全109件 (109件中 1-50件目)
12'srose my Diary 2015.8.14(金)今夕、安倍晋三総理大臣の談話を聴きました。戦後70年戦争を体験していない私には、書物や映像、語り手の言葉を頼りに当時のことに思いを馳せ、考え、想像を巡らせ、二度とこのような・・・の思いに至ります。兵役に就かれ多くの方々の命を、傷を受け帰還された方々、爆撃による市井のの人々の命を奪われました。家も田畑も焼かれ、焦土の海と化した、戦場の傷跡。原爆投下による広島、長崎の多くの人々の命を奪い、いまなお苦しみ、哀しみの中におられる方々を思うとき、二度とこのような戦争がないことを心から祈ります。そして、今日の安倍総理大臣の談話を聴き、印象に残った文言は、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、 そしてその先の世代の子どもたちに、 謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」私もこのように思っていたことを共有できた言葉でした。かつての戦争において、消すことはできない事実を認識し、負の歴史から学び、新たな歩みを進めていくこと。子や孫、またその孫の子またまたその後もずっと続いていく生命の絆に先の戦争による謝罪を続ける宿命を背負うことなく未知の世界をまっさらなキャンバスに「平和」な時代を描いていってほしいと。母なる祖国の日本を誇りに思い、堂々と世界中の人々と良好な関係を築き、親交を深め、未来を歩んでいけたらと、孫を持つ身として強く願います。*この大戦争は一部の人たちの無知と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕はそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無知だから反省などしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。小林秀雄
Aug 14, 2015
コメント(4)
12'srose my Diary 2015.3.10(火)弥生三月春めいてきましたね〜。我が家の庭にも春がやってきました。スノードロップが雪の中から顔を出し、”今年も出てきたよ”と、春を告げ木々の芽が赤みを帯びて、枝垂れ梅が開花し始め、ふきのとうがあちこちから生まれています。春は万物の誕生の時なのですね〜我が家にも新しい家族が誕生しました娘に第2子の男の子が生まれ、いつの間にか孫三人のばばさまになりましたお姉ちゃんになったRちゃんは、食欲旺盛なので小さく生まれて大きく育って健康優良児娘に”Rちゃん、赤ちゃんが生まれること知ってるのかな?”と、聞くと娘曰く”パパもママもお腹が大きいし、Rちゃんも大きいしRちゃんち(家)はみんなお腹が大きいねって、◎◎くん(彼の名)が話すから赤ちゃんが生まれることはわかってないかも..."と、出産前に話していたのでお姉ちゃんのRちゃんは、赤ちゃんが生まれてくることなどわかっちゃいないということで「およその赤ちゃん」のごとくに興味を示さず...不思議なモノを見ているような顔をするのもまた愛らしい。と、そのようなわけで私、この春、ばばさま業に拍車がかかったのであります。娘は現在、赤ちゃんと一緒に入院中退院と同時に産後の手伝いにばばさま大活躍の時を迎えるの図ブログの更新のない時でも毎日、いろいろなことがありますね。ほんとうにいろいろ..もうひとつ我が家のニュースは、新居への引っ越し息子家族と二世帯の暮らしに入ります今週末に息子家族(息子夫婦+ベビーのSちゃん)が先に転居、我が夫婦は5月頃、引っ越しの予定。(必要最小限のモノでスッキリ暮らすを目標にお気に入りだけを新居へ)現在の家は、愛着があるのでそのまま置いておき、週末の山の家として活用します。「旅とは、日常生活からしばし姿をくらまし行方不明になることでもある」・・・なのだそうで 引っ越しが終わったらゆっくり命の洗濯の旅に出られたらいいなぁと考えています。弥生三月、素敵な春の予感に期待して...こいつは春から縁起がいいわ〜い♬ となりますように
Mar 9, 2015
コメント(8)
12'srose my Diary 2014.9.15(月)来週は、お彼岸以前、京都大覚寺に暑い夏の昼下がり、正座で写経をしました。暑さをひととき忘れたあの写経の時間は格別な印象を持っていまも残っています。東京の自宅で毎朝の家事を終えた後大覚寺からいただいてきた写経一式を揃えて「写経」に励んでいたことがありました。いま、思うと静謐な心地よい時間を過ごしていたなぁと、思い出しました。写経は、「般若心経」というお経を文字通り書き写すのですがその日によって、上手下手ではなく「いい感じで書けた」と思うときと「ううん。。イマイチかな」となかなか一枚も同じように書けないものでした。「般若心経」は、なかなか意味がよくわからないまま、ただなんとなく「写経」していましたが調べてみると、「般若心経」現代語訳をされた方がいたので記します。「般若心経」 現代語訳超すげー楽になる方法を知りたいか? 誰でも幸せになるヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。 苦しみも辛さもすべていい加減な幻さ。安心しろよ。この世は空しいもんだ。 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わりゆくもんだ。 苦を楽に変えることだってできる。汚れることもありゃ背負い込むことだってある。だから抱え込んだもんを捨てちまうことも出来るはずだ。この世がどれだけいい加減かわかったか?苦しみとか病いとか。 そんなもんにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。 聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ? 何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが「無」ってやつさ。 生きてりゃ色々あるさ。辛いものを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いてけよ。先のことは誰にも見えねえ。 無理して照らそうとしなくていいのさ。見えないものを愉しめばいいだろ。 それが生きる実感ってヤツなんだよ。正しく生きるのは確かに難しいかもな。菩薩として生きるコツがあるんだ。苦しんで生きる必要なんてねえよ。 愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。過度な恐怖だって生きていくのに役立つもんさ。勘違いするなよ。 非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな。 それができりゃ涅槃はどこにだってある。生き方は何も変わらねえ。 ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。 短い言葉だ。 意味なんて知らなくていい。細けえことはいいんだよ。 苦しみが小さくなったら上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみはなくなる。そういうもんなのさ。 今までの前置きは全て忘れてもいいぜ。でもこれだけは覚えておけ。気が向いたら呟いてみろ。 心の中で唱えるだけでいいんだぜ。いいか、耳かっぽじてよく聞けよ。『唱えよ。 心は消え 魂は静まり、全ては此処にあり。 すべてを越えたものなり』『悟りはその時叶うだろう。 全ては真言に成就する』心配するな 大丈夫だ。
Sep 15, 2014
コメント(6)
12'srose my Diary 2014.4.2(水) 今年も桜の季節が巡ってきました。我が家周辺の桜の開花は、毎年4月中旬ぐらいなのでもう少しの間、お預けですが一斉に植物が咲き乱れるさま、遠くに見える山並みの残雪の白、とても美しい風景で毎年、楽しみにしています。3月22日土曜日息子夫婦に第一子女の子が誕生しました。我が家は、昨年の6月に娘が第一子女の子が誕生し、今年3月に息子夫婦に女の子が誕生。ふたりの孫のばばさまになった私です。このふたりの孫は、ばばさまの私にとって、双子の孫のように成長を見守っていく喜びを得ました。同級生の従姉妹同士、仲良く元気に育って欲しいと願っています。入院していた母も退院し、家族が増え、家族がみな健やかに過ごせますようにと家族のことを深く考えるようになったことは、未来を託す孫の誕生がきっかけなのかもしれません。春の佳き日に生命の誕生に感謝し、桜咲くこの季節を愉しみたいと思います。先週は、フィギュアスケート「世界選手権」が埼玉アリーナでありました。会場は1万7千人あまりの観客が観戦する圧巻の集客数にフィギュアスケートの人気が窺えました。今年、引退を表明した鈴木明子選手「集大成の演技」と位置づけた高橋大輔選手(大ちゃん)と浅田真央選手(真央ちゃん)は、残念ながら大ちゃんは怪我のため欠場となり、真央ちゃんの競技生活最後の参戦ともなればファンとしては、見届けないわけにはまいりません。真央ちゃんがリンクに向かう佐藤信夫コーチと言葉を交わすあたりから緊張で(私が滑るわけでもないのに)心臓がどきどき呼吸ははぁはぁ。いい大人の年齢の私が、こんな状態なのに__あの会場のあの雰囲気に包まれたリンクで演技をする真央ちゃんは音楽が流れる前のほんの一瞬、大きく息を吐く。はじめのジャンプの3A(トリプルアクセル)を跳び、そのまま音楽に乗り演技が終わり、万雷の拍手とスタンディングオベーション他を寄せ付けない別格の演技で優勝でした。競技が終わった後のエキシビション選手のみなさんの競技にはないもうひとつの顔と演技を観ることができて。フィギュアスケートならではの愉しみなショー。余韻を残しながら、今季の競技は、これにて終了。
Apr 2, 2014
コメント(8)
12'srose my Diary 2014.3.11(火)3月11日は、東日本大震災から3年目の記念日。あの日に遭ったことは、いまでもずっと心に残り、負の遺産となって心に刻まれています。いまでも大切な家族を亡くされた人々、家を流された人々、生活の場を失った人々、生かされた命の大切さを身にしみる大震災の学びでもありました。多くの犠牲になられた方々の無念の思いも生かされた我々が祈念の時にしていきたいと思います。亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。
Mar 11, 2014
コメント(0)
12'srose my Diary 2014.3.2(日)3月初めの日曜日。昨夜遅くから、雪が舞い始め、今朝は春の雪化粧をした那須です。1月の後半、家族に「今年は雪が少ないね〜。 このまま春がきちゃんうんじゃない?」と、話していたら2月15日土曜日のこと雪の神様が「そこまでいうなら、どかーーんと、降らせよう」降りも降ったり一日にして、70cmほど積もりました。まぁ、その雪の日の午後、我が家では一大事が起きました。家人が車で外出し、帰宅する道路で車が動かなくなり、そのまま徒歩で我が家まで移動。虫の知らせで気になり、携帯電話に連絡すると、電話口で悲壮な声で「ぜーぜーハーハー いま、◎◎を歩いてる・・足が動かない・・」「待ってて、迎えに行くから__」と、長靴を履き、玄関を出ると大雪に覆われ、一歩一歩歩くも一歩で一呼吸、また一歩で一呼吸しながら、歩を進めようにも深い雪のなかに足をとられ、途中で舞い上がる吹雪が顔に当たり、痛い。もういちど、携帯電話で電話をしてみる。「・・・・・・・・・・・・・・・」呼び出し音は鳴るものの電話に出ない というより、出られない状況を考えると非常事態を想像する。このまま、◎◎まで向かうには無理だと思い、家に戻り、近所のTさんに連絡するも留守。さて、どうしよう!!もう一度、携帯電話に連絡すると、近くの民家で、休ませてもらっているとの返事。30分ほどして、雪まみれになって帰宅した。濡れた衣服を着替え、暖をとってそのままベッドルームへ。朝から、停電になり、携帯電話も充電ができないので急用のみ連絡することにして、夜、8時頃まで静かに家で過ごした。灯りが点ったとき、すぐにTVで気象情報を観て、山梨も東京奥多摩地区も大雪になっているとのこと。記録的な大雪に我が家も足下を掬われた一日だった。雪の恐さを思い知ったできごとでした。無事にこうして春の足音が聞こえる頃を迎え、あらたな感謝の気持ちで3月を過ごしたいと思う。
Mar 2, 2014
コメント(2)
12'srose my Diary 2014.1.8(水)新年おめでとうございます今年もどうぞよろしくお願いいたします元旦は、息子夫婦とともにおせち料理と福(ふく)に縁起をかけてふぐ三昧を昨日は、今年も元気に過ごせますようにと七草粥をいただきました家族が元気に食卓を囲める幸せはなによりもありがたいことだと感謝して今年も始まりました昨年(先月のことなのにもう昨年なんですね、当たり前といえば当たり前なんですが)の12月は、私(比)のなかで特別にあれこれあった時を過ごしました仙台への旅、母の入院、クリスマス前の知人との会食、クリスマスの準備、クリスマスミサ、娘夫婦の来訪、新年の準備年末に知人の死の報せを受けその手配etc.まさに生きているうちには、いろいろ起きることを実感しましたつつがなく過ぎていく日常のありがたさは 何か事が起きて知る感謝の日々今年も健やかな日々でありますように2014年 そう願った元旦でした
Jan 8, 2014
コメント(3)
12'srose my Diary 2013.7.2(火)2013年も前期が終わり、後期(7月)に入りました。6月は、家の用事でほとんどPCに触れることもなく、あっという間の一ヶ月を過ごしました。と、いうのは、我が家に赤ちゃんが誕生したから・・です。わたしは世間でいうところの「おばあちゃん」になりました。6月4日(火)娘に女の赤ちゃんが産まれ、母子共に元気で間もなく生後一ヶ月になります。新しいいのちの誕生は、まさに神様からの授かり物。我が子の誕生の時と同様に生命の不思議を感じました。”孫はかわいいよ〜♪・・”と、友人知人の先輩のおばあちゃんから聞いていたので”ま、そんなものなのね〜・・”とヒトゴトのように思っていたら生まれたての娘の赤ちゃんをみて、言葉にならない感動をおぼえました。嬉しさと神々しさと生命の重みがずっしりと。↑娘に送ったベビー誕生おめでとうカードペーパークラフトのメリーゴーランドが愛らしく、このカードにおめでとうのメッセージを添えて。梅雨空をよそに娘の赤ちゃんの育児の応援で1日の過ぎるのがなんと早いこと。「おばあちゃん奮闘日記」でも記しておこうかなぁ・・なんて思うこの頃です。なんとか元気に娘の家に滞在し、おばあちゃんをしています。
Jul 2, 2013
コメント(12)
12'srose my Diary 2013.3.13(水)先日、3月10日(日曜日)我が息子とMさんの「結納の儀」をしました。若いふたりが料亭を予約してくれて、準備は両家族が協力して、とてもいい出会いのときを迎えることができました。↑「結納の儀」の料亭のサロン無事に両家の「結納の儀」を終えて、結婚式をする教会へ行きました。秋には、この会堂で結婚式を挙げるふたりをあたたかく見守っていきたいと思います。昨夜のWBC「日本対オランダ戦」やはり簡単には勝たせてはくれませんね〜やきもきしながら、しかし やってくれましたね〜〜予選1位通過でアメリカへと出発しました。ワタクシゴトとですが、プロ野球はほとんど興味がなく、{ただ、ご贔屓のメジャーリーグで活躍するイチロー選手だけは別格(格別)にファンなので時間があるときにはTV観戦しますが・・・}セパ両リーグの試合はほとんど観ないのでありますが!(ほかの選手にほんとにほんとに申し訳ないのですが顔と名前も一致しない選手がいるアリサマなのです}選手のみなさん、ごめんなさい)こと、WBCだけは、TV前観覧席を陣取って観戦しているのでこのWBCを通して、選手の顔と名前を知ることになるという按配で・・あります。日本は『強い』ですね〜あの大きな外国の選手を前にして、体だけなら「かなわないなぁ」と、思うところですがWBCの試合、日本は最後には、優勝してきました。今回も、ぜひ、優勝を期待しています。がんばれ、侍ジャパン+フィギュアスケートの世界選手権も始まりますね〜。日本の選手たち、持てる力を発揮して、練習通りの演技でぜひ、表彰台を目指して欲しい。日本から、エールを送ります
Mar 11, 2013
コメント(10)
12'srose my Diary 2013,3.5(火)日に日に春めいてきました。と、記した後ですが北海道では、また東北でもいまだ雪に閉ざされ、先日は、大荒れの吹雪の中での事故のニュースがありました。大自然の脅威を思い、事故で亡くなられた方々に心からの悔やみを申し上げます。+そして、今日は、娘の2回目の結婚記念日。あれから2年小さな命が娘のお腹の中で育っています。2011年3月5日(土)の記、東京のホテルにて娘は結婚式を挙げました。我が家に素晴らしい春をもたらしてくれた『人生のハレの日』を多くの方々に見守られ、新しい人生のスタートを祝しました。↑エンディングロールの映像から「スタート!」↑チャペルに入る前↑チャペルに向かうとき↑ チャペルにて 神父さまのメッセージ↑ 「はい 誓います」 ↑ 指輪の交換↑ 誓約書にサイン「神が結び合わせてくださった者」 マタイによる福音書19章6節よりあの日を思い出して、娘のさらなる人としての成長を願っています。
Mar 5, 2013
コメント(8)
12'srose my Diary 2012.3.12(月)雪の舞う肌寒い3月2週目の月曜日。那須の山は、雪雲に覆われすっかり姿を隠しています。春はどこへやら・・の一日でした。昨日の東日本大震災からの一年の催しが日本中からそして海外からもニュースで伝えられました。一夜明けて今朝もニュースで「復興への道」がほど遠いことを報道していました。これだけの大災害から一年過ぎてなおまだ復興までに時間がかかるのは、理解できますが被災した町が元の生活に戻ることができるまでには、相当の時間と労力が必要ですし、国や自治体だけの力では、及ばないほど大きな被害を実感しています。+2月の終わりの月曜日、ボランティアとして、今回の大震災で原発事故による避難区域に入っている福島県双葉町から那須に避難してきているHさんと話す機会がありました。ご主人は、現在原発事故の処理にあたっていて、日夜勤務の日々が続いているそうです。長女さんは、昨年4月に結婚式を挙げる予定だったはずが震災の影響で式を挙げることができず入籍だけ済ませ、現在は郡山に新婚家庭を築いたそうです。次女さんは、大学を卒業し、昨年春から就職が決まっていたそうですが震災で就職先から、今回の震災により、内定を取り消され、事実上は解雇になり、いまは、アルバイトをしながら就職活動を再開しているとのことでした。双葉町の家はほとんど住める状態ではなく、一時帰宅を許されてもなにをどうしていいかわからず「これからの生活をどうするか。家族で話し合っている・・・」と、話していました。家族の明るい未来が大震災の影響で大きく変わり、これからのことを考える時が来ているのになかなかいままで暮らしてきた場所から離れたくない思いがあり、迷い悩む日が続いている・・と。話を聞きながら、我がことのように思いを共有しました。+それでも明日という日の、また新しい時がやってきます。家族への思いやこれからのことを考えながら新しい一歩に向かって踏み出すことができますようにご縁があって、こうして出会い、話す機会が与えられたことに感謝して、微力ながらお手伝いできたらと思っています。
Mar 12, 2012
コメント(2)
12'srose my Diary 2012.3.11(日)あれから1年。東日本を襲った大震災から、この1年は、「震災からの復興」に明け暮れました。できるだけ日常の生活をと前向きにこころがけて過ごしてきましたがいつも頭の片隅に震災の負の思いがありました。いまも1年前の3月11日の午後2時46分に起きた大地震の出来事を時系列に記憶しています。これからも忘れようと思ってもこの日が来るとまた記憶がよみがえるような気がします。阪神大震災のことも午前5時46分、突き上げるような揺れで目を覚ましたこと。「なにがおきたのか?」それから激しい揺れに身震いしながら飛び起きたこともしっかりと体で憶えています。偶然なのか時間は違うものの46分という共通の数字。奇縁を感じます。亡くなられた方々のいのちの尊さ、失ったものの無念さ遺された者のやるせない思いの大きさ多くのいのちを一瞬にして飲み込んだ津波の脅威安心神話で語られてきた原子力発電の事故による脆さの大きな傷跡これだけ大きな痛手から「復興」「再生」するまでの道のりは、計り知れない。それでも明日を信じ、一歩、一歩、希望を持っていのちを繋いでいきたいと思う。大自然の脅威の前に、人間は無念ですが太刀打ちできずにいます。これ以上、人間たちの都合でこの地球を痛めつけることがないように謙虚でありたいと思います。そして、災害に備える知恵とこの大震災からの教訓から学び、これからのことを考える機会に。この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、黙祷を捧げます。
Mar 11, 2012
コメント(4)
12'srose my Diary 2012.1.17(火)阪神淡路大震災から17年が経過しました思い起こせば1月17日午前5時46分京都に暮らしていた時に、突然の強い衝撃の揺れで目を覚まし、あまりの恐怖に”なにごとがおきたのか?”と、TVを観て、時間を追うごとに想像を超える大きな被害に見舞われていたことを知りました。そのときの記憶はいまなお生々しく残っていて私の人生観も大きくこのときから変わりました。昨年の3月11日に起きた東日本大震災と加えて、一瞬にして大切な人、生活の場、生きる力を大自然の猛威が奪い去っていったこと。そこから乗り越えて行く英知をもって、生き抜いていくことを誓いながらきょうは、静かに震災の祈りを捧げたいと思います多くの被災した人たちと共に・・震災で亡くなられた方たちへのご冥福を祈ります-涙そうそうー古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいたいつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔想い出遠くあせても おもかげ残してよみがえる日は 涙そうそう一番星に祈る それが私のくせになり夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す悲しみにも喜びにも 思うあの笑顔あなたの場所から私が 見えたら きっといつか会えると信じ生きてゆく
Jan 17, 2012
コメント(8)
12'srose my Diary 2011.11.16(水)昨日(15日付)の日経新聞朝刊に中原淳一氏の記事が載っていました。画家の中原淳一は、戦前の少女に人気のあった雑誌「少女の友」の挿絵で大きな人気のあった画家。母が少女だったころの雑誌「少女の友」のことをなんとなく憶えている・・というより最近、また話題になり復刻され、注目を浴びたので。日経新聞の記事から少し引用します+少女雑誌「ひまわり」が創刊されたのは1947年のことだった。粗末な紙に印刷された薄っぺらい冊子だったが、「少女であることを誇りましょう」という先生の言葉通り、どのページにも彼女たちへの愛情が溢れていた。だれでもできる髪型や洋服のコーディネート、手作りの贈り物やインテリアの工夫ーーー先生はすべて企画を考え、時にはセーターをデザインし、美容室でモデルの髪を結った。・・・(中略)洋服のコーディネートは、色やデザインの前に、健康的で清潔であることを心がけましょう。既製品の洋服には小さな刺繍でもいいから手を入れましょう。「それだけで世界でひとつのものになる」とおっしゃった。・・・(中略)先生は思い出も大切にされた方でもある。 思い出が豊富なことは、「その時代を真剣に、注意深く生活した賜」と記している。怠惰な日常からは苦い思い出しか生まれないというのだ。・・・「自分ひとりになっても正しいと思ったことはやり遂げましょう」と。++少女時代に楽しい思い出や感性を磨き、自身をつくっていくこと。いまの大人が素敵な大人の女性に成長してきているか・・そんなことを思った朝でした。
Nov 16, 2011
コメント(10)
12'srose my Diary 2011.5.16(月)我が家の子どもたち(といってももうじゅうぶん大人になりました)の誕生日は5月16日は息子の誕生日5月18日は娘の誕生日真ん中の5月17日は愛犬ベルの我が家に来た記念日(昨年7月17歳で天に召されました)※ベルの誕生日は3月20日 我が家のワンコとしてやってきたこの日はもうひとつの誕生日にしました。新しい生命がこの世に誕生した5月は、我が家にとって家族の記念日。我が夫婦の間に家族が加わり、我が家の家族の歴史が刻まれました。これからも健やかに意義ある人生を歩んでいってほしいと母は願っています。歩む道は一本道 その道をしっかりとした足取りで進んでいってほしい。母からの祝いにこの曲を贈ります。+ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich H?ndel、1685-1759)が作曲したオラトリオ「メサイア」より「ひとりのみどりごが我らのために生まれた」(For unto us a child is born)For unto us a Child is born,unto us a Son is given:and the government shall be upon His shoulder:and His Name shall be called Wonderful, Counsellor, The Mighty God, The Everlasting Father, The Prince of Peace. ひとりのみどりごが我らのために生まれた ひとりの男児が我らに与えられた 政(まつりごと)はその肩にあり その名は「霊妙なる指導者、全能の神、とこしえの父、平和の君
May 17, 2011
コメント(8)
12'srose my Diary 2011.5.11(水)今朝から、季語にあるように「五月雨」が新緑の若葉をなおいっそう色鮮やかにしている。今日は、震災から2ヶ月が経ちました。多くの人の命を一瞬にして襲いかかり奪っていった大自然の脅威がもたらした甚大な被害に2ヶ月経った今も、やり場のない悲しみや怒り、不安、いらだち、避難所生活の疲れなどさまざまな負の感情が渦巻いている。午後2時46分、1分間の黙祷を捧げました。*今日のニュースでは、『米国:大雨でミシシッピ川沿い浸水 1300世帯避難』 ミシシッピ川の増水で浸水したテネシー州メンフィスの居住地=2011年5月10日、AP通信より4月中旬から続いた大雨で、米最長のミシシッピ川沿いの広い地域が浸水し、テネシー州メンフィスでは約1300世帯が避難した。浸水は上流のケンタッキー州など少なくとも計5州に広がっている。 AP通信によると、メンフィスでは10日未明(現地時間)までに最高水位が約14.6メートルに達し、1937年の記録(14.8メートル)に迫っている。増水はさらに数日続くとみられ、被害総額は3億2000万ドルを超える見込み。アーカンソー州では約3900平方キロの米作地が冠水し、被害総額は5億ドル以上という。大水はさらに下流のミシシッピ州、ルイジアナ州の穀倉地帯を襲う見通しで、被害はさらに拡大するとみられている。全長6019キロ、流域面積325万平方キロのミシシッピ川は、水源地から河口まで水が到達するのに約90日かかるとされる。+また、中国では、『2年連続で洪水被害…行方不明6人、約5万人が被災―広東省』広東省韶関市ではこのほど、連日の大雨による洪水が発生し、同市の武江、乳源、仁化県などにまで被害が拡大する中、懸命の救助活動が続いている。中国新聞社などが報じた。報道によると、韶関市では6日午前6時から、一部で最大272.5ミリを記録するなど、激しい雨が続いていたという。同市では、洪水発生以降の8日午後10時30分時点で、1人が行方不明、2420人が避難、約4万8400人が被災した。死者の報告は今のところない。一方、同市では、昨年の同時期にも大雨により、行方不明者6人、被災者30万人にのぼる被害が出た。同市には、8日午後4時30分時点で、大雨洪水警報に当たる「紅色預警信号」が発令されたほか、土砂崩れや地すべりなどを警告する「地質災害気象予報預警」も出されるなど、市民に警戒を促した。被災地では、消防隊員らによる懸命の救援、捜索活動が続いているアメリカ、また中国でも水害に見舞われているというニュースがありました。*近年、地球上に起こる自然の災害の規模が大きくなったように感じる。ハリケーンや竜巻、火山爆発、台風、地震、津波と・・地球に住む私たちひとりひとりが生かされている者として、地球を再度見直す時に来ているのではないかと。
May 11, 2011
コメント(12)
12'srose my Diary 2011.4.16(土)昨日、そして今日は、のどかな春の陽気になりました。那須も桜の季節を迎え、春の花たちも元気に咲き始めました。震災の影響はあちこちに傷跡を残し、これからもしばらくは復興・復旧の毎日が続きますが”明日を信じて”新しい未来へと希望を繋いでいけたらと願っています。+アメリカN.Y.から、日本を応援するメッセージがyoutubeに上っていました。 ↑ ”Rise Again、Japan!"(画像をクリックするとyoutubeのサイトに入ります)NYからの素晴らしい支援で日本は元気をもらいました。ARIGATOU!! N.Y. no MINASAN!!++福島のみなさんに応援ソングメッセージがyoutubeに!!↑ 「I love you & I need you ふくしま!」(画像をクリックするとyoutubeのサイトに入ります)福島のみなさんを元気を出して!!と、メッセーソングを唄っています。+2011年、桜咲くこの季節、日本は新しい方向へ復興の道に夢と希望をたずさえて
Apr 16, 2011
コメント(6)
12'srose my Diary 2011.3.25(金)3月11日の地震から2週間が過ぎました。あれ以来、流れてくるTVのニュースを観続けているうちにまるで悪い夢でもみているのではないか。と、この現実になす術もなくただ冷静に推移を見守りながら過ごしていますがこれからは、どうなっていくのかニュースから目が離せない状況です。+那須は、隣県の福島からの避難されて来る方の受け入れも始まりました。いま、物資で不足しているのは、ガソリン、灯油。どこのガソリンスタンドでも売り切れ、またはガソリンの在庫がなく休業中の案内板がかけられ、ガソリンが無い状態に移動手段は車が頼りの那須は、不便な状況が続いています。また、福島第一原発の事故の影響で計画停電により、停電時間があり、昨日は午後6時20分から午後9時20分の予定で明かりが消え、観光客を受け入れるホテルも休業しているところが多くそのことも手伝い、町はとても静かな状況です。+毎夜、寝る前のひとときNHKラジオを聴いているのですが11時半ごろから、精神科医の香山リカさんのお話は、避難所にいらっしゃる方たちにぜひ、聴いていただきたいと思いました。深夜0時のニュースの後、愉しみにしているコーナーがあります。「ワールドネットワーク」世界各国で暮らす日本人がリポーターとして、街の様子や催しなど興味深い話が聴けて、世界が近くなったような気分で聴き入っています。ちなみに、一昨日は、クロアチアから、そして昨夜は、ドイツのオーストリアザルツブルグ国境近くの街からのリポートでした。昨夜の番組から抜粋して、聴いた内容を少し記すと・・このたびの日本における想像を超える大きな地震による災害は、ドイツでも連日、TVや新聞で大きく伝えられ、ミュンヘンでもベルリンでもチャリティコンサートや聖堂の前では義援金の呼びかけも行われ、日本の被災された方々へのお見舞いや日本人のこれだけ大きな災害に遭ってもみな冷静に対応している姿にほかの欧州の国々からも称賛の声がたくさん届いているということでした。また、ドイツでは地震も津波も経験がないので地震の恐怖をあまり実感できないという言葉も印象的でした。+いまは、日本の非常時。この非常時をどのように乗り越えていくか。「正しい情報を共有し、正しく分析して行動していくこと」ではないかなと現時点では思います。心をフォルテににして
Mar 25, 2011
コメント(12)
12'srose my Diary 3月22日(火)週明けの今日、今回の大きな地震から10日が経ちましたが、「長い特別な1日」を過ごしてきたように感じられます。井上ひさし著の東北のとある村を舞台にした長編小説『吉里吉里人』を彷彿とした現実に起きたドラマのような刻々と状況の動く事態がまるで夢を見ているように展開されています。これからも日本の非常時として、冷静に対応し、「心をフォルテに!」にして、元気な日本を再生していけたらと思います。+3月5日(土)の記、東京のホテルにて娘は結婚式を挙げました。我が家に素晴らしい春をもたらしてくれた『人生のハレの日』を多くの方々に見守られ、新しい人生のスタートを祝しました。↑エンディングロールの映像から「スタート!」↑チャペルに入る前↑チャペルに向かうとき↑ チャペルにて 神父さまのメッセージ↑ 「はい 誓います」 ↑ 指輪の交換↑ 誓約書にサイン「神が結び合わせてくださった者」 マタイによる福音書19章6節より
Mar 22, 2011
コメント(6)
12'srose my Diary 2011.3.17(木)3月11日の巨大な地震災害から日を追うごとに、被災者の方たちの避難所の生活の困難、そしてこの大地震のさまざまな暮らしへの影響も大きくなってきています。まず、喫緊の懸念事態、福島の原発の予断を許さない状況は世界中の関心と心配の声が上っていて、なんとかこの危機を最小限にとどめることを祈るばかりです。+生活面では、ライフラインの不安定な状況に加え、ガソリン、灯油などのエネルギー資源の確保、食料品、生活用品などの品薄など、交通手段と暮らしにも大きな影響が出ていてす。+今日、買い物へ行った折り、スーパーマーケットでは、ちょうど計画停電時でした。店の外に買い物客の行列が出来ていて、その列に並び順番を待っていると店長さんが”すみません、いま、停電なので混乱を避けるために少しずつ入って買い物をしてもらっています! 停電でレジが使えないため、電卓で計算していますので、そのために、時間がかかっています!! よろしくご協力お願いします!!!”と。少し待って、店の中へ牛乳やパン・・ありませんでした。それでも野菜や肉、魚、酒類などはあったのであれこれ買い揃え、牛乳は近くの牧場が経営しているお店へ・・ここには、瓶に入ったジャージー牛乳がありました。もう一件、パン屋さんへここには、焼き立てのパンがたくさん並んでいて嬉しくなりました。平常時なら当たり前のように並んでいる品がなくなる状況は不安を駆り立てる要因にもなるのだと感じました。レストランでランチも済ませ、家に帰ってきました。+夕方、計画停電により、我が家に初めての停電がありました。午後4時40分から午後7時40分まででした。暗くならないうちに早めの夕食を済ませ、キャンドルをつけ停電が終わるのを待ちました。停電の間、山口県に住む主人の義姉から携帯電話に電話があり、”家に電話したら故障中です! と、出たので携帯電話に電話してみたのよ。なにか困っていることはないですか? 食べ物は不自由していないですか? ・・・”などと心配してくれる内容の電話でした。ありがたいことです。またしばらくして、近所のTさんから携帯電話に電話があり、”いま、停電したけど、これは計画停電ではなくて情報なしの停電?・・”と、確認の電話があり、”これは計画停電だと思う・・”と、伝え、安心されたようでした。停電から家に明かりが点くとほっとしました。+ここ数日、不思議な体験しているような暮らしぶりですがこの災害を乗り越え、また日本の再生を大きく期待してやみません。今日、出会った言葉知恵のある者は 知恵を出せ金のある者は 金を出せ何も無い者は 元気を出せ私は何も無い者なので、大いに元気を出して過ごしていこうと思います。+昨日、3月16日 国民に向け 天皇陛下よりテレビを通し、国民へのメッセージがありましたこの度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
Mar 17, 2011
コメント(8)
12'srose my Diary 2011.3.15(水)刻々と東北三陸沖を震源とする巨大地震の被害がニュースで伝えられています。東北から関東へと大きなエリアでこの地震による影響が出ています。特に宮城、岩手、福島、青森、茨城の太平洋側のエリアは、大きな津波の被害が加わり、大惨事となりました。いまだ、行方がわからない方たちの安否はご家族の方たちにとり、避難所にいながらも不安な時を過ごされていることと推察します。ことばにならない深い悲しみと悼み、傷み、痛みでここ数日過ごしています。ここ、那須エリアでは、西の方角に被害が集中していて、町役場周辺のエリアでは、いまだ断水の状態が続き、また、東京電力の「輪番停電」により、停電もあり、ガソリン、灯油などの燃料不足もあり、町はひっそりと静かな様相を呈しています。+現在の我が家の状況ですがライフラインは、おかげさまで安定していますし、食事もいつもどおりにいただいています。今日、庭に出て枝垂れ梅の開花、クロッカスの花、そして蕗の薹が顔を出していました。早速、蕗の薹を摘み取り、春の香りの天ぷらを夕餉の食卓にのせました。+ただ、福島原発のニュースが時々刻々と変化していくなかで不安が募るばかりで避難指示が出ている住民の方々のお気持ちに胸が詰まります。昨日の午後のこと我が家のお隣の方(別荘)は、福島県いわきがお住いで”津波が家の500mのところまで来て、怖くて別荘に非難してきた・・”と、話されていました。”子どもの学校があるのでまた、明日はいわきに戻らなければ・・”と、町は壊滅状態だということで、今朝、いわきに戻られて、福島原発30キロ圏内の地域にいわきが入り、夕方、また別荘に戻ってきました。さらに、避難地区の拡大も懸念される状況ではありますが冷静に正確なニュースを受け、行動していきたいと思っています。+東北新幹線那須塩原ー東京は、運転再開しましたし、いざ!のときは、東京へ戻ることもできますので様子をみながらこれからのことを考慮していきたいと思います。我が家の状況を気にかけ、親戚や知人、友人からの電話やメールはこの影響下のなかでとても心強いメッセージをいただいています。心配してくれる人たちがいることに感謝の気持ちでいっぱいです。この状況の中、PCに向かう時間も限られていますので皆様のところに訪問がままならずでごめんなさい。どうぞ皆様、ご無事でと祈っています。クラシック専門のラジオから流れていた言葉が印象に残りましたので記します。作曲家 バーンシュタインの言葉”心をフォルテに!”
Mar 15, 2011
コメント(8)
12'srose my Diary 2010.7.24(金)暑中お見舞い申し上げます梅雨が明けると同時に連日の記録的な暑さが続いていますがみなさまのところはいかがでしょうか那須から高原の涼やかな風をお届けしたい・・・。。とはいうものの那須も日中は暑く、朝夕の涼風が心地よくなり、夏の夜空には満天の星・・☆ 高原の夏ならではの醍醐味に感謝の季節です 2010.7.20(火)午後7時50分愛犬ベルが17歳と4ヶ月の生を終えました私の腕の中ですぅーーと静かに天に召されていきましたブログの日記にも度々登場した我が家の愛犬でしたがいまもまだ私の傍にちょこんと座っているような時折り気配がしています 何年か前の日記に友人宅の愛犬が天に召されたとき友人家族が急な愛犬の死に深い悲しみを味わい、どのようななぐさめも虚しく感じ、そんなとき、新聞の広告欄に大きく1ページ割いて下記の詩が掲載されていたのを引用し日記で紹介しましたがいま、この詩がとても身に沁みてきます「死ぬのが恐いから飼わないなんて、言わないで欲しい」おうちを汚すから飼わないというなら、犬はお行儀を身につけることができる。留守がちだから飼わないというなら、犬はけなげにも、孤独とむきあおうと努力するかもしれない。貧乏だから飼わないというなら、犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、犬はもうお手上げだ。すべての犬は、永遠じゃない。いつかいなくなる。でもそれまでは、すごく生きている。すごく生きているよ。たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、飼い主たちは、たいへん愛くるしくって、幸せな時間を共有しているはず。飼いたいけど飼わないという人がいたら、伝えて欲しい。犬たちは、あなたを悲しませるためにやっては来ない。あなたを微笑ませるためだけにやって来るのだと。どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を預かってみるのは、人に与えられた、素朴であって高尚な楽しみでもありますよ ブログの日記に掲載したベルの写真を思い出に・・ ベル ありがとう
Jul 23, 2010
コメント(30)
最近、ゆっくりTVを観る時間がなく、昨夜は、”今日こそは・・”と、NHKBShi.放送の「100年インタビュー」を観ました。+ゲストは指揮者の小沢征爾さん。[100年インタビュー]現在、ウイーン国立歌劇場の音楽監督を務めている。指揮者 小澤征爾 現在73歳語る言葉のひとつひとつにキラキラ輝くダイヤモンドのように一言一句、耳のおさめ、こころにとどめたいと思いながら観ました。西洋の音楽を「日本人がどこまで理解出来るかの実験をしている・・」と、音楽に向かう自らのテーマを話されていた。東洋人のひとりの男性が、西洋音楽の第一人者になることの重みは、言葉の随所から伝わってきました。印象的な言葉は、「文化的背景などの違いはあるが、たとえば悲しみの気持ちのように深いところでは日本人でも理解できると思う。悲しみといっても悲しみの深さ、感じ方が人それぞれ違う。この悲しみを楽曲のなかでオーケストラのメンバーが同方向に向かうよう舵取りしていくのが指揮者の役目・・実験の成果は私が死んだ後に誰かが判定することだ」と。このようなことを語っていました。番組最後に「100年後へのメッセージ」は、100年前にも愚かな戦争はあった。 その100年後のいまも戦争が続いている。互いの違いを認め、世界はどんどん小さく感じられるようになってきた今、世界をひとつにして、二度と戦争を起こさないようにと願う。・・と。+先日、女優の岸恵子さんがゲストでした。現在76歳の岸恵子さんは、年齢を感じさせないほどの美しい女性。先日、友人と話していて、「後期高齢者」だというこことに気付き、「老い」について考えるようになったと語っていました。最近は、本を書く仕事が多くなり、文字を相手の時間が長くなった。幼い頃の戦争体験の話も興味深く、聞きました。思いがけず、自ら防空壕を抜け出し、”どうせ死ぬなら高いところで死のうと松の木にするするっと駆け上り、爆撃機の轟音が止むのをじっと耐えていました。私は、なんとか助かったけれど、防空壕に入った人たちは、みな死んだ。そのときに、今日から子供は卒業して、大人になろう。と、決心した」と。語られていました。岸恵子さんの「100年後へのメッセージ」は、100年前のアメリカの映画『イントレランス』は、監督は、D・W・グリフィス『イントレランス』の意味は、不寛容、許されないこと、許さないこと。”人間は、こうゆう根性持ってるから、どんどん、どんどん、悲劇は、だんだん、悲劇いうものが、生まれたんだよ。戦争も、何もかも『イントレランス』なんだよ”いま観てもとてもよくできた素晴らしい映画です。人に寛容であり、寛大な心を持って隣人を愛し、そうすればこの世の中の戦争もなくなるのではないでしょうか。100年後は戦争がないように」と。++このおふたりのお話を聞きながら、人生の先輩の素晴らしいメッセージを聴き、あらためて”生きることの意味”を自らに問う機会になりました。☆人生のそのときどきをどう考え、行動するかの指針を得た思いがしました。
Jun 26, 2009
コメント(0)
いい家というのは間取りだけではありません。そこで永年暮らすうちに、あるいは何度も訪ねるうちに、楽しい思い出が積み重ねられていけば、そこは「いい家」になるのだと思います。わたしはこの家に住んで34年になります。この家は、今まで住んだなかで「一番、いい家」です。2005年 10月 コーギコテージにて ターシャ・テューダー Tasha's Delightful House ターシャ・チューダーが亡くなりました。わたしにとり、大きな大きな存在の女性でした過去形で記すことは、とても大きな悲しみです思い通りの家を作り、庭を作り、暮らしを愉しむ那須の家を建てるときに、ターシャ・テューダーの暮らしをお手本に自らが思い描く家をと思いイメージしました。「思い通りの庭になったと思えるのに12年かかりました・・」とターシャが語るように我が家の庭は作り始めてまだ二年。後10年は、試行錯誤の日々が続いていくのでしょう。植物の生長を通し、四季の移ろいの様子、自然との対話、見たこともない虫たちとの対面。日々、起こりうる瞬間瞬間のできごとがおもしろく、新鮮で庭で過ごす時間がいまはとても愛しいひとときです。多くのことを学ばせていただいたターシャ・テューダーの庭仕事、手仕事を見習いこれからも本を通して、対話をしていきたいと思います。素敵な生き方を教示してくださったターシャに感謝を込めて我が家の庭の花たちをターシャに・・心からのご冥福をお祈りしますどうぞやすらかにおやすみください
Jun 21, 2008
コメント(12)
福島県は、わたしが住んでいる県のお隣。なかなか魅力的な県で福島県白河は東北への玄関。芭蕉が訪れた白河の関には、現在も歌碑が残っていて、当時の旅した様子をいまに伝えている。福島といえば、幕末に名を馳せた会津藩。会津の小中学校には、「什の掟」が掲げられいます。「什の掟」とは・・?会津藩の幼年教育に使われている言葉、約束事。子どもたちを遊びの中から規律を学ばせる画期的なシステムでした。いまでも会津の子どもたちには、この「什の掟」に沿って生きる知恵を取り入れているそうです。「什の掟」は・・一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ三、虚言を言ふことはなりませぬ四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ五、弱いものをいぢめてはなりませぬ六、戸外で物を食べてはなりませぬ七、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬならぬことはならぬものです。 +++こういう学びは伝承していきたいと思いました。
Feb 28, 2008
コメント(12)
早春の光を浴びながら・・今日から2月*送られてきた月刊誌「百楽」に”人生が変わる”というテーマで格言・名言がいくつか紹介されていたので気に留めたいくつかを記しておきたい***☆過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは更に不幸を招く近道だ。 シェイクスピア「オセロ」より☆嫉妬は1000の目をもっている。しかし、一つも正しく見えない。 ユダヤの格言☆金のブルジョアがあるならば、時間のブルジョアという名があってもいい。吉川英治「草思堂随筆」☆悲しみにしろ喜びにしろ、それに心をおどらせたことのない人は、けっしてまともな人間とはいえないだろう。ラーゲルレーヴ「ポルトガリヤの皇帝さん」☆人はよほど注意をせぬと地位が上がるにつれて才能が減ずる。私の知っている人で大臣などになったのも少なくないが、どうも皆そうです。石黒忠直「懐旧九十年」☆人生は出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない。カロッサ「指導と信徒」***過ぎてかえらぬ日々を思い返すことは簡単。ただ、もうその日には戻れないことも事実。新しい明日を愉しむために・・少し前を向いて歩いていこう。
Feb 1, 2008
コメント(10)
今年は平成20年。”平成の小渕!”と異名をとった故小渕首相が官房長官のときに半紙に「平成」と書かれた文字がいまでも印象に残っているが今年で「平成」も成人式を迎える。この20年の間、日本という国は、どういう方向に歩んできたのだろう。+昨日の午後、TVのインタビュー番組に俳優小沢昭一さんがゲストとして出演されていた。俳優、エッセイストでもあり川柳、俳句は「変哲」という名もお持ちで人間的にも粋でユーモアとペーソスが感じられる魅力ある語り口の小沢昭一さんの洒落っ気のあるお話は、”ずーっと聴いていたい・・”・・と、思うほどイイ!!素晴らしい!!!+このインタビュー番組より、聞きかじりを記すと・・小沢さんは、昭和4年、東京蒲田の地で写真館を営む家に生まれ育ちました。昭和の戦前時代の日本に子ども時代を過ごしたことはとても恵まれていて、いい時代だったそうだ。しばらくすると日本は、第二次世界大戦に巻き込まれ、戦争がはじまった。高校進学を考えたとき、周りの大人から”戦争に兵士で行くと毎日、上官からひっぱたかれる”と、聴かされ”。。なら、僕はひっぱたかれるのはイヤだから、ひっぱたく方になろう!”と、決め、海軍兵学校に入学。入ったその年に日本はアメリカに敗戦し、日本の戦後が始まった。ある日、板橋に銭湯ができた!、という話を聞き、電車に乗り、銭湯へ行った。帰り、池袋の駅を降り、洗面器をぶら下げ歩いていると若いアメリカ兵3人のうち一人が小沢少年の足をひっかけ、転ばせた。その瞬間、残り二人が小沢少年を紙ひこうきのように投げ飛ばし、小沢少年はコンクリートの地面にたたきつけられ、口は血だらけ、歯が全部抜けてしまう事件に遭った。戦後60年経ったいまでも”僕とアメリカの講和条約は結ばれていない!!”と、語られていた。平成20年の世をどう思いますか?の問いに小沢さんはこう話されていた。”あのさ・・今のままで行けどうせダメなんだから・・一遍、ダメになったほうがいいんじゃない。。?ダメになってまたはじめからやりなおす・・100年かけてダメになったきた世の中を100年かけて前に戻せば。””僕はね、民主主義にもじって「貧主主義」がいいなぁ・・と思ってるの。経済大国なんていって、大量生産してまた大量消費を啓蒙するようなそんな国なんて魅力ないと思うなぁ。ちょっと足りないくらいのほうがいい世の中になると思うんだなぁ。”+小沢さんは、ハーモニカの名手でもあって戦後、流行した「丘を越えて」♪をハーモニカで吹いた後”遥か希望の丘を越~えて~♪”希望の丘を越えた後には・・そう感じさせてくださったお話でした。
Jan 10, 2008
コメント(8)
2007年もさまざまな出来事がありました悲しい事件、痛ましい事故、天災、政治不信、偽装問題など。これからの世界は、未来の日本は・・?先の読めない日々をどうして探って生きていこうか・・希望という一筋の光を自らが灯し続け、闇の中にも一条の光が自らの足元を照らせるように、生きる目標を見据え、またひとつ前進をと2007年から2008年への希望と期待につないでいきたいと思います。*都会を離れ、那須の森に暮らしはじめて2回目の新年を迎えます。我が家から見える那須の山々は、雪化粧をしました。麓の我が家周辺は、まだ雪のない年の瀬ですが予報では、年末年始は寒波が訪れるとか。雪を見ながらの年越しとなりますでしょうか。*那須のとあるホテルの情報では、栃木県日光市で8月に放たれた蝶「アサギマダラ」が今月3日石垣市のバンナ公園で見つけられたというのです。距離にして約1800キロの海を渡る旅です。+羽を休めながらの蝶の長旅に”よくやった!あっぱれ!!”と素晴らしいニュースに2008年の飛翔にあやかりたい・・そう念じて・・*2007年の日々も振り返れば、悲喜こもごもの曼荼羅模様の日々でした。過ぎし日々を愛しく、そして大切な時間を過ごせた歓びに感謝して。「ありがとう」と、終わりたいと思います。*2008年 来る年も良き年となりますよう願っていますみなさんも良い年を迎えられますように・・今年も一年、お付き合いいただきありがとうございましたみなさんに感謝をこめて・・
Dec 29, 2007
コメント(26)
晴れた日の朝は、家事をスムーズに運べるように時間を有効に二つ、三つ同時に仕事を片付けるこのごろ。陽が落ちるのが早くなったいまは、時計とにらめっこしながらあれこれ一日のタイムスケジュールが短縮されてきて、今日は、3時のおやつに間に合うように梨のケーキを焼きました・・が今夜の食後のお菓子に食すことにしました。+TVの話題で、88歳の横溝千鶴子さんという女性が、御自身の生まれ育った故郷、神奈川県の南足柄市に10億円を寄付されたこと。横溝千鶴子さんへのインタビューは・・-どうして10億円という大金を寄付されようと思ったのですか?私は大学を出て、高校の教師になりました。結婚して、夫と厨房の会社を起こし、成功しましたが私たち夫婦には子どもはいませんが未来を生きる子どもたちの教育に役立てて欲しいと思い、寄付することにしました。-遺産を相続する方はいらっしゃらないのですか?-私には子どもはいないけれど、甥や姪は20人います。遺産を分けても他人から譲り受けたお金は無駄に使ってしまう。生きたお金にするためには、役に立つお金として残したい。そう思いました。-もし、横溝さんにお子さんがいらしたら遺産はどうしますか?同様に遺産はすべて寄付するでしょうね。お金は小さくまとめるよりも大きく・・そのほうが大きく役に立つでしょう?お金は、道具であって、重要なものじゃないから。-マネーゲームのように儲けた堀江容疑者はどう思いますか?-それはもう”悪”としかいいようがないですね。マスコミもそういう人を持ち上げて、大騒ぎするのはマスコミにも責任があると思いますよ。-もう一度生まれかわたっら今度はどういう生き方をしたいですか?-私はいままで生きてきて、じゅうぶん幸せだったからいまのままの私で生きたいと思います。自分が大好きですから、自分よりほかの人になりたいとは思いません。※(TVから見聞きし、思い出しながら記しました)+以前にも横溝さんの住いがある大磯町にも5億円を寄付され、障害者の福祉施設を設立。+HPより・・以下のような記事を引用します。 「余分なものは持たずに人のために使う」客が来ると部屋を明るくし 茶菓子を振る舞ってもてなすが、一人のときは使わない家具のコンセントをすべて抜く。 風呂のお湯も捨てずトイレを流すのに使う。これまでタクシーに乗ったことはなく、 一度も外食をしたことがないという。「外食で金を使うなら良い食材を買って自分で作る。おかげで病院に行ったこともありません」。高齢にもかかわらず背筋は真っすぐ。シャキシャキと歩く。 5億円の寄付が報道されたときには「今、首くくる寸前です…」などと 無心の電話が殺到したという。「『80の老人に頼るのか!』と怒ってやった」。 自分で働ける人間には厳しい。子供のいない横溝さんには、親せきはいるが「『私に遺産はないよ』と言ってある。でももし子供がいても同じことをしますよ」 今後も学校の教師を鍛える“横溝塾”や母子センターなども設立予定で「自分の葬式代と医療費以外は残しません」。・・と、ありました。+素晴らしい人生の先輩に心を打たれた話題でした。
Nov 21, 2007
コメント(2)
今年初めての雪が降りました。昨日の午後、小春日和の日曜日から次第に雲行きがあやしくなり、陽射しがあるのに雨が降り始め、北風が山からの雪雲を運んできました。日暮れと共に、空から白いものがチラチラ・・今冬、初めての雪が降りました。<庭の雪 2007.11.19>今朝、目覚めると窓からは、うっすらと雪化粧の庭になっていて、冬の訪れが今年もやってきました。次第に太陽が顔を出し、お昼前にはすっかり雪が解けましたが寒さを感じる一日でした。*昼食時、NHKのニュースをチェックした後何気なくチャンネルを変えると情報番組のゲストに美輪明宏さんが出演していた。中西礼さんと美輪明宏さん二人がゲストの席に並び、お二方のコメントに興味が湧き、そのままこの番組を観ていると・・「三田佳子さんの次男の覚醒剤で三度目の逮捕」のニュースに美輪さんがこういうコメントをしていた。-三田さんがあらかじめ用意したメモを読むのは、おかしい。どんな言葉でもいい、母親としての三田さんの今の思いを率直に話した方が誠意が感じられる。子育ては保育園の年齢でその子の思いやりや目上の人に対する尊敬の気持ち、生き方を学ぶ時。この年齢までに母としてちゃんと教え込まないとその後問題を起こす子になる・・覚醒剤は、一度使用すると必ずまたやる、それが覚醒剤の怖さ」-+子を持つ親は、いくつになっても我が子のことは、自分のことのように気をもむ。我が子の幸せを願い続ける。人の一生、いいときばかりがありはしない。*松尾貴史さんのHPより・・兵庫のおじさん暗躍するの巻!自殺なんかやめときや、死んでも虚無なだけや。あんたを愛する人達が苦しむだけや。命は一度限り、大事にしい!生まれ変わって幸せになるとか、寝言いうてたらあかん。前世やら来世やら言う奴がおるから、リセットしようという奴が出てくる。御釈迦さんも「死後の世界より生きることを考えよ」と言うてはる。生まれ変わりが続いてるねやったら、地球の人口はほぼ横ばいやなかったらおかしいがな!親からもろた命は大事にし。人間はみな掛け替えがないのや。+ここ数年、自殺する人が増えてきて。もっといのちを大切に・・生きるってほんとに素晴らしいと必ず思えるときがあるはず。
Nov 19, 2007
コメント(8)
真夏に私は誕生しました 8月11日真っ青な空の下にて・・ 今年もまた無事に年を重ねることができました2007年の誕生日を迎えた那須にて。我が家の庭に出て、空を見上げると青い空に雲が美しい模様を描いていたので誕生日記念に写真を撮りました夫からのプレゼントは那須の花、竜胆(りんどう)の白い花とコンサートチケット。9月のコンサート、愉しみ・・ サンキュ!白い花が好きな私に・・今年は竜胆の白い花ガラスのベースに良く似合いました友人や娘からのバースディプレゼントが届きました 薔薇の大輪の柄が素敵なお散歩バッグ、晴雨兼用の折り畳み傘は、オシャレな絵が描かれていて・・布製の愛らしいカバーのついたファイルは、書類などを入れておくのに使いましょう!そして乙女チックなネグリジェ・・いい夢が見られそう・・素敵なプレゼントに感謝です。Thank for your GIFT!まだほかにもいただきましたが次の機会に写真をUPすることにして・・誕生日には、私のお気に入りのこの歌・・この歌詞が好き!!- HAPPY BIRTHDAY -悔いのない人生を送りたいと星を見て願うのは 人の常ですね夜空と比べたらば ちっぽけな私も額に汗する瞬間海より大きい今 歌いたいのは 恋の歌より日々明日を夢見る 弾む生命の歌Happy Happy Birthday TO ME朝陽が昇るたびにHappy Happy Birthday TO ME今日生まれ変わるの好奇心なくしたら年取るだけ魂はいつまでも 悪戯盛りと誰かが 話しかける 草臥れた体に若さは時間じゃなく 憧れる心今語りたいのは 過去のことよりたった今を生きてる 熱い生命のことHappy Happy Birthday TO YOU時よ美しくあれHappy Happy Birthday TO YOU毎日が誕生日詩:阿木耀子今年も白いページに”私時間”を刻んで生きたい
Aug 13, 2007
コメント(18)
「そいでいく」(削いでいく)この言葉について・・きのうの日記に言葉のみを記してみた記してみたものの「そいでいく」(削いでいく)とは・・?昨夜も眠りに入っていく前に考えていた+++++++++++++++++++++++++++++++++++++先週のNHKの番組での樹木希林さんのこの言葉をどのような場面で話されたのかを思い起こしてみると・・アナウンサーの質問”日ごろはお化粧をなさらないと聞きましたが・・”樹木希林さんこたえて曰く”お化粧はね、年を重ねてくるとしわを伸ばしたり、隠したり、注射をしたり・・する人がいるけど、ある日、ライトの陰になったとき、その爪あとがくっきり浮かび上がって・・あぁぁぁぁ・・なんてね。できるだけわたしは自然のままにさわらないようにしているの。一度、死ぬ思いも経験し、これからは「そいでいく」一枚、一枚そいでいって、最期には失礼しますといって・・ね、往きたい。”と。たぶん、樹木希林さんのこの言葉にわたしが共感したのだと思う。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++人が一生の間に抱える荷物の大きさは、人それぞれに違いはあるものの抱えきれない荷物を最期まで持ち続けるとどうなるか・・昨年のちょうどこの時期、東京の暮らしから那須へ暮らしに変化を求めた折り、ほとんどの荷物を整理し、必要、不要を分別し、家だけ都会に残し、那須の森の生活に入った。きっと、わたしのなかで樹木希林さんが端的に話された言葉「そいでいく」(削いでいく)が、ぴったりと符号のように合致し、わたしのこころに響いたのだろう・・見るもの、聞くもの情報に頼らず、自らの生き方に必要なセンシブルなモノだけを自らの目で、手で選び、生かされた時間を愉しみたいと願う++++++++++++++++++++++++絵本作家ターシャ・チューダーが手塩をかけ、育て愛した広大な庭も”少しずつ、自然に帰そうと思っている・・”と、ターシャは言っている。出したら、片付ける・・そろそろ賢い整理を身につけようと思っている
Apr 21, 2007
コメント(14)
「そいでいく」(削いでいく)この言葉が先週金曜日から、わたしの頭のなかでリフレインし続けている。樹木希林さんが語った言葉「そいでいく」・・先週の金曜日(13日)のNHKの番組「ほっとモーニング」のゲストが樹木希林さんだった。最近、話題になっている映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」で、主人公(オダギリジョー)の「オカン」を演じた樹木希林さんの話題からはじまり家族の話、着物の話、生き方の話など・・樹木希林さんスタイルの暮らしぶりを淡々と語られていてお話のなかに引き込まれていきました。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++2005年11月13日東京女子大学にて樹木希林さんの講演会があり、お話を聞きに行った折りのわたしの日記より・・[樹木希林さんのお話][樹木希林さんのお話のつづき・・][樹木希林さんのお話を聴いて]とても素晴らしい講演会だったので3日間つづけて日記に記し,この講演の内容とTV番組のなかで語られたお話が重なる部分がありました++++++++++++++++++++++++++++ご自身の網膜剥離で左目を失明。しかし1年間秘密にしていたこと・・乳癌の闘病のときのことなど・・たんたんと・・話す「でもね、おかしいからこそ、人間はかなしいの」「そいでいく」樹木希林さんから発せられたこのふたつの言葉をこころに刻みたいと思った++++++++++++++++++++++++++きょうの日記は、私的メモそのものです・・みなさんからいただいたコメントのお返事もままならず、失礼しています。明日こそ・・PCにゆとりを持ち向かえる時間をつくりたいと思います。よい週末を・・!
Apr 20, 2007
コメント(4)
”ええもんを・・”きょうの朝のドラマ「芋たこなんきん」を観ていてTVに向かいひとりごとのようにつぶやいていたいよいよこのドラマの終焉になる最終回イブのきょうの章が素晴らしかった作家田辺聖子さんの自伝を基に、藤山直美さん演じる町子(モデルは田辺聖子さん)を囲む人々の人間味あふれるこのドラマ「芋たこなんきん」は、毎朝、TVから、元気を届けてくれていた大阪弁でいう”おもろい”は、標準語の”おもしろい”とはちょっとニュアンスが違い、大阪で暮らす人ならばこその生きることのつらさ、しんどさ、面倒なことを”人生笑ってなんぼ!”と、人生の機微をウマイコト乗り切っていく・・その過程を観ていて・・”いい味出してるなぁ・・”、”そやそや・・”と生きる知恵を示唆してくれはって、なかなか興味深かったドラマをしっかり観たのは、「鳩子の海」以来・・(ちょっと古いかな)。そのくらいドラマには縁がなかったわたしには、画期的な朝の時間帯だった夫もタイミングで一緒にTVを観てもらっていたので、きょうの夜、夕食時に聞いてみた”藤山直美さんは、このドラマが終わったら舞台に戻るみたいよ。こんなにいい役者さんなのに、もったいないなぁと思うけど・・”夫いわく”この人は、TVよりも舞台の方がもっとこの人の持ち味が出るんじゃないかな。 たとえば台本に忠実に演技を求められるのがTVや映画だけど 舞台ならアドリブでさらに思い通りに感情を表現できる・・ この人は、そういう魅力の備わった役者だから、映像では物足りないし もったいないような気がするよ。”わたし・・”なるほどね・・そうかもしれないわね~ 歌舞伎の勘三郎も喜劇役者の藤山直美も舞台がホームベースなのね。 TV、映画は、ご愛嬌なのかもしれない・・”夫婦でこういう会話を愉しめるのもなかなかいいものだ!!このドラマは、”夫婦っていいもんだなぁ”と、何度も思わせてくれたきょうの章で、病室のベッドにいる謙次郎に町子が・・”ねぇ、聞き飽きてないこと言うて・・町子、愛してるよと言うて・・””簡単に言えることと言えへんことがある・・”と、謙次郎が交わす。このセリフで・・わたしは夫にまたまた聞いてみた”愛してるよ・・って、言うのむずかしいのかなぁ”夫いわく”そんなもん、言わなくても感じろ。。だよ”わたし”愛してると言うくらい減るもんじゃなし・・”夫いわく”愛なんてそんな言葉にできる愛なら軽い愛だ! 愛は語るものじゃなく、感じあうもんだよ・・”と、抜かしたまぁ、愛というものは、そういうモノでもあるのかと。愛もいろいろあるモノらしい。+++++++++++++++++++++++++++きょう、久しぶりに京都に住む友人にメールを送ったさぞ、今頃の京都は、桜の花見で賑わっていることと・・そして近況を。。と。友人からの返信は、お母様の介護のことで東京へ来ているとのこと。お疲れが出ないように・・と、伝えた。みな、それぞれに重い荷物を背負わなければならない状況になることも生きていく途中には幾度かあり・・こういう思いがよぎるときに、なぜか「風」をイメージする・・わたしは風の中では冬の北風や寒風が好きで冬の厳しさ、烈しさに「風に向かって歩く」。この姿に、わたしは、人間に与えられた運命を切り開いていく思いと重なるのです生きること・・それは・・いえいえ・・まだまだ・・こたえは・・またいつの日か。この日記は、777稿目の日記になります日々の暮らしの中で”ええもんに・・”出逢える喜びをこれからも・・
Mar 30, 2007
コメント(6)
2007.3.14(Wed)春は別れと出会いの季節親しく学校生活を共にした仲間ともそれぞれの道へとすすんでいく卒業は、また一歩、大人への階段を踏み出す儀式きょう、ひとりの学生と話をした・・内容は、ここでは記せないけれど孤独感で胸がつぶされそうになることわたしにもありました・・そういうこと・・たったひとりでもいい まるごとのわたし(自分)を抱いてくれる人がいれば・・安心して生きていけるその学生にこの歌を贈りました*****ふれあい悲しみに出会うたびあの人を思い出すこんな時 そばにいて肩を抱いてほしいとなぐさめも涙もいらないさぬくもりがほしいだけひとはみな一人では生きてゆけないものだから
Mar 14, 2007
コメント(20)
2007.1.26(Fri)今朝、CDとDVDの整理をしていて、その後なんとなくTVをつけたら田辺聖子さんが語っていたので、そのままTVを観ていると・・亡くなったご主人の思い出話をされていた番組は、NHKの知るを楽しむ選 人生の歩き方 -田辺聖子 まいにち ばらいろ- 第3回目・・だということがTVを見終えた後、新聞のTV欄でわかったこの番組の中で、田辺聖子さんとご主人のカモカのおっちゃんこと(川野さん)の亡くなる前の病室でのご夫婦のお話が「とてもよかった」「とてもよかった」としか言えないわたしのボキャブラリーの貧困さが情けないけれど・・「とてもよかった」聖子さんが病室の窓から夕日の空を眺めながら、おっちゃんの病状の悪化を思い悩み自然と涙が出てきた・・と、そのとき、ベッドからおっちゃんが訥々と聖子さんの背中に声をかけた「かわいそに わしはあんたの 味方やで」この言葉が聖子さんと交わした”最後の言葉”になったそうだ「いま思えば、死に際におっちゃんがなんで五七五でこんなことをしゃべったんやろ・・て。これが臨終のときの最後の言葉でした」☆ もう一度生まれかわったら、またご主人と結婚されますか? の問いに 聖子さんはつづけて「これは神様の思し召しだからなんともよぅわからんことやけどもし、結婚できるんやったら、やさしい人やったから、今度はわたしがやさしい人になってあげたいと思うのやさしいというのは、暖かい太陽のような人、地熱のぬくもりのようなあたたかなやさしさを持った人・・主人はこのやさしさをわたしにいっぱいくれました・・」「かわいそに わしはあんたの 味方やで」という言葉の意味は・・「これからもずっと見守っているよ(自分が死んでも・・)この言葉は何よりもどんな財産よりも大切な宝物です」と言葉を結んでいた聖子さんのお話を聴き、夫婦の妙味は、その夫婦でしかわからない第三者が介入できない夫婦の関係を”なんだか、愉しまなくちゃもったいないなぁー”と思いました昨夜の”マイシネマシアター”は、こすもすさんのおすすめの「インハーシューズ」を観ました女性が観ると共感できる箇所がたくさんあると思う映画でしたこの映画のなかに二篇の詩が引用され、印象に残りました映画の感想は、また次回の日記に・・最後のシーンで姉のローズに宛てた妹マギーが贈った詩e.e. cummings - I carry your heart with me I carry it in my heart.I am never without it.Anywhere I go,you go,my dear.And whatever is done by only me. Is your doing,my darling.I fear no fate.For you are my fate,my sweet.I want no world,for,beautiful. You are my world,my true.Here is the deepest secret no one knows.Here is the root of the root.And the bud of the bud.And the sky of the sky of a tree called life which grows higher than the soul can hope Or mind can hide. Is the wonder that's keeping the stars a part.I carry your heart. I carry it in my heart. あなたの心と共に 私の心を重ねて決して離すことなく私が行く所 あなたも共に私のすることはあなたのすること いとしい人運命など恐れない あなたが私の運命だから世界など欲しくない あなたが私の世界だから誰も知らない深淵なる秘密 起源の中の起源未来の中の未来大空に育ちゆく人生という木魂の飛翔 理性の畏れより早く枝を伸ばす空に星がきらめく神秘のようにあなたの心と共に 私の心を重ねて
Jan 26, 2007
コメント(8)
12月28日(木)心せわしい年の暮れ、2006年も間もなく終わりに近づきましたきのう一日、那須は大荒れの天候に見舞われましたわたしの住む別荘地エリアは松の大木が6本倒れ、道がふさがれた箇所もありました今朝は嵐が去り、晴れたので年末の家事ときのうの冬の嵐の後片付け・・途中から雲行きが変化し雨に・・夜には雪が・・那須も冬を迎えたと実感した一日でした今年は、わたしにとり、暮らしの舞台が大きく変化した年でしたPCの環境も新しくなり、一度、終止した”ブログ”を再開することに躊躇したり・・身の回りの変化を愉しむ余裕が出てきた秋に、日々の喜び、悲喜こもごも、また、わくわくするような小さな成果の積み重ねを記録しようと日記を再開することにしました新しい土地での人との出会い、モノとの出合いの心温まる交流の日々、生きていくさまざまな出来事のひとつひとつが糧になり、人生の彩りへと昇華していくように感じ、そしてさまざまなことを考え、行動することが生きている証なのだということを感じた一年でした今年も素晴らしい人たちとの出会いがありました今年、わたしの心を大きく成長させてくれた存在に「ターシャ・テューダー」がいます人生の大先輩の素敵な生き方をしているこの女性に”恋”をしました”バーモントの冬は厳しく長いので、忍耐が必要です。でも、この忍耐の先には、いっせいに花開く輝きの季節が待っているの。冬の間、わたしはいつもそのことを考えているわ。辛い時こそ、想像力を枯らさないで。”・・と、ターシャは言っていますいま、まさに、季節は冬・・人生は四季にたとえられ、自らが”いま”という季節を感じるときそのときどきの状況で”季節”が生まれるように思うそれぞれの季節の美しさを愉しみながら・・”いま”を幸せに生きていることをありがたいと思って生きていこうと。2007年 来る年も良き年となりますよう願っていますみなさんも良い年を迎えられますように・・今年も一年、お付き合いいただきありがとうございましたみなさんに感謝をこめて・・12本の薔薇より
Dec 28, 2006
コメント(22)
昨夜、久しぶりにTVを観て、泣きに泣きましたドラマ「君が光をくれた」主人公の児童自立支援施設で暮らす自傷行為を繰り返す少女と柴犬の出合い。残念ながら、途中から観たので始め部分はわからないけど・・1匹の捨てられそうになっている柴犬をヒロインの少女が見つけ、愛情をかけて育てていくうちにヒロインの少女も成長していく・・この柴犬(ラブ)の演技が実にいい・・喜び、悲しみ、愛しさを表現。青少年の非行や行動が最近、クローズアップされている。みな、孤独と向き合っている・・モノを言わない動物の感情表現が一緒に暮らし始めると何を要求しているか自然とわかってくる・・人間と動物の関わりが密になるとコミュニケーションが生まれてくる我が家の愛犬ベルは13年共に暮らしている愛しい・・無条件にかわいい・・犬ばかを承知の飼い主だけど・・愛しい存在・・きのうのドラマで飼い主と柴犬(ラブ)との別れを観て・・ただ。。ただ・・感動して・・泣きました大泣きしました 「死ぬのが恐いから飼わないなんて、言わないで欲しい」おうちを汚すから飼わないというなら、犬はお行儀を身につけることができる。留守がちだから飼わないというなら、犬はけなげにも、孤独とむきあおうと努力するかもしれない。貧乏だから飼わないというなら、犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、犬はもうお手上げだ。すべての犬は、永遠じゃない。いつかいなくなる。でもそれまでは、すごく生きている。すごく生きているよ。たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、飼い主たちは、たいへんあいくるしくって、幸せな時間を共有しているはず。飼いたいけど飼わないという人がいたら、伝えて欲しい。犬たちは、あなたを悲しませるためにやっては来ない。あなたを微笑ませるためだけにやって来るのだと。どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を預かってみるのは、人に与えられた、素朴であって高尚な楽しみでもあります
Dec 5, 2006
コメント(8)
医師で作家 斎藤茂太さん死去きょうのニュースで知りました。90歳の高齢にもかかわらず、いつも穏やかな口調で語りかけてくださる「もた先生」が大好きでした。************************************NHKのニュースより・・ 斎藤さんは大正5年に東京で生まれました。歌人で精神科医の斎藤茂吉を父に、作家の北杜夫さんを弟に持ち、明治大学文学部を卒業したあと、昭和大学医学部などで精神医学を学びました。精神科の医師として患者の治療に携わるかたわら文筆活動を始め、昭和39年、父茂吉の性格について専門的な分析を加えながら書いた随筆「茂吉の体臭」を出版して話題になりました。その後、「長男の本」や「飛行機とともに」など家族や心、旅行に題材を取った随筆を相次いで発表し、優しく穏やかな人柄で「モタさん」の愛称で親しまれました。日本精神病院協会名誉会長や日本ペンクラブの理事、日本旅行作家協会の会長などを歴任し、昭和62年には勲2等瑞宝章を受章しています。斎藤茂太さんの弟で作家の北杜夫さんは「兄は高齢でしたが、とても元気に執筆活動を続けていたので、まだ大丈夫だと思っていました。唯一残った肉親だったので、ほんとうに悲しい気持です」と話していました。******************************斉藤茂太先生の本から、多くのの生きるヒントをいただきました。「いい言葉は、いい人生をつくる」サブタイトル―いつも私は「言葉の力」を味方にしてきた 素敵なメッセージがたくさん詰まったわたしの愛読書です。亡くなられても心にたくさんの宝物をいただいた「もた先生」はこれからもずっと傍にいらしてくださると・・・心からのご冥福をお祈りします
Nov 21, 2006
コメント(8)
11月20日付けの朝日新聞朝刊に下のような記事があり、共感したので掲載します。記事は作家であり写真家の藤原新也氏*************************************時流自論=朝日新聞=記事より11月初旬のある日の夜10時、JR山手線に乗っていた。隣の席に塾帰りらしい小学生が座る。ランドセルからスポーツ飲料とサンドイッチと「ポッキー」を取り出し、携帯でメールをチェックしながら食べ始める。夕食らしい。携帯の画面には、「あいつ」「ゴキブリ」という言葉がちらりと見える。小学5,6年くらいだろう。子どもは携帯画面を見終えると、手提げバッグからゲーム機を取り出し、一心に両手の指を動かしはじめる。画面には飛行機の陰が浮遊しており、神経症のようにたたきつける指の動きと連動してビームを発射し、しきりに何か得体の知れないものを攻撃している。その子の姿に、催眠術のようなピアノ曲がバックに流れる塾産業会社のテレビコマーシャルが二重写しになる。テレビの中の子どもたちは異様な静寂の中で鉛筆の音だけ発し、黙々と答案用紙を埋めている。塾の行き帰りは、あたかも何かから追われてでもいるように前のめりで早足で歩く。「君、ごめんね。さっき携帯、見えてしまったんだけど、あのゴキブリって、何のこと」隣の子は、一瞬驚いたように眼が泳ぐ。「まぁいいや、それで君、毎日この時間に家に帰るの?」ゲーム機を操作しながら、わずかにうなずく。「・・・・・・・苦しくない?」ちょっと間を置いて、意外にも吐露するような小さな泣き声が返ってくる。「・・・・・・くるしいけど、しかたない」子どもはそのまま、足早に次の駅で降りる。私はその後姿を見ながら、昨今騒然となっているイジメの正体と出所のすべてがそこに集約されているように感じ入る。イジメ事件が起こると世間の怒りはイジメた側の子に向かう。だがそんな短絡的な問題ではない。「ゴキブリ」と言った子が今度はいつか自分が「ゴキブリ」にされるかもしれないという攻守の堂々巡りの中にあるように、イジメはリストカットと同じ、”子どもという集団の自傷行為”なのである。くだんの夜の電車の小学生のように、イジメる側もイジメられる側も、子どもたちはその終わりのない競争原理と抑圧の中で疲れ切っている。受験管理教育という名の”強制収容所”の密室で喘ぎ、心が痛み、歪み、イジメ合うことでガスを抜くという自傷行為が繰り返されているということだ。悲惨である。だがその堅固に構造化してしまった教育のあり方を根本的に組み替えないかぎり、いかなるその場の対症療法を行ってもイジメ自殺は消えない。もう評論言語は意味をなさない時代に来ているのである。腐った根っこを掘り出し、別の土壌に植えかえる抜本治療のみが必要とされる。たとえば受験戦争のピラミッド構造の頂点にある東大をまず解体し、全体の縛りをゆるやかにする一見暴論に近いような見解も、そのくらいの荒療治が必要という意味で拝聴に値する。この、やらなければならないが出来そうにもない携帯電話所持の年齢による線引きも考えられる。たとえば、たばこは発育途上にある子どもの身体に影響がある、として20歳で線引きされている。それでは、なぜ発育途上の子どもの心を複雑に蝕んでいる携帯電話所持の線引きをしないのか。携帯は、子どもに最も必要な他者との肉声や身体の接触を奪う。内面を育む本を読まない。迂回するという無駄がなくなり、行動が定型化される。心が内向して現実に向き合わない。そして人の目を見ない。子どもの情報が親の前を素通りする。イジメ仲間の情報伝達のツールになる。中には一ヶ月に6万円もの通話代を浪費する子がいる。「アダルト」も見放題。出会い系サイトに平気でアクセスしてレイプされるケースもある。その効用より害の方が圧倒的に大きい。甘く見積もっても心身形成期の小中学生で線引きをし、携帯を禁止するという法を施行すべきだと私は考えている。受験産業で巨大な利益を上げている企業には申し訳ないが、かなうことなら塾も小学生までは廃止すべきである。商売の自由は保証されるべきだが、意味のない受験本位の知識を詰め込んだ子どもの”オタク化”が進みこそすれ、それによって子どもの知能が低下するとは思えない。それが証拠に塾があるのは世界で日本と韓国と中国の都市部だけで、アメリカにもヨーロッパにも、当然アフリカにも東南アジアにも、日本のような塾はない。塾がなくても彼らは立派にやっているではないか。ちなみに教育機関のテレビコマーシャルが全国規模で流されているような不可思議な国は、日本と韓国だけである。子どもの深夜の帰宅もそうだが日本という国は異様な国なのだ。その異様さが異様なイジメや自殺に噴出していると言える。まだまだ根本的な発想の転換をしなければならないことは無数にあるが評論家口調をする”タレント”が、受けねらいで教育再生会議のメンバーに任命されるような施政が行われる日本にあっては、実現への期待は薄いだろう。であるなら、イジメ自殺は未来永劫に終わらない。********************************イジメや子どもの自殺が毎日のように報じられ、やり場のない悲しみと怒りの矛先をどこへ向けたらいいのかさえわからない虚しさを感じている。こたえはわかっているのに・・イジメをなくすこと・・ただ、それだけのことなのに・・大切な生まれてきたいのちをイジメによって、自分の手で痛めつけないように・・自分の力では、もうダメだ!と思ったら、誰でもいい・・助けを求めて・・声を出して助けを求めることも勇気です。勇気を持って、助けを求めてほしい待ってるから・・死なないで・・
Nov 21, 2006
コメント(6)
I子ちゃんのはなしI子ちゃんは、東京のある町で生まれました。お父さんは、お祖父さんの代から続いている鉄工所を引継ぎ、地域でも面倒見のよい社長さんで通っていました。お母さんは苦労知らずのお嬢さんがそのままお嫁にきた生活観のない女性で料理も裁縫もあまり得意ではなく、そのかわり社交性のある明るい人でした。食事の仕度は、お姑さんがしきっていました。I子ちゃんは、そこの長女として誕生し、家族、会社の従業員、近所の人、たくさんの人に可愛がられて成長しました。I子ちゃんが、小学校3年のときのこと・・国語の授業でY先生が黒板に漢字の筆順(書き順)を書き始め・・その順番が違っていると思ったI子ちゃんはY先生に「先生! その書き順、おかしいです。」と手を上げて言いました。するとY先生は、真っ赤な顔をして怒りました。「Kさん、先生に間違いはありません!!廊下に立っていなさい。」とI子ちゃんは、どうして自分が立たされなくてはならないのかわからないまま廊下に出て立っていました。それから、Y先生はことあるごとにI子ちゃんにつらくあたるようになりクラス中でI子ちゃんがテストで良い点数のときにY先生はこう言いました。「Kさんは、カンニングをしていい点数をとった」・・と。クラス中は、I子ちゃんを無視したり、からかうようになりました。小学校5年のクラス替えがあるとき、I子ちゃんは、担任が変わりクラスメイトが変われば、学校が楽しくなると期待していました。クラス替えの発表があったとき・・I子ちゃんは悲しくなりました。また、Y先生が担任に・・5年の夏休みが終わって2学期が始まったころ、I子ちゃんの家の会社がお父さんの人の良さが災いして、会社が倒産して家族が離散してしまう出来事がありました。I子ちゃんの両親の離婚、おじいちゃんは病気でおばあさんは自殺。I子ちゃんと弟は、お父さんと小さなアパートで暮らし始めたもののなかなか新しい仕事につけないお父さんは、子どもたちの給食費も払えないことをいつも不憫に思いつつもお酒に浸りました。ある日、給食を食べられずに残したI子ちゃんにY先生がこう言いました。「Kさんの家は、お父さんの仕事が倒産して、給食費も払えなくなりました。それなのに給食を残すなんて、みなさんどう思いますか?」I子ちゃんは、とっても悲しくなりました。テストは、がんばっても「カンニングした・・」とY先生に言われるしそのころから、テストはいつもわざと間違えるように答案を書きまたは何も書かず0点のときもありました結果、成績はどんどん下がり、父親には叱られ、Y先生には「学力が下がったのは、家庭環境が悪くなったから・・」と言われ、クラスメイトから学校帰りにいじめにあうようになりました。小学校時代は、なんて悲しい時代だったんだろう!・・とI子ちゃんは、振り返ります。中学生から、I子ちゃんは親戚の家の養女になりました。新しい町での中学校生活が始まりました。成績は優秀でいつも学年で上位の位置にいました。そして親友もできて・・高校から大学へ・・と進んで・・ある日、小学校時代の自分の姿(I子ちゃん)を思い出し、急に悲しくなりました。”あのとき、いやな思いを誰に相談すればよかったのか・・誰もいなかった・・誰も・・”では、なぜ、あんなに悲しくていやだった小学校の出来事を耐えることができたのか・・?”自分を支えていたのは自分のプライド・・だったような気がする。。”と自問していました。”ただ・・ただ・・耐えて・・耐えて・・誰かに話せば自分がもっとみじめになる・・””そう思った”と。現在、I子さんは、神経内科の女医さんです。そしてわたしの大切な友人です。いま、「いじめ」が社会問題になっています。昔がよかった!!ことはなくて、昔も「いじめ」は、ありました。「いじめ」は、犯罪です。「いじめ」により、自殺させたら、自殺させたあなたは、犯罪者です。「いじめ」た、あなたは人の痛みをわからない人です。いのちの大切さ・・自分のいのちが大切なように人のいのちも同じように尊いのです。互いに憎しみ合わぬよう・・いのちをはぐくんでいけますように・・
Nov 10, 2006
コメント(12)
きょう、いままでブログに綴ってきた日記を読み返してみました。ちょうど2年前の日記より・・「人間力・・」のことを書いていました。再確認の意味で。。 「人間力とは、追い詰められてもあきらめないこと」雑誌を整理していて、ページをめくっていたら「人間力とは、追い詰められてもあきらめないこと」というタイトルの記事があった『探せばいるわ、すてきな紳士』というテーマで毎月その雑誌の連載だったようで。。この月が最終回だった脳神経外科医の中込忠好さんから・・司会者「どのくらいの経験をつめば脳神経外科医として一人前になるのですか?」中込さん「一人前になど、一生なれない気がします自分の専門分野では死亡率ゼロというこの先少しでも長く達成し続けることを、ひたすら目指しているだけです」僧侶の楠顕秀さんの話から・・「不出来な人間でいいんです 愚かなまま一生懸命に生きていけばいいんです いま生きている自分が最高、人をだまさず、正直に生きている自分は最高、と思っていいんです自責の念が肥大して、自分を裁くのはよくない」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~権威の臭いがない人権威臭というのはほとんど体臭にちかくそばにいると察知されるもの「自分をエライ」と思っている人間は、その発散する体臭ですぐに他者に気付かれる権威臭のない人は、謙虚でもあるその分野では第一人者の人たちが、現在の実力に慢心することなくえんえんと研鑚を積んでいく姿から学ぶことが多い「人間力のある人たち」の顔、表情は美しい「生きる」ことに初心者の私はいつも謙虚でありたい・・と・・思う 自然の美しさを映像から・・わたしの好きなHPです。[The Interview with God]※↑のHPの「View Presentation」をクリックすると・・(少し、時間がかかるけど・・)自然の風景の映像がみられます。
Oct 16, 2006
コメント(16)
おいしいものをいただくと身も心も喜びます特に食いしん坊のわたしは、美味しいものには,鼻は利くし、目は輝き、口は饒舌、頬は膨らみ、脳みそは機嫌がよく・・食べることも、また作ることも大好きなおめでたい人間にできている・・ きのうの朝、NHKの連続TV小説「芋たこなんきん」を観て”いやぁ、ほんとに藤山直美。。いい味出してるなぁ~”と感心しながら15分を目いっぱい愉しみ、その後そのままTVをつけていると料理家「辰巳芳子」さんが作るスープの魅力について・・紹介していた※(ちなみに・・わたし、この番組の内田アナウンサーのファンです。。)ま、そんなことはどうでもいいんですけど・・辰巳さんが作るスープは、「いのちをつなぐ」と話されていて辰巳さんのお父様の看病をされていたとき、食の細くなっていく状態を見て”なにか、口にできるものを・・”と考えていたときに”スープなら咀嚼しないで飲めるのでは・・?”とそのときから、スープを作り、病院へ運んでお父様に差し上げたとエピソードが入り・・辰巳さんが話します”食はいのちをつないでいます、このスープでいのちがこっちを向くかあちら側へ行くか・・その境目を担っています。その患者さんのいのちをこちらへ向けるために一生懸命スープを作る・・これが食の原点です”と 番組では、高知県のとある大きな病院の患者さんに辰巳さんのスープを飲ませたい・・と病院の先生から辰巳さんが依頼を受け、試行錯誤の末、600人分のスープを作りました食欲のなかった患者さんが”おいしい、おいしい・・”と言って、スープを飲む姿を見て”すごいなぁ”と・・TVの前で唸ってしまった・・わたし・・食への思いをこれだけ『生の哲学』として、実践できる女性に尊敬の念をおぼえました 毎日のように家族の食事つくりを担当しているわたし。家族の”おいしい・・”の一言で”やったね!”と単純に思うわたし。家族の”おいしい”は、生をつなぐ源になっているんだなぁと目が覚めた思いがした番組でした「辰巳芳子」さんのHP
Oct 4, 2006
コメント(10)
仏教の教えに「四住期」という思想があると・・あるとき、夫から、「そろそろ、人生の「林住期」になるから、山で暮らさないか?」とわたし「ホンキで言ってるの?」夫「もちろん、ホンキさ・・」と、そんなワケで縁あって、栃木県那須のとある別荘地に家を建て、暮らすことになり,ところで・・<四住期って?>調べたら、こう書いてありました。仏教の世界に四住期という思想があります。人生には四つの時期があるという考え方で20歳までを勉学に励む学生期(がくしょうき)、40歳までを家庭で家族と過ごす家住期、60歳までを林の中で自己を見つめて暮らす林住期、それ以降を家を捨て放浪の旅にでる遊行期という・・だそうです。簡単に決めたものの・・それからが毎日、夫と家の設計、施工、引越しの準備・・など諸々の”ヤルベキコト”の多さに仕事の合間に互いに協力しつつ2年がかりで”那須引越し狂騒曲”の計画をし、実行に移しましたま、そんなこんなで・・今年8月より、那須の森の住人になりました・・
Sep 19, 2006
コメント(18)
もういちど、訪ねたいと思っていた・・初めて、このお宅を訪問した2年前の6月・・あれからずっと気になっていたきょう、機会を得て、ドライブを兼ね、春の風景を眺めながら今は亡きご夫妻の家を訪問してきましたそのご夫妻の魅力は、いまなおエピソードがいくつも残っていて・・ご夫婦の住まわれた家から、暮らしのヒントがみつかります人の暮らしを垣間見る趣味はないけれどなぜかこのご夫妻は、拝見したくなるほど惹き付ける魅力があり、味わいを感じるのです前回、訪ねた時は奥様の興味から・・今回は、ご主人への興味から・・お二方とも、それはそれは、素敵で、カッコよくて・・わたしの憧れのご夫妻なのですその家の主の名は、「白洲次郎」その家の名は、「武相荘」↑は、このお宅の紹介のHPです「白洲次郎」・・日本で初めて、ジーンズをはいた男そしてジーンズが一番似合う男大正8年にイギリスに渡り、ケンブリッジ大学に留学、英字新聞社に勤務。その年に樺山正子と出会い、結婚。戦争の拡大を見越して、東京郊外に田圃と畑のついた農家に暮らした男戦後GHQ作成の新憲法総司令部案(マッカーサー案)に対し、次郎は草案を作り以後、サンフランシスコ条約の発効まで「日本国憲法」誕生の現場まで立ち会う。次郎は、GHQとの折衝で「従順ならざる唯一の日本人」といわれる。まだまだ、「白洲次郎」のスタイルは、著書の中で息づいている・・ 下記は、初めて白洲邸を訪れた時の日記より、(2004,6、4)「その人」を訪ねてずっと私の中で気になっていた人がいる・・”その人”の一冊の本に出会い、この著者に言葉では言い表せないモノを感じていた少し前、友人と話をしたときに”その人”の名前が出てきて嬉しくなった友人の家がある沿線に”その人”は暮らしていたそうでいまは,その家が記念館になり公開されているとのこと友人から、「何度か訪れたことがある」と聞き、今日は友人に案内してもらった”その人”の名は、「白洲正子」どこに魅かれたかというと・・モノの見方、感じ方、選び方、生き方がどこか人生の大先輩には畏れ多いが私のモノの見方、受け止め方に近い感性をみた本を読み、すっかり虜になった私には、「白洲正子」は人生の先輩のお手本のような女性だ友人との会話に「白洲正子」の話題が出なければ、記念館を訪れる機会もなかったかもしれないと思うと、友人に感謝の気持ちが溢れてくる門をくぐってすぐのアトリエ、いまはギャラリーと喫茶室に・・先ほど、”感性が近い”と書いたがどういうところが近いのかというと・・たとえば、花を活けるのに私は剣山を使わないこれは花が摘まれる痛み、そして活ける時の剣山に挿される痛みこれは花たちにとってかわいそうに思うのでなるべく花瓶にそのまま活け、その花が美しくみえるように調える・・花は野の花を愛で、花の枯れ行くはかなさをみて人の生きていく姿をそこから重ね合わせてみることもできる正子もどういう理由で剣山を使わなかったのかそれはわからないが・・・・剣山を使わずに花を活けてたと・・今日、知った今日は爽やかな初夏の中を素敵な出会いができたこと・・日記に綴りながら感動している
Apr 8, 2006
コメント(14)
「無言坂」・・あの窓もこの窓も灯がともり 暖かなしあわせが見える一つずつ積み上げたつもりでも いつだってすれ違う二人こんなつらい恋 口に出したら嘘になる帰りたい 帰れない ここは無言坂帰りたい 帰れない ここは日暮坂あの町もこの町も雨模様 どこへ行くはぐれ犬ひとり慰めも言い訳もいらないわ 答えならすぐにでも出せるこんなつらい恋 口を閉ざして貝になる許したい 許せない ここは無言坂許したい 許せない 雨の迷い坂帰りたい 帰れない ここは無言坂許したい 許せない 雨の迷い坂ここは無言坂 香西かおりさんが歌う、「無言坂」は久世光彦さんが作詞、玉置浩二さんの作曲 久世さんの著書の中で、この「無言坂」の詩が生まれた背景が書かれていたのを記憶のどこかにあり・・夕暮れ時分の夕食の支度をしているときにこの歌を口ずさむことがある・・帰りたい 帰れない ここは無言坂許したい 許せない 雨の迷い坂ここは無言坂♪ この歌詞の原風景に、久世さんが少年時代を過ごした富山がある。親兄弟が眠る八ヶ山墓地から、通っていた中学のある五艘へ向かう長く曲がりくねった坂を思い描いていたという。両親の故郷に疎開し、高校までを過ごした久世さんは、山本周五郎賞の授賞式で、「十代のころ、私は文学という女の人に恋い焦がれました」とあいさつした。私の心が帰りたがっているのは、もしかしたら親兄弟の眠る場所かもしれないと書いている。帰りたい・・帰れない・・せつない気持ちがやるせないほど・・伝わってくる 夕暮れ時の家々に灯のともる頃の帰り道・・何ともいえない、寂しさを感じる夕暮れの気配と匂い・・学校帰りのあの坂道・・懐かしささえ感じるあの日には 帰れない
Mar 7, 2006
コメント(12)
「ターシャ・チューダーの四季の庭」アメリカのバーモント州の広大な庭を持ち、自分の思い通りに建てた家に独りで暮らしている92歳の女性ターシャ・チューダー絵本作家でもあり、ガーデナーでもあり、また暮らし上手な女性でもありこの女性の一年を通しての暮らしを綴った番組をTVで観ましたターシャの4人の子供たちを育てながら、描いた絵本が世界中に愛されいまもなお読みつがれているターシャの子ども時代を過ごしたあの懐かしい時をそのままいつくしみいまでも便利な生活を取り入れず、「古きよき時代」、「古き良きもの」を大切にターシャ流の暮らし方を愉しんでいる四季を彩る花たちは、ターシャが種から育て、色もカタチも素晴らしい写生画のよう・・植物たちとの向き合い方、育て方も愛情細やかに、草抜きもていねいにそれでいて、自生しているように”花がそこにあった”と思えるほどの自然の美を醸し出している、ターシャ・チューダーの庭にその人の人間性を感じる「喜びは作り出すもの ターシャ・チューダー 四季の庭」 四季と共に生きているターシャは、時間を惜しまずに丁寧にモノつくりがなされ料理、裁縫、絵、庭つくり、暮らしに必要なモノを作り出すターシャの魅力は蜜蝋からロウソクを、キルトを縫い、セーターを編み、庭のりんごでジュースを作り・・手をかけ、愛情を与え・・暮らしのぬくもりが伝わってくる30万坪もある広大な庭を愛犬メギー、鶏のチカホミニーをお供に毎朝夕、手入れをするターシャの姿に胸が打たれました思うとおりに歩めばいいのよ楽しみは創り出せるものよ今がいちばんいい時よ人は自分が置かれている立場をすぐ状況のせいにするけど、私は状況を信じません。この世で成功するのは、立ち上がって自分の望む状況を探しに行く人、見つからなかったら作り出す人よ。” ーターシャの言葉ーターシャ・チューダーのクリスマスは暖炉の火のように・・温かさに包まれている
Nov 26, 2005
コメント(16)
かつて、世界的に著名なチンパンジー研究家であり、国連の「平和の使者」でもあるジェーン・グドール博士を囲む会に出席したことがあります彼女は、68歳を越えてもなお、瑞々しく、若々しく静かな語り口で、人類の「希望」について語っていました世界中の環境破壊や悲惨を目の当たりにし、さらに2001年9月11日の事件を間近で目撃した彼女でしたがその内容は彼女の著作【Reason for Hope】の表題どおりなぜ、我々が、こうした破壊や悲惨に満ちた世界においてなお、未来に「希望」を持ち続けるべきかそのことを、深く、静かな信念に満ちて語ったものでしたその彼女の言葉の余韻の中で、独り、帰途についたときふと、心に浮かんできた思いがありました「希望」とは何か。いま、この世界には、「悲しみ」や「苦しみ」が溢れているしかし、必ずいつか、この世界にも「善きもの」がやってくるその「未来」を信じられることを 我々は「希望」と呼びますしかし、「希望」という言葉の本当の意味はそうではないのかもしれませんいま、この世界に溢れている「悲しみ」や「苦しみ」そのことも含め、すべてのものごとがこの世界に「善きもの」が生まれてくるための深い「意味」を持っているその「意味」を信じられることを「希望」と呼ぶのかもしれませんすべては「善きもの」そのことを考えている時、彼女の名前が「Good All」であることに気付きました「夢」は見るもの・・叶わないから夢、「希望」は持つもの・・努力すれば、叶うかもしれない・・「希望」を持ち続けて生きていきたい・・
Nov 18, 2005
コメント(14)
人間って、生まれおちた土地や時代に影響をうけ,自分なりの個性を造ってゆくもの。そのひとつに顔はとても大切なものと思っている造作ではなく、いい顔だなぁって思える人が最近、少なくなってきたように感じる私は顔の中に、たたずまいのある人が好き。以前、名前を忘れたけど、フランスのカメラマンの話を聴いたことがあり、「水の流れていない顔は嫌だ!とりわけ目は湖のようでも、河のようでもあり、瞳の中に光も陰も宿していない人は撮りたくない」・・と。この話から思ったこと・・顔にその人の生きてきた歴史が刻まれ、またその人の個性や魅力なり、その人を表わすのに顔のウェイトは大きいきのう、友人のUさんと遅いランチタイムをとりながら「自由に生きる」って・・という話になった。Uさん「自由に生きるって、ラクそうで実は孤独を生きる力を持っていなければできないのよね。」わたし「孤独をどう使いこなせるかかなぁ?」Uさん「うん。夫がいるから、子どもがいるから自由に生きられないということではないんだよね。いかに自分で選択していくか。自分の頭を使い、時間を使って動くか。自由の本当の意味を知っている人は抑制もでき、また,大人のふるまいもできるんだと思う。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この話から・・思ったことはよくパリの女性は大人だ!といわれる。私の大好きなフランスの女優、ジャンヌ・モローが言ったように「私は人生にいつも恋をしている」と年齢を重ねるごとに素敵になり、人生をあきらめない そして、毅然として、他人に寄りかからない・・真剣に時間を積み重ねている。 自由と無責任とは違うまたわがままでお気ラクに生きるのとも違う私が思う自由とは・・自分の思いのままに生きることは人間としての責任とマナーを持ち、何にも従属しない生き方を愉しむこと「あなたはどんな女性になりたいの?」と自らに問いかける自らの存在を主張するでもなく、それでいて印象に残る人・・そういう女性になりたい・・・・
Oct 6, 2005
コメント(22)
早や、10月・・しばらくの間、ご無沙汰をしていました。ここ何日かの空白は、大きな存在であった兄の死でさまざまな思いがよぎり日記を書けずにいました。みなさんから、心温まるコメントとメッセージをいただき、厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました亡くなった兄の思い出は・・家族ひとりひとりが大きな大きな兄の懐に守られていた・・どんなときも・・その大きな存在の兄が亡くなったことは、無念の一語に尽きますが兄は、素晴らしい人生を全うした・・と、日を追うごとにその思いがしています。この悲しみの中で一冊の本を読み返しました。遠藤周作著「深い河」この本の中で祈りとは・・特定の宗教に限定するものではなく、人間によって、解釈され宗教として確立される以前の、もっと原初的な人間の根源から沸き起こる作用のようなもの。敬虔なカトリック信者の著者遠藤周作が仏教の生誕地インドを舞台にヒンズー教徒に、イスラム教徒に、また仏教徒にも目を向けている視点が興味深く、この本の中の一節から・・「ガンジス河を見るたび、ぼくは<玉ねぎ>を考えます。ガンジス河は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰をのみこんで流れていきます。」<玉ねぎ>=キリスト教の神のことガンジス河には、火葬された死人の灰がまかれ、死体が流され、また輪廻転生の解脱を願い沐浴する人たち・・その河の深さに、ひとりひとりの人間の背負ってきた悲しみ、業の深さ、、祈りの深さをも受け入れる「河」の持つ意味。人は死んでも、絶えることなく、流れ続けてきたガンジスの流れは、いつの世も悠久の時を経ても変わらず静かに受け止めてくれている・・読み応えのある一冊でした。人の悲しみ、苦しみを共感し共苦し同感しながらまた同苦した兄の死への思いを一冊の本を読み終え、感じました。
Oct 2, 2005
コメント(22)
全109件 (109件中 1-50件目)