「禿 禺儒」 の 徒然
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本日は秋彼岸の中日と云われる日。一日二十四時間として、今日は昼夜会い半ばする日とされ、仏教の中道・箜篌・vinaaの喩(弦を強くも弱くも張らないとき、音色よく弾くことができる)の思想に当てはめ、この日を彼岸(paara。 此岸・apaara)としたよう。彼岸(paara。)とは般若心経にある、智慧の完成(pannaparamitaa)した心境を云う筈であり、それは此岸・apaaraに云う、個々の存在を分別視する意識の向こう岸、全ての存在は宇宙エネルギーの顕現として同じ存在であると認識する心境に達した向こう岸。それをして彼岸(paara)と云う筈である。仏教の開祖、釈迦族シッダールタ(Siddhaartha。儀・善をしたとの意)王子は、明けの明星を視認したとされる時、宇宙とその顕現の自己の一体を自覚し、亦、室戸の洞窟で海から上る朝日に自己を観たという、空海また同じ経験に在る。仏教は仏陀(buddha。 目覚めた人)の意識に導く教えにして、内観に云う、自らの存在を問う宗教にして、何ら自己意外の何かにすがり委ねる教導では無い。自己の外に何かを求める、それをして所謂「外道(tirthika)」とるはず。つまり外に救いを求める、自己の外に何か尊いものが有るとかと追い求める者。「生命在ってのものだね」。先ずこの生命に代表される宇宙エネルギーの顕現存在を大切にせずして、「何の己が花見かな」。
2015.09.23
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