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2023.07.24
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映画について意見を聞きたいというリクエストがあったので映画について考えることにした。ちなみに私は映画が好きなわけでもないし、一度も映画館で映画を見たことがなくてたいてい金曜ロードショーやインターネットで無料で見れる映画を暇つぶしに見てきた程度の素人なので、映画に詳しい人は私の意見を真に受けなくてよい。

●映画の魅力

映画は建築、絵画、彫刻、音楽、舞踏、文学に続く第7番目の新しい芸術として第7芸術と呼ばれることもあるように、芸術では比較的新しいジャンルである。私は戯曲はあまり読んでいないのだけれど文学部だったので映画も多少は勉強して、映画の最初期のリュミエール兄弟の映画やモノクロ映画のジョン・フォードの『周遊する蒸気船』や山中貞夫の『丹下左膳余話 百萬両の壺』やゴダールの『勝手にしやがれ』や戦後の邦画の小津安二郎の『東京物語』や石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』とかも見たのだけれど、昔の映画は新しい芸術で何を表現しようか、どんな映像を見せようかという試行錯誤とワクワク感に満ちていた。女優に気品とでもいうような独特の色気があって、例えば『ローマの休日』は王女がローマを観光するだけでシナリオ自体はたいしたものでもないけれどオードリーのかわいさだけで物語を成り立たせていて、そういう作品の作り方も初期の映画ならではでよいと思う。ジャッキー・チェンの初期の映画は体を張って高い所から落ちるスタントが見どころで、シナリオ自体は拳法の師匠がやられたから報復するとか警察が悪党を捕まえるとかのたいしたものではないけれど映画ならではの画面の躍動感があった。シュワルツェネッガー主演の映画もマッチョがわちゃわちゃするだけで賑やかな見せ場になった。『ゴジラ』や『エイリアン』や『ジョーズ』や『13日の金曜日』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』は人を襲う怪物の恐怖を描いたという点ではワクワクするもので、シリーズ化したらマンネリになって面白くなくなったけれど初期作のアイデア自体はよいものだった。文革後の1980年代の中国映画は現代の映画ほどストーリーがエンタメ化していなくて、『黄色い大地』は中国の文化を表現していてよい。20世紀の映画は画質が荒くてセットが安っぽくて完成度は低くても、ここでないどこかの世界の今まで見たことがない新しいものや珍しいものやすごいものが見れるという期待があった。

●映画の制約

映画は総合芸術で何でもできそうな気がするけれど、実際はいろいろな制約がある。まずは時間的制約があって、映画はたいてい2時間程度で、それよりも長い大作もあるけれど長すぎるとずっと見ているのがしんどくなる。クラシック音楽やオペラも3時間を超える長いものはたいてい不評である。小説や漫画は延々と連載を続けることができるし、読者は好きなところで中断して好きな時に続きを読んだり前のエピソードを読み返したりできるけれど、映画や演劇はいったん場面を中断させるとそれまで積み上げてきた場面の緊張感が消えてしまって面白くなくなるので初めから終わりまで一気に鑑賞する必要がある。休憩せずに見れる長さとして90分から120分が妥当なところで、そうなるとシナリオも時間の制限を受けてちょうどいい物語の長さに収めるのが難しくなって、本来は尺がない物語を引き伸ばして中身がスカスカになったり、重厚な物語をむりやりまとめようとして展開にゆとりがなかったりする。
さらには金銭的制約がある。舞台なら照明を暗転して背景の絵を描いた板をスライドするだけで簡単に場面転換ができるけれど、映画の場合はすべての場面のセットを用意しないといけない。学校や病院が舞台なら撮影専用のセットがあるけれど、実在の神社や駅とかを舞台にするときは撮影時にエキストラを配置したり一般人が映らないように排除したりする手間もかかる。大勢の役者やスタッフを長期間拘束するので人件費もかかる。
映画はスポンサーがつくとはいえ撮影に取り掛かってから上映して売上を回収できるまでのキャッシュコンバージョンサイクルが長いので、そのぶん資金繰りも苦しくなる。映画会社の肝いりの膨大な予算をかけた映画でさえ大コケしたりするし、売れるかどうかわからない作品のためにあまり予算をかけるわけにもいかなくなって、俳優やシナリオやセットや演出がしょぼくなったりする。

●日本映画はダメだと思う

映画をほとんど見てないくせに批判するなという邦画ファンの意見があるのを知ったうえで批判するけれど、演技の良し悪しや撮影手法の良し悪しがわからない素人の私でもストーリーの良し悪しはわかるし、私が見た限りの作品で言えば最近の邦画はダメな映画が多いと思う。

・予算がない
ハリウッド映画はセットやCGに予算をかけられるので派手なアクションや爆発やビルの倒壊とかの「これどうやって撮影しているんだろう」的な映画ならでは絵作りの面白さがある。トム・クルーズが『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』で1年間トレーニングして1万3千回バイクでジャンプして十分訓練してからバイクで崖から落ちるシーンを撮影したそうだけれど、邦画だと予算の都合で俳優のスケジュールを抑えられないので同じ事はできないだろう。
日本ではろくにCGを作れない実写映画に代わって低予算でシナリオや絵作りの自由度が高いアニメが台頭して、宮崎駿や押井守や大友克洋とかは外国でも人気の監督になった。これが何を意味するかというと、日本人の映画監督の能力がないわけではなくて予算がなくてやりたいことが十分にやれていないのだろう。『名探偵コナン』の映画は毎回ヒットするけれど、『マトリックス』が『AKIRA』の演出をインスパイアしたように実写で同じことをやれといわれても予算の都合でビルを爆破したりできないだろうし、CGでやろうとしてもチープで違和感があるものになるだろう。子供向けの戦隊ヒーローものならチープな爆発でもいいけれど、大人向けの実写映画だと粗が目立つのは面白くない。

・シナリオがだめ
​ なぜSF映画がつまらなくなるのか考える ​という記事でも考えたけれど、シナリオにもっと手を加えたら面白くなるのに、なんでその程度のことさえやらないでわざわざつまらない作品を作ってリリースするのか疑問に思う。ハリウッド映画だと冒頭で客を引き付ける工夫をするけれど、邦画だと冒頭を見ても何の話をやりたいのかわからなくて、私は続きを見ても時間の無駄だなと思って途中で見るのをやめることが多い。
しばしば小説家や漫画家は映画の原作にしてやるからありがたく思えという高圧的な態度で交渉されたとか原作の料金が少ないとか愚痴をいっているけれど、映画会社は独力で物語を作れないくせに原作者やシナリオライターを軽視して金を払わない姿勢はだめである。そのうえに原作をよく知らない監督がオリジナル展開をやろうとして原作の設定を無視して原作ファンにも嫌われたりして、何をしたいのかよくわからない。

・地味で暗くて華がない
邦画は暗い台所でぼそぼそ会話して食器をカチャカチャしていると揶揄されているけれど、そういう映画を見てもワクワクする楽しい気分にならない。ジャッキー・チェンの映画なら食卓と言えば喧嘩が勃発してテーブルに飛び乗って椅子を武器にしてわちゃわちゃ戦って賑やかだし、『羊たちの沈黙』では食卓はサイコパスが人肉をおいしそうに食べる場面が見どころになるし、ジブリ映画はいかにもおいしそうに料理を食べて登場人物はお腹がすいて食事をしてうんこもしてちゃんと生きている存在なのだと強調してそれが人物に精彩を与えている。何も起きないはずのところで何かが起きて予定調和を崩すギャップが面白いのに、退屈な食事の場面を退屈なまま描いたらだめである。『AWAKE』は将棋で挫折してプロをあきらめた青年が将棋ソフトを開発してライバルと対決する映画で、ストーリーは良いと思うけれど暗い部屋でパソコンをカタカタしていて画面が暗いし、俳優が地味で主人公とライバルが似た雰囲気なのでどっちがどっちなのかわかりにくくて、髪型や衣装とかでもうちょっと華やかな感じにできたんじゃないかと思う。
漫画原作の映画『ヒメアノ~ル』はいじめられた森田剛が人を殺しまくる映画で救いがない。実際の殺人事件をモチーフにした『冷たい熱帯魚』も陰惨な展開で、実際の被害者を連想してしまうので娯楽としては面白くない。私はミステリが好きだけれど人が殺されるところを見たいわけではなくて謎解きが見たいのだし、心霊ホラーならお化け屋敷的感覚で人が死ぬ様子を楽しめるし、殺人でも復讐系の展開はその後に犯罪者がフルボッコにされてカタルシスがあるけれど、単に被害者がかわいそうなのはだめである。これは小説もそうで、カポーティーの『冷血』みたいに犯罪を忠実に描いただけで作者の思想や表現がないのは作品として面白くないし、人間の魅力を描かずに嫌なところだけ描いても気が滅入る。世界中の紛争や犯罪や疫病で大勢人が死んでいて現実世界に向き合うだけでも十分過酷なのに、なんでフィクションでも嫌な思いをしなきゃならんのさという気分になる。
俳優にも華がない。ブルース・ウィリスやロバート・デニーロやアル・パチーノやスティーブン・セガールとかは主役感があって存在するだけで絵になるけれど、日本の俳優でそういう主役感がある人があまりいない。幼く見えるアイドルみたいな細身の優男ばかりでごついハードボイルド系やダンディ系がいないし、個性がある昭和の俳優が亡くなった後は代わりがいない。精悍な松田優作がなんじゃこりゃーと叫んだのに比べたら、童顔の藤原竜也がどうしてなんだよーと叫んだりほんわかした堺雅人が倍返しだと言うのは物足りない。

・漫画原作に頼りすぎ
漫画はデフォルメした絵だからこそリアリティがない物語でも受け入れやすいけれど、漫画原作のリアリティが乏しい展開を実写でやろうとすると違和感が出ていっそうリアリティがなくなって物語の世界に入り込めない。特にファンタジー系はいかにもコスプレしたチープな感じが出て私は見る気がしない。原作を知っていると原作と比べてしまってシナリオに不満が出るし、原作を知らないなら興味がないので見る気がしない。衣装が新品のままで体になじんでいなかったり、漫画的な派手な髪型をするためのかつらのせいでコスプレ感が出る原因になっているようで、舞台版の『テニスの王子様』みたいにファンを対象にしてやるならそういうコスプレでもいいけれど、一般人向けに映画を制作するようなものではないだろう。人気の漫画を映画化すれば漫画ファンが見るだろうしアイドルを起用すればアイドルのファンも見るだろうという判断で制作するのだろうけれど、それは別に映画でなくてもいいわけで、漫画で儲けたいならキャラクターグッズでも売る方が手っ取り早いし、アイドルを売りたいなら下手な演技をするよりも新曲でも作ればいい。監督は映画を作りたいから映画を作るという創作の原点に戻るべきで、金になるならなんでもいいというおざなりな態度で作られた映画が漫画を描きたくて描いた原作以上に面白くなることはない。
漫画原作だとストーリーありきで展開するのでフィクションぽさが際立って人間の在り方の同時代性がなくなる。人間を描いた物語というより、物語を演じる人間を用意した感じになってそこに不自然さが出てしまうし、視聴者が同時代・同世代のスターに憧れるという感覚もなくなる。石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』は現代の若者が見てもあまり面白くないかもしれないけれど、戦後の同時代の若者像を描いたという点ではよい映画だと思うし、それゆえに石原裕次郎は当時の若者を代表する昭和のスターとなったのだろう。生身の役者が演じるところが漫画とは違う映画ならではの特徴なのだから、原作ありきで商業作品をつくるのでなく、まず監督が現代社会の人間の生き方に向き合うことからはじめるべきだろう。
『デスノート』はリュークの造形が良くできていてそこそこ面白かったけれど、私は漫画の原作を先に読んでオチがわかっているのでわざわざ金を払って映画版を見ようと思わないし、無料なら暇つぶしに見るという程度でしかない。原作に頼らないでオリジナルの映画を作らないと映画ファンは増えないんじゃなかろうか。

・同じことの繰り返し
現代人はすでに映画がコモディディ化した世界に生まれていて、映画がここではないどこかの世界につれていってくれるという特別な期待がないし、その役割はゲームに移ってしまった。CGが発達して演出手法が増えたとはいえ、映画が登場してから100年も経つと面白い映画の展開や演出のパターンはだいたい出尽くして、映画のワクワク感がなくなって既視感がある作品ばかりになった。これは日本だけでなくてハリウッド映画も同様で、ヒット作の続編に頼りすぎていて新しい作品を作ろうとしていない。特にホラーはネタバレしていると面白くなくなるので、『リング』や『呪怨』は売れたからといってシリーズ化せずに新しいことに挑戦してほしかった。『名探偵コナン』と『クレヨンしんちゃん』はファンが飽きるまで映画を作り続けるつもりなんだろうけれど、私はもうキャラクターと展開のパターンに飽きたので興味ない。
青春恋愛映画はキャストを変えて同じことを繰り返しているようなものでおっさんが見て面白いものではない。外国の青春映画だと『ウエスト・サイド・ストーリー』や『グリース』や『フットルース』や『サタデーナイトフィーバー』や『フラッシュダンス』や『あの頃ペニー・レインと』みたいにその時代ならではの音楽やダンスの文化とともに青春を描いているので同時代を生きた人が後で懐古的に見返したり、当時を知らない若い人が親世代の青春時代に興味を持って見る需要もあるけれど、日本の青春映画だと時代や文化を描かずに単に流行りの俳優やアイドルの恋愛ごっこを描くので俳優のファンしか見ないし、後で見返す需要もない。

・左翼的展開のねじ込み
別に左翼的だから悪いというのでなくて最初から左翼的なテーマを作品にするならよいけれど、それを映画でやる必要あるのかという左翼的なテーマを無理やりねじ込むのは気に入らない。例えば小説原作の映画『あん』はどら焼き屋の繁盛記かと思ったら途中でハンセン病患者の差別の話になって話がぶれて、差別がテーマなら別に舞台がどら焼き屋でなくてもアンパン屋でも饅頭屋でも羊羹屋でもなんでもいいやんけとしらけてしまった。アメリカ映画の『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』やフランス映画の『シェフ! ~三ツ星レストランの舞台裏へようこそ~』みたいに、最初に食べ物をテーマにしたなら食べ物の話題で一貫してまとめないと作品としてはだめである。ハリウッド映画界が左傾化してポリコレで人種やLGBTに過剰に配慮してキャストがぐちゃぐちゃになっているのに比べたらまだ邦画のほうがましとはいえ、物語を描くことよりも政治的主張を優先すると不自然さが出る。

・単純に下手
芥川賞を受賞した小説はしばしば映画化されることがあるけれど、そういうのはたいてい駄作になる。田中慎弥の『共喰い』が映画化されたけれど、誰が誰に対していつの時点でいつの出来事をなぜ語るのかという語りの構図を突き詰めないまま冒頭で主人公が延々と一人語りしていて、これは技術的にダメだと思って冒頭だけ見て続きを見る気をなくして最後まで見ていない。小説の朗読を聞きたいんじゃないのだから、ナレーションに頼らずに何が起きているのかを映像で説明しないと映画になっていない。映画監督が文学理論を理解していないのではどんな小説を原作にしても映画に落とし込めなくて下手な映画もどきにしかならないだろう。西村賢太の『苦役列車』もヒロインに前田敦子を起用して映画化されたけれど、西村は「中途半端に陳腐な青春ムービー」だと批判していた。若い頃の苦労を青春というステレオタイプで美化されるのが気に入らなかったのかもしれないし、主人公の苦役を掘り下げずに前田敦子の青春映画に仕上げるなら『苦役列車』が原作である必然性もなくなるので、映画単体として見たらそれほど悪くない出来でも原作ありきの映画として見た場合は勘所をはずしている。
映画の『デビルマン』は主役の演技が下手すぎてかえって有名になったけれど、客から見ても粗が目立つものを監督がOKしてリリースしてしまうのは商品としてだめで、名演技でなくてもいいからせめて可もなく不可もなくというレベルまで仕上げてほしい。

・時代遅れ
20世紀に映画が人気になったのは当時映画が新しい芸術というだけでなくて他に娯楽があまりなくて競合が少なかったおかげでもある。競合が少ないので儲かって良いクリエイターも集まるようになってスターも大勢生まれて昭和が日本映画の黄金期となった。東大卒の高畑勲や学習院大学卒の宮崎駿が東映動画に入社したのとかが典型的で、俳優だけでなく裏方も教養ある人材が豊富だからこそ切磋琢磨する環境があってこの監督たちはのちにアニメで頭角を現した。動画が一般的でなかった時代はカメラやフィルムが高額で個人では買えなかったのでテレビや映画の映像は貴重なコンテンツだったものの、現代は個人が高性能のスマホで解像度が高い動画を撮ったりドローンで空撮したりしていて外国の珍しい風景もインターネットで見れるし、娯楽はいろいろあってクリエイターが漫画やゲームやYouTubeに分散しているし、客も時間の奪い合いになっていて若者はTikTokとかのショート動画に移行して2時間映画を見る行為がだるくなっていてファスト映画の違法ダイジェスト版が作られたりして映画というフォーマット自体が時代に合わなくなりつつある。私は映画ファンでもなくて映画館に行く気がないのでネットで見れないなら別に見なくていいやと思う。
あと昔の映画はちょっとぼやけた感じでそれが独特の雰囲気を出していたものの、カメラが高性能になって衣装やセットがはっきり見えるようになって粗さがしをしているつもりがなくても粗が見えてしまうのもしらける要因になって、特に時代劇だと違和感が出てしまう。

・ファンや信者に頼る
しばしばアニメ映画は劇場ごとに違うノベルティを配って熱心なファンに何度も映画を見させてグッズをコンプリートさせようとするけれど、これはもう映画自体の面白さで勝負していなくて物で釣っている。『映画 えんとつの町のプぺル』みたいに信者力を競わせて何度も見させて売上ブーストするのもよくなくて、それをやったら幸福の科学と同類で芸術作品として映画を作ったというより信者を対象にした集金装置として映画を作っていることになる。

●日本映画の復活の可能性

・低予算で面白いシナリオを作る
CGを作る金がないのは仕方がないとはいえ低予算でもシナリオ次第では面白い映画が作れる。例えば製作費60万ドルの『エグザム』は変な入社試験を受けるだけの展開でひとつの部屋と登場人物のやり取りだけで緊張感を出していたし、制作費12万ドルの『オープンウォーター』はダイバーが海に取り残されるだけの展開で海の怖さを演出していたし、製作費35万ドルの『CUBE』はキューブが連結した変な建物から抜け出そうとするだけの展開で1つのセットを使いまわして部屋がいくつもあるように見せていた。邦画で低予算で面白くする工夫ができないのはシナリオがだめなのだと思うし、そもそも漫画原作だらけで映画専門の著名なシナリオライターがいない。予算の都合でシナリオに金をだせないなら著作権が切れた名作を翻案したりリメイクしたりするのが現実的な解決策になりうる。宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』が今上映されているように、映画監督が若い頃に読んで感銘を受けた小説とかを映画化すればいいんじゃなかろうか。あるいは歴史上の人物の伝奇物ならその生涯が大まかなシナリオとして出来上がっているので、シナリオライターの腕に関わらずそれなりに面白い話になるだろう。例えば安井算哲の生涯を描いた小説が原作の映画『天地明察』はそこそこ面白かった。
あとミステリならテレビドラマ程度の予算でそこそこ面白い話を作れると思う。金田一耕助シリーズや『金田一少年の事件簿』シリーズや『名探偵コナン』や『TRICK』が人気になったり、『刑事コロンボ』が金曜ロードショーの常連だったように、ミステリファンが大勢いるのだから推理小説を原作にした映画を作れば低予算で人気になるかもしれない。私はドラマの『名探偵ポワロ』シリーズのポワロのぽっちゃりした感じがドラえもん的で好きである。

・クロスオーバーする
映画会社は交渉力が強いのだから、単に漫画原作で映画化するのでなくて「名探偵コナン」対「ルパン三世」や「エイリアン」対「プレデター」みたいなクロスオーバーをやればいい。「釣りバカ日誌」対「ジョーズ」で海外出張した浜ちゃんが人食いサメを釣って退治するとか、「今日から俺は!!」対「東京卍リベンジャーズ」で共闘するとか、「弱虫ペダル」対「頭文字D」で御堂筋くんとイツキが峠の下りでキモイ対決するとか、その程度のくだらない内容でも原作ファンは原作を改変されたと怒らずに原作にはない展開を楽しめると思う。

・良い俳優を見つける
予算がなくてシナリオもだめなら俳優の魅力に頼れば良い作品になるかもしれない。昔の映画はダンディな俳優や気品ある女優がいて、俳優への憧れが映画の魅力になっていたと思う。ハリウッドだと配役を専門にして監督の注文にぴったりの役者を見つけてくる会社があるそうで、日本もそういう会社を作ればよいし、知名度がある芸能人を話題作りに起用するのでなく作品をよくするためのキャストを起用するべきである。子役も話題性があって、『おしん』で小林綾子が有名になったり、『家なき子』で安達祐実が有名になったり、『ホームアローン』でマコーレー・カルキンが有名になったり、『ハリー・ポッター』でダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソンが有名になったりしたように、子役の魅力は大人を魅了する可能性があるので子役発掘に力を入れれば映画に関心を持つ人が増えるかもしれないし、無名の役者を発掘すればギャラが安くて済む。私は『ルート225』のお姉ちゃんに文句を言う弟がかわいくてよいと思ったのだけれど、こういうふうに子役を活かして家族の情を描けるのは外国映画にはない日本映画の良さだと思う。最近はNETFLIXの『サンクチュアリ -聖域-』という相撲ドラマが話題だけれど、主演の一ノ瀬ワタルは元キックボクサーだそうで、こういうごつい人がやんちゃしていると外連味があってよいので、アスリートのセカンドキャリアとして俳優になる人を増やせばよいと思う。ハリウッド俳優が落ち目になって映画のオファーがなくなると日本のCMに出て小遣い稼ぎしてビッグインジャパンと揶揄されたりするけれど、落ち目でギャラが安くなったハリウッド俳優や監督を日本映画で起用するのもいいと思う。

・視聴者層を広げる
『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』は明るくて青春部活映画としてはよくできていると思うけれど、私のようなおっさんには刺さらない。学園物は学校を借りて舞台に使えてセットを自作する必要がなくて低予算で映画を作りやすいのだろうけれど、少子化が進行していく中で若者をターゲットにして学園物をやってもジリ貧だろうし、日本の学校の出来事というローカルなテーマだと外国の視聴者はなおさら関心を持たないだろう。それにどんな学生時代を過ごしたかよりもどんな大人になってどう生きるかのほうが重要だし、テレビドラマは放送がだいたい夜ということもあって大人向けのテーマが多いように、映画も大人向けを基本にするほうがよい。ホラーが盛んなタイのホラー映画やホラーゲームは日本でも評価がいいように、国や年齢を問わずに楽しめる作品を作るほうが世界での売り上げが増えると思う。

・短編映画にシフトする
映画の劇場での公開にこだわらずに若者向けに短編映画をネット配信したりするのもよいかもしれない。90-120分の映画でハリウッドと勝負できないなら10-20分の短編映画にすべての技術をつぎ込んで世界最高レベルで作って各国語に翻訳してPPVで100円で世界中で売るという方向性でもいいと思う。尺が変われば他の映画監督がやっていない工夫をする余地が出てくるし、長さの関係で原作に採用されなかった短編小説や読み切りの漫画を原作に使えばネタが増えるし、制作期間を短くしてキャッシュコンバージョンサイクルが短くなれば資金繰りもしやすくなってリスクを負っていろいろ新しいことに挑戦できるようになるだろう。例えばSadeのSmooth OperatorのPVは自分と付き合っていた男がヤバイ取引をしていて他の女と付き合っていたという短編映画のような展開で大人っぽい色気があって私はこういうのが好きだけれど、こういうふうに数個の場面だけで人間の一面を描くというのでもそれなりに面白いと思うし、アイドルを俳優として起用するなら新曲のPVに物語性を持たせて短編映画仕様にしてもよいと思う。『デッド寿司』みたいなネタ映画は途中で飽きるので90分見るのはきついけれど、10分に内容を凝縮させたらもっと面白くなったかもしれないし、日本が変な映画を作っているぞと外国でバズる可能性もあったかもしれない。そんで短編映画でいろいろ試して人気だったものを長編映画に作り直したり、短編映画集として映画館で上映すればよいと思う。藤本タツキの読み切り漫画の『ルックバック』が話題になったけれど、こういうのは短編映画の原作に向いていると思う。ポカリスエットのCMの「でも君が見えた」篇のぐにゃぐにゃした床とかはどうやって撮影しているんだろうというワクワク感があってそのへんの映画以上に映像の面白さを感じられたけれど、こういう雰囲気の演出だけで終わらせずにストーリーをつけて短編映画にすればよいと思う。



●私の気に入った映画

私は映画は娯楽として暇つぶしになればいいやと思っているのでDVDを買って何度も見返したくなるほどの好きな映画は特にないけれど、実写の邦画だと1964年の『砂の女』や1984年の『麻雀放浪記』は原作が好きなので映画版もよいと思う。これらは小説が原作ということもあって登場人物の設定や話の構成がしっかりしていて、映画の中の登場人物にリアリティを感じるがゆえに面白く思える。『麻雀放浪記』に麻雀仲間の死体を気軽に捨てるシーンがあったような記憶があるけれど、人の死が軽い戦後の死生観を描けているのはよい。その一方でABEMAで『人狼ゲーム』という映画が無料で見れるけれど、こういうのは人が死んだり叫んだりしても物語が面白くなるわけではないというダメな映画の例と言える。これは映画も小説も同じでただ人が死ねばいいというものではなくて、どこかの時代のどこかの場所を生きた登場人物自体にリアリティがないとその生死もどうでもいいものになってしまってしらけてしまう。黒澤明や伊丹十三や山田洋二とかの映画はよくできていると思うけれど、私の面白さの感覚に引っかからなくて別に好きでもない。
外国映画だと『トレマーズ』の人間と未知の怪物の知恵比べみたいな展開が好きで、登場人物たちが特殊能力を持ったヒーローというわけでもなくて田舎者のおっさんたちが協力して知恵と勇気で急場をしのいでいくやり方がよい。同様に初期の『エイリアン』もただの作業員にすぎないリプリーの奮闘ぶりがよかった。逆にマーベル系の主人公が特殊能力を持っていることが前提の展開はCGはすごいと思うけれど物語自体はヒーローがヴィランを倒すだけで面白くないし、人間離れしたヒーローの苦悩にも共感できないのでマーベル的世界がヴィランに滅ぼされようがどうでもいいやと思ってしまう。パニック映画の『ポセイドン・アドベンチャー』は船が転覆するところに画面作りの面白さがあるし、登場人物がキャラ立ちしていて役割分担ができていた点が良くて有名な俳優がいなくてもシナリオがよければ映画は面白くなる例といえる。世界滅亡系の映画はいろいろあってスケールが大きくてどれもそれなりに面白いけれど、世界が救われる展開よりもネヴィル・シュートの小説『渚にて』が映画化された『エンド・オブ・ザ・ワールド』みたいなどう死に向き合うかという展開が好きで、世界がどうなろうが結局は個人を描いてこその映画である。『君の名は。』みたいに破滅を避けてハッピーエンドになるのはエンタメとしてはいいけれど死に向き合わない幼稚な展開で、大人向けの物語は避けられない死にどう向き合ってどう生きてどう死ぬかを描くほうがよい。個人の成功と破滅を描いた映画では『シティ・オブ・ゴッド』や『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『パーティ★モンスター』がそこそこ面白くて、『パーティ★モンスター』はマコーレー・カルキンの病んだ感じとぴったりの役である。『孤島の王』みたいな反骨的なやさぐれた少年の生き方も好きである。アクション映画だとブラジル警察と麻薬組織との対決を描いた『エリート・スクワッド』やアル・カポネの逮捕を描いた『アンタッチャブル』が外国ならではの汚職具合のリアリティがあってよい。歴史ものでは1959年の『ベン・ハー』のガレー船での戦いや戦車競走のシーンも古い映画と思えないほど迫力があってよいし、こういう作品を代表する名シーンがある映画は印象に残っている。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はデロリアンやホバーボードとかのガジェットが面白い。





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最終更新日  2023.09.03 14:00:28
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Re:映画について考える(07/24)  
四角いハムスター さん
早速記事を書いてくださり、ありがとうございました。
映画という芸術作品が生まれて100年が経ち、面白いパターンはやり尽くされてコモディティ化して、映像表現の華やかさにも飽きられた中で、シナリオの良い映画を作ることが邦画復活の鍵になるのではないかと思いました。
黒澤明監督作品ですが、1952年の『生きる』はご覧になりましたでしょうか。
死を前にした人間がどう生きるべきかという問題を真正面から扱った作品でして、三角猫さんのご興味に合致する作品かと思います。 (2023.07.24 19:19:16)

Re[1]:映画について考える(07/24)  
三角猫  さん
四角いハムスターさんへ

黒澤明の作品は『羅生門』『七人の侍』『夢』『まあだだよ』は見ましたが、『生きる』は見てないです。ネットに落ちていたら見てみます。 (2023.07.24 23:50:05)

Re[1]:映画について考える(07/24)  
三角猫  さん
四角いハムスターさんへ

ギフト届きました。たくさんありがとうございます。シナリオ作り頑張ってください。
謝礼とかは気にしなくてよいので、何か聞きたいことや疑問点があったら気軽にコメントしてください。 (2023.07.26 21:51:03)

Re[2]:映画について考える(07/24)  
四角いハムスター さん
三角猫さんへ

ギフトが無事届いたようで、何よりでした。
それではお言葉に甘えまして……

三角猫さんは膨大な数の本を読まれてきましたが、その中でも特に印象に残っている本、面白かった本についての記事を書いていただけますでしょうか。
こちらのブログに紹介されている本では『サピエンス全史』『五輪書』『代表的日本人』『戦争と平和』
『辻原登氏の東大講座の本2冊』を読みまして、現在『戦場の画家』を読んでいる最中ですが、次に何を読もうか迷っております。 (2023.07.26 22:49:28)

Re[3]:映画について考える(07/24)  
三角猫  さん
四角いハムスターさんへ

わかりました。面白かった本についてそのうち記事を書きます。 (2023.07.26 23:07:55)

Re[4]:映画について考える(07/24)  
四角いハムスター さん
三角猫さんへ

ありがとうございます。 (2023.07.27 15:53:26)

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