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まったく根拠のない偏見で、「よくない」と思っていたものたちがある。 たとえばそれはラブホテル。 たとえばそれはエステ。 たとえばそれは無駄遣い。 都内の大学に入学すると同時に独り暮らしを始め、それまで自分が「よくない」と思っていたものたちを検証してみようと思い立った。 まずはラブホテル。 仲のよい男友達に(それもかなりさばけた)事情を話し、ラブホテルの内部を見てみたいと頼んだ。 彼は快諾してくれた。 というわけで、私は男友達と渋谷道玄坂のラブホテルに出かけていった。 ラブホテルというものをまったく知らない私は、1泊旅行にでも出かけるかのような重装備。 パジャマ、歯ブラシ、洗顔用具一式、記念にとカメラまで携えて初ラブホテルに臨んだ。 実際部屋に足を踏み入れると、何ともまあ、寝巻きや歯ブラシ等、必要な物はすべてそろっているではないか! それでも私は持参したパジャマに着替え、カメラで室内を撮影しまくった。 彼は高校時代から相当遊び慣れている人だったので、その時彼が選んだラブホテルは部屋の内装もシンプルで、けばけばしくはなかった。 私の持っていたラブホテルのイメージとは大きく違っていた。 それでも私はすべてがもの珍しく、興味津々だった。 カラオケがついているのにも驚いて、明け方まで彼と散々歌いまくった。 挙句の果てにフロントから電話があり、「隣りの部屋の方からうるさいと苦情がきたので、もう少しお静かに願います」とのこと・・・ で、二人でぶつくさ言いながら眠った。 結論として、ラブホテルってそんなに悪いものじゃないと思った。 いかがわしそうなイメージがまたいいんじゃないか、と。 次はエステ。 もちろん実際に通ってみた。 これはまあ、お金がかかるなあというのが一番の感想だ。 積極的に悪くはないけれど、私としては、大金を払ってまでの効果や意義が感じられなかった。 その時していたバイト代を考えて、30万円まで試してみた。 でも、つまらなかった。 エステに通う人を馬鹿だなあとは思わなくなったけれど。 私には特に必要ではないことがわかった。 無駄遣い。 私の家は、無駄遣いをしない家だった。 だから小さい頃はうちは貧乏なんだと思っていた。 その考えは間違っていて、それはうちの方針だったのだ。 小さい頃は、必要じゃないものはあまり買ってもらえなかった。 それを不満に思っていた。 今はわかる。 両親は必要なものやことになら、いくらでも協力してくれる。 娘二人を私立大学に入れ、学費も仕送りも充分にしてくれ、実は裕福な家だった。 独りで暮らし始め、アルバイトもし、色々必要じゃない物を、欲望に任せて買いあさってみた。 欲しいと思ったから。 楽しかった。 お金さえ出せば手に入る物たち。 しかし「よくないこと」という考えが一番拭いきれないのがこの「無駄遣い」だった。 自分の物じゃないから、自分の物にしたい、というエゴを感じるから。 手に入れることに全力になって、実際手に入れてみると意外と空しかったりすることもあった。 そういう時よく、谷川俊太郎の詩の一部分を思い出した。「どんなに好きなものも 手に入ると 手に入ったというそのことで ほんの少しうんざりするな どんな好きなものも 手に入らないと 手に入らないというそのことで ほんの少しきらいになるんだよ」 今私は欲しい物がほとんどない。 だから結論は出ない。 でも、「よくないもの」を検証するのはそれなりに楽しい。 実際に体験してみないとわからないことがたくさんある。 ラブホテルも、エステも、無駄遣いも。 それらに限らず恋愛も失恋も、愛する人との生活も。 個人個人で、知らない方がいいこともあるが、私は、自分が知りたいこと、知るはめになったことは、ちゃんと見つめたい。
2004年08月29日
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スキンヘッドを「つるっぱげ」と言ってしまった私は悪い子? 最近長い文章が書けません。 ちょっとした言葉しか思いつきません。 今思いついたこと。 みなさんは、自分のHPの存在を誰かに伝えましたか? 私は限られた友人にしか伝えていません。 職場の人にもアドレスを教えろと言われ続けていますが、あまりにも身近、それも現実の世界でちゃんと身近な人にはなかなか教えられません。 何でしょうね。 別に、HPでの自分が、現実世界での自分に対する「違う一面」だというわけではないのです。 でも、職場の人が今、このHPを見ると思うと、書く内容の幅が狭まるような気がします。 それとはまったく別の部分では、HP上の私の言葉たちを職場の人にも知ってほしいと思う自分もいるのですが。 やっぱり教えられません、今は。
2004年08月19日
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小さい頃、幼なじみと好んでよくした遊びがある。 「反対言葉」という遊びだ。 やり方は簡単。 自分が言いたいことと反対の言葉を喋るのだ。 例えば、「Mちゃんってぶさいくやね~」「greenちゃんこそ」から始まって、「Mちゃんのお母さんってすごい怒るし、私嫌い。あんなお母さんの子供に生まれんくてよかったわ」「greenちゃんのお母さんなんてさあ、服のセンスもすごい悪いし、料理も下手やし、絶対にうちのお母さんとは取りかえたくないわ~」等々・・・ そう言い合う私たちはゲラゲラ笑っていて、楽しくて仕方がない。 そして同時にすっきりしたものだ。 反対の言葉を使うことで、本当に言いたいことを吐き出していたのか。 それは違うと思う。 私はどこの親よりも、自分の家族を愛していたし、Mちゃんだってそうだ。 何ていうか、人には「半分半分」なところや「ないものねだり」なところがある。 子供だって大人だって同じだ。 自分の環境に心底不満を持っているわけではなくても、自分が持っていないものに対して「自分は持っていない」ときちんと判断できるのだ。 私とMちゃんは、その部分に、反対言葉という遊びで触れて楽しんでいたのだろう。 それに、すべてを反対言葉に置き換えるのは意外と大変で、途中で混乱してくる。 その混乱がまたおかしくて、ゲラゲラ笑った。 普段は絶対に口にしない類の言葉を堂々と吐いている自分達が愉快で、ゲラゲラ笑った。 思えば豊かな子供時代だったものだ。 感性なら今も負けてはいないけれど。
2004年08月09日
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あなたは、外で私以外の誰かとおいしいものを食べている時 その頃私が独りでカップ焼きそばを食べているのではないかと心配するのではなく 私が独りで何かおいしいものを作って食べているのではないかと いてたってもいられなくなるべきなのだ
2004年08月06日
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