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山に筍を掘りに行きました。昨年より機があっていたのか、あることあること。何事もそうなのですが、筍を掘るときは、大胆さと緻密さを想う。作業が大胆過ぎて雑になると、筍を途中でかいてしまいますし、かといって緻密過ぎると、いっこうに作業が捗りません。攻めと守り、というか、義と仁、というか。そのあたりのバランスを絶妙にするのが、筍はもちろん、周りを感じる、ということなのでしょう。…などと考えて、自分の世界に入ってしまうと、感じる、は途端に失われ、筍が無残に傷つきます。筍はたくさんあるのですが、途中で損ねた瞬間の、やっちまった感(?)は何とも言えません。筍の他の山菜もようけ摘むことができました。ワラビ、ゼンマイはもちろん、フキ、ヤブレガサ、谷川ではクレソン。山の恵みに感謝。知っていれば、もっといろいろあったのでしょうが、まだまだ山菜のことは勉強中。そういえば、去年まで山に入れなかった娘も、今年は一緒に入りました。筍よろしく、成長が早い。たくましく育っています。
2013.04.29
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わが家にお金が貯まらんのはもちろんのことではあるのだが、何が溜まらんって、金ならぬ金肥。金肥とは、先に書いた下肥のことである。月日は経てど、息子のかわいいブツだけでは、なかなか溜まらんのである。夏を間近に控え、焦る。そこで、いたしかたなく、家族みんなのブツを徴収することに計画変更。わが家は水洗トイレであるから、息子用のおまるを使い、それを肥溜めバケツに運ぶ。自分がおまるを使用するのは何十年ぶりのこと。そして、おまるが小さすぎるので完全に座り込むと、その深さの心もとなさゆえ、ブツが切れない。つかえてしまうのだ。糞切りが悪い、とはかくなるかな(本当は、踏ん切り、だが)。それにしても、息子のブツはかわいいものだが、自分のブツは決してかわいくない(向かい合う機会をもてたのはありがたいことだが)。そしてまた、嫁のブツも残念ながら、かわいくはない。…かくして、肥溜めは更に凶悪さを増した感あり。気温があがったせいか、はたまた気分的なものなのか、震えがくるほど香っている。量の溜まらん、が、質の堪らん、へと変わった…。
2013.04.26
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先日誕生日を迎えた。 方々からの「おめでとう」に感謝。 おかげさまで生きながらえております。 誕生日に、なぜか知らんが、嫁がいちご大福を作った(いちごは娘が作ったケーキの余り)。 なぜか知らんが、おっぱいに似ている。 ちなみにいちごの先端が乳頭。 食す際、いちごの甘酸っぱさに照れが同居する、この複雑な感覚はいったい...。
2013.04.26
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先の日記で少し触れたが、息子(一歳十ヶ月)のブツを集め、下肥作りに挑戦している。試作ということで、小さな蓋付バケツを用意。中身を見せたいのは山々だが、気分を害されると気の毒なので自粛。それにしても、糞が発酵していく過程のにおいは強烈だ。目に沁みる臭さ。不覚にも吐き気をもよおした。クサヤやドリアンなど、様々な臭いものに挑戦してきたが、今回が間違いなく最凶?と言える。汲み取り業者の人に改めて敬礼。
2013.04.19
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今年初馬刀(まて)貝掘り。晴れてはいたが風が強い日でけっこう寒い。こんな日に我ながら物好きだとも思ったが、行ける時にいかないと、機を失う。田畑に、海に、山に。機をとらえることも教わっている。機、季、気…通ずるところがある。風吹きすさぶ中、半べそでついてきた子どもたちであったが、貝が出始めると狂喜乱舞。穴がようけあるポイントを見つけ、塩を振り掛けると、一斉にマテ貝が飛び出してくる。大人も子どもも夢中になる。持ってきた塩が無くなるまで、ノンストップで掘り続ける。あっという間だ。今回は娘もタイミングよく貝を採れて上機嫌。マテ貝のシーズンは5月頃まで。潮をかんがみるに、あと2回ぐらい行けるだろうか。
2013.04.14
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田の貸主さんの物置よりワラキリ?を発掘。えんどうの支柱などに使って余った昨年の稲わら。縄ないなどができず、思ったよりたくさん残りました。それをこの度細かく刻んで田に還しました。ワラキリが発掘されるまでは、鎌で切っていましたので、この度作業が一息に捗りました。農具の発達、その裏にある先人の知恵に敬服と感謝。田や畑で生じたものは、できるだけまたもとの土地に還す。稲わらのみならず、野菜の残飯もまた然りです。もとは米や野菜である私どもの排泄物を戻す、すなわち下肥を使えばもう一つ良い。しかしながら、まだ、その境地には至りません(試験的に息子のブツの利用を始めました)。土地から搾取するばかりではいかんやろ、という想いがあります。かといって、外から持ち込んだ肥料をぶちまけたりするのも違う気がする。それはてめぇの都合を土地に押し付けるだけですから。このあたり、人間関係も同じかと。添う、という在り方。天地人通じて、それを探求しています。わらを切って細かくすれば、それだけ分解が速くなります。米や野菜をいただいて、得たエネルギーを、からだを使うことを通し、また田の循環に役立てる。自分も循環の一部であること。それが、農を営むうえで、また、生きていくうえで基本にあるのでしょう。(蓮華でいっぱいの田んぼです)
2013.04.10
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友人の披露宴に出席するべく訪れた南国土佐。アップが遅れること一週間になります。南国らしく暖か、一週間前に桜は散りかけており、桜吹雪が迎えてくれました。土佐は第二の故郷、その足跡を子どもとともに巡り、何とも懐かしい心持ちに。桂浜では竜馬像を拝み、竜馬の歳を越えて、しょぼ過ぎる自分に喝。竜馬の眺める太平洋はどこまでも広くて。久しぶりに、今を活躍している友人たちと会い、またまた喝。何かと励みになった土佐路でした。 それにしても、子どもたちは車での長旅をよく乗り切ってくれました。無事に帰って来られてよかった、よかった。
2013.04.07
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