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進化や自然淘汰について書いた本。
ドーキンスの科学を信仰みたいなものとみなす人の論破とか、先祖をさかのぼるごとに先祖が二倍に増えていく計算があわないのはいとこと結婚しているからだとか、漸進的なダーウィン主義を疑う聖職者がハチに擬態して受粉するランの進化は奇跡的に完全な進化がおきたのだというのに対してランもハチのダンスもカメラ型の目も漸進的に進化しているのだという反論とか、あらゆるものに「なぜ?」を問いたがって生物体にもリバースエンジニアリングしようとするけれどそれは間違っているとか、自己複製子臨界点、表現型臨界点、自己複製子チーム臨界点、多細胞臨界点、神経系臨界点、意識臨界点、共同的技術臨界点、電波臨界点、宇宙旅行臨界点などの臨界点を超えると自己複製が爆発的におきるということが書いてある。口語で書いてあるうえに230ページくらいしかないので一時間ほどで読み終わる。読みやすくてそれなりに面白いものの新しい研究成果が載っているわけでもないし、一時間の講演のようなものと考えると暇つぶしとしては高い。
神を信じている欧米人にとってはドーキンスが一貫して科学と進化論を擁護してビシバシ宗教を否定する本の需要があるのかもしれないけれど、信仰心がない日本人にとっては科学の話だけでいいよと思う。
さて遺伝子の自己複製の話は複製芸術である文学を考えるのにも応用できるかもしれない。文学が読まれるか読まれないか、古典として残るか作者が死んだら消えるか、というのも文学の進化と自然淘汰である。というわけで文学にまつわる状況に変化が起きて本の自己複製が増えた臨界点を考えてみる。
・識字的臨界点平安時代は律令を読み書きする男性貴族や経典を読んで写経する僧侶くらいしか文字を読み書きできなかった。書物はちゃんとした教育を受けて漢字を読めるようになる身分の人専用で、それ以外の人には広がらない。
・表現的臨界点漢字のほかにひらがなが使えるようになると女性が文学作品を読み書きするようになり、男性もひらがなを使うようになる。掛詞や押韻などの表現が使わて、連歌や本歌取りなどの多様性につながっていく。
・視力的臨界点1285年ごろにイタリアでめがねが発明されて、フランシスコ・ザビエルが1551年に日本にめがねを持ってくる。そうすると近視や老眼で本が読めなくなった人も本を読めるようになる。
・製本的臨界点一枚一枚手書きで複写していたころは製本に時間がかかっていたので、本の大量複製が物理的に困難で手に入れられる人が限られていた。しかし13世紀に日本に中国から活字印刷技術が伝わると本を大量に印刷できるようになって、手に入りやすくなる。
・金額的臨界点紙は高級品で庶民は和本を買えなかったものの、江戸時代には安価な草双紙が出てきて貸本屋が現れて、寺子屋で読み書きを学んだ庶民の間で読まれるようになる。大正時代には円本ブームがおきて本が安くなって、家庭に本が普及して読まれるようになる。
・光源的臨界点昔の夜は暗くて火皿に油を入れた灯台や行灯では暗くて風で消えやすかったので夜には読書はしにくかったものの、江戸時代にろうそくが使われるようになって明かりが消えにくくなり、明治時代に家庭に石油ランプが普及してからは夜にも読書できるようになり、夕方に仕事が終わってから夜に寝る前までの時間を読書に使えるようになる。
・内容的臨界点庶民が本を買えるようになると好きなジャンルを選別するようになり、純文学やミステリやSFなどの各ジャンルの競争が起きる。そこでオチがつくプロットや名探偵と助手のコンビのストーリーテリングやタイムスリップような面白い内容が人気になって、つまらない本は自然淘汰されて読まれなくなる。
・ジャンル的臨界点各ジャンルが技術的に洗練されて内容が横並びになってアイデアが出尽くして飽きられて行き詰ると、ジャンルの壁を越えた小説が読まれるようになる。たとえば村上春樹は純文学でデビューしたものの純文学のジャンルを外れて、純文学や恋愛やファンタジーやミステリーの要素をちょっとづつ詰め込んでジャンルの枠にとらわれない読者をつかんだ。筒井康隆も純文学とSFをまたにかける猩猩として人気になった。
・物流的臨界点巷で人気の本があっても取次ぎの問題で地方の本屋の店頭には並ばない。2000年代のITブームでイーコマースが隆盛してオンライン書店が直接家に本を配送するようになって、日本全国の読者がほしい本を買えるようになる。
・宣伝的臨界点インターネットが普及する前は新聞や雑誌の書評で偉い人が太鼓判を押した小説や賞を受賞して権威付けされた小説を読んでいたものの、新聞や雑誌を読まない人には宣伝効果がない。インターネットが普及してからは友人や知人のTwitterのリツイートやSNSのイイネ経由で本に興味をもつ機会が増えて、広告宣伝費が少ない零細出版社の本でも口コミで話題になってベストセラーになったりする。
・販売的臨界点いくらオンライン書店が本を自宅まで届けるといっても絶版の本は買えないし、読みたい本が近所の図書館に置いてあるとは限らない。電子書籍元年の2010年から実用的な電子書籍サービスが本格展開して、電子書籍化されてデータベースにアーカイブされた本をいつでも読めるようになる。
・言語的臨界点日本語で書かれた本が外国語に翻訳されると世界中で読まれるようになる。
・学術的臨界点話題になった小説でも作者が死んだら忘れられて読まれなくなる。しかし一過性の流行でなく歴史的・文化的に価値がある文学だとみなされると、古典として研究されて何百年も複製されて読みつがれるようになる。
・理解度的臨界点いくら古典が読みつがれるといっても時代が隔たるごとに難解になって理解しにくくなる。そこで古典の現代語版や解説書や批評が出版されて理解度が高まることで度々ブームが起きて、他の作品のネタ元になって複製の幅を広げる。
臨界点と呼べるかどうか微妙かもしれないし他の臨界点もあるかもしれないけれど、こういういくつかの臨界点を経て文学は自己複製を段階的に増やして現代では大勢の人に読まれるようになったのだろうと思う。出版業界の不況やら若者の活字離れやらをどうすればいよいのかというと、この臨界点のどの段階で行き詰っているのか、あるいは次の臨界点を見つけられるかが問題である。読むに値しないものを電子書籍化しようが外国語に翻訳しようが結局読むに値しないので、粗製乱造された本の内容がだめなのが原因だと思う。アニメやゲームとかの他の娯楽と競合して時間の奪い合いになって若者が活字離れしているという意見もあるけれど、本にアニメやゲーム以下の価値しかないのは本というメディアの問題でなくて内容の問題である。図書館が面白い蔵書だらけなら若者は無料ゲームをやる代わりに図書館に入り浸るはずだし、小説がアニメより面白いなら若者は深夜アニメを見ずに徹夜で小説のページをめくるはずだし、作家にカリスマがあればトークショーやサイン会に人が殺到するはずである。出版社が目先の資金繰りのために価値がない本を作ってヘボ作家と馴れ合っている一方で出版不況の原因を他のものに転化しているようじゃこの先ずっと出版不況は続くと私は思う。
★★★☆☆
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