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私:よく家に遊びに来る孫が今月で4才になる。来ると、風呂に入れてやるんだが、もう、蒙古斑が目に付かなくなってきたね。A氏:蒙古斑というのは、日本人の乳児には、御尻から背中にかけてある青いあざだが、個人差はあるようだね。 遅くとも5歳くらいまでには消えるらしいね。 名前のように、蒙古人に圧倒的に多いというね。私:ところが俺はかなりおそくまで、尻に蒙古斑があったんだ。 そのためか、子供心に「俺の祖先は蒙古人の血が濃いのだ。ジンギスカンの末裔だ」と一人想像をたくましくしていたよ。 だから、俺は早く広大な祖先の地、中国大陸に行ってみたいという憧れが子供のときからあった。発想のスケールが大きくなったものだ。A氏:当時は、皆、子供心にアメリカに行ってみたいという夢を持つ者が多かったね。中国に行きたいとはは変わっていたね。私:そのためか、中国の大きな石仏が好きになった。 そこで、十数年前、わざわざ、多忙な仕事の中、内モンゴルと2大石窟(雲コウ、龍門)の中国観光ツアーに一人で参加したことがある。 その前に、仕事で北京と旧満州の長春に行ったが、そのときは万里の長城など北京周辺を見ただけだ。それで満足できなかったんだ。 中国の石窟は3大石窟として、もう1つ、敦煌の石窟があるが、これは、かなり離れた場所にあるのでシルクロードのツアーに含まれるんで諦めた。 その後、中国の経済繁栄が始まったがね。変わっただろうな。A氏:日本が奈良、平安時代に仏教を中国から熱心に学んだのに、巨大な仏は奈良の東大寺のように鋳造だね。日本に大石窟がないのは不思議だね。知的興味があるね。私:ところで、相撲もモンゴル勢で両横綱を独占するのは、もう、時間の問題だね。A氏:朝青竜の日本語がうまいのは、先に日本の高校で勉強したせいもあるが、モンゴル語の文法構成は日本語に似ているからだろうね。日本語は、ウラルアルタイ語系としてモンゴル語と同一系列らしいね。私:そのせいか、曙が横綱になったときは、外国人がなったという感じがしたが、朝青竜の場合は、何故かそういう気がしなかったよ。 モンゴルにはブブという伝統的な格闘技があるが、日本では相撲に似ているのでモンゴル相撲と言っているね。 ところで、蒙古斑のことだが、以前、テレビを見ていたら、ある日本人のタレントが、白人と結婚して、生まれた子供に蒙古斑があったと言っていた。しかし、このあざは、白人の乳児にもあるが、色素を作る力がないので、すぐ消えるのであるという。 黒人にもあるが、見えにくいので気がつかないのだという。
2006.07.31
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この中篇は1968年の稲葉明雄氏の訳と、1984年の小泉喜美子氏の訳がある。 チャンドラーの英語は簡潔であるが、ひねったような意味の深いものが多い。 したがって、訳者によってかなり違った日本語になっているのではという知的興味から、ちょこちょこ、比較してみた。ただし、英文は手元にないのでそれとの比較はできず。 もちろん、小泉氏は大先輩の稲葉氏の訳を参考にしている。 以下、赤字は稲葉氏訳、黒の太字は小泉氏訳である。 比較はランダムで、特に系統的なものではない。お遊びである。「ウイスキー瓶の栓を抜き、酒場などでよくやるようなぐあいに慎重に匂いをかいで、私が本物に九十八パーセントの闇酒を混ぜたのではないかと確かめた。」「慎重にウイスキーの瓶の栓をあけて嗅いだ。私が本物の瓶に九十八セントの安酒を混ぜたのではないかことをたしかめたのだ。酒場の経営者がよくやるやりかたをしていないことを。」「有難うってのは、カモに対する挨拶だろう」「おまえもがっちりしてるなあ」「それを(髪を)まんなかで分け、まるで仇敵(かたき)みたいにきゅっと後ろへひっつめていた。」「まんなかで分け、こんな髪、憎たらしいとでもいうようにきゅっとうしろへ引っつめていた。」「あんたみたいなやくざ者なら、ハリウッド大通りを一丁歩くごとに一ダース拾えるわ。」「あんたみたいゴリラ、ハリウッド・ブールヴァ―ドで一丁も歩くと一人拾えるわ。」「その『えらいお気の毒』をもう一ぺんいったら、わたし、金切り声をあげるわよ。嘘じゃないから。」「その『まことにどうも』をもう一ぺん言ったら、あたし、金切り声を出すわよ。本当よ。」「頭のよこに手をやって押してみると、矢のような痛みが足のうらまで走りぬけた。」「頭の横に手をやって押してみると、足の裏まで痛みが突き抜けた。」「『大顎』がいぜんとして体内の闘いをつづけているすきに、私たちは拳銃をとりだした。」「ビッグ・チンはなおもたたかっていた―――ただし、彼自身の心のなかでだけだ―――が、私たち二人とも拳銃を取り出した。」「(訳文なし)」「『これでおれが殺人課の課長になれるところを見物しててくれ』彼は疲れたように言った。「そうなると市長が、うまいぐあいに新規な大通りができたと考えて、花束を抱えて出ていき、スピーチでもやらかすようになるのじゃないかと思ったからです。」「そうなると市長がこりゃうまい出世の早道だと思って花束抱えて演説するんじゃないかという成行になってきたからです。」
2006.07.30
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A氏:「さらば愛しき人よ」はチャンドラーの最高傑作と言われそうだが、前に読んだ「長いお別れ」と比較してどうだった?私:一言でいうと、俺には「長いお別れ:The long goodbye」のほうがよかった。 この「さらば愛しき人よ:Farewell, my lovely」では、主人公の探偵マーロウが殴られて完全に失神したりするシーンが2回ほど出るなど、暴力的なシーンが「長いお別れ」より多いね。俺はあまり暴力的なものは好かないからかもね。 暴力的な場面をハードボイルドに期待している人なら、意見が分かれるだろうね。A氏:「さらば愛しき人よ」は1940年の作品で、「長いお別れ」は1953年だから、13年の間があるね。私:その間で少し、変わってきたのかもしれない。A氏:話の筋はどうなの?私:ミスティリーのネタばらしはタブーだが、「長いお別れ」同様、「さらば愛しき女よ」も中心人物についての謎解きが底に一貫してあるね。 その面ではミステリィー構造が似ている。 例によって、日常的で、詳細な場面描写がビッシリだ。常識的なミステリィーになれている読者にはとってはとまどうだろうな。A氏:題名からするとロマンスがあるのかと思うね。私:その点では題名は適切でないかもしれないな。 それにしても、チャンドラーは私立探偵マーロウを通じて金持ちを批判しているね。しがない探偵家業だけれど、「弱きを助け、強気をくじく」という一種の騎士道精神みたいなものが一貫している。 それなりの信念を貫いている。しかし、一私立探偵に過ぎないので、日本的に言うと一種の「やせ我慢」、「武士は食わねど高楊枝」という気風になるのかな。A氏:貧乏な白洲次郎かな。白洲次郎は金持ちだがね。 ホリエモンが拘置所で読むには、このようなカネでは買えない何かがあるという私立探偵マーロウの生き方を描いた本が適当ではなかったのかね。 ところで、これでチャンドラー街道は終点かね。私:「ベイ・シティ・ブルース」という中篇を二人の人が訳しているのでその訳の比較を兼ねて読んで見たい。 その後、ペイパーブックの「大いなる眠り」と「長いお別れ」を日本訳でよく分からないところを英語に逆読みする。それが終わって、全部、図書館に逐次、返す予定。 後は、来年の村上春樹氏の「長いお別れ」の翻訳待ち。 チャンドラーの細かい日常描写やひねくった表現をどのように日本語に変えるのか、知的興味がある。 それでこの街道は終点となろう。
2006.07.29
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私:芸能界では、明石家さんま、木村拓哉、市川海老蔵の三氏を白洲次郎ファンの三巨頭だというそうだ。 そのさんまがTBSテレビで7月19日(水)の夜中に白洲次郎スペシャルを放映した。正味1時間ほどの番組だ。真夜中の放映なので録画しておいた。昨日、昼間見たよ。A氏:最近は、白洲次郎ブームらしいね。 文藝春秋の今月、8月号でも「白洲次郎:昭和の快男児:プリンシプルの男」という特集もあった。私:雑誌「歴史街道」8月号でも白洲次郎の特集しているのは前に話したね。 しかし、このさんまのテレビを見て思ったことは、白洲次郎が戦争に負け、アメリカに屈服するくやしさが人一倍だったことだろうね。A氏:日本では「武士は食わねど、高楊枝」とか「やせ我慢」という言葉があるが、敗戦当時は、日本の官僚は自信喪失してアメリカの言うままになってしまっていたのだろうね。 白洲次郎は占領時代は、負けたことの悔しさがあったのだろう。「占領の屈辱」を彼ほど痛切に感じて、抵抗した日本人は他にいかったのかね。私:外務省に残っている手記で、アメリカに押し付けられた憲法案に対し「『今ニ見テイロ』トイウ気持抑エキレズ。ヒソカニ涙ス」と書いている。その文字がテレビで出てきたよ。A氏:約30年後に経済的に製造業では日本は仇を討ったがね。しかし、成り上がりの金持ちでまた、今、また、崩れているようだ。私:彼の祖父は福沢諭吉と親交があったようだけれど、福沢諭吉が明治になって幕府から相手の新政府についた勝海舟を非難して「やせ我慢の説」を展開するが、似ているね。「プリンシプルに生きる」というのは、「スジを通す」とういうことだから、「やせ我慢」もありえるね。A氏:作家大岡昇平氏も、敗戦後、多くの人が負けた悔しさを忘れ、新しい占領政策に迎合していくのに耐えられなかった一人だね。そして、押し付けられなくても、喜んで迎合していく日本人を見ていられなかったのかもしれない。私:大岡氏は、捕虜になったとして、芸術院会員となるのを断わったし、戦後の著作はあてつけに全部新仮名遣いにした。それは一種の「抵抗」だね。 戦後の新仮名遣いに反対なのだが、その裏返しの抵抗だね。 昭和天皇のA級戦犯合祀の靖国など、敗戦処理をきちんとしなかった事実は戦後60年以上たってもまだ根が深いね。
2006.07.28
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A氏:昨夜の10時からのNHKの川中島合戦を見たよ。「きつつき」戦法が出てきたね。私:2つの説があり、史上有名な第4回目の川中島の戦いは、偶発的なものだという対立した考えだね。A氏:5回あって、5回とも引き分けているが、それは両者の戦力が対等でなく、それぞれの内部固めのパフォーマンスであるということだ。私:それは、他の国に攻め入るのだから、内部を固めるのは当然だがね。A氏:善光寺が商業的に有益であったというのは、信玄が甲府に善光寺があるにでも分かるね。私:パーフォーマンス説で有力なものは、「きつつき戦法」の中心となる信玄軍の妻女山の夜襲だ。A氏:実際の山に登り、険しいので、この急な坂を一万を越す兵士が馬を連れて登ることは不可能ではないかという疑問だ。私:あの辺の山は平野部から急に切り立っているからね。だから、妻女山だけでなく、善光寺周辺の山も切り立ったような山が多く、5回の川中島の戦いでもいろいろな山が登場する。A氏:テレビでは旭山とか横山とかで出たが、結構、切り立った山らしいね。 川中島の合戦だと言うけれど、信州だから、一種の山岳戦ではないの。地元の武士にはいろいろ知恵があったのではないかね。私:信玄と謙信の直接の対決が出てきたが、偶然の衝突なら、このパフォーマンスの演出に無理があるね。A氏:それに、信玄は重要な幹部をなくしている。これはやはり、午前の戦いで本陣をやられてからであろう。偶発で幹部をなくすことは考えられないね。私:やはり、テレビの視聴者の直接投票が本当に両者の決戦があったというのうが多かったが、その可能性のほうが高いね。
2006.07.27
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私:昨日、長野新幹線で長野に日帰りした。長野市内に4時間ほどいて、用事を済ませ、帰ってきた。A氏:長野は雨で大変だったのでは?私:長野市は昨日の昼からは日も出て雨は降らなかったが、それまでは歴史的な雨だとタクシーの運転手が言っていた。 帰りには、むしろ、東京に行くにしたがい天気が悪くなった。なつかしい浅間山もふもとまで雨雲におおわれていた。頂上は雨だったろうね。 帰りに、「川中島合戦笹ずし」という駅弁を夕食代わりに食べたよ。非常においしかった。A氏:川中島合戦と関係があるの?私:弁当の説明書によると、上杉謙信が居城である越後の春日山城から川中島に出陣したとき、北国街道の冨倉峠(今の飯山市)越えたとき、村人が山菜ずしを笹の葉に盛って出したのが由来という。 6種類の材料に一種類ずつ笹の葉に盛り付けてあるんだ。A氏:川中島合戦と言えば、多くのドラマや映画になっていて有名だが、本当に謙信と信玄が直接斬りあいをしたのかね。私:直接の戦場は川中島の八幡原というところなんだが、ここには今、馬に乗った謙信が、椅子に腰掛けている信玄に向って切りかかり、信玄が軍配団扇で防ぐというおおきな像があるよ。しかし、これは事実ではないらしい。伝説のようだ。A氏:結局、この戦いはどちらの勝ちなの?私:川中島合戦は、5回あり、有名なのは第4回目だ。信玄は今の松代近くの海津城に入る。 ところが、謙信軍はその虚をついて、すぐ近くの妻女山という山にこもる。信玄は頭を抑えられて感じだ。 そこでしばらくにらみ合う。A氏:そこで信玄が考えたのが「きつつき」作戦だと言われているが。私:そうだ。まず、軍を二つに分け、一つを夜こっそり妻女山に奇襲をかける。 もう一軍を、川中島に陣を敷き、奇襲で逃げてくる謙信軍を迎え撃つ。一種の挟み撃ちだ。きつつきが木をつつき、虫を誘い出し、捕らえるのと似ている。 ところが、妻女山にいる謙信は、海津城の兵の動きから、その戦術を知ってしまう。裏をかいて、夜、ひそかに妻女山を下り、川を渡る。A氏:このシーンが詩吟で有名な頼山陽の「鞭声粛々夜河を渡る」だね。 馬に口輪までして、声を殺し、信玄に気づかれないようにそっと山を下り、川中島の河を渡るわけだ。私:信玄は本陣を川中島に敷き、昼頃、逃げてくる謙信軍を待っていた。 ところが、早朝、河に立ち込めていた霧が晴れだしたら、そこに現れたのは、突貫してくる謙信軍だった。 こうして、謙信軍は混乱した信玄の本陣まで食い込むんだね。A氏:妻女山に夜討ちをかけた信玄軍は?私:妻女山の頂上に登ったら、もぬけのから。 そのうちに、川中島のほうに戦いの声がする。慌てて山を降り、河を渡ろうとするが、向こう岸に謙信軍が待っていて、容易に河を渡らせない。 午前は、まさに謙信の勝ちだ。 しかし、遠回りしてなんとか戦場に駆けつけた妻女山からの信玄軍が午後に参加してからは、形勢は逆転し、謙信軍は最後は退却する。A氏:それで、両者傷み分けということか。私:そうだね。しかし、いきなり妻女山に乗り込み、かつ、信玄の「きつつき」作戦の裏をたくみにかいた謙信のほうが戦略的に優れている気がしないでもない。A氏:信玄と謙信は対極的な戦いをするそうだね。私:信玄の戦い方は近代的と言われていた。 戦いの前に幹部と車座で議論する。決定した戦術は演習でためす。一種のシミュレーションだ。 よく情報を集め、慎重に行動する。 それに対して、謙信は、一人、堂にこもり、何日か瞑想し、念じて、一挙に出陣する。直感的、ワンマン的だ。 しかし、何故、慎重な信玄が川中島合戦で、「きつつき」作戦が気づかれた場合のリスクを考えていなかったのか、疑問に思うね。A氏:そういえば、今夜、NHKの歴史の選択で「川中島の戦い」をやるね。 来年の大河ドラにも登場するそうだ。さて、知的な興味が湧いてきた。
2006.07.26
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私:引き込まれて、一気に読み終えた。なるほどね。これがハードボイルドの最高の傑作といわれているわけだ。一貫した一つの大きな謎がある。 これが次第に試行錯誤で解かれていく。壮大な物語だ。A氏:英語の原書と併読したのかい?私:とりあえずは、日本語で概要を読んだ。ちょっと気になる点は原書を見た。数箇所あった。A氏:例えば?私:「社交欄の“犬”がゲロを吐いた後では、レスラーさえ好ましく見えた」という文だ。 英語は「After the society page dog vomit even the wrestler looked good. But the facts were probably right. On the society they better be.」だ。A氏:ちょっと、意味が分からないね。それにBut以下の訳がないね。私:また、「もう一方のドアのブザーのスイッチを入れて、パイプをつめ、火をつけて、椅子に座り込み、誰かが助けてくれと叫ぶのを待った。」とあった。 これだけでは意味が分からない。 探偵マーローの事務所はとなりが待合室になっているので、意訳すると「もう一方のドアのブザーのスイッチを入れて、パイプをつめ、火をつけて、椅子に座り込み、誰かが隣の待合室に探偵の依頼に来るのを待った」となるが、英語のチャンドラー「助けてくれと叫ぶ」というしゃれた表現が消える。難しい。A氏:そういう細かいことは、話の筋に関係しないのでは?私:ところがチャンドラーの小説は、そういう細かい日常描写に特徴がある。 松本清張などの小説と違うね。 まだ、ある。「事件はもう終わったんだ。虫除けといっしょにしまわれちまったんだ。」とあるが、英語は、「The case is closed, finalized , and laid away in mothballs.」だ。 Mothballsが虫除けだ。まぁ、これも日本語的には「事件はもうお蔵入りなったんだ」という意味だろうが、ナフタリンなんかの虫除けが登場するのがしゃれているね。A氏:そういう、スラング的な言い方があるのかね。私:スラングかどうか分からないがね。それにスペイン語も出てくる。 話が違うが、これは「長い別れ」ではなく、前に読んだ「待っている」で「その唇の上に生えた桃色のやつでも剃ってりゃいいじゃないか」とある。A氏:唇の上に生えたやつ?私:これは原書がないのでわからないが、おそらくon your lip の訳だろうね。ところが日本語の「唇」と英語のlipとは領域が違うんだ。 鈴木孝夫教授の岩波新書の本で読んだと思うが、唇は英語でlipであるが、日本語の唇は、鼻の下は含まれない。 しかし、同教授によると、英語には、「唇にひげが生えている。」という表現があり、lipは、鼻の下も含んでいるというのだ。 日本語では「鼻の下が長い」というが、英語ではこの鼻の下がない。A氏:そうすると「その桃色の口ひげを剃ってりゃいいじゃないか」が日本語らしい訳となるね。私:こういう日常的なことを村上春樹氏が「長い別れ」の翻訳に十分な腕を発揮することを期待したいね。 そういう細かい描写が彼のすごいところだし、それは村上春樹氏も同じだから。
2006.07.25
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私:レイモンド・チャンドラーをネットサーフィンしていたら、60位台ぐらいに、村上春樹のボストン便りがヒットした。 5月頃の日記だから、もう、旧聞だが、そこに、村上春樹氏が、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』と、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』の翻訳をやっているという記事があった。 春樹氏がチャンドラーフアンとは驚いた。そして、いくつかの長編から「ロング・グッドバイ」を選んだのにも驚いた。A氏:春樹氏は、アメリカの小説の影響が深く、芥川賞などの文壇とは反対のコースをたどったようだね。チャンドラーが、それ以前の推理小説を否定したように。私:チャンドラーの「さらば愛しき人よ」を読み出したんだが、この記事を見て、街道を変えて「ロング・グットバイ:長いお別れ」に街道の順序を変えることにしたよ。A氏:図書館からいろいろ借りているんだね。私:短編集ではこないだ読んだ「待っている」、長編では「大なる眠り」「さらば愛しき人よ」「長いお別れ」だ。いずれも文庫本で4冊だ。 短編集と「大なる眠り」は読んだ。 それとチャンドラーの英語は簡潔だというので知的興味が湧き、「大いなる眠り」と「長いお別れ」はペーパーブックで買った。翻訳でピンとこない点は原文を見ようとも思ってね。A氏:「長い別れ」はアメリカ探偵作家クラブ賞を受けているそうだね。私:文庫本で5百頁を超える長編だね。読み出したがちょっと読了に時間がかかりそうだ。A氏:それにしても村上氏の翻訳はいつでるの?私:来年春になりそうだ。今の清水俊二氏の訳とどう変わるか、興味があるね。 今、訳のピンと来ないところは原書にマークしている。一行、訳してないところを見つけたね。 村上氏の訳がどうなるか、ちょっと待つことになる。この知的街道は長くなりそうだ。A氏:チャンドラーの英語は読みやすいかね。私:だめだね。歯が立たない。文章は簡潔で短いがね。訳はたいへんだろうね。 シドニー・シェルダンの英語のようにすらすらというわけにいかないね。 ただ、訳し方に知的興味があるんだ。変な興味だね。翻訳技術でなく、背景にある日本語と英語の違い、ニュアンスの違い、文化の違いに興味があるからだ。 春樹氏は、この翻訳とともに、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』というのも今年末には発行するという。A氏:「華麗なるギャツビー」という映画があったが、その原作かね。私:ロバート・レッドフォードの映画で見たような記憶があるが、印象が薄い。 その街道にはまるのは道草のしすぎみたいだから、とりあえず、諦めよう。
2006.07.24
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私:昨夜、福島から帰った。1日かかりの用事でね。 そのため、金曜日の夜は福島に一泊するため、夜、新幹線で移動したんだが、人身事故とかで、ダイヤが混乱していた。俺の列車は20分ほど大分遅れたね。中には、1時間くらい遅れた列車もあったよ。 この道中で、レイモンド・チャンドラーの長編処女作の「大いなる眠り」を読了したよ。創元推理文庫の初版が1959年だから、40年以上前のものだ。 チャンドラーの小説の主人公私立探偵のフィリップ・マーロウの初登場だ。A氏:訳者の双葉十三郎氏は有名な映画評論家ではないの?私:そうだね。チャンドラーの長編は映画化されているし、映画の脚本も書いていた。チャンドラーと映画の関係は深いね。A氏:主人公の私立探偵マーローの役者として、ハンフリーボガード、ロバート・ミッチャムなどの役者がいたような気がするね。私:もっともチャンドラーがマーローのイメージに近いと言っているのが、長身、濃い褐色の髪と茶色の目、そしてハスキーな声と甘いマスクの持ち主ケイリー・グラントだという。もっともチャンドラーの映画の多くは、ヒッチコック同様、白黒だろうから、映画で色は出せなかったかもね。A氏:チャンドラーの長編を初めて読んでの経験はどうだった?私:確かに、従来の推理小説を完全に否定したところからスタートしている。 複雑な事件が登場し、名探偵が論理的な推理で謎を解いていくという基本的なストーリー展開では、全くない。その否定だね。松本清張が社会派という推理小説スタイルを生み出したのと似ているね。 主人公のマーローはそういう名探偵ではない。現実的なストーリー展開だね。 しかし、サスペンスの巧みさがあり、その点では、面白くて一挙に読み終えたよ。A氏:それでは、論理的な謎解きという推理小説の面白みがへるのではないの?私:謎解きはあるが、整然と解かれるよりも、試行錯誤で解かれていくというわけだね。それに描写が日常的、映画的で生き生きしているね。A氏:例えば?私:俺が金曜の夜、福島に行った途中の描写を考えた。単純に書けば「私は、東京駅からマックス2階建ての21Dの指定席で福島に向った」となる。だが、チャンドラー風に書くと次のようになる。「私は、緑の窓口で窓際のE席の指定を希望したが、E席の希望が多いので、D席しかとれなかった。 列車に乗ると、すでにE席に小柄の中年の主婦らしい女性が座っていた。彼女は中年の女性によくある押付けがましい雰囲気がなかった。白中心の質素な感じ服装であった。手荷物は上に載せず、下においていた。 列車は20分ほど、遅れて出発した。女性はすぐに駅弁を開き、食べだした。体を前に倒し、弁当をおおうようにして食べていた。 私は椅子を後ろにぎりぎり倒し、チャンドラーの「大なる眠り」を読み出した。私の視界にはときどき、彼女の白いうなじが映った。 列車が郡山に着くと、彼女は軽く挨拶をして、荷物を持って私が避けた両足の前を動き、通路に出て去っていった。 私は、これで空いたE席に移り、少し、のびのびできるなと思った。 そのとき、二十才前後と思われる若い小柄な女性が来て、小さなバッグを持って私の前を横切ってE席に座った。髪は長かったが束ねてあり、顔はよく見えなかった。 E座席に座ると、窓際に姿勢を向け、私のほうには背中を向けていた。何かつんつんしている感じであった。服装はこれも白中心の質素な感じであった。 私は、またD席で「大なる眠り」の読書にもどった。 しばらくして、となりでシューという音がした。缶ビールをあけるような音である。私はこの女性は男性のように仕事の後でビールでも飲むのかと思って、気になったが、そっちを見る気もしなかった。 15分ほどして、列車は福島に着いた。私は、到着アナウンスとともに立ち上がり、棚にあるかばんを下ろし、かばんに「大なる眠り」を押し込んだ。そのとき、チラッと窓際に立ててある缶を見た。ビールではなかった。チューハイであった。 私は、曲がった階段を降り、ドア近くに立った。列車は福島駅に滑り込んでいった。」A氏:「そのとき、その若い女性が口から血を出しながら、片手にチューハイの缶を持ってよろめくようにして階段を下りてきた」となると、君が主人公の推理小説が始まる。私:そういう日常性が、チャンドラーの特徴かね。 次は、チャンドラーの長編の最高傑作といわれる「さらば愛しきひとよ」に挑戦する。当分、チャンドラー街道だ。 それにしても長編「大いなる眠り」を読んで、短編の「待っている」は名作だと思ったね。彼の特色がこの短編に凝縮している感じだ。 作家大沢氏が愛読しているのは知的に理解できた。
2006.07.23
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A氏:チャンドラーの「待っている」に関連して、「リーン消費」は興味があったね。君の「リーン消費」はどうなっているの?私:実は、レイモンド・チャンドラーの「待っている」は、新聞の鼎談で作家の大沢在昌氏が愛読書でふれていたので、俺は、すぐにインターネットで図書館に予約を入れたんだ。 この時点では予約ゼロですぐに借りることができた。 ところが、1日か、2日のうちに予約は14になった。最後の人は、半年くらい待つことになる。 他のチャンドラーの名作と言われるものは、予約ゼロで、この作品だけに集中しているから、大沢氏の新聞記事が影響していることは明らか。 これからすると、読みたい小説は原則として、多少待っても、図書館から借りるというルールの人が多いようだね。A氏:でも、市の図書館では、ダビンチコードの予約は千を超えているよ。1年くらい待つのではないの? 高くなければ買ったほうがよい気もするね。それか映画で済ますか。私:そうね。俺は評判になる前に最初から買ってしまったよ。 それにしても、これよりショックな内容の「ユダの福音書」はまだ、あまり騒ぎにならないね。 ところで、インターネットで本を買うようになったのは、原書を買うためにアマゾンコムを使い出してからだから、かなり以前だ。しかし、その後、アマゾンジャパンができてからこれに変えたよ。 それに最近、図書館利用が加わった。本の「リーン消費」が変わってきたようだね。 消費パターンは次のようになろうか。A:買うか借りるか1.原則として、軽くスラスラ読める小説類は借りる。じっくり読みたいものは買う。ノンフィクションは新聞、雑誌の書評や広告を見て買うか借りるか判断する。価格も判断のもとになる。2.書店、古本屋、図書館などの棚で立ち読みして、よさそうだと思うと買うか借りる。衝動的である。3.ネット情報でよさそうだと思うと、上記の1の原則で判断する。B:購入方法1.インターネットで買う場合、1500円以上は送料がゼロなので、それも考慮する。それ以下で買うときは、書店で買うか、あえて、買わないかもしれない。 1490円という定価の本はこのネットの消費者心理をどう配慮しているかだね。2.図書館で借りると決めた本はインターネットで早期に予約する。しかし、あまり待ちが長い と待つか、諦めるか、買うか判断する。3.新刊本でない本や絶版ものは、古本屋かネット使用する。4.図書館で一旦、借りてその結果を見て買うこともある。 まあ、こんな調子だね。あまり「リーン消費」でないかもしれないな。 次の問題は、長年の間にたまった不要な本をいかに整理するかだね。昨年、数十冊あった百科辞典とともに三百冊くらいの本を売り払ったがね。まだ、残っているし、また、すこしづつ増えている。 それに、古いビデオもあるなぁ。 消費社会の悩みかね。うーん、もっと基本的な発想を変えないと―――。
2006.07.22
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A氏:君は2006.05.13の日記で自分の経験や他の実際の情報からロングテールの法則に疑問を持っていたね。そしたら、同様に「文藝春秋」8月号でジャーナリストの東谷暁氏が「ビジネス法則は信用できるか」の中で疑問を呈しているね。私:東谷氏は、ときどき、ユニークな観点からの記事が多いね。 以前、バブル崩壊前後のとき、いろいろな経済評論家がさも知ったかぶりに評論していたね。そして後で逆な結果が出ると、知らん振りだ。 それに呆れて、誰かこれをとりあげないかと思っていたら、確か、東谷氏が評価してランクをつけていたね。 バランスの取れたコメントだった。A氏:梅田氏の「ウェブ進化論」では、「ロングテール現象とはネット世界のみで起こる現象だ。」として、反対概念が大組織を支配する80対20の法則であるとしている。君の経験からすると、この梅田氏の本にある「不良品の80パーセントは20パーセントの不具合から生み出される」がかならずしも事実でないということかね。私:不具合を発生順に並べると、恐竜の頭が小さく、全体がフラットになることが多い。「その他の不具合」でまとめるとそれがトップになることがある。いわゆるどんぐりの背比べだ。 また、20パーセントの不具合に不良品が集中している場合でも、この不具合を解決するのがむずかしいことが多い。だから、なかなか解決しない。 先に解決が簡単な80パーセントの不具合を解決していくと、不思議なことに、解決のむずかしかった不具合が次第に解決することがある。それが俺の長い間のロングテールの法則だね。A氏:「恐竜を攻めるに、シッポから確実に攻めよ」だね。そのほうが、効果的ことが多いということか。 それは、ニューヨークの長い間の犯罪多発の問題が、簡単な無賃乗車の取締り強化と落書きの徹底的な解消という簡単なことを徹底したことで、大きく解決したのと似ていると君が指摘しているね。私:東谷氏も98年の「ジュランの品質管理ハンドブック(第5版)」では、「重要な少数」を超えるのは、「役立つ多数」プロジェクトだとこの本を引用しているね。 役立つプロジェクトとは、QCサークルのような社員の積極的な参加だ。 トヨタの「改善」であり、急成長する衣料のしまむらの提案制度だ。 「役立つプロジェクト」が恐竜の長い尻尾を攻めるわけだ。 しかし、東谷氏がジュランまで知っているのには驚いた。A氏:昨日のチャンドラーの短編「待っている」の検索も、古本屋の在庫がなかったら対応できないね。この場合、古本屋とネットでつながっていることは大きいが、何時売れるかわからない在庫を持つ古本屋の存在も忘れてはならないね。 アマゾンがトヨタ方式を採用していることも忘れてならない重要な背景だ。私:今年、あるITの講演会を聞きにいったが、ある大手の若いIT会社の社長が、「経理とか人事の定型化した仕事にITを使うとコスト削減効果は期待できる。しかし、経営効果をあげるということに対しては、ITは道具として使えるが、バックに多くの人の知恵がないと効果を出さない。」と言っていた。謙虚な発言だね。A氏:あるIT専門誌で在庫圧縮に効果を出したという事例があったので読んだら、背景にトヨタのセル方式の導入があり、リードタイムを十分の一にしていたんだよ。それにITが乗っかったんだよ。私:「リアルな世界と接続したネット・ビジネスは、すでに経験済みのトヨタシステムや『重要な少数、役立つ多数』の法則が支えることになる」という東谷氏のコメントは、「ウェブ進化論」の梅田氏の言う「インターネットに対するエスタブリッシュメントの抵抗」ではないね。バランスがとれているね。
2006.07.21
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A氏:2006.07.16の日記にレイモンド・チャンドラーの短編「待っている;I’ll be waiting」を読んで、英語の原文を読みたいとあったが、英文は入手できたかネ。私:まず、インターネットでレイモンド・チャンドラーを検索したら、マニアの人のサイトが出た。質問欄で原書の入手方法を聞いたんだ。A氏:1930年頃の小編だというからすぐ入手できそうかね?私:親切にすぐに返事がきた。その人は、まず、この短編の「待っている」がそんなに良いものか疑問に思うと言っていた。作家の大沢在昌氏がなぜ、愛読書にしているのかわからないということだった。翻訳も俺の本は稲葉昭雄氏の訳だが、清水俊二氏の訳もあり、ちがうらしい。 清水氏が訳したのは絶版になっている。 結局、原文の入手方法は不明ということだった。A氏:残念。しかし、この作品は人によって評価が大きく違うようだね。私:そこで、アマゾン・ジャパンに英語でRaymond Chandler I’ll be waiting で検索した。 そうしたら、Fallen Angelsというペーパーバック が出てきて、ここにあるらしいのだが、さらに検索したら「詳細は不明」となった。これでストップ。 実は、後で、アメリカのアマゾン・コムでこの本が出てきたのだが、これは、7人のハードボイルドの作家のものを脚本にして放送したもので、その中にこの「待っている」が入っているんだ。だから、原文でなく、脚色されているようだ。登場人物は同じだが。 日本のサイトでは、古本での英語の原書探しは時間がかかる。諦めた。A氏:アメリカのアマゾンは?私:これもストレートでRaymond Chandler I’ll be waiting で検索した。出てきたね。 ハードボイルド作家たちの短編集らしい。他の八人の作者のものが一緒だ。 但し、アマゾン経由の古本屋からの購入になるね。本の内容の一部をダウンロードできるのだが、買った実績がないとだめ。但し、最初の1行だけは出ていた。下記の如し。 At one o'clock in the morning, Carl, the night porter, turned down the last of three table lamps in the main lobby of the Windermere Hotel.稲葉氏の訳では「夜中の一時、夜勤のボーイのカールは、ウィンダミア・ホテルの正面ロビーに点いていた三つの卓上スタンドの最後の一つを消した。」とズバリだ。A氏:ようやく到達したね。私:トヨタ生産方式のことを「リーン生産方式」と言うことがある。 これは、1980年代に日本の自動車産業の優秀性に驚き、アメリカが日本の自動車産業のやり方を研究してそれにつけた名前だ。「リーンlean」は、「やせた」「細い」という意味だが、「贅肉がない」「ムダがない」という意味で、日本の自動車生産方式、特にトヨタ生産方式を象徴させたのだろう。 これに対して、消費者側の「リーン消費」という考えがある。 例えば、「欲しいものを買う」という消費のため、調べたり、探したりするプロセスがある。 このプロセスのムダを減らすことを「リーン消費」と言うんだ。 顧客満足には、この「リーン消費」の配慮が必要だね。A氏:「リーン消費」が少ないほうに顧客は流れるかね。私:しかし、消費者心理は複雑で、手間ひまをかけた買い方を楽しむこともあるかも。そして目標に到達した喜びも味わうこともあるかもね。商売には絶対不変な公式や万能薬はないのだろう。どの消費者心理に的を絞るかだね。
2006.07.20
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A氏:王監督の手術は成功だそうだね。私:胃を開かないで、お腹の皮膚に数箇所穴をあけ内視鏡や器具を入れ、モニターをみながらする手術らしい。新聞で「腹腔鏡手術」とあった。A氏:手術もどんどん進歩しているね。私:俺は20年前に心臓のカテーテル検査というのを受けたことがある。これは腿の付け根あたりの動脈から、カテーテルというものを挿入し、造影剤を注入し、心臓の冠動脈を検査するのだ。検査そのものよりも検査後にすぐに歩けないことが大変だったよ。それが、今では手の動脈から、カテーテルを入れて検査できるのだそうだ。A氏:心臓の冠動脈の何を見るの?私:その内部にコレステロールなどが付着して、血管が細くなっているかを検査する。動脈硬化で血管がせまくなっていると明確に造影剤で分かる。私の場合、幸い、きれいだった。 もし、動脈硬化などで細くなっていると、狭心症や心筋梗塞の原因になるから、パイパス手術で血管をつけるとか風船による血管拡大という心臓の大手術となるね。A氏:検査といっても手術なみだね。私:俺は、そのとき、自分の心臓の動きを造影剤で撮影したフィルムで見たんだが、なるほど、血管というのは柔らかいパイプのようなものだと実感したよ。 それで、ある健康器具の宣伝を聞いているときに、この検査を連想したんだよ。A氏:ああ、あのスポーツクラブの一角を借りて無料体験で宣伝していたのかね。私:口の上手な30才前後の宣伝マンが血管をきれいにする重要性を説明する。最初から、その器具の売り込みは一切言わない。俺もためしに体験をしてみた。継続効果があるということで、何日か体験した。 誰々さんが肩こりが治ったとか、便秘が治ったとかいう人が出てきたと、宣伝マンが言うんだ。俺もパソコンで疲れた目の疲労回復が早くなったような気がした。A氏:宣伝は、50日くらい続いたようだが、最後の2週間くらいのとき、価格を言い出したね。 それも「皆さんから質問が多いので」ということだ。通常価格80万円くらいのものが、今回、特別に割引で60万円くらいにするという。結局、20台くらい売れたようだ。十分、ペイしただろうよ。いい商売だ。私:この健康器具の宣伝のために、パイプ状の血管の絵が壁に貼ってあった。 血管の内側の壁にコレステロールがついている絵ときれいに取れた絵だ。この健康器具で、壁のコレステロールが落ち、排泄され、きれいにするという説明だ。 そこで、この絵を見てカテーテル検査を思い出したんだ。すなわち、動脈硬化で狭くなった人の血管を造影剤で撮影しておき、この健康器具を使用し、血管の壁のコレステロールを落とし、そのすっきりした動脈を、また造影剤で映し、この2つを比較したら、手で描いたものより、はるかに強力な説得性ある宣伝になるのではと思ったよ。A氏:なるほど。私:この健康機器で血管の壁がきれいになるなら、バイパス手術など大変な手術をしないですむ。A氏:健康保険費用の大きな節減にもなる。ノーベル賞並みの大発明ではないか。しかし、そんなニュースはないね。私:しかし、それはカタログにはそういう説明はない。テスト会場の手書きの絵だけだ。うまく避けているね。 まあ、そういうことは、営業妨害になりそうなので、言わなかったよ。そのうちに販売ノルマを果たしたのかイベントは終了したがね。
2006.07.19
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A氏:トヨタのかんばん方式は、欧米では、一時JIT(ジット)と言われていたそうだが、これはJust In Time(ジャスト・イン・タイム)の略かね。私:そうだよ。要するに必要なときに、必要な数だけ間に合えばよい。必要のないものはいらないということだ。 これは和製英語のようだね。これに対して、ドンピシャ間に合うのは、just on time(ジャスト・オン・タイム)という。このほうは英語的な表現のようだ。 そういえば、感激的な体験があるよ。まだ、新幹線が新大阪までの頃の話だ。当時、まだ、子供が一人で、妻の実家が瀬戸内海のほうなので、妻は、夏休みはよく子供を連れて田舎に帰っていた。 夏休みも終わりに近づいたとき、俺は丁度、仕事で鹿児島に行っていた。そこで大胆な計画を立てた。 当時は、岡山から横浜に帰るには寝台車を使っていたので、妻と子供は岡山から寝台に乗り、俺は仕事の帰りに、鹿児島から直接、東京羽田に帰らず、大阪の伊丹空港に降り、大阪梅田駅で寝台に乗れば一緒に帰れるというプランだ。A氏:大阪梅田駅の時間的余裕はあったの?私:1時間分くらいはあったと思う。ジャストインタイムだ。A氏:実際は、予定通りにいったの?私:ところが、当日、飛行機が遅れた。夕方の便は、折り返すからどうしても遅くなるようだ。気が気でない。 伊丹空港に降りて、すぐにタクシーで大阪梅田駅に向けて走った。時間的には危ない状態だった。A氏: 間に合ったの?私:タクシーが梅田駅に着いた。すぐ階段を駆け上がった。ホームに出た。そこへまさに寝台車がホームに滑り込んできた。 停止しようと徐行しているタイミングだ。指定はグリーン車(当時はまだ、2等車といったいたと思う)にしておいたので、デッキは階段の近くに止まる。 私が階段を駆け上がり、ホームに出たとき、丁度、グリーン車がそこにゆっくり停車し、 デッキで妻がきょろきょろして立っていた。 すぐにデッキにとびのり、やがて、列車は動き出した。間一髪、大成功だった。A氏: まさに、ジャストオンタイムだね。感激的な再会だ。映画のシーンに使えそうだね。
2006.07.18
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私の若いときのスポーツは、野球、水泳、登山がおもなものであった。 その中で、登山が一番、人生にいろいろな教訓を与えてくれるようだ。 登山で、遭難しそうになった経験がある。それは大学生時代に浅間山に登ったときである。 5月のはじめ、上田の信州大学寮にいた高校時代の友人を誘い浅間山に登ることにした。そのとき、寮にいる彼の後輩が同行したいと言ったので、3人で登った。 たしか、大学寮に前泊し、翌早朝、汽車で追分に行き、そこから浅間の頂上を目指した。 追分口は直線的に頂上に行けそうなので、若気の至りで、この経路を選んだが、実は急坂で、最後ははって道なき道を登るようになってしまった。 天気はよくなく、頂上に近くづくに従い、霧で囲まれ出した。 しかし、なんとか頂上についた。しかし、あたりは霧で数メートル先しか見えない。 そのうちにヒョウが降り出し、白く積もりだした。 火口に近づいたとき、突然、雷光が走った。ギザギザでなく、直線的に柱のように音もなく次から次に光が垂直に立つように走った。 友人の帽子からはみ出した髪の毛が上にむかって立ち出した。それを指摘すると「お前の髪もそうだ。」と言われた。 あわてて、髪に指を触れるとパチンと火花が走った。3人、顔を見合わせた。もう、体が帯電している。お互い、恐怖で顔が真っ青になるのを見た。 「下に向かって走れ」となった。しかし、頂上は平坦でかくれるところもない。たまたま、大きな岩があった。これに隠れたが、ここはかえって雷が落ちやすいのではないかと思い直し、また走って、平らなところに伏したが、これもまた、危ない不安になる。 どうしようもない。 ついに、「これで死ぬな」と覚悟し出した。 そのとき、私の口から出たのは「南無阿弥陀仏」でなく「南無八幡大菩薩」であった。これは戦争のときに弾に当たらないように前進するときの念仏であるというのが頭のどこかにあったからだ。 20分くらい走ったり、伏したりして下に向けて走ったり、ようやく危機を脱した。 九死に一生を得た。 後から考えると、3人とも登山靴でなく、ゴムの運動靴であり、ピッケルもなかった。リックも金具がなく、紐で結ぶタイプであった。 浅間山は、芭蕉の「更級日記」に出てくる。当時はさかんに噴火していたので、俳句は「吹とばす石はあさまの野分哉」である。激しい山であったようだ。 私には「春雷や、われを走らすあさま哉」となった。 この無茶な登山は、計画の重要性、リスク管理の必要性を死の危険をもって教えてくれた。 今は、新幹線となった信越線の窓から見える浅間山を見ると、このときの教訓を思い出す。
2006.07.17
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1、2週間前の新聞で日本の三大ミスティリー作家、大沢在昌氏、宮部みゆき氏、京極夏彦氏が集まって、座談している特集があった。 最後に、三人、それぞれの愛読書を紹介していた。小説本を紹介したのは大沢氏だけである。他の作家は辞書とか資料を紹介していた。 私は、宮部氏と京極氏のものはかなり読んだことがあるが、大沢氏のは舘ひろし主演の「新宿鮫」をテレビで見ただけで本は読んでいない。 ミスティリーは松本清張などの日本ものか、翻訳物はイギリスのゴダードが中心。ゴダードのものは今のところ、15作すべて読んでいる。 ところで、大沢氏がこの新聞であげた愛読書は、チャンドラーの「待っている」という短編である。 早速、図書館から借りて読んだ。チャンドラーを読むのははじめてである。創元推理文庫で初版は1968年。40年ほどたっている。 チャンドラーの短編全集の3巻目で、本の題名は「待っている」であるが、中味は中編小説が4つあり、短編はこの「待っている:I’ll be Waiting」だけである。チャンドラーの短編と称するものは、これ一つだけだという。 文庫本で約30頁。訳者あとがきによると、ハードボイルドのエキスを抽出したともいえる短編とのこと。 1時間もかからないで読了。チャンドラーのものは始めてであるが、なるほど、これがハードボイルドかと感銘。大沢氏が愛読書というだけあって繰返し読める。 ハードボイルド小説の特徴はその淡々として簡潔な文体、リアルな場面や人の描写、そして粋な言い回しなどにあるという。 たしかに、翻訳であるが、実に淡々とした文体で、一つ一つの文章が短い。志賀直哉の文のようだ。これに比較するとゴダードの文章は長い。「プロットよりシーンを重視する」という作風であるというが、それは感じた。謎解きがあるわけでない。 この短編では、探偵マーロウの代わりに、トニーが登場する。 次のように乾いた簡潔な動きのある文体である。「渋面が消えると、微笑の模型のようなものが口のはしからのぞいた。」「ひざにおいた手がゆっくりと拡がり、指がぎりぎりの限度まで反りかえった。」「人差し指をそっちへぴんと突きつけ、他の三本はぴったりと手のひらにたたむと、親指を人差し指のうえに立てたり倒したりして見せた。」「小石が壁にあたったみたいな乾いた音といっしょに、電話はかちりときれた。」 一度、英語の原書で読んでみたいと思った。
2006.07.16
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私:昨日、都心に行ってきたのは、日本版SOX法施行に伴うITの無料セミナーを聞くためだよ。システムの宣伝を兼ねたもの。 多くの人が参加していた。外は暑かったが、会場内は寒いくらい冷えていた。また、夏かぜをこじらせるか心配だった。A氏:気候不順みたいだから、用心してよ。ところで日本版SOX法?私:SOX法はエンロン事件やワールドコム事件など1990年代末から2000年代初頭にかけて頻発したアメリカの不正会計問題に対処するため、アメリカで2002年から施行された。 当然、日本企業で、アメリカで株を公開している企業も制約を受ける。正式には「上場企業会計改革および投資家保護法」と言われるそうだが、案を作ったポール・サーベンス(Paul Sarbanes)上院議員、マイケル・G・オクスリー(Michael G.Oxley)下院議員の名にちなんで、「サーベンス・オクスリー法」と呼ばれ、略してSOX法というらしい。A氏:君は金融の専門でも、ITの専門家でもないのに、なんでくちばしをつっこむの?私:この法では、上場会社会計監視審議会の設置、監査人の独立性、財務ディスクロージャーの拡張、内部統制の義務化、経営者による不正行為に対する罰則強化、証券アナリストなどに対する規制、内部告発者の保護などが規定されているんだが、俺の興味があるのは内部統制の部分だ。多くのIT企業もこれに目をつけている。 要するに、内部統制のために、日常業務に不正がないかチェックするために膨大な書類を作成しなくてはならない。そこが引っ掛かったのだ。A氏:なるほど、財務報告の透明性を確保するためには、その基礎となる企業内の各データ、業務プロセスの信頼が問題になるね。私:それらの業務プロセスの明確化、文書化することも義務付けられている。これは管理用のコンピュータシステムや会計システムなどの情報システムそのものや、システムの開発・保守・運用といった業務プロセス、システムへのアクセス権限のルールや管理、外部ITベンダへの委託契約方法など、公正で明確な手続きによって遂行され、それが証明できるようになっている必要があるわけだ。A氏:日本はいつからなの?私:日本版SOX法の正式名は「金融商品取引法」だ。カネボウやライブドアの粉飾決算の影響を受け、6月に決まり、適用は2008会計年度で、一般には2009年3月期の決算時に、従来の財務諸表監査と合わせて内部統制監査を受けることになる。 だから、少なくとも2008年4月の時点で運用を開始している必要がある。のんびりできない。A氏:では、それは経理部門の仕事だろう。私:ところが、内部統制というのは、財務会計、販売、購買、在庫、給与等のいわゆる基幹業務に組み込まれた統制のことだから、企業活動の日常活動全部が含まれるんだ。 一般に業務処理統制と呼ばれる。取引や入出金のプロセスに不正やミスが入り込む余地を減らすように、権限の適切な分離、承認、照合などにがチェックされる。財務報告はこうした業務プロセスによって作られた情報の集積であり、プロセス・レベルで統制がかかっていれば、そのまとめとしての財務諸表の適正性も自然に保証されるという考えだ。 A氏:なるほど、そこにITを利用する余地が大いにあるということか。仕訳転記の誤りや意図的な会計操作の防止など、日常業務をやる人々にも関係があるわけだ。私:ただ、問題になっているのは、そのコストだ。 昨年の7月上旬のNHKの「クローズアップ現代」で、アメリカのSOX法に対応したリコーの例が紹介されていた。 それは、業務の帳票の流れを書いたフローチャート作成が中心で、大きなフローチャートが約7千枚、費用は8億円かかったという。 これは一時的な費用と言っているが、これに追加して改訂管理の費用も大きいだろうね。 楽天の三木谷社長は、この金融庁の日本版SOX法検討委員会のメンバーらしかったが、NHKのインタビューに答え、このようなコスト負担を企業が負うことは、企業の利益を圧迫し、結局、株主の得にはならないのではないかと言っていたよ。A氏:そこで、企業内の無駄を省いてきた君の知的刺激になったというわけか。私:すでに、アメリカでは、このコスト増のために、株式市場にあまり積極的に参加しない企業が増えているという。特に中小企業はね。そこで、もう、改正の機運があるらしい。 俺のもう一つの疑問は、詳細で膨大な業務フローチャートが企業の実体の情報公開になると本気に信じているのかという点だよ。 三菱自動車、カネボー、橋梁工事会社、JEKスチール、石原産業、建設設計の耐震データの虚偽などなど、枚挙に暇がない不祥事は、多くの書類がごまかしの温床であることを示しているじゃないか。 それに対して「もっと多くのチェック用の書類を作れ」というのは、どうもおかしいね。 問題の真因は別なところにあると思うね。A氏:なるほど、7千枚のフローチャートは誰が見るのか、株主なのか、7千枚のフローチャートを見て株を買うのか、外部の人間が7千枚のフローチャートを本当のことを書いているのか見てわかるのか、業務フローが改善などで変更した場合その改訂管理がきちんと行われると信じているのか、フローチャート通りに実際に行われていると誰がどのように管理するのか、ムダな業務もフローチャートに立派に書かれていても問題としないのか、そのムダは誰が判定できるのか。社長はそこまで責任をもって見ることはできるのか。私:どうも本質からずれている気がしたが、誰も言わないようだ。それで知的興味をひかれたというわけだよ。
2006.07.15
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A氏:ところで、日本人は英語の読み書きは多少できるが、ヒアリング・スピーキング中心の会話に弱いというね。君は、合弁会社に3年ほど出向した経験があるから、会話もできるのでは?私:だめだね。合弁といっても親会社の工場敷地内に小さなラインを作り、アメリカの会社から送られて来た部品で組立てる、いわゆるノックダウンの会社で、常駐のアメリカ人はゼロ。 しかし、一応、英語はネイティブから学んでおこうと、会社側がカネを出し、残業で講師を呼んで週2回くらい勉強をやったかね。最初、ペイパーテストをやり、俺はフリートーキングコースに入ったが、メンバーに技術系が多く、彼らは残業が多い。だんだん、フリートーキングクラスは俺と講師のネイティブだけになってしまった。A氏:それはありがたいことではないの?私:逆だよ。話すテーマがない。講師は「今日、会社であったトラブルのことでもいいですよ」というが、トラブルなど、日本語で書いても難しいくらいの内容だ。結局、この研修プロジェクトは失敗になり、俺の会話力は向上しなかったね。A氏:でもアメリカの会社との業務上のやりとりもあるんだろう?私:当時はテレックスといって紙テープにパンチしたのを伝送する方式で、毎日連絡をしていた。 最初、担当重役がわれわれから情報を得て、英語にまとめ、これをタイピストがパンチして、アメリカに送っていた。この重役は貿易会社でアメリカに長い間いたという。 しかし、この重役も常に工場にいるわけでない。返事が遅れそうになる。見るに見かねて俺が英語で返事を書きはじめた。このとき、学校英語が役立った。A氏:テレックス英語というは会話調だそうだね。私:コストの関係で、文字数を減らす。だから、会話調になるんだね。プリーズもpleaseでなく、PLSと書く。 向こうの会社はシカゴにある。時差があるから、テレックスはこちらに早朝につく。そこで、俺は毎日、誰よりも早く出勤して、目を通す。そして、みなが出勤してくると指示したり、情報を集めたりして、英語で連絡内容を書く。それをタイピストがパンチして送る。 最初は、その重役の名前で送っていた。A氏:理想的な英作文練習だね。私:仕事でやっているから、苦痛ではない。それに、英語を書くときは、ものすごく自己主張的に発想を変える。 俺たち世代は石原慎太郎のように、アメリカに負けたくやしさみたいな意識があるんだね。だから、重役はアメリカに弱腰だと思っていた。だから、英語も攻撃的になる。You had better をやたら使ったね。これが1年くらい続いた。 そのうちにシカゴの会社がどうも日本側のテレックスの担当者が重役と違うようだと気がつき、日本の実状を見たいというので、独身の三十才台のR氏というアメリカ人を派遣してきた。独身なので3ヶ月くらいいた。 彼は、すぐに工場は俺が仕切っていることを知った。そこで、俺を部屋に呼んでいろいろ聞くようになった。もちろん、R氏は日本語が全くできないが、彼は俺を次第に評価し、親友になった。A氏:ヒアリング、スピーキングはどうだった?私:それが驚いたことに英語がスラスラ出たのだね。 仕事の必要上の強制力があり、書くべき自分の主張があり、それに基づいてテレックスの英文を書いていたし、それも毎日だからだね。継続は力なりだね。日常活動になってしまっていたんだね。基礎さえあれば窮すれば通ずだね。A氏:君がいくつくらいのとき?私:30才台なかばだね。ところが、R氏以外のアメリカ人がときどき、シカゴから来るのだが、その場合、スピーキングはいいが、ヒアリングがよくない。耳が慣れていないのかね。A氏:その場合はどうするの?私:面白いことにR氏が通訳になるんだ。彼のいい直しの英語で俺が理解する。A氏:結局、そのR氏が一種の英語会話の先生になったわけだ。「文藝春秋」8月号でピーターセン氏がリスニングや発音は個人的に反復練習して「体で覚える」ものだとして、学校では会話を習うものでないとしているね。私:俺の経験でもそう思うね。学校の基礎的な英文法をもとに、仕事上で言いたいことを簡単なテレックス英語を書けたし、その蓄積で、R氏が来たときに臨機応変の会話もできたということか。 しかし、毎日のように英語会話したのはR氏がいた3ヶ月だけ。すぐに合弁の出向が終わって、日本語の世界にもどってから能力は次第に退化したがね。 今は、暇ができたら「駅前」に行こうかと思っているがね。その前に日本の習字が先だ。 だから、俺は経験から基礎的なことを学んでおけば、なんとかなると自分なりに思う。重要なことは、自分の仕事を日本語でしっかり語れることだと思うね。A氏:よく欧米人は「君の考えはどうなの?」と聞くというが、言いたいことが何かをしっかり頭の中で、組立てられていることがポイントだね。それも日本語で――――.
2006.07.14
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A氏:今月号(8月号)の「文藝春秋」を読んだけれど、昨日の日記でふれた白洲次郎の関係者の鼎談があったね。私:今月は靖国特集だが、知的興味をひかれたのは、例の小学校の英語必修問題、タイガーウッズの親父の話、ロングティールなどのビジネス法則、フィンランドの学校教育の話の4つだね。 タイガーウッズの話で知的興味をひいたのは、親父さんが4才のときからの教え方だ。 まず、ティショットでなく、グリーンから組立てたという。 日本ではジュニア育成は打席でのスイングからだという。 本来、ゴルフは遠くの小さな穴に白球を沈めることだ。 これが2006.07.10の日記でふれた甲野善紀氏が「ゴルフやるとすると、ティショットを打つとき、球を見ない。 打つほうを見る」というのを思い出したからだ。 発想が似ているね。 それから、この親父さんはタイガーをパー3コースへ連れて行った。 普通のコースに連れて行くと、八回から十回も打つので、子供はゴルフに嫌気がさすからだという。 これが小学校で英語必修がよいかの議論とつながる。A氏:ロングティールは?私:これは、インターネット特有の問題でないとして(2006.05.13)の日記と似たようなことが書かれていた。 日本の品質管理なども「『重要な少数』を超えるのは『役に立たない多数』プロジェクトである」という考えでサークル活動を重要視する。 ロングティール理論の先取りだ。A氏:世界一の教育大国フィランドの話は?私:フィンランドは、日本の「ゆとり教育」のモデルになっているらしいが、悪い行為をする生徒には厳しい。 ゼロトレランス(2006.06.21)を連想した。A氏:英語問題は?私:これは(2006.07.09)でふれだしたが、文芸春秋では鳥飼女史とマーク・ピーターセン氏との対談となっている。A氏:鳥飼女史は文春新書で「危うし!小学校英語」を出版しているね。 反対論者だ。私:この対談で、一応、この問題のポイントが分かったような気がする。 鳥飼女史は、反対の理由として、2つあり、一つは「語学学習は始めるのは早いほどいい」というのは、根拠がない幻想だという。 むしろ、英語嫌いが増える危険性があるという。 第2の理由は指導者が質的にも量的にも十分でないということだ。A氏:なるほど、そこでタイガーウッズの親父さんが最初はパー3のコースしかやらせなかったのとつながるのか。私:東京都内の小学5年生の授業での実際の例があげられている。 児童に果物の絵が描かれているカードが配られた。リンゴのカードを引いた男の子が、「アイ・アム・アップル」と元気よく言ったところ、先生が笑顔で「アイ・アム・アップル」と繰り返したという。A氏:正確には、リンゴは単数だからanが必要だ。 これだと「私は(人間でなく)リンゴです」という意味だね。 日本語はあいまいで推測で理解するから「私はリンゴです」でも「私が引いたカードはリンゴです」として通ずるがね。 英語は論理的だ。 しかし、小学生にbe動詞、不定冠詞、定冠詞、時制、単数、複数という日本にない英語の基礎的なものを習得させるとなると、どうするのかね。 俺たちは中学からだから、こういう抽象的な概念は理解できたからね。 幼いタイガーウッズをいきなり、普通コースに連れだすようなことになるかもね。私:やるならこういう文法的なことまで、理屈でなく、体で覚えこますために徹底的にやるかだよ。 昨日の朝日新聞の岐路のアジアというシリーズでインドの英語ビジネスの記事があった。 インドは、イギリスの植民地時代があったから、英語は慣れているのだろうが、今、英語はエリートになるための条件だ。だから、勉強は必死だ。 ある子供は、3才のときから英語を学び、自宅では両親と英語で話し、祖父母とだけヒンディー語で話してきたという。 そうなれば、学校で習った英語を家に帰っても使うので、日常的になり、文法的な抽象概念も自然に身につくだろうよ。A氏:ピーターセン氏は、「日本語が確立してから英語の勉強を始めればよい」というのには賛成しているね。 彼は日本の大学で英作文の授業をしているが、学生の書く英文を読むと日本語の文章力さえも確立していないように思えるという。 数学の問題も日本語を正確に読めないと、解けない。 国語の時間で、作文はどの程度、小学校でしているのかね。私:ひらがな、カタカナ、漢字、和歌、俳句、漢詩、漢文、候文、四字熟語、敬語など、日本語の文化は非常に高度のものであり、伝統文化と深い結びつきがあるから、学び足りないはずだがね。 この議論は、深いものがあるので、また、明日しよう。
2006.07.13
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私:昨日の夕方、どうも体がだるい。のどが痛い。体温を測ったら38度だ。 2、3日前から外を歩くとむし暑く、電車やビルは冷房で、その温度差か知らないが、冷風でクシャミが出たり、鼻水が出はじめたり、そのうちに、痰がからみ、のどが痛くなってきた。 夏カゼだなと思っていた矢先だよ。カゼで熱を出したのは二十年ぶりぐらいだろうか。A氏:熱は下がったの?私:市販の熱をさげる薬をのんだら、37度まで下がった。 今朝は平熱にもどったが、念のためかかりつけの医者に行った。血液検査もして、単なるカゼという診断だ。ノドが真っ赤だと言っていたよ。いろいろな薬をもらって帰ったよ。A氏:悪質なカゼでなくてよかったね。私:ところで、病院で待つ間に、置いてあった雑誌の中から「歴史街道」8月号をなんとなく選んでさっと読んだが、知的興味をひいたのは、白洲次郎の特集記事だ。A氏:例の敗戦後の米軍占領時に、日本は負けたけれど、奴隷になったのではないと、マッカーサーに言うべきことは言ったということで有名な人だね。 多くの日本人は卑屈になったのにね。白洲氏の背景にあるのは「愛国心」だね。私:敗戦のときのサムライと言われたようだね。 知的な興味があったのは、この雑誌で白洲氏が敗戦後、いろいろ活躍したが、その評価を一勝三敗としていることだ。 まず、憲法のGHQ案に対して修正要求をしたが、これは押し切られた。1敗目。 次にサンフランシスコ講和のとき、昭和天皇の退位と吉田首相の退陣の要求をしたが、これもけられ、2敗目。 次に通産省を立上げ、日本の戦後の高度成長の基礎を作る。これが1勝目。A氏:3敗目は?私:戦後、日本はアメリカの不完全な進歩主義者のために、伝統文化を根こそぎにやられ、自由と放縦を混同する国家になったことだ。国という意識がうすくなったことだ。A氏:白洲氏は、サムライと言われているけれど、イギリスに8年いたのではないの?私:そうだね。だから、ダンディと言われていたようだ。 それで思い出したんだが、ベストセラー「国家の品格」の藤原正彦氏もアメリカ、イギリスと歩いているね。A氏:たしか、アメリカの大学で3年、イギリスの大学で1年かね。私:以前、藤原氏がテレビに出たことがあるが、興味があったのは、答え方が簡潔明瞭なことだね。 むしろ、あいまいでグダグダ言う、いわゆる日本的な姿勢でないね。 むしろ、欧米的な自己主張が明確な姿勢と共通していることを感じたよ。 ただ、欧米型の自己主張はうるさい感じだ。これは中国、韓国も似ている。 しかし、藤原氏の姿勢は、冷静に自己主張をする感じだ。A氏:武士道というのは、生死がからむから、明確な姿勢が要求されるのだね。私:白洲次郎氏も家庭では、きびしく日本的なシツケをしていたようだね。だから、3敗目は最大の後悔であったのではないかね。奴隷になったのかね。
2006.07.12
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A氏:昨日の朝日の夕刊の、連続インタビュー・歴史認識の靖国編1を読んだかね。私:読んだよ。靖国問題に今までと違った見方をしているね。A氏:インタビューを受けた人は鹿児島大学助教授の西村明氏だ。近現代日本の民族宗教が専門という。その博士論文で靖国問題と向き合うようになったというね。私:氏は今、33才だ。氏は長崎生まれだから、氏の靖国問題は長崎の原爆慰霊の式典についての違和感からだという。 直接の戦争経験でなく、新しい世代の見方だね。A氏:首相の参拝の是非、政教分離の憲法問題、近隣国との外交問題よりも、その前に考えるべきは、死んだ人はどのような人で、どのように生きたかを問うべきだというわけだね。 個々の死者への想像力を戦後社会は欠いていたとしている。式典がそれをあいまいにしているというわけだ。年内にそれについて本を出すそうだ。 君の6月5日の日記のように、戦死者の7割が戦陣での餓死であるという死に方をもっと考えるべきかもね。私:実は、氏と同じ考えで、戦死者を書いた本があるんだ。フィリピンで戦い、捕虜になった大岡昇平氏だ。兵士の死に方を書いている。戦死者というひとくくりの考えを捨て、個に徹している。これが「レイテ戦記」だ。A氏:レイテ戦は、日本兵八万四千、アメリカ兵四千人という多くの戦死者を出したというね。私:大岡昇平氏の「レイテ戦記」はそれらの兵士に対して書かれたもので、単なる戦史とかドキュメンタリーではない。戦闘で戦うのは一兵士であるという立場だ。「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。」とある。 普通の人が戦い、普通の人間が死んでいったことが、この戦記の基礎をなしている。だからこの本は記録賞でなく、文学賞をもらっている。A氏:これはかなりボリュームのある本だが、読んだの?私:今年、初め読み出した。しかし、膨大な戦記で、遅々として進んでいない。 この本を読もうと思ったのは文芸評論家の加藤典洋氏の「敗戦後論」を読んでからだ。 ここに大岡昇平氏の戦死者に対する考え方が紹介され、論じられていたからだ。 大岡昇平氏によると、この戦場は旧軍人にとっては恥多き戦場なので、責任ある者の報告書がなかなか出なかった。 やっと戦後25年たって発行されるが、多くの遺族が知りたいのは戦闘の実状である。 自分の父や兄はどういうところで、どういう風に死んだかである。大岡昇平氏は書き進めるうちに、戦死した兵士の一人一人について、どこでどういう風に死んだか、を数え上げることになって来たという。A氏:大岡昇平氏は芸術院会員になることを「私は、国の命令である戦陣訓を守らず、捕虜になった恥がある」といって断わったそうだね。私:加藤氏は、「大岡と彼以外の私たちの違いは、私たちの多くがいつか敗者であることを忘れた後も、ひとり大岡が『敗者』の位置を動こうとしなかったことである。」と書いている。 また、加藤氏は、三百万の自国の死者を日陰者にして、二千万人のアジアの死者を切り離して問題にするのは、明らかにごまかしだとしているね。両者はつながっているという。A氏:大岡昇平氏は1909年生まれ。この鹿児島大学の西村氏は1973年生まれ。数十年という長い時がたっているが、遅ればせながら、本当に戦死者が浮かばれるように靖国問題が正しく評価されることを期待したいね。
2006.07.11
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私:この本は日本の身体文化の知的街道の重要なハイライトだね。この本はジャーナリストの田中聡氏がまとめたものだが、そのエッセンスは、この本文の最後の数行に圧縮されているようだ。「これから、きっと日本は危機的な時代を迎えるのだろうが、だからこそ、理念を掲げて制度の延命をはかったりすることより、まず、自分の歩き方を見直してみたりすることのほうが重要なのだと思う。悠長で迂遠なようだが、身体観が変わらない限り、もはや変革すべき事態の核心には届かないのだ。いや、そんなことより、なんといっても、生きることが面白く、楽しくなる。それは強くなることでもある。それこそ、今、もっとももとめられていることではないのではないだろうか。身体から、すべては変わるのだ。」 ここで言う身体観とは、近代の頭脳を尊重し身体を軽視したものから脱して、身体感覚と意識を一体化するどころか、身体感覚の幅を広げることが、思考の幅も広げるという、全体を統合した身体観だ。 「ハイコンセプト」は英語でA Whole New Mind と言うように右脳中心の左脳との新しい合体だね、 これに対し、甲野氏の身体観は、身体感覚中心の脳と身体の合体だからA Whole New Body と言えるね。A氏:ナンバで有名になった甲野氏だが、その発想はかなり独特なのだね。いろいろな分野で効果を出しているようだが、何故、飛躍的に拡大しないのかね。私:ナンバについては江戸時代の日本人の歩き方が意識的なナンバであるというのは、誤解であると甲野氏はいっているね。ただ、西洋式の腕を大きく振るということはなかったらしい。 この本を読んで分かったが、野球、フルート演奏、介護など、従来の近代の身体観を全く否定しているのだね。 それは、しかし、それに基づいたスポーツのプロの基本的な身体観の否定にもなる。スポーツでも個性的な工夫を尊重する。 だから、怒鳴る高校野球に大いに批判的だ。しかし、怒鳴る高校野球が支配的なので、甲野氏のやり方を取り入れようとすると、当然、まわりから抵抗勢力の圧力がかかるらしい。A氏:伝統技術の武術と反対のことをやっている高校野球の甲子園で、国歌と国旗を掲揚するのは矛盾かね。私:今、俺の行っているスポーツクラブで甲野式をとりあげたら、トレーナーや筋力増強用のジムの機械は全部要らなくなりそうだ。当然、抵抗はあるね。A氏:一種の抵抗勢力があるのだね。強大な―――。私:甲野氏は武術の方法を基礎にしているので身体の発想が違う。 武士は、いつも敵が襲ってきてもいいように、準備運動などない。疲れて汗をかかないから整理運動もない。うねり系の動きも極力なくす。筋力もあまり使わない。だから、近代スポーツのトレーニングはない。部分的な筋肉強化もない。個人的な身体感覚で思考する。体系的な理論やマニュアルはない。 そして、面白いのは、体の動きは日常生活と同じだ。日常生活の動きがそのまま、仕事の動きの工夫となる。常在戦場だ。 まさに、武術発想だね。 近代スポーツは、日常生活と専門的なスポーツを切り離した。そして、専門化した。それはスポーツのマニュアル化、頭脳化となった。個性を失った。それは身体の微妙な感覚を同時に失った。養老孟司氏のいう「身体の卑下と脳化の拡大」だ。 甲野氏は養老氏を「人生の師」と呼び、十数年来の付き合いだという。A氏:身体を区別して、下に見る考えは、身体の個性を軽視する考えにつながることを養老孟司氏も言っているね。私:だから、個人的な身体の動きは感覚的で、一般的な表現が難しい。情報化が難しい。養老孟司氏が、情報は死だといているように、人間のほうが常に変わっている。A氏:たしか、甲野氏も常に改善をしていると言っているね。ナンバよりももっといい方法が開発できるかもしれない。 日常改善が重要だとして成長しているトヨタや衣料の「しまむら」の経営活動に似ているね。 そして、すぐに実際にやってみるというのも、トヨタ語録の百見一行に似ているね。私:面白かったのは、ゴルフのことだね。俺はゴルフはやらないが、テレビはよく見る。 甲野氏もゴルフはやらないが、もし、真剣に職業としてやるなら、球を打つときに、球を見ない。打つ方向を見ると言う。これは西部劇で鉄砲を撃つときに鉄砲を見ない。打つ相手を見るのと同じだというわけだ。A氏:なるほど、発想の原点が違うわけだ。甲野氏以外にこの街道で日本文化の特徴として「蜜息」「骨盤後傾」「腰ハラ文化」「息の文化」と続いたが、甲野氏の考えも同じかね。私:甲野氏は、「息」のことはあまり言っていないね。型にするほど、きまったものはまだ、ないらしい。動作に無理がないということは、そのまま、息も楽であるということかもね。 それから、「骨盤後傾」のところで述べていた日本人の得意な引き手には疑問視しているね。ノコギリは西洋人でも引くという。A氏:「まず、自分の歩き方を見直してみたりすることのほうが重要なのだと思う。」というこの本の趣旨を生かすとすると、最初、日常生活のどこから手をつけるかね。私:日常生活ですぐ使いだしたのは、今月二ヶ月になる孫を抱くときの抱え方だ。 まず、肩の力を抜いて片手で抱いて、次にもう一方の手を肩の力を抜いて手の甲を上にして肘までいれてから、裏返して抱く。こうすると肩に力がかからないという甲野氏のアイデア。これは武術の応用だ。 それから、ウオーキングだが、どうもマニュアルにある手を大きく振るのや、ひざ裏を延ばすのは安定感に乏しい実感がしている。少し、自己流を考えて歩くよ。 思考にどういう影響を与えるかね。 本当に愛国心を論ずるなら、日常の生活活動を変えないと空論だね。
2006.07.10
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A氏:昨日の日記で、作家井上ひさし氏が東京裁判の演劇を企画していて、主人公が責任をとらない偉い軍人から、次第に日本語の文法になってしまったというのは、知的興味を感ずるね。 それに関連して、英語を子供の頃から教えたほうがよいかという議論があるね。そして、ついに小学校で英語を教えるかということにまでなっている。 しかし、一方で、小学生の英語教育反対論も強く、国語教育の強化のほうが重要だというのもある。どう思う?私:賛成か反対か、一挙に結論を求める風潮は感心しないね。 小泉内閣を支持するかどうかという世論調査もどうかね。支持の内容がいろいろあるからね。 これらが全部消える質問の仕方だ。養老孟司氏がいう結論に至る途中の方法論がない。 大体、日本人は、英語を中学で義務教育として学んで、皆、経験豊富だよ。それをよく考えるべきだよ。A氏:今、四十才を超えた俺の息子は、小学生のとき、ネイティブの教師の英語をやったが、使うことはないね。何の教養の肥やしになったのか、ハッキリしないね。私:俺の子供そうだね。ただ、面白かったのは、俺の英語の発音を変な目で聞いていたことだ。 例えば、イヌのドッグは、俺の発音はどうしても日本的だ。子供の発音のほうがさすがに英語的だ。発音するときの筋肉の使い方が違うのだね。だから、聴覚も鍛えられる。A氏:運動と同じで、そういう筋肉を子供のうちから鍛えておくというのは意味があるかね。私:しかし、続けて使っていないと、筋肉は退化する。だから、小学生でなくても中学でもおいつくらしい。 問題は、井上ひさしがいうように、文化性との衝突だよ。A氏:主語があいまい、男言葉と女言葉の違い、敬語の使い方、情的な表現など、本当に英語をやろうとなると、文化の違いの問題にぶつかる。私:俺は、中学のとき、はじめて英語にぶつかったので、いろいろな知識にふれるのがうれしくて、英字新聞を辞書をひきひき毎日読んだり、当時、NHKでやっていたラジオ放送の英会話の「カムカム英語」に熱中した。 しかし、そのうちに背景に思考の極端な違いに気がついてきた。俺たちの世代は、戦中の小学校では英語はなく、日本語教育は徹底していたので、その文化的な背景に気がついたのだね。 確か、30年くらい前かな、日本人の英語は発音のときの筋肉の動かし方が全くなっていないというので、まず、発音の矯正からはじめた有名な人がいたけれど、その発音をするには、自己主張を強烈にするという姿勢が必要だと思ったね。A氏:「国家の品格」の藤原正彦氏が三十才前後の頃、アメリカの大学で三年間教えていたとき、まさに、強烈な文化の中にいたわけだ。 そこで日本に帰って、そのままのスタイルの行動で反発を招く。そして、四十才台でイギリスに行き、論理よりも伝統を重んずるやり方を知る。同じ英語圏でも、文化の違いに気がつくわけだ。私:藤原正彦氏は、父親が有名な作家で、徹底的に日本人としての教育を受けた素地があったので、英語の世界と文化的な違いはすぐに気がついたのだろう。A氏:その文化の違いが背景にあり、それまで学ぶというのが、小学生に可能だろうか。私:まあ、あのネイティブの大げさなしゃべり方、強烈な発音という「身体技法」に、日本の伝統と違う発想が根底あることを自覚しないだろうが、感覚的に矛盾した文化圏にとびこむことになることは予想されるね。A氏:そして、どちらも中途半端になるかもしれない。文化的行動でね。それに英語の技術面でも、君が誤訳の発見で言っているように、日本語をきちんと学んでおくと、英語の誤訳に気がつくと言うこともあるね。私:十数年前に、韓国に仕事で行ったとき、同じ年令の通訳の韓国人が、今、一生懸命、「徒然草」を読んでいるのだといったが、通訳は両方の文化を知らないと正確な仕事ができないんだね。A氏:では、君は小学生の英語教育は反対かね。私:そういうように軽々しく結論を出すのが、明治維新から、敗戦にかけて、日本文化のよいところを放棄した原因だよ。まあ、小学生の英語教育推進者の意図はよく分からないのでこれから情報を集めないとね。とにかく、4歳になる孫は塾には出していない。 井上ひさし氏がいうように、日本語のもっている主語があいまい、男言葉と女言葉の違い、敬語の使い方、情的な表現などとの文化的な調整はどうするのか、あらかじめよく議論すべきだね。「ゆとり教育」も実に軽い気持ちでやって失敗だ。すでに加藤十八氏は予告していたのにね。アメリカ自身が、左脳的なアメリカ文化に危機感を持っているのにね。
2006.07.09
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私:養老孟司氏モデルは、「五感→脳での処理→筋肉の伸縮活動」だ。アウトプットは筋肉活動だけだ。 次にその身体行動で得た外部の反応を、五感で得て、また、上の順序を繰り返す。要するに、一種のフィードバックだ。 話す、書く、表情を作る、動作するは文化活動の基本だからね。すべて具体的な身体活動だ。A氏:だから、ある国で子供が生まれると、幼児は五感で感じて行動し、それを親とかモノで修正され、五感にフィードバックされる。その繰返しで、次第に脳の回路がその国らしく作られ、無意識のうちに自然に行動するようになる。これがシツケだ。伝統文化の基礎になる。私:俺の子供時代は、食事は畳だ。当然座る。きちんと座らないと親に注意される。ご飯と味噌汁が基本で後はおかずだ。 ご飯は左、味噌汁は右、箸の先端は最初、味噌汁に軽くつけて濡らし、味噌汁を軽くそそり、それからご飯を一口食べる。ご飯はもったいないから、米一粒でも残してはいけない。 これは、全部、母親からシツケられた。 そのうちに無意識で体が動く。これが文化の原点だよ。 当然、母親の俺の祖母から教わってきたわけだ。それが伝統の原点でもある。A氏:ところが、戦後は、次第に食堂は椅子となった。ご飯だけでなく、パンもある。シツケ方も変わらざるを得ない。いろいろな教育評論家も増える。シツケをやる親もとまどうことになった。 俺たちの若い頃、ベストセラーで、パン食は頭を良くするという本が出た。著者は有名な大学教授だ。パンを食う欧米人は頭が良く、コメを食っている日本人は頭が弱く、だから戦争に負けたというわけだ。 今は、逆に、コメが見直されているし、食の自給率からしても問題を抱えているね。この大学教授は本当の愛国心をどう思っていたのかね。 敗戦直後だから、愛国心など頭の片隅にさえもなかっただろうね。だから、コメよりパンがいいと平気で言えた。私:ところが、その結果、子供の身体活動が変化し、親を殺す、簡単にキレル、学校崩壊、若者の地べたへの座り込み、読み・書き・計算の能力低下、食育の問題などなど、養老氏のいう筋肉活動の変化の結果、過去と違った身体活動を起こし出した。環境問題同様、バランスが崩れだした。 社会からフィードバックがかかる。要するに、これらの社会的なフィードバックで、過去の身体文化のかなりの部分が消失していることに気がつく。その原因が、社会的なシツケの変化ではないかとなる。 愛国心問題ではない。良い悪い以前に、われわれが意図しないうちに、体の動きが理屈に合わなくなっているのだよ。A氏:社会的なシツケをとりもどそうというと、国の独特の文化を取り戻すこととなる。国の良い文化は守っていこうとすることになる。そこで「愛国心」が登場する。私:今までの愛国心論議は、どうも抽象的だね。国体を愛するのか、生まれた郷土を愛するのかとかね。身体文化という視点が弱い。 戦後、団地や住宅などを椅子生活にするとき、座る日本の伝統文化をなくすことで、いろいろ伝統的な身体的な損失を考えて、やっぱり、座るのはやめようとしたのかね。それとも併用することも検討したのかね。 結局、椅子がすべて良く、座ることはすべて悪いという幼い行動をとったのではないのかね(2006.07.07の日記参照)。 その具体的な反省抜きに抽象的に愛国心を議論している。私:愛国心も、脳化した抽象論でなく、養老孟司氏がいう筋肉論でやって欲しいね。 サッカーの国際試合で、日の丸をあげて国家を歌うとき、日本サッカーの筋肉活動の文化性を頭に描いて歌って欲しいね。 作家井上ひさし氏が東京裁判の演劇を企画しているそうだが、主人公が責任をとらない偉い軍人から次第に日本語の文法になってしまったそうだ。A氏:何故?私:日本語の文法は主語があいまい。それは、主語を明確にする筋肉の動きを脳の回路が遮断するからだろうね。伝統的にね。 なんとなく皆で話し合いをしているうちに、誰の責任でもなく、全体の行動が決まる。そういう言葉や表情の筋肉活動に文化として固定されている。 これなど、日本語の文法を変えるの?それとも守るの?愛国心問題としてはどうするの? これは今となっては、国体でもなく、風土でもないね。 インドは、掛け算の暗記を子供のときからやっていて、その伝統は守られ、今の経済発展のもとになっているという。 日本は何故ソロバンを捨てたの?座位を取り入れた日本式の椅子でなく、西洋式の椅子を何故そのまま導入したの?井上ひさし氏ではないが、「なんとなく、無責任できまった」の? インドは掛け算の暗記を何故捨てなかったの? 愛国心の有無だろうか?
2006.07.08
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私:日本人の身体文化街道での「椅子」からみた宿場だ。A氏:日本人は伝統的に床や畳に座る文化だから、椅子から日本人の身体を考えるというのは知的興味をそそられるね。 「密息」「骨盤後傾」「腰・ハラ」「息」というキーワードは、座禅などの「座位」文化とつながり、「椅子」文化はそれと反対の文化だ。私:西洋のいい点を生かし、日本の良い伝統を守るのは和魂洋才として、総論としては分かるが、具体論が少ないね。 それが、学生時代に体操選手であり、椅子も自分で作っているという著者が日常生活の椅子という具体論で日本の伝統的文化を西洋型の椅子に適用しようと考えているのは貴重だね。A氏:以前、友人の欧州車で東名を走ったことあるが、腰が疲れなかった覚えがあるね。私:著者も国産車で腰が疲れた経験に対して、ヨーロッパでフランスのシトロンが、全く疲労がなかったという体験を述べているね。 そのシトロンも経営が変わったら、シートのデザインが変わり失望しているらしい。 日本では椅子の伝統文化がなかったから、その研究が浅いのかもね。A氏:中国は古くから椅子の文化なんだが、日本はマネしなかったのかね。私:日本人は外国の文物をいちはやく吸収すると、今度は独自のものを作り出すのだが、椅子に関しては、これにあてはまらないね。導入はするが、定着しない。やはり、日本の文化風土に何か合わなかったのだろうね。A氏:でも、明治以後は、椅子が次第に導入されているね。学校などは代表的な例だ。これなど、日本の伝統的な身体文化である座位を配慮した独創的な椅子ではなかった。私:これで面白い例があげられている。学習椅子は北欧が進んでいて、デンマークでは学校の椅子にかなりの予算を割いているらしい。 理由は「いい椅子を使えば子供たちの姿勢が良くなる。彼らは健康な大人へと成長する。そうすれば医療費の削減につながる。だから学校の椅子には予算を惜しまない」 とのこと。デンマークの文部大臣の言という。 日本は明治維新で、学校は簡単に伝統の座位を捨て、椅子にした。その軽さが問題だね。 そして、一方では君が代斉唱だとか日の丸掲揚だとか、愛国心だとか、お互いに抽象論を言っている。その間に、日本人の若い人の身体行動はどんどん伝統を失っている。 椅子から見直さないかね。A氏:ヨーロッパでも身体文化という考えがあるんだね。日本はすばらしい身体文化があるのに全く無自覚、無関心だね。私:この本を読んで、フランスの社会科学にそういう分野が百年ほど前からあることを知ったよ。その点、欧米のほうが体系化が進んでいるようだ。 人間の姿勢や動作の特徴は、個人的なものでなく、社会全体として共通する集合的な性質がある。その習慣や伝統にしたがった「体の使い方」のことを「身体技法」というそうだ。それを言い出した学者をフランスのマルセル・モースという。 その意味で、著者は日本人の座るという伝統的な「身体技法」から、日本の伝統を受け継いだ椅子を考えているわけだ。A氏:しかし、われわれ日本人の日常生活も大きく変わっているので、伝統を生かすのもむずかいしね。何が良い伝統なのか。何が古い臭い伝統なのかわからないからね。私:ところで、日本とは逆に、欧米のような椅子坐の民族は、股関節の柔軟性が退化している。 モースは自分の軍隊のときの経験として、次のことを述べているという。「あるとき、モースの部隊はぬかるんだ地面の上で休息をとらなければならなくなった。モースを含むフランス人兵士は尻を湿った地面に直接下ろして、休まなければならなかった。 ところが、唯一人、オーストラリア出身の兵士だけは、踵の上に尻をおろし、かがんで、靴以外はどこも濡らさず、何時間も休憩をとることができたという。」 オーストラリア人は、椅子坐ではないのかね。このオーストラリア人が日本人であったなら、この話はもっと面白かったろうにね。A氏:日本でも、床に座ることのできない高齢者や、「しゃがむ」姿勢をとることができない若者が増えているが、生活習慣の欧米化で、日本人の身体技法に欧米人と同様の変化が生じているのかね。 伝統的な床坐の生活を享受できるだけの身体能力が失われているということかね。私:それにしても、今まで、気にしていなかった椅子に対する目が多少できた気がする。 椅子を買うときに、個人差があり人間工学一本やりの椅子はよくないこと、それと体が楽になるという観点からでなく、ある程度、使用する人の筋肉を鍛えるという観点も必要だという日本的な考えも参考になったね。 著者が理想的な姿勢として運慶が作った大日如来像をあげているね。この姿勢を保持するのが日本の伝統を生かした理想的な椅子となるね。 ポイントは、骨盤を円形にしっかり保持する構造になっているかだね。 これは、自動車のシートも同じだね。
2006.07.07
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私:昨日の「身体感覚を取り戻す」の3年後にて発行されたもの。腰・ハラ文化再生の一環だ。前回と違うのは、腰・ハラ文化の基礎に「息」があるとして、今度、呼吸に焦点を絞っている。A氏:具体的にどんな呼吸法なの?私:斉藤氏は、日本の身体文化には「型」というのがあり、これが重要な役割をしているとしているので、氏の呼吸法も「型」があり、「三・二・十五」としている。A氏:どういう意味?私:「鼻から三秒息を吸い、二秒お腹の中でぐっと溜めて、十五秒間かけて口から細くゆっくりと吐く」というものだ。A氏:ヨガでも呼吸法があるが、それと違うの?私:ヨガでは鼻から吸って鼻から吐く。これは斉藤氏も慣れたら、鼻呼吸が望ましいといっている。 ヨガでは、腹式呼吸として六・二・四・四というのがある。六秒で吐いて二秒溜め(肛門に力を入れる)、四秒で息を吸い、四秒溜めるというのだ。似ているね。A氏:2006.06.30の日記の尺八の「密息」と違うね。私:この本のときには、尺八の「密息」の情報はなかったのかね。「密息」に近い説明が多いが、「密息」の呼吸法のほうが詳細だ。 斎藤氏は、武道、能、座禅、ヨガなどの例をあげているが、呼吸が中心となる笛や尺八までは研究の手が届かなかったのかね。 日本の体の構えと衣服が密接な関係にあるのは、「密息」でも述べているが、斉藤氏のこの本でもふれているね。A氏:呼吸法では、有名な「西野流呼吸法」というのがあるし、他にもいろいろあるね。私:斎藤氏は、「気」は意図的に避けているね。しかし、氏の意図は、新たな呼吸法を提唱するのでなく、日本の伝統的な身体文化に呼吸法の型があることを指摘していることだろう。 次は、日本の身体文化を大きく変えた「椅子」に向けて、街道をさらに歩いてみたい。 日本の身体文化を配慮した椅子があるかね。
2006.07.06
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私:今日は、(2006.06.30) (2006.07.01) (2006.07.04) の「日本人の身体の伝統」という知的街道には重要な宿だと思って立ち寄ったよ。 この本はちょっと、古いかね。2000年に発行された本だ。A氏:斉藤孝というと、例の国語を読むということで、大人の脳のトレーニングの川島隆太氏とも共同で活動している人かね。私:そうだね。しかし、この本では、日本人の伝統的な身体文化が大きく変わっていること、そして、失いつつある素晴らしいものがあることを指摘している。それに忍びないという気持から書いている本だ。A氏:「密息」や「後傾骨盤」が出てくるの?私:いや、それは出てこない。似たような言葉で日本の伝統的な身体文化を「腰肚(ハラ)文化」と「息の文化」としているね。 そして、日本の「腰肚(ハラ)文化」のすばらしさを指摘したのも外国人だね。 著者が例をあげているのは、戦時中に日本にいたドイツの哲学者デュルクハイムだ。 欧米人にない安定した姿勢のすばらしさを指摘している。 それから、1882年に日本を旅行したフランス青年ウーグ・クラフトの写真集「ボンジュール・ジャポン」がある。 この写真集には当時の日本人の見事な立ち姿が載せられているが、この本では車夫の写真が引用されている。なるほど、下腹に帯か紐を巻いていて、安定している。ひざを伸ばさず多少、がに股ではあるが。A氏:しかし、その後、明治維新で、欧米列強に追いつくために、彼らの身体文化を強制的に導入しなくてはならなかったね。私:しかし、俺たちの子供時代は、まだ、伝統的な身体文化が残っていたね。それをこの本では戦後使われなくなった「からだ言葉」で示している。A氏:「からだ言葉」とは?私:「腑に落ちる」「堪忍袋の緒が切れる」「腹に据えかねる」「肚(ハラ)におさめる」「清濁併せ呑む」「練る」「磨く」「研ぐ」「締める」「絞る」「背負う」「踏ん張る」「腰を入れる」「渾身」などなどで、これらは伝統的な日本の身体文化を背景にしているので外来語では補えない。A氏:斉藤氏の呼吸法のほうはどうなの?私:「丹田呼吸法」と言っている。これは、別に「呼吸入門」という本があるので、そちらでふれるが、「密息」のようでちょっと異なるようだ。しかし、丹田というのは、臍下丹田といって、ヘソ下のことだから、「密息」でいう帯でおさえたハラのことである。似ている。 いずれにせよ、斉藤氏のこの考えが国語の朗読につながる。A氏:椅子など、近代的な生活の中で、数百年以上にわたる伝統的な身体感覚を意識的にどのように伝承するかだね。私:だから、これが身体面での「国家の品格」になるね。これがなかったなら、「国家の品格」(2006.06.03の日記参照)は砂上の楼閣となりかねない。 それを思うと、本当は、W杯で喜んだり、悲しんだりしている余裕などないかもね。 本当は、引退した中田選手に、こういう観点から、日本サッカーを見直してもらいたかったがーーーー。
2006.07.05
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A氏:2006.06.30の日記の「『密息』で身体が変わる」と2006.07.01の日記の「希望のしくみ」は、「日本人の身体文化」という面で知的街道がつながっているね。私:2つの本は底でつながっている。鋭い指摘だね。新しい知的街道ができた。A氏:ところでサッカーは中田が引退するそうだね。 今週の週刊新潮でサッカーがブラジルに負け「『大本営発表』にダマされ続けたW杯」という特集があったね。読売新聞が最初は「『世界』を知る強み」と持ち上げ、負けると「サムライ力量不足」となったと批判しているね。 なんで、負けると急にサムライが出るの? サムライの身体技術を知らないで簡単にサムライを使うべきではないんじゃないの?私:面白い話が、2006.07.01の日記の「希望のしくみ」にある。それは、養老氏が、武術研究家の甲野氏が初めてスキーをやったときに居合わせたときのエピソードだ。 甲野氏といえども、最初のスキーだから何度も転ぶ。それは普通の人と同じ。 ところが起き上がるときがまるで違う。どういうふうに転んでも、一発で起き上がる。それは普通の人には絶対できない。「なぜスッと起きられるんですか?」と聞くと「からだがバラバラに動くからだ」という。A氏:甲野氏がサッカーをしたら、ケガなんかないかもね。転んでも一発で起き上がるね。私:いや、その前にぶつからないだろうね。別なところで甲野氏が言っていたが、相手にぶつかろうと前に行く動きは、欧米型は直進する。しかし、日本の武術型は、ぶつかる瞬間横に動ける。体の動かし方が違うからだ。イエローカードもレッドカードもない。A氏:ところで、日本式の「密息」は、簡単に言うと腹式呼吸とどうちがうの?私:腹式呼吸では、腹が出たりへっこんだりするね。しかし、「密息」は、腹の外壁は出たままで、内部の筋肉の活動で呼吸が行われる。A氏:あぁ、だから、着物が重要なポイントだというわけだ。私:そうだね。着物は帯で下腹をしめるので、腹式呼吸のように呼吸で腹を動かせない。腹をふくらませて帯に押し付けたまま、呼吸をしなくてはならないからだ。 最近の子供は浴衣を着て、帯をみぞおちに締めることがあるそうだが、これでは帯の意味がないね。しかし、腹式呼吸をするのには楽かもしれない。A氏:忍者の呼吸なども密息だね。それと日本人の骨盤が後傾というのは、日常生活とどういう関係にあるの?私:和式トイレがいい例だね。それから、昔から日本人は椅子を使わない。畳や板の間に座る。あぐらをかく。歩き方もナンバ歩きだ。中村氏は「しゃがむ」動作は外国ではみたことがないという。 しかし、俺は、蒙古、東南アジア、アフリカでは結構あるのではないかと思うね。 相撲で蒙古勢が強いのはそれと関係があるのでないかと思う。A氏:そういえば、大工仕事での体の動かし方が、日本人は独特だね。かんな、ノコギリ、包丁など引いて切るね。西洋式では押して切る。骨盤の違いだね。私:そういうことになる。大八車、リヤカーもそうだ。引くね。西洋式は工事現場などの「ネコ」で押す。「ネコ」は日本の昔の工事にはなかった道具だそうだ。A氏:そういう日本の特異な身体の動かし方をスポーツに応用して、世界的にスポーツでも強くならないかね。私:骨盤が前に傾いている黒人は、体が前倒しだから、単純に走るスポーツに強い。しかし、マラソンには弱いのではないかな。日本は骨盤が後傾しているといっても猫背と違う。胸ははっている。A氏:サッカーはどうだね。私:単純に走るわけでないので、日本人もうまく体の動きを工夫すれば、「密息」と後傾骨盤の長所を生かせるのではないかと想像できるね。A氏:小林寺拳法をもとにした小林サッカーという映画があったが、日本の身体文化をもとに、忍者サッカー、日本武術サッカー、密息・骨盤後傾サッカーという映画でもできないかね。 今度のW杯で、「サムライ力量不足」と言う前に――――。私:でも、日本は明治維新と敗戦でその伝統的な身体の使い方のうまみを十分継承していないからな。また、欧米が学んで逆輸入されるのかもしれないね(2006.06.10、06.21の日記参照)。
2006.07.04
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私:ケネディ暗殺のミステリィー街道の最後の宿だ。 この本はフランスのジャーナリスト、ウィリアム・レモンが、ビリー・ソル・エステスに対する証言インタビューがもとになっている。エステスはジョンソン大統領への政治資金提供をしてきた破産した億万長者。 原書(フランス語)の出版は2003年、和訳の出版は2004年だ。原書の出版は、2006.06.27の日記の「ケネディを殺した副大統領:その血と金と権力」と同じ頃の出版だ。両書とも言わば事件のインサイドからの情報であることは共通だ。A氏:結論的には、誰がケネディ大統領暗殺を指示したの?私:両書ともジョンソン大統領の指示であることを明記しているね。そして、オズワルド単独犯説でなく、最低、3人の人による暗殺であることも共通している。ウオレスの指紋の件も両書に登場する。その点は「ケネディを殺した副大統領:その血と金と権力」のほうが詳しい。A氏:ビリー・ソル・エステス氏とはどういう人なの?私:若くして、億万長者になったテキサス人だ。法すれすれのやり方で大儲けをし、そのカネの一部が政治資金としてジョンソンに流れる。ジョンソンは、その見返りに、法すれすれの問題がばれそうになると圧力をかけてくれる。しかし、ロバートケネディが、気がつき、その追及に乗り出してくる。 ただ、この2つの本で基本的に違うのは、ジョンソンの片腕になって、ケネディ暗殺を企てた者だ。「JFK暗殺」で、エステスが証言しているのは、ジョンソンの参謀と言われるクリフ・カーターだ。しかし、「ケネディを殺した副大統領」のほうはスーパー弁護士のクラークだ。A氏:どっちが真実なのかね?私:立場上、エステスのほうが内部をよく知っているので、クリフ・カーターではないか。もっともジョンソンのマネーロンダリングをしていたとして、エステスの証言にクラークも登場するがね。その他、不正選挙、不正献金などの話は、ほとんど、共通している。A氏:それにしても、この暗殺関連で、多くの関係者が謎の死を遂げているね。私:「JFK暗殺」のほうがそれについて詳しく触れている。 本筋とそれるが、興味をひかれた話は、TFX戦闘機の受注の話だ。 テキサスに本拠地を置く兵器製造業のゼネラル・ダイナミック社は、ジョンソンに選挙資金を提供していた。1963年、同社よりはるかに規模の大きいボーイング社を負かして、TFX戦闘機の受注を獲得した。 専門家はどうみてもボーイング社のほうが技術的に優位であった。ジョンソンの働きがあったようだ。ところがケネディは、この契約が正式に決まる前に、おかしいことに気づき、ボーイング社に落札しようとしていた。 とこが、最終的にどんでん返しでゼネラル・ダイナミック社との契約となる。A氏:何故?私:セックススキャンダルがらみだ。ケネディはフランクシナトラに紹介されたエクスナーと肉体関係にあった。エクスナーはシカゴ・マフィアのボス、ジアンカーナとも関係があった。ジアンカーナはケネディの大統領選に大量の資金と集票力を投入してケネディを応援した。 ゼネラル・ダイナミック社はこの情報を知った。 エクスナーの電話に盗聴器をしかけた。ところが驚いたことに、すでにマフィアとFBIの2つの盗聴器がしかけられていたという。 盗聴は成功し、2週間後、恐喝に屈したケネディ大統領は、TFX戦闘機の契約をゼネラル・ダイナミック社に変えた。A氏:奇々怪々だね。私:テキサスはケネディ嫌いだったんだね。テキサスがアメリカの中でも長い間、別の国のように動いていた歴史を「ケネディを殺した副大統領」が詳しく述べている。 そして、そういうテキサスを政治的に追い詰めるケネディの対応は危険なものになっていた。A氏:暗殺がテキサスで行われたことがわかるね。私:「JFK暗殺」でエステスが言っている次のような言葉が印象的だったね。「彼はテキサスに来るべきでなかった。彼はテキサスの半数が自分を嫌っていることを知っていた。それなのに、その憎悪がもつ危険がわからなかった。 彼は愚かだった。東海岸のエリートによくある高慢さで、目がくらんでいたのさ。ケネディは、ジョンソンとその友人らに自分を殺す勇気があるなんて、思ってもみなかったのだから」 この暗い出来事は、底が知れないね。この謎のとりこになると、ミイラ取りがミイラになりそうだ。著者はそれを「ヘビに噛まれてヘビになった」といっているね。 ヘビにならないうちに、これでこの知的街道は終点としよう。
2006.07.03
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私:長雨で、どうもウオーキングの機会が減ったが、晴れ間が出たので昨日、近所を散歩したよ。汗ビッショリだ。結構、リハウスしているところが多かった。 俺の家は、大手不動産が開発した一戸建ての建売住宅の1つだが、開発したのが、オイルショック前のブームの頃だった。畑で何もない丘陵地に住宅ができたが、俺には高くて手が出なかった。 それが出来上がって少したって、オイルショックによる不況が来た。値段が下がった。そこで、それまで住んでいた分譲マンションを売って、それを頭金にして買ったんだ。A氏:オイルショックと言うと、1975年頃だね。三十年ほどたつか。私:建売団地には同じ四十才台の世代が入居してきた。標準的には子供が二人だ。小学校が一時的に込んだね。だから、今、三十年くらいたつと皆もう年だね。家も建て直すところが多い。 左隣りでは、奥さんが最近ガンでなくなって、旦那が一人暮らしになった。子供たちは一人前で独立して外に出ている。 その向かいの家は、逆に旦那が十年位前にガンで急死し、長いあいだ、奥さんが一人暮らしていたが、年になり、子供の家に移ることになった。家を手放して、今、不動産屋がリハウスして売り出し中だ。 俺の真向かいの家は、数年前に、百歳を超えるおじいさんが息子夫婦と住んでいたが、そのおじいさがなくなり、リハウスして息子夫婦だけで住んでいる。子供は独立していない。 その隣の家は、子供は息子一人だが、つとめのためか、独立していない。夫婦二人だけだ。 右隣も老夫婦二名で住んでいる。息子はやはり独立して、別に住んでいる。 裏隣も子供二人いたが、すでに独立していて、これも老夫婦二人だ。A氏:そうすると、旦那のいる家では旦那は定年で家にいることになるね。私:そうだ。だから、このあたりは、この変な過疎化がはじまっているね。 もっとも、これを予測して、近所の小学校は最初から変な建物で、将来は老人用だといっていた。当時からそういう予測をしていたのだから、今更、少子化と騒ぐのはおかしいね。 ところで、向かいの家の百歳をこえてなくなった老人は、早く奥さんをなくした。しかし、元気で九十八才のとき、自費出版で俳句集を出した。俺は俳句をやらないが、贈呈を受けたよ。 東京商科大学(今の一橋大学)の出だそうだが、俳句は大正九年の処女作とあるから大正、昭和、平成と生きてきた生涯の俳句集だね。俳句集の最後のほうは、九十八才のときのものらしく、次の句がある。 白寿まで遠くて近し我の春 白寿まで近くて遠し我の春 この句の数年後になくなった。 昔から、十年一昔というけれど、三十年もたつと大きく変わるものだ。「般若心経」ではないが、色即是空だ。
2006.07.02
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私:この本を読んだ知的動機は、多神教の仏教の考えとこれに関連して養老氏の考えを知りたかったからだ。もっとも、仏教は宗教かという問題もあるね。 この本は初版が2004年だから、「バカの壁」の後の対談だね。対談の相手が変わっていて初期仏教界の長老のスリランカのアルボムッレ・スマナサーラ氏との対談だ。A氏:多神教の代表である仏教の登場だね。私:この本で面白いのは、養老氏とスマナサーラ氏の考えがピッタリだということだ。「般若心経」などはいわゆる頭脳型の大乗仏教のものだが、スマナサーラ氏は初期仏教(原始仏教)のほうだね。だから、瞑想法などの身体的なテクニックが背景にある。A氏:それが、身体の動きと脳とを関連づけている養老氏の考えと一致することになるのかね。私:だから、養老氏の話にも武術家の甲野善紀氏の体の動きの例が登場することになる。 それにこの対談でいいのは、対談する二人のあいだに、もう1名、匿名の仲介的な人が加わっていることだ。この人の割り込みのタイミングが実によく、かつ、説明が非常に分かりやすい。二人だけの対談では、分かりにくい対談になっていたかもしれない。これは編集の妙だね。二人の話をうまくかみ合わせている。珍しい対談だ。A氏:一神教との違いはどこにあるのかね。私:仏教ではすべての存在は無常だ。しかし、一神教は絶対神がある。そして「永遠の生命」がある。だから、イスラム教の人は永遠の生命があるから自爆テロがあり、キリスト教にも天国の教えがあって他の民族や動物を下に見る。 これに対し、仏教はすべて無常で平等だ。絶対神は空想に過ぎない。仏教は「生若老死」だ。A氏:生きる瞬間、瞬間が重要だということかね。私:興味があったのは、瞑想法の考えだ。一度、人の動きを筋肉の単純運動に分解して意識するという方法だ。単純化するという方法だ。A氏:座禅と違うの?私:詳しいことは、また、勉強しないといけないが、座禅と違い、動くのだね。立つ、座るなどの基本動作をしながら それを頭の中で実況中継する。だから、瞑想というより「観る実践」ともいうべきか。A氏:たしか、養老氏は、別な本で、日本人はすぐに精進料理の専門とか中国料理の名人とか分ける癖があるが、包丁使いの名人という発想がないと言っていたね。 身体の運動という視点で横断的に見ると、実は料理は単純な要素に分解できるね。後はその組合せが多いだけだ。 人は五感でいろいろな情報をインプットし、頭脳でいろいろ考えるがアウトプットは筋肉の運動に過ぎない。それも基本的には伸縮だ。私:だから、一見つまらないことも何か重要な要素になっていることがある。 養老氏は助教授になったとき、死体引取りの仕事を自ら率先しておこなったという。そしたら、上司からそんなことに時間を割くよりも、研究に集中すべきではないかと言われたが黙ってやっていたというね。A氏:今はどうか知らないが、俺たちの若い頃は、鉄道会社に勤めた者は、大卒であろう改札の切符切りから始めたね。まあ、そんなに深い意味はなかったのかもしれないが。私:例のニンテンドウの大人の脳トレーニングでは、簡単なものを解くことが脳の活性化になるとしている。 その活性化が、難しい問題が解けるきっかけになるのかもしれないね。脳が勝手に複雑にしているのかもしれない。悩みなんかそうかもね。 簡単なことだといってバカにしてはいけない。複雑に見える問題も、単純な問題がからみあっているだけかもしれない。 まあ、いろいろな養老氏の本を読んだが、俺にとってはこの対談が一番、養老理論を分かりやすくまとめているような気がしたよ。 奥が深いから。今後消化時間がかかりそうだが、難しく考えないで、この本にあるように日常のアナロジーで考えることにしよう。 帯に一読三時間とあったが、そんな時間で読めるけれど、本当に理解するにはもっと時間がかかりそうだね。もっと早く読んでおけばよかった。
2006.07.01
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