2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全9件 (9件中 1-9件目)
1
2~3歳の幼児から小学校低学年の児童まで幅広く見られる。外出した際に、道路に書いてある白い線の上を通らないと気が済まないという依存症。白線が途中で切れていると、そこからはガンとして動かなくなり、母親はなだめたり、すかしたり、最後には切れまくってしまうというやっかいな副作用がある。 横断歩道を渡る際に突如発症する子どももおり、鮫の背中を飛んでいくイナバの白ウサギのごとく、交差点の真ん中で必死に飛び始めることがある。この場合は危険でもあり、無理矢理抱きかかえて連れていかれることが多い。 症状としては葉っぱや石の上、一段高いところだけを歩いたり、日なたの明るいところ、日影の暗いところだけを歩くこともある。かといって天気の悪い日は大丈夫かと言えば、水たまりの中しか歩かない母親泣かせの症例も多い。 道は歩くためのものと悟りを開くまでは、残念ながら治らない。posted by 若草みゆき研究員
July 31, 2005
コメント(2)
スポーツをリアルタイムかそれに準じた状態で観戦しないと意味がないという信念を持っていること。トリックのわかってしまった推理小説を読む気にならないのと同じように、結果のわかった試合を見ることに拒否をする。試合会場まで出かけていける場合は問題なし。テレビで生中継を見られる場合もOKだ。問題は諸般の事情でテレビの生中継さえ見られないとき。その録画した試合を生中継と同じように、ハラハラしながら観戦するために、涙ぐましい努力をするのがハラハラ依存症だ。ニュースを観たくても観ることができない。いきなり番組の冒頭で結果が報道されることもあるからだ。インターネットの検索ページも開けない。有線放送が流れているコンビニや喫茶店にも入れない。その試合の話題で話している人のそばにも近寄れない。そして、録画した映像を再生するときこそもっとも要注意。一瞬のテレビからの音声で結果を知ってしまうことがあるから、慎重にチャンネルを選び、音量をミュートにしてテレビをつける。そして、一番の難敵は家族。これほど努力をして、ハラハラしながら観戦しようとしているのに、「話さないで!」と絶叫しているのに結果を伝えることこそ最高の親切と言わんばかりに結果を教えてくれる。こんなにも努力を重ねてやっと、生中継と同じようにハラハラしながら録画したものを見ることができる。そして、今日も予約録画をセットして出かけるのだ。posted by 重吉未来子研究員
July 30, 2005
コメント(4)
この世で一番恐いものが寄ってこないようにするために、ありとあらゆる手を尽くそうとする事象。 女性に多いが、男性の中にもこの隠れ依存症の人は多い。地震、雷、火事、親父と恐いものは多いが、この依存症で目立つのは何と言っても「虫」である。どんな虫でも恐いのだが、トップスリーはゴキブリ、クモ、毛虫だ。触るのはもちろんのこと、見るのも、虫の話を聞くのも嫌で避けている。 キャンプで山の中に行くなど論外であるし、桜の終わった後は決して木の下を通らない。窓という窓にはきっちり網戸を完備し、流しもいつもピカピカにしている。その上、もしもの時に備えて、部屋ごとに殺虫剤を常備している。もちろん、はえたたきやスリッパや新聞紙など、とっさに退治するグッズも欠かさない。 しかし、台所でカサコソという音を聞いたときにはすべての備えが無駄になる。たいていの場合一目散に食卓の上にのぼり「キャー、寄らんとって!」と声を限りに叫ぶだけとなる。下手に手を出して、近寄られたら大変なのだ。posted by 若草みゆき研究員
July 29, 2005
コメント(4)
とにもかくにも空いている日があることを「もったいない!」と思ってしまい、予定を詰め込み、気が付いた時には、あら、まあ、予想外の予定も入り、身動き取れないくらいのスケジュールでいっぱいになっている状態。毎日がジタバタ、ドタバタ。時間との闘いが勝負といわんばかりにスケジュールをこなしてゆく。相棒はもちろん「スケジュール帳」。これがないと始まらない。寝不足と戦いながら、時には徹夜明けのひどい状態でも人に会いに行く。仕事が忙しくてもなんのその、やっぱりスケジュールはこなさなければ!そう思わずにはいられない。SOHOと言われる在宅ワークをしている人に多いのが特徴だ。posted by スズキリナ研究員
July 27, 2005
コメント(5)
どこへ出かけるときも、孫を連れて行きたがる祖父母たち。「孫のために」と言いながら、実は自分のために、孫を連れて行きたがっていることにお気づきだろうか。孫さえ一緒にいれば、元気100倍!どこへでも行けるし、何でもできると信じている現象。 現代のおばあちゃまは「お婆ちゃん」と呼ぶには気が引けるほど元気で若々しい。その上、時間も金銭的にも余裕があるから、ドンドンいろいろな所に出かけて楽しみたい――でも一人では心細いし、何となくバツも悪いときもある。そんなときは、孫を連れて行くと、何かと格好がつくというもの。フルーツ盛りだくさんのパフェを食べたり、遊園地や動物園へ行くときだって、「……だってねえ、孫が連れて行ってって言うのよぉぉ」その一言で孫思いのおばあちゃんを演じられ、堂々と遊びに出かけることができるのだ。また、夫婦2人きりでは決して出かけないし会話も生まれないのに、孫が一緒だというだけで、2人は仲良く楽しく外出ができる。会話だって弾むわけである。 この依存症は度さえ過ぎなければ、周囲の人も幸せにする嬉しい効能がある。おばあちゃんと子どもが外出してくれれば、お母さんは子どもがいない間に息抜きができるし、ひょっとすると、お土産まで買ってきてくれることもあったりするからである。 孫の年齢が低いほど依存度は高くなる傾向にあるのが特徴だ。孫が小学校に入れば平日の昼間は学校に行ってしまうし、中学生にでもなれば、おばーちゃんと出かけるより友達とのつきあいのほうが優先されるからだ。部活や塾も忙しくなり、ジジ、ババどころではない。その点から考えれば、せいぜい小学校低学年までの期間限定依存症とも言える。期間が限定されていて、お年寄りも元気になり、周囲にも恩恵があるという点を考えると、いいことづくしの依存症といえるだろう。 posted by 大京寺かりん研究員
July 27, 2005
コメント(7)
電車から降りるときに、目的地に一番近くて便利なドアから乗らないと気がすまない現象。うまくいったときには一日中気持ちがいい!「今日の行き先は○○駅だから、2両目の真ん中のドアから乗る」というように、各駅の階段の位置を把握し、必ず一番便利なドアから乗る。乗るべき電車が到着していても目的のドアに向かって歩き続け、間に合わずにやむなく乗ったら、電車の中を歩き続けるので、混雑時は迷惑な存在になる。「乗る前に歩いても、降りてから歩いても、歩く距離は同じではないか」という論理は通用しない。降りた後、最短距離で階段にアクセスできなければならない。旅行のときのようにたまに乗る電車の駅までは、さすがに把握できないので、電車が駅に進入したときに階段の位置を確かめ、より近いドアまで降りる前に移動しようとする。どんなに時間的余裕があろうとも、よりスムーズな移動を追及するのが大きな特徴である。posted by 重吉未来子研究員
July 26, 2005
コメント(10)
ちょっとでも揺れを感じると、あらゆる手段を使ってでも震度や震源地を確認しなければ気が済まない症状「あれ?なんか揺れた?!」ちょっとでも揺れを感じると、今の地震の情報を確認しなければいられなくなってしまう。すかさずテレビのスイッチを入れると、ピロン♪ピロン♪というチャイムが聞こえ、速報が表示される。それだけで「あーやっぱり」とホッとした気持ちになる。しかし速報が出ないような微少な地震のこともある。「おかしい! 確かに揺れたのに!」そうなるとインターネットの気象庁のページから、自動で地震を観測するようなページまで探し回ってでも確認したくなる。それでも見つからないと最後にたどり着くのは、2ちゃんねるの地震板。「 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ よね?」などと書き込みをして、「疑問形で上げるんじゃない」と叩かれる始末。作り悪い住宅ではトラックが通ったり、風が吹いたりしただけでも揺れることなどよくある、ということはすっかり忘れているのである。posted by 大島つむぎ研究員
July 25, 2005
コメント(6)
考えごとをするには、ぐるぐると歩き回るのが一番と思い込み、毎日ぐるぐるしつづける事象。 あまり数は多くはないが、「ぐるぐる依存症」と名付けたくなるような人々がいる。それはまるで動物園の熊のように、たとえどんなに狭い部屋の中であっても、常にぐるぐると歩き回り続ける人々のことである。聞くところによると、歩きながら考え事をしているらしい。 京都には「哲学の径」という有名な道がある。哲学者の西田幾多郎が歩きながら思索にふけったという風情ある道だ。哲学者ともなると歩くだけで哲学的な考えが浮かぶのだ。どうやらこの依存症の人たちはそれをまねして歩いているようだ。あるいは、ぐるぐると歩いていたときに、たまたまいい思いつきをしたことがあって、それ以来癖になっているのかもしれない。 いずれにしても、回りの者にとっては何とも目障りでうるさい状態である。そこで何とかやめさせようとするのだが、本人はいたって真面目な顔で「考えられなくなるから止まれない」などと言う。 この場合、対処方法には2つある。まず、どうにも止められないならば仕方がない。足の裏に雑巾を巻き付けて、歩きながら掃除をしてもらおう。それでも、どうしても止めたい場合は、一緒にぐるぐる歩いてみよう。そのうちに、ぐるぐるをやめさせるいい方法がきっとひらめくことだろう。posted by 若草みゆき研究員
July 24, 2005
コメント(6)
水道水は汚い」というメディアからの情報を信じ込み、高価な浄水器やペットボトルの水を購入する。お米を研ぐのでさえも水道水は使わない。きれいな水さえ飲んでいれば健康が保てると信じている人たち。朝起きると、すぐに今日一日使うアルカリイオン水を整水器で作る。顔を洗うのも、歯を磨くのも、このきれいな水を使う。家庭用のアルカリイオン水整水器は、きれいな水が出てくるのにかなりの時間を要する。それでもその時間こそがおいしい水の証とばかり、じっと待つ。水道から流れてくる水には毒が入っているように感じるからいっさい飲まない。子供が水道水を飲もうとしようものなら、「ダメ!汚いでしょ」と取り上げて、お手製アルカリイオン水を差し出す。外食をしたときには、「当店はきれいな水を使っています」という表示がない限りは、水を口にしない。たとえ激辛ラーメンであっても我慢する。これがアルカリイオン水依存症だ。その昔、水道をひねればいつでもきれいな水が流れ出ていた。お水にお金をかけるなんて誰も思っていなかった。だが、そんな時代はいつしか終わりを告げ、都会に住む人たちは水道水を飲まなくなった。スーパーの「おいしい水」コーナーでは、主婦たちがポリタンクを持って列を作る。ネット通販で高級な水を定期的に購入している人もいる。水道局はきれいな水を作るために努力をしており、そのまま飲める水準だというのに、都会人は水にお金をかけるようになった。これはたぶんにメディアによって植えつけられた先入観によるものだろう。特に集合住宅に住んでいる人たちほど、水道水には敏感なようだ。マンションの屋上に設置された貯水タンクの中に、ネズミの死骸が浮遊している映像がテレビで放映されてからは、高級な浄水器や高価な整水器が飛ぶように売れたという。飲料水に関連する商売は今や一大ビジネスとなり、今後も成長を続けるだろう。飲料水に対する恐怖心が、メディアと業者によって仕組まれたものとは考えられまいか。その戦略に乗っかってしまった都会人たちは、今日も朝からアルカリイオン水作りに励むのだ。posted by 笠松ゆみ研究員
July 23, 2005
コメント(2)
全9件 (9件中 1-9件目)
1