ワルディーの京都案内
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東海道歩きの3日目。草津~石部です。本当は、2024年3月3日(日)に行ったのですが、投稿しそびれて、1年以上経ってしまったので、2025年3月3日の投稿にしました。第1日、第2日同様、二人旅です。感謝。大まかなルート 草津(11:10)~石部(15:30) 4時間20分 10.6km 25,900歩 JR草津駅 11:10発草津駅前の「草津宿」碑。草津は中山道との分岐点草津駅から南方向に中山道の一部を含め300mほど歩き、中山道と東海道の分岐点に着きます。 安藤広重 東海道五十三次 草津 追分道標 文化13年(1816)建立 「南東海道いせ道」「左中仙道美のぢ」と刻まれています。この追分道標は、草津市の指定文化財になっています。常夜燈 文化3年(1816)建築「右金勝寺志がらき道 左東海いせ道」と刻まれている。ここが草津宿東口上記常夜燈の説明版高野地蔵尊ここで草津川を渡ります。Wikipediaによると「下流部分は典型的な天井川であり度重なる災害をもたらしていたが、2002年7月、治水事業として中流域から琵琶湖にかけての草津川放水路が開削されたため、天井川を成していた旧河道は廃川となった。」とあります。今回渡る部分は、廃川になった部分です。草津川(旧)を渡ったあとは。すぐ右折して、南東に方向を変え、しばら旧草津川素因沿いに滋賀県道116号六地蔵草津線を歩きます。ここでいう六地蔵はよく知られた伏見の六地蔵ではなく、手原(JR草津線の草津から最初の駅)の六地蔵です。草津市とサヨナラして、栗東市へと入ります。高札場跡史跡老牛馬養生所跡 天保10年(1830)、庄屋岸岡長右衛門がここに老牛馬の余生を静かに過ごせる養生所を設立した。史跡老牛馬養生所跡の説明版従是東膳所領石道なりに今度は金勝川に沿って東北方向に向かいます・「田楽の里」碑𦾔蹟 人吉藩主相良気候御対面所跡 京いせや跡 名代田楽茶屋古志まや跡 名代田楽茶屋古志ま屋跡の説明版田楽発祥の地碑・膳所京界石田楽茶屋 元伊勢屋跡 説明板引続き、東北方向に歩きます。前を歩いているのは家内です。久遠山専光寺 真宗大谷派 応仁元年(1467)の開基。境内には樹齢350年の大銀杏があります。目川の一里塚跡 日本橋より180里。塚木は椋でした。目川の歴史ひょうたん直売所 金勝川の流れに沿って、東方向に向かいます。地蔵院地蔵院 目川地蔵大神宮碑上記の碑の説明板碑の側面の元禄年間亥年の刻印 写真では多少読みにくいが・・・・地蔵院を少し進むと、三叉路があり、そこを東北方向に折れます。分かりにくいので道標が建っています。道標 「東海道やせ馬坂 中仙道でみせ」と刻まれいます。善性寺 善性寺の恵教和尚は植物に詳しく、シーボルトと親交がありました。善性寺縁起足利義尚公「鈎の陣」の碑権威が失墜してしまった足利幕府の再興を図るため、第9代将軍義尚はこの地に着陣するも、25歳の若さで病没してしまいました。すずめ茶屋跡菜飯と豆腐の田楽が名物であった。名の由来は雀が集まる木があったところから。東経136度子午線碑 東経135度(日本標準時子午線)は明石市を通ります。代官邸跡 旗本渡辺領代官猪飼邸手原駅 JR草津線で草津から最初の駅。手原村の名称は「手孕み(てはらみ)による。旅行中の友人の妻を守るために、夜ごと腹のの上に手を乗せていたところ、手が生まれたという。稲荷神社 寛元3年(1245)、領主馬渕広政が勧請したもの。東海道名所記に「左の方に稲荷の祠あり。老松ありて、傘松の宮という」と記されている。明治天皇手原御小休所碑上記の碑の隣に手孕(てはらみ)のベンチ上記の説明板。さきほどの手原の語源の説明と違うようだが、この「手孕伝説」が脚色され、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目「源平布引滝」の題材にもなったようです。手原醤油店 手原醤油は寛政2年(1790)の老舗です。手原醤油の醤油は、江戸庶民からも大変好評で、詩にもうたわれています。手原醤油顕彰碑里内呉服店登録有形文化財。明治/1872頃築。呉服商を営んだ家で,主屋は,接道して建つ町家で,2階を低く押さえた外観など,明治初期の町家の特徴をよくそなえています。庇を正面から西側面に矩の手にまわし,上部に雨除けの小庇を設けるなど妻の意匠に工夫がみられます。里内呉服店の看板 大正11年に廃業(1922)しましたが、平成19年(2007)85年振りに呉服店を再開しました、栗東市のマンホール市の花「キンセンカ」、市の鳥「メジロ」、市の小「カイヅカイブキ」がデザインされています。西厳寺は真宗大谷派石谷山。天和3年(1683)の開基、本尊は阿弥陀如来。境内の肩かえの松碑 小野村は慶長年間の東海道整備によってこの地に移りました。旅人足等がこの松の木の下で休憩し荷物を担う肩をかえた所です。肩かえの松石碑光圓寺 真宗太田大谷派小野山。明応2年(1493)の開基。本尊は「阿弥陀如来」近江富士(三上山) 高さ432m六地蔵の一里塚跡 日本橋より117里和中散本圃 道中薬「和な散」の「ぜさい屋本圃」。家康が腹痛を起こしたとき、この薬を服用し快復したことから「和中散」と名付け、道中薬として普及した。茶屋本陣を勤め、シーボルトも立ち寄った。国の重要文化財に指定されている。庭は小堀遠州。向かいの住居は当主人大角家の隠居所。こちらも国の重要文化財に指定されている。店舗全様「ぜさいや」の看板「わちゅうさん」の看板和中散本舗の史跡石碑庭園は国指定名称「大角氏庭園」として指定されている。JR草津線に沿って歩く福正寺 蓮如上人旧跡六地蔵集落にある福正寺は、金勝寺25別院の一つ多喜寺の一院で六体の地蔵菩薩が祀られていたと伝えられています。その六体地蔵菩薩の一体が現在も残っており、福正寺で維持管理されています。1461年蓮如上人に帰依した住職・正善が浄土真宗に改宗し、その後の寛正の法難で逃れた蓮如上人は一時、福正寺に逗留していました。福正寺多宝塔石像多宝塔の説明版門前に國寶地蔵尊碑がある。長徳寺薬師如来堂 浄土宗真宗本願寺派楞厳山 永世16年(1519)開基。薬師如来堂がある。境内に「従是東膳所領」領界石がある「新善光寺是より一町餘」の道標か? 平重盛の末裔小松宗定が平氏追善のために信州善光寺に48度の参詣を重ね、満願の未明に善光寺如来が夢に現れ、「江州一円の衆生済度のため、我を連れ帰れ」と告げれられたことから、建長5年(1253)、当地に善光寺如来を安置した。「栗太八景」は、近江八景が普及した江戸時代中期の寛延3年(1750年)に、今の栗東市大橋の慶宗寺( キョウソウジ)の僧致遠(チオン)通称素月が、栗太地域の八景観を漢詩に詠んだのが始まりです。平成21年6月に完成しました。これはその一つ「第四景 伊勢落 街道筋」です。街道をさらに東へ 湖南市に入っていきます。昔なつかしい看板湖南市のマンホール。下部の水滴模様は湖南市の市章。湖南市ホームページによると「琵琶湖の豊かな水を表現する上部と、その南に位置する緑の大地を表現する下部で構成し、豊かな水と緑に囲まれた市の環境と、自然とやさしさに包まれた笑顔と夢のあふれる市勢を象徴しています。」とのこと石部宿 西畷 石部宿碑 15:30着JR石部駅 15:30着。大津11:05~石部15:30なので所要時間、約4時間半。30分に1本は草津に向かう列車があるので詳しく時間を調べずに行ったが、運よく短時間で列車が来ました。この日も無事歩き通しました。昼食は家内の握ってくれたオニギリだったような記憶があります。。←前回「旧東海道」 次回「旧東海道」→
2025/03/03
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