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論文売買の実態卒論販売ある論文売買サイトでは、「例年、後期が始まる9月からアクセスが殺到し、希望する論文が買えなくなることがあるので、お早めにご購入下さい」という。アクセス数はなんと4桁。アクセスしてみると、次のような論文テーマが並んでいる。「日本企業の強みと弱点 -近代・現代組織の崩壊からの分析-」そして、内容まで記されている。「目次前書き第一章 明治維新~日露戦争の時代第二章 第一次世界大戦~第二次世界大戦への道のり第三章 戦史から抽出される組織論的課題第四章 繰り返される強さと弱さ第五章 創造的均衡状態の破壊とスクラップアンドビルドの提唱」 なんとも惚れ惚れする内容だ。何年前だったか、就活で苦戦して、卒論作成が遅延した私のゼミの学生が、「先生論文が出来ました」と言って胸を張って、A四12枚を研究室に持参した。椅子に座らせて読んで行くと、一見して自分のものでないことは明らか。文章といい、表現力といい、内容といい、すべてがパクリであることは明々白々。いくつか質問してみると、全く答えられない。それで、この論文は「没」にしたことは言うまでもない。これは他大学の例だが、同じような販売サイトのコピーだとわかって、単位が出なかったケースがある。もちろん卒業は出来ない。情けないのは、このようなコピペや先輩からのお下がりを黙認しているという教師もいる。学会の夜聞いた話だが、毎年の発表会で発表を聞いていると、「あれ、どこかで見たような発表だ」というのは珍しくないそうだ。筆者が検索したサイトには、「参考文献一覧」まで記載されている。サイトは、卒論代行 <学術論文発表 ¦ 博士論文 – 〇×出版社> この商品は、販売終了いたしました、とある。クオリティを下げた論文の製作も可能です。詳しくはご相談くださいと。この「クオリティを下げた」というところが味噌(くせもの)で、この点については別の機会に記す。普段のレポートでもそうだが、各自やってきて提出しなさいという課題は、必ずと言ってよいほど、コピペだ。そんな訳で、私は授業時間の残り時間でレポートを書かせるようにしている。検索にスマホは使ってよいことにしている。なぜなら、B五の大きさの紙に書かせるので、授業をよく聞き、サイトを熟読して自分の文章で書かないと書けないからだ。検索キーワードで検索すると、見る画面は決まっているので、写したらだめだよと言うと、その辺は事情がわかるらしく、自分のことばと文章で書いてくれる。では、論文の売買に頼らず、コピペも必要最小限にさせ、大学最後のオリジナルな論文を書かせる手はあるのか。答えは、「ある」。まあ、長年教師をやっていると、狐と狸の化かしあいみたいなところがあって、こうした中から少しでも勉強になればという教師の知恵も洗練されてくる。しかし、これは企業秘密といってよいくらいに、高度に洗練された教育方法なので、いずれ機会を改めて紹介することとしたい。最近流行のアクティブラーニングのような「ちーちぱっぱ」は通じない。ただ、教師がよほど教育と研究に通じていないとできない高等業だ。教師は、研究をしないとよい教育は出来ない。教育にスキルはない。今日のテーマは「論文の売買で劣化する大学教育」でした。最後に、卒論代行は、違法な商売ですか? という質問である。この点も、サイトには「ご注意 該当資料の情報及び掲載内容の不法利用、無断転載・配布は著作権法違反となります」とあり、提供側はしっかり予防線を張っている。なんともはや、では参考にするのならよいのか。購入するとテキストファイルになるので、学生はついつい、コピペの誘惑に駆られるのではないだろうか。インターネットもコピー機もなかったころの大学が懐かしい。(2017年8月30日 投稿)
2017.08.30
文部科学省は、中央教育審議会大学分科会、将来構想部会の合同会議に「地域における質の高い高等教育機会の確保のための方策について」と題した大学の統廃合や大学連携の事例集を配布した。その内容を示すと以下のよう。〇学校法人の合併は1989年度以降41、文科相所轄学校法人の解散は2003年度から2015年度までで14件。〇国立大学の統合は2002、2003年度で香川大学と香川医科大学、神戸大学と神戸商船大学など12件が実現。国立大学法人化後、大阪大学と大阪外国語大学の統合などで、1997年度の101校が2007年に86校に減少。〇私立大学は2003年度から2015年度に、慶應義塾大学と共立薬科大学、関西学院大学と聖和大学、上智大学と聖母大学が統合、14校が6校にまとまった。〇私立大学の廃止は2003三年度以降、三重中京大学、神戸夙川学院大学、東和大学など10校。〇現在、大阪府立大学と大阪市立大学統合協議が進んでおり、経営スリム化による経費削減、事務の効率化により、統合が実現すれば2010年度に比べ、人件費や管理的経費が七%削減できるとしている。〇このほか、教育課程の共同実施、大学コンソーシアムの整備、遠隔地の大学との単位互換制度の導入なども示した。〇2018年から18歳人口が再び、急激な減少に向かうことから、大学の規模縮小の方向へ議論を導きたい意向があると受け止められている。 以上のように統廃合は国立大学にも及び、無名(限界)大学の有名大学による吸収合併、限界大学の廃校、教育システムの連携改革などが、その中心をなしているといえよう。このような動きは、経済学的に言うと供給(大学)と需要(18歳人口の減少と進学率の低下)とが交叉する点まで進行し、やがて均衡点で終焉するということであろう。終焉に至るまで高校生と大学とのあくなき戦いがすすむと見られる。このブログでは、評論ばかりでなく、できるだけ現場で役に立つようなことも書きしたためたいと考えています。(2017年8月28日記・投稿)○解散した文部科学大臣所轄校法人の数推移(平成15 年度以降)出典:「中央教育審議会大学分科会、将来構想部会の合同会議に「地域における質の高い高等教育機会の確保のための方策について」(平成28年8月)」
2017.08.28
供給側の大学からいうと、これまでにない厳しい対応が求められ、あるブログでは「今後、学生が集まる大学とそうでない大学の二極化が進むため、大学側は、選ばれる大学にならなければなりません。看護や教育、栄養など実学系の学部学科を設ける、国際系学部を設ける、産業界が求める人材養成の観点から学部・学科を設ける…特色や個性のある大学を目指した改革が進められています。その他、入試制度を増やす、ライバル校と受験日をずらすなど、志願者が受験しやすくなるような取り組みも行われています。」と経営課題をまとめていますが、まさにそのとおり、各大学とも、ここ数年、かつてないほどの競争激化が見られます。「仁義なき戦い」と言ってもよいかもしれません。筆者は、これに不要不急の学科(部)は思い切って閉鎖する、を付け加えたいと思います。大学経営の足を引っ張るようになってからでは遅いからです。参考 <https://studysapuri.jp/course/junior/parents/kyoiku/article-119.html> こうなってくると、保護者も人ごとではなくなってきて、大学選びに関して親子で奮闘する姿が、各大学が開くオープンキャンパスにおいて、見られるようになりました。筆者も、オープンキャンパスでは、保護者への対応をきめ細かくやるのですが、先日のオープンキャンパスでは、プロのサッカー選手を目指す生徒の親が、とにかく練習のできる(教育)環境かそうでないかを、必死で研究している様に触れて、2018年問題の実像に触れた思いでした。また、ある女子生徒は、ダンスで生計を立てたいが、大学でどうすればよいか、熱心に質問をしていきました。 このように2018年問題とは、需要側にとっては大学を比較検討、選べる時代を意味するわけで、2018年問題の肯定的部分なのでしょう。大学は、心配するだけでなく、リスクをチャンスに変える知恵が必要でしょう。(2017年8月27日 投稿)
2017.08.27
2018年問題という言葉を聞いたことがおありでしょうか。おそらく、ほとんどの方が知らない言葉だと思います。しかし、大学にあっては、ここ数年、ことあるごとに囁かれる日常用語となってきました。簡単に言うと、これまで減少し続けてきた高校を卒業する生徒の数が、2018年を境にまた減少し、大学進学率も低下する可能性があるので、多くの大学で定員割れなどを起こし、大学の経営がうまくいかなくなるという、大学の存立にかかわる問題として、クローズアップされているのです。「え、そんな大学に子どもを通わせて大丈夫なの?」もっともな質問ですが、「心配ご無用」大学が提供する授業やその他さまざまなサービスをうまく利用していただければ、人生の第一歩、うまく踏み出せます。もちろん、高校を卒業する人の数が減少しても、それと比例して大学の数、正確に言うと大学で受け入れることのできる定員が減少すれば、表面的には需要と供給のバランスが取れていて問題は起きないのですが、需要側の高校卒業者で大学進学を目指す人たちの数が減少するにもかかわらず、新規に大学を認めたり、大学の学部・学科を新設したり、また短大を大学に昇格させるなど、需要を超えた供給サイドの増強を行ってきたために、問題が顕在化してきたというのが問題の所在です。このブログを立ち上げたのも、そこに理由があります。ではどうするか、これこそが2018年問題の核心部分に位置しているわけです。(2017年8月27日投稿)
2017.08.27
もう何年も前になるのですが、私の友人で、ある経済団体と共同で学生の「IQ(Intelligence Quotient知能指数)」を調査した結果を「他言無用」という条件で見せてくれた教授がいるのです。固有名詞は控えるとして、縦軸にIQ、横軸に人数の二次元グラフで示された山形の全国平均の分布の中で、その教授の大学の大学生は、最低ライン(人数は少ない)から平均(人数が最も多い)の所に分布しているのです。被検者は大講義室の授業の学生なので、その学部の学生の傾向を表していると思います。「そんなもんじゃないですか」と言うと、「これじゃ教育にならん」とその御仁は言うのです。「よくもまあ公的な経済団体がこんな調査をするな」と思いながら、その場はすんだのですが、じつは件の准教授はそのような水準の学生たちに囲まれて教育をしているのです。余談ですが、これは昔の話で、現在はどこの大学でも、このような調査は「研究倫理委員会」にかけなければ、実施は出来ません。最近、教育現場で「アクティブラーニング」の必要性が叫ばれていますが、アクティブラーニングが成立するためには、必要最低限の知識とコミュニケーション力が必要で、それを欠いた集団の中で成立するアクティブラーニングは、本来求められる「問題解決能力の涵養」とは似て非なるものになります。この問題に関しては、また別の機会に検証します。これもまた、ある大学の教授が言うのですが、「ある就活支援業界の主催した非公式の座談会で、企業の採用担当者が、とにかく大学を増やしすぎた。本来なら、高校を出たら職人になって、そこで親方にどつかれ、叱られて一人前になっていくべき高卒者が、蝶よ花よと甘やかされて、学士様になって企業訪問しにくる。この子たちのほとんどは、使い物にならない。採用活動の予算の無駄遣いだ、と言うのももっともだ」と、酒を酌み交わしたのを思い出しました。「それは言い過ぎだろう」と笑ってすましたのですが、とても人ごととは思えません。ではなぜ、文科省は大学をこれほどまでに増やしたのでしょうか。機会を改めて考えてみたいと思います。(2017.8.27)
2017.08.27
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