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ツルゲーネフ『片恋・ファウスト』恋愛小説の短編集。
「片恋」はNが20年前に25歳だったときの話を語り、失恋して旅していたら金持ちで画家志望のロシア人のガーギンとおてんばな妹のアーシャと知り合って、Nはアーシャは妹ではないと気づいてガーギンに話を聞くと孤児を引き取って育てていたのでNは興味を持って、アーシャがNを好きになって密会場所に呼び出されるもののNは結婚するつもりはなかったのでガーギンと打ち合わせして適当に返事をしたらアーシャは傷ついて旅立ってしまう話。一人称の独白形式。「そのとき私は二十五でした、──とN・N・が話し始めた。」という冒頭で始まるものの、Nが誰に対して話しているのか、なんでいきなり20年前の話をしたのか不明で、語りの形式としては不完全。恋愛=結婚という時代の話のせいか友人という選択肢がなくて、告白失敗でいきなり絶縁というのは恋愛小説を読みなれた現代人にとっては唐突なオチで物足りない。そこからの駆け引きが恋愛小説の醍醐味だろうに、アーシャが初恋にのぼせ上がってから失恋するまでを書いた小ぶりな話になってしまった。
「ファウスト」は故郷の村に戻ったBが昔好きだった幼馴染のヴェーラと再会して、ヴェーラは小説嫌いの母親の命令で小説を読んだことがなかったのでBがゲーテのファウストを朗読したらヴェーラは自分の恋愛感情に気づいてBが好きだと告白するものの、母親の亡霊を見て病気になって死んだのでBは後悔してるということをVに手紙を書いた話。Bの一人称の書簡体小説だけれど、Vからの返事がなくてBの手紙のみの形式。自由を制限されて育った純粋な女に自由な小説の世界を教えようとして失敗したというテーマはよいものの、母親の亡霊をみて死亡というよくわからないオチはなんとかならなかったのかと思う。「ファウスト」のあらすじを知っていないと理解できないような内容で、他の作品に内容の重要な部分を依存しているのはよくない。
さて「ファウスト」のヴェーラの母親は「あなた、文学の本を読むのは、有益でもあれば、愉快でもある、とおっしゃるんですね……ところが、わたしはこう思いますの──この世のことは、有益な方か、愉快な方か、どちらか一つ前もって選ばなくちゃなりません。それから、永久にきっぱり決めてしまうのです。わたしも以前、その両方を結び合わせようとしたことがありますけれど……それは不可能です。そして滅亡でなければ、俗悪に陥るばかりです。」(p110)という意見で、娘に小説を読ませないようにして育てて娘を守っていたけれど、はたして小説は滅亡か俗悪につながるのか。 エンタメは人間にとって役に立つのか については前も考えたけれど、もうちょっとコンテンツの有害性と規制について考えることにする。
日本で未成年が殺人事件が起こすとしばしば○○から影響を受けたと小説や漫画やゲームが槍玉にあがって、一時期はゲーム脳が云々と科学的根拠がないことを言い出してレッテル張りされた。しかしそもそも人間社会自体が多かれ少なかれ何かしら有害で、独裁だの汚職だの格差だの差別だのいじめだのドラッグだの殺人だの戦争だのなんやかんやの問題があるのだから、フィクションというジャンルが有害というよりは現実を模したものは何でも有害になりうる。それを丸ごと排除するよりも現実の有害性を疑似体験して免疫をつけるワクチンのようなものとして扱えば、有益と愉快が両立しうると私は思っている。逆説的だけれど、毒にも薬にもならない無害なものよりも愉快な毒のほうが使い道があるぶん役にたつ。もし社会の有害さを知らずにぬくぬく育った子供がそのまま社会にでるとかえってひどいことになりかねないので、どんな知識も知らないよりは知っていたほうがよいし、社会の暗部を知った上で知識の使い方を間違えないように理性を働かせればよい。理性を働かせてくだらないと思ったフィクションはそのうち読まなくなるし、知識が増えるにつれて間違っているものがなぜ間違いなのかを理解できるようになる。規制派は子供には理性がないから規制しようとするけれど、規制よりも理性を働かせる訓練をするほうが重要だろう。
有益と愉快が両立しないものとして批判されるのは、子供がフィクションを娯楽として夢中になって消費して学校の勉強をおろそかにする一方で、フィクションにはっきりとした教養の効果が見られないのが原因だろう。間違いがなぜ間違いなのかを考えたり、くだらなくて役に立たないもののくだらなさに気づいて価値観を形成するのも勉強の一種だと私は思っているけれど、学校の勉強は正解があるテストを解くことに特化しているので、間違ったことや役に立たないことについて考えても評価しないし、受験勉強以外の勉強を時間の無駄として切り捨ててしまう。しかし正しいとされていることだけをひたすら追求するのも一種の危険思想で、聖書やコーランでさえ殺人や戦争を正当化する理由になりうる。経典がある宗教でさえ解釈をめぐって対立して分裂するのだから、どうにでも解釈できて正しさがないフィクションはなおさら危険なものになりうる。空想が社会的規律を逸脱して危険であるがゆえに支配者や権力者は空想を禁止したがる。しかし自由な空想が許された社会と、空想が禁止された社会のどちらが発展しているかというと、当然自由な空想が許された社会である。有益な空想は認めるけど有害な空想は認めないというのは自由な空想を認めないのと同じで、有益さや有害さの基準を誰かが恣意的に決めるとその線引きが社会の停滞へとつながる。中世ヨーロッパは宗教で有害さを線引きして宗教への批判を禁じたせいでアレクサンドリア図書館が焼かれて学問を失って古代ローマや古代ギリシアに数段劣る暗黒時代を千年間抜け出せなくなったし、イスラム教は宗教上の制約が多すぎていくらアラブ諸国が石油で儲かったところで女性が能力を十分に発揮できないので先進国になれないでいる。日本のポルノ規制も少子化の原因なんじゃないかと私は思う。
最近はsho-comiという少女漫画誌の付録が有害図書扱いされたり、ラブコメ漫画『ゆらぎ荘の幽奈さん』の水着シーンが抗議されたり、ミニストップでポルノ雑誌の取り扱いが中止されたりしているけれど、フィクションで性欲を刺激することはそんなに悪いことなのか。巷では純愛を賛美しているけれど、恋愛の先の子作りの方法を書いたら有害として目くじら立てて規制するのはおかしい。軍事国家スパルタだと子供のころから裸の男女が一緒に運動していたけれど、スパルタは性欲を有害だとはみなさずに富国強兵のために性欲を刺激して子作りを推進していたわけである。ウサーマ・ビン=ラディンの隠れ家にあったデータからポルノが見つかったけれど、いくら宗教できれいごとを言ったところで性欲のない人間はいないし、イスラム教がポルノを禁止しようがイスラム教徒は異教徒相手には容赦なく暴行事件を起こしている。キリスト教は性欲を否定するせいか神父がホモショタになってこっそり児童虐待する事件が多発している。本能を無理やり否定すると別のところに影響が出るので、それなら素直に性欲を認めたほうがよい。子供が思春期になれば恋愛感情を持つし、恋愛した先には子作りがあるわけで、性知識もないよりはあったほうがよい。女子は精神的な成長は早いものの性欲のピークは30歳ころで遅いけれど、男子のほうは精神的な成長が遅いのに性欲のピークが高校生の頃で早いので、男子は思春期に急いで性欲をコントロールする方法を身につける必要がある。学校で避妊具のつけ方を指導しているところもあるようだけれど、保健体育の授業だと間違った自慰の方法で病気や障害になることは教えないので教育としては不十分である。それに子供を監視して性欲から遠ざけたところで大学に進学にして親の監視がなくなってからヤリサーでやりやりするので、単純にセックスを禁止したりポルノを禁止したりするだけでは問題を先送りするだけで教育になっていない。ポルノが子供に有害だと言っている人たちは代わりに子供に性知識を教える手段を用意するところまでの責任を持たないし、何でも禁止すればきれいな世界が到来すると考えるのは教育の放棄である。
昔は性病が蔓延していたし、処女でないと結婚できなかったし、男性社会で女性は自由恋愛できなかったし、不義の子を判別できなかったので、小説で恋愛感情や性欲や不倫を促すことを悪いこととみなして『ボヴァリー夫人』を裁判沙汰にしたり『チャタレイ夫人の恋人』を発行禁止にしたりすることにも正当性があったかもしれないものの、医療と科学が進歩した現代社会では避妊と性病予防ができていれば健康上の問題はないしDNA鑑定で不倫を判定できるので、色欲を禁止する理由が昔に比べて少なくなっている。少子化が進行中の日本ではむしろ性欲を刺激するべきだろう。性欲は本能の問題、恋愛は本能と理性の問題、結婚は理性と社会制度の問題で、異なる問題を段階的にクリアしないと子供は産まれない。不安遺伝子を持っている日本人はリスクに消極的で結婚に慎重になりやすくて学歴や年収や家柄の担保がないと結婚しようとしないのに、そのうえ性欲まで抑制したら少子化になって当然である。パンダの繁殖に一喜一憂していないで、将来絶滅危惧民族になりかねない日本人の繁殖にも取り組むほうがよい。
日本人が少子化とポルノにどう向き合うか、ポルノを有害なものとして規制するか否かによって、恋愛小説やラブコメは今後のフィクションの中心的ジャンルになる可能性がある。筒井康隆や村上春樹なんかは文学を隠れ蓑にしてエロスをうまく取り入れているけれど、面白いプロットにエロスが加わったらたいてい人気になる。性欲、食欲、睡眠欲のうちで、フィクションでは食欲と睡眠欲は満たせないものの、性欲だけは満たすことができるので、食事と睡眠が生活に必須なように、恋愛小説もラブコメもポルノも生活必需品という扱いになれば出版業界も衰退を食い止められるんじゃなかろうか。
★★★☆☆
片恋・ファウスト(新潮文庫)【電子書籍】[ ツルゲーネフ ]
「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。」と表示されて記事が投稿できなかったので、この場で楽天の言葉狩りに抗議しておく。しかも楽天の場合はどの表現が問題なのか公表していないので、問題の単語を特定するために文章を分けて投稿しなくてはならなくてものすごく面倒くさい。「セックス」はよくて「せい行為」はだめなようだけれど、この単語のどこがわいせつで公序良俗に反すると判断したのか意味がわからない。わいせつは社会通念に照らして性的に逸脱した状態のことだけれど、せい行為が性的に逸脱しているなら子供がいる人間は全員性的に逸脱しているということになる。なんじゃそら。そもそも文脈を無視して言葉狩りすることを判断とはいわない。これだから楽天は三流IT企業なんだ。
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