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今月もあっという間に過ぎ去った。学蔡に始まり、いろいろな仕事もあり、オケもあり、家庭のこともあり。最近時のたつのがどんどん早くなっている気がする。今日は朝から忙しかった。金曜日の問題の件で、関係する先生方の訪問を入れ替わりで受けた。「誤解していてゴメン」という言葉をいただいた。その件については一応収拾がついたので、ほっとする。もっとも、私の気持ちとしては週末の演奏で流した気になっていたので、改めて言われるとこちらが恐縮してしまう。私が悪い部分もあったわけで。午後は締切の迫った原稿の準備作業に追われる。やはり時間がないことを言い訳にして研究をしないということは大問題なので、アウトプットを出すことが重要。とにかくやれるだけ頑張ってみよう。論文は研究にちょっとした区切りをつける作業、いいものを一発で書けるほど腕は熟達していないと思うので、とにかく自分としての結果を出すことに力を入れようと思う。明日から月も変わる。気を抜かずにしっかり仕事をしていって、スッキリ年越しと行きたいものだ。
Nov 30, 2005
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今日は授業がなく家で仕事をするところなのだが、妻が一人でお出かけを要求。この2週間ほど週末を入試業務とオケとでつぶしてきたので、まあ仕方がないというところだ。娘は幼稚園に行っているので、主に息子の相手をすることになる。やはりなんだかんだ言っても一人で遊べるわけではない年頃、ビデオに子守をさせるのもいい気持ちはしないし、それでは納得しないので、とにかく外へ連れ出して遊ばせる。その相手もなかなか大変だ。まあ、これをいつもやっている妻はエライという他ない。たまには解放しないといけないだろう。妻は娘を連れて帰宅したが、さらに歯医者へ行くとのこと、今度は2人まとめて連れ出して公園へ。それなりに遊んで納得して帰宅。私はその後にゼミ生の学祭の打ち上げに参加。大学の近くの店だったので、大学によって少し仕事をして、それから参加。全員が参加できなかったのは残念だが、いつもあまり話をしにこない学生と話ができたことがよかった。とはいえ、帰る途中ではラッシュに遭遇し、さっきまであまり感じなかった疲れを感じた。うまく疲れを取らなければ...。
Nov 29, 2005
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今日は非常勤の日、昨日の疲れを若干感じつつも、授業は普通にこなす。途中でど忘れをする場面があって、若干焦ったが...。授業を終わってバスに乗ると、隣に履修する学生が座ってきた。どうも私の姿を見て一瞬逃げようとしたのだが、他の席が埋まってしまったので、仕方なく隣に来たような感じだった。しかし、見て見ぬふりをするわけにもいかないので、とりあえず話しかけてみることにした。というのも、少人数の授業の方を履修しているので、もう顔と名前が一致するところまできてしまっているからだ。最初は恥ずかしそうに、引き気味の反応だったが、こちらもできるだけ話しやすいネタをふっていったので、途中からけっこう話が盛り上がった。授業中は発言させようとすると伏し目がちになる無口な雰囲気の学生なのだが、話してみると意外と面白い人だということがわかって、こちらも楽しませてもらった。またそういう機会があれば、話をしてみたいものである。
Nov 28, 2005
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いよいよ本番の日。近年、前夜祭が長引きすぎる傾向にあり、本番当日の朝はけっこうつらかったりする。目は覚めたものの頭も体も起きないので、とにかく風呂に入り、さらに朝食時にコーヒーをガンガン飲む。ちょっとだけ目覚めたような気分だったが、とにかく会場へ。ところが不思議なもので、会場について楽器ケースを開けると、テンションが高まって体が起きていく。本番指揮者によるゲネプロ(本番前のリハーサル)。音楽に対するテンションがどんどん高まっていくが、こういうときに限って、なぜか今まで間違ったことのないような場所を間違ってしまう。練習不足ということも少々あるが、毎日楽器に触れているわけではないことが大きいだろう。曲に関してはしっかり研究していっているので、弾きはじめの場所を間違えたりなどということはない。ミスがあるのは、だいたい高音域で弾くときのピッチと、速く弾く場所で指がこんがらがるという場合だ。そういうミスがないようにチェックする。いよいよ本番。この演奏会はとにかく後輩の現役学生たちを演奏面で応援するという気持ちが強いので、やはりどうしても特別な心境になってしまう。テンションが上がりすぎゆえのミスが少々あったりなどして申し訳ないなと思う。学生たちにとって見れば日常の積み重ねを表現する場なので、とにかく彼らに沿うように頑張らなければならないのが、いつもの市民オケと違うところだ。本番はいろいろと事故はあったものの、全体としてはうまくいったと思う。お客さんが多く入ったことが何よりだ。私が学生の頃は現在使用している新しいホールはなく、音響効果を全く考えない施設での演奏会、お客さんも少なかった。そのことを思えば本当に隔世の感があるという感じがする。うらやましく思ってしまうのだが、それぞれの経験があるのもまたいいことだろう。それよりも、ずっとそうやって見守っていくことができる立場にいられることが何よりだ。もう現役生は何回入れ替わっただろうか。OBも相当増えた。しかし、それでも出演依頼は来る。ありがたい話だ。いつも大学にいると学生からは先生と呼ばれる立場だが、こういう場合はまったく違う。彼らにとっては私がそういう職業にいることは、知識としては知っていても実感はほとんどないはずで、ヴァイオリンを担いでやってくる先輩、あくまで「よんきゅさん」なのである。学生と一緒にプレーするという関わり方をしていると、大学で教えている立場とはまったく違った楽しみがある。いつも感じるのは、やはり部活で鍛えられているだけあって、礼儀正しくみんなしつけられているし、自分たちが誇れる経験というものを積んでいるということだ。就職活動の面接で自分の経験を具体的に語らせることはよくあるそうだが、オケの経験(奏者としてだけではなくいろいろな役職をやるという経験)をしっかり話すことができるからなのか、活動の結果はいいらしい。やはり自分の学生生活にしっかり意味づけを与えられる人は会社にとっても魅力的に映るのだろう。もっとも、部活の場合はそういう意味づけがないと続けられないところもあるが...。毎年終わってみれば、故郷に帰ったような気分、毎年打ち上げが終わるたびに帰りたくないなと思ってしまう。そういう場所があることの幸せをかみしめながら、OBたちと一緒に帰ったのだった。
Nov 27, 2005
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ちょっと演奏の旅に出ていたのでというわけではないが、少し遅れて更新。翌日の大学オケの演奏会を控え、前日から現地入りとなった。今年は本番指揮者が別の場所で前日本番ということで、学生指揮者による練習となった。当日のホールが使用できるということで時間はたっぷり取られていた。休憩を挟んで7時間ほどなのだが、学生はやはり元気で、このくらいの練習はこなしてくる。もちろん、本番前日だからできる限りのことをやりたいのだろう。学生指揮の練習は難しいという話を書いたが、指揮者はそれぞれみんなよく頑張っていた。さすがに前日、エキストラも数多く入っているということで、時間を無駄にすることはほとんどなく、エキストラにとってはウォーミングアップとしてありがたい練習となった。と、練習のことはさておき、終わるとOBのエキストラが集合して「どこで前夜祭やる?」という話になった。OBといってもかなり世代にバラツキがあるので一枚岩での行動は無理、特に卒業したての頃はみんな集合できるまたとない機会となるからだ。そんな後輩を邪魔することなく、結局ベテラン勢で繰り出すことに。ところが店に入ると、同期会をやっている後輩たちに遭遇。もちろん合流することはなく、こちらはこちらでやる。途中で一人が現役の後輩たちを呼んで晩ご飯をとしてごちそうすることに。年の差はあるが親しみやすいOBが集まっているので、現役生たちもそれほど恐縮しすぎることもなく飲んでいた。話は尽きないまま、オーダーストップを告げられ、時計を見ると2時前!明日9時前に集合なのに...。酒量が多くなかったので、二日酔いは免れそうだが、寝不足に少々不安を覚えつつ眠りに落ちていった。
Nov 26, 2005
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今日は、朝途中の駅で同僚の教授の先生にばったりお会いした。大学までの道すがらいろいろと話す。昨年までは同じ委員会に所属していて一緒に苦労した。もちろん、先生のご苦労に比べれば自分などは苦労したんだかどうかと思うが...。今年はどちらも委員会から外れているのだが、どうしても学部内の様子が気になるので、いろいろと疑問に思うことなどをお尋ねした。委員会を離れてから直接お話しする機会はさすがに減ったが、先生とお話しすると楽しいし、勉強になることも多い。そのうちまた飲む機会があるといいななどと思った。大学に行くまでは機嫌も良く調子も良かった。午前中のゼミもまずまず。しかし、最後の会議でちょっと困ったことに...。私があることについて別の会議で審議をお願いしたことが結果として承認されたことが問題になったのだ。ちなみに提起した問題について話し合う審議に私はまったく関わっていない。最後の会議が終わってから、呼び出しを受け注意された(叱責というほどではなかったが)。なぜしかるべき人に(何人かおられるようだが)相談しなかったのかということだった。しかるべき人に相談したつもりだったのだが、しかるべき人はもっと他にいっぱいいたらしい。今にして思えば、仕方ない事情があったとはいえ、軽率な行動だったと言われれば甘受するしかないといえる。しかし、そうしなければ自分が今後困る可能性が高い状況だったので、無理を承知で審議してもらいたいとお願いしたのだ。自分としてはダメでもともと、却下される確率が高いと思っていたのだが、結果として通ってしまった。自分でもびっくり。しかし、すでにしかるべき議論を経た後で問題になったからといって、「そもそも話を出してきたヤツが悪い」と後で言われてもどうしたらいいのか...。ブーイングの嵐にさらされたとか、メチャクチャ怒られとかいうことはなかったのだが、かなり後味が悪く、帰り道もずっと考え込む状態だった。そんなこんなで結局妻と約束した時間に自宅に戻れず、ドアを開けた瞬間に怒られ...もう最悪の半日だった。
Nov 25, 2005
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今日は、今週末の演奏会の練習。まさに佳境に入ったという感じだ。この演奏会はエキストラとして出演、ということは平たくいえばお手伝いなのだが、そこまでお気楽な気持ちではなく、気合いが入っている。というのも、出身大学のオケの定期演奏会、つまり自分が育ててもらった場所だからだ。もう卒業して??年になるというのに、今でも出演依頼が来る。とてもありがたいことだ。忙しい予定をやりくりしつつ、この演奏会は何とかして出ようと思うし、妻も年中行事として文句を言わずに認めて(あきらめて?)くれている。今年も大変な曲に挑戦している。指揮者にいろいろと注意されつつ、日頃の練習は学生だけで合奏をやっている。私の時もそうだった。今日は、前半、本番の指揮者が来るまで学生が合奏を指揮していた。練習はとても熱のこもったものだったし、みんなが必死でやっていることも伝わってくる。しかし、必死にやるからこそ、それが空回りしてしまうことがあるということも少し感じた。例えば、演奏していてなかなかタイミングが合わない(業界用語では「タテの線を合わせる」という)ときに、その合わない場所を必死で合わせにかかる練習をしてしまう。そして、何とか合ったら次の場所へ行くという練習をしている。ところが、この練習は実際に流れが作られた中で合奏するためにはあまり役に立たない。役に立つとすれば、演奏者がタイミングをまったく理解していないことをわからせるときぐらいだ。実は合奏で合わないという場合には、その場所よりも前にその原因があることが多い。前の場所で遅れがち、あるいは急ぎがちなパッセージがあって、それを取り戻すときにこういったことが起きやすい。また、受け渡しをする前のパートが曖昧な音を出してしまって次のパートが迷ったときにもそういったことがよく起きる。あるいは、演奏する側にとってテクニック的(指使い、弓使い)にどうしてもそうなりやすいという場合もある。このように、幅広く原因の可能性を考えて突き止めていく作業が必要なのだ。しかし、どうしてもそれは難しい。なぜならば、こういったことはかなりオケで経験を積んで、しかもそういうことを指摘される場に居合わせなければ覚えられないからだ。自分のオケしか経験がないことが多い学生にとって、これはかなりきつい要求で致し方ないところだ。とはいえ、ここまでわかっていることをOBの立場で学生に言うことは難しい。言い方を間違えれば恫喝ととられて機嫌を損ねることになりかねないし、何よりOBが現役学生のやっていることに口出しをするべきではないような気がするのだ(「カネは出しても口は出さないことが潔い」などと言われたりして)。質問してくれればいつでも答える用意はあるのだが、そんなの聞きにくいだろうし...。しかし、大事故が起きているわけでもないのでまあいいか、などと思っている。また、後ろの席から大音量で弾くこともちょっとためらわれる(譜面が要求していても)。好きなようにされていると思われるのも...などと思ったりする。私としては、もちろんちゃんと力を貸すために弾いているのだから音を出して助けるのが仕事だと思っているし、そのためにはきっちり練習していかなければと思う。この迷いは毎年、本番前日ぐらいまで消えない。本番直前になって覚悟が決まるのだ。とにかく要求された音に近い音を出そうと。音量についての迷いを述べたが、実は音量の具合は音楽の流れ、そしてオケの場合はその場所での自分の役割、そしてホールの響き具合などによって決まってくる。ホールについてはその場所に行かなければどうにもならないのだが、それ以外の2つについてちゃんと意識していればある程度出すべき音の予想が付くはずだ。もちろん、音質もそうだ。実は、今回の学生オケはこの作業を十分にできていないから、なかなかうまくいかないのではないかと思っている。理解さえできていれば演奏している音も、仕方ももっとそれらしくなるように思う。と、いろいろと注文を付けているようだが、実はこれらのことを自分が学生の時にできていたわけではない。学生オケを卒業して、社会人のオケでいろいろな指揮者に出会い、教えてもらい、さらに演奏の経験を積んできた結果としてわかるようになったことだ。そうしていろいろな知識が入っている状態で見るからいろいろなことについて気づくのだ。今日、帰りに卒業して数年ほどのOBと一緒に帰ったのだが、彼も同じことを言っていた。外に出てみた今になって演奏上いろいろなことがよくわかると。だから現役学生に対しても言いたいことがついつい出てきてしまうのだそうだ。それをどういうべきかはやはり迷うところらしい。さて、それを伝えるべきか否か、この答えを他のみんな(OB)はどう出そうと思っているのだろうか。協力の仕方に頭を悩ます学生オケのOBとは、実に難しい立場だと思う(もちろん、それは私のいたオケだからなのかもしれないので、一般化はできないだろうが)。
Nov 23, 2005
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最近世間を騒がせているマンションの問題、構造計算書が偽造されて、それがまともなチェックも受けずにマンションが建てられ、地震による倒壊の危険性があるということが発覚したという話。マンションに住む私としては他人事とは思えない。この事件の発覚は、居住者にとってはまさに青天の霹靂であり、今も将来がどうなるか不安な時間を送っていることだろう。それこそ何年ものローンを組んでやっとの思いて買う人が多いと思うと、この事件は許せない。私は管理組合の理事をしたことがあるので、何か問題がマンションで起こるといろいろとやっかいなことが起きることをずいぶん経験してきた。植栽一本を切るか切らないか、誰の経費でやることが望ましいのかといった些細なことでさえ、かなりもめるのだ。今回の場合も居住者側を代表して管理組合がいろいろと対策に当たることになるだろうが、役員の苦労は計り知れない。もちろん、管理組合の役員でなくても、居住者は不安なはずだ。阪神・淡路大震災の時に、私は倒壊したマンションをたくさん見た。しっかりと建てられているはずのマンションであっても、地盤の状態、揺れの方向など紙一重で運命が分かれてしまう。しかし、今回の事件の場合、そういった最大限の努力すらしていないのだから本当に問題だ。この事件で怒りを覚えるのは、当事者が責任のなすり合いをして逃げ回っていることだ。建設業者、検査会社、そして検査を任せている省庁といずれもひどいものだ。もちろん、一番悪いのは建築士本人だろう。しかし、それを取り締まるすべがないというのも情けない話。検査会社が見抜けなかったというのは職務怠慢としかいいようがない。建設業者も全く責任がないとは言い切れない。どこまで検査結果を見抜く力があるかどうかはよくわからないが。また、国土交通省は「民の問題」という姿勢だったようだが、こんな欠陥にお墨付きを与えた責任は重いと思う。もうすでに失敗は起きているのだから、どう責任を分担し合うか、どう救済するかを考えなければならないはずだ。とはいえ、どこから手を付けるかでもめそうなものだが...。この事件を見て、世の中の何を信頼できるかということがいかに見通しにくくなったのかをまた実感することとなった。事が起こってからでは遅いという不安も増えた。ますます住みにくい世の中になってきたような気がする。
Nov 22, 2005
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先日、小学校の先生をしている友人と電車の中でばったり会った。職場でのあきれることということで、臨時教員(見習い?)の話をしてくれた。その人は某都道府県の教員採用試験に合格していて、来年から赴任するそうだが、赴任された小学校はかなわないと言う。どういうことなのかと聞くと、こんな感じだった。年上の先生から「算数の授業やってみるか?分数のところを頼むよ」といわれたその人の答えは、「分数は専攻外ですからやりません!」。さらには、運動会の準備で先生方が走り回っている間に、校務員室に籠もって喫煙(おいおい、小学校でかよ)。プリントの採点をしていてあと5枚というところで終業時間になった瞬間、「時間が来たんで帰ります」という始末。分数が専攻外って、分数を専攻している人が世の中にどれだけいることか...。5枚ぐらい採点して帰れよ...。他の人に少しは協力しろよ...。あきれるばかりだが、私が「そんなの見ていて注意しないの?」と聞くと、「好きこのんで私だって嫌われたくないし」との返答。でも、実はそれがいけないのではないかと思う。そのことに不快感があるのならば、ちゃんと表明した方がいいだろう。もちろん、言い方は考えなければいけないと思うが。最近の親は子供が何か他人に迷惑をかけたときに「ほら、あの人がにらんでるからね、やめようね」さらにひどいのになると「お母さんが怒られるんだからね。」などと言う。いけないことをしているのならば、きっちりと子供に悪いことは悪いと説明して怒るべきなのだ。生徒に対する先生も同じ。いけないことはいけないと教えなければいけない。大学生を相手にしていると、「相手も大人なんだし、そんなに怒らなくてもいいんじゃないの。それこそ大人げないよ」などと言う人がいるが、いけないことはいけないのだ。怒られなければ気がつかない、あるいはやってもいいと思っている人がどれだけ多いことか。怒ることは確かにエネルギーを使う。相手に嫌われるかもしれないリスクを背負うことも事実だ。好き好んで怒る人はあまりいないだろう。しかし、だからといってまったく怒らないということは、結局自分のためにも社会のためにもならない。怒る人がいないことによって、今のような社会の状態ができあがっているんじゃないかと思うことが最近多い。不快感をもたらされたこと、そしてそれが正当な理由でよくないことを相手に伝えることは必要なことだ。もちろん、怒るべき時なのかそうでないのかを見極めることは微妙な問題で難しい。それを考えたくない、めんどくさいなど、思考停止状態になっているからそうなってしまうのではないだろうか。思考停止のまま流されていく社会の将来というのを考えると、少し恐ろしいものがある。子育てをしつつそういうことを感じたりする今日この頃である。
Nov 21, 2005
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この土日、どちらも出勤。体調を整える時間もなく少々しんどい時間が続いている。とはいえ、一時期のことを思えばかなり平常通りに近づいてはいるが。結局更新も滞ってしまった。といったハードなスケジュールにあっても、やっぱりオケの練習だけは行ってしまう。これが一週間の精神的な疲れを吹き飛ばしてくれる。練習は昨日、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。代弾きのソリストを迎えての練習。代弾きといっても、もちろんちゃんとしたキャリアのあるプロ。前半はオケだけの練習。相変わらず音程の悪さと音の方向性(盛り上がるのか収まるのか)の具合の悪さが目立つ。楽譜でデジタルに読める情報しか表現できていない(それすら怪しいが)。いつも仲の良いメンバーと「曲に対する愛情がないよなあ、あったらあんな音にはならないだろう」などと言っているが、アマチュアの楽しみ方にはいろいろな次元と程度があって難しいものだ。例えば、休憩時間にあるメンバーが指揮者のところへ行って一言、「あのテンポは違うんじゃないの?僕は嫌いだね」などと言う。あなたの好みでオケが動く訳じゃないんだから、しかも協奏曲だったらなおさらのことだ。そういう人は代弾きの人に関してもいろいろ言ったりする。ヨーヨー・マやマイスキーみたいな人がうちのオケに弾きに来るわけないでしょうに。後半はソリスト付きで演奏。前半のオケだけのテンポとは全く違う遅いテンポと、メトロノーム通りにいかない音楽的な節回し全開状態にオケは完全に翻弄されていた。特に管楽器がついて行けていない。曲をもっとしっかり覚えていてもらわないと困ってしまう。どのように相手が出てきても対応できるような柔軟性を持たなければ協奏曲はうまくいかないのに、ちょっとひねられただけでアウト...。再来週に本番ソリストが来るまでに何とかしないといけないだろうな。終了後は、ソリストをいつもの居酒屋に引きずり込み、しっかり宴会。弾いているときにはおとなしい印象だったが、飲んでみると意外とよくお話になるので驚いた。そこで出てきた話のネタが、ハプニング自慢大会だった。あるメンバーがチェロのリサイタルに行って、演奏中に弓が折れた(そんな話は初めて聞いた)という話を皮切りに、ソリストがとっておきの話を。プロのコントラバス奏者がレッスンに来ている弟子の弓を3本も折ったらしい。そんなに折れるもんなんだ...。あと、弓が客席に飛んでいったり、コンマスが客席に落ちたり(どんな会場でだろう?)、あれこれハプニングがあるようだ。私も以前、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」の練習で、真後ろにあったドラが一撃された瞬間に吊り紐が切れて落ちてきたという経験がある。ドラを叩く人がなれていなかったようで思い切り叩いた瞬間に「ガシャーン!」という大音響(私の弾いている背中の数十センチ後ろで)が。つづいてくるくるとドラが回り出し、「グワングワン」と音を立て始めた。もう最後は地面にピッタリ全部が付いてしまうまで音は鳴りっぱなしだ。ここまでくるとみんな気づき始め、ついには笑いが止まらなくなって合奏が止まってしまった。もちろん、練習だからできることだが、本番だったらどうするのだろうか...。と、楽しい話をして、翌日仕事なのにそこそこ酔っぱらって帰宅。気持ちよく寝たものの、若干寝不足で今日の仕事もちょっとだけしんどかった。しかし、その辺はもちろん表には出しませんよ。裏ではちょっとへばってましたが...。帰宅して「ちびまる子ちゃん」を子供と一緒に見てようやく日曜日だと実感しました。明日も仕事か...。
Nov 20, 2005
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昨日は更新できなかったので、昨日のことを書いておこう。昨日は来年度の新ゼミ生を採用するための面接だった。私のゼミの場合は、自分はもちろんのこと、4年生を面接官として同席させている。彼らは就職活動でたくさんの面接をくぐり抜けてきたが、「面接される」立場から「面接する」立場を経験して、人を見る目を養ってもらおうという意図でそうしている。もちろん、質問項目などについては事前に集まり、検討した上で決めているので、ゼミ生が変な質問をすることはない。そうしている理由はもう一つあって、先生1人の視点だけで学生を選ぶことに自分で疑問を感じ始めたからだ。ゼミにおいて自分が学生に対して求めていることとして、他人と協力してもらうことを挙げているのだが、先生だけを相手にするといろいろと繕ってしまうので見抜けない部分が多くできてしまう。ゼミ生には「仲間として迎えるのにふさわしい人かどうか」という視点で見てもらっている。その効果は結構あるような気がしている。ゼミ生面接官は6人でシフトを組んでもらい、私とあとゼミ生2人の3人と受験者1人とで面接を行った。実は面接前に受験者に対してある約束を守ってもらうように通知してあったのだが、それを守った人が結局合格した。守らなかった人の中にも合格した人はいたが、それは面接で見るべきところがあったからだ。今回面接で一番困ったのは、面接を無断欠席した人が複数いたことだ。ていうか、普通そんなことするか???と思ってしまった。そこで、欠席者の用紙を見ると本来の用紙ではなく明らかにコピーとわかる痕跡があった。これは複数のゼミに志望を出していると言うことか???などとちょっと疑わしい。ちゃんとしていない学生が増えていることを感じる。困ったものだ。とはいえ、いい学生が採用できたことも事実で、これから一緒に過ごしていくのが楽しみである。今回面接官をした学生の成長も感じ取ることができた。来年の4年生は果たして面接に参加させるほど信用できるようになっているのだろうか。それは来年の楽しみというところか...。
Nov 17, 2005
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私が生活の中で音楽をやっている(演奏することに限らず聴くことも含めて)ことは言うまでもないことなのだが、最近は子供たちや妻までも生活の中で音楽をする時間が増えてきた。娘は近所の音楽教室に通い始めた。まだ音楽することを体に入れる段階で、ピアノなどを演奏するところまでは行っていないのだが、自発的に居間にあるキーボードを触り始めた。最近はまっているのは「ドレミの歌」を弾くことのようだ。もちろん楽譜はまだ読めないので、聞き覚えたものを1小節ずつ確かめながら練習している。「ファイトのファ」までは弾けるようになったが、次の「ソ」が難しいところで、これは教えないと難しいか...。それ以外はメチャクチャな音を出して遊んでいるが、けっこう現代音楽の響きに似ていたりする。もちろん、意図的な要素はまったくないのだが...。息子は娘の見ている音楽教室のビデオを見るのが楽しいらしい。私と一緒に留守番しているときなどはすぐにかけてほしいと言ってくる。そのビデオには「くるみ割り人形」の行進曲が入っているのだが、私の車に乗せているCDにも入っていて、車で出かけるときにはかけてほしいと言う。知っている曲が車でかかるのがうれしいのだろう。ちなみに娘は「花のワルツ」が最近気に入っているようだ。私が家でCDをかけていると「この曲何?」「これは何の(楽器の)音?」と聞いてくる。興味があるようで、私も遠慮なくCDをかけることができてよい。今日はチャイコフスキーの「序曲1812年」を聴いて、大砲の音と大音量での盛り上がりに大喜びだった。あと、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の終曲「キエフの大門」も最近気に入っているらしい。派手な音楽だと子供は喜ぶのだろう。それに、最近は妻までも夜にキーボードを弾き始めた。エレクトーンをずいぶん長くやっていたらしいが、ブランクが長いので弾けないと言う。結局、私が気に入った曲を教えてもらって仕事帰りに楽譜を買いに行って、それを練習するのだという。いずれ練習の成果を聴かせてもらおう。楽しみである。ちなみに、キーボードはなんとピアノを弾けない私が買ったものだ。スコアを読むときの和音チェックのために買ったのだが、実際には私以外の家族が弾いている時間がほとんどになっている。私もピアノを弾けるようにはなりたいので、密かに練習でもしようかなと思っているのだが、なかなか時間がなくて進まない。こうなりゃ、娘と一緒に習いにでも行こうかと思ったりして...。ともあれ、家の中に音楽があるというのはいいことだ。指揮者の平光保氏があるところで書いていたことを読んでなるほどと思ったことがある。詳しいことはちょっと忘れたが、要旨は以下のような感じだったと思う。それは「音楽はいろいろな勉強にもつながっている。文学作品をもとにしているという点では国語に、拍子の割りを考えることは算数に、音楽用語の意味を知るという意味では外国語に。」それは結局、音楽というものがそれ自体閉じた世界のものではなく、人間の営みのいろいろな部分につながっているということであり、音楽を起点としていろいろなことを学ぶきっかけが作れるということなのだろう。氏はスクールコンサートに力を入れているという。ある小学校では、オケを連れて行き、それをバックに生徒がベートーヴェンの第九を原語で歌わせたそうだ(もちろん、かなり前から準備したそうだが)。小学生にドイツ語の意味はわからないと思うが、それでも感動したという話が数多く寄せられたという。クラシックは敷居が高いと多くの人が言うが、学校で音楽の時間に鑑賞するものになってしまっているからそうなるのであって、実際にやってみると楽しいものなのだ。音楽をすることが楽しいということは、ジャンルに関係ないことだと思う。子供たちを見ていると、童謡、ポップス、民謡、クラシックと、どれを聴かせても楽しいものとして受け入れているのを感じる。ジャンルは何でもいいから、音楽をする家庭を今後も続けて行けたらと思う。
Nov 15, 2005
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今後一番近い本番で演奏する曲で、これも初めて演奏してから好きになった曲だ。初めて弾いたのはもう7,8年前だったが、当時は事情によりほとんどゲネ本(当日のリハーサルと本番だけ合奏に参加すること)状態だったので、味わう余裕もないまま終わったことだけ覚えている。しかし、今回は曲目がわかってから時間もそこそこあるので、じっくり聴くこともできている。ベートーヴェンは意外なことに、舞台音楽に強い関心を持っていて、「エグモント」や「コリオラン」といった序曲をはじめ、ベートーヴェン序曲集と銘打ったCDに収録されている序曲はほとんどすべてそのような目的で書かれたものだ。しかし、この「フィデリオ」だけがベートーヴェンの残した唯一のオペラの序曲なのである。とはいえ、実は「レオノーレ」序曲(3曲ある)はすべてこのオペラの序曲として書かれたもので(実は題名もレオノーレからフィデリオに途中で変更されている)、「フィデリオ」序曲はこのオペラのために書かれた第4の序曲となった。この曲は、ベートーヴェンの序曲の中では短い部類に入り、構造も比較的単純である。しかし、単純な素材からこれだけの曲を書くというのはさすがベートーヴェンと感心してしまう。また、ベートーヴェンの序曲の中でもこの曲は異質な雰囲気を持っている。他の曲には重厚な部分が必ずあるのに、この曲は最初から最後まで軽快な雰囲気のままだ。そう思える一つの理由は調性で、ベートーヴェンのオーケストラ作品にはあまり出てこないホ長調になっている。他の序曲について言えば、「エグモント」がヘ短調、「コリオラン」がハ短調、「レオノーレ」がハ長調とベートーヴェンの作品にわりとよく出てくる調になっていて、いずれも重厚な雰囲気や厳しい雰囲気を出すのに効果的な調であるように思う。そういう点で「フィデリオ」は少し変わっている感じがするのだ。ちなみに、そうなっている理由には諸説あるのだが、オペラの中で次に出てくる曲の調に合わせたということのようだ。この曲の中でお気に入りの部分は、最後の方で執拗にクレッシェンドして盛り上がっていくところで、特に、トランペットが加わって、ティンパニのリズムが細かくなってくる場所だ。この盛り上げ方は交響曲第7番の終楽章を先取りした感じがして、いい演奏だとついつい体が動きそうになってしまう。電車の中や道ばたで体が動くと怪しいので、止まっているのが大変だ。本番で弾いているときにはきっとCDとはまた違った興奮を味わうことができそうなので、楽しみにしている。
Nov 14, 2005
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今日は所用で京都へ。なぜか行く機会がなかなかない京都、しかもJR京都駅に行くことはほとんどない。それでもたまに行く機会があると必ず立ち寄ってしまうのが「京都拉麺小路」。前回は熊本ラーメンだったが、今回はいつか行こうと狙っていた喜多方ラーメン。喜多方は、高校の同級生(部活で一緒だった)が社会人になって最初の赴任地だった。ユースオケ時代の仲間で、彼が入社した年の夏休みに喜多方まで勝手に遊びに行ったのが今でもいい思い出だ。そのときは京都でレンタカーを借りて、徹夜で北陸道を飛ばして行った。片道1,100キロ、さすがに疲れたみんなは彼の家に着くなり全員で爆睡。その後は喜多方でラーメン三昧。当時、関西ではほとんどお目にかかれなかった喜多方ラーメンに感動したものだ(なんと彼の結婚式の引き菓子は菓子ではなく喜多方ラーメンだった)。そして、飽きた頃に馬刺しを食べて、ほとんど食べてばっかりだった。とはいえ、猪苗代湖で白鳥ボートに分乗してレースをやったり、キャンプ場に泊まったりと楽しかった。そのメンバーのうち私を含む3人はなんと懲りずに翌年もう一度喜多方ラーメンを食べに行っている。そのときもレンタカーを借りたのだが、今度はさらにバカな企画を立てた。なんと、地図で京都から喜多方まで直線を引き、それに一番近い道路を走って行ったのだ。高速がなかったのでほとんどすべて下道で行った(途中少しだけ高速があった)。900キロと高速を使うより200キロも節約できたのだが、24時間かけての到着でもう完全にへろへろだった。途中、草津温泉にぶち当たったので、明け方からしっかり入浴していった。そのときも当然のようにラーメンを食べまくり。同級生の彼は新婚間もなかったのだが、完全に邪魔しに行ったようなものだ。というわけで、喜多方ラーメンを食べるといつもそういう楽しいことを思い出してしまうのだ。今日も当然そうだった。平太麺の醤油ラーメンがおいしかった...。
Nov 13, 2005
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最近、どういうわけかこの曲にはまっていて、聴く頻度がとても高い。どの楽章も好きだが、特に第2楽章がお気に入りである。2年ほど前にとある室内合奏団で演奏をしたことがあるが、それまであまりちゃんと聴いたことがなかった。やっぱり私は食わず嫌いのようで、聴いて好きになる曲もあるが、やってみて初めてその曲の良さがわかっていくというケースも多い。この曲もその典型みたいなものだ。この曲はその名の通り、チャイコフスキーがイタリアのフィレンツェに旅行に行ったときに着想されたそうだ。チャイコフスキーは何度かイタリアに出かけていて、その時に着想された曲には「イタリア奇想曲」などがある。どちらの曲にしても、「これがイタリア的な感じ」というのは、うまく説明できないが、わかるような気がする。おそらくリズムや節回し、使われている調などが重なり合ってそういったものが醸し出されているのだろう(イタリア奇想曲の場合には民謡がそのまま使われている場所があるのだが、この曲についてはよくわからない)。また、この作品はかなり晩年に作曲されたもので、チャイコフスキーのそれまでの作品で使われた主題や手法があらゆる場所に顔を出しているという点でも楽しめる。例えば、ある断片をヴァイオリンから順番にチェロ(オケの場合はコントラバス)まで順番に弾かせて、今度は逆順でヴァイオリンまで弾かせるというやり方(逆の場合もある)で、スコアで見るとV字型に見えるのはなかなか面白い(交響曲第4番にこれが使われている)。第1楽章は、冒頭からいきなりテンションの高い和音で始まり、内声部が分厚い音でリズムを刻む。しばらくテンションの高いまま一気に駆け抜け、穏やかな部分がやってくる。このメロディはいかにもチャイコフスキーらしい。3拍子のメロディの中に2連符が入ってくきたり、音が上昇していくときにいろいろな調をさまよって最後に主な調に帰ってくるというやり方は交響曲第5番でも使われている。中間部は主題の展開で、その後主題が帰ってくるまでの盛り上がりが素晴らしい。楽章の最後は速度を速めてさらにテンションの高い音楽のまま終わる。室内楽にしては分厚い音(ユニゾンがけっこう多い)や、スケールの大きな雰囲気を聴いていると、チャイコフスキーがこの編成(6人)を選んだ理由もわかるような気がする。第2楽章は、ゆっくりと落ち着いた音楽。この楽章も素直に主な調でスタートしない。それだけに主題が出てくると安心した感じで始まるのだ。主題はピチカートの伴奏という薄い音の上で静かに演奏される。音の分厚い部分が多い曲だけにこの素朴さがかえって印象に残る。楽章全体を通じて本当に美しい音楽。主題が展開される中でいろいろな調を行ったり来たりする手法は見事だと思う。最後、遠くに消えていく感じで終わっていくところにいつもジーンと来てしまう。第3楽章は、素朴な主題による音楽に挟まれて、中間に急速な音楽が出てくるという構成になっている。イタリアっぽさが全体的に出てきている感じがするのはこの楽章だと思う。とはいえ、途中に関連性の薄い調に行ってしまう(最後はちゃんと帰ってくるが)のは、やはりチャイコフスキー風のイタリアという感じだ。ちなみに、中間部の急速な音楽はアマチュアの演奏者にとってはかなりきつい。弓を跳ねさせて一弓で弾く(弓の方向を変えずに弾く)ようにしないとちゃんと弾けないので、ちょっと高度なテクニックが必要になる。そういう点でも、「イタリア奇想曲」と似たところがある。第4楽章は、この曲のラストを飾るのにふさわしい音楽。最初に2つの素材を提示し、それが終わると幅広さを感じさせるメロディが出てきて、この中に「白鳥の湖」を彷彿とさせる部分がある(これはわかりやすい)。それから、最初に提示された素材がいろいろな形で展開されて出てくる(フーガなどもある)。それを抜けると幅広さを感じさせるメロディが再登場し、後はラストまで一気に演奏される(最後に出てくるメロディは「フィガロの結婚」の断片か?チャイコフスキーはモーツァルトの素材を使った作品も残しているし)。この曲は編成としては室内楽だが、室内楽によくある張りつめた雰囲気(究極にまでそぎ落とした厳しい雰囲気)があまりなく、むしろ響きはオーケストラ的だ(同じ編成のブラームスの曲と比べるとその違いがわかりやすい)。その理由は、チャイコフスキーのパトロンであったメック夫人がコンサートに出かけられなくなってしまったために自宅でも聴くことのできるオーケストラ的な室内楽を聴けるようにと配慮したからであるらしい。この特有の響きのために、この曲はいろいろな編成で演奏されるようだ。弦楽合奏団はもちろんのこと、管楽器のアンサンブルでも演奏されることがある。もっとも、やはり一番いいと思えるのはオリジナルの編成なのだが。チャイコフスキーのオーケストラ曲が好きな方にはおすすめの一曲だと言えるだろう。
Nov 12, 2005
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今日の授業は3年ゼミだけ。あと、進路相談という仕事でその部屋に1コマ詰めていなければならないという仕事。本来ならば気分的に楽で、一週間のクールダウンという位置づけの日だ。それなのに、体調がすぐれない。実は昨日から少しおかしいと思ったのだが、今日になってさらにひどくなっている。いつもはあまりないような体のだるさ。風邪で熱でもあるのかと思ったらそれも違う。腹の調子が悪いわけでもない。倒れるほどのことではないので、仕事はして帰ったが、やはりしんどさには勝てず。夕食後すぐに寝てしまうことに。原因ははっきりしないが、自分で思うのは、今週かなりいろいろと精神的にきついことがあったからだと思う。妻はオケのせいにしたがる(体力的にしんどいのに仕事でもないのに無理して行っていると思っている)のだが、それは違う。「そんなにしんどいんだったらオケに行かなければいいじゃない」というのだが、精神的に参っている上に、週末のストレス発散機会まで取られてしまったら本当に病気になってしまうような気がする。とにかくゆっくり寝て、文句を言わせないようにしないと...。
Nov 11, 2005
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木曜日は授業が3コマあるのだが、最初の2コマはとにかく受講態度が悪い学生が多すぎる。今日がレポート提出日だったことも影響しているだろうと思う。いつもよりも人数が多く(つまりレポートだけ出しに来る)、しかも大きすぎる教室で後ろに固まっている。最初の頃に注意したおかげか、私語の問題はかなり改善されてきたと思うのだが、何ともだらしない雰囲気。質問をしても聞いていなかったとしか答えが返ってこない。何しに来てるのか???やはりこのクラスサイズをきっちりコントロールするのは無理と、ちょっと弱気気味。あきらめてはいないけど...。話を聞いているかいないかというのはちょっと見ればわかるものだ。ざっと見積もって、前半分はちゃんと聞いている感じ。しかし、教壇の上からだと後ろの方が見えてしまう。1つの教室の中に2つのクラスがある感じで、やりにくいところだ。疲れ切ったので、しっかり睡眠をとって、明日から出直しというところか。
Nov 10, 2005
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今日は珍しく研究室で人に会う機会の多い日だった。オフィスアワー(教員が学生のために研究室を開放する、要するに会うために詰めていなければいけない時間)に来る学生の数もそれほど多くはない。また、ゼミがない日なので、ゼミ生が相談に訪れることもほとんどないので、あまり人が来ない日なのだ。ところが、今日は学生によるインタビューが午前中に入った。大学教員を対象とした研究をしたいという話だった。それなりにきっちりとした手順を踏んでいることもあり、断る理由はない。また、授業の時によく質問に来た学生でよく覚えていたこともあり、うけることにした。最初は緊張していた学生も少しずつ緊張がほぐれて、こちらとしても楽しいインタビューになった。その間にも同僚や大学院生の訪問があったりで、なかなかにぎやかな感じだった。インタビューが終わると、今度は出版社の人がやってきた。別の先生へのごあいさつで来られたようで、そのついでにという感じだった。この人は教科書の出版(もちろん、大学院の恩師の編集で)時にお世話になっていて、また別の件でもお世話になる。さらに教科書でもどうですか?という話だったが、予定が詰まっていることもあって、明確な回答は避けた。それよりちゃんと単著(一人で書いた本)を出す方が先だろうと思う。しかし、この関係は良好に保っておかなければと思う。午後は大学院の授業。とはいえ、マンツーマンなので気は楽だ。その学生の専門分野とは少し離れた分野の授業なので、ペースを少々落として理解してもらうことを優先している。受講する側からすれば、マンツーマンだからこそ気が抜けないのだろう、ちゃんと課題はこなしてくる。来年は修士論文を書かなければいけない学生なので、授業で扱うトピックだけではなく、そのあたりも見据えて話をしている。今日の範囲は理論的なテーマを扱うところで、抽象的な話が多い場所だった。研究者を専門的に養成する大学院とは言えないところの学生にしてみれば、修士1年では少し難解な場所である。というわけで、かなりゆっくりと筋を追いながら説明する。そこでその学生が一言、「先生の話はわかりやすいのでこの部分は理解できたんですが、なんで本はあんなに難しい書き方がしてあるのですか?」といった。確かに、それは私も大学院に入った頃に実感したことだ。返答は、「わかりやすいというのは、理解してもらうという目的で身近な話に置き換えたり、話を端折っていたりするからであって、厳密な議論をするという目的で話せば、本のようになるんですよ」ということだ。逆に、論文というのは可能な限り厳密に議論してこそのものだというつもりで書かなければならない。身近な例で言うと、携帯電話やパソコンを買ったら付いてくる「簡単マニュアル」が私の説明で、本来の分厚いマニュアルが論文の文章ということになるだろう。簡単マニュアルはすべてを言わずにまずは相手にわかってもらうことが目的だが、それだけで対処できない問題については本来のマニュアルを参照しなければいけないし、機能を完全に使い尽くそうと思うときも同じ。論文はみんなが知っているような話だけを書いたのでは意味がないし、表面的にはわからないメカニズムを知る必要があることについて書かれるのだから、厳密なことまで書かないといけない。だから難しいと思うのだと説明した。そういった文章を読みこなすことが必要になる場面も今後あるだろうし、修士論文を書くのならば当然やらなければいけない作業だ。マンツーマンの授業、大学院の性格などを考えると、そこまでやるのはどうかと思ったりするかもしれないが、受講者数が何人であろうと、きっちりとしたものを提供するように心がけるのが、学生に対する礼儀でもあるだろうし、自分の勉強にもなる。今日の学生の来訪はいろいろな意味で勉強になったと思う。こういう日があるのも悪くないと思った。
Nov 9, 2005
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私が子供と遊ぶのは、家の中なら入浴時間帯前後であることが多い。夕食から入浴の準備ができるまでだったり、入浴後寝るまでの間だったりする。最近、年下の息子も年上の娘と会話がかなりできるようになってきた。見ていると遊び方が以前と比べてずいぶん変わってきているように思う。お姉ちゃんがいるせいか、息子はままごと系の遊びに付き合わされていることが多い。入浴中はコップやひしゃく、バケツのおもちゃなどを使ってお店屋さんごっこ(特にジュースを売る店のふり)をしている。あと、いくつかあ形の違うバケツを上手に組み合わせて一番上から水を注いで「打たせ湯ごっこ」をしている。温泉の真似をしているらしく、私がいつも背中を貸すことになってしまっている。子供たちはのぼせることもなく楽しんでいるが、私はいつものぼせて最後はへろへろだ。お風呂から上がると、今度はままごと道具を持ち出してきて、またお店屋さんごっこを始める。おもちゃ箱には食べ物のセットが入っているので、それを皿に盛って持ってきてくれる。これがまた何度も「食べてぇ~」と付き合わされてなかなか大変だ。ところが最近、少し変わってきたのは、以前だと「おいしい?」と聞いてくるので「おいしいよ」と答えると喜ぶというのがいつものパターンだったのに、こちらが何気なく答えていると「んなわけないやん!」と返してくる。よく皿の中身を見ると、ハンバーグとナスと桃とメロンが盛られていた。「それ何?」と聞いてみると「ジェラートの煮込み」、なんじゃそりゃぁ!!と、「めっちゃまずいやろ」とさらに追い打ち。すっかり大人をおちょくることを覚えたようだ。また、子供はこの時期、いろいろと下品なことを言って楽しむ。幼稚園でブームらしい。しかし、私も幼稚園の頃を思い出せばそうだったような気がする。妻はハラハラしているようだが、この時期にちゃんとそういったことを話すということをくぐり抜けていないと、将来うまく人とのつきあいができなくなるとかいう説もあるみたい(テレビだったか本だったかであった)だし、それはそれでいいだろうと思う。さらに、教育番組の体操のお兄さん、お姉さんの真似をして小芝居を二人で始めてしまうのも最近始まったことだ。台詞もちゃんとテレビの通りで、なかなか笑わせてくれる。「みんな元気ぃ~?」「今日も楽しく体操するぞぉ!」などと言っている。しかも座卓に乗ってやっているのだ。本当のテレビ出演気分なのだろう。こうしてお互いに会話ができるようになってきたというのはかなりの進歩だと思う。ケンカもその分多くはなったが、話せばわかったり、娘がちゃんと弟にいろいろ譲ったりといった能力も身につけ始めている。今が一番かわいいときだとよくひとから言われるが、それもそうかもなと思う。
Nov 8, 2005
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今日は非常勤の日。私が昨年から行っている非常勤先では、専任教員のみならず、非常勤教員にもFD(Faculty Development:わかりやすく言えば、教員を巻き込んだ教育に関連する改革の取り組み)に対するその大学の取り組みを報告したニューズレターが毎週のように配布される。大学全入時代、18歳人口の減少など、日本の大学は少ない顧客の奪い合いをする時代に入った。すべての大学はこういった状況への対応を迫られていると言っていい。そこで特に問題なのが、学生にとって大学生活のメインである(はずの)授業をいかに充実させるのかということである。日本の大学は、このことに対してはあまりちゃんとした対策をとってきていなかった。特に実験などスケジュールをタイトにする要素が少ない文系の学部は、授業に関しては、内容は当然のこととして、どういう姿勢で臨むかに関しても各教員に任されてきたように思う。私が大学時代に受けてきた授業もそうだったと記憶している。その結果、熱心にちゃんと教えてくれる先生もいれば、本当に適当にしかやっていない先生(ひどい先生になると、毎回30分で終わってしまう)もいた。授業の質のバラツキがとても大きいのである。最近の経済状況を反映してか、学費を払う父母からもこの点に関するクレームが増加している。「お金を払っているのだから、ちゃんとサービスは提供してくれないと困る」というものだ。顧客(実際にお金を払ってくれる人)にそう言われてしまうと、大学側もこの問題を放置しておく訳にはいかない。もし対応していないことがわかれば、その大学はしだいに選ばれなくなっていくからである。というわけで、どこの大学でも学部単位または大学全体でこのような問題に取り組み始めている。ただし、取り組みに差はあると思う。非常勤先のFDのニューズレターを読んでいると、かなり積極的に取り組んでいる姿が浮かんでくる。ただし、文系も理系も同じ場に放り込んで議論するとか、そのために合宿を開いて議論するということが本当にいいのかどうかは何とも言えないが。ともあれ、少なくとも学部単位で教員の認識をある程度揃えておく必要はあるように思う。これまで授業のやり方についてはある種聖域化されていた部分があるが、自分の周囲を見渡してみる限り「いくらなんでもそれはないだろう」というケースもいくつかある。この聖域に直接踏み込むことは難しいかもしれないが、少なくともどうしようもない授業を何とかする手だては考えないといけない時期に来ているだろう。そのためには、やはり学部全体で問題を共有して、その力を借りていくしかないような気がする。だからこそ、FDという形がはやるのだろうと思う。非常勤先の今週のニューズレターを見て驚いたのは、学生に寄稿させていることである。学生に配布されているかどうかは定かでないが、学生の生の声が記されている。その要点をいくつか挙げるとすると、「私語の多い授業に共通するのは、部屋が広すぎる、学生の悪態を黙認する、普段何の課題も与えないということだからそこを改善してほしい」「教員側の工夫にバラツキがありすぎる」「新しく導入された施策が学生のためというより、受験生や企業へのアピールに見えてしまう」というものだ。いずれも耳の痛い話である。実は、授業をする側よりも、受ける側の方が冷静に見ているものだと思うし、最近の学生は確かに昔風のおめでたい人もいるが、真剣に何かを得ないと行けないと思っている割合もけっこう高いと思う。そのような認識の変化を見据えないと、「顧客満足」を議論することはできないだろう。まず、教えるということに関連していえば、このことをすべて個人の取り組みに任せるというやり方は限界に来ているように思う。組織的な取り組みというものは最低限のレベルに揃ってしまうからだ。とにかくいい加減なことをしようが、きっちりと取り組んでたえず改善しようが、評価が同じというようでは努力するモチベーションも萎えてしまう。それから、新しい施策が学生のためというより外へのアピールにしか見えないという問題。こちらの問題はもっとやっかいだ。新しい施策を導入しなければ行けないという認識はどこの大学も持っていると思うし、トップからそれを考えるように学部に対して要求がなされていると思うが、「とりあえずやっています」というポーズだけになってしまう例も少なからずあるように思う。この問題については以前からいろいろと思うところがあった。確かに外向きのアピールが大事なことは確かだし、それは否定すべきでないと思うのだが、「顧客満足」と言いながらも実は「顧客不在」になってしまうことが多いのではないかと思うのだ。顧客とは現役の学生のことであるが、彼らの満足感をいかに高めるかを考える必要がある。受験生を増やすために改革を宣伝することは必要だし、短期的にはインパクトがあるだろう。しかし、それはその場しのぎの勝負でしかない。そんなに新しい刺激を生み続けることがそもそもできるかというとそれは無理な話だ。毎年のように革命的な製品を生み出せといくら社長が言ったところでそんなことをできるような企業はないと言っていい。問題の構造はそれと同じだと思う。それに将来の顧客ばかり見て「釣った魚に餌をやらない」状態に満足する人はどう考えても少ないはずだし、少なくとも顧客がサービスについて真剣に考え始めたらおかしいことに気づくはずだ。そこで、同時に大事なのは、地道だが現在の顧客である学生の満足感が得られる仕組みをちゃんと考えて実行することだろう。つまり、商品を買ってくれた人へのアフターサービスをきっちりすることである。取り組みは地道であっても、リアルにその仕組みを体験している顧客の満足度が高いという効果は予想以上に大きい。受験生は確かに受験関係の情報、大学から発信される情報をとるのだが、もう一つバカにできないのは「口コミ」だ。インターネットは信憑性という点で疑わしいところもあるが、例えば高校に行って先生に「この大学はいい」と話されれば、先生のおすすめ度も上がるだろうし、逆に「この大学はダメ」と話されれば、行くことは薦めたくないということになるだろう。リアルな体験に基づいている話は信用されやすいのだ。さらにうまくやっている大学だと、昔その通っていた親を上手に味方につけている。そこまで長期に考えるのは難しいかもしれないが、お金を出す人がすでにファンになっているという状況はとても大きい。こういった部分は競争相手にとって見えにくいので、うまくすれば相手が気づかないうちに長期的に優位に立てることになるはずだ。逆にそれに気づかなければ知らず知らずのうちに競争相手との差ができてしまっていたなどということになりかねない。結局、地道な活動もなく、欠点だらけの状態で短期的な成果ばかり求めていると、実はかえって効率が悪くなってしまう。私はいつもこの話をするときに「穴の開いた桶の穴をふさがずに必死で水をつぎ足している状態」という例えを使う。見た目には水がいっぱいになっているから、ほんの一瞬その桶は機能を果たしているように見えるが、実は無駄だらけなのだ。穴の存在に気づかずに穴の開いた桶の写真を見て「ちゃんと機能を果たしている」と満足しているようでは困るのだ。短期と長期のバランスをとることはすべての組織にとって不可避の問題ではあるのだが、少なくとも両にらみをしていく必要がある。大学冬の時代と言われて、かなり「お尻に火がついた」状態の大学は多いだろう。短期的な競争に注目することは当然重要だが、それと同時にやはり長期的な競争も視野に入れることが必要だろう。そのときにどのようなサービスを提供すべきか、答えは顧客がかなり具体的に示してくれていると思う。あとはサービスを提供する側にある独自の論理をいかにして変えていくかという問題になっているような気がする。きっと「本気で取り組んだ者勝ち」になるように思う。
Nov 7, 2005
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今日は午前中に仕事、午後は妻が出かけるというので子供たちと留守番。雨であることも手伝って一歩も自宅から外に出なかったという、何ともスッキリしない一日だったのだが、テレビのニュースを見て驚いた。歌手の本田美奈子さんが亡くなったというのだ。最近、白血病で闘病生活を送っているということはワイドショーなどを見て知っていたが、快方に向かっているとの話もあったので驚いた。同世代なので、あまりにも早すぎる、しかも病気での死にショックを受けてしまった。本田美奈子のイメージといえば、華奢なのにどこにそんなエネルギーがあるのかというぐらいの声で歌う姿だった。それはアイドル時代に初めて見たときから、ミュージカルに出て最近に至るまで変わらない。しかし、そうかと思えばしっとりした曲がいい感じなのだ(うまくは表現できないが)。現在からすると意外なのだが、私には歌番組を見まくっていた時代があって、その最中に彼女が登場したのだ。最初に出てきた頃から歌はうまいと思っていたが、どちらかというと好みの路線が違っていたので「うまいな、けど...」とあまり好きではなかった。私が彼女の歌をいいなと思え始めたのはむしろ歌番組の時代が終わって、毎週メディアに登場することがなくなってからの方だ。CMで初めて歌(もう何かは忘れた)を聴いたときに、何とも言えない気持ちになった。しっとりした曲の中に響く声がたまらなく素晴らしい。優しいが、とても張りのあるつややかな声だった。その後ミュージカルで活躍するようになり、さらにはクラシックの曲にも挑戦、いい活動をしているなと思った矢先のことだった。そう言えば、最近、カラオケに行ったときに同僚が「1986年のマリリン」を歌っていた。そのときに「そう言えば、どうしているのかな」と思っていたのだが...。先ほどワイドショーで、最近発売されたCDの中にある彼女直筆の文が紹介され、また6年前のインタビュー映像が放映されていたが、それを見ていると、彼女は本当に歌が好きで、歌に生きてきた人なのだなと改めて思った。一つのことにそれだけ入れ込んで、それ自体の中で生き抜いていこうとすることはなかなかできることではないだろう。自分もそうできているかと言えば...反省が必要かな?それと同時に、改めて健康でいなければと思った。夢をしっかり持って生き抜いていかなければ。おそらく夢半ばにして倒れてしまった彼女の冥福を心から祈りたいと思う。
Nov 6, 2005
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夕方からはオケの練習。今日も本番指揮者を迎えての練習となった。練習で指摘されていることは基本的に同じこと。しかし、少しはうまくなっているとの評価だった。今日、一番問題になったのは、共通のテンポ感がないためにピッタリ合ってこないことだった。それぞれの場面に合ったテンポ感があれば、何とか合うものだという話をいろいろとしてくださったが、まだその点は解決されていない。でも、逆にそこがちゃんとしていれば、放っておいてもアンサンブルは合ってくると思う。クラシック音楽は、形式が堅いものの、やはり音楽であって、流れは柔らかでなければならない。いろいろとうまくテンポを揺らしていくほどにいい歌が出てくるものだと思う。それに加えてやはり大事なのは、他の人が何をしているのかをしっかり知って、その動きを見極めた上で演奏しなければならないことだ。ということは、やはり曲に関する勉強は多少なりとも必要だということだろう。逆に言えば、曲を知っていれば怖さは減るということだと思う。そういう意識を早く定着させていくことが必要だろう。頑張らなければ。
Nov 6, 2005
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今日は朝から子供の幼稚園行事にお付き合い。好天に恵まれたので、楽しかった。今回は幼稚園行事だとは言え、主催は市だ。子供と触れ合おうというお祭りなのだが、予想以上にハードなものだった。やっていることは、スタンプラリーみたいなもので、チェックポイントでスタンプをもらいながらハイキングをしてゴールに着いたらおみやげがもらえるというもの。いろいろな幼稚園の先生が運営に関わっていたようだが、うちの子供の幼稚園も先生がしっかり全員参加していた。スタート地点には園長先生。気合いを入れられながらスタンプ台紙をもらう。その後しばらく歩いて第1チェックポイント。そこには幼稚園でパパたちのアイドルになっている先生がいた。とにかくこの先生は清楚な感じで理屈抜きにかわいい。ママたちが「あれだけ日に焼けているはずなのに肌が白いなんて、うらやましすぎる。しかもかわいいし。負けた!って感じ(by妻)」というほどである。最初のチェックポイントであっさり会ってしまったパパ連中はきっと残念だったに違いない。ゴールとか、坂の途中にいてくれたらどれだけいいことかとはおそらくみんな思ったことだろう。第3チェックポイントには、息子が大好きな先生がいた。この先生はとにかく小さな子供の相手がずば抜けてうまい。あれは天性のものだろうと思う。何はさておき、優しいのだ。子供をほめるのがとてもうまい。でも、実はメリハリがきいていて何をさせても様になる感じ。息子は当然大喜びだった。娘もその先生のことは大好きである。その後、道は急な上り坂となる。ベビーカーを押しながら登るのは相当つらい坂だが、これはさすがに私の役目。この坂の途中にいたのは娘の担任の先生。娘はうれしかったようだが、なぜか照れまくっていて先生を直視できないでいた。今はこの先生がとにかく大好きなのだ。心臓破りの坂が終わってやっとゴールに到着。ここには年長組の担任の先生がいた。この先生は基本的にのんびりした感じのキャラクター。しかし、親の扱いはうまいと思う。幼稚園の先生は大人と話すのが苦手な人が多い(親が怖いから?)という印象だが、この先生はしっかり話をしてくれる。子供たちもおみやげをもらって喜んでいた。しかし、市の全域から幼稚園児が集まるために、とにかく人数が多く、最後の遊び場では遊具で遊ぶのに並ばなければいけないなど、大変なことも多かった。最後は救急車まで入ってくる始末。いったいどうしたというのか、それはよくわからなかったが...。子供たちにとってはいい気晴らしになっただろう。先生に会えてうれしかったりもしたと思う。帰りは昼食をなぜか沖縄料理屋で。豆腐チャンプルーがおいしかった。子供たちが満足しているうちに帰宅。またまた一番疲れたのはパパである私なのでした。
Nov 5, 2005
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今日は、学蔡期間中で授業はないのだが、ゼミ生が屋台を出店しているということもあり、せっかくなので行ってみることにした。最初はなかなか売れていないと聞いていたので、不安気味にのぞいてみたが、その心配は無用だった。天気の良さも手伝って、売り上げは順調に伸びていた。私のゼミでは屋台をやることを強制しているわけではないが、なぜか学生が毎年やることに手を挙げるので毎年恒例となっている。今年はポップコーンで勝負をすることに。ところが、なんと仲の良い同僚のゼミが2軒隣で同じポップコーン屋をやっていた。こうなると値下げ競争が始まってしまう(同僚は「ダンピング・オールナイトかいっ!」と言っていたが、この例えはうまいなと思いつつ年がばれるぞとも思った)。相手の売り上げはどんな感じかおよくわからないが、「こっちの方がうまいわ」とお互い教員同士で埒外の「口争」を繰り広げていた。こういうことも学蔡の楽しい一コマ。私自身、屋台を担当している学年に対してはうまくやれるのか不安を持っていた。毎年、ゼミ旅行を夏休みにやって、親交を深めてからの屋台となるので、そこそこやりやすい状況ができているのだが、今年は運悪く台風で中止になってしまった。屋台をやるときにはシフト決めなどで必ずもめるので下手をすると空中分解になりかねないとの不安を持っていた(実際になった学年も過去にあった)。しかし、調理する姿、売り込みをする姿、裏で地味な作業をする姿、どれを見てもなかなかやるじゃないかと思わせる。授業中は寡黙な人が積極的で売り込み上手だったりと意外な一面を見せてくれた。こういうのを見ると楽しいし、ゼミという少人数をしっかり見るという形式は必要なのだとますます感じるようになった。今回はリーダーが素晴らしく、さらについて行く人たちの協力が素晴らしい。「やってみてとても楽しいし、しんどさもわかってよかった」という言葉を聞いて、安心した。まだまだ今時の学生もやるものだ。彼らの持っているものをいかに引き出すきっかけを作るかが大事だと思うようになった。そういう意味で教師にはうれしい宿題が増えたとも言える。夜にはもう一つのイベントがあった。今春卒業して地元九州で仕事をしている卒業生がつかの間の休暇で帰ってくるというので、集まることになった。当初はメールの文面から3人だけで集まるものとばかり思っていたら、なんと仕事が終わってからさらに集まり、私も含めて6人の宴会となった。1人がこの学年のみんなに声をかけていたらしい。営業先から帰ってきた人、店の営業時間が終わって急いで来てくれた人などいろいろだった。みんな疲れているはずなのだが、やはり仲良しの学年、集まると疲れが飛ぶような気分になったようで、結局終電近くまで飲んでいた。途中でメールをくれる人がいたというのもまたうれしかった。そういう機会をつくってみんなを集め、私も誘ってもらえるというのはうれしいことだ。1年ばかりタイムスリップして、楽しい夜だった。飲み会の話の中で印象的だったのは、「先生、大学で習ったことって、あまり現場では役に立つものじゃなかったですね」ということだった。しかし、実はそのことは彼らの在学中に言ってある。仕事を始めてしまったら、各個人にとってはその会社という現実に放り込まれて浸ることになる。つまり自分にとって自分の会社で起こっていることがすべてになってしまうのだ。しかし、会社で長く働くにつれて、あるいは責任のある仕事を任されて、そのときに自分の会社、あるいは自分の経験を相対化して考えなければならないときが必ず来る。同業他社は?日本の会社は?世界規模で考えると?自分の会社のリアリティだけでは対処できなくなるのだ。それは、将来自分たちがよりよい生活をしていこうと考えてみたときにも同じことが言える。だから、一歩引いた世界観を持つことを忘れてはいけないと毎年卒業前には必ず言うのだ。ただ、今は新入社員で夢中だからそういう風になるのはよくわかる。もう少したって仕事に慣れてきたころにまた話を思い出してもらえたら...と思うのだが、本当にわかってもらうためには、頻繁に飲み会をやって会うしかないかな???
Nov 4, 2005
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昨日と今日の2日間、妻の実家へ行ってきた。妻の妹に赤ちゃんが生まれたので見に行きたいというのだ。妻の実家は自宅から車で高速も使って3時間半とかなり遠い。電車とバスを使っても同じぐらいかかるので、日帰りは嫌で泊まってきたいだという。しかし最近、特に息子が妻と一緒でないと寝ないと言うので、一晩付き合うのもつらいところだ。自分が車を出して一緒に行く時間はある(こういう場合自宅にいてもまったく仕事にならないし)。といわけで、「車を出すから一緒に行こう」という話になった。ところが、赤ちゃんは退院当日ということで、妻の実家には泊まるわけにはいかず、その近隣の町にあるホテルに宿泊することに。ただ、宿泊代もバカにならないので、そのあたりで最も安いところに泊まることにした。ありがたかったのは、そのホテルはイタリアン・レストランも経営していて、そこで夕食も朝食も済ませることができたことだ。安かった分、ホテルライフを楽しむ要素はほとんどゼロだったが、寝る場所があればそれで十分だった。2日とも、妻の実家で赤ちゃんを見せてもらいに行った。生後5日しかたっていない赤ちゃんを見るのは自分の子供以来久しぶりのこと、もはやだっこする度胸はなく、見ているだけだったが、とてもかわいかったし、と同時に自分の子供たちが生まれたときのことを思い出していた。それも何年かたてば一丁前に言葉もしゃべるし、感情もぶつけてくるのだから、人間の成長とは不思議なものだ。私にとっては、自分の車で久しぶりのロングドライブとなった。往復で90%ぐらいガソリンを使ってしまうなかなかの強行軍だ。妻は免許を持っているものの、最初からペーパー・ドライバーなのであてにならず、結局一人で運転し続けなければならない。妻にはとにかく話し相手になってもらうのがよい。しかし、今回は困ったことに、妻がのどを痛めて声が出なくなってしまっていたので、往路は会話もなくひたすら運転。最後はかなりきつかった。復路は声が出るようになったので少しは楽に帰ることができた。ロングドライブに話し相手は不可欠だ。子供たちにとっては、年に3回ほどしか会えないおじいちゃんとおばあちゃんに会えるというので大喜び。しかも、妻の実家の前は小学校のグランドが広がっているので遊び放題だ。田舎なので、近所の子供が小学校に入っても何も言われない。1日目に早速自転車を持ち込んで娘は乗り回していた。子供たちに田舎があることはいいことだと私は思っている。私の場合、父も母も現在住んでいる地元の出身なので、田舎に帰るという習慣がなかった。妻の実家の方には泳げるきれいな川、手つかずの自然がいっぱいある。そういったものに身近にふれることができるというのは自分自身のあこがれでもあったので、子供たちが楽しむ姿を見ながら、うらやましくも思い、またそういっったものにしっかりふれながらまっすぐに育ってほしいと思う。というわけで、確固たる目的を持たずに行ったのは私だけで、車の運転をしに行ったようなものだったが、それなりに楽しめたし、家族が喜んでくれるというのはいいことだ。
Nov 3, 2005
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今日は授業のない日。運良く、娘の幼稚園の参観日になっていたので、見に行くことにした。行ってみると、父親の姿も結構あった。日頃、幼稚園だけでなく、遅くなると家でも会えないことの少ない父親にとっては、休暇をとってでも行く価値はあるのだと思う。もちろん、行けない父親の方が多いので、そういう場合は母親が大忙しになる。その手には、デジカメとビデオカメラ。父親に帰ってから見せるように頼まれている場合が多いようだ。もちろん後のための記録でもある。しかし、少し熱が入り過ぎている姿は、子供たちよりもコミカルだった。自分の子供の前にせりだして接写している人、何を撮るんだと思わずツッコミたくなるほど長い望遠レンズを持ってきた人、被写体に夢中で隣に当たる人、そしてビデオを撮るのに夢中で、子供が何をしているのかわかっていない人などいろいろな人がいた。ちなみに、私はそこまでする気はなかった。何しろ、ママ集団をかき分けていく度胸がない。デジカメの撮影は妻に任せた。とはいえ、厚かましく行くことはできなかったようだ。しかし、意見はいろいろあると思うが、私は自分の目でちゃんと見ることを優先したい。「一度しかないこの瞬間を残す」ことは必要な作業だとは思うが、一度しかない瞬間だからこそちゃんと親が「この目で見る」ことを大事にしたい。たとえ自分がその場にいることができなくても、後でその様子を母親から生き生きと語ってもらう方がいいように思ってしまうのだ。それを聞きながら「それは見たかったよなあ」とでもいうと話も弾むし、いかに母親が子供を見ているかがそれでわかるからだ。結局のところ、ビデオではライブの雰囲気はどうしても伝わらないし、それを読み取るのも大変だ。しかも、現場では、子供が親の行動をしっかりと見ている。「見てくれているのかなあ」と子供が振り向いたときにカメラだけが向いていたのではちょっと寂しいような気がする。参観の内容は、まず自分の顔を折り紙をちぎって作るものだった。私はどうしても先生の様子を見てしまう。園児にどうやっていうことをきかせるかという、その方法に興味があった。さすがに先生はうまい。さらに歌の時間もあったのだが、これも時にはピアノで、時には体いっぱい使って園児たちを注目させていくのだ。何が一番素晴らしいかといえば、顔の表情と、「なりきっている」様子だった。とにかく絶対にシラケた表情は見せない。また、視線を追ってみると、節目で必ず時計をチェックして、おそらくだがやるべきことを上手に端折っている。ボーッとしていると気づかないほどのうまさだ。このような先生に子供を任せられるというのは素晴らしいことだ。いつも子供を送っていったときに感じるのは、先生がしっかりしていて、礼儀正しいことだ(それも半端ではないくらい丁寧)。いわゆる「社員教育」が行き届いているということだろう。一度子供をそこに預けると決めた限りはできるだけ遠くから見守るだけにしようというのが我が家のスタンスなのだが、今は十分それができているので、まずはひと安心。あとは子供がちゃんと先生にしっかりついて行けるようにするのが、私たち夫婦の役目だろうと思う。
Nov 1, 2005
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