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先日の土日に「立山黒部アルペンルート」の旅に行ってまいりました。その写真だけのレポートです。さわやかな空気が お伝えできればウレシイな!・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・土曜日に 東京を朝早く出発長野県の松本インターを降りて 上高地のそばを通って岐阜県「飛騨高山」の 春を満喫その後地図でいうと 左斜め上に北上して世界遺産「白川郷」の 茅葺きの屋根を見る。まさしく 二回目の春を楽しませていただきました。夕刻 富山市の居酒屋で 魚メインの夕食をすませ翌日 霊峰「立山」に 登る。ケーブルカー トロリーバスで登った先標高2500メートルの「室堂」からの眺めは最近 ドラマでも有名になった「剣岳」が正面に・・・4月17日に開通した 道路の雪壁の高さは15メートルでした。 「みなさま これほどの上天気は 年に一度か二度 あるかないかの きわめてまれな・・・」 「ぐるっと 360度 山々の頂が見えるなんて そうは無いよ」行く先々で 地元の方々がおっしゃる・・・立山の頂上近くの下を潜った先の「大観峰展望台」からの 180度の展望です。(3枚の合成写真です。 あしからず)正面山麓の下 緑色の水面は黒部湖です。黒部ダムで出会った スキー板をかかえた青年が語る「立山の二つ先から滑ってきた」「今日は天気がよすぎて 人が多すぎたな」雪焼けした青年の顔がまぶしかった。。。
2010年04月28日
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ドイツ留学から帰り エリート軍医の道をかけ走りながら近代的な医学の普及を 声高に訴えるそれゆえ 上司や友人の軍医と亀裂が広がり出世街道からはずれ九州 小倉へ 第十二師団軍医部長として飛ばされる。森鴎外の 3年弱の小倉時代に 材を取った小説「左遷鴎外」これが 面白い!東京の母や 友人先輩に 頻繁に出す手紙には嘆きぼやき落胆 そしてカムバックの期待を綿々と。あの文豪鴎外に ほほえましいほどの近親感をもってしまう。その小倉時代 多忙な軍務を遂行しながら(愛馬での移動がほとんど)文学への思い断ちがたく 仮名で投稿したり作品を創作している。とても感動的ですらあったのが晩年まで交遊する親友(僧侶)と出会ったり身内のような心情のふれあいをかわす老人との交流・・・明治の 日清日露戦争時代の世の中と文壇の様子最初の妻との葛藤 再婚後の妻と母との不仲に悩む姿・・・これらを 品のある柔らかく暖かい文体で描いたこの小説は いつまでも記憶に残る一作になったことは間違いない。・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・著者 内村幹子は あとがきで ・・・妻を離別していた鴎外は、 <西僻(せいへき)の陬邑(すうゆう)>・小倉へは単身赴任でした。 生身の彼を描こうと思い潜めました。 彼の息遣い、人事異動への不満、挫折感、 そして復活に賭けた生きざまを・・・。 <明治>という時代を、文学者、軍人として 勁く(つよく)生きた人物を敬慕しつつ描きました。・ ・・平静ならざる思いの方々に読んでいただきたいと。
2010年04月18日
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友から 数日前 音楽CDが贈られてきた。「毎度のおしつけながら時間があったら聴いて」との便りとともに。ハンス=マルティン・シュナイト指揮シュナイト・バッハ合唱団/管弦楽団“最終コンサート・ライブ”「J・S・バッハ ミサ曲ロ短調」 ・ ・ ・2枚組の大作 これはそれなりの覚悟を持って聴かねば と休日の今夜は ライブ録音された「新宿オペラシティ」に座った気分で・・・クラシックにまるで疎いので まったく予断なく 気楽に自然体で受け入れようぜ・・・と 聴きだした・・・2枚目に入って しばらくしたらいつのまにか・・・ 落涙していた・・・一言では言えないが・・・その音が 合唱が 心を揺さぶってくる 染み渡ってくる・・・数時間は なんにも邪魔する音を 聴くことを遮断した。。。余韻に浸りたくて・・・・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ハンス=マルティン・シュナイトはドイツ ミュンヘン生まれの世界的な指揮者で1997年、東京フィルハーモニー交響楽団の協力のもとに設立された日本のシュナイト・バッハ合唱団の芸術監督に。2001年より東京藝術大学外国人客員教授に就任。2002年4月より神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に就任。ちなみに シュナイト・バッハ合唱団は一般の方々による アマチュア合唱団なんです。昨年9月の 新宿オペラシティーでの演奏会はシュナイト師(と関係者には呼ばれている)の高齢での帰国せねばならない体調による合唱団の最終公演でもあったのです。・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・実は CDを贈ってきた友人の彼は 8年前に渋々参加したメンバーで今回の 最終公演にも出演していたのです。多忙きわまりない 社長業をやりながら3年前に 大病の手術を乗り越えて 合唱団に復活満足に声がでない状態から 練習を続けての参加でした。追伸ですがこのCDは「レコード芸術4月号」のオラトリオ部門の特選に選ばれています。よろしかったら是非是非 ご試聴のほどを!
2010年04月11日
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暖かい春の日中の 花たちチャリでの通勤途中に見つけた 花たちそれぞれに 最高の 笑顔で迎えてくれました。川沿いの公園の 一本の桃の樹一枝なのに 紅白の花が 咲いている。今戸の水門近くの道沿いにはブローチにしたいような 椿が咲いている。待乳山聖天の庭園からはスカイツリーを背景に しだれ桜が 誇っていました。 ・ ・ ・おかげさまでわがご主人様が 間もなく満百歳上海に住む娘が 短期休暇で一時帰国しましてその日に合わせて 少し早い「百歳ミニイベント」を過日 家族だけで開催しました。野球仲間からも花束頂戴したりご主人ばあさま「今日はお客さんが多いね!」との感想でイベントは笑顔の中でお開きありがとうございました。
2010年04月08日
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今日土曜日の東京下町は 昼頃から晴れて暖かい日差しがこんな日は そうだ 滝を観に行こう! 春の明るい日差しに 水しぶきが清涼感たっぷり! ・ ・ ・実は 気になっていた「王子の七滝」に行ってまいりました。江戸の頃から 行楽地として有名な王子の滝が今も残っているのです。七つの滝は 今は四つほどになっていますが「名主の庭園公園」として 今も流れ続けているのです。王子駅から歩いて10分ほどこんな近くに 喧噪を忘れる 秘境のような場所があるんですね。 ・ ・ ・帰りがてら 多くの花見客で賑わう 飛鳥山では数年振りに 「渋沢史料館」の二階からゆっくり 花見を堪能! ここは 絶景ビューポイントですよ。限られた時間 人見より花を観賞したい方に参考になればと慌ただしく ご紹介した次第です。
2010年04月03日
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3月の初旬だったか新宿駅内の大型ポスターで肌が透ける緑色のドレスの少女の画を見て 衝撃を受けた。「レンピッカ展」の告知ポスターだった。1980年代前半世界的なアートディレクター石岡瑛子さんが日本に紹介しそのモダンでカッコいいレンピッカの絵画に一時惚れ込んだものでした。・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで展覧会を見てきました。忘れていた作品の数々と再会しそして 初めて目にする作品の数々画像ではご紹介できませんがその色の妖艶なこと「緑のヴェール」「赤いチュニカ」「ピンクの服をきたキゼット」「緑の服の女」「カラーの花束」などなど作品名にも色があふれている。これら 1920~30年代の絶頂期といわれる作品は筆跡がわからないツルッとした セルロイドのような光沢と大胆なポーズと意志の強い目線で人物を活写。(印刷物とは色においてまったく別物ですよ!)・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・さらに興味を覚えたのは 彼女の年表からの人生タマラ・ド・レンピッカは1898年ワルシャワの裕福な家庭に誕生(明治31年)1916年ロシアの伯爵と結婚 ロシア革命でパリに亡命 娘キゼット誕生 絵画の勉強を本格的に 自動車を運転 スキーをやり 女性の愛人を作り1934年男爵と再婚 重度の鬱病に1943年ニューヨークに転居(第二次世界大戦まっただ中)1963年頃からメキシコに長期滞在1972年の個展で再評価される(昭和47年)1980年メキシコで死去・ ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・「レンピッカ展」は渋谷/東急本店横Bunkamura ザ・ミュージアムで5月9日まで開催中です。美しく派手やかに挑発的で激しく悲しい女を見ました。。。
2010年04月01日
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