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11:05 ジャイプールを後にする。途中で昼食を取って6時までにデリー空港へ。インドに来て8日目、楽しすぎてもう少しインドにいたいと思う。そうは思っていても、6車線の道を達人ドライバーの運転でかっ飛んで行く。自動車専用道路の路肩を歩く働いている象 有料道路の料金所を通過する車の荷台の乗客たち(スズキの軽トラックか?)駱駝も歩いている。以上3葉インドの道路事情私の昼食のため、道路沿いのHOTEL MAHARANI MIDWAYっていう安ホテルに駐車。レストランの庭のテーブルに着く。観光客はガーデンが定席らしい。カレーじゃないのがいいって昨日から言っているのに、カレーしかないとイムランが言う。分かっていてこの店か!メニューを見せろと言うと、メニューはないとウェイターが言う。この理不尽さは、一体何なんなのだろう?ここのウェイターは、インド的傲慢さと万国共通の意地の悪さを併せ持ってる嫌な奴だ。インドで最も寒い時期なのにハエが集まる。追ってもきりが無いのでさっさと食う。温かいときならハエで皿が見えなくなるのだろう。もう飽きたと言いつつ、ライス以外は完食する。食後、頼んだチャイの値段(飲み物代)は旅行代金に含まれていないだろうから、ウェイターに値段を聞かせる。「8ルピーですネ」とイムランが言う。20ルピー出して「釣りは要らない」と言う。しばらく皆、固まっている。イムランが平然と口を開く「ああ、80ルピーですよ。」と私を責めるような態度で言う。「おまえ、8ルピーって言っただろ。ちゃんと訳せよ!」と怒鳴りつける。私が英語でしゃべった方がよっぽどスムーズだ。通訳に向いていない。その理由は、人と人との間に挟まれるとどうしていいのか分からなくなるのだ。1対1ならばコミュニケーションできるが、自分の双方に人がいると調整できずパニックになってしまう。複数の人間を仕切ることができないのだ。例えば、私があるインド人に対して怒るとイムランは通訳せずに下を向いて黙ってしまう。あるインド人が私に文句を言うといっしょになって私を責める。これじゃ通訳失格だと言われても仕方がないだろう?インドにもオタクはいるのだと分かった。真面目な性格だし、もっぱら日本語は家で勉強して、単語はかなりの数を知っているが、身についている訳ではない。日本人が学校の勉強で英単語を2000語も詰め込んでも、いつまでたっても英会話がへたくそなのとよく似ている。日常使わない単語ばっかり覚えても意味は無いのだ。400も覚えて使いこなせば十分なのに。アホウは日本人だけではないのだ。カジュラホで出会った12歳のマンドゥ少年の方が、よっぽど国際人だ。腹を立てていたら、トイレで手を洗っているときに指を切ったと見せに来た。血が出ている。なんで見せに来るんだろう。そういえば、こいつ今日は変だ。(特に変だ)車で野宿をしたと報告するし、さっきはバナナを買ってきて「朝から何も食べてませんから」などと言うし、何か同情を買おうとしているような魂胆が見える。トランクからバンドエイドを出してやる。相変わらず気にするので、アルコールは入っていないと教えてやった。達人運転手のVEERUさんがさっさと車を出してくれる。駐車場では、シタールを弾く老人の曲に合わせ、民族衣装を着た6~7歳のかわいらしい女の子が踊っている。欧州人のツアー客が小銭を与えている。車に乗り込もうとした私のところにも、手をひらひらさせクルクル回りながらやって来て手を差し伸べる。私は女の子の方に視線を向けても、焦点はその先に合わせ、何も存在しないかのようにいつもどおりドアを閉める。女の子は窓をたたきながらクルクル踊っているが、無表情の私を見てVEERUさんが車をバックさせる。あわてて追ってきたイムランを乗せて出発する。2人とも昼食はとっていないようだ。金銭の節約もあるだろうし、もうじき私の旅が終われば、家でゆっくり夕食が食べれるからだろうか?この土煙 1年中地平線が見えない原因 怪しい霧の元凶北京の大気汚染がひどいそうで、元凶がPM2.5という粉塵。インドも同じだと思うんだけど、どっちの国も人命の価値が低いから、改善はなかなか進まないのだろう。すでに触れたが、この幹線道路はインドでは珍しく路面状態が良い。古い道路はコンクリート舗装だが、ここはアスファルトである。「警笛を鳴らしてください!」という文言は、全てのトラックの後部に書かれている。追越するとき、追い越す車がホーンを鳴らすことで、車線変更したトラックにぶつけられることを避けるためだ。日本じゃ、やたらとホーンを鳴らすとケンカになるけど。
2013.01.28
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ジャンタル・マンタルに隣接しているシティパレスに入場する。 イムランに「市役所のことですか?」と聞いたら、「市役所はシティホールですネ~ 別にありますヨ~」と言われた。インド共和国成立以前のマハラジャの政庁だ。もちろん、今でも土地・建物ともマハラジャが所有している。(入場料もマハラジャに入る 微々たるものだけど)ただし、共和国に従う意思表示として、建物のてっぺんにはインド国旗を掲揚しているのだそうだ。(写真中央にかろうじて写っているね)現在のマハラジャ夫妻と1人娘の写真この写真は貴重である。なぜなら撮影禁止だからだ。(お嬢様は美人ですな)OKかどうかイムランに確かめて写真を撮ったのに、警備員に注意された。館内を見渡すとPROHIBITION SMOKING&PHOTOとの表示がある。これまでの経験が身についていない私が悪いのだろう。イムランに聞いたところ、今のマハラジャには愛人が1人いるとのことだ。何故、そんなことを聞いたのかというと、アンベール城を見学していたときに、ここが13人だかの妃の居室だと説明を受けたので、「ムガール帝国はイスラム王朝だろ?4人までじゃないのか?」と尋ねたら、「確かに皇帝はムスリムだったが、地方政権の王であるマハラジャの宗教は尊重していた」とのこと。ああなるほど、このラジャスタン地方はムスリムが多いが、マハラジャはヒンドゥーなんだ。そうかそうかヒンドゥーには制限が無いんだ(羨望)と腑に落ちたのだった。そういえば、オスマントルコも異教徒に寛容だったことを思い出した。不寛容で残虐なのは昔のキリスト教徒と今のイスラム原理主義者なのだろう。110年前、マハラシャがロンドンに行く際、沐浴するためにガンガーの水を汲んで持って行ったときの銀の壷 高さ160センチ敷地内に威容を誇示するマハラジャの住居 今でも、莫大な不動産や金融資産を所有する大資産家である。住民からも崇拝されている。人形遣いジャイプールは、近郊で宝石が採れることでも有名なので、シティパレス内の土産物屋をのぞいた。カジュラホで散々値切って買い求めたものよりも正札で20%も安い。くそ、ビノードの野郎!
2013.01.26
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ジャイプール郊外の山上にそびえ立っているアンベール城から、市内に戻る。車で20分。この山々は、デリーまで連なる山地の一部らしい。昨日の午後も観光予定だったが、寝台列車が10時間も遅れたため、今日の午前だけになってしまった。であるからサクサクと進む。イムランは、4ヶ所の見学ポイントが半分になってしまうようなことを言っていたが、まだるっこしい説明を聞かなければ、あっと言う間のはずである。山が見えたり、湖があったりして、この街はなんだか落ち着きますな。湖の中にマハラジャが造った人工島や宮殿が見えるのも風光明媚で愛らしく、好ましい。インドには文化遺産が多いが、自然を味わえる観光地は少ないように感じられる。虎が生息する自然公園の見学をカジュラホで薦められたりもしたが、インドではそうそう自然の驚異を感じられるとは思えない。次の観光先はジャンタル・マンタル。ここも世界文化遺産である。マハラジャが造った天文観測施設であるが、天体に興味ない観光客には退屈かもしれない。これは世界最大の日時計と言われている。2秒単位で計測できるらしい。星座ごとの観測儀。自分の星座の前で記念撮影している人が多い。(私もその1人)私が説明を受けた後、自分にも説明してほしいと現地日本語ガイド(右)にお願いして説明を受けているイムラン(左)お前が聞いている間、オレは待ちぼうけなんだよ。おい、ちょっと待て。現地ガイド代は旅行代金からじゃないか!水が出しっぱなしの散水ホースカジュラホの寺院群でもデリーのレッド・フォートでも見かけたホースの光景なので、「どういうこと?」って聞いたら、散水の係員は他のアルバイトをしに行っているとのこと。つまり、散水作業員としての賃金を受け取りながら、水を出しっぱなしにしておいて、他のことをして稼いでいるって訳なのだ。インドでは、仕事よりも人間のほうが多いから人が余っているはずだろって言ったが、イムランは笑っているだけ。蛇使い コブラだ! エジプトでは駱駝に乗っているオジサンの写真を撮ると代金を請求されたりするが、インドでは基本的には写真はフリーでウェルカムだ。例外は、荼毘(タブー)と霊廟・博物館(禁止)と一部観光施設(有料)くらい。
2013.01.15
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12月29日 8日目 5時に眼が覚めた。今夜の便で帰国するので、スーツケースの整理をする。普段着なくなった物を処分するつもりで持ってきたので、仕分けする。デリー市内で古着マーケットが大盛況だったのを見たので、イムランに処分を任せようと思う。売れるであろうものをトランクから紙袋に移し、下着等を部屋に残す。紙袋に写したものJ-PRESSのブレザー、POLOのカーディガン、バスタオル、泡立ちタオル、ワイヤー錠、キャラメル、サイダー飴、トイレットペーパー(使う必要がなかった)、石鹸部屋に残したもの飲みかけのワイン、ユニクロの古いフリース(パジャマ)、使ったハンカチ、使い捨てフォークの余り、靴下、下着7時に食堂に行く。トースト・オムレツ・チャイの朝食 なんとヤクルト付き!インドのオムレツは、クレープのように薄く広がっている。朝のジャイプールの街。遠くの方は煙っているけれども今迄で最も視界が良い風景。泊まったホテルの中で一番窓が大きい部屋だった。エアコンディショナーの送風が強力で途中で止めた。この街は西の方パキスタン寄りで、湿気がなく良く眠れた。8時に部屋を出る。ドアの前でスタッフに出くわし、チェックアウトの旨を伝える。手下のスタッフを呼びつけ、スーツケースを運ぶように指示している。ロビーで待つが、なかなかスーツケースが届かないので、うろうろと探すとレセプションの前に置いてあった。チップがあるから客に届けるのが普通なのにと思ったのだが、部屋に捨てていったものを急いでチェックしに行ったのだろうか。ロビーとレセプション このホテルはかなり装飾に力を入れている。8時5分出発 ヒゲの伸びた顔でイムランが言うには、昨夜ホテルが取れなかったので車内で寝たとのこと。そう言われても「ほほう」としか言いようがないですな。ジャイプールは、英国王子が訪れた際、ピンク色で建物が統一されたので有名な街。ピンク色って、例えば青や白との取り合わせだったら、綺麗だとかカワイイと思うけど、黄土色(大地と土埃)とのマッチングだと、くすんだ感じがして今ひとつに思う。有名な「風の宮殿」 想像していたよりも小ぶりな建物だった。道路の反対側から写真を撮る観光客が多かった。デリー・アグラ・ベナレスに比べるとこの街はゴミが少ない。野良牛、野良犬もいない。人口が多くないせいかインド人よりも外国人が目立つ。さほど埃っぽくないので空が青い。牛の代わりに駱駝が多い。この土地の王(マハラジャ)が造ったアンベール城 道中、働いている象がたくさんいた。象や駱駝は、今でも重要な運搬手段のようだ。アンベール城は丘の上に築かれたため、水利が悪く放棄されたとのこと。昇りの道、狭い。象に乗って城まで登るのが一般的な観光コースだが、乗るまでに観光客がかなり並んでいたこと、象が登るスピードが遅い(象が数珠繋ぎになって登っていくのが良く見えた)ことから時間を惜しんだ。タイで象に乗ったこともあるから言って、車で城まで行くように伝えた。中庭と隣の山の上にある兵営隣の山上に兵舎と砦を造っていたそうだ。そちらは当時のままで整備されておらず、観光地化されていない。城と兵営とは、トンネルで行き来していたそうだ。鏡の間 明るくて美しい。王が民を眺めた部屋から広場を眺める。 こんな感じだったのか。インドに来て初めて山というか丘に登った。晴れているし、これまでで最も空は青いが、空気の透明感には欠ける。地平線までくっきり見えることは、おそらく1年を通じてないのだろう。ヒマラヤ方面からインド亜大陸を見下ろしたとしても、煙っているんだろうな。牢獄への階段 頭をぶつけた。
2013.01.14
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予定では、朝の7時40分に着いていたはずのデリー駅。着いたのは夜の6時30分。3時間遅れなら、インド人は我慢すると書いてあったが、こんなに遅れても我慢しているというか諦めている。12時間25分かかる予定が、10時間50分遅れて着いたことになる。1本前の列車に乗り換えてもこれだ。本日の観光はパーである。駅で首を長くして待っていてくれた運転手は、ヴェールさん。旅の最初、デリーからアグラ観光にかけて運転してくれた達人運転手だ。渋くてダンディなプロフェッショナル。全くインド人には珍しいタイプ。デリーまで戻って来て良かったと思う。ネギの言うことを聞いてアグラ近くで途中下車していたら、また変な運転手に当たっていたかも知れない。そう言えば、寝台列車の中で、下痢で苦しんでいた青年に聞いた話だが、インドに着いた初日、デリー空港からホテルまでオートリキシャで向かう途中、歩行者にぶつかったが「酔っ払いだから向こうが悪い」と言ってそのまま行ってしまったということだ。これまでの経験を踏まえても、考え方が日本と異なるので注意が必要だ。1運転側も歩行者側も平等である。(注意する義務は同等)2通常に運転していたにもかかわらず、ぶつかったのは歩行者側に問題がある。3たぶん酔っ払っていたのだ。インドでは公衆の面前で酔うのはタブーで、重過失である。4運転側に過失は無いし、身なりからして歩行者の命の値段も安いので問題にならない。という論理。人側より車側に重い責任がある。人側が悪くても人命救助する。という日本の常識はインドでは通用しない。さらにそう言えば、イタリアでも車道を横切るときは勇気が必要で、それは横断中に歩くスピードを変えてはいけないということだ。つまり、ドライバーは歩行者が渡るのを計算して走行スピードを調整するからで、日本人は走ったり立ち止まったりするから危ないと注意された。ところが、インドでは車は警笛を鳴らしながら我れ先に突っ込んでくるので、走らないと危ない。ドライバーは、歩行者が避けるはずだと決め付けているので、走って逃げないと撥ねられる。デリーからジャイプールまでの夜の道中、途中で私の夕食を確保するとのこと。列車の遅れのため、レストランでの食事が全て弁当になってしまう。仕方ないことだが、せめてワインを買いたいので店に案内してくれと要望する。インドでは珍しいファストフードの店に入る。イムランがデリバリーの食べ物を注文している間、インドワインとして有名なスーラ・ワインを買いに行く。ヴェールさんが案内してくれる。酒屋は同じ敷地内にあるが、地下に降りて市場の迷路のような通路を進む。その一角が酒屋。男たちが屯している。間口が1mくらいでそこにレジがある。勘定を払っている人の後ろをすり抜けて店内に入る。出るときも同じで必ず狭いレジ前を通る。見るだけの客はいないし、絶対万引きできないシステム。薄暗くて非合法品を商っているような雰囲気である。ぶどうの品種はテンプラニーニョ、イスパーニャ原産だったかな。550ルピー(900円)酒税が高くインド人にとっては高価である。車に戻って、イムランを待つ。カレーは飽きたと言っているのに買ってきたのはカレーセット。スーラ・ワインカレー・セット3時間以上のドライブ。列車遅延のために時間がないので、弁当を車内で食べてくれというイムランの進言に従い、弁当はホテルで食べることにして、ワインをラッパ飲みする。(どうも品が無いね)スーラ・ワインなかなかのものだ。スペインワインだと3000円クラスである。品種からして酸とタンニンは控えめだが、赤・黒ベリー系の果実味が濃厚に感じられ、しっかりした造りである。ラッパ飲みなので匂いがしないと思ったが、すごい香りである。「ワインの香りがするだろう?」と聞いたら、「ワタシには感じませんネ」とイムラン。ムスリムは酒の香りを吸ってもいけないようなのだ。ちょっとだけ罪悪感を感じた。11時前にジャイプールのHOTEL NEELAMに着いた。デリーからジャイプールへの道は、デリーからアグラへの道より路面が良くて整備されていた。イムランが言うには、デリーからアグラにも新しい道ができたが、遠回りになるので古い道を使ったとのこと。みんなそうしていると言うからまた疑問が頭に浮かぶ。疑うと、通行料金を浮かせるために古い道を使ったんじゃないか?となるし、信じると、新しい道を造った意味がないじゃないか?となる。泊まったホテルの中で一番装飾されている部屋。窓はサッシでなく観音開き、外の音が聞こえてくるが、交通量が少ないのでよしとする。しっかり湯が出る水周り 装飾タイルがうれしい シャワーを浴びると便器も浸水ポーターに湯は出るか?と念押ししたら、問題なかったのにメンテナンスの職員が来てしまった。すみませんでした。カレーセットを食べる。旨くなかった。ワインを飲んで寝る。2日分の観光を1日ですませるつもり。明日は忙しい。
2013.01.13
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12:20 部長からイムランに電話があり、私に代われとのこと。部長から提案があり、この列車がアグラの近くのトゥンドラ駅に停まるので、その駅からUTSアグラ支店の車でジャイプールに向かったらどうかというもので、ただし5,000ルピーかかると言う。デリーまでこのまま乗り続けたらどうなるかと聞いたら、昨日の客はデリーに着いたのが夜1時で、そうなるとジャイプールには行かれないとの答えだった。そうなったら、デリーでのホテル代は出すんだろうなと聞いたら、そのくらいは出すとのこと。観光地の入場料や現地ガイド代はどうなんだと聞こうとしたら電波が切れた。デリーからジャイプールに行くにも、アグラからジャイプールに行くのも、距離に代わりはないから、5,000ルピーもかかるのは理解できないと言えとイムランに伝えた。5,000ルピーっていったら、今まであてがわれたホテルの2泊分じゃないか!イムランの電話に着信。部長が私に代われとのこと。部長はネギという男で、「イムランから聞いたか?」と尋ねると「聞いていない」と言う。つまり、ネギは、部下が伝える客の疑問を無視するということだ。それなら、こっちにもアウェーであっても覚悟はある。ネギは、走行距離が長くなるからと言い立てるが、「るるぶ」の地図を見ると、かえって短くなるくらいなので、「お前の言うことは嘘だ」と突っぱねる。ネギは「最終日にデリー空港まで送った後、車をアグラに戻すのに費用が掛かる」と言ってきた。「Its your buisiness!」で押し通す。たかが会社の車を200キロ回すだけで8000円も取るのか?お前たちの給料はそんなに高いのか?だったらODAも経済援助もいらないだろ!「だったら、デリーまで行けばいい」とネギが言う。日本だったら客に対してこんな言い方は絶対しない。客の便宜を図るのがお前の仕事だろ?腹が立つので電話を切りイムランに返す。大声でしゃべっていたせいで「この列車には他の国の観光客も大勢乗っていますから」とイムランが小声で言う。インド人から静かにしてくれと言われる日本人は珍しいに違いない。客が困っていれば助けようとするのが当たり前だと思うが、ネギはそれに付け込んで金を稼ごうとしているのだ。これが本当のカモネギだ。昼飯の車内弁当もカレー。青年2人は相変わらず水だけだ。2人はデリー泊だ。大をしに、トイレに行っておこう。デリーからジャイプールまで車で3時間かかるから。直径20センチ以上の穴から寒風が吹き上げる。なかなか出にくい。やっとの思いで、インドでは珍しい固いものが広軌のレールの間に落下。インドの大地に足跡いや痕跡を残した。デリー駅には、18時30分に着いた。乗車時間22時間35分、10時間以上の遅れ。何も無くても遅れるインドの鉄道。霧が輪を掛ける。線路上に何か(牛)がいても見えないから、徐行するのだろう。日本の新幹線は橋の上を通っているとイムランが羨ましがっていた。ちなみにメトロはインドでも遅れないそうだ。乗車中でも毛布を片付けに来る。インドでは当然のことだが、お邪魔しますとも何とも言わない。シーツは回収するが、毛布は使いまわしだ。
2013.01.12
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予約してあった寝台列車が霧のために運休とのこと。信じられないことだ。イムランは部長からの指示に従い、1本前の列車に変更するからすぐ出発すると言う。18時50分、デリー駅に到着。1番線のホームで待つ。当初の切符をキャンセルし、1本前の切符を取りに窓口に行く。(頑張れイムラン)2人の荷物の番をしながらホームで待っていると、左後ろから肘をたたかれる。左を振り返ると赤ん坊をおぶった10歳くらいの女の子が、うつむき加減に無表情に右手を差し出している。反射的にズボンの右ポケットを探り、たった1枚だけあった硬貨を小さな手のひらに落とした。手のひらに届いた瞬間、手のひらが少し沈み、女の子が少し驚いたようにも見えた。アルミの1ルピー貨と違って5ルピー貨は重みがあったからかも知れない。黙って去っていく女の子を眼で追いながら、肘をたたいた微妙な力加減、差し出された小さな手が自然すぎて、暗示にでも掛けられたかのように施しをしてしまったことに呆然とした。幸いにも切符が入手でき、1番線から5番線に移動する。変更した列車も1時間15分遅れて、19時55分出発オバサンが窓からゴミを捨てている。取れた切符は、22と21。上の段22を占める。夕食は、車内で注文する弁当。15時にランチだったので腹が空いていない。マンゴジュースとリンゴだけ取り、残りはイムランに食べるように言う。リンゴはしなびている。ジュースだけ飲んで寝ることにする。2枚のシーツをビニール製のシートに敷き、毛布を被せ、シーツとシーツの間に体を滑り込ませる。なんとか寝れるな。7日目 12月28日0:00眼が覚める。隣の上段のベッド(20番)の日本人青年が呻いている。。一息ごと、ウ~とかハア~とかうめき声を上げ、同じく一息ごとになにやら独り言を呟く。「大丈夫ですか?」「大丈夫だと思います。」苦しそうだが、遠慮したのか小声になる。1:00眼が覚める。再びうめき声で眼が覚める。朝7:40着予定なので、困るなあと思いつつ声を掛ける。「風邪ですか、熱があるんですか?」「少しだけです・・・。寒くないですか?」寒気がするようだ。「もっと着たらどうですか?ガイド呼んでトランク開けてもらいましょうか?私は3枚着ていますよ。」彼のガイドは気にもしていないようだ。「4枚着ています。」「ここから風が来ていますね。カバーしましょう。」とダウンのコートでエアコン寝台車の通風孔からの風を遮るように覆いをする。「ありがとうございます。うるさくしてすみません。」2:00眼が覚める。うめき声よりも独り言が大きい。「大丈夫ですか?独り言が多いみたいですよ。」「大丈夫です。」7:00眼が覚める。青年はぐっすり寝付いているようで静かである。毛布もはだけている。昨日のリンゴを食べてからトイレに行く。今はどのあたりなのだろうか?芯を捨てる。トイレの穴からは地面が見える。枕木に垂れ流しなのだ。なるほど、使ったトイレットペーパーが風で飛んでいくわけだ。インド人は右手のコップに水を入れて、左手で肛門を洗う。朝食はイムランが頼んでくれる。薄くて小さなインド風(イギリス風?)食パン2枚と小さなハンバーグ2個。挟んで食べてみる。鶏肉だろうが意外と旨い。この時点で列車は6時間遅れと聞く。青年のガイドが、「ダイジョウブデスカ?」などと調子よく声を掛ける。青年は、いかにも日本人らしく口ごもり遠慮しているので、「He wants another blanket!」と言って毛布を持って来させる。お調子ガイドは、夜間客を放置しておきながら、「アナタタチ、ナニカタベマセンカ?」などと調子のいいことを言っている。大体このお調子ガイドは、私の下の段だったイムランを替わらせ、もう1人の日本人青年を押し込み、自分の寝台から離してせいせいと寝ている奴なのである。Thanks Sorry Pleaseの3語が辞書にないインド人がガイドをやっているのだから、日本人添乗員のようにはいかないだろうが、だからといって客が遠慮していてどうするという気はする。体育系に見える青年が言うには、2人とも昨日から下痢で2時間おきにトイレに行っており、脱水症状防止のため水だけ飲んでいるとのこと。食後、イムランがチャイを持ってきてくれたので、2人にも勧める。いったん断ったが熱湯殺菌だし、温まるからと言ったら、下の段の青年が「飲もうかな」と言い、2人ともおいしいと言って飲んでいた。生姜がたっぷり入っているから腹下しにも良いのではないかと思う。2人が申し込んだ旅行会社は、旅工房。インドの提携旅行会社はバイシャリ・トラベル。いろいろな会社が同じようなツアーを組成しているのだ。日本とインドの小規模な旅行会社が提携してツアーを企画し、その商品を旅行代理店が販売して手数料を稼ぐ業態なのだろう。そういえば、滞印中、見かけた日本人旅行者は2人連ればかりで、3人以上の団体は、家族連れの韓国人、欧州人ツアー、そしてインド人観光客ばかりだった。日本の大手旅行会社の客は全く見かけなかった。今にして思えば、成田発のAI307便で窓際の席だったのだが、隣に子供、その隣に母親が座る3座シートで、子供がむずがるので構ってやり仲良くなったのだが、行きの道中からインド人と交わることになってしまったのだ。機内は満席で前後のシート合わせて9人中私以外はインド人。母親が言うには、この子の父親は旅行会社に勤めていたが5年前に独立し、日本で旅行会社を開業したということである。先が楽しみですねと言ったら、どうなんでしょうねえと流暢な日本語で返された。妻としては、会社勤めの方が気が楽なのだろう。
2013.01.11
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15:00 ランチを終えてロビーに行くと、イムランが現地運転手と言い合っているところに遭遇しました。18:00にホテルを出発する予定なのだが、それまでの時間に土産物屋に連れて行きたい運転手に対して、その申し出を断っているようです。運転手は、手数料を稼げなくなるのでひとしきり不満を述べているようです。先ほど「土産物屋に行きますか?」とイムランから聞かれたときに、「もう買わない」と答えたのですが、この運転手の運転が乱暴なので気が進まないということもあります。時間があるので、ホテルの周りを歩いてみようと思い立つ。玄関を出て左回りに1ブロックだけ散策しよう。リキシャに乗れと勧誘が多いが無視するのが上手くなった。途中、空軍基地がある。車・オートリキシャ・バイクが警笛もけたたましく通る。道路の端を歩きたいのだが、駐車している車、ゴミの山、汚水たまりがあり、それらを避けて歩かざるを得ない。土埃(牛糞含む)舞い上がる中、マスクをして歩く。左に曲がりたいのだが、角にたどり着かない。団地の入り口があるので、通り抜けられるだろうと思い、左右に団地を見ながら入ってみる。突き当たりに1棟あるのでT字路になる。右方は突き当たりにゴミの山、左方は変な小屋が建っていて先が見通せない。日本にもあるような鉄筋3階建ての団地が並んでいるのだが、道路が土で、棟と棟の間がゴミだらけ。野良犬もうろついている。狂犬病の発生件数はインドが世界一である。道の真ん中で糞をしようとしている犬がいる。なんと、犬も下痢だ。はじめて見た。インドでは、野良犬の肛門が赤く腫れている。牛といい、犬といい、道に落ちているものを食っているからだ。団地の中から通りへ引き返す。やっと左に曲がれる。というか、道は右にカーブしているのだが、まっすぐ商店の間を突き抜けられる道があるのでそこを通る。抜けると大通りが左右に延びているので、左へ行く。バスも通る大通りでホッとするが、気を緩めず前を見て歩く。ところが左の商店に気を取られた瞬間、右45度からバイクが迫って来た。踏み出した右足が前輪に踏まれている。とっさのことで声が出ない。踏んでいるインド人は予想どおり無言のままで謝りもしない。私はハンドルを押し返し歩き始める。革靴の丸い先端が凹んだだけで済んだが、散歩の気持ちは萎えた。次の交差点を左に曲がり、ホテルの前に向かう道に出た。ホテルの50m手前に左に曲がる小道があったので入ってみる。角のビルには3つの旅行会社が入っていた。インドは世界遺産が多く観光大国。人口が多いわりに産業が少ないので、観光に従事する人が多いのだろう。街中に小さな旅行会社が多い。このあたりはホテルの裏側だが、閑静な住宅地だ。豊かな住まいが並んでいる。と思いきや、小ぎれいなマッサージ店の敷地から青いビニール袋が飛んできた。自宅前の道にゴミを投げ捨てている。公徳心の欠片もなし。豪邸野良犬がうろつく貧乏人街と金持ちの住宅、100mと離れずに生活している。混沌のインドだ。住宅街30分の散歩で疲れる。5時を過ぎて読書にも飽きたころ、バカっぽい女2人と彼女達から君呼ばわりされている若者2人の日本人旅行者がロビーに入ってきた。彼らのガイドがしゃべり始めてうるさくなってきたので、イムランに荷物の番をさせ、隣の地下にあるBARに飲みに行くことにした。薄暗く、先客は1人。ヒンドゥー語でクダを巻いている。メニューを見ると安い。スクリュードライバーを頼む。山盛りのピーナッツのお通し付き。BARの従業員はカウンターの向こうに座っており、客席から見えないのがおもしろい。酒を飲むのが後ろめたいことだからなのか。ホワイトラムのロックを追加注文して320ルピー。400ルピー払い、80ルピーの釣りを持ってきたとき、100ルピー足りないと言ってしまった。勘違いに気付いて謝ったが、日本人は釣銭をごまかすと思われたかも知れない。6時前にロビーに戻る。受付の風景
2013.01.10
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12:00 ロビーで待ち合わせサルナートへ向かう。車で15分ほどの距離市内レストランで昼食と旅程表に書いてあるので場所を尋ねる。ホテルでだと言う。再び、チャッチャと回って一丁上がりにするつもりなのか?朝食の順番と昼食の場所に関してクレームを言うが、蛙の面になんとやら、牛の耳にコーランか!ダメーク・ストゥーパ(ブッダが初めて説法した地)の入場券をイムランが買っている間、車道と歩道を隔てる柵に腰かけて待つ。間髪入れずに物売り3人が目の前に立って見下ろす。土産品を差し出し、売りつけようとしゃべりまくる。無言で眉間に皺を寄せる。右側から順番に眼を逸らさずにらむ。30秒で退散させた。仏教遺跡として有名なサルナート。仏教徒には、ヒンドゥーの聖地よりもこっちが満足するだろうとの考えなのだろう。新しい金箔が張り付いている! これは偽装か?と疑ってしまう。「金箔が残っているのは何故ですか?新しいもののようですね?」と質問する。「そうですネ。仏教にもいろいろ宗派があります。」「そんなことは、仏教徒だから知っています。金箔が新しい理由を聞いているのです。」「サイベットの巡礼が貼ります。」(そうか、チベットの仏教徒が貼って行くのか!)「そう言えば、分かるんだよ。」「今は禁止されていますネ。」チベット人驚異、金箔だって安くないはず。いやインド人が剥がさないってことは安いのか?(「るるぶ」の片隅にタイ人が貼って行くと書いてあるが、どっちが正しい?)ストゥーパを拝んでいる人(イムランがサイベット人という黄色人種)拝んでいる人たち 本当に拝んでいるのだろうか?やらせではないのか、とまたもや疑ってしまう。風で飛んできたトイレットペーパーが上部にまとわり付いています。彫刻がある左方の壁、無い右方の壁「彫刻がない部分の壁は、いつ壊れていつ補修されたのですか?」と聞いたら、「そのようなことを調べた学者はいない。」との回答でした。この後、考古学博物館(撮影禁止)を見学後、仏教寺院へスリランカ人が建築したムルガンダ・クティ寺院日本人画家が書いた内部の絵 ブッダの一生が描かれている。14:10 ホテル着 ランチ旨し。これまで苦手だった豆のカレーが旨い。日本のインド料理店よりずっと旨い。15:00 ライス以外、完食
2013.01.09
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舟から降りて、車が待っている大通りまでにぎやかな通りを歩く。露店のチャイをごちそうになる。10ルピーだそうです。円に換算すると「深夜特急」の頃と変わりません。土の器を土産に持ち帰ろうとしたら、イムランが店主から新しいのをもらってくれました。使ったものをゴミ缶に投げ捨てるとあっけなく割れます。「ここは聖地ですから、全国から乞食が集まります。」とイムラン足ではなく手で道をいざって来る人、手首から先がない腕を差し出して施しを求める人何故か、子供の頃お祭りの境内にいた傷痍軍人を思い出しました。しかしながら、思っていたよりも少ない。見かけた物乞い2~3人、寄って来た物売り2人「日本の本、間違ったこと書いてあります。新しい本でも古いこと書いてありますネ。」とイムランが言う。同感です。トイレにはトイレットペーパーがあります。バクシーシもほとんどありません。意表をついたことと言えば、ガンガーに手を浸したあと、除菌ティッシュで手を拭きましたが、イムランにも1枚あげました。ところが、イスラムの禁忌でアルコールが含まれているものには触れないとのこと。酒だけじゃないんだ@@とビックリしました。普通のポケット・ティッシュをあげる。(インドでは貴重らしい)道路際の建物揚げ物も奢ってもらいました。小麦粉を練ってプリッツェルのような形にし、揚げてから砂糖を着けるお菓子です。甘すぎるし、油が滴り落ちます。物売りが左から近づいてきます。日本語で売り込んできますが、そのまま歩きます。左に駐車している車があったので体を幅寄せし、付いて来られないようにします。旅程表だと、ホテルに戻って朝食を摂り、午前中2つの寺院を観光するとなっていますが、ホテルには寄らず、観光だそうです。赤い寺院 ドゥルガー寺院だそうです。次はバラート・マータ寺院だそうです。駐車場にいた猿まわし 袋の中にはコブラがいました。大理石で造ったインド地図 篤志家がガンジーに寄贈したものだそうです。寺院の建物 コンクリート製寺院を2つ回って、一丁上がりという旅行会社の仕切りのようだ。朝食の時間が気になるのでゆっくりできない。朝食を後回しにするのは、道路が混むからだそうだが、運転手の都合のように感じられます。しかも、このヴェナレスの運転手は運転が乱暴です。チャッチャと回って、9:30ホテルでコンチネンタルの朝食。12:00サルナート観光に出発なのでシャワーを浴びて部屋で休みます。早朝勤務の代替休憩なわけね。ホテルの外観 花で飾るなど雰囲気に気を使っています。部屋 広くないですがツインを1人で使えるので満足水周り シャワーだけですが、熱い湯が出るので満足
2013.01.08
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下流の焼き場のところで、再びUターンします。こちらの方は、構えが堂々としており、厳かです。遠方から聖地バラナシ(英語ではヴェナレス)に巡礼に来て、ガンガーで沐浴する人たち団体の人が多いです。真摯な姿は、ボートからみても分かります。カメラを向けると気恥ずかしそうにするので、撮るのがはばかられます。この場所は、本当の聖地です。(自然に頭が下がります)途絶えることなく、人の心が残されていく場所が、聖地なのだと気付かされました。火葬用の薪を満載した舟東側が対岸です。 農地になっており、ヴァラナシに住んでいる人が舟で渡り、耕作しているそうです。ゴミはここに集められているようです。未亡人のガート土手だけのガートもあります。オールの柄が竹でできているので、ちょっと驚きました。周航が終わり、陸に上がります。牛も人も座って何かを待っているようです。
2013.01.07
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「汚い河の水で洗濯したら、かえって汚れませんか?」というのが頭に浮かんだ素朴な疑問です。「家でもう一度洗濯しますネ」「そうでしょう。観光客向けに洗濯しているのですか?」「洗濯機がない人が半分います。」(そんなことは聞いていない)「お金をもらっているのですか?」「一枚5ルピーですネ」金をもらって洗濯(の演技)をしているのだ。沐浴だといくらになるのだろうか?観光地になり、生活が観光の対象となり、演ずることで収入を得る。ここは物価も高いし、豊かだ。昨晩焼いていたモノも本物なのだろうか。昨夜見た上流の焼き場のところでUターン。錦布で覆われた棺が置いてある。(中はあるのだろうか)煙突があるのが、電磁式火葬場。「電子で焼きますネ」とイムランが言ったから、たぶん電子レンジの原理なのだろう。灯篭流しのように、器に入れたろうそくを流している。遠ざかる火葬場イムランが川面に手をつけ、「温かいですネ」と言う。本当だ@温かい。これなら沐浴できる。仏教徒だからやらないけどね。「井戸水と同じです。夏は冷たいですネ」井戸水とはちょっと違うように思う。「あの鳥はサイベリアのですネ」「サイゼリア?レストラン?」・・・沈黙「あの鳥はサイベリアからですネ」「(ひょっとして)シベリア?(渡り鳥?)」「そうですネ。英語ではサイベリアと言いますネ」(お前、日本語ガイドだろ?)鳥に餌付けしている舟未亡人が集まるガート下流の焼き場薪を積んだ舟物売りの舟 隣の舟に取り付いたとき、日本人女性が「いらない。いらない。」と喚いていましたが、無視するのが一番効果的です。河の増水で沈下した寺院
2013.01.06
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6日目、12月27日6:30 ロビー集合昨日と違う運転手。石段を降り、思っていたより大きなボートに乗り込む。ダウンのコートを着てても肌寒い。貸切ボート。他には漕ぎ手と現地ガイドとイムラン。想像していたのは、牛、犬、人の死体が流れている河でしたが、意外でした。透明度こそ30cmくらいだが、浮いているのはマリーゴールドの花くらいです。乗り込む前のガートでは、女の子が献花用の花を1篭いくらで売っている。1人の女の子がイムランと何か話している。「ジョーさん。ガンジス河に供える花です。買いませんか?」「いらない。」「なぜですか?」「仏教徒だから」「・・・」「あなたが買ったら?」「ワタシもイスラムです。」その場を立ち去る。イムランも足早に去る。話が付いていたのであろう女の子は、顔を歪めて喚いている。上流に向かい、岸を右に見て進む。右側通行だ。「赤い建物はホテルですか?」と聞く。「寺院です。」(あ~そうなんだ。寺院に失礼だったかな。)「黄色の横断幕には何と書いてありますか?」「広告です。下着の宣伝です。」「ガートにはホテルはありませんネ」と自信たっぷりにイムラン。「あそこには、ホテルと書いてありますよ?」「久美子の家もありますね。」「・・・」「あの絵は何ですか?」現地ガイドに尋ねている。ホテルにある「設備」を表示している絵だそうだ。洗濯しています。観光客を乗せた舟。幻想的です。沐浴しています。集団で沐浴し、撮影している観光客。洗濯している。このあたりから素朴な疑問が湧いてきました。
2013.01.05
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カジュラホ空港まで車で5分、空港の職員が同乗しています。空港の建物にスムースに入場するためだそうです。日本でもどの国でも、手荷物検査のところまでは見送りの人が来れますが、インドでは建物内に入れません。UTS(インドの旅行会社)がいくら支払っているかは知りません。厳重な手荷物検査をされたのち、カジュラホ空港の待合室今日はアグラ空港が開港した日なので、30分ほど遅れ気味だそうです。古い小さなローカル空港 誘導路を走っていたかと思うとUターンして離陸。機内は空いていました。1時間で到着。ヴェナレスの空港は、近代的だがデリー空港と同じで荷物が出てくるまで時間がかかります。ホテルまで車で30分。途中、「明日の朝ガンジスに行きますが、夜のガンジスも良いですよ。街の案内と舟に乗るツアーがあります。どうですか?」とオファーを受ける。しかし手持ちのルピーが残りわずか。HOTEL VAIBHAVにチェックイン。両替を1万円分頼みました。ガイドは15分待っててくださいと出かけて行きました。カウンターにいた従業員に部屋に案内され、湯の出を確認する。5分要すると同じせりふです。ロビーに戻って待っているとイムランが戻り、6,000ルピーに替えてくれました。レートはどうなのかな?夜のガンガーツアーは、1,000ルピーだという。「1,000ルピーの中には、チップも入っていますか?」と尋ねる。「はい、これはワタシの会社のツアーじゃありません。別の会社で800ルピー取りますネ。運転手がチップ200ルピーですネ。ジョーさんが毎日くれる500ルピーは払ってください。」日本語が下手とはいえ、その言い方にカチンと来つつ、嘘があるようにも感じる。ヴェナレスにも旅行会社の支店があるはずだし、運転手はそこの社員だと思う。それでも、「行きますよ。」と答えた。玄関の外で運転手と話している。戻ってきて、「時間が遅いから舟はありませんが、いいですか?」もともと、AI405便の運行時間が早い時間だったときは、夕刻ホテル着だったから舟に間に合うツアーだったのだろう。しかし、もう舟には乗れないのに同じなのか?だんだん機嫌が悪くなるが、ここは専属ガイドの顔を立てて1,000ルピー払いました。ヴェナレスの街中は、人通りが多く活気があった。車の両側、中学生くらいの女子生徒が三々五々、歩いていたり自転車に乗っていたりするのに出くわす。「この子たちは何をしているのですか?」「塾の帰りデス。ワタシも塾に行っていました。」(あんたのことは聞いていないよ)日本で入手した知識と異なり、他の街よりも豊かだと感じます。通行規制により車両は河岸まで行けず、大通りで下車。河岸まで歩く。道を間違えたようでイムランが通行人に尋ねます。「この道は閉まっている時間です。戻りましょう。」(道が閉まるのか?)「警察に払って、通っているリキシャがいますネ。」(ネットで見て知っている)ガートへの入り口に着いた。闇で対岸が見えず、川幅も分からない。ガンガーを実感できません。今回の目的の1つ、ガンガー。こんなもんでいいのか!(もう1つのタージ・マハルは霧の中)上流に向かって、ぐんぐん歩く。ガートの境を越え、ガートが変わるたびに段差や幅が変わります。ガートの1つ、閑散としている。ガート(GHAT)は、川辺から土手までの50mくらい、河に沿って30mくらいを「海の家」のように占有し、階段や土手をコンクリート等で固めてある場所です。寺院が持っていたり、マハラジャが整備したりしたものがあります。濡れているところを行こうとするので、汚いところを歩かせるなと文句を言う。暗いですし、道を選んで歩かないと牛や犬の糞尿に足を突っ込みます。子供たちがクリケットをやっていて、飛んでくるボールが危険。イムランに言いつけて、通り過ぎる間、やめさせる。最も上流(南)に行く。川辺に火が見える。「火葬です。近づいてはいけません。ここから見ましょう。」と100mの距離からイムラン。「そばで見ている人もいますよ。」(写真がダメなのは知っている)「違う宗教の人はダメです。」「白人もいますよ。」適当なことを言って、かまわず近づきます。燃えているところから10mまで迫り、じっと見る。「ここだったら大丈夫ですネ」(よく言うよ)10人弱の人たちが取り囲んでいましたが、全然分かりませんでした。ここには、84のガートがあって、上流と下流の端に1つずつ、2つの焼き場がある。ヴェナレスに来る前は、焼き場と沐浴と洗濯がゴチャ混ぜになっているものだと思っていたが、全然違いました。焼き場では同時に5体焼けるそうです。合計10体。「1日に何人焼けますか?」「・・・・・・。(インド人は分からないとは言わない)」「1人焼くのに時間はどのくらいかかりますか?」「・・・1時間くらいです。」(最大240体じゃないか。九九は得意だろ?)焼き場の上方、ガンガーを見下ろせるところに、電磁式の火葬場が建てられています。長い問答を重ねた結果、どちらを使ってもガンガーで火葬されたことになるらしいと分かりました。なお、川辺を選んだ場合、薪を使いますが高価だそうです。ヒンドゥー寺院
2013.01.04
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13:10イムランが現れました。15:00までロビーで待つと言います。この時間の無駄は、エア・インディア405便の運行時間が急に12月から遅い時間に変更されたからであり、旅行会社のせいではありません。しかし、日本出発直前、連絡を寄越した株式会社エアークリスタルに「空港で3時間半も待たされるのは嫌です。」とメールで伝えたところ、「現地の旅行会社も分かってるので対応を考えていると思います。」と返事を貰いました。ところが、イムランは日の当たっている駐車場に椅子を出して読書しています。日本には井村って苗字の人が結構いるんだよって話題から、イムランの苗字を聞いてみたら、無いという答えでした。身分証明書も名前だけだと言います。「家では母がピントゥと呼びます。私が三男だからです。」(バリ島と同じなんだ。バリ島でのガイドがニョマンさんっていったが、三男の呼び名だと言っていた)「長男はサキールと呼ばれています。」「イスラムでは長男がサキールで三男がピントゥなんですか?」「違います。家によって別々です。」(お前の家だけでの愛称じゃないかよ)「じゃイムランだけですか。」「はい、そうですネ。」「でもモハメッド・アリっていいますよね?」「モハメッドはイスラムの預言者の名前ですネ。(知ってるわい)イスラムでは男に皆モハメッドを付けます。」身分証明書を見せてもらうと「Mohd Imran」とあります。いつも話は時間を要します。ちなみに女性は名前だけだそうです。2時ごろ、JEANSがやって来て、菜園(garden in back of HOTEL)を見学しないかと誘います。そうでした。時間ができたので案内してもらいます。人参、パパイヤ、大蒜、玉ねぎ、マリーゴールド、茄子、大根、トマト、いろいろ育てています。庭師とボーイ庭師に何か(something little)与えてやってくれと言います。JEANSの頼みなので20ルピー渡しました。JEANSよ、おまえもか!インド人は、何でもgiftに結び付けます。2時半、チェックアウトを済ませた大柄な白人が向かいのソファーに腰かけ、話しかけてきました。「どこから来たの?」「日本」「日本のどこ?」「東京の南。横浜知ってる?」「うん。」「その南」「僕はアイスランド」「北大西洋の火山で有名なところだね。」アイスランドから来た彼は、ムンバイから来てヴェナレスへ列車で行くと言う。「ヴェナレスは、聖地(hollyplace)だから」と聖地にこだわる。「私もヴェナレス、飛行機で」「そう、インドは何日いるの?」「9日間、1月4日から仕事なんだ(と嘘をつく)。君は?」(日本では休暇を取るのが後ろめたいが、海外旅行していると休暇が短いのが恥ずかしい)「24日間」「長いね。」「その後、タイに行き、たぶんインドネシアにも行くことになる。」「1年くらいの旅?」「4ヶ月かな。」そこへ連れがやってきました。どうやら旅の途中で一緒になった間柄のようです。「彼はドイツからなんだ。」とサンタクロースのようなアイスランド人。ドイツ人はデュッセルドルフから来た若者で、日本企業が多いことやブンデスリーグで日本人が活躍していることが話題になりました。香川を知っていました。テーブルの上の小さなクリスマスツリーは彼らが設置したものでした。「How about india?」「Fanny and interest」と答えます。「They always sell something handcraft」苦労しているようです。ポツリポツリと話しているうちに、三島由紀夫が小説でヴェナレスを描いていること、切腹して死んだ作家であるという話から、まぜ日本人はハラキリするのかという質問になってしまい、私の英語がしどろもどろになったところで、彼らは迎えのタクシーに乗り、駅へと向かいました。ドイツ人とアイスランド人に挟まれる日本人皆さんのおかげで、無駄な時間を有意義な時間に変えることができました。それはまた、ここがインドであり、一人旅だったからだと思います。
2013.01.03
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11:20、ジイさんが待っている場所へ向かう。物売りをかわしながら歩いていると少年が左側から擦り寄り日本語で話しかけてくる。(日本人だってわかるんだなあ)インド人が言うには、顔で分かるとらしいが、私には韓国人と中国人の見分けは付きません。セブ島に行ったとき、ビーチでサザンの曲を聴いている2人連れの若者がいて、日本人だと思い込んだら、朝鮮語の歌詞だったということがありましたし、マレーシアでは、韓国人の団体客がやかましくて迷惑だなあと思ったら、大阪人だったということもありました。日本語を教えてと言うので、ジイさんのところまで話しながら歩き、じゃあねと別れようとしたら、ホテルまで付いて行きたいと言う。遅い道中、退屈しのぎに良いかと思い、「ジイさんに聞いてごらん。」と言ったらもう話をつけている。二人並んで座り、ジイさんは無言でこぎ出す。少年はマンドゥといい、12歳。オールドヴィレッジに家があり、今は冬休み。父親が農夫なので、将来農業を手伝いながらガイドをやりたいと英語・日本語を交えながら話す。(スーパーマリオによると、カジュラホには村が2つあり、ニューヴィレッジは観光化されてからできた新しい村で土産物屋ばかり、オールドヴィレッジはカーストの習俗が色濃く残っており、見学するに値するとのこと)東京に岡村というトモダチがいて、ここの「Blue Sky Restaurannt」で「下痢下痢Problem」を起こしたことをおかしそうに語る。同じ年頃だと思われる岡村君の年を尋ねると22歳だという。観光客もいつの間にかトモダチにされてしまうのだ。(これから私のこともトモダチと触れ回るのだろうか?)ジイさんは無言でこいで行く。ホテルに近づいたとき、両替のライセンスがないから、ドルでなく300ルピーくれと言う。なぜ2でなく3なのかは、マンドゥを乗せたからだと言う。そう来る予想はしていたが、300ルピーだと$6.66に相当する。(まあ、100ルピーが相場だとは言われていたが)ジイさん抜け目なく「Hard work」だと抜かす。私は「リキシャvery slow」と言い返す。マンドゥが味方してくれ、ヒンドゥー語でフォロー(想像)してくれる。いい子だなあと思う。結局、$3で決着、ジイさんThank youとも言わない。インド人としては当たり前か。リキシャ漕ぎは年寄りが多く、若い人はオートリキシャの運転手になるようだ。年寄りは運転免許を持ってないせいなのだろうか。マンドゥと分かれる際、ポケットの中の小銭7ルピーを与える。すると「何か日本のものをちょうだい。前のジャパニーズはくれた。」と迫ってくる。「お前なあ、私が日本語を教えてやってるんだぞ。」言っても聞かない。「ボクにも$1ちょうだい。ちょうだい。」と騒ぐ。マンドゥよ、お前もか!ホテルの敷地内には彼らは入れません。11:55チェックアウト このホテルにはアンケートはありません。ランチ(ダールフライ、カサ、マタラパニール)50分かけて完食。ロビーのソファーで支配人(ゼネラル・アドミニストレーター)のダッタさんと話す。26室のこぢんまりとしたホテルで、できることに限度があるといったことから、いろいろ話した中で覚えている話が2つあります。1つは、中国人観光客は傲慢でやかましいが、日本人観光客は礼儀正しく(Polite)ので好ましい。宿泊客で多いのは、西、伊、独、露、日、韓であり、欧米人はダイレクトに予約してくるが、日本人はインドの旅行会社の手配で来るだけなので、日本人に知ってもらえればうれしい。私がレストランの扉に貼られたトリップアドバイザーのワッペンを指すと、投稿してくれたらありがたいと言いました。中庭もう1つは、ホテルの環境を良くするためには、自分の身の回りからきちんときれいにしなければならないというポリシーを持ち、従業員にも徹底しているそうです。今回の旅で泊まった5ヶ所の内、GREEN WOOD HOTELは、最も清潔で居心地が良かったホテルです。階段も花で装飾
2013.01.02
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午前中、時間があるので西の寺院群にもう一度ひとりで行って来ます。ホテルの鉄門を出ると右の方から声が掛かる。隣の空き地に子供を含め10人ぐらいがうろついていて、その中のやせたジイさんがリキシャ屋だった。門番に相場を聞こうとしたら、余計なことは言うなと門番にすごい剣幕(想像)ジイさんに話しかける。「西の寺院まで$1」と交渉開始($1=45ルピー)あれっOKだって!ゴーさんからは100ルピーが相場って聞いていたのに???よっこらしょ、リキシャに乗り込む。「OneWay$1、OneWay$1」とジイさん繰り返す。片道料金の意思表示だと理解。片道3キロ、歩いて40分のところ、20分。それでも遅い。車・バイク・自転車全てが追い越し、追い抜きざま振り向いていく。寒いのに家の前で行水。道端で屯していた3人組の兄ちゃんの1人が日本語で声を掛けられる。インド人は、少なくとも客商売のインド人は、日本人を韓国人・中国人と的確に見分ける。「どこから来た?」面倒なので「東京」と答える。リキシャが遅いので会話が成り立つのが情けない。この兄ちゃん何を思ったのか、オートバイで追いついてきて話しかける。会話が弾み、10分ほどで西の寺院群に着く。腰の高さの石塀があり、ここから車両は入れません。リキシャを降りる。兄ちゃんもバイクを降りる。ジイさんに$1払おうとするが受け取らない???ジイさんがなにやら話し、兄ちゃんが解説。戻ってくるまで待つんだって@@@もう$1のために2時間も待つんだぜ!のろいので帰りはオートリキシャと思っていたのに。チッ仕方ない11時半に戻ると伝えて歩き出す。兄ちゃんはこの先で土産物屋をやっていて店名はスーパーマリオという。カシミールからカシミアを仕入れて売っている。品質最高、値段格安だそうだ。カシミール出身ではなく地元出身。入場券売場のそばで、昨夜ホテルに送ってくれたビノードの部下に遭遇「Remember Me?]と声を掛けられた。券売所で店によって行けとしつこい兄ちゃんを振り切る。外国人様250ルピー。インドおもしろいなあ。金を稼ごうと狙っている奴があらゆるところにうごめいている。彼らが間断なく寄って来る。一人放って置かれることがない。テンションがどんどん上がっていきます。物売り撃退も慣れてきました。見学していたら、一番右のお兄さんが話しかけてきました。ガイドか?と聞くとアテンダントだと答えます。ガイドと名乗ると詐称になるなるのでしょう。Attendant=付添い人、随行員なんだ、私製(ヤミ)ガイドか!英語で説明を始めたところを、「今日は2日目なので、フリーで見たい。」と断りました。寺院に参拝するヒンドゥ団体客、観光?巡礼?
2013.01.01
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