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「松竹梅」1、松は 千年(チトゥシ)ぬ 齢(ユワイ)を 保(タモ)ち 老(ウ)いてぃ 若(ワカ)やく サンサ 事(クトゥ)ぬ嬉(ウリ)しゃ メデタイ メデタイ 〔松は千年の歳月を保ちながら重ね老いていくが、いつまでも若葉を繁らせ嬉しい事よ〕2、庭ぬ 呉竹(クリダギ) 節々毎(フシブシグトゥ)に 君が 万代(ユルズユ)ぬ サンサ 齢(ユワイ)くみてぃ メデタイ メデタイ 〔庭の呉竹の節々ごとに、君の限りない喜びを込めて成長している〕3、軒端(ヌキバ)ぬ 梅(ンミ)は 初春(ハチハル)毎(グトゥ)に 花ん 匂いん サンサ 勝るなり メデタイ メデタイ 〔軒端の梅は、初春が来るごとに、花も匂いも勝って素晴らしい事よ〕4、君は百歳 私(ワシャ)九十九まで 共(ムル)に白髪ぬ サンサ 生(ハ)いるまでぃ メデタイ メデタイ 〔君は百歳まで、私は九十九歳まで、共に白髪が生えるまで長寿いたしましょう〕5、今日(キユ)ぬ 座敷(ザシチ)は 祝(ユワ)いぬ 座敷(ザシチ) 亀(カミ)が 歌いば サンサ 鶴(チル)や舞方(メカタ) メデタイ メデタイ 〔今日は目出度い祝いの座敷、鶴亀あやかり、歌い踊ってお祝いしましょう〕 「目出度節」の曲調で歌えば、気分はもう正月。
2004年12月31日
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沖縄民謡 「くば笠小(クバガサグヮ)」(本調子)サヨサー里前(サトゥメ)が 情(ナサ)きぬ くば笠小(ガサグヮ)里前(サトゥメ)が 情(ナサ)きぬ くば笠小(ガサグヮ)ちーいしてぃ ちーいしてぃ眺(ナガ)みてぃ 遊(アシ)ばな 語(カタ)らてぃ 遊(アシ)ばなや くば笠小(ガサグヮ)ハーリヌヨ ユイヤサー語(カタ)らてぃ 遊(アシ)ばなや〔貴方に頂いたクバ笠を、貴方から頂いたクバ笠を、お傍に置いて据え置いて、眺め楽しみ、語らいましょうね、貴方のくば笠(ハヤシ)語らい楽しみましょう〕サヨサー花染手巾(ハナズミ ティサジ)や 前(メェ)に結(ムシ)でぃ花染手巾(ハナズミ ティサジ)や 前(メェ)に結(ムシ)でぃ美(チュ)らむぬや 美(チュ)らむぬやくば笠 ソイソイ 女童(ミヤラビ)遊(アシ)ぶさや くば笠小(ガサグヮ)ハーリヌヨ ユイヤサー女童(ミヤラビ)遊(アシ)ぶさや〔花柄染めの手ぬぐいを前に結んで、花柄染めの手ぬぐいを前に結んで、美しいものだね美しいものだねクバ笠ソイソイ、乙女遊びの様だねクバ笠(ハヤシ)乙女遊びの様だね〕サヨサーかんしてぃ 美(チュ)らさや くば笠小(ガサグヮ)かんしてぃ うかさや恩義(ウンジ)とぅ ふくしんや くば笠小(ガサグヮ)美(チュ)らむぬや 美(チュ)らむぬやかんしてぃ 美(チュ)らさや くば笠小(ガサグヮ)ハーリヌヨユイヤサー 恩義(ウンジ)とぅ ふくしんや〔被せて美しいクバ笠を、被せて美しいクバ笠を、美しいものだね美しいものだね、被せて滑稽な事柄は、恩や義理と埃だよね、クバ笠(ハヤシ) 恩義と埃だよね〕サヨサー沖縄(ウツィナー)育(スダ)ちぬ くば笠小(ガサグヮ)沖縄(ウツィナー)育(スダ)ちぬ くば笠小(ガサグヮ)働(ハタラ)ち者(ムン) 働(ハタラ)ち者(ムン)雨風(アミカジ)うきてぃん 意地(イジ)りどぅ第一(デェイツィ)や くば笠小(ガサグヮ)ハーリヌヨユイヤサー意地(イジ)りどぅ 第一(デェイツィ)どぉ〔沖縄育ちのクバ笠は、沖縄育ちのクバ笠は、働き者です働き者です、雨風に耐える意志強く、忍耐一番意地一番だよクバ笠(ハヤシ)忍耐強が一番だよね〕 くば笠 バッチョロ笠 網代笠 文字入り 柿渋引き 陣 笠 網代笠 文字入り 【大名陣笠(上)】 三度笠3141 一文字笠3134 三笠山 焼印 「寿」 30個入
2006年01月02日
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人名「まんのーま」は、与人役職に就き、人頭税時代の百姓の願いを聞き、受け入れ実行した人物。 年中行事には、畑仕事を休ませ、三日間正月休みを与えた。 「1677年」(まんのーま)が、波照間島の首里大屋子(島長)に昇進任命を受けた時に、その功績を称え、作詞・作曲された。 「まんのーま節」(本調子)1、たきどぅんぬ 親(ウヤ)ぬ子(ファ)ぬ まんのーま 仲嵩(ナカダギ)ぬ 主(シュ)ぬ子(ファ)ぬ さとぅぬし 〔たきどぅん(竹富島)の前与人親の子、真武能マ、仲嵩(竹富島の異名)の前与人親の子、まんのーま里之子(サトヌシ)〕2、山(ヤマ)まふくんぬ いでぃまり まんのーま 野(ヌ)ゆぬ 木だ 本々(ムトムト)し 栄(サカ)いす 〔山福木の様に、諸木に貫出でて秀才の生まれであった、真武能マ、野原の一本木の枝葉が繁る様に繁栄した〕3、サカイチが 婿(ムク)築登之(チクドウヌ)が 婿(ムク)選(イラ)び マイチ 欲(フ)しゃい 〔サカイ賄女の婿は、築登之(チクドウヌ)、村中から選ばれたマイチ美人が欲しい〕4、親(ウヤ)ぬ子(ファ)や 親(ウヤ)似(二)どぅ てぃゆまり 主(シュ)ぬ子(ファ)や 主(シュ)似(ニ)どぅ 名(ナ)取(トゥ)ちゃる 〔前与人親の子供は、前与人親に似て政治手腕を賞賛された、前与人親の子供は、前与人親に似て村を治めが良く、島中から尊敬されている〕五、親(ウヤ)ぬ子(ファ)とぅ 赤豆(アカマミ)とぅ なりどぅ てぃゆむ 主(シュ)ぬ子(ファ)や 村(ムラ)だきどぅ 名(ナ)取(トゥ)ちゃる 〔前与人親の子供も、赤豆も実ってこそ役に立ち、村民から喜ばれる、前与人親の子供も、村の役人に任命されてこそ、初めて名誉になる〕6、正月(ションガズィ)ぬ 三日(ミーカ) 親廻(ウヤマー)るぬ 一日(プイトゥイ)どぅ 案内(アンナミ)ぬ てぃじらみぬ 欲(フ)しゃんどぅ 〔お正月の三日間は休養させ、親廻り(役人廻り)の歓待は一日で済むように、この(二大請願)が御免除御取り計らいの欲しさに〕7、竹富(タキドゥン)ぬ まんのーまに かかちゃる 仲嵩(ナカダギ)ぬ 里之子(サトヌシ)に ぬゆちゃる 〔竹富島のまんのーまに一任してくれ、仲嵩(ナカダギ)(竹富島の異名)里之子(サトヌシ)に全部任せてくれ〕「読み人知らず」作不明 正月前にお正月の大切さを今一度感じてみました。百姓には、人頭税があり、正月すら(年内行事すら)休む事を許されていなかった当時の時代背景を歌っています。 福木は、染色材料としても使われ、主にタンスや調度品の木工材料や防風の為に庭に植林されています。
2004年12月28日
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「1797年」石垣島・真謝村の目差役として当時23歳の「宮良当演」により謡われたと言い伝えられている。「1819年」宮良村の頭職に昇進した。 「白保(シラフ)節」(本調子)1、白保村(シラフムラ) 上(ウイ)なか 弥勒世(ミルクユ)ば 給(タボ)られ ユラティク ユラティク ブドゥリ アスバ〔白保村には、五穀豊穣の世を、給われた〕〔寄って来い、寄って来い、心晴れ晴れと、楽しく踊りましょう〕2、稲(イニ)粟(アワ)ぬ なをりや 常(ツィニ)ゆいん まさらし ユラティク ユラティク ブドゥリ アスバ〔稲粟の稔りは、例年より遥かに豊作である〕3、首里(スン)加(ヂャ) 那志(ナシ)貢物(ミムヌ) 御残(ウヌク)いぬ 稲粟(イニアワ) ユラティク ユラティク ブドゥリ アスバ〔首里王庁へ献上しても、残った稲粟で〕4、泡盛(アワムリ)ん 生(マ)らしょうり うんしゃぐん 造(ツィク)りょうり ユラティク ユラティク ブドゥリ アスバ〔泡盛酒も蒸留し、御神酒も造りましょう〕5、真謝(マジャ)ぬ 主(シュ)ば つぃかいし 目差主(ミザスィシュ)ば つぃかいし ユラティク ユラティク ブドゥリ アスバ〔真謝村の村長も、助役もご招待しましょう〕 島唄唄者は白保出身が多い。 年中行事・祭・冠婚葬祭時に必ず唄者ありの文化からか。
2005年01月20日
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沖縄の妖怪キジムナーには、大変おとなしい弟がいました。名前はアカナーです。兄キジムナーは活発で、時には仕返しをしたり結構悪さをしますね。でも弟のアカナーは、おとなしく大変相手を思いやる優しい存在です。アカナーも兄キジムナーと同じ位漁が得意でしたが、好物は目玉ではありませんでした。アカナーの好物はカニでした。月の中に住んで、この世に初めて生まれた人間が幼い時に、食べ物も無く餓死しそうになった時、月から餅を投げて助け養ったと言うエピソードを持つ妖怪です。沖縄の民話と童謡「月住みのアカナー」昔々、アカナーと猿が暮らしていた。ある年、二人が住む家の庭の桃が大変良く稔りました。猿は欲深く、その桃の実を独り占めにしようと考えました。そこで猿は、アカナーにこう言います。「アカナーよー。桃が熟したから、これを売りに行こうよ」「いいよ。そうしよう」と、アカナーは答えました。猿は、こうも言いました。「ただ売っても、つまらないな。だから売りっこ競争をしようよ」「いいよ。そうしよう」「ただ競争しても、つまらないから、勝った方が負けた方を殺す事にしよう」「いいよ。そうしよう」と、ついウッカリ答えてから、アカナーはビックリ。「い、今、なんて言った」と聞き返した。猿は、当然当たり前のように繰り返して答えた。アカナーは、「イヤだよ。そんな約束はしない」と言いながら地団駄を踏んだ。猿は平然と、「一度、いいよと言っただろう」猿はスルスルと木に登り、自分のカゴには赤い実をたくさん入れました。アカナーのカゴには、青い堅い桃を入れて、上の方だけ赤い実を並べた。猿の桃はすぐに売れました。アカナーは、「桃(ムム)買い めしょうれー」〔桃を買って下さい〕と、売り歩いても、買うものはいません。やがて、日が暮れてきました。家に帰れば猿に殺されると思うと、どうしていいかわからなくなり泣いていました。夕陽も沈み、月が昇っていました。アカナーは、「月様(チチさま)、月様(チチさま)、助けて給(たも)うれ。助けて給(たも)うれ」月は、アカナーを哀れに思い、カゴをスルスルと降ろしてこう言いました。「アカナーよ、私の処へおいで」アカナーは、カゴに乗り込みました。カゴは、天高く月まで引き上げられました。それ以来、アカナーは月の中で生活するようになりました。今でも、晴天の月夜に眺めてごらん。月の中でオケとヒシャクを持ったアカナーが見えるはずよ。沖縄の童謡「アカナー」アカナー アカナー 何処(マー)かい 行(い)ちゅが アカナー西(イリ)ぬ 海(ムミ)かい 蟹小(ガニグヮ)捕(トゥ)いが蟹小(ガニグヮ)捕(と)って 何(ヌー)すが我(ワー)思(ウム)やーになしゅん汝(イヤー)思(ウム)やーや 誰(ター)が十五夜(ジュウグヤ)う月夜(チチユー)〔アカナー アカナーどこ行くアカナー。西の海にカニ捕りに。カニを捕ってどうするの。ワタシを想ってもらえる様に、アナタが想う相手は誰です。十五夜月夜のお月様〕
2006年05月18日
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「うやき」とは、「富・財産・五穀豊穣の島」の意1、南風(ハイカジ)ぬ 押(ウ)しゅらば ヤゥ 北(ニスィ)ぬ あぶすぃば 枕(マクラ)ばし ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔南風に押されると、北側の畦(あぜ)を「腕マクラ」の様に倒れるほどの稔りだ〕2、北風(ニスィカジ)ぬ 押(ウ)しゅらば ヤゥ 南(ハイ)ぬ あぶすぃば 枕(マクラ)ばし ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔北風に押されると、南側の畦(あぜ)を「腕マクラ」の様に倒れるほどの稔りだ〕3、女童(ミヤラビ)ぬ 出乳(イディツイ)や ヤゥ かなしゃまぬ すり乳(ツイ)や ヤゥ ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔乙女の乳房をどうしよう、好きな女性の乳房をどうしよう〕4、誰々(タル)にどぅ 取(トゥ)らしょうる ヤゥ 何(ジ)り 何(ジ)りにどぅ 揉(ム)ましょうる ヤゥ ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔誰々に握らせるのか、どんな男に揉ませるのか〕5、肝(チム)知(シ)らん 女童(ミヤラビ) 胸(ンニ)知(シ)らん かなしゃま ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔男の真心を見抜く事を知らない乙女は、男の胸の内を知らない少女は〕6、肝(チム)ば 見(ミ)や 取(トゥ)らしょうり ヤゥ 胸(ンニ)ば 見(ミ)や揉(ム)ましょうり ヤゥ ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔男の真心を見抜いてから握らせなさい、男の胸の内を見抜いてから揉ましなさい〕7、うり取(トゥ)らし なうすが ヤゥ くり揉(ム)まし 如何(イキャ)すが ヤゥ ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔乳房を握らせて何をするのか、玉乳を揉ませて何をするのか〕8、染(ス)みるんでどぅ 取(トゥ)らす ヤゥ 抓(ツィネ)るんでどぅ 揉(ム)ます ヤゥ ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔真心を染める為に握らせるのだ、愛情を結ぶ為につねって、揉ませるのだ〕9、藍(アイ)や だどぅ 染(ス)みらりる 縄(ツィナ)やだどぅ つぃないらりる ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔藍であったら染められるのだが、縄であったら結ばれるのだが〕10、肝(クィム)どぅ 肝(クィム)染(ス)みいる 縁(イン)どぅ 縁(イン) つぃないる ウヤキ ヤゥヌ ウーラスミーガ ヤゥ 〔心と心を染めるのだ、縁と縁を結ぶのだ〕 西表島西部 網取部落の「ウリチ岳」は、崎山が展望できる「毛遊び(今で言う合コン)」の場。 「小浜屋の山戸主」が昔の青春時代を「ゆんた(ウリチィ岳節)」にして即興で詠っていたのを、後の音楽家の手により改作発表して「うやき節」が世に出る。
2005年01月30日
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『エイサ-演舞で使われる鳴り物』「太鼓(デーク)」〔太鼓を総称します〕「締め太鼓(シメデーク)」〔成型された鼓面を縄で締め付けた手持ち太鼓。エイサー主流太鼓となっています〕「大太鼓(ウフデーク)」〔樽と同じ様に板を貼り合わせた胴に両面薄い牛皮を鋲止めしています。中華太鼓と同じ赤を胴に塗っています〕「パーランクー」〔薄い牛皮を片面に貼り鋲止めした小型の太鼓です。丈夫なタンバリンをイメージしてくださいね〕「臼太鼓(ウスデーク)」〔両貼り中型太鼓です〕「鉦鼓(ソーグ)」〔元は仏教法具ですね。凹をひっくり返した面を細い木槌で叩きます。石川青年エンサーなどで使われていますね〕「チジン」〔直径10cm銅製の鉦です。凹の内側を小さな鹿角製とんかちで往復叩きします〕「ケンケングヮー」〔韓国チャンゴのケンガリ。取手付き鐘です。金武町並里区青年エイサーなどで使われていますね〕「銅鑼(ドぅラ)」〔まさしくドラ。勝連比嘉エイサーなどで見かけますね〕「法螺(ブラ)」〔法螺貝です。山伏などの法具ですね〕「ピーラルラー」〔説明上、チャルメラです〕「四つ竹(ユチダキ)」〔竹製のカスタネット。手に挟み鳴らします。女手踊りの小物ですね〕「三板(サンバ)」〔黒檀・紫檀製が良いですが、三枚の板を片手指の間に挟み、反対手指で板を叩きます。片手指をしなやかに、板に叩きつけると、流れる様な音色が再現できます〕『エイサー装束』「打掛(ウッチャキ)」〔打掛と言うより、簡易陣羽織ですね。エイサー衣装の定番にあたりますね〕「鳩間姿衣(ハトゥマスガイ)」〔舞踊「鳩間節」で使われる衣装〕「帯(ウービ)」〔腰に巻き、横に垂らせば「ナガウービ」となります〕「サージ」〔鉢巻布。手拭いを「ティサージ」と言います。近年ではタオルも「サージ」と呼びます〕「手拭い(ティサージ)」〔女手踊りの小物として肩に掛けたり、手に持ち踊ります〕「繭頭巾(マンサージ)」〔長いサージを指します。頭に巻く紫や赤のサージを言います〕「長手拭(ナガサージ・ジッチン)」〔長サージや頭巾を言います。一枚の長い布(2.5mから3.0m)です〕「ミンサー帯(ミンサー)」〔ミンサー織りの帯〕「紺地(クンジー)」〔紺色浴衣。女手踊りが着る紺地の絣〕「芭蕉布(バサージン)」〔芭蕉布製着物です。今では京太郎(チョンダラー)だけが着ています〕「マヤーガーキー(猫掛けという意味)」〔襷(タスキ)をいいます〕「花織(ハナウイ)」〔織り目が浮き出た独特の織物。ハナウイティサジ(花織り手拭)。女手踊りが使います〕「棕櫚皮(スルガー)」〔棕櫚(シュロ)皮製のチョンダラーが頭にかぶる小物。ちょんまげの風刺とも言われていますね〕「クバ扇(クバオージ)」〔チョンダラーが手に持つクバ(ビロウ)葉の扇です〕「クバ笠(クバガサ)」〔クバ(ビロウ)の葉でつくられた三角帽子〕「面垂れ笠(ビンダレー)」〔顔を隠す大きな笠です。屋慶名・平敷屋などのチョンダラーが使用していますね〕「コーガーキ」〔頬被り(ほっかむり)の事です。アンガマ従者スタイルのエイサー隊がありました〕「島草履(シマサバ・シマジョーリ)」〔草の履物(クサバキ)が省略され「サバ」。ビーチサンダル〕「采配(ゼイ)」〔棒の先に布を数枚つけた采配棒。屋慶名エイサーでは「スーダシ」と呼びます〕「扇子(オージ)」〔手踊りが持つ扇子。扇も扇子も名称は同じですね〕「風車(カジマヤー)」〔風(カジ)車(クルマー)のこと。「花ぬ風車(カジマヤー)」を演舞曲に取り入れている処では、風車を小物として使います〕 ■エイサー太鼓 特大 エイサー大太鼓 一尺五寸 生命(ぬち)燃えるうた~沖縄2001 エイサー締太鼓 今日のほこらしや晴れ舞台 羽織れば香る古のロマン エイサー用打掛8 ■エイサー衣装 打掛(紅型/赤えり) 沖縄の素材写真が満載!沖縄天国No80325アップ祭10 0330アップ祭10 今日のほこらしや晴れ舞台 羽織れば香る古のロマン ちょんだらー衣装 エイサーてぬぐい ■パーランクー 大 おきなわのうた~ROKレコード名作集~ ■エイサー用衣装 脚絆 エイサーガーエー
2006年04月09日
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小禄・豊見城・垣花の三村は、琉球絣(かすり)の産地。 絣模様には、経雲(ヌチグムー)・銭珠(ジンダマー)・敷瓦(シチガラー)・四角(ユカドゥー)番匠(バンジョウ)・くじり格子・亀甲(カーミヌコウ)・ごー廻いー・フカサー・などがある。 これを、糸筋違い(アヤ マミガエズ)織り込むことが出来る乙女の手作業を「美ら布織やー」と言い、嫁の行き所の象徴ともされた。 この歌は、「小禄豊見城」の曲名と「三村節」の名がある。 この歌を歌いながら、女の子が二人が向き合い片手、或いは両手で互いに打ち合わせながら遊ぶ。 1、小禄(ウルク) 豊見城(ティミグシク) 垣花(カチヌハナ)三村 三村(ミムラ)ぬ あん小達(グヮーター)が 揃(スリ)とうて 布(ヌヌ)織(ウ)い話(バナシ) 糸筋(アヤ)違(マミ)ぐなよ 元(ムトゥ)かんじゅんどー2、上泊(イルドマイ) 泊(トマイ) 元泊(ムトゥヌトマイ)と三村 三村(ミムラ)ぬ 二才達(二-セーター)が 揃(スリ)とーてぃ 塩(マース)たち話(バナシ) 雨(アミ)降らすなよー 元(ムトゥ)かんじゅんどー3、潮平(スンジャ) 兼城(カナグシク) 糸満(イチマン)と三村 三村ぬ アン小達(グヮーター)が 揃(スリ)とーてぃ 魚(イユ)売(ウ)い話(バナシ) 安(ヤシ)売(ウ)いすなよー 元(ムトゥ)かんじゅんどー4、赤田(アカタ) 鳥堀(トンジュムイ) 崎山(サチヤマ)と三村 三村ぬ 二才達(二-セーター)が 揃(スリ)とーてぃ 酒(サキ)たり話(バナシ) 麹(コウジ)出来(ディキ)らしよー 元かんじゅんどー5、辻(チィジ) 仲島(ナカシマ)と 渡地(ワタンジ)と三村 三村ぬ 女郎小達(ジュリグヮター)が 揃(スリ)とーてぃ 客待ち話 美(チュ)ら 二才(ニーセー)から はい行違(イチャ)らなやー あん小達(グヮター)は、お姉さん達 揃(スリ)とーてぃは、揃って 糸筋違(アヤマミ)ぐなよーは、織り間違えるなよ 元(ムトゥ)かんじゅんどーは、元が取れないよ 二才達(二-セーター)は、お兄さん達 麹出来(コウジ ディキ)らしよーは、麹に気を付けろ その土地の名品と、それに関わる人達を唄っている。
2004年11月17日
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八重山古典民謡 「桃里(トザトゥ)節」(本調子)1、桃里(トザトゥ)てぃる 島(スィマ)や 果報(カフ)ぬ 島(スィマ)やりば 柄岳(カラダギ)ば 前(マイ)なし うやき 繁昌(ハンジョウ) ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔桃里と言う島は、果報の島、柄岳を前にして「うやき(富貴)」繁昌〕2、柄岳(カラダギ)に 登(ヌブ)てぃ 押(ウ)し 下(クダ)し 見(ミ)りば 稲粟(イニアワ)ぬ なおり 弥勒世果報(ミルクユガフ) ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔柄岳に登って、眼下の田畑を見おろすと、稲や粟がたわわに稔り、見事豊穣である〕3、赤(アカ)よらぬ 花(ハナ)や 二 三月(ニサングワチ)どぅ 咲(サ)ちゅる 我(バ)がけーらぬ 花(ハナ)や いつぃん 咲(サ)ちゅさ ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔「赤よらぬ花(デイゴの花)」は、二月~三月頃に真っ赤に咲く、我が(青春の花)は、いつ何時でも咲いている〕4、花(ハナ)ぬ 色美(イルジュ)らさ 桜花(サクラバナ)でむぬ 女童(ミヤラビ)ぬ 美(チュ)らさ 我島(バスィマ)でむぬ ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔花の中でも一番美しいのは、桜の花である、乙女達の色艶の優れているのは、我が島 桃里村の乙女達である〕桃里村は、「1732年」880人の村民から創建されるが、「1771年」明和の大津波で過半数の村民が溺死、その上に、過酷な人頭税の徴収やマラリヤで、村民が途絶える「1914年(大正3年)」に廃村(183年の村の歴史を閉じる)政府は、「1953年(昭和28年)」沖縄本島 大宜味村から135人を開拓民として送り込み、入植させて「大里村」と改名し、現在に至る。この歌は、「1732年」に桃里村創建当時、繁栄・五穀豊穣を祈願して作られた。
2005年03月23日
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インド楽器紹介 「Surbahar(スルバハール)」ここではインドの伝統楽器を紹介していきます。「Surbahar(スルバハール)」(バス・シタール)シタールを2回り程大きくした楽器です。そのままシタールの形状ですが、非常に重量感があり低音域を発揮する高価なシタール似の楽器です。シタールプレイヤーが、旋律部分「Alap(アラープ)」を演奏する時に使用します。演奏には、まず力が要ります。シタールも慣れるまで力は要りますが、スルバハールはコツを掴むにも力が要ります。指の皮がボロボロになる覚悟がいります。インドでは、シタール演奏家はまずスルバハールで技術を磨く事を勧められます。この楽器に慣れれば、シタールは容易く弾く事ができるからです。インド楽器の外観は、彫刻など凝っていますが、スルバハールの彫刻は絶品です。ケースに入れると30Kg前後にもなり、巨大なケースでの移動移動を余儀なくされますので、演奏時の握力以外に腕力も必要になります。
2005年04月30日
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三線の胴の側面には、「手皮(ティーガ)」が付いていますが、この中の模様に「三つともえ」があります。 この「三つ巴」は、左周りに三つの巴で「左御紋(ひだりぐむん)」と言い、琉球王国のシンボルです。 この「左御紋」の言い伝えを民話から紐解いていきましょう。 那覇市に伝わる 「謝名親方(じゃな うえーかた)の最後」 昔、大変武芸に優れた「謝名親方」と言う、琉球国の軍師がいました。 当時、琉球は唐と親和条約を結んでおり、交易の中継地点として発展していました。 ある時、薩摩藩から沢山の軍勢が攻め込み、琉球国は窮地に追い込まれました。 「謝名親方」は、加勢要請の書状を唐に送りましたが、唐で研修している琉球の役人は、「大変な事になっている。唐の王に申し上げると、騒ぎになるから渡すまい」と、言って書状を隠してしまいました。 その頃、首里に居る「謝名親方」は、「私が唐に書状を出しているから、もうすぐ唐から加勢軍が来るはず」と、のんびり構えていた。 ところが、いっこうに唐の加勢軍は来ません。薩摩藩の軍勢は、沖縄北部の山原(やんばる)から侵攻していました。 山原の人達は、火縄の鉄砲を見たことが無く、「棒の先から火(ピー)が出ると、体に穴が開く」と言って、次々に倒れていきました。 やがて、薩摩藩の軍勢は天川坂を上り、嘉手納から首里へ侵攻して琉球国軍は負けました。 戦に負けて「謝名親方」は、捕虜として琉球王と共に、薩摩に連行されました。「謝名親方」は、武芸に長けているのを知られてしまい、薩摩の殿様から「この者を、縄で縛り、煮えた油の中に入れてしまえ」の、令により若い薩摩の家来に、縄をうつよう命じた。「謝名親方」は、若い薩摩の家来を見て、「こんなに年若い子供に、縄をうたせるとは・・・。」と言い、大変残念がり、一つの謀を思いつき、「私が、琉球の空手と言う武芸をお見せしましょう」と言いました。 すると、薩摩の殿様は、「これはいい、沖縄の空手は始めて見る。よかろう、ぜひ見せよ。だが、もしお前が逃げた時は、王の命は無いぞ」「謝名親方」は、「私一人なら逃げる事もできよう。だが、王のお供で来たからには、逃げる事ができましょうか」と言い、空手を披露している最中に、薩摩の偉い役人を両方の腕で羽交い絞めにして、煮えた油の中に飛び込んだ。 三人は、大きな釜の中で左に回りながら息絶えた。 釜の上から見ると、三人の頭だけが回って、髪の毛が後ろから着いて行く様な光景が、三つ巴に見えた。琉球王「尚家」の紋章はここからきています。これが、三線の紋章つまり、「琉球王族のあかし」と、されています。この王が、薩摩に連れて行かれる時に「命どぅ宝」の言葉を残しました。 三線を大切に扱っていますか?
2005年02月15日
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改訂版『やまとぅ国憲法前文』我ら(わったー)やまとぅんちゅや、権利を示しちゅるは、我ら(わったー)民にあいんと宣言し、くぬ憲法を堅く設立さびーん。政府がひち起こす戦(いくさ)ぬうとぅるさが二度と我ら(わったー)にたじにてぃなうらなに、くぬ国人(くにんちゅ)はみな等しく自由であいんよーに、他(ふか)ぬ国々とぬ平和的なちむじゅりーにゆてぃわったーやくゎんまが まむいんように。うぬたみんかい、わったーが正しくかめーたん国ぬ代表(国会議員)を通しち行動しーねー決めやびたん。政府ぬ権威や、国民ぬ信頼にゆてぃ託さりてぃ、政府ぬ権限や、国民ぬ代表んでぃさーに、国民ぬとぅくぬたみんかい用うぃびーん。わったーぬ憲法や、くりら(国ででぇーいちえらいぬは国民やいびんくとぅ、 平和をまむいんくとぅ、国同士どぅしぬぐぅとぅすんくとぅ、 政府は国民ぬたみんかいあいんくとぅ)全人類にとぅてぃでぇーいちでーじな原理を基にちゅくいびん。やくとぅ、くぬ原理に反すんむぬや、ちゃんぐとぅー憲法も法律も、法令も天皇からぬいーわんやてぃんあてぃん拒否し、無効とさびーん。わったーや、いちまでぃん平和やいびんくとぅんちゅーく希望さびーん。ひと同士ぬ間にあいんびち高さん理想を深く意識し、世界中ぬ平和をかなさすんちゅんさーぬ正義と信念 信頼さびーん。信頼がわったーぬ安全と命(ぬち)をまむいんやいびん。わったーや、くぬ地球上から、専制(権力で押さえつけられるくとぅ)、隷属(たーがらぬいーわんかい服従させられるくとぅ)、圧迫(自由んじらんくとぅ)、不寛容(窮屈すぎーんくとぅ)を永久になくし平和維持さびらんでぃ努力すん国際社会ぬ栄えあいん一員にないぶさんでぃちゅーくにげーやびん。世界中ぬたーやてぃん平和で、ぬーん恐れず、飢えるくとぅなく生ちちゅん権利があいんと認めやびん。世界中ぬどぅぬ国ん、一国びけーがゆたさりてぃーいいでぃいーせーあいびらんぐとぅ、むるぬ国がなーなーちゃんと自律した国同士んでぃさーにたげーに関係すびちでぃ信じやびん。以上ぬぐとぅな高さん理想と目的ぬたみんかいむてーる力を惜しみやびらん。やまとぅんでぃいーん国ぬ誇りにかきてぃ誓うぃびーん。
2006年07月29日
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