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「十九の春」は、「昭和五十年頃」歌手・田端義夫が歌って大ヒットしました。 が、作曲者が不明のままだった。 この歌のルーツは、第二次大戦中に奄美大島沖で米軍の魚雷攻撃を受けて沈没した貨客船の鎮魂歌「嘉義(かぎ)丸の歌」だったことが判明。 大勢の犠牲者の霊を慰めようと、島唄者「朝崎辰恕(たつじょう)」が、生存者から体験を聞き取り作詞作曲した。 しかし、戦時下で「戦意喪失の恐れあり」と軍当局から歌うことを禁じられ曲調だけが残り、別の歌詞が付けられて歌い継がれた。 元歌は、米軍に沈められた貨客船「嘉義丸の歌」。太平洋戦争中の昭和十八年五月二十六日、大阪から沖縄へ向かう「嘉義丸」が魚雷攻撃で沈没、船体はたった八分で海底に姿を消し、約三百人の犠牲者が出た。 当時、奄美・加計呂麻島民で船の生存者の治療に当たった鍼灸師で三線(さんしん)の名手だった「朝崎辰恕」が、その嘆きに心を痛め犠牲者を慰めようと、生存者らから聞いた体験談をもとに作詞・作曲。同年六月十八日に島の集会所で発表した。 「朝崎辰恕」は戦前、大阪でバイオリンを習ったことから、「嘉義丸の歌」をバイオリンを使い五線譜で作曲した。だが、当時は洋楽器を愛用することは非国民と受け取られかねない雰囲気で、三線を伴奏に歌っていた。 「朝崎辰恕」は歌う前に、その都度黙祷をしていた。 歌は奄美で一時期流行ったが、「歌詞が戦局の不利を伝えるもの」として軍当局から歌うことを禁止され、なおかつ戦後、米国への配慮から禁じられて、次第に忘れ去られていった。 当時、多くの奄美島民が沖縄に働きに行ったことから、歌詞抜きの曲だけが“一人歩き”したのだと思う。三線によく合うし、替え歌が好きな沖縄の人たちに広まったのではないだろうか。 「嘉義丸の歌」 歌詞(抜粋) 「十九の春」の曲調で読んでみてください。1、散りゆく花はまた咲くに ときと時節が来るならば 死に逝く人は帰り来ず 浮き世のうちが花なのよ 2、戦さ戦さの明け暮れに 戦火逃れてふるさとへ 帰りを急ぐ親子連れ 嘉義丸頼りに船の旅 三、ああ憎らしや憎らしや 敵の戦艦魚雷艇 撃ち出す魚雷の一弾が 嘉義丸船尾に突き当たる 6、親は子を呼び子は親を 船内くまなく騒ぎ出す 救命胴衣を着る間なく 浸水深く沈みゆく 9、波間に響く声と声 共に励まし呼び合えど 助けの船の遅くして 消えゆく命のはかなさよ 「嘉義丸」は、「1907年」に完成した2508トンの貨客船。 大阪から疎開者ら400人余が乗船、奄美・沖縄に向け航行中、「1943年5月26日」護衛艦二隻が引き返して間もなく、名瀬沖東経129度32分・北緯28度5分の海上で、米艦の魚雷を受け船首を真上に垂直に8分で沈没。 救助された人は100人、乗船していた軍人約30人の戦死の記載が残されたのみで、軍が沈没の公表を封じて犠牲者の名簿はない。 このアルバムには「朝崎辰恕」の娘さんが「十九の春」(田端バージョン)を歌っています。
2005年01月24日
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八重山諸島・黒島では、正月に綱引き行事があり「正月ユンタ」として五穀豊穣を祈願し、各家庭を門廻りしながら歌う。 その「正月ユンタ」を改作して「黒島節」として歌われる様になる。 今年の旧正月は、2月9日です。 「黒島節」(本調子)1、我(バ)が 島(スィマ)ぬ 上(ウイ)なか 此(ク)ぬ 島(スィマ)ぬ 上(ウイ)なか ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔我が黒島の上には常に、この島の上にはいつも〕2、弥勒世(ミルクユ)ば 給(タボ)られ 神(カン)ぬ 世(ユ)ば 給(タボ)られ ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔神話時代からの泰平の世、豊作の世を給われ、神話時代の五穀豊穣の世を給われ〕3、今年世(クトゥスィユ)ば なをらし 来夏世(クナツィユ)ば みきらし ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔今年は豊作でしたが、来る年の夏も実り豊かな年であります様に〕4、願(ニゴ)うだ むてぃ 給(タボ)られ 手(ティ)ずるむてぃ 給(タボ)られ ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔願った甲斐あって豊作に給われ、手を合せてお願いした甲斐あって豊作に給われた〕5、今年世(クトゥスィユ)や 勝(マサ)らし 来年(エン)ぬ 世(ユ)や ゆくだら ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔今年の世は豊作であった、来る年も より以上に豊かな年でありますように〕 感謝と願いの歌 八重山諸島・竹富町・黒島の歌 「読み人知らず」
2005年01月02日
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八重山古典民謡 「桃里(トザトゥ)節」(本調子)1、桃里(トザトゥ)てぃる 島(スィマ)や 果報(カフ)ぬ 島(スィマ)やりば 柄岳(カラダギ)ば 前(マイ)なし うやき 繁昌(ハンジョウ) ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔桃里と言う島は、果報の島、柄岳を前にして「うやき(富貴)」繁昌〕2、柄岳(カラダギ)に 登(ヌブ)てぃ 押(ウ)し 下(クダ)し 見(ミ)りば 稲粟(イニアワ)ぬ なおり 弥勒世果報(ミルクユガフ) ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔柄岳に登って、眼下の田畑を見おろすと、稲や粟がたわわに稔り、見事豊穣である〕3、赤(アカ)よらぬ 花(ハナ)や 二 三月(ニサングワチ)どぅ 咲(サ)ちゅる 我(バ)がけーらぬ 花(ハナ)や いつぃん 咲(サ)ちゅさ ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔「赤よらぬ花(デイゴの花)」は、二月~三月頃に真っ赤に咲く、我が(青春の花)は、いつ何時でも咲いている〕4、花(ハナ)ぬ 色美(イルジュ)らさ 桜花(サクラバナ)でむぬ 女童(ミヤラビ)ぬ 美(チュ)らさ 我島(バスィマ)でむぬ ヤゥ サティ ヤゥ ヒーヤゥン ナ〔花の中でも一番美しいのは、桜の花である、乙女達の色艶の優れているのは、我が島 桃里村の乙女達である〕桃里村は、「1732年」880人の村民から創建されるが、「1771年」明和の大津波で過半数の村民が溺死、その上に、過酷な人頭税の徴収やマラリヤで、村民が途絶える「1914年(大正3年)」に廃村(183年の村の歴史を閉じる)政府は、「1953年(昭和28年)」沖縄本島 大宜味村から135人を開拓民として送り込み、入植させて「大里村」と改名し、現在に至る。この歌は、「1732年」に桃里村創建当時、繁栄・五穀豊穣を祈願して作られた。
2005年03月23日
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「時代の流れ」(本調子)唐(トゥ)ぬ世(ユー)から 大和(ヤマトゥ)ぬ世(ユー)大和(ヤマトゥ)ぬ世(ユー)から アメリカ世(ユー)珍(ミジ)らさ変(カ)わたる 此(ク)ぬ沖縄(ウチナー)〔唐の時代から日本政府の時代、日本政府の時代からアメリカ占領の時代、はげしく変わったこの沖縄〕昔(ンカスェ)銭(ジン)ぬ 計算(サンミン)ぬん一貫(イックヮン)二貫(ニクヮン)どぅ さびーたしが世(ユー)ぬ 中変(ナカカ)われ 変(カワ)わる如(グトゥ)銭(ジン)ぬ 計算(サンミン)までぃ 変(カ)わてぃ〔昔はお金の計算も一貫二貫としていましたが、世の中の動きが変われば変わるが如く、お金の計算まで変わってしまった〕何(ヌゥ)やがひるまさ 変(カワ)とぅしぇ女(イナグ)ぬ 姿(シガタ)どぅ やいびんで昔(ンカスィ)ぬ 面影(ウムカジ)むる無(ネー)らん〔一番何に驚いた事かと言うと、女性の姿に驚きました。昔の面影が全く無くなってしまった事です〕昔(ンカスェ)髪(カラジ)ぬ 長(ナガ)さしどぅ女(イナグ)ぬ 嗜(タシナ)み やいびーたる今(ナマ)や昔(ンカスィ)とぅ うち変(カ)わてぃ生(ミィ)とる 髪(カラジ)ん 毛(ケー)詰(チ)みてぃパーマネントし 毛(ケー)縮(チジュ)らち親子(ウヤックヮ) むるっ子(クヮ)同年(チュトゥシ)ん 人(チュ)〔昔は髪の長さが、女性の嗜みだったが、今は昔と違い、元より生えている長い髪を短く切り、パーマをかけて縮らせて、母親と娘が同年代に見えてくる〕踵高靴小(アドゥダカ グツグヮ)やけぇ 履(ク)まいうんぶい こーぶい 歩(アッ)ちゅしやまーん変(カ)わらん 風吹(カジフ)ち鳥(ドゥイ)〔ハイヒールを履いて、フラリフラリと歩く様は、風に吹かれた鳥がユラユラと飛んでる姿に変わりわない〕昔(ンカスェ)那覇(ナファ)ぬ 行(イ)ち戻(ムドゥ)えー歩(アッ)ちどぅ 行(イッ)ち戻(ムドゥ)いんすたしが今(ナマ)や 座(イ)ちょーてぃ 行(イッ)ち 戻(ムドゥ)い〔昔は那覇への行き来は、歩くのが普通だった。しかし今では、乗り物に乗り座ったまま行き来ができる〕後(クスィ)から見(ミ)んでー 若(ワカ)さしがる前(ンメェ)から拝(ウガ)めー 面(チラ)ぬ皮(カァ)んうすまぐー いまぐとぅ みせさ六十(ルクジュウ)ばんじゃどぅ やみせがや〔後ろから見たら非常に若いのだが、前からよく見たら顔には、うっすらとシワも有るようだな。六十歳位にはなられるのか〕何時(イチィ)までぃ 心(ククル)や 十七八(ジュウシチハチ)目(ミィ)ぬ 尻(チビ)ぬる 合点(ガッティン)さん自然(シジン)とぅ まぐりてぃ 行(イ)ちゃびんで〔何時までも心は十七八歳位のつもりだが、目尻は気持ちとは同じではなく、自然にシワが寄って来てしまいます〕時代の変化は、凄まじく変わって行く物。頭の中の切り替えを早くしなければ、ついていけなくなりますね。作者の心情がわかる様になれば、もう立派な老齢?民謡の歌詞中に、新しい言葉(外来語)等を入れる所が、この歌の面白く、作者のオシャレを感じますね。粋な唄。
2005年12月24日
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曲調子には、「本調子」「一揚調子」「二揚調子」「一ニ揚(三さげ)調子」がある。 八重山古典民謡の曲奏で「一揚調子」は、四曲あります。 その中の一つが、「揚古見ぬ浦(アギクンぬウラ)節」西表島 古見村の歌。作者不明1、上下(カミシム)ん 揃(スル)寄(ユ)てぃ ヤゥ 願(ニゴ)うた 事(クトゥ) ハリ 叶(カ)なしょうり ヤゥ 〔上は御役人、下は庶民に至るまで、祈願通り叶って〕※、スリヌ イツィン ウリシャ バカイ ヤゥ2、今年(クトゥシ)年(ドゥシ)勝(マサ)らし ヤゥ 廻る年(トゥシ) ハリ ゆくだら ヤゥ 〔今年は豊年弥勒世を迎えたが、来年はより以上の豊穣の世を恵み給え〕※、スリヌ イツィン ウリシャ バカイ ヤゥ3、今日(キユ)祝(ユワイ)しゆらば ヤゥ 明日(アチャ)ふくい ハリ しゆらば ヤゥ 〔弥勒世を恵まれたからには、今日も祝いし明日も引き続き祝賀しましょう〕※、スリヌ イツィン ウリシャ バカイ ヤゥ この曲は、「古見ぬ浦節」とは違います。 「掛け声(へーし)」は同じですが、歌詞が「揚古見ぬ浦節」より、もっと悲しい曲です。
2004年11月29日
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「カマドマ」と言う名の女の子が、木の実で作った「九年母玉の首飾り」を置いて、井戸に下りて(下り井戸〔ウリカー〕と呼び、人が地下に降りる道があり、底から水をくみ上げる下り井戸の事)水浴びをしていると、偶然にも叔父の「タラクジ」が通りかかり、「九年母玉の首飾り」を姪「カマドマ」の物とは知らず、持ち帰り男友達に「女性からもらった」と自慢する。 が、村人はこの「首飾り」の持ち主が「カマドマ」と知っていて、「叔父と姪の血縁恋愛(不義の恋)スキャンダル騒動」として、たちまち村中から沖縄首里王の耳まで届いてしまう。 「カマドマ姪」に対して「タラクジ叔父」は(アブが悲哀な声を立てて鳴きしきるより以上に、なお泣きに泣く「意」に手を合わせお詫び)をして、懺悔と反省をする。 事実無根(不義の恋沙汰ではなく、自分が嘘をついた)の書状を首里王に上申して「青天白日」の身となった。 「たらくじ節」1、竹富(タキドゥン)ぬ タラクジ ヤゥ 仲嵩(ナカダギ)ぬ ヤゥ グジガマ ヤゥ 〔竹富島のタラクジ、仲嵩(竹富島の異名)グジガマ〕2、九年母玉(クニブダマ)ぬ ゆやんどぅ ヤゥ 木ぬ実(ナ)るぃぬ ヤゥ つぃにゃんどぅ ヤゥ 〔九年母玉を拾ったゆえに、木の実で作った、首飾りのために〕 「くいがま節(たらくじ節のちらし)」〔くいがまは、水溜(ミダナ)の周辺で悲哀な声を発して飛んでいるアブの事〕無垢である姪の「カマドマ」の九年母玉を取った為に、不義の恋騒動として悪評が広がり、叔父が懺悔をしてお詫びをしている。1、九年母玉(クニブダマ)やりばどぅ みやらびぬ 真首(マクビ)抱(ダ)がす 〔九年母玉であるから、乙女の首に付ける物だから〕※、ウヤ ミサ カマドーナ トゥヌシミ カマドーナ ンツァ 〔甚だ恐縮して、カマドマ乙女に「トゥヌシミ(10本の爪・指を揃えて)合掌して」お詫びをする〕 ナヅィキヌ ミダナヌ クイガマ二 クイガマニ 〔さながら・盛夏の頃、水溜(ミダナ)の周辺に飛んでいるクイガマ(アブ)の悲哀な泣き声の様だ〕2、ぶざさ ぶりてぃやりどぅ うとぅざ ぶりてぃやりどぅよ 〔叔父と姪とが不義の恋をしているとの評判である、血縁同士の恋愛との噂がある〕※、ウヤ ミサ カマドーナ トゥヌシミ カマドーナ ンツァ ナヅィキヌ ミダナヌ クイガマニ クイガマニ3、ざんずりぬ ゆやんどぅ にやん尾類(ズリ)ぬ つぃにゃんどぅよ 〔女郎のような行為をさせないために、娼婦のような、乱行が無い為に〕※、ウヤ ミサ カマドーナ トゥヌシミ カマドーナ ンツァ ナヅィキヌ ミダナヌ クイガマニ クイガマニ4、御状紙(ウジョカミ)に 唐筆(トウピツィ)に ぬちやれよ 〔事実無根の書状を上申した〕※、ウヤ ミサ カマドーナ トゥヌシミ カマドーナ ンツァ ナヅィキヌ ミダナヌ クイガマニ クイガマニ5、沖縄(ウクィナ)までぃ 美御前(ビオマイ)までぃ 名(ナ)とぅちゃれ 〔沖縄まで、首里王までも悪評判は知られていた〕※、ウヤ ミサ カマドーナ トゥヌシミ カマドーナ ンツァ ナヅィキヌ ミダナヌ クイガマニ クイガマニ 〔この歌は、年代や作者も判然しないが、一説には竹富島の詩人の作とあるが、その歌を歌う者は少なく、役人の作曲した「工工四(三線専用譜面)版」の歌が良く歌われているのは遺憾の至りである。八重山民謡保存会八重山民謡誌より〕
2004年12月08日
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「しゅうら」「シュウラ」とは、沖縄本島言葉「美(チュ)らしゃ」「ちゅらさん」と同じ。 略語で「可愛らしい」 この歌では、「可愛らしい嫁」をさす。 「かいしゃ」とは、八重山方言「美しゃ(うつくしい)」 「しゅうら節」(本調子)1、なをしゃる子(ファ)ぬどぅ 如何(イキァ)しゃる子(ファ)ぬどぅ 我(バ)嫁(ユミ)なりくーでぃね エイシュラジャンナヤゥ 〔どんな可愛い子が、如何に器量の良い子が、私の嫁になってくれるだろう〕2、島々(スィマズィマ)ぬ 村々(ムラムラ)ぬ かいしゃ あすからよ エイシュラジャンナヤゥ 〔島々の各村々の選び抜きの美しさ、器量の勝れる可愛い娘から〕3、かいしゃ あすから 白(シル)さ あすから なりくーで だらよ エイシュラジャンナヤゥ 〔美人の娘から、色白の器量勝れた可愛い娘から〕4、かいしゃ あだでん 白(シル)さ あだでん 縁(イン)どぅ 肌 添(ス)ゆる エイシュラジャンナヤゥ 〔美人であっても、どんなに色白でも、縁があってこそ、肌に触れる事ができる〕5、かいしゃぬ かまりゆみ 白(シル)さぬ 呑(ノ)まりゆみ 肝(クィム)どぅ 肝(クィム)やゆる エイシュラジャンナヤゥ 〔美人が食えるものでもない、どんなに色白でも飲めるものでもない、お互いの心と心、真心が肝心である〕6、かなさる子(ファ)や 野(ヌ)ぱんぬ 枝(ユダ)し ぴくぃすんぐり 見やむなよ エイシュラジャンナヤゥ 〔可愛い子ほど(野ぱん・川原人参)の枝で、鞭打って教訓する方が良い〕7、きなさる子(ファ)や バラぬ すぃずぃし ぴくぃすんぐり 見やむなよ エイシュラジャンナヤゥ 〔憎い子ほど、バラの芯繊維の柔らかなもので、鞭打って躾けた方が良い〕 「赤馬節」の(ちらし)として使う場合、曲調は同じで歌詞を変える。 1、今日(キユ)ぬ日(フィ)ば 黄金(クガニ)日(フィ)ば 本(ムトゥ)ばし ヤゥ エイ シュラ ジャ ンナヤゥ 〔今日の吉き日を、黄金の様な日を基礎として〕 2、夜(ユ)ぬ七日(ナンカ) 昼(フィ)ぬ百日(ムムカ) 祝(ユワ)いす ヤゥ エイ シュラ ジャ ンナヤゥ 〔夜の七日間お祝いし、昼の数日間も続けて祝賀する〕 「ニフェーデービル」は、沖縄本島方言の「ありがとうございます」の意。 あと一日で本年最終日。ありがとうございます。
2004年12月30日
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日本本土では、88歳米寿・99歳白寿ですが、沖縄では88歳を「トーカチ」と言い、昔の民具で米をマス(一合マス・一升マス)にすくい入れたり、マス表面を均す竹を斜めに切った道具を指します。 97歳の御祝いを「風車(カジマヤー)」と言い、親族や村をあげての長寿の御祝いをし、のりものに乗せ、かざぐるまを持たせ、村中を行列をつくって歩く「大祝事(まぎすうじ)」 「花ぬ風車(かじまやー)」(大浦節)1、花ぬ 風車(カジマヤー)や スリ 風(カジ)ちりてぃ 廻(ミグ)る※、チントゥン テントゥン マンチンタン ウネタリスヌメー ウミカキレー2、わんや どぅしちりてぃ スリ なまどぅ 廻(ミグ)る※、チントゥン テントゥン マンチンタン ウネタリスヌメー ウミカキレー3、垣(カチ)ぬ 葉ぬ露(チユ)や スリ あがいてぃ だまちゅい※、チントゥン テントゥン マンチンタン ウネタリスヌメー ウミカキレー 組踊「女物狂」の(亀松)〔風車や取りば 風連りてィ みぐる 友とめてィ 連りてィ 遊びぶしゃぬ(かざぐるまは手にとれば風を呼びまわる、私も友をさがして遊びたいな)〕 組踊「忠考夫人」の(大川ぬ産子)〔押風ん涼しゃ 風車と共に 押連りてィタ下に遊ぶ嬉しゃ(吹く風は涼しいし、こうしてかざぐるまを回しながら遊ぶのはなんと嬉しいことか)〕 どちらの組踊でも、赤振袖にかざぐるまをかざして踊り唄う。 カジマヤー 由来の民話伝説 (沖縄 具志川市) 大神様は、天を守る神と地を守る神を創った。天守神は、山原(ヤンバル)の森にある大木の木陰で、オオタニワタリの草の上に座り景色を眺めるのがすきだった。 大木の落ち葉が堆肥になり、とても良い土が出来ていたので、地守神の断り無く人間を作ってしまった。 それを知った地守神は怒るが、話し合いの結果「百年間だけ土を貸そう」でまとまり、地守神は大神様に報告した。 97年目、地守神は「天守神よ、約束の日が来たぞ」と言った。 天守神は「まだ、97年じゃないか、全部土に帰すのは、人間が可哀相だ。」 地守神は「うるう年を含めると、丁度百年になる。約束じゃ。」 天守神は「人間には子供もいる。幼くして死んだ者もいる。97年生きた者はごくわずか、あと3年生きられると思っている者もいる。生まれたばかりの赤ん坊を土に帰すことは出来ない。困った。」 地守神はこう提案した。「大神様に約束したのは百年間だが、一人一人に百年間と言う事で、97歳になったら風車を持たせ、子供の格好の赤い着物を着せて、大神様に見せる様に村中を廻らせよう。そうすると、大神様は約束の百年目じゃなく、まだ一歳の赤ん坊とみてくれるはず。」 こうして人間達は、寿命が尽きるまで土に帰る事無く暮らした。 めでたしめでたし。
2004年12月07日
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男女のかけあい歌で色っぽい歌です。 「西武門(ニシンジョウ)節」 元歌/ヨーテー節1、いちゃんどうや かなし まちみそうりさとめ にしんじょうぬいえだや うとぅむさびら (囃し)ヨーテ 〔行くよ、愛し(愛しい人)、待ってください、里前(さとめ)西武門までの間は、お供しましょう〕2、かたすでぃやくんじ かたすでぃやあさじよ いちがむるすみぬ くんじちゆら ヨーテ 〔片袖は紺地、片袖は浅地、いつになったら全染めの、紺地が着れるのですか〕3、うむいばぬちぎり かわりねんぐとぅによ すみてぃくいらんぞうよ くんじいろに ヨーテ 〔思い葉の契り(約束は)、変わらないよ、染めてあげるぞ無蔵(んぞう)よ、紺地色に〕4、すみゆらばさとめ くがらしぬぐとぅによ あさじどんやれば ゆるちたぼり ヨーテ 〔染めるなら里前、カラスの様な黒色のように、してください、浅地だったら、その契りは無かった事にしておくれ〕 5、きゆやすいぬぶてぃ いちやめーがさとめ うむかじとぅちりてぃ しぬでちゅさ んぞよ ヨーテ 〔今日は首里に登って、何時いらっしゃいますか、里前。面影をいだきながら、忍んでくるぞ、無蔵よ〕 6、またいめーねさとめ くるまぬてぃ いもりよ わんやにしんじょうに うまちさびら ヨーテ 〔又、いらっしゃる時には里前、車でいらっしゃい、私は西武門で、お待ちしております〕7、さびしさや ひちゅい わんねむどてぃいちゅいよ んぞや やどむどぅてぃ はなぬあしび ヨーテ 〔淋しさは一人、私は戻っていきます、無蔵は、宿に戻って(遊郭に)花の遊び〕 沖縄民謡では、「かなし=愛しい」 「無蔵=んぞ(思いをよせる女)」 「里前=さとめ(思いをよせる男)」の意味です。 染めの浅い「浅地の着物」は、「お妾さん(二号さん)」 染めの濃い「紺地の着物(カラス色)」は、「本妻さん」 の意味です。
2005年01月10日
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小禄・豊見城・垣花の三村は、琉球絣(かすり)の産地。 絣模様には、経雲(ヌチグムー)・銭珠(ジンダマー)・敷瓦(シチガラー)・四角(ユカドゥー)番匠(バンジョウ)・くじり格子・亀甲(カーミヌコウ)・ごー廻いー・フカサー・などがある。 これを、糸筋違い(アヤ マミガエズ)織り込むことが出来る乙女の手作業を「美ら布織やー」と言い、嫁の行き所の象徴ともされた。 この歌は、「小禄豊見城」の曲名と「三村節」の名がある。 この歌を歌いながら、女の子が二人が向き合い片手、或いは両手で互いに打ち合わせながら遊ぶ。 1、小禄(ウルク) 豊見城(ティミグシク) 垣花(カチヌハナ)三村 三村(ミムラ)ぬ あん小達(グヮーター)が 揃(スリ)とうて 布(ヌヌ)織(ウ)い話(バナシ) 糸筋(アヤ)違(マミ)ぐなよ 元(ムトゥ)かんじゅんどー2、上泊(イルドマイ) 泊(トマイ) 元泊(ムトゥヌトマイ)と三村 三村(ミムラ)ぬ 二才達(二-セーター)が 揃(スリ)とーてぃ 塩(マース)たち話(バナシ) 雨(アミ)降らすなよー 元(ムトゥ)かんじゅんどー3、潮平(スンジャ) 兼城(カナグシク) 糸満(イチマン)と三村 三村ぬ アン小達(グヮーター)が 揃(スリ)とーてぃ 魚(イユ)売(ウ)い話(バナシ) 安(ヤシ)売(ウ)いすなよー 元(ムトゥ)かんじゅんどー4、赤田(アカタ) 鳥堀(トンジュムイ) 崎山(サチヤマ)と三村 三村ぬ 二才達(二-セーター)が 揃(スリ)とーてぃ 酒(サキ)たり話(バナシ) 麹(コウジ)出来(ディキ)らしよー 元かんじゅんどー5、辻(チィジ) 仲島(ナカシマ)と 渡地(ワタンジ)と三村 三村ぬ 女郎小達(ジュリグヮター)が 揃(スリ)とーてぃ 客待ち話 美(チュ)ら 二才(ニーセー)から はい行違(イチャ)らなやー あん小達(グヮター)は、お姉さん達 揃(スリ)とーてぃは、揃って 糸筋違(アヤマミ)ぐなよーは、織り間違えるなよ 元(ムトゥ)かんじゅんどーは、元が取れないよ 二才達(二-セーター)は、お兄さん達 麹出来(コウジ ディキ)らしよーは、麹に気を付けろ その土地の名品と、それに関わる人達を唄っている。
2004年11月17日
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