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こんにちは、夫です。『【もの】と【かかわり】』シリーズ最後のまとめ編です。 いままで、児童養護施設への寄付、心理療法を含む具体例を通して、【もの】と【かかわり】について考えてきました。 いかがだったでしょうか。ここでまた、マズローの欲求5段階説を思い出してください。 確かに【もの】で満たされることは、必要なことです。食に困らない。着る衣服に困らない。毎日何かや誰かに脅かされることなく安全に過ごすことのできる場所に困らない。とってもたいせつです。だからこそAさんは、社会的養護の場である児童養護施設にやってきて、毎日の衣食住には困らないようになりました。 でも、社会的養護の場は、そして家庭もそうなのだろうでしょうが、それだけを提供していれば子どもたちがすくすくと成長していくといったものではないのも確かです。 人との【かかわり】の中で誰かとつながり、誰かを認め誰かに認められていき、自分が自分のままで自分がありたいと思う姿を目指して過ごすことのできる【居場所】を見つけ構築していくことが、人の健康な成長のためにはとってもたいせつです。 【もの】があふれていると言われる時代です。もちろん、まず第一に【もの】で満たされることはとってもだいじです。が、その段階で感謝を強要されても、おそらく誰であってもピンとこないはずです。人間は人と人とのあいだで、社会の中で、いろいろな人と【かかわり】ながら生きていきます。 人がこころからの感謝の気持ちを抱くようになるのって、そんな【もの】に媒介してもらったりしながら、自分って自分がたいせつに思う人にたいせつに思われているんだ、ここに自分が自分のままでいていいんだ、そんな実感を得ることのできる【かかわり】を得て、積み重ねていくことがその土台として必要なのではないかなと、最近はよく感じています。 児童養護施設への寄付、ほんとうにありがたい限りです。子どもたちの生活の基礎は多くの方々の寄付によって支えられています。 が、すみません、実際のところ、子どもたちは【かかわりのあまりない、またはまったくない】人からの寄付だけで満足することは、感謝することは、なかなかないというのが実情です。 もし、少しでもお時間やご関心がありましたら、無理なさらない程度に、ご自分のペースで息長く定期的に、近くの施設にボランティアとして来ていただき、遊びや勉強などを一緒にしていただくとうれしいかなと思っております。 時々遊びに来てくれて、自分のあれやこれやのたわいもない話をゆっくり聴いてくれる、そんな人たちとの【かかわり】を、特に小さくして様々な事情で親元から離されてしまうことになった子どもたちはこころより望んでいますし、うれしく思います。 そして、そんな相手から贈られた【もの】も、それがどんなに些細なものだろうが、安価なものだろうが、その子どものこころにしっかりと、その人との思い出とともに刻み込まれるのだろうと感じています。 今回まで、全6回に分けて【もの】と【かかわり】について述べてきました。みなさまにも、何か考えるきっかけになれば良いな、と思います。
2024.07.26
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こんにちは、夫です。今回は、『【もの】と【かかわり】③』の続きで、児童養護施設での具体例、心理療法編です。 面接にやってきたAさんは、遊戯療法室にあるさまざまなおもちゃを見て、ひととおりどれも遊んだことがある、と教えてくれました。確かに、とても慣れた手つきで、どれもそつなくうまく扱っていて、素晴らしいと思えるような創造性あふれる作品を作ってくれることもしばしばでした。また、そのおもちゃに対しての思い出もよく話してくれました。 そんなときのAさんは、テンションが上がりきっているときのようなうれしさとは違う、落ち着いている中でかみしめて味わうような、そんなうれしさを表現してくれていました。そのとき、ああ、Aさんって、【もの】そのものよりも、そこにまつわる【思い出】、つまり、誰とどんな場所でどんな話をしながら、どのようにそのものを使って遊んだのかの【かかわり】の記憶こそを、ほんとうはたいせつにしているのだな、と感じました。 さらに言うと、確かに、面接を重ねる中で、遊戯療法室にも、あれやこれやのおもちゃを買って置いてほしい、ということをしっかりと自己主張することが何度もありました。ですが、私としては、Aさんは、【もの】よりも【かかわり】をたいせつにしているのだな、との理解のもと、そうやって【もの】がほしいとAさんが教えてくれた時には、いつも、その【もの】がAさんにとってどれだけたいせつなものなのか、これまでどんな人とのどんな【かかわり】の思い出があるのか、などをじっくりと話題にして聴いていくことに努めました。 そうすると、Aさんは、どんどんと、自分の、そのおもちゃに対しての想いや思い出といったものを私に話してくれました。そして、そんな中で、なかなか自分の思い通りに、自分が【ほしい】と思っているおもちゃが部屋に増えていかなくても、それに対しての不満を声高に執拗に言い続けることもなく、また、部屋にあるおもちゃをぞんざいに扱うこともしませんでした。 そしてある日、Aさんは、いつもと違って、なにかとても言いにくそうな様子で私の前にやってきます。「いや、私ってぜんぜん下手なんだけれどね」「たぶんうまく使えなくって、プロと比べれば足元にも及ばないのはわかってるんだけどね」「できればあるとうれしいんだけれどな」と、初めから前置きが長くて、自分の気持ちをなかなか言い出せないAさんの姿に私はとても驚きました。 が、そんな中でAさんがようやく口にすることができたのは、プロの画家が使っているような、品質のよい絵の具のセットを買って、この部屋に置いてほしい、ということでした。 話を聴いていくと、Aさんは昔から絵を描くことが好きで、ひとりで部屋で自分の好きな絵を描いて時間を過ごしたりすることがよくあり、今では学校でも美術クラブに入っていることなどを教えてくれました。こんな絵が好きなんだ、と、部屋から資料を持ってきて、私に熱心に見せてくれました。 そんなAさんの様子を見て私は、Aさんはやっぱり自分のほんとうにたいせつにしたいことやものって実はなかなか言い出せないんだなあ、と改めて感じました。 あんな【もの】やこんな【もの】も、たくさんほしいと、ことば達者に主張することができるAさんですが、その【ほしい】って、そのことば面どおりの、【もの】に対してのものではなくって、こうやって寂しくひとり、お父さんやお母さんもいない中で過ごさなくてはならないAさんの【気持ち】をしっかりと【受けとめてほしい】【かかわってほしい】ということが言いたいのだろうなあ、と感じました。 その後、私はしばらくして、Aさんのリクエストしたその絵の具を購入して遊戯療法室に置きました。入門的なもので、そんなに高価なものではありません。Aさんは一見、いつもどおり、そこまで特別にうれしそうな反応を示すこともなく、ああそうなのね、という感じでしたが、一方で少し、おっかなびっくりその絵の具を扱うような、私の表情を慎重にうかがうような、そんな様子も見せてくれました。 そしてそれからというもの、Aさんは遊戯療法室に来るたびに、自分が描きたい絵をずっと描いてくれるようになりました。そして私は、Aさんが教えてくれる、その絵の具の上手な使い方や、どうしてこの絵を描こうと思ったのかといった話をじっくりと聴き続けながら、アシスタントとしてAさんが絵を描くお手伝いを続けていき、落ち着いてふたりで穏やかにあれやこれやとコミュニケーションをとりながら時間を過ごすようになりました。 そんなAさんも中学生となり、高校生となり、そして児童養護施設を出て大人になっています。実は中学生になったときには、また新たに夢中になれるスポーツに出会い、部活動もそちらを選択したのですが、時々部屋で絵を描くことは続けていて、私も時々Aさんに、絵を描くための資料を依頼されることもありました。 確かにその絵の具という【もの】は、例えば、ずっと絵を描くことに夢中になってどんどんと絵が上達していくといった感じで、Aさんとともにあることは残念ながらありませんでした。 たった2年ほど、Aさんだけが使って、そのあとはほかのどの子どもも興味を持つことなく、遊戯療法室の棚の片隅で、誰かが発見して使ってくれるのを寂しく待っている、という感じになってしまいましたが、私は、それでじゅうぶん、その絵の具を購入する価値はあったと感じています。 それは、その【もの】を媒介にして、Aさんがおそらく一番にほしかったであろう、私との【かかわり】を濃く結ぶことができて、その中でAさんのいろいろな思いや気持ちを私と、時間をかけてじっくりと共有することができたからです。 今回はここまでにします。次回【もの】と【かかわり】⑥、まとめ編です。
2024.07.20
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こんにちは、夫です。 前回までの内容は、児童養護施設へはたくさんの寄付が届くけれど、子どもたちはほとんどと言っていいほど、うれしいと感じたり感謝の気持ちを持ったりすることがなく、【もの】に恵まれるだけではこころは動かないのではないかということを、マズローの欲求5段階説を用いて述べました。 今回は(架空の)具体例を挙げて考えていきたいと思います。 小学4年生のAさんは、生後まもなく、お母さんを病気で亡くしました。お父さんは誰なのかは不明です。(お母さん側の)おじいちゃん、おばあちゃんはすでに亡くなっています。そのため、Aさんは乳児院、そしてその後は児童養護施設にてずっと毎日を過ごすこととなりました。 そんな身よりのないAさんでしたが、幸いなことに、お母さんにはお姉さんが2人いて、それぞれ家庭をもっていて子どもも複数いたため、Aさんをひきとることは難しかったものの、Aさんのことをとても気にかけてくれていていました。 長期休暇のときには自分たちの家にAさんを招いて家族とともに寝食をともにしたり、一緒に旅行に連れて行ってくれたりするとともに、年に何度かAさんに電話をかけてきては、Aさんの欲しい【もの】を聞き、それをAさんの暮らす児童養護施設まで送ってくれたりもしていました。 Aさんは、そうやっておばさん家族と過ごすことをとても楽しみにしていましたし、自分の欲しいものを送ってくれることもとても楽しみにしている様子が見られていました。 ところが、です。自分の思うようなところに行けなかったりしたときや、自分が思うおもちゃが送られてこなかったりしたときには、とても落胆した姿を見せたり、時にはぶつぶつと、おばさんたちを責めたり貶めたりするようなことばを職員の前で堂々と言うようになりました。 また、自分の望んだおもちゃが送られてきても、最初はもちろん目を輝かせてとても喜ぶのですが、お礼の返事を書こう、ということになると、え~、と渋ったり、しばらくそのおもちゃで遊んで飽きたら、それ以降は見向きもしないようになって、部屋の片隅にぞんざいに置かれていたり、押し入れの中に積み重ねられたりするようになりました。 そして、次は何をねだろうかな、とまだ見ぬ新たな、魅力的なおもちゃに思いを馳せるようになるのですが、それは年々、どんどんと高機能でとても高価なものになってきています。 職員としては、Aさんがどんどんとわがままに育っていっているようで、とても心配でした。 部屋はおもちゃであふれかえっています。他の子どもたちよりもはるかに【恵まれて】いるのにもかかわらず、それに対しての感謝の気持ちが感じられない。あまりにも自分勝手すぎて、このまま育って大人になっていったら、他人に感謝することのできない、常に不平不満ばかりを言うしかできない人間になってしまうのではないかと不安になっていました。 そして、施設内での心理療法をしてほしい、との依頼がやってきました。 長くなるので、続きは次回に。心理療法編です。
2024.07.19
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