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<日曜礼拝の今日の聖書箇所>「ローマ人への手紙15章1節~13節」 ◎教会 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ ◎説教要約 http://pastor.ti-da.net/ 15-1 Now we that are strong ought to bear the infirmities of the weak, and not to please ourselves. わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。 15-2 Let each one of us please his neighbor for that which is good, unto edifying. わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。 15-3 For Christ also pleased not himself; but, as it is written, The reproaches of them that reproached thee fell upon me. キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりであった。 15-4 For whatsoever things were written aforetime were written for our learning, that through patience and through comfort of the scriptures we might have hope. これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。 15-5 Now the God of patience and of comfort grant you to be of the same mind one with another according to Christ Jesus: どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、 15-6 that with one accord ye may with one mouth glorify the God and Father of our Lord Jesus Christ. こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。 15-7 Wherefore receive ye one another, even as Christ also received you, to the glory of God. こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。 15-8 For I say that Christ hath been made a minister of the circumcision for the truth of God, that he might confirm the promises given unto the fathers, わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、 15-9 and that the Gentiles might glorify God for his mercy; as it is written,Therefore will I give praise unto thee among the Gentiles,And sing unto thy name. 異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。 15-10 And again he saith,Rejoice, ye Gentiles, with his people. また、こう言っている、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。 15-11 And again,Praise the Lord, all ye Gentiles;And let all the peoples praise him. また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。 15-12 And again, Isaiah saith,There shall be the root of Jesse,And he that ariseth to rule over the Gentiles;On him shall the Gentiles hope. またイザヤは言っている、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。 15-13 Now the God of hope fill you with all joy and peace in believing, that ye may abound in hope, in the power of the Holy Spirit. どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。
2011年09月25日
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自然界を見てわかることがあります。止まない雨はないということです。 数日間雨が降り続くような時には、このままこの雨が止まないのではないかと感じることもあります。しかし、間もなく雨はやみ、青空が一面に広がります。 同じように、現実の中につらい出来事や試練がやって来て、このまま苦しい状態が一生続いて解決しないのではないかと感じることもあるだろうと思います。配偶者との離婚や死別、親や親しい人との死別、リストラ、倒産、破産、人間関係のトラブル等々、そのような状況がやって来るかも知れません。しかし、やまない雨がないように、解決しない悲しみや問題や試練はないのです。 もちろん、それがいつになるかはわかりませんが、苦しみには必ず終わりがあり、雨の後には青空が一面に広がるように、解決と喜びの日が必ずやって来るのです。 ゴスペルソングに、♪多くの苦しみ味わったから 同じだけのなぐさめがある♪という曲がありますが、本当だなーと思いますし、大きななぐさめを感じます。長い雨が止んだ後には、最高に気持ちの良い青空が待っているように、今あなたが味わっている長雨のような試練が過ぎ去った後には、最高に素晴らしい青空のような解決となぐさめの日がやって来ます。 しかし、現代の人の一つの特徴に、絶望ということがあるように思います。顔では笑っていますし、人がうらやましがるような生活をしていてもその心の中にしっかりと絶望があります。 セーレン・キルケゴール(S. Kierkegaard 1813~1855)は、「死に至る病は絶望である」と言いました。絶望は最も恐ろしい病の一つです。なぜならば、やまない雨はないのに、絶望は、もうダメだと思わせてしまうからです。そして、未来に対する期待や希望を否定して、お先真っ暗な心の状態にさせてしまいます。 心の中にに絶望があることは事実かも知れません。それは、人間に罪(創造者である神から離れている状態)があるからです。しかし、変わらない真理があります。それは、「わたしは道であり、真理であり、いのちである。」と言われたイエス・キリストが、絶対絶望的な私たちの身代わりに十字架で死んで下さり、三日目によみがえられたことです。 イエス・キリストにこそ、絶対絶望を打ち破って、それを絶対希望に変えてしまう力があります。ここに希望があります。今やまない雨のように、いつまで続くかわからない悲しみや絶望の中に身を置いている人がいましたら、神への信仰という傘を広げて歩んで行きませんか。この雨は間もなくやみますし、神があなたの傘になって下さるので、その苦しみの中にあっても耐えられる力が与えられるはずです。 God bless you!
2011年09月18日
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