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試験監督、入試、授業のテストの採点と忙しい毎日が続く。今日は午前中、妻がお出かけのため、子供と留守番。午後からテストの採点を始めた。非常勤先の授業2つのうちの1つである。この科目はいわゆる一般教養に位置づけられている科目で、とっているのはその科目を専門としない学生ばかりである。専門外の学生に教えたのは初めての経験となったが、なかなか楽しかった。専門にしている学生よりもよく話を聞いているのだ(出席している人はの話だが)。とはいえ、気になるのは漢字の間違いが非常に多いことである。ワープロを使うから忘れるという話をよく耳にするが、そのような次元ではない。問題に書いてあるのに間違って書いているのだ。例えば、「競争」を「競走」と書いた人が4分の1ぐらいいた。また、「言う」を「ゆう」と書く学生が多いのも最近の特徴だ。そんなの大したことではないと言ってしまうのは簡単だが、それでは何も問題は解決しない。結局そういった学生が社会人になると、書類で間違いを連発し、直している間に時間は過ぎていくことになる。それでも漢字ならまだしも、英単語でそういった間違いを犯すと大変なことにもなりかねない。そのときになればできると思ってしまいがちだが、練習でできないことは、本番では絶対にできないのだ。普段歩くこともほとんどしない人がフルマラソンを走れると思っているのと同じことである。どこまでおめでたいのやら。ゆとり教育、大学教育の改革などいろいろなことが行われている今日ではあるが、目新しさに惑わされてはいけないように思う。まず基礎をちゃんとしなければならない。基礎学力があって、その上に応用がある。基礎学力は雪だるまをつくるための芯になる玉のようなものだと思う。この玉が大きいほど大きな雪だるまができやすいし、そこがしっかりしていれば壊れにくい。このことは逃れられない法則なのではないかと思う。もう少し基本的なことをしっかりやるように、教える人、教わる人、教わった人と関わる社会、それぞれが真剣に考える必要があるだろう。
Jan 31, 2005
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あまりの忙しさとそれに伴う疲れで日記もつけられず。アウトレスのたまる3日間だったが、やはりそれを解消してくれるのはオーケストラで演奏することであり、仲間と飲みに行くことだった。3日間にあったことを簡単にまとめておきたい。まず、妻と大げんかをした。帰りが遅くなった日に「ゴミ出しを手伝って欲しいけど、無理だよね...」と言われ、「遅いし、そうなるかもしれない」と返事をして就寝したが、翌日時間通りに目が覚めた。しかし、睡眠不足で体がしんどい。そこで「もう一回寝てもいいかな?」と言うと、「そこまで言うんだったらやらなくていいわよ!別に頼んだわけでもないし!」と言われ、ブチ切れた。こっちは寝不足でもやれることをやってからもう一度寝たいということを言ったのに...。そのせいで一日不機嫌&眠気に襲われっぱなし。子供と遊びながら寝てしまう始末。実際にゴミ出しはやったのだから、そのことを評価して欲しいものだ。それをいきなり頭ごなしに「いらない」と言われても困るのだ。大学では会議があった。会議の内容自体は意味のあることで、避けては通れない話し合いだった。しかし...ある先生がすでに議論したことに対していろいろと発言(これはダメだとか)。そのときに言えばいいのに、話を全然聞いていないのか、何度も話の腰を折る。おまけに、自分の思ったとおりにならないことに対しては「原理原則を言ったところで仕方がない」と言っていながら、自分が通したい話については「原理原則に立ち戻るべきだ」と言う...。話が前に進まないのだ。これでは聞いている方がつらい。確かにおっしゃることはわからないでもないのだが、時間は限られている。どの情報を重視するのか、どの話を重視していくべきなのか、会議はいずこも難しいものだ。結局、この3日間はぼやくネタが満載だった。そのぼやきも、とりあえず音と酒と一緒に流れてよかった。明日から前向きに。でも、また明日早起きしないといけない。さもなければ大げんか第2ラウンド決定になってしまうからだ。そこだけは外すことなくしっかり決めなければなるまい。
Jan 30, 2005
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疲労がたまる一日だった。午前中から会議に向けての書類づくり、午後一番で会議。方向性はある程度決まってきたものの、実際にどのように行動するかを決めるのに手間取る。会議の直後から3時間の試験監督。問題に急な訂正が入った科目があり、学生たちも戸惑っていた様子。それもかなりのケアレスミスで、説明するこちらとしても困った。追い打ちをかけるように最後の時間には、答案枚数チェックで1枚足りないと大騒ぎ。全部ひっくり返して数え直しかけたところで、一人が間違いに気づき、一件落着。それで遅くなったので、結局同僚数人と飲みに行き、帰宅。明日で何とか睡眠時間を確保しておかねば、入試に向けてしんどくなって行きそうである。
Jan 27, 2005
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今日は多忙な一日だった。午前:大学院時代の恩師の退官前最終講義。得るものは多かった。大学で教えるというのはどういうことか、学者としての生き方などなど、飲み会の時にあったお説教が見事な形に凝縮され、まとめあげられていた。午後:恩師と会食するが、席が若干離れていたこともあり、後輩との研究や互いの大学の学内行政に関する情報交換、恩師の学部ゼミ卒業生(社会人)との挨拶とが主となる。その後先輩方とお茶でまた情報交換。夕方:オケのメンバーの通夜に行った。あまりにも急だったためにオケからの列席者も言葉を失う。喪主挨拶は聞いていられないほど悲痛で胸が詰まった。夜~深夜:マンションの管理組合規約改正委員会に遅刻して出席。議論の方向性はある程度読めてきた。自分にとって不利益な規約改正にならないよう、しっかり議論の流れをチェックした。思うことの多い一日だったが、その思いはまた改めて。明日も朝から夜まで会議や試験監督の予定がビッシリである。
Jan 26, 2005
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今日は、午前中仕事、書斎の片づけをする。私は整理は苦手でたまに片づけてもそのままきれいな状態が続かない。書店に行くと「整理術」をあつかった本を多く見かけるが、マネをしようとしてもなかなかうまくいかない。いつも立ち読みで済ませるせいだからかとも思ったが、買ったところで継続するかどうかは怪しい。何しろ、散らかった状態で何がどこにあるのかを把握しているのだから...。そのうち頑張ってみようかなと。午後は家族で買い物に出る。みんなご機嫌で過ごし、中でもほしがっていたものを手に入れた妻はご機嫌である。これから試験、入試シーズン、今のうちの家族サービスが必要不可欠である。そして帰宅途中、オケの仲間からメールがあった。オケのメンバーの一人が今朝突然亡くなったとのこと。一昨日会ったはずなのに...ショックだ。その方とは特に親しくしていたというわけではないのだが、オケに10年以上いて話したことがないというわけはない。ちょっとした会話はしている。家族の方はどのような思いでおられるのだろうと思うと胸が痛む。自分で死に方を決められるわけではないのだが、できるだけ長く生きていくことができるようにできる努力はするべきだと、また強く思った。
Jan 25, 2005
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今日から私にとっての試験期間が始まった。最初は非常勤先の講義の試験である。半年間あるいは1年間の講義内容に対する勉強の成果を問うものであるが、試験監督をしつつ答案を見たりしていると、がっかりしたり、なかなかやるじゃないかと心の中でほめてみたりと、時間は結構早く過ぎた。逆に、試験監督で困るのはしんどいの他の先生の試験科目を監督するときで、これは内容もわからない場合があるのでそういった楽しみがないところがつらいところである。今日お手伝いいただいた先生も同じ気持ちだったかもしれない。大学の講義の試験の場合、60分の試験だと、30分経過すれば退出可能になる場合が多い。30分前後で出ていく人は、かなりできているか、まったくできていないかのどちらかである場合が多い。後者が圧倒的に多いのだが。終了10分前に残っている人を見たら、ほとんどが授業に出てくる常連の人たちで、これは今までに経験してきた本務校、非常勤先のどこでも共通に見られる傾向である。しかも、いずれもよくできている。実は、それはごく当然のことで、本来多くの人が60分近くかかってちゃんとした文章になるような問題をつくるのである。論述試験が多い文系の場合だと、問題を読んでそのまますらすらと答えをかけるほど甘くはない。キーワードを書いてみて文章の筋道をある程度組み立てておかないと、支離滅裂な文章になる。私の場合は文章をちゃんとわかるように書くように、適当に書いているだけだとダメだと最終回で必ず言っている。常連さんは私がたびたび授業で言っているのでよく知っていて問題はない。問題なのはあまり来ない人、どうしようもないのは一見さんである。私の授業では平常点のなかでボーナス点を少しあげたりしているのだが、一見さんでは救済措置にもならない。来る人は救済措置など必要ないのに、そこでも点数をしっかり稼いでいく。結局、成績が二極分化してしまう傾向にある。学生諸君に対して思うのは、これからの時代、流れに任せて生きていくのはしんどいかもしれないという気持ちを持っておくことだと思う。いずれ機会がくるだろうというのでは、いつまでたっても来ないのだという意識が必要だろう。「幸せは歩いてこない、だから歩いていく」必要がある。自分の人生に対して自己責任を持たなければ、自分の周りのことに対して当事者意識を持たなければならないと思う。誰のお金で大学に行っているのかをよく考えるべきだろう。雑誌の記事で目にしたのだが、今後は「教育=投資」ではなく「教育=消費」に結果としてなりかねない時代が来るかもしれないという。せめてお金を出してくれた人にとって自分のしていることが「投資」になるように願うばかりである。今日は帰りに2人のゼミ生に会った。1人は非常勤先の最寄り駅のビルに入っている店でバイトをしている。通りかかるとときどきいたりするので、接客の邪魔にならないように手だけ振って帰る。ゼミの時間中には見られないしっかりとした姿、なかなかやるものだ。もう1人はその駅の近くに住んでいる人で、相談があるとかで約束をして会った。用件が済むと、買い物に行くというので途中の駅まで一緒に電車に乗り、しばし談笑。2人ともぜひ「投資」になるよう頑張ってもらいたいものである。
Jan 24, 2005
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昨日はオーケストラ(以後オケと略)の練習に出かけた。最近、私の卒業した大学にOBオケができた。卒業して十数年、昔からの仲間といつか演奏してみたいという夢がついに現実になる時がやってきた。企画をしてくれた後輩たちに感謝。私の今日の役割は本来のヴァイオリン演奏ではなく、指揮である。アマチュアがオケを指揮をすることの難しさは百も承知だが、なにぶん手弁当のオケだけに、毎回プロを呼んで練習をつけてもらうほどの余裕はない。役不足は十分わかっている上で、メンバーの前に立たせてもらった。午後、ついに合奏開始。フルオケの指揮は4年ぶり。弦楽オーケストラなどで感覚を忘れないように指揮をさせてもらったことはあったが、さすがに管楽器や打楽器が入ってくるとわけがちがう。自分からかなり距離のある場所から音が飛んでくる。OBオケのメンバーはさまざまな世代がいる。私より年上の人から、現役の大学生まで、年の差は最大で13歳、ちょうどよく分散している。私は卒業後今まで毎年欠かさず現役学生のオケをお手伝いさせてもらっているので、メンバーは全員私のことを知っており、私より8年ほど下の学年までは私の指揮する姿を見たことがある。勝手のよく分かるメンバーなのだ。それだけに下手なことはできない。緊張しつつ3時間に及ぶ練習が始まることとなった。今日の練習曲はチャイコフスキーの交響曲第4番、この曲を演奏したことのある人は口々に難しいという。場所によってはプロでもちゃんと合わないほどアンサンブルの難しい曲である。また、複雑な構造をしているということで、指揮者泣かせの曲でもある。オーケストラの曲というのは、現代のポップスのようにボーカルと伴奏にきっちり分かれておらず、異なるタイミングでさまざまなメロディーが重なり合って鳴ったりする場所があって、それを聞き分けながら指示を出していくのは大変である。指揮者の仕事はまず交通整理のようなものである。今回のOBオケでは本番をプロの指揮者にお願いするので、私の仕事は下稽古(下振りという)で、映画でいうところの助監督のようなものである。いろいろなことを丁寧に説明し、稽古を付けつつ、最後に監督を迎え、その成果を芸術作品へと向けていく、重要な役回りである。私はこの役回りが好きだ。オケがうまくなっていく過程を最もつぶさに見ることができるからである。日常の練習がうまく本番に活かされたことがわかったとき、私のすることは報われたように思えるのだ。今回の合奏に当たってはかなり勉強していった。スコア(すべてのパートの動きを書いた楽譜)を見なくても交通整理がある程度できるところまで読み込んでいった。その成果はあったようだ。合奏はけっして満足のいくような出来だとは言えなかった(まだ2回目の練習で事故も多い)が、次につながるものができたように思う。自分の思うところを伝えるのには、3時間では足りなかった。「こういうコツもある」といったことももっと言いたかったが時間に制限があるのでやむを得ない。自分としては課題を知りつつ、ある程度満足した気持ちで練習を終えた。終わった後は会場近くの居酒屋で同窓会。指揮をすると真冬でも汗が噴き出すほど暑い。もちろん終わった後は1,2キロ必ず減っているものである。しかし、気分良く飲み食いしたので結局元に戻っていると思う。そして、同じ方向に帰るメンバーと電車に乗り、小一時間談笑する。久しぶりの楽しい一日、気持ちよく眠りにつけそうである。このような気持ちの解放があってこそ、次の仕事に必要な元気が出てくると思う。
Jan 23, 2005
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昨日は忙しく、日記はお休み。今日も忙しいので少しだけ。昨日は、家族みんなで自宅から小一時間ほどのショッピングセンターへ買い物。このような寒い日に外出して気分転換を図るにはこれが一番である。ショッピングセンターの中にあるブランド物の店には、私のゼミの卒業生が勤めている。彼に一昨年、その店であったのは全くの偶然だった。お互いに指を差し合って驚いたものである。最近は、私がなかなか行かなかったり、行ってもたまたま彼が休みの日でかなりの期間、会えずじまいだったが、昨日久しぶりに再会した。手が空いたときに声をかけ、しばらく話しこむ。妻はその間アクセサリーやバッグに夢中、子供たちはおとなしくしてくれていた。半年に一度のペースで会うので、彼は子供たちの成長ぶりに驚いているようだ。でも、彼も確実に成長していると私は思う。一昨日最後の授業をしたゼミ生も確かに成長したと思うが、やはり社会人3年目の彼はしっかりもまれているせいか、言動も醸し出す雰囲気もいいものを感じさせるようになってきたように思う。こうして卒業した後もずっとかかわりを持てることが、この職業の楽しいところである。妻も子供もそれぞれショッピングセンターでの遊びを満喫、気分のよいうちに帰宅した。
Jan 22, 2005
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今日は1年間の最後の授業、4年生のゼミを行った。毎年、ゼミの最終回は複雑な気持ちになる。頑張って社会に出て行くメンバーを応援するために何を言えばいいのだろうかと考える一方で、自分の話で終わりを宣言してしまうことの寂しさとがないまぜになる。毎年ゼミを指導しているうちに、メンバーに対して情が移っていくものだが、今年のゼミ生には少し特別な思いがある。初めて「バラバラな個人の集合体」ではなく、「有機的な人々の集まり」として2年間を終えることができたのである。私はゼミという場を単に勉強する場だけではなく、人との関わりを持って自分を磨く場、そしてその中で心地よく過ごせる場にしたいといつも思っている。今の4年生は、それができることを身をもって証明してくれた。しっかりと学習の成果を出し、またみんなで盛り上がることもきっちりできる、まさに「よく学び、よく遊ぶ」を実践したのである。今日のゼミでは、一人一人に2年間の思い出とみんなに対するメッセージを語ってもらった。それらは決してその場で繕われたものではなく、本音であると思う。中には目を潤ませているメンバーもいた。私も少しジーンときた。それが終わるといよいよ私が話す番だ。ゼミに対する思いや、みんなに対する思いを素直に話した後、「頭でっかちな人になったり、知識をひけらかす人にはならないように。でも、そうだからといって知識を得ないと開き直るのはダメで、自分でいつもしっかりと学ぼう。それを他人に伝えるときにどうするかをよく考えて行動しよう。さりげなく他人の役に立てるように頑張って、他人の気持ちをよくわかる人でいて欲しい。」といったようなことを話した。このことは2年間折に触れて話してきたことなのできっとメンバーはわかってくれていると信じている。そう言えば、ゼミ生相手にずいぶんとこういった説教をしたように思う。「大学生にそこまで?」と言われるような気もするが、私はそれが必要なことだと思う。特に、今の学生を見ていると、われわれの世代から見ると当たり前のように思えることでも、できないことはけっこう多い。人付き合いが苦手であることが特に気になる。働くようになれば、同世代の人だけではなく、20歳代から60歳代までいろいろな年齢層の人が同居することになる。世代ギャップがあるのは当たり前だろう。でも、それを放置していては物事は進まない。まずは相手を理解することが重要だと思う(もちろん、同じことが年配の方にも言えると思う)。どちらの世代が歩み寄るかという問題もあるが、少なくともわれわれは若い学生に対してその歩み寄り方を教えることも必要だと思う。そう思って私はゼミ生にぶつかっていくことにしている。それに応えてくれたこと、そしてそうしたやりとりを楽しいものにしてくれたことを正直に嬉しいと思う。ゼミ生諸君に感謝したい。あとは、よき社会人になれることを期待して卒業式で送り出すことにしたい。
Jan 20, 2005
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私は通勤途中に本を読んで過ごすことが多い。最近読んで考えさせられているのは、日本の組織(企業、役所などなど)のあり方についてである。最近、大企業を中心に「チャンスを公平に与えて頑張ったかどうかをきっちりと評価して、成功した人に報いる」という考え方(成果主義という)が広がっているということを新聞・雑誌などでもよく見るようになった。一見、このやり方は魅力的に見える。特に年功序列に染まった組織を窮屈だと思う人にはそうだろう。成果主義の良さを説く本が書店にも多く並ぶ。しかし、それに反論する本が多く見られるようになった。それらによれば、実は、成果主義の考え方は正しいとしても、それを組織で適用しようとすると、本来意図したことに反する行動が次々と見られるようになり、成果主義自体が成果をあげられていないという、しゃれにもならない現実があるのだという。本来は個人のやる気を高めるために始めたことが、いつの間にかやる気を削ぐものに変わり、組織の成果もどんどん低くなっていくという悪循環になっている例が挙げられている。原因はどこにあるのか、それにはいろいろな意見があるだろうが、私は「それに賛成する人がちゃんと考えていない」ことにあると思う。成果主義は考え方次第で「単なる人件費削減の手段」にもなりかねない。経営者にとっては魅力的に映ることもあろう。しかし、負の側面もあり得るわけだから、そのシナリオも考慮する必要がある。考えてみて、それでもやっぱりやるべきだと思うのならば思い切って実行し、相応の責任をとる必要がある。日本の組織の問題としてよく言われるのは、問題の先送り、誰も責任をとらない無責任体制といったことだろう。しかし、だからといって、最近の日本の組織の行動は極端であるような気がする。先送りは最悪だが、考えずにやるのは無謀なだけである。責任の所在を明らかにするのはいいことだが、責任のなすり合いが横行する状況は最悪だ。それに責任のとらせ方も、責任者をひたすら追い込んでいくようになると誰も責任をとらないように...そう、元の木阿弥になる。すべては現在の日本の置かれた状況に起因する余裕のなさからくることのような気がするのだが、それを言い訳にして何も考えずに、従来と逆のことをしようとか、ひたすら目先を変えようとする行動は、健全なものまで悪くしてしまう可能性がある。「ぬるま湯」と「果てしないデスマッチ」との間のどこに軸足をおくべきか、選択肢は無数にあるのだから、それぞれの組織が自分の置かれた状況に合わせてしっかりと考えるべきだろう。誰かのマネをするにしても、しっかりと考えたという裏付けがなければならないように思う。そして、問題は組織のトップである。トップがどこまでそのことを自覚しているかが問題である。いい情報にしか耳を貸さない、失敗したら責任を部下にかぶせて逃げてしまう、などというようでは、組織はうまく回らない。こういったテーマについて多くの人が考えるようになれば、少しはいい方向に向くのかなと思う。そんなことを考えるのには理由がある。少子化の流れをうけて、大学はまさに変化への選択を迫られている。私はそこに身を置いているので、上の話は他人事ではないと思うのだ(大学の組織は他のそれと異質のように思われるかもしれないが、意思決定の仕方やメンバーの行動の仕方、組織のまとめかたについては企業とそう大差はないような気がするというのが実感)。環境が変化したのだからそれに適応していかなければ生き残れないのは当たり前だろう。それはカリキュラムの組み方といったものから、各教員の授業の内容に至るまですべて関わってくる。大学にとっては「いかによいお客さん(学生)を集められるか(それは最初から成績がいいということだけではなくて、学ぶ姿勢を持つようになる可能性があるという意味も含めて)」ということが重要である。そのためには「ライバルに引き離されないようにする」という短期的な対応(例えば営業活動)が必要である。しかし、ともすると見落とされがちなのは、お客さんの評価が固まり、広がっていくのには時間がかかるということ、そして日頃のサービス(授業や事務的なことも含めて)の地道な積み重ねが必要だということだ。これを忘れてしまうと、組織にとってはボディブローのように効いてくる。だからこそ、逆に怖いと思う。私はまだ大学の中ではこういったことについて発言する立場にない。しかし、こうした議論がしっかり行われているかどうかは気になる。なぜならば、そのことがわれわれの世代の将来を決める可能性を多分に持っているからである。自分の職場でもいい議論が交わされることを期待したい。
Jan 19, 2005
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今日は講義を3時間、定期テスト前最後の講義だけに、教室が満員になる。そういえば、通勤途中の電車もいつもよりかなり混んでいた。試験の形式や評価方法を学生に伝える。と、1年間ほとんど出席しなかったであろう学生から「マジかよ~!」、「うっそ~!」というつぶやきの声がちらほら。私は日頃の努力を重視する評価スタイルなので、平常点のない学生にとっては、単位獲得への道はかなり険しい。しかし、こちらも本気で学生に伝えたいこともあるし、準備もきっちりやっていく方なので、その気持ちに応えてくれる人を大事にしたいと思っているのだ。「一緒に汗をかいてくれないと困りますよ」などと企業では表現するが、まさしくそう言いたい心境である。だからこそいい加減にしないでおこうという気持ちが出てくるのだ。一箇所に人を集めて何かをするということは、そこに参加するすべての人々の時間が費やされているということである。そこに本気で参加してくれる人のために頑張るのが仕切る人の努めというものだろう。いつもそうできていると評価してもらえるかどうかはわからない。でも、少なくとも、それを忘れずに仕事をしたいと思うのだ。さて、大学教員にとっては、1月から2月まで体力勝負の時間が続く。おそらく多くの一般の人が意識しない大学教員の仕事、それは「試験監督」である。試験監督は大学の講義(自分の科目だけではない)の試験、大学入試、センター試験が主なものである。経験上、最もきついと感じるのはセンター試験である。科目数が多い上に、マニュアル通りにやらなければ新聞沙汰になるという緊張感、それに座る時間がほとんどないタイトなスケジュール、終われば飲みに行く気すらおきないほどヘトヘトになってしまう。所属する大学の入試は、日数の多さがきつい。最近の少子化によって、大学はどこも受験機会を増やして受験料収入を増やそうとする。当然それは所属する教員に跳ね返ってくるのだ。そして、科目の試験。これは学生数と科目数、そして専任教員の数によって監督時間数が決まってくる。この比率によって科目の試験監督のしんどさが決まってくる。ちなみに本務校では今年の場合1日で3~4コマの試験監督を4~6日こなさなければならない。4時間何もしないで立っているということはかなりきつい。昔なら監督者が本を読んだりしていても許されたかもしれないが今はそうはいかない。すぐに苦情を言われて大学当局から怒られるだけである。確かにカンニングは不正行為であるし、腹の立つものだ。しかし、この監督という仕事は何も生み出さないものであり、やりがいはさすがに持てない。いっそのこと、持ち込み可にして、試験問題を難しくする方がいいようにも思えてくる。せめて大学の講義科目の試験だけでもそうはいかないものかと思う先生は多いと思う。誰か「試験監督マシン」の発明をしてくれないものかと期待してしまうのは、私だけではないだろう。そう言えば、今日、若手教員の雑談で面白い一言があった。この時期の大学教員の心情をまさにうまく捉えた言葉である。「立てば監督、座れば採点、歩く姿は疲れてる」2月の末に流行遅れのインフルエンザにかかってしまうことが多いのは、この時期の体力的なしんどさと無縁ではないように思える。「ランニングして体を鍛えないといけない」と必ず言う人が出てくるのがこの時期。まず何よりも健康第一である。
Jan 18, 2005
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今日は、自分にとってこのページを始めるにふさわしい日だと思う。1月17日、おそらく一生忘れない特別な日である。10年前の今日、阪神・淡路大震災を経験した。住んでいたのは震度7の地域、地震のそれとは思えなかったほどの凄まじい揺れ、それがおさまって自分が生きていたとわかったときの何とも言えない気持ち、それからすぐに近所を見に行ったときのこの世のものとは思えない悲惨な状況、そして気味が悪いほどの青い空と静けさ(いずれこのページに様子を書き記したいと思う)...生きている限りすべて忘れることはできないだろう。あれから10年、午前5時46分、私は神戸三宮の東遊園地に、所属する市民オーケストラの仲間とともにいた。黙祷の後に演奏をするためである。あの地震でオーケストラの大事な仲間を、中学の同級生を、そして高校の先輩を失った。演奏は雨が降ったら中止になるということだったが、演奏前に雨が小止みになった。そして演奏が始まった瞬間からまた大粒の雨、とにかく演奏だけはできてよかった。震災の前も後も、音楽はいつも私の心の支えになった。私にとっては、自分の気持ちを表現し、届けるには言葉より、音の方がいい。演奏したのはシベリウスの「アンダンテ・フェスティボ」、弦楽器だけによるシンプルな曲だが、澄んだ音楽、そして空騒ぎしないが前向きなラストはこの日の気持ちにマッチする。こうして生きていられることのありがたさを毎年思い返すのが、1月17日。そして、演奏という趣味を続けて、今も神戸にいられることは、私の人生できっと最高の宝物になるだろう。3月にはいよいよマーラーの「復活」を演奏する。震災後の10年間の気持ちを音に託せるよう、練習するのみである。アマチュアだから、もちろんとうていプロには及ばないけれど、せめて気持ちを伝えられる、共有できる演奏を実現させたいものだ。仕事の方にも触れておこう。震災当時、私は大学院生の身であった。震災後2,3ヶ月はいったい自分のやっていることって何なのだろうという無力感、虚無感もあったが、10年経った今、無事に大学教員になっている。そのことを素直に喜びたいと思う。その喜びを噛みしめて生きていくこと、それが生き残った者のつとめであると思う。今日は非常勤をしている大学での講義だったが、震災絡みの話も少しした。日頃は私語がきこえたりすることもあるが(ちなみに私の講義は私語は少ない方だと思う)、この話の時だけは私語がぴたりと止んだ。学生諸君が各人なりに思うところがあるのだろう。今日は特別な日、思うところの多い日であったが、明日からはまた日常が戻ってくる。本務校の学生との戦い(?)である。講義が3コマ、火曜日はいつも体力(特にのど)の限界に挑戦しているように思えてくる。もう一度しっかり地に足をつけなおして頑張っていかなければと思う。
Jan 17, 2005
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