ねこまんまねこの日記

ねこまんまねこの日記

PR

Profile

ねこまんまねこ

ねこまんまねこ

Favorite Blog

野菜・カレー・アイ… New! nana's7さん

「天地人」と「松竹… New! 酒そば本舗店長さん

「エチオピア・ウマ… New! 丁寧な暮らしさかもとこーひーさん

週末セール情報1123… New! shuz1127さん

Minakami Onsen Tour… Marketplaceさん

Keyword Search

▼キーワード検索

2018年06月28日
XML
カテゴリ: 絵画・拓本・収集











この墓誌は西安碑林の近くで600元で買ったもの。1元17円だから日本円で約1万円だが、日本の1万円は西安の物価水準では西安の体感値2〜3万円に相当する。
蓋は付属してないが美しい文字で彫られている。
この墓誌は太宗(李世民)治世下の643年に作成された。
関西大学の論文「突厥有力者と李世民唐太宗期の突厥羈縻支配について」によれば、「この人物は近年墓誌拓本が公表されたことでにわかに注目が高まった。」とある。
論文には、墓誌自体は西安市長安区から出土したが現在は洛陽の個人が所蔵している、と書かれている。
個人で所有している方が、知り合いに何枚か何十枚か採拓の許可を与えたのだろうか。その中の1枚がこれだろうか。
史善應(しぜんおう)は北方騎馬民族「突厥」出身の有力者だったようだ。もとの姓は阿史那氏で、祖父は第六代の沙鉢略可汗であり、父は隋に従い、史善應も史姓を与えられたものという。唐建国後まもない620年に李世民に従って「東夏」討伐に出向きこれを撃破、平定した。「東夏」は洛州を拠点とした群雄、竇建徳の集団で最大10万の軍勢を誇ったといわれているらしい。638(貞観十二)年には左衛将軍に就任し北撫州の都督に任命されており、この墓誌の下りは編纂史料の記述と合致しているそうだ。その後、史善應は642(貞観十六)年に死去している。史善應の子、史崇禮の墓誌も発見されているが、彼が都督に就任した形跡はないらしい。う~ん、歴史に名を馳せた凄すぎる英雄である。

ひとりで西安に行き必死で拓本を探して持ち帰り、その中に初唐の治世に尽力した突厥人の正に生々しい歴史が刻まれていた。この壮大な歴史ロマン! 君たちに分かるかな?
まっ、





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018年07月05日 00時50分25秒
コメントを書く
[絵画・拓本・収集] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: