2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全11件 (11件中 1-11件目)
1
「王子様とお姫様は、結婚して、幸せに暮らしましたとさ。」 「無償の愛。愛する人のためならば・・・」 「チューリップって、キスする時の唇に似ているからあの名前がついたってさ。」 「女の子たちは化粧室で、本当にお化粧を直しているだけなの。 たまに友達と出くわして、なんていうことのないお喋りをしているからちょっと時間がかかることもあるけれど。」 「人は、本当に自分を愛している相手を裏切れない。 自分のためであっても。」 全部本当かもしれない。
2004年06月30日
コメント(12)
私は昔から常にやましさを抱えている。 やましいことだらけで、何がやましいかなんてわからないほどだ。 愛する人に対しても、 友人に対しても、 職場の人に対しても、 家族に対しても、 常に後ろ暗いところがある。 私の抱えるやましさは、具体的な事項というより気持ちに近い。 隠そうとする気持ち、 恥ずかしいと思う気持ち、 秘密を抱えているという気持ち。 具体的に言ってしまえばとてもちっぽけなことばかり。 私は明るい太陽の下で、誰にでも同じ笑顔で、誰にでも同じ自分で接することはできない。 色々な人間関係の中で、それぞれ少しずつやましさのかけらをばら撒くことはあるけれど。 自分のやましい部分をあっけらかんと他人に露呈できる人。 デリカシーがないなあと思うけれど、ちょっと憧れている。 私はちまちまとした人間。
2004年06月28日
コメント(6)
あなたに見つめられているということに気づいていない私をじっと見つめて。 (これはまさに愛されている証拠) あなたに見つめられているということに気づいている私をじっと見つめて。 (見つめられていることを意識することでより綺麗な私をあなたに見せられる) 心じゃなくて、あなたのその目で物質的に私を見て。
2004年06月25日
コメント(4)
今日、すごく細い患者さんに、 「細いですね~!!」 と言われた。 「いやいや、あなたこそ」 と返した。 確かに私は細い。 昔から細い。 これはもう体質だ。 小学校の頃は、男子に「ガリ」といじめられた。 ローレル指数の値が、やせすぎの基準となる数値から更に低かった。 棒のような足が大嫌いだった。 でも、体は健康そのものだったから、複雑な気持ちだった。 前の国連事務総長であるガリという人の名前が嫌いだった。 お鮨についてくるガリも嫌いだった。 当然のように、ダイエットはしたことがない。 でも、ダイエットをしたことのない人間の辛さというものもある。 何も感じずに、やせっぽちの体で生きてきたわけではない。 高校の頃から、やせていることにコンプレックスを感じなくなった。 周りの女の子がみんなやせたがっていたから。 今はただただラッキーだと思っている。 謙遜もしない。 ジュリア・ロバーツが何かのインタビューで 「どうしてそんなにお美しいのですか?」 と聞かれていた。 野暮な質問。 彼女は 「両親に感謝しています」 と答えた。 スマートだ。 素敵だと思った。
2004年06月23日
コメント(12)
あなたが様々なところで使っているパスワード。 そのうちのひとつぐらい、 私の名前や誕生日になっているんでしょ? もちろんそうでしょ?
2004年06月21日
コメント(12)
今話題の「セカチュー」こと「世界の中心で、愛をさけぶ」。 片山恭一の大ベストセラーだ。 2年ほど前からもし機会があれば読んでみたいと思っていた。 だからと言って、買おうと思うほどのこともなく、図書館で予約しようかどうか迷う程度だった。 当時からまあまあ話題になっていた本だったので、図書館での予約数が多く、ま、待ってまで読むこともないか、と思っていた。 代わりに、彼の他の著書はほとんど読んだ。 図書館ですぐ手に入ったからだ。 「きみの知らないところで世界は動く」「満月の夜、モビイ・ディックが」「もしも私が、そこにいるならば」「空のレンズ」「ジョン・レノンを信じるな」・・・ あとは、「世界の中心で、愛をさけぶ」かあ、そのうち借りることができるだろう。 と高をくくっていたらこんな状況になってしまった。 多分しばらく読むことはないだろう。 ここまで話題になってしまうと、とてもじゃないけれど読む気がしない。 理由は「なんとなく」。 私には、あまりに話題になったものには近づきたくないという困った性癖があるのだ。 数年前に、テリー・ケイの「白い犬とワルツを」が話題になった。 作品自体は確か、6、7年前に新潮文庫から出ていたはず。 私は当時、タイトルにひかれて買って読んだ。 この本は、さりげなく私の本棚に並んでいたのだが、数年後突然話題になって以来、「なんとなく」手に取っていない。 さりげなく本棚の片隅にあり、そのうちまた手に取る機会もあっただろうに、話題になったことで、私の中での存在が微妙に変わってしまった。 さらに年月が過ぎれば状況は変わるかもしれないが。 「話題になる」のはよいことか。 よいことではあるのだろう。 しかし、作品そのもののよしあしだけでなく、話題になったということまでもその作品につきまとうのが不幸だ。 話題になる=優れたものだというイメージがあることも確か。 話題に引き寄せられてきた人々は、正常な判断能力を失っている場合が多い。 作品そのものを見る目が歪むのだ。 自分の中の声をちゃんと聞くこともせずに、いいものだと思いこむ。 もしくは期待過剰になっていて、期待はずれだと感じ、文句を言う。 話題にともなうこういう人々の存在が私の「なんとなく」の理由なのかもしれない。 一方で、私のようなあまのじゃくにとっては、話題になる=大したことない、というイメージがあることを否定できない。 この場合、やはり私の目も歪んでいるのだ。 まったくもって浅はかだ。 話題になったことによって、ただ騒がれたり、逆に敬遠されたり嫌われたりするものたち。 少し反省をして考えると、まったく人をひきつけないものが話題になるということはないのだろうと思える。 騒がれるのにはそれなりの理由がある。 それでも私は、本当に読みたいと思う本があっても、ブームが過ぎるのを待って、騒ぎが収まってからこっそりと手に取るだろう。 自分がまっすぐに感じるこころを失わないでいられることを願う。
2004年06月20日
コメント(12)
誰かが作った恋の歌を歌う時は 私のことを思い浮かべて。 だったら歌ってもいいわ。 じゃなかったら一生歌っちゃ駄目。
2004年06月16日
コメント(11)
以前住んでいた街について話そう。 通っていた大学のある街。 場所は都心なのに、家の周りは昔ながらの下町。 神田川が流れている。 春になると、橋から見える両岸の桜がそれはそれは綺麗なんだ。 野良猫がたくさんいた。 近所の人が餌をあげるんだ。 私も便乗してみた。 するとそのうち、アルバイトから帰ってくる私を家の前で待っている猫が現れた。 「ネコチャ」と名づけた。 ネコチャはどうやら餌が欲しいわけではないようだった。 私の姿を見ると、地面に背中をこすりつけ、撫でてくれとせがんだ。 いつからか来なくなったが。 なんのとりえもない公園があった。 まさに「公園」という感じの場所。 そこには、大切に飼っていたジャンガリアンハムスターの「オニヘイ」のお墓がある。 今でもたまに、オニヘイの好物だったナッツを持ってお墓参りに行く。 さびれた公園の片隅で、ボソボソとオニヘイに話しかけながらナッツを撒き散らす私の姿はきっと怪しいだろう。 鯛焼き屋があった。 1つ50円。 そこの鯛焼きにはあんこがぎっしり入っている。 皮も抜群においしい。 外側がサクッとしていて、その内側はしっとりしている。 お腹に溜まらない類のしっとり。 もともとあんこ屋さんだったらしいその店はとても小さく、おにいさんとおじさんの中間ぐらいの年齢の男性が一人で鯛焼きを焼いている。 その「おじおにいさん」は、慎重に、丹念に鯛焼きを焼く。 ちょっとでも彼の思い通りにいかない鯛焼きが出来上がると、おまけしてくれる。 例えば、「6つください」「じゃあ250円でいいよ」というように。 おじおにいさんは、焼きたての鯛焼きしか売らない。 だからいつも時間がかかる。 そのため、たまに行列ができる。 お客さんが並んでいてもいなくても、おじおにいさんは、自分のペースで鯛焼きを焼く。 慎重に、丹念に。 古いパチンコ屋があった。 ちっとも混んでいない。 私の恋人がアルバイトをしていたパチンコ屋だ。 そのお店の人たちはみんないい人だった。 店長さんと、近所のコンビニで偶然会うと、恋人と私の分の買い物もおごってくれた。 飲みに連れて行ってくれた。 お店のお花見に、私まで誘ってくれた。 社員の人の家でお酒と料理をご馳走になった。 一緒にプロレスを観に行った。 団地育ちの私は、その人たちに会って初めて、「人情」というものを知った気がする。 近所にボケたおばあさんがいた。 私と恋人は、「ツタちゃん」と名づけていた。 ツタちゃんは色々なところに出没し、奇妙なことをのたまった。 恋人が髪を青く染めた時、青い頭の彼とすれ違ったツタちゃんが「かわいそうに」と一言。 私が家の近くの路地を歩いていると、道端に停めてあった自転車の横でツタちゃんがかがみこんで、タイヤを触っていた。 そして、「とれないわ、これ」と一言。 エキサイティングだった。 ツタちゃんの姿もいつの間にか見なくなった。 そのことに気づいた時、愕然とした。 まともに言葉を交わしたこともなかったのに。 いつか、またあの街に住むことが私の夢だ。 実現してもしなくても、幸せな夢だ。
2004年06月13日
コメント(6)
とにかく喧嘩が嫌いである。 本心を不本意な形で出してしまうから。 心の2割しか占めていない部分を10割のように感じてしまうから。 恋人との喧嘩、家族との喧嘩はまだいい。 一番嫌いなのが、友達との喧嘩だ。 だから私は、昔から友達と喧嘩したことがほとんどない。 私に限って言えば、「喧嘩するほど仲がいい」というのは当てはまらない。 喧嘩をしてよりわかり合えるというのもいまいち納得がいかない。 喧嘩などしなくてもわかり合うことはできると思う。 私は、本当に親しくない友達とはぶつかり合うことすらない。 どうでもいいから。 親しい友達とは気まずい雰囲気になると離れる。 お互いに距離をとるのだ。 時間が経って、また心のペースが合う時期がきたら、気まずくなった時期のことも含めて笑って話す。 お互いにわかっているのだ。 「あ、今は気まずい」と。 そしてこじれるのを防ぐ。 それでも喧嘩をする友達同士より理解度が低いとは思えない。 そういうやり方なのだ。 喧嘩をすると、一時的に心が荒む。 悲しい。 恋人との喧嘩。 これは避けられない。 恋人と喧嘩している時の私はみっともない。 愛している人との喧嘩ほど醜い。 私は子供のようにわんわん泣く。 暴れる。 食べ物をひっくり返したり、恋人のTシャツを鋏で切り裂いたこともあった。 顔を真っ赤にして泣き叫ぶ私を、恋人が「赤い小猿ちゃん」と名づけたこともあった。 それだけしてもこの人は私を嫌わない。 別れにつながることはない。 この人は私を愛している。 そういう確信があるからこその言動なのだが・・・ でも、できれば恋人との喧嘩はその日のうちに終わらせたい。 何でもいいから終わらせたい。 愛し合っていることはわかっているのだから。 喧嘩をすると、本心が口からどんどん漏れる。 喧嘩の最中の本心なんて、そのまま言っちゃいけないのに。 本当のことだから、言っちゃいけないのに。 できれば、喧嘩なんて一生したくない。 言っておくが、私は平和主義者でもなんでもない。 ただ、喧嘩による心の揺れが嫌いなのだ。
2004年06月11日
コメント(9)
好きな男の人ができると私がまずしたくなること。 その人と一緒に住むこと。 実現したりしなかったりしたが、まずは一緒に暮らしたくなる。 理由。 二人の空間が無限になるから 相手の様々な姿を見られるから。 一緒に出かけても同じ場所に帰ることができるから。 料理の腕を披露できるから。 私のすっぴん&パジャマを見せられるから。 私の鼻歌を聴かせられるから。 好きな人のTシャツを洗濯できるから。 でも。 他人と他人が一緒に暮らしていれば、そのうち慣れてくる。 心地よくもなってくる。 色気もなくなってくる。 「一緒に暮らす」が「生活」になってくる。 「生活」は大問題。 愛情だけの問題だけではないから。 生活は日常だから。 その日常に愛情も飲まれるから。 「日常は分厚い」と言った詩人もいたな。 恋人と一緒に暮らしている今。 お金もまったくない今。 それでも「生活」の面倒なことは放っておいて、 ただただラブラブしていたいという気持ちは捨てられない。 ラブラブしてりゃいいってもんだと思う。 私が優しくできない時でも、恋人が無条件に私に優しくしてくれたらいいなと思う。 ずーっとくっついて、仲良くしてればそれだけでいいと思う。 ラブラブしてりゃいいってもんでしょ。
2004年06月08日
コメント(21)
休日でない日に対して、休日がある。 休日は休む日だから、それ以外の日は休んでいないことになる。 だから休日ってこんなに気持ちがいいんだ。 仕事は嫌じゃない。 でも休日は嬉しい。 なのにこの休日は今日で終わることを考えても悲しくはない。 今の私にとって休日はきっと、仕事の逃げ場ではないのだろう。 仕事での問題は仕事の中で改善しなくてはならない。 休日は純粋に体と心を休ませる日。 私は気分の切り替えがうまくない。 今でもそうだ。 しかしこの仕事に関して言えば、あまりにも初心者だからか、職場の雰囲気がそうさせるのか、家に帰ってまで仕事にとりつかれることはほとんどない。 解剖学などを家で勉強したり、同居人相手にマッサージや指圧の練習をすることはあっても、それは仕事ではない。 仕事には色々な段階、時期がある。 慣れなくて、不安だらけで、緊張のままにあっという間に時間が過ぎていく時期。新しいことをどんどん吸収して、前向きになる時期。 少し慣れてきて、見えてくるものが増え、自分の思い通りに仕事をこなせないことを実感し、どんよりとする時期。 面白いほどに波がある。 その時期、段階によって、家での気分や休日の意味合いも変わってくるわけだが、それはすべて自分の側の問題であるともいえる。 仕事のせいではない。 私にこんな考え方をさせてくれる、私に純粋な休日を過ごさせてくれる、今の職場の環境をありがたいと思う。 もっとも、これも波が引いた一時の静けさだろうが。 というわけで、昨日今日と休日を過ごしている。 昨日はあまりに気持ちのよい気候だったので、grassと渋谷、青山、原宿の辺りを歩いた。 普段青山で働いているのに、地下鉄の駅出口から、職場の入り口までの距離は正味5歩。 まったく青山を感じない。 昨日は久しぶりに「都会」の散歩を満喫した。 今日は雨。 本を読み、ピアノを弾き、ギターを弾き、歌い、ゆったりとした気持ちで眠り・・・ 窓から白い紫陽花が見えます。
2004年06月06日
コメント(14)
全11件 (11件中 1-11件目)
1


![]()