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私:この新刊本は、「国家の品格」(2006.06.03の日記参照)の身体編だね。「国家の品格」街道の1つの宿場だね。順序からすると、この本で日本人らしい身体の基礎を作り、次に日本人らしい育児を行い(2006.06.28の日記参照)、そして「国家の品格」が完成するということになるのかね。「国家の品格」街道が大分整備されてきたようだ。 ところで、昨日の朝日新聞の夕刊の「楽しみ学・ことはじめ」という欄で、「武術に学ぶ介護術」というテーマで、武術研究家の甲野善紀氏の「筋力に頼らず体を使う」方法で、介護の楽な方法を教えている記事があった。A氏:この介護方法は、2年ほど前に文藝春秋で氏が話していたね。私:でも説明がよく理解できなかったんだが、幸い、その頃、「徹子の部屋」に甲野氏が出て、ソフアに腰を下ろしている徹子を軽々持ち上げるシーンを見た。そのとき、説明しながらやっていたが、「両足を浮かすつもりで」とか、何か分からないことを言うのでやはりピンとこなかった。徹子女史も「よく分かりません」と言っていた。しかし、「鎧は持てば重いが、着てしまえば案外軽い」という説明で分かったような気がしたね。A氏:実際、やって見ないとだめだろうね。たしか、昨年、NHKのテレビで、甲野氏がある学校で、これを生徒たちにやらせている番組があったね。やってみると皆できるようになる。私:甲野氏はいつも着物姿で指導しているようだね。着物が武術と関係しているのは、この本を読むと分かるよ。 紹介が遅れたが、日本人の身体の特徴を非常にユニークな視点から説明したのが、この「『密息』で身体が変わる」だよ。著者は有名な尺八奏者。日本人の身体というか姿勢の特徴は、「骨盤の後傾」で、欧米型の「立った骨盤」でないという。 引退した百メートル10秒フラットのアジア記録保持者の伊東浩司氏は、黒人の骨盤は前傾しているのでスピードが速いカギとなっているが、日本人の骨盤は後傾しているので、その位置を修正することを必死に行って記録につながったという。A氏:サッカーなんかも関係しているのかね。私:この本では、日本人の身体はそれにあった「密息」という呼吸法ですぐれたものをもっているという。その自覚がないために、欧米流の腹式呼吸法をしようとするので無理がある。そのために逆に胸式呼吸になり、大舞台であがりやすくなったり、きれやすくなったりしているという。A氏:西洋的な生活様式ガ進んでいるために、日本人のよい点が失われているのは身体の基本的な面でも現れているのだね。 最近、ある剣道を教えている人のブログをみたが、最近の子供たちは姿勢が悪く、それが上達の障害になっているという。それは畳の生活がなくなっているからではないかというわけだ。私:「密息」のやり方はこの本に書いてあるが、簡単だ。「密息」と「骨盤の後傾」は武術、禅、茶の湯、書道、日本画、能、俳句、落語など日本文化の基礎になっていることが、この本を読むとよく理解できるね。 小津映画のローアングルも関係している。 中村氏は、「密息」で「日本人をとりもどす」ことを提唱している。 逆に、アメリカでは「密息」の尺八が見直されて、尺八をやる人が増えているそうだ。A氏:また、逆輸入にならないといいがね(2006.06.10、06.21の日記参照)。この世代の人が、どしどし日本文化が世界的に優れたものであることを発見してもらいたいね。私:俺はサッカーより野球世代だが、「密息」と欧米の「腹式呼吸法」をミックスした日本式サッカーでも開発できないかね。A氏:それは一神教の長所と多神教の長所を結合できないかという岸田秀氏の「虫のいい考え方」に通ずるようだね(2006.05.28の日記参照)。私:しかし、最近、両者の悪い点が結合しつつあるというのが岸田氏の危機感だが、この本の中村氏も、今、日本人は伝統を忘れ、「密息」でもない「腹式呼吸法」でもない、身体的には悪い結合である胸式呼吸法になりつつあるという危機感を持っているね。 まだまだ、日本人は、自分たち文化的な深さを知らないようだね。その意味では、戦後だけでなく、かなり伝統を軽視した明治維新も見直す必要があるかもしれないな。
2006.06.30
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私:昨日、本棚を片付けていたら、奈良の薬師寺の「般若心経」の写経用紙が出てきた。A氏:確か、奈良薬師寺再建のため、故高田後胤管主が企画した写経ではないの?私:そうだね。十数年前に、奈良に仕事でよくいっていた時、薬師寺で買ったんだ。写経して送付して納経しようと思って用紙を買ったんだよ。そのまま、仕事が多忙で、そういう心境にならないまま、いつの間にか時間があっという間に過ぎてしまったよ。 この写経で数百万人の納経があり、その寄付金で薬師寺再建を果たしたというね。A氏:「般若心経」は実は、われわれの身近に多いんだね。私:そうだね。私の両親、妻の両親は地方が違うが、それぞれの葬式で、この「般若心経」の本が配られ、葬儀の出席者が、和尚が読むのに合わせて、声をあげたね。それが最近、ブームの「般若心経」とは意識しなかったがね。A氏:「般若心経」の写経は時間がかかるのかね?私:いや、漢字で三百文字程度だから、書き出せば、1時間はかからないだろう。 それに写して書けるように手本があり、これを下敷きにして書けばよい。問題は、集中する時間だね。精神的にもね。そういう環境になるのをあこがれていたんだね。心の健康を買ったのかもしれない。だが、いまだに書いていない。A氏:漢字を書くのは、結構、精神的にもいいことだ。書道なんかも見直されているようだ。私:もう、ワープロ時代から手で字を書かなくなって三十年以上たつね。だから、漢字はパターンで覚えていて、筆順を忘れつつある。 そこで、最近、ようやく、少し書道をやり出した。書道は、小学生以来ではないかな。なかなかいいね。腕の動きだけでなく、姿勢や精神的な集中や安定にもよいね。 パソコンでのブラインド書きは速いが、なにかせわしい心理になっているのに気がついたよ。昔、原稿用紙のマスに字を埋めていった時代がなつかしい。 英語の本は、やたらに厚い気がするが、昔からタイプで打つせいかね。A氏:漢字文化も、継続して生かしていきたいね。私:二十一世紀は、行き過ぎた左脳時代の反省から精神的な右脳文化への時代だというからね(2006.05.16の日記参照) 。失いたくない文化だね。
2006.06.29
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私:新刊だ。本の帯に「救国の育児論」とあるが、一言で言うと、「国家の品格」(2006.06.03の日記参照)の育児編だね。「国家の品格」の知的街道に位置するね。しかし、半分は育児の医学的なポイントを書いている。母親が必要な知識が中心だ。A氏:帯に「『他人に迷惑をかけない人になれ』は大間違い!」とあるがどういう意味なの?私:要するに、これを親が子供に言うと「私たちは物事の善悪の判断ができないので、お前たちが自分で勝手に決めろ」と、言っているのと同じだというわけさ。A氏:子供にそんな能力がないから、やりたい事を勝手にやってしまうようになる。私:生命には四つの意味があるとしている。「個の生命」「家系の生命」「民族の生命」「人類の種の生命」だ。そして、これを背景に、育児方針として子育ての次の3つの問に答えるべきとしている。1.子は誰のものか2.何のために子供を育てるのか3.どんな大人になって欲しいのかA氏:著者の答えは?私:1.の「誰」とは、「日本の社会」。2.は「日本の文化を継承する」。3.は「法を守る善良で賢い日本国民」だ。だから、「国家の品格」の藤原氏のように日本文化の継承を重視しているね。A氏:戦後、日本人は、戦前の文化をすべて悪としたからね。私:だから、氏はアメリカが戦後日本に持ち込んだジョン・デューイの教育論やスポック博士の育児書にも間違いが多いとして指摘している。A氏:アメリカでも1980年代、ジョン・デューイの教育論でアメリカの学校教育は崩壊し、結局、ゼロトレランス(2006.06.21の日記参照)が登場することになっているね。私:善悪を教えるのに理屈はいらない。子供のために徹底的に植え付けるのだから、信念をもって「黙ってお母さんの言うとうりにしなさい」と言うことが重要だとこの本は言っている。A氏:「国家の品格」の藤原氏が「人を殺すことは悪いことだ」は論理でないというのと同じだね。私:著者は、親子の信頼関係を重視し、母親がある年令までは、24時間、できるだけ抱いて、一緒にいることをすすめている。だから、保育所に預けるのはできるだけ避けるようにと言っている。抱き癖大いに結構だという。A氏:母親や父親の人権はどうなるの?私:それが、ジョン・デューイの教育論やスポック博士の育児書の間違いの1つだね。 それは子育てが大変だという逃げであって、先に楽をするか後で苦労するかの問題だとしているね。 日本ではこれだけ、子供の問題が出てくると育児は「民族の命」がなくなるかもしれない重要な仕事だよ。人権のスケールが違うね。A氏:奈良の高校生の放火・殺人事件の背景に、エリート一家の悲劇があったが、ここにも継母のためか母親の愛情問題と、さっきの育児の3つの方針の欠如があるね。 塾の勉強より、「日本の文化を継承する」「法を守る善良で賢い日本国民」の育成を優先すべきかもね。私:それで思い出すのは、オウム真理教のサリン事件の林郁夫だ。実に理想的な医者の道を40才台まで歩んでいた。 父は開業医であったので、子供のときの林郁夫は、毎月、保険の請求書にハンコを押すのが楽しみであったという。ハンコを押すたびに、父がこの人を救ったと思っていたという。 しかし、現代医療の限界に疑問を持ち、真面目に悩むに従い、宗教に向かう。そこにオウム真理教があった。真面目な医師にとって不幸な出会いと言うべきか。A氏:結局、エリートなのに、人を殺すのはいけないということが反射的にしみついていなかったのかね。私: 戦後教育の問題かもね。愛国心問題でも、テレビで「日本が愛するに足る国かが問題だ」などと言う人がいるが、日本語で言っているのもなんだか、おかしいね。日本語は誰に教わったのかね。そういう政府批判みたいなことを言っても、たちまち刑務所に送られることのない国に住んでいるのにね。A氏:阪神大震災のとき、略奪騒ぎがないのを諸外国は不思議がっていたくらい安全な国なのにね。それは言わない。私:この本には「国家の品格」同様、それが失われつつあるのではないかという危機感があるね。 それから、この本で子育ては親子だけでなく、おじいさん、おばあさんも孫の教育として参加すべきとしているのは、卓見だね。世代は協力して良き伝統を守るべきだね。
2006.06.28
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私:ケネディ暗殺は、20世紀の最大のミスティリーの1つだね。それについて、この本は明確に犯人を言い切っている。日本訳で五百頁ほどの力作だ。 原書は2003年出版だが、日本訳は半年ほど前の出版だ。図書館で予約しておいたのが、2ヶ月ほどの予約待ちでからようやく手元に入り読んだよ。A氏:ケネディの暗殺は、公的にはオズワルドの単独犯行で終わっているのに、陰謀説がさかんだね。この本がそれらの陰謀説と違う点はどこにあるの?私:著者のバー・マクレラン氏は弁護士で、ジョンソン大統領の片腕的な弁護士クラークのもとに働いていた人で、かつ、一時期、ジョンソンの顧問弁護士をしていた。言わば内部にいた人の詳細な陰謀説という点が特徴だ。 要するに、ケネディを暗殺したのは、ケネディに政治的に追い詰められたジョンソンとクラークの計画で、細かい計画はクラークが行ったというものだ。 彼の推定では、当日の暗殺は次のように行われた。 当日、教科書倉庫の6階から銃を撃ったのは、ウォレスとオズワルド、そして、芝生の丘にいたジュニアである。オズワルドの最初の銃弾はそれた。次にウォレスの銃弾は、ケネディの肩に当たった。オズワルドの次の弾はコナリーに当たった。 ついで、芝生の丘にいたジュニアは、ケネディの眉間に合わせ、引き金を引いた。これがケネディの頭蓋骨を破裂させ、致命傷となった。7秒足らずのあいだに4発の銃弾が発射された。A氏:それで何故、オズワルドだけつかまったのかね?私:教科書倉庫から逃亡を助けるために、見張り役のイェーツがいて、シークレットサービスの偽身分証を持っていた。ウォレスは逃げるとき彼と合流したので怪しまれなかった。ジュニアもシークレットサービスのような態度で怪しまれず、現場を去った。 オズワルドは6階に隠れて銃撃戦に備えるように言われていた。しかし、不安になり、ウォレスの様子を見に行ったら、いない。彼はオトリの役目で、警官と打ち合い殺される予定だったのだ。 彼は、一旦、下宿に帰り、また、外出するが、巡査に呼び止められ、発砲して巡査を射殺。映画館に隠れているところを逮捕された。A氏:オズワルドはその後、連行中に、ルビーにより射殺されるね。私:これは、オトリのオズワルドが警官との銃撃戦で殺される計画が、逮捕されてしまい、何を言い出すか分からない恐れが出たためだ。誤算だね。そのためクラークがうった手だ。A氏:明確に犯人を名指ししている以上、当然、アメリカでは物議をかもしたろうね。私:この本が出版された2003年には、ジョンソン擁護派は反対活動を起こした。確かに、この本は、すでに中心となった人がなくなっているので、伝聞による状況証拠が多い。 しかし、唯一、動かない証拠としてあげているのが、教科書倉庫ビルにあった未確認の指紋だ。これがウォレスの指紋と一致するというのだ。A氏:まだ、もめそうだね。私:ただ、この本を読んで、感じたのは、ケネディ暗殺のミスティリーの謎解きよりも、アメリカの民主政治の実態だね。 この本は、テキサスのジョンソンとクラークの生い立ちから、次第に成功の道を歩いていく世界を描いているが、不正選挙、財界との癒着、不正蓄財、裁判の買収、殺人、隠蔽工作、セックススキャンダルなど、アメリカの政治の姿をこれでもかこれでもかと読者に示しているね。「JFK暗殺―40年目の衝撃の証言」に登場し、長期にわたって、ジョンソンの資金提供者で、テキサス出身の破産した億万長者だったビリー・ソル・エステスも、ここで登場する。 この知的街道の一つの本として、この本を図書館で予約したよ。A氏:選挙の問題は、ブッシュ大統領のときも、フロリダ選挙で問題があったね。私:最近では、BSE問題で業界の関係などがあるね。まあ、こういう本が出版できるということがアメリカの最後の救いということかも知れないが。 この本では、章毎に、最後にワンフレーズ的な引用がある。これが面白かったね。下記に面白そうなものを引用する。 教育は賞賛に値する。だが、時々思い出さなければならないのは、知るに値する事柄は教えることはできないということだ。(オスカーワイルド) 「あの子は次の州知事か州一番のお尋ね者になるぞ」 「あいつなんか、どっちもやったんだぜ」(テキサスの古い格言) 政治家が腐敗しているからという理由から、有権者は投票に行かなかった。有権者は、自分で思っている以上に腐敗政治家に深く関わっていたのかもしれない。(ラルフ・ウッズ) 民主政治には、何も知らない有権者が不可欠である。(ラルフ・ウッズ) 民主主義の弊害を正すには、さらに民主主義を推し進めることだ。(H.L.メンケン)
2006.06.27
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「シートン動物記」集中逆読み9冊目(知的街道「シートン動物記」終点) ジョニーは母親グマのグランピーといっしょに、イエローストーン国立公園の森でくらす甘えん坊の子グマ。 シートンのこの物語で、子グマのジョニーベアの名は世界中の人々に知れわたった。実は、テディベアのもとはこのジョニーベアであることを知る人は少ないであろう。残飯の山:イエローストーン国立公園に住む野生動物は人間がいかなる危害を加えてならないという野生動物の天国であった。しかし、ファウンテン・ホテルの近くの森に住むクマたちは、事情が異なっていた。 それは、ホテルの支配人が、クマに気持ちよく食事してもらおうと、ホテルの調理室からでる豊富な食べ物のくずを、森に捨てていたからだ。 クマは恵まれているようで、実は栄養はかたよるという弊害があった。 シートンは、この臭いのすごい食べ物くずの中に穴を掘り、何日も隠れて過ごし、詳細にクマたちの観察をする。注目した親子:目をひいたのは、グランピーとジョニー親子である。この豊富な食べ物を食べにくる常連であった。しかも、他のクマが食べていると追い払い、ジョニーが好きなように食べさせた。ジョニーは、甘いジャムの缶など、残りをきれいに食べた。 ジョニーは体が弱そうであった。シートンはジョニーがおなかをこわすような甘いもの、あぶらもの、くさっているものを食べているのでしかたがないという。 しかも、母親のグランピーは、ジョニーが何を食べようと干渉しなかった。放任であった。ジョニーが甘えん坊であったのは、グランビーの子どもへの無関心のせいであった。ほんとうの野生のクマの母親なら、厳しくしつけたであろう。グリズリーとのたたかい:あるとき、いつものように、グランピーとジョニーがこのゴミ捨て場で食べていると、大グマのグリズリーが来た。 グランピーはおそいかかるが、敵ではない。一撃で投げ飛ばされ、逃げてしまう。木の上に置き去りになったジョニーが鳴き叫んで、おそるおそる木からおりて逃げた。ネコとのたたかい:あるとき、ジョニーは好きな紫色のプラムのにおいを追って、ホテルの料理室に向った。ところがその日、コックが猫を連れてきていた。調理室の入り口にはネコの親子がいた。 親ネコはグランピーにとびつき、鼻をかじり、背中に乗って引っかいた。グランピーは木に登って逃げた。ネコはそこで背中からおり、コックが呼んだのでひきあげた。 だんだん、グランピーは、ジョニーをかまわないようになった。そして、シートンはイエローストーンを後にする。その後のジョニーの話は伝聞である。ジョニーの保護:ある日の朝早く、ジョニーはグランピーについて調理場の裏庭に入る。調理室では新人のノラというアイルランド娘が早起きして働いていた。グランピーはノラを見て逃げ出した。ジョニーはあわてて柱にのぼった。ジョニーが声を出してもグランピーは助けに来なかった。 従業員たちは、ジョニーはグランピーに世話してもらえないのだから、ホテルで保護したほうがいいということになり、首輪と鎖で柱につないだ。 夕方、ノラが持ってきた食べ物を食べるようになった。その後、数日のあいだは、グランピーはゴミの山にしばしば姿をあらわしたが、ジョニーのことは忘れたように、調理室には近づかなかった。ノラのしつけと愛情:ジョニーはノラになつくようになった。あるとき、ジョニーは食べ物をもってきてくれたノラをひっかいた。 ノラは怒り、ジョニーが悲鳴をあげるほど強くぶった(2006.06.21のゼロトレランス参照) 。ジョニーははじめて自分のわがままをきびしく注意された。それからというもの、ジョニーは新しい保護者を尊敬するようになった。ノラも愛情を深めた。 あるとき、鎖をはなして自由に歩かせたが、ジョニーは森に行かなかった。ネコとも仲良くなった。病気と死:霜が降りる頃、ジョニーは成長してきたが、一方で悪い咳が出るようになった。獣医にみてもらったら、内臓が悪いことが分かった。咳は次第にひどくなったので温かい調理室でくらした。 しかし、数日後、高い熱と咳ばかりがつづき、ホテルが冬で閉鎖される数日前、ノラのひざにのせてくれるようにせがんだ。ノラはひざにのせた。 そして、声が弱くなり、ノラが仕事に行こうとひざからおろしたときには、すでに死んでいた。 この物語で、人間のぜいたくな食べ物残りをあたえ、甘やかし、「野生」をうばって自立できないようにするということが、豊かなようで、実は野生動物にみじめな、貧しい暮らしを強いるということが理解できる。ジョニーベアはその犠牲者であろう。 飽食の日本では子どもに成人病が増えているという。考えさせられた。 さようなら、数十年ぶりの「シートン動物記」と登場する動物たちよ。再度の教訓ありがとう。次は私の孫たちと会ってほしい。孫たちによく教えてほしい。そして、縁があれば、そのときに会うことがあるかもしれない。 とりあえず、さようなら。
2006.06.26
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「シートン動物記」集中逆読み8冊目 ラギーラグ(raggylug)は「ちぎれてぼろぼろになった耳」という意味。ラグlugは「耳」の意味。この物語の主人公となるワタオウサギの雄の子の名前。ワタオとは綿のような尾があることからつけられたもの。 ラギーラグは、母親のモリーと湿地に住んでいた。そして、敵の多い生活からいかに身を守るかの方法の訓練を母親から受けた。ヘビの襲来:あるとき、聞きなれない音を聞く。隠れていた草むらから思わず身を乗り出したら、目の前にクロヘビがいた。 逃げようとしたが、クロヘビは体を巻きつけた。悲鳴を聞いた母親モリーがヘビにおそいかかった。そのたたかいでクロヘビは巻きをゆるめたので、ラギーラグはなんとか逃げた。モリーはそれ以上、ヘビにおそいかからず、森へ走った。 ラギーラグも母親の雪のような白い綿毛の尾(シートンが描いたこの白く丸く大きい母親の尾の絵は、この数十年覚えていた絵であった)を追って森に走った。 ラギーラグの「ちぎれてぼろぼろになった耳」はこのときヘビにかまれた傷跡である。母親の教え:一番目は「低く伏せて、なにもいわない」である。二番目は「フリーズ」である。彫像のようになることである。三番目は「バラの茂みは、ウサギの友だち」である。それはバラのトゲは、ウサギにだけ痛みを与えないからである。 ラギーラグ通信手段も覚える。ウサギは声よりも遠くに伝達できる足音を使う。敵をまくためのいろいろな方法も覚える。水泳も覚える。この水についての勉強はラギーラグが最後に学んだ教えであった。彼は「大学院」まで学んだ。侵入者におびえる暮らし:あるとき、大きなワタオウサギの雄がこの湿地にやってきた。「なわばり」あらしである。 ラギーラグはこのワタオウサギと闘うがかなわない。母親もかなわない。こうして、親子は思わぬ敵のいじめにあう。 植民地化である。ラギーラグの勝利:親子はなれた湿地を出ようときめた。その直前、農家の猟犬が湿地にやってきた。ラギーラグはうまく猟犬をそのワタオウサギの巣に誘導した。猟犬はそのワタオウサギを発見し、殺してしまう。 親子に再び平和な日がきた。母の死: 冬が来た。親子はこの湿地に来たミンクに悩まされ、住処の自由をうばわれる。ある吹雪の夜、親子は茂みにかくれて夜を過ごすことになる。 キツネがその吹雪の夜、あえて狩に出て、茂みの親子を発見する。ラギーラグはとっさに逃げる。モリーも逃げる。 そして池まで逃げ、とびこむ。キツネもとびこんだが、冷たくてムリであった。モリーは向こう岸につこうと泳ぐが、その向こう岸にキツネがきているかもしれない。モリーは長い間、泳ぎ、岸に着いたとき、力つきた。モリーは死んだ。今も生きるラギーラグ:ラギーラグは、キツネが去ってから母親をさがしたが分からなかった。しかし、ラギーラグは母親の教えを生かし、家庭を作り、子どもを育て今もこの湿地で元気に生きている。 シートンは、母親モリーの死を次のように言っている。「モリーは、世にいう英雄の受けのいい言動などは見向きもせず、自分が感じる小さな世界で、全力をつくして、はたらいて、そして死んでいったほんとうの英雄である。 同じように生きた数えきれないほどいる、ほんとうの英雄のなかのひとりである。モリーは今をよく生きるというほんとうのたたかいで、すばらしくたたかいぬいた英雄である。 モリーの筋肉は、ラギーラグの筋肉として、モリーの脳はラギーラグの脳として、いまも生きている。モリーはラギーラグとしていきつづけ、ラギーラグをとおしてモリーの細部が、ワタオウサギの種に伝えられていく。」 シートンの頃は、DNAという知識はなかったが、彼の言葉はそれをしめしている。と同時に、親による子の訓練が伝統的な知恵を伝える重要な部分をなしていることを示している。 日本人の親が、その種(日本人)として伝統的に大切に伝えられていくべきものはなんだろうか。しつけとして子に身につけさせる大切な誇りある日本人としての訓練とはなんであろうか(2006.06.03の日記参照)。 日本人の種は、それを怠り絶滅するか、独立した「国家の品格」を失うのであろうか。精神的に植民地化するのであろうか。 孫と会うとそれを意識しながら、とりとめのない会話をしている。 明日はこの「シートン動物記」の知的街道の終点「ジョニーベア」に挑戦する。
2006.06.25
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「シートン動物記」集中逆読み7冊目 カランポーは、ニューメキシコの北部に広がる高原。そこに栄養たっぷりの牧草が生い茂り、ウシとヒツジの大牧場が展開する。ロボ:このウシの国を支配するオオカミの王がロボである。ロボは体が大きく、頭がよく、頑強であった。また、オオカミの群れを率いるリーダーであった。 このロボはその地方の人にとっては有名であった。「わが偉大なオオカミ」「オオカミ王」とも呼ばれていた。 ロボの遠ぼえは、すぐロボとよくわかり、その遠ぼえの翌朝には被害が出ることは分かっていた。つれあいのブランカ:白のロボの仲間は案外少なく、五頭であった。ロボの激しい気性が影響したのかもしれないという。 その中に真っ白のメスのオオカミがいた。これを地元の人はブランカと呼んで、ロボのつれあいではないかといっていた。ロボ退治の失敗:このロボの群れによる被害をなくすために、当然、牧場主は退治するためのあらゆる手段をとったが、ロボの知恵の前には無力であった。 あらゆる銃から逃れ、毒餌を見破り、猟師をあざわらった。賞金王タナリーの挑戦:賞金はついには、千ドルになった。タナリーというテキサスの有名な賞金稼ぎがこの谷にやってきた。オオカミ猟のために凶暴なイヌたち、最高級の猟銃、数頭のすぐれた狩猟用のウマをつれてきた。しかし、テキサスの平原でなく、谷の多いガランポーでは苦戦し、イヌは逆にやられる。 タナリーは体勢を立て直し、二回目の挑戦をするが、失敗する。 三回目の挑戦では最愛のウマが崖から落ちて死ぬ。タナリーは失意のうちにテキサスにもどっていった。 次の年、二人の猟師がやってきて、工夫した毒薬で餌を作るが、しかし、見破られる。シートンがカランポーへ:ニューヨークにいたシートンに牧場主からロボ退治の依頼がくる。シートンはロボに対する興味もあり、仕事をやめ、カランポーに行く。 シートンは知恵を絞り毒餌を作るが、見破られる。新しいワナも失敗する。シートンの計画:シートンは、ロボの群れの弱点をつくことを考えた。群れをちょっと乱すオオカミとしてブランカに注目する。ロボはメスオオカミに弱かったのであろう。 こうして、メスオオカミを狙ってロボをだます方法でワナを配置したブランカの死:この計画は成功した。ワナが消えていて、追いかけるとブランカが岩にはさまって動けなくなっていた。こうしてブランカは死んだ。シートンたちはブランカの死体を持ってひきあげた。ロボの嘆き:一晩中、ロボのほえ声がした。たたかいの声と違い、嘆きの声であった。そして、死体のある牧場の家に近づいた。 そこでシートンが気がついたのは、ロボが慎重さを失い、無用心な動きをしていることであった。シートンはこのチャンスを生かし、ロボをワナにかけることを考えた。百三十個のワナ:シートンは全部で百三十個のオオカミ用の強力な鋼鉄製のワナを集め、一帯のけもの道に設置した。そして、ワナにブランカのにおいをつけ、死体の足あとをつけた。 翌日、何の変化もなかった。ところが、あるカウボーイが北の谷で朝、すごくさわいでいるのが聞こえたというので、翌日、その場所をおとずれると、4本の足をワナにはさまれたロボがいた。最愛のブランカのためにワナに落ちてしまった。捕らえられたロボ:シートンたちが現れると、ロボは必死の抵抗をした。しかし、力尽きたとき、静かになった。シートンはロボを捕らえて牧場につれて帰った。遠い視線:捕らえられたロボに肉と水を与えても、ロボは見向きもしなかった。目はかなたの草原に向けたままであった。 力を失ったライオン、自由をうばわれたワシ、愛する者をなくしたハトはかならず死ぬという。ロボはその三つを失った。もう彼には死の選択しかない。死の存在を動物は知っている(2006.05.28の日記参照)。彼は死を選んだ。 翌朝、ロボは死んでいた。ブランカとの死での再会:納屋にはブランカの死体があった。 カウボーイがシートンとともにロボの死体をそっとブランカの横に置いて、言った。「ああ、ロボよ。ブランカのために命をかけて悔いなきロボよ、さあ、あまえの場所はここだ。おまえは愛する者と、ただ、一緒にいたかっただけなのだ。」 シートンは、この経験の後、決して動物にワナや銃などの暴力を使わないと自分に誓った。そして、自分のサインにロボの足あとマークをつけるようになった。
2006.06.24
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「シートン動物記」集中逆読み6冊目 サンドヒルとは、アシニボイン川の広大な三角州にある砂丘の名前。スタッグ(stag)は雄ジカをいう。 したがって、サンドヒル・スタッグは「サンドヒルにすむ雄ジカ」という意味であるが、この物語は、その名前をつけられたすばらしい容姿の雄ジカをさす。 まだ、若いときのシートンが、あるとき、この雄ジカとばったり会い、雪の上の足あとをもとに辛抱強く追跡する物語である。ストーリーとしては単純である。 しかし、シートンの真髄とも言うべき、自然の教訓、野生動物の知恵などの物語に満ちている。また、生涯の恩人である先住民(インディアン)の若き熟達の猟師チャスカと友人になったことなども書かれている。 しかし、この本の圧巻は、ライフルを持ったシートンが、長い追跡の末、ついにサンドヒル・スタッドに追いつき、五メートルほどしかない距離で対面するシーンである。 このシーンをシートンは、こちらを見つめるその気高い容姿を持つサンドヒル・スタッドの絵とともに、十頁くらい続く説明で、その生命の神秘、気高さを感動的に述べている。 そして、長い追跡劇は、サンドヒル・スタッドを逃がしてやるシートンの自然への回帰の心で終わる。 この物語の最後の感動的な文章を掲げる。「たったいま、わたしはあなたのおかげで、なによりたいせつな、聖杯(探求すべき真に価値ある課題)のありかを知りました。だからもう、わたしは、あなたに会えなくても自分で進めます。空かける美しき雄ジカ、サンドヒル・スタッドよ!ありがとう、さようなら!」 「人を殺すのは何故いけないのか」。それは気高い生物でも同様である。それは論理でなく自然から感じとるものであろう。 この本の前作である有名な悲劇「オオカミ王ロボ」を読んだ多くの子供たちから手紙がシートンに来た。ある十一才の少女は「三回も読んだけれど、そのたびに泣きました。」とあった。 多くの読者はたんに悲しい気持ちになっただけでなく、「自分がやさしく、人間らしくなった」と気持ちが高ぶるのを感じたと書いてきた。 ある九才の男の子は「ぼくはもう、たとえ五ドルもらっても決して銃は買わないし、撃ちもしないと決意しました」と感想を書いた。 最近、少年、少女のモラルを忘れた殺人が多い。親が塾やパソコンの勉強だけでなく、この動物記を読ませていたら、命の尊さをなんとなく感じていたかもしれない。ブレーキが働いたかもしれないと思う。 脳の柔軟なときの、本との出会いはその人の一生を決めるほど大切であると思った。 明日は、そのシートンシリーズのは1つのハイライトである、思いで深い名作の一つ、「オオカミ王ロボ」を数十年ぶりで読むことにする。
2006.06.23
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「シートン動物記」集中逆読み5冊目 レイザーバックは日本のイノシシにあたる。アメリカイノシシともいう。この動物記の主人公は、レイザーバックのフォーミィである。フォーミィの誕生:フォーミィの母親は、プルンティ家の農場の近くの森で何頭かの子供を生む。子供は母親に教育を受ける。 ある子供が鼻を蜂に刺され、キツネのようにとがった口から、白い泡を吹き、これが白く頬についた。このことから、この子供にフォーミィという名がつく。フォーミィの母親の死:プルンティ牧場の十三才の少女リゼットは一人で森を歩いていたら、クロクマに出会った。お互いに見合っていたら、そこにレイザーバックの家族も出合った。母親は子供を守るため、クロクマと戦った。しかし、ついに敗れる。そのとき、リゼットはわれにかえり家に逃げ帰った。フォーミィとリゼットの出会い:家に帰ったリゼットは父親のジャックにこの状況を告げた。すぐにジャックは猟犬とライフルを持ってリゼットの案内でかけつけた。 しかし、逃げ隠れたフォーミィを残し、母親と他の子供たちは死んでいた。 こうして、フォーミィはリゼットに育てられるようになる。フォーミィの遊び仲間:野生で育ったフォーミィは、次第にリゼットになつく。リゼットも可愛がる。背中をかいてもらうのが何よりも好きになる。そのうちに小さなアヒルの子とヒツジの子が仲間に加わり、楽しい遊び相手になる。クロクマの襲撃:あるとき、クロクマが農場に忍びこみ、ヒツジの子が倒される。フォーミィは逃げた。物音を聞いたリゼットの父親のジャックは人と猟犬を呼んでライフルを持ってクロクマを追いかけたが、逃げられた。 恐怖を知ったフォーミィは森に隠れたが、リゼットの口笛でようやく出てきた。服の上のガラガラヘビ:10月になり、少女リゼットはクーガー川をさかのぼり、きれいな水で泳いだ。 ところが水からあがったら、服の上にガラガラヘビがとぐろを巻いており、逃げようとしない。かなり長い時間がたち困っていた。 そこにフォーミィが来て、ガラガラヘビとの戦いとなった。ついにフォーミィはガラガラへビをやっつける。グリーゼルの登場:若いメスのレイザーバックが森を走っていた。人間がある時期になると世の中に出て、自分の未来をさがす熱望にかられる。野生動物も同様である。グリーゼルもその熱望を胸に、冒険の旅をしていた。フォーミィとグリーゼルの出会い:ブタはプルンティ家の農場にある「こすりつけの木」に、自分の体をこすりつけ、しるしを残る。 あるとき、フォーミィはグリーゼルのこすりつけのにおいをかぎ、森へ追跡に入る。こうしてグリーゼルと会い、フォーミーは野生にもどり、二匹は結婚し、子供を持つ。ボブキャットの襲撃:ボブキャットは、木の株の上に乗って、レイザーバックのグリーゼルとその親子が通過するのを待ち伏せた。 そして、最後に一番小さな子供がやってきたので、それを捕らえた。悲鳴を聞いたグリーゼルはボブキャットを攻撃した。フォーミィが参加した。そして、ついにボブキャットを殺す。しかし、一匹の子供は死んでしまった。クロクマとグリーゼルの戦い:クロクマがクーガー川を歩いていたら、ボブキャットとレイザーバックの子供の死骸にであう。 野生動物は、肉親や愛する者を失った場所を数日間おとずれて追悼するという。その場所に近づき、においをかぎ、嘆きの声をあげ、地面をかき、あるいは近くの木にからだをこすりつけて去る。雨でにおいが流されるまで追悼するという。 折悪しく、グリーゼルは子供の追悼に来ていた。そこでクロクマと出会う。激しい戦いがあったが、グリーゼルは川に落とされて流されが、かけつけたフォーミィに助けられる。クロクマは勝利して自信を深める。猟師ボーグの挑戦:レイザーバックが農園を荒らすということでジャック・プルンティは猟師ボーグに撃つように依頼する。しかし、それは失敗する。ボーグは逆にフォーミィに追われ、木の上に登って逃げる。追ってきたリゼットは、フォーミィと会う。リゼットは口笛を吹く。近づいて背中をかいてあげた。フォーミィは静かに森に去る。ボーグは助かる。レイザーバックの勇気ある戦い:今度はボーグとジャック・プルンティだけでレイザーバックを追うことにした。長い追跡の途中で、プルンティはボーグとはぐれる。 森の中である激しい音を聞き、ひそかに、そこに忍び寄ると、それはクロクマとフォーミィ・グリーゼル夫婦との戦いであった。長い戦いの後、クロクマは殺される。 絵を含む十頁に及ぶこのシーンの描写は圧巻である。藤沢周平の刺客ものより鋭い戦いの描写である。かくして、フォーミィは母親の仇を取り、レイザーバックの家族に平和がもどる。 この死闘をかくれて全部目撃していたジャック・プルンティは、手にしていたライフルを見て恥ずかしく思う。「フォーミィは私の小さな娘を救ってくれたこともある。それなのに、なんと私はこのライフルで御礼をしようとしたのだ。」「おどろいた。最高のたたかいだった。わが生涯で見た、いちばんのたたかいだった。フォーミィを退治するなんて、とんでもない。いつまでも私の農場の沼地で生きていてもらいたい。畑の作物を守る方法は他にいくらでもある。」 この「品格ある」野生動物の姿から、リゼットの父ジャック・プルンティは忘れていた「人間の品格」「農場経営者の品格」を学んだのである。
2006.06.22
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A氏:君の6月17日の日記では、「シートン動物記」に関連して、ゼロトレランスが登場しているね。私:「シートン動物記」で知的アンテナがはられていたので、新聞を見てひっかかったね。アメリカの学校教育というと、教室は立ち歩き、私語などひどいという先入観があったが、それは間違っていたようだ。ゼロトレランスというシステムで建て直しをしてきたんだね。A氏:ゼロトレランス(zero tolerance)というのは品質管理からきた言葉だというけれど、製造業にいた君はよく知っているのではないの?私:日本の製造業の優秀さを参考にしたらしいが、どうもピンとこないね。トレランスとは、製造業では日本語で「公差」というのだが、量産工場では公差にゼロはないからね。 それより、「テン・トレランス」というのがあり、何か違反しても十回までガマンして、これを超えたら、懲罰を与えるという意味がある。ワン・トレランスは、1回ガマンだ。だから、ゼロトレランスは、違反したら、ガマンしないで最初からなんらかの懲罰だ。そのほうが分かりやすい。A氏:文部省はゼロトレランス導入を検討しているらしいね。私:17日の朝日新聞の朝刊で書いていた加藤氏には「学校再生の決めて」というゼロトレランスを紹介した本がある。2000年の発行だから、もう6年前だ。ゼロトレランスの古典だね。すでに、アメリカは、70年代のリベラルな教育理念の結果、学校教育現場の完全な崩壊を経験して、その建て直しを90年代からゼロトレランスで始めた。 この本では日本はその逆を進んでいると批判していたが、6年たって、ようやく最近の文部省の考えは、それを認めるような結果になっているね。先見の明があった本だね。A氏:要するに、校則を詳細に決め、小さなことでも違反したら、すぐ罰則を科するという方法だね。そのほうが拡大しない。ニューヨークの犯罪を減らすのに、徹底した地下鉄の落書きの禁止、無賃乗車の禁止という簡単なことを徹底したやり方で成功したのと似ているね(2006.04.28と2006.05.13の日記参照)。私:加藤氏の本にもあるが、「自由(freedom)」「やりたい放題(license)」「完全な自由(liberty)」の3つは異なるとしている。すべての者の「自由(freedom)」を守るためには、お互いに制限が設定され、その枠内の選択が「自由(freedom)」という意味だ。他人の権利や感情を無視して行動する「やりたい放題(license)」「完全な自由(liberty)」とは異なる。日本ではそれが、戦後混乱しているわけだ。A氏:戦争に負けて、一挙に過去の学校教育は悪いとした反動かね。私:皮肉なことに1983年にレーガン大統領は、学校崩壊でどうしようもなくなり、日本に教育を学べと視察団を派遣しているんだ。そのアメリカに今度、日本が学ぶということになりそうだ。A氏:また、逆輸入の舶来崇拝かね(2006.06.10の日記参照) 。日本人は自信がなくなったのかね。私:「シートン動物記」を読んで思うのだが、日本では親が子どもに対して「自由(freedom)」「やりたい放題(license)」「完全な自由(liberty)」との違いを教えているのかね。 「やりたい放題(license)」「完全な自由(liberty)」がいいことだと思っているのでは。A氏:野生動物の場合、「やりたい放題(license)」「完全な自由(liberty)」をしたら、待っているのは天敵からの攻撃であり、餌の欠乏だ。それは直ちに死を意味する。私:そうだよ。あくまで自然のバランスのとれた規制の枠内の選択の自由だ。野生動物はそのようにしてルールを親が徹底的にしつけ、それを守りながら自由を楽しむ方法を教えている。「シートン動物記」はそれを描いている。 だから、良い教訓になる。A氏:問題は、日本では「やりたい放題(license)」「完全な自由(liberty)」が良いことだと洗脳されている親やマスコミが多いかもしれないから、文部省の規律優先にどのように反応するかだね。私:アメリカのやり方で注意すべきは、授業をする人と生徒指導をする人との分業だ。管理者と授業の専門家の分離だ。授業をしない管理者がゼロトレランスでは増加している。A氏:日本では、すべて担任に任せられている。そのため、カウンセリング研修を全教師が受けないといけないが、一人の生徒のために、担任が長時間、医者並みのカウンセリングをするのは、合理的でないね。 第2次大戦同様にアメリカはシステムで来るからね。私:製造業だと、管理側と第一線とは分業になっているのにね。 その点、マネジメントの国であるアメリカは、分業になっていて、担任が手におえない生徒は専門の管理側に任す。これによって、他の多くの生徒の授業を受ける権利を尊重している。 この点、日本人はシステムは得意でないかもね。製造業では当り前だが、教育界はマネジメントが弱いからね。今後、どう展開するかは、日本の今後の教育の分岐点になるね。 これは、戦後、戦前の日本文化はすべて悪として、愛国心や靖国問題など、先送りした問題ともからんでいる。「国家の品格」(2006.06.03の日記参照) として表面化した問題の一つだね。 われわれ、一人一人の自覚を問われているのかもしれない。A氏:まさに、日本にとって百年に一度の曲がり角だ(2006.06.04の日記の立花隆氏の言葉)。小泉首相のいう米百俵になるか。
2006.06.21
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「シートン動物記」集中逆読み4冊目 これはニューメキシコ州クレイトンにいた黒いマスタング(野生ウマ)の壮烈な物語である。カローンと黒いムスタングのペイサー:あるとき、カウボーイのカローンは、きれいな黒いマスタングを平原の泉(アンティロープの泉)近くでみかける。調教してみたいと思う。しかし、黒いムスタングは調教が難しいタイプであった。 しかし、通常の牧場主がムスタングを嫌うのは、放牧している自分のメスウマを連れ去ってしまうことであった。 カローンが目をつけた黒いムスタングはペイサーと呼ばれた。ペイサーはついに、メスウマ九匹をつれて群れを作ってしまった。 シートンは、ニューメキシコに来たとき「ペイサーを見たらライフルで撃ってください」と言われる。そして、ペイさーを目撃するが、その美しさと気高さにみせられ、わざと逃がしてしまう。カローンの追跡:あるとき、有名な牧場主が「ペイサーが本当にいるのか知りたい。そこで生け捕りにした者に千ドルの懸賞金を出す。」と言った。 カローンは二十頭の乗馬用の優秀なウマ、幌付きの炊事馬車、そして二週間一緒に働く三人の仲間を作った。捕まえる方法は、ゆっくりと追い、次第に相手を疲れさすという持久戦であった。ペイサーの群れをウマを乗り換えて、騎手を交代させ、追いかけた。 こうして1週間追い回して、ペイサーの群れのメスウマは疲れ果てていた。しかし、ペイサーは元気であった。カローンは、一気に勝負に出た。しかし、失敗する。ペイサーは悠々と走り去った。 カローンはますます、ペイサーにほれこんでしまった。ターキィの捕獲作戦:別のカーボーイのターキィとホースシューは、アンティロープの泉に落とし穴をつくり、これでペイサーを捕まえようとした。しかし、ギリギリのところでペイサーは穴を飛び越えて逃げてしまった。カローンの二度目の挑戦:そのうちに、カローンは二度目の挑戦に乗り出した。今度は、二十頭のウマと五人のカウボーイを集めた。こうして、静かに追いかけ、ペイサーの疲れるのを待った。 しかし、結果は、今回も惨敗であった。八頭のウマが死に、五人のカウボーイは疲れ果てて落伍した。ペイサーは、無傷で自由であった。 カローンは二度とペイサーを追うことがなかった。ターキィのワナ:ターキィは、このカローンの追跡に参加していた。彼はあきらめなかった。彼は、アンティロープの泉にペイサーがよく水を飲みにくることを利用して、メスウマをおとりに使うことを考えた。そして、以前、掘った穴に隠れた。 ペイサーはこのワナにかかってしまった。ターキィのロープが飛び、足を捕らえてしまった。必死に暴れるペイサーをメスウマをあやつり、ターキィは牧場のほうに、一メートルずつひいていった。自由のために死を:そして、ついに、レオン川の谷の上に来た。下に小さな牧場とランチハウスが見えた。ターキィは「ついにやった」と喜んだ。 しかし、次の瞬間、俊足の黒いマスタング、ペイサーは、残ったあらゆる力を呼びさまし、足輪をつけたまま、谷にジャンプした。落ちて、落ちて六十メートルのがけ下に落下した。 死をとして、野生の自由を守るためにーーー。 新渡戸稲造の英文の「武士道」は1900年の出版である。シートンは、この頃の人だが残念ながら読んでいないであろう。 「武士道」のように、自由のために死を選ぶいさぎよい「品格」ある野生動物もいる。一方では、先週末の国会のように、カネのために、高い地位にしがみつくいさぎよくない「品格」のない日本人もいる。百年たって「武士道」は日本では地に落ちたというべきか。 なお、この物語には後日談がある。訳者あとがきによると、あるカウボーイがこのシートンの物語を読んで、ペイサーの最後は事実と違うと言った。そこでシートンがそのカウボーイに聞いて描いた絵がある。 それは、ペイサーが自分を捕らえたターキィを背に乗せたまま、がけから飛び降りていく絵である。まさに「武士道」の極致である。
2006.06.20
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「シートン動物記」集中逆読み3冊目。 2006.06.17の日記のハイイロ・リスと同じような、キツネの家族の物語である。そして2006.06.15の日記のアメリカ熊・ジャックのような悲劇でなく、ハラハラする死の危険はあるが、これを知恵と運でなんとか切り抜けていくハッピーエンドの物語である。主人公ドミノの登場:ゴルダー山に、あるキツネの家族が住んでいた。何匹かの子ギツネは、母ギツネから生きるための教育を受けていた。この子ギツネたちの中で、目立つ子ギツネがいた。これが主人公のドミノである。巣の危険と移動:あるとき、その巣の存在を人に知られてしまう。親ギツネは夜のうちに緊急で、今の巣を去り、新しいヤマナラシの林の谷の巣に引っ越すことを余儀なくされた。問題は、子ギツネである。母親が一匹ずつくわえて移動しなくてはならない。優先順序がある。 動物の本能で最初、もっとも元気で目立つドミノをくわえて、新しい安全な巣穴に運んだ。父親ギツネはその移動の監視をしていた。 しかし、三匹目の子供をくわえて、巣を出たとき、人間が来た。そして、巣穴を破壊してしまう。残りの子ギツネは死んでしまう。新しい巣での悲劇:こうして、ドミノを含め、三匹の子ギツネの新しいすみかでの生活が始まる。そして、野外での餌探しの訓練を両親から受ける。独立して食べていくための訓練である。 しかし、あるとき牧場の猟犬ヘラクが遊んでいた子ギツネを襲い、ドミノの弟が殺される。次の日、父親も多くの犬に追われ、帰らぬ人となった。こうして、この林の谷の生活は、母ギツネと二匹の子ギツネの生活となる。 ドミノは次第に足の速い、たくましい、毛皮の美しいキツネに成長していき、やがて動物の本能として、独立して親を離れていく。シルバーフォックスとしてのドミノ:ところで、シルバーフォックスと呼ばれるキツネがいるという。それは立派な毛皮を持ち、走るスピードは速く、肺の力は強く、知恵もあるキツネである。猟師の的になる。 ドミノはそのシルバーフォックスであった。ドミノを追う猟師は、いろいろなワナをかけるがドミノは知恵を出して、すりぬけるという戦いが始まる。ドミノの求愛:キツネの本能で、メスのキツネ(スノウラフ)と会い、ライバルのキツネに勝ったドミノは、結ばれる。出産の準備:春になり、スノウラフは子供を生むための新しい巣場所をさがす。これは母となるスノウラフの権限である。 巣場所が決まると、二匹はトンネル堀の作業をする。こうして子育ての部屋とともに新しい巣ができる。子ギツネ誕生:あるときから、スノウラフはドミノが巣に入るのを嫌う。ドミノはメスの要求を尊重するという騎士道精神でそれに従う。そして、五匹の子供が生まれる。 2週間くらいで子供たちの目が開き、鳴くことができるようになり、ドミノは巣穴に入り、新しい家族生活を始める。 1ヶ月くらいになって、子ギツネたちは外に出るようになる。幸福な生活が始まり、同時に、すこしずつ、子ギツネの訓練が始まる。 そして、子ギツネの独立が始まる。すべての成長した子ギツネは巣穴を離れた。残ったドミノとスノウライフの新しい仲の良い共同生活が始まる。ドミノの危機:あるとき、巣に帰ろうとしたスノウラフが猟師に追跡され、危ない瀬戸際になった。悲鳴を聞きつけたドミノが助けに入り、追跡をかわすようにした。しかし、例の猟犬へラクがしつこく追跡して、さらに猟師の鉄砲で傷を受け、ドミノは窮地に追い込まれる。 しかし、今度も幸運が幸いして、ドミノは逃げることができる。 最後に、牧場の若いカップルがデイト中に、ドミノとスノウラフと、そしてその新しい子ギツネたちを目撃する場面となる。若者は言う。「シルバーフォックスだ!生きてたんだ!生きていたんだよ!」 最後の訳者あとがきで今泉氏はシートンの次のような言葉を引用している。「ほとんど勝ち目のないたたかいの中で、野生動物が見せる不屈の精神と強い意志とを読者のみなさんに知っていただきたい、野生動物こそ、わたしにとっての英雄である。」 しかし、今日、私たちの周りの野生生物は、鳥ではカラス、ハト、ツバメなどである。ときどきイノシシやタヌキが登場するが、それは人の餌に依存してペット化している。 シートンが言う「野生動物が見せる不屈の精神と強い意志を学ぶこと」はできないであろう。これは、言い換えれば「野生動物の品格」は消滅したことになろう。 成長すると何もいわなくても、親を離れ、独立していく野生動物には、ニートなどはないであろう。 子ギツネを産んだ野生の母キツネは、人の母親にときには見られる、子供を放置したり、きちんとしたシツケをしなかったり、虐待したりすることはしないであろう。 それを怠れば、死が待っているからであろう。それを予防するように努力するのが親の愛情であろう。 最近、「男の品格」という本が出ているが、問題は「人間の品格」が問われている。 野生の動物に素直に学ぶことができないのは一種の環境被害であろうか。
2006.06.19
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私:昨日、脳のMRIをやったよ。正式には磁気共鳴断層撮影というらしい。A氏:何故、脳の検査をしたんだね?私:1ヶ月くらい前に、夜中にトイレに起きたとき、寝ぼけていたのか、タンスの角にミケンをドンとぶつけたんだ。切り傷は浅かったが、痛みが消えないので、翌日、脳外科の医者に行ったんだ。レントゲンでは問題なかったが、1ヶ月ぐらいたつと脳に症状が出ることがあるあるらしい。 そこで、1ヶ月後にMRIをすることにして、検査を予約したんだよ。ついでに脳のドックを兼ねてね。 ベッドみたいな台に寝て、頭の上をトンネルのように検査機がおおう。30分くらい寝たままの検査だ。A氏:うるさいそうだね。私:工事現場のような音がするね。確かに、気になる人は嫌だろうね。まあ、快適とはいえないが、俺はがまんできた。むしろ、単調な音なので、眠くなったよ。寝てしまう人もいるそうだ。音楽は流れているがね。A氏:胃カメラ同様に個人差があるのだろうね(2006.05.19の日記参照)。 それで診断はどうだった?私:ぶつけたことによる後遺症はなかった。ついでに、医者のノートパソコンで脳のいろいろな画像を見た。正面からの断面、横の断面、水平方向の脳のいくつかの輪切り、とぐろを巻くような首からの血管も見せてもらったが、異常なしだ。ホッとしたよ。 自分の解剖図を見るようだね。 保険で3千円ほど払った。A氏:まあ、異常がなかったのは何よりだね。私:しかし、それはあくまでその過去の瞬間で今後、どうなるかは神様だけしか知らないと医者は笑いながら言っていたよ。そして、健康に悪いことをしないように、現状を維持するようにとアドバイスしていた。A氏:養老孟司氏は人間ドックについて同じようなことを書いていたように思うが、一つの参考にはなるね。明日は分からないが、現在とつながってる面も否定できないからね。 しかし、安心は危険だね。MRIでよかった人が、何年か後で、また、検査したら異常が見つかったことがあったからな。 お互い年だし、保険料もあがることだし、日常の健康には気をつけよう。私:一番、よい死に方は、NPOだそうだ。Nは長生き、Pは死ぬときは寝たきりでなくポックリ、そしてOは精神的な往生だそうだ。
2006.06.18
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シートン動物記逆読み読破2冊目 この本は、バナーテイルとシートンが名づけたハイイロ・リスの成長する過程を描いた物語である。シートンが自ら観察した生態をベースにしているとのこと。話の発端:ある農場の少年が、たまたま油断していたリスを見かけこれを打ち、洞から子リスをつかみとることから始まる。少年は農場に帰り、猫がネズミを食べていることを思い出し、猫に子リスをあげようと恐ろしいことを考えた。そして、子リスを猫の巣に落とした。猫による子育て:しかし、意外なことに、お母さん猫は子リスを自分のようにお腹の下に入れ、乳を与えて育てた。成長してきた子リスはお母さん猫の立てた尾に上ると、その尾をすべり台にして地面に降りるという遊びをするようになった。この子リスが主人公のバナーテイルである。野生への復帰:あるとき、農場が火事になり、お母さん猫も農場の人も姿を消した。幼いときにお母さんリスと別れたバナーテイルは、リスの生き方を学んでいなかった。リスの本能だけで野生の生活に飛び込むことになった。 バナーテイルは、近くの森に住むようになる。餌は主として木の種である。また、いろいろな野生の動物との対応も学び、次第に野性の生活に対応するようになる。求愛のルール:やがて、バナーテイルはメスのリスとあうようになる。これがシルバーグレイである。そして求愛する。求愛にはリスとしての本能的なルールがある。オスは三回求愛し、メスは三回拒む。バナーテイルとシルバーグレイは、このルールを守り、幸福な家庭を築く。新居を構える:巣を作る権限はメスにある。バナーテイルは、自分の巣を捨てなくてはならなかった。こうして、新しい巣に住むようになる。子どもの誕生:あるとき、シルバーグレイが、巣に入ろうとするバナーテイルを拒否する。バナーテイルは仕方なく、別の巣で過ごす。理由は少したって分かった。三匹の子供が生まれたのである。そして、再び、バナーテイルは、元の巣にもどり、新しい子供含めた家庭生活を送るようになる。子供の教育:三匹の子供は性格が違う。一番大きなリスは力があり、落ち着いた性格だった。二番目に大きな子リスは短気で向こう見ずであった。体が一番小さい子リスはメスで甘えっ子であった。 両親は、子供が成長するとともに、何が危険か、どのように予防活動をするかを野外で教える。特に訓練は母親中心で、その訓練はまさに「やって見せ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ (山本五十六の言)。」流。 遊びも人間同様、動物にとっても重要な教育手段である。子供の死:ところが、悲劇が起こる。二番目の子供が親の指導を聞かず、警戒しなかったために、人間に打たれて死ぬ。野生動物の間違いは死と隣り合わせである。厳しい。赤キノコの新しい教訓:あるとき、バナーテイルは、アカリスが取り込んでいる赤キノコに気をひかれ、それを食べてしまう。それは麻薬のような効果を示し、ハイになったが、翌日はその反動で二日酔いのようになった。しかし、バナーテイルはそれにこりず、また、赤キノコをたらふく食べる。今度は、1週間くらい死ぬほどの苦しみを味わう。 アカリスは、本能的にその毒を知っていて、すぐ食べないで乾燥して毒を抜いてから食べていたのである。ハイイロ・リスはあまり赤いキノコがある森林に住むことが少ないためにそのノウハウの伝達がなかったのである。しかし、あるとき、二匹の子供とバナーテイルは森を移動しているとき、赤いキノコに出会う。バナーテイルは、ひどい嫌悪の姿勢を示した。おそらく、二匹の子供はそのバナーテイルの表情から、赤いキノコの危険性を学んだであろう。娘救出の戦い:あるとき、一番小さいメスの子リスが小川に水を飲みに行き、警戒を怠って、天敵の黒ヘビに巻きつかれる。それを知ったバナーテイルとシルバーグレイは共同して、黒へビに対して攻撃する。そして、黒ヘビは致命傷を受け、池に逃げるとたちまち、スッポンに食べられた。一家は助かった。そして、一家の結合はより強化された。ヒッコリーとハイイロ・リスの関係:最後に、シートンはヒッコリーという木とバナーテイルのようなハイイロ・リスの関係が実に自然のたくみな摂理にそっていることを示す。 それは、ヒッコリーの種は落ちても必要な深さまで土にもぐれないのを、ハイイロ・リスが餌の確保のために必要な深さまで掘って埋めてくれる。そして、ある確率でリスが食べないで、その種がヒッコリーとして成長するという摂理である。 シートンは言う。人間はハイイロ・リスを楽しみのために銃で殺す。しかし、それはヒッコリーの森を滅ぼすことにつながっていることを知らない。ヒッコリーの森は人を養う農業の柱である。人間は自分が乗る木の枝を切って、枝ごと木から落ちる愚か者である。 シートンがこの物語を書いたのは1922年。今、われわれは確実に枝から落ちだしている。 この物語で述べられているハイイロ・リスの本能、ルール、しつけは、飢えを避け、死の危険に満ちた生活を安全に過ごすための一種の「文化」である。その文化を忘れ、戦後日本の「家庭教育」は崩壊した。「文化」は安っぽい論理ではない。自然には死を賭しても守るべき深い「文化」があることをこの動物記は教えてくれる。 小学生も読めるが、その点、両親が読むべき本かもしれない。 それは学校教育も同様。17日の朝日新聞の「私の視点」で、学校教育の「寛容度ゼロ:セロトレランス」方式を特集している。加藤教授は米国の学校から麻薬と銃は消え、授業中の立ち歩きや私語はなくなったという。それはクリントン大統領時代に基本的に伝統的な教育観にもどった結果であるという。アメリカは「学校の品格」を回復したようだ。
2006.06.17
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A氏:昨日(15日)の朝日新聞の朝刊のメデア欄で、例の秋田の男児殺害事件の畠山鈴香容疑者の名前がかなり前から週刊誌に犯人扱いにされた報道があったことを問題にしているね。ネット上での書き込みもあったという。私:しかし、今度の問題は、ちょっと特殊ではないの?昭和48年のトイレットペイパー騒動のときのような根拠のないウワサではなかったのだろう。 狭い町だから、いろいろなウワサが先行するがそんなにデタラメではないだろう。ウワサの出所も明らかだ。ウワサからマスコミなどが動き出す。警察は、証拠がないと動けないのでどうしても遅くなる。だから、公式情報も遅くなる。A氏:俺のうちの近所に、事件のあった藤里町に親戚があるという家があるんだ。その人の家にその親戚から電話で情報が入るんだ。 そうするとその家の奥さんが近所の奥さんに電話したり、井戸端会議で話す。ネットより早い。横浜の住宅街に住む奥さんは地方出が多いから、実家は全国に散らばる。だから、そこから全国に電話で広がる。私:実際、畠山容疑者のウワサは、最初の女児の綾香ちゃんの事故死のときから変なウワサがあったというじゃないか。それらは電話で拡大だね。ネットだってその電話情報からだろうよ。 噂話の好きなおばさんたちはパソコンをあまりやらないだろうから、今回の問題は、電話か井戸端会議での口コミが中心ではないの?だから今度の問題は本質的にネットの問題ではないと思うね。A氏:そうね。パソコンをやらない俺の女房が聞いてきて言うことが、いつも週刊誌やネットなどより早いね。 最近、また、新しい情報が電話で来たのを女房から聞いた。まだ、15日の文春や新潮の週刊誌の広告では出ていない。ちょっと、俺のネットには書けないがね。私:中国では、ブログが盛んで、これがこういう情報を流すと新聞より早くなると言うことで、来年1億になろうと予測されているブログの拡大による新聞などのマスコミの衰退が問題点としてあげられているそうだ(2006.05.11の日記参照)。A氏:しかし、ネット時代は、ウワサの拡大はそれが正確な推定であれば問題ないが、そうでないときは、大変なことになるね。中国は政治体制が異なるので、抑制が政治的にきくが、日本ではもっと大変なことになるかもね。 一時、規制緩和という大合唱だったが、最近は規制強化に逆戻りしているような世相だね。
2006.06.16
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これは、北米シェラ・ネバタ山脈に住むケリヤンという猟師とボナミーという探鉱師が語ったというジャックというあるグリズリー(北米山地に住むクマ)の物語だ。 ケリヤンはあるとき、2匹の小熊を連れて歩いていた母親のクマを射殺する。小熊は引き取る。2匹のうち、雄をジャックと名前をつける。 ジャックはケリヤンによくなつく。ケリヤンも可愛がる。野生のクマと間違えられないように、耳に穴をあけ、耳輪をつけたが、野原を歩くといろいろなものがからみつく。ケリヤンは取り除くのが面倒で結局耳輪を取る。この耳穴が最後の感動的な話の伏線になる。 ジャックはボナミーの犬にいじめられるが、次第にやり返す方法を考えて、やり返し、いじめを撃退する。母親のいないジャックであったがいろいろ学んで成長する。 ところが、ケリヤンはお金のために、2匹の小熊を行商人に売り渡す。ジャックがいなくなった後、その寂しさにケリヤンは気がつくが、後の祭りであった。 行商人は、次に牧場主に売る。しかし、この牧場ではジャックは鎖につながれた生活で楽しいものではなかった。1年半後、逃げ出すチャンスができ、自然にもどる。 こうして、ジャックの自然での生活が始まるが、人の飼っている羊や牛を襲うようになり、次第にその名が有名になる。 一方、漁師のケリヤンは、そのクマを退治する依頼を受ける。そして、そのクマがジャックと知らず、知恵の限りを尽くし、ジャックを追いかける。しかし、ジャックも巧妙にワナにかからない。こうした戦いが続く。 こうして、成長したジャックは、モナーク(王者)という名で人々に呼ばれて知られるようになり、かつ、おそれられるようになった。 そのとき、大都市の大きな新聞社がモナークを生け捕りにしたら、多額の報奨金を払うという提案をケリヤンにした。ケリヤンとボナミーは、モナークを追うことになった。また、モナークとの知恵の戦いとなる。 最後の手段として、ワナの蜂蜜に眠り薬を入れる。これが成功して、眠ったままのモナークを捕らえることができた。 モナークは大都市の動物園に運ばれ、特製の頑丈な檻に入れられる。モナークは逃げられないと知ると、悲しい鳴き声をあげた。そして、食事をしなくなり、次第に動かなくなった。死の覚悟である。 ケリヤンにその知らせが入った。ケリヤンは動物園に行き「私を檻に入れてくれ。」と言った。飼育係は「この凶暴なクマの檻に入るとは、気が違ったのか。」と思ったが、ケリヤンは檻に入り、モナークに近づいて動かないモナークの頭をやさしくなぜた。 ケリヤンの手がモナークの耳に触れたとき、耳の丸い穴を発見し、彼は驚いた。「ジャック、俺は知らなかった。なつかしい友よ。知っていたら捕まえなどしなかった。許してくれ。」とモナークに話しかけたが、モナークは動かなかった。 ケリヤンは、すぐにホテルに戻り、ジャックと一緒にいた頃の猟師の服を着て、ミツバチを持って動物園にもどった。ミツバチのにおい、猟師の服のにおい、そしてケリヤンの手のにおいが一緒になり、ジャックの子供の頃に愛した情景が記憶によみがえったのであろう。ジャックに力が生まれた。 こうしてモナークであるジャックは、生き返えり、動物園の生活を送るようになった。しかし、ケリヤンがその後、何回もモナークに会いに行ったが、モナークにはケリヤンが分からないようであったという。 シートンは最後に言う。モナークは今、動物園の檻の中を歩いているが、視線の方向は見物人のあなたではなく、はるかかなたにある自由であることを知るであろうと。 動物にも誇りがある。自ら死を覚悟することもある。「武士道」のような生き方である。 人間の殺そうというタクラミを察知して、死を逃れるものすごい知恵は、「死など存在しない」という言葉をむなしくする力強い生の力を感ずる(2006.05.28の日記参照)。 そして、最後に自由を失うと分かったとき、自ら死を選ぶ感性にも「死など存在しない」という言葉はむなしく聞こえる(2006.05.28の日記参照)。象は死期を覚ると一人で誰も知らない墓場に向うという。彼らには死の意識は常識である。 この本を読んで、私は、動物園の見物人として、本当の動物を見ていたのか、見ている私も見えない檻の中にいるのではないか、檻の中の同志なのかと考えさせられた。 やさしい文章なので、今の小学生にも読ませたい本だ。動物園の動物と違ったイメージが生まれるであろう。それが私たちが見失った真の動物ではあるが。 なお、ちょっと本として苦言を呈するとすれば、途中で、ジャックの名前がグリンゴに急に変わるのにはとまどった。また、注が59個あるが、これが本文の脚注でなく、最後にまとめてあるので、一々、最後の頁をめくる煩雑さがあった。
2006.06.15
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私:いや、数十年ぶりの感激の再会だよ。A氏:誰との再会?私:本だよ。「シートン動物記」。 この本は小学4年生のときにはじめて学校の図書で10巻ほどのシリーズを読んだ。雄大なストーリー展開が気に入ったらしい。 社会に出ても「愛読書は?」と聞かれると名をあげたほど、その後の生き方に影響を与えた本なんだ。 狼王ロボとか、捕らわれるより死の自由を選び谷に飛び込み自殺した野生の名馬の話とか、多くのヒーローの物語がある。それらのヒーローは多くは悲劇のヒーローであったが、気高く、侵すことのない威厳があった。劇画向きだね。 だから、戦後、俺と同世代の白土三平氏が「シートン動物記」の劇画を描いている。その3年ほど後に「カムイ伝」を描いている。 俺が「カムイ伝」を好むのは、何か、底に通ずるものがあるのかも知れないな。A氏:数十年前、君が小学生のときに読んだ「シートン動物記」が今も図書館にあったの?私:いや、今度借りたのは、今泉教授の訳したものだ。今まで訳した人達の多くは翻訳の専門家によるもので、氏のような野生動物専門家の訳でない。最近、9巻目が発行されたので、その9巻から読み出して、さかのぼって全巻、集中的に読む予定だ。A氏:今泉吉晴教授と言えば、山梨県の都留文科大で環境生態論を教えているんだが、熊が出る大学の裏山に小屋を建て、ムササビと寝泊りしながら動植物を観察しているそうだね。3年ほど前、新聞記事で読んで変わった人だなと思って覚えているよ。私:ここ30年ほど、忙しくてシートンのことをすっかり忘れていた。ところが、その教授の「管理社会と言われる今の日本でこそ、シートンをもっと見直されてほしい。」という記事をどこかで読んでシートンをまた思い出したんだ。A氏:君が小学校の学生時代というと、アメリカと戦争中ではないの?よく敵国の本が読めたね。私:それが学校の図書館に10巻全部あったんだね。私が気に入って読み出したら、当時の担当教師からこれは良い本だから、全部、読むよう励まされ、10巻の本を全部読んだよ。 アメリカと戦争しているとき、野球のカタカナ英語さえ、敵性語として禁止された頃なのにね。アメリカの本が学校にあり、かつ、担当教師がすすめていたのは事実だね。 この先生もこの本を読んだことがあるのだろう。 もっとも、この担当教師は、弁護士を目指して挫折した人だと後で知ったが、戦争末期、授業中に太平洋の地図を示し、「アメリカの攻め方は実にうまい。」と言い、「しかし、他のクラスに絶対言うなよ。」と言っていたから、ちょっと変わっていたのかもね。A氏:環境というと廃棄物の話が多いが、野生の生物との生きた付き合いがなくなったのも、一種の環境被害とも言えるかもね。私:生きる崇高さと葛藤する貪欲、恫喝、ごまかしあいは、ペット化した動物から学ぶことはできないね。貪欲、恫喝、ごまかしだけだ。 だから、人間のほうもそういう人が増加するのかね。それを「シートン動物記」は多少なりとも救ってくれるかもしれない。
2006.06.14
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私:今週の日経ビジネスの「本の著者に聞く」というコラムで、この本の著者であるクライド・プレストウイッツ氏のインタビュー記事があった。A氏:この本は読んでいないね。私:俺もそうだ。しかし、大体、その後のマスコミの論調を見ていると言わんとしている大筋は分かるような気がする。A氏:中国とインドの急速な経済発展への脅威だね。私:このインタビューで知的な刺激を受けたのは、ソフト開発をしている彼の長男の提案の話だ。A氏:どんな提案?私:「除雪業者に共同で投資しないか。」という提案だ。A氏:ソフト開発と除雪業者とどういう関係があるの?私:その息子さんの話だと「ソフト開発の仕事はものすごい勢いでインドや中国に奪われている。だから、雪のビジネスならインドに持っていかれない。」というわけだ。A氏:なるほど。しかし、それほど、ソフトの問題はアメリカでは大きいのかね。私:この息子との対話で驚き、クライド・プレストウイッツ氏は中国とインドにとぶ。そして書いたのがこの「東西逆転」という本だそうだ。 ソフトだけでなく、米国の病院でスキャンした脳のレントゲン写真を、インドのバンガロールにいる医師が診断するそうだ。 クライド・プレストウイッツ氏は、アメリカ経済戦略研究所長で、レーガン政権では商務長官特別補佐官でもあるので、その点では専門家だ。A氏:まさに、この日記の2006.04.26、2006.04.30、2006.05.12、2006.05.16のA Whole New Mind (日本訳「ハイ・コンセプト」)で予言している事態がアメリカでは予想以上に進んでいるんだね。私:日本では、日本語の壁のせいか、ソフト関係は、すさまじいインドへの移行の話は聞いていないのだが、製造業の中国の移行はすごいね。 大企業だけの話ではない。国内の小企業に行くチャンスが多いが、ほとんどが中国になんらかの工場を持っている。 先日行った小企業の社長が撮った中国工場のビデオを見たが、若い女子がたくさん働いていた。A氏:その分、日本での労働力は減っているし、賃金の戦いになる。今、日本では「格差社会」といっているが、この問題にも関係しているだろうね。 A Whole New Mind (「ハイ・コンセプト」)のいうように第4の波の到来か。
2006.06.13
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私:映画「スパイダー」(2001年)は、アメリカ映画だが、これもときどき、繰返し見る映画の1つだよ。A氏:一般にそんなに名画と言われるほどの作品でないね。俺は見ているかもしれないが記憶にないね。「スパイダーマン」なら覚えているが。私:「スパイダーマン」と全然違うよ。最初、WOWOWでやっているのをなんとなく見て、なんだか気になり、後で民放で放映したときじっくり見てファンになったんだ。 英語の題名は、Along Came A Spider「クモがやってきた」だ。ここから「スパイダー」という日本の訳になったようだね。 題名解説によると、原作者がマザーグースの唄「マフェットお嬢ちゃん」から引用し、この童謡から「少女がクモに襲われる」ことが連想されるような構成にしたそうだ。 犯人は誘拐した少女を「マフェットお嬢ちゃん」と呼び、「マザーグースの謎解きをせよ」と主役のモーガン・フリーマンに迫る。誘拐事件を扱った原作者の「コレクター」の第2作目だそうだが、俺はこの「スパイダー」の映画のほうが好きだ。A氏:レビューを見るとサスペンスとして簡単すぎだという批評があるらしいがーーー。私:適当にハラハラし、適当に推理でき、適当にどんでん返しされるのが、気楽に繰返しサスペンスを見ることができるポイントだよ。原作は、複雑なサスペンスらしいが、映画向きに分かりやすくしているとのこと。 それに同じ系列の「セブン」や「コレクター」のように残虐なホラー的なサスペンスは繰返し見る気はしないね。気持ちが悪い。CSIもよく見るが毎回1回限りだ。A氏:でもサスペンスは一度見るとネタが割れるので、繰返し見る気がしないのでは?私:それは見方が違うからだよ。この映画が好きなのは、なんといっても、モーガン・フリーマンが主演だからさ。今年、69才。この映画は5年前のものだから、64才のときの映画だ。この人の目玉の表情がよろしい。知的であるし、情的でもある。サスペンスのネタが割れても、あの目の表情だけの演技が繰返し楽しめるんだ。あの目玉の演技は白人俳優では出来ないかもね。A氏:この人は、「ドライビング・ミス・デイジー」でも有名だし、アカデミー助演男優賞をもらったクリントン・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」でも有名だね。私:しかし、これらの映画でのモーガン・フリーマンはあまり好きでない。やはり、「スパイダー」の犯罪心理捜査官役がモーガン・フリーマンの魅力を発揮できる適役だ。この映画はその彼のよさを前面に押し出している。 NHKでアメリカの有名な映画俳優のインタビューシリーズがあるが、そこでモーガン・フリーマンはインタビューアーの「嫌なことは?」という質問に対して「命令されること」と答えていたよ。自由人らしい。黒人と言われることと同様に白人と言うことも嫌うらしい。
2006.06.12
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6月7日の朝日新聞で、インターネットで伝えられているような、アインシュタインが日本を訪問したとき「一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのであり、私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。」というのは、事実でないという記事が載った。これは「アインシュタインの予言」というのだそうだ。知的刺激をそそられ気になっていたが、そのままにしておいた。 今日、調べて驚いた。これはすでに昨年、2月から11月にかけて、インターネットの「萬晩報」で中沢東大教授が述べていることなのである。教授はアインシュタインがそのような政治体制に関心がなく、おそらく、ドイツの国法学者シュタインの誤解ではないかとしている。そのままの内容が朝日新聞に載っている。これは月刊誌「報知」の昨年11月号の雑誌に掲載されたものであるという。 そうなると、この朝日新聞の記事は2つの疑問が残る。 1つは、何故、半年以上もたって、ニュースとしてこれが載ったのかということである。ミスティリーである。 しかも、新聞記事はアインシュタインが天皇制についてほめたのは疑問視しているが、中沢教授が引用している肝心のアインシュタインが日本文化を高く評価した事実を書いていない。 彼が来日にした目的の1つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ美しい日本を自分の目で確かめてみたい――とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたいという点にあった。 その結果、彼は日本人の集団主義、自然との一体の文化など、日本文化を高く評価しているのは事実。これらは欧米がすでに失い、日本人はその後、次第に多くを失ったものであるが。 したがって、2つ目の疑問は、なんで、この独特な日本文化へのアインシュタインの高い評価を朝日新聞の記事はバランスよく報じなかったのか。これもミスティリーである。 ちなみに、藤原正彦氏「国家の品格」に似たような日本文化のすばらしさを外国の有名人が評価する記事があったように思ったので、まさかアインシュタインではないかと思い、さっと、また、目を通した。 アインシュタインの言葉は発見できなかったが、最後に「世界を救うのは日本人」というところで、駐日フランス大使を努めた詩人のポール・クローデルが「日本人は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとするとしたら、それは日本人だ。」と昭和18年にパリで言ったと書いてあった。 その後、経済成長で、貧しさを失うとともに、これら外国の知性人が指摘した高貴を失ってきたのであろうか。まさに「国家の品格」が問題になっているわけであり、「世界を救う日本人」は消滅しつつあるのか。
2006.06.11
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日本からアメリカに留学している人のブログで、最近、ハーバートのMBAでは「ザ・ゴール」が必読書になっているようなことを書いてあるのを見てビックリした。 この本は、20年位前にアメリカで二百数十万部売れたという。当時、不況にあった日本企業やコンサルタントはとびついた。そのとき、私は次のようなコメントをインターネットに書いた。2001年の私のコメント1.新規な理論は無い 著者は、この本を翻訳すると日本企業が真似をし、また、世界市場を独占するから16年ほど訳を延ばしたと言う。日本企業は部分最適化がうまいが、全体の最適化が遅れているという。それは著者の全くの思い違い。40年位前からトヨタ生産方式は、アメリカの部分最適化を批判し、在庫ゼロ発想で、全体最適化の具体的な手法を生み出した。 「ザ・ゴール」のネック工程などの話は生産管理では基礎知識。アメリカが戦後生み出したPERT、CPMのネットワーク手法では、クリティカルパスという用語で定着済み。新しい手法などなし。日本では戦前から「手番」と山積み法で伝統的にネック工程の管理はされていた。2.MEの不勉強 社内に能力的に余裕があるときに、固定費は考慮しなくよいという「埋没原価(sunk cost)」の考えなど、20年以上前に、ME(Managerial Economics:管理者の経済学)という体系がアメリカで生まれ、管理者の常識。インターネットが盛んな国が情報過多となり、逆に有用な情報が蓄積されず、継続維持できないのか。3.トヨタ生産方式の物まね 「ザ・ゴール」の在庫ゼロの考えやスループットの考えは40年ほど前からのトヨタ生産方式のマネ。「ザ・ゴール」は「儲ける」ことだと新しい発見のように書いているが、40年位前にあったトヨタの生産管理の社内テキストの第1行は「徹底的に儲かる企業にする。(儲かることは徹底的にやるが、無駄なことは一切やらない)」である。4.改善前後の明確な説明無し 「ザ・ゴール」の最大の弱点は、小説で改善前のシステムの説明が無いこと。最初、この工場では、納期遅れが多かったというが、そのとき、コンピュータでどういう日程計画をしていたかが説明がない。だから改善のポイントが分からない。生産管理を知らない人が書いていることがすぐ分かる。2004年の私のコメント この年の「文芸春秋」6月号の鼎談の書評コーナーで経済学者の松原隆一郎東大教授が次のように言っている。「『ザ・ゴール』というビジネス小説が売れたけれども、内容はいわゆるトヨタ方式のカンバン方式としか読めないんですよ。日本の流れ作業の工場でやってきたことを翻案しただけなのに、日本人はアメリカで二百五十万部も売れたと聞くとつい有難がってしまう。」今の私のコメント ハーバートのMBAでは、フィクションの物語「ザ・ゴール」を読むなら、ノンフィクションの「ザ・ハウス・オブ・トヨタ:自動車王 豊田一族の百五十年」でも読んだほうがはるかに有益だろう。足元のアメリカでトヨタはすでに、GMを抜く勢いであるからだ。 なお、5年ほど前の「ザ・ゴール」についてのあるサイトの読者レビューをみたら圧倒的に星が5つ。しかし、数は少ないが、次のような星が1つか2つで的を射たコメントがいくつかあった。日本人は捨てたものではないと感じた。要旨を編集して引用する。1.要するに製造工程のボトルネックを発見して潰せということ。それは生産管理では常識。アメリカで250万部売れたというが本当か。2.本書の主な内容は23年前に大野耐一氏が「トヨタ生産方式」でほぼ全て述べている。本書を高く評価された方は是非大野氏の著書も読むべし。3.なぜこの本が人気なのかまったくわからない。新しい発見もなければ,知識の整理にもならない。生産の現場や経営学を体系的に学んだことがない人が書いただけの本ではないか。4.この本の理論は「トヨタ生産方式」の概念・手法だから、今更、どうして売れているのか全く理解ができない。それを考えてみるのが面白いというなら納得できるが。5.理論としても思想的にも非常に古いこの本が、今日本で何故出版されベスト・セラーになるのか、日本の読者層・出版社の見識が問われるべきでは? 6.この本を最初に読んだときに、「ああ、こんなことを日本では、かつてやったものだな」というのが感想。 7.毎日、工場のラインに立っている私にとっては、目新しい情報なし。本当に米国の工場では、こんな悠長なことをしているのだろうか? 8.この本を読んでまず、最初に思ったのはなんでこんな本がこんなに売れているかということ。この本に書かれていることは日本人にしてみれば、ごくあたりまえ。この本の理論の根底は日本的生産システムに深く根付いており、今日のブームはそれを逆輸入してありがたがっているかのように思える。本当に日本人は舶来品がお好き。 結論 この本の効用として考えられるのは、読者が本当に足元の日本自身をよく勉強して、知っているのかの程度がテストできるということ。 「教科書に墨を塗った世代」としては、後で墨を塗るようなテキストをほめないよう、よく勉強されることを望む次第だ。
2006.06.10
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b>私:小津安二郎監督のこの映画も何度見ても飽きない一本だ。1953年制作だから、「七人の侍」(1954年)と同じ頃の制作。当然、白黒だ。A氏:俺も学生時代に見た映画だ。3年前は小津安二郎監督生誕百年だったので、国際的にも高く評価され、いろいろな催しが行われたね。 俺も、この監督の作品の中で「東京物語」が一番好きだよ。日本が高度成長に入る直前だね。そのときの市民生活が分かるね。私:風呂は銭湯。夏の上京だが、クーラーもテレビもない頃だ。 映画のストーリーは、尾道に住んでいる俳優・笠智衆(りゅう・ちしゅう)と東山千栄子が演ずる老夫婦が、東京で独立した子供たち(一人は開業医、一人は美容院)を見て回り、そしてまた尾道に帰るというもの。今は新幹線があるが、当時は大旅行だ。 そして、帰りの途中で、東山千栄子の体の具合が悪くなり、途中、もう一人の子供がいる名古屋に立ち寄る。尾道に帰ってから危篤。あわてて、子供たちは尾道にかけつけるが、翌日、68歳で死去。当時としては長生きのほうだろね。 すぐに葬式をすませ、翌日、子供たちは仕事があるので東京に帰っていく。 最後に、笠智衆が家の中で、一人、ぼんやり、団扇をあおいでいるシーンと瀬戸内海の俯瞰シーンで終わる。静かな夏の瀬戸内海だ。A氏:この話のなかに、美人女優・原節子が、この老夫婦の息子の嫁という役で登場するね。息子は戦死し、すでに数年たっているが、この嫁はまだ独身で、東京で仕事をしている。そして、老夫婦が東京に行ったとき、言わば赤の他人の原節子が一番心にこもった接待をする。実の子達は、つれない。私:アクション映画と異なり、平凡な日常シーンが展開され、淡々とした日常会話が続く。 最後、実の子供たちが帰った後、原節子が葬式後の後始末で2,3日残り、いよいよ、義父役の笠智衆と別れるシーンがある。 義父は、「もう、息子のことは忘れ、いい人がいたら結婚しなさい。そうしないと私も心配だ。」と言う。原節子は「ときには、将来の不安を考えることもある。」と言って泣く。 これが、唯一、この映画で感情が大きくゆれるシーンだ。A氏:小津監督のカメラ角度は、ローアングルで有名だが、ラストシーンでは、俯瞰した瀬戸内の風景が出てくる。 また、原節子が東京に帰る汽車(もう、原節子は義父に2度と会うことはないであろう)が、煙を出しながら、走り去るところが、やはり俯瞰でとらえられる。しかし、次の瞬間、列車の車輪がまわるローアングルになる。そして、その車内で原節子が形見にもらった時計を取り出してみるシーンが続く。私:好きなシーンは、妻が早朝、息を引き取った後、笠智衆が一人ぽつんと、近くの寺から尾道の晴れたおだやかな朝の瀬戸内海を見下ろすシーンだ。 原節子が心配で迎えに行くと、笠智衆は「今日は、暑くなるなあ。」とぽつんと言う。 そして、2人はきびすを返して、家のほうに歩き出す。 映画は騒々しいお寺中の葬式のシーンに切り替わる。 背景は昭和30年頃だが、淡々とした時の流れを感ずるね。
2006.06.09
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昨夜、9時頃、湯上りでテレビをつけて、リモコンでチャンネルをあちこちと変えていたら、日本テレビで脳の説明をしていた。番組は「ザ!世界仰天ニュース」という番組である。 若い夫婦の旦那がある期間の記憶喪失になったのが、後になって奇跡的に回復したという実話らしい。 それに関連して、脳の断面図を説明していたようだ。女性アナウンサーが、この脳の断面図を示し、「記憶は海馬(かいば)というところで蓄えられています。」と説明していた。そして本のようなものをどんどん積んでゆき、このように記憶が海馬に残されると説明していた。 これを聞いてオヤッと思った。それは、2006.05.04の日記でふれた「バカはなおせる」で読んだことを思い出したからである。 この本では「人間の海馬は、記憶を助ける働きこそするが、そこに記憶が保持されるという証拠は今のところない。」とある。この説明は「『海馬で記憶が保存される』と考えてはいけない」というタイトルで始まる箇所である。 また、次の「ヒトの海馬と、サルやネズミの海馬は役割が違う?」というタイトルのところでは、「ヒトの海馬は、脳がモノを覚える際に、一度記憶を通過させる場所、一時保存される場所として使われる。」と説明がある。ところが、サルやネズミの記憶は海馬であるという。これから誤解が生まれたようだという説明がある。そして「進化しすぎた脳」(朝日出版社)の著者池谷裕二氏を批判している。 2006.05.07の日記の「脳のからくり」では「海馬の機能が完全にわかっているわけではないが、ある種の記憶を一時的に蓄えて、整理整頓するのがおもな役目のようだ。」とある。「バカはなおせる」と基本的に同じ説明である。 ついでに、「広辞苑」をひくと「情動の発現およびそれに伴う行動、さらに短期記憶に関連し、種々の感覚入力に応じて時間空間情報を認知し、一種の統合作用を行う。」と詳しいが、これも「バカはなおせる」と同じ説明である。さすがである。 では、ヒトはどこに記憶を残すかというと、「バカはなおせる」では頭頂連合野、側頭連合野、後頭葉に保存されるという。海馬ではない。この説明がこのテレビ番組では当然、抜けていた。 「バカはなおせる」で心配しているように「海馬で記憶される」という間違いは多いことを立証したような番組であった。 やれやれとおもってチャンネルを変えた。
2006.06.08
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A氏:俺たちの高校時代にはまだテレビがなく、劇場映画が唯一の娯楽だったね。よく映画館に通ったね。その時代からテレビ映画を含め、膨大な映画を見ていることになる。しかし、気に入った映画は古くなっても繰返し見るものだな。君の昨日の日記の「七人の侍」も50年ほど前の日本映画だが、俺も繰返し見ているよ。私:それに、俺は、「駅 STATION」も25年ほど前のものだが繰返し見る日本映画だよ。A氏:あぁ、主演の高倉健が50才のときの映画だね。私:やくざ物が多かったときの若い高倉健は好きでなかったが、この年令あたりからの高倉健は人間的な渋みを増して最高だよ。A氏:理想的な父親像の第4位だそうだが、父親というより、成熟して渋みを増していく日本的な男性像として評価したほうがふさわしいだろうね。私:この映画では、高倉健はオリンピックに出場するほどの射撃の腕を持った刑事役だ。 映画の出だしは、離婚する妻と3、4才くらいの子供と雪の降る駅での短い別れのシーン。駅から遠ざかる列車のデッキから泣きべそをかきながら敬礼する石田あゆみ。 映画の最後のほうで、この子が17才くらいでバスケットの選手になったという話が、主人公に伝わるから、この映画は主人公の10年くらいの人生を描いていることになる。A氏:たしか、この駅のシーンから、雪道での検問のシーンが展開され、その検問で先輩刑事が撃たれて死ぬ。この犯人がラストの展開の大きな伏線になるんだね。私:そうだよ。そして、次のメキシコ・オリンピックを前にして、自殺するマラソンの円谷選手の手紙が読まれるシーンが続く。書ききれないほどの叙情にあふれたシーンが、次から次へと展開する。A氏:そして、最後、一度は、警官を辞職するつもりで書いた辞表を、駅のストーブに投げ入れて、改札からホームに高倉健が出て行く。八代あきの「舟歌」がながれ、これも映画の始まりのように雪深い駅のシーンで終わることになる。私:「七人の侍」が動的な集団を扱った映画とすれば、これは一人の刑事のやりきれない人生を淡々と、しかも、叙情豊かに表現した映画といえる。「七人の侍」同様、脇役がすばらしいし、北海道の四季の風景の描写がカラーで感動的だね。A氏:高倉健が、良き日本の男の雰囲気を出しているね。、武士道的雰囲気かな。この人は、雰囲気と目の表情が良い。声がやや明瞭でないので、セリフはちょっと迫力はないせいか、無口の男が似合う。背景の八代あきの「舟歌」もピッタリだね。私:この映画の良さが分かる人は、まだ、「国家の品格」同様に、日本の心を失っていないのでは?A氏:それは言いすぎだよ(笑)。
2006.06.07
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黒澤明監督のこの映画は、50年ほど前の映画だが、映画史上不朽の名作である。 ところで、この映画に一つのミスティリーがある。それは、七人の侍のうち、映画の上では三人の侍が生き残るが、出演した俳優の実人生とは、逆になったということである。 この映画では七人の侍のうち、四人が死ぬ。いずれも種子島(鉄砲)でやられている。残った三人は、俳優では、志村喬、加東大介、木村功である。ところが、実人生では、この七人のうち早く亡くなったのはこの三人。逆である。ミスティリーである。しかも、七人の中で、一番早く、種子島にやられるのは、前哨戦での、俳優千秋実であるが、実人生では、彼が七人のうちで、最後の99年に亡くなっていて、かつ、一番長生きであった。 そこで、下記のように、一覧表でまとめてみた。人物名役柄俳優映画上の生死順実人生の生死順勘兵衛リーダー志村喬生き残る 82年2月74才3五郎兵衛参謀稲葉義男本戦初日戦死298年4月77才6七郎次名秘書役加東大介生き残る 75年7月64才1平八温和な調整役千秋実前哨戦で戦死199年11月82才7久蔵孤独な剣の名人宮口精二本戦2日目戦死385年4月72才4勝四郎雑用係の若者木村功生き残る 81年7月58才2菊千代反抗的な乱暴者三船敏郎本戦2日目戦死497年12月77才5 ちなみに、巨匠黒澤明は98年9月に亡くなっている。88才であった。 こういう個性的な名優ぞろいの映画はもうできないであろう。 「七人の侍」の前半は町での七人の侍の編成と、村に行き戦いの準備(人的、物的資源の準備)をするのが中心である。面白いのは組織つくりで、いろいろな性格・技量の人材を選抜している。プロ野球の巨人のように、ホームランバッターばかり集めるような組織つくりではない。組織の妙を心得ている。 後半は、いよいよ、四十人くらいの山賊との戦いである。前哨戦があるが、本番の戦闘は、村の中の二日間となる。最後の日は、残った敵十三騎との雨中の戦いとなる。戦いの始まる前、「一本の刀じゃ五人と斬れん」と菊千代が刀を何本も土に刺しているシーンがある。 いろいろ、失敗もあったが、ようやく賊を殲滅する。 映画の最後、戦死した四人の墓に風が吹きつけるシーンで勘兵衛は七郎次に「今度のいくさもまた負けだな。」と言う。七郎次が「エッ」と怪訝な表情をすると、勘兵衛は視線を田植えする農民に向けながら最後の有名な言葉を言う。「勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない。」
2006.06.06
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A氏:2006.06.02の日記の朝鮮戦争のことを考えると、日本の敗戦後、約半世紀、朝鮮戦争あり、ベトナム戦争あり、カンボジャの二百万と言われる虐殺ありで、多くのアジア人が戦争で亡くなっているね。その間、われわれ日本の世代は学生時代、サラリーマン時代と平和だった。そしておかげで経済繁栄をした。平和ボケと言われるわけだね。それは自慢できることなのか、運がよかったことだけなのか、他人の犠牲で得られた平和なのか、正直言って微妙だね。 戦争で相手を殺すのは、通常の兵士だ。チャップリンが、戦争でたくさん殺せばヒーロー、平時では1人殺しても犯罪者という名言を残しているが、他人を殺すことには変わりない。私: 十数年くらい前だったかね。まだ、中国が今のように経済繁栄をしていないときに、2週間くらいの観光ツアーで中国を回ったことがある。そのツアーは主に石窟とか寺院とかを廻る旅だった。 ツアーの中で、俺より10才くらい年上の人が1人で参加していた。いかにも、真面目て平凡な市井人という感じの人であった。寺院などでは深く祈りを捧げていた。ちょっと、異常なくらいなので気になっていた。 そのうちに雑談でなんとなく出た話で、彼は「若いとき、私は一兵卒で中国の戦いに来た。中国兵を何人か殺した。しかし、そうしないと私が殺されていた。仕方がなかった。しかし、それは言い訳にならないかもしれない。せめてこの国の寺院でご冥福を祈るだけだ。」と話してくれた。 日中戦争や太平戦争時代では、年が少し違うだけで戦争経験が全く違うね。A氏:俺も、もう、10年早く生まれていたら、同じ運命だったかもね。 作家大岡昇平氏が、レイテ戦の戦闘で茂みに隠れていると、アメリカ兵は気がつかず近づいてくる。撃つかどうか迷っているうちに、そのアメリカ兵は別の方向に行ったので撃たないですんだという。殺さなかったのはちょっとした偶然だね。私:最近、ある中堅企業の社長さんと雑談をする機会があった。もう、80才を超えているのに元気だった。 戦争のときは20才台だが、中国に派遣されていた。あるとき、軍用トラックに兵隊十数名を載せて、夜の黄河の岸を移動していたら、運転手が運転を間違えてがけ下に落ちた。その人は最後部にいて、うつらうつらしていたそうだが、ぱっと目がさめて落ちていく途中の木の枝にしがみついて、九死に一生を得た。他の兵士は全員死亡。 また、あるとき、塹壕で鉄砲を撃っていたら、両サイドの兵士がやられ、その人だけ助かったという。その社長は言っていたね。「これだけ、偶然に命が助かると、俺には強い運があるのだと信ずるようになった。」しかし、中国兵を殺したことはなかったと言う。それも運かもしれない。A氏:映画「プライベイト・ライアン」(2006.05.18の日記参照)でトムハンクスの大尉が部下を戦いで何人か戦死させる。 大尉は、「部下を死なせることはつらい。しかし、俺の数人の部下の死のおかげで、数十人の味方の兵士が死なないで済んだと思って自分を納得させている。」というようなセリフがある。 しかし、その彼もこの映画では最後に戦死する。たった、一兵卒ライアンを前線から連れ戻すために---。だから、大尉は息を引き取るときライアンに「有意義な人生を送れ」と言い残す。監督のスピルバークは何を言いたかったのかね。私:それはおそらく犬死を嫌う心理だろうね。昨年の文芸春秋9月号を読むうちに、次の2つの質問にぶつかった。 問1.太平洋戦争の戦闘員の戦死者は、陸軍165万人、海軍47万人とされているが、このうち広義の飢餓による死者の比率は、次のどれか? a. 10% b. 30% c. 50% d. 70% 問2. 同じくこのうち海軍の海没者(海没とは、移動などの途中で輸送船が撃沈されて兵士が死んだことをいう)は18万人、陸軍は? a. 5万人 b. 18万人 c. 25万人 d. 40万人 どうだね?分かる?A氏:全然分からないね。私:俺も分からなかった。答えは、問1はd、問2はb。 陸海軍の死者の7割が餓死であり、陸海軍含め36万人の海没者がいた悲惨で冷酷な事実はどうしようもない。そして戦死者は敗戦間際に集中する。 この事実が靖国問題にあるね。あの戦争の戦死とは何か。中韓とは関係なく日本人自身が抱えた問題だね。 これで、ちょっと暗い話になったが、日本人が知らないといけない現代史の戦争の知的街道はひとまず終点としよう。
2006.06.05
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最近、映画「ダビンチ・コード」の公開でキリスト教信者の批判を浴びているようだ。 しかし、それよりも、ショックだと言われているのは、『ユダの福音書』の発見だ。それによるとユダは裏切り者ではなく、イエスが深く信頼していた使徒だという。この福音書は異端として葬り去られていたのが長い数奇な運命をたどり修復・解説を経て発行されることになった。 発見・復活までの取材は、「ユダの福音書を追え」で高名なジャーナリストが追う。 そして、『ユダの福音書』そのものは、「原典 ユダの福音書」で和訳が発行された。 ユダが裏切り者であるということから、ユダとユダヤ人を敵視し、ついにはナチスのホロコースト(大虐殺)となる。一神教のこわさというものをつくづく感ずる出来事である。 ダビンチ・コードの背景も「ナグ・ハマディ文書」というキリスト教の定説を覆す文書の発見という新事実に基づくものだ。 自然科学同様、これこそ、宗教の基礎は「99.9パーセントは仮説」でなく、「100パーセントは仮説」だ(2006.04.25の日記参照)。その意味で一神教というのは、自然科学に似ている。だから右脳思考でなく、左脳思考ではないのかと疑いたくなる。 このような事実により、一神教の陥りやすい原理主義的な活動が反省する方向に向うことを期待したい。 また、そこに、「無思想の発見」「日本の無思想」「国家の品格」が指摘する日本の多神教的な見方が、世界的レベルで見直される余地があるように思う(2006.06.03の日記参照)。 「国家の品格」を出した藤原氏はさらに危機感から「この国のけじめ」を出している。 評論家立花隆氏も「この国は今、百年に一度あるかないかの危ない大きな曲がり角を曲がりつつある」として、「滅びゆく国家」を発行している。 岸田秀氏のいうように日本は一神教的なものと多神教的なものがゴチャゴチャになってきている(2006.05.28の日記参照)。「一神教の長所と多神教の長所を接合するという虫のいいこと」ができるのか、「一神教の短所と多神教の短所を接合する」という最悪の状態になるのか、「曲がり角」である。 これらの日本の動きと「ダビンチ・コード」をめぐる騒動やこれから予想される「ユダの福音書」騒動は、底辺ではリンクしているという視点を、日本人が持てるかどうか、そこに日本の運命がかかっているのかもしれない。 岸田、養老、加藤、藤原、立花と経過してきたこの知的街道は終点か。
2006.06.04
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私:この本は昨年末、発刊とともに読んだが、岸田秀氏が最近の日本での欧米の一神教的なものと、日本の多神教的なものとの関連に危機感を持ち出していたこと(2006.05.28の日記参照)、養老孟司氏の「無思想の発見」でいう日本の無思想の自覚の重要性を指摘していることと、この本で武士道や情緒の重要性を指摘していることなどに見られる日本の良さの自覚の重要性はつながっている底流を感じたね(2006.05.31の日記参照)。 面白いのは、「ハイ・コンセプト」(2006.04.26、04.30、05.12、05.16の日記参照)でアメリカもこれからは、人への思いやりとか論理を超えた右脳社会になろうと予測した本が出たことだ。 訳者の大前研一氏は、情報化社会を予測したトフラーの第三の波に対して、第四の波の予告だと言っているくらいだ。 そうであれば、日本はまさに、最先端の先進国となるのではないの。A氏:そして、実は、その日本の良い点を失っていくのが明治維新であり、太平洋戦争での敗戦だ。これが「ねじれ」「裏切り」として加藤典洋氏が「日本の無思想」、「敗戦後論」で述べている通りだ。私:例えば、明治維新で、伊藤博文は明治政府を近代国家の政府として作るのだが、日本の伝統的な天皇制が、男系であることを知らず、皇室典範をつくろうとしたらしい。これをある人から注意され、男系に修正したと言う。伊藤博文はそのような知識がなかったらしい。A氏:どうして、良かれ悪しかれ、自国の伝統を明確に把握し、これを維持する努力をしないのかね?私:要するに、日本には外敵にもまれ、自分たちのアイデンティティを明確にして強調する伝統的な歴史体験がなかったのかもね。自然に無自覚的にできてしまったからだろうか。 ある意味、「無思想の思想」というのは矛盾かもね。思想というのはいろいろたたかれて、体系的に自覚されるものなのかもしれない。今になってやっとグローバル化でもまれている最中かもしれない。 「荘子」にムカデの話がある。ムカデが歩いていたら、これを見たある人が「すばらしい。よくこれだけの足を乱れず動かして歩けるものだ。」とほめた。ムカデは驚いた。そしてそれを意識した瞬間、足が乱れだすという話だ。A氏:幕末と敗戦でその無自覚思想がはじめて、技術力という左脳の論理からの戦いを挑まれたことになる。多くの良いものを失いだす。 そして、最近になって、何か知らないが社会がギスギスしておかしくなってきたようだと気がつく。 足が乱れだしたのかね。失った大きなものに気がついたのだろうか。私:戦後の技術優先思考もそうだね。俺の大卒初任給は1万3千円だったが、文科系は千円安かった。技術系を優遇した。そういう国民的なコンセンサスがあったようだ。A氏:外国と思想的に摩擦を感じるのは、政治家、学者、文化人など特殊な層だったのが、1970年くらいから、東南アジアに多くの企業が進出して、通常のサラリーマンが外国の人と接するようになった。摩擦を感じ、とまどったのではないの?私:その通りだね。最初、シンガポールに多くの日本企業が進出した。同じアジア人だから、顔が同じだが、考えが全く違う。会社への忠誠心はない。大学を出るといきなり現場経験がなくても課長だ。オフィスに入ってしまう。現場主義の日本と異なる。自己主張が強い。 マレーシャ、タイ、インドネシア、ベトナム、韓国、中国と企業は展開するが、つくづく、日本人社会の考え方は特殊だなと感ずるね。それが崩れだしているのかもね。A氏:誰かの講演で聞いたが、平安京は唐の長安を徹底的にまねたものだが、長安と比較すると、全く異なる点が2つあるという。 一つは、長安は外敵に備えて立派な城壁に囲まれている。しかし、平安京は人がまたぐと越えられるような盛り土があるだけ。 もう1つは周辺の風景である。長安の都を囲むものは荒野である。しかし、平安京を囲むものは緑豊かな山野だ。 この2点は、両国の文化の違いとなる原点だ。 遣隋使や遣唐使を多く出し、長い間、中国に多くを学び、真似をしながら、この2点に中国文化と日本文化の基本的な違いが、象徴的にあらわれているようだね。私:愛国心とは、国土、郷土を愛する心だというが、それに伴って長い間、生まれ育てた文化も愛するべきかもね。 日本人の肉体的な体質も長い間にできてきた。食文化だ。それが今、飽食で成人病問題になっている。逆にアメリカのほうが日本食の良さを取り入れている。子供の食育も問題になっている。 守るべき文化とは何かが今、問われているのかもね。それを「国家の品格」は問いただしていると思うね。 そんな文化など俺たちは関係ないよと言っている人も、とんでもないパンチを社会的に、個人的に受けることになるのかもしれないね。
2006.06.03
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A氏:昨日の日記に、朝鮮戦争でトヨタが大いに利益をあげた話題があったが、もう、朝鮮戦争があって、何年になるのかね。私:1950年(昭和25年)6月25日の日曜日に北朝鮮の侵攻が始まったから、今月で56年目を迎えるね。もう半世紀を超えるんだね。この間、日本はこの戦争の需要(朝鮮特需)で高度成長への基盤を作り、10年後にはベトナム戦争の需要(ベトナム特需)が始まり、ついには世界第2位の経済大国になる。トヨタは今では世界のトップ企業の1つになる。 僕の手元にあるのは、ベトナム戦争などの報道で有名なジャーナリスト大森実氏の「戦争秘史」第8巻の「朝鮮の戦火」だ。これは今から25年前の発行だが、次の文章で始まり、25年後の日本を予見していたことが分かる。「1950年(昭和25年)6月25日は、日本の国家的性格と戦後の進路を決定づける歴史的な日となった。」A氏:九州を目の前にしたプサン(釜山)にまで北朝鮮軍が来たとき、今にも、北朝鮮軍が日本に上陸し、真っ先に税務署員が殺されるなどいう噂を当時、俺の兄貴がしていたくらい、一時緊迫した状態が日本にもあったようだね。私:大森実氏は、北朝鮮との関係が深い。氏は1941年に神戸高商(現在の神戸商大)を卒業し、日本窒素(現・チッソ)に就職する。当時、北朝鮮には同社の巨大工場があったんだ。 チッソの創業者、野口遵は、1926年に北朝鮮に行き、水と電力を主原料とする窒素生産をここで行うことを考え、巨大な工事を行う。 1929年、3大人造湖がつくられ、6万5千キロワットの大水力発電所が稼動する。そしてさらに、発電能力は、翌年には53万キロになる。太平戦争末期の1944年には、世界第2位の70万キロワットの水豊発電所が完成する。そして、日本の敗戦までに北朝鮮の総発電力は、200万キロワットにまでなる。 戦後高度成長期の1975年の日本の総水力発電量が2250万キロワットであるから、その巨大さが分かる。 この巨大工業力が、5年後の朝鮮戦争の際、北朝鮮の軍事力の背後にあったことは否めないだろうね。満州でもそうだが、日本の植民地化は、欧米の植民地収奪と違った面があるね。A氏:ところで38度線はどうして生まれたのかね?私:この本を読むと38度線で何故、南北が分かれたのか分かる。実は、それは歴史的な境界線で、明治の伊藤博文政権のとき、日清戦争後、南下するロシア勢力を阻止するため、対露妥協案が38度線であった。当時の日露議定書にあるという。 その後、日露は日露戦争で直接対決することになる。 日中戦争中、日本陸軍内でも、38度線の北側を関東軍が所轄、南側を第17方面軍が統括。敗戦でソ連軍が関東軍を、アメリカ軍が第17方面軍を解体し、すぐに、冷戦時代となり、次第に38度線を境に南北朝鮮が固定しだす。 38度線は、長い間、大国間の政治的な妥協で作られたもので、朝鮮半島を丁度、半分にする線なのだろう。A氏:大国の狭間にあり分裂した朝鮮国民の南北統一の歴史的な心情も分かる気がする。私:ところで、この本によると朝鮮戦争で北から進入してきた戦車は、最初、アメリカ軍のバズーカ砲の玉を跳ね返し、アメリカ陸軍兵士は恐怖におびえたという。北朝鮮の戦車はソ連の最新鋭のもので、その鉄板はアメリカのバズーカ砲ではびくともしなかった。あわてて口径の大きなバズーカ砲が作られ、補給され、ようやく効果を出したという。いかにアメリカがこの強大な侵攻を予想していなかったかが分かる。A氏:1昨年、朝鮮戦争50年で深夜のNHKで古いドキュメンタリー番組の再放送をやっていた。それを見たメモによると朝鮮戦争は4つの時期に分かれるようだ。 第1期は、北朝鮮軍が突然、38度線を越え、韓国とアメリカ軍を破り、一部は、日本海上に逃れたくらいに追い込まれる。 それが、北朝鮮軍の背後の仁川にアメリカ軍が上陸し挟み撃ち作戦をとるというマッカーサーの奇抜な戦略がとられ、これが成功し、北朝鮮軍は退却し、アメリカと韓国を中心とする国連軍は逆に38度線を越え北上する。これが第2期。 国連軍が、中国国境に近づくと、かねてから警告していた中国から、義勇兵と称して中国軍が北朝鮮軍に加わり反撃となる。中国とアメリカの戦いだ。これが第3期。膨大な中国軍が投入され、国連軍は後退しはじめる。これに対して、マッカーサーは中国本土の空爆や原爆の使用を言い出し、トルーマン大統領によって解雇。 しかし、中国軍の最後の人海戦術的な大攻撃は、徹底的なアメリカ軍の砲火、空爆などの火力による反撃で大きな損害を出し後退する。これが第4期。そして三十八度線で休戦となる。 朝鮮戦争は3年続き、朝鮮半島全土は戦火にさらされ、百万人を越える民間人が死んだというね。アメリカ軍も3万人を超える兵士が戦死。人海戦術で戦った中国兵は30万人を超える戦死者を出したという。私:朝鮮戦争は、私の世代では高校生時代だ。20年ほど前に韓国に仕事で行ったとき、通訳をしてくれた人は私と同年だった。 彼の高校生時代は3年続いた朝鮮戦争の真っ只中で、自動小銃の発射で青春が終わったと言っていた。彼は、最初は韓国軍にいたが後に北朝鮮軍に入り、最後はまた韓国に戻ったという数奇の運命を辿っていた。父母を失い、多くの親戚も失い、ついに正規の家庭を持つことはなかった。彼の最後の望みは、キャンピングカーで、韓国の田舎を流浪して暮らすことだったが、もう年だ。今、どうしているかね。身体は戦争で鍛えられていたから健康でいるだろうが。 いずれにせよ、戦争は一般市民が最大の被害者だね。
2006.06.02
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昨日、急なヤボ用で、電車でトンボ帰り。往復5時間余の電車の中で、この本を読了。新刊である。この本は松本清張の昭和史を扱った「昭和史発掘」と「日本の黒い霧」の評論である。これらの清張の本はもう30年くらい前であろうか、当時、清張ファンであった私は文庫本で読んだ。 「昭和史発掘」は20件、「日本の黒い霧」は12件の事件からなる。 30年ほど前、これらの本をよんでいたときは、面白かったが、今、全体を通じて思い出すと私たち世代にはつらい。日本の苦々しい時代を描いているからだ。 しかし、これらを読んだことのない人には、清張の別な側面と、昭和の裏面を知るのによいガイドブックとなろう。 「昭和史発掘」のほうは、軍国主義が次第に支配し、太平洋戦争に向っていく状態が描かれる。しかし、昭和11年の2・26事件で終わり、途中の戦争の間はすっぽり抜ける。 次の昭和史は、敗戦後の事件を扱った「日本の黒い霧」で始まる。清張にとっては、2・26事件は5年後に始まる太平洋戦争と昭和史上つながっているのであろう。 「日本の黒い霧」は戦後の下山事件、松川事件、帝銀事件など不可解な事件を扱っており、その不愉快な謎が今も解けないのがつらい。清張はアメリカの謀略も疑っている。そして、最後はその謀略の総決算として「日本の黒い霧」は朝鮮戦争で終わる。だから、清張は、この本では朝鮮戦争はアメリカ側がしかけたという疑いを捨てきれない。 この朝鮮戦争で破滅した日本経済は息を吹き返し、高度成長への足固めをするが、その後の昭和史を清張は書いていない。 倒産しかけて、創業社長が退陣したトヨタは、石田社長の時代になるが、トヨタも朝鮮戦争の恩恵を受けた例にもれない。別な本だが、当時の石田社長の次のような談話がある。「この数ヶ月、ワシは夢を見ているようだ。トラックも四輪駆動車もろくに塗装もせずとも、羽が生えている鳥みたいに(韓国の米軍基地を目指して)飛んでいく。中国の義勇兵がプサンまで攻め込んできたときは、値段もへったくれもなかったで。よこせ、よこせの矢のような催促じゃった。ワシも長いこと商売をやってきたが、あの時ほどボロ儲けしたことはなかったわ。戦争直後のときも(豊田自動)織機は信じられないくらい儲けたが、今度はケタが違う。」 このカネがトヨタの生産設備に投入され、高度成長に向う。 司馬遼太郎は、この昭和の軍国主義時代は日本史で稀な狂気の一時代としている。言わば、一神教の時代である。そして「坂の上の雲」の日露戦争で小説は終わりで、その後の近代小説は書いていない。彼は敗戦時、22才で戦車隊にいたので、ノモンハン事件を小説に書くことを期待され、取材もしていた。しかし、遂に書かないで亡くなった。 司馬遼太郎は、「坂の上の雲」でも203高地の戦いを書いているとき、その戦い方の稚拙さで多くの兵士が死ぬことに耐えられず、しばしば呆然となって筆をおいたという。ましてやメチャメチャにソ連の戦車にやられ、多くの戦死者を出したノモンハン事件を書くことは気が進まなかったのではないか。 清張は36才で敗戦を朝鮮で迎えたが、2・26事件後の日中戦争、ノモンハン事変、太平洋戦争も書いていない。 保坂氏は、太平洋戦争の全体像を「あの戦争は何だったのか」(新潮新書:昨年夏発刊)として新書版に簡潔にまとめ、このブランクを埋めている。これも日本人にはつらい本であるが、知らないといけない知識であろう。
2006.06.01
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