。
2010.01.18
最近、朝おきるのがキツい。息子が何度も起こしに来るが、なかなかベッドから出られない。 去年は、もう6時くらいになったら目覚めてベッドから出ていたものだ。 去年は、マイナス思考に取り憑かれていた一年だったが、朝は起きられた。大抵は、悪夢を見て目覚めることが多かったような気がする。 こんなマイナス思考ではいけないと覚悟して、俺は去年の12月の中旬頃から、少しキツいが、古来伝統ある、ある精神的な修行に毎日はげむようになった。瞑想と祈りを合体させたような、非常に効果のある修行法である。みるみるうちにマイナス思考は消滅して、朝、悪夢も見なくなった。仕事にも前向きに取り組めるようになった。 ところが、こんどは、朝、起きるのがキツくなった。 なぜか。 悪夢は見なくなって、今度は精神的にメッセージ性の高い夢を多く見るようになり、見た夢について、その意味をベッドの中で考えたり、寝ぼけながら反芻しているうちに、夢の世界から離れ難く、ベッドから出ずらくなってしまっている。そうして、毎日、息子や妻に叩き起こされるはめになる……。 きょうも少し、寝坊した。 このままでは、いけないなァ、と思う。 できれば五時半には起きて即座に行動できるような態勢にもっていきたいのだが……。 ブンガクの道で、一頃親しくさせてもらっていた男性の先輩がいる。 彼は、サラリーマンをやっていて、小説執筆の時間がないからと、毎日、早朝に起きて、少しずつ、小説を書いていた。やがて、全国区の文学賞を二つ受賞して、サラリーマンは続けているが、作家になることができた……。 どんな人間にも平等に与えられているのは、一つには、誰にでも訪れる「死」であると思う。 そうして、もう一つ平等なのが、「時間」だ。1日24時間は、全人類共通である。人生とは、この時間の連なりに他ならない。 ●時を無駄にすることなかれ。人生は時にてなれば。 そんな格言もある。 誰にでも平等に与えられた時の中で、いかに、自分に合った行動をするか……勝負の分かれ道である。 俺は、仕事上の文章を書くことは苦痛ではないし、プライベートでも文章作成は大好きだ。 ところが、社労士の仕事、離職票を書き続けたり、賃金計算など、そういった作業が延々と続くと気が滅入るタイプだ。だから、これからの理想としては、社労士のルーティンワークは、パートさんなどに任せて、俺は就業規則や内容証明など、文章作成の仕事に専念したいと思っているが……道のりは遠い。まずは、便所事務所から脱出しなければ、パートさんは来てくれないだろう。 とまれ、時間というものの有効活用は重要である。 俺のサラリーマン経験から言えば、本当に、習慣のようにダラダラと残業している方々が多かった。残業手当を支給する経営者にとってはいい迷惑だし、ご本人達にとっても、時間の無駄である。 定時の間、合理的に必死に働いて、できれば残業はしない! 飲み屋などに寄らず、はやく自宅に帰って、何か自分のライフワークに専念する。家族とも、食卓を共にする。そういう生活が、サラリーマンにとっても経営者にとっても理想的ではないだろうか。 ただ、人間、ぼーっとする時間、これも大切である。はやく会社から帰宅して、ぼーっとしてから行動に移ればいい。通勤電車の中で、ぼーっとするもよし。全ては、工夫である。 俺は、細かい事務処理は苦手だが、文章ならば、寝ないで何十時間でも書き続けることができる。そこいらあたりに自己の適性があるような気がする。 俺も今年、46歳になる。残された人生の時間も限られたものとなってきた。 適性のある行動の連続で、時間をより有効活用したくなってきた。 その為には、新しい人生設計なり、時間活用が必要であり課題である。 時間活用の設計図を自分で作れるというところが、自営業の特権である。 設計図づくりに失敗したら、悲惨である。俺はこれまで、その設計図すらなく、ただ闇雲に、生きていただけだったような気がする。 繰り返す! 「時を無駄にすることなかれ。人生は時にてなれば」
2010.01.18
六歳の息子が最近、近くに寄ってきては、小声で、 「男と男の甘いひととき……」 と囁く。 「どこでそんな言葉覚えたの?」 と尋ねると、自分なりに考えたギャグであるという……。 一瞬、もしかしたら、この子はゲイになるのではないかと不安が走る。 俺は、ゲイやニューハーフに偏見はないが、我が子には、やっぱり、ノーマルになって欲しいと思う。 偏見がないどころか、俺は若い頃、ススキノのオカマバーやホモバーに頻繁に遊びに行っていた。 おれ自体は「ノンケ」で、根っからの女好きで、ゲイでもバイでもないのだが、ニューハーフを含めて、ゲイの方達というのは、誠に頭が良く、センスのいい方達が多かったから面白くて出入りしていた。 フィリピン人ニューハーフ専門店の「カサマルコス」の女の子達(?)が共同生活している部屋に泊まったこともあるし、当時、全国放送のテレビにも出ていた日本人ニューハーフの方とデートしたこともある。 ススキノには、ゲイの集まる女人禁制の店しか入っていないビルが2つある。女人禁制の店にいくと、店員さんも客もみんなゲイで、俺にやけに親切にしてくれて居心地よかったし、料金も、そこいらのパブと変わらず、安かった。 ゲイの方達に言わせると、俺はゲイにモテるあらゆる条件を満たしているそうであった。ノンケで、長身で、特に顔の造りがゲイ受けする典型であると言われた。 複雑な気分になったものだ。 本来、オカマとか、ホモという言い方は、ゲイの方から聞いたのだが、差別用語らしい。ちゃんと、ニューハーフとか、ゲイとか言わねばならない。 ひとつ、言っておくが、一般にオカマバーと言われる店の「オカマ」さんは、俺の経験では、半分以上が、なんちゃってオカマである。つまり、仕事の時だけオカマのふりをしている男性達な訳だ。奥さんやお子さんのいる方々も多い。 女人禁制のゲイバーは、正真正銘の、ゲイの方々の集まりである。 俺は、後者の方が、面白く感じた。 盛り上がり方も、物凄く、こんなに楽しい世界はないんじゃなかろうかと思っている。 それにしても、女人禁制のゲイバーのお客さんは、凄く格好いい男性が多かった。いかにも女性からもてそうな男ばかりの印象だったが、当の御本人達が、女性に興味ない、男にしか愛情をもてないのだから仕方ない。 不思議なことに、ゲイの方々というのは、同じゲイの男性より、いわゆるノンケ、根っからの女好きの男性が好きらしい。どういう心理なのかは分からないのだが……。 だから、俺のような女好きのノンケは、とても大切にされて居心地がよかった。 あの頃、よくやっていたイタズラがある。 何も知らない友人などを女人禁制のゲイバーに連れて行き、酒を飲ませて、周囲の客と親しくさせる。彼が周囲に馴染み、他の客とも意気投合したあたりで、おもむろに、 「どう? ホモバーって面白いだろ」 と、ここがホモバーであることを打ち明ける。 たいていの友人は、唇が白くなり、驚愕の為、表示すら凍りついたものだ。そうして、俺は、 「じゃ、俺、用事あるから、楽しんでね」 と言って、友人をホモバーに一人、置き去りにして帰るのである。大変な快感だった! ●男と男の甘いひととき…… いったい、男が男を性的に好きになるとはどんな心理なのだろう。 そうして、ゲイの方々というのは、どうして、普通の男以上に有能な方々が多いのだろうか……。 息子には勿論、ノンケになってもらいたい。孫の顔みたいし……。 しかし、もし仮に息子がゲイになったとしても、俺の息子に対する愛情は変わらないだろう。 ゲイもレズも、同じ人間に変わりはない。
2010.01.17
子供の頃から、アトピー性皮膚炎だった。 薬を切らしてしまって、ゆうべは全身が痒くてほとんど眠れなかった。まいった……。 たかがアトピーと思われるかもしれないが、ちゃんと治療しないと精神障害に至るケースもあるという。 そういえば、昨日テレビのニュースで見たが、赤ん坊がアトピー性皮膚炎を悪化させて死亡した、という。 なんでも親が、ある宗教団体の信者で、アトピー性皮膚炎を祈りや祈祷によって治そうとしたのが原因だったらしい……痛ましい話である。 そういえば、大昔、俺の親戚が若くして、盲腸をこじらせて若くして亡くなっている。やっぱり親が、ある宗教団体の信者で、 「神様からもらった体に傷をつけられん!」 と言って手術を拒んだのが原因らしい。なんということか。 俺は宗教そのものには肯定派だが、間違った宗教は人間を死に至らしめるものだと痛感する。 さて、俺のアトピーだが、今、風呂に入ってクリームを塗ったら大分、楽になった。 昔、通信制高校の講師をしていた頃、知的障害を起こしている男子生徒がいた。いつも体を掻いたり、くぬらせたりしているから、Tシャツをめくって見てみたら、全身がひどいアトピーだった。治療はしていないとの話だった。 「この子の障害はアトピーが原因だな」 と俺はピンときて、副校長にそのことを報告した。それなのに副校長は、そのことを信じなかったのか、父兄にアトピーの治療を依頼しなかったようだ。 ステロイドの副作用を恐れてアトピーの治療を放棄している親がいるが、アトピーには、こうした精神障害など色々な副産物があることも頭に入れておいてもらいたい。 俺は医者じゃないが、アトピーの患者としては、プロである。 俺だけに効いた方法かもしれないが、数年前、ちょっとした訳ありで、ビタミンB3、いわゆるナイアシンアミドをアメリカから輸入して、大量摂取していたことがある。アトピーを治す動機で摂取していた訳ではないのだが、ビタミンB3を大量摂取し始めて1ヶ月過ぎた頃、全身にできていたアトピーが全部消えてしまった経験がある。 その後、ビタミンB3の大量摂取を中断したら、またアトピーとなり、ビタミンB3摂取を再開したらまた完治した。ビタミンB3には皮膚を綺麗にする作用があるというが、大量摂取した場合、アトピーは治る。 そのことを俺は自分の体験談として、かかりつけの皮膚科医に話して、 「研究して学会で発表して欲しい」 と頼んだのだが、見事に断られてしまった。 もし、皮膚科医の方や研究者の方で、このブログを読んでいる方がいたら、ナイアシンアミドの大量摂取とアトピー性皮膚炎の治癒について研究してもらえないだろうか。 まあ、もし、ビタミンB3の摂取イコール、アトピー性皮膚炎の治癒という常識が一般的になってしまったら、製薬会社も皮膚炎医も非常に困るだろうから、実現にはいたらないだろうが……。
2010.01.17
きょう、アメブロに登録したが、使い方がいまいち分からない。ずいぶんと色々な機能があって面白そうなのだが……。 さっそく日記を投稿したが、誰か読んでくれているかな? 楽天ブログの方はmixiと同じ内容の日記を投稿している。もうすぐ、アクセス数、五万に達する。mixiのアクセス数はもうじき六万……。 最近、楽天ブログの方から、アメブロに引っ越しする方が増えているような気がする。 別に引っ越ししなくても、同じ日記を二重に投稿すれば良いような気もする。 それから、きょうは、雪かきが終わってから、ツイッターに登録しようと、携帯から試みたが、どうも上手くいかない。PCからじゃないと無理なのかな? 最近、うちのデスクトップのウィンドウズがご臨終を迎えてしまったから、うちには今、まともに使えるパソコンがノートしかない。 このノート、なぜか、反応が悪いというか「重い」というか、非常に使いずらい。 こないだ電気屋さんに電話してイーモバイルのことを色々聞いた。 なんだか、今いちである。 デスクトップのパソコンを早いうちに購入したいが……。 別にビジネスがらみじゃなくても、俺は文章を書くのが本能のような人間だから、ネット上で沢山の文章を書けることは、単純に嬉しい。 色々ためしているが、今の所、mixiが一番楽しい。俺にあっているような気がする。楽天ブログの方は投稿はするが、ほぼ、放置状態だ。コメントも受け付けないように設定している。 楽天ブログでコメントを受け付けるように設定すると、変なエロエロなサイトの宣伝のコメントばかり入って迷惑である。 ああ、もっとネットに詳しくなりたい。パソコン操作にも詳しくなりたい。 ネットデビューが遅すぎた。 しかし、趣味としても、ネットは非常に面白い。 俺は十六歳から大学ノートに日記を綴ってきたが、同じ日記ならばブログの方が良い。 メールマガジンというものは、最近、下火らしいが、メールマガジンにも挑戦しようと思っているし、自分の小説のホームページも作りたい。 まだまだ、勉強不足だが、楽しみながら、頑張りたい。
2010.01.16
そう言えば年末、お客さんに招待されて、ニュークラブという所に行った。 俺は、若い頃、相当に遊んだ人間だが、あの頃は、女の子というものは自分で調達するものだと思っていたから、女性から接客サービスを受けるような店にはほとんど行ったことがない。女性の調達方法は、主に、路上ナンパにコンパであった。 札幌に、ラッドブラザーズという外人客が多く料金の安いショットバーがあり、その店でもよくナンパした。 もう、あの頃から十五年にもなる……。 当時はお酒と女性に溺れて、社労士事務所も途中でやめてしまっていた。 遊びに大金を使うという考えが皆無だったし、貧乏だったから、女友達や遊び仲間の男友達と、ススキノのデリーズで酒を買って、無断で高いビルの屋上に登り、夏場、豊平川の花火大会をみながら宴会したのは良い思い出だ。 ビルの屋上で、原価で仲間と酒を飲むという体験は、よくやったが、全く愉快な体験だった。 こないだ連れて行ってもらったニュークラブのお姉ちゃん達は、綺麗な子が多かった。 なんでも店内に美容室があって、自前でメイクアップしているそうであった。 目の保養にはなったが、所詮は希薄な人間関係である。 口説いてみたところで、ホステスにとっては、お客さんは大切な「商品」だろうから、どんなにいい男がきても、お客さんである限り、手をつけるのはタブーだろうと思う。 若い頃、ホステスのいる店にはあまり行かなかったが、現役ホステスとは、プライベートで結構あそんだ。ホステスは、仕事である以上、お客さんに本気でアプローチできないから、毎日、男に接している割に、意外にも男女関係において寂しい思いをしている方が多いことも当時、知った。 その頃、一緒に遊んでいた女の子も、今では三十代後半になっている。四十歳を過ぎた子もいる。 今でも時々あったり、メール交換している。ほとんどは、もう、結婚してママさんになっている……。 昔、肩で風を切って派手に遊んでいた子にこないだメールしたら、 「今、子供にチチやっているから後にしてくれ」 だとさ。 ママになり、真面目な亭主を捕まえて、今、地味に静かに暮らしているようだった。 当時、俺は、まだ若かったし、酒で頭がいかれていたから、ナンパもしたが、よく喧嘩もした。外人と喧嘩することが多かった。警察のお世話にもなりました。 俺は、若い頃遊んだせいか、最近は、遊ぼうという思いが皆無に近い。ススキノにも、飽きた。 ニュークラブという所は、自分でお金払っていないからアレだけど、相当に高価らしい……。 きっとホステスの給料もいいのだろう。 今の俺は、お姉ちゃんのいる店に行くより、家族で串鳥などに行き、焼き鳥を息子に腹一杯食わせたい、と思う。 それに、最近は、遊びより仕事のことを考える方が楽しい。 まあ、色々な青春がある。 俺の青春はススキノで遊んでいるうちに終わってしまった。 それもまた、よし……。 だいたい、若い男というものは、エロエロじゃなかったら困る。おゲレツパワーが、少子化対策への特効薬だ。 若いうちにしっかり遊んでいないと、オヤジになってから、浮気したり、中高年を過ぎてからの歓楽街デビューとなる。金で愛人を囲ったり……。 四十歳も過ぎたら、仕事や家庭、あるいは自己の適性を社会還元する年代である。 生と死や、人生について、深く考える年齢の筈である。 こうしている間にも、ススキノを含めて、日本全国の歓楽街は賑わっていることだろう。 合掌……。
2010.01.16
朝おきたら凄い雪。 一昨日、テレビのニュースで俺の住んでいる札幌市西区の平和地区を、「札幌で一番雪の多い地区」と報道していた。 平和の里も高齢化が進んだ。お年寄りには、この大雪は大変だろう。 雪に負けて、他の街に引っ越していく高齢者も多いくらいだ。 少し寝坊したので、急いで雪に埋まっている車を救出して、母の病院へいき、見舞い。 見舞いが終わってから、今は、自分のかかりつけの病院の待合室で、呼ばれるのを待っている。 帰宅したら、また、雪かきだ。 俺の雪かきのやり方は雑だから、雪かきやってもまた妻に叱られることだろう。 札幌市は、今年は、除雪費を予算削減したそうだ。 こないだの報道でも、その一例として、俺の住んでいる西区平和地区を取り上げていた。 だいたいの土建会社は、冬に仕事がないから、除雪の仕事で凌いでいると思う。だから、予算削減は、土建会社の経営、しいてはその家族の生活にも影響を及ぼす訳である。 平和の里に住んでいると、雪は深いし、自然は豊かだしで、強制的に季節の移り変わりを実感させられる。 自然の豊さにひかれて、平和の里に住んでいる住人も多いらしい。 平和の里は、標高が高く、札幌テレビ塔の頂上より高い位置にあり、手稲山の 一号目にあたる。 こんな田舎、こんな雪の多い不便な場所からは、なるべく早く引っ越ししたい、と妻はいう。 しかし、俺は真駒内から平和に引っ越してきた小学校五年生から、ずっと平和に住んでいる。平和で育ち、平和で家を買い事務所を構え、犬を飼ってくらしている。 とはいえ、冬になると確かに平和にいると雪で気が滅入る。 母も倒れ、もう自宅に戻ることはなさそうだ。 もっと雪の少ない地区のマンションなどに引っ越してもいいかな?
2010.01.16
きょう、ある組織の相当に高い地位にある先輩が我が家に遊びにきた。 色々なことを話した。 その人が、こんなことを言っていた。 「精神的な革命を真に成し遂げた人が、人口の一割に達したら、波紋は一気に広がり、精神的人間が爆発的に増える」 と。 101匹目の猿の例を出してそんな話をしていた。 今、世の中は、いや、地球全体が、 ●悲惨 の二文字に溢れている。 悲惨の二文字をなくしたい。 餓死していく子供達。貧困ゆえに、自分の子を売る親。疫病。戦争……。 国内に目を転じても、身を売る娘達、中高年の自殺、過労死、心の求心力を失って街を漂う若者達、年金生活者の貧困問題……例を上げればきりがない。 ●世界を変えることは難しいが自分を変えることは可能である。 確かユングがそんな言葉を残していたと思う。 ユングのいう精神革命とは、自我と集合的無意識の統合であった。 もし仮に、それを成し遂げた人が一定の割合に達したら……101匹目の猿の現象は起こる……と信じている。 我々を取り巻く現実とは、人間全体の無意識の投影であると思う。 目覚めた人間の数が臨界点に達したら、地震などの自然現象すら、平穏なものになると信じる。 その時、人類みなが、豊かであり富に溢れて、人間の寿命は伸び、病気はなくなり、誰もが大芸術家であり大事業家であり……。吹く風は枝を鳴らさず、雨は絹糸のように穏やかに降り……。 ヘロドトスの「歴史」という書をご存知の方は多いだろう。俺は読んだことはないが、冒頭部分にこんなことが書かれていたらしい。 昔、極めて平和な時代があった。人間の寿命は非常に長く、百歳くらいの人間がまだ少年扱いされていた時代があった……。 旧約聖書に記されている「失楽園」以前の時代のことであろうか。それを、俺は決して迷信だとは思わない。 一部では常識になっているが、旧約聖書は、古代シュメールの粘土版や言い伝えを、書物として編集し直したものである。俺は一頃、図書館に通いつめて、新約聖書はローマのペソ一族によって代々にわたり捏造された 創作であることは、突き止めた。 古代の聖者、クリシュナは馬小屋で生まれて、十字架で張り付けになり、復活を遂げたという物語がある。古代、十字架で処刑された聖人は十数名に渡るという。それらの聖者達の人生のものがたりをダイジェスト版のように、まとめたのが新約聖書である。作成の動機は、人間の内なる神性を外に神を作ることによって隠蔽しようとした……民衆を支配しやすくするために……。事実はダビィンチコードどころの話ではない! 新約聖書が捏造だという話は、随分前にも書いたからこのへんにしておくが、イエスキリストという主人公に匹敵する、いやそれ以上の聖者が古代、現実に何人も実在したのは、紛れもない事実だと思う。 話が横路にそれた。 俺は、今を生きる現代人である。煩悩が強く、エロ親父で、自分中心であり、決して上等な人間ではない。 しかし、例えば千年後、ヘロドトスが書き残したような時代が再現されるならば、その礎になってもいい、犠牲になってもいい、と思っている。 もちろん、現代、今においても、例えばユングのいう精神革命を成し遂げた人間は、現実も心の思うままに幸せになれると思う。芸術家であれば本物の作品を残せるだろう。事業家であれば巨万の富を得るだろう。……ただし、法難は起こる、……これは覚悟せねばなるまい。 俺は、今を生きる。千年後、一万年後の真に平和な世界の実現の為に、今を生きる!
2010.01.15
俺の経験では、共産主義者には良き人が多い、と思う。 正義感が強く、貧しい人々への救済の思いが強く、熱血な人が多かったように思う。弱者の見方であり、社会変革への思いも強い。 共産主義というものは、動機は非常に良いものだと思う。 一点の根底的間違いがあり、せっかくの良い思想を、180度、意味のないものにしてしまっている。 ●唯物論 これである。 共産主義とは、いうまでもなく、マルクスが、ヘーゲルの弁証法を唯物論的に思索して生み出した思想である。 人間、誰にでもある神性というか、仏性(ぶっしょう)を一切認めないから、共産主義下では、特定の権力者を神格化したり、民衆を単なる国家の構成分子である「物質」としてしか見ないから、大量虐殺などの酷いことができた、と思う。 ●共産主義は資本主義と同じくらい、ひどい社会を生み出した だから、共産主義は唯物論を改めたら、新しい社会の根底原理として理想的かもしれないと思うのは、俺だけだろうか。 唯物論を改めるということは、有神論を根底にするということだ。この場合の有神論は、キリスト教の「神」ではなく、人間誰もが、本来、生きたまま「仏」であるという東洋の大乗仏教的な有神論が良い。 ●魚をあげたら、もらった人は1日、飢えることがないが、魚の釣り方を教えたならば、教えられた人は毎日飢えることがない……。 そんな言葉を聞いたことがある。 よく、共産党の方が貧しい人々に炊き出しを振る舞っている風景に出会う。確かにその日は飢えないだろう。 人間がみんなもっている爆発的な生きる力を引き出す方法を教えたら、教えられた人は生涯、強く生きていける。 俺は、直感的に、共産主義と同じくらいヒドい原理である資本主義は、俺の息子が生きている間くらいの、そんなに遠くない未来に崩壊すると思っている。 新しい社会原理が必要である。 その社会原理は、まあ、表現は適切でないが、 ●有神論的共産主義 これが良い、と信じる。
2010.01.15
テレビで大阪、あいりん地区に関する番組をみた。 毎年、冬になると何人も凍死する、という。 仕事がある日は宿泊所にとまり、仕事がない日は路上生活。 手配師の提示する労働条件に、四十代後半の労働者が、日当が安いから、と断っていた。 その日当とは、7000円ないし8000円……。職種は警備員。 結局、その労働 者は日当が一万円の土方の仕事に出かけて行った。 札幌市では、路上生活者というのは、俺は見かけたことはない。もし路上生活者がいたら全員凍死してしまう。地下街などに一部、ホームレスはいるが……。 それにしても、経験のない土方の日当が一万円とは、札幌市の水準よりも、ずっと高いと思う。常用の土方でも、日当一万円はなかなか貰えない。未経験の警備員も日当八千円は無理だ。 四十代の人間がアルバイトしようと思ったら、札幌市では、だいたい最低賃金に近い職場しかないのではないだろうか。いったい、日当に換算するといくらになるか。 やっぱり、たとえ大阪でも、あいりん地区ですら、本州は賃金水準が高いんだなァ、……と思った。 近場の札幌市では、仕事の無い四十代、五十代はどうしているのだろう? 今、札幌市では、三十代ですら、アルバイトや派遣ですら、何度も何度も面接で落ちて、ようやく仕事にありつく状態だろう。 こないだ、五十前の知り合いの方から、何かアルバイトはないか、と電話があった。正社員の就職は、落ちつづけて、もうあきらめたそうである……。 一頃、年収三百万円時代をどう生き抜くか、というような本が流行したが、北海道の場合、貧困世帯は、三百万円どころか、だいたい二百万円に手が届かない程度が普通ではないだろうか。 やりきれない……。 北海道は家賃が安いから……とも思うが、札幌市の場合、埼玉や千葉の田舎と家賃に大差ないそうじゃないか。 ●景気 どうやったらよくなるのだろう。学校で習ったケインズ経済学によると、景気が落ち込んだ時は公共投資を増やす……これが基本だと、経済に疎い俺でも分かる。 ところが今の政府は公共投資を増やすどころか逆のことをやっているような気がする。 どうなる? 日本。 俺のような何の力も無い人間は、世の中の片隅で祈ることしかできない……。
2010.01.15
ホームページ作成に悪戦苦闘していた。 思いの一念の強さによって、俺は、どんな壁も破れると思っていたが、やはり根っからの大の機械音痴……。 既存のホームページは、妻がつくったものだが、最初、テンプレートをダウンロードしようとしたらしいのだけど、文字化けしたり色々あって断念したそうだ。 俺の二番目の兄貴は、ネット詩人として活躍しており、ホームページ作成もお手のものだ。プロ以上のスキルがありその筋では有名人だ。兄貴に頼めば、それで済む……。 しかし、俺は複数のホームページを作るつもりだから、兄貴にSEO対策などは聞くことはできるが、ホームページ作成を頼んでも、一つのホームページだけでは次につながらないから、ホームページは自分で作るのだ、と決めていた。 実は、俺の大学の同級生で、うちの事務所で補助者登録している親友がいる。 その親友に、ホームページ作成スクールに通ってもらうことになった。 俺は彼から色々ききながら、自分でホームページを作ろう……という流れになった。 スクールに行けば間違いないだろう。 ネットビジネスは、俺にとっては超長期的事業であり、収益に繋がるとしても、ずっと先、未来のことだと考えている。それでいいのだ、と。 ホームページ作成スクールで一週間くらいみっちり修行して来てもらうことになった。 なんだか、少し前進した感じで、ホッとした。
2010.01.14
一昨年、脳右出血で倒れて、寝たきりの母の見舞いに行く度に、最近、母は俺に同じ話はがりする。 俺がまだ、四歳前後の年齢の頃、何年か、経済的事情で、母は仕事をせざるを得なくなり、幼い俺を一人アパートに置いて働きに出ていたそうだ。おそらくは保育園に預けるお金もなかったのだろう。 何十年も、母はそのことについて触れたことはなかったのに、倒れた今となって、 「あの頃は、お前に悪いことをした。悪いことをした……」 と、不自由な体で俺に謝る。 俺も、勿論、記憶にある。 四歳くらいの俺は、確かにいつも独りきりでいた。 よく覚えている。 確かあの頃住んでいたのは、札幌市の東区、北十三条の東十二丁目か十三丁目の安いアパートだった。 昭和四十三年頃のこと。 まだアパート付近は道路が舗装もされていなくて、アパートのすぐ前にドブが流れていた。高度成長期で、札幌の片田舎は、まだインフラの整備が完全ではなかった。 アパート付近には常に砂埃が巻き上がっており、子供が多くて、昭和三十年代を引きずっているような小さな街だった。 独りぼっちの俺は、よく、近所を一人で、うろついたり、アパートに帰っても誰もいないから、様々なことを空想して遊んでいた。 思えば、俺の空想癖は、あの頃はじまったのかもしれない。 同じアパートの隣室に、ケイコちゃんという五、六歳の女の子がいてよく遊んでくれたが、他の年上の子供達から俺は、だいたいいつも、イジメられていた。身なりが貧しく汚かったからだろうか。 四歳くらいの子供というものは、独りきりでも、辛いとか悲しいとか、自分では自覚しないものである。 だから俺も気分的には何でもなかったが、今思えば、高い所から飛び降りたり、車にひかれそうになったりと、危険なことばかりしていた。 母は働きながらも、俺のことが心配でならなかった、と、今になってから、告白する。 その後、小学校に上がる少し前くらいだろうか。きっとお金ができたのだろう。俺は、近所の大きな保育園に預けられた。しかし、その年頃まで、一人、野性的行動ばかりしていた俺だから、保育園に適応できず、ほんの短期間で保育園を辞めてしまった。 小学校に上がってからも空想癖は抜けるどころか、増大する一方で、今年、四十六歳になるつい最近まで、俺は空想してばかりの大人になった。 少し前まで、寝る前は、小学校時代から続いている、自分で創ったスペースオペラ物語を空想しては、楽しんでいた。 空想家の俺は、高校一年生の時から小説を書き始め、小説家を志すようになった。そうして今も、いい年こいて、あわよくば小説家になりたい! と思っている……。 小説家の井伏鱒二氏は、亡くなる直前、親しい者達に、 「文学を志してはいけない」 と遺言を残したそうだ。 きっと親密にしていた太宰治の生き様に接したことや、様々な思いがあったからだろう。 ●文学は、人を駄目にする。 と、昔、大学の文芸部の先輩に言われたことがある。 確かに一理あるとは思う。 同じように、 ●過度の空想癖も人を駄目にする と、俺は思う。 勿論、どうやったら世界がもっと平和になるか、とか、どうやったらもっと人の為にいい仕事ができるか、とか、身のある空想や文学ならば大歓迎たのだが、自分を含めて、単純な空想癖は現実逃避の道具にしかならないから、避けた方がいい、……と、母の告白を聞いてから俺は思うようになった。 そうして、最近ようやく、長年の空想癖を止めた。 俺は現実の中を生きる!
2010.01.13
携帯電話の充電器のコードが断線して通電しなくなった。携帯電話が使えなくなり、あわてて、近所のauショップに車を走らせた。 自分がいかに携帯電話に依存しているか、痛感した。 事務所の電話は常に携帯電話に転送になるようになっているし、楽天ブログやmixiの日記も、俺は主に携帯電話から書いている。 のみならず、お客さんとのメールのやりとりも、パソコンではなく携帯からやっている。 数百人分のアドレスや電話番号も携帯に入っている。 携帯電話依存症である。 充電器のコードが断線しただけで、我ながらこんなに慌てるとは思わなかったです。
2010.01.12
こないだ、一人で自営業をやっている独身の友人の、自宅兼事務所のアパートの部屋に遊びにいった。 この大不況で、仕事が減った為、自宅兼事務所を2LDKの部屋から、六畳間の個室に移した、という。 ベッドはなく、ソファーをベッド代わりにして、狭い部屋に小さな冷蔵庫、机、パソコン、書棚などを置き、空いている空間がない……。 その友人がこんなことを言っていた。 「こないだ、業務委託のメール便の配達の仕事の面接うけたよ。 週に三回、目一杯働いて、松尾さん、月にいくらになると思う? 二万円から三万円にしかならないんだってさ。 業務委託って、保険などかけない分、通常より報酬高いのが普通だろ? ただ単に最低賃金免れる為に業務委託の制度を悪用しているんだよ。 そうして、面接したオッサンが言うには、続かない奴は根性ないんだってさ。 もう、メチャクチャな話だよ。人に仕事を委託する資格ない会社だった……」 確かにひどい話だと思った。 今、北海道の最低賃金は時給678円。 業務委託なら、労働法が適用にならないから、極端に安い報酬でうまくやっているわけだ。 勿論、その友人は面接の段階で、断ったそうだが、履歴書が帰ってこなかったと怒っていた……。 そういう話を聞くにつけ、いま、本当に不況なんだなァ、と思う。 夫婦とも稼ぎでも、生計がままいかず、離婚に至るケースも増えているらしい。 バブルの頃の話をしても仕方ないが、バブルの頃、警備員のアルバイトの日当がマックスで二万円いっていたよ、と、こないだ、兄貴から聞いた。兄貴はその頃サラリーマンだったが、よほど退職して、警備員になろうかと真面目に考えたそうだ。 まったく、暮らしずらい時代になった。 そうそう、民主党が確かマニフェストで、アルバイトの最低賃金を1000円以上にするという話もあったのではなかったか。 あの話、どうなったのだろう。 俺は基本的には、例えばアルバイトであっても、働いている人が最低限の暮らしができる水準でないとマズいんでないかな? と思う。 となると、最低賃金を時給1000円にする話は、大歓迎なのだが、雇う方にも色々と事情がありまして……現に俺も一頃、時給700円でスタッフさんを雇用していた。だから、あまり偉そうなことは言えない。 再び、バブルの頃の話で恐縮だが、バブルの頃にも最低賃金というのはあった。 あの頃、他人様を本当に最低賃金近くで雇用している会社は皆無に近かった。最低賃金というものが、いわば、飾り物に過ぎなかったのだが……。 今は、最低賃金が、ある種、基準になってしまっている。 不景気なのだ……。 仕方がない……。 最低賃金を1000円以上にしたら、アルバイトの雇用が減るという話もあるが、実際はどうなのだろう。 わからない……
2010.01.10
少し眠ったら、風邪の症状が、かなり改善されました。まだ、治っていないけど……。 きょうは妻が息子を連れて西友に行き、ランドセルを買ってきた。 天使の羽。例のコマーシャルのやつ。 ランドセルなんて五千円くらいで買えると思っていたのは間違いで、なんと三万円もしたそうです。高いのになると五万円くらいのランドセルもあるらしい。 机にジャージに靴、ランドセル、文房具、入学式に着ていく服、などなどなど、金かかりますわァ! 小学校入学に当たって、買うもののリスト見せてもらったのだが、まあ、細々と色々あること……。 子供手当て、助かります! 幼稚園は、1月20日まで冬休みで、それが過ぎたら三学期で、卒園式、小学校の入学式となる。 小学校の入学式には、都合があわなくても、仕事を休んででも出席する予定。 そういえば、幼稚園の入園式の時、平日の昼間だというのに、ほとんどのお父さん達が出席していたのを思い出します。仕事休んで来ていたんだろうなァ。 それにしても、こないだまでハイハイしていた息子が、もうランドセルを背負う年頃になりつつある……。 感慨深いです。 初めて一人で歩いた息子をみた時、俺はどんなに嬉しかったろう。 子宝に勝る宝なし、という。 その大切な息子が、小学校という、本音を言えばあまり好ましくない場所に入っていく……。 俺は、もともと教師になろうと思っていたし、教員免許もってますよ。高校で講師をやった経験もあるが……。 正直言って、日本の教育は、あまり受けさせたくない……。 学校なんて行かせる必要ないと、いつか妻に言ったんですよ。そうしたら烈火のように怒ってね。 戦後、GHQが日本人を洗脳する為に作ったシステムです。また、日教組も、あれ、タチ悪すぎ。 学校はまず、正しい人間としての倫理を教える場所であるべきです。 その上で勉強を教えて欲しい。勉強にしても与えられた条件にただ反応する教え方ではなく、みずから考えて行動に繋がる勉強を教えて欲しい。それができていないのがいまの学校です。出来ていないどころか、いまの中学生の数人に一人は抑鬱状態にあるという……。 教育は、国家百年の計です。 俺の父親は小学校の教師だったが、子供に暴力を振るう教頭を若い頃、ぶん殴って、しばらく教師を退職していました。 不誠実な教師がいたら、殴り込みはかけないけれど、喧嘩しに行く覚悟です。
2010.01.09
俺の体は都合よくできていて、若い頃から、大抵、風邪を引く時は連休中である。 そういうワケで、また、風邪である。 鼻水がヒドい。微熱。体がダルい……。 そんなに重い風邪ではないから、救急病院など行かず、明日いっぱいで治してしまおう! それにしても、なんだかダルいなァ……。
2010.01.09
就職するならば、まずは、公務員か、労働組合のあるような大企業が良い。 それが、かなわないようならば、自分で、商売を始めなさい。 間違っても中小零細の会社で働かないこと……。 これは、小説家の宮本輝さんのお父さんの言葉として、ある小説に載っていた。 一理あると思うが、まあ、独断に満ちた言葉であるとも言える。 中小零細の会社の中にも、良い会社は多い。 しかし……。 実体は、サービス残業当たり前、人間関係が悪かったり、ストレスの溜まる割に給料の馬鹿安い中小零細の方が多い。 いわゆるブラック企業に勤務した経験があるが、もう、全てにおいて、ムチャクチャだった……。 お仕事である以上、あたわった仕事に一生懸命に適応しようとするのが日本人だ。 しかし、ブラック企業に適応することは愚かなことです。サッと、退職して見てはいかが? 俺は、ブラック企業に三回勤務しました。 徹夜当たり前、残業手当てなし、社内の異常なムード……耐えられなくて、一年と持たずに退職にいたりました。 ブラック企業に限って、退職する時に、なかなか退職させてくれなかったりもする。 ブラック企業の経営者の方々、いったい何を考えているんですか? 大不況の中、今は確かに仕事が少ない。もしかして、働かせてやっているだけ有り難く思え、とでも思っているのでしょうか。 内部告発が度重なり、労働基準監督署の調査が再三に渡り書類送検される経営者も多いのです。 今のところ、俺のお客さんは優良な会社ばかりで助かっています。 ブラック企業を顧問先にしようものなら、従業員の回転が早すぎて、社労士はパンクしちゃいます……。 また、習慣のように意味なく残業する従業員の方々、い加減にしてください。 残業手当は経営者が払っているのですよ。 残業が減らずに悩んでいる経営者の方々、多いのですよ。 自分で残業しておきながら、退職してから残業手当て未払い! と、監督署に駆け込むのは、やめませんか。 ブラック企業があるように、ブラック社員っていうのもいますわな……。 労働者には、労働基準法という強い見方があるけれど、経営者には経営者基準法などありません。 経営者を守る唯一のアイテムが就業規則でしょう。 就業規則は有効に活用するべきなのに、ほとんどの経営者は、多忙に紛れ、役に立たない、変な就業規則しか作っていなかったりする。 まあ、経営者も労働者も、それぞれ大変だなァ、と思います。会社がたち行かなくなって、五十代で自殺した先輩社長がいます。いつも、供養しています。 また、過労死の問題ね。働き過ぎて死にいたるとは、まるで地獄ですなァ……。 死ぬまで働く本人の性格にも問題はある……といったら、酷ですか? 話題は最初に戻りますが、宮本輝さんのお父さんの言ったように、俺は、公務員にも労働組合のある大企業にも就職できなかったから、一人で商売する道を選びました。 中小零細で働いて苦労している方々、もしも貴方が所帯持ちでないのなら、フリーターなどやりながら、虎視眈々と独立の機会をうかがうのが良いでしょう。 独立しても、食っていけないでしょう? って? フリーターやりながら独立すれば良いです。 だいたい、友人知人で、自分で商売している人達はアルバイト経験者ですよ。 みんなが起業意識を持ち、会社に、そっぽをむきはじめたら、面白いと思います。 通勤していたら給料もらえて当たり前と考えるのは、依存です。 いま、労働者が全員、起業家になってしまったら、どうなるだろうとSF的に考えてみました。 会社と、人間の、働き方の関係が大きく変わることでしょう。 労働者のいない世の中……これも面白いです。
2010.01.09
ツイッターって最近、流行してますね。 何でも、鳩山総理も毎日書いているみたいです。 まあ、ネット上の「ぼやき」のようなものなのでしょう。 俺もやろうかな?
2010.01.08
今日は1日内勤。 事務所のポータブルストーブの灯油をこぼしてしまい、えらい目にあった。 今日は昼過ぎまで、妻も所用で出かけていたため、六歳の息子は一人ぼっちのお留守番。 事務所から頻繁に息子に電話をかけて、安否を確認しながら、仕事していた。 息子……。4月からは、小学生だ。 よくここまで育ったなァ、と思うよ。 明日はちょい外勤で、明後日から三連休だ。 今度の三連休は再びホームページづくりの為、パソコンと格闘 しようと思っている!
2010.01.07
まだハシゴのなかった時代、どうしても高い所に登る必要のある状況下において、最初にハシゴを考えた人間の精神はどんなものだったのか……そんなことが、昔読んだ松下幸之助氏の本に書いてあった。 今は不可能に思えることも、どうしても、やらなければならない状況下になると、人間には新しい力……壁を破る力が湧いて来るものだ。 人間、行き詰まった時が、ハシゴを作るチャンスではないだろうか。 難局こそ、新しい発想なり、殻を破るチャンス! そういうわけで、今、俺には打ち破らなければならない壁が沢山ある。 自分でホームページ作成することも、その一つ。慣れた人には、チャチャッとできてしまうことが、機械音痴である今の俺にはできない。 昨日は、よほど人に頼もうとおもったのだが、奮起して、時間はかかるかもしれないが、やはり自分で作ることにした。俺は、関連分野ごとに沢山のホームページを作りたいから、一つのホームページだけ人に作ってもらっても、後々の可能性がなくなる……。 なにはともあれ、この、 ●壁を破る ということは、重要なことだ。 人が生活していくということは、壁に出会うことの連続ではないかと思う。 壁から逃げてばかりいたら、その人間の末路は悲惨だろう。 あきらめない勇気が必要だ。 こうしたことは、人生のいかなる局面においても、当てはまることだろう。 今年もまた、あなたや俺の前に必ず幾多の壁が現れることだろう。 避けて通るのか、壁を破るのか……幸せになる為の分かれ道! 頑張りましょう!
2010.01.06
また、深夜まで、今日は色々なビジネスのホームページを読みこんでいた。 社労士さんでも上位にランクされて、全国対応でやっている人のホームページは凄いなァ、と思ったです。 あれじゃ、仕事依頼したくもなる訳だ……。 今日は主に全国対応で仕事している社労士さんのホームページを、つぶさに観察いたしました。 結構、業者に頼んで作っている方多いんじゃないかなァ、と思った。 ただ総体的に社労士さんのホームページは真面目過ぎて面白みに欠けるとはおもったが、まあ、読者はだいたい不況下の経営者ですから、おちゃらける訳にもいかないのでしょうなァ。 色々なホームページを読むにつけ、現在の松尾事務所のホームページの情けなさを痛感する次第です。 きょう(もう明日か)、年金事務所から帰宅してから、ホームページビルダーの解説書をしばらく読んでいました。うーん、難しい……。 やっぱり、超パソコン音痴の俺がホームページ作るのは無理があるかも……。 詳しい人に頼もうかな……と、誘惑されそうだが、やっぱり、自分で作るのである。そう、決めたんだから、この壁は破らないとならないのだ! 今、時期的に暇だし。 ビジネス用のホームページ作れたら、趣味のホームページも作れるしね。 それにしても、ネットの世界も競争は熾烈みたいですねえ。社労士さんの色々なホームページみているだけでもそう思った。価格競争もありますねえ……。 なんだか、俺のブログ、当分はホームページ作成日記みたくなりそうです。 ドシロウトがどこまでできるか……。 お楽しみに!
2010.01.05
今日は午前中から、ホームページを作ろうと思って、色々な人に電話して、初歩的なことを尋ねた。マイミクの、せきかわさんの勧めで、テンプレートをダウンロードするやり方がいいという話になり、早速、パソコンとの格闘が始まった。 「ホームページ作成 超初心者 無料テンプレート」 などのキーワードで、Googleを検索しまくり読みまくりつつ、進まぬ作業に悪戦苦闘していた……。 専門用語の、タグとかHTMlだか、初歩的な用語もわからないまま、午後から夜にかけて更にパソコンと格闘……。 ようやく、気にいった無料のテンプレートをフォルダにダウンロードして、やったァ! と、思いきや、……今度はフォルダーにダウンロードしたデータが開かない、というか、画像化できない……作業がストップしてしまって、夜を迎えた。 ズブの素人には、やはり、ホームページ作成は1日では、到底、無理みたいです。 さて、次はどうするか? ホームページ、完成するその日まで、まだまだ悪戦苦闘は続きそうです。
2010.01.03
さあ、今年は張り切って生きるつもりです。今年は、いろいろな局面で困難な年になりそうですが、乗り切っていきます。 昨日、行政書士の丸山学先生の本など読みながら、新しいホームページの立ち上げを検討していました。 ただ漫然とホームページを立ち上げても、集客にならないと丸山先生の談。 今、うちの事務所のホームページは、その、悪い見本のようなホームページです。 前は妻に任せっきりでホームページ作りましたが、今回は一から俺が作ります。 早ければ、今月中にでも、新しいホームページ立ち上げてみたいと考えています。同時に、メールマガジンも発行することにしました。 まあ、仕事に関しては、そんなところです。 元旦。 さっき、母の見舞いに行ってきました。看護師の態度の悪さに少々、腹をたてながらも、生意気な看護師にお礼を言って頭を下げて帰ってきました。一頃の俺ならば、その看護婦を怒鳴っていたところですが、俺も去年いろいろとあって、大分まあるくなりました。 2010年……。 今年は、去年以上の大不景気になると思いますが、松下幸之助の本の題名じゃないが、 ●道は無限にある と考えて、様々な可能性に挑戦するつもりです。 この一年、皆さんにとっても良い年となることをお祈りいたします! お互い、頑張りましょう!!
2010.01.01
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