ねこまんまねこの日記

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April 6, 2022
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テーマ: 東欧への旅(32)
カテゴリ: 海外旅行





ブダペストからルーマニア行の夜行列車に乗り込んだのは1990年2月15日だった。これよりほんの2か月前、ルーマニアでは革命が興り、1989年12/25に絶対的独裁者として君臨していたチャウシェスク夫妻が銃殺刑になっている。
そんな場所に行って大丈夫なのかという不安もあったが、それより好奇心が10倍勝っていた。

我々はブダペスト駅でこの夜行列車の指定席を買っていたが、自由席の車輌は凄まじい混雑で阿鼻叫喚、荷物の置き場も無い戦争状態になっていた。あー指定席買って良かった~!と思い、指定のコンパートメント(当時ヨーロッパの列車は車輌の片側が通路になっており、3人が向かい合わせの6人個室が通路に向けて並んでいる。通路との間にドアがある。)に行くと、そこは大荷物を抱えたルーマニア人の男性グループに占領されていた。チケットを見せてそこは我々の席だと言ってもニヤニヤしてて全くどかないし、荷物は網棚に満載してある。
こういう時には日本語でブチ切れて喚くしかないと思い「オメーらふざけんなよっとっととどけバカヤロウッ」などと大声で怒鳴ったら年配の男性が「まあまあ」みたいに言ってきて他の男性に網棚の荷物をどけさせて席も空けさせて我々に座れ座れみたいに言っている。
彼らの荷物は食料品や生活雑貨の類い。ワインや酒などだった。
ルーマニア国内は革命の影響で物資が無く困窮を極めているようで、どうやら、彼らはルーマニアからハンガリー又はオーストリアに「商品の買い付け」に行って来た国境を跨ぐ商売人集団のようだった。国境で揉め事になって買いつけてきた商品が没収されるのを極端に恐れていた。
私が怒りを大爆発させたために我々をなだめすかそうといきなりワインを2本開けて「飲め飲め」と私たちに差し出す。商品の缶詰なども開けて我々の機嫌を取ろうとしてくるので、そうですかそれではいただきまっか、と酒と肴を貰ってすっかり機嫌を治したのであった。
通路からコンパートメントの中の荷物をじ~~っと見ながら歩いていくトルコ人が2人居た。ルーマニア商人たちは「あいつらはかっぱらいだから寝てはいけない。寝たら荷物が無くなる。」と言った。寝ては行けないって、あと何時間乗ると思ってんの?確かに彼らはずっと立って何か話したり煙草を吸ったり酒飲んだりしていて、眠りはしなかった。
国境で軍人みたいなのが乗り込んできて検問に来た時には、自分たちの荷物を、この日本人の荷物だ!と言っていた。こんなに山の様な荷物を持ってルーマニアに行く日本人がいるかよ、と思ったが、我々は何も言わずに黙っていてやった。
検問が終わると「お前たちのおかげで検問がスムーズに終わった」とまた酒をくれた。
確かにトルコ人のかっぱらいグループは何度も通路をうろうろし、コンパートメントを除いていたので、我々は寝ない様にしていた。一度うつらうつらしていると、トルコ人が通路とのドアーを開けて個室に入ろうとしたので、ドアーの把手を思い切り蹴っ飛ばしてドアーを閉めてやった。
もうすぐブカレストに到着する時に、トイレに行ったら、商売人の中の若い男が、俺に向かって言い難そうに小声で「チェンジ・マネー?」と言って来た。彼らは大量のドルやシリングを持っている、それは見ていた。いつでも、いくらでも外貨が欲しいのである。一応幾らだか訊いた。オフィシャルレートは1ドル=21レイだが、1ドル=80レイで両替する、お前はフレンドだから90レイで両替してやる。と言い難そうに若者は答えた。フレンズだから両替はやめておこう、と言ったら若者もその方がいいと思ったのか握手して別れた。
ほかにも色んな国の人が乗った今までで最も不思議な列車だった。

他に闇両替を言ってくる人間はいなかったから、この男と交渉するしか無かった。商人の若者が1ドル=90レイなら交換すると言ったのを聞いてるから、1ドル=100レイで交換すると言ってやったら、駄目だと言っていたが、結局は追いかけて来てそのレートで両替した。公定レートの5倍のルーマニア・レイが手に入ってしまった。
ブカレストには2泊した。安ホテルには一階に薄汚いカフェーがあり、朝食が付いていたが、その朝食のパンは固くてとても噛めなかった。パンは何日経ったらこんな鋼鉄の様に硬くなるのだろうと思われた。とてもじゃないが食える物ではなかった。
今と違い、携帯電話なんて無いから情報が無い。
食べ物がどこにも売ってないので、地球の歩き方に出ていた高級ホテル、インターコンチネンタルまでタクシーで行き、ホテルのレストランなら何か食えるだろうと、行ってみた。流石に超高級ホテルには身なりの良い外国人が沢山居て、Gパンの我々は奇異に見えるけど、そんなの関係なくレストランに入って行って、豪華な昼を食べたが、それでも両替した100レイ(140円)で足りた。タクシーはどこまで乗っても1ドル出せば運転手は喜んで乗せてくれた。

中心街で、変なデブオヤジが声掛けてきた。俺はサッカーのナショナルチームに居た時日本に行ったから、日本が大好きだから、ブカレストの観光案内してあげるとか何とか。
明らかに嘘だけど歩くのも面倒だからデブオヤジの車に乗り込んでみた。英語が話せてよく喋るオヤジだが、口が異常に臭かった。処刑されたチャウシェスクが建てていた巨大な宮殿?とか、色んな場所を案内してくれた。
最後中心街で下される時、いよいよ、チップを少しくれないか?と言って来た。どうせそんなこったと思ったけど、確かに案内されたしガソリンも使っただろうと、俺たちは2ドル出した。そしたらオヤジは10ドルくれみたいな事を言った。俺たちは2ドルを引っ込めて5ドル札をシートに置いて急いで車を降りた。オヤジは運転席で何か言ってたが、もう振り返りもしなかった。700円であれだけ走らせれば安い観光タクシーがわりだった。

夜もタクシーでインターコンチネンタルホテルに行って特大の分厚いステーキを食べて、ビールとワインを飲んでもやっぱり100レイしかしなかった。物価はどうなってんの?と思ったし、あんな硬いパンを一生懸命に食べてる市民は悲惨だった。今はルーマニアも裕福になったのだろうか。





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Last updated  April 6, 2022 06:43:53 PM
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