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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習26『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」も、残りあと8ページ、11文節となりました。前回で、「国民文庫版」のP234、第63文節まで来ました。ここで、その先をさらにすすむべきか、それとも前回の紹介した第56文節-63文節にたいして、私などの感想をコミットしておくべきか、どうするか迷いましたが。急がば回れ、です。今回は、前回のP231第56文節からP234第63文節ですが、そのなかで感じた点を、検討しておくことにしました。一、最初に、残りの内容について、そのスケッチですマルクスの「ヘーゲル弁証法批判」は、残りの8ページですが、そこには以下の3点があると思います。1、マルクスの「ヘーゲルの思い」を検討した総括的見解があります。第64文節-66文節です。2、その根拠をさぐる、『小論理学』の最終章・第244節について。第67節・68節です。3、最後は、人にとって抽象の世界だけではむなしい。自然を直観したくなるのは、人の外部性について。第69文節-72の最終文節です。こうした結論的な問題が、この後のしめくくり部分ですが、最後にあります。二、前回の第56文節-63文節を理解するヒント前回のヘーゲルの見解に対するマルクスの評価ですが、何を言いたいのか、わかりましたか。なかなかそれ読み取ることは、厄介なことだろうと思います。私自身も感じています。そうした中で、私などには、少なくとも2つのヒントがあると思っています。1つは、マルクス自身が提供してくれているヒントです。くりかえしになりますが、以前にマルクスが難関を越えるための示唆を与えてくれてました。ア、「国民文庫」P217第20・21文節「ヘーゲルの一面性と限界」について「さしあたり」言っておく、との点です。イ、同、P217第23文節「現象学の最後の章。主要点はこうだ」と、アドバイスしてくれている点です。これがマルクスが、ヘーゲル批判を読み解くうえで、与えてくれているヒントです。2つ目のヒントは、後年においてエンゲルスが提供してくれているアドバイスです。ア、『反デューリング論』と『空想から科学へ』です。この著作はマルクスとエンゲルスが協議したうえで書かれたものです。かつては、科学的社会主義の『入門書』の意義をもち、関心者のみなさんすべてにプレゼントしてくれたという、そういう『空想から科学へ』なんです。イ、もう一つは『フォイエルバッハ論』です。これはマルクスが亡くなった後に、エンゲルスが科学的社会主義の世界観の確立についてまとめたもの。「この中で私は、私の知るかぎりで現存のもっとも詳細な説明をしておきました」(1890年9月21日付 エンゲルスからブロッホあての手紙)といってます。三、本題の、第56文節から63文節のマルクスの批判についてですただし、前回紹介したヘーゲルの見解に対しての、マルクス『経哲手稿』でのそのもの自体の論評については省略します。ダブりますし、あまりにも長くなりすぎますから。P231 第57文節 (a)外化したものを自己のなかに取りもどしていく対象的運動。ここには基本があると思うんです。疎外された自己をとりもどす。人間中心のヒューマニズムということか、ルネッサンス以来の近代の精神をヘーゲルは引き継いでいる、という評価です。第59文節 ヘーゲルは「それ自身を否定(疎外)することの、肯定的な意味をとらえている。「ヘーゲルは抽象の内部で、労働を自己産出行為としてとらえている」これは、以前に予告として、P216第19文節ですが「ヘーゲル現象学と、その最終成果-その偉大なもの」としてマルクスが強調していた点ですが。ヘーゲルは人間の自己産出を、一つの過程としてとらえている。それは外化・対象化されたものに対して、他方では対象性のはく奪として、外化したものを止揚することとしてとらえていること。ヘーゲルが「労働の本質をとらえ、対象的な人間を、現実的なるがゆえに真なる人間を、それは人間自身の労働の成果として理解している」こと、それはマルクスがこの箇所でのヘーゲルの見解を評価していたんですね。さらに、ここには人間の疎外にとって、ヘーゲルが類的な諸力というものが働いているとの指摘を評価しています。電気釜、自動車、スマホの社会的な、類的な意識と力ということですね。P233 第60文節 (b)ヘーゲルの転倒性ですが、それによって、マルクスは逆に効用を指摘しています。第一に転倒性は、ただ形式的な行為として現れる。それは抽象性によるから、と。これはなにか。以前に第13節でフォイエルバッハの「否定の否定」が、ヘーゲルの主張している点をとらえていないことが指摘されてました。フォイエルバッハの「否定の否定」ということのとらえ方は狭いこを指摘していました。ここでは、ヘーゲルの「否定の否定」の積極的な意味について、それは歴史の運動にたいして、抽象的、論理学的、思弁的な表現を、基本的な運動の仕方といったことを指摘して言います。それはフォイエルバッハのように、ある特定の問題(神と哲学)の場合というだけでなく、もっと広く、一般的な基本的な事柄をとらえる見方を与えてくれる洞察なんだと。個別の問題点じゃなくて、大きな基本的な運動の仕方についての、ヘーゲル流の哲学的に表現したものなんだと。P233第61文節「第二に、とらえ方が形式的かつ抽象的であるために、外化の止揚が外化の確認になる」以前にヘーゲル弁証法の問題点として、「外化の止揚が外化の確認になる」ということは、「前進のウソ」(P228第46文節)、「原理のウソであり、ごまかしである」ととまで、否定視されていたと思うんです。しかしここではそうではない。むしろそれが積極的な役割を果たしているといっているという。これは、いったいどういうことか。以前のところあれば、ヘーゲルの「神-人間・哲学-神」の「否定の否定」(第41文節)が問題になりました。「否定」されたはずの現状が、「否定の否定」ということで元のまま肯定されてしまう。これはまやかしの現状肯定主義だと批判されていたんです。ところがここでは、「おのれ自身を目的として自身に落ち着いてくるような、おのれの本質に到達したところの人間の生の表明である」と肯定されている。いったいどうしたことか。両者において、どこが共通しているかというと。「おのれの本質に到達した人間の生の表明であり、自己確認」、この人間中心のヒューマニズムの生成が、共通して据えられているということですね。ヘーゲルにある光をマルクスはそこに見たんじゃないでしょうか。その自己の内面的な確信が大きな前提として大事なんだということ。だけど、マルクスの強調している点は、同時に「否定の否定」は新たなものを生み出していくこと。出発点にあった人間が、そのままで肯定されるわけではなくて、試行錯誤はあったとしても、やがては新たな人間に発展していく、自己変革していくということですね。ヘーゲルの『歴史哲学講義』では「自由の世界史的な発展」を歴史観として熱心に説います。(私は、『ヘーゲル 歴史のなかの弁証法』で紹介しましたが)。しかし具体的で全面的には語れていないように思います。たしかに材料の研究不足もあったでしょうし、歴史観自体に問題があることも指摘されるところです。同時に思うんです、なんたってヘーゲルという人はベルリン帝国大学の総長の立場にもあったくらいの人ですから、その立場からして、その発言はかなりの配慮されたもので、その中には内面的な葛藤があったんじゃないかと、私などは思っています。第62文節 「ヘーゲルの抽象的な形式としての弁証法において、この運動が真実に人間的な生の運動と見なされる」「しかしその生の運動というのは抽象的なものであり、それは神の過程のあらわれとして、人間とは区別された抽象的に純粋で、絶対的本質があり、その神的な純粋なものが、人間をとおして、みずからを通過させる過程だとみなされる」。人間とは別に、神のような純粋で絶対的本質があって、人間の思想や行為というのは、その本質の現象形態なんだといってます。これは、客観的な観念論の立場を指摘したものですね。しかしヘーゲルは、少なくとも、俗世間にある神のすべて合理化したり弁明したりしているのものではありません。神にふさわしいような神の絶対的理念といった存在を想定(前提)している。しかし、それは現生のなかからそうした理想が抽出されるのではなくて、はじめにそうした神的な存在があるんだというのがヘーゲルの考え方ですから、そこが逆立ちしているとされる点です。すくなくともヘーゲルは、現状の歪んだもの(社会や政治や宗教など)を、「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」の命題をもって、なんでも合理化しようとするような立場ではないことだけは確かだと思います。以上、前回に紹介した『国民文庫』のP231の第56文節から、P233の第63文節までについて、私などが感じた事柄です。
2024年09月20日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習25今回の主題はヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ですが。『経済学哲学手稿』の国民文庫版・藤野訳では、P231(第56文節)からP239(第68文節の終り)までです。ME全集・真下訳では、P506の第48文節からP512の第68文節まで、です。一、これまでの問題を簡単におさらいします1、ヘーゲルの弁証法とは何か。学問の成り立ちは、「存在者がどのように運動していくか。一方では、自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容になる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちに取りもどす。自分自身の契機にする。一方の運動は、否定性で、区別し現存在を定立するはたらきである。他方、自分に帰る運動では、否定性は規定された単純性が生ずることである」(『精神現象学』「序論」)。2、この「他方」の問題ですが、自分がつくりだしたはずのものが、それが小説であっても自動車とか社会であっても、自分と異なった「疎遠」なものとして目の前に現れるわけですが。今回の主題、「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」というのは、ヘーゲルが『精神現象学』の「絶対知」で「対象性のはく奪」としている見解ですが、これは人がつくりだしたのに疎遠になっているものを、人間が自己に取りもどすということです。そのことをヘーゲルは「自己意識が対象性を措定する」「それの他在のそのもののなかで、おのれのものとなる」といった形で主張していた。これは、このヘーゲルの見解に対するマルクスの分析であり、批判ですね。3、これまでマルクスは、ヘーゲルのこの見解にある「一面性と弱点」の問題点を分析してきました。しかし今回の箇所は、このヘーゲルの弁証法ですが、その「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ということです。これは、26歳の若きマルクスですが、このヘーゲル哲学をどの様に考察して、どのような価値あるものを析出したのか。その成果は今や常識的な結果となっていますが、私などが問題とするのは、その結果をつくりだすためにマルクスはどのような努力をしたのか、その過程の問題です。4、このヘーゲル弁証法批判の課題ですが、この探究には先人がいます。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)です。マルクスが1883年に死去して、残された草稿集のなかから『経済学哲学手稿』を見つけたんですね。共に歩んだ努力ですが、歴史に埋もれていたんです。どのように唯物弁証法はつくりだされたのか。科学的社会主義にとって基本問題です。66歳のエンゲルスです。この若き頃の草稿に目を通して、晩年にはいる学識をもって、ことがらに疎くなりがちな、なにかと忙しい現代人のために、若ものたちにも理解しやすいようにと、主題をまとめ返したんですね。以上が問題の輪郭であり、おさらいです。二、本題、『経済学哲学手稿』そのものをつかむ国民文庫版ではP231(第56文節)からP239(第68文節の終り)ですが、これはヘーゲルの主張のそのものをつかむということです。がまんしてお付き合いください。P231 第56文節「疎外の規定のなかでの肯定的な規定をとらえる」-これがここでの主題です。P231 第57文節 (a)外化したものを自己のなかに取りもどしていく対象的運動。すなわち、これは、対象的世界の疎外された規定を取り消すことで、止揚することで、人間の対象的本質を現実にわがものと獲得することについての、そのことの疎外された洞察だ。天上の神を止揚するものとしての汎神論・無神論は、人間中心のヒューマニズムの生成であり、私的所有の止揚による共産主義は、現実的な人間生活をとりもどすことであり、これが実践的なヒューマニズムの生成であるのと同じだ。58文節 人間がつくった対象的世界をとりもどすという止揚というのは、昔のふるい時代にかえることではなく、ものごとを節約して我慢するような生活ではない。むしろはじめて人間の本質が、現実的なものとして生まれ出てくることである。59文節 ヘーゲルは「それ自身を否定すること(疎外すること)の肯定的な意味」をとらえる。人間は自己疎外し、人間本質を外化する。そしてその対象性をはく奪することで自己獲得する。ようするにヘーゲルは抽象の内部で、労働を自己産出行為としてとらえている。そして、人間が自分自身に疎遠なようにふるまうい思うのは、生成しつつある(社会的な)類的意識と類的な生活よるものだと、とらえている。P233 第60文節 (b)ヘーゲルの転倒性の帰結により、人間の自己産出行為は、第一にただ形式的な行為として現れる。それは抽象的な行為だから。なぜなら、人間的本質そのものを、ただの抽象的な思考的な本質として、自己意識としてみているから。(自己意識が対象を措定する。対象的世界というのは自己意識なんだとの認識)61文節 第二に、とらえ方が形式的かつ抽象的であるために、外化の止揚が外化の確認になる。ヘーゲルにとっては、自己外化と自己産出の自己対象化の運動は、絶対的に究極的に、おのれ自身を目的として自身に落ち着いてくるような、おのれの本質に到達したところの人間の生の表明である。(変革していくべきはずの自己が、そのままで自己肯定されてしまう)62文節 だから、ヘーゲルの抽象的な形式としての弁証法において、この運動が真実に人間的な生の運動と見なされる。しかしその生の運動というのは一つの抽象的なものであり、それは神的な過程のあらわれとして、人間とは区別された抽象的に純粋で絶対的本質があり、その神的な純粋なものが人間を通して、自ら通過する過程だと見なされている。P233 第63文節 この過程は一つの担い手を持っていなければならない。だがその主体は成果としてはじめて生成する。その成果というのは、おのれを絶対的な自己意識として知るような主体であり、そうした主体は神的なもの、絶対精神、おのれを知りおのれの実をしめすところの理念である。現実の人間と現実の自然とは、この隠れた非現実的な人間・非現実的な自然の述語や象徴となる。したがって、主語と述語とには双方の絶対的な転倒の関係をもっている。そこには自己内循環(不断の旋回)がある。(ここには、人間のいとなみは、自分に帰ってくるんだけど、人間よりも純粋な神的なもの(本質といったもの)によっていて、人の疎外の克服もそのあらわれなんだ、といったヘーゲルの思想がある)まぁ、今回はここまでですね。残りは、P234第64文節から、P241第74文節です。これからヘーゲルが自身の弁証法にたいしての悩める意識の問題が出てきます。終わりまで、あと少しだということです。
2024年09月20日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習24主題は、ヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ですが、最後の部分で、問題のもっとも勘所となる個所に来ています。国民文庫 藤野渉訳では、P231の第56文節から、P239の第68文節の終わりまでです。ME全集 真下信一訳では、P506の第48文節から、P512の第66文節までです。一、マルクスの弁証法観マルクスは具体な事柄が勝負でしたから、問題の抽象的な方法(唯物弁証法)については余り述べてません。あえてあげるとすれば、『資本論』第2版のあとがきですが、その一つかと思います。「弁証法は、その合理的な姿態では、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解をふくみ・・・なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり、革命的なものである」(1873年1月24日)。いま学習している『経済学哲学手稿』ですが、これはその原点です。それはマルクスが26歳の時のもの。この探究の成果ですが、当時のプロイセンとフランス政府によっての国外追放、「24時間以内にフランスから出て行け」とのことで、このことのとりこみによって、出版社との契約するところまで出来ていたんですが、そのドタバタです。結局、お蔵入りせざるをえなかったんですね。これは直面する諸問題に対して抽象的な問題ですから、その後のなかで、あえてこの問題を取り上げるような機会がなかったんですね。一つに、「もしいつかまた、そんな仕事をする暇でも出来たら、ヘーゲルが発見したが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーケン二枚か三枚で、(岩波文庫で30ページくらい)、普通の人間の頭にもわかるようにしてやりたいものだが。」(1858年1月16日ころのエンゲルスへの手紙、全集29巻)。また二つに、1868年5月9日のディーツゲンあての手紙にも、のべています。「(『資本論』の)経済学的な重荷を首尾よくおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんとでています、ただし神秘的な形態で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることです」(全集第32巻P450)ここで述べているのは、いま私たちが学習しているところの、ヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」こと、まさにその問題ですね。当時、マルクス自身が刊行できたものとしては、『独仏年誌』『聖家族』『共産党宣言』のなかでふれられたことくらいしかなかったわけです。ですから、マルクスの「弁証法を紹介したい」との思いというのは、まさにその通りだと思うんです。二、その後の時代のなせるわざしかし、このマルクスの思いは、すこしはその後の歴史の中で癒されているんです。一つは、1876年からの『反デューリング論』です。これは、エンゲルスの著作ですが、マルクスとエンゲルスの書簡を見ると明らかですが、マルクスとよく相談して、ヘーゲル弁証法の問題点を書いているんですね。もう一つは、1886年の『フォイエルバッハ論』です。マルクスが1883年に死去して、その遺稿集の束のなかから、エンゲルスはお蔵入りされていた初期の草稿集を目にしたんです。それに基づき検討し直して、忙しい現代人にも理解しやすいような形にして刊行してくれたんですね。さらにもう一つ、1933年にソ連で『マルクス・エンゲルス全集』が刊行されたこと。そのなかで『経済学哲学手稿』そのものが、刊行されたということです。ですから、レーニンもこの『経済学哲学手稿』は目を通せなかったわけです。しかしさらに日本語へ翻訳・刊行する問題があります。私などがこの『経済学哲学手稿』(『国民文庫版』)を目にすることが出来たのは、1970年頃のことでした。三、私自身の『経済学哲学手稿』への挑戦日本で『経済学哲学手稿』が刊行されたのは、手元にある国民文庫版ですが、その第一刷は、1963年3月15日となっています。私が手にしたのは、刊行されてから7年後というわけです。その後、岩波文庫版、ME全集版と、少なくとも3種類が刊行されました。しかし、この書が刊行されるのと、それが読まれ理解されるとのあいだには、どれだけの時間と努力が必要なのか。これは私などの勝手な意見ですが、『資本論』もそうですが、それは天まで持ち上げられるんですが。はたして、本当にそれをどれだけのひとが、真摯に読む努力をし、かつ理解すべく努力しているのか。公認的にはなっているんですが、いろいろ感想意見を目にはするんですが。率直なところ、『あなたは、本当にそれを読んだの??』と疑問に感じる場合が、多々あるんですね。自分勝手な解釈をもって、「私こそ真に理解したものだ」なぞと、のたまわっているのを目にします。日本社会は、まだ討論する機会というものが少ないんです。個人の内的な努力にとどまっていることが多いと思うんです。出版界も商売ですから、儲けにならなければ、出版されることは少ない。それはマルクスの時代とも共通です。がしかし、現代は、戦後は民主主義的社会ですから、刊行されて議論される可能性は、大きいと思うんです。ただし、もう一つの問題は、それを受け止める衆人の側に、文化的な高揚がなければ、猫に小判となるということです。戦後の民主憲法ですが、それを80年大切にしているものを、「大切にせよ」と言ってきた政治家が、くちをそろへて「憲法を改正して、たたかえる国家にせよ」なんて、自民党の幹部みんなが言っている事態ですから。「なにを寝ぼけたことをいうのか、それでも政治指導者なのか」、テレビに向かって、そう言ってやります。しかし、テレビに言っても仕方がないことで、今やそこをどうするかが問題です。まぁ、今回は、余論です。これから、最後のマルクスの努力の圧巻の部分に入るにあたって、その前に、気がかりな点を紹介させていただきました。
2024年09月15日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習23前回・第22回では、ヘーゲルの「それの他在としての他在において自身のものとなる」に対するマルクスの批評ですが、全集第40巻のP502の第33文節からP506の第46文節ですが、そこでのマルクスの論点を大まかに紹介しました。今回は、そのマルクスの論点を、私なりに検討してみます。簡単に言えば、ヘーゲルの弁証法-「自分自身をうみだし、展開し、そして自分に帰っていく過程」ということ。「対象性のはく奪」ということですが。ヘーゲルの『精神現象学』の「絶対知」での「意識の対象性の克服」ですが、「自己意識の外化が物性を措定する」(第二項)、「それの他在そのもののなかで、おのれのもとにある」(第六項)、ですが。マルクスは、ここの言葉の中にヘーゲル弁証法の「一面性と限界」を見てとり、『この論述のなかに思弁のあらゆる幻想をひとまとめに持っている』と指摘しています。それはどういうことか、これが問題です。「それの他在そのもののなかで、おのれのもとにある」全集第40巻のP502の第33文節はじめの部分は、三項から六項までのヘーゲルの主張の確認です。その上で、38、「それの他在そのもののなかで、おのれのもとにある」(第六項)ですが。マルクスは、このヘーゲルの言葉の中にある問題をさぐります。ヘーゲルは、意識は直接にその他者(感性、現実、生)であるといっています。それは「自己意識の外化が物性を措定する」(第二項)との認識からして、当然でもありますが。これが問題の第一です。フォイエルバッハはこの点について、「ヘーゲルは思考によって力にあまる仕事をする思想家である」(『将来の哲学の根本命題』第30節)と指摘しています。これは唯物論の基本的立場ですね。マルクスもこの立場にたってます。しかしまだこの時点の段階では、唯物論と観念論の違いというのは、打ち出されたばかりです。その基本的な立場の違いが洞察されたところで、問題になりだした初めの段階ですね。39、第二にマルクスは、この考え方の中にあるニセの批判、現状を肯定していることを問題にします。それは、どういうことか。ヘーゲルは、人間にとって精神世界は、人間を揚棄したもの、否定したもの、疎外したもの、外在化したものとなどと、とらえていました。ところが、その人間にとって、産み出された第二義的であるはずのものが、ヘーゲルにあっては同時に、そのままの姿において承認してしまい、それが人間のあり方だとの意味になっている。「止揚」「揚棄」「アウフヘーベン」という意味は、高める、保存する、あらたな本質を得る、といった意味があるはずじゃないですか。ところが、前にすすむはずのところで、もとの古いすがたを肯定してしまうヘーゲル。これじゃぁ、肝腎の宝がなくなっちゃうじゃないか。これがマルクスです。この点について、ですが、やはりフォイエルバッハが指摘しています。「近世哲学の、汎神論の矛盾、それは神学の立場での神学の否定である。しかしその否定が再び神学であるとの矛盾。この矛盾が、とくにヘーゲル哲学の特色をなしている。」「ヘーゲル弁証法の秘密は、結局、ただ神学を哲学によって否定し、それから再び哲学を神学によって否定することである。最初にはすべてがひっくりかえされるが、それから再びすべてがもとの場所に置かれる。」(『将来の哲学の根本命題』第21節、P43-46)マルクスは、このフォイエルバッハによるヘーゲル弁証法の批判ですが、「それはあたっているよ」と評価しています。ただし、「しかし、これはもっと一般的に理解すべきである」と指摘(批判)しています。森羅万象にとっての一般的な原理が、ヘーゲルの「否定の否定」にはある。たとへば、理性は非理性としての非理性のもとでおのがもとにある、となるんだから。ここには、宗教や国家でもいえるし、ヘーゲルの後にみられる順応的な態度についても、その根底的な原因をなす考え方の基本がここにある、とマルクスは指摘しています。当時、26歳のマルクスです。ヘーゲルの「否定の否定」に対するマルクス分析41、「否定の否定」の理解に関する問題です。「揚棄」(アウフヘーベン)ということは、本来なら、見かけ上のものを否定して、本当のものをつかむことじゃないですか。本物をつかんだら、見かけ上のものは否定されるじゃないですか。ところがヘーゲルによると、その肝心な本質をとらえたあとで、以前の見かけ上のものが、そのままもの形を確めてしまう、ここに原理的な問題があるとの点です。あるいは、人間と概念のとらえ方にも問題をきたすという。ある人間は見かけ上のものであるからして、それ仮象の姿としては否定される。真の人間というのは、その人から独立にある、本質的なものというものがあり、人はそのあらわれとなる。その人から独立した本質(概念)なるものが、主体へと転化することらよりその人が人となる、といったことをヘーゲルは言っているようです。そうなると、仮象と本質が、否定と肯定が、「止揚」という言葉で結びつけられちゃう、こうという問題をもっていると。実際、ヘーゲルの「止揚」の使い方には、こうした彼の独特の役割を果たさせている場合が多々あると。42、このことを、後年の『法の哲学』にみています。私権が道徳に、道徳が家族に、家族が市民社会に、市民社会が国家に、国家が世界史に、と。次々に止揚により、世界の場が展開していく。しかし、実際には、それぞれは人間の諸契機として存在しつづけている。人間の現存在の諸契機として、相互に関連しつつ、存在している。そして、それぞれの領域は、それぞれのなかで、歴史的な運動をしている。こうしたヘーゲルの展開の仕方では、それぞれの領域には実際の関連や運動や歴史があるわけですが、それらが隠されてしまう。それ自身の持つ運動が見えなくなる、そうした問題が指摘されてます。43、さらにマルクスの指摘ですが、ヘーゲルにとって外在は自己意識の外化ですから、意識の問題としてしかとらえない。彼がとらえ批判しているのは、あくまで人間の意識としての学説、諸々の学説にたいしての哲学的な批判ということになる。マルクスはヘーゲル対する指摘として、次のようなことも紹介しています。「理論を問題とするあり方のなかでは、それらのものの実際の運動する本質は隠されている。それは思考するのなかで、哲学の思索なかではじめて現れ、開示されるのである。」「一部は私自身のあり方の内部で、疎遠なあり方において確認する。一部はそれらそのものの特有な本源的な姿において私はそれらを確認する。というのは、それらは私には、それらのもの自身の真のあり方の、すなわち私の哲学的あり方にとっては、見かけだけの他在というのは、比喩として、感性的外被のもとに隠された姿として見ているからである。」思想家としてのヘーゲルですが、彼は現実を具体的にとらえようとしてますが、それはあくまで現実ということの思想・哲学を問題にしているということなんですね。私などは、ヘーゲルとマルクスが何を言っているのか、理解に苦しみます。しかし、何を言っているのか、何が問題なのか、それをとどうしても追跡するじゃないですか。それに付き合うじゃないですか。その試行錯誤しての詮索した結果ですが、なんとも、客観的な観念論というのは、いとも普通人にとって単純なことがらを、じつに厄介なとらえ方をするものだと、あらためて感じさせられるし、マルクスですが、彼はその考え方をじつに丹念に追跡しているものだと、あらためて感じさせられます。44、ここでは、同じ問題を、『論理学』と『精神現象学』で指摘しています。同じ問題が、形を変えてとらえていることを確認します。ということで、ようやくにして問題点の結論です45,46、ヘーゲルが問題にしているのは、存在に対して、その思考であり、思想です。直接的な感性を、理性や思考に高めることをもって、ヘーゲルは現実を「止揚」したものと考える。マルクスの評価です。「この思考の止揚は、その対象を現実のなかでそのままにしておくにもかかわらず、これを現実に克服したと信じている。そしてこの直接的な感性な対象をもって、思考にとっては自己意識の検証と見なしている」それは、ヘーゲルが、思想を問題にしているだけだからです。現実はそのままにしておいて、ただ理解の仕方を、解釈を変えているだけなんですね。そのことをマルクスはとらえた。従って、そこからは自ずから、次の言葉が浮かんでくるでしょう。「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである」これは、1845年4月にマルクスが手帳に書いたメモです。内容からしても、書かれたころの時からしても、重なってきます。以上をもって、ヘーゲル哲学、弁証法の「一面性と弱点」についての学習とします。次は、「ヘーゲル弁証法批判」の最後のテーマです。「ヘーゲル弁証法の、この疎外した規定の内部での、肯定的な諸契機をとらえる」ことです。
2024年09月09日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習22今回は、ヘーゲル『精神現象学』の最終章「絶対知」の一節から、「それの他在としての他在において自身のものとなる」に対するマルクスの検討です。『ME全集』第40巻の、P502の第33文節からP506の第46文節までの14文節が対象です。途中から目にする方は、これを見て『なんじゃ、こりゃぁ』との気もするでしょう。私なども、いろいろ取り込みがあって、この間に中断していたので同じです。あらためての「まき直し」で、問題とその所在を確認するために、すでに3回のブログ発信をしているところです。一、あらためて、探究の流れの確認「それの他在としての他在において自身のもとにある」、突然にこんな言葉を聞かされては。誰しも困惑せざるを得ないと思います。いったい何を言っているのか、だいたい何が問題なのか、まずはこれまでの流れを大まかに確認します。1、ヘーゲルは近代に、哲学者として初めて弁証法を提起した。マルクスの『経済学哲学手稿』は、まずこの点の業績を評価しています。第14文節(P496)「ヘーゲルの『精神現象学』とその哲学の最終成果は弁証法であり、それは『動かし、産み出す原理としての否定の弁証法だ」として、その内容のいくつかを紹介しています。ではヘーゲル自身は、その弁証法をどの様に述べているか。『精神現象学』の「序論」から。〇「哲学に求められている肝心なことは、命題の弁証法的運動を叙述すること。命題は真なるものが何であるかを表現すること。真なるものは、本質的に主体である。主体である以上、それは弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分に帰っていく過程にほかならない。」(『世界の名著』「ヘーゲル」中央公論社 山本信訳 P141)〇「学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは、一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在するものとなる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちへとりもどす。すなわち、一方の運動においては、否定性は、区別し、現存在を定立するはたらきである。他方の、自分に帰る運動においては、否定性は、規定された単純性が生ずるということである。」( 同 P130)はじめにマルクスが指摘したヘーゲルの弁証法というのは、こうした点かと思います。少なくとも、ヘーゲルは、この最初の著作『精神現象学』(1807年)において、弁証法を意識的に紹介しようとしているんです。そのことは確認できると思います。ヘーゲルは、その後1831年に亡くなるまで、この弁証法を世界のさまざまな分野において追跡し、まとめて、その著作や講義で述べているんですね。2、しかし、そのヘーゲルの弁証法には、偉大な成果の面とともに、大きな問題があった。マルクスの『経済学哲学手稿』ですが、これは、この両面をはじめて明確に提起したものです。この間の学習に付き合っていただいた方は、そうした課題がわかっていただけると思いますが。ヘーゲルの弁証法には「一面性と限界」があった。その点の析出が課題です。ヘーゲルはその弁証法を「意識の外化と、その対象性の克服」だということで、『精神現象学』の「絶対知」の冒頭で、8点にわたって述べています。それに対してマルクスが検討しているわけです。マルクスは、とくに二つの点を丁寧に分析しています。1つは、第2点目の「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」の点です。これはこれまでの学習でみてきたところです。2つは、第6点目の「この外在化と対象性を同時に揚棄して自身のうちへ取りもどしており、したがって、それの他在としての他在において自身のもとにいる」。これが今回学習しようとしている点です。この二点において、マルクスはヘーゲルの弁証法が持っている問題点を吟味しているわけです。そうしたことが流れであり課題であるとは分かったとしても、「なんでそんなことが問題なの? 」と戸惑うだろう私などに対して、マルクスはこれまでに、そのことの中心的な意味・内容を、アドバイスしてくれてました。それが、「あらかじめ、言っておく」(第16文節(P496))と指摘してくれている箇所です。さらに、そのおもな「要点の紹介する」(第17文節から21文節(P497))との箇所です。マルクスは、これらをヒントにして、とかく困難を前して投げ出しがちな私たちに対し、どんな苦労をしてでもヘーゲルを読み解くように、そうした努力をするだけの内容があるよ、「頑張れ」といってくれているわけです。二、大まかに、その論点をさぐる「それの他在としての他在において自身のものとなる」は、P502の第33文節から、P506の第46文節までの全部で14文節あります。やはりこれを読み解くのは簡単なものではありません。それで、マルクスの主張をつかむために、各文節でどんなことを言っているか、私なりに各節の内容を短く整理してみました。読み解いていく上で、なにか刺激になればさいわいです。第33文節(P502) 「絶対知」冒頭でのヘーゲルの8点の指摘について、その第三、四、五、六点についての主張を、それぞれ確認しています。第34文節 「対象性の揚棄」は、ヘーゲルにとっては疎外された対象の特定の各性質だけでなく、対象ということそのものが妨げ(癪[しゃく])になっている。しかしその空しさは積極的な意義をもつ。第35文節 意識、あるいは知るということ。第36文節 ヘーゲルの言っている「他在のうちで自己のものになる」を確認する。第37文節 マルクスの結論的総評-「こうした説明のうちに、あらゆる幻想がいっしょくたになっている」第38文節 第一に「他在は自身のもとにいる」のなかには、フォイエルバッハが「思考の力にはあまることになる」と指摘した点が妥当している。第39文節 第二に人間の外化したものとしての精神世界を揚棄したにもかかわらず、それをもとのままで人間の真のあり方として復興してしまう。これはニセの肯定主義であり、見せかけだけの批判だ。フォイエルバッハの「否定の否定にへの批判」は当たっている。だけど、それは狭い。ヘーゲルの宗教・国家に対して順応するのは、この原理そのものに問題がある。第40文節 原理のウソを宗教論において見る。第41文節 「したがって」、ヘーゲルの否定の否定に対する考え方の問題。否定が肯定と結ばれている。そこには「止揚」ということが独特の役割をはたしている。 第42文節 『法の哲学』では、論理の展開で説明されるが、各々は人間の各契機である。各契機は人間のあり方としてそれぞれ運動しているが、それにより各々の運動が隠される。第43文節 ヘーゲルは精神(学問、哲学)だけを動的にみている。そのもととなっている現実は隠されている。自己を本質として、諸学説をその現れとみている。第44文節 論理学と現象学の関係。論理の本質のあらわれとして、現象が寿限無寿限無とつづく。第45文節 「止揚」の内容は、対象をそのままにしておいて、ただその解釈を変えるという解釈論。第46文節 ヘーゲルの止揚する現存在は、現実そのものではなくて、この学説を問題にしているだけ。学問上では批判的な解釈をのべているが、しかし現実の事態はあるとおりにみとめている。以上が、マルクスのヘーゲル哲学の、弁証法の「一面性と制約」にたいする分析です。以前に紹介された「あらかじめ」「要点」のアドバイスですが、それがどのようなヘーゲルを検討する中から引き出されたものなのか。ここでは直に、生にヘーゲルの検討がなされているということです。この学習から私などが何をつかむか問われます。これからの楽しみです。しかし、次のことは確かですマルクスが、あらかじめアドバイスとして述べていたことですが、これは、ヘーゲルの「絶対知」の検討から、必然的に引きだされてくる事柄だということです。この検討から引きだされた評価であり、結論であることが見えてきます。以前に読んだときは、いったい何をいっているやら・・・モヤモヤしていた面もあったんですが、この検討作業を調べることによって、何を言っているのか明確になります。これは、唯物弁証法とは、どのような中身で、どのように確立したのか。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』において説明していることですが、これはその元になっているものですから、この箇所を読み解くことで、より明確になります。私などには、唯物弁証法を理解する上で、これは学習の一つの大事な道だと思います。三、この検討に対し、私などの感じた点ですが1、ヘーゲルは確かに弁証法を発見し、まとめたんです。しかし、まだそのままでは原鉱石のなかの金ですね。その解析をはじめてマルクスがしてくれた。今日では、すでにヘーゲルの業績とその批判というのは、ある程度は常識的になってきていると思います。がしかし、それでも一方では、まともな検討の対象とはしない多くの不毛な風潮があると思います。同時に他方では、「そんなことは、当たり前なこと」との当たり前の前提のように当然視する態度もあるかと思います。肝心なのは、真摯な努力がどれだけなされているのかです。そうした中で私は思うんです。研究者の個々人の探究というのは、良心的な人は研究されていると思いますよ。ある程度は常識的なこととされてます。しかし、私などの目には、その議論も関連する刊行物もほどど届いてないんです。議論がなければ、世間に周知のものとはならないじゃないか、なにをなまけているのか、と。戦後80年がたちますが、私などが見るのにマルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル哲学批判」に対する、しっかりとした丁寧な検討というのは、ほとんど見当たらないんですね。この弁証法を理解するうえで、科学的社会主義の哲学を理解する大事な材料であるにもかかわらず、世間はいったい何をしてるんだ、と。馬耳東風の状態をぼやいていたんです。しかし、ボヤくことをやめました。馬耳東風じゃない、討議の場がないだけで、心ある人たちはその世界の中で努力しようとしている、そのことを感じるようになったからです。他者に対しなげいているんじゃなくて、これは自らの問題であること。「努力をオープンにしつつ、さらに進め」、との気持ちにようやくにして悟りを得たということです。2、しかしまわりを見ていると、最近でも「マルクスは、弁証法について、まとまった著作を残さなかった」などの意見が見られます。これは、マルクスの書簡にある「(『資本論』に)時間を取られて、まとめることが出来ないんだ」という言葉から来ていると思いますが。確かにマルクスの生前には、「ヘーゲル法哲学批判」も「経済学哲学手稿」も「ドイツイデォロギー」も刊行されずに、草稿のままに人知れずにしまわれていたんです。その時点では妥当です。しかし、その後1932年には旧『ME全集』として、その中にはこれらの作品が刊行されているじゃないですか。日本でも戦前から先人の弾圧下での努力した話も聞きます。ましてや、戦後民主主義の下では、日本でも翻訳され刊行されているじゃないですか。民主的な学習・討議も可能じゃないですか。それなのに、私などには、今、学習の材料が、ほとんどない状況です。今日、『経済学哲学手稿』は、翻訳されて刊行されているんです。そのなかで、「マルクスは、弁証法について、まとまった著作を残さなかった」なんてことが、とっくに死語になっていることが、今でも時たま、聞かれるわけですから。これは討議が不足していることをしめしているとおもいませんか。ですから、このことは言えると思うんです。いくら個人が研究していたとしても、またそれが本になって出たからと言っても、討議がなければ、人知れず埋もれていく。それがみんなの討議やさらなる研究発表として、共同の努力が尽くされなければ、豊かなものにならないし、私などの一般人の目にまではほとんど届かないんです。活発に議論が尽くされてこそ、全体のものとなり、豊かになるんだと思います。やはり、それが足りないと思います。宮本百合子の『歌声よ おこれ』ですが、これは、やはり今でも求められていると思います。民主主義を徹底する課題をもつ日本です。民主主義を真に確立するためには、民主主義の中身をつくりだすこと、それに反するものとはしっかりとたたかうこと、戦前の亡霊が自民党政治に幅を利かせています。こんなことをまかり通らせていいんですか、犠牲者が報われると思いますか。これで歴史を前にすすめると思いますか。私たちの前には、この課題が厳然としてある、ということです。だいたい、活発な議論がなければ、せっかくの宝があったとしても、持ち腐れになるじゃないですか。レーニンの『哲学ノート』をみると、あの困難が山積していた世界大戦のさなかに、弁証法をつかむために、ヘーゲルの『大論理学』をはじめ、諸著作を読んでいた。それくらいの努力を、今日の民主主義的な条件下の日本にあって、自由はあるんです。しかしその自由を生かして、そうした努力を形にするような人は、誰れか出て来ないんですかね。私などはそうした努力がはやく出てくるのを楽しみにしているんですが。今回、悟ったつもりが、さらなるぼやきとなりました、ここまでです。マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」も、おわりまであと少しです。
2024年09月06日
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上脇博之著『検証 政治とカネ』を読む「しんぶん赤旗」の8月25日付で、この本を知りました。法政大学の元総長・田中優子名誉教授が、この本を紹介してくれていたんですね。今、自民党の総裁選挙で誰が出るのか、それがテレビ・ニュースのネタに、盛んになってますが。肝心の裏金問題の輪郭と、それに対する態度が問われているじゃないですか。いったい何が問題なのか、この上脇著『検証 政治とカネ』は、その視点を提起してくれてます。たまたま本日、最寄りの私鉄の駅の書店を通った時に、本屋さんの店頭の本棚には見当たらなかったんですが、店員さんに聞いてみました。「この本があるかどうか」、ダメもとで。すると、どこからか、探し出してきてくれました。この本で2つのことがわかりました。一つは、政治家(自民党政治家)の裏金を調べるのは、いかに庶民には厄介なことかということです。如何に国民の日々の生活からしたら、詮索することが難しいことか、そこをひも解いてくれてます。田中優子氏の紹介でも「すべてを覚えられるけではないが、・・・」とありますが、まったくもってその通りで、そのつながりを、今、国民は執念をもって解きほごさなければなりません。もう一つは、上脇教授はというのは、そもそもは憲法学者なんですね。昨今の活躍を見聞きしていると、政治ジャーナリストのような印象をうけていたんですが。根本的には、憲法の民主主義的制度が、今の政治動向で、いかに歪んでいるのか。それに対する義憤が、国政の中心問題に押し上げられた人で、民主主義者なんですね。新発見でしたが、憲法学者だったんです。今の現状のごみ溜めのような事態ですが、これをどのように掃除すべきか、この認識が、上脇氏のベースにあっての、今回のヌエ的な裏金政治をときほごしている努力であることがわかりました。ただし、私などとしては、田中教授の感想に近いんです。「具体例を挙げて詳細に説明している。すべてを覚えられるわけではないが、座右の書にすれば、疑問を持ったらすぐに調べられる。」上脇教授が開拓してきた知識と、赤旗記者が追跡した執念ですが、簡単なことではないことです。しかし、簡単ではないけれど、いま日本国民は、この問題をクリアーしなければならない。そうした力を持たなければ、永遠にこのせこい政治家どもにバカにされる、ということです。「お前たちは1円でも申告義務とされるけど、俺たちにとってはそんなのは屁のようなものだ」「それが、最近のこの国でくりひろげられている政治家というものなんだ、それが今のご時世なんだ」、絶対にそんなことは口にはしないけれど、しかし総裁選の実際の姿がそれを語ってくれてます。
2024年08月30日
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「小田原史談会」を紹介します台風10号が、日本列島にそうように近づいています。みかん園のある小田原ですが、ここでもカンカン照りかと思えば、突如として大雨となります。今回は、天候の様子をにらみつつ、できることでのみかん畑の手入れでした。しかし、大きな収穫がありました。「小田原史談会」との出会いです。「小田原史談会」の会報、2023年10月(275号)から2024年7月(278号)をいただきました。私のブログを見ている方はご存じでしょうが。私などの認識としては、当地の小田原は、自然としては、みかん、漁業、石の採掘、温泉です。歴史としては、源頼朝の旗揚げの地、豊臣秀吉の天下統一の一夜城、関東大震災の震源地、などが定番材料として、みかん園に来る人たちに、素人の浅知恵をふうちょうしてきていたんです。今回、この「小田原史談会」の会報を見ると、2023年10月 275号は、関東大震災を今とどめる記録を、埋もれていた拓本からさぐる。2024年1月 276号は、東海道・箱根の甘酒茶屋の13代目の山本さんの話。2024年4月 277号は、「関東大震災は繰り返す」-県温泉地学研究所の本多主任研究員の話。2024年7月 278号は、小田原藩が平民の二宮尊徳をなぜ登用することにしたか。ようするに、レベルが違うんです。東京・八王子にも「史談会」があって、八王子の歴史の発掘を紹介しているはずですが、小田原もまた、その歴史を、独特に発掘しているんですね。これって、すごいことだと思いませんか。歴史の愛好者は、歴史の真実を探る、それこそ損得が抜きなんです。そこには、歴史教科書の全国的に一般化した定説、これは歴史として大事なんですが、もっと、具体的な様子が発掘されていて、たいへんドラマチックなんです。だいたい、関東大震災の震源地地は小田原方面ににあった、首都東京はマスメディアも発達してますから、新聞も写真も残る。私などの小田原・真鶴などは、へき地の寒村でしたから、その震源地にもかかわらず、一般にはその記録材料がないわけです。体験者はいなくなる。第二次世界大戦の経験だってそうなように。ところが、石文などさまざまな形で、その体験が風化しないようにと、先人たちは、その記録を残しているんですね。しかし、それは注意しないと、人の目にならない、埋もれた記録なんです。それと、科学です。小田原は、箱根の温泉がありますから、伊豆や箱根など地震・地質学の銀座です。現代科学が、それにどの様なアドバイスを提供してくれているか。こうなると「小田原史談会」の会報は、たんに歴史といっても、そのスケールは広大ですね。たとえば、小田原は二宮尊徳が生まれた地ですが、彼は歴史の都合により「芝刈りなわないわらじをつくり」と天まで祭り上げられた苦労・努力の代名詞のような人ですが。しかし、それなりに身分制度の厳しかった時代にあって、それなりに評価される根拠があるんです。江戸時代の小田原藩、さらには徳川幕府というもの、その事情を知るうえで、この人はやはり貴重な存在なんですね。時代の制約をこえるような、そんな人でもあったんです。それを、どの様に「小田原史談会」が紹介しているか。これは、これから読むところで、これからの楽しみですが。しかし、確かなことは、「小田原史談会」の会報を、まだ1つ2つしか読んではいないんですが、それは、それなりに史実を大事にしている、歴史の具体的根拠を大切にして紹介していること。当り前と言えば当たり前ですが、昨今の風潮からしたら、これは一つのポリシーですね。そんなポリシーが、故郷の小田原で、今に頑張っていることを知って、どこからともなく、ほほえましく感じます。会報の最新号は278号だそうですが、これまで、どのような探究をされてこられたのか。これは、全国の歴史ファンが、注目してしかるべき努力の積み重ねですね。さすがは、小田原です。あらためて、その努力の積み重ねに認識を新たにしました。
2024年08月28日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習21マルクスの『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習しています。マルクスのヘーゲル『精神現象学』「絶対知」の検討から、ヘーゲル弁証法を検討しています。しかし今回も、自分の問題認識の整理です。一、そもそも「弁証法とは何か?」ですが私などが弁証法の言葉をに、最初に知ったのは、エンゲルス『空想から科学へ』です。その第2章「ドイツ古典哲学」-ヘーゲルの紹介からでした。考え方の特徴の問題として読んでいたと思います。その後、やはりエンゲルスの『フォイエルバッハ論』も読みました。これは、科学的社会主義の唯物弁証法とは何か、どのようにつくりだされてのか、そんな問題意識で読んでいました。また、レーニンですが、『哲学ノート』をみると、世界大戦のさなかにあって、ヘーゲル『論理学』から弁証法を学びとろうとして、懸命に学習していたという記録が残されています。「弁証法」といえば、辞典などでは、1.対立物の闘争、2.量から質への転化、3.否定の否定、この3つの法則があると解説されています。弁証法というと、哲学の教養や知識ということもありますが、実際の自然や社会、人間の思考などの世界の法則性でもあるとの洞察でもあり、ものごとに対処する方法だとの指摘もあります。そうしたことから、いったい「その弁証法とは何んなのか?」、問題とするところで、自分自身の認識や、とらえ方が問題になっているわけです。二、「弁証法」の問題は、いつから問題になったのかやはり、意識的に問題にしていったのは、近代のドイツ古典哲学のヘーゲルやマルクスからですね。ヘーゲル(1770-1831)、マルクス(1818-1883)では、ヘーゲルはいつから弁証法を問題にし出したのか。それは最初の著作『精神現象学』(1807年)ですね。『論理学』、エンチクロペディー、『法の哲学』、『歴史哲学』、広大な領域で探究しています。前回、『精神現象学』序論から、その一節を紹介しましたが、今回も別の一節を紹介しましょう。「哲学に求められている肝心なことは、命題の弁証法的運動を叙述すること。命題は真なるものが何であるかを表現すること。真なるものは、本質的に主体である。主体である以上、それは、弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分に帰ってゆく過程にほかならない。』(『世界の名著』中央公論 山本信訳 P141)たしかに、ヘーゲルは弁証法を意識的にとらえ、表現しようとしています。ヘーゲルは1831年にコレラにより62歳で亡くなりました。その思想は、社会に大きな関心と影響を与えながらも、その弁証法とは何かの基本問題は、当の本人以外には明確な意識的認識にならなかった。青年ヘーゲル派の人たちは問題意識すらならなくて、またフォイエルバッハにおいても明確にしきれなかった。そこにマルクスが出てきて、弁証法について意識的に検討した。そしてヘーゲル弁証法を批判した。「ヘーゲル法哲学批判から」(1843年)、そしてこの「1844年の経済学哲学手稿」です。ヘーゲルが1831年に亡くなって、その10年余の後のことです。マルクスのヘーゲル弁証法に対する評価ですが。「ヘーゲル現象学と、その最終成果は、運動させ産出する原理としての否定性の弁証法であり、その偉大なる内容は・・・」(『経済学哲学手稿』国民文庫 藤野渉訳 P216)その弁証法の偉大な成果とは何なのか、それを評価して、引き継ぎ、生かそうとしています。ヘーゲル弁証法というは、すばらしい洞察です。「弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分に帰ってゆく過程にほかならない」など、基本洞察をもっているんです。が、しかし、同時にその著作を読まれた方は分かると思うんですが、なかなか大変です、わかりにくい。そのままでは玉石混交で、使えるものではない。このヘーゲル弁証法のどこが問題なのか、これを批判する課題があり、このことをマルクスやエンゲルスが努力していったわけですね。こうした問題の輪郭については、今日では天下周知の、常識的な状況だということです。だけど「わかっている」ということと、実際にそれを苦労して確かめるということとはちがいます。この探究ですが、日本では、戦後民主主義のもとで、公に自由に出来るようになった事柄ですね。戦前であれば、治安維持法違反で、犯罪者として、取り締まられたわけですから。その後遺症が、民主主義への鈍感さとして、あちこちに残っているわけです。三、マルクスはどの様にヘーゲル弁証法を批判してるか『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」ですが。どの様な組みたてになっているか。1、最初に、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判の功績を指摘するとともに、どちらかと言えば、それは唯物論の見地からの批判で、弁証法が十分検討されていないこと。2、次に、マルクスは、序論というか、前置きをアドバイスしています。ヘーゲル哲学の全体を視野にして、とくに『精神現象学』を検討した結果からの指摘ですが、 〇ヘーゲル弁証法の成果を紹介しています。 「ヘーゲル現象学と、その最終成果は、運動させ産出する原理としての否定性の弁証法であり、その偉大なる内容は・・・」(P216) 同時に問題は、ヘーゲル弁証法にある一面性と限界についての析出です。 〇「あらかじめ」はっきりしている問題と、 〇「主要な論点」の、二つを指摘しています。これは、結論的な事柄であって、本論を理解するうえでのアドバイスということです。3、次は、批判=検討作業の本論です。『精神現象学』の「絶対知」の一節から「意識の対象の克服」から、8点をピックアップして、それを検討していきます。 二点目「自己意識の外化が、物性をそていする」 六点目「自己意識は外化をとりもどす。すなわち他在そのものの中で己のもとにある」この二つの点にみられるヘーゲル弁証法の一面性と問題点を検討しています。4、本論となるヘーゲル弁証法の検討からみちびきだされることがらです。ここでは「あらかじめ」や「主要な内容」との形で、予備的にアドバイスされていたことが、実際の検討した作業からの必然的な結論として提示されます。私などの学習ですが、目下のところは、 本論の六点目「自己意識は外化をとりもどす。すなわち他在そのものの中で己のもとにある」ここにはいろうとしているわけでして、それはなかなかの難関なんです。今回は、そこを突破するために、大よその組み立てを探ってみた次第です。今回は、以上です。
2024年08月26日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習205月から三か月間にわたってこの学習は中断しました。再開するにあたって、これまでの学習の流れを確認する必要があるんです。がしかし、それは簡単なことではないんですね。今回の課題ですが、この先の学習を進める上で、これまでの学習の流れを確認しておくことです。一、あらためて感じた点最初に、この中断していた間に、気がついたり、感じたりしたことですが。1、「ヘーゲル弁証法」とはいったい何なのか。弁証法について書かれた解説書はいろいろあるじゃないですか。弁証法ってなに?です。ヘーゲルが『精神現象学』序論で、こんな紹介をしています。私などは、これはヘーゲルが弁証法について述べた個所の一つだと思います。『学問が組織されるには、ただ、概念それ自身の生命にまかせさえすればよいのである。図式による場合は外的に現存在にはりつけられる諸規定も、学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは、一方では、自ら自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容になる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちに取りもどす。ということは、すなわち、自分自身をそこで一つの契機たらしめ、自分を単純化して一つの規定とする。一方の運動においては、否定性は、区別し、現存在を定立するはたらきである。他方の、自分へ帰る運動においては、否定性は、規定された単純性が生ずることである。このようにして内容は、その規定が何か他のものから受けとられ、外からあてがわれたものではないことを示している。内容が自分自身に規定を与えるとともに、みずから進んで自分を契機となし、全体のなかに位置せしめるのである。』(中央公論社 世界の名著 山本信訳 P130)この「序論」の一文ですが、私などは今、マルクスの『経済学哲学手稿』を学習してますが、その中で、『精神現象学』の最終章「絶対知」を一節を検討しています。これはヘーゲルがその箇所を簡潔に述べている部分なんですね。「ものごとを知るというのは、意識の対象性を克服することだ」として、「絶対知」では、このことを八つの文節にして全面的に述べているんですね。細かく検討していますが、これはその全体をとおしてヘーゲルは何を言いたいのか、序論のここでアドバイスしているものとして読みました。同じ弁証法ですが、論理学からみちびきだした法則とは、だいぶ様相が違うと思います。しかし、ここで紹介されているのも弁証法なんですね。2、主題とは離れますが、私などはここには大事な問題があると思います。一つは、マルクスの思想ですが、それがその個人的な努力としていかにすばらしいものであったとにしても、それはドイツ古典哲学のヘーゲルの成果を受け継いでいる。その批判的検討をとおして、必然的な発展としてつくりだされているということですね。この近代民主主義の成果の必然的な継承・発展させたものとしてある。この継承・発展の側面を、内容をあきらかにすることも大事だと思うんです。それは、成果を点としてみるのか、大きな流れの中でみるのか、どのような大道のなかでの問題なのか、それによって姿が違ってくると思うんです。私などがマルクスの『経済学哲学手稿』を学習し、ヘーゲル哲学を学ぼうとしているのも、そうした思いもあるからなんですが。もう一つは、哲学の問題です。哲学というのは、一見するとわかりにくい、日常の生活感覚からはほど遠いように感じるのもわからなくはないんですが。だいたいの哲学書はそうしたものですが。しかし哲学は意外と、大事な原理的な、一般的なこととして、日常性とも具体的な関連をもっていると思います。疎遠な状態にあるのはもったいない。それと、日本の歴史的な学術の成果ですが、哲学の分野にある人たちも、そのヘーゲル研究者の人たちも、おそらく、あちこちにその努力の成果としてあるんですよ、きっと。今回の山本信氏の翻訳の成果もまたしかりですし、この間のヘーゲル学習でも一部分ですが、その成果を学ばせてもらいました。だけど、私などの勝手な感想ですが、現代社会の全体の中では、そうした努力の全体的な姿が、つくられた成果が、広く一般に紹介されることがないんですね。それは必ずしも、私などの不勉強のためというだけじゃないと思うんです。この問題はじつにもったいない話です。二、これまでの学習の流れさて、本題です『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」ですが。国民文庫では、P205-241の37ページ、文節に番号をつけると第1分節-65文節です。これまでの学習の流れを整理してみました。マルクスはこの著作でどのようなことを問おうとしているのか。序論 1、青年ヘーゲル派のヘーゲル弁証法への無自覚な対応 第1文節-4文節 2、フォイエルバッハのヘーゲル弁証法論 第5文節-8文節 フォイエルバッハの業績を3点 フォイエルバッハのヘーゲルの「否定の否定」に対する説明マルクスの結論的な指摘 3、マルクスの「否定の否定」の受けとめと、課題意識 第9文節 4、ヘーゲルの哲学体系を確認する 第10文節-11文節 5、マルクスのヘーゲルの二重の誤りの批判 第12文節-13文節 6、ヘーゲルの最終成果としての偉大なもの-弁証法 第14文節マルクスの検討課題 7、マルクスの課題提起-ヘーゲル哲学の一面性と限界をみる 第15文節 さしあたりの問題点 第16文節 問題の主要点 第17文節-21文節マルクスのヘーゲル弁証法の検討作業 8、「絶対知」章の意識の対象の克服から、全面的に8点を 第22文節 9、1点・2点「自己意識の外在化が物を措定する」について 第23文節-32文節ここまでの学習では、以上のところまで来ました。重要な箇所に来ていることがわかるかと思います。次回ですが、 10、3点-8点「他在そのものの中で自己のもとにある」について、第33文節からすすむことになります。今回は、以上です。
2024年08月25日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」19マルクスの『経済学・哲学手稿』をテキストにして、ヘーゲル弁証法批判を学んでます。2024年5月10日(第18回)をもって中断してました。主題は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスにして、マルクス『経済学・哲学手稿』(1844年)のヘーゲルの弁証法の問題を学ぶこと。ようするに唯物弁証法の内容です、それがどのような努力によってつくりだされたのかということです。この間の中断したんですが。それは東京在住者の当方として、6月20日告示-7月7日投票で東京都知事選挙が行われました。このためですが。これにより、レーニンの気持ちですが、ほんの少しですが、味わうことが出来ました。『国家と革命』第一版の「あとがき」ですが、『このような「妨害」はただ喜ぶほかはない』(1917年11月30日ペトログラード)と。今回は、この学習の再出発ですが、今、途中のどこから再開しようとしているのか、その位置の確認です。しかし、その前に、「ヘーゲルの発見した弁証法」とはいったい何か、との問題です。『精神現象学』の「序論」からですが。「学問が組織されるには、ただ、概念それ自身の生命にまかせればよいのである。・・学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは、一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容となる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちへとりもどす。すなわち、一方の運動においては、否定性は、区別し、現存在を定立するはたらきである。他方の、自分に帰る運動においては、否定性は、規定された単純性が生ずるということである」(『精神現象学』序論 山本信訳 中央公論「世界の名著」P130)私などは、ヘーゲルのこの一文に、ここで問題とされる弁証法のスケッチがあると思ってます。これまでの学習発信すでに、私などは、この都知事選の前に、計18回の発信をしてきたんです。このグダグダした学習を、ブログにして発信してきているんですが。1、第1回 2023年12月17日 始まり、今の位置2、第2回 2024年2月7日 私などの「ヘーゲル弁証法の批判」のこれまで3、第3回 2024年2月18日 真下信一氏のアドバイス4、第4回 2024年2月22日 私なりの真下アドバイスの受けとめ5、第5回 2024年2月25日 エンゲルス「カール・マルクス」での刺激的な問題提起6、第6回 2024年3月9日 視点を変えて、自分での旅立ち7、第7回 2024年3月11日 1840年代のプロイセンと、今の日本の私たち8、第8回 2024年3月15日 唯物論にもいろいろあること9、第9回 2024年3月18日 フォイエルバッハの唯物論の特徴10、第10回 2024年3月25日 フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判の成果と弱点11、第11回 2024年3月31日 ものごとに対する構えの再構築12、第12回 2024年4月5日 本論-ヘーゲル弁証法の成果とは何なのか 13、第13回 2024年4月7日 『精神現象学』「絶対知」の何が問題か、本論の筋書き14、第14回 2024年4月15日 ヘーゲル弁証法の成果と課題15、第15回 2024年4月19日 「貫徹された自然主義、ヒューマニズムが真理」とは16、第16回 2024年4月23日 「自己意識が外化したものとしての世界」17、第17回 2024年4月26日 同 その218、第18回 2024年5月10日 「自己意識は他在のなかでおのれのもとにある」以上のような詮索をしていた時に、それをまとめてみようとした時に、東京都知事選挙が近づいてきて、その嵐が吹き出してきて、この間、中断していたわけです。私などは、この間の都知事選の体験により、ますますもって、哲学を、「弁証法」をしっかりと学習する必要があると感じています。選挙には負けましたが、マスコミはいいかげんな興味本位の報道をしきりに流していますが、しかし現実は、ますますその社会的な勢力、平和・革新・民主の社会勢力の役割が、切実となり、大きく要請されていると感じている次第です。私などが感じるのに、それに必要なことの一つが、この世界観、哲学の学習だとおもうんです。忙しいからこそ必要な課題なんです。疎遠なテーマのようにみえますが、しかしやはり必要な問題なんです。これまでをふりかえるとということで、これから再開していくんですが。これまでの学習は、どちらかというと「序論」だったんです。これから本論に入りますが、まずは、これまでのスケッチ、筋書きを紹介しておきます。マルクス『経済学・哲学手稿』(1844年)の「ヘーゲル弁証法」批判ですが。『ME全集第40巻』(真下信一訳)では、P490-512、文節にすると、第1文節-65文節です。これまでの流れを、大まかに区分すると1、序論 第1文節-14文節 ア、ヘーゲル哲学の大流行の中で、その基本=方法に対する無自覚 イ、フォイエルバッハだけが、意識的な唯物論の立場からの批判をした ウ、しかし、その弁証法に対しては批判が出来ていなかった2、マルクスの結論から念頭におくべきアドバイス 第15文節-21文節 ア、ヘーゲル弁証法とその功績はなにか イ、「あらかじめ」に問題点の指摘 ウ、『精神現象学』の最終章「絶対知」の論点-意識の対象性の克服-3、ヘーゲル「絶対知」の冒頭から、意識の対象性の克服について8点の抜粋と。4、第2項と第6項の検討。 ア、その第2項「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」(第23文節-32文節) 「貫徹された自然主義、ヒューマニズムが真理」 イ、その第6項「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33文節-46文節)これまで、この第6項の「他在のもとにおいて自身のものとなる」ですが、ここで止まりました。これから、そのつづき部分に入っていきのす。この先の見通し5、ヘーゲル弁証法の肯定的な契機ー疎外の内部での-6、ヘーゲル弁証法の問題点7、ヘーゲル弁証法についてのまとめだいたい、この先ですが、こんな柱だてになっているかと思います。ということで、マルクスの唯物弁証法に対する学習の再開です。もしもこれに関係しそうな著作について、何かご存知でしたら、是非ご紹介ください。
2024年08月19日
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平和か戦争か、日本の対立8月6日と9日の原爆の日と、8月15日の敗戦の日は、日本が二度と戦争をしない平和への祈りの日です。しかし、それに参加する岸田首相ですが、平和への祈りとは裏腹に、そのやっていることは、日米の統合軍事司令部をつくり、43兆円の軍備の大増強と、憲法改悪への号令です。「8月の矛盾」コラムニストが、この問題を指摘しています。私などは、指摘されるまで気がつかなかったんですが。広島も長崎も、核兵器の禁止で、共通化と思っていたんですが、原水爆禁止世界大会に、広島市長は、イスラエルを招待して、パレスチナは招待しなかったというんです。長崎市長がイスラエルを招待しなかったこと、これは分かるんですが。しかし広島市長の態度ですが、これではアメリカに追随してガザへの侵略と暴虐を承認しているとの発信とうけとられます。そんなことでいいんでしょうか。一般的には世界に核兵器禁止条約をつくりだすもととなった日本の反核・平和運動ですが、そこにもにも、あるべき姿が問われる問題があるということです。しかし、一番大きな問題は、「8月の矛盾」です。岸田政府が、平和への祈りの場に来てはいても、実際にやっていることはなにか。日米の軍隊の指令部を再編成して「統合軍司令部」をつくるとの防衛外務の2+2の合意です。岸田首相の国民のくらし福祉の切り捨てですが。そのもとには、43兆円の大軍拡をして敵基地攻撃兵器をもつ、海外との兵器の共同開発をすすめるとのことです。しかもそれを、自民党総裁選挙に向けて、憲法改悪の大号令をうちだしている。これはどういうことか、国民の平和への願いに合わせるような顔をして、実際は国民が望んでない戦争への危険な方向にむけて、総裁選挙を機会を利用して、永田町の特殊な競い合いをはじめだしているということです。私は、今回、たまたま一冊の本を読みました。『防衛相に告ぐ』(香田洋二著 中公新書ラクレ 2023年1月10日刊行)です。これは、元海上自衛隊艦隊司令官だった人が、1949年生れの人が、書いた本ですが。これにより、自衛隊の幹部が何を考えているかが、わかります。今、自衛隊が、軍隊の論理とその要求をもって、どこにすすみたがっているのか、ある程度ですが、見えてきます。事態の分析ではなく、当事者が自ら考えを述べていることですから。憲法と平和を守るためには、憲法論とともに、現在、すすめられている軍備増強の理論、政治経済論とその行動とも戦わなければなりません。その関係の中にいて、政治的な役割を、さかんにすすめている岸田首相だということです。この全体を見ると、岸田首相のごまかしの中身と、その役割が見えてきます。
2024年08月12日
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青木美希著『なぜ、日本は原発を止めれないのか?』文春新書から2023年11月20日に刊行されたもの、1100円です。今の日本がかかえている焦眉の問題です。私などは、これはなかなか貴重な本だと思います。今の原発をめぐる問題ですが、「日本は、なぜ、とめれないのか? 」、各方面を直接に取材して、それで書いています。今の日本社会の現実が、その様子が見えてきます。第一章 「復興」の現状は第二章 原子力専門家の疑問第三章 原発はなぜ始まったか第四章 原子力ムラの人々第五章 原発と核兵器第六章 作られる新たな「安全神話」第七章 原発ゼロで生きる方法
2024年08月06日
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『Q&A共産主義と自由』と『自由と民主主義の宣言』志位議長の『Q&A共産主義と自由』を読んでいます。一昨日、「はじめに」と序論について、その感想を紹介させていただきました。志位和夫著『Q&A 共産主義と自由』(新日本出版社)を読んでます | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回は、一通り全体を読んで、私などが感じた事柄です。それは、『自由と民主主義の宣言』(1976年)と対比しての感想です。二つの似たような社会状況この二つには、置かれた状況が似ている面があります。その1976年当時ですが、ロッキード疑獄で自民党政権は大きな危機にありました。今回の場合は、自民党の裏金疑獄です。その当時は、革新統一戦線を結成して民主連合政府による平和・民主の日本への政権構想が提唱されたんですが、共産党にたいする反共攻撃の大合唱がおこなわれ、共産党をのぞいての社会党(江田)・公明・民社の連携がはかられました。今日でみる自民党批判の国民世論が、市民と野党との共同にむかわないようにとする攻撃ですね。当時も、ソ連や中国の事例を使って、社会主義には自由がない、独裁だとの攻撃です。今日もまた、ソ連のウクライナ侵略や中国の事例を使っての反共攻撃です。当時も、今回も、似てますね。共通です。自民党政治の危機の中で、野党の共闘に対する攻撃と、共産党に対する攻撃です。そのことは、『日本共産党の百年史』と『日本共産党の70年史』にリアルに紹介されています。こうした中から、当時は『自由と民主主義の宣言』がまとめられましたが、今回の場合は、この志位議長の『Q&A共産主義と自由』です。しかし、二つには違いがあります私などが注目しているのは、両方とも、社会主義・共産主義にとって「自由」が大切だという基本は共通ですが、違いがあります。今回の場合は、あらたな解明点もありますが、三つの角度は、これまでの歴史の中で、共産党の党大会等で基本的に提起されており、その基本的な内容は衆知のものなんですね。そういうと、「いや、そんなことないよ。新しい中身を提起したんだよ」と志位さんは、きっと文句を言うでしょうが。私も新しさを感じるんです。が、それは中心的には、その中身を若者たちに対して、また政党支持なし層の無党派の人たちに対して、その人たちの気持ちにも中身の魅力が伝わるようにするには、どのような対話の仕方が必要なのか、いわばかなり余裕をもって、配慮して語っていることです。この点は、1976年当時の大がかりな「スパイ査問事件」「ソルジェニツィン」等々の特高史観の反共デマとは違う。そこに歴史の成果がある。ある面でそれを打ち破ってきたことが見て取れるんじゃないでしょうか。もはや、共産党を含む市民と野党の共闘しか、まともそうな勢力はないじゃないですか。本当かどうか、相手もいろいろ新手の工夫をしているでしょうが。そこに一抹の時代の進歩を感じるというのは、私の見方が少し甘いでしょうか。東京都知事選挙とも似ています自民・公明政治が危機の時には、東京都知事選が示したように、革新野党がまとまらないように、伏兵をたてて野党を分断する。その底流では、『共産党には自由がない』との水面下での反共攻撃です。デマ対真実、ここが勝負なんですが。私たち一人ひとりが、どのように工夫して、若者たちや無党派の人たちに、ほんとうの真実を周りの人たちに、語り伝えれる力をつくるのか、問われています。それは、いまが、天下分け目の、関ケ原の戦いの前だからであり、衆議院選、来年の参議院選・都議選を前にして、私たち一人ひとりが、早くその力をつくること、本を賛美している(ながめ、解釈している)だけじゃなくて、これらの中身を周りに伝えれる、対話することが出来る力をつくること、そのことが、今、一人ひとりに求められているということです。
2024年08月03日
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志位和夫著『共産主義と自由』を読んでます若ものの質問に答えた志位和夫著『Q&A 共産主義と自由』(新日本出版社 900円)を読んでます。まだ、「はじめに」と序論まで読んだところなんですが。一、これ民青同盟の「オンラインゼミ」ですがこの講演は、2024年4月27日に開催されました。私などの当初の印象ですが、その報道に「この大事な東京都知事選挙を前にして、そんな一般的なことではないだろう」「何を今さら」と、どちらかといえば否定的に見ていたんですね。 選挙後の7月15日に冊子として発売されたので注文したところ、それが届きました。まだ、「はじめに」と序論(Q8)まで読んだところなんで、本論はこれからなんですが。読み始めてみて、その中身の一端を読んで、本の印象がガラッと変わりました。というのは、今回の東京都知事選挙ですが、 当 小池 291万票、 石丸 165万票、 蓮舫128万票 でしたが、投票日翌日に報道された、NHKの出口調査(64か所、5646人)によると、 10代と20代の40%が、石丸候補に投票していた。 30代では、30%づつが、石丸氏と小池氏に投票したというんです。もちろん、都知事選挙と若ものの社会主義・共産主義論とは、まったく別の事柄ですが。しかしですよ、この「Q&A」を読んでいると、そこには重なる問題があるのを感じるんですね。蓮舫さんは前回の市民と野党の宇都宮候補より43万票を増やし、小池氏は前回よりも74万票を減らした。投票率は前回55%から60%に上がった。確かに、蓮舫候補は、128万票を獲得し、『最高の景色を見させていただいた』と思うんです。しかし、この結果は何を意味しているか。それは、多くの若ものや政党支持なし層の人たちが、動き出しはしたんですが、まだその願いを託せる政策や道を見いだせていない、そのことをしめしているんじゃないでしょうか。その人たちへの、生きた対話をすることが出来ていないことを示しているんじゃないでしようか。二、何が問題なのか、何が求められているのかこんな問いかけから、質疑ははじまってます。志位「いま世界でも日本でも、資本主義システムのもとで、貧富格差と気候危機が深刻になり、このままでいいのか議論が起こっている。他方、崩壊した旧ソ連や中国の現状をみて、『社会主義には自由がない』とのイメージもあるんではないでしょうか。」私などは、すぐに「それは、゛イメージ゛どころじゃない、現実の深刻な問題じゃないか。何を甘いこと言ってるのか」感じたんですが。しかし、現実はそうだとしても、問題は、若者たちにたいしてですよ、それが正しいからといってその結論を押し付けてしまいがちな自分自身があるんだけど、そうじゃなく若者たちの素朴な疑問をよくとらえて、それにかみ合うように説明する。それは、簡潔にかつ、事実と説得力を持って。じつは、ここに、志位議長の努力のポイントがあることがみえてきました。そこには、若ものたちの率直な感想と疑問が、次々に展開されていきます。青年「そもそも、資本主義はほんとうに自由が保障された社会なのか」「じつは不自由じゃないの」ということが話題になります」若もののこの真剣な問いかけです。今の社会にもまれた私たち大人たちの世界では、だいたい発言する人というのは、ある程度の確信を持っている、だからこそ発言をするじゃないですか。そうした言葉ですが、それを聞く若ものにとっては、勝手な断定であり結論の押し付けであると、そのように聞こえるようには思いませんか。そのことは、若者たちだけのことではありません現在の裏金政治に怒り心頭状態にある国民ですが、その政党支持なし層(無党派層)は、いま政治の政治のひどさに目をむけて怒っている。だけど、それをどうしたら正せるのか、その政策と方向を見いだせていない。その人たちにとっても、今、同じように映っているんじゃないでしょうか。そのことをこの都知事選挙は示しているとは思いませんか。私などは、今回の東京都知事選挙の結果ですが、そこには、こうした問題も、大事な一つ要因としてふくんでいるように思います。確かに、争点と政策は、間違いなく正しく輝いていたんです。128万人もの人たちが受けとめてくれて、『最高の景色』が街頭集会では示していたんです。しかし、それは1400万都民からしたら、全体からしたら、一部の人たちにとどまった。そこには何が足りなかったのかそれは、今、さまざまに検討されつつあることですが。しかし少なくともですよ、問題の一つに、この点があると思います。いくら政策や候補者が正しくすばらしかったとしても、街頭集会がかつてない盛り上りの景色をしめしたとしても、しかしそれだけでは都民の多数とは結びついてはいない、大勢を動かすことろとはならないこと。そこには、当たり前なことを当たり前だと思ってしまうんじゃなくて、いったんそれを保留して、相手の関心、疑問、意識を、冷静な気持ちでよくとらえて、それにかみ合った形での「当たり前」なことを説得できるだけの力をもつ必要があること。生きた一人ひとりにたいして、自分の言葉で働きかけをする勇気と力をもつこと。ただ自然の雰囲気に任せていたんでは、相手の大きな組織力にも、マスコミのながすいいかげんな評論にも、スポットなX(ツイッター)やYouTubeの拡散によっても、多くの都民は翻弄されてしまう。肝心なのは、生きた説得力のある会話、それが出来る力をつくることじゃないでしょうか。この本を読んでいて、なぜかこれが都知事選の反省材料ともなる、問題の一つにどういう努力が必要かが、二重写しに感じがしてきました。解散・総選挙はいつあるかはわかりませんが、任期満了は来年の秋までです。来年の6-7月には定例の参議院選挙と都議会議員選挙があります。天下分け目の戦いが近づいてきてます。だから、この青年や政党支持なし層に対する対応改善というのは、それまでにベストの努力が求められている懸案事項です。三、これは勝手な私の感想ではないんです志位さんの「はじめに」からの一節です。『「人間の自由」と「社会主義・共産主義」というテーマを、いかに多くの方々に理解していただける論理と言葉でかたるか。これは私にとって、この数年来の大きな課題でしたが、この難しい課題に挑戦する第一歩となる機会を与えてくれたのが日本民主青年同盟のみなさんでした。』(P4)ようするにこれは、今の社会をヘキヘキとしたり、危機感を感じだしている、青年や無党派の人たちに、どのように接近したらよいのか、この問題を提起しているものと感じました。当初の私などの印象というのは、いったい何が問題なのか、それがわからずにいたということです。志位さんの課題とすることは、今の社会を変えたいと思う人、政治革新を願うすべての人の課題だということです。それにしても、面白いですよ。この序論(Q8まで)を読んだだけでも、青年たちの関心や疑問というのは、じつに多岐でフレッシュなものですね。かつては、自分たちも、そこを通ってきたはずなんですが、結論的なかたまりになっちゃってるんですね。それが経験というやつですが。しかし、現在というのは、かつては一般論だったようなことが、格差にしても気候危機にしても、世界的なスケールで、もっと具体的な形で、問いかけられています。若者たちは敏感なんです。「ああ、読まなくっても、自分は分かっている」といった、私たちの経験主義的対応では、相手にとって押しつけられるような、マンネリの言動としてうけとめられるわけで、これでは世の中の動き出した人たちには通用しない。あくまでも、真摯な唯物論的な基本態度が必要なんですね。早く自己点検して、この無意識な行動スタイルの改善をはからなければならないということです。それが、この本のはじめの部分を読んで感じたことです。ということで、これからそのつづきにすすみます。第一に角度「利潤第一主義」からの自由。第二の角度「人間の自由で全面的な発展」第三の角度「発達した資本主義国での巨大な可能性」この本論にすすみたいと思います。わかっているはずのことが、若者たちとの対話のなかで、それどのような新たな形で議論されるところとなっているか、その点も注目しているところです。
2024年07月31日
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マルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」 まとめ4 序言のフォイエルバッハ論本論に入ります。今回の範囲は、著作の序言(ME全集のP387-389)と、この章のまえがき部分(P490-493)です。マルクスは、冒頭で、青年ヘーゲル派とフォイエルバッハについて述べています。一、マルクスはこの序言の部分で、三点の指摘をしていると思います。1、この『経済学・哲学手稿』を1844年にマルクスは書いているわけですが、ヘーゲルが1831年に亡くなってから10年以上がたつているわけです。そのヘーゲルの影響というのは社会のさまざまな分野にますます広がっていた。しかし、だれもヘーゲル哲学の方法問題について、問題意識をもって検討することはなかった。2、そうした中で、ただ一人、フォイエルバッハによるヘーゲル哲学批判は、新たな哲学の発展に寄与する内容のあるものだった。とくに唯物論の観点を明確にした批判は重要だった、との認識です。3、しかし同時に、フォイエルバッハのこのヘーゲル哲学批判には抜けている点がある。ヘーゲルの弁証法に対する批判が出来ていない。どのようにヘーゲルの弁証法をとらえるのか、そこにある問題点は何か、このヘーゲル弁証法の批判ですが、フォイエルバッハはこれが出来ていなかつた。そのことが、マルクスがこの著作を書く大きな問題認識になっていると思います。ようするに、ヘーゲルの弁証法ですが、これは唯物論の見方からどのような問題をもっているのか。唯物弁証法を確立していく考察の歩みですね。二、フォイエルバッハ(1804-1872)の3つの功績まず、フォイエルバッハの業績の評価です。フォイエルバッハは、ヘーゲル(1770-1831)の講義を、1824年、25年に直接受講しているそうです。彼の著作は、日本の先人たちも重視していて、主要な『キリスト教の本質』(昭和12年)、『将来の哲学の根本命題 他二篇』(昭和42年)は、岩波文庫でも刊行されており、確かめることが出来ます。ヘーゲル学徒から出発したフォイエルバッハですが、最初の問題提起は1839年の「ヘーゲル哲学批判」です。マルクスは次のように評価しています。「フォイエルバッハはヘーゲル弁証法に対して真剣な、批判的態度をとり、この領域においてほんとうの発見をした唯一の人物であり、総じて古い哲学の真の克服者である。」(第5文節 P491)まずは、業績の確認です。1、フォイエルバッハの問題提起当時のヘーゲル哲学を絶対視する風潮に対して、フォイエルバッハが問題提起した点です。あるヘーゲル主義者がその哲学を「哲学の理念の絶対的現実である」ことを、真面目に証明しようとしたんだそうです。解釈学というか、崇拝というか、人間社会には、往々にしてそうした態度をみかけるじゃないですか。これにたいしてフォイエルバッハがおこなった問題提起です。「いったい類が一個人のうちにしめされるとか、哲学が一哲学者のうちに絶対的に実現されるということが、はたして可能かどうか。このことを問題にしていないところに、先の有識者の無批判的ふるまいがある。この問題こそ主要問題なのだ」との趣旨です。(「ヘーゲル哲学の批判」岩波文庫 P123-129)。この問題ですが、エンゲルスが、後年『フォイエルバッハ論』(1886年)で、「(ヘーゲルの体系)のような任務を哲学に課するということは、ただ人類全体だけがすすみゆく発展のうちで果たせることを、一人の哲学者にはたせと要求することにほかならない」(第一章)と指摘していますが。このエンゲルスの指摘ですが、フォイエルバッハが問題提起した考え方ですが、じつはそれがヘーゲルその人自身の考え方そのもののうちにも、そうした絶対視をつくる問題があると、この問題を指摘しているわけです。もちろん、ヘーゲルは弁証法の発展観を指摘したうえで、それが絶対精神にいたるとの矛盾をのべているわけですが。フォイエルバッハの指摘は、この体系のもつ問題点を指摘していると思います。2、はじめて意識的な唯物論の立場に立つ次は、フォイエルバッハが、初めて唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判した業績です。これは私などのもつ誤解でしょうか、唯物論と観念論との関係について、「唯物論こそが正しくて、観念論は誤りだ。このことはわかりきったことだ。」といった風潮が、今日でもあるように思います。また他方では「唯物論は、精神の意義を否定するタダモノ論であり、人間の崇高な精神を評価しない理論だ」といった考え方がある。これは、エンゲルスも指摘してもますが、哲学者の中にもあり、あちこちに無意識なうちにもはたらいている観念でもあるとおもいます。だいたいドイツ古典哲学というのは、カントにしても、フィヒテにしても、ヘーゲルにしても、いってみれば観念論的哲学の森です。マルクスなどは、その観念論哲学の森の中にある宝とその発展がどこにあるかを探っているわけでして、「唯物論か、観念論か」「正とか邪とか」、そうした問題じゃないんです。いつのころからか、それを説明するのに、問題を取り違えた、誤った単純化するきらいがありますね。また、以前の唯物論はともかくとして、ここでの唯物論は意識の能動性を大事にしているし、精神の役割を大切にしていると思います。だからこそ、ここで検討がなされているわけです。2-1、問題の基本に戻す必要があると思います。とにかく、ドイツ古典哲学のモヤモヤした中から、フォイエルバッハが初めて唯物論の意識的な立場にたってヘーゲル哲学を批判したこと、マルクスはこのことをすばらしい業績として評価しています。「①哲学は、宗教と同じく思想の疎外されたあり方だ。②唯物論と科学の意義を据えたこと。③絶体肯定された否定の否定に対して、自立的で自己自身にもとづく肯定を対置したこと」(第6文節 P491-2)同じことですが、「序言」では、「フォイエルバッハからこそはじめて実証的な、人間主義的かつ自然主義的批判は由来する。」(P388)と、評価しているわけです。2-2、その唯物論の主張の具体的な内容ですが。以下にフォイエルバッハ流の唯物論の原理をしめしています。ア、『キリスト教の本質』(1841年)は、唯物論の立場からキリスト教をといたものです。「神の秘密は人間学である」(序文)イ、『将来の哲学の根本命題』(1843年)では、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(P8 第一節)これらは、明らかに唯物論の立場です。理論的解明をしていく方向性を示しています。「唯物論」といっても、もいろいろあるしかし、ひと言で唯物論といっても、唯物論にもいろいろな唯物論があるわけで、「唯物論なら正しい」といったものではない。フォイエルバッハは、唯物論の彼なりの形態をとなえることはしたが、あれこれの唯物論の、そもそもの基本が何なのか、それを検討しようとする立場にはたてなかったんじゃないでしょうか。というのも、かの時代は、唯物論というのは無神論とともに、同じように宗教界の強い反発する対象としてあり、社会的な非難される思想対象とされていた。かなりの圧力があった。正面から唯物論の立場を明確にするには、こうした社会勢力を相手にして、しっかりした理論と勇気が必要だった。この事情が問われていたんだと思います。ようするに、マルクスの指摘する、フォイエルバッハが洞察した唯物論見地の重要性ですが。それはマルクスにとっては、さらなる理論探究が求められていた。「唯物論にもいろいろな形態があること」「唯物論の基本的な立場とは何なのか」、「解明が求められていたのはどのような唯物論なのか」、マルクスにとっては、そうした問題を探っていく出発点でしかなかった。そこから努力がはじまったんじゃないでしようか。そして、そこに同じ唯物論でも、違いをきたした。(エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で、フォイエルバッハの唯物論について、検討しているところです) 唯物論とは何かこの「唯物論とは何か」の問題一つをめぐって、レーニンは大著『唯物論と経験批判論』(全集第14巻)をまとめているわけですが。ここでは、エンゲルス『フォイエルバッハ論』から、「唯物論とは何か」の学術的見解を紹介しておきます。一つ、自然と精神、どちらを根源的なものとみるかで唯物論陣営と観念論陣営にわかれた。(第一章)いいとか、悪いとかの問題じゃないんですね。二つ、現実の世界(自然と歴史)を先入観的観念の幻想なしに、誰にでもあらわれるままの姿で把握しようとする立場、これが唯物論の基本姿勢だと。(第四章)この言ってみれば当り前の姿勢こそが、唯物論的な態度なんだと。しかし、このように指摘されると、「あたりまえで、いったいどこに問題があるの?」との感じもしなくはないんですが。しかし、このためにヨーロッパの歴史では、それが唯物論者と見なされた場合は、火あぶりの刑にも処せられた、殉教者をつくった、そうした歴史があるんですね。思想としての民主主義の歴史、それは長期にわたる宗教戦争の歴史の中から探りだされた、命がけの問題からの総括だったということもあるんですね。日本国憲法も、立憲主義をはじめ、そうした基本思想の上にあるわけです。ところが、責任ある立場のはずの政治担当者が、ほとんど理解していない人が、その仕事にあたっている。ここに今の日本の未熟さがありますね。歴史的な課題があります。戦前日本でも治安維持法による唯物論の弾圧の歴史これは、戦前の大日本帝国憲法から引き継いでいる問題でもあります。思想の弾圧は、戦前の日本でも同じでして、「天皇機関説」問題もありますし、治安維持法の下での思想弾圧の歴史があります。日本での唯物論ですが。社会的に問題になったのは1920年代以降だそうです。それ以前にも中江兆民は、1901(明治34)年に亡くなる直前に、「精神は本体ではない。本体より発する作用である。」(『続一年有半』)と意識的立場を書き残しています。しかし、戦争に社会がすすむころとなると、取り締まりがはじまります。1931年に学術団体の「唯物論研究会」がつくられたそうです。その後、研究者たちがどの様な取り締りを受けることとなったか。唯物論=共産思想だとみなされて、特高により弾圧された。その歴史の事実を見れば明らかですが、侵略戦争と同じく、今もって公には反省はされてません。(『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊行)、『証言・唯物論研究会事件と天皇制』(新泉社 1989年刊行)。民主主義の制度が確立するまでは、現行憲法が確立する以前は、唯物論の思想も、いばらの道だったんですね。三、フォイエルバッハは、弁証法をどの様にとらえたかこの三番目の問題は、次回にさせていただきます。今回は、ここまでです。
2024年06月16日
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マルクスの『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ3一、最初に、私はどうしてマルクスの『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶのか 科学的社会主義の思想を理解するには、唯物弁証法の哲学を理解する必要があるじゃないですか。そのことは、この世界の自然と社会の動きに対して、自分自身がどの様な姿勢で対処していくのか、その基本に関係していると思っているんですが。ところで、その哲学を学習していく材料ですが、哲学の解説書というのは、それこそたくさんありますが、実際に哲学を探っているものというのは、それほどありません。基本的な古典では『フォイエルバッハ論』、『反デューリング論』、『唯物論と経験批判論』くらいじゃないでしょうか。私などは、この『経済学・哲学手稿』の学習ですが、これも一つの道だと思っているんです。 マルクス自身もその哲学(唯物弁証法)を、わかりやすい形で刊行したかったようです。いくつかのところでそれを語っています。しかし『資本論』をまとめることに集中していたこともあって、それを十分には果たせず1883年に亡くなってしまった。 エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)ですが。マルクスが亡くなった後に、エンゲルスはその遺品の中から、マルクスが生前に刊行することが出来なかった『ヘーゲル法哲学批判』、『経済学・哲学手稿』、『ドイツ・イデォロギー』などの草稿を発見したんですね。それらは世間一般にはまったく内容が知られていなかったわけです。そこには、マルクスとエンゲルスが、唯物弁証法と唯物史観を探った過程が、草稿の形で残されていたんですね。 しかしそれらは、『経済学・哲学手稿』にしても、その探究は難解な表現でもあったので、エンゲルスはそのままの形で出だすことは出来なかった。そのため、『フォイエルバッハ論』(1886年)として、あらためて整理し直して、その内容をわかりやすく、簡潔にまとめて刊行した。そうすることで、マルクスの遺志をかわって果たしたんですね。日本では明治19年のことです。 私たちが自由に科学的社会主義を学習できるようになったのは、日本の戦後になってからですね。現行憲法の民主主義制度の下でのことですね。『経済学・哲学手稿』が翻訳され刊行さたのも1960年代に入ってからです。『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)第40巻は1975年の刊行です。その後は、誰でも入手できるようになって、現在にいたるわけです。 私などの今回のマルクスの「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、その基本な学習の仕方は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスの『経済学・哲学草稿』「ヘーゲル弁証法批判」そのものにあたります。マルクスはどのようにして弁証法的唯物論という新たな哲学を認識したのか。それはどのような内容なのか、それはどのような意義をもつのか。それを、あらためて探っていきます。 二、次に、本論の全体像を探ってみました『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学習すすめるのに、その全体像とその骨組みについて、一応の目途ですが探ってみました。 草稿全体の序言と、「ヘーゲル哲学批判」での序言があります。1、フォイエルバッハ論(第4文節-第9文節)2、ヘーゲル哲学の全体、二重の誤り、最終成果(第10文節-第14文節)3、マルクスのテーマとあらかじめの指摘(第15文節-第16文節)4、『精神現象学』「絶対知」の要点と、8つの論点(第17文節-第22文節)5、検討①「自己意識の外化が物性を措定する」(第23文節-第32文節)6、検討②「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33文節-第46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的契機(第47文節-第56文節)8、総評、ヘーゲル哲学の問題点(第57文節-第64文節) 今回は、ここまでです。
2024年06月08日
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再び句集『北山時雨』を紹介します一年前に句集『北山時雨』を残して、知人が旅立ちました。歌心のない私などは、その時は「あとがき」に込められた思いとなりをさぐったんですが。この句集に対して、『おだやかな人様が句集にあふれ心が豊かになりました』(HY)そんな感想が寄せられました。句集「北山時雨」(120句)の「あとがき」を紹介します | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)人はそれぞれの思いで、句集をひらくと思います。歌心の水準がどうのということではないとおもいます。それで今回は、私なりに、いくつかの句を選んで、鑑賞してみました。〇帰農して「ひるのいこい」を雉と聞く これは、最初にある句です。彼はどんなに忙しくても、「ひるのいこい」をきいて、休み時間をとるようにと、いつもみんなにアドバイスしていました。〇十貫のみかんを背負う娘の笑顔「昭和30年代明るい農村」の副題が付いてます。新潟などからの出稼ぎの人たちにささえられていた。今も作業小屋の二階の部屋には、彼女たちが使っていた布団が残されています。〇花咲けど人影ない山時止まるこれは2019年の作で、最近のみかん畑の様子をうたったもの。高齢者がみかん仕事を担っている。〇ニュータウン五十年目の桜咲く小田原のみかんは東京の永山団地の朝市で販売しています。見栄えは劣っていても、美味しくジューシーで、安いですから、それなりに好評です。園主の彼もその様子を見に3回は出かけてきてるんです。〇人形が微笑み返す梅雨晴れ間東京・多摩市から援農に来てくれた人、一緒にイノシシ柵を設置してくれた人、その人が人形づくりをライフワークにしてたんです。今もその遺作が何体も早川の家に並んでいます。〇さしあたりあと十年と冬日差す昨今のみかん農家は、高齢化や耕作放棄地の広がりなど、見通しがなかなか見えない事態ですけど、「しかし宝の山なんだ」と自分自身に言い聞かせて、体が続けれるあと10年間くらいは、とにかくがんばろう。それが彼のもっとうでした。〇春が来る木馬は回る七巡目これが辞世の句です。もう体の不調なことを、他人には言わなかったけど、本人は自覚してたんです。これは「あとがき」の気持ちとも重なると思います。「世の中の混乱はおさまりそうもなくふあんになることも多い。・・・でも、時代は変わらざるを得ず、新しい時代の萌芽も見受けられるので、次の世代の活躍に希望をもって期待するものである」私流にこれを解釈すれば、この一文を残すために、彼は病の体を駆使して、いろいろと最後の努力をしていたんだと思います。あとから振り返って、わかってきたことですが、それがはっきり見えてきます。確かに、今のひどい世の中ですが、そのなかに次の若者たちの、希望を感じさせてくれる努力をみる。我々年寄りたちは、彼ら若ものの未熟さを「あれが足りない」「だめだ」と否定的に水をかけるのではなく、もっとその苦るしいたたかいを理解しよりそって、しっかりと励ましてやること。そこに大人たちの大事な責任があると。それが「あとがき」にこめられている精神だと思います。今日は、彼の一周忌でした。あどけないお孫さんには、事態の意味は分りません。しかし、とにかくかわいいこと。住職も、その様子に感嘆の言葉を述べてました。私などは、何も言えなかったので、その分をここで紹介させてもらいます。
2024年06月01日
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マルクス『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ2今回は、準備作業です。一、翻訳について『経済学・哲学手稿』の、日本語への翻訳書ですが手元には、三つがあります。刊行の順に紹介すると、一つは、国民文庫(大月書店) 藤野渉訳 1963年3月刊行二つは、岩波文庫 城塚登・田中吉六訳 1964年3月刊行三つは、マルクス・エンゲルス全集 第40巻 真下信一訳 1975年3月刊行、です。それぞれの人が、その真意をつかもうとして努力されてるんですが、今回の学習の場合、ME全集の真下信一訳を軸にさせていただきます。対象は「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」P490-512の33ページです。この著作の冒頭には、「序言」の3ページがあります。これも大事な提起をふくんでいると思います。わたしも各文節ごとに通しのナンバーをつけてみました。それは問題の箇所を明確にするためですが。私なりの数え方では、第1文節から全体は第64文節となります。二、『経済学・哲学手稿』刊行の経緯についてそもそもこの『経済学・哲学手稿』が刊行されたのは、1932年のモスクワではじめて印刷されたとのことです。マルクスが1844年にパリで書いたものですが、出版社との間で出版契約を結んだ、その数日後に、フランス政府により国外退去を命じられた、そのどさくさでお蔵入りされ、だれもこれを知らなかった。1883年にマルクスが亡くなりました。その遺稿集の束に目を通していたエンゲルスが、これを手稿を発見したんですね。エンゲルスは1886年に『フォイエルバッハ論』を執筆しましたが、これは比較するとわかりますが、この草稿あたりが原典的な材料になっています。それは、マルクスがはじめて唯物弁証法を歴史的に明確にした努力でしたから、大事な問題です。しかしその手稿は難解で大部な論文でしたからそのままの形で出すわけにはいかなかった。しかし、そこはエンゲルスです、大部な難書の中心点を、私たちのために、わかりやすく、しっかり解説してくれていたんですね。それは日本の明治19年のことでした。日本は鎖国をといたばかりです。その後の日本は、西洋の学術は取り入れるものの、基軸は侵略戦争への道にすすんでゆくじゃないですか。きな臭くなるとともに治安維持法です。幸徳春水はじめとする大逆事件、社会主義の運動や本は国禁の取り締まりの対象になりました。そうした中ですから、『経・哲手稿』は、ほとんど知られることはなかったでしょう。手にすること自体が禁じられていたし、語学の壁もありましたから。これが日本で自由に読めたり、議論できるような可能性を得たのは、1945年8月15日の敗戦後ですね。それにより民主的な日本国憲法が確立した。その時以降なんですね。それはマルクスがこの本を書いた1844年から100年をへた後での日本ということでした。わたしなどがこの本の存在を知ったのは、学生時代の1970年のことでした。こうしてみると、それはまだ日本語訳が出てから数年後の、比較的に初期の頃だったんですね。そのころ研究者たちが、「労働の疎外論」などの『経哲手稿』に関する議論を、それこそ事新しく、活発に展開していたのを記憶しています。しかし、そうした時から、今や50年以上が経過したということです。三、関係する主な著作の紹介ですつぎは、『経済学・哲学手稿』が書かれた前後の社会背景です。まず、人物です。ヘーゲル(1770年-1831年)、フォイエルバッハ(1804年-72年)、マルクス(1818年-83年)、エンゲルス(1820年-95年)です。つぎは、内容です。 1807年 ヘーゲル『精神現象学』 1812-16年ヘーゲル『大論理学』 1817年 ヘーゲル『エンチクロペディー』 (1831年ヘーゲル死去) 1839年 フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学批判」 1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 1842年 フォイエルバッハ『哲学改革のための暫定命題』 1843年 フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』 マルクス 1842年 マルクス『ライン新聞』編集 (※1843年 マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』(クロイツナッハ)) (※1844年 マルクス『経済学・哲学手稿』(パリ)) (※1845年 マルクス「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」) (※1845-46 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデォロギー』) ※ は、書かれた当時は、刊行することができなかった。日本の先人は、これらを私たちが今日、それを読めるように、しっかりと翻訳してくれているんですね。しかし、この若きマルクスの努力は、ほとんどが刊行することができなかったんですね。『経済学・哲学手稿』ですが、当時マルクスは26歳。当時のドイツは、戦前の日本がモデルにしていたように、民主主義的自由が圧迫されていた。マルクスはそのドイツからフランスに出国して、自由なバリに移つることで『独仏年誌』を刊行することが出来た。ところがプロイセン政府の圧力によってフランスから国外追放させられた。こうした事情で、『経哲手稿』は刊行することができなかったんですね。波乱な生活にもかかわらず、短期間に多岐な集中的な作業がおこなわれたことが見て取れます。新たな世界をひらくための、その努力の成果がこの著作なんだということです。今回は、ここまでです。次回は、マルクスのフォイエルバッハ論です。社会的に一世を風靡したヘーゲル哲学ですが、そのドイツの観念論の大勢的な中から、フォイエルバッハが、唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判しだした。ここからマルクスの努力がはじまるわけですが。この努力のはじまりをさぐります。
2024年05月27日
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『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著) を紹介しますこれまで日本共産党に関する本というのは、だいたい自己の変節をかくしての共産党論か、共産党の外部の知識人から共産党を注目したもの、ないし圧倒的には共産党自身の立場から書かれたものだったんじゃないでしょうか。そうした中、今回紹介するのは、『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著 あけび書房 2024年5月1日刊行 2420円)です。これは、れっきとした共産党の役職をつとめてきた人が、もちろんこの本もそうしたポリシーに立って書かれているものです。一つの時代を地区委員長として活動されて、そこで直面した出来事や見解のさまざまな事柄ですが、記録されています。もちろん私などには、そこにある個々の問題の是非を判断できるような自分の存在ではないんですが。しかし、一つの時期を苦闘努力されてきた、その生の記録であることは、私も同時代を生きてきたものとして、客観的な時代性が重なるので、そのことだけはわかるんですね。これは、私などは、日本共産党版の「ルソーの『告白』」といったもののように感じます。これって、難しいんですよね。渦中の中にいる人が、それを記録に残すなんてことは、よほど自己意識がないと、忙しさに振り回されてそれどころじゃないじゃないですか。ましてや組織のなかで活動してきた人が、自己の個人を自覚して、その個人の立場から組織の客観性に対する認識を活字にして書くということは。「内部問題は、組織のなかで議論するのはOKだけど、外に対しては統一性をはかるために出してはならない」との規約ルールがあるじゃないですか。これはこれで、討論クラブに陥らせないための当然のルールですね。したがって、現役の立場では出来ないことですね。しかし、現役を退職した人が、政治路線と節度を守りつつ、みずからの体験したことを、みずからの責任で、その客観性をふりかえってみる。これは、専制国家だった革命前のロシアや、戦前の治安維持法下の日本では、そもそもありえない自由です。しかし、民主主義的な社会条件の下では、戦後の日本国憲法のもとでは、一定の節度を守ってのことですが、それは個人の権利として、ありうる権利であり、人権だと思います。たとえて言えば、国家公務員にも秘守義務がありますが、ある期間の後には時効というか、情報・記録の公開ということもあるじゃないですか。これもそうした問題に属すると思います。まぁ、素人の私には、問題の法律的な理解や解釈というのは、いたって妖しいものですが。そうした問題をもちつつ、刊行されたこの本ですが、これは、発達した資本主義国の、共産党の民主主義的な組織人のありかたということに一石を投じているものとして、新たな領域をひらく試みとしてうけとめました。またその内容としては『善意による労作』として読まさせていただきました。ここには現役人にとっても、生かすべき問題がいっぱいあるし、国民にとっても一つの自己成長の記録をしめす。今日の民主主義的社会において、新たな共産党のあり方を提起しているものとして、読ませていただきました。
2024年05月20日
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マルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法の批判」まとめ1私は昨年(2023年)12月から、マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習してきました。この5月10日の第18回目の発信をもって終わりまできました。右往左往の手探りでもありましたから、何が問題やらチンプンカンプンなこともあったかと思います。これから、あらためてその中身をまとめてみようと思います。一、はじめになんでマルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学んだのか直接の経過としては、昨年ですが、福田静夫先生(日本福祉大学名誉教授)の講座で、ヘーゲルの『法の哲学』「国法論」と『歴史哲学』「ゲルマン世界」を学ぶ機会がありました。長年にわたりヘーゲル哲学を研究されてきた方が、その中身と今日的な意義をといてくれたんです。私などは、その講座の終了後ですが、『歴史のなかの弁証法-『歴史哲学』「序論」をまなぶ』との冊子を、その後の学習の副産物としてまとめてみました。ヘーゲルが世界史のあゆみの中に弁証法をどのようにとらえていたのか、その「序論」から探ってみたんですが。まぁ、これが私などの理解の程度でしたが。そもそも私などは、科学的社会主義についてこれまで学習していたんです。このことから、ヘーゲルにたいしても関心を持っていたわけですが、この機会があらためてヘーゲル哲学を学ぶうえでの貴重なものとなったわけです。そうなると問題は、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」です。そもそもヘーゲル弁証法とは何か。いったい、マルクスはどのようにヘーゲル哲学、その弁証法を理解したのか。どの様にしてそれを批判したのかです。これまで私などは、折節につけてエンゲルスの『フォイエルバッハ論』を読んできました。この本が、その問題を主題にして解明してくれていたからです。しかし今回は、『1844年の経済学哲学手稿』です。エンゲルスがその著作をまとめるにあたって、元になっていた原材料となるものです。なんで、その『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶかというと。それは、ヘーゲルが初めて弁証法を意識化したように、マルクスが唯物弁証法をはじめて意識化した現場であるからです。唯物弁証法を学ぶ上で、一つの基本的な道だと思っているからなんです。哲学の学習というのは大事だと思うんですよ。いまを生きていく上での基本姿勢にかかわってくると思うんです。しかし、今どき哲学を学ぶなんてことは、マニアックなひとか、専門の研究者の人たちならともかく、一般的には、それを語り合えるような場は、この世知辛い世の中ですから、なかなかそうした機会というのはないと思うんです。私なども「達磨大師」状況におかれたことを、さんざんボヤいてきたわけですが。ここで問われていることは、ものごとに対する自己の基本姿勢だと思うんです。人間がこの世を生きていく上では、さまざまな問題が問われるじゃないですか。あれも、これも、それもと、万華鏡のようにつぎからつぎへと問題が出てきます。それらへの対応に、ついつい人は振り回わされますよね。それが普段の日常的なことがらだと思うんです。なんといってもヘーゲルという人の努力は、そうした一端を示しているとおもいます。人間の感覚から意識、理性、精神の『精神現象学』、一般の『論理学』、自然哲学、芸術・宗教、『法の哲学』、『歴史哲学』と。「対象というのは自己意識だ」との根本から、人をとりまいている森羅万象を、ひとりの知性で探るとことを挑戦しつづけたわけですから。おそるべき、愛される人です。しかし私たちだって、現代に生きている以上、ウクライナ侵略はあるし、パレスチナ侵略問題があり、軍拡政治はあり裏金問題がある。こうした歴史学術の成果を学ばなくてはならないし、また働いて家族とくらしていくこと、同時にまわりの市・町での動きや、大本での国の政府や議会の動きと、これら自分をとりまく諸関係とのやりとりがあるわけで。同じように課題は多岐で、日々大変なわけです。今の世の中にあって、私などがあえて哲学をうんぬんするのは、根本にはこれらに対する基本姿勢の問題にかかわると思うからですが。まぁ、そんな素朴な気がしてくるからでして。もちろん、ものごと一般論だけでは、すべての問題が解決しきっこないんですが、しかしそれでも現実問題に臨む姿勢が、ある程度はしっかりしたものになるのでは、そう思っているからですが。(以上、といったことで、まとめのスタートです)。
2024年05月17日
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社会主義の新しい可能性のために『カール・マルクスの弁明』(聴涛弘著)の紹介大事な点を明らかにしていると思い、紹介します。私などが注目したのは、第二章の「レーニンの苦悩と社会主義論」なんですが。この本は2009年5月刊行(大月書店)ですから、少し前のものですが。昨今の私などの印象なんですが。プーチンのロシアによるウクライナ侵略戦争が続いています。隣国にたいして軍隊を出して占領し、人を殺し、無茶苦茶に破壊しちゃっているわけですから、国連をはじめ世界各国が国際法違反として、糾弾するのは当然なことですが。問題は、「プーチンはソ連時代の警察官僚であり、これが社会主義の姿だ」との雰囲気が、そうした印象論がふりまかれる風潮ですが、日本社会にもあちこちに陰に陽にあると思うんです。もちろん、このウクライナ侵略の以前から、ソ連邦の崩壊は社会主義そのものの崩壊とする風潮があったわけですが。そうした中で、この本は、歴史には社会主義が世界に新鮮なインパクトを与えた時代があったことを紹介してくれています。そのレーニンの当時というのは、日本では治安維持法などで、危険思想として取り締まられていたわけですから、偏見のさえたるものでしたが。社会的な反省がありませんね。しかし、今の時代というのは違います。しっかりと事実をもとにて、ことの是非や評価を語らなければならない、一人ひとりにその努力が求められています。それが民主主義的社会です。もしその努力が弱いとなると、その分邪道と非合理といったことが、社会に幅を利かすことになると思います。この聴涛弘氏の「レーニンの苦悩と社会主義論」ですが、そこには、ソビエト連邦がつくられた当時の、レーニンの努力が紹介されています。これは素晴らしい紹介ですよ。こうした材料をふくめた史実を確認したら、プーチンを社会主義とだぶらせるなどということは、まったく論評に値しない、臆測と偏見でしかない、無責任なものだとわかると思います。しかし残念ながら、広く日本社会を見ると、そうした人が多いんですよ。まったく無責任な、自分勝手な印象論をふりまく「コメンテーター」が多いわけでして。レーニンと社会主義論-この本は、歴史を探究することは、すがすがしいしと感じました。今頃この本の存在に、わたしなどが気がつくというのは、多分に遅すぎるんですが。しかし、知らずにいたよりかは、少しはましでしょう。私などは思うんですよ、今でもこの成果は意義があること、というか、今日的な意義があること。もっともっと、広く社会に分かち合う必要性があると感じています。そうした思いで紹介させていただきました。
2024年05月14日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」18 「自己意識は他在のなかでおのれのもとにある」ヘーゲルは弁証法を初めて意識化した人です。今回は、『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭には、8つの要点にまとめられています。マルクスは『経済学哲学手稿』のなかで、この箇所を取り上げています。「(六) 自己意識は外化した対象性をおのれの中に取りもどす、従って、その他在のなかでおのれのもとにある」(国民文庫 P220)この内容というのは、人がものを知るというのは、自己の意識を対象化することにより、その対象化したものを通してものごとを知ることができる、この点をとらえているわけですが。ヘーゲルが最終章「絶対知」でのべているのは、どのようにしてその対象性を克服して、自己のものに取り返すのか、です。「なんじゃ、これは? 」ですが、この内容というのは弁証法ですね。ものを規定し、つくりだす否定の弁証法、精神の運動ということですね。ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)、この初期の著作において、弁証法をはじめて明らかにしているんですね。その内容は、人間がはたらくことでつくりだしたものなんだけど、それが疎遠なかたちで対象化されてある。それを今度は人が取り返すという一般的な原理です。それは抽象的一般的にいえば「否定の否定」ということですが。ヘーゲルという人は、すごいですね。そして、それを批判したマルクスも、またすごい人ですね。マルクスは、当時26歳ですが、1844年『経済学・哲学手稿』において、その『精神現象学』の「絶対知」において、ヘーゲル弁証法を検討しているわけです。いったい弁証法の意識化は、人間にとってどの様な功績となるのか。また、それは私などにはわかりにくいものですが、そのわかりにくさにはどんな問題があるのか。そこから何を引き出したのか。マルクスは1845年の春に「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」のメモを残しています。これについてエンゲルスが『フォイエルバッハ論』で指摘してますが、「新しい世界観の天才的な萌芽が記録されている最初の文書として、はかりしれないほど貴重なものである」このことに、つながっているわけです。私などは、今回、あらためて『経済学哲学手稿』「ヘーゲル哲学」を通読したわけですが、これから、それをまとめることが求められているわけです。
2024年05月10日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」17「自己意識の外化としての世界」、より道の2前回の発信ですが、マルクスはとどのつまりヘーゲルのどこを評価したのか?弁証法でした。しかし、それがもっている一面化の問題、そのための課題とは何か、ということでした。そもそもその弁証法とはなにか? この問題があります。この弁証法というものの理解の問題をめぐっても、いろいろな人が、その考えを、それこそ沢山の本になってだされています。私なども「ヘーゲル 歴史のなかの弁証法」として、冊子にしたんですが。さらに、今回の問題ですが。知人が前回の発信に対し感想を寄せてくれました。そのなかで、ヘーゲルの言っている「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、どういうことなのか?そのことを検討することと弁証法の問題とは、どのように関係しているのか?こんな問題がありました。ヘーゲルの表現というのは、私などの日常の言葉や文章からして、「なんじゃ、こりゃぁ???」となりがちなんですが。注意して読むと、私たちが日常に経験していることを、ヘーゲルはそれを哲学的に表現しているんですね。この場合も、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、ようするに私たちが見ている外界の世界というのは、私たちの意識がとらえ・つくりだしているものだということです。それはそうですが、なんでそんなことが、今ここで大きな問題になるのか?との問題が問題なんです。このことをめぐって、マルクスは9文節(第24文節から第32文節)もの論評と議論を展開しているわけです。「素朴実在論」ということがあります。古今東西の認識は、カントやヘーゲルが問題にするまでは、外界の世界とひとの意識とは一致していた。意識は外界そのものをとらえているとの普通人の常識です。ところが、そこに「それは本当だろうか?」とカントからヘーゲルにいたるドイツの古典哲学は問題提起をしてるんですね。ふつうでは、「どうだっていいだろう、そんなことは」と済まされているんですが。ヘーゲルは、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」との見方を提起しています。私たちの見ている世界は、私たち自身の意識こそがそのように見ているんだ、と。では、世界は私たちの意識でしかないのか。そうした主観主義の唯我論との考え方もありますが、ヘーゲルは人の認識することを問い、自然を問い、哲学や歴史、法律や芸術や宗教といった、あらゆる分野をさぐってますから、「それは私の意識です」といっても、実在の対象をとらえようとしていますから、自己のことだけを問題にするたんなる唯我論じゃないんです。でわなんなのか?そこが問題です。そもそもこの「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」が、それはどのような問題を検討する中で、そうしたことが問題になっているのか?ヘーゲルによれば、世界というのは人間の意識が対象としてつくりだしたもの、人がつくりだした世界というのは、自己の本質的意識とは違った、疎外されたものであり、個人の意識からしたらそれは疎遠な形である。理解しえないような、不本意な、巨大でなじみえないようなものとしてある。人はそのような形で世界をとらえている、ないしその姿をつくりだしている。それは個人にとっては、まぁたとえて言えば、私一人の力で車や時計をつくれといったようなものです。しかし人は歴史的な社会的力をもって、たしかにまわりの世界をつくりだしているとおもいます。弁証法の否定、規定はそれをつくりだしているわけですが、大事なところは、その疎遠なものというのはその人がつくりだしたものであり、同時にそのことは、その疎遠なものを人は自己のものとしてとりもどす面をもっている。この関係をヘーゲルは洞察しているんですね。そしてそれをマルクスは、偉大な業績として評価しているんですね。ヘーゲルもマルクスも言っています。「大事なことは、意識の対象を克服することであり、その運動なんだ」と。ヘーゲルは『精神現象学』で、その「序論」でもかさねて、実体というのは主体だと強調しています。「真なるものを実体としてではなく、同時に主体として把促し、表現することである」対象という実体は、人がつくりだしたものであり、それは取り戻せる、疎外された状態にあるのを回復することができる、「大事なことは、意識の対象を克服することだ」と。と強調しているわけです。そのことは、人間がつくりだしたものは、疎外された形にあるわけですが、それはその疎外された形を回復していく運動でもあると。なにか一種の精神論のように聞こえなくもないのですが、そうじゃなくてそれが弁証法の運動なんだ、と言っているわけです。そして、その一般性をヘーゲルは、ヘーゲル流に、『精神現象学』『歴史哲学』『法の哲学』『エンチクロペディー』などとして、個々にその論証を試みているんです。それを学んだマルクスとしては、「それは素晴らしい努力なんだけど、だけど、そのヘーゲル流のやり方(弁証法)には、一面的な誤りがある。人間の世界のあゆみについてもしかり」とみてとっていて、そのヘーゲル流の弁証法にはどこに一面性の誤りがあるのか、問題があるのか。その点を検討しているのが、今回のマルクスの『1844年の経済学哲学手稿』なんですね。ここでの探究というのは、そうした関係の中にあるわけです。したがって、一見すると素人の私などには、「抽象的で、どうでもよいようなことを、ゴタゴタと検討している」ように見えるんですが、そこには大事な大きな問題があるわけです。そのことは、疎外された今日の人間社会ですが、一般的、抽象的にみて、そこにも「いって、こい」「つくりだし、それを変えるとの弁証法がはたらいているわけで。そうした関係を解きほごして、疎外を克服することで、対象性をとりもどすことが出来る、そんな一般的な洞察が、ここにはあるというんです。それはあくまで一般的なレベルでのことですが、私などはそのように理解しています。しかし、これは過程としてあるわけですから、努力としてあり、運動としてあるわけです。ですから、安易に手軽な名著(真理)をなにか一冊読みさえすれば、すべてのことがわかるといった、そんなことじゃないんですね。このヘーゲルやマルクスの詮索していることの中身というのは、そうした内容をもっていると、私などは考えます。それは人類の大きな知的な成果であり、遺産だと思っています。今回も、やぶの中で捜査の道を見失わないようにとのことで、幕間での一つの整理であり、感想でした。
2024年04月26日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」16 「自己意識が外化したものとしての世界」についていよいよマルクスのヘーゲルの『精神現象学』「絶対知」の論点に対する批判にはいります。ここからが問題ですが、ここで、道に迷わないよう歩いてきた道を確認します。一、これまでの考察をまとめてみると、ヘーゲル哲学の功績ですが、それは否定(することは、規定すること、うみだすこと)の弁証法をとらえたこと。それは、結果的な事実というのは、運動として、過程の成果としてある。しかしそれは、類的なもの(社会的な総労働)によっているわけで、個々の人には疎外された(疎遠なもの)としてある。自己も一員となってつくりだしているこの疎遠なもの全体をとりもどす。ヘーゲルは『精神現象学』の中でこうした思想(世界観)を打ち出した。しかし、そうしたヘーゲルの弁証法の成果を確認した時、そこには一面性の誤りがふくまれている。それを分析してゆがみを正すことで、弁証法を正確な姿にたてなおす必要がある。この歴史的な宿題があるというのがマルクスの課題認識です。その問題の中心的内容は、すでに、これまで学習してきたなかで提起されてます。二、今、ここで問題にしていることですがそうした結論をみちびき出しきた過程、すなわちマルクスが具体的に探究・検討した過程についてです。その成果とゆがみは『精神現象学』の提起の中に、とくに「絶対知」章の表現に典型的にでているとのことです。2つの点をとくに検討しています。1、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」(第24文節 全集P499)2、「対象の外在化と対象性を揚棄して、自分のうちにとりもどしている。すなわち他在のもとにおいて自身のもとにある」(第33文節 全集P502)わたしなどは「なんじゃ、こりゃぁ???」ですが。マルクスは、この二つのヘーゲルの見解について、とことん検討しています。そのことから、ヘーゲルの「ゆがみ」を正せたようです。まぁ、私などは、これからその検討をさぐろうとしているわけですが。三、これまで学習の回をかさねてきて、わたしなどが感じることですが。1、この「ヘーゲル弁証法批判」を検討にあたって、依然として達磨大師ですが、しかしポツポツとまわりある努力が見えてきています。しかし、人というのは謎の言葉が提起されると、自己流にそれを「解釈」したり、中身について自己流に「考案」しようとしがちですね。わからないとは言えないし、自分は理解しているんだとの自尊心もかかわっているようですが。そんな様子を感じます。まぁ、わたしなどは素人ですから、無知というのは当たり前で、すべては白紙の様なものですから、自分で理解できるところと、理解できないところを、なるべく確認するようにすることをもって、それで良しとしたいと思ってます。2、こうした問題を探究するのは、日々の諸々は忙しくて、仲間もなく、疎遠になりがちだと感じることもなくはないんですが。なにしろ、ヘーゲルは1831年に、マルクスは1883年に亡くなっていますから、今から150年から200年も以前の哲人たちの議論・探究です。日本では江戸時代末期から明治の日清戦争の頃でのことでして、とにかくむかしのことです。また、今日の現行憲法のもとで、「平和」を建前としつつ軍備の大増強に突っ走る、国民が主権者のはずなのに歪んだ政治によりおしつぶされている。選挙じゃないけど、木が沈んで石が浮かぶような、日々に世知辛くも、無茶苦茶な事態に直面させられているわけで、なんとも歯がゆい事態わけですが。しかしこの探究も、古今東西そのどこかで、こうした問題を正す力をつくることに、どこかでつながっていると思います。わたしとしては、周りの世界に注意を払いつつも、ここをすすめるということです。今回は、幕間の休憩でした。
2024年04月23日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」15 新たな地平を刻んでます1844年に、24-5歳のプロイセン(ドイツ)の若ものが、ヘーゲル哲学と格闘した。そして『法の哲学』を、そして『精神現象学』の最終章「絶対知」を吟味せざるを得なかった。それらがヘーゲル『法哲学』の国法論批判であり、この『経済学哲学手稿』でした。今から200年近くの時をさかのぼる努力ですが、私などは「なんじゃそりゃぁ」などとおもいつつ、学んでいます。一、文章の基軸の理解が大切だと思うようになりました以前に読んだとき、マルクスはヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」章のたった1ページを、8つのパートに分けて、なおかつ二項と六項の、たった二つの項を徹底して吟味しているのに驚かされました。『精神現象学』は大部なものです。しかし、そのたった一ページの問題を検討しているかのように見えたんです。しかし、今回、思うんです。それは叙述の関係であり、問題とするところをもっともよく示している箇所だったからであり、やはりその基礎には、『精神現象学』とその「絶対知」の章についての全体的な検討があると。その基礎があるからこそ、この8つの項を批判できるんですね。なぜ、マルクスはこのようなややこしい難書に挑戦したのか。それは、マルクスが唯物弁証法と唯物論的歴史観を発見し、それをまとめようとした努力の記録だったとおもいます。1845年にフランスから国外追放されたことで、出版する契約までしていたのに、草稿のままお蔵入りとなり、90年の時を経て1932年にソ連ではじめて刊行されました。マルクスは、このヘーゲル哲学、その『精神現象学』の「絶対知」について、この難書を正面に、三重にわたって説明しています。(この論文に、文節ごとに通しナンバーをつけてみました。問題となる個所をはっきりさせるためですが。私なりには全体で64の文節ありました)一つは、「ヘーゲルにおける二つの誤り」、第12文節ですが。おもうに、これはマルクスの結論を端的にまとめた叙述だと思います。二つ目は、「あらかじめ次のことだけは言っておこう」(第16文節)の箇所と、それと問題の「その要点は」(第17・18文節)です。この二か所で書いているのは、同じことかとおもいます。これからヘーゲルの叙述を検討していくうえで、あらかじめヘーゲルの叙述で、何が問題なのか、どこに問題があるのか、難儀している人に対して、それを理解しやすくするために、「あらかじめ」頭をならそうとして、いろいろな角度から、予備的にその中身を紹介しているものとおもわれます。その上で、問題とされるのは『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭のところです。そのものを8つの項に区切って、マルクスは確認しています。第22文節ですが。「絶対値」の章からたった1ページですが、それを8つの項に区切ってを抜粋しているわけです。「その要点は」(第17・18文節)それ以前の二つの箇所というのは、その本論を理解しやすくするために、「序論」的なものとして、いわば思考トレーニングをしているといった性格の部分なんですね。そのうえで、具体的な検討に入っていくわけです。したがって、その事前の案内部分ですが、ちょっと読むと「藪から棒」の託宣的に述べているよう聞こえもするわけでして。理解するのに苦労させられる。いったいどのように解釈したらよいのか。いろいろな人が、それぞれ自己流の解釈をしているところでもあります。私などが思うのには、マルクスのあらかじめの説明ですから、そこだけで完全な理解が出来るといったような性格のものではないわけでして。その後の本論部分に具体的な検討があるわけです。その関係が、あまたの解説者たちが、完全な理解を示そうとして、苦労させられているように思われます。その結果、その人流の恣意的な、というか勝手な「解釈」をもって、説明してきた。そのために、いっそう混迷するような状況があるように思われます。いくら解説書を読んでも、ますますわからなくなるのは、そんな原因も関係してるんじゃないでしょうか。したがって、結論です。この序論的な部分については、そうした議論の組み立て、性格を理解しておくことが大切で、マルクスとしては「ある程度のことを理解したら、その先にすすむように、その先に問題の検討や解明があるよ」といっているんじゃないかと思います。実際に、マルクス自身が言っていることを紹介します。「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを(この後に行われる)『現象学』の結びの章(絶対知)のところでくわしく示してみせるだろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係もまたこれらの両者およぞ両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれている」と。(第15文節 ME全集第40巻 P196)一から十まで、完ぺきな理解を求めているわけではないんです。二、「貫徹された自然主義、ヒューマニズム」の謎が解ける私などには、これまでなぞの一節があったんです。少し先になりますが、第26文節です。「ここにわれわれは、貫徹された自然主義、あるいは貫徹されたヒューマニズムがいかに観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるかをみる。同時にまた我々は、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」(P500)わかりますか、この意味が。わたしなどは、なんじゃこれは??? これまでずーと謎だったんです。苦し紛れに、あれこれと考案しようとしていたんですが。今回、蛍光灯のように、頭がひらめきました。もちろん前後の文章にそのヒントがあるわけですが。同時に、自分流に仮説を立ててみることにしました。ということで、これは、あくまで私などの仮説なんですが。一つは、「貫徹された自然主義」ということですが。ヘーゲルは対象というのは自己意識の外化したものとみています。人間の意識から独立した対象的存在というものを見ようとしていません。あくまでそれは人間の意識がつくっている。その点からしたら世界というのは意識がつくっているものでして、ようするに唯心論なんですね。この意識の外側の世界を認めようとしない。自然というものの人間からの、自己意識からの独立性を認めていないわけです。そこのところに自然に対する不徹底さがあるわけで、貫徹されない自然主義があるわけです。マルクスとしては、人の意識の外側にある自然の存在そのものをみとめている、ようするにそれは唯物論なんですが、そこに自然主義の徹底した姿があることを指摘しているものと読みました。もう一つ、「貫徹されたヒューマニズム」とは何なのか? この問題です。ヒューマニズムというのは人間を、その尊厳を大切にする立場ですよね。それがマルクスによって、ここで突然に『ヒューマニズム』なる言葉が出てきた。どうしてなのか?どの様な意味なのか?どうしてここでてきたのか?ここには説明はありませんから、 なぞでした。そもそもヒューマニズムというのは、ルネサンスの人間復興や、モンテーニュやラブレーといった人が思い浮かびます。「われおもう、ゆえにわれあり」、人間の尊厳を近代の入り口で確認した言葉です。それがどうして、ここにでてくるのか? ここからは私などの仮説ですが。私などが想像するのに、「神は人間がつくりだしたもので、あくまで人間こそが主人公である」、これはフォイエルバッハが『キリスト教の本質』や『将来の哲学の根本命題』で強調している根本的な立場であり、考え方ですね。このことが、中世から近代へのヨーロッパで、ルネサンス、啓蒙思想などなかで、ここに大きなテーマがあった。神を中心とする考え方から、人間を中心とする立場への大きな転換です。マルクスは、この唯物論の立場にこそ人間中心のヒューマニズムの精神がある、そのことを指摘しているんじゃないでしょうか。さらにもう一つあります。これまで、精神ということの尊厳、精神の能動的な役割、理想的な精神をもとめる、などということは観念論の世界の中で探究されてきた。それはカントの理性の批判、ヘーゲルの情熱や自由論、これらはいずれも観念論のなかで大事なテーマとして鍛えられてきた。これにたいして18世紀の唯物論やフォイエルバッハの唯物論は、これに対してどのように問題が取り上げられ、検討されてきたのか。これはこれで大問題です。根源性の問題だけでなく、精神の果たす役割の問題です。唯物論にも色々な特徴があるけれど、それまでの唯物論には機械論的な特徴がみられ、それをもっと発展させなければならない。ようするに、「観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるか」ということですが。それがしめしているのは、新たな能動的な、精神の活動の尊厳をも生かした唯物論というものを、弁証法的な唯物論が課題となっている。マルクスはそのことを強調したかったんじゃないでしょうか。それでは、唯物論的な弁証法というものを、その可能性をどの様に現実的な切りひらくのか、この探究課題が問題になっているんじゃないでしょうか。さらに、もう一つあります。これは「同時にまたわれわれは、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」-この言葉が意味することですが。これもまた、私などの推測ですが。ヘーゲルは「歴史哲学」にみるように自由の発展ということを洞察していました。しかし、その事実の根拠はどこにあるのか。ヘーゲルは精神の自由への発展という精神が確信でした。しかしその大勢の流れは正しいとしても、いったいその根拠はなんなのか?この問題ですね。意識はそれ自体から解きほごせれるものではなくて、そうした意識を規定するものがある。これですね。これは世界史のすすみゆきに対して、その自由な精神というものを規定するところの問題がある。ようするに、それが唯物論の立場、唯物的な歴史観を洞察し、探究することだったんですね。私などはそのようにとらえてみました。これらは、あくまで、私などの推測ですが。これから、本論となる「絶対知」の具体的な検討に入っていくわけですが。おそらく、そうした事柄が、これから出てくるんじゃないかと、わたしなどは期待している次第です。今回は、ちょっと先走っていますが、しかしそれは、大事なことだとおもうので、紹介させていただきました。もしも誰か、このことを解説されている人や、そうした文章があったら、紹介してほしいのですが。今回は、以上です。参考文献、『ヘーゲル「精神現象学」入門』(加藤尚武編 有斐閣選書 1983年刊行)
2024年04月19日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」14 ヘーゲル弁証法の成果と課題今回は、前回と重なる部分もありますが、ヘーゲル哲学を、『精神現象学』、『エンチクロペディー』と、全体を一べつしての成果(弁証法)と問題点です。一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について(第14文節)二、しかし、ヘーゲル哲学には一面性がある、さしあたり明らかな点(第16文節)一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について第14文節ですが、マルクスはヘーゲル哲学の最終成果として弁証法にあると指摘しています。そのヘーゲル弁証法とはなにか?マルクスが初めて意識的な解明に挑戦しているわけです。「運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」-これがマルクスのここでの規定です。(もちろん人により、また同じ人でも場合により、弁証法にはいろいろな規定の仕方があると思うんです。その中身をどうつかむかは、それぞれが探っていくべき課題ですが。)マルクスのヘーゲル弁証法に対する評価です。「ここにあるヘーゲル(弁証法)の第一のすばらしさは、人間が自分自身の産出を、結果としてだけでなく、一つの過程としてとらえたこと。対象化することを、対象性をなくすこととしてとらえたこと、言い換えれば、外化を外化の止揚としてとらえたこと。(結果をとらえるだけでなく、それをつくられつつある過程として、運動としてとらえている。ものをつくる、対象化することは、それを実現すると対象というものはなくなると。また、対象としてあったものが働きかけにより、自分のうちにとりもどされる、と)第二に、それは、労働の本質をとらえており、人間自身というものを自分の労働の成果としてあるものだとらえている点にあること。第三に、人間は類的な(社会的な)存在であり、それに対する一人の人の能動的なかかわりについて。人間は類的な(歴史的な総労働の)存在として、まわりにかかわるし、その成果を享受する。ただし、その類的なことは一人の人からしたら疎外された形においてのみ可能になっている。」(この類的な人間と一人の人について、前回、私なりの理解として、このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者といった関係になっているけれど、これは自身も一因になってつくりだした関係であるわけでして、その疎遠になっているつながりを、個人がとりもどすことが大事になっており、それは疎外されてる人間の、疎外から自身を回復するということであり、類的な人間全体を、しがない個人がつかみかえし・とりもどすということだ、と紹介しておきました。)以上が、第14文節です。マルクスがとらえたヘーゲル弁証法についての「終極的成果」です。同時に、マルクスが問題とするのは、そこには「一面性と誤り」がふくまれているということ。この検討が、次の第15文節以降の内容ですが、じつに、このことが全体の中心的な問題になっているわけです。二、ヘーゲル哲学にある一面性、さしあたり明らかな点つぎは、ヘーゲル哲学の全体を通して、特徴となっている「一面性」の問題です。まずマルクスは、ヘーゲルが人間の労働の本質をとらえていること、それは「当世の国民経済学者たちの立場にたっている」と、これを高く評価しています。人は労働することにより対象物・生産物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説ですが、人の労働により、人間社会の富がつくられている。これとヘーゲルは共通する労働観の認識にあると評価しているわけです。しかし、問題はそこからです。そのヘーゲルの労働観には一面的な点があると、マルクスは問題点を指摘しています。その問題点の指摘です。第一は、労働の肯定的な面のみを見て、否定面をみていないこと。マルクスは、ヘーゲルの場合は労働ということを、人をまるごと外化したものととらえているわけで、そこにある問題点を見ない。それもまた国民経済学に共通する立場ですが。『経済学哲学手稿』の第一手稿には「疎外された労働」の探究があります。その背景には「ライン新聞」に掲載した「森林窃盗取締法に関する討論」や「モーゼル通信員の弁護」など、農民の労働状況についての体験があるわけです。第二は、ヘーゲルはまた抽象的な精神的な労働しかみてない。外在化のあらわれについてそれら哲学に・学問としてとらえることこそを労働の内容としてとらえている。第三に、先行する哲学のすべてを、行為として、そしてヘーゲル自身の哲学の契機をなすものとしてとらえるから、ヘーゲル哲学こそが最高の総括的な絶対的な存在ということになっちゃう。以上が第16文節ですが。マルクスは、ヘーゲル哲学の全体を一瞥して、その全体からみてとれる労働の一面化について、さしあたってこの三点の問題を指摘しているわけです。しかしこれは「ヘーゲル哲学」の全体から見てとれる特徴でして、このあとマルクスは、『精神現象学』の「絶対知」の章について、その冒頭の箇所を具体的に検討することで、本格的に問題点を探っていきます。ここからが本題です。しかし、それはまた次回とします。
2024年04月15日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」(その13) 何が問題で、ヒントはなにかここでマルクスが検討の対象としているヘーゲルの『精神現象学』ですが。哲学者の故・真下信一氏ですが、昭和の初めのころ京都での学生時代に、教授から聞いたそうです。「古今東西、哲学の書は数えきれないほどたくさんあるが、そのなかの三大難書の一つがヘーゲルの『精神現象学』だ」、と。(『時代に生きる思想』新日本新書 P194)その道の大家の人たちが苦労した古典の大作です。ですから私などが、すんなりとすすみっこないし、発信しても無反応なこと、それはグズグズ言っても仕方がないんですね。泣き言はおいて、とにかくすすんでゆくということです。それと、今回から、この学習の主題に関連して、入手できた本や論文ですが紹介させていただきます。今回から問題になるヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」です。一、そもそも、なにが問題なのかマルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、今回は13回目です。いよいよ「本論」に入っていきます。テキストは「マルクス・エンゲルス」全集の第40巻に掲載の『経済学哲学手稿』(真下信一氏訳)を中心につかっていますが、P490から512の33ページ分、その各文節に通しナンバーをつけると第1文節から64文節となります。なんで今ごろ、そんなことを学習発信しているのか、何が問題なのか、ですが。私などが思うのに、この内容は、マルクスはヘーゲルの弁証法をどの様にとらえたのか、それをどの様に批判したのかですが。ようするに唯物弁証法です。混迷する今の社会にあって、なかなかままならなく、混迷することがいろいろ目につく現代社会ですが。私などはその中を73年生きてきて、この社会にあっては、とくに基本的な姿勢が大切だと感じるようになってきているんですね。まぁ、一般的な方法論、生きる姿勢の問題として、それがこの哲学の唯物弁証法なんですが。しかし、それは、このヘーゲルやマルクスの著作をちょっと開くとわかるかと思いますが、そうそう簡単に理解することはできないんです。私などは、そこに現代を生きる人たちにとって、生きていく上で役立つ基本があると思ってるんですが、しかし、なかなかそれを周りの人たちにうまく伝えれない、このもどかしさがあるんです。それで、このブログ発信をしている次第です。二、今回は、本論に入るにあたっての見取り図です前回、マルクスがヘーゲル哲学の一番の業績として弁証法の発見にあると指摘したのを紹介しました。それは一つの結論でした。全体の中で、それはどういうことなのか、問われています。そもそもその弁証法ってなに?ヘーゲルの弁証法を批判したって、どのように?マルクスが新たにつくりだした「唯物弁証法」って何なの?マルクスといえば唯物論的歴史観の確立者とされるけれど、それは何で、唯物弁証法とどのように関係しているの? マルクスといえば『共産党宣言』だけど、共産主義って何? マルクスといえは『資本論』の著者だけど、それとどうつながるの?つぎつぎと問題はつながるんですが。しかし、ここでは、問題は限定されます。『経済学哲学手稿』の「本論」の筋書きについてこれまでは、トンネルの先も周りも見えない中ですすんできましたが。今回は、当たってるかどうかは分かりませんが、一つの仮説です。今回、マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の全体を大まかに区分してみました。1、序論にあたる部分を学習してきました。第1文節-14文節。 ア、ヘーゲル哲学の大流行の中で、その基本に対する無自覚 イ、フォイエルバッハが、そのなかでヘーゲル批判に果たした唯物論の貢献、しかし課題が。 ウ、ヘーゲル哲学の全体からの批判-疎外を思想としてしかとらえず、克服も知ることだった。 エ、その問題をかかえつつも、ヘーゲルの最大の貢献は初めて弁証法をとらえたことだ、と。以上が、前回まで学習してきた流れでした。これからは、今後の学習への予告です。これからのことについては、私などはまだよく読めていませんから、あくまで仮説です。私などは、前回の2012年にこれを一度学習してます、これはそれによるものです。2、あらかじめのマルクスのアドバイス(第15-16文節)「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを『現象学』の結びの章(絶対的知)のところでくわしく示してみせるであろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係も、またこれら両者のおよび両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれているのである」(P496 第15文節)そして、あらかじめの指摘。(第16節)これはマルクスの確固とした評言ですが、これはこれからの「本論」を検討した後によるものでして、だからこそくだせる私たちへのアドバイスです。3、『精神現象学』の「絶対知」の要点。(第17-21文節)4、その「絶対知」から、ヘーゲルの8つの論点。(第22文節)これが『精神現象学』の問題とされる箇所です。冒頭のたった1ページなんですが。マルクスはそのことから、そのことを問題にしているんです。集中力、意識性を示していますが、マルクスの学習の仕方もそこには見てとれると思います。5、その検討1、「自己意識の外化が物性を措定する」(第23-32文節)6、その検討2、「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33-46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的な諸契機。(第47文節以降)以上が、見通しです。勝手ながら立ててみました。とにかくこれがないと、先の見えないトンネルになりかねませんから。これから、これを念頭にして本論にすすんでいきます。最後に、参考文献ですが。1、「経済学批判の方法を探るマルクス」(長久理嗣著 『経済』2022年2月号)2、レジメと、「誤解されたヘーゲル」(岩佐茂著『精神の哲学者ヘーゲル』創風社2003年刊)3、「共産主義の運動をつうじて社会主義へ」(細谷昴著 『経済学・哲学草稿』有斐閣新書1980年刊)
2024年04月07日
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ヘーゲル弁証法の成果(その12)マルクス『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習しています。今回は、12回目ですが。「序論」と本論の区別と、ヘーゲル弁証法の最終的成果とは何かです。ようやく本題にとりかかったところです。一、はじめに、『経済学哲学手稿』の日本語訳、つまり翻訳についてですが。手元には、『経済学哲学手稿』の3つの翻訳があります。①藤野渉訳 国民文庫 1963年3月15日刊②城塚登・田中吉六訳 岩波文庫 1964年3月16日刊③真下信一訳 マルクス・エンゲルス全集 第40巻 1975年3月31日刊この3つです。私などにとってマルクスの『経済学哲学手稿』というのは、必ずしも読みやすい本ではなかった。何を言っているのか、理解するのに苦しむところが多々ありました。それで、以前には、この本のむずかしさは、それを日本語に翻訳した訳者のせいじゃないか、などと不遜にも思った時もありました。しかし、最近では、そうじゃないんです。訳者の人たちは、それぞれその人なりに原文を正しく理解しようとしており、その結果を読者に一生懸命に伝えようと努力していると感ずるようになりました。しかしそうなると、問題は読む方の問題です。読む側においても、それなりに努力して心眼をきたえることが必要なんだ、最近そう思う様になりました。なかなか理解できないので、苦し紛れに自分勝手な、それこそ勝手な解釈をおしつけがちです。が、そうじゃなくて、「学んで、時にこれを習う」-こうした態度が必要なんじゃないかと、最近ですが考えるようになりました。二、私などの『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」学習は、その発信は二度目なんです。前回は2012年でしたが、その時は、この部分について、マルクスの言っていることの初めから終わりまで、すべてを理解しようと頑張ったんですが。学びとしては、当然なんですが。しかし今回、ふたたび「ヘーゲル弁証法批判」の学習を必要と感じているんです。というのは、現代は、テーマとなる弁証法について、ますますそれらを理解する必要があるのではと感じているのと、同時に、以前に発信した時の理解については、自分でも不十分さを感じるようになってるからなんですが。そもそもこの小論ですが、マルクスの主題は、ヘーゲル弁証法をどのようにとらえ、それをどの様に批判したか、つまり唯物論的な弁証法をどのように明確に確立したかということですが。歴史上はじめて、新たな世界観、唯物弁証法というものが問題になったわけで。どうしてそうした問題が、どの様な前提となる素材をもとにして、どうして課題として問題が意識にのぼるようになったのか。結果となると当たり前のようですが、新規に開拓しようとするとなると、単純ではありませんね。マルクスにとっては、そうした問題だったということです。私の前回、2012年の学習というのは、いわば私が初めて東京に出てきた時の印象のようなもので、見ること聞くことそのすべてが新しいことがらで、まったくその新しさに右往左往して、始めから終わりまでそのすべてを、まったくキョロキョロと、白紙状態において見聞しだしたようなものだったんです。しかし今回、同じ対象ですが、あらためて当たってみると、その認識が違ってくるんです。違いの第一番は、その中身ですが、以前はトンネルの暗闇をただ突き進むだけだったんですが、今回あらためて読んでみると、そこには起承転結の構成がある。それを大きくみると、そこには「序論」と「本論」の二つの部分があること。最近のことですが、そのことに気がつきました。「序論」というのは、第1文節から第14文節までで、そのあとに「本論」の『精神現象学』の「絶対的な知」そのものの検討に入っていく、この二つの部分です。三、その「序論」ですが、ME全集の真下訳では、P490の第1文節からP496の第13文節までですが、そこには5つの指摘があります。それは次の5つです。1、ヘーゲル弁証法に対して無自覚なのが一般的な状態であり、その検討こそが必要だと。第1文節から。多くの人がヘーゲル弁証法について語っているけれど、しかしその弁証法に対する意識性がないと。2、そうした中で、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判がすばらしく、画期的だと。第4文節から。フォイエルバッハの3つの偉業、しかしそこでもヘーゲル弁証法に対しては認識が弱いと。3、フォイエルバッハのヘーゲル哲学の部分批判でなく、ヘーゲル哲学の全体を視野に。第10文節から。ヘーゲルの体系「エンチクロペディー」、そのヘーゲル哲学の全体がもっている特徴について。4、そこにはへーゲルの二重の誤りがある。マルクスのヘーゲル哲学批判。第12文節から。人間の疎外を思想としてしか見ない、その取り返しは絶対知を認識しようとすることでしかない。5、『精神現象学』の最終的な成果というのは、弁証法をとらえたこと。第14文節から。だいたいわかりますか。ヘーゲルの根本的業績として弁証法をとらえたことと認識しつつも、その人間疎外は思想問題でしかなく、その疎外からの人間回復は認識努力でしかない、それがマルクスの批判です。これが「序論」です。マルクスはいろいろな意味深長なことを述べているでしょう。しかしその内容を理解するのはなかなか厄介です。最近、思うんですが、この「序論」の性格を理解しておくことが大切だと思うんです。これまで「序論」を理解するのは、わかりにくくやっかいだった。突然に、藪から棒に重要そうな断言が出てきたり、そこで議論ですがいったい何が問題になっているのか、なかなかわからないわけですから。そうした言葉の意味(概念)を、あれこれ一生懸命に解釈しようとするじゃないですか。わかったようでも確信がなく半信半疑の状態になる、それが前回の学習発信した時の、悪戦苦闘した時の状態だったんです。苦し紛れに「訳者の、その訳の仕方に問題があるんじゃないか」などと勘ぐったりしていたんです。しかし最近、達磨大師は、周りで知った研究者の人たちと話す機会があったんですが、長年研究してきた人たちのなかにも、同じような苦しみがあること。やはりその苦しさのあまり、一生懸命にマルクスや他の権威者の言葉を引用することをもって、自身の説明にかえたりしている。また他にも、権威者の文章を分析することで悟性的に納得している人たちもいるわけで。なかには、自分こそがマルクスの一番の理解者だとの態度をしながら、じつは自分勝手な「解釈」を並べてるような人もいるといったわけです。これでは私などの一般人が、問題の事柄を理解したくてあれこれの解説書を読むんですが、それを漫然と聞いていると、それによりますます問題がわかりにくくなってしまう、そうしたことを感じさせられることも多々あるんです。やはり他力本願ではだめで、自分自身で納得するまで苦労する覚悟が必要だということです。続きですが、私など思うんです。この「序論」部分というのは、「本論」を理解するうえでのマルクスのアドバイスじゃないかと。実際にそれは、「本論」を検討をした結果による事柄もあるんです。ですから、その結論的な事柄を読んだだけではすっきりと理解することは不可能でして、そこにいたるまでの「本論」の考察過程をたどることが必要なわけで、この部分を読んだだけですべての事柄を得心できるといった性格のものではないということも感じてくるんです。ただ結果だけをみたくらいで、すべての苦労の中身が分かるといったものじゃ決してないわけです。ということは、ここだけで完璧に理解することが出来なくてもよし、だいたいそういうことが結論としては出てくるかもしれないから、今はこれをアドバイスとして念頭に置いておき、さらに先にすすむようにしてほしい。そうすれば、「本論」で検討していることも理解しやすくなるんだから。けっして苦し紛れの勝手な解釈などを信じたり、ふれまわったりして混乱させるようなことをしては駄目だよと、マルクスは言っているんじゃないでしょうか。私などはそのよう読みました。四、そのように見たとき、ここでマルクスが「ヘーゲルの『精神現象学』の最終成果における偉大なものが弁証法だ」との点についてですが。第14文節です、全集ではP496です。最終的にヘーゲルの偉大な成果は弁証法だと、これがマルクスの評価です。ここれは「本論」を通しての結論だろうと思いますが、しかしあらかじめここで示されている概観については、確認しておきます。第一に、ヘーゲルは人間の自己産出を、原因と結果からではなく、一つの産出過程として理解していること。その産出過程の結果として対象化するということ、さらに同時に対象性の除去として、外在化したものを取り止めと(とりもどし)としてつかむところにある。第二に、このことは、ヘーゲルは労働の本質をつかんでいること。それは対象としての人間は、現実的で真にある人間というのは、彼自身の労働による成果としてつくりだされたものとしてある、ヘーゲルのこうした労働に対する認識をマルクスは評価しています。このことは、労働が人にとっての対象物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。ルターが対象としての崇高な神というのは、人間自身がつくりだしたもの、その人自身の心の中にあるとの認識。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説。いずれも人の労働が、人間社会の基本にあるとの共通する認識ですが、ヘーゲルもまた、その労働の役割・意義をことをとらえていた、マルクスはそのことを評価しているわけです。第三に、「類的な人間の存在」に対する一人の人間としての接し方、現実的な能動的な対処の仕方ということが、ここで言われています。このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者との関係になっているけれど、このつくりだした関係があるわけで、そのつながりを個人がとりもどすことが大事で、それが疎外されてる人間の疎開から回復することであり、類的な人間全体をしがない個人がつかみとりもどすということであり、そうした類的なものをとりもどす運動が「共産主義」というものなんだ、と。これは「ヘーゲル哲学批判」が、『経済学哲学手稿』の他の緒論、経済学や社会主義思想とも、大きく関連していることをしめしています。マルクスが、短期間に壮大な理論の開拓努力をしていることが見えてきます。以上、この「序論」部分ですが、あらかじめの予告として示唆しています。そうしたことが「本論」からみちびきだされてくるこがらなんだと、それがマルクスが「本論」の探究の結論としてみえてくるんだと予告している、そうした指摘をしているものとして私などは読みました。まぁ、それが本当かどうか、これから探究していくことですが。今回は、ここまでです。次回からはいよいよ「本論」にはいります、ヘーゲル弁証法の検討に入っていきます。
2024年04月05日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」11 構えの再構築マルクス「ヘーゲル弁証法批判」を詮索していますが、今回はその余談です。これまでの流れとは別にして、ランダムな事柄です。一つは、何でこんな、愚にもつかないような、小むずかしいことを詮索するか。そのこだわりを持っているか、ですが。私などは1950(昭和25)年生れの73歳です。すでに、身近かだった私などの後輩が、あの世に旅立っています。生きているうちに、あれこれ苦労してきたことを形として残しておく責任があるじゃないですか。というのは、この1-2年の間に、知人が自己の半生を『備忘録』に、自費出版されたんです。お一方は、これまで戦後の日本の農家の方たちの現状とその打開する道を。もうお一方は、戦前・戦後の日本社会の活路を探った政治家の近くにいたドラマです。私などが感じるのに、そのいずれもが、値千金の国民的な良心の努力の姿なんです。その冊子は、今の日本に砂漠に水で、1億国民の70年間には、徒労とも感じさせられる努力なんですが。しかし、私などには、これはかけがえのない記録としてうけとめています。これが、私などの愚作の動因になっているんです。二、私などはこの間、マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」を学習していのすが、これはこれと同じ問題なんです。マルクスの努力は、200年の時をこえて、今の日本と世界の人々が抱えている問題だとは思っています。その基本は、ドイツ古典哲学のヘーゲルが発見した成果を引き継いだ唯物論的弁証法が、その一つです。私などが、グダグダと詮索していることの一つは、「唯物弁証法って何?」ということです。すでに、ブログの発信は10回をかさねましたが、これがテーマです。1つは、わかりきったような唯物弁証法の解説は山ほどありますが、私などが、あえてこだわるのは、それが今を生きる人の基本姿勢にかかわるからと思っているからです。「いったい、何が問題なの?」「何をグダグダとこだわっているの?」個々の具体的な問題の学習に入ると、「理性が世界を支配する」などの謎めいた言葉が出てきます。そうなると、それをどの様に理解したらよいか、あれこれと解釈をさぐらざるを得ないじゃないですか。しかし、そのことに没入すると、全体としていったい何が問題だったのか、見えなくなるんです。さらに、2つには。今どきのスマートホンの時代にあって、「何?、ヘーゲルだ?、マルクスだ?、何だそりゃあ?」と、奇人変人扱いされるのも、それもけっしておかしくはないんですが。逆に、私などの老人の立場からからしたら、居直りかもしれませんが、そのポリシーもあって思うんです。二つの例ですが。一つは、3月25日付「東京新聞」の9面、「『命は尊いもの』子どもに届いて」(黒柳徹子インタビュー)です。もう一つは3月31日付『赤旗日曜版』での、田中優子・田中智子氏の対談です。ともに、印象深く読ませていただきました。]]]私などは、1969年に法政大学の入学組でして。関東の片田舎から東京・市ヶ谷に通うことになったんですが。まともな授業は受けれなかったんです。今でもその授業料を返せと言いたいんですが。しかし、今回このお二方の対談を読んで、「時代の宿命だった」のかと、ようやくにして法政大学に対し感謝する気になったんです。そんなことは誰にもその思いは分からないでしょうが。まぁ、それはそれでよし。しかし、ガラケー世代の一人としてひとこと言わせていただきます。国民諸氏よ、あんたがたは、こんな政治家に政治を任せておいて、よいのか、と。踏んでも蹴られても、泣き寝入りしていて、子どもたちに恥ずかしくはないのか、と。まぁ、そんなことは言っても、おっくうで、忙しく、そんなどころじゃない、私なども、そうした一人であるわけですが。それが、近代のなまけものの、愚図たらした現代人の習性でもあるんですが。三、しかし悪いですね、私などは誰になんと言われようとも、あえてそれに対し抗います。まったく関係なさそうですが、つながってるんです。ヘーゲルが発見した弁証法ですが、その素晴らしい成果を評価しつつ、その弱点を正したのがマルクスの唯物弁証法なんです。それは、ものごとに臨む基本粋な態度、姿勢にかかわっているんです。それをどのように紹介するか。紹介できるか。私などの、力足らずを身に染みてるんですが。それは、人類の普遍的な宝なんです。日本の戦前の「唯物論研究会」の諸氏は、それを紹介しようとしたんですが、特高警察により弾圧されました。マルクスの青春時代と同じです。しかし、日本の先人たちは、治安維持法の暴虐にこうして、理性を掲げた歴史をもっているんです。その歴史的な苦闘は宝なんです、今もって評価されてませんが。それは世界に誇れる理性の光なんです。そのことは過去のことではないんです。混迷している今という時代を生きていく人間にとっても、今を生きる基本姿勢をつくるために、限りない力、激励ともなりうると思っていんです。本日、3月31日付のしんぶん「赤旗」には、志位和夫・共産党議長の田中サガヨさんについての紹介が出ています。24歳の女性が戦前の日本社会において余儀なくされた戦いの記録です。私など凡人としては、せいぜいできることは、その紹介でしかない。そして、この学習発信をするしかないんです。四、さらなる蛇足です今日、お米が少なくなり、知人の宅に分けてもらいに行ってきたんです。その時、家を出かけようとした時に、たまたまですが、認識を新たにしたんです。片や私の胃袋が求めているお米、片や紙切れであるお金ですが、まったく質的には関係ないじゃないですか。紙とお米ですから。しかしそれが等価物として交換される、日常当り前のことですが。しかし、この当り前なことですが、それをはじめて解明してるのが、200年前のマルクスの『賃労働と資本』であり『資本論』による、その価値形態論、貨幣論なんですね。どういう訳か、あらためて、このことのすごさを感じさせられました。さらにです、労働と資本の関係ですが、いわゆる剰余価値論、すなわち搾取論です。これまた、1840年代からの、ほぼ200年の時をこえて、この関係の真実をとらえていたわけで、表明していたわけで、これはなんとも素晴らしい。いまさらですが、マルクスのこの業績に脱帽したんです。しかし、現実は世知辛いもので、玄関の立ち話でしたから、相手舞側としては、「おいおい、そんなのは入口の当り前のことだよ。もっとその続きをこそ、しっかりと評価しなければ、あんたは何を学習したのか」玄関に出てきた知人ですが、そんな顔で見られてしまいました。しかし、これは素晴らしい、事実についての真実の表現であり、これは現代の根本問題ですね。まぁ、これは蛇足です。以上。
2024年03月31日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」その10 課題の基本はどこにあるかはじめに、前回と重なりますが、一、マルクスがフォイエルバッハのヘーゲル哲学批判の業績と評価した三点ですが、1、哲学も宗教も、人間の本質の疎外。2、唯物論を基礎においたがその根本には社会関係がある。3、絶対的なものとしてでなく自分自身の肯定するものをとらえる。これは、いずれもそれぞれ唯物論の側面について評価したものですね。フォイエルバッハが初めて唯物論の見地からヘーゲル哲学を批判したわけですが。それはマルクスが「真実の発見をした唯一の人であり、真の克服者である」と評価したもので、それはドイツの観念論哲学の圧倒的な流れの中では画期的な一歩でした。二、しかし、このフォイエルバッハの批判だけでヘーゲル批判のすべてが片付くわけではない、ここでマルクスが問おうとしているのはその点です。ヘーゲル弁証法にたいする批判的検討の必要と、それはどのようにすすめられるべきか、この問題ですね。では、フォイエルバッハはヘーゲル弁証法をどの様に批判しているか。「ヘーゲル弁証法の秘密は、結局、ただ神学を哲学によって否定し、それから再び哲学を神学によって否定することにある。・・・否定の否定は神学である」(『将来の哲学の根本命題』(第21節 P45 1843年)これがフォイエルバッハのヘーゲル弁証法にたいする認識です。この「否定の否定」のとらえ方に、彼のヘーゲル弁証法の理解がしめされています。それは、哲学の考え方の矛盾としてのみとらえている。つまりいったん否定したあとで、さらにそれを肯定するところの哲学としてのみとらえていた。ようするに、フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法については本格的にとらえることができていなかったということです。弁証法に対する意識の欠如というのは、フォイエルバッハだけじゃなくて、ヘーゲル学派の全体がそうなんですね。ヘーゲル弁証法にたいして、それを言葉では語ってはいても、その内容についての明確な認識がなかったわけです。口パクでさもわかったような恰好をとっている人って、いまでもさまざまにいるでしょう。(これにたいしマルクスですが、『ライン新聞』を退社した後に、ヘーゲル『法哲学』批判の集中作業を行いました。それは全集の第一巻に『ヘーゲル法哲学批判』として、当時は刊行されなかったんですが、私たちは今は草稿をよむことができます)三、さて、マルクスはここで、みずからのヘーゲル弁証法にたいする基本認識(着眼点)を提起します。(さらに、そのあとで、このヘーゲル弁証法について、詳しく検討をすすめてゆきますが)そのマルクスの基本認識と課題ですが、前回紹介しましたが、再度紹介します。「1、ヘーゲルは、否定の否定を—そのなかにある肯定的な関係からいって、真実かつ唯一の肯定的なものとして—そのなかにある否定的な関係からいって、いっさいの存在の唯一の真なる行為かつ自己実証行為として—解したことによって、彼は歴史の運動にたいして抽象的、論理学的、思弁的な表現を見いだしたに過ぎない。(それは真実の自己実証行為であり、歴史の運動の抽象的、論理的な表現だ)2、そして、その歴史はまだ、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史にしかすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、(ヘーゲルにあっては、ある前提のもとでの歴史ではなく、発生の抽象的形式をしめすものにすぎないし、この抽象的形式〔弁証法〕をあきらかにする)3、またヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判にたいして、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいして対照的にもっている区別をも、あるいはむしろ、ヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的なすがたをも、明らかにするであろう。(神学を人間化するフォイエルバッハとは対照的なことと、ヘーゲルの運動の批判的でないところを明らかにする)」(第9文節 P210-211)四、ここでマルクスは、ヘーゲル哲学の体系を確認します。『精神現象学』と『エンチクロペディー』です。ヘーゲル哲学を批判するためには、弁証法を批判するためには、この全体を視野にした認識が求められている。あれこれの部分にたいする批判であってはならない、体系の全体にたいしての検討が求められているということです。そうすることで、マルクスは、この『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の基本課題を、あらためて明らかにしているわけです。ということで、ヘーゲル哲学についての認識です。第一に、ヘーゲル哲学の体系は論理学から始まって、絶対知、すなわち超人間的な抽象的な精神ででおわるから、哲学的精神が張り広げられた、精神の自己対象化だと。その自己を疎外する中で思考し、自己を把握する世界の精神だ。第二に、論理学は、人間と自然の一般的な本質であり、貨幣のように一般的に通用する抽象的な思考だと。第三に、くり広げられた精神の外部性は、あるがままの自然だと。それは思考に外的であり、この思考の自己喪失だ。思考は自然を外的に抽象思考としてとらえる。第四に、精神はおのれ自身にかえってくる思考だ。それは人間学的、現象学的、諸々の精神としてまだおのれ自身と見なされず、最後に抽象的精神のうちに絶対知として眼前に見いだし関係して、その意識的な自己にふさわしいあり方を得るにいたって、おのれ自身と見なされる。その現実的在り方は、抽象だと。以上が、わかったような分からない、たしかにヘーゲルが自身で説いている彼の哲学の内容です。五、ここを読んだだけでは、いったい何を言っているのか、いいたいのか、私などにはわかりません。多くの人が投げ出してしまうのも、勝手な自分の解釈を並べる人が出てくるのもわかります。だけど、だけど確かに重要な思想が含まれているといわれています。本当にこの中に、まっとうな、注目される、万人にひらかれたすばらしい思想があるというんです。いったいどうやってそれを解きほごすのか。それを解きほごしたのがマルクスの探究だそうで、それをこれから、この草稿に挑戦し、探っていきます。今回は、ここまでです。次回は、「ヘーゲルにおける二重の誤り」(第12文節 国民文庫 P213)からです。
2024年03月25日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」その9 フォイエルバッハの唯物論マルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判』を学習しています。国民文庫ではP205-241の37ページ、全体で64の文節からなります。そのはじめの部分は、フォイエルバッハの哲学についてです。(第2文節から第9文節)ヘーゲルは1831年に亡くなりましたが、その後もその影響が絶大に大きかったこと。その教え子たち、といっても学者ですが、それをどういかすか、こえるのか探っていた。フォイエルバッハも、ヘーゲルの講義をじかに受講していたそうです。この人たちの中から、フォイエルバッハが、一人、唯物論の立場からヘーゲルを批判し始めた。ドイツ古典哲学の大方は観念論の中にあるじゃないですか、その中にあって、初めて意識的に唯物論の立場を明確にした人が出た。それがフォイエルバッハでした。今日、それを確かめることが出来ます。その著作ですが、岩波文庫で読むことが出来るんです。1839年には「ヘーゲル哲学批判」1841年には『キリスト教の本質』1842年には「哲学改革のための暫定的命題」1843年には「将来の哲学の根本命題」日本の哲学者の先人たちは、これら大事な作品を日本語に翻訳してくれているんですね。前回紹介しましたが、基本的に唯物論の立場の人であっても、それぞれ人によっていろいろな形があると、当たり前ですが。そこからの抜き書きです。『キリスト教の本質』から、「神の秘密は人間学である」(序文)。『将来の哲学の根本命題』から、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(P8-1)、「思弁哲学の本質は、合理化され、実現され、現実化された神の本質意外の何ものでもない」(P9-5)。マルクスの『経済学哲学手稿』は1844年ですが、1841年に刊行された『キリスト教の本質』について、これを読むのは大変なはずですが、マルクスは、ただちにこのフォイエルバッハの方向と内容を評価したようで、P208 の第5文節ですが、「フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法に対して一つの真面目な、批判的な態度をとったところの、そしてこの領域で真実の発見をしたところの唯一の人であり、総じて旧哲学の真の克服者である」。と評価しています。そして、マルクスはフォイエルバッハの偉大な業績として、具体的に次の三つをあげています。一つ、哲学も宗教と同じように、人間の本質が疎外された一つの形である。(これは『将来の哲学の根本問題』の引用に対する評価ですね)。二つ、真の唯物論と現代科学をその思想の基礎においたこと。人と人との関係、すなわち社会関係をもその根本にあるものとしたこと。(ドイツの観念論のうっそうとした森の中にあって、こうしたクリアーに唯物論と科学の立場を明確にしたこと)。三つ、否定の否定の理解の仕方ですが、こそれが意味するものが、絶対的なものであるかのようにとらえる理解ではなくて、おのれ自身にもとづく肯定的なもの(人間としてその人が理解しうるもの)としてとらえようとしていること。以上は、私がちょっと意訳していますが、マルクスは基本な方向を積極的に評価しています。問題となるのは、その次の、P209からの第7、8、9文節です。結論的には、マルクスはヘーゲルの弁証法についてのフォイエルバッハとらえ方が、その内容と役割を評価できていない点を指摘しているんだと思います。この点が、この「ヘーゲル弁証法批判」で明らかにしたい中心点だと思います。この点を明らかにしたいために、そのあとの検討が行われていると思います。だからここだけで、その断言的な結論を、理解できるわけではないと思うんですが。しかし、それをここに書き抜いてみます。「1、だがヘーゲルは、否定の否定を—そのなかにある肯定的な関係からいって、真実かつ唯一の肯定的なものとして—そのなかにある否定的な関係からいって、いっさいの存在の唯一の真なる行為かつ自己実証行為として—解したことによって、彼は歴史の運動にたいして抽象的、論理学的、思弁的な表現を見いだしたに過ぎない。2、そして、その歴史はまだ、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史にしかすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、3、またヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判にたいして、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいして対照的にもっている区別をも、あるいはむしろ、ヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的なすがたをも、明らかにするであろう」(第9文節 P210-211)これは、マルクスのヘーゲル弁証法に対する問題点の指摘ですね。この点を明らかにしたいと思っているとの予告ですね。これから検討していくなかで、これら論点を具体的にあきらかにしていくということです。見方を変えれば、ヘーゲル弁証法にたいするフォイエルバッハのとらえ方には、これらの点がないとのことですが。したがって、ヘーゲル弁証法に対するフォイエルバッハがおこなった批判とは違った点で、ヘーゲルの弁証法は批判されなければならないとのマルクスの課題認識があるということです。これから順次、これらの点を具体的に検討していくとの前置きしているわけです。この論文は率直なところ分かりにくいんです。なんといってもこの草稿は、それはこのマルクスが、24-5歳の時にはじめてヘーゲルと格闘していた時期のことであり、相手のヘーゲル自身の展開が分かりにくいし、それをさらに解きほごして、批判するということですから。その最初の当時の表現は、わかりにくい面があるんです。ただ、私たちが立っている地点ですが、2つの点で理解しやすくなっています。一つは、その後の社会史のあゆみから、問題を歴史的に全体的に見ることが出来るからです。私たちは、その後の事態の展開の中で、理論とともに歴史的により具体的に展開された事実によって、そこではいったい何が問題だったのかを、より客観的にみることが出来るわけです。もう一つは、なんといっても大きなプレゼントとして、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』(1888年)があることです。これがその中心点を紹介してくれていることですね。エンゲルスとしては、難解な文章の中にある努力の内容を、忙しい現代の勤労者たちにも理解しやすいように、だれにもわかりやすく伝えようとして、晩年の円熟した学識をもってまとめかえしたわけで、それが『フォイエルバッハ論』だということなんですね。くりかえしますが、40年をさかのぼった若いころに探究し、確立しようとしていた唯物論的な弁証法の理論ですが、その時のなまの原石である『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」です。とかく字句の解釈を詮索することが主になりがちですが、そうではなく、その生きた精神を理解することが大事だし、その点で、私たちにとって『フォイエルバッハ論』は、やはり一番の参考となる著作だと思います。今回はここまでです。
2024年03月18日
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唯物論にもいろいろある(ヘーゲル弁証法、その8)どういう偶然か、放置されていた中江兆民の『一年有半』を読みました。それには『続一年有半』があって、兆民は1901(明治34)年に亡くなるわけですが、12月13日にガンで亡くなりますが、その最期に哲学を語りました。それを今回、その『一年有半』の延長として読んだわけです。中央公論 世界の名著36(昭和59)『中江兆民』でですが。『続一年有半』の一節です。「精神とは本体ではない。本体より発する作用である」(P419)あらためて認識を新たにするんですが、中江兆民という人は、唯物論者としての自覚をもって亡くなったんですね。『続一年有半』というのは、兆民がその最後の最後に語たり残したった哲学の書なんです。唯物論を明確に意識していた人というのは、さらにそれを表明した人というのは、日本の思想家の中では少ないんじゃないですか。そのことは、今回の私などの主題とどの様に関係するかの問題ですが。一口に唯物論といっても、唯物論の基本的立場を確認するにしても、その唯物論はいろいろな形あるということです。この基本的な立場・この基礎(一般性)においては共通であるにしても、しかしそこにはさまざまな形態があるということです。古代ギリシャにもいますし、18世紀のフランス唯物論の形態もありますし、また近代日本の中江兆民の形態もまたその一つだということです。そしてドイツの観念論のうっそうとした、脈々とした観念論の大勢的な伝統から、一つの画期的な前進・転換をしたフォイエルバッハがでてきますし、その唯物論の形態もまたあるわけです。では、そもそも唯物論とはなにか?この基本的な大問題ですが。それを近年において唯物論を探ったのは、レーニンの『唯物論と経験批判論』です。1908年で、「レーニン全集」の第14巻、473ページのおそるべき追及であり、大作です。目まぐるしく忙しい、スマートホン時代で、活字離れの現代人でもあります。その中で、はたして何人の人がこれを読んでるでしょうか。ないし読む努力をしたでしょうか。それはともかくとして、さらに、その上手を行く元ともなる先人がいます。エンゲルスです。そのエンゲルス『フォイエルバッハ論』(1888年)の一節からです。「唯物論の立場とは、現実の世界-自然および歴史-を、どんな先入観的な気まぐれもなしにそれら自然および歴史に近づく者のだれにでもあらわれるままの姿で、とらえようという決心がなされたのであり、なんらの空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的な気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決心がなされたのである」(森宏一訳 新日本文庫『フォイエルバッハ論』1975年刊行)これは基本的な立場であり、基本的な姿勢ですね。エンゲルスがここで指摘している唯物論一般の基本的な立場ですが。この唯物論一般性についての指摘はエンゲルスの大事な功績だと思います。裏返えせば、すでに述べたように、その唯物論の具体的な形態には、同じ唯物論であっても色々さまざまにあるというわけです。では、目下の主題ですが、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」ですが。この間に問題としていることですが、今、学習しようとしている唯物論ですが、それはいったいどのような特性があるのか、ないしどの様な形の唯物論なのか。このことが『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」の中心課題であり、マルクスの問題としていたところだと思うんです。ひと言でいえば「弁証法的唯物論」ですね。しかしそれだけでは、たんなる言葉でしかなくて、中身があいまいなんです。今日の一般的に「弁証法的唯物論」をとりまく状況ですが、一方では当り前な常識的なこととして、子どもでもわかるイロハのように扱われているきらいがあります。他方では、それは特定の党派の偏った考え方だとして、レッテルはり的な、はなから門前払い的な扱いにする人もいます。ソ連崩壊には、この哲学的混迷も関係していると、私などは感じています。ペレストロイカの理論家・ヤコブレフの『マルクス主義の崩壊』(サイマル出版会 1992年)などは、その混迷する姿でもあります。現代は、そうした狭間の中にあるわけです。だからこそしっかりした哲学的認識の堅持が求められてるわけですが。そうした中で、しかしさきのエンゲルスの唯物論というものの規定ですが、こんな形で唯物論ということを明確に表明しているのはエンゲルスくらいじゃないでしょうか。これはものごとに対する姿勢として、当たり前のことですが、それが唯物論の基本姿勢をわかりやすく述べたものですね。このように規定されれば、だれも文句をつけようがないじゃないですか。言わすもがなですが、普段多くの人が意識しているかどうかは別にして、そうしているじゃないですか。色眼鏡をかけてではなく、ものごとをありのままにみる、これを基本的な立場として堅持する決意こそが唯物論者の立場なんだといってるんですが。これはたぐいまれな指摘ですね。しかし、なんとも当たり前のことじゃないですか。それこそが唯物論の基本的な立場だというんですね。しかし、おそらく多くの人にとって、この当り前な姿勢こそが唯物論の基本姿勢なんだとは理解してないと思います。特定な変わり者で、変なかたくななかたまった姿勢に固執する人とのように唯物論をとらえていると思います。そこには、唯物論に対する説明の仕方が悪いのか、それともそのようには受けとめたくないとの、かたくなな見地がよこたわっているのか、その点が現代の問題なところですが。それはともかくとして、目下の場合ですが。唯物論という、この当たり前の基本姿勢ですが、このことが、どうやって明確な意識としてつくられたのか、獲得されたのか、確認されたのか。この弁証法的唯物論が、その認識がどの様に作り出されたのか、この問題が問われてきます。私などが思うのに、こうした探究をしていた時こそが、『経済学哲学手稿』を書いていたころのマルクスだったんじゃないかと。じっさいにもその文章はややこしい論文なんです。何しろ相手にしているのが、ヘーゲルやフォイエルバッハですから。だけど、実際にその中で問題としていたことというのは、こうしたことを課題としていたんじゃないか。それをエンゲルスが、マルクスの死後にあらためて、わかりやすく紹介してくれてた、それが『フォイエルバッハ論』だと私などは感じている次第です。そのもととなる1840年代のマルクスの作品から、一点紹介します。『経済学哲学手稿』はパリ時代ですが、その前の『ライン新聞』の時ですが。マルクスは『ライン新聞』に「モーゼル通信員の弁護」との小論を書きました。その1843年1月17日付 第17号 の箇所ですが。「国家の状態を研究する場合には、人はややもすると、諸関係の客観的本性を見逃して、すべてを行為する諸個人の意志から説明しようとする。だが、民間人の行為や個々の官庁の行為を規定し、あたかも呼吸の仕方のようにそれらの行為から独立している諸関係というものがある。最初からこの客観的な立場に立つならば善意もしくは悪意を一方の面でも他方の面でも例外として前提するのではなく、一見して諸個人だけが作用しているように見えるところに、客観的諸関係が作用しているのが見えるだろう。ある事物が諸関係によって必然的に生じるということが証明されれば、どういう外的諸事情のもとでそれが現実に生まれざるを得なかったか、またその必然性がすでに存在していたのにどういうわけで生まれることができなかったかを発見することは、もはや困難なことではなくなるだろう」(P208)『ライン新聞』の編集し、その記事を書いている時点で、客観的な諸関係がその人の意識を規定することを、当時の経験からして認識したんですね。このことは、意識が存在に「関係する」というのは洞察ですが、意識が客観的な関係(存在)に「規定される」となると唯物論的な立場となりますね。ちょっとした言葉のちがいですが、大きな問題ですね。意識と存在関係との関連との認識から、意識が存在に規定されるとの根源性の問題へと、探究を進めているわけです。ここに唯物論の問題があるじゃないですか。(今、国会を見ていると、政倫審で裏金づくりの仕組みについて、そのやっていたこと(関係)を当の自民党議員たちが、どう意識していたかが問われています。やっていたのに知らないなんてことは、ウソですが。そのことをただすのは当然なんですが。同時に、見ておかなければならないのは、諸関係の中ではその担い手となっていたこと、その客観的な諸関係(意識とは別に、実際の関係がどうなっていたか)、こそが問われているわけで、「わたしゃ、あったけど知りませんでした」なんてことで済ますことはできない。その客観的な存在(関係)がどうであったかを、その意思とは区別しても明確にすることは、関係者であればなおのこともとめられる責任ですね。ところが言葉たくみにしらを切る、言い逃れようとする。責任を他に送ろうとする。その担い手(やっていたことの)となっていたことを、そのことをしっかり反省するかどうかがとわれてますが。これは意識と客観的な諸関係との関係ですね。ここでマルクスが問題としていることと同じ問題ですね。ようするに、関係と意思のどこに問題があるのか、この問題点を明らかにする上で、きわめて卑近な基本的視点だということです。)まぁ、それはともかくとして、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」ですが、本題に入ります。その冒頭部分にあるのは「フォイエルバッハにいて」の論述です。ようするにマルクスの『フォイエルバッハ論』なんです。ヘーゲル学徒としてフォイエルバッハがたどりついた唯物論は、異端的な立場であり、変わり者だったんです。しかし、どんなに変り者でも、真面目に検討すればそれが真実でした。それは、みなが夢のようなことを論じていた中で、唯一のしらふの主張のようだった、と。その関係と、そうした方向を、その基本を断固として評価し、すすんだのが、マルクスの『経済学哲学手稿』だったんですね。しかしそれは、若干24-5歳の、フランスにいわば自由を求めて亡命した、一人の青年の思想なんです。藻くずのようになっても当たり前ですが、それは出版する契約にまでいっていたんです。しかしプロイセン政府のさしがねで「24時間以内にフランスからでてゆけ」とのフランス政府から追放令にあったわけで、それこそドタバタ状態でして、やむなくそれは草稿としてお蔵入りせざるを得なかったんですね。あらためてその草稿が日の目を見たのは、40年を過ぎた1888年のエンゲルスの『フォイエルバッハ論』によってだったとの経緯です。ここで、日本とドイツは似ていると思いませんか。観念論的な大勢の中にあって、ないし唯物論も観念論もはっきりしない社会意識の中にあるわけですが、その中で唯物論の意識的立場を、明確に擁護しようとしている人がいた。これは、私などが中江兆民において見つけたことと重なるでしょう。日本だって、兆民が『続一年有半』で語ってますが、モヤモヤな事態のなかでの、明確な意識的な立場だったわけです。ドイツと日本、マルクスと中江兆民ですが、これは状況がよく似ているところがある。このささやかな一点ですが、似ていると思いませんか。もちろん、マルクスの場合はその後40年の努力と作品がある、兆民は基本を表白したところで死去したし、受難な時代社会に日本はすすんだとの違いがあるんですが。ようするに、マルクスはフォイエルバッハが主張しだした唯物論を、その基本を、あのドイツ古典哲学の観念論的な風潮が大勢をなしていた流れの中で、その中で意識的に唯物論の見地は基本は正しいと、その方向こそをすすまなければならない、と宣言して努力を開始しているんですね。この『経済学哲学手稿』ですが、フランスに亡命した青年の、新婚生活のもとでもあり、たいへんな渦中での探究だったんですね。それは舌足らずな表現もあるかもしれません、しかしそれは確かに明確な表明を記録したものとして、私たちは今日に読むことが出来ると思います。今回は、この点を確認したところまでです。これでようやく、次回から本題の『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」に入ることになります。『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法・哲学批判」の冒頭にある、フォイエルバッハ論に入るところとなります。今回は、ここまでです。
2024年03月15日
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マルクス「ヘーゲル弁証法」批判(その7)、頭の整理マルクスは、なぜ、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのか。これが、目下のテーマとしているところです。『経済学哲学手稿』、その「ヘーゲル弁証法批判」を対象としているんですが。今回は、ウロチョロしているこの間の事態ですが、その頭の整理です。というのは、初めこの問題は以前に(2012年に)、8回でまとめたものだから、10回くらいで、今日的には済むと思っていたんですが。やってみると、次々に問題が広がっていってしまうので、どうなるか目下思案しているところです。そもそも、この主題はなんなのか、何が問題なのか。私などが思うのに、ヘーゲルですが、かれは、一般的には自然と社会、思考の、ものごとの発展原理としての弁証法を見つけたんです。一般的な法則性を、原理を見つけたんです。あのゴチャゴチャした-『精神現象学』、『論理学』、『歴史哲学』、『法の哲学』などのの中で。ところがそれは、人の意識の上にある、意識をつかさどっている概念がもとになっている原理であり、ものごとのすべてはその概念のあらわれであると見たんですね。すべての現実はその現れなんだと。その概念のさまざまな現れにすぎないと。たしかに世界の歴史の発展・関連を洞察しているんですが、それが概念のあらわれであると、独特の考え方での中での認識だったんです。その著作にあたると、難解な表現ですし、何を言ってるのか理解するのにややこしいんですが、しかし、ヘーゲルは世界の発展ということを、たしかに洞察していたんですね。このややこしい問題ですが、それを解きほごしたのが、マルクスなんですね。私などは、マルクスの『経済学・哲学手稿』が、その最初の表明だと思ってるんです。それは、1840年代のこと。24歳の若ものですよ。彼が格闘し、開拓した成果ですが。それはその当時、発表することは出葉ませんでした。結局、草稿のままお蔵入りしていました。その後、1883年に当のマルクスが亡くなって、その遺稿集を調べていたエンゲルズがその草稿を見つけました。それは、ともにエンゲルス自身も歩んだ、科学的社会主義の唯物弁証法、唯物論的歴史観がどのように確立してのか、その大事な問題です。しかし、それはそのままでは、大部でややこしいものでしたから、そのままでは出せません。エンゲルスはそれを『フォイエルバッハ論』(1886年)に整理して紹介しました。貴重なものです。私などは、その内容をなんとか紹介しようとしているんですが、なかなか容易ではありません。あらためて、『フォイエルバッハ論」を手引きにして、その頃を、1840年代をさぐってみたんですが。これは、すばらしいですね。「マルクス・エンゲルス全集」の第一巻、冒頭の諸作品ですが、これを読みました。『ライン新聞』に掲載された作品です。「プロイセンの最新の検閲訓令に対する見解」「第六回ライン州議会の議事-出版の自由と州議会での討論の議事録」「共産主義とアウグスブルグ「アルゲマイネ・ツァイトリング」「第六回ライン州議会議事-木材窃盗取締法に関する討論」「モーゼル通信員の弁護」問題が問題ですから、理屈っぽくて、なかなか読むのは厄介なものですが。しかし、助太刀がありました。今進行中の国会での政倫審ですが、その論議をきいていると、似たような論議なんです。抑圧された名もなき貧民の人権です。言論自由、民主主義的な権利を擁護して、我一人たたかう。何にものをも恐れない気骨ある言論です。今から180年前の議会討論の分析ですが、今に通じるような感じがして、新鮮に読ませてもらいました。日本の近代史においては、どのような意味をもつのか。プロイセンと戦前の日本とは似ています。同じような専制君主制の下で、戦前の治安維持法の弾圧の下で、日本の先人たちは『唯物論研究会』など、世界に誇れる紹介と探究をしてきているんです。しかし、私などが見るのに、なかなかその成果というのは今に伝えられてません。時の流れで、当時の大御所たちは、森宏一氏をはじめ、頑張った人たちが、みなあの世に旅立っています。その成果ですが、はたして今日に継承されているでしょうか。今日に受けとめられてるでしょうか。そんなモヤモヤの中での、一册を紹介します。『シンポジウム-日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊行)これは、戦前の「唯物論研究会」の成果を総括しようとしている試みだと思うんですよ。私など素人が、学生時代に、たまたま手にした一冊です。これが、戦前の哲学者たち苦闘の経験を総括しようとする、そうした意義をもつ討議だったと、その後になって私などはわかりました。しかしながら、社会一般を見るのに、そうしたことは、あまり紹介も議論もされることがないんですね。私など素人の一般市民が、それを四の五の言う筋合いではないんですが、それを言うべき人たちがいるはずなんですが。私などは心配なんですね。それらが宝の持ち腐れになるんじゃないかと。それじゃぁ、先人たちの努力が、余りにももったいないんじゃないかと。というのは、たまたまですが、ごみ屋敷の本棚を整理していたら、こんな本がいろいろ出てきたんです。その一つは、昨年・2023年の6月に亡くなった人の遺作です。私などが小田原・早川でみかん作業をしていますが、そのみかん園の園主で、その遺稿の句集です。もう一冊は、古典です。1901年12月13日に亡くなった中江兆民の『一年有半』(中央公論)です。人は、死期を覚悟した時に、そのそれまで生きてきた存在意義をかけて、今を生きている人たちにたいして、その『遺言』ともとるような、天上の悟りともいえるメッセージを残してくれてるんですね。その点では、二つは共通です。中江兆民の一節を紹介します。「考えることのきらいな国民-日本人は利害にはさといが、理義にくらい。流れに従うことを好んで、考えることを好まないのだ。だから、天下のもっとも明白な道理をも放っておいて、怪しんだことがない。なが年封建制度を甘んじて受け、侍たちの跋扈(ばっこ)をみとめ、いわゆる切りすて御免の暴力にあっても、かつてそれと争ったことがない理由は、まさしく考えることがないからである。だから、おおよそそのすることは浅薄で、十二分の地点につきすすむことができない。」(P381)2024年の今日ですが、120年前の先人のこの指摘ですが、その指摘に甘んじないような私たちでありたいものです。
2024年03月11日
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視点を変えての旅立ち(その6)私などは目下、マルクス『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法」批判が学習課題です。マルクスが発見した唯物弁証法ですが、『経済学哲学手稿』はそれを初めて意識的にまとめたものですね。当時、刊行しようとして、出版の契約までしていたんですが、パリから追放されたために、出版計画はキャンセルとなり、世間に知られることなくお蔵入りとされたものです。1883年にマルクスが死去して、エンゲルスがその遺稿集の中から見つけたんですね。これが『フォイエルバッハ論』の素材となったとみます。『経済学哲学手稿』は、1932年にソ連ではじめて刊行されましたが、当時の日本は治安維持法下でしたから、一般に「国体」に反するものは、戦争に反対するものは、マルクス主義研究者や共産党はもちろん、自由や民主主義、学者や宗教家までもが、取り締まりの対象でしたから、タブーでした。そんなもとでも探っていた人たちはいたんですが。1945年の戦後の民主的憲法の下になってからですね、社会的に自由に検討が出来るようになったのは。私などが生まれた1950年ですが、当時はまだホヤホヤだったんですね。今にして思えば。『経済学哲学手稿』が、日本で初めて訳されたのは、1963年の国民文庫(藤野渉訳)かとおもいます。1964年には、岩波文庫(城塚・田中訳)がでています。マルクス・エンゲルス全集では、第40巻(真下信一訳)で1975年刊行です。私などは、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」をすでに5回の発信をしてきました。第一回 2023年12月17日 私の今の位置は「序説」の段階か第二回 24年2月7日 『資本論』に集中していたため、マルクスが紹介できなかった課題第三回 24年2月18日 『経済学批判』の序言に注目、真下信一氏のアドバイス第四回 24年2月22日 私などの手掛りとするところ第五回 24年2月25日 エンゲルスの「カール・マルクス」も貴重なアドバイス、この五回ですが。 (以前に、2012年ですが、これを八回でまとめて、発信したことがあるんです)今回は、この忙しい時代ですから、当初、私などはこれまで10回くらいでまとめようと思っていたんです。しかしそれは難しいことがわかりました。浅学な私などには、どんどん問題が広がってしまい、今の時点でその広がりをまとめようとすると、そこには無理があったんです。それで考え方を変えました初めから一つのまとまったものをつくろうとするのではなく、まずとりあえずはランダムでよいから気がついたことを、また関係したことでこれまでの探究してきたことを、一つずつをブロックとしてでよいからつくってみること。それがある程度たまった時点で、そこでまとめる作業に入るようにする、このように考え方を変えました。これで、この学習が気軽るなものになりました。無理して頭を抱えてまとめようとしなくてもよし、あれこれの多面的な探究のひろがりですが、今はどんどんそれらをすすめばよい、とのことになったわけです。したがって、この材料ですが、何回になるかわかりません。今回、思うこと私は昨年(2023年)12月12日に『歴史のなかの弁証法』(ヘーゲル『歴史哲学』序論を学ぶ)をまとめてみました。思うのにこれは、マルクスの学生時代の視点じゃないかと思うんです。もちろん内容水準は比べるべくもないんですが、青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)の人たちの考え方にあるんじゃないかと思います。つまり確かにヘーゲルの弁証法の成果を生かしているんですが、しかしその弁証法とはなにか明確でない。さらに、精神が具体化したものとしての現実ととらえていて、まだ意識から独立した物質的関係、すなわち唯物論というものは、正面からは問題にはなっていなかった、そうした段階だとおもうんです。確かにヘーゲル哲学の成果を評価して、それをこえようとして、批判的に見ようとはしているんですが。個々には新たな面があるんですが。しかしそのためには何が問題なのか、どうしたらヘーゲルの偉大な成果が明確に生かせるのか、モヤモヤした中にあったと思うんですね。ヘーゲル哲学の枠内にあった。まだ意識的な唯物論の立場というものを知らなかったんですね。大勢としてドイツの観念論のうっそうとした森の中にあるわけです。そうした中、1841年にフォイエルバッハが『キリスト教の本質』を出した。これが新たな世界を切りひらく出発になった。フォイエルバッハの『キリスト教に本質』からです。「神学の秘密は人間学である」(第一版 序言)、「ヘーゲル哲学とは正反対に実在論=現実主義・唯物論だけがみとめられる」(第二版 序言)青年ヘーゲル派も観念論のなかにあったわけで、ここではじめて唯物論の新しい方向がスタートしたんですね。これは画期的なことですね。しかし、後から見ると、フォイエルバッハの唯物論ですが、それは発展させる必要があった。しかし足踏みしてしまい、不徹底さをきたす問題をもっていた。この時点でマルクスは唯物論の核心を評価しつつ、「その人間論には、社会関係が不十分だ」といった感想を残してますね。ましてやフォイエルバッハは、唯物論ではヘーゲルを批判したけれど、ヘーゲルの弁証法についてはしっかりととらえることが出来ていない。しかしそれらは、疾風怒濤のなかでのこと、あくまでそれは後から明確な違いとして見えることです。当時の中では、新たな道を切り開く共同の仲間どうしであって、切磋琢磨しあっているなかでのちょっとした意見のちがいくらいで、議論するの中でお互いに可変的な変りうるものと思えたんじゃないでしょうか。青年ヘーゲル派ですが、それは観念論の自然な枠内にあったわけで、フォイエルバッハの提起を受けて、意識的な唯物論の見地に立つことが出来るか、その見地からヘーゲルの弁証法を批判的につくりかえれるか。それが問われることとなったわけです。マルクスがプロイセンの反動政治の下で、『ライン新聞』の編集についたのは1842年10月からです。1843年には編集を退いてクロイツナッハで『ヘーゲル法哲学批判』を検討するのには、そうした課題意識があってのことでした。その検討の結果は、プロイセンの検閲の下では刊行できませんから、フランスに移って『独仏年誌』をだすわけです。このパリ時代なんですね、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」がまとめられたというのは。私などは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』を手引きにして、この1840年代の歴史を、さぐろうとしているんですが。それは世界観的な基礎をつくるうえで大事な課題だと思っています。それは単純に「唯物論が正しく、観念論は間違いだ」といったことではないんです。唯物論においても、そのさまざまな歴史的な形態があるわけで、特質をつかむには、努力が求められているんです。歴史発展の見方が問われているし、共産主義の見方だって問われているんですね。哲学と歴史観の方法をつかんで、目前の問題に具体化することがもとめられているわけです。日ごろ、私などは、今の社会生活の中で、こんな抽象的なことに頓着するなんてことは、ほとんどないと思うんです。現代のあれこれ忙しい社会にあって、そんなことを問題にする人は、いないともおもいます。が、しかし、問題として、私たちの前にこの大事な問題があるということですね。マルクスの成果を当たり前の常識あつかいするんじゃなくて、いまでも私たちが直面している問題として、自分に引き寄せて真摯に検討すべき課題としてある、というした問題だと思います。私などは、そう思っています。
2024年03月09日
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エンゲルスの「カール・マルクス」前回、真下信一先生の1977年のNHKラジオでの講演「カール・マルクス その人と思想」(『真下信一著作集1』青木書店1979年刊)を紹介しました。そこには、マルクスが、自己の哲学の基本(唯物弁証法)を書こうとはしたんだけれど、結局、まとまった形では書くことが出来なかった。それは、直面している『資本論』をまとめる作業、このことを優先事項にしていたこと、そのためそれを果たさずしては、いったい自分はなんのために自分が生きてきたのか。多くの犠牲をついやしたことの意味がなくなっちゃう、そうした悩める現実の事態があったわけです。そうした事情からして、その後に生きる私たちとしては、それをエンゲルス『フォイエルバッハ論』やレーニン『唯物論と経験批判論』などで、その空白をカバーせざるをえないところとなっている。そうした状況を真下信一先生は1977年に懐古していたわけです。そうなれば、私などその後の世代としては、『フォイエルバッハ論』を参考・手引きにして、マルクスの生前は刊行出来なかった草稿集、『ヘーゲル法哲学批判』『経済学・哲学手稿』『ドイツ・イデェオロギー』などですが。基本の理論として、これを理解しておく必要があるじゃないですか。それで、今回は『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル法哲学批判」を学習課題としているわけです。当然ながら、それは、かつてをさぐる訓詁学でも、自分勝手な意見をはく解釈学ではないと思うんです。今を生きていく上で、誰しもにとって、欠かせない方法、姿勢をつくるものと感じているからなんです。それで、1840年代の当時を状況や、直面した問題えがいた作品を、基礎作業として当たってみたんです。前回紹介した真下信一先生の1977年の講演『カール・マルクス』も、そうした中での発見の一つでしたが。今回はエンゲルスの「カール・マルクス」(『ME全集』第16巻 1869年7月)です。エンゲルスの「カール・マルクス」(1869年7月)日本では、1869年は、明治維新のまさにその頃のことですが。もちろん、エンゲルスの関心、その一番の関心はマルクスの『資本論』刊行です。このマルクスの紹介、1867年に『資本論』第一巻が刊行された直後です。エンゲルスのマルクス紹介ですが、その当時にみたマルクスの心意気、マルクスの『資本論』研究の態度、その中身の意義を紹介したものとなっています。「この著書は全生涯の研究の成果をふくんでいる。それは科学的表現に圧縮された労働者階級の経済学である。ここで問題となっているのは、扇動的な文句ではなくて、厳密に科学的な演繹である。なんぴとも、社会主義にたいしてどういう態度をとろうとも、ここで社会主義がはじめて科学的に叙述されていること、この業績を・・・実現・・したことは、・・認めなければならないだろう」(P358)「彼はこの学問を25年間たぐいない良心性をもって研究し、考えぬいたのであるが、この良心性は、結論が形式と内容のうえで彼自身を満足させるまでは、彼はどんな本も読まずにはおかなかったこと、どんな異論も考慮に入れないままにしなかったこと、あらゆる論点を完全にきわめつくしたことが彼自身はっきりするまで、彼の結論の体系的なかたちで読者にあたえるのを彼に許さなかったほどのものである。」(P359)まぁ、これは今回の場合、一連の探究の結果ですから、これは「おまけ」です。今回、肝心なのは、1840年代にヘーゲル左派から出発したマルクスですが、それが、どうしてへ―ケル哲学の検討の必要となったのか、そのことから、どうして20年を経て『資本論』の発表との結果になったのか。この出発点となったころの問題です。エンゲルスの「カール・マルクス」、マルクスの心意気を紹介してくれています断っておかなければならないのは、このエンゲルスのマルクス紹介ですが、これはマルクスの生前のものです。ですから、これは二人の協議があり、当然マルクスのチェックもされているはずのもの。ようするに、これは二人の「共作」だということです。そこでの論点について、箇条書き的に拾い出してみました。1、1818年に生まれたマルクスは、ボンとベルリン大学で、ベルリンでは哲学に没入し、「知識の首都」に5年間滞在した。ボンで大学教授につこうとしたが、ウィルヘルム4世の反動政策で断念した。2、ケルンで1842年1月に『ライン新聞』が創刊された。マルクスは当時としては未曽有の大胆さでライン州議会の議事を論説で批評し、大評判となった。そのため当局の検閲は二重にも課せられた。しかしそれも『ライン新聞』の「頑固な悪意」には何の役にも立たなかった。1843年初めに内閣は『ライン新聞』の廃刊を命令した。ここからが問題です。3、ライン州議会議事録の批判は、マルクスに物質的利害関係の諸問題を研究することを余儀なくさせた。[意見はその背後に、意志とは独立した客観的な諸関係があるということ。それが意志のあり方を指定しているということ]。ここでマルクスは新しい観点、法学も哲学も予知していなかった観点に当面した。ヘーゲルの法哲学を手掛りとして、ヘーゲルが「構造物の絶頂」とした国家ではなくて、むしろヘーゲルが継母あつかいしていた「市民社会」こそが、人類の歴史的な発展過程を理解するための鍵をなしている領域であるとの認識に達した。しかし市民社会の科学は経済学であり、この科学はドイツでは徹底的には研究されておらず、イギリスまたはフランスでのみ徹底的に研究されるものである、との結論だった。4、マルクスは1843年夏にパリに移り、そこでおもに経済学とフランス大革命の歴史研究に没頭した。パリではルーゲと『独仏年誌』を発行したが、一巻しか出せず、1845年ににはギゾーによってフランスから退去を命じられて、ベルギーのブリュッセルに移り、同じ研究をしながら二月革命の勃発まで同地にとどまった。5、マルクスが流行の社会主義とは、学者ぶったかたちのものとさえ、どう違っていたかはプルードン批判の『哲学の貧困』がしめしている。これは1847年にブリュッセルとパリで刊行された。この著作のなかですでに、現在詳細に述べられているマルクスの理論の多くの重要な論点が見られる。6、二月革命前に、ロンドンの労働者大会で採択された『共産党宣言』(1848年)は、本質的にマルクスの著作である。以上は、エンゲルスの「カール・マルクス」(1869年7月28日執筆)からの抜粋です。ここに記されている評言は、エンゲルスのマルクスを見る心意気がしめされています。それは、隣にいるマルクスの了解を得ているエンゲルスの言葉でもあるわけです。前々回に、マルクスの『経済学批判』「序言」を紹介しましたが、マルクスが、『経済学批判』を刊行するにいたる自らの思想のあゆみをまとめたものでしたが。このエンゲルスの作品は、それを理解するうえでも、役立つんじゃないですか。ましてや目下のテーマですが、1840年代にマルクスはヘーゲル弁証法をどの様に批判したのか、何が問題で、ヘーゲル法哲学を検討しなければならなくなったのか。そこからどのような、新たな独自の立場がつくりだされたのか。なぜそれが、今においても、基本的な問題なのか、それが見えてきます。こうした流れをつかむ上でも、基本にある問題をつかむ上でも、このエンゲルスの「カール・マルクス」は大事な作品だと思います。
2024年02月25日
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前回の真下信一先生の感想について思う前回、『真下信一著作集1 学問と人生』(青木書店 1979年刊行)の、「カール・マルクス その人と思想」から、NHKラジオでの1977年3月の講演を紹介しました。真下信一氏(1906-1985)は、戦前の苦難の中にあって、理性と科学をまもった方です。1977年といえば、真下先生は71歳、いわば晩年に入るころのものです。この中で、マルクスの『共産党宣言』(1848年)にいたる青春時代を生き生きと紹介された。私などは、それは哲学者としての見識が伝わってくる、他に得難い絶品の紹介だとおもいます。ぜひそれを確かめてみてほしいんですが。その際、講演の終わりの部分にある「私じしんについての懐古」を紹介しました。それは次のような一節です。「ここでひとこと断っておかなければならないことがあります。それはマルクス自身は自分の哲学をとくに体系立てて述べているわけではないということです。多少ともまとまっているのは、いま取り上げているごく簡単な『フォイエルバッハ・テーゼ』くらいのものでしょうか。彼の哲学を、哲学として体系立てて精密化したのは、エンゲルスと、彼の後をついだレーニンでした。そういう次第ですから、マルクス主義の哲学を深く知るには、どうしても少なくともエンゲルスの『空想から科学へ』とか、『フォイエルバッハ論』とかの論文、また『反デューリング論』および『自然の弁証法』、それから、レーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』を勉強する必要があると思います。・・・』(P242)この先生の感想にたいして、私などは、「このアドバイスですが、忙しい現代人にとっては簡単ではない宿題かとおもいます。しかし私などおもうに、現代をひらくためには、その学習がやはり必要だと思うんですよ」との感想をかきました。今回は、この感想に対して、あらためて思うことがらです。一、この真下先生による課題の提起は、正解だと思うんです。私などが『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスが亡くなるまで草稿のままにおかれた『ヘーゲル法哲学批判』『経済学・哲学手稿』『ドイツ・イデェオロギー』ですが、それを学習しかえす必要がある、そうしたことで唯物弁証法と唯物史観を学ぶ必要がある。このことは、1945年以降の戦後の民主主義社会の中で、はじめて自由にひらかれた課題だと思うからなんですね。二、私などは1950年生れですが、1969年に東京・法政大学に、関東の片田舎の真鶴から通うことになったんですが。本棚の片隅には『日本マルクス主義哲学の方法と課題-シンポジウム-』(新日本出版社 1969年8月刊行)があるんですが。また、『戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について-文化分野での「50年問題」の総括」(日本共産党中央委員会出版局 1974年8月刊行)があるんですが。たまたまの、これはめぐりあわせというものでしょうが、これは戦前からの「唯物論研究会」の哲学や「プロレタリア文学運動」の文学面での、歴史的な総括的な検討が行われていたということですね。それまでの歴史や事情もほとんど知らずに、田舎から出てきた私などでしたが、そうした日本の各分野での歴史総括を目にすることになったんです。知りませんでしたが、今から振り返れば、あの当時は、そうした時だったんですね。三、真下信一先生のこの発言ですが、私などは正しいと思うんです。だけど、この基本と課題の意義は正しいし、それぞれに強調されるんですが、その実行はどうか。その切磋琢磨はどうかとなると・・・。その意義が強調されればよいところでして、その実行による切磋琢磨や討論するとなると、まぁ、あまりみかけないんですね。それは、私などの社会的認識の狭さからかもしれませんが。私などが見るのに、確かにその意義の強調はあります。個々人による専門的な研究はあるだろうと思います。しかし、それらを討議したり、総括的な全体の成果のまとめというのは、ほとんど目にすることはないんです。「それは違う」という方もおられると思います。「こういう研究があるよ」との紹介もあればして欲しいんですが。残念ながら馬耳東風で、私などには一向に聞こえてきません。しかし、きっと全国では、人それぞれにいろいろな努力が行われていると思うんですよ。ただそれを私が知りえていないだけのことだと思うんですが。しかし推測ではことがらは進みません。四、結論です。以上のことからして、私は私なりに前にすすむこと。今回のテーマでは、唯物弁証法と唯物史観の学習ですが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」の学習をすすめるということです。思うにそれは、マニアックな趣味としてではなく、たんに過去を詮索すること、解釈することではなくて、1840年代の当時もそれこそが問題だったと聞きますが、今日においてはなおのこと変革の理論として学ぶということです。そこには何が問題なのか、まぁ、そこが問題ですが。ザルで水をすくうようなことにならないように、頑張るということです。
2024年02月22日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判(その3)前回は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』が、マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判を読み解いていく上での一つの道になると、私などの基本を紹介しました。しかし、大きな山に登る上では、さまざまな道があるとおもうし、ひとそれぞれに、これまでにもいろいろな努力があったと思います。今回の紹介は、マルクス自身による自分のあゆみについての自己紹介です。『経済学批判』の「序言」(1859年1月)ですが。日本では、『大君の都』のオールコックが駐日領事としてやってきた、幕末の時点です。『経済学批判』「序言」は、マルクスが唯物史観を一般的に定式化したものとして紹介されます。「私の研究にとって、導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化することができる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。・・・」マルクスといえば唯物史観、唯物史観といえばこの基本的な定式が紹介されるといった有名な部分です。たしかに唯物史観を、簡潔にして包括的にまとめられていますから、その説明には必ずといってよいくらいに、くり返しこの箇所が取り上げられてきました。私などが「序言」を注目する点ですがしかし、私などがこの「序言」を注目するのは、その唯物史観の内容紹介をしている点もさることながら、同時にマルクスがここで、どのような経過から、どの様な問題とぶつかるなかで、そうした理論が探究課題となったのか、その全体的なながれ、その考察の筋道を自己紹介している点に注目しているんです。マルクス自身の自己紹介です。「1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえないという困った破目におちいった。・・・・」「私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった」と。私などの今回の主題-「マルクスはどのように『ヘーゲル弁証法』を批判したのか」ですが、この唯物弁証法の問題ですが、ここでの自己紹介の中に、確かに含まれているとおもいます。ただこの「序言」は、歴史観として多くの人に注目され紹介されるわりには、その哲学的な側面については、あまり紹介されることがないと思うんですが、どうでしょうか。大事にしたい真下信一氏の講演最近、認識を新たにしたラジオ講演があります。『真下信一著作集1 学問と人生』(青木書店 1979年刊行)の中の、「カール・マルクス その人と思想」なんですが。NHKラジオで、1977年3月に3回にわたって講演されたものとのこと。真下信一氏(1906-1985)は、図書館くらいでしか見ることは出来ないと思いますが。マルクスが、『共産党宣言』(1848年)にいたるまでの、若いころのあゆみを、哲学者の立場から、生き生きと紹介してくれています。その講演の第二回目ですが、パリ時代の『独仏年誌』からブリュッセルでの『ドイツ・イデォロギー』のころの生きた活動を紹介してくれています。この中で、唯物弁証法にいついて述べています。基本的なことですが、哲学として唯物論とは何か、についても述べられています。この講演の終わりの部分ですが、「私じしんについての懐古」として、次のような点を紹介しています。「ここでひとこと断っておかなければならないことがあります。それはマルクス自身は自分の哲学をとくに体系立てて述べているわけではないということです。多少ともまとまっているのは、いま取り上げているごく簡単な『フォイエルバッハ・テーゼ』くらいのものでしょうか。彼の哲学を、哲学として体系立てて精密化したのは、エンゲルスと、彼の後をついだレーニンでした。そういう次第ですから、マルクス主義の哲学を深く知るには、どうしても少なくともエンゲルスの『空想から科学へ』とか、『フォイエルバッハ論』とかの論文、また『反デューリング論』および『自然の弁証法』、それから、レーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』を勉強する必要があると思います。・・・』(P242)このアドバイスですが、忙しい現代人にとっては簡単ではない宿題かとおもいます。しかし私などおもうに、現代をひらくためには、その学習がやはり必要だと思うんですよ。私などは、今回は、マルクスが「ヘーゲル弁証法」をどのように批判したのか、を課題として立てているわけですが、マルクス自身が開拓してきた事柄ですし、故真下信一氏も提起している課題でもあること。このことを確認しつつ、さらに前にすすみたいと思います。
2024年02月18日
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『歴史のなかの弁証法』への感想ヘーゲル『歴史哲学』序論のノートを、この12月12日に冊子にまとめました。A4版の41ページですが。「ヘーゲルが大衆の関心を引くことは、今後あり得ません」とのご意見もあったんですが。この冊のなかみを、ひと通り目をとおし方は、まだ数人だと思うんです。しかし、感想をポツポツとよせていただいています。まず私などが気づいたことですが。ヘーゲルとその『歴史哲学』に関心をもっていただける方は、この日本社会の中には、かなりおられるということです。昨日、ある集会があって、その書籍コーナーに、これを置いていただいたところ、かなりの人が購入してくれたんですね。「今時、こんな冊子を手にしてくれる人はいるか。1冊か2冊が売れれば、さいわいか」と思っていたんで、10冊目の束が売れて、20冊目の束が並んでいたというんです。中身に目を通すのはこれからしばらくしてだと思うんですよ。タイトルを見て手にしてくれる人が、これだけおられたというのはうれしい誤算です。私などは認識を新たにしたところです。また、冊子を紹介したブログを見た方から、メッセンジャーを使って、送付を希望された方もおられました。こうした方が現れたのも初めてです。これまでの壁に向かうようなヘーゲル学習の事態からすると、長年の達磨大師状態が、すこしかわりつつあります。ありがたい限りです。ただ問題は、その関心に、はたしてこの冊子の中身が答えるものになっているかどうか、ですが。しかしそれは、私などとしてはベストをつくしたものなので、結果は仕方ないのですが。ということで、寄せられた感想・意見を2つ紹介します。1、マルクス、エンゲルスの唯物史観も弁証法も、ヘーゲルをはじめとして、それまでの理論を受けつぎながら発展してきたんだなぁと、感じました。2、ヘーゲルは『精神現象学』を著したように、歴史を精神の具体化として捉えています。しかし、この理解は観念論そのものとして夙(つと)に批判されています。事実は逆で、歴史は物質の現象学、即ち物質の位相(形態)変化の歴史だ。私などの苦労が、こうしたリアクションで、報われるということです。
2023年12月25日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判私は無い知恵を絞って、『歴史のなかの弁証法』冊子を出しました。その課題は、ヘーゲルが見つけ出した弁証法とはどのようなものか、それを『歴史哲学』序論のなかに探るということでした。2023年12月12日に最終校正を終えて、昨日・16日に印刷・製本会社の「光陽メディア」から、その作品が到着しました。これからみかんとともに、この冊子を、いかに「押し売り」するかが、私などのこの年末の課題です。二つ問題があります。今、自分がたっている位置と、この次の検討課題の問題です。今、自分の立っている位置ですが、私なりに思うに、今の立ち位置というのは、マルクス(1818-1883)が1843年末に『独仏年誌』に発表した「ヘーゲル法哲学批判」序説の段階と思っています。その時代のギャップは大きいですね。当時マルクスは25歳で、当方は今や73歳。マルクスが刊行したのは1843年ですが、今は2023年末ですから、180年もの時間差があるんです。しかし、このギャップは、私自身としては仕方がないと思っています。しかし、これが、「『歴史のなかの弁証法』-ヘーゲル『歴史哲学』序論を学ぶ」冊子をつくってみて、私などの感じるところです。世の中は、日本も世界も激動しています。モグラたたきのように、さまざまな、新たな情報が錯綜しています。だけど、私などは「みかんの手入れとともに学習をつづける」-これは、これで仕方のないことなんです。真鶴と小田原のみかん園ですが、これを放棄するわけにはいきません。また、みかんを相手としているだけでは、世の中は変わりませんから。しかし、みかんは、今が一年の苦労が実るかどうか、収獲の大きな山場にあります。晴れ間の下でしか出来ませんが、大きな収穫作業が、今、求められています。同時に、次の学習の課題ですが。ヘーゲル『歴史哲学』序論をおえて、次のテーマですが。マルクスはどのようにヘーゲル弁証法を批判したのか。新たな世界観・方法を、どの様に作り上げたのか。この問題です。マルクスの『経済学・哲学手稿』ですが、その中に「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」の一文があります。パリ時代の1843年11月から1845年2月に書かれたものだそうです。当時は刊行されることなく、1883年にマルクスが死去してから、その遺稿集の中から出てきたものです。エンゲルスはこうした遺稿集をみて、『フォイエルバッハ論』を書いたと思うんですよ。この手稿のそのものが刊行されたのは、ロシア革命後のソ連で、1932年だそうです。90年前です。しかし、1945年8月までは、日本では国禁のものでしたから、一般の目にできたのは第二次世界大戦後のことですね。戦後の日本の激動の中で、このマルクスの「ヘーゲル哲学批判」がどのように扱われたのか、どの様に理解されたのか、1950年生れの素人の手探りの私などは知りません。ただ、戦前の民主主義が抑圧された社会とは違って、戦後は「自由」なんですが、自分勝手な思いというのも自由とされますから、真実をつかむためには、それぞれの社会に独特の試練があるわけです。戦前の哲学者たちの努力・成果についても、しかりと公的に確認されてるんでしょうかね。百花繚乱の意見の中に、わかったようでいて、あいまいな事態があるんじゃないでしょうか。だいたい、総理大臣たるものが、憲法の平和・民主の原則を、教育では説きながら、みずからは自分勝手な解釈で捻じ曲げて、正当な意見は聞こうともせず、勝手な解釈を押しつけているくらいですから。歴史的な到達点について、政治家は真摯に学ぶべきだと思うんですよ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」なんて事態では、子どもたちが非行化するのも当たり前じゃないですか。科学には客観的な真実や到達点というものが、ある程度の範囲では、誰しも確認できると思うんです。このマルクスのヘーゲル哲学批判ということも、私などは良識のうちにあると思います。私などは、以前にこの学習をブログで発信したんです。東日本大震災後の2012年ころでしたが。しかしそれは、やはり達磨大師状況でしたが。マルクスは、ここでヘーゲルの『精神現象学』の「絶対知」の箇所を検討しています。そこでヘーゲルの弁証法を批判しています。だけど、私などか知るかぎり、その努力が、その宝が、しっかりと評価されている様には思えないんですね。それで、学習発信したんですが、達磨状態でした。今回は、その再学習です。この間の学習の続きでもありますが、これを検討を吟味してみること。これが、私などが、次に確かめておきたいテーマです。
2023年12月17日
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『歴史哲学』序論の冊子が出来ました数年前に、ヘーゲル『歴史哲学』序論を学び、このブログでも発信したんですが。今回は、昨年、日本福祉大学名誉教授の福田静夫先生の『ヘーゲル講座』を受講する機会をえて、あらためて『歴史哲学』序論を学びかえす必要を感じたんですね。まぁ、大それた話です。その中身を冊子にまとめようと思い立って、今年の4月から12月12日の校正終了するまで、努力したんですね。まったく、素人の、恐れを知らない知的な行動でした。A4版の41ページ、定価350円+送料250円です。2020年にブログ発信した時は、まったく壁に向かう達磨大師の状況でしたが、今回は、福田静夫先生の、質の異なる励ましのコメントをいただき、50年前の同窓生で仏教にくわしいひとからのコメントをいただけました。私が今回の作業で得たことは、二つあります。一つは、「マル・エン全集」第31巻へ感じるところの親しみです。これは1864年から1867年の間にマルクスとエンゲルスとの間でかわされた書簡集です。そこにはマルクスが『資本論』を刊行するときの苦労がリアルに刻まれてます。私などは、たった41ページで苦労したんですが、マルクスは1319ページ、しかも事柄に通じようとする努力の質のちがいは、月とスッポンですから。少しですが、その苦労を身近に感じられるようになったということです。もう一つは、私などは73歳の年寄りですから、明日亡くなったとしてもおかしくはないんですが。しかし、個人としてみれば何に努力しようとしてここまで来たのか。私などは1950年の戦後生まれですから、ものごとに対する意見・批判は、何でも自由勝手なことでして、すべては自然なことだったんです。ところが、そうした自由というのは、日本の戦後の民主的憲法の下での自由だということを、感じてくるようになりました。ヘーゲルは「歴史とは自由の発展であり、しかもそれは質を異にした段階的な発展なんだ」との歴史観を提起しています。霧のなかの感じですが、すばらしい思想を創造しています。それまでの思想家と違って、どこからどのようにしてとらえたのかわかりませんが、確かに弁証法を意識化して、明らかにしようとしています。これは功績です。だけど、精神・意識がすべてのものごとをつかさどるとなると、すべてのことの主要な動因が精神であるとすると、そこのところはおかしいじゃないですが。この明と暗とをしっかりと腑分けすること、そこが大事な点だと感じている次第です。まぁ、そうしたことを、今回の学習を読み返してみて、課題として感じている次第です。そうしたことで、つたない私などの『歴史のなかの弁証法』冊子ですが、冊子の本体が350円、それと送料250円がかかりますから、合計で600円でお分けしますので、関心ある方はコメント欄などで、申し出てください。
2023年12月16日
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『歴史のなかの弁証法』の校正を終了昨年から今年の3月まで、ヘーゲル学習会に参加してきました。名古屋の日本福祉大学名誉教授の福田静夫先生を講師とした学習会でした。対象はヘーゲルの『法の哲学』の国家論と、『世界史の講義』第四部の「ゲルマン世界」でした。今どき、ヘーゲルがどうのこうのなどと、まともに語り合う機会なんて無いじゃないですか。私などは、達磨大師じゃないけれど、壁に向かって学習発信をしているような次第です。そこに、この学習会でしたから、「渡りに船」でした。それで、おこがましくも、『ヘーゲルの『歴史哲学』序論を読む』との冊子を出すことにしました。ヘーゲルは、科学的社会主義の哲学、歴史観の源流となっている哲学者です。主題は「歴史のなかの弁証法」で、ヘーゲルはそれをどの様に探ったのかです。彼は、61歳でコレラの世界的大流行のなかで、1831年に突然死しちゃったんです。その業績を、少しでもつかみとろうという、その試みです。私などが感じるには、その中身が今日、ほとんど取りざたされてないこと。さまざまな解釈論はあるにはありますが、なかなかその実際が紹介されてない、と感じていたんです。エンゲルスの『空想から科学へ』『フォイエルバッハ論』が紹介しているくらいじゃないでしょうか。もちろん、日本でも研究者はいますが、ヘーゲルを研究している人はいると思うんでが。しかし、そうした論壇は、私などの周りにはないんですね。達磨大師の状態でした。そこに、91歳の長年にわたりヘーゲルの研究をされてきた福田静夫先生の講座が開かれたわけです。2022年の1年間、ズームで名古屋からの学習会を楽しませていただきました。私などは、まったくの素人の手探りですから、その理解のほどは知れているんですが。しかしですよ、その中身について、他には学習の輪を感じないものですから。そうなれば、無知というのは恐ろしいじゃないですか。私がヘーゲルを、その『歴史哲学』序論をどの様に読んだか。これまで学習でブログ発信してきたものを、あらためて学びなおして、それを冊子にしてまとめてみることにしました。そして、本日(12月11日)、その最終の校正が終了しました。12月20日くらいには、その冊子300部が到着するはずです。A4版の41ページで、定価350円(+送料)です。つたないものですが、もしこれに興味を感じていただけるようでしたら、このブログのメッセンジャ―で、申し込んでください。こんな学習を冊子にするなどということは、はじめてなんですが。おかげで、マルクスの『資本論』の刊行ですが。それが、いかに大変な作業であったか。もちろん中身は分かりませんよ、問題とするのはそれを出版することですが、それが如何に大変な仕事だったか、それがほんの少しだけですが、わかりました。
2023年12月11日
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『歴史哲学』序論の学習をまとめる当方は、みかんと学習を柱としています。この間、ヘーゲル『歴史哲学』序論を学習してきたことは、ブログをご覧いただけた方はご存じかと思います。やれやれ、といったところです。本日、今、新宿にある製本会社を紹介していただいて、その学習をまとめた原稿を届けてきました。今どき、何でヘーゲルなのか?誰が、そんなのを読んでくれるというのか。といったこともありますが。あれこれ議論があるかも、いやないかもしれませんが。とにかく、年内には冊子が出来上がると思います。300部の限定版ですが、一冊350円+送料です。購入を希望される方は、ぜひ、お申し込みください。
2023年11月13日
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やっとひと仕事が終えたヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習を、ついに終えました。これまでブログで、その学習を発信してきましたが、それを、まとめることが出来ました。私などは、ヘーゲルは古典的な存在ですが、今に大事なことを残していると思うんですが、ほとんど、その中身が紹介されてません。2022年の1年間、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』に参加して、先生の語られていることをお聞きして、ますますそれを感じさせられました。福田先生は『法の哲学』の「世界史」と、『歴史哲学』の第四部ゲルマン世界を、紹介してくれたんですが。当方は、重ならないところの『歴史哲学』「序論」です。私などの学習ですが、これを形にして、関心者の御批評をあおごうということでして。こからが肝心なところですが、なんとか、その段階まできたということです。
2023年11月07日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ、 (c)歴史のすすみ方(その2)ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習も、いよいよ今回で終了です。前回の続きで、岩波文庫『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P125の第35節からです。一、まず、P125、第35節ですが。ここは、(c)「世界史のすすみかた」の冒頭にあった、P113「世界史とは」なにか、「民族精神とは」なにか。それを短く総括しているものと思います。冒頭に、(c)「世界史のすすみかた」の冒頭にもどって、その論点を再確認します。1、P113、第20節「世界史とは、精神がみずからを自由だと意識する、その自由の意識の発展過程と、その意識が現実にうみだすものの発展過程をしめすもので。その発展はいくつかの段階を踏んでおこなわれ」る。自由の発展があり、それがたんなる移行・推移といったことではないと洞察しています。2、第21節では、その「発展の各段階が他の段階とは区別される独自の明確な原理をもち、その一つ一つの原理が「民族精神です」。民族精神のうちには、民族の意識と意思、その現実の全側面が具体的にあらわれる。民族の宗教、政治体制、共同精神、法体系、道徳、学問、芸術、技術的訓練など。それらのすべての領域のなかに共通する民族の一般的な特徴がある、それが民族精神なんだと。ヘーゲルは、この後で、自説に対するいろいろな非難や誤解にについて検討しています。みずからの考え方を明確にしています。二、それをまとめたものが、P125-126の第35節だと思います。ヘーゲルはここで、世界史とは何か、「世界史の概念」を提起しています。前に見た「民族精神」ですが、民族のあらゆる行為のなかに浮かび上がってくるもので、思考によってしかとらえられないものだけど。その民族精神は自らめざしていたことを達成する。同時にそれを成就することは、みずからの没落であり、次の別な新たな民族精神に交換していく。こうした民族精神の没落と再生、その全体の続きあいこそが「世界史の概念」であると指摘しています。これは、世界史のあゆみということの一般的な全体観ですね。これだけではごく一般的な概念の規定ですから、ヘーゲルは次にその「少し具体的なイメージ」を提示しています。P126、第37節ですが。「世界史をひとわたりながめてみると、そこには」として、13行にわたって展開しています。「ようするに、多種多様なできごとが私たちの関心をひこうと待ちかまえていて、一つが消えさると、ただちにべつなできごとがかわって登場します。」と。ロシア革命の指導者レーニンですが、この第37節の箇所を全文を書き抜いています。第一次世界大戦の最中の1914年-16年ですが、『大論理学』や『歴史哲学』を読んでいるんですね。その『哲学ノート』(全集第38巻)ですが、P284-285には全文が書き抜きされています。その中でも、「情熱と諸行動の総和(いたるところにわれわれの関係のある事がらがあり、したがって、いたるところにわれわれの賛成、または反対の関心がひきおこされる)」の箇所には、この横には『非常にいい』とのコメントが。また「取るにたりないように見えるものから、巨大なものをつくりだす小さな諸力の、無数の集中」の箇所には、その横に『非常に重要だ!』との感想を、コメントとして書きこんでいます。当時の1914年というのは、たいへんな緊張の時だったと思うんですよ、その中での学習ですから、すごいですね。「忙しいから、時間がないから」なんてことじゃないんです。ここにも歴史科学をほんとうに大切にしていた、誠実な政治指導者だったこと、努力家だったことが伝わって来ます。三、さらにヘーゲルですが、この世界史の一般的イメージの中にある「変化」ということですが、そこにある具体的な中身について、ふくまれる思想について探っていきます。1、古代文明の廃墟を前にして、悲しさとともに新しい生命の登場を思う。生から死へ、死から生へと。2、変化はたんにる移行ではない。自己実験、自己格闘であり、意図により素材を加工することであり、自分の力を発揮、発展させること。障害にぶつかることもあるけど、精神は自分の使命をまっとうし、自分の力を発揮して、そして没落していくと。私などは、この箇所で二つの点に注目します。ア、民族精神が安定した自足した状態にある場合と、民族の潜在的で主観的で内面的な目的や本質と、その現実の姿とが分裂した状態にある場合との場合、この二つの世界史のあゆみの相克ということです。片や口先ではもっともそうなかっこは取り繕うが、現在の状態に満足していて、新たな動きをおさえる、それは退屈きわまる政治的ゼロといった状態についての指摘です。身近かなこととして感じられませんか。イ、もう一つは、そうしたなかにあって「民族精神はなにか新しいものを意欲しなければなりませんが、この新しいものはいったいどこからくるのか」(P131、第41節)ヘーゲルはこんな問題提起をしているんです。このヘーゲルの問いかけというのは、すごいことだと思いませんか。「自分をさらに高め、さらに一般化するイメージがうまれ、現行の原理がこえられなければなりませんが、それには、一歩すすんだ原理が新しい精神として登場してこなければならないのです」「民族を行動にかりたてるもの」(P132)は、なんなのか?ヘーゲルは歴史の変化のなかに、こんな問題を提起しているんです。私などがおもうのに、一方で、ヘーゲルは世界史(歴史)の変化の様相を、たいへんよくとらえていると思うんですよ。随所ですばらしい見方・考え方、思想を語っています。「時の流れは否定の力があるが、しかし思考にも否定の力があって、もっと内面的な無限の形式であって、すべての存在を解体していく」「最初に否定されるのは一定の形態をもつ有限な存在ですが、目の前にある権威ある存在ですが、それがその内容からして限界のある有限なものと見なされる。ないし思考する主観とその無限な反省を制約するものとみなされる」(P134、第49節)第50節では、歴史認識に見る「否定の否定」ということも説いています。(P134-135)大きくみると、「E.世界史の時代区分」には、世界史のあゆみの具体的な内容が説かれています。「世界史は、野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へといたらしめる過程です。東洋は過去から現在にいたるまで、ひとりが自由であることを認識するにすぎず、ギリシャとローマの世界は特定の人びとが自由だと認識し、ゲルマン世界では万人が自由であることを認識します」(P176)との骨格内容の提起ですが。歴史が法則的に発展してきたし、しているとの思想を提起しています。ここでは、「この地点に達したとき、変化の内的かつ概念的な必然性があらわれる。そこをとらえるところにこそ、歴史哲学の精髄があり、真骨頂があります」(P136)と表明しています。ヘーゲルのすばらしい洞察と、その確信のほどが伝わってくるんじゃないでしょうか。マルクスの『経済学批判』の「序言」とも重なって来るじゃないですか。ところがです、他方でヘーゲルはその変化の原因についてどういっているか、この問題です。P135、第51節「精神のあゆみとは、自分を対象化し、自分のあり方を思考する精神が、一方で、自分の限定されたありかたを破壊するとともに、他方で、精神の一般理念をとらえ、その原理にあらたな定義をあたえる、というところに到達します。ここにいたって、民族精神の実体的内容が変化し、その原理は、べつの、より高度な原理へと上昇していきます。第52節「歴史を概念的にとらえるにあたっては、こうした精神のあゆみを、思考と認識のうちに保持することがもっとも重要です。」これがヘーゲルの問題の原因に対する答えだと読みました。ここにある問題ですが、ヘーゲルは、世界史(歴史)のあゆみを、精神のあゆみのあらわれとしてとらえている。精神と現実ですが、現実の一側面としての精神が、現実に対応する関係にあることは間違いないと思うんですが、精神には能動的なはたらきがあることも間違いないと思うんですが、しかし精神というものが歴史をつかさどるようにとらえている、ないし歴史とは精神があらわれたものととらえるのは、思考の原理こそが現実のすべての原因をなしているととらえているヘーゲルですが。ここにヘーゲル特有の問題点があると、私などは感じているわけです。四、ヘーゲルに対するこのモヤモヤした状況にあったときに、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)がこのゴタゴタを整理するヒントを与えてくれました。1、その1「歴史哲学、法哲学、宗教哲学、等々のなかみは、出来事のなかで立証されなければならない現実の連関の代わりに、哲学者の頭のなかでつくられた連関がすえられたということであったし、歴史とは全体としてもまた個々の部分においても、観念の—しかももちろんいつでもただ哲学者自身のお好みの観念の—漸次的実現であると解されたということであった。それによると、歴史は、無意識にではあるが必然性をもって、あらかじめ確立されているある観念的目標を目指して精を出してきたことになる。たとえばヘーゲルでは、その絶対的理念の実現をめざして精を出してきたのであり、そしてこの絶対的理念へ向かう不動の方向が、歴史上の出来事の内的連関になっていたのである」(大月書店 秋間・藤川訳 P75-76)私などがおもうのに、思考法則はそれとしてあると思うんですよ。それをヘーゲルは『精神現象学』『大論理学』でそれを探っていたと思うんですよ。それがヘーゲル自身も「経験的に納得され、歴史的に立証されなければ」ならないとされていることがらにたいしても、思考法則により現実が考案されてしまう。ものごとは論理的な(弁証法的な)性質をもってはいたとしても、そこから飛躍して、歴史やものごとの連関ではなくて、論理のあらわれとしてその現実がある、かのような角度から見てしまう、そこにヘーゲルの癖というか、問題点があったとみています。その2 「ヘーゲル哲学(ここではカント以来の全運動の終結としてのヘーゲル哲学の話にかぎらなければならない)の真の意義と革命性格とは、この哲学が人間の思考と行為とのすべての結果の究極性ということに一挙にとどめを刺したという、まさにこの点にあった。ヘーゲルでは出来上がった教条的命題の寄せあつめでは無く、真理は今や認識の過程そのもののなかに、学の長い歴史的発展のなかにあった。」(同 P11-12)「ヘーゲルはこれほどはっきりした形では述べてないけれど、それは彼の方法の一つの必然的帰結である」(P14)いかにエンゲルスが、ヘーゲルを丁寧に読み込んで、そこから宝となる明確な認識をひきだしたか。それを重視したかが、しっかりとうかがえる指摘じゃないですか。2、ところで、エンゲルスが晩年に強調していた論点ですが、「科学的社会主義は、唯物史観というのは、型紙とか図式じゃなくて、方法であり、あくまでも行動の指針なんだ」と、くり返し、くり返し、論じていますね。その問題と、ここでの問題とも重なる面があると思うんです。1883年にマルクスが死去して、エンゲルスはその残された遺稿集を目にしました。『ヘーゲル法哲学(国法論)批判』もそうですし、『経済学哲学手稿』での「ヘーゲル哲学批判」もそうですし、『ドイツ・イデオロギー』だってそうなんですが、20代のマルクスやエンゲルスは出版することが出来ずに、草稿のままで、人知れずしまわれていたんですね。しかし、そこでこの作業が行われていたわけです。しかしこのことが活字となって紹介されたのは、『経済学批判』の「序言」とか、ごく限られていたんですね。その草稿の束を、エンゲルスは1883年ころから遺産として見ることとなったわけで、『資本論』がどこまでできているのか、これが大事な問題だったでしょうが、同時にヘーゲルの業績を、弁証法の意義をしっかりと評価して、若きころの自分たちは、それをどの様に批判して自分たちの新たな世界観をつくりだしたのか。初期のゴチャゴチャした大部なものをそのままの形で刊行するわけにはいきません。その中身を簡潔で分かりやすく、しかもしっかりとすっきりした形で明らかにし、ひろく伝えること、これが大事な仕事になっていた。、科学的社会主義の思想を広げていくうえで、大事になっていると思ったんじゃないでしょうか。『フォイエルバッハ論』を読むと、そんな続きあいと今日的な意義を感じさせられます。3、ヘーゲルのこの点をおさえておけば、ヘーゲルはじつに素晴らしい思想を、さまざまな分野で仕事を残しています。だけど私などは、現代において感じるんです。一方では、あまりヘーゲルの中身が語られてない、難解さがときほごされてないんです。他の権威者の言葉をオウム返しにしてわかったようなかっこで済ませている。他方では難解な表現ということから、そのなかみを正確にとらえることなく、自分の勝手な解釈を広げている。しかもそれがもてはやされているような事態です。困ったものです。そうした中、私などは、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』を、2022年に受講する機会がありました。そこで、『法の哲学』の「国家論」と、『歴史哲学』(『世界史の哲学』)の第四部ゲルマン世界を学んだんです。学習の仕方を学んだんですが。正確にヘーゲルの言っていることをとらえ、あらためてヘーゲルの考え方の今日的意義、素晴らしさを実感させてもらいました。今回の、『歴史哲学』序論を再学習ですが、その「ヘーゲル講座」の副産物です。少しでもその成果をつかんで、それを発信すること。これは今の学術において大事なことだと感じたからなんですが。とにかく、『歴史哲学』「序論」の終わりまで来れたこと、これをさいわいと感じています。以上をもって、ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習を終了します。
2023年11月04日
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『武器としての国際人権』(藤田早苗著)私などが認識を新たにした一冊の本を紹介します。どうして、日本は人権の点で、世界の後進国となってしまったのか。日本の近代は、いろいろ問題はあっても、人権のための努力をした来たと思うんですよ。しかし、最近では、建て前とは裏腹に、多くの努力はざるで水をすくうようなもので、現実は卑屈でうつろな事態にあります。なぜそうなっているのか。藤田早苗著『武器としての国際人権』(集英社新書 2022年12月刊行 1000円)是非とも、この本をお読みいただきたいんです。この本を知ったきっかけは、福田静夫先生の今年初めの頃の「ヘーゲル講座」でした。ヘーゲルは国民国家・民族国家をこえたところでの人権の国際的な今日の発展ということを具体的にしめしている本として、この本を紹介されたんだと思います。私などは、日々こまごまとしたやらねばならないことがあって、半年以上もの歳月が過ぎた最近になって、この本を開いた次第です。この本のカバーには、東京新聞の望月記者、中野晃一教授が推薦されてます。さもありなん、です。「人権」と言ったら、戦後も憲法下では大事なテーマだったでしょう。ところが、最近ではざるで水をすくうような虚しい状況です。こころある世界の人士からしたら、核兵器廃絶にしても、現行憲法がもっている民主主義の理念にしても、卑屈なアメリカべったりの従属政治の根性にしても、口でいう建て前と実際の現実とは、それが余りにも乖離してるじゃないですか。どうしてそうなっているのか、この本は、それを解き明かしているとおもいます。一般的には「低開発国」とみなされている国の人でも、ラテンアメリカ、東南アジアなどで、世界をリードして輝いている人がいるじゃないですか。おそらくヘーゲルが、民族国家の狭さを越えた世界的な人権がつくりだされる、そんな主張をどこかでしているんじゃないですか。「歴史哲学」のどこかでも。人権がどのようにして発展していくかを。私などはまだ不勉強で、それを説いている箇所を確認できていませんが、福田静夫先生の熱心な主張には、そうした点を紹介されているようにおもします。まぁ、とにかく人権の国際水準に近づいていくためには、この本は、大事な刺激的なプレゼントとなるものだと感じて、私などもお勧めします。
2023年10月20日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ (c)世界史のすすみかたヘーゲル『歴史哲学』序論も、いよいよ最終段階です。岩波文庫の『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P112(第19節)からP137(第55節)です。全体を四つの点にわけてみました。一、世界史のあゆみの総論二、民族精神について三、世界史の概念とイメージ 新たな意欲(原理)どこから来るか四、まとめ一、世界史のあゆみの総論だいたいここでヘーゲルが言いたいことの輪郭です。ほとんど抜粋ですが。1、世界史のすすみかたについて、最初に、具体的な内容はE.世界史の時代区分で述べる。ここではごく形式的なことを述べるのみ、とことわっています。2、これまで述べてきたことから、世界史とは精神が自由を意識する。自由の意識の発展過程と、〈その自由な意識が〉現実に生み出すものの発展過程をしめすと。〔意識と存在の発展過程だと〕3、その発展というのは、いくつかの段階をふんでおこなわれる。事柄の概念にそくして自由の段階が区別される。4、概念は、その論理的性質、弁証法的性質からして、みずからを定義し、それを自分の内容として、さらにその内容を廃棄し、それにより積極的な、豊かな内容を獲得する。5、その必然的なあゆみの純粋で抽象的な内容は論理学の認識するところであって、ここではその発展のそれぞれが独自の原理をもち、その原理の一つ一つが精神のあり方-民族精神である、と。(第19-20節です)これについての私なりの認識ですが、ヘーゲルは意識が現実をうみだすかように述べていますが、意識は現実に対応するの一つの側面として理解しておきます。同じことですが、ヘーゲルは概念を主語にしていますが、そうなると概念が事物をつかさどることになります。確かにヘーゲルはすべてが論理的なすすみかたをしていることを発見したんですが、ヘーゲルのように理解すると、すべての物ごとは論理学的な本質のあらわれとなってしまう。実際には、概念の論理的なあらわれではなくて、概念が事物のあゆみとも重なっているということ。意識がつくりだしたんじゃなくて、意識は事物のその一側面なんだから事物に照応している、照応の関連をもつと認識しています。ヘーゲルという人は、ものごとが論理学的な発展過程をもつこと発見した人です。これは素晴らしいことですが、しかしすべてのものごとが論理学の一般性に帰着するかのような表現をしています。一般的な抽象性としてはそうかもしれませんが、ものごとは固有の具体的な領域が、現実的にあるわけで。その具体的な問題領域の中において、その論理的な一般性が妥当かどうかを、具体的に検討しなければならない。論理学と個別的な諸科学の領域はそうした関係にあると思うんです。この点を保留しさえすれば、だいたいヘーゲルの言う一般的な論理的側面の関連というのは、そのとうりでして、よく関連をとらえていると思うんです。くりかえしになりますが、問題は具体的な領域・問題の中から、そのなかから関連を見つけ出さなければならないということです。二、その民族精神についてですが。(P113・第21節からですが)。民族精神には民族の意識と意思の、現実の全側面が具体的にあらわれる。宗教も政治体制も、共同精神、法体系、道徳、学問、芸術、技術的熟練にも、共通する民族精神が見てとれる。一定の特徴がその民族精神の原理をなしていること。ここで「そのことは、経験的に納得され、歴史的に実証されなければならないことだ」と指摘しています。この見解ですが、すぐ前に問題とした点について、ヘーゲルとしても感じてはいて、あるべき必要な基本的な形について、指摘はしてるんですね。実際に歴史哲学の本論を見ると、そうした研究成果も残しているんです。しかし他方では、ヘーゲルは、概念の主導によって、具体的事実の展開を論理に帰着させてしまうという、そうした裏腹な方法をとることになっちゃっているんです。次に、「民族精神が現実の全側面に現れる」-そうした関係を理解するには、その民族の原理の領域に先天的に親しんでいなければ理解できないと指摘しています。こうした歴史哲学の見地にたいして、他方から非難がなされていると。「経験的な歴史上の素材に対して、先天的な理念を持ち込もうとする誤りだ」と。ヘーゲルはこれにたいして、これは「分析的思考」に、悟性にもっぱら固執する考え方だと指摘しています。それにたいして自分は「理性のカテゴリーにしたがって思考しつつ、そうした分析的思考を理解し、その価値と位置をわきまえているんだ」「世界史の全体を考察するとき、本質的なのは自由の意識であり、意識の発展のなかでの自由のありかた」が問題なんだ、と主張しています。(第22節)ここで、ヘーゲルは、こうした考え方の誤り、狭さについて、様々な例をあげています。「抽象的なカテゴリーに固執する反省的思考」「具体的内容をすてて形式的視点を動きまわる教養の立場」「インドの叙事詩とホメロスの叙事詩を比較するこころみ」(まちがった形式主義の見方」とか、たくさんの例をあげています。ここで強調しているのは、世界史のあゆみというのは、もっと高い次元をうごくものであって、「精神の絶対的な究極目的が要求し成就すること、もしくは、神の摂理がおこなうようなことは、個人の道徳性にかかわる義務や責任能力をこえたものだ」と。そして、変革期には、両方の陣営が自らの正義を同じように主張しつつも没落していく。また世界史的個人においては、彼の行為はみずからも意識しなかった内面的な事柄があらわれてくることを指摘しています。(第27節)1、私などは、ここでのヘーゲルの主張ですが、これは彼が世界史のあゆみの全体の中からみちびきだした結論であり、そこからの確信であること。あくまで「序論」というのは、結論的に引き出されたことがらの提起であり、一見、独断的にも聞こえる断言ですが、わけのわからない言葉ですが。それを妄信する必要もないし、またここの文章からだけで、すべてを得心できるような内容ではないと思っています。あくまで、これから本論にあたるに当たって、ヘーゲルによるアドバイスとしてうけとっておけば、それでよいとおもっています。2、ここで、二つの考え方の問題が提起され、それが対比されていますね。ここを読むと、私などはエンゲルスの『空想から科学へ』第二章「弁証法と形而上学、二つの考え方」がおもい浮びます。そこでは、エンゲルスも弁証法的な考え方を提起しています。同時に、やはり、形而上学的思考の弱点を指摘しつつも、それが一定の歴史的に根拠をもって発生してくるものであり、その必然性もあるんだということを主張しています。これは、ここでヘーゲルが「分析的思考を理解し、その価値と位置をわきまえているんだ」との主張していることと重なっています。エンゲルスの念頭には、ヘーゲルのこの箇所があったんじゃないでしょうか。また、「世界史のあゆみというのは、もっと高い次元をうごくものだ」との指摘ですが、これは、レーニンが『哲学ノート』でヘーゲルから抜粋した箇所の一つ(全集第38巻、P278)でもあります。レーニンもまた、やはりここで指摘されている認識に注目していたとおもいます。3、ここでヘーゲルが強調している指摘があります。(P124、第34節)「きっぱりといわねばなりませんが、アジアの両国家(中国とインドですが)には国家の本質をなす自由の概念の意識が欠けている。だから、中国の道徳法則は、自然法則のような、外部からおしつけられる命令であり、強制法と強制義務であり、さもなければ人間相互の礼儀作法です。共同体の理性的な規律を心情的な道徳に転化するのに必要な自由が存在しないのです。道徳は国家の仕事であり、官吏や裁判官によって処理されます」(P124、第34節)。もちろん、1820-31年に書かれたヘーゲルの『歴史哲学』です。日本では江戸時代です。時代とともに社会は、そして認識は変わってきているわけですから、この指摘が、そのまま今の事態ではないことはもちろんなんですが。しかし、ヘーゲルがここに込めた認識、ここには「自由の概念の意識が欠けている」との民族精神の特徴ですが、そして、その弱さを自覚し・克服していくこと。そうした前進が求められているとの課題の指摘ですが、これは、今日の私たちにとっても大切な助言じゃないでしょうか。日本社会も長く上位下達の時代が続きました。封建制のお上の命は絶対の時代が続き、近代に『門閥制度は親の仇でござる』と福沢諭吉が述べれる時になってからも、自由というのを国民が本当につかむにためには、さまざまな試練があるし、もっているんじゃないでしょうか。つぎは、「三、世界史の概念とイメージ」ですが、今回はここまで、続きは次回とします。
2023年10月16日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習もいよいよ最終段階ですヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習をすすめてきましたが、C「世界史のあゆみ」c「世界史のすすみかた」まで、いよいよ、その最後の部分に来ました。あらためて、「どうして、今どき、ヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習なのか?」自分自身に問い返してみました。それは、ドイツ古典哲学の巨匠で、科学的社会主義の源流ともなっているヘーゲルです。その名前こそ有名ですが、哲学者や研究者の人たちは別ですが、一般の私たちにとっては、その著作を読む機会はなかなかないんじゃないでしょうか。また、これまでに読もうとした人でも、その著作を開いて、その難解な表現や印象から、途中で放棄してしまった人もかなりいるんじゃないでしょうか。まあ、私などもずーっとそうした一人だったんですが。しかし、わからないなりにも何回か読んでいるうちに、私など素人でも、ヘーゲルの素晴らしさを感じるところが出てきたんです。「弁証法とは何なのか」、「世界史のあゆみのなかに自由の広がりがあるとは」、「人は民族の子である、それとともに時代の子であるとは」、「必然性をつかむと主体的自由になるとは」、「無限な世界にたいして限られた人はどう認識していくのか」などなど。その文章は難解な表現なんです。だけど、その中にはこうした問題提起があるし、玉石混交な形ですが、それに対する答えが提起されているんです。マルクスやエンゲルス、レーニンと科学的社会主義の先人たちは、また世の哲学者や科学者の人たちは、そこから何をどう学なびんだのか。それを今日に、それぞれの分野に、どう生かしているのか。そこに注目するし、問いかえされます。そうなると、孤立していては駄目じゃないですか。いろいろ議論も必要になるじゃないですか、切磋琢磨が必要になるじゃないですか。しかしながら、私などの周りでは、そうしたことを語り合える人や場所がなかったんですね。そうであれば仕方ないじゃないですか。自分の学習をブログで発信するようにして、ひろい人たちからご意見や感想を聞こうとの次第になったわけです。しばらくは壁に向かって何年と、馬耳東風、無反応がつづく達磨大師のような感もあったんですが、さいわいにして、この間に、ご意見やアドバイスをいただける方もでてきて、「序論」の終わりのところまでこれた。あと残り少しのところを、すすみつつあるところです。
2023年10月09日
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『貞享(じょうきょう)騒動をたずねて』を紹介しますこの9月末に、長野県安曇野を、50年前の同窓会だったんですが、旅してきました。その中で、「貞享(じょうきょう)騒動」ということを、はじめて知りました。江戸時代、貞享3年(1686年)に、この地-松本藩であった農民一揆です。私などは、これまで、この事件をまったく知らなかったんですが、これが多田加助、この一揆の中心者で磔の刑にされた人物のお墓です。当時は、お上の命令に盾つくこと、要求を出すこと自体が、命がけだたんですね。この場合も、訴状をつくった中心者はキリストと同様に磔(はりつけ)、その家族は、その男子は、子どもまで、獄門(打ち首)で獄門台にさらされ、家財はすべて没収されたんですね。しかし、それをも覚悟の上での、農民の要求を訴えざるをえなかったということなんですね。それに対して、現代というのは、戦後の民主主義憲法のもとというのは、その民主主義社会というのが、どれだけ実態になっているか、その問題はあるんですが、ともかくも、今日の時代が、国民に主権があり、国民の意思の代表により政治が行われるとの基本原則とされ、国民はだれしも自由に自らの要求を政治に表明することができる。それは、今日では当り前のことですが、それ実現させるべく自由に運動できることが権利として認められているわけで。これは大きな転換ですね。しかし、それとは反対の事態が、江戸時代以前からずーっと続いてきた。つい80年前の1945年にいたるまで、治安維持法が廃止されるまでは、そうした事態が続いていたんですから。日本人の国民性のなかに、あきらかな悪政にたいしてきっぱりとものを言わない、踏んだり蹴ったりの状況なのにながいものにはまかれろ、どんな無茶苦茶でもお上に盾つくことは自分のためにならない、等々の習慣が、何百年の習慣が、自然と無意識なうちに身にしみついているというのも、わからないわけじゃないじゃないですか。ともかく、現代というのは、戦後民主主義の憲法下では、民主主義がだれしもの前提となっているはずのものです。自動的にそうなったわけではなく、国民の努力によりそうなったわけですが、これはありがたい歴史的な獲得物であり、生活条件じゃないですか。そのことを、今回の「貞享(じょうきょう)騒動」の経過と説明を聞いていて、私などは感じさせられました。この記念館で、説明者の話を聞いた時に、たまたまですが、『なにか、これを解説してくれてる文書は無いんですか?』とのひと言から。この一揆の経過をまとめた本-安曇野市教育委員会が発行した『貞享騒動をたずねて-「二斗五升」に命をかけた義民たち』(2018年3月刊)が紹介されました。たまたまこの会話が出たとき、その近辺にいた四人だったんですが、多くの参加者は次の順路にすすんでいったんですが。私はたまたま、その会話を耳にしました。そしてその本の中身も知らないままに、本をわけてもらったんです。これがその本です。この本の「貞享一揆」(1686年11月)の紹介ですが、旅から帰って、昨日、ざっとですが、一気にでしたが、この本に目をとおすこととなりました。というのが、この本はじつに貴重な記録で、迫真の資料で書かれていたんですね。それがわかるから、すーっとつぎからつぎへと読めちゃうんですね。一晩で、読めちゃいました。ふつう、「農民一揆」と言えば、教科書の記述や歴史研究者の解説をとおして、とおく江戸時代の農民一揆のことを、その筆者の主観をとおして、「だいたい、そうしたものだろうなぁ」との推測と想像力によって『紹介』されているじゃないですか。もちろん、この『貞享騒動をたずねて』だってそうした面はあるんですが。しかし、この本の基本的に違うところですが、この一揆が、その時のなまの資料によって、それを基本においたうえで、この事件の様子が紹介されていることです。たとえば、これは農民たちが出した五か条の訴状(要求書)です。「御訴訟口上の覚」そして、これは、松本藩のだした「覚」、すなわち松本藩の側から農民へだした第一次回答書です。その要求の中身の一つですが、年貢が一般には以前は、そして周辺では俵一俵のなかに入れるお米が「二斗五升」(三公七民)なのに、当地では「三斗」(五公五民)とされていた。ところが、不作・凶作の事態になったのに、「三斗五升」(七公三民)とせよとの命令がなされた。五つの要求ですから、農民たちの要求はその他にもあるんですが、中心は、以前のように、まわりのように、「二斗五升」にしてほしいという趣旨ですが。そのことをふくむやりとりが、原文がのこされていて、これが紹介されていたんです。くりかえしになりますが、私などの注目したのは、「訴状(要求書)」にしても、「回答書にしても」、事件に関連することが、ここではなまの文書が残されていて、それをもとにして紹介されているんですね。だれかれの言い伝えや研究者が主観的に考えたことじゃないんです。直接のなまの資料によって紹介されているんです。1686年にかかわる関係文書が、そのものの原文が残っていて、それによって一揆の経過が紹介されているんです。ミミズがはったような文字でして、もちろん専門家でないと読み取れないと思うんです。どこかの外国語の文字の様な感じもしてくるような、今の活字や文章とはまったく違う、疎遠な感じがしてしまうんですが。古文書というのは一般的にそうしたものですよね。しかし、この原文と、それを読み下した文章とをつきあわせて、じっと照らし合わせると、重なってきてわかってくるんですね。解読できるんです。とうじの当事者たちの生の声が、こころもちすらが、じわじわと見えてくるんです。これって、すごいとおもいませんか。この本は、事態の流れを、当時の人たちのなまの要求や声を、そのやりとりを紹介したものなんです。研究者たちが勝手に考えたり、解釈した歴史像ではないんです。まさになまの直接資料なんです。これによって、日本の封建社会というものが、江戸時代の農民の暮らしというものが、どのようなものであったのか、身分制度とか、お上の命令の絶対性とか、そのもとでも農民の命をかけてまでも、譲れない要求がある。それをどうやって実現しようとたのか。そこにはどのような配慮が必要だったのか。その結果、どうなったのか。その当時の人が、現実に人が直面した問題の一端が、事態が、具体的に見えてくるんですね。現実的に江戸時代の歴史状況というもの、そのものを知る手掛かりとなる資料じゃないでしょうか。私などが同窓会の旅先で、たまたま手にした本なんですが、帰ってから目を通してみました。そして、これはじつに貴重な、日本の歴史をおしえてくれる本だと感じました。同時に、残念なことに、この本をどれだけの人が知っているか。現地・安曇野の関係者以外には、ほとんど知られていないんじゃないでしょうか。この旅に参加した人たちでも、そこにいあわせた4名以外は知らないわけです。そうだとすれば、まったく「もったいない」と思って、紹介させていただきました。『貞享(じょうきょう)騒動をたずねて』著者-田中薫、清水祥二発行-安曇野市教育委員会 電話0263-71-2000定価-1000円
2023年10月06日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ b歴史のはじまり(2)『歴史哲学』序論のC.b「歴史のはじまり」ですが、三つにわけてみました。一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか。P102の第8節から二、何をもって「歴史のはじまり」とするか。P106の第11節から三、インドとの出会い。P110の第16節から今回は、二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、です。ヘーゲルは「国家の登場とともに歴史叙述ももたらせる」(109)としていますが、どうして歴史のはじまりが、国家の登場が登場することともに生まれるというのか?1、ヘーゲルは歴史叙述がつくられるための、三つの要因をあげています。①「理性がたんなる可能性の状態ではなく、理性がこの世界に存在し、意識や意思や行為のうちに、理性が認められる状態をもって、歴史のはじまりとなす」(P106)ヘーゲルはなにを言いたいのか。前回紹介しましたが、この「歴史のはじまり」の冒頭で、『聖書』の創世記にある7日間での天地創造の話を「これこそ歴史的事実であり信頼できるとおしつけてくる」ものとして、その歴史論に対して、ヘーゲルは「ゆるされない、つくり話の想定じゃないか」と批判しました。啓蒙と迷信とがまじりあう世界の中にあって、「歴史のはじまり」には、理性的な精神が要件としてもとめられている、と言っていると思います。②第二は、そうした理性的な精神が統一した、一個の『人格』をもつような人が出てくるようになる。「精神の統一がすすみ、人格の意識が生み出されたとき、暗く頑固な核(個人)がようやくあらわれる」。しかしそれだけでは足りない。その個人が自然や精神との関係において明確な関係をつくるには、「自己を意識していく意思の、長期にわたる広範な教養形成の活動が必要なのです」。③第三に、そうした長期にわたる活動の結果として、人は共同体のなかでの自由を獲得するようになる。共同体の中での自由とはなにか? 「自由とは、正義や法律のごとく、共同体全体にかかわるような対象を知り、それを意思し、正義や法律にふさわしい現実を、すなわち国家をうみだすことにほかならない」(P107)この三つの要因というのは、国家の成り立ちのことですね。すでに国家論については「B歴史の理性、c自由の実現体としての国家」で展開してきました。これは、それを要約したものですね。それを要約することで、ここでヘーゲルが言いたいことは何か?それがここでの主題となる、その国家の成立と、歴史=世界史のはじまりとの関連の問題。国家り成立と歴史のはじまりとがどのように関係しているか、この問題ですね。ヘーゲルのこの箇所の国家論をよむと、これは要約ですから一面では、三段跳びで論理的必然性を、関連性を追求していることがうかがえます。それは仕方ないんですが。他面、これらは論理学的な問題ではなくて、事実材料から引き出されなければならない問題です。しかしこの点では、その材料がまったく足りない。一人では無理ですが、また時代の制約もあります。その限りでは、ヘーゲルの展開は『洞察』なんですが、すばらしい洞察ですね。2、次に、国家を形成する以前の人類の歴史について、ヘーゲルはふれています。「民族は国家を形成する以前に、長く国家のない状態ですごすことがあります」「こうした歴史(国家の成立)以前は、私たちの関心の外にあります。」(第12節 P107)。ここでは、国家の成立することの意味をヘーゲルは主題としていますから、そこに焦点を当てていますから、その限りで「関心の外」と述べているんだと思います。しかし、まったく「国家成立の以前の人類のあゆみ」に関心がないかと言えば、そうではないんですね。第13節には、「20数年前来のサンスクリット語の発見と、それとヨーロッパ語とのつながりの発見は、新大陸の発見にも比すべき歴史上の大発見です」と、その関心のある注目のほどを語っています。(サンスクリット語というのは梵語のことだそうです。ということは、仏教を介して、日本にも伝わっている。「旦那」というのも、それからきているというんです。仏事だけでなく、日常にもつながっている)このサンスクリット語の問題というのは、「国家=歴史」以前のことじゃないですか。ヘーゲルといえば、「エンチクロペディー」の博学の人ですから、歴史以前のことでも「関心の外」など言うことはまったくないんですね。あくまでも、ここでの文脈からしての表現だと思います。もう一つの問題は、時代の制約もあるかと思います。考古学というのは、ヘーゲルの1820-30年頃というのは、まだほんの兆しの段階だったんじゃないでしょうか。シュリーマンのトロイ遺跡の発掘だって1870年くらいじゃないですか。材料がごく限られてたとおもいます。ただ、ここでは、ヘーゲルが、民族には国家(歴史)の成立以前の長い状態があることを意識していること、新たな発見に注目していたということ、それは確かです。3、本題です。なぜ、国家の登場とともに、歴史叙述があらわれるのか?ここで、ヘーゲルは、ドイツ語の「歴史」には、客観的な面(なされたこと)と主観的な面(それを認識して表現したもの)の、二つの面を意識しており、それを統一させていると指摘しています。歴史叙述は主観的な表現の中にあるわけですが、そこには家族の家伝書もあれば、民族の伝承もある。では、歴史叙述というのは、どの様な中で出てくるのか。①歴史家と歴史叙述がどのような要請により出てくるか。(第14節 P109)「国家をつくりあげるにいたった共同体は、その場の必要を満たす支配者の主観的な命令にかわって、万人にたいしてどんな場合にでも適用できる規則や法律を必要とし、こうして、明確な内容をもち、結論が持続的な価値をもつような、行為や事件にかんする分かりやすい報告が書かれることに関心をもつ」「そうした行為や事件の思い出に持続的な表現をあたえ、それにより国家の形態や性質に確固とした基礎を与えることが歴史家に要請される」「理性的な法律や道徳という形で外面的に存在する国家ですが、現在のうちに完全に存在するとはいえない。それを総体として理解するには、過去をも意識する必要があるのです」。ここに歴史叙述がつくることの要請があるとヘーゲルは言っているわけです。この限りでは、ごもっともなんです。プロイセンの専制君主でも了解するでしょう。しかし、国家は現在のうちに「完全な形で存在していない」わけで、それは問題や課題をもっている国家なわけで、それをどう描くかは、それぞれの人の立場が出てくると思うんですね。ヘーゲルの場合、帝国大学教授ですから、状況に対する配慮からして、これが一般的に言いうるところの限度ということでしょうか。批判精神が問われるところです。もう一つ、このヘーゲルの国家論には、階級対立の社会にあるわけですが、その中には階級支配の側面もありますが、同時に公共的な側面、人権的な的な側面があることをとらえています。ヘーゲルの場合、フランス革命を間近かに体験しています。日本だって、鎌倉幕府の式目の制定、江戸時代の武家諸法度などには、限られた支配階級のなかではありますが、恣意的な都合のなかに「法の支配」の側面があるとおもいます。現代でも、『恣意的な都合のなかに「法の支配」』ということが、憲法に対する政府の態度をみても、恣意があちこち見せつけられるわけですから、ヘーゲルが批判的に指摘している点は今日的ですね。②ヘーゲルの結論です。「歴史記述があらわれる以前に民族が経験した、数百年ないし数千年におよぶ革命と遍歴と大変動の日々は、主観的な歴史たる歴史物語が存在しないがゆえに、客観的な歴史として存在しない時代です」。「国家ができて法律が意識されるときはじめて、明瞭な行為が、さらには行為にかんする明瞭な意識があらわれ、ここに歴史を保存しようとする能力があたえられ、保存の必要も感じられるようになります」。私などはこれまで、この前段の「主観的な歴史たる歴史物語が存在しないがゆえに、客観的な歴史として存在しない時代です」ですが、これはヘーゲルの観念論からくる主張だとよんでいたんですが。今回はよく判りませんか、必ずしもそうじゃないのではと、感じています。ここは翻訳の問題もあるんじゃないでしようか。意訳すると、つぎのように読み取れます。ア、主観的な歴史書がないのは、失ったんじゃなくて、元々からしてそれがなかった。イ、なぜなら、そうした歴史書をつくることを要請する客観条件・必要性が存在しなかったから。ウ、その意味で、「客観的な歴史として(が)、存在しない時代」だった。わたしなどは、語学に疎いものでして、おこがましいことですが、ヘーゲルの言おうとしている意味としては、こういうことじゃないかと思ったんです。このように理解すれば、後段の文章が、その事情を解明しているものとして、関連が生きてきます。とにかく、「なぜ国家ができると、それは歴史叙述を必要とするのか」この問いに、ヘーゲルが答えた個所が、この部分だとわかりました。ヘーゲルが洞察したその関連ですが、ここで述べられています。今回は、以上です。
2023年10月02日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C.世界史のあゆみ b.歴史のはじまり(その1)『歴史哲学』序論のC.b.「歴史のはじまり」ですが。「岩波文庫」(長谷川宏訳)ですが、C「歴史のあゆみ」の文節に通し番号をつけました。今回のb.「歴史のはじまり」は、P102の第8節からP112の第18節にあたります。b.「歴史のはじまり」を、3つの論点に区分してみました。一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか。P102の第8節からP106の10節まで。二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件についてです。第11節から第15節まで。三、ヘーゲルは、インドとの出会いから何を学んでいるか。第16節からです。今回は、一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか、です。冒頭でヘーゲルは問題提起しています。「一般に、精神の歴史のはじまりを、概念的にどうとらえなければならないか」(第8節、P102)簡単に言えば、歴史のはじまりとは何か?です。他方、「歴史のはじまり」の章のしめくくりですが。「国家があらわれ、形成がはじまったところで、歴史は意味をもつ」-これがヘーゲルの結論です。どうして、「歴史のはじまり=国家」なのか?これが最初の問題です。前提として、当時のドイツですが。ヘーゲルが『歴史哲学』をベルリン大学で講義していたのは、1821-1831年です。1789年には隣国フランスで市民大革命がおきました。『精神現象学』を刊行した1807年には、ドイツはナポレオンとの戦争に大敗しました。国内が何百という諸邦に別れて統一を欠いていた。この状況を改革して統一した国家をつくるが課題としてありました。他方、ナポレオン失脚後のウィーン体制、神聖同盟の反動化の流れが交差していたんですね。1、最初にヘーゲルは、「歴史のはじまり」をしめす二つの認識を取りあげます。一つは、ロックやルソーの「自然状態」の考え方。もう一つは『聖書』の創世記に書かれている歴史のはじまりです。それぞれこの時代に、それまでは、一般的に想定されたり信じられていた疑うことのない認識だったんでしょうね。(第8節) 注目するのは、この二つに対するヘーゲルの批評です。「自然状態」については、それは「仮定にもとづく反省の上に立って、こうした歴史事実があったんではないか、といううすぼんやりした想定されたものにすぎない」。『聖書』の創世記にたいしては、「これこそが歴史的事実であり、信頼するにたるものだと押しつける」、これは「ゆるされない、つくり話の想定じゃないか」と。(第9節)ずいぶん辛辣な批判だと思いませんか。200年前に帝国大学の総長をも経験する人が、教壇でこんな言葉から講義にはいっていった。おもうに、ここにはカント以来のドイツ古典哲学の批判的精神が、理性以外の何ものにも屈しないとの批判的精神の、ヘーゲルにおける継承が見て取れるんじゃないでしょうか。本人もすごいけど、まわりの人たちもすごいですね。 その上で、次の「二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件について」にすすむわけです。2、そこにすすむ前に、ここにヘーゲルが「原注」添えています。岩波文庫の長谷川訳では()にいれてますが。そこでは、当時のフランスの4人の歴史認識を紹介しています。これは当時の歴史の動向を示しているんじゃないでしょうか。①カトリックの正統性を説くラムネ―(1782-1854)、②東洋学者のアベル・レミュザ(1788-1832)、③サン・マルタン(1743-1803)、④フランス外務省の歴史編纂エクシュタイン(1790-1832)の4人ですが。当時のフランスでは社会的に著名な歴史家たちだったんじゃないでしょうか。この当時の時代を大きく見れば、イギリス、スペイン、オランダ、フランスなどは、市場と資源をもとめてアジアに航路をひらいていた。ヘーゲルの時代には、交易の広がりにより、インドや中国について、古代の文献、神話や宗教や歴史に関する紹介や研究が盛んになりだしていたんじゃないでしょうか。『歴史哲学』の本論には、インドの仏教、孔子や老子の思想についても、かなりの認識をもっていたことがわかります。ヘーゲルはこんなことを講義で述べてます。古代のアジアの、インドや中国の知識が紹介されつつあるが、それを知ることの「学問的関心にもとづく大がかりな迂回によって、カトリックの理解(現在と過去の)も深まるはずです」(第9節)。「こうした研究上の興味が、多くの発見を確かにもたらすが、同時に、起源の探究は宗教的真理に直接刃向かうことにもなりかねない。歴史上の事実として前提されていることが、まずはじめに歴史的に実証されなければならなくなるからです。」(第10節)ちょっと別になりますが。日本も対象になってきます。古くはイエス会のザビエル、ケンベルがいますが。ヘーゲルの1820-30年頃というのは、明治維新の35年前の江戸時代の末期です。ドイツ人のシーボルトがオランダの館長として1823年にやってきます。『江戸参府紀行』という見聞録を残しているそうです。(島泰彦著『東洋社会と西欧思想』緒論1941年で紹介)。『大君の都』のオールコック(1809-1897)が来たのは1859年です。西欧もアジアに進出して知りつつありますが、日本も世界に目をひらく目覚めがはじまるわけです。3、このヘーゲルの「原注」を読むと、レーニンの感想がうかびます。レーニンは1914年に『大論理学』や『歴史哲学』を学んでいて、ノートを残しています。その『歴史哲学』を読んでの最後に、次のような二つの感想を書いてます。「一般的に言って、歴史哲学はたいして教えられるところがない。これは当然である。なぜなら、まさにここで、まさにこの領域で、まさにこの学問で、マルクスとエンゲルスは最大の前進を遂げたからである。ここではヘーゲルはもっとも古くなり、そしてもっとも陳腐である。」「注意 もっとも重要なのは序論であり、そこには問題提出に素晴らしいものがたくさんある。」(『哲学ノート』全集第38巻 P283)この前段の感想ですが、ア、その後に急速に、世界各地への認識が広がりつつあった中で、ヘーゲルの「原注」にみられる当時の世界認識は、いたって限られたものでした。その後の広がりからしたら、そのギャップに、そうした感想を持つのもわかります。はじめて世界のあゆみをとらえようとする壮大なヘーゲルの挑戦ですが、新たな発見により陳腐になる側面をいっぱいもっているわけです。イ、しかし、私などは注意が必要だとおもっています。この『哲学ノート』は、1914年の限られた時間に、世界戦争が広がるなかで、レーニンがヘーゲルの諸著作を学んで感じた第一印象なんです。個人的なノートの手記なんです。刊行されるなどとは思ってもみなかったはずです。だから率直な印象なんです。もしも、刊行されるものだとしたら、もっといろいろ検討して、別なヘーゲル紹介になっただろうと思うんです。手記と推敲された刊行物とでは、姿勢が違うんですね。手記を公的なもののように扱ってはならないんです。前年・1913年に刊行した「マルクス主義の三っの源泉と三つの構成部分」では、「エンゲルスの『フォイエルバッハ論』や『空想から科学へ』は、『共産党宣言』とならべて、かならず座右におくべきもの」としています。この二冊は、科学的社会主義の学ぶ上で、ヘーゲルの業績を評価し、その問題点を明らかにしたものじゃないですか。「陳腐」などの印象論を、書くなどということは、絶対にしなかっただろうと思います。ウ、私などが『歴史哲学』序論と第四部「ゲルマン世界」を読んでの感想ですが。ザーッと読んだだところ、本論はここにはチンプンカンプンなところが沢山でてきたんです。何しろわかりにくいヘーゲルの表現なんですが。だけど、じわじわと感じてきたのは、世界史のあゆみを、アジア-ギリシャ・ローマ-ゲルマンの大きな歴史的発展を、その全体をまとめようとのヘーゲルの大作業というのは、素晴らしい挑戦じゃないでしょうか。そして「序論」を読んでいくと、「序論」は本論を読むための手引きなんですね。断言的に書かれているのは、「本論」や「論理学」から引き出された結論で、ここだけで理解できるものではないんですね。そして、そのことを、ヘーゲル自身が序論でアドバイスしてくれていたわけです。たしかに、ヘーゲルには、エンゲルスが指摘している問題があるんでが、しかし、何十年にもわたり、ヘーゲルを検討しつづけたエンゲルスは、「天才」とも敬意を表しているんです。弁証法はもちろんですが、様々な分野で随所にすごい洞察や思想がのこされてるんですね。私などは、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』(第四部ゲルマン世界)を学ぶ機会がありました。これは、これで、すでにブログにて紹介しましたが。一番の感想は、ヘーゲルの『歴史哲学』というのは、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』をまとめる上で、その基礎にある著作だということ。ヘーゲルをどの様に学ぶべきか、学び方をアドバイスしてくれているのが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』だということでした。ようするに、エンゲルスの意図は、科学的社会主義の唯物弁証法と唯物論的歴史観とは何か、その過程と内容をあきらかにすることですが。それをつくる基礎、過程において、ヘーゲルがはたしている役割、意義がどういうものだったのか、その今に生きている業績を明らかにしようとした、ということです。そうであるからこそ、レーニンは世界戦争が広がる中で、そんな大変な中でも、ヘーゲルそのものの著作を(『大論理学』「哲学史」「歴史哲学」など)学ぶ必要があった。また、実際にそれをやったんですね。そこには、世界戦争からどのようにしてぬけだすのか、問題だらけの現実ですがそれを変革するためには。そのヒントの一つとしてヘーゲルの学説を探ろうとした。私などはそう思っています。今回は以上です。次回は、「C.(b) 二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件について。第11節から第15節まで」です。あと少しです。
2023年09月24日
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