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【この本読みました】タイトル:明治・大正・昭和 九州の鉄道 おもしろ史著者:弓削信夫発行所:西日本新聞社初版発行:2014年6月12日第七冊発行:2023年12月1日ページ数:B6判 445ページ私が読んだ時期:2026年7月~8月私は今回の癌が発見される2、3ヵ月前に、ある講演会で「京都市の鉄道史」というタイトルで講演を行いました。私は鉄道の専門家というわけではないので、一から勉強してでの講演でした。そのことがあったので、ガイド会の同じグループ仲間の先輩Yさんが、私が入院中にお見舞いに来てくださり、この本を貸してくださいました。Yさんは、九州出身で、本屋さんで見つけて面白そうなので買ったとおっしゃってました。診察の待ち時間、OJRセンターへの往復の交通機関の中で読みました。九州、特に北九州には、昔炭鉱があり、鉄道も人を運ぶより、石炭を運ぶために作られた路線が多くあったことなど、関西とは、また違った発展をしてきたことが分かりました。著者は昭和7年生まれ。元フクニチ新聞記者で、17年にわたり国鉄九州総局記者クラブに在籍し、九州の鉄道を取材しました。この本には、国鉄詰めの記者であればこその、面白いエピソードが満載です。ここに書きだしたら切がありませんので、1つだけ紹介しておきます。「関門トンネル出口にある死電区間(デッドセクション)とは」関門トンネルは昭和17年に開通した。すでに電気機関車が走っていた。ところが、門司駅からの九州側では、まだ電化されておらず、門司駅で電気機関車を蒸気機関車に繋ぎ替え九州内を運行していた。戦後、門司駅から久留米駅を電化することになった。ところが問題があった。門司より本州側は架線に流れている電流は直流1,500ボルト、九州側は交流2万ボルト。これは次の理由による。早くから電化された区間は当時世界的に採用されていた直流電化を取り入れた。ところが戦後は、床下に取り付けることのできる小型の整流器が開発され、交流電化が世界的流れになった。交流電化の方が、変電所の間隔を大きくでき、建設費を安く済ませることができる。そこで国鉄は昭和36年に門司・久留米間を電化する際に、交流電化を採用した。この異なる方式、電圧を架線で結ぶことはできない。ショートしてたちまち停電してしまう。そこで、2つの架線を直接結ばず、間に25メートルの絶縁物を入れることになった。最初は樫の棒が使われた(今は、プラスチック製)。これが死電区間(デッドセクション)であり、ここだけは電気が流れていない。運転手はこの区間に近づくと、主幹制御器をオフにする。車輪を回すモーターは停止し、車内灯も消えるが、電車は25メートルくらいであれば惰性で走ることができ、通電区間に廃入ると主幹制御器を再びオンにする。モータは動き、車内灯も点灯する。こんなエピソードが盛りだくさん。読んでて飽きなかった。Yさんに深謝。昭和9年の九州の路線図昭和36年の九州の路線図よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「この本読みました」 次回「この本読みました」→
2026/10/13
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長女宅で子犬を飼い始めました。孫のO君が「犬を飼いたい」というので、チワックスという犬種の幼犬を飼い始めました。名はT君、男の子です。この前、長女宅を訪問して見にいってきたのですが、長女家族が3連休を利用して旅行に行くので、その間預かって欲しいというので、一昨日から今日まで2泊3日で預かりました。我が家には、I君というミニチュアダックス犬がいたのですが、天寿を全うし数年前に亡くなって、それ以降はワンちゃんは飼うことはなりませんでした。久しぶりのワンちゃんのお世話でした。親犬は、メキシコ原産のチワワとドイツ原産のダックスフンドで、両方の特徴を持つ、とてもかわいいいワンちゃんです。1990年代頃にアメリカでブリーディングされ、小型で飼育しやすく、アメリカでの人気の影響で、日本にもチワックスの人気が高まったようです。チワックスは、チワワの小顔とダックスフンドの胴長短足など、両親犬の特徴を受け継いでおり、体長はチワワを少し大きくしたような小型犬です。丸い頭に大きな瞳を持つ愛くるしい表情が魅力的です。エネルギッシュで好奇心旺盛なダックスフンドの性格も受け継がれているようです。ケージから出してあげると、部屋を走り回っていました。ボール遊びも大好きなようです。甘えん坊で活発、遊び好きです。環境が急に変わったのか、食欲がちょっと落ちたようですが、飼い主不在の間、元気に過ごしてくれました。次女と娘のWちゃんも、一目みたいと昨日会いにに来てくれて、賑やかな3連休になりました。今日の夕方、長女家族が迎えにきて、帰っていきました。
2026/10/12
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【この本読みました】タイトル:極楽征夷大将軍(上・下)著者:垣根涼介発行所:株式会社 文芸春秋(文春文庫)発行日:2026年4月1日 第1刷ページ数:上~516ページ7、下~495ページ初出:オール讀物 2020年5月号~2022年11月号単行本:2023年5月 文芸春秋刊私の読書時期:2026年8月癌闘病中の私に、ガイド会の同じグループのMさんが、「面白かったですよ」とわざわざ郵送してくださいました。OJRセンターへの往復のバスや電車の中、診察の待ち時間を利用して、一気に読みました。Mさんのおっしゃる通りとても面白かったです。主人公は足利尊氏なのでしょうが、尊氏は実弟・足利直義(ただよし)の目から見た形で描かれており、この本の主人公は直義のようにも思います。英雄扱いされる尊氏ですが、この本では、裏表紙にも書いてあるように、「やる気なし、使命感、執着なしの、ぼんくら男」の姿で描かれています。どこからどこまで史実かは、専門家ではないので、よく分かりませんが、随所に出て来る歴史描写に、色んな文献を詳らかに読んだあとが垣間見られ、あながち誇張ではないと思えてきます。この本を読む限り、著者の垣根涼介氏は、歴史小説家と思ってしまいます。でも、歴史小説は著者のカバー範囲の一部でしかないようです。1966年長崎県生れ、筑波大学卒業。2000年に『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞し、第2作は『ヒートアイランド』というハードボイル小説を著しています。2004年には『ワイルド・ソウル』で、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞と、史上初のトリプル受賞に輝いています。2005年に『君たちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞し、2023年にこの『極楽征夷大将軍』で直木賞を受賞しました。まだ読んではいませんが、歴史小説と思しきタイトルの著書として『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』などがあります。尊氏が本当に、本に書かれていた性格だったかどうかは分かりませんが、ストーリーの骨格は史実に基づくものと思われ、この時代の歴史の勉強にもなりました。観光ガイドの仕事に戻ることができたら役にたちそうです。わざわざ郵送してくださったMさんに深謝です。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「この本読みました」 次回「この本読みました」→
2026/10/11
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今日は秋晴れのもと、小学三年生の孫Wちゃん(次女の長女)の運動会に家内と行ってきた。一年生のときもいったので2回目である。(去年はガイドがあったためか、行っていない)我々が小学校のときは、小学校の運動会といえば、町の一大イベント。開会式は校旗を先頭に、国旗を拡げて4人とか6人で持って、グランドを一周。校旗や国旗を持つのは栄誉なことだった。親もゴザを持って早くから場所取りに行ったり。お昼のお弁当が楽しみだった。保護者や家族でなくても、自由に学校の運動場に入ることができた。競技も、着順で商品や賞状がもらえた。私は足が遅かったので、障害物競争でがんばった。親の出る競技もあった。最後のクラス対抗リレーは大盛り上がり。今は、午前中半日だけ。見に来る人は保護者が事前に届けて、その名札を持ってないと中に入れてもらえない。国旗は最初から揚げてある。国家斉唱はもちろんなし。校歌に合わせて、校旗を上げるだけだった。孫の出番も少ない、開会式と踊りと60m走のみ。もちろん親やジジババの出番はなし。徒歩競争も着順はつける訳ではなし。昔日の感がある。ただ我々の時代にはなかった風景があった。外人の先生がスタッフとして動いていたこと。小学校でも英語教育をするようになったからだ。児童の中にも外国人あるいはハーフと思われる子がいたこと。これも我々の時代にはなかった。変わらないのは、運動会に向け、児童は一生懸命練習するし、そういったなかで団結力が生まれていく。親御さんが写真撮影、ビデオ撮影に必死なのは変わらない(失礼、我々の時代には、写真撮影はあったけど、ビデオ撮影なんてなかった)。児童が親御さんに向かって笑顔で手を振る姿も変わらない。我が孫Wちゃんも、我々ジジババに笑顔で手を振ってくれた。欧米にはこういった運動会はない。日本の誇る文化の一つだ。たとえ半日になっても、いつまでもこの行事は残ってもらいたいものである。日差しが強く、ちょっと疲れたけど楽しい半日であった。そして、次の土曜日のは、孫O君(長女の長男)の運動会。これも楽しみである。
2026/10/10
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右目の白内障を手術をしたのが、10月29日(こちら)。上を向いての洗髪は、10月2日からOKでしたが、抗がん剤治療からの復帰段階でまだ髪の毛も短いし、上を向いての洗髪も面倒だし、洗髪はしていませんでした。10月5日から、普通に洗髪をしてもいいことになっていましたが、術後右目の上の方が充血しているので見合わせていました。しかし、充血も改善方向なので、昨晩久しぶりに洗髪・洗顔しました。気持ちよかったです。よろしかったら下記と「いいね」にぽちっとお願いします。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/10/09
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抗がん剤治療の痕跡として、手の爪と頭髪の様子を、7月18日と9月1日に投稿しましたが、この前の投稿から約1ヵ月、手の指の爪の筋は消えました。しかし、手の爪が1日に約0.1mm、1ヵ月に約3mm伸びるのに比べ、足の爪は手の約半分で、1日に約0.05mm、1ヵ月に約1.5mmしか伸びません。ですので、まだ足の爪は筋が残っています。手の爪 7月18日 筋は爪の真ん中やや下手の爪 9月1日 筋は指先の方へ手の爪 10月4日 筋は消滅足の爪 筋はまだ残っている健康な頭髪は、1日に約0.3〜0.4mm、1カ月で約1cm前後伸びるとされますが、9月1日に比べ、1cmは伸びてないようです。でも伸びているのは間違いなさそうです。頭髪 9月1日 頭髪 10月4日よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/08
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10月2日にOJRセンターで、重粒子線治療後初の経過観察があり(こちら)、腫瘍径が一回り小さくなったことが確認されました。体力的には、今のところ判断がむつかしいですが、この季節の常駐ガイドならこなせる(長距離歩くことはないし、夏場の高温もないので)と思い、その日に所属するシニアガイド会に復帰する決断をしました。所属するグループの責任者の方に、半年とか1年で再発する可能性は大きく、短い間の復帰になるかもしれないが、11月1日付けで復帰したい旨を伝えました。ただ、11月、12月は、もうガイド予定が決まっているので、月に一度の集まりだけ参加させていただくことにし、ガイドは1月からということになります。復帰時は様子をみるために、1月から3月の特別公開ガイドは避け、慣れた常駐先でのガイドのみを担当させていただきたい旨伝え、了承を得ました。1月に1ヵ月程度様子をみて、問題なければ、修学旅行や一般のガイドなど、距離を歩くガイドへと順次カバレージを拡げていきたいと思います。癌発覚で急遽休会したのが、去年の11月21日。約1年4ぶりのガイド復帰となります。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/07
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歯のメンテナンスでK歯科に行った後、右目白内障手術後1週間の経過観察でA眼科に行った。術後、右目に出血がみられたので、10月2日にも急遽診てもらったので(こちら)、術後としては2回目になる。特に異常はないとのこと。右目の出血は治りが遅いようだが、「時間とともに治ります」とのことで、前回同様、特に薬の投与もなかった。右の写真のように、充血している面積は小さくなっているので、だんだん治っていくであろう。「次回は、2週間後に来てください」とのことで、10月20日に予約を入れた。よろしかったら下記と「いいね」にぽちっとお願いします。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/10/06
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体重と体脂肪率を朝に計っている。毎日というわけではないが、今回の癌が発覚してからは、ほぼ毎日計っている。この体脂肪率の推移に癌やその治療の影響がみられる。下のグラフに1週間の移動平均を示す。まず、癌が発覚した去年の11月21日から、今年の1月7日までは、歩くことはほとんどしなかった。それまでは、観光ガイドの往復を極力歩くなどして、1日平均8,000歩以上は歩いていた。それがピタッとなくなって歩くことがなくなった。普通なら体脂肪率が上がるはずだが、それまで10~12%で推移していたものが、8~10%の間まで落ちている。その頃、明らかに足がむくんでいた。運動不足と病巣による血流の悪化で足がむくみ、水分が多くなって体脂肪率が下がったのだろう。このことがあったので、1日8,000歩のウォーキングを1月8日から始めた。今年1月13日から、6回にわたる抗がん剤治療に入ったが、このときも、病院の廊下などを利用して1日8,000歩のウォーキングをした。しかし、抗がん剤治療の副作用として、足にむくみが発生した。特に第1クールと第2クールは酷かった。体脂肪率5%まで落ち込んでいる瞬間もある。入院中は体脂肪率を測定しないので、退院後のむくみのある程度収まったときのデータしかない。もし、入院中も測定していたら、平均的にもっと低い値を示していたであろう。そして7月31日から、重粒子線治療のための毎晩の下剤服用が9月7日まで続いた。今度は体脂肪率が12~14%と上昇している。暑いときでもあったので、水分補給には気をつけていたのだが、やはり下剤の影響の方が大きく、身体が脱水傾向で体脂肪率が上がったのだろう。今は、12%程度で推移している。6月13日から、身体を労わるために、ウォーキングの1日歩数を4,000歩~5,000歩に抑えているからであろうか、少々高めではある。しかし、これくらいのレベルがキープできればいいと思っている。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/05
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体重・体脂肪以外に、血圧・心拍数も朝に計っている。毎日というわけではないが、今回の癌が発覚してからは、体重・体脂肪同様、ほぼ毎日計っている。この血圧・心拍数の推移にも、癌やその治療の影響がみられる。下のグラフに1週間の移動平均を示す。まず、癌が発覚した去年の11月21日直後に血圧・心拍数とも急激に上がっている。これからの不安のための心理的な影響かもしれないし、その頃病巣が急成長していていたかもしれない。その後、抗がん剤治療に入り、上下動はあるものの血圧の方は概ね落ち着いたようにみえるが、心拍数の方は、相変わらず高めで推移している。そして、重粒子線治療が始まる頃には、血圧は大きく下がり、心拍数も元のレベルまで低下している。血圧は、夏の暑さによる血管の膨張による低下も作用しているであろう。気温が下がった9月に入ると、かなり戻っている。ヘモグロビンが減少すると心拍数が上がる。9月10日のK病院での血液検査では、ヘモグロビン値が下がったままだったが、心拍数が低下しているので、改善方向かもしれない。ただ、倦怠感はまだあるので、そうでもないかも。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/04
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昨日、朝起きたときに9月29日にK病院で白内障手術をした右目の瞳の上の方に出血を発見(右の写真)。すぐにK病院で診てもらいたかったが、昨日は、軟部肉腫の重粒子治療後、初めてのOJRセンターでの経過観察(こちら)があったので、午前中に行くのは無理。午後に診てもらえないかK病院に電話。しかし、診察は午前中のみとのこと、しかも担当医がお休み。電話に出た看護師さんが「術後の経過を診ていただく、A眼科さんで診てもらえないか聞かれたらどうでしょう。ダメなら、また電話をください。」というので、A眼科に電話。術後約1週間後にA眼科で診てもらうよう担当医から指示があったので、10月6日には予約は入れてあったのだが。早速A眼科に電話。幸い夕方の時間帯に診てもらえることになった。OJRセンターでの経過観察から帰ってから、A眼科に行った。一通りの検査をした後、先生に診ていただいたが、「心配する必要はありません。自然に良くなります。」 ほっとして帰ってきました。術後1週間の経過観察で、10月6日にはA眼科に再度出向かなければなりません。よろしかったら下記と「いいね」にぽちっとお願いします。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/10/03
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今日は、重粒子線治療後、初じめてのOJRセンターでの経過観察ということで行ってきました。家内に午前中の所用があり、ちょっとバタバタしましたが、往復とも家内に車を運転をしてもらいました。いつもながら感謝。受付で、K病院で撮ったCTのCDと血液・尿検査の結果を渡し、担当医のU医師の診察を受けました。体調面の変化を尋ねられ、朝起きたときの舌の違和感、膝から下の血の循環が悪そうな感じ、病巣部のジンジンする感じを伝えました。重粒子線で胃や十二指腸への影響があれば、食べたあとムカムカ感があるはずだとのことです。それはないので、起床時の舌の違和感は他の原因でしょう。膝から下の血の循環にについては、重粒子線の影響があれば、血管の配置の関係で右足のみに出て、むくむはずだとのこと。でも、両足とも同じ症状で、むくみありません。これも重粒子線治療とは直接関係なさそう。抗がん剤治療で腎臓がダメージを受け、ヘモグロビンが、より低下しているからかもしれません。次回、K病院泌尿器科診察のときに聞いてみます。病巣部のジンジンについては、お腹を目視してもらいました。先生曰く、「照射部が少し黒くなっているでしょう。」 今回は全然皮膚に影響ないかと思っていましたが、少しだけ影響があったようです。「ジンジンとするのは、中の筋肉が重粒子線の影響を受けているためでしょう」とのことでした。今、病巣が大きくなろうとしているからではなさそうです。病巣部の大きさは、「一回り小さくなっていますね。小さくなり方としては、こんなものでしょう。」「K病院で、経過観察を受けることになりましたが、予防的に抗がん剤を服用することをしなくていいですか?」の問いに対しては、「一番効くのは、ドキソルビシン+イホマイド。でも既に限度量まで使ったので、もう使えません。あと通院で服用や注射をする薬がありますが、何ヶ月か大きくなるのを抑えるだけで劇的な効果は期待できません。特に、あなたの場合、腎機能が低下しているので、抗がん剤をすると、副作用で苦しむ可能性も大きく、予防的な抗がん剤は特にしないという方法をとったほうがいいかもしれません。」そのような内容でレターを書いていただき、K病院に郵送をしていただくことになりました。「今後、3ヶ月に1回、K病院でCTを撮って、血液検査を受け、当センターを予約し、それらを持って、こちらに来てください。こちらでも経過観察します。」とこと。最後にアルコールについて尋ねました。「胃に潰瘍とかできている可能性もあるし、治療後3ヶ月は控えてください。」 あと約2ヶ月お酒もシャットアウトです。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/02
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こちらに書いたように、OJRセンターでの重粒子線治療後の経過観察を、OKGセンターに拒否されました。そういうこともあろうかとK病院の泌尿器科と腫瘍内科の予約が今日とってありました。OKGセンターの拒否にあったその日に、K病院に行き事情を説明し、ありがたいことに、その日にCTを撮ってくれました。今日、そのCTの結果を確認し、OJRセンターへのレターを書いてもらうのと、CTのCDデータをもらうためK病院に行ってきました。午前中遅い時間は家内が車を使うので、往きだけ家内に送ってもらいました。感謝。まず、採血と採尿を出して、泌尿器科へ。幸いなことにほとんど待たずに診ていただけました。こうなった経過は看護師さんやOKGセンターのレターから、K医師はご存じだとは思いましたが、私からも経緯を説明しました。私の疑問点の一つは、腫瘍の位置が腎臓や膀胱に近いわけではないので、経過観察の診察科が、泌尿器科でいいのかどうか。K先生「あなたは片腎ということもあり、腎臓をよく診ていかないといけないので、泌尿器科で診ますよ。必要となれば、他の科に繋ぎますから」といってくださったので、泌尿器科で経過観察することにしました。「重粒子線治療後の経過観察のご経験はありますか」と尋ねたら、「いや、ないです。」とおっっしゃったので、OJRセンターからもらった重粒子線治療の副反応の説明書と、前の重粒子線治療で、腫瘍が小さくなって安定するまで1年半かかったことを説明する自作グラフ(下記にも掲載)を渡しておきました。今は腫瘍内科で血液検査や尿検査を予約してもらっていますが、明日のOJRセンターでの経過観察診察で、抗がん剤無しで様子をみるということになったら、腫瘍内科には行かなくなるので、泌尿器科から血液検査・尿検査の手配をお願いすることになる旨、承知いただきました。肝心の腫瘍の大きさにについては、「一回り小さくなっています」だけで、数値の提示はありませんでした。帰宅してからPCで確認するため、OJRセンターに明日渡す9月28日撮影のCDだけでなく、OJRセンター撮影のCDも返却してもらいました。OJRセンターへのレターも書いていただき、1ヶ月後の診察も予約したました。次に腫瘍内科のY医師。ここもあまり待つことなく診ていただけましした。泌尿器科同様、経緯を説明し、泌尿器科の診察で、腫瘍は一回り小さくなっていると言われたことを伝えました。1ヶ月後の泌尿器科の予約と同じ日に予約を入れていただきました。明日のOJRセンターでの経過観察で、抗がん剤治療なしで経過観察することになったら、腫瘍内科に診ていただく必要はなくなるので、血液検査や尿検査は泌尿器から手配いただくことになる旨、承知いただきました。ただ、明日の結果次第なので、次回分は腫瘍内科からの手配をお願いしました。血液検査、尿検査は、やはりクレアチンは高いまま、ヘモグロビンは低いままです。ただ今のところは悪化していませんが、クレアチニンは、以前の重粒子線治療では、治療が終わってからジワジワと高くなっていったので要注意です。今日、帰りに買い物をするために、だらだら坂を上って店に寄って帰宅しましたが、以前はへっちゃらでしたが、かなりしんどかったです。やはりヘモグロビンが減っているためでしょうか。明日、ガイド会に復帰するかどうか決断しますが、復帰するにしても、前のようなハードなことはできないでしょう。帰宅してからパソコンで、CTのデータを発覚時点に遡ってみてみました。確かに小さくはなっていますが、小さくなるスピードは前の重粒子治療のときに比べると緩やかです。やはり再発は覚悟しておかねばならないでしょう。今回の腫瘍径の経過 水平径で抗がん剤治療分を含めても、2割しか減っていません。2014~2015年の腫瘍径 抗がん剤治療も含め、重粒子線治療後、約6割減っています。クレアチニン値 抗がん剤治療前より高いままヘモグロンビン値 抗がん剤治療前より低いまま血小板 下限値以下だが前より上昇アミラーゼ 今回、基準値内に入った総ビリビリン 今回、基準値内に復帰よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/01
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