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「彌長久 世怡彌成 安楽楽 是者伊勢 善所伊勢」(やーとこせー よーいやなー あらら これはいせー よーいとこいせー)その昔より、伊勢信仰は、全国に布教されていました。江戸の時代に入り、布教活動の御師達や全国から伊勢参宮(お伊勢参り)をした人々によって、この伊勢地方で唄われていた木遣唄祝儀唄道中唄盆踊り唄座敷唄等が各地に持ち込まれ、各地で唄い継がれていきました。各地の人々は、この「お伊勢参りの土産物的存在の唄」を、「一生に一度でもいいから、参りたい」と、憧れていた伊勢の地名をつけて、「伊勢音頭」と呼ぶようになりました。先に記載した「彌長久 世怡彌成 安楽楽 是者伊勢 善所伊勢」(やーとこせー よーいやなー あらら これはいせー よーいとこいせー)は、「伊勢木遣」の掛け声ですが、この伊勢木遣が唄い広がったのは、戦国時代各地で土木工事や築城が盛んになり、土木職人や専任労働者が、その労働唄として石引き唄や木曳き唄と共に、伊勢木遣も多く唄われたと考えられます。 戦乱の世で、長らく中断していた御遷宮の復活。「御遷宮」とは、(20年に一度、神宮の神殿などを引越しし、神宝その他すべてを新しく整える神宮最大の祭典を「式年遷宮(しきねんせんぐう)」といいます。神宮神殿は、東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿に交互に建て替えられ引っ越しをします。2007年7月21日のニュ-スでもありました御遷宮が再興された永禄六年(西暦1564年)この頃より次第に伊勢木遣が盛んに唄われ広がっていきました。伊勢音頭のル-ツは、永禄の時代以降に伊勢木遣より派生したとも考えられています。この音頭は、伊勢参宮の行進唄として唄われると共に祝儀唄として棟上げ式井戸掘りの完成時結婚の披露宴等の慶事の際に唄い継がれてきた。これほど身近に存在した唱(愛唄)は、いつしか酒席である座敷唄として、津々浦々まで拡がっていきます。地域により、秋祭りには欠かせない唄となりました。
2007年07月21日
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日本国憲法第25条すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。同第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。公的年金とは、この憲法に沿った法律に基づいて、国が管理運営する年金制度であり、加入が義務付けられている制度ですよね。歳をとり、健康的な労働が困難になるか、企業には定年制度があり、一定の年齢が来ると、強制的にも退職を余儀なくされる。また、心身において社会生活に支障をきたす状態、不幸にして家族を支えるべき者を失い、家族の生活が困難になる事態を「国が守る事を目的とした社会保障」種類として、国民年金・厚生年金・共済年金等があります。当り前の国自体が制定した制度を、根本から捻じ曲げ、それを「お題目」のように選挙公約に唱えていますね。「当たり前の事」が、「一大事とした事柄を、棚に上げて」選挙戦略にするの?島の公民館放送で「国民~年金を~収めましょう~」と放送しながら、、、、。
2007年07月16日
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防衛庁(現在、防衛省)戦史室にある文書資料中の沖縄守備隊(第32軍)に関する項目。1945年6月23日沖縄での組織的な戦闘が、九十日間続き、圧倒的な戦闘不能になり、日本の沖縄守備隊(第32軍)司令部が壊滅した。事実上の戦闘は、一旦終了となる。しかし、壊滅眼前の沖縄守備隊(第32軍)司令部は、残存する兵士・部隊に対し「最後の一兵になるまで米軍に抵抗せよ」との、命令を下していた。その結果、沖縄守備隊の残存兵(ゲリラ化した日本兵)は、米軍の占領支配下で、辛くも生き延びていた沖縄に住む人々に対して、襲撃し、利敵行為として尋問から虐殺へ。又は、「戦闘継続」の名目による貴重な食糧を強奪。このような悲惨な事態が多発した。本土決戦を避ける為の防衛網である沖縄の前線を死守する目的であり、沖縄自体(島民)を守るためとは、一部違って解釈されていたのかもしれないですね。当初、沖縄に住む人々に対して、沖縄防衛の作戦上は、あくまでも島民の献身的な協力を強制する。しかし、現地日本軍自体は、沖縄の人々に対して、〔疑心暗鬼〕は払拭されないでいたのかもしれないですね。例えば、住民の方言(沖縄語)は、内地出身者には理解できないものがあるかと感じます。メンソーレハイサイニフェーデ-ビルガンジューヤイビーン等々文化や風習に至っても、今でこそ情報や人の行き来が頻繁な時代と違い、全くの未開の地と思えば、方言言葉を使おうものなら、スパイ活動とみなされるご時世。方言の使用の禁止米軍の島内上陸作戦のさなか、もし沖縄の言葉で会話した場合は、軍の方針では「スパイ」であり処刑も含む罰則を加えるという指示が下されていた。現に沖縄の記録には、「方言」を使用し、処刑された人もいた。ユタ(沖縄の民衆の中で生きてきた巫女)が、方言で祈っていた。そこを通りかかる内地の兵隊が、この光景と言葉を聞きつける。兵隊は、ユタをスパイ容疑として逮捕。首里に拠点を置く軍司令部に連行し、竹槍で突き殺して処刑した。という記録がります。そのユタは、琉球の神々に通じるように、沖縄の言葉で、こう祈っていたそうです。「このかつては豊かだった島を、破壊し略奪しようとしている〔米軍〕を、討ち滅ぼしてください」と、日本国の軍隊が、同じ日本人である沖縄に住む人々を、昔からの風習や言語の「不理解と無知」による故の虐殺。沖縄戦を戦った日本軍の中心部隊が、中国大陸から転用された師団だったこと。日本軍隊の基本的性格性から起こった事かもしれないですね。これから終戦(敗戦宣言)をする日まで続く。ただし、この内容についての討論は行いませんので、ご理解の程。
2007年07月08日
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