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2006年05月16日
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カテゴリ: 四方山話
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
と、詠み松尾芭蕉が江戸を出発します。
1689年(元禄2)」旧3月27日
この日を新暦換算すれば、閏1月がある為2ヶ月のズレがあり
5月16日になります。
これを1988年日本旅のペンクラブが採用し、制定しました。

「松島や、ああ松島や、松島や」
奥の細道の行程は江戸から奥州街道を北上、日光に寄ったあと那須・白河・二本松などを通って松島に出ます。
「夏草や、つわもの共が、夢の跡」

が、その途中寄り道
「閑かさや、岩にしみいる、蝉の声」
霊山・立石寺に寄ります。

「荒海や佐渡に横たふ天の川」越後。
「一つ家に遊女も寝たり萩と月」越中。
「無惨やな、甲の下の、きりぎりす」加賀。
そして福井では永平寺に寄り、敦賀から種の浜まで行きます。
琵琶湖の東側大垣に到着し最後の句は
「蛤のふたみに分かれ行く秋ぞ」

「奥の細道」が完成した年に芭蕉が亡くなっているので、旅の途中で芭蕉は亡くなったと思っていました。
しかし芭蕉は、江戸に戻ってから「幻住庵記」や「猿蓑」を書いています。

そうなんです。「奥の細道」はこの東北・北陸の旅の後、5年がかりで旅を再構成して作られたものでした。

「奥の細道」と言う物は、実際の旅をベースにしているとはいえフィクションであり、
それは取材旅行記と小説の中間の様なモノではないかと思います。
ですから、この作品の中には多くの作られたエピソードもあります。
このことは曽良の随行日記と比較しながら読み進めると面白いですね。


例えば初日の宿は、
「早加といふ宿にたどり着きにけり」
曽良日記では
「廿七日夜、カスカベに泊る」

越中市振の親不知子不知の難所を過ぎて、小さな町に一泊した。
芭蕉は、同じ宿に新潟で出会った遊女が泊まっているのに気づきます。
「一つ家に遊女も寝たり萩と月」
出家の身である芭蕉と遊女との再会。
萩のわが身と遊女の月。
芭蕉は「曽良に語れば書き留めたる」
でしたが、曽良日記には市振の遊女の話は全くありません。
再会話そのものが空想であり、綺麗な月に見とれる余りのおとぎ話かと感じます。

詩人・小説家は、あたかも行った様な事を書くのが商売。
でも実際に行った事に、構成や脚色を加えた手法はその当時、流行ってたのかな?
その物だけを読むと完全な旅行記にも思えます。

逆に、芭蕉の体温を感じる事ができました。


ものかたり(物語)は、読む人を引き付けるエッセンスが人為的にあるのも事実ですね。
事実⇒原作者⇒構成作家⇒脚本家⇒舞台演技者⇒見る者
芭蕉は一人で、この作業を行なったのかな。





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最終更新日  2006年05月16日 09時03分54秒
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