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蕗採りをしました。皮を剥くのがたいへんで肩が凝りましたが、薄味で煮つけ、季節感のある1品になりました。今年も大地の恵みを無駄にせずに済んで、ほっとしています。若い頃は時間貧乏性で、次々と何かしながら、それでもまだ、やり残しがあるような気がして焦ってばかりいた私。一つ一つの出来事を、味わうことを忘れていました。たくさんの事をこなしたようでも、片付け仕事になってしまうと記憶に残ることは少なく、結局、人生の浪費だったかもしれません。もっと丁寧に生きよう、と思うこのごろです。
2024.05.29
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前回の投稿から3か月も経ってしまいました。新作に没頭していたからです。もうすぐ草稿が仕上がります。没頭していた間はいいのですが、物語の終わりが見えてくると、さて、これをどう世に出せばいいか、ということが頭を過ぎり始めます。厳しい出版状況が思い出されて、気が滅入ってきます。そんな時、図書館はほんとうに有難いものです。小説を書いて生活している方や書店を経営している方にとっては、図書館は敵かもしれません。けれど、私のようにメジャーな賞を貰ったことがなく、有名な文芸誌に短編の一つも載せてもらったことのない者にとっては、図書館はまさに「拾う神」です。「たった一つの抱擁」2007 は 15館が、「沙羅と明日香の夏」2011 は 57館が、「青い鳥のロンド」2017 は25館くらいが、「時鳥たちの宴」2022 は21館が、拾ってくれました。最近は寝る前に、愛知県の図書館だけですが、貸し出しされているかを一括蔵書検索で調べるのが、癖になってしまいました。十年以上前に出した「たった一つの抱擁」と「沙羅と明日香の夏」は、さすがにもう奥の書庫にしまわれたのでしょうね。蔵書されてはいますが、カウンターでリクエストしないと借りられないためか、貸し出しがなくなりました。でも、「青い鳥のロンド」と「時鳥たちの宴」はまだ、毎日どこかの館で借りられています。新しく『貸出中』となっていると、どんな方が何を感じて手に取ってくれたのかなあ、と読者さんを想像して嬉しくなり、思わず、「ありがとうございます」と手を合わせてしまいます。出版or発表の目途もつかないままに書いていると、時に気が沈んでくるのですが、『貸出中』の文字を見ると「読んでくれる人はいる」と思えて、また気力が湧いてきます。幸せな気分で眠れます。これまでに、図書館からどれだけの読者さんを得られたでしょうか。本は読みたいけれど金銭的な余裕がない、という方も少なくないと思います。図書館は、作品を読者さんに出会わせてくれる、私のありがたい味方です。 こちらは電子書籍です。
2024.05.15
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一昨日、この地方には珍しく雪が降って、朝にはもう、うっすらと積もっていました。そうなると、私は心がふわふわして、何も手につかなくなってしまいます。窓の外を眺めては、ただ、綺麗だなぁ、と見とれるばかりです。どうせ長くは降らないのだから、書きかけの小説の世界に入ってしまうのも惜しく、手持無沙汰なままに、ネットで自分の既刊書がどうなったか、ポツポツ検索しておりました。すると、Amazonでは、2冊残っていた本を誰かが一冊購入してくださったようです。残り1冊になっていました。急に胸の中がポッと温かくなり、買ってくださったのは、どういう方だろう? と、降り積む雪の中に、その姿を想像してしまいました。そのうちに、ふと、図書館は? と思いつき、愛知県内を調べてみました。結果、小説「時鳥たちの宴」(緋野晴子著)が所蔵されている館は、以下のとおりでした。名古屋市立 …… 北、西、東、鶴舞、千種、中村、瑞穂、中川、富田、山田、熱田、徳重。豊橋市立中央、岡崎市立中央、刈谷市中央、安城中央、豊川市中央、新城、蒲郡市立、知立市立。 (計20)出版からもう2年8か月も経っていますが、そのうち5箇所が貸し出し中でした。図書館とは、ほんとうに有難いものだと、しみじみ思います。所蔵されている限り、こうして読み継がれる可能性があるのですから。どんな方が借りてくださったのだろう? 読み終えて、どんな感想を持たれたろうか?……楽しい空想が尽きない、雪の朝でした。 (これは電子版です。Amazon、kindle、でお求めください)
2024.01.27
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先日は第12回目の「虎希の会」で、久しぶりに東京へ行ってきました。今回は菅直人氏の喜寿と岳真也先生の出版を祝う会です。岳先生に初めてお目にかかったのが、この虎希の会の第1回目でした。つい昨日のように思われるのに、あれから、もう7年! 時の過ぎゆく早さに、啞然としてしまいます。今回は、この秋、突然に逝ってしまった、「かがく塾」の仲間である笠健人くんと、先生の姉上で画家の井上一恵さんを惜しんで、ふたりのための追悼文集を作成し、出席者の皆様にお持ち帰りいただきました。かがく塾のメンバーの他にも多くの方が寄稿してくださいました。また、編集を一手に引き受けてくださった松本のぼるさんには、感謝、感謝、です。愛知の山奥にいて、何もお手伝いできなかったことを申し訳なく思います。文集「かがく」には、笠君の小説「冬に咲くコスモス」が掲載されています。宴会が終わって、ホテルで読んでいると、彼の顔や、必死にアドバイスを求めてきた電話の声が思い出されて、涙腺が緩んでしまいました。君は命がけで書いていたんだよね。よく努力して、上手くなっていたんだなあと思います。文集の表紙は、井上一恵さんの作品です。お会いしたことはありませんが、とても魅力的な絵です。文章でも、絵でも、作品はその人そのものですね。二次会に誘われましたが、山奥の静寂の中で生まれ育った私は、「騒音」というものに弱く、2時間の宴会が精一杯です。個性的な方々とお話できて、楽しいには楽しいのですが、頭痛くなっちゃって。前回は文壇バーでしたので、なんとかお付き合いできましたが、今回はカラオケと聞いて、もう無理だと思いました。かがく塾のみなさん、付き合い悪くてごめんなさい。一次会の女です。写真は会の前に、岳先生と。そして、追悼文集「かがく」です。
2023.12.10
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ついに発売です。 kindle版「時鳥たちの宴」緋野晴子 Amazon本 で、タイトルを検索してください。紙版の半額 750円です。(内容ご紹介)ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人である大海豊から便りが届く。遥は、十年前に浮橋邸で催された「平安の夜の宴」を思い出し、胸が小さく疼いた。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。魂を誘うような、その光の舞いを脳裏に浮かべているうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引きこまれていった。そこは、大学の国文学科の浮橋ゼミ。男女八人のメンバー+教授に訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛の行方は?青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説。一 大海の便り二 東風三 若葉四 浮橋五 七日月夜六 時鳥七 皐月雨八 恋歌九 夏草十 海辺の月読十一 月夜茸十二 萩の庵十三 風花十四 明けぐれの雪十五 如月の梅十六 それから十七 蜜柑の丘浮橋教授による平安時代の風俗や恋愛観の話もあり、古典好きはもちろん、古典が苦手な人も、大いに楽しんでいただけると思います。なお、読後に、評価の★をつけてくださいますと、たいへん有難いです。もちろん、レヴューをいただければ、もう、感謝、感謝です。作者冥利に尽きます。よろしくお願い申し上げます。
2023.11.09
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電子版「時鳥たちの宴」の、表紙が決まりました! 私の都合で二週間ほど遅れましたが、間もなく出版されます。紙版の表紙も気に入っていましたが、こちらも、なかなか良いと思います。如何でしょうか?
2023.11.02
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昨年出版された 緋野晴子の「時鳥たちの宴」は、お蔭様で好評で、紙の本はAmazonに2冊を残すのみとなりました。この2冊が売れてしまうと、市場から完全に存在が消えてしまいます。それは寂しいということで、このたび、電子書籍化することになりました。価格は紙版の50%、750円+税です。また、それに伴って、表紙も刷新されます。表紙は読者さんの大きなキャッチポイントですから、表紙が変われば、手を伸ばしてくださる読者さんの層にも変化があるかもしれません。どんな表紙になってくるか、今からドキドキ、楽しみです。ただ今、制作中。来月半ば頃にはリリースされると思います。
2023.09.26
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お久しぶりです。緋野晴子です。 三か月以上もサボっておりました。皆様にすっかり忘れ去られる前に、別府旅行のことなど、お話してみますね。冬に母が骨折してから半介護の生活になりまして、私は旅行もままならなくなったのですが、次男が別府で事業を始めることになり、妹が母の世話を代わってくれましたので、引っ越しの手伝いを兼ねて行ってきました。台風が近づいている時で、飛行機を避け、電車を使いました。珍しかったのは、小倉から大分方面へ向かう日豊本線のソニックという特急です。床が木なんですね。床の板には刻印がありました。子どもの頃の飯田線を思い出して、なんか、いい感じ。今回は引っ越しの手伝いが半分でしたので、観光は鉄輪温泉と別府市街だけにしました。鉄輪地区を丘から眺めると、あちらこちらに湯煙が見えます。さすが温泉地。でも、道路の下からも蒸気が立ち上っているのには、さすがに、びっくり! 足蒸し湯があったのですが、夏のことで、とても暑くて入れませんでした。次回、冬のお楽しみにとっておきます。鉄輪温泉では、「ひょうたんの湯」に入りましたが、そこの食事場所のカレーが、とっても美味しい!! すりおろし野菜がいっぱい入っているのかな? 作り方を知りたくなるカレーでした。Verdy good! 資料館がありましたので、入ってみました。雨の水滴が温泉になって湧き出るまでの旅が立体イメージ映像で見られたり、この地域の火祭りの衣装が展示されたりしていて、興味深いものがありました。この衣装をみると、なんだか、東北のナマハゲ👹や、北海道のアイヌの衣装に似通ったものがあるように思われます。ひょっとして、東北の人々というのは、かつて九州に住んでいて、朝鮮半島から入って来た民族に北へ追われたのではないだろうか? アイヌ文化というのは、この九州由来の文化と、ロシア方面からの文化が入り混じったのではないだろうか? そんなことを考えてしまいました。面白かったです。別府には、市街地にも小さな温泉施設がポツポツとあります。その代表格は、竹瓦温泉です。ここのお湯は跳び上がるほど熱くて、地元の方は入っておられましたが、私はとっても無理で、湯船の外で流すだけにしておきました。残念。でも、その代わり、砂湯があったんですよ。砂の重さに、包まれているような安心感があって、ぬくぬくとして、とってもリラックスできました。今回観光できたのは、ほんの一部。旅行と言えば当分、別府になりそうです。では、また。
2023.09.10
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世間で騒がれているので、どんなものかと、私もちょっとChatGPTで遊んでみました。明治の有名作家・小説については、ふむふむ、なかなか上手く解説するじゃありませんか。では、「緋野晴子について教えて」 というと、まあ! なんと! こんなことを言うんですよ、みなさん。緋野晴子は、日本の小説家であり、推理作家です。(え? 私がいつ、推理小説を?)1958年、東京都生まれで、早稲田大学第一文学部卒業後、(1955年、静岡県の山奥で生まれ、大学も違うんですけど…)1990年代から執筆活動を始めました。(2005年からですってば)代表作に、『禁断の魔術』シリーズや、『殺意の接吻』シリーズがあります。(ちょっとお、やめてよう。……全然、知らないわ)彼女の作品は、様々なジャンルを網羅しており、推理小説、ホラー小説、ファンタジー小説、恋愛小説など、幅広い読者層から支持を得ています。(そんな器用な人間じゃないですよ)また、主人公が女性である作品が多く、その描写には緻密な心理描写が取り入れられていることが特徴です。(それはまあ、若干当たっているかも)緋野晴子は、数々の文学賞を受賞しており、その才能が高く評価されています。(ああ、そうなったら、いいのに!)というわけで、嘘ばっかり! 爆笑!! もしや、そういう同名の作家さんが実在するのかも? と思い、調べてみましたけど、見つけられませんでした。いったい、どこから、こんなフェイク情報を引っ張ってくるんでしょうね。緋野があまり知られていない存在だからかと思って、わりと有名な現代小説家の方でもやってみたんですけど、やっぱり、嘘ばっかり! 面白すぎました。みなさん、将来はともかく、今は、AIの言うことなんか、信じちゃいけませんよ。AIはまだ赤ちゃんです。真実を語るには未熟すぎます。あるいは、将来的にも・・・基本的に、ネットの中にある断片的な関連情報を拾い集めて、そこから推測しうるもので作文していると思われますが、これは、危険を孕んでいます。元になる情報を、悪意を持った者が故意に歪めて大量に流した場合、AIはそれに引きずられ、まことしやかにフェイク解説をするでしょう。それを真に受けると、とんでもない混乱が生じることは想像に難くありません。ですから、みなさん、自分で確認し、自分の頭で考えることを最優先にしてくださいね。AIをどういう場合に、どういうふうに使えるか、あくまで、道具としての活用方法を考えてみましょう。
2023.05.21
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これまでに四冊の小説を出版し、今、五作目の原稿を書き上げた。このあたりで少し立ち止まって、自分の小説について考えてみたいと思う。 比較的売れた作品もあれば、売れなかった作品もある。その違いはどこにあったのだろうか? 私のようなメジャーな賞をとっていない著者の場合には、第一に、タイトルや装丁が人々の気を引くものであったか、帯にどなたかの推薦文があったか、等の要素が大きいとは思うけれど、そこを問題にしても著者としては意味がない。顧みるべきは、読者の反応だ。「沙羅と明日香の夏」は、広範な読者に共感され、愛される小説だった。対して、「青い鳥のロンド」は、感想にずいぶん差があった。女性、特に職業を持った女性たちには絶賛され、男性たちの反応は概して鈍かった。それは、恐らくこの小説が、女性の心理を主として描かれていたからだろうと思う。私としては男性を含めた幸福を追求したのであって、男と女で成り立つ世界の未来を志向するためのものだった。けっして、女性の不幸を訴えるというような偏狭なものではなかったのだが……。この反応の差こそが、つまりは今の社会の現実なのだと再確認することになった。 男性には、共感できる心理的体験がないのだと思う。のみならず、共感したくないという心理の働く男性も少なくないのだろう。真の幸福を求める女性の心理は、男性にとっては関心の薄い、あるいは耳の痛い、ひいては都合の悪いものでさえあるかもしれない。そうした前提のある時点で、この小説はすでに読者の半分を失っていたと考えられる。「青い鳥のロンド」は、初めから読者を選ぶ小説だったということなのだ。 小説が読者を選ぶ・・・そこで私が考えてしまうのは、「私は誰に向かって書いたのだったろう?」ということだ。 小説は独白ではない。独白なら大学ノートにでも書きつけておけばいい。小説を書くということは、現実そのものとは別の、意図的な世界を創り出すということで、なぜそうするかと言えば、そこに誰かを(読者)を招き入れたいからである。 私は、この混沌とした世界の中から、自分だけが感じ取った主観的な世界を、一枚の透明なスクリーンのように漉しとって、小説という文章の中に展開する。自分というフィルターを通して整理・象徴された世界の中に生きてみようとするのだ。だから、最初にそこに招き入れられるのは、自分自身ということになる。けれども、それだけでは終わらない。描かれた世界は独白と違って、必ず他の、より多くの訪問者を求めるもので、それは、「誰かの魂と繋がりたい」「自分の眼が漉しとった世界を、共に眺めてくれる人が欲しい」という、小説を書く人間に共通した根本的な欲望からくる。 それならば、その訪問者は誰でもいいのだろうか? 多ければ多いほど? 確かに門戸はすべての人に向かって開いている。「青い鳥のロンド」の場合で言えば、女性はもちろん、男性たちにも広く読んでもらい、人としての幸福・家族の幸福・人間社会の将来について、共に考えてもらいたかった。 それでも、よくよく心の奥を探ってみると、結局のところ、私がほんとうに自分の世界に招き入れたいと望んでいたのは、自分に似た魂を持つ誰かだったのだということに気がつく。私は、男性でも女性でも、どの世代の人でもいいから、とにかく魂の通う相手を探していたのだと。だから、多くの男性たちの反応が鈍くても、「私のために書かれた小説だと思った。自分の本当の幸せが何であるかが見えてきて、迷いがなくなった」という、ひとりの女性の感想を聞いて、十分に報われた気がしたものだ。それは他の小説書きの方々も、根本のところで同じではないだろうか。 小説が不特定多数の、あるいは不特定少数の、魂の通う誰かを探しているものだとするなら、私としては、つまり、ひたすら自己の世界を芸術的に描き出すことだけに専念すればいいということになる。それは、とても有難いことだ。 私は一時期、人に読んでもらうからには読者を意識しなければならない、多くの人に読んでもらうためには、そういうことに敏感であるべきでは? と思っていた時期があった。けれども、それは間違いだった。特定の読者層にアピールするように書こうと考え始めると、私の小説は、どんどん駄目になっていった。私にはそう感じられた。そもそも、他人にアピールするようにといっても、私はそれほど他人を知ってなどいないではないか。 だから、書くときは、とにかく、徹底的に、自分自身を発信するほうがいい。そうすれば、小説が自ずと読者を選んでくれる。書き手は、その選ぶに任せればいいのだ。なべての人々の魂を呼び込む場合もあれば、片寄る場合もある。それでいいというのが、私の結論だ。 ついでに言うなら、文学賞の求めるものを意識して書くというのも、私は邪道だと思う。文壇は、作家という職業を生業にしている人たちのギルド社会だから、そこで目を引くのは、新鮮な素材(現代性)・新しい技法・珍しい文体・斬新な構想・細工のかかったプロット等。でも、そこから入って捏ねくってみても、生きた小説にはならない気がする。読み慣れた人たちの興を喚起することはあっても、市中の誰かの魂を揺さぶるものにはならないだろう。あくまで、自分の内側から突き上げてくるものを、どう展開すれば小説世界の中に完璧に描けるか、そのための表現方法を探るべきなのだ。 ただ、書き上げた作品について、どんな人が読者さんになってくれるだろうか? と考えてみることは大切だ。「沙羅と明日香の夏」を書いた時、私は中高生にも読めるようにと、漢字その他の表記にずいぶん気を配った。読者を想像してみて多少の表現を変更することは、自分の世界に人を招き入れる者として、当然必要なことだと思う。 ところで、ここまで「小説」という言葉を自分勝手に使って書いてきたけれど、それは純文学を念頭に置いていたのであり、エンターテイメントを主眼とする小説となると、たぶん、この限りではない。もとより、どんな小説があってもいいわけで、実際に、現代小説の主流は、少し深いもののあるエンターテイメント系になっている気がする。私もその線に近づけて「時鳥たちの宴」を書いてみたりした。読者さんたちの反応は、たいへん良かった。だから、職業としての作家を目指す人たちから見れば、前述の私の論などは、売る気のないアマチュアの傲慢さに過ぎないのかもしれない。 それでも、私はやはり傲慢に書いていこうと思う。「時鳥たちの宴」には面白いという評が多く集まったが、意図した核心部分はどれだけ響いていたろうか? 他の三作への感想とは、質的に明らかな違いがあった。 魂の通う誰かに向けて、魂を込めたものを書く。むやみに多くの読者を望まないことにしよう。
2023.05.07
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4月20日。第三回加賀乙彦顕彰特別文学賞(四方田犬彦氏の『戒厳』)の受賞を祝う会で東京へ。場所は例によって西新宿の嵯峨野です。岳真也先生はもちろん、三田誠広先生にもお目にかかり、文藝家協会への推薦のお礼が言えて良かったです。「僕って何」の文章から滲み出てくる雰囲気どおりの、威張ったところのない、誠実で優しいお人柄が感じられました。藤沢周さん(先生と呼べるほどに、私はまだ認知されておりませんので、さん付けで呼ばせていただきます)ともお話ししたいと思っていたのですが、席が遠くて叶わず残念でした。氏の「世阿弥最後の花」は、ほんとうに惚れ惚れする文章でした。また、次の機会を待ちます。四方田さんの「戒厳」については、読んでから行こうと思ったのですが、身辺慌ただしく間に合いませんでした。四方田さん、ごめんなさい。 これから読ませていただきます。何人かのFBの友人や、小説書きの仲間たちにも会えて、自分がいるべき場所を再確認できた思いです。たまには老母から離れて、文藝世界の空気を吸ったほうがいいと思いました。私の東京行きのために母の世話を代わってくれた姉に感謝です。写真は遠くから撮ったためか、シャッターチャンスが悪かったか、それともスマホのカメラがおかしいのか、ボケてしまいましたが、雰囲気だけは分かるかと思います。
2023.04.25
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このところ、物書きの友が増えています。かつてのブログの友人「夢追い人」さんとの再会もあれば、新しい出会いもありました。「文藝軌道」という同人誌で10年ほど活動されてきた小説家の小田部尚文さんです。「プロポーズアゲイン」「ごじゃっぺ」など単行本も出版されています。(Amazonでご覧ください)フェイスブックで知り合い、私の「時鳥たちの宴」にご感想をくださいました。大変に優れた作品だと思います。中世の文学、平安時代の歌を巧みに用い乍ら、現代の若者たちの行動と心理をそこに当てはめていく。面白い試みだと思います。若い人たちの心理を巧みに描き出しています。これだけの作品は国文学を学んだ人にしか書けません。通常、小説には主人公以外多数の登場者を入れると読者には分かりにくくなり、混乱をきたしますので、出来るだけ登場人物を絞ります。この作品には浮橋教授以下男女約8名が登場し読み手には多少重荷になりますが、それが一人一人個性豊かに描かれており読者を飽きさせません。特に浮橋ゼミの中での若者たちのやり取りは生き生と描かれており、読者をまるで学生になった気分にさせてくれます。P97の「法律のことは分からないけど・・・円満に暮らしていけるんじゃあないかしら」この部分は曖昧性を見事に語っています。そうですよね、曖昧とは人生の潤滑油なんですね。P194の「三人はそれぞれ・・・・どれもけなげで、すこし哀しい」ここは名文です。この小説は全体的に美しい文章で溢れています。女性作家が男性を描くと描かれる男たちは女性のように描かれてしまいます。全体の印象は男性が女性のようで少々大人しい印象がしました。それは平安時代を現代風に描くという著者の意図なのかもしれませんが。216Pから始まる浮橋教授とのやり取りが現実味があって面白い。男のエゴが良く描かれています。ああいう場面では男は教授のような態度をとるのでしょうね。私も結婚相手ではない女性を妊娠させたら浮橋教授のような行動をするでしょう。男の読者はあそこを読んで「はっ!」とします。良く描かれています。余計なことですが、私には身に覚えはありません。そんなことはどうでもよろしい!ですよね。とまあ、勝手なことをずらずらとお書きしました。今後の更なるご健闘を祈っています。大変面白い小説でした。小田部さん、とてもご丁寧に読み込んでいただき、ありがとうございました。男性の描き方など、いただいたお言葉を今後の創作に生かしていきたいと思います。私も小田部さんの「ごじゃっぺ」を読ませていただき、痛快でしたので、少し、ご紹介します。茨城弁丸出しで、見た目も冴えず、女性にもてない銀行員が、大活躍して支店を立て直し、ついに恋人を得るお話なんですが、その大活躍の描かれ方がすごい。Amazonの内容紹介欄にもありましたが、まさに快刀乱麻を断つ活躍です。一方で、恋人と訪れる沖縄の小浜島のハイムルブシのところなどは、この上なくロマンチックに描かれていて素敵です。私もそこに行ってみたくなりました。全体的に描写がお上手で、それぞれの場面にみな臨場感があり、目の前で見ているような気分にさせられます。こうした点は、脚本に近いものがあるように思いました。銀行の人事とか、融資関係の業務とか、一般預金者には見えない世界が描かれていることにも興味が引かれます。ある文芸評論家さんは「茨城弁で毒沼を罵倒するシーンはユーモアに富んでおり雷太の真骨頂ともいうべき名シーンである」と述べられたそうですが、確かに、この終盤のヤクザとのやりとりは、快男児「ごじゃっぺ」の本領発揮です。筆が乗っていてリズムが良く、すっかり引き込まれてしまいました。とにかく胸のすく面白さでした。興味を引かれた方は、ぜひAmazonでお買い求めください。茨城県をはじめ、全国の多くの図書館にも配架されているようです。私の書く小説とはタイプがまったく異なりますが、創作上、考えさせられることは多々ありました。良き「書き友」を得られたことに感謝したいと思います。そして、驚いたことに、小田部さんは、私の「かがく塾」の師・岳真也先生と大学で同期だったそうです。人の縁とは不思議なものですね。
2023.03.13
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つい先日のことです。ツイッターに思いがけない方から返信をいただきました。 数年前に閉鎖されてしまったyahooブログのお友達で、ブログの閉鎖とともに音信不通になっていた方です。その頃のブロ友さんたちは、ごく一部の方を除いては、みんなどこかに散らばって行かれ、一期一会だなと思っておりました。偶然私を見つけて声をかけてくださったのは、夢さんとお呼びしていた「夢追い人」さんです。「セイラさん」と懐かしい呼び名で呼ばれ、当時の空気が一気に蘇ってきました。ご縁のある方とは、また繋がっていくようです。 彼はあれからまた一冊出版し、この三月にもう一冊、新作を出すとのことです。夢を追い続けているんだなぁと、嬉しくなりました。さっそく彼の著書「遍路で辿るもう一つの伊豆」を購入し、Amazonにレビューを書かせていただきました。新作は「伊豆で宇宙の平和を願う」だそうです。夢さんからは、私の「時鳥たちの宴」に次のようなご感想をいただきました。本書を読んでいると直木賞を受賞した「青春デンデケデンデケ」が思い浮かびました。どちらも青春を題材にしており、読者はまぶしいばかりの青春を羨むが、主人公達はそのような実感はなく、悩み、苦しんでいるのに、どこが眩しいんだ、と主張している部分が共通していると感じました。作者は、人の心のひだを、文章を使ってキャンバスに描き出そうとする画家を想起させます。しかも右手と左手を交互に使い分けて作品を描いている。そして、時に、描いている作者自身がその中に登場する。しかし、それは実際の作者ではない。作者は作者にしか分からない方法で作品に登場している。どこに自身の実体験を投影させているのだろう? と、読者が描かれた絵の中に作者の姿を探しているのを、作者が楽しんでいる様子が目に浮かびます。う~ん、夢さん、なかなか視点が鋭いではありませんか。笑そうですね、作品は作者の投影ですからね。登場人物の誰かということではなく、あらゆるところに密かに登場している、と私自身も思います。貴重なご感想を、ありがとうございました。 これを機に、また繋がったご縁を大事にしていきたいと思います。限定販売の「時鳥たちの宴」は、出版社に、あと二十数冊を残すばかりとなりました。興味を持っていただけましたら、ぜひAmazonでお買い求めください。(内容紹介)ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人の大海豊から手紙が届きました。遥は、大学時代に浮橋邸で催された「平安の宴」を思い出し、胸が小さく疼きます。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。その、魂を誘うような光の舞いを脳裏に浮かべてうるうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引き込まれていきます。そこは、国文学科の浮橋ゼミ。そこに集った若者たちに訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛のゆくえは?青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説です。
2023.02.18
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しばらくご無沙汰してしまいました。実は、昨年十二月、母が骨折で入院しました。幸い軽くて、年末には退院できましたが、もともと膝が悪くて歩行が覚束なかったところへ、入院で筋肉が弱って、介護が必要な状態になってしまいました。それで、このひと月余り、初めての介護に奮闘していたというわけです。今まで人様のお話は耳にしていましたが、なるほど介護って、自分でやってみると、ほんと!大変!! もう、腰や膝が痛くって、特に入浴の介助は大仕事です。夜中も二度トイレに付き添うので睡眠不足になり、わずかに空いた昼の時間が昼寝で潰れてしまいます。介護で最も辛いのは、自分の時間が無くなってしまうことだと、身を持って知りました。お蔭で、母の骨と筋力は順調に回復してきて、今では一人でベッドから立ち上がり、部屋に付設したトイレに、なんとか一人で入れるまでになりました。シルバーカーに掴まれば庭を歩くこともできます。私もようやく、少しゆとりが出てきました。と言っても、骨折の原因は膝が駄目になったことによる転倒です。昨秋、三度も転びました。これまでは週に三日、母の家へ行って手伝いをしてきましたが、もう、一日も一人にはしておけず、何かと眼の離せない状態になってしまいました。昨秋、転倒する前に、母自身が、あれだけ愛していた畑を、「もう、やれん。これでお仕舞いにする」と言いました。私は、(何を言ってるのよ。来年の春になったらまた、やると言うに決まっているのに)と思いましたが、母には自分の体の限界が分かっていたんですね。母の入院中に、私は畑に残っていた菜や里芋、大根などを残らず掘り上げて、大事に我が家に持ち帰りました。今までは、貰っても時々腐らせていた野菜が、とても愛しく大切なものに思われて、ほんの小さな芋でも、皮をむくのが面倒でも、けっして捨てずに調理しました。いつかは来ると思っていたその時が、突然やって来ました。また、新しい生活の始まりです。夜空の星を見上げながら、「なんとか乗り越えられますように。僅かでも自分のことを続けていけますように」と、私だけの守り神様に祈っています。
2023.02.12
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明けましておめでとうございます! 実は、母が12月の始めに軽く骨折しまして、年末に退院したばかり。今年、初めて、介護というものの大変さを経験している私です。ともあれ、大事には至らず、まずまず平穏で、ありがたい年明けとなりました。その感謝の気持ちをこめて、どなたかに、ささやか~~なお年玉をお贈りしたいと思います。受け取ってくださる方があれば、今年はきっと良いことがあるような気がしています。さて、お年玉とは・・・昨年の五月に出版しました、緋野晴子の小説「時鳥たちの宴」です。お蔭様で、Amazonではあと2冊、出版社にも20~30冊しか残っていない状況となりました。私(作者)の手元には、まだ数冊残っています。その数冊を、このまま手元に置いて眠らせておくより、有名作家以外の人の小説も発掘してみたい、と思っておられる方に、ぜひ読んでみていただきたいというわけです。「Amazon 本」に、内容詳細やカスタマーレヴューが掲載されていますので、ご参照ください。無料(送料込み)で送らせていただきますので、興味のある方はコメントでお声をかけてください。ご感想の要求などは、いっさい致しません。ただ読んでいただければ嬉しいです。(無料ということに抵抗のある方は、Amazonのカスタマーレヴュー欄にある評価の★を、正直にポチっと押していただければ、作者は大いに喜びます。)ほんの数冊しかありませんので、お申し出順とさせていただきます。よろしくお願いいたします。【内容紹介】ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人の大海豊から手紙が届きました。遥は、十年前に浮橋邸で催された「平安の宴」を思い出し、胸が小さく疼きます。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。その、魂を誘うような光の舞いを脳裏に浮かべてうるうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引き込まれていきます。そこは、大学の浮橋ゼミ。そこに集った若者たちに訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛のゆくえは?青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説です。平安時代の風俗や恋愛観も垣間見え、古典好きな方はもちろん、古典の苦手な方も大いに楽しんでいただけると思います。
2023.01.06
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文章塾の師、岳真也先生の新作「家康と信康 ー 父と子の絆」の出版祝賀を兼ねた『虎希の会』があって、ほぼ3年ぶりに東京へ行ってまいりました。この会はもともとは脱原発志向の会で、会長が岳先生、名誉会長が元総理大臣の菅直人さんで、おふたりが古稀を迎えられた年に発足したものです。菅さんは相変わらずお若く、活気があって、驚かされました。政治家さんというのは、普通の人たちより心身ともにパワフルなようです。それでこそ、という思いを強くいたしました。帰りの新幹線では、さっそく新作を読み始めましたが、(これは!・・・)まだ途中ですので、最後まで読みましたら改めて記事に書きますね。さて、東京は西新宿のいつもの「嵯峨野」さんで開かれた会に、なんと、私は遅刻してしまいました。充分すぎるほど時間のゆとりはあったのですが、先にホテルに寄って大きな荷物を置いて、少し休んでから行こうとしたら、そのホテルの部屋の時計が45分も遅れていたんです。焦りましたよー。結局、15分の遅刻でした。先生、弟子のくせに、ごめんなさい。ともあれ、会では、また新しい人たちと知り合うことができました。三田文学編集主任の岡絵里奈さんや、ツイッターでお見かけしていた都築隆広さんとも同じテーブルでした。FBのお友達で、岳先生の最も古く長い読者さん・岳真也文学研究家の井澤賢隆さんにお声をかけていただいたのも、嬉しいことでした。また、この機会に東京の人たちに奥三河を知っていただいて、できれば足を向けていただこうと、「奥三河・遠州ひとり応援隊」の私は、頑張って宣伝してきましたよ。ちょうど、湯谷のHAZUさんからお預かりしていたパンフレットがありましたので、それをお配りしたら、「ああ、良さそうなところだなぁ。おい、こういう田舎に行ってのんびりしようよ」などというお言葉も聞けました。しめしめ。というわけで、いろいろな方との交流で、あっという間に時が経ってしまい、写真を撮るのを忘れました。それだけが残念です。二次会には、その昔、名だたる作家さんたちが多く訪れたという新宿の文壇バー「Buru」に、岳先生が連れていってくださいました。そこでは、久しぶりに会えた「かがく塾」のメンバーとゆっくり話ができて、それが一番嬉しかった!ここでは写真もしっかり撮りました。「松本さん、こんどの歴史小説は、いい感じですね」「そう? 緋野さんにそう言ってもらえると、ちょっと自信が湧くなぁ」「緋野さん、どこから出版したの?」「大内さん、大病から生還できて良かったね」などと、話しあっているところですが、会の皆様のお顔を無断で公開できず、残念ながら掲載できません。早くコロナが普通の疾病並みになって、また岳先生の事務所で「かがく塾」を開けたらいいのに、と思いながら帰ってきした。ちなみに、「ただいま東京プラス」のキャンペーン中で、とってもお得な東京行でしたよ。田舎に引き籠りの私がこうして東京まで出て来て、小説・出版関係の方たちに出会って、仲間を得て、いろいろなお話を聞くのも、まあ、千里の道の一歩ではあるのかなぁと思います。道筋をつけてくださったのは、亡くなられたリトル・ガリヴァー社の編集長・富樫庸さんです。
2022.12.03
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記事の間がすっかり空いてしまいました。何かと気忙しい時期に入りまして・・・などと、いちおう言い訳などして(笑)・・・さて、前回は初秋の津軽旅行のお話でしたが、今回は晩秋の、滋賀の家族に会いに行ったお話です。長男一家がこの冬、アメリカに移住することになり、滋賀の家での最後の団欒を楽しんできました。改めて眺めてみると、丘から見下ろす琵琶湖の景色は(特に夜は)とても美しく、さすがは古の都です。せっかく手に入れた家をあっさり人手に渡して去るとは、潔いものだと半ば感心するやら、呆れるやら。それでも若い人たちは、前へ進むことを選んだようです。移住先はテネシー州チャタヌーガ。やっぱり、水と緑のある所が好きなんですね。滋賀では、楽しく食卓を囲み、公園でボール遊びをしたり、散歩をしたり、庭の落ち葉で焼き芋をしたりして過ごしました。息子一家が愛知から滋賀に行ってしまった時も寂しかったですが、日本にいないと思うと、いっそう残念な気がします。今年のお正月はどんなものになるのでしょう?次に会えるのは、夏休みかな?でも、離れていても家族。心はいつも繋がっています。新しい世界でも、元気に暮らしていてくれればいいと思うこのごろです。
2022.12.03
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津軽の旅の2日目です。不老不死温泉から12湖へ。エメラルドグリーンの湖も良かったですが、青湖の青さといったら、まさに神秘でした。いつまでも見ていたいという未練を振り切って、千畳敷海岸へ。朝の海は、日没頃の海とは、また違った表情をしていました。海岸へ降りる人は少なく、歩いていると、気持ちがのびのびしてきます。そして弘前へ。弘前の「ねぶた村」では、壮麗なねぶたの迫力と津軽三味線の音色に心惹かれました。なぜか、津軽の海や岩木山に、雪の降りしきる光景が目に浮かんできました。
2022.09.26
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大学時代の学友から便りが届きました。私の新作を読んでくれたとのことです。ご感想はAmazonのレヴューだけでなく、これまでも、いろいろな形でいただいていましたが、手紙でいただくというのは、その方の近況もよく分かって、また別の嬉しさがあるものです。せっかく褒めていただいたので(笑)、感想部分のみを抜粋してご紹介させていただきます。遅ればせながら、「時鳥たちの宴」の感想をお送りします。まず、丁寧な描写が印象的でした。大学3年の1年間が、季節の移ろいとうまく関連させて描かれていると思いました。抑制的でありながら、心の様を言葉で表現し尽そうとする姿勢に、「あなたは真面目ですか」と問われているような気がしました。理知的に、真面目に、愛と恋を描いた小説に、大変好感を持ちました。2006年10月16日の京都新聞の文化欄に、精神分析学者の立木康介氏が、「社会を覆う『デビリテ』」と題してーー私たちは今日、”本来なら心の中にしまっておくべきことを語ること” をもてはやす文化のなかに身をおいているのではないか。ーーという言葉から始まるコラムを書いていました。印象的だったので切り抜いておきましたが、言うまでもなくその傾向は強まるばかり。でもやはり、心は大切なものをしまっておくべき場所のはず。作品冒頭の、「それはもう、ずっと昔、インターネットも携帯電話もなく、誰もが、あらゆるものに直に触れて、辺りに漂う幽かなものを五官に感じながら暮らしていた時代のこと」という、お伽話を語るような文に、現代への批評を感じました。我々の学生時代を背景に描かれているのには驚きました。描写のあちこちに当時の香りを感じました。大学紛争の名残は寮ではまだ色濃く、悩み多い毎日の中で、一番疎かにしていたのは学問だったと思います。懐かしさは後悔や辛さとセットです。過去を丁寧に思い出す作業は、自らの痛みと対峙することでもあります。強靭な精神をもっていらっしゃるからこそ、小説家になれるのですね。作品の感想というよりも、私自身の話が多くなってしまいました。しかし、私にとっては、自身との対話を強いられた作品であったということです。緋野さんのご活躍を、滋賀の地から応援しています。 K.A私は強靭な精神など持ってはいません。ただ、自分の人生で出会った課題に、自分なりの答えを出したくて、書き続け、考え続けているだけです。ともあれ、K.Aさんのお便りには多々、励まされました。また、本を読んで感想を書くということは、読む人が、自分自身を書くということでもある、という思いを強くしました。K.Aさんだけでなく、これまで多くの方々に、いろいろな視点からのご感想をいただきましたが、それらのご感想を読ませていただくことで、私は読者さん、ひとり、ひとりに、出会えた気がしています。「ああ、この方は、そこに、そのように感じられたのか」と、その方独自の視線を感じることは、私にとって新鮮であり、喜びでした。K.Aさん、それから、ご感想をくださった他の皆様にも、心から感謝しています。 ありがとうございました。
2022.09.18
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「歳をとって、何かいいことがありますか?」と聞かれたことがあります。私は、「もちろん、ありますとも」とお答えしました。それは、いつでも旅ができること。しかも、現役時代より圧倒的にお安く、観光地もお宿も空いていて、その上、出会う人たちが、若い頃より優しく丁寧に接してくれるような気がします。これぞ加齢の功名というものでしょう。と、いうわけで、せっせと格安旅を拾って出かける私であります。この度は、津軽へ行ってまいりました。そう、津軽と言えば、太宰さんですよね。でも、斜陽館には行きませんでした。昔の津軽の家の造りを見るのも悪くはないと思いましたが、少々遠かったですし、作家の住まいなんぞに行ってみても、さして面白いこともないですからね。津軽は広いです。青森空港からレンタカーで中西部を走りましたが、3泊4日では、とても回りきれませんでした。一日目は、まず、「鶴の舞橋」。津軽富士見湖に架かる全長300メートルの、日本一長いという木造三連太鼓橋です。横から見ると、羽を広げた鶴の姿にも似ていました。橋の向こうには、津軽富士と呼ばれる岩木山(いわきさん)が、雲の衣を纏って聳え立っています。この地の人々の信仰を集めてきた美しい山です。 次は、追良瀬川を遡った山奥に、ひっそりと立つ「見入山観音堂」。観光地ではなく、あくまで信仰の地ということでしょうか、案内の看板もなくて、少し道に迷いました。梵字を掲げた鳥居をくぐって、薄暗い山道を登っていったのですが、かなり急な道が長々と続き、体力不足の私は果たして行きつけるのか、もう無理かもと思うほど息が上がってしまいました。最後は、「辿りつけたならば、どうか・・・・」と心の中に願をかけながら登っていました。そして、辿り着いたのが、このお堂です。崖の岩の中に、すっぽりと嵌るように建っています。どうやって、こんなところに建てることができたのでしょうか?中へは入れませんでしたが、もし入れたなら、ここで一晩過ごしてみたいものだと思いました。きっと怖くなってしまうでしょうけど・・・。身体はすっかり疲れてしまいましたが、えも言われぬ満足感がありました。津軽の海に溶けていく夕陽を眺めながら、五能線に沿って走り、その夜は不老不死温泉で疲れを癒しました。写真は翌朝の、誰もいない時に撮ったものです。
2022.09.13
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りんごちゃん から「時鳥たちの宴」にレヴューをいただいていましたので、ご紹介させていただきます。「 恋愛の本質に迫ろうとする青春群像」(Amazon)「作中に描かれていた登場人物の描写や背景に、懐かしさを覚えました。各章のタイトルにも趣があり、たびたび登場する短歌も物語の進行に効果的だと思いました。タイトルの「時鳥たちの宴」はこの小説の内容に実にピッタリとはまりますね。作中の七日月夜の宴では、平安の幻想的な美しさ、神秘さ、妖艶さが伝わってきました。あの場所に自分も身を置いてみたいと思ったほどです。恋愛における愛を、真摯に求めていく主人公たちに爽やかな風を感じました。蜜柑の香りと共に。」りんごちゃん、ありがとうございました。夏休みの喧騒が終わって、久しぶりにAmazonを覗いてみましたら、……え!! まだ、ずいぶん売れ残っているのでは? と思っていたのですが、「残り7点」と表示されていました。残り7点……案内状は80枚くらいしか出せず、あとは、FBと、ツイッターと、ブログでのご紹介だけだったのに、よく売れたなぁと驚きました。私の把握できていないところで、多くの方が読んでくださっていたのだと思うと、静かな感動がこみ上げてきます。きっと、お寄せいただいたレヴューの効果でしょう。しみじみ有難く、レヴューをくださった方にも、読んでくださった方にも、お一人、お一人に、お礼を言いたい気持ちです。ほんとうに、ありがとうございました。Amazonからだけの出版は、あまりに間口が狭く、失敗だったかな? と思い始めていましたが、皆さまのお蔭で、今回の試みは、なんとか成功したようです。
2022.08.22
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あ、そうそう、先日、家族で訪れた天文台(スターフォレスト御園)で、思いがけない出会いがありました。私の11年前の著書「沙羅と明日香の夏」が、食堂の一角に置かれていたんです。この天文台も小説の舞台になっているからでしょう。何人か、読んでくださった方があるようで、本の小口が手の跡で変色し、帯は千切れかけて、テープで辛うじて止めてありました。私の知らないところで、小説はひとりで、誰かに語りかけていたんですね。胸がじんとしました。出版当時にいただいた三人の方の推薦文が帯に載っていて、その面影が懐かしく思い出されました。天文台のある東栄町の教育長さんの推薦文だけ、ちょっと紹介させていただきますね。「多感な青年期、悩み、時に自己嫌悪・自己否定に陥りながらも、自分らしさを大事に、自分に合った生き方を探すことの大切さに気づいていく沙羅と明日香。 そして、二人をとりまく少年たち。舞台は、豊かな自然と歴史の宝庫の奥三河。 さらに御園の天文台とそこにある六十センチ望遠鏡から見る宇宙への夢とロマン。 物語は女性作家ならではの、美しく繊細な描写で、知らず知らずのうちに読者を引き込んでいき、感動させる。」ありがたいお言葉です。出版社さんが廃業されましたので、絶版になってしまいましたが、ネット書店にはまだ、古書がいくらか残っているようですし、電子書籍にもなっています。興味を持っていただけましたら、ぜひ、ご一読を。
2022.08.14
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今年は孫一家が、お盆前に遊びに来ました。息子は不惑の四十歳。お嫁さんも秋には四十歳、孫たちは四年生と二年生です。年末にはアメリカに移住するというので、例年より長い三泊四日、私の母の家に集まって、忙しくも愉しい家族の時間を過ごしました。川遊びに、人生ゲーム、花火、飯田線の秘境駅探索、御園(みその)の天文台で天体観測……田舎の夏を目いっぱい体験できたと思います。諸々の準備と料理係の私はバテてしまい、残念でしたが秘境駅行きはパスでした。なにせ彼らは鬼のようにタフで、この暑さの中、いくらでも歩き(走り)回るんですから、とてもじゃないですけど、ついて行けませんよ。笑前日が雨で、ただでさえ冷たい谷川は水温が低すぎ、40歳になった息子は、惑わず足だけ浸けることにしたようです。ついに分別がついたか!(笑)2年生の孫娘が一番強く、いつまでも泳いでいました。4年生の孫息子は、魚のほうに関心が。天文台に行く途中で、ポニーに会いました。御園の天文台「スターフォレスト御園」です。バンガローを借りて自炊もできますが、トンボ採りやバトミントン、天体観測などの遊びに時間を使えるよう、館内に宿泊しました。食事つき。ここでは様々な望遠鏡を貸してもらえます。これを一晩中、前庭に据え付けて、眼には見えない数々の星や、土星のリング、木星の縞模様と二つの衛星、などを、はっきりと見ることができました。夜の観望会では、ドームに設置された60センチ口径の大望遠鏡で、より鮮明な惑星の姿や、球状星団なども見せてもらいました。4年生の孫はすっかり夢中になり、0時頃まで寝ずに粘って、その上、夜中の3時に起き出して、上ってきた火星も観察していました。たくさんの思い出ができました。孫たちの中には、この夏のことが、どんなふうに残るのでしょうか? 外国に行っても、日本の、この山奥の、谷間の里の、ささやかで素朴な暮らしの中にある美しさを、どうか忘れないで。そう祈りながら、嵐が去るように帰ってゆく彼らの車を見送りました。
2022.08.10
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日本中が身勝手なテロに驚愕し、憤り、功罪交々あれども、日本国のために誠心誠意、尽力してこられた政治家の訃報を悲しんでいます。私も、衷心よりお悔やみ申し上げます。けれども、あまり、そのニュースばかり見続け、気を滅入いらせてしまうのは良くない、とも思います。(私自身が、なんだか気が沈んできまして……)私たちはショックを乗り越えて、前に進まなくてはなりません。日本社会と、日本人一人一人の生活が少しでも向上するよう、まず選挙に行き、それぞれの場所で、しっかりと日々の努力を重ねなければならないと思います。それが、故人の願いでもあるはずです。こんな時だからこそ、敢えて、少し気分を変えましょう。拙書「時鳥たちの宴」に、また、また、レヴューをいただきました。Amazonにいただいたものですが、こちらに転載させていただきます。「上質な青春ストーリー読んだ後、懐かしさと、羨望のようなものを感じました。私自身は、小説のなかの青春とはかなり違う境遇でしたので、こういう青春もあるのかと、嫉妬にも似た感情が……(少しだけですが 笑)。しかし、誰かを好きになることは、その人の容貌や性格だけではなく、季節、時間、場所、すべての要素を受けとめる感性なのかと、この物語は気づかせてくれます。地方を舞台として、少し古風な青年たちの青春劇は、懐かしくもあり、蜜柑のような甘酸っぱさを十分に味わうことができます。そういう意味で、上質なエンターテイメントと言えるでしょう。」松本昇 さん、ありがとうございました。 元気が出ます。Amazonには、他の読者さんたちのレヴューもあります。ご覧になっていただけましたら幸いです。
2022.07.09
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小説書きにとっては、寒い時代です。Amazon本の売れ筋ランキング100冊までに、小説は1冊もなし。どこまで下れば出てくるのか、もう探すのも厭になってPCを切りました。きょうは、みなさんに、文芸作品を読むことの面白さ、言葉だけでできた世界の味わいについて、お話しさせてください。表現されたものを楽しむということに関しては、おそらく、俳句・短歌・詩・小説など文芸作品≦落語≦芝居≦漫画≦アニメ≒映画の順に人気が高くなるのではないでしょうか。なぜなら、人間の五感に直接働きかける要素が多いほど、それぞれの感覚を楽しむという点で面白さが多重になるからです。また、自分の知識や想像力を働かせる労が少なければ少ないほど、楽だからでもあります。けれど、それでは人気下位のものが消え去るかというと、そうでもないと思うのです。それぞれの表現の面白さには、それぞれに特異なものがあり、面白さの質が違うからです。感覚的に面白いものが世の中を席巻するようになっても、コアなファンは、必ず、それぞれに残るでしょう。では、小説などの文芸作品を読む面白さは? と言えば、それはもう、作者という一人の人間との出会いだろうと思います。他の表現媒体でも作者の何某かは反映されるものですが、それが最も濃厚に、直截的に伝わるには、言葉に勝るものはありません。人は誰しも、自分を通してしか世界を感じ取ることができませんが、文芸作品を読むことで、作者という別の人間のフィルターを通して、自分の見ていた世界と共通する部分や、異なる部分を感じることができるのです。書かれた文章は、即ちその人。文芸作品を読む面白さは、作者と読者という、個人と個人の魂の出会いにあるのだと、私は思います。また、その作品をどう読むかは、読み手自身の、人生経験や心の在りようにかかっています。「読むこととは、実は、自分自身を書くこと」でもあるのです。読むことを通して浮かんでくる、様々な想像・感情・理解、それが、すなわち、読者その人なのです。映像も音もない、文字だけの作品世界は、作者の敷いた文字表現の上に、読者自身が想像空間を立ち上げることによって、初めて完成します。それは、他の誰とも(作者とさえ)違う、その読者固有の世界です。ですから、読者は実際は、自分の描いた世界を見ているわけです。作品を読むことで、読者はきっと、自分自身が見えてくるでしょう。そして、自分の魂と作者の魂とをすり合わせ、何らかの新しい視点を見出すに違いありません。それが、文芸作品を読むことの面白さです。文字だけでできたものを読むのは、多少の苦労が要るでしょうが、他のものからは得られないものがあります。ブログを楽しめるみなさんでしたら、お分かりですよね。みなさん、短歌・俳句・詩・小説……文芸作品に手を伸ばしてみてくださいね。
2022.06.25
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紫陽花の青と、沙羅の白が美しい。雨の季節がやってきました。本から顔を上げると、静かな雨音……梅雨は読書にいい季節ですね。誰かが書いていました。人はそれぞれ、自分の中に、自分だけの雨を持っていると。私にも、私だけの雨があります。たぶん、その原風景があるから、私は雨が好きなのでしょう。雨に包まれたこの世界を、いつまでも、ぼうっと眺めていたくなります。でも、現身の私は、実はそんなに呑気にしてもいられません。このところ、家族のことで慌ただしくて、つい、Amazonのチェックを忘れ、新刊『時鳥たちの宴』にいただいていたレビューを見落としていました。自分自身の大切なことなのに……。akiさん、もみじさん、ごめんなさいね。「平安の風思い込みや勘違いを繰り返しながら揺れ動く若者達の心情が景色と共に丁寧に描かれています。長い時を経てやっとたどり着いた場所…主人公が自分の本当の気持ちに気づいていくくだりが素敵でした。一味違う恋愛という意味がわかったような気がします。遥か平安の風を感じる爽やかな作品です。あと、他の方も書かれていますが、主人公がタイトルごとに入れ替わるのが面白いなと思いました」aki さん、ありがとうございました。「人生は選択の連続平安恋歌とシンクロしながらノスタルジックな雰囲気を感じさせる青春群像小説に仕上がっています。恋と愛の境界線は時代を超えたテーマ。人生は選択の連続です。読後は主人公の20年後に思いを巡らせています」もみじ さん、ありがとうございました。ああ、ほんとうに、ありがたいなぁ。小説は私の分身。読者さんからいただくレビューは、私の宝物です。この雨の季節に、緋野の小説は、ひとり歩きを始めたようです。
2022.06.16
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思いがけないお申し出を受けました。拙書「沙羅と明日香の夏」の舞台となりました奥三河の湯谷温泉にある宿「湯の風HAZU」さんが、緋野晴子の新作「時鳥たちの宴」を売店に置いてくださることになりました。皆さま、あの忌野清志郎さんが愛した湯谷の、美しい板敷き川や、渓谷美を眺めながら、マイナスイオンいっぱいの空気を吸って、温泉に浸かったあとは、お部屋やテラスで緋野の小説など読んでいただくというのは、いかがでしょうか。湯の風HAZUさん、ありがとうございました。www.hazu.co.jp/hazu/奥三河・湯谷温泉 湯の風 HAZU 公式サイト | 四季の眺めと露天風呂の宿
2022.06.05
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「時鳥たちの宴」に、また、レヴューをいただきました!そらまめ さんからです。「読み終えて 主役2人(男女)が小節ごとに入れ替わり、主観を述べる構成がとてもおもしろいです。登場人物は同じような日常を繰り返しているけれど、読んでいてくどさは感じずサラサラと読み進められました。そして最終章は涙が止まらず鼻水も止まらず困りました。笑若かりし頃の自分と重なり、終始物語に引き込まれていきました。」そらまめさん、ありがとうございました。この頃、Amazonを見るのが楽しみになってしまいました。そらまめさんは、フェイスブックの方のような気がするのですが・・・。レヴューをくださる方にお願いします。「そらまめは、私だよ」というふうに、こっそり教えていただけると有難いです。今回の販売はAmazonからのみですので、ブログか、フェイスブックか、ツイッターか、案内葉書を送った方か、いずれかで私の出版を知ってくださった方しかありません。どなたがレヴューをくださったのか、知りたいですので、ぜひ、一声おかけください。よろしくお願いします。もっとも、酷評したので知られたくない、という場合は、結構ですけれど……。でも、本当のところ、辛口評は、著者にとってとても有難いものなんですよ。評価の★も、どうか、正直なところをお願いいたします。
2022.06.01
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先日発売しました緋野晴子の「時鳥たちの宴」に、Amazonレヴューを2件いただきました! 1「面白かった!古典文学の世界の情緒に触れながら展開される、様々な恋の形。麗しい気体の様な恋と、現実との葛藤。すれ違う男女の魂の疼き。それらを描いたこの作品は、重すぎも軽すぎもせず、一気に読み通すことが出来、それでいて心に残る作品でした。また、余談となりますが、この小説の舞台と思われる静岡大学出身の私としては、海の見えるミカン畑の丘など、既視感のある情景が描かれ懐かしく感じました。」フナムシさん、ありがとうございました。 2「 散りばめられた古典文学が魅力的大学の文学部の平安ゼミナールなる古典文学のゼミナールを舞台に繰り広げられる青春群像劇。それぞれに素敵な章題がついた17章からなり、そのなかに散りばめられた古典文学がスパイスになり、お話を引き立てていました。私の好きな和泉式部の歌も登場。さらに結末も私好みで嬉しかった。最初は毎日一章づつ読むつもりでしたが引き込まれ一気に読み終えてしまいました。」キノコママさん、ありがとうございました。小説を書いていく中で、一番幸せを感じられるのは、読者さんからレヴューをいただいた時です。初校を書く過程では、けっこう迷ったり悩んだりすることがあって、霧の中を手探りで進むような苦しみがあります。何度も推敲し、これで良し!と最終稿を仕上げた時には、充実感がありますけれども、公表する段になると、果たして、これが読者さんに受け入れられるどろうか? と、また不安になってくるのです。それが、レヴューをいただくと、読ませていただくのが、ただ、もう、楽しくてなりません。好評はもちろん嬉しいですが、辛口評でも、そう読まれたのか、ようし、次は! というやる気が湧いて、元気が漲ってきます。これが、著者の幸せというものでしょうか。
2022.05.27
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なんと!「時鳥たちの宴」は、15日にもうAmazonから発売されていました! 20日の発売と聞いていましたので、それまで見ていませんでしたが、少し早かったんですね。(ほんとうは、20日の大安が良かったんですけど……まあ)では、ちらりと、ご紹介を。ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人の大海豊から手紙が届きました。遥は、十年前に浮橋邸で催された「平安の宴」を思い出し、胸が小さく疼きます。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。その、魂を誘うような光の舞いを脳裏に浮かべてうるうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引き込まれていきます。そこは、大学の浮橋ゼミ。そこに集った若者たちに訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛のゆくえは? 青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説です。平安時代の風俗や恋愛観の話もあり、古典好きな方はもちろん、古典の苦手な方も大いに楽しんでいただけると思います。Amazonで販売中です。もう、どなたか買ってくださったようで、ランキングがついていました。ぜひ、お読みになってみてください。心は文学、文章はやや純文学系ですが、なるべく軽やかに楽しく読んでいただけるよう、エンターテイメント要素を盛り込んで書いてみました。今回もチャレンジです。本の詳細説明の画面で、ずっと下のほうにある「カスタマーレビューを書く」をクリックし、評価の★をつけていただけますと、たいへん嬉しいです。(多いほど歓迎!……いえ、いえ、正直に。)読者さんの評価やお言葉だけが励みですので、レビューもいただけましたら、なお幸せです。よろしくお願いいたします。 緋野晴子
2022.05.22
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西表島から由布島へ長年の夢だった、西表島のマングローブクルーズができました。植物の逞しさを感じますね。白鷺が何かついばんでいました。森の中には椰子蟹がいるようです。西表島から由布島へは水牛車で渡りました。ユウセイ君という名の牛さんは力持ちで、14人も乗せた車をノシノシと引いていきます。牛使いのおじさんが、蛇皮線を弾いて島歌を歌ってくれましたが、蛇皮線って、とっても響くんですね!(新鮮な驚き)とってもお上手でした。由布島には熱帯植物がいっぱい。暑いので、蝶たちは葉陰にかくれ、水牛車の牛さんたちも水風呂に浸かって休んでいます。潮の満ち始めた浅瀬を、また水牛車に揺られて戻り、夕食にはアグー豚と島野菜のしゃぶしゃぶを、いただきました。島歌のライブも素敵!この日も、良い1日でした。もう、ずっと、旅行していたいなぁ、と思ったりして。帰ったらまた、小説だな……。
2022.05.19
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絶大な支援をしてくださっていた出版社の編集長さんが、昨年の五月に亡くなられました。以来、緋野晴子は出版難民となって、あちら、こちら、漂流しておりましたが、この度、ようやく新作の発表に漕ぎつけることができました。前作からは、早、五年近い歳月が流れています。理想的な形ではありませんが、それでも、とにかく、亡き編集さんと約束していた小説が出せたことを、しみじみ嬉しく思います。発売は5月20日ですが、その前に、著者に見本が届きました。どうか、この本が、出会うべき読者さんたちに出会えますように。
2022.05.08
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連休の1週間前に、八重山4島を巡ってきました。この頃には、コロナ6波も収まるだろうという見込みで予約してあったのですが、7波の真っ只中に飛び込んでいくことに……でも、もう、キャンセルはできないから、行くしかない!というので、完全防備で行って参りました。未だ体調に変化はないので、どうやらセーフだったようですが。少し肌寒い雨のセントレアを発ち、2時間半で石垣空港に降り立つと、そこは30度、もう真夏の世界でありました。 みんさ織りの工芸館を見学し、ひょうきんな顔をしたシーサーの写真を撮って、この日はおしまい。2日目は、竹富島に渡りました。石垣港からフェリーに乗ったのですが、海上保安庁の巡視船が港に5隻、海上に3隻いました。名古屋港でも見ましたが、1隻で、もっと小さな船でした。ああ、そうか、尖閣諸島は石垣市の一部だったんだ、と改めて気がつきました。この、のどかで美しい海も、守られてこそなんですよね。ご苦労様です。さて、守られている私は無事に竹富島に渡り、まず、星砂で有名な皆治浜で遊んで、星砂5個見つけました。今は少なくなって、5個でも見つけられたら幸運なんですって。それから、島で最も美しいというコンドイビーチをバスの車窓から眺め、ああ、ここに何日か滞在して、あのビーチで終日のんびり過ごせたらなぁ……新しい物語が浮かんできそう、と思わず空想してしまった私でした。次回は観光ではなく、滞在型の旅行にしようっと。そして、赤瓦と珊瑚塀でできた沖縄情緒あふれる集落へ。竹富から石垣のホテルに戻り、夕食は町に出て、地元のスーパーで、沖縄らしいものを買って食べてみました。柏餅のような形のお握りとか、島野菜のソテーとか。味付けに何か柑橘類を使っているのか、なかなか変わっていて良かったです。実は、今回のホテルはビュッフェ形式の朝食内容が売りで、夕食が出たのは一度だけ。あとは、島内の店で自由に食べるというツアーでした。島の実際が分かってgood。ホテルの朝食は品数も味も素晴らしく、大満足でした。3連泊しましたが、私のお腹の容量では全種の味見はできず、残念。あのスムージー、飲んでみたかったのに。食べ物が出ると、食べることしか頭になくなる私のこと、まして、いろいろ選ぶとなればね。で、例によって写真は無しです。では、旅の後半は、また、次回に。
2022.05.03
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緋野晴子の新しい小説が出ます!(ああ、やっと、やっと、・・・五年ぶりですよ。涙)その出版案内はがきが出来上がってきました。今回はAmazonのみの販売で、書店販売はやめましたので、ブログも、フェイスブックも、ツイッターもしないという方に、100名限定で葉書でお知らせすることにしました。ジャーン! これです!あ、ちょっと暗い・・・フラッシュで光って、見にくくなって・・下のほうにはプラスチックバンドが掛かったままだった。ごめんなさい。夜に急いで撮りましたので。まあ、こんな感じです。今回は恋愛小説で、5月20日頃からAmazonに出ると思います。読んでみてくださいね。 よろしくお願いします。
2022.04.22
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実は、これまで絶大な支援をしてくださっていた出版社の編集長さんが、残念ながら、昨年の五月に亡くなられ、事業を閉じてしまわれました。さて、どうしたらいいのか、緋野晴子は新作をどこから出版すればいいのか、この一年、出版難民となって、 あちら、こちら、漂流しておりました。今回は400枚ほどの恋愛小説です。心は文学、文章はだいぶん純文学的、でも、いわゆる純文学小説は敬遠されがちですので、多くの方に楽しんで読んでいただけるよう、舞台や展開をなるべく軽やかにして、エンターテイメント性を取り込みました。文学界の大御所、加賀乙彦先生には、「純文学か、大衆文学か、どちらかしかないのですよ。その間というものは、ないんです」と言われましたが、私は、正直なところ、そうでもないのではないか、と感じています。それで、大先輩のお言葉に逆らうことにはなりましたが、新たな実験小説を試みることにしました。まずは、タダ出版を狙って、文学賞への応募を考えてみました。ですが、バリバリ純文学ファンタジーどっぷりエンタメライトノベル歴史小説推理小説以外の賞って、ほとんど無いんですね!! まれに、これは? と思うと、その出版社で職業作家として継続的に執筆できる人(売れ筋の作品を書く人・若い人)という縛りがある。緋野晴子の小説、どこにも当てはまらないんですよね。困ったなあ。振り返ってみると、緋野の作品を拾い上げ、より良い作品になるようアドバイスしてくれて、印刷製本代だけで出版してくださったリトルガリヴァー社の編集長、富樫庸さんは、ほんとうに有難い、貴重な存在でした。ネットではいろいろ非難されていましたし、確かに、非難する方たちのお気持ちも分からないではありません。そういう面もありました。でも、あの編集さんに出会っていなかったら、「沙羅と明日香の夏」と「青い鳥のロンド」は、日の目を見ていたかどうか? 『ちぎり文学奨励賞』をいただくという僥倖もなかったはずです。あの方には、小説を愛する本物の心がありました。ただ出版して儲ければ良いではなく、より良い作品にするために、どこまでも著者に付き合ってくれました。「向いている方向が違う」と論争になったことも、今では楽しい思い出です。また、無名の作家を育てたいというお気持ちもあって、「一人で書いているだけでは駄目だ、緋野晴子の作品ここにありと誰が気づいてくれるのか、読んで批評してくれる人を得なさい」と、引きこもり体質の緋野を東京に引きずり出し、岳真也先生に引き合わせてくださったのも、あの方でした。お蔭で、今度の新作には、岳先生のアドバイスをいただけました。小説は、なかなか売れない厳しい時代です。書き手も苦しいですが、出版社さんも苦しいのですよね。その中で、富樫さんは、なんとか佳い作品を世に出したいと頑張った、自前の作家を育て上げたいと頑張った、その夢に嘘はなかった、と緋野は信じています。さて、その富樫さんを失い、出版難民となって彷徨った緋野が、最終的に行き着いたのは、やはり自費出版しかありませんでした。名のある出版社さんからの自費出版ではありません。そういうところは、緋野にとっては、とんでもなく費用がお高いので、論外です。今回は、書籍の制作と販売ルートに乗せることだけをお願いし、編集・校正などの作品内部に関することはすべて自分でする、自費・自力出版にしました。(岳先生にアドバイスをいただいていますので、編集の半分くらいは、していただいたようなものですが・・・)売り上げの50%を印税相当額としていただけるので、これまでの印税10%より有利です。結果予想では、おそらく、リトル・ガリヴァー社さんからの出版と、費用的には大差なくなると思います。と、いうわけで、ようやく、新作出版の運びとなりました。五月には発売される予定です。長らく滞っていた千里の道への一歩が、また踏み出せました。擱筆してから、すでに三年近く、前作からは五年も経っていますので、感慨ひとしおです。富樫さん、緋野に夢を託してくださって、ありがとうございました。富樫さんが待ち望んでいた立派な作品が、間に合わなくてご免なさい。あなたが逝ってしまわれて、小説の道は、ますます茨の道ですが、緋野は頑張り続けます。
2022.04.03
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勤め人だった頃(もう三十年以上も前)の同僚ふたりが来てくれて、会食のあと、桜淵公園を散策しました。桜は、一昨日の太陽で、一気に満開です。振り返れば、1年365日、フル回転の日々……。若かったとは言え、お互いによくやったよね、頑張ったね、と健闘を讃え合いました。私たちは、言うなれば戦友です。今回来られなかった人たちも含めて、みんな、ド根性のある女性たちでした。(私が、一番早くリタイアしたんですけどね。)仕事で得たものはいろいろありますが、今でも、こうして会って語り合える友を持てたことが、最大の財産かもしれません。何でも言えて、何でも温かく受け止めてくれる、有り難い人たち。感謝、感謝、です。三人に共通していたのは、今がいちばん楽しいってこと。やりたいことをして生きていますからね。これからも、みんな、ずっと健康で、毎年会えますように。
2022.03.30
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「ぬくもりの森」って、いい呼び名だと思いませんか? 浜名湖の東にあって、わが家から一時間ほどで行けるので、以前から気になっていました。で、ついに行きましたよ。先日の私の誕生日に、夫とふたりで。信じ難いような戦争が起こっている、こんな時期ですけど、こんな時だからこそ、人が生まれて平和の中で生きる、当たり前の幸せをしっかり味わってこようと思いました。「ぬくもりの森」は広くはありませんが、とてもメルヘンチックな場所でしたよ。ヨーロッパの中世のお話に出て来そうな可愛い建物が、チーズ、アロマ、アクセサリー、陶器、小花、革細工、その他の雑貨のお店になっていて、見て回るだけで楽しい。カフェやレストランもあって、「ドゥスール」という可愛いお店の個室で食事をしました。食材もソーススも一つ一つ丁寧に工夫されていて、とっても美味しかった❣ ごちそう様。その後、大草山の上のホテルで、温泉に浸かりながら浜名湖を眺めました。それから、すぐ近くのオルゴールミュージアムに入って、120年前のドイツの美しいオルゴール曲を聴き、散策してから、またホテルに戻って、夕景を見ながら珈琲をいただきました。めいっぱい楽しめて、命の洗濯ができた誕生日でした。フェイスブックやメールで、親しい方たちから、お祝いの言葉もいただきました。幾つになっても、生まれてきたことを祝ってもらえるというのは、嬉しいものです。こうした一日を味わえるということが、人間の幸せなのだと、つくづく思いました。世界中のすべての人が、誕生日を祝ってもらい、貴重な人生を大事に生きていけるよう、一日も早く不毛な殺戮をやめるよう、心から祈ります。
2022.03.22
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冬の間のニか月、避寒のために我が家に来ていた母を、田舎の家に送り届けてきました。「しばらく違う所に住んでいたら、水の出し方やら何やら忘れちまった」と、まごまごしながらも、母は、自分の城に帰れて嬉しそうでした。庭の隅にはもう福寿草が咲いていて、主を待っていました。 蕗のとうも、すぐに顔を出すことでしょう。いよいよ春ですね。花を見つけて季節の訪れを楽しむ・・・それが人間の、正当な暮らしだと思います。そうした日常が、ウクライナの人々にも戻りますように。
2022.03.05
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あってはならないことが、また起きました。世界は、武力で他国を侵略することの罪深さと愚かさを、20世紀にすでに経験済みだったはずではないでしょうか。ロシアは、軍事施設の破壊のみで、民衆に危害を加えてはいないなどと言っていますが、民間人だろうと、軍人だろうと、昨日まで生きていた、そして、ロシアの暴挙がなければ明日からも生きて行けたであろう人々が、すでに大勢亡くなっているではありませんか。 誰かが一人でも殺したら、恐ろしい「殺人」です。それが国家の威信を背負うと、単なる「犠牲」にされてしまう。その理不尽。亡くなった人が尊い人生を失うことはもちろん、その家族にも癒し難い傷跡を残すことになるというのに。自国にとっての脅威を除くために、人々を殺してでも、先に他国を占領する……いつか来た愚かにも罪深い過ちの道です。その先に繁栄などないことを、良識ある国々は、しっかりと示さなければならないと思います。
2022.02.25
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ずいぶん長い間、冬眠していたものです。なんと、もう2年以上! そろそろ動き出さなくちゃ。昨日はもう雨水。草木の芽はまだ硬いけれど、日差しは確かに照度を増してきました。春はそこまで来ています。でも、あまりにブログから遠ざかっていたので、記事の書き方も忘れてしまった感じです。手始めに、お散歩中に見た夕景などをUPしてみます。皆さま、また緋野晴子とお付き合いくださいね。よろしくお願いいたします。 あ? セイラと名乗っていたんでしたっけ?まあ、どちらでもいいんです・・・。
2022.02.21
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秋もずいぶん深まって、朝晩の気温が急激に下がるようになると、植物はそこかしこで色づき始める。京都の紅葉のあでやかさは殊更だけれども、そうまで雅でなくても、名もない里山にも天然の錦は見られる。イチョウにハゼ、ハナミズキ、ニシキギ、マンサク、ドウダンツツジ、カツラ……ソメイヨシノも、実は、花を見るだけの木ではない。また、葉に限らず、クサギ、ゴンズイ、ムラサキシキブ、サンザシ、サネカズラ、カラスウリなど、多くの草木の実も、風景に彩を添えてくれる。花の少ない時期だけに人々の目を惹き、庭や野山が色とりどりに染まる盛りは、錦秋などという華やかな呼ばれかたで愛されている。 だが、ほんとうのことを言えば、その錦は滅びの姿に他ならない。厳しい冬を前に、今年の葉や実は、その役目を終えて朽ちていくのだ。木そのものの命は残り、実の中の種が命を継ぐとはいっても、次の年に芽吹くものは、もはや今年のそれではない。植物が滅びの直前に見せるあでやかさは、私の眼には、命の執念のように映る。すべての植物が色づくわけではなく、むしろ、昨日から今日へと続いてきたように、少しずつ乾いて、縮れて、静かに枯れていくもののほうがずっと多い。どう終わるかはそれぞれで、どの終わりかたが素晴らしいと言えるようなものではないが、その中で、いくつかのものは、滅びの運命に抗して命を燃やすかのように、最期に精一杯の色彩を放つのだ。耳をそばだてれば、「ただ朽ち果ててなるものか」という、彼らの声が聞こえてくるような気がする。「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」と詠んだ人がいる。その真意は定かではないが、そこには、自分がここに生きたことの証、まだ生きていることの証を、最期まで示すのだという執念が感じられる。そいうものが、私は好きだ。終わりを迎えるのは、ひとり植物だけではない。人間とて同じことで、ついの終わりも来れば、日々、一日の終わりを繰り返してもいる。私は、日の出の美しさにも日没の美しさにも惹かれるが、いつの頃からか、おそらく歳のせいだろうと思うけれど、日没のほうに、より共感的に心が動くようになった。それも一つの滅びの美だ。分けても、西の空が朱を流したように色づき、見渡す限りの風景がすっぽりと赤く染まっているような夕暮れ時は、えも言われぬ感情に胸が塞がる。と同時に、どこか体の奥底から滲みだして来る、得体の知れない熱いものに浸されていくのだ。いつだったか、ある秋に、岐阜の田舎の、そのあたりでは紅葉で名の知れたお寺へ行ったことがある。小さなお寺で、周りはほとんど何も無い原野だった。夕方になって帰ろうとすると、素晴らしい夕焼けが広がり、野山の隅々までが赤く染まった。門前にあったモミジとイチョウの大木は夕陽に透けて、まるで木霊が燃えているかのようで、その美の饗宴に、ほとんど狂気に近い感動が押し寄せてきたのだった。人生の折り返し地点を、いくらか過ぎた頃だった。私のノートには、そのときに書いた、一つのつたない詩がある。 緋野に立つ 空が燃える 森が燃える 野原が燃える 胸に残るいくばくかの傷みと 哀しみと 悲しみ 数々の後悔と わずかな誇り 尽きせぬ情熱と 明日への執着 すべてを飲み込んで 陽が燃える 赤い 赤い 陽が燃える 燃える 燃える 緋野に立つ 詩人と呼ばれる人たちに見られたら恥ずかしいようなものだけれど、これが、私が小説を書き始める心理的動機となった詩であり、筆名の由来でもある。(緋野晴子)
2020.10.25
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私小説を書いてみようと思った。人間というものの愚かさや、哀しさや、愛しさなどに満ちた、滋味のある作品になるだろうと。それが、やってみると難しい。一番のハードルは、描かれる人たちの気持ちだ。生きている人には了解をもらう術もあるかもしれないけれど、亡くなっている人にはどうすればいいのか? 聞きようがない。そもそも、私が書くのは、私の側から見た人々の姿に過ぎず、当人にしてみれば抗議したくなることもあるだろうし、まったくその通りだったとしても、だからといって書いてほしくないこともあるだろう。そう思って、書かれたくないだろうことを削っていくと、小説は生気を失って、書く意味のないものになってしまう。「小説家は人でなし。すべての人と縁を切る覚悟がなければ、私小説なんて書けやしないよ。嫌だな、今さら言わせないでよ」と、大先輩の作家先生には檄を飛ばされたけれど、私には、やはり、ありのままを小説にするのは無理だ。そこで、彼らに似た誰かの話に仕立てようと思った。設定をあちこち変えて、事実70%に作り話30%、そこに小説的演出を加える。私小説だと思って読む人がいて、興味を持って調べたとすると、あれ? 違う。ということになり、どこが事実でどこが創作なのか分からないということになる。モデルになった人たちが読んでも、自分にそっくりな所が多いけれど、自分ではないと思える。それでも、表現したい人生の真実に変わりはないのだから、それでいい。小説とは、そういうものだ。そう思って書き始めた。現在、96枚まで来た。ところが、書き進めてみると、そう簡単なことではなかった。事実を基調としたものは、事実から離れるほど、書くのが嫌になるのだ。Aという人物のキャラをこう強調すると小説的には都合がいいと思っても、モデルとなっているAさんへの冒瀆に思えてくる。書いているうちに、筆はだんだん事実へと寄っていく。自分の心が感応して、書きたいと思っていたのは、やはり、ありのままの人々の姿だったのだと気づく。しかし、その、ありのままの姿を小説に書かれることを、彼らは喜ばないだろうと想像できる。筆が止まる。そして、私の初めての私小説的小説は、挫折した。今までのように、作り話70%に30%の事実を混ぜて、それに100%のリアリティを持たせる努力をするほうが、どんなに楽だろうか。けれど、商業出版するのでなければ、この筆はすらすら進む。これを書き上げてみたいという気持ちは強い。私小説的であるだけに、私自身の心のけじめにはなる。ここで止めるか、書き上げて、緋野晴子の幻の一作として、自分の思いを残すために、登場人物たちだけに配ろうか、迷っている。
2020.10.02
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朝、カーテンを開くと、久しぶりの快晴。青い空に、日差しが眩しい。爽やかで、秋らしくなった思っていると、ミンミンゼミが一匹、大きな声で鳴きはじめました。それから、ツクツクボウシが続いて・・・。 夏の名残り。まだ生きていたのね、と嬉しい気持ちになりました。私は未練がましい性格なのか、季節の変わり目はいつも、去りゆくもののほうに心が引かれます。やり残したことがあるのに、何か大事なことがまだあるのに、そんなに急いでいかないで、と思ってしまうのです。やり残した大事なことって、何? と聞かれると、答えられないんですけどね。短すぎた今年の夏。ツクツクボウシは、夕方になって、草叢から虫の音が響き始めてもまだ、鳴いています。好きなだけ、鳴きなさいね。
2020.09.27
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ずいぶん長くお昼寝していたようです。2年寝太郎といったところでしょうか? 皆さま、お久しぶりです。やっと目覚めたセイラ(緋野)です。またよろしくお願いいたします。まだ少し寝ぼけているかもしれませんが、そのうち調子が戻ると思いますので、しばらくご容赦ください。先日のことです。久々に某文芸誌を買おうと市内の書店に行ってみると、二店とも、文芸春秋と小説現代しかありませんでした。立ち並ぶ書架を席巻していたのは、コミック、コミック、またコミック。改めて見回してみると壮観でした。「あ、そういえば以前、図書館にあったのでは?」と思い出し、やはり頼りになるのは市民の味方・図書館とばかり、喜び勇んで向かいました。ところが、あったのはやはり、文芸春秋と小説現代のみ。がっかりです。仕方がないので、1000円弱の雑誌に1000円以上の送料を足して、2000円ちょっとを支払い、Amazonで注文しました。なんだか腹立たしかった・・・。(書店に注文すれば送料は要らないんですが、来るのがやたらと遅いんですよねぇ)文芸誌を読む人は、ほんの一握りになったんだなあと、つくづく寂しく思いました。書店に置かれている単行本を見ても、純然たる小説は少なく、文学と呼べそうなものはさらに少なく、純文学に至っては、賞を取ったもの以外、探し出すのも難しい状況です。小説はもう、コアなファンだけのものになったのですね。それなら、それでいい。私としては、心の在りようの似た、コアな読者さんたちに向かって書くだけなのだから。そんなことを考えながら帰ってきました。
2020.09.04
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炎暑の夏ももう終わりです。残暑はまだありますが、自然は正直なもので、ツクツクボウシにミンミンゼミ、谷川の冷たさ(もう泳げません)、風の涼しさ、ショウロトンボ・・・どれも秋の訪れを知らせてくれています。 この夏、山に登られた方はみえますか? 山の魅力って何なのでしょうね。私は山が大好きなのに、実は登るのは苦手なんですよ。 笑 山に登る人、帰りを待つ人、登頂を遂げる人、引き返す人、遭難する人、助ける人・・・姿はいろいろでも、そこには人間の正直な素顔が現れてくるような気がします。 きょうは、そんな 「山」 にまつわるお話です。 「 涸沢にて 」 緋野晴子 梓川の幅が急に狭まって、流れが激しくなった。澄みきった水が川底の岩々に当たってうねり、暴れながら下流に落ちていく。その流れの中から、白い光がキラキラと翻ってきて、私の眼を刺した。八月だというのに、山々は雪を頂いて、四方を取り巻いていた。梓川の水が凍るように冷たいのは、あの雪渓の下から走り出てくるからなのだ。 流れを少し遡って行くと、川はまた開けてきて、前方に吊り橋が見えた。「ほら、着いたわよ。あれが有名な河童橋。あの橋を渡れば、もう上高地よ」 山岳ガイドとして付き添ってくれていた園田さんが、橋を指差して言った。山登りというよりまだ散策にすぎないうちから、ひ弱な私の足はすでに辛くなり始めていたが、その言葉で俄かに力を取り戻した。今夜はここの宿で一泊する。 河童橋の上に立って眺めると、前方には穂高が、巨大な岩壁のような斜面を見せて聳え立っている。夏でさえ人を拒もうとしているかに見えるこの穂高を、雪深い冬に登るなど、まったく正気の沙汰とは思えない。その山の頂に立つことに、いったいどれほどの価値があるというのだろうか?「馬鹿なんだから」と、私は呟いた。 ふり返ると焼岳が、峰々の間にひと筋の白煙をたなびかせていた。この宿に泊まる人の半分は観光客だが、あとの半分は、冬山に登るための下見として夏山に来ていた山男や山女たちだった。自然と山の話になる。私は食堂で知り合った人たちに訊いて見た。「どうして危険な冬山に登るのですか?」「冬山の持つ味、としか言いようがないですね。自分で攀じ登ってみないと分からないことです」「夜明けや暮れに、雪山というのは言いようもなく輝くんですよ。その神々しいまでの美しさに惹かれてね」「若いころは征服欲でした。今は、ただ、ただ、山の中にいたいのですよ」「刺すような風と、雪と、岩壁という試練の後にくる、魂の充足。一種の洗礼ですね」 訊ねる人ごとに様々な答えが返ってきた。彼らは尤もらしい表情で答え、いちおう、尤もらしいように聞こえた。けれども私は、馬鹿だと思った。冬山を味わうためや、雪山の美しさを見るためや、征服したり、ただそこにいたり、洗礼を受けたりする、たったそんなことのために、掛け替えのない命を危険にさらすなんて馬鹿だ。私は、山なんか大嫌いだ。 翌朝は快晴だった。絵に描いたような上高地の圧倒的な美しさが、心に痛かった。私と園田さんは、涸沢をめざして出発した。まず明神までほぼ一時間、多少のアップダウンはあるものの、山登りというよりはトレッキングだ。明神池の手前に山小屋があって、岩魚を焼く匂いになぜかほっとした。その鏡のような池からまた一時間ほど歩くと、徳沢に入る。まだまだ平坦な道のりだったが、足はすでに疲れていた。ここの山小屋でしばらく休憩してから、私たちはさらに一時間余りかかる横尾に向かった。彼女は初心者の私に、けっして無理をさせないよう配慮してくれていた。 横尾に着くと、三時間以上も山道を歩いてきた私の足は、もうくたくたになっていた。岩に腰掛けて昼食のおにぎりを食べながら、園田さんが聞いた。「どうする? 上高地に戻ってもいいのだけれど」 ここから本当の山登りが始まろうとしていた。最大の岩場といわれる屏風岩が見える。徐々に山道になっていって、一時間半も歩くと、残りの一時間半は文字通りの登山になるらしい。彼女は私の足を心配していた。いったん涸沢に向かって歩き出したら、どんなに辛くとも、もう行き着くしかないのだ。途中で挫折することは野宿を意味する。引き返すなら今だ。 「行きます」 私は答え、彼女は、覚悟したように頷いた。 足は重かったが、前半の行程は二時間ほどでなんとか歩けた。本谷橋からは、なるほど正真正銘の山登りとなり、私は初めて、登山というものの苦しみを知った。何度も立ち止まっては息をついた。腿が疲労して力が入らず、足がなかなか上がらない。酸素が薄いためか、高度が上がるにつれて肩が凝り、頭も痛くなってくる。三分の一も登らないうちに、なぜこんな所へ来るはめになったのかと、私は恨めしさで涙ぐんでいた。(みんな、あなたのせいよ) 今年は雪が多いからやめてと言ったのに、私を無視して行ってしまった、あなた。雪山に魂を落として、骸になって帰ってきた、あなた。あなたはそれで満足だったのかもしれないけど、残された私の気持ちはどうなるの? ほんとうに無責任なんだから。あなたの魂を探し出して、「馬鹿!」って言ってやるんだから。心の中で、何度も何度もそうくり返すことで、私は、くず折れそうになる体をなんとか支え、這うようにしてようやく登りきった。一時間半といわれた登山に二時間半もかかり、全体としては八時間にも及ぶ山行だった。 涸沢の小屋に着くなり、私はまず死んだように眠った。とても起きてはいられなかった。眼を覚まして、園田さんに温かい珈琲をもらい、やっと人心地がついた時には、外はもうすっかり夜になっていた。 夜の涸沢。空一面に散らばった星々の、零れるような輝きを見た。広いカールは融け残った雪で、ぼうっと白んでほのかに明るい。青白い夜の光に包まれて、雪を頂いた穂高が、そのむこうに凛々しく、黒いシルエットを描いて聳えていた。(あなたも、この景色を見たのね)その山頂の白い雪の中に、私は夫の笑顔を見たような気がした。(馬鹿なんだから。ひとりで逝ってしまうなんて、ほんとに馬鹿なんだから。……一度もいっしょに登ってみようとしなかった、私もほんとに、ほんとに、馬鹿なんだから。 ……あなた、……もう、いいわ。あなたは、そこにいてもいいわ) 私は彼を許した。なぜ許せたのか、そして、泉のように次から次へと湧き出してくる涙のわけが、私自身にも解らなかった。
2018.08.30
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小説 「青い鳥のロンド」の出版から、いつの間にか一年余の時間が流れていました。一年の節目としてこのたび電子版になり、現在、ほとんどのネット書店で販売されています。一冊 432円で、紙の本に比べるとたいへんお得なのですが、さて、どれくらいの方が読んでくださるのでしょうか? もともと、本の実際の売れ数というものは、著者には把握しがたいようにできている出版業界ですが、電子書籍は特に分かりません。 先に出した 「沙羅と明日香の夏」 を見てみましたら、kindle ストアで本日現在、309,804 位と出ていました。 順位がつくのは何冊か売れたという証拠のようです。(読んでくださった方々、ありがとうございました) 今出たばかりの「青い鳥のロンド」には、順位がついていないことからも分かります。 ですから、どんなに少なくとも一人には読まれたことは分かるのですが、では何冊? となると、?なんですね。 「出版社から、売れ行きに応じた印税が入るんじゃない? それで分かるでしょ」と思われる方があるでしょうし、確かに普通はそうだと思うのですが、私の場合、電子化無料、かわりに印税なし、の契約をしていますので分かりません。 忙しい出版社に、「何冊売れましたか? 調べてください」 と言うのも気が引けます。 そこで、今後、もし私の電子書籍を読んでくださる方がありましたら、「読んだよ」と一声かけていただけますと、たいへんありがたいです。1000人の読者さんを目指して書いておりますので、知りえたかぎりの読者さん数をカウントしています。 現在のところ、「たった一つの抱擁」 は 200人程度、「沙羅と明日香の夏」 は 600人程度、「青い鳥のロンド」 は 300人程度です。 ご感想を求めたりはしませんので(あればもちろん、とても嬉しいですけど)、どうかお気軽に「読んだよ」 のご一報を、よろしくお願いいたします。 「青い鳥のロンド」 について 評価が両極に分かれる小説でした。概して女性には好評、男性にはあまり関心を持たれない小説のようです。特に仕事を持って働く女性には絶賛され、高齢男性にはテーマすら理解されないという、極端な現象を引き起こしました。 いかにあれば、女性は幸せに生きることができるのか? 女性が幸せになる生き方を探すということは、パートナーである男性も、結局ほんとうの意味で幸せになれるということではないだろうか? そのような思いで書きましたが、女性の人生・幸福に対する男性たちの無関心、問題意識不足には、がっかりしてしまいました。昔から女性たちだけが背負ってきた生き辛さ、愛し合う男女の間に軋轢を生む原因、女性にとっては深刻な人生上の大問題は、今も何も解決されてはいないのだということが、奇しくも浮き彫りになる結果となりました。 ですが小説は、そうした現実の中から微かな光を拾っています。 どんなにささやかな光でも、人類が、男女が、より確かな幸福に向かって進む道の、篝火の一部になってくれるに違いないと 著者 緋野晴子は信じています。 電子版 432円。 著者が言うのもなんですが、それくらいの価値はあるかと思います。この機会にぜひ、お読みになってみてください。
2018.08.01
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猛暑が続いていますが、皆様お元気でしょうか?久々の掌小説です。爽やかな初夏のころの、少し幻想的なお話で涼んでいただけたらと思います。これは文章塾「かがく塾」の第2回に提出した作品です。 「青い花」 緋野晴子 その駅に降り立つと、どこかで不如帰の鳴き声がした。四方をぐるりと囲んでいる新緑の山々は、初夏の陽光を反射してまぶしく光っている。僕は大きく息を吸い込んだ。肺の中まで樹木の黄緑色に染まりそうだった。 そこは、静岡県西北部の山間地にある過疎化の進む小さな町。僕の祖先の眠る地だ。五代前の当主が何らかの理由でこの地を捨て、墓ごと東京(当時は江戸)に移住したと聞いている。学生生活を、あと一年足らず残すのみとなった僕は、ふと、自分のルーツを尋ねてみたくなったのだった。 町役場で、伝え聞いていた古い住所を頼りに、それらしい場所の地図を貰った。親切な職員は、祖先に関する資料がないか調べておいてくれると言う。 どうやら、かなり山奥らしい。そこへ行く人はもう誰もいないのだろう、一時間と歩かないうちに、杉林の間の道は、すでに道の形を失い始めていた。長い年月の間に両側からせり出してきた草木に覆われ、あるいは、道とおぼしき場所の真ん中に、大木がそそり立ったりしている。僕は登山用のナイフで潅木を切り払いながら、なんとか、かつての山道の痕跡を探していったが、そのうちとうとう、完全に道を見失ってしまった。日は真上に昇っている。もはやここまでか? という考えが頭をかすめる。だが、切り株に腰掛けて握り飯を食べるうちに、僕の心は決まった。地図上のここまでの道のりを時間で割って、その距離をこの先の道の形に当てはめれば、およその見当がつくはずだ。行こう。道なき道に、僕は足を踏み入れていった。だんだん山が深くなっていく。林立する杉は背丈を増し、真昼だというのに、周囲は夕方のように薄暗くなった。時おり不如帰の声が、密集した樹々の間を貫いて鋭く響く。そうしてまた、一時間ばかり歩いただろうか。ふいに、視界に奇妙な違和感を覚えた。目の前の地面が、百平方メートルほどの範囲で、その周囲より少し窪んでいるようなのだ。と、見ると、一本の樹の脇に、小さな社があった。もしや、祖先のいた村落の跡では? 心躍り、駆け寄ろうとした、その時だった。つと、大きな古木の陰から、青い花が姿を現した。百合ほどの大きさで、形も少し似ているが、違う。暗い山の中で、燐を燃やしたような青々とした光を、花びらに宿している。吸い寄せられるように近づいてみると、確かに新種に違いないと思われた。こんな花は見たことがない。僕は根を掘りあげて持ち帰ろうと、思わず手を伸ばした。……だが、やめた。花の前に座って、花をじっと見つめていると、花もこちらをじっと見つめているような気がしてくる。なんだかとても安らいだ心持ちになって、僕は何時間も、そのまま花の傍で過ごした。日が暮れてきても帰る気になれず、夜になったらあの社で寝ればいいと、ぼんやり考えているのだった。やがて、あたりは闇に包まれた。真っ暗な社の中で、僕は少し後悔していた。月はあったが樹木に阻まれ、所々に細く淡い光が染み込んでいるばかり。スマホの明かりを頼りにビスケットを食べ、荷物を枕代わりにして、僕は硬い木の床に体を丸め、早々に寝てしまうことにした。どれくらい経った頃だろうか、うとうとしていると、誰かが社の戸をコツコツと叩く。驚いて跳ね起き、戸を開けると、そこには美しい女性がひとり立っていた。月の光のせいか、体の周りが青白い蛍光を帯びているように見える。「社の中に明かりが見えましたので…。私の家へいらっしゃいませんか?」近くに人家があるとは気づかなかった。迷惑ではと、いちおう遠慮してはみたものの、暗闇に参っていた僕は、けっきょく喜んで彼女についていった。「どうして、こんな山奥にいらっしゃったのですか?」 部屋に布団を敷きながら、彼女は訊ねた。「僕は将来に迷っているのです。自分が何者なのか、どの道を行くべきか、この祖先の地で考えてみたかったのです」 すると彼女は、静かな微笑を浮かべて言った。「心の底にある美しいものを守って、ほんとうにいいと思う道を、まっすぐいらっしゃればいいのですわ」 その、やわらかく芳しい声を聞くと、僕は瞼がたまらなく重たくなり、そのまますぐに眠ってしまった。 翌朝、また不如帰の声がして、目を覚ますと、僕は大きな古木の洞に寝ていた。これはどうしたことかと洞の外に飛び出してみると、目の前には、底まですっかり見透せるほど澄み切った大きな湖ができていた。木々は水に浸かり、あの社も屋根まですっぽりと沈んでいる。そして花は、あの青い花は、銀色の小さな気泡を身に纏い、透き通った水の底にすくっと立って、差し込む朝日に、燃えるように青く光っていたのだった。 役場に戻ると、親切な職員がすぐに寄ってきて教えてくれた。「水守さん、分かりましたよ。あなたのご先祖は、ここの奥山に七年に一度現れるという湖の、神事にしか使ってはならない水を守る役職についていたんです。ところがある日照りの年に、ご先祖は村人たちに湖を開放し、その責めを負って、幕府に切腹させられたんです」 あれから、十年経った。僕は営林署の職員になり、故郷一帯の山々を守ろうとしている。七年後に湖を探しに行ったが、あの場所はついに見つからなかった。だが僕の胸の中には、今でも青い花がすくっと立っていて、何かに迷うたび、いいと思う道をまっすぐ行けと言うのだ。 完
2018.07.19
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雨が好きだったのに、このところの悪魔的な降り方といったら、どうだろう。とても季節の雨を愛でる気分にはなれない。太古から自然は人間にとって大きな脅威であったことを、嫌でも思い出さずにはいられない。恐ろしい。過去にも七夕豪雨というのはあるにはあったけれど、近年、世界に多発する予想を遥かに超えた集中豪雨や気温の激しい上下動を見ると、やはりかつての地球環境が、壊れてしまったのだと思わざるを得ない。今後、私たちの地球はいったいどうなっていくのだろう? 地球上の生物の存亡や分布地図は大きく変わっていくに違いない。人間たちは大丈夫なのだろうか?往年の俳人たちが愛して詠んだ「季節」というもの、私が青春を送るころまでは確かにあったそれは、もはや古き良き時代のものになってしまったのかもしれない。どうしてそうなったのか、誰がそうしたのか、自分自身にその責任の一端がないとは言えず、気持ちは焦れるのだけれど、地球の変動をくい止めるのは難しい。そういえば、きのうは七夕。 織姫と牽牛も、これでは逢瀬を楽しむどころではなかっただろうな。
2018.07.08
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「かがく塾」に提出した最初の原稿は、Yahooブログに書きなぐってあった過去記事を、作品としての形に整えたものでした。 それをさらに、岳先生や出席者の皆様からいただいた批評をもとに書き直しましたので、ここに載せてみます。文章というものに興味がおありの方は、Yahooブログ「明日につづく文学」の「エッセイ書庫」の最初のほうに、元の記事が載っていますので比較してみてください。どこがどう良くなったのか、お分かりになるかと思います。 「雨のポケット」 新緑に陽が透けて、木立の下がなんだか黄緑色に明るい。その向こうには、青さの増した空のあちこちに、綿菓子のような白い雲が浮かんでいる。と見る間に、雲は端のほうから風に解(ほど)けて、つぎつぎと形を変えていく。また雨が来るのかもしれない。五月といえば、春霞が引いて、青く晴れ上がった空をイメージしてしまうが、実際は、意外にも雨が多いものだ。大事に育ててきた庭の芍薬がせっかく美しく咲いているところへ、ちょっと油断していると容赦なく雨が降りかかる。細かい雨なら、その中で咲いている姿も趣があっていいものだけれど、残念なことに芍薬という花は、いったん濡れてしまうと駄目になる。よほど固い蕾のうちでない限り、少しでも開きかけたものが雨に当たると、あくる日にはもう萎れて生気を失ってしまう。こんなに雨に弱いのなら、なぜ五月を選んで咲くのだろうと不思議に思う。おかげで毎年、この花を守るために透明ビニール傘をさし掛けたり、外したり、あらかじめ雨に備えて大きな花瓶に切り溜めたりと、私は忙しい。それでも気紛れにやって来る雨からは、とうてい守りきれるものではなく、結局最後は、茶色の染みを作って萎れてしまった花たちを、「また来年ね」と切り取って始末するしかなくなるのだ。こうして毎年、私の可愛い芍薬を台無しにしてくれる雨だけれど、それでも私は、実は雨が好きだ。五月の雨も、梅雨の雨も、夏の夕立も、暴風雨も、秋雨も、時雨も、春雨も、それぞれに好きだ。朝、布団の中で雨の音を聞くと、布団から出たくないと思うことがよくある。その日にどんな予定があろうと、もうどうでもよくなってしまうのだ。それは、雨の中を出かけるのが億劫だとか、濡れるのが厭だとかいう思いからではない。雨が好きで、雨に降り籠められ、包まれて、そのままじっと雨を感じていたいという強い願望に支配されてしまうからなのだ。勤めていた頃は特に、この願望と闘って身を起こすのがたいへんだった。どうして私は、そんなに雨が好きなのだろう? 自分の内を探ってみると、脳裏にひとつの原風景のようなものが浮かんでくる。私はその時何歳だったのか、はっきりしないけれども、三つ半違いの妹の影がないところをみると、三歳になるかならないかの頃ではなかったかと思う。五月だというのに、私は母にせがんだのだ。「きょうもおんぶして、栗拾いに行く」と。幼い私は、前夜、夢を見たのかもしれなかった。母に背負われていて、家の前の道をしばらく行くと山栗の木があった。可愛い栗の実がころころと落ちていて、母がひとつ拾って背中の私に持たせてくれた。こげ茶色でふっくらとした三角の実。とても嬉しかった。私は次々と見つけて拾ってもらった。落ちている毬(いが)の中に入っているのもあって、母は両足で上手に毬を開き、中から実を取り出した。集めた実は母の白い割烹着のポケットに入れて、「家へ帰ったら、焼いて食べようね」と言った。私は背負われたまま、その様子を見ていた。楽しくて、楽しくて……。それがきのうのことだと、なぜか私は思ってしまったのだった。家の大人たちはみんな、栗など落ちていないし雨も降っているからと、私を宥めた。私は納まらず、そんなことはない、きのう確かに栗拾いに行ったのだからと、泣いて、泣いて……。母はしかたなく私を背負ってねんねこ半纏をかけ、から傘をさして外へ出た。母は子守唄のようなものを歌いながら歩いていたと思う。雨が細かくから傘に当たる音がして、傘の外はすべて雨の中。私と母は、傘の下でふたりきりだった。山にも道にも道端の木々にも若葉が萌え、あたりは黄緑色に濡れていた。しゃくっていた私はだんだん気が鎮まり、そこへ着く前に、なんだか違うという気がしてきた。果たして、栗はなかった。それでも母は歌いながら、「栗があるかなあ?」「栗があるかなあ?」と言葉を挟んで、探し歩いてくれた。私は、なんでだろう? と思いながらも、母の背で十分満足していた。母の背中は温かく、柔らかく、雨の音に包まれて、心地よく揺れて……あとは記憶がない。布団の中で、目覚める前に雨の音が聞こえる朝は、北朝鮮とアメリカがどうこうしたとて、そんなことは関係なく、家族のこともお構いなし。書きかけの小説さえもどうでもよくなり、責任とか、努力とか、目標や希望なんかもほったらかして、ただ雨が降っているだけという時間のポケットに、すっぽり嵌ってしまいたくなる。何をするでも考えるでもなく、ただ、ただ、じっと、雨の音を聴いていたいと思うのだ。きっと、これが私にとっての雨。どんな雨の中にも、いつの雨にも、その奥にはこの雨が降っているような気がする。
2018.06.13
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「ブログに戻ってきました」と言っておいて、もう20日も経ちました。 怠慢なセイラです。 でも、この間に27歩めを出してみたんですよ。 27歩めは文章塾への参加です。 せっかく作家クラブに入れていただいたのに引っ込んでばかりで、いろいろな会合にちっとも参加できていませんでしたので、これでは入った甲斐もなしと、ひとつ奮起してみました。 加賀乙彦先生と岳真也先生のお名前を合した「かがく塾」という名の文章塾です。月に一度、5枚程度の掌小説やエッセイを書いてメンバーで評し合ったり、先生方からいろいろな文学に関するお話を伺うというものです。 世話のやける家族が多くて書く時間の少ない私には、メインの中・長編に加えて月に一度5枚作品を書くというのは、かなり負担なのですけど、そんなことを言っていたら進歩もありませんので、頑張ってみることにしました。 最初の会に参加してきましたが、なかなか良くて、私は人に疲れてしまう性質なのですが、岳先生のお人柄か、メンバーのお人柄か、居心地の良い会でした。 塾は東京で開かれ、私には金銭的に遠い所ですので、ほとんど「通信塾」になると思いますが、3か月に一度は参加したいなあと思っています。 その掌作品や、小説を書いている人たちに有意義だと思われる雑談が聞けましたら、またこのブログに載せてみますね。 きょうは雨。いよいよ梅雨入りでしょうか。嫌だなあと思っている人が多いでしょうね。でも私は、嫌いではありません。「つゆ」と思ってはいけません。「五月雨(さみだれ)」と思ってください。 ね、ちょっと違うでしょ。 五月雨は五月と書くので誤解している人もいますけど、これは旧暦の五月、つまり皐月(新暦六月)のことですから、正しく書くなら「皐月雨」で、つゆの雨のことなんですよね。 紫陽花が喜ぶ皐月雨よし。太陽の有難みが分かる皐月晴れは、さらに良し。 季節を楽しみましょう。では、また。
2018.06.06
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