ねこまんまねこの日記

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2018年07月02日
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カテゴリ: 絵画・拓本・収集
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高力士の本名は馮元一と言い、五胡十六時代において短期間だけ存在した北燕の王族馮氏の血を引いているという。

馮一族は唐の時代に入ってその勢力を強めており、祖父である馮盎の時代には潘州(現在の広東省)の長官を務めるまでになっていたが、父である馮君衡が罪を犯し一族は財産没収、戸籍はく奪という厳しい処分に下され、一族は離散、高力士は幼くして家を失い、奴隷商人に捕まって去勢されて売り飛ばされたようである。

高力士が15歳になったころ、広東省で小さな反乱があり、これを李千里という将軍が鎮圧する。その際に則天武后に対しての手土産として高力士を選び長安に送ったという。

則天武后に仕えた高力士は宦官である高延福という人物の養子になったらしく、馮元一から高力士へと名を変えた。

この間どのような経緯があったかは不明だが、高力士は則天武后の孫である李隆基に仕えるようになり、彼はやがて皇太子に、そして玄宗皇帝として即位した。

玄宗皇帝の側には常に高力士がいて、細かいことは高力士が決めていたという。

その墓誌拓本が自宅にあるということはやはり歴史ロマンだと思うのである。 ​​

墓誌銘は「勅撰」となっている。皇帝が指示して作らせたという意味ではないか?

張少悌という人が書丹している。この人は、涼国夫人王氏墓誌銘も勅撰で書丹している。





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Last updated  2022年03月16日 11時40分46秒
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