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●秋の森の露天市2日にわたり「森の露天市」が開催された。ステージで友人のバンドが出るので見に行ってきた。今回は、天気も悪くないのに全体の出店が半分くらいでガラガラだった。フラダンスチームが踊っていたが少し寒そうだ。いつも食べる焼きそばをランチとする。秋空の下、森の中なので音楽を楽しむのは最高です。さくらの里では「十月桜」が満開です。
2023/10/31
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●ビッグバンド今年も地元のジャズバンドが集結する「ビッグバンド」の演奏会を見に行ってきた。会場は近くの崔如琢(さいじょたく)美術館のロビーで、入場料は無料だ。今回で7回目なのだが、これまではコロナ対策のため100名と人数制限があったのが無くなったので駐車場は満車状態だ。最初に演奏するのは、「伊豆ウインドアンサンブル」という伊東在住の社会人で構成されたバンドで、伊豆高原を中心に活躍している。次は地本の対島中学校特別支援学級の学生3名で、各人が指導先生と共にピアノ連弾を始める。彼らは、伊豆高原駅に「駅ピアノ」として約3か月設置されたピアノがあった時、そこで弾いてみたいと思い先生と一緒に練習に励んだ姿がNHK静岡でも放送されることになった。「ふるさと」や「アメイジンググレイス」をプロのミュージシャンと演奏すると、会場は突然シーンとなり真剣に聞き入ることになった。今年から伊東の高校3校が統合され「伊豆伊東高校」となった吹奏楽部の登場で、いつもの迫力ある演奏が届けられた。特にパーカッションの凄い動きにはいつも驚かされる。「Jimmy&アマノーツセブン」は、サックス奏者のジミー中山さんを中心に伊豆で活動するバンドだ。今回は、新人ながら声量のある歌声を披露してくれたのがボーカルの早田さん、沖縄西表島の出身で伊東に移住して来たそうだ。最後の登場は、これまでは横浜のジャズバンドの皆さんだったが今回は伊豆の入り口である沼津からやってきた「沼津燦々ジャズオーケストラ」で、16名のジャズメンが迫力ある演奏をしてくれた。演奏が伝わらないのが残念ですが、各バンドのユーチューブをご覧ください。。
2023/10/30
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●赤沢フェス伊豆高原の南に位置する赤沢海岸で例年行われている「赤沢ハロウインフェス」が開催された。今回は、キッチンカーの屋台などとクラフト関係のお店が出店したほかに、特設のステージが設置されロリータファッションのアイドルグループのライブや手品、お笑い芸人などが登場した。地下アイドルなのだろうか。まだまだ認知度が無いためか来場者は少ないが、毎年継続することが必要だろう。砂浜ではボッチャ体験。入り口にこんなバス停がある。一つは路線バスなのだが1日に朝夕4本の運転となっている。伊東市の救済策として「オンデマンドタクシー」という交通手段があり、前日までに予約すれがタクシーを300円(こども100円)で利用することができる。区間は伊豆高原~赤沢間で1日4往復から選ぶことができる。
2023/10/29
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●ぎんなん収穫駐車場に大きな「いちょう」の木が1本ある。今年は豊作なのか、いちょうの実である「銀杏」が駐車場にたくさん落ちている。車のタイヤで踏み潰してしまうと、凄い匂いがするのでビニールの手袋をして車を入れる前にとることにした。数日同じことをしていたらバケツに2杯分も採れてしまった。茶碗蒸しなどに入れると、おいしく戴くことができるので食べられるようにチャレンジしてみることにした。インターネットで調べてみると「土の中に埋める」とあるので、ビニールネットを買ってきて銀杏の実を入れ畑に穴を掘って入れてみた。約1週間ほどで外の皮が腐ってくるので中の硬い実を取ることができるようだ。しかし、強烈な匂いとギンコール酸という物質が含まれ、直接触るとかぶれ、かゆみがでるとのことで少し躊躇してしまう。イチョウの木は、中国原産とされ古くから世界中に自生し、生きた化石と言われている。落葉性の高木で雌雄異株でオスの木とメスの木があり、メスの木に実が付くらしい。秋になると黄色の葉が綺麗で、明治神宮外苑や慶応大学の「イチョウ並木」が有名であるが、これはオスの木なので実はならないのだ。 銀杏とは、イチョウの木になる実なのだが、なぜ銀杏はこんなに匂うのか調べてみると、動物たちに食べられないように自己防衛のためだとか、異臭の原因は酪酸&ブタン酸で排泄物のような匂いがする。臭い!作業服に着替え、マスクとゴム手をして土から掘り起こしバケツに入れ水を出しながら、ブヨブヨになった皮を剥いて行く。臭い!何度も水洗いをして硬い殻だけになってきた。これを数日間かけて天日干しをすれば出来上がりだ。衣類も洗濯し、すぐに風呂に入ったが何時までも匂いがしている気がする殻を割るとヒスイ色の柔らかい実が出てくる。銀杏には多くの栄養分があり疲労回復、咳・痰、風邪予防などの効果もある。しかし、食べ過ぎると銀杏中毒になるため大人は40個程度、子供は7個ほどと注意が必要だ。この銀杏を最初に食用とした人は凄い!
2023/10/28
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●タマネギの植付け猫の額ほどの畑に、腐葉土と牛糞と肥料を入れて土作をしたので来春の収穫だが「タマネギ」を植えてみた。1束50本と多いので、畑の周囲にも植えてみた。収穫は来春だ。季節の花を植えようとホームセンターを見ていると、チューリップの球根が目に入ったので買ってみた。花壇の中や、プランターに植えて並べてみた。これも開花は来春です。
2023/10/27
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●古民家再生奮闘記(倉庫)リフォームの材料や畑の道具などを収納しておく倉庫が必要だなと思い、立ち木を伐採してログハウス風の倉庫を自作しようかと考えていた。偶然にも隣の家で倉庫を入れ換えるとの話があり戴くことになった。廃棄する予定の倉庫は床板が少し薄いくらいで全く問題なく使用できる物だった。隣なのでわずか数メートルの移動だが、重さは100kgほどあるので分解しないと一人では運べない。その前に、土台を作るためコンクリートブロックを買ってきて、水平を測り準備した。当日は、職人さん6人も来て持上げて運んでくれたのでわずか10分で移設終了となった。倉庫内に廃材のコンパネを利用して床の補強と棚を作り上げた。サッシを利用して棚を作る。古い倉庫の処分費も必要なくお互いにメリットとなったと思う。ついでに、これから枯葉が落ちて雨どいなどを詰らせる時期になるので不要な木を伐採した。斜めに立っている3本の木。スッキリした。倉庫の横が少し塗装が剥がれている部分があるので、タワシで汚れを落としスプレーで塗装してみた。これで終了。
2023/10/26
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●古民家再生奮闘記(火災報知器)古民家(Studio72)の各部屋には、昔の家なので火災報知器などは設置されていないが、現在は設置義務なので取り付けてみた。火災報知器は、電池式の煙探知型でネットで購入した。マンションなどと違って、警報機器とは接続していないので単独で警報音を出すことになる。機器に付属の電池を接続しキッチン、リビングなど各部屋の天井にネジで1個づつ取り付けるだけなので誰にでもできる。テストボタンを押すと「正常です」と音が出るのでこれで終了です。しかし、問題が、、、この家には遊びには来るが、寝泊まりしていないので不在時には近所の人達が気づいてくれないと効果がないのだ。小さい消火器も用意した。
2023/10/25
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●奏の森オープン伊豆高原のさくらの里近くに、1年前から工事をしていたリゾート施設がオープンした。「奏(かなで)の森」と名付けられたこの場所には、今流行りの宿泊施設グランピングエリアと、一般客も立ち入りることができるパン屋と和食店、野菜等を売るマルシェがある。バス通りの入口からは、長いエントランスとなり駐車場にたどり着く。東京ドーム6個分の敷地の周囲には檜や杉の森がある。オープン日なので満車でした。こもれびエリアには、11月からオープンするドーム型とインディアン型の16張りのグランピングと、500席もあるバーベキューコーナー、バーベキュー用の豊富な食材を揃えたショップがある。まだ準備中でした。大室山がこんな風に見える。ピザ窯。バーベキューの食材を販売する棟、一般のテイクアウトもできる。様々なスタイルのバーベキューテラスは500席もある。ツアーバスの昼食場所にもなるのだろう。伐採した木はチップにして柔らかい歩道となっている。トイレには宿泊者には必需なシャワー室も完備されている。商業エリアには、地元の農産物やお土産品の販売店と、焼きたてのパン屋、和食店、ステーキハウス、カフェなどもあるので地元民の買い物場所にも利用できる。トイレも清潔な感じ。和食棟の前にはせせらぎが。地場産品など様々な品が用意されているマルシェ。この丸太は何でしょう。ステーキハウスは貸し切り営業でした。パンの販売棟は長蛇の列。ここで食べることもできる。お店情報奏の森伊東市十足325-10557-55-72007:00-18:00(コーナーにより時間差がある)
2023/10/24
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●伊豆に熊出没先日のテレビでショッキングなニュースが流れてきた。画像はニュースより伊豆の河津に熊が出没したとのことだ。2年ほど前に西伊豆の山中で100年ぶりに熊が出たと話題になったが、伊豆半島の熊は絶滅したとのことだったので半信半疑だった。今回は、10月20日に河津の環境省と森林管署の職員が国有林(二本杉峠付近)を巡回中に、鹿用の「くくり罠」に「ツキノワグマ」がかかっていたのを発見した。体調1.2m程の大人のオスだったが、2年前の西伊豆で発見された個体とは別のようだ。地元の役場や動物園「izoo」の職員も駆けつけ、人里から離れた山中なので山に逃がしたようだ。伊豆半島では昭和初期まで日本オオカミやツキノワグマが生息していて絶滅と思われていたが、今年に入り伊豆市や、南伊豆でも目撃されている。箱根や富士の裾野とは陸続きなのではぐれて来てしまったのだろうか。ここは「伊豆山稜線歩道」の近くでもあるので、これから秋の紅葉シーズンにハイカーが訪れるため鈴などを携帯し細心の注意が必要だ。今年は、異常気象により熊の餌が少なくなったためか餌を求めて里に出没し、連日のように人間が襲われたとニュースとなって、すでに109人が犠牲になっている。
2023/10/23
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●元祖静岡茶静岡市へのショートトリップ最後は、静岡茶の発祥の地と言われる(足久保)地区にやってきた。静岡市内から大井川の奥地の井川方面に抜ける道なので普段はあまりゆくことがない道だ。第二東名高速の静岡インターが見えると、安倍川を渡り少し奥に行ったところの集落が足久保だ。足久保ティーワークスという工場のような建物はすぐ見つかった。駐車場の一部に出店があり若いスタッフが出迎えてくれた。このお茶工場は、地元の40軒のお茶農家が出資して出来た組合組織で、機械で茶葉の蒸し作業などをしている。静岡茶は約800年前、鎌倉時代の僧 聖一国師が宋(中国)から持ち帰ってきてこの地で栽培されたのが始まりだ。日照時間が短く昼夜の寒暖差があり、朝霧がたつので甘味の多いお茶が栽培するのに適していた。お茶を好んだ徳川家康にも献上された。松尾芭蕉も「駿河路や はなたち花も 茶のにほい」と詠んでいる。たくさんのお茶商品があり、一つ一つ試飲させてくれるのでお土産に買うことにした。この工場では、このような機械によりお茶を蒸す作業をしている。これで焼き芋を作ってました。よくテレビで見る、茶畑の中に作られたウッドデッキに座ってお茶を楽しむシーンがあるので訪ねてみると、セルフツアープラン(自分で行く)がお茶とフルーツサンドが付いて1組2名様2000円、ガイド付きプランは5,000円で予約された方が対象だという。しかも、山の上の畑まで30分ほど歩くので2時間ほどの余裕が必要だ。ネットよりしかたなく、目の前に作られた茶畑を眺めるデッキでお茶を飲んでみた。野鳥の鳴き声しか聞こえないのどかな場所での一時だった。ようやく海外旅行に出かけることができるようになってきたが、わずか2泊3日の短い期間でも十分旅行気分を味わうことができたし、知っているようでまだまだ行くところがある静岡の地を再発見する旅となった。次は何処に行こうかな?お店情報足久保ティーワークス茶農業協同組合静岡市葵区足久保口組2082-2054-296-670010:00-16:00火曜定休
2023/10/22
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●ショートトリップ(駿府城)今日のショートトリップは車で静岡市方面に行ってきた。静岡市内にある駿府城は家康が最後を迎えた場所だ。昔の武家屋敷や公職のあった場所らしく、今でも周囲には官公庁と静岡県庁がある。今回、駿府城に寄ったのは、最近の発掘調査により天守閣の石垣が発見され一般公開しているからだ。公園内は入場無料だが、紅葉山庭園、東御門・巽櫓と坤櫓の三か所が見学できる共通券が360円なのでこれで入場することにする。最初の、紅葉山庭園は里や海、山のイメージで作られた日本庭園で、お茶と和菓子が付いた茶室(600円)が儲けられている。下田にもある「銀座のやなぎ二世」年代が違う金箔張りの瓦が出土した。築城に使われた石、手前が伊豆石です。駿府城(すんぷじょう)は、1476年の今川氏が築き武田信玄の侵攻で焼失したりした。安土桃山時代の1585年から徳川家康が改築し、その後家康は江戸城に移ると中村一氏、内藤氏が城主となる。築城石の運びかたです。1607年、家康は将軍職を秀忠に譲ると駿府城に隠居となり拡張工場を開始したが、出火により天守や本丸の全てが焼失、そのごも再建されたが1635年には城下の火災が城に延焼し大半が失われ最後には城主も居ないため再建されることはなかった。千代丸の勉強部屋。宝栄地震や安政の大地震で建物も石垣も全壊した。名物静岡おでんの店です。駿府城は三重の外堀、内堀が作られ、1610年に55m×48mと日本一広い石垣の上に7階の天守が作られた。1869年に廃城になり石垣だけ残っていたが、「陸軍歩兵第34連隊」が駐屯することになり、天守台を崩しその土で内堀は埋められた。ここでも、江戸城改築の時と同じような「伊豆石」が使われたようで、西伊豆の井田には石丁場の記録がある。現在は、お堀の中の本丸と二の丸の城跡が駿府城公園として市民が集う場所になっている。東京の皇居もそうだが、城跡でランニングや散歩をしたりイベントが開催されたりと羨ましい。城の雰囲気造りとして、市制100周年で再現した二の丸南門の「巽櫓(たつみやぐら)」と「坤櫓(ひつじやぐら)」、東御門の「櫓門」、が復元され資料館となっている。ついでに天守閣も再現すれば良かったのに。肝心の石垣だが、2016年から始まった発掘調査の途中経過なのか、大きな囲いができ内部を見学することができる。慶長期(江戸時代)の天守台の下に、今川期や天正期の天守台の遺構や遺物が発見された。出土品として金箔がついた瓦などが出たようだ。この家康像は西伊豆の彫刻家「堤達夫さん」の作品だ。駿府に移った家康は65歳から亡くなる75歳までをここで過ごした。こちらの「戦争犠牲者追悼の像」は堤達夫さんの子どもである堤直美さんの作品で、静岡駅前の家康像も作っている。鎌倉時代に中国から渡ってきたミカン。続く・・
2023/10/21
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●久能山東照宮(博物館)徳川家康のお墓がある久能山東照宮に来ている。最後は直ぐ隣にある博物館に見学だ。ここで拝見したい目的の物は、家康が外国から賜った時計が保存展示されているので是非見てみたかった。残念ながら、館内は撮影禁止なのでホームページから引用させてもらった。家康が使っていた扇子や矢の筒、羽織が展示されている。刀や鎧兜などが500件20000点が保存されている。この洋時計は、1611年(慶長16年)にスペイン国王フェリペ3世から家康に贈られたもので、日本で現存する時計としては最古の物となっている。製造時期は1573年~1581年でゼンマイ式、時打ち、目覚まし付きの金属製小型時計だ。ここで、伊東で洋船を造った三浦按針(ウイリアム・アダムス)と結びつくことになる。1609年にフィリッピンからメキシコ(新スペイン)に向かっていた総督(ロドリゴ・デ・ビベロ)の船(サン・フランシスコ号)が日本近海で暴風雨に遭い房総半島の御宿に漂着した。この時、地元の住民らが317名を救助をしたのだ。女性が冷たい体を温めたとの伝説がある。これを聞き家康は食料や衣類などを贈った。40日後に総督は、駿府に行って家康に面会し交易をについて話をすると、家康は西洋帆船と渡航費を提供すると約束し、1610年ウイリアム・アダムスが伊東で建造した「サン・ブエナベンツーラ号」に乗り日本人商人20名とともにメキシコに帰還した。伊東市役所にある船の模型。翌年に、探検家で商人のビスカイノが日本への答礼使として派遣され、家康から借りた渡航費の返却と贈り物を持参した。この中に時計が含まれていたのだ。しかし、この時計は日本の時法と違っていたので使用はされていなかったようで、家康の死後ここに祀られ重要文化財となっている。一次は盗賊により盗まれたりもしたが、2014年にはイギリスの大英博物館の修理士により分解洗浄も行われている。この時代の同様の時計は世界に20個ほどしか現存していない貴重な物だ。続く・・・
2023/10/20
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●久能山東照宮(本殿2)日本平と言ったら久能山のイチゴ狩りが有名だが、季節は1月からなので今の時期は久能山東照宮に行くことにした。家康38歳の時の手形。身長は155〜159㎝、体重60kgほどだった。一応音楽やってるのでお参りしてきました。家康が愛した神馬(しんめ)を飼育していた場所。中の木彫の馬は左甚五郎作で目がガラスで作られている。鐘や太鼓などで知らせた鼓楼(ころう)階段下から唐門を見る。階段は通行禁止なので右側から登る。奈良の正倉院同様の校倉造の神庫唐門も重要文化財で、唐獅子牡丹や朱塗りの青い鳥が掘られている。権現造りの拝殿は国宝になっている。国宝となっている久能山東照宮本殿、石の間、拝殿を見学し、裏手山側に回り埋葬されている廟となっている「廟所宝塔」を拝見した。拝殿上部の彫刻は「瓶割り」という中国古代の有名な話を掘ってあり命の大切さを表している。家康の愛馬が埋められた場所。石垣はペルーのインカ帝国にも負けない精密さだ。この中に遺骸があるのだが、これがミステリーとなっている。神廟の高さは5.5m日光に移されたとか京都であるとかの説もあるが、今でも真実が明かされていないらしい。日光へは勧請とあるので、分骨なのか「神霊」の移動だったのだと思うのだが、、再び本殿に戻り見学する。本殿の奥には徳川家康、豊臣秀吉、織田信長が祀られている。続く・・・・
2023/10/19
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●久能山東照宮(本殿)日本平と言ったら久能山のイチゴ狩りが有名だが、季節は1月からなので今の時期は久能山東照宮に行くことにした。東照宮は、日本平の山頂と海岸との中間の山の上にある。海岸からは1159段の石段を登ることになるので今回は日本平からロープウェイで行くコースとした。ロープウェイ乗り場の無料駐車場に停めて乗り場に行く。10分間隔で運転しているロープウェイは江戸時代の籠のデザインになっている。家康の身長は159㎝。経営は静岡鉄道グループ。ゴンドラは赤と青バージョンがある。ゴンドラ内は全面ガラス張り。ロープウェイの往復運賃(1250円)と東照宮の拝観料(500円)、博物館の入場料(400円)が1950円でセットされているのでそれを購入した。1065mを5分で結ぶ。台湾の猫空(まおこん)ロープウエイと姉妹提携されている。台湾台北のロープウエイは、下が透けているので茶畑や街並みが見える。90mの眼下には山崩れでできた屏風谷がある。時々カモシカが歩いているとか。いちご狩りのハウスが見えてきた。NHK大河ドラマ「どうする家康」でおなじみの徳川家康だが、お墓は日光の東照宮だと思っている方が多い。江戸幕府を創始した徳川家康は、今から407年前の1616年(元和年)4月17日に死去し遺言によりその日のうちにこの地に運ばれ19日に土葬されたのだ。社務所での拝観料は500円だがセット券でOK.家康の遺言とは①遺体は駿河国の久野山に葬れ②葬儀は江戸の増上寺で行え ③位牌は三河国の大樹寺(徳川家の菩提寺)④一周忌が過ぎたら日光に小堂を建てて勧請(かんじょう)し、 関東八か国の鎮守とせよ。とのことで全てが実行された。日光東照宮には、やはり遺言により一周忌が過ぎた翌年の1617年に二代目将軍秀忠が天海僧正に命じて改葬したのだ。その当時から、久能山東照宮には一般人は参拝することができなかったが、日光東照宮は誰でもお参りすることができるようになり久能山より有名になった。続く・・・・
2023/10/18
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●日本平夢テラス清水から山道を走り日本平ホテルでランチをした。すぐ近くには、「夢テラス」という展望回廊がある。この巨大な電波塔は「日本平デジタルタワー」で、静岡県のテレビ放送とFM放送を送信する集約電波塔だ。ここは日本平の最高地点で、大きな電波塔が建っている場所を利用して、建築家隈健吾さんのデザインで2018年に3階建ての展望室と外側に一周200mの展望回廊が作られている。1階は日本平の歴史や文化、2階はラウンジカフェ、3階が展望デッキとなっているので、360度見渡せる眺望が楽しめる。夜の星空観測には最高の場所だろう。上空はすっかり秋の空になった。これは黒板アートです。入場無料で、開館時間は9時~17時(土休日は21時まで)だが、展望回廊は終日入場できる。毎月第2火曜日は休館続く・・・
2023/10/17
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●日本平ホテル清水から山道のパークウエイを走り日本平ホテルを目指す。このホテルの立地条件は最高で、大きなガラス張りのロビーからは広い芝生の庭と駿河湾、左側には富士山を一望できるところだ。ちょうど、ランチタイムなので最上階のレストランで食事をした。ランチにしては少しお高めだが、本格的な料理と、この6階のアッパーラウンジからのロケーション代と思えば納得。点心付きのパーコー緬1950円。このチャーハンも美味しかった。芝生のガーデンでは、一組のウエディングドレスを纏ったカップルがカメラマンに連れられて登場してきた。結婚式用の前撮りなのだろう。日本夜景遺産の認定証。このほかにもレストランは寿司、鉄板焼き、テラスラウンジなど沢山用意されている。ちなみに、宿泊は2万円ほどから。続く・・
2023/10/16
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●ショートトリップ(三保)静岡市付近へのショートトリップ2日目は、三保の先端にある飛行場?を見学した。海からの富士山でも見ようと海岸沿いを走っていたら、飛行場の看板が偶然目にとまった。砂利浜の海岸では数人が海釣りをしている。近くの海上には、清水を基地としているジャムスティック所有の最深部観測船(ちきゅう)が出港していった。ネットよりこの船で深海7500mまでの掘削調査により人類未踏のマントルまで到達するなど、地震のメカニズムなどを調査しているのだ。肝心の飛行場は?と探すと、海岸と防砂林の間のスペースの草に囲まれているのを見つけた。三保飛行場と言って、以前は静岡県と赤十字飛行隊の訓練場だった所で、現在は静岡土木事務所の管理となっている。幅20m、長さ546mの舗装された滑走路で救難活動を目的としていたが、現在は滑走路上に砂利が舞い上がり使用されていない。 美保の松原には何度も行ったことがあるが、今回は2019年に新施設の展示館「みほしるべ」ができたので立ち寄ってみた。世界遺産になると手入れも大変。初冠雪を確認、伊豆方面から見る富士山と形が違う。「みほしるべ」は木をふんだんに使用した建物で、シアターでの美保の四季や羽衣伝説の舞踊などの展示がある。松ぼっくりの展示世界遺産の認定証。美保の海岸からは、先日は曇り空だったので富士山も良く見えなかったが、今日は初冠雪とのニュースなので山頂付近を見るとかすかに白くなっていた。もうすぐこんな雪化粧になる。続く・・・
2023/10/15
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●保存車巡り(清水港線跡)静岡県清水の三保地区に、以前走っていた清水港線の終点だった三保駅跡がある。ネットより今は公園となっている石積のホームの脇には、当時走っていた小型のデイゼルカーとタンク車「タキ8453」が保存されている。清水港線は、東海道本線清水駅から分岐し三保駅までの8.3㎞を6駅で結んでいたローカル線だった。主に港からの貨物輸送だが一部客車を連結し昭和30年代には1日7往復していた。しかし、後半には清水発8時10分、三保発16時14分と通学用に運転されるのみとなった。ゼロキロポスト。清水港線は、1916年(昭和5年)に軍事物資輸送を目的に開業し、一時は黒字路線となっていたが車社会になり1984年(昭和59年)4月に廃止となった。使用されていた車両は、当初はSLであったがDD13型ディーゼル機関車になりスハフ42型、オハ47型5両が連結されていた。これは入れ替え用の小型ディーゼル機関車。保存展示されているディーゼル機関車は、昭和45年日本車輛製の15t、タンク車は日本軽金属所有でアルミニュウムの原料であるアルミナの粉末を蒲原工場へ輸送していた。車体もアルミニュウムで出来ている。清水港線の珍しかったのは、途中の巴川に架かる全長88.3mの昇開橋があり、通常は一部の線路が上昇し船舶が通航でき、列車が通過するときだけ線路が降りる架道橋式であったことだ。ネットよりこれで、静岡県内にある保存車の取材は全て終了した。
2023/10/14
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●ショートトリップ(宇津ノ谷集落)今日のショートトリップは車で静岡市方面に行ってきた。丸子宿から次の岡部宿の間には峠があり、手前に旅人達が休憩した「宇津ノ谷」の集落がある。この集落では、平成12年に「美しいまちづくり協議会」が発足し、積極的な保存活動が行われている。観光客向けの無料駐車場もある。ここは宿場ではないが、石畳の両側に団子屋などの店があったっようで昔の街道筋の雰囲気を保った家並みがある。各家の玄関先には「ほそみち」や「角丸」などの屋号の看板がある。これは伊豆の稲取でも同じ姓が多い場所では屋号を付けて呼ぶことにしたのだ。今回は残念ながら見ることができなかったが、豊臣秀吉から授かった陣羽織が保存されている家「御羽織屋」があったのだ。ネットより野鳥の鳴き声だけが聞こえる静かな集落で、江戸時代へタイムスリップしたようだ。ここから、東海道は山登りの道になるので馬や徒歩でしか行けない坂道が続く。ここを参勤交代の行列が通ったと想像しながら途中で引き返して来た。分かれ道の車道を行くと、行き止まりになり先程の「明治のトンネル」が出現する駐車場に出る。道中活躍した馬のための馬頭観音。
2023/10/13
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●ショートトリップ(明治のトンネル)今日のショートトリップは車で静岡市方面に行ってきた。丸子宿の丁子屋で食事をしてから、次の岡部に行く途中に山越えの峠があるので行ってみる。ここに有名な「明治のトンネル」があるというので行くことにした。昭和にできた国道1号線のトンネルで岡部方面に抜けて、戻ってくるコースにした。新トンネルの脇にある細い道を戻ってゆくと、旧東海道の標識があり、明治天皇も立ち寄られた碑がある。明治天皇は馬に乗って超えたようだ。右に行くと山道越えとなる。この地区のトンネルが面白いのは、作られた年代で山道、明治、大正、昭和、平成と5代に渡って作られたルートが今でも存在することだ。トンネルの入り口付近は土砂崩れ防止の石垣が積んである。道は石畳のため歩きやすかった。このトンネルは、明治9年の建設時は両方から掘ったため間違えて(く)の字になったり木造枠だった。カンテラからの出火により木枠に燃え移り火災が発生したため、明治37年にイギリス式のレンガ造りに改修され2代目となった。現在は、車の通行はできないので電球の明かりを頼りに歩いて往復した。一説には心霊スポットでもあるという。どこのトンネルも少し気味悪い雰囲気があるので何故か早足になる。火災での改修後は、トンネル内も真っ直ぐにしレンガ積みとしたため狭くなり道幅は4m、全長203m.高さ3.9mとなった。当時は日本初の有料トンネルで、通行料は大人2厘で後に値上げして6厘(150円~200円)だった。反対側から二人組がやってきた。1889年に静岡~浜松間に鉄道が開通するまでは重宝された。千と千尋の神隠しに登場するトンネルのモデルともいわれ、神々の世界に迷い込んでしまうような入り口となっている。あの二人組のカップルが歩いて来たはずだが、車はあるが帰りに出逢うことは無かった・・・どこへ行ったのだろう?反対側の出口には東屋とトイレ、駐車場がある。何だろう?と思って寄ってみると水道施設でした。土木遺産に指定されている。反対側の入り口。この峠を越えるため、山道の他に明治のトンネル、大正のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルが並行に作られている。隣には車が通行できる大正トンネルがあるので、帰り道とした。現在使われている4代目昭和のトンネル(左)と5代目平成トンネル(右)ちなみに、伊豆の「旧天城トンネル」は1905年(明治38年)の開通だ。続く・・・
2023/10/12
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●ショートトリップ(丸子宿・丁子屋2)今日のショートトリップは車で静岡市方面に行ってきた。食事をしたのは「とろろ汁の丁子屋」で、部屋の上部にはオーナーが収集したという歌川広重の版画絵が飾ってある。日本橋から京都までの五十三次の絵があり20番目が「鞠子宿」となっている。 岡本太郎さんなど有名人がたくさん訪れている。卵とあさりで作った大作です。入り口付近は古民家の雰囲気を保ち、囲炉裏や旅行の時に使った「はさみ箱」らしいものが飾ってある。資料館には、東海道中膝栗毛で「弥二さん喜多さん道中記」を書いた「十篇者一句」の像と持っていた弁当箱などが展示されている。後にこれを先に読んでおけばよかったと後悔した。店の前には十篇者一句がとろろ汁を注文しようとしたが、店の夫婦が喧嘩を初めたため食べ損ねて腹ペコで峠を超えた時の句が書いてある。これは駿府城を築くときの築城石だ。土日などの混雑時には長い列が出きるようだが、最近はホームページで待ち時間が確認できるようになった。また、現在は自然薯が不作のため、お土産用は販売休止となっているさあ、ご飯も食べたので峠越えに向かいます。お店情報名物とろろ汁 丁子屋静岡市駿河区丸子7-10-10営業時間:平日11時から14時土休日11時から15時、16:30~19:00定休日:木曜日(月末のみ水曜日)☎️054-258-1066 続く・・・
2023/10/11
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●ショートトリップ(丸子宿・丁子屋1)今日のショートトリップは車で静岡市方面に行くことにした。しかし、深夜からの大雨で伊豆急行線の電車が運転見合わせになるほどだった。小雨になったので10時頃に出発し、旧東海道の「丸子宿(まりこじゅく)」を目指す。東名高速は大変空いていて、国道1号線バイパスの出口近くの目的の店にランチの時間に到着した。由比海岸で一休み、向こう側が伊豆半島。ここ丸子宿(鞠子とも書く)は旧東海道の宿場のあったところで、当時から営業していたという「丁子屋(ちょうじや)」の名物とろろ料理を食べることにした。瓦畳の入り口。歌川広重の絵にもある東海道五十三次のもっとも小さい宿場で、茅葺きの屋根の店先には「名物とろろ汁」の看板が書かれている。427年前の1596年(慶長元年)に創業したとされる由緒ある場所に、1970年に築350年の古民家を移築し、当時の様子を保ち「国登録有形文化財」に指定されている。名物の「とろろ汁」は、この先岡部方面に抜ける難所である「宇津ノ谷峠」を越えるのに、精をつけてもらおうと自然薯が採れる時期に旅人にふるまったのが始まりだそうだ。当時この付近の家の数は211軒で旅籠は24軒あり、とろろ汁店も多数あったようだ。数寄屋造りの店内に入ると、畳敷きの大広間にはテーブル席が設けられ、手際よく案内される。メニューは、静岡県産の自然薯に自家製の白味噌、かつおダシを使った味噌汁を加えた「とろろ膳」が主で、1,630円から5,000円のご膳定食と自然薯やむかごの唐揚げ、たたみイワシ、黒はんぺんなどの一品料理もある。定食膳は、おひつに入った麦ご飯ととろろ汁、味噌汁、漬物が付くシンプルなもの。食べ方は、「ご飯にとろろ汁を掛けて掻き込み食いをする」とレクチャーしてくれる。今日は外国人は見当たらなかったが、とろろ汁はどんな印象なのだろう。続く・・・
2023/10/10
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●JR相模線海老名からの帰りルートは相模線経由にしてみた。神奈川県の茅ヶ崎から橋本を経由して八王子までの18駅33.3kmを運転しているのがJR相模線だ。開業は1921年(大正10年)と古く相鉄の前進が砂利運搬を目的に開業し、後に戦時工場への輸送ルートとして国鉄となった沿線沿いに親戚がいるので昔から見ているのだが車で来るので列車に乗るのは久し振りだ。つい最近までは無電化でディーゼルカーが走っていたような気がするが。 1991年(平成2年)に全線電化され205系などが使われていたが、最近になり新車のE131系が投入された。この車両は、ワンマン運転なので車体側面上部のカメラにより運転席でホームの様子が確認できる。ドアの開閉も半自動になっているので利用客がボタンを押すことになる。相模線は単線でほとんど無人駅となっているが利用客は多そうだ。列車交換駅では数分の停車時間があるが、以前よりは運転速度も上がったのか快適に走っている。茅ケ崎駅で東海道線に乗り換えたのだが、ホームが大変混雑している。東京方面から列車が到着する度にどーと降りてきて階段へ向かっている。野球のユニホームのようなのを着ているけど、良く見るとTIGASAKIライブ」と書いてある。そうだ今日は茅ヶ崎で久しぶりの「サザンオールスターズ」の野外ライブのある日だったのだ。次に到着したのはE257系5000番代を使用した茅ヶ崎までの臨時特急「えぼし」だった。降りた客がヘッドマークでもあるのかと思って先頭車に写真を撮りにくる。発車メロディーがサザンオールスターズの「希望の轍」なのでなおさら気分を盛り上げてくれる。10年ぶりに4日間で7万人を集めるコンサートだ。11000円だがチケットが取れたら行きたかった。
2023/10/09
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●相模鉄道神奈川県の横浜から海老名間を走るのが「相模鉄道」で、前後が行き止まり線となっているのでどの他路線とも乗入れしていなく目立たない存在だった。これは相鉄のオリジナル車両。しかし、最近は話題が途切れないほどの躍進ぶりだ。これまでは地味だった車両の塗装を「マリンブルー」という紺色に塗り替え、新型車も導入している。それには、昨年に中間の西谷駅から分岐して開通した新横浜線経由でJR線と相互乗入れが開始され、今年からは東急線にも乗入れとなったからだ。開通ブームが落ち着いてきたので、海老名に来たついでに2駅ほど乗車してみた。かしわ台の車庫には12000系や20000系が休んでいる。行き交う電車を見ていると、相鉄の車両の他にJRの233系や東急5000系が運転されている。東急5000系の西高島平行き。相鉄12000系。JR233系。行き先図を見ると海老名から自社線の横浜、東急目黒線を経由して東武東上線川越市、都営三田線西高島平、埼玉高速鉄道浦和美園、JR埼京線を経由して川越行きと5方向に運転しているのが分かる。これは、しっかり行き先を確認して乗らないと面倒なことになりそう。下り電車は海老名折り返しなので、上りは直ぐにやってくる。故障や事故などがあった場合のことを想像すると司令所は大変だろうなと思ってしまう。これまで陸の孤島だったのが一気に視界が開けたような感じだ。相鉄車は丸いディスクブレーキが特徴。
2023/10/08
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●クラフトの森毎年行われている「クラフトの森」が3日間開催された。朝夕に雨がちらついたが、秋空が戻り約100店のテントがはられ木工細工や手芸、陶器など手作りの作品が展示販売されていた。ススキの葉でバッタを作ってる。今回は事務局の友人からの依頼もあり各店舗の写真撮影をすることになった。レーザープリンターで希望の文字を掘っている。ぶらぶらと眺め歩いていると、中には興味をそそられる作品があり立ち止まって見いってしまう。石の舞台で生け花アート。
2023/10/07
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●どんつく祭り(2)稲取温泉で天下の奇祭と言われる第54回「どんつく祭り」が5年ぶりに行われた。 赤鬼が暴走しないように後ろでしっかりとコントロールしている。次の演目の「馬鹿囃子」が見ものだ。これも全国的にある表現方法だ。太鼓に笛とお囃子の中、ひょっとこ、おかめの面を付けた3人が登場し、言葉は発しないがひょうきんな動きを繰り返す。これは写真よりビデオ向きです。何の説明も無かったが、それとなくストーリーは分かった。手毬を持って遊んでいる女性に男性が近づき、仲良くなりたいのだが、タイプじゃなかったのか女性は無視していると意地悪して蹴鞠を取られてしまった。その後に来た男性も仲良くなりたいようだが女性は「蹴鞠を取り戻してくれたら、、、」のような状況になり、男性同士が戦いが始まる。結局、あとに来て鞠を取り戻してくれた男性と一緒になり子供が授かったというようなことと理解した。おんぶしているが、実際は合体シーンなのだろう。めでたく赤ちゃんが授かったとさ。これは、おもしろい演劇でぜひ継承してもらいたいものだ。 芸子踊りでは稲取町長と姉妹都市の長野県岡谷市の皆さんが参加した。満月でした。たくさんの外国人観光客も見にきていた。一旦は解散した「どん太鼓」も新たに結成され迫力ある太鼓ショーとなった。外国人も神輿を担いでいる。どこから湧いてきたのかと思うほど多くの観客が来ている。最後の花火大会も盛大に行われた。このような祭りは全国にたくさんあるが、それを観光集客に結びつけるのは難しい部分があるようだ。
2023/10/06
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●どんつく祭り(1)稲取温泉で天下の奇祭と言われる第54回「どんつく祭り」が5年ぶりに行われた。この祭りは、二千年とも言われる古い歴史があり、夫婦和合と子孫繁栄、昔赤痢が流行ったころには無病息災を願い小さなご神体を持ち歩き女性に「ドンと突く」ことから「どんつく祭り」となっている。実際に弥生時代の遺跡から「石棒」なるものが近辺から出土したという。伊豆三大奇祭(湯ヶ島妙徳寺の東司まつり・伊東尻つみ祭り)の一つで、昭和41年から観光的行事として始まったのだが、53回目の2018年を最後にその行事は途絶えてしまったのだ。以前は、6月の地元だけの祭りとして素戔嗚神社の祭りと、観光的に芸者など女性が担ぐ「神輿」パレード夏祭りの二回行われていた。また、招福面の手ぬぐいを鼻まで被って踊る「しょうふく面踊り」も2013年ころまで行われていたが少子化などで途絶えてしまった。これにより、最盛期には7000人もの観光客を集めたが、その後は減少気味になってきたこと、もう一つの理由が内容が内容だけに、「性器崇拝祭り」という見出しに対しポスターやチラシで一般に告知することが難しくなってきた。子供達を追いかけるシーンなどもあり、これが昨今のセクハラだとしてマスコミなどに対しクレームがあるなども影響している。確かに昔はひどかったこともあったようで、「おめんさん」という赤と青の面を付けた20才(今は年齢制限はない)になったばかりの男性が泥酔した状態で各家庭の中に土足で上がって小さなご神体で女性の下半身を突く、ホテルの風呂場にも入り込む、逃げ惑う観光客が海に落ちてしまったことや、駅で停車中の列車内に乗り込んだりして驚かされたことなどもあった。本来は、足が不自由ならその部分を突いてもらうなど病気退散の意味もあるので、今でも年配の方は手を合わせながら進んで突いてもらう。祭の会場は、稲取温泉のホテル旅館が建ち並ぶ広い駐車場にステージが組まれ、周囲にはお祭りを盛り上げる屋台が並んでいる。チョコバナナもこんな形。途中には、2基のご神体があり最も大きい新ご神木は「どんつく祭り50周年」を記念して作られた物で、長さ4.2メートル、直径80センチ、総重量2.2トンを誇る。真剣にご神体を拝んでいる。小さいご神体はお神輿用で、通常は岬の上にある「どんつく神社」に奉納されている。19:00になるとステージで神事が行われる。夕闇が迫ってくると祭りが始まる。主催者が「ふざけた祭りじゃないので、、、」と説明している。大きなご神体を担いだお神輿が入り、青面と赤面、神主がそろい全員で礼拝する。これから町内を練り歩く。近隣在住のテレビ、新聞などのマスコミもたくさん来ている。続く・・・
2023/10/05
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●小田急ロマンスカーミュージアム(大ジオラマ)海老名駅のすぐ横の「小田急ロマンスカーミュージアム」に来ている。3階は展望デッキとなっており、下を通る小田急線の電車の時刻表も貼ってある。オリジナルのフレームがあるプリクラ。実物の保存展示車両のコーナーが終わると、本物の7000形ロマンスカーの運転室を使ったトレインシミュレーターがある。15分500円で何時も人気の場所のようだ。3コースあり最後には採点されるようだ。少し薄暗い奥には大きなHOサイズのレイアウトでできたジオラマがあり、10車種のロマンスカーと通勤電車5車種は走っている。小田急の始発駅である新宿から主な沿線の町を通り、箱根の芦ノ湖までが表現されている。これは江の島でしょう。30分で街の一日が表現されている。箱根湯本の駅前には「箱根駅伝」のランナー達が走っている。3分間100円で楽しめる運転体験もある。お帰りには、レストランで食事して電車グッズのお土産を買えば思い出が倍増しそうだ。開館当時は混雑防止のため予約制となっていたが、今日は数組の家族連れがいただけでユックリ見学できた。貴重な鉄道遺産を大事に保存されている小田急さんに感謝して、次のレポート取材に向かった。場所のご案内小田急、相鉄、JR海老名駅のすぐそば毎週火曜日定休10:00~17:00入場料:中学生以上 900円 こども(小学生)400円 幼児(3歳以上)100円
2023/10/04
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●小田急ロマンスカーミュージアム(HiSE・RSE車)海老名駅のすぐ横の「小田急ロマンスカーミュージアム」に来ている。これも最近まで走っていた10000形HiSEと20000形RSEで、全く古い感じはしない。ここから型番が万の位になる。●10000形HiSE10000形HiSEは、1987年(昭和62年)に日本車輌と川崎重工で11両4編成が製造された。小田急60周年記念で登場したこの車両の特徴は、客室を高床化したことだが後にバリアフリーの時代になり次期VSEの登場と共に早めに引退となった。車歴はまだ18年と若かったが、一部の車両は長野電鉄に譲渡され1000系となった。この部分が連接台車の構造です。このような仕組みのため、検査のために切り離すときはクレーンで持ち上げなければならない。この部分から二階の運転室に忍び込む。小田急線からは2012年に引退した。長野電鉄を走る「ゆけむり号」は、4両編成2本で小田急時代の雰囲気を保っている。●20000形RSEこの車両は、小田急とJR東海の御殿場線相互乗入れのために1990年に日本車輌と川崎重工により7両編成2本が製造された。同じくJR東海では371系を製造し相互に乗入れ運転となった。御殿場線のJR東海371系は新宿まで乗り入れた。そのため、連接構造や二階運転席、前面展望室は採用されていない。その代わり、中間にグリーン車にあたる二階建て車両が組み込まれ一階はセミコンパートメントになっている。二階の室内。階段を降りて1階へ。半個室タイプ。基本は特急「あさぎり」だが、団体列車で身延線の富士宮まで足を伸ばしたこともある。1階からはホーム面と同じ高さ。御殿場線を走行中の20000形は沼津まで。小田急からの引退は2012年3月となり、富士急行に譲渡され8000系「フジサン特急」として活躍している。元JR東海371系は8500系「富士山ビュー特急」となっている。同じ御殿場線を走っていた仲間が、現在は富士山麓の反対側である富士急行線で第二の活躍となっている。これでミュージアムの車両紹介は終了です。ロマンスカーって何種類あるのでしょう。現役の車両を含めると10種類もありました。30000形EXE今年で引退となる50000形VSEネットより貫通扉があり地下鉄にも乗り入れる60000形MSE最新型70000形GSE次はどんなロマンスカーが登場するのでしょう。続く・・・
2023/10/03
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●小田急ロマンスカーミュージアム(NSE・LSE車)海老名駅のすぐ横の「小田急ロマンスカーミュージアム」に来ている。貴重なSE車の隣には、これまたロマンスカーの代表格となった3100形NSEロマンスカーと7000形LSE形が展示されているので簡単に説明しまよう。これがロマンスカーだと言えるような最高の並びです。●3100形NSE3100形NSEは、1963年日本車輛と川崎車輛によって連接車11両編成を7本製造された。2000年に引退した。特徴は、初めて運転席を2階にして前面を展望室にしたことや、空気羽の採用で乗り心地が良くなったこと、中間に「走る喫茶室」や「ピポパポー」というミュージックホーンが付けられた。同じような二階に運転室がある名鉄の「パノラマカー」は外階段を使うのだが、小田急は運転士交代が無いため車内の展望室よりハシゴで登る方法とした。相当狭いらしい。時々利用するたびに紅茶のシートサービスを利用したものだった。●7000形LSE7000形LSEは、1980年日本車輛と川崎車輛によって連接車11両編成を4本製造された。2018年に引退した。前にデビューしたNSEが点検に入る時期になるので、後継車として登場した。全面が丸みを帯びて流線型となり、前面愛称版が付け替え看板から自動幕式となった。また、これまでのロマンスカーの出入口はアテンダントによる手動ドアであったが自動ドアとなった。1982年には、連接台車の研究のために国鉄に貸出され大船~熱海間で試験運転された。有料だが、後ろの壁面のカメラで撮影したものがスマホに送られる。これがカメラです続く・・・
2023/10/02
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●小田急ロマンスカーミュージアム(SE車)海老名駅のすぐ横の「小田急ロマンスカーミュージアム」に来ている。次のフロアに並んでいるのは現代版の小田急ロマンスカー達だ。これはいい感じだ。ここからも、ちょっとマニアックな内容となります。特筆するのはこの3000系SE車で、日本の鉄道高速化に大きな貢献をした車両である。このSE車は狭軌スピード世界記録を樹立した凄い車両なのだ。1957年(昭和32年)に日本車輛と川崎車輛で8両編成4本の32両が製造された。これが特急用ロマンスカーの始まりで、将来の新幹線開発のため当時の国鉄研究所で航空技術を鉄道に応用し超高速車両の研究が行われていたのを小田急が着目した。スペインの連接車「タルゴ」を参考にして先頭形状を流線型に車体を軽量化し新宿ー小田原を60分で走る車両を先発登場したのだ。車体構造は連接車で、通常は1両に前後2組の台車があるのだが、連接車は1台の台車で2両の両端を支える仕組みとなっている。この連結面に下に台車だ付いているので容易に切り離すことはできない。1車両の長さも、通常は1両20mほどあるがこの車両は15.9mと短くなっている。その後、国鉄が車両を借り受け東海道線で高速試運転をし、当時の狭軌(線路幅1067㎜)鉄道では世界最高速度143㎞/hを記録した。また、鉄道友の会がこの年から創設した「ブルーリボン賞」の第1回受賞車となった。その後も歴代のロマンスカーが受賞している。運用は、箱根特急としての他に1968年に電化された「御殿場線」に5両に短縮して直通乗り入れとなった。最後の時期には何度か御殿場線に撮影に行ったものだ。小田急線内を走るSE。御殿場駅のSE.次期ロマンスカーが登場したので、1編成を大井川鐡道に引き取られると一部の編成を除いて廃車解体された。ここにある3両は解体を免れ現在に至っている。今年の8月には、日本機械学会による「機械遺産」に認定された大変貴重な車両である。続く・・・
2023/10/01
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