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舟木一夫と聞いて、多くの人はどんな人と想像するのだろうか?一般的には「高校三年生」とかで有名な青春歌謡の人だし、近年では時代劇俳優としても再評価されてもいるから若い世代だとそちらのほうが馴染みがあるのかもしれない。あるいは人気絶頂から急降下した昭和40年代は三度も自殺未遂してるから、そちらのイメージで取る人もまたいるだろう。んでもってこのアルバムである。舟木一夫はただの歌い手ではなく、実はシンガーソングライター(作詞作曲者名は本名の上田成幸と記載)でもあったー!という知る人ぞ知る証拠こそがこのアルバム「WHITE」である。これが出た昭和50年代後半は、かつての自殺未遂騒動から抜け出してマスメディアへの露出がもっとも少なかったであろう時期だが、そんな芸能活動を試行錯誤の中でこんなのを出してたってわけだ。ちなみにこのアルバムの3曲目の「ROCK'N ROLLふるさと」は、当時地元の深夜ラジオの一コーナーで大ブームを巻き起こしてたことがあって、ワタシも何度も聴かされてたんだが、、今こうして聴いてみてもやはり歌詞がすごい。♪「俺のふるさと愛知県、一宮からのりかえて、単線電車で12・3分、その名も萩原町/駅の正面右折して、徒歩で六分つきあたり、これこそオギャアとこのオレ様がお産まれになった長屋」ほかにも♪「ヒバリのラブシーン、ピィロロピィロロピィロロ、ピィロロ~」とか、そんな歌詞を年甲斐もなく(おいおいーー;)あの低い声でロックンロールのリズムに乗って歌ってる舟木一夫がなんとも痛まし・・もとい素晴らしいんであります!(おいおいーー;)この生歌はワタシも聴いたことがないが、実はウチの母(舟木一夫の大ファン)が近所の温泉ショーで氏のステージを見た際、高校三年生とか往年の大ヒット曲に交えて、なんと!この歌も歌ってたらしい(驚)母曰く「なんだかヘン」とのこと(汗)。惜しむのはこのアルバムが出てしばらく後の90年代以降は、懐かしの歌を集めた歌謡番組や時代劇、お芝居などで再度脚光を浴びることになったので、舟木一夫が実はシンガーソングライターとして自作でロックも歌ってた事実がまったく知られてないってことである。よってここで紹介してみたくなった次第です。
Jan 13, 2007
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久し振りに紹介する近年の作品である。タイトルに釣られてつい買ってしまったんだが、この「肉」という人達のことはあまり知らない。彼らのHPを調べたところ、「三重県鳥羽市で結成した史上最低(こういうジャンルでは「最低」という言葉はいい意味に使われることがフツーである)のハードロックバンド」とのことで、インディーズシーンでは結構人気があるらしい。彼らのライブではこれまた「最低芸人」が売りの(?)江頭2:50とのジョイントも行ったこともあるらしい。このCDを聴く限り、彼らの演奏能力自体は決して低くない。そして江頭はといえば実際の演技力こそ極めて高いものの、フルチン姿とかモーホ芸、障害者芸etc.いかにも「最低」を思わせる芸風を売りにしてる人だったりもする。確かにこれ以上のコラボレーションもないだろう、、と。このCDを買った時、他にもあった彼らのアルバムの帯には「上を見ていりゃきりがないが一番下には肉がいる」というフレーズがあった。江頭にせよこの肉にせよ、自分がわかった上で「最低ぶり」を芸風にしてるってことは想像出来るんだが、なるほど初めから「自分たちは最低です」と言ってしまえば、いかにもわかったフリな論調で実際の実力を語られる危険性はないのだから、精神上楽ではあると思う。「わかってくれる人達にだけわかってもらえたら、あとはバカにされたってエエ」という芸風には特に支持もしなけりゃ否定もしないが、たいていに於いて、現実的にそういう芸風を理解してくれる心温かい人達というのはそんなにいるもんじゃないし、より万人が理解出来うる部分で最低をアピールしつつも「本当は実力者」であることもきちんとアピール出来てないと、そう生きていくのは簡単ではないようにも思う。ちなみにタイトルの「うんこ」という曲なんだが、、確かに下品ではある。が、その割にウケ狙い以上のモノとして伝わってこなかったのは残念だった。もちろんライブで聴いたらその印象も変わるとは思うのだが、、、「ミュージシャン版江頭」以上のインパクトがあって欲しいとは願うところである。
May 22, 2006
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かつて芸能人とりわけアイドルにスキャンダルは御法度、と言われた時代があった。ちょっとでもスキャンダルになろうもんなら、その時点で本人の人気は終わりだというもの。そもそも冷静に思えば基本的にアイドルというのは容姿がいいし、ファンの前ではいつも愛想を振舞っている人達だ。彼らの中にも、たまに本業の歌手、あるいは女優や俳優として通用し得る実力を持った人もいるにはいるが、基本的にアイドルというのは本業そのもの以上にまず「バーチャルな恋人」としての部分、「オレの、ワタシの・・」とファンに思わせることこそが彼らにとって一番の商売でもある。あれだけ人気があったにも関わらずスキャンダルで急激に人気を落とした代表格といわれるのが、かの天知真理であり、そしてこの畑中葉子である。かつて平尾昌晃とのデュオで人気を得て、それから結婚離婚を経て日活ロマンポルノデビューという図式が世間の多くから「転落人生」のように映ってしまったことこそ悲劇(?)のような気がする。この曲「後ろから前から」は本人主演の映画としても大ヒットをしてるし、映画を見たことがない人ですら、この歌の♪「うしろからまえからどうぞ」を知る人は多い。天知真理にせよこの畑中葉子にせよ、もし今の時代のように世間の多くがアイドルに幻想を抱かない感性を持ち得る時代に売れていたのなら、果たして「悲惨、転落」のような見られ方をされてたのだろうか。近年の華原朋美がかつてほどでないとはいえ、今でもちゃんとそれなりにメジャーで歌手活動をしているのを思うと、自分も含めてんなかつての庶民が抱いてた「芸能人への忌まわしすぎるほどの依存」に、良くも悪くも当時ならではの時代背景を覚えてしまうのだが、、そんな昭和芸能のアイテムとして、この歌は「カナダからの手紙」と同じぐらい重要な位置を占めているとは思う。例え今の彼女がこんな芸能界での激動の時代をを否定したく思うにせよ。。。
May 20, 2006
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さて鶴光である。ちなみにこの人の本業は古典落語家だ。なのに鶴光といえば、落語家というよりラジオパーソナリティ、そして昔も今もずっと「エロの鶴光」である。実際下ネタを多用するタレントは他にもいくらでもいるが、こんなに何十年もの間ずっと「エロ」という固定観念の元で、パーソナリティをやって来れたのも意味偉大である。ANNサンスペ時代の名トーク「かぶせはつけてますか?乳頭の色は?注射の経験は?」「ええかええんかー」は、リアルタイムで鶴光のANNを知らない世代にも広く知られている。ちなみに「かぶせ」とはブラジャー、注射とはSEXのことである。他にもこの放送でよく多用してた「てめこ(オナニー)」「ほんめこ(SEX)」はリスナーだけでなくやがては一般的にも広がっていった言葉だ。にしてもラジオという想像に頼る世界で「乳頭の色は?」というのが実にイイ。なるほどただおっぱいの形だけではダメだと思う。ブラを付けてるかどうか、乳頭の色までを想像させないとラジオの世界でのエロトークは成立しない。確かにリスナーに妄想を抱かせ尚且つ威張るわけでもなしに「ワイはエロや変態や」とする姿勢に、エロトークの名人ぶりを思うのである。この歌はそんなエロ爆裂の鶴光が出した大ヒット曲。この歌を聴いた多くの中高生にとって「ストリップ劇場」は未知の世界、だからこそそれに妄想を抱くんだが、、いざ大人になって実際ストリップ劇場に行って見ると不思議にあっけない空間だったこと、それは子供の頃あんなにSEXに妄想を抱いてたのが、いざ経験してみればあっけなく思うのもそうだが、現実とは妄想ほどドラマチックでも感動するわけでもないけど、でも後になって思い出すとまた「感動?!」してしまうのである。とにもかくもエロとは妄想である。いまでも放送で流れる鶴光のトークを聴いていると「エロよ、永遠なれ!」と力強く思えてくるのである・・・!
Apr 21, 2006
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佐々木つとむ、と言ってももう御存知ない方も多いのかもしれない。かつて声帯模写という芸で一世を風靡したものの、晩年は借金まみれの私生活から、ついには愛人に刺殺された壮絶な方である。このレコードは、鶴田浩二、渥美清などが麻雀をしてる光景を、自身の声帯模写で繰り広げる正に本領発揮の逸品である。歌の最後でこれまた彼の得意な田中角栄の声帯模写で「あのー、麻雀は国民のゲームです 博打と考えちゃいけません」と語ってるんだが、、、彼にとって麻雀はゲームだったのだろうか、それとも博打だったのだろうか、、、晩年は仕事に恵まれず、かつ博打で作った多額の借金まみれの中、それでも博打をやめることが出来ずついには借金相手の愛人から刺殺されてしまう佐々木つとむにとって、麻雀とは何だったのだろう・・・と。早いもんで事件からもう20年近い年月が流れようとしている。佐々木つとむの名前、そして声帯模写という芸が世間から忘れ去られようとしてる中で、このレコードは彼の生き様が伝わってくるように聴こえてならない、、
Mar 21, 2006
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時は1983年、、、伊武雅刀の「子供達を責めないで」が大流行していた。「子供が嫌いだ、子供は大嫌いだ」のそれである。あまりの子供に対する風刺の鋭さに世の大人は大爆笑、そして当時高校生だったワタシはワタシで、そこで採り上げられてる子供というのが小学生ぐらいと察したせいか、同じく大爆笑してたことを思い出す。。。この歌が流行ってた頃、当時の深夜放送ではその「○○が嫌いだ」なテーマで投稿するのが大流行してた。自分が覚えてるだけでも「女子大生が嫌いだ」(これが一番多かった)をはじめ、「高校野球が嫌いだ」「親父が嫌いだ」「女の子が嫌いだ」などありとあらゆる世の「嫌い」をネタとして採り上げてたのである。さて、そんな中で出てきたのが、大人に対抗するべく子供の視点から見た「大人達を責めないで」である。♪「大人はいろんなことを教えてくれます、タバコの投げ捨て方、ヨッパライ方、電車の席の取り方、夫婦ゲンカのやり方、厚化粧の仕方、ゴマのすり方、ウソ、悪口、カゲ口、お世辞、ウワサ話のひろげ方、開き直り、」・・・etc.etc.という具合に。BGMをバックに語り口調でしゃべる歌詞もまんま「子供達~」の二番煎じだが、、大いに残念なのは歌詞カードで読む分には確かに面白いのに、いざレコードで聴くとあまり笑えないところである。。コミックソングは歌詞カードを読む以上に、まず歌として聴いて面白くないとマズイ。この阿陀夢ひろしという人のことはこの歌以外でまったく知らないが、にしても不自然な子供声といい、電子楽器を使ったとされる小林信一作のメロディ&アレンジといい、とにかくしっくり来ないのである。「子供達~」に対抗すべく作品というには、荷が重すぎたのだろう、ほとんど売れなかった。いや、売れないどころかこの歌が世に出たことさえ知らない人のほうがもっと多そうだ。ともあれ子供より大人のほうが人をこき下ろす才能も一枚上手だと痛感させられる、とは当時高校生だったワタシの感想です。
Mar 20, 2006
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ワタシが思うイイ女・・・、カッコ良くてケンカも強くて根が優しくてそれでいて可愛いくて美人、、、そう考えて思い浮かべると、この志穂美悦子はその全てを兼ね備えている超いいオンナのような気がする・・・。さすが梶原一騎が惚れただけのことはある。今では長渕夫人でもある。やはりイイ女はケンカ強くないと落とせないとゆーのか、、、?!ガキの頃「空手バカ一代」の芦原英幸に憧れてたワタシはつくづく「早いうちに身体鍛えておけば良かったー」とは後悔してしまうんであるが、極真空手が持ってる恐怖のオーラに「自分は見るだけにしておこう・・・」という逃げ腰な心理が勝ってしまうのは昔も今も同じでは、ある。さて、そんな志穂美悦子が出したシングルがこれである、、、♪「幸せ と人はやたらに欲しがるけれど、ひなたぼっこは真っ平さ、わたしにゃ嵐が性に合う」「押さえられたら血が燃える、ひっぱたかれたら蹴とばすまでよ」・・・おおっ!なんて重厚なんだーー!これぞいいオンナの真頂点、さすが梶原一騎が・・・(自主規制!)しただけのことはある。あんなに可愛い子が、ど根性な歌詞をサマにならないながら熱唱するのも、相当萌えな想いになるから、やはり志穂美悦子はイイ女であった。さすが凶暴そうなシンガーが惚れるのも頷けるわけである。
Mar 19, 2006
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万博のテーマソングといえば、昔三波春夫が歌ってた「世界の国からこんにちは」を想像する向きも多いだろう。あの♪「こんにっちはー、こんにちっはー」である。大阪EXPO70'のテーマソングとして広く世間に愛されたナンバーなのは言うまでもないが。。。実は2005年愛知万博が行われた際、それにちなんでカバーCDを出してた方がいる。それが今は亡き三波春夫の息子・豊和である。2005と謳ってはいるが、曲も詞も当時のまんま。ただ違うのは息子が歌っているのと、その合いの手でキャイーンがチャチャを入れてるだけである。もっとも、あまりにしょうもないせい(おっと失礼!)か?マスメディアからはほとんど相手にされなかったようで、実際ワタシもこれがラジオなどで流れたのを一度も聴いたことがない。でもこの歌が発売されたニュースを知った時、「是非欲しい!」とは思った。んで本当に買ってしまったんだが。。。それはいつの日か日本のどこかで万博が開かれた際、三波親子が大阪で愛知でそれぞれ万博を歌ったナンバーのどちらもが流れるのが楽しみだからだ。もっとも三波春夫のそれはあまりにも有名だからいいにせよ、息子の豊和が同じ曲をカバーとして出してる事実を歴史の闇に葬るには何かもったいない気がするんである。(ほんとかい!)
Nov 7, 2005
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力道山に関する書籍は数多く、自分も何冊か持っているが、その多くはプロレスラーやその人物像に関する書籍である。が、ここでは力道山のヒーロー像からして「おいおい。。。」と思えるこの書籍を紹介したい。残念ながら自分は力道山のリングでの勇姿を見ることが出来なかった年代だが、それにしてもこの人ほど、生きてる時と死んでからでの世間からの見られ方でギャップのある人も珍しいんじゃないか、とすら思えてくる。。。もっとも格闘家と呼ばれる人の多くには実像と虚像のギャップには相当のものがあるらしい。例えば、極真空手創始者の大山倍達の山篭り修業伝説。ワタシもガキの頃読んだ「空手バカ一代」の中で、山から街に下りないために自分の片方の眉毛を剃って「こんなにかっこ悪くなれば自分でも人前には出れないだろう」というシーンに、衝撃を受けたもんだが、、、そもそものところ、山篭りのきっかけ自体が後に「当時GHQからブラックリストに挙げられてたので逃げるように山に籠った」のが本当のところらしい。(晩年の本人のインタビュー記事によると)他にも金銭をめぐるゴタゴタも多く聞こえてはくるが、それでもこの人の強さと実績に関してはリアルで見た見ないに関係なく誰もが評価してるのでまだいいほうなのかもしれない。さてこの力道山である。とにもかくもいかにもケンカは強そうだ。リング上では悪いガイジンをやっつける正義のヒーロー、そしてリングを降りれば「血と骨」の金俊平も真っ青な、凶暴さと悪辣さで周囲を恐怖に陥れてた悪の権化みたいな存在だとは、、どの書物を見ても必ず出てくる彼の人物像である。実際力道山はどれだけ強かったのだろう。力士で関脇まで行ったのだからやっぱりケンカ自体は強そうだ。レストランで外人を見かけると片っ端からケンカを売りまくてボコスコにやってた伝説は、当時の日本人は貧しく体型からしても、アメリカ人と取っ組み合いしたって勝てそうにない。でも力道山なら、たいていのガイジンには勝てそうだ。実際には当時から既にほとんど893同然でありながら、もちろんどう見ても彼の方がはるかに非が大きいはずなのに、当時でも既に新聞の三面記事の常連人物だったのに、それでも国民のヒーローになり得たのは、ワルイガイジンをやっつけられる(毒の毒ってやつか?!)貴重な日本人(死ぬまで在日朝鮮人であることは公表されなかった)だったからである。そんな力道山が、力士廃業の後やがてプロレス団体を設立して、サクセスストーリーを歩むのは御存知の通りである。んで持って力道山はワルイガイジンを次々にやっつけて国民的英雄にもなった。あくまで表面上はである。しかし、だ。プロレスとは基本的にはショーである。八百長ではない。初めから勝ち負けが決まった上で成り立つショーである。考えてみれば当時からプロレスマスコミはプロレスにおんぶにだっこで成り立ってたのだから、仮に「これってインチキじゃあ?」なんて思ってもってそんなのは記事には出来ないのである。力道山がすごいと思うのはそんな当時から、アントニオ猪木が出るだいぶ前から、あたかもプロレスを真剣勝負であるみたくなイメージを作ってのけたことである。(とはいえ見識ある人には空手チョップからしてウサンくさい技だと思われてたらしいが・・・)これは悪いどうこうじゃあない、プロレスを娯楽として国民を楽しませたという点では間違いなしに力道山はヒーローだったのだ。しつこいが実像はともかくとして、である。外人選手と仮にシュートで戦って力道山がどれだけ強かったかは正直わからないが、、でも彼らの中には格闘技のルーツを持つ選手も多く、彼らにとっては小遣い稼ぎ以上のメリットもない日本のリングでさほどシュートを仕掛ける選手がいなかった(推測)ところを見ると、ケンカ強さと気の強さ、裏世界のこわさは本当だったようにも思える。話が長くなってしまったが、そんな力道山でも出生地の北朝鮮では今でも大のヒーローだというのがこの本である。一応マンガになっているが、その内容はといえば、少ない情報の中で描かれた伝記であることを差っぴいても、本当に粗末である。各レスラーの顔が実物と全然似てない(どころか違う)デストロイヤーに至っては猿覆面。4の字固めだって足ではなく手が4の字になってるのである。(これは案外効きそうな技にも見えるが・・・)絵だって当然下手だし、もし今でも在命中の元レスラーがこれを読んだら、イ*チキもここまで来ると裁判王国のアメリカでも告訴すらする気も失せるだろう。最後はおなじみのかの国の将軍様(当時は日成氏)マンセーのオリジナルストーリーで締めてくる本だが、、、このイ*チキストーリーに、力道山の怪しい生涯へのイメージがシンクロしてくるから不思議ではある。最後に、、ある本によると力道山の直接となる死因は麻酔の打ち過ぎによる医療死なのだという。が、長年のドラッグ中毒とアルコール中毒で、遺体を解剖した時点で内臓がボロボロだったという。。。
Nov 3, 2005
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今でも懐かしの漫才映像を流す番組でしばしば出てくるので、若い人でも一度や二度はやすきよ漫才を見たことがある人も多いであろう。亡くなってから何年も経つのに、今見てもかのやすきよ漫才は本当に面白い。どんなに売れて世間から大御所と呼ばれるようになっても、時代が経つと「笑えるもの、そうでないもの」がこれほどはっきり分かれるジャンルはない。昔の喜劇や古典落語の芸で、何の知識もない人(自分も含む)がいざ見て本当に笑えるモノがどれだけあるのだろうか、、、。漫才でも先駆けとして語られてる人達の中でいえば例えば「エンタツ・アチャコ」の当時の漫才を、今の人達が聞いてみて果たしてどれだけの人が笑うのだろう、、、というのもそうだ。そうやって考えると、伝統芸能とか戦前というほど昔でないとはいえ、このやすし・きよしの片割れ、横山やすしという人物は漫才をやらせてももちろん面白かったが、このやっさんという人なりに至ってはもっと面白いのである。数々の破天荒な伝説、、、警察のお世話になったことも、本業より競艇レースを優先して謹慎を食らったことも、それですらやっさんにかかると「ワイはワイが本業や」とでも言ってしまいそうなキャラだから(本人はそんなことは言ってないが)、事務所や周囲の人にすれば超迷惑である。でも世間にすれば「ほんとやっさんは困ったお人や・・・」と言ってはみても、実はそう思わせることで世間の人達を楽しませることも出来たキャラでもある。が、この人にとっての最大の悲劇は、彼の歌の節にもある♪「他人を笑わすこの俺だって、自分の心は笑わせないのさ」というつもりが、世間にすればやっさんの言動、更に心そのものを笑ってたことを、死ぬまで見抜けなかったことではないか、とは思う。いかにも極道みたいな言動を繰り返すことで、「やっさんこえーなー」と世間は思う。が、誰もがやっさんの芸風に関しては、作られたキャラではなしに地で行くキャラだとわかってた。事務所を解雇されてからは、自分が望んでではなしにますますブレーキがかからないデタラメキャラとして扱われていく。相方が政治家になった時、やっさんも参議院で立候補している。結果は落選だったが、その際ライトウィング団体の宣伝道具として利用されてるのを本人が知ってたのかすら怪しい。例えは悪いが芸能人を端的に言うならそれは「おもちゃ」である。昔さだまさしの歌で「ぼくはおもちゃになりたかったんだ」という歌詞が示すとおり、多くの芸能人にすれば「自分は公衆の前でおもちゃになり切る」ことで、自身の収入を得ることをわかっている。が、やっさんの場合、なり切るではなしに、否応なしに根っからのおもちゃにさせられてしまったように思えてならない。「これが男のホンネやで」という本の中でやっさんは「世の中、ほんま、狂うとるで!」と叫んでる。すると誰もが「○ってるのはアンタのほうだろー」と内心でツッコミを入れたくなる。それをわかった上で書いてるのならまだしも、とてもそうには思えないのだから、その時点で、既にやっさんは人に笑われても、人を笑わせることが出来なくなってたのだろう、と思う。彼のことを「天才漫才師」とは上手く言ったモノである。日本人は天才を見て喜ぶくせに当の本人は天才ではなしに秀才になりたいと思う人種だ。「天才の芸」には憧れても人間まではそうでありたくない、という多くの人が持つ感性こそが、彼を悲劇に追いやった原因と言ったら言い過ぎだろうか?!今でも昔のやっさんの画像がTVに映る。その映像のほとんどは「やすきよ漫才」の頃のだ。それを見るたびに「人を笑わすこの俺だって・・・」という歌の節に切なさを覚えてしまうのである。
Nov 1, 2005
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ワタシにとって人生最高のアイドル!と断言出来てしまえるほど(大げさな・・・)大好きだったんが、「一億人の妹」こと大場久美子サンなんであります。まぁ、この方にまつわるお話は他のところで幾度となく書いてきたことなんで、「またか・・・」と思う方もいるとは思うが、ワタシは子供の頃、大場久美子演じるコメットさんはうんこなんぞせん!」と頑なに信じていたんでありやす(^_^;今ではそんな幻想を抱くことの出来るタレントなんぞ誰一人としておらんのですが、まぁ思えば大場久美子といいもうちょい先に起きたアイドルブームぐらいまででしょうなぁ。おニャン子クラブという等身大型のアイドル集団が台頭する以前まではこのよーに芸能人に幻想を抱くことが出来たエエ時代だったよーにも思うわけです。アイドルが食事してるのを見て「あれ?この子食事してるよー、っつーことはまさか。。。!」と思うわけでー、とゆーことはトイレにも入るわけですやん。そんでトイレに入ったとするなら「あ、この子は今『小』をしてるんだー(^o^;」と必死になって最低限恐怖の『大』をしてる姿を想像するのを頑なに拒んでた・・・なんてこと、ある一定以上の年代の人なら多かれ少なかれ経験したとは思うんですが、ワタシにとってはその筆頭格が当時の大場久美子だったわけです(はいはい。。。)当時は「コメットさん」という番組に出てたんですが、そのコメットさん演ずる大場久美子こそが自分が思うに、最も排泄とゆー行為から程遠い世界にいるアイドルでして、それは更には「大場久美子はうんこをしてもコメットさんはうんこをせん!」と妄想はエスカレートしていったわけで、、、初代コメットさんの九重祐美子は当時でさえいかにももりもりと出すオーラが出まくりだったんですが(といちいち書くなっての)、まぁその当時はもう整形しまくりだったそうですが(ともっといちいち書いてどーする!)、それにしても大場久美子の二代目コメットさんは本当に魅力的でした。どんなに歌が下手でもどんなに演技が下手でも、ビジュアルだけで全てを帳消しに出来る。今時そんなアイドルどこにもおらんけど、大場久美子はそれぐらいの存在だったんです。ちなみに大場久美子はコメットさんが終了後、生理不順を理由に芸能活動を休止、それから数年経って、ヌード写真集を出したんだすが、当時ワタシは高校生だったんですが、さすがにうんこしないとまでは思わなかったにせよ、当時はビーチクの色がピンクでなかったってだけでショックだったわけで(・・・って、んなん当たり前じゃろーー;)それは正しく小学生の時思ってたうんこをせん!の延長とも呼べる幻想を引き摺ってたからだとは思ってます(^_^;コメットさんが終了以降なかなか活躍出来なかったのは、本人にあまりにもコメットさんのイメージが強すぎて、何をしてもついにそのイメージから脱却するのが出来なかったからだという説は確かだとは思いますが、それぐらいの幻想を抱かせるほどのキャラであったというのは、今思い出しても素直にそう思えるほどなんです。このアルバムはそんな大場久美子のピクチャーレコードでもあり、コメットさん主題歌の「キラキラ星あげる」まで収録されてます。しつこいけどどんなに歌が下手でも(ちなみにその歌唱レベルは、今の時代そこらでカラオケを歌ってるネェちゃん達よりずっと下手だ)それでもわたしゃ永遠に好きだぞ♪☆
May 10, 2005
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この歌のどこがマニアックなのか?という声も聞こえてきそうだが、、、おそらくこの先10年20年・・・と経った時、これまで書いてきた作品のように(?)どこかで何らかの形で伝説になってると思うので、ここで紹介してみたい思った次第。全国的にも大ヒットしたこの歌、我が愛知県でもものすごくウケていた。ちなみに愛知県は日本有数の工業県でもある。昔から県内でもそれなりの規模の製造業になると、とりわけ佐賀県やその隣りの長崎県の高校生が就職でたくさん愛知県の企業にやってくる。性格こそ明るい奴暗い奴、イイ奴悪い奴など人それぞれにしても、彼らは誰もが例外なくいつもよく働くのである。残業も上の評価などを意識することすらなく誰もが進んでやっている。普段が寮住まいだから長時間会社にいることへのアレルギーがないせいもあるかもしれないが、そのせいか自分にとって佐賀県人というと、いつもよく働いているというイメージを持ってしまうのである。この歌が愛知県でもよく売れていたのは確かだが、どんな層が一番買ってたか?となると学生時代まで佐賀県(に限ったことでもないが)に住んでいた人たちのような気がする。とにかく佐賀県(あるいは長崎県)育ちの愛知県民は多いのだ。話は逸れたが、この歌は佐賀県を題材にしているものの、その歌詞を見ると必ずしも佐賀県に限らず田舎なら何処でもありがちなパターンではある。しかし、一つ驚いたのは、今はどうかはわからないが我が愛知県では、実際登下校する子供が歩きでもヘルメットの着用を義務にしてたエリアがあった。これは当時行き過ぎた管理教育ということで問題になったそれであるが、まさかそれが後に他県で実践されてたことには唖然ではある。♪「佐賀にも牛丼屋が出来た、オレンジの看板だけど名前は吉田屋」で思い出したのは、今はあるかどうかわからないが、青森かどっかで見かけたファミレスの「すかいぱーく」である。見た目もメニューも「すかいらーく」のモロパクリだが、何故か憎めなかったのを思い出す。♪「マジでヤンキーがもてる」というのは佐賀に限らず、それは愛知や埼玉のような、風景上はさほど田舎でなくてもイメージで田舎と呼ばれてるエリアでは、今でもふた昔ぐらい前の銀蠅スタイルのヤンキー(氣志團とは似て非なる)の姿をたまに見かけるのだが、、確かに「ヤンキーはモテる説」というのはあれだけダサいと云われてても昔も今も本当のような気がする。女にすればヤンキーの格好はどんなにダサくても確実に男っぽくも見えるだろうと。。。更に彼らの凶暴さも兼ね備えた押しの強さは、確かに男らしさ(もちろんそれが上辺にしても)をアピール出来るポイントではある。だから男にすれば本当に女にモテたいと思うなら、オシャレとか優しさではなくヤンキーでケンカ強くなるほうが好きな女の子をgetするには手っ取り早いが、多くの理性ある男ならそうはなりたくないと思うのは悲劇(?)である。♪「マジでアリがでかい」、これは「田舎に行けばいくほどアリがでかい説」のそれである。本当のところは不明だが、確かに田舎で見るアリは東京や大阪のアリよりいかにも大きい感じはする。ちなみにこの歌が売れた後、はなわはラジオで他にも「埼玉県」「愛知県」「沖縄県」といった具合にいろんな県を歌ってはみたものの、佐賀県とせいぜい本人の出生地の埼玉県以外はあまり面白くなかった覚えがある。御当地のことは御当地の人が歌わないとウケないのは確かのようである。
Apr 20, 2005
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往年のルンバのメロディに乗せて、ただいろんなクスリの名前を出すだけで出来た歌である。(クルリの商品名以外の歌詞は一切出てこない。)♪アリナミン、エスカップ、オロナイン、パンビタン~、オロナイン、グロンサン、ルピット、チオクタン~、・・・ってな具合に進んでくんだが、これを今聴いて思ったのは34年も前のクスリの名前を登場させている割に、それらのクスリのほとんどが今でも現役選手であることに尽きる。もちろん多少成分の改良はしているにしても、あらゆるジャンルの商品と較べてみても、クスリほど長生きな商品もないような気がする。どんなに不況になっても製薬会社は強い。ミドリ十字ぐらいのことでもしない限りそうは簡単につぶれない産業のナンバー1こそが製薬業界のような気がする。それはこのメチャ昔の歌の歌詞がそのまま物語っているんである。ワタシも若いうちにそれに早く気付いて、思い切り勉強して薬剤師になっておけば良かったと後悔するんである。
Apr 19, 2005
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ワタシが思うB級系コミック歌謡の大御所といえば、つボイノリオであり、スネークマン・ショーであり、そしてこのまりちゃんズが御三家だったりする。まりちゃんズ、元々は70年代にいわゆるしょうもない系な歌を歌っては好事家にそれなりに支持されていたものの、後に90年代に入って「尾崎家の祖母」がリバイバルヒットをし、現代の意外にフツーの人たちにも名前が知られるようになったのは御存知の通りであります。ちなみにつボイノリオも同じく90年代に入って「金太の大冒険」がリバイバルヒットをし、かつての名曲(迷曲?)を集めたベストアルバム「あっ超ー」が発売されたのも、このまりちゃんズのリバイバルブームがあったからこそ、とつボイさん自身が語っていたぐらいでして。。。ちなみに、つボイノリオの「恋のイチャイチャ」はまりちゃんズの藤岡孝章氏の作品なのだ。前置きが長くなったが、それにしてもこのまりちゃんズの作品の数々、「ブスにもブスの生き方がある」「ひがみブルース」「まりちゃん」「オザキの逆上節」etc.そのいずれもが実にくだらなくてイイ。♪「僕はウンコをするたびにまりちゃんのことを考える、まりちゃんもウンコをするのかな、まりちゃんのウンコもくさいかな、(中略)まりちゃんもお尻からウンコをするのかな、口から出したら汚ねえもんな、まりちゃんのウンコも黄色かな、ピンク色だったら気持ち悪いな」(まりちゃん)♪「ブスよあなたはいるだけでみんなに迷惑かけている、明るいところは歩かずに人目を避けなさい、はっきり言ってしまえば男はブスが大嫌い、君らの顔を見ただけで吐気をもよおすよ」(ブスにもブスの生き方がある)・・・すごいよなー、こんな歌がインディでもない、ELECという当時拓郎や陽水、海援隊も在籍してたメジャーな会社からレコードとして出てるんだぜ。ちなみにまただけどつボイノリオも当時はELECだったのだー!)さすがにそのような歌達は当時でもほとんどラジオで流れてなかったけど、こーゆー歌がインディでもなくメジャーシーンから出るなんてこと、今はもちろん今後も余程のことがない限りない思うと、昔も捨てたもんじゃあない思ったりします。(ちなみにこのベストアルバムが出てしばらく後にインディで「まりちゃんズ埋蔵盤」のCDも出てるが、これらの音源の全ては70年代に録音されたものの発売に至らなかった作品だと云われている)いつも聴くにはあまりにしょうもない、でもふと思い出した時つい聴いてみたくなる、それがまりちゃんズの良さでありますなぁ。誤解して欲しくないけど、彼らこんな歌ばかり歌ってたんでなしに、ここでは記さないけどちゃんと真面目なフォークソングもいくらか歌ってたし、メンバーの藤岡孝幸氏は現在でも音楽業界の様々な場所で活躍されてるそうなので、ただのキワモノではないことも付き足しておきたいです。
Apr 11, 2005
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スクリーミン’ジェイ・ホーキンスという、R&Bファンの間ではかなり知られてるアーティストのアルバムなんだけど、、、ちなみにあらかじめ断っておきますが、詳しいジャンルではないせいもあって僕はこの人の事あまり知りません。せいぜいステージでは棺桶の中からドクロの付いた杖を持って登場し、その杖のドクロの部分から煙みたいなのを撒き散らして、そこから演奏を始めるビデオは、昔その手のジャンルに通じてる友人の家で見たことがあるぐらいです。(そのパフォーマンスはまぁプロレスのそれなんだけど、確かに一度見ると忘れられないには違いないっす)そんなスクリーミン’ジェイ・ホーキンスのこのアルバムの中にも、そんなパフォーマンスに負けない強烈な歌があったのでした。そのタイトルはー、「CONSTIPATION BLUES」すなわち「便秘ブルース」っつー曲でしてー、、、歌詞カードが入ってないんだけど、歌のほとんどは「アウゥ」「ウオォ~~~」などのうめき声、それに「Ready Go!」それに屁の音のオンパレードで、最後は泣き出しては屁の音の連発っつー、言語を越えたわかりやすい世界、便秘に苦しむ男の哀愁が深く描かれております。正しく感動の逸品であります。ちなみに最初で書いたように、この人は古くからR&Bファンの間では人気があり、長年に渡って世界各国で(もちろん日本でも)公演ならびにたくさんののアルバムを出してました。残念ながら5年ほど前亡くなられたんですが、その波乱万丈の人生は今尚、多くのファンの間で語り継がれてるようです。時間があればもっとこの人について調べてみたいですなぁ。
Apr 10, 2005
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シャネルズからグループ名を変えて間もない頃に出したシングル。今よりも日常会話でモーホーの話題をするには阻まれてた時代の歌だが、さすがに生々しい表現がないせいか当時でも要注意歌謡ではなく放送でもよく流れてた。ラッツ&スターは顔を黒く塗って、R&Bやソウルな音楽で一世を風靡した人たちだ。確かに当時ウソっぽくは見えたが、でも今思えばかなりそれっぽい音だったように思えるから不思議ではある。ちなみにこの歌の作詞者の麻生麗二という人はワタシもわからない。作曲編曲の井上大輔(故人)は御存知邦楽界の大御所。モーホバーでの男たちを描いた詩にソウルな響きのするサウンドを乗せたこの作品は実に素晴らしい。関係ないがこの歌のB面「月へはせる想い」の作詞者はまだマーシーと呼ばれてた頃の田代まさしだ。彼も当時は売れっ子のミュージシャンであった。考え様によっちゃ田代まさしは歌でもバラエティでもはたまた新聞沙汰でもその全てで売れっ子の三冠王である。新聞沙汰を起こすまでは確実に人々から愛されてたキャラであり、何が彼を法律に触れる行動に至らせたかは定かではないが、是非ともいつか必ずTVに戻ってきて欲しい逸材ではある。
Apr 8, 2005
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かつて角松敏生が最もエロくてこわいもの知らずだった頃(?)に出した傑作。一見フツーに東京タワーを歌ってるように聴こえて実は、、、、!という詩は、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」であり、あるいはつボイノリオの「怪傑黒頭巾」に通じるそれである。♪「Tokyo Tower君を貫いても~いつもと同じなら~早く教えてくれ~何が愛なのか」と来て、その後で♪「僕のTower今夜も叶わぬ夢をのせて君の中へ」と「TOKYO TOWER」という表現で括ってるモノが何であるかを言うテクニックはお見事であった。ちなみにこれは同時期のLP「GOLD DIGGER」(直訳すると結婚詐欺師、しかし「キ*タマを掴むヒト」とも訳せるタイトルではある)にもテイクを変えて収録されてるが、そこでは日本語に訳すとヤバイ表現が満載のラップが入ってる。幸か不幸かはさておき、英語がわからないワタシにはわからずじまいではあった。
Apr 7, 2005
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30代以上の人には懐かしい大橋純子のヒット曲。これのどこがマニアックなんだー、いわゆるイイ歌やん?!と思われそうだが、、、ワタシにしてみれば大いなる思い出深い曲なんでありやす。まぁ、それについてこれから書こうと思うんでありやすがー・・・君は歌をオカズにしたことはあるか?(と聞くなってかーー;)ワタシはあるぞ(はいはい。。。--;)特にこの歌は何度お世話になったことであろうか・・・と。大橋純子のこの歌は世間でも音楽的に大変評価が高いんだが、ワタシにしてみれば音楽的な感慨どころか感謝モノな歌ですらあるわけだー(自爆)ラブソングっつーのはどれも基本的にはエッチだったりするし、この歌が他より取り立ててイラらしかったわけじゃあない。でも当時中学生だったワタシにとっては、この歌の一番から二番と、じわじわとイヤらしい展開になっていく歌詞に相当イマジネーションを働いてたのをよく覚えてる。一番の出だしでは一人の女心を歌ってて、サビで♪「ああ あなたに恋心ぬすまれて、もっとロマンス私に仕掛けてきて~」というところから次第にエロくなっていく。そして二番になったら♪「あなたのくちびる首筋かすめ、私の声もかすれてた、無意識にイヤリング気付いたらはずしてた、重なりあうシルエット」と来る。そしてサビで♪「ああ抱きしめて~」という具合に次第次第に「愛の形」を具体的に歌っていくわけです。。。大橋純子サンも歌が上手いのが災って(?)当時の中学生にはますます情感をソソられてしまったわけで、、、今思えばバカだったなーと思うけど、妙に感慨深さを覚えたりもするわけだす。ちなみに言いますが、この歌はエロうんぬん関係なしに非常にイイ歌なのは確かです。
Apr 6, 2005
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様はナイトクラブのホステスの歌なんだが、その印象は大いに下品ではある。って別に下ネタ歌じゃあないが、詩といいホーンアレンジといい、歌い方といい、これほどまでに下品な響きがする歌も珍しい。♪「鼻下5センチどばっとのばし、鴨がねぎしょってやってくる/じゃんじゃん飲ませろ、酔わせて放りだせ」と来て♪「鴨ねぎ音頭で がばちょのパッ」の「がばちょのパッ」という表現もお下品でイイ。まぁ確かにホステスにしてみりゃ客は鴨がねぎしょって来ないと商売になんないけど、表現の品のなさに笑えたりもするんであった。タイトルでは音頭と称してるが、音頭ではなくアップテンポなマイナー調歌謡曲。ちなみにこの中川レオという人、ワタシもどんな人なのか歌以外では知りません。でもなんかあまり深く探索しないほうがいいかも?!と思わせる雰囲気は、あります(^^;
Apr 5, 2005
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70~80年代の洋楽ヒット曲を流すラジオ番組が増えて久しい。新曲だから売れてるからで流すんではなしにディレクターやDJが好きだからで流す、なんてパターンがごくごくフツーになってきたのだな、と思うわけです。昔確かにヒットしてたからといって、どれもが流れるわけではなく、中には本当にヒットしてたと実感出来てたにもかかわらず、今の時代全くといっていいほど耳にしないナンバーもあるわけで、、、ワタシが思うにこのドリー・ドッツの「レディオ・ギャル」こそがその筆頭格のような気がする。ワタシがラジオつまり「レイディオ」を普段から聴くようになってたのは中学の頃だ。レディオを題材にした歌というせいもあってか、当時地元でやってた深夜放送のジングルとして、更にはどの局聴いてもこの歌は毎日のようにかかってた。学校の給食の放送でもこれまた毎日のように流れてた。この歌の発売年は79年だが、それからほぼ3年ぐらいはコンスタントに流れてたわけだし、実際洋楽のヒットチャートでも結構上位に来てたらしい。ちなみにワタシは今37だ、ということは今の30代の半ばから40代にかけての年代の人なら、誰でも一度はこの歌は耳にしてたはずである。しかもレイディオを扱う歌だけあって、その時代に深夜放送を聴いてた人ならドリー・ドッツは覚えてなくても、この歌を聴いたことがない人はいないはずですらある。それは飽きるを通り越すぐらい、毎日のように流れてたのだ。・・・なのに!この歌が懐かしのヒットソングで流れてたことを一度として体験していない。ひと頃ラジオ番組への投稿を再開してた当時にも、懐かしの歌としてこの曲を何度かリクエストしてたことがあるが、ついに一度も流れることはなかったのである。ちなみにこのドリー・ドッツとはオランダ出身の女性6人組。当時流行ってたノーランズやアラベスクと同じく「キャンディポップ」(当時の若手女性グループの通称)とカテゴライズされてた人たちである。とりわけ歌が上手いわけじゃなかったけど、♪「Radio,everybody listens to the radio~」というフレーズに乗せられて「レイディオ」にハマってた当時のラジオ少年にとっては、是非ともそのラジオの電波でいつかこの歌が流れてくれたら、大いに感慨深いモノになるだろうと思うのだ!
Mar 28, 2005
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まだ巨乳という言葉がなかった時代、ブラのサイズがCカップぐらいまでしか置いてなかった時代、オッパイそれも大きいオッパイのことをボインを呼んでいた時代があった。この歌ではそんなボインについて歌い語ってるのである。♪「ボインは、赤ちゃんが吸う為にあるんやで、お父ちゃんのもんとちがうんやで、ボインと云うのは(中略)うれし恥ずかし昭和の日本語、・・・」そりゃそうだ、平成に入ってからそんな言葉使うなんてよっぽど歳とってない限り誰も使ってないだす。♪「おおきいのんがボインなら、ちっちゃいのんはコインやで、もっとちっちゃいのんはナインやで」・・・はいはい、確かに今の時代これでウケる人ほとんどいなさそうです(苦笑)♪「なんで女の子だけボインになるのんけ、腹が立つこといやなことショックな出来事あった日は、男やったら酒飲んであばれまわってうさ晴らし、女の子ならなんとする、胸にしまって我慢する女の子の胸の中、日頃の不満がたまってる、それがだんだん充満してきて胸がふくらんでくるんやで」・・・すげぇ理屈だー。っつーか今の時代男女以前に誰だってウサ晴らしで酒飲むんがフツーのことではー?!巨乳だから大人しいわけじゃあないしなぁ。。。三番でもボインにちなんだオチがあるとおぼしき歌詞があるものの、あまりにも笑えないので省略してしまうが・・・、様は正しく古きよき昭和を物語る歌なのであり、決して現代の歌ではないっていうことである。ちなみにジャケにはこの歌のタイトルの上に「歌笑曲」と紹介されている。でもこれって笑える歌なんかなぁ。。。ってゆーのが率直な気持ちだが、当時はこれで笑える人が多かったというんなら、いい時代だったってことなのかなぁ?(かと言って今の若手芸人のお笑いがそう面白いとも思えんけど)
Mar 27, 2005
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タイトルが示す通り、ズバリのエロ歌である。「昼は貞淑・夜は娼婦」が男にとっての理想の女と云われてるのは、同じ男にしてみればまぁわからんでもないが、、、それにしてもあまりにもストレート過ぎる男の本性を描く詩がスゴイ!♪「時には娼婦のように下品な女になりな」とはベッドの中でなら男なら誰だって思うところであろう、と。♪「自分で乳房をつかみ、私に与えておくれ、まるで乳呑み児のようにむさぼりついてあげよう」という表現は、黒沢年男のイヤらしい歌い方も相成って(失礼!)エロを通り越して面白おかしい。恥ずかしいぐらい本音丸出しの詩の後で、♪「バカバカしい人生よりバカバカしいひとときがうれしい」と歌っているところにこれまた、エロ歌でありつつも、人間の奥深い心理も綴ってるのがまたいい。ちなみに誰なんだ、こんなエロい詩作ってるのはー?!・・・と思ったら、、、なかにし礼先生の作品でありました。このお方のエロ詩は必ずしもウケ狙いだけでエロいんじゃあない、人生すらも描いてのエロなのである。だからこそいつ聴いてもエロくもあり色褪せないのだ!
Mar 26, 2005
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かつて、暗い歌を歌わせたらこの人の右に出る者はいないとまで言われてたのが、シンガーソングライター・山崎ハコであります。その中でも飛びきり暗いのがこのアルバムに収録されてる「呪い」という歌。♪「コンコン コンコン 釘をさす、わらの人形血を流す 泣いてるようにいったい誰の血」「私いつまで釘をさす、誰がこうした うらんで釘をさす 私をこうした うらんで釘をさす」・・・・女の怨念の恐さを見事に歌い上げた山崎ハコサン、写真でよくよく見ると美人なのに、どの写真見ても表情に暗い影がある。フォーク全盛の頃、暗さで人気を得てたシンガーは多くても、この人ほどそれに徹してた人もいませんでした。近年では純愛がブームらしいが、、、本当にどこまでも一途に、どこまでもピュアな心の行きつく先って、実はどこまでも深く切なくも哀しいそんな世界のような気がする。案外今の時代のほうが受けるような感じがしないでもないですね。
Mar 25, 2005
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ちょい前まではダサイの象徴として見られてた名古屋が、珍しいことにいい意味で脚光を浴びるようになって久しい。そんなエリアに住む者にしてみれば、万博前の仕込みのニオイがせんでもないけど、満更でもないのは確かなわけだ。。。そんなわけで愛・地球博もいよいよ明日開幕を記念して(?)、ちょっとした名古屋ソングコレクションを紹介してみる次第。1、「名古屋はええよ!やっとかめ/つボイノリオ」愛知県一宮市出身にて現在では昭和区八事に住を構えている御当地タレント・つボイノリオが昭和60年に出した名古屋の歌。ちなみに言うが、つボイノリオだからといって決して放送禁止ソングではない。下ネタも全く出てこないれっきとした名古屋応援ソングである。作詞作曲はかつてタイムボカンシリーズのほか、「燃えよドラゴンズ」そしてあの「ひらけ!チューリップ」等、数々のヒット作品を手掛けた巨匠・山本正之である。名古屋を大々的に歌っているものの、当時つボイ当人が名古屋より京都を活動の拠点に置いていたせいもあってか、地元名古屋よりむしろ関西一帯で受けていたそうな。詩の中で♪「名古屋人は貯金がスキだけどよ、経済に明るい証拠だでよほだよ」というのがあるが、これは後にバブルが崩壊して全国的に不況の中、名古屋だけはさほど不況に巻き込まれなかった、として東京の経済マスコミが評価してるそれである。確かにそれはあまがち間違いではないが、それにしても万博といい、中部セントレアといい、どうもトヨタの一人勝ち経済のニオイがせんでもない。ちなみに歌詞に出てくる「女子大小路」とは現在の栄ウォーク街のこと。「やっとかめ」とは名古屋弁で「久し振り」の意味だが、ワタシは生まれてこのかた、この言葉を一度も会話で使ったことがないどころか、耳にしたことすらないのであった。2、「タモリきいてちょ!!/水谷ミミ」最近では地元でもあまり耳にしないが、この方もかつて名古屋を拠点に人気があったタレントである。(本人は三重県出身)大須演芸場のステージをバックにニッコリと微笑むミミの表情のジャケがダサ名古屋っぽくてイイ。ライブ録音らしき音源からは、名古屋弁で女心をセリフ語りしてるミミ、そのバックでギターを弾きながらミミのセリフに相槌でギャグをかます伊藤秀志のセリフが印象的。(歌詞カードではミミのセリフのみ記載)名古屋を示す言葉といえば、名古屋弁以外には、せいぜいエビフライ、山本家の味噌煮込み、ういろ・ないろしか出てこないが、確かに名古屋ソングの風情は味わえる。尚、タイトルの「タモリきいてちょ」とは、その当時(83年)名古屋をけなすギャグで人気を博してたタモリへのメッセージだったらしい?!もっとも当時だって名古屋人の間でタモリがとり立てて不人気だったわけでもないのだが。。。3、「名古屋ブルース/天知茂」名探偵・明智小五郎役のイメージが強いこの人も、どういうわけか80年代前半に名古屋御当地ソングを歌ってたのだった。が!♪「夜の流れにひきずられ、心乱れてひとり酒、男、嘘つき、女、泣かす、名古屋広小路栄町」・・・・な、なんじゃこれはーっ!最後に地名当てはめるだけやんけー!ちなみに二番も三番もこのように適当に恋愛詩の後に「名古屋今池東新町」だ「名古屋納屋橋柳橋」って具合である。いくら歌が似合う風情に乏しい街とはいえ、いくらなんでもこれは困った作品である。(ってそーゆーのを買うワタシもワタシだってかー?!)4、「東京から船にのって/八事裏山フォーク・オーケストラ」時は70年代前半、まだ名古屋がダサイと云われる以前、ここ名古屋ではチェリッシュをはじめ、欲求不満バンド(このバンドに在籍してた一人が後のつボイノリオ)、あるいは80年代以降も活躍してたセンチメンタル・シティ・ロマンス、そしてこの八事裏山フォーク・オーケストラなど、数々の若手ミュージシャンの宝庫だった時代があったという。チェリッシュやつボイノリオはあまりにも有名だが、当時彼らに勝るとも劣らない、むしろそれ以上人気があったと云われるのが、この八事裏山~である。この八事界隈は古くから大学が多く集まっているエリアだが、このグループは元々名城大学の学生で結成されたのだという。ちなみにこの歌は特に御当地ソングを謳ってるわけでもないが、歌の内容といいグループ名といい、充分名古屋をアピールしてると思われるので、ここで書いてみることにした。セリフ語りでの「いっちょるはにぎっちょる、にぎっちょるはしっちょる、しっちょるはやっちょる、やっちょるは充分にむけちょる」は超ナイス!数年前に欲求不満バンドとおなじく期限付き再結成して地元で演奏してたそうだが、それを早く知っておくべきだったと悔しがってるワタシである。
Mar 24, 2005
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♪「チン、チン、チンチンチン」で始まるこの歌、語呂のよさといいメロディとの見事な一致感といい、一度聴いたら忘れられない逸品。最近でもトリビアの泉で紹介されてたけど、元々カラオケにも入ってるし、これほどの番組で紹介されるほどのもんかな、と思えたのは個人的意見にて(つボイノリオの「お万の方」ならわかるけどねぇ)まぁ単純に言えば、子供の頃のオチンチンそのものを歌ってるんだけど、1969年というまだ世の中がお堅い時代(?)に発売されたこの歌、放送でも一番と二番までは流してOKだったそうです。ちなみに三番だけが要注意歌謡Cランク(当時放送局に配られてた一覧)で放禁だったのは、♪「ちっちゃくちぢんだチンチンを、つまんでのばしてひっぱって、大きくなれと泣いたっけ」という歌詞があかんかったそうな・・・。でもこれぐらいいいやんーー;とは思う。作曲はあの有名な小林亜星先生、作詞は里吉しげみと書かれてるけど男か女かは不明。ジャケのデザインもファンシーかつラブリーで好感持てます。
Mar 23, 2005
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嘉門達夫の確か2ndシングルだったと思う。元々は嘉門氏が当時大阪でパーソナリティをやってた「MBSヤングタウン」の、当時水曜スペシャルで人気があった「川口浩探検隊」シリーズでのヤラセ部分を採り上げてるコーナーがあって、そこでネタに上がったものを歌にして大ヒットした作品である。この歌が売れて以降も嘉門達夫はコミックシンガーの大御所として今に至るが、この歌より後の嘉門の芸風はあまり自分の趣味ではないので、むしろ「川口浩」時代までの作品を紹介したいのである。この歌では♪「川口浩が洞窟の中に入る、カメラマンと照明さんの後に入る」というのから始まって、それからは探検隊シリーズでおなじみの「ヘビ」「サソリ」「毒蜘蛛」「謎の原住民」といったおなじみのブツが次々に出てくる、というそれ。当時この探検隊への突っ込みネタは、嘉門氏のヤンタンに限らずよくあちらこちらでされてたので、特別この番組ならではの探検隊への突っ込みネタがあったわけではなく、この探検隊に関して言えば、どこでもほぼおんなじネタで盛り上がってたといってもいい。この歌がヒットしてた頃の視聴者だって、この探検隊がガチのドキュメンタリーではなくてあくまでショーであることをわかってたのだが、むしろそのうさんくささ振りを逆に喜んで見ていたと言ってもいい。(わかりやすく言えばプロレスを楽しむそれとおんなじである)かの放送局であるテレ朝では、今でもこの歌は放禁扱いらしい。まぁ多分にプライドからだと思うが、、、それはさておき、最近になって当時放送されていた川口浩探検隊のDVDを見る機会があったが、その中身はヤラセとわかっていても、それでいて非常に楽しめるもんであったとも言っておきたい。確かに洞窟の中でヘビの大群が上から落ちてくる時、ヘビはこの歌で紹介されてる通りちゃんとしっぽから落ちていたし、隊員の身体に毒蜘蛛が付いていた時、確かに川口隊長は素手で払い落としていた。この探検隊DVDを見た後にこの歌を聴くと更に味わい深いものがあった。最近では同じテレ朝系列の「ドスペ」にて、この川口浩の遺志を受け継ぐキャストとして、藤岡弘を隊長とする探検隊でたまに放送されている。少し見た感じでは藤岡隊長と隊員とのやりとりのセリフが多くてリアルタッチさに欠けるキライがあるが、是非とも70年代から受け継ぐ「ドキュメンタリーエンターテイメント」として、是非是非面白い番組を楽しみにしてるのである。
Mar 22, 2005
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今ではそうでもないみたいだけど、この人がポルノ女優の仕事をしてる時期に思春期を迎えてたワタシにすれば、未だに五月みどり=熟女というイメージがあったりもする。本当のところこの五月みどりさんという方、若い頃から歌手や裸でない女優としても第一線で活躍されてた人だし、絵画を描かせてもプロそのものというすごい方だ。そして、40代にはポルノの世界で「元祖・熟女女優」として君臨していたのであった!このEPはそんなポルノで活躍してた当時出した作品なんだが、歌詞が実に素晴らしい!♪「左の乳房に貞操を、右の乳房に欲望を」という歌詞はあまりにも有名だが、個人的には出だしの「バナナの皮をむくように私の服を脱がせたら」とゆー表現が実にナイス!だと思う。ちなみにこの歌の作詞者は先日紹介したつばの歌を書いたなかにし礼先生だ。エロの詩を書かせたらこの人の右に出るものはいないとは常々思うが、(他に桑田圭佑が有名だがウケ狙いっぽいのがマイナスではある)この方の書くエロ歌はどれもが真面目であるし、その真面目な綴りがまた面白いのである。ちなみにこの歌のB面「悪女の季節」の作詞もまたなかにし作品だが、最初のうちは「優しすぎてイヤよと言えない女だよ」といかにもな(?!)気持ちを綴るものの、その最後で「悪女はどんな味がする、一度試してみませんか」と来るからついソソられてしまうんである。悪女の気持ちを見事な詩にしたなかにし礼先生は本当に天才だと思う。
Mar 21, 2005
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今でもコミックソングの定番としてこの歌を挙げる人は多いので、若い人でも「タイトルだけは知ってる」人も多いかもしれない。まぁ河内弁で多くの人が思い浮かぶであろう「ワレ(お前)」と「やんけ」を多用した歌なのである。僕が関西に行くようになって間もない頃、まず「自分」という言葉が相手を示してることに戸惑った思い出があるが、相手のことを「自分」と呼ばれる事には慣れても、未だ「ワレ(我)」だけはダメである。昔ひょんなことで知り合った人に「ワレ」と言われた時、別に因縁付けてないことは表情でわかってはいても、それだけで脅された気にはなってしまうんであった。ちなみにそれを同じ大阪府内でも摂津エリアの知人友人に話したところ、比較河内言葉に慣れてるであろう筈の彼らですら「ワレ」と呼ばれるのはこわいそうな。。。さて、この歌はその河内のオッサンが古い知り合いであろう人の訪問から河内弁で喋り出す歌である。ちなみに誤解しないで欲しいが、この歌詞を読む限りこの河内のオッサンはイイ人である。「オンドレ何さらしとんど」という言葉は、近年マスコミが取り上げる巨人清原の発言(マスコミが勝手に作り上げてる説もあるが)のそれ(清原は岸和田出身)だが、確かに普段から「ワレ」と言われ慣れてる者同士ならOKでも、普段関西弁をせいぜいTVでしか耳にする機会のない人にしてみれば、確かに関西弁の中でもとりわけここで連ねられてる河内言葉はキツイ言葉に聞こえるのはわかる気がする。(失礼!)とはいえ、さすがに今の時代、河内エリアでもこの歌で出てくるほどの喋り方はしてないようには思う。この歌詞が誇張であるとは思えるのは、例えば自分が住んでいる名古屋圏では、実際普段から「ぎゃあみゃあ」言葉を使ってる人なんて、老人を除けばほとんどいない。せいぜい語尾に「だがや」「だで」を付ける程度で、あとはほとんどが標準語のそれである。(イントネーションこそそれぞれ関東関西がごっちゃだが)それは宮地佑紀生(名古屋で活躍してるタレント)の名古屋弁トークだって、基本的に営業用と受け止めるのが多くの名古屋人の本心ではある。名古屋の人が名古屋弁を使うのはジモティ同士ではなく、むしろエリア以外の人と話す時のほうが多い。自分が名古屋人であることのアピールとして初めて地元言葉を使うのである。そうやって思えば近年、方言をギャグとして成立することを逆手に取った地方出身タレントが多いのもなんだかわかる気がするし、そんな方言ウケ狙いの代表がこの歌なのであった。尚、このミス花子という人、実物はれっきとした男である。何故この芸名にしたのかはわからないっす。
Mar 20, 2005
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近所のアナログショップで偶然タイトルに目が行ってつい買ってしまった一品。いざ歌詞カードを見ながら聴いてみると確かに強烈であった。♪「人がつばを吐くのは悲しみを吐き出すためなのだ」とのっけから聴き手にコンセンサスを得ようとしてくる。そして「街の路地裏にも並木のアスファルトにも汚れた悲しみがしみついてくる」と来る。この作詞家(なかにし礼)によると、つばは悲しみの象徴なのだという。最近ではせいぜいヤンキーぐらいしかしなくなったが、少なくとも70年代ぐらいまではとりわけ世の男連中はあちらこちらで道端につばを吐いてたように思う。ワタシ自身、子供の頃はさておき、中学生になって以降めったに道端につばを吐かないので何故みんな平気で吐いてるのかがわからないが、なかにし氏によると、人は悲しみを吐き出したいがためにつばを吐くのだという。しかしそれなら何故世の女性はつばを吐かないんだ?!女だって悲しみは溜めてるだろうに・・・となってしまう。ひょっとすると人が見てない時に吐いてるんだろうか?!(っておいおいーー;)ともあれそれだけではイマイチピンと来ないワタシは詩の心がわからん男だ、、、と悩んでしまうわけだが(ってどこが!)、その心を導き出す答えが二番にあるので書いてみると・・・、♪「くちづけ交わすのは悲しみを吐き出すためなのだ」とはじまる。その心はといえば「俺の首筋にもお前の白い胸にも汚れた悲しみがしみついている」からだという。確かに唾液は汚いといえども、口を使った身体への愛撫は学生用語で言うなら恋愛行動に於いての「B」であり、お互いが汚くて臭いつばを付け合うことで(ってさっきから生々しすぎるぞ・・・--;)双方の悲しみを分かち合うってことになる。確かにそこまで生々しく言われてしまうと、「悲しみの象徴=つば」とゆー図式にも納得出来るんであった(^o^;。あの汚いつばでさえも「人の悲しみの象徴」と捉えてることに、なるほど奥深さを覚えるんである。さすが大御所作詞家なのであった!ちなみにこの歌は1974年作品にて、当時のTV映画「白い牙」の主題歌であると記されている。どんな映画なのか知らないが、なんだか見たくなったぞ(笑)!
Mar 19, 2005
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「金太の大冒険」をはじめ、「極めつけ!お万の方」「怪傑黒頭巾」「吉田松陰物 語」など、かつて民放での要注意歌謡曲一覧表(様は放禁ソング)に常連として名を 連ねていたのが、かのつボイノリオの数々の歌なのである。その辺りのことはあまり にも有名すぎるのでここでは省略するが、建前上放禁ソングは存在しなくなった今で は「金太の大冒険」だけは割とオンエアされる機会も多くなったようだ。 ♪「金太、まもって」「お万、小鹿にさわる」「吉田松陰、芯なめた」というよう に、句読点を一つ変えただけでこんなに意味が変わってしまう、というのがこれらの 歌の醍醐味である。つボイノリオの名前は知らなくても「金太の大冒険」という歌は 例え放送で聴いたことがなくても、多くの人が知るところであるし、実際歴史上に於 いてのコミックソングの傑作として、この歌を挙げる人はとても多いのである。 このLPはそんなつボイノリオのファーストアルバムとして、当時エレックレコードか ら発売された。当時流行ってた映画「ジョーズ」をパロったジャケで、中には紙相撲 セットの付録も入ってたらしい。(「らしい」と書くのは自分が中古屋で買った時点 では入ってなかったからだ)発売から比較的売れ行きが好調だったものの、間もなく してエレックレコードが倒産し、当のつボイさんには印税が一銭たりとも入ってこな かった。更に後に「つボイノリオの大冒険」と称するこの「ジョーズ・ヘタ」に収録 されてるのの曲順を変えたアルバムがユピテルレコードから発売されたものの(こち らはバナナの皮からつボイさんがにょきっと顔をだしてるジャケだ)、これまた発売 禁止更にはユピテルまで倒産してしまい、またつボイさんには一銭も印税が入ってこ なかったのであった。これらのエピソードはファンの間ではあまりにも有名だが、こ のように印税に恵まれなかったり、東京でも成功を収める一歩手前で体調不良で大手 事務所(当時アリスが在籍してたヤングジャパン)を辞めざるを得なかったハング リーが、やがては放送ギャラだけで身を立てられる全国にも数少ないラジオDJとし て、名古屋を中心に長年君臨し続けることが出来る源なのかもしれない。
Mar 18, 2005
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