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ここシリコンバレーも完全に春を迎えたようである。日に日に日差しが強くなり、キャンパス内の木々の新緑がとても眩しく爽やかである。 しばらくの間、イラク攻撃に関する記述が多かったが、留学生活の後半戦に突入して いくつか興味深い有意義な試みがあったため、今日は少し最近の生活について書いてみようと思う。。。■ 米国 3/24(月) 知的所有権に関するミーティング―――――――――――――――――――――――― 我々がこうしてVisitingScholarとして企業から大学に派遣されているとは言え、両者の間には、常に『知的所有権』の問題が付いてまわる。勿論、我々エンジニアが日本の会社内で特許や論文を書く際にも こうした問題はあるのだが、会社内の仕事として これらに関わる場合、通常は会社への全権譲渡が前提となるため、(良し悪しは別として)システム的には気を揉む必要がない。 しかし、大学-企業間となると問題は一気にややこしくなる。しかも、米国の大学となるとさらに問題は厄介。。。なぜなら、普段は我々を手厚く扱う留学先の大学も、こと知的所有権の話となると明確に自分達の権利を主張するためである。当然 大学と企業の間には、もともと知的所有権の分配に関する一定の規約があるのだが、往々にしてその内容は抽象的である。以前なら、こうしたある種牧歌的な規約でもよかったのかもしれないが、ここ最近米国特許出願企業ベスト10のうち、5社も日本企業がランク・インするようなご時世になってくると、話はそうそう簡単には済まなくなる。。。米国企業が日本企業の出願する特許に関して目を光らせるだけでなく、基礎学問を醸成する大学側でも 共同研究などにおいて自分達の貢献分を主張するようになるためである。。。そこで、具体的な留意点やノウハウに関するレクチャーを受けたいと思い、当社 米国現地法人の法務関係者に会ってもらえるようリクエストを出したところ、それが実現した。ミーティングの場では、最近の権利分配の事例や、特許・論文に関わる費用的な話、関連手続きにかかる一般的な所要時間などを議論した。米国でこうした特許や論文に関する活動をする際に、かなり神経を使う点に、やはり輸出管理に関する問題があると思う。皆さんも、かつてよく言われた対共産圏への輸出規制(COCOM:ココム)は言葉としてはご存知だろう。近年は冷戦構造もなくなり、対共産圏という露骨な言葉はなくなったが、第3国への武器転用可能な高度技術に関しては、今だに規制が厳しい。特にコンピュータ業界に身を置く我々は よく耳にする話である。勿論、日本でも米国のルールに準拠して こうした輸出規制に関するルールはあるものの、やはり米国の方が随分と現実的に神経を使っているように感じる。。。その他にも詳細な議論があり、3/24(月)の午前中はすっかりこのミーティングにのめりこんでしまった。研究そのものとは違う内容ではあるが、こうした手続き的なこと、それにまつわる金銭的なことの背景をよく理解するというのも、グローバル・カンパニでやっていく上では必要不可欠である。■ 米国 3/25(火) 現VC所属 A氏とのミーティング――――――――――――――――――――――――― 一方、ある人のMovingSale(引越しセール)の関係で知り合ったAさんから 是非一度、私の仕事内容や今後の方向性について 話を聞きたい、というリクエストを受けた。このAさん、私と同学年に相当する方で、日本ではある電力系の企業に勤められている。現在はStanfordでの1年間のVisitingScholar生活後、あるVC(ベンチャー・キャピタル)でOJT(On the Job Training:入社時の教育ではなく、仕事を通して仕事を覚えていくシステム)で仕事をされている。どうもAさんの会社におけるVisitingScholarというのがそういうコース(大学のVisitingScholar→VC修行)になっているようで 何とも興味深い。かつて、NTT系企業からシリコンバレーの某VCにOJTで来られていた女性がいたが、このAさんのケースは、我々のような大学に所属するだけのVisitingScholarとこの女性と同様の両方の経験をすることができるわけで 羨ましい。 結局、キャンパス脇の『タウン・ビレッジ』という小さなモールで、オムレツを得意とするレストランで食事を摂りながら2時間程度のランチ・ミーティングをした。この小さなレストランは、日頃 VB(ベンチャー・ビジネス)の起業家とベンチャー・キャピタリストがミーティングをもつ場としてもよく利用されるらしい。話題は 主に私の担当する製品の概要と、その今後の方向性、Stanfordにおける研究内容、業界の今後のトレンド 等を中心に始まった。途中、Aさんの現在の仕事と 我々が現在の研究において興味をもっている内容が非常に近いことを確信し、ミーティングは随分と熱っぽくなった。詳細言及は避けるが、高速ネットワークに関する話題が柱となった。今後も一定期間毎にこうしたブレイン・ストーミングを開催して行こうということで別れた。他にもあちこちに、こうした内容に興味もつ人間がいるため、留学という一旦直接の利害から距離をおいたスタンスを利用して、小さなチームを作り、元気にブレイン・ストーミングやディスカッションをしていくつもりである。■ そして、そして米国 3/27(木) 3/29(土)も。。。―――――――――――――――――――――――― こうして一旦1つのことが動き出すときは、何故か諸々の他の企画も動き出すものである。。。(^-^;)米国3/27(木)は、4/2に予定されるStanford-UCB共同プロジェクトの研究発表会に向けたプレゼン打合せを予定している。また、3/29(土)の夜には 英会話に関するちょっとしたレッスンが始まる。レッスンとは言っても、ある人の英会話ビジネスの起業に際してモニタを兼ねた諸々の体験学習をし、その感想や評価をフィードバックしていく、といった内容である。既にいくつかの機会には参加してきているのだが、この3/29(土)より本格化する。自分にとっては英会話のスキルが少しでも向上するなら、是非とも参加していきたい企画である。。。さて、新しいステージが本格化するかな。。。(^-^;)元気だして行きましょう。
2003/03/26
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今日ついに私のサイトも10,000アクセスを超えました。特に積極的なアピールをすることなく、特にポップな話題を提供するでもなく、正直よくここまで来たものだと思います。本当に皆さんのお陰としか言いようがないですね。。。興味をもって頂いた皆さん 本当にありがとうございました。m(__)m■ ちょっと振り返ってみると。。。――――――――――――――――― そもそも、このサイトは昨年2002年7月末 社費留学に伴う渡米前に、渡米直後から自分の雑感を記録できるよう用意したものだった。よって当初は全く自分の雑記帳だった。。。今思い返しすと、6月の米国SanDiego出張や、渡米前の何もかも ばたばたと慌てたこと、渡米後のSanFranciscoでの1ヶ月間 超Internationalな環境で語学学習したこと、8月の末にスタンフォードエリアに移り 何もかも新たに生活インフラを立ち上げたこと、パートナーとの新しい生活が始まったこと、様々な紆余曲折やジレンマの中で研究を進めてきたこと、等が思い出される。そんな中、提供できた話題と言えば、国際時事ネタや、日米の違い、シリコンバレーの特殊性、知的刺激を受けた際の興奮、日々の悩み、米国内旅行等が多かったように思う。そして、最近では何よりもイラク攻撃に関する話題が多かった。 一方、訪れてくれる皆さんに関して言えば、シリコンバレーの特殊性に興味をもって頂いた方、海外での生活そのものに興味をもって頂いた方、米国内旅行に興味をもって頂いた方、写真や私のHPの構成に興味をもって頂いた方、留学というスタイルに興味をもって頂いた方、関係者の皆さん(VisitingScholar仲間、日本の友人、職場関係の方々)、そして最近ではイラク攻撃に関して問題意識をもっておられる方が特に多かった。。。更に最近は、リンクを申し出て下さる方まで随分と増え、ふと先日 何気なくGoogle(http://www.google.co.jp/ )で『サザンビーチ』を検索してみると、なんと2番目にランクされるまでになってしまって思わずのけぞってしまった。。。(^-^;)訪れて頂いた皆さんは、本当に様々なバックグラウンドをもった方々ばかりで、色々と教えて頂いたし、熱心に楽しい情報やコメント、意見を述べて下さった。上にも書いたように、特に派手なアピールをするでもなく、特にポップな話題や皆さんの興味を引くようなダイアリを意図して書いたわけでもなく、等身大に近い内容で情報発信してきたため、皆さんに興味をもって頂いたことは素直に嬉しい。今後も、オリジナリティを大切に、無理なく等身大で情報発信していけたら、と思う。そして、今は少しでも早く 元の楽しい話題にフォーカスしたHPに戻れるよう戦争の終結を願っている。(本当に、毎日米国のニュース番組で生々しい戦争の映像を見て、偏った論調を聞くのには辟易している。。。)■ アカデミー賞はジレンマを抱えて。。。―――――――――――――――――――― 米国3/23(日) 西海岸はLAにてアカデミー賞の発表式典があった。既に皆さんご存知のように『千と千尋の神隠し』が長編アニメ賞を受賞した。これ自体は紛れもなく喜ばしいことに他ならないのだが、時期が時期だけに素直に大騒ぎできないところが残念だ。。。宮崎駿監督も『いま世界は大変不幸な事態を迎えているので、受賞を素直に喜べないのが悲しいです。しかし、アメリカで「千と千尋」を公開するために努力してくれた友人たち、そして作品を評価してくれた人々に心から感謝します。』という複雑な心境を述べている。(コメントはAsahi.com様より引用させて頂きました。)そして、現実を映すようにプロデューサの方が受賞のための渡米を見合わせた。このご時世では もっともな対応だと思う。本当は、他の長編アニメに比べて1桁少ない上映館数にも関わらず 大健闘した結果なのに。。。その他には 日本ではまだ公開前のミュージカル映『CHICAGO』が前評判通り(ぶしつけながら、私の感想はこちら。。。(^-^;) )、作品賞といくつかの賞を受賞したが、リチャード・ギアも今回の戦争を憂慮して日本での試写会参加を見合わせた。。。こうした際、芸術は政治や戦争には縛られない旨をよく聞くが、そんなことはないと思った。。。TVの生中継を見る限り、アカデミー賞のトーンは全体的に落ちていた(抑えられた)ように見えたし、過去の華々しいショー・シーンなど ひいき目に見ても何か白々しさを覚えてしまった。考えすぎなのかな?などとも思ったが、やはり そうではなかった。。。式典途中、製作スタッフを含めた何人かの受賞者が、その受賞コメントにおいて「Against war」を口にしたり、早口で自分の反戦意思をこめたコメントを口にして立ち去る人も見受けられた。 そして、そのコメントに対して満場の拍手喝采を浴びるシーンも。。。全ての事柄をこの戦争の話題に結びつける気はないのだが、ハリウッドという米国の象徴そのものである文化の 最高栄誉の場でも、この状況である。。。連日報道される、NBCやCNNが連呼するイラク攻撃支持率60%~70%という米国世論は本当なのだろうか。。。?日本では、おそらく伝わっていないであろう今年のアカデミー賞の一幕を少しでもお伝えできれば、と思った次第。。。
2003/03/24
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米国の昨日3/20(木) 2週間ぶりにTerryさんと会った。(彼は私の"man-to-man"の英会話パートナーであり、シリコンバレーで既に2つの会社を起業した国際感覚豊かなインテリジェンス溢れるジェントルマンである。)2週間ぶりとなったのは、先週 彼がSanDiego(サンディエゴ)で開催された技術カンファレンスに出席して不在だったためである。 だが、さすがそこは彼である。その日程を使って経営関係のセミナも併せて聴講してきたという。特に今回は、後者セミナの「各社販売チャネル戦略」と「知的所有権の取扱い」に強い興味をもったそうだ。おそらく、最近2つ目の会社のオペレーションに忙しくしているようだから、そのせいもあるのだろう。本当に いつも知的好奇心に溢れ、有益な情報の摂取に余念のない人である。■ イラク攻撃以外の話題 ~ 知的所有権―――――――――――――――――――今回も例のごとく興味深い話題が続いたが、米英によるイラク攻撃を話題から外すはずもなく、その話題になる迄の内容は どうしても前座の観を否めなかった。ただ、その中で1つだけピックアップすると「知的所有権」の話が印象的だった。この話題は そのTerryさんのセミナの話題にも共通し、私が今現在Stanfordに居ながら 正直 最も当惑している点でもある。例えば、大学と企業の間の「知的所有権」に関しては、両者の間にかなり厄介な権利分配上の取り決めがあり、易々と特許や論文の執筆にはかかれない足かせとなっている。その詳細については近々、当社の法務関係者から詳細なレクチャを受ける予定である。。。一方、こうしたある種のジレンマに僕が苛まれているのを見て、Terryさんが少し悪戯っぽく「Welcome to US!!」と言ったため、思わず苦笑してしまった。。。つまり、こうしたジレンマに突き当たるということ自体が米国の一定の深さに踏み込みつつある、ということを意味し、そうした権利主張社会が米国だ、というのである。どうも 「待ってました!」と「よく頑張っているねぇ。」の2つの思いがTerryさんの中にあるようなのである。。。■ イラク攻撃 ~ 一致しない価値観――――――――――――――――― さて、2人の間に一定のけん制的雰囲気とウォーミング・アップがあってから、僕からイラク攻撃の話題を切り出してみた。しかし 話し始めてすぐに、今回もやはり根本的な価値観がTerryさんと私の間で違うことに気付く。。。上にも書いたように、彼は 間違いなく 非常にインテリジェンスに富んだ優しいジェントルな人であり国際的な造作も深い。それは、これまでの付き合いの中で疑いようがない。。。しかし、彼の思考のベースがいわゆる米国の強いキャピタリズムに根ざしているように思う。。。つまり、世界は自由化された「グローバル資本主義」でまわっていくべきであり、それによって世界各国が自由主義経済と民主化で豊かになっていくのがベストという考え方である。それこそが 民衆を豊かにし、貧困による暴力や理性のない行動を抑止する、ということである。その一方で、そうした動きを阻害する因子(例えば、米国から見たイラクやアフガニスタンのテロ組織など)は解決し 取り除いて行くべきもの、といった考え方が強い。そうした考えに基づくと、今回のイラクの一件は 米国流キャピタリズムの阻害因子に他ならないため、それを排除しようとしたところ、フランスがポーズ半分で国際舞台に駆け上がってきて 妨害を働く、というような扱いである。。。(T_T) つまり、キャピタリズムを世界的な視点から見れば フランスの行動も(大局的には)愚行に過ぎない、というものである。。。(フランスとイラクは 米イラクの蜜月の関係以降も、武器の提供元と購入元という強い関係を保ってきたのは事実である。しかし、本当にそれだけがフランスの反戦動機と決め付けられるのだろうか。。。?)彼と話していると、例えば911テロの件に関しては、どうも あの事故が全ての発端になったかのような論調が多いし、今回の件についてはあたかも初めからイラクが極悪であったかのような発言が目立つ。そして、イラクの独裁政権の転覆を止めようとするフランスについても、非難発言が目立ち、私との感覚・考え方の大きな差に大変驚かされる。。。私は 国際社会の醜悪な問題には 大元にそれなりのきっかけと そこまで至ってしまった何らかの理由があると考える方である。こと最近のイラクやアフガニスタン、朝鮮問題などは 根本的に米国が強く根深く関わっている のは間違いなく、しかもある時期までは蜜月の関係であったものが米国をとりまく環境の変化と共に悪い関係へと変わっていったものも少なくない。私が毎回Terryさんと話していて強烈に違和感を感じるのは、私自信が以下のような思いをもっているからだろう。。。 ▼ 米国のキャピタリズムが目指す金銭的・物質的富裕は、東洋や戒律の厳しいアラブ諸国にとっては 必ずしも全てではないこと。背景とする文化や習慣によって、物質的なものよりも、より精神的なものを大事にする人々も多いこと。米国はそうした文化的背景を理解してあげるべきである こと。決して、米国流キャピタリズムを強制すべきでないこと、またその尺度でのみ善悪を決めるべきでないこと。 ▼ 米国流キャピタリズムによって、各国を自由主義経済と民主化で救うと言いながら、その一方で投機的なヘッジファンドの手による ’96以降の台湾や韓国の経済を壊滅(アジア通貨危機)のように、一国ご都合主義的側面が強い輩が存在すること。それは、武力でないまでも、固定相場制を足がかりに経済立国しようとするアジア数カ国の経済を完全に壊滅させてしまった(食い物にしてしまった)こと。そして国際社会は そうした事実をつぶさに観察し 記憶している、ということ。 ▼ イラクが突然醜悪になったのではなく、米-イラクの蜜月の関係後、明確な関係悪化要因があったはずであること。本質的にはそこを解決しなければならないこと。そうした議論は911テロや朝鮮問題にも当てはまること。イラクの場合、米国の反共政策の下では積極武装支援された「反共の壁」であったし、朝鮮半島が強制分離されたのも米ソの対立構造によることは言うまでもない。 ▼ 仮に、残念ながら 武力行使に踏み切るとしても、それには絶対的に国連安保理の合意が必要であること。軍隊も経済力も国連は 米国には決して及ばないものの、国連設立時の主旨からして、国連による決定が最大限に尊重されるべきであること。原理原則である国連の取り決めを「なし崩し的」に公然と破棄するのは、今後 危険な国々・地域に対して「先制攻撃」容認の既成事実として伝わってしまい、第2、第3の悪例を引き起こす可能性が非常に高いこと。国連の意義を無力化してしまうことは、国連とは異なる また新たな国際協調のためのフレームワーク(枠組み)を必要とすること。そして、今回のイラク攻撃の記憶の後では、その新たなフレームワークも機能しない・理解されない可能性が高いこと。イラク攻撃について考える。。。その1(1/22(水)US)イラク攻撃について考える。。。その2(1/27(月)US)イラク攻撃について考える。。。その3(3/18(火)US)イラク攻撃について考える。。。その4(3/18(火)US)
2003/03/21
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ついに始まってしまった。。。米国3/19(水)の朝、すぐそばの幹線道路に出ると、いつもより星条旗のステッカーや小旗をつけた車が目立った。ここシリコンバレーは世界中から多種多様な優秀な人材が集まり、人種の多様性において非常にオープンと言われるカリフォルニア州の中でも更にオープンな土地柄である。優秀な頭脳と優れた経営能力を身につけていれば、外国から来た人であっても非常に大きな富を得ることができる全米屈指の富裕エリアであり(もっとも、ここ数年はシリコンバレーと言えども不況のまっさなかだが。。。)、ここに住む大半の人々がそうした状況を互いに理解し認め合っているように見える。そんな 一定のオープンな感覚を持ち合わせた人々が多いにも関わらず、やはり開戦直前となると、例の星条旗ブームが高まる。。。 米国3/19(水)は、大学の研究室でも終日 イラク攻撃の話題を意識しながら過ごした。あるプロジェクトにおいて、英語で簡単なエッセイを書く必要があったのだが、そのテーマを『国連の安保理決議なしのイラク攻撃』にしたのだった。。。今日はかなりの時間をそれに費やした。■ 戦争が始まった。。。―――――――――――― そうこうするうち、ここ米国西海岸の3/19(水)17時、すなわち米国東海岸の20時に ブッシュ大統領がイラクに対して指定した48時間の武装解除および亡命猶予期間が尽きた。それから約2時間後、大統領の演説があり、正式にイラク攻撃の開戦が宣言された。後日の情報によれば、開戦は西海岸時刻の3/19(水)18時(東部21時 日本時間3/20(木)11時)頃とのこと。つまり開戦は大統領の正式演説の前だったことになる。 どうも米国CIAの極秘行動において、フセインの所在が判明したらしく、本当に急遽作戦変更した奇襲攻撃だったらしい。大統領の演説後、間もなく 我家にも会社から米国事業所の取り纏めの方を通して、開戦通知と安否確認が入った。 そのブッシュ大統領の演説を、私のつたない英語力で聞いてみると以下のような内容が含まれていたようだった。(抜粋)「我々はイラクを解放する。我々は カリフォルニアの例にあるように、多くの人種からなる大きな州をコントロールしてきた実績をもつ。今回の戦いの後においてもそれは可能だろう。一方、イラクのフセイン政権は、これまで自国民の弱い立場である女性や子供ですら弾圧してきた。今回の戦いでは そうした政権を掃討し、イラクを市民皆さんがコントロールできる国にするつもりだ。兵士として協力頂いた(米国の)ご家族はさぞかし心配されていることと思うが、この作戦は必ず勝利を収め、兵士の皆さんはすぐ皆さんのところに帰ることができるだろう。。。」■ 多種多様の人種がいるのに。。。―――――――――――――――――カリフォルニアが引き合いに出されていたようだが、何とも因果なものである。ここシリコンバレーには、アングロサクソンのアメリカンは勿論のこと、メキシカンもヒスパニックも、中国人も韓国人も台湾人も日本人も、そしてインド人もイスラエル人もロシア人もいる。。。その中には、韓国(北朝鮮対立)、台湾(中国対立)、インド(パキスタン対立)やイスラエル(パレスチナ対立)、旧ソ連のロシア(各種地域紛争)等、今なお複雑な事情を抱える国の人々も少なくない。いや、むしろ多いと言っていいだろう。それでも、こうした多くの国々からやって来た人々が、ここシリコンバレーで自由に活躍している一方で、イラク人や同じイラク人でありながら激しく弾圧されるクルド人の人々が存在している。。。数100歩譲って、悪性政権打倒による人民開放の戦争だとしても 罪のない普通の市民が死に直面し、状況の理解もないままに実際に死んでいく。。。やはりこの辺が どうしても腑に落ちない。もっとも、多種多様な人種の皆さんが集まるシリコンバレーとは言っても、ここに在住している皆さんの中には、企業から派遣されている我々と比べても比較にならないほど(驚くべきほど)裕福な人も多い。元来一定のお金をもっていなければ、渡米すら難しいだろうから、それを考えると今、イラクにいる皆さんの状況とは単純比較できないかもしれない。先日の報道では、イラクでも富裕層はさっさと賄賂をともなった早期のビザ発行で大量に国外へ脱出したという。。。すると、イラクに残っている人々というのは、貧しく身動きのとれない人々ということなのか? それでは なおさらやるせない。。。(T_T)今日は 本当に支離滅裂な文章になってしまったが、これが 実際に多くの人種を目の前にしたシリコンバレーならではの 直感的矛盾の1つである。イラク攻撃について考える。。。その1(1/22(水)US)イラク攻撃について考える。。。その2(1/27(月)US)イラク攻撃について考える。。。その3(3/18(火)US)
2003/03/20
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やはり。。。という感じで米国は国連安保理決議なしによる武力行使を決めた。併せてイラクのフセイン大統領および側近、支配政党のバース党員などへの48時間以内の亡命も求めている。戦争回避の道は イラクの現行政権放棄以外なくなった。今回 米国にいながらにして この話題に全く触れない ということはむしろ不自然だろう。米国の昨日17日(月)はどのTV局も、当然 ブッシュ大統領の米国民向け演説の分析と今後のイラク情勢予測、イラク最前線の軍隊の様子などについて、こぞって特集が組まれた。■ 安保理決議なしの武力行使と国際秩序の崩壊――――――――――――――――――――――― 今回の経過を見ていてつくづく思うのは、「国連安保理決議なしの武力行使」という勇み足が、今後世界中に及ぼす影響の大きさである。国連決議が無くとも、脅威(暴発する危険・襲われる危険)が感じられるならば、その前に相手を叩いてしまってもよい、という既成事実とその模倣思想の蔓延が危険である。それは、例えばインド/パキスタン、もしくは北朝鮮と韓国/日本といった不安定地域、また長年に渡る宗教・人種・経済の対立に明け暮れる諸々の紛争地域にも、「やられる前に やってしまえ。」という思想の正当化と既成事実を与えてしまうだろう。 私は勿論 戦争反対ではあるが、その一方で、世界には 国際世論を調整したとしても、やむなく武力行使で解決を図らざるを得ないシーンがあるのは事実である。そのような場合、唯一の拠り所となるのが言うまでもなく国連決議である。昨今、国連の形骸化や無力化が嘆かれているが、現在の国連(国際連合)はかつての第1次世界大戦後に設立された国際連盟の無力を少しでも現実的に解決する根本思想に基づいて設立されている。その結果、国際世論を反映した安保理合意に基づく武力のやむない使用を認め、その一方で少数国の暴走を止める目的で安保理には拒否権が与えられている。そうしたことを公然と無視して、一刻も早く力に訴えようという異常事態が起きている。この原理原則をなし崩しにしてしまっては まさに元も子もなく、一気に国連の存在意義すらあやしいものとなってしまう。国連という一定の枠組みを作った以上、たとえそれが強大な武力や経済力を持たなくとも、その決定を最大限尊重する必要があるだろう。■ イラク攻撃後の枠組み――――――――――――― しかし米国は、拒否権を使用表明した国を名指しで非難し、「今回の態度は決して忘れない。」と脅し、そしてついには、米国への協力姿勢を示した国の45カ国のリストを世界中に公開した。そのリストには、冷戦以降、米国の後押しで自由経済化・民主化を果たした東欧諸国の名前が含まれる一方、公表を喜ばない(おそらく中東諸国の)国々が匿名希望をしている。日本は晴れて、攻撃に参加しない戦後復興協力の国として位置づけられている。(晴れて小泉氏の積極武力行使はしないという茶番面目は保たれたようだ。。。)これをもって、おそらく米国は「第2次大戦中の軍国主義をひた走ったドイツと日本を救ったように、そして冷戦後の東欧諸国を救ったように、今回も我々は民主化という手段をもってイラクを救うことができるだろう。」と言いたいのだろう。。。(当然ながら、こうした論調の際には、日本に落とした2つの最悪の大量殺戮兵器:原爆のこと等言及されることはない。。。) 戦後はイラクの復興処理とは別のところで、今回協力した国とそうでない国とを暗に色分けした、軍事・経済枠組みができ上がるかもしれない。それは、NATO(北大西洋条約機構)の軍事枠とも日米+ユーロの経済枠とも違う、より限定されたグループ・コミュニティかもしれない。いや、ひょっとすると 単に協力多数の体裁を整えるために名前を貸す国を多く募っただけの実質的な結束に弱い国際協力体制かもしれない。。。■ イラクの独裁政権と一般の人々―――――――――――――――― しかし私は、決してイラクのフセイン大統領による恐怖政治・独裁政治が正しいと言っているのではない。例えば、15年前の1988年 イラク国民であるクルド人が化学兵器によって数1000人単位で虐殺された際の写真や、道端で必死に命乞いをするクルド人が斧で頭を叩き割られる残酷極まりない映像を見た人も多いことだろう。。。91年の湾岸戦争では自国民が防御の盾として意図的に使われ、破れかぶれの焦土作戦と称して国際的共有資源である油田に火を点けてまわることを指示した政権である。理想的には、この独裁政権の追放によってイラクに平和と健全な民主主義が戻ればよいと考えている。しかし、それを勝ち取るための戦争によって犠牲になるのは、やはり一般の民衆である。。。いくら精密誘導ミサイルの使用割合が増えて、その精度が増しても、何の前触れもなく犠牲になる民衆は 例えば911で犠牲になった米国の一市民と何ら変わらないのではないだろうか? ※ 一言断っておくと、私は911のアルカイーダの一件と今回のイラクの件を混同しているわけではない。 開戦秒読みとなったこの時期に やはり虚しい無力感が漂っている。。。激しい列強のパワーゲームの前に、我々にはあと何ができるのだろう? 何ができただろうか?17日の晩、米国では当然のように国内のテロ警戒レベルが再び上昇した。最高レベルから2番目の高い水準、すなわち911の後1ヶ月間と同じ警戒レベルになり、反イラク攻撃をうたった米国内広域テロへの警戒が呼びかけられている。。。[参考] この件に関する私の過去のダイアリはこちら。イラク攻撃について考える。。。その1(1/22(水)US)イラク攻撃について考える。。。その2(1/27(月)US)
2003/03/19
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米国3/13(木)に 当社の現地(米国シリコンバレーエリア)研究所の皆さんと、我々の製品に関する次世代技術やユーザ・ニーズ、ユーザ・ソリューションを議論するミーティングを行った。今回で2回目となる試みで、場所は双方の利便性を考えてStanfordで開催ということになった。詳細は機密事項になるためここでは書くことができないが、留学生活以降、自分自身が やはり無意識のうちに幾分アカデミア サイド(大学側)のスタンスになっているようで、久しぶりにこうした関係の議論をするのは新鮮で楽しいものだった。我々からすれば、ともすると漠然となりやすい大学での研究モチベーションやターゲットを明確化・再確認する上で、こうした議論することは意義深い。その一方で、研究所の皆さんにとって、シリコンバレーの有力大学の研究方向性を認識するということは まさにコンピュータ業界の近未来を占うことに他ならず、こうした機会は 今後のユーザ・ニーズやソリューションを満たす技術的確度や時間的尺度を計る上で意義深いと考えて頂いているようだ。我々が相手にしている製品は、いわゆるエンタープライズ向け(企業向け)のハイエンド製品であるため、相手にするお客さんは 銀行、証券、航空会社、鉄道、各種インターネット・プロバイダ等、社会基盤インフラ系企業であることが多い。また、同時に売上げに占める米国や欧州の割合が極めて高いことから、単に特定企業や特定業界のニーズ動向だけでなく、各国政府の法規制動向(いわゆるレギュレーション動向)なども重要な市場形成ファクタ・市場予測ファクタとなる。こうしたことを久々に意識しながら、わずか(留学生活がスタートしてから)半年の間に市場の方向性も随分と変わってきたことを感じた。ミーティング後は、StanfordのUniversityアベニューの手頃で比較的旨い中華レストラン『Windy』で これまた自由な議論の延長戦をした。自分の研究内容に こうした観点を今後も織り交ぜるべく、このミーティングは維持していきたいと思った。
2003/03/13
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3/9(土)のモントレー行きの第2弾。。。モントレーに着くと、まず『Fisherman’s Warf(フィッシャーマンズ・ワーフ)』に向かった。先のダイアリに書いたように、サンフランシスコのFisherman’s Warfに比べるとやや落ち着いた観がある。そして、SFと何より違うのは より一層眩しい陽光と鮮やかなコバルトブルーと紺碧の海が広がる点である。■ Fisherman’s Warfとクラムチャウダーとアザラシと。。。――――――――――――――――――――――――――――早速、海上デッキに広がるFisherman’s Warfの両端の小さなレストランで、クラムチャウダーや各種の海鮮料理を見てまわった。SFのFisherman’s Warf同様、クラムチャウダーが名物なのであるが SFに比べて具が多く美味しいというのが楽しみだった。。。各店が小さな試食用カップに盛り付けをして、訪れる人々にクラムチャウダーを振舞っているが、それぞれ味付けが結構異なるので興味深い。試食を通して十分満足できるお店を選び、クラムを"to go"(日本で言うところのテイクアウト)した。そのクラムを持って、デッキから少し離れた高台に移ったのだが、そこで何とも珍しい光景に出くわした。。。海上の目に入るあちこちの大きな岩の上全てに、天然のアザラシが日なたぼっこしているのだった。。。【写真中段右 参照】ここは水族館か?と思うほどの光景。。。(^-^;) そして、マリーナではこれまた天然のラッコがヨットやクルーザの脇を漂流しているのだった。我々日本人には目を疑う光景である。。。(^-^;)【上段左】『Fisherman’s Warf(フィッシャーマンズ・ワーフ)』にある桟橋脇の海岸にて。防波堤の内側は波が静かで、多くの人がシーカヤックを楽しんでいた。写真のカヤックは直進性に優れるシーカヤック(まさに海用のカヤック)の単座タイプ。【上段中】同じく『Fisherman’s Warf』脇のマリーナ。ヨットやクルーザが並ぶ。。。紺碧の海水とマリーナは鈴木英人氏の世界そのもの。(^-^;)【上段右】同上。『Monterey Peninsula ヨット・クラブ』のクラブ・ハウス脇にてマリーナを望む。【中段左】急遽搭乗を決めたホエールWatchingの帰りの船の中。行きはかなり海が荒れて迫力、迫力!【中段中】『Fisherman’s Warf』の中心からマリーナを望む。【中段右】『Fisherman’s Warf』脇で日なたぼっこをするアザラシ君たち!浅瀬の主だった岩場は全て彼らに占拠されていた!ここは水族館か? いえいえ天然です。。。(^-^;)【下段左】究極は この写真。防波堤上の茶色っぽい物体は、全て天然のアザラシ君たちです! 日中の浅瀬での日向ぼっこが終わると、皆さんこのねぐらに帰ってくるようです。圧巻!【下段中】芝桜で有名なパシフィック・グローブの少し先で 太平洋に沈む美しい夕日を撮影しました。。。【下段右】この辺 特有の美しいゴルフ・コースの1つ。片側は完全に太平洋に面して開口していて、素晴らしい展望です。。。――――――――――――――――――――――――――――■ ホエールWatching―――――――――――食事が終わると、急遽ホエールWatchingをすることになった。。。勿論、モントレーに来る前から そういったイベントがあるのは知っていたのだが、おそらく混んでいて無理だろうと思っていたところ、まだ空きがあるとのこと。現在の遭遇確立の高いシーズンが4月で一端終了する、ということから急遽参加を決めた。この時期から4月末までは通称グレイ・ホエールと呼ばれる文字通りグレイっぽい種類が見られるのだそうだ。一方、夏場はブルー・ホエールと呼ばれる青みがかった種類が主流とのこと。 現在の遭遇確立は、97~98%というから すごい。 料金は大人$18。結局、14時からスタートする2時間コースの最終便に乗り込んだ。だが。。。これが すごい航海(?!)となった。。。初めこそ良かったものの、すっかり外海に出るものだから基本的に波は高い。しかも この時間帯は潮が満ちているからか、想像以上にワイルドだった。。。時々「さすがにこれはちょっとまずいのでは?」と思う波がやってくるのだが、そうした際、約50人乗りの我々のクルーザは一端エンジンの駆動を切って待機する。。。続いて、船首が落差2mはあるかと思うほどの上下動を経験する。(^-^;) 同乗した クルーザでの釣りを趣味とするおじさんによれば、「陸が完全に見えなくなるような上下動を経験したって、船は沈まないものさ。」と元気にワインをやっているのだが、相当な迫力である。そうした大波をいくつも超えて船は沖合いへと どんどん出て行く。船はソナーを備えているとのことで、約1時間を経たあたりから、「間もなく右手1時の方向に鯨が見えて来ますよ。。。グレイの比較的大きなやつです!」みたいな船長のアナウンスが頻繁に入り始める。。。臨場感と共に気持ちが高まってくる。。。すると、フワッと霧のような不自然なしぶきが荒れた水面に上り、やがて波間にメタルを連想させるような ぬめった巨体がわずかに通り過ぎるのが見えた。。。「おおっ、いるぞ!」とか「見えた!!」と声を上げるような機会が何回となく続き、時々 少々小ぶりではあるものの鋭く切れ込んだ尾びれの跳ね上がりを何回となく見ることができた。。。TV番組で見るような追従航行や間近への接近はできないのだが、海にああした巨体が自由に泳ぎ回っているのを垣間見ることができたのは何とも驚きであり、貴重な体験だと思った。。。(鯨の動きの速さと船の揺れで、写真が撮れなかったのは少し残念だったが。。。)そんな時間が約20~30分断続的に続いた後、大返しとばかり 行きに比べると随分と短時間で、それでいて穏やかな航行でマリーナに戻ることができた。。。陽光がかなり傾き、揺れと寒さに耐えた参加者は途中、西日を受けながら うとうとしていた。。。(^-^;)マリーナに戻る間際、防波ブロックを集めた防波堤の所で またもすごい光景を目にすることになった。。。防波堤にびっしりと何か茶色っぽいものが乗っているのである。すぐ脇を通り過ぎる際、それは多数のアザラシであることが分かった。【写真下段左 参照】どうも、昼間のうち浅瀬に来て日なたぼっこしていたアザラシたちが、皆ここをねぐらとして戻ってきているようなのだった。。。これまた日本ではお目にかかれない光景である。。。■ サンセット・ビーチ―――――――――――岸に戻ると、陽がかなり傾いてきており、モントレーをまだまだ見切れていないことにちょっとした焦燥感を覚えた。。。そこで、すぐに車を走らせてモナコを思わせるトンネルを抜け、芝桜で有名なパシフィック・グローブや、その先の海岸線を目指した。。。芝桜はまだまだだったが、もしきれいに咲き乱れるとこのようになる。(Thanks to サンフランシスコからこんにちは!様)周辺には、ビクトリア調の家やB&B(Bed & Beakfastの簡易ホテル)が並び、モントレーらしさを演出していた。。。更に少し先の海岸線を目指すと、左手にその広大さと美しさで知られるゴルフコース・エリアが広がり【写真下段右】、右手には雄大な太平洋に思わず息を飲むほどの夕陽を見ることができた【写真下段中】。。。しばし、持ってきたクリームチーズやら焼いたパン、V.Sattuiワイナリのオフ・ドライ ワイン等を開けて楽しんだ後、十分な仮眠をとった。仮眠は太平洋に面した駐車場に停めた車の中でとったのだが、目覚めてみると 目の前の真っ暗な空に 北斗七星が大きく広がっていて本当に驚いてしまった。。。わずか1日では、古いダウンタウンの「歴史の小道」や17マイル・ドライブ、キャナリー・ロウ等を見ることはできなかったが 充実のデイ・トリップとなった。。。今回 見残したところは、次回への華麗なる宿題としよう。。。(^-^;)
2003/03/12
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米国3/9(土)に、ついに憧れのモントレー(Monterey)に出かけることができた。モントレーはカリフォルニアの首都が初めて設置された場所であり、ビクトリア調の建物とヒスパニックの香りのする建物が混在する情緒溢れる街である。地理的には、SanJose(サン・ノゼ)の街から太平洋に向けて真南に南下したSantaCruz(サンタ・クルーズ)の街から、更に太平洋岸に沿って1号線を南下したモントレー半島に位置する。。。『モントレーへの行き方』(Thanks to『モントレー半島の生活・観光情報サイト』)以前より、私にとってモントレーの街並みと そのすぐ隣りに位置するカーメルの街は憧れの地であり、是非とも訪れたいと思っていた場所である。実際、私の周りには ここモントレー周辺へのドライブを強く推薦するネイティブが後を絶たない。"English in Action"のTerryさんを初め、Stanfordの私が所属するDepartmentの取り纏めマネージャ、私の所属するフロアの秘書さんにしてもしかり。。。皆、ちょっとした夢見心地でモントレーの良さを語ってくれるのだった。。。(^-^;)さて、そんな素晴らしい所とはどんな所なのだろう。。。? 興味は日に日に大きくなっていた。。。 そこで、体調も戻った3/9(土)、朝から出かけることにした。シリコンバレーの大動脈であるFreeway101(ワン・オー・ワン)を一路南下し、SanJoseを過ぎ、更にギルロイの街を過ぎ、間もなく右に折れ152号線で太平洋側に向かった。。。私の住むMountainViewからは、片道1時間半からゆっくり行って2時間くらいの行程だろう。丁度良いドライブだ。山がちの152号線を抜けると、やがてヒスパニックの香りをたたえた教会や街並みがぽつぽつと現れ、しばらくしてモントレーの名所として最も著名な『Fisherman’s Warf(フィッシャーマンズ・ワーフ)』に着いた。サンフランシスコのFisherman’s Warfに比べると噂通り、雰囲気がもっと落ち着いた観がある。そして何よりも、眩しい陽光と、鮮やかなコバルトブルーと紺碧の海が印象的な街である。。。※ 突発的に決まったホエールWatchingをはじめとする、続きはまた第2弾にて。。。(引っ張るなぁ。。。(^-^;))【上段左】『Fisherman’s Warf(フィッシャーマンズ・ワーフ)』にある桟橋脇の海岸にて。防波堤の内側は波が静かで、多くの人がシーカヤックを楽しんでいた。写真のカヤックは直進性に優れるシーカヤック(まさに海用のカヤック)の単座タイプ。【上段中】同じく『Fisherman’s Warf』脇のマリーナ。ヨットやクルーザが並ぶ。。。紺碧の海水とマリーナは鈴木英人氏の世界そのもの。(^-^;)【上段右】同上。『Monterey Peninsula ヨット・クラブ』のクラブ・ハウス脇にてマリーナを望む。【中段左】急遽搭乗を決めたホエールWatchingの帰りの船の中。行きはかなり海が荒れて迫力、迫力!【中段中】『Fisherman’s Warf』の中心からマリーナを望む。【中段右】『Fisherman’s Warf』脇で日なたぼっこをするアザラシ君たち!浅瀬の主だった岩場は全て彼らに占拠されていた!ここは水族館か? いえいえ天然です。。。(^-^;)【下段左】究極は この写真。防波堤上の茶色っぽい物体は、全て天然のアザラシ君たちです! 日中の浅瀬での日向ぼっこが終わると、皆さんこのねぐらに帰ってくるようです。圧巻!【下段中】芝桜で有名なパシフィック・グローブの少し先で 太平洋に沈む美しい夕日を撮影しました。。。【下段右】この辺 特有の美しいゴルフ・コースの1つ。片側は完全に太平洋に面して開口していて、素晴らしい展望です。。。
2003/03/09
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ついに1年に渡る米国での留学生活も後半戦に入った。考えたくはないが現実である。これは私と同じように企業や団体から大学へVisitingScholarとして来られている皆さんにとってどうも共通した憂鬱のようである。。。(^-^;) 昨日 久々に会った某通信会社からのNさんも、某国営放送からのDさんも、小児科医のMさんも、UCBのI川君も、皆さん同じような不安と悩みをもっている。。。▼ VisitingScholarの憂鬱?――――――――――――――我々VisitingSholarに共通した憂鬱とは、誤解を恐れずに ちょっとネガティブに書くならば次のようなものである。 派遣元の企業や団体から課された特定の研究テーマはなく、1年後にアウトプットを強要されることもあまりない。一方、学生でもないため単位の履修やテストもなく、大学研究室の特定プロジェクトに所属しない限り、大学側からも課題やタスクを強く課されることはない。 つまり、自分の研究テーマや方向性を自ら決定し、いつどんなアウトプットをするか というマイル・ストーンも全く自分で設定する、という何とも心細い(?)頼りない(?)立場なのである。。。(^-^;)(^-^;) それをわずか1年という短期間のうちに諸々の生活立上げや帰国作業等と共に実現するので やはり楽ではない。。。ただし、悲壮感が漂うなんてことは全くなく、むしろ今後の生活において まずもってないであろう自分自身との向き合いの機会としては大変貴重な時間である。。。▼ 後半戦をいかに戦うか?――――――――――――― そんな中 今日米国3/7(金)サンフランシスコにほど近いベイエリアの某ビルで、UCBのI川君と留学生活後半の研究方針に関するディスカッションを行った。I川君は同じ会社のなんと同じ事業所の同期である。対象とする開発製品は異なるものの、基本的な製品概念はほぼ同じであるため、日頃日本でもよいディスカッション相手であった。そんな両者がUCBとStanfordに分かれて社費留学に来ているのであるが、その両所属研究室は偶然にも共同研究のスタンスを敷いていた。つまり、渡米後も彼とは場所こそ違えども共同研究仲間ということになった。。。そうした中、今日は少し実験的スタンスをとってみた。今日の話合いをもつ前に、それぞれが後半戦どういう方向性・スタンスで研究生活を送るかを予め考えておき、それが今日 話し合いの時点で一致するなら、今後も共同研究スタンスを続け、一致しないようなら進歩的解散で それぞれが自分自身の方向性をとればよい、というものだった。。。かくして結果はどうなったか。。。? それが、それが、見事なまでに目指す方向性が一致してしまった。。。(^-^;)かくして、大局的な方向性としては共同研究で行くこととなった。。。ただ、前半戦のこれまでと大きく違うのは、無理に大学側の研究スタンスや方向性に擦り寄ることはせず、企業側の現実的かつ実践的なスタンスをしたたかに主張する方向性で行こうという点である。そこで、次のマイル・ストーンは4月初旬の共同研究発表会の場と、6月初旬の大きなカンファレンス(正式にはリトリートと呼ばれる企業関係者を招致しての研究発表会)の場に設定した。。。4月のイベントでは、I川君と2名で共同のプレゼンを1つ起こし、自分自身で1つ別のプレゼンを起こすことになりそうである。いずれにせよ、現状確認と今後の方向性の確認、そして日々の愚痴を吐き出す意味で有意義な午後を過ごすことができた。。。(^-^)これまでのアカデミアを気取った風から、ほんの少しだけたくましい風が吹きつつある。。。(ほんとかなぁ。。。(^-^;))
2003/03/07
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今日、木曜日は恒例の『English in Action』と『Jpanese/English交換サークル』のある日だった。楽しい日だ。特にシリコンバレーにおける起業経験豊かなTerryさんとの『English in Action』はちょっとした知的緊張感を伴った楽しみなプログラムである。最近、Terryさんは自分の会社のコントロールが忙しく、今日は2週ぶりの顔合わせだった。今日の話題は、先々週に私が出かけたHeavenlyスキーリゾートの話や、イラク/北朝鮮情勢の話を皮切りに始まった。ただし、メインは『シリコンバレーの今昔物語』。。。▼ シリコンバレー今昔物語――――――――――――――今昔物語とは言っても、このDogイヤー/Mouseイヤー(1年で7年にも8年にも相当する意)のシリコンバレーゆえ、昔と言っても高々1997~1999年頃を指すだけだ。しかし、この年代というのは シリコンバレーが近年で最も華やかだった時代で、ネットビジネスの勃興に沸きかえっていた最重要な期間である。一方の現在は、シリコンバレーと言えども受難の時代。一時の好景気はすっかり影を潜めて、次の飛躍の機会を伺っている時期と言える。なぜ、今週このような話題になったか? それは、以前2月の半ば頃、私がN澤さんと出席した日系アメリカン ガイ・カワサキ氏のセミナ資料によく分からない点があり、それを今日の話題にしようと思ったからなのである。ガイ・カワサキ氏とは 完全なネイティブであり、シリコンバレーでは『エヴァンジェリスト(伝道師)』として大変著名な人である。『エヴァンジェリスト』とは 何も宗教家ではなくて、シリコンバレーのVB(ベンチャービジネス)社会を構成する役者の1ポジションを指す。『エヴァンジェリスト(伝道師)』は、これから起業しようとするVB起業家の熱意やその可能性、技術の確かさ等を、有力なVC(ベンチャーキャピタル/キャピタリスト)に伝え、ファンドの形成や投資を促す役目をもつ。ゆえに、一般的に 新規のVB動向や潮流に明るく、時に業界の数年先を読める『ビジョナリー(予言者)』として祭り上げられることもある。世界的な著名人で言えば、現在のアップル・コンピュータCEO スティーブ・ジョブズ氏 等もこの手の『エヴァンジェリスト』『ビジョナリー』に相当するという。。。前置きが長くなったが、このガイ・カワサキ氏のセミナというのが曲者で、聞き手にもある程度のVBに関するイマジネーションやバックグラウンドを要求する内容なのである。内容は 間接的表現やジョーク、ブラック・ユーモアを多く含み、なかなか一筋縄ではいかないのである。セミナは『VC(ベンチャーキャピタル)における変化 今昔』『起業家に対するアドバイス 今昔』『起業家に関する10の嘘』『ベンチャーキャピタリストに関する10の嘘』といった4部で構成された。既に曲者色 全開である!(^-^;)このうち、よく分からない内容があったのは『VCにおける変化 今昔』のセクション。。。しかし大半は、非常にウィットに富んだユーモアで構成されており、思わずクスッときてしまう内容ばかりである。例えば、以前の好調期のシリコンバレーを病院に例えると『(これから希望の御子を産む)分娩室』であるが、今の不景気のシリコンバレーは『緊急処置室』が適当。。。(^-^;)好調期のシリコンバレーを支えたアプリケーション・ソフトは『(事業を語るための景気のいいプレゼン用の)PowerPoint』であるのに対し、現在の不景気を支えるソフトは『(苦しい業績を説明するための)Excel』。。。(^-^;)(^-^;)一方、好調期のシリコンバレーに処方するなら『(もっともっと働けるための)ビタミン剤』であったのに対し、現在の不景気のシリコンバレーに処方するのは『鎮痛剤』といった具合。。。(^-^;)(^-^;)(^-^;)▼ シリコンバレーのバニラ?――――――――――――――この中に、(投資を受けるための)条件書の今昔を説明した項目があった。。。しかし、内容が今ひとつピンとこないので、この不明点を、事業経験豊富なTerryさんに聞こうと思ったわけである。。。この「(投資を受けるための)条件書」という言葉自体分かりにくいのであるが、よりによって以前の好景気時は『Vanilla(バニラ)』(!!)であり、今の不景気時は『Rocky Road』とあった。。。う~ん。。。(^-^;)(^-^;)(^-^;)後者は、『岩がちの険しい道のり』という意味だから、前者は反対の意味と想像して『バニラ→甘美な→すなわち安易に投資が受けられる』という意味かと邪推したところ、ちょっと外れ。。。どうもTerryさんの解説によると、この『バニラ』という言葉は『ありきたりの』とか『ごく基本機能だけを備えた』という意味をもつらしい。。。つまり、好景気のシリコンバレーであれば VBの事業内容が そこそこまともなら、VC(ベンチャーキャピタル)と、ありきたりな質疑応答・条件書をやりとりするだけで、比較的スムーズに投資が受けられたものの(とは言うものの日本人が考えるほど甘い戦略ではないが。。。)、現在ではそうした楽観がなくなり、極度な不況で投資をする方も、受ける方もいばらの道 ということらしい。この好景気と不景気のVCファンドの規模ギャップは、1/3~1/10とも言われ、いかにVCファンドが急激に萎縮したかがうかがえる。。。ところが、シリコンバレーのこの地で、既に2つの会社をスタートアップさせたTerryさんによれば、もっと悲惨なのは一旦スタートした投資が、途中でショート(不足)することだという。。。投資側のVC(ベンチャーキャピタル)の最終目標は、最小の投資でVBのIPO(株式公開)時の利益を最大化して 投資家にリターンすることだから、場合によっては危ない博打からはさっさと降りる=投資を打ちきることも 仕方のないことかもしれない。。。しかし、一度、担がれて馬車馬のように働いてIPO(株式公開)を目指していたところ、突然ファンドが枯渇し、事業がストップするVBの創業者はたまったものではない。。。実際には、この不景気の中で多くの創業間もないVBがこうした憂き目に直面したという。。。Terryさんの言葉を借りれば、まるでVCにレイプされるようなものだ、という。。。散々、経営方針を根掘り葉掘り分析され、運営役員を迎え入れ、経営方針を握られ、最後には資金がショートする。。。Terryさんによれば、「これがVBの創業者達が 創業間もなくVCを嫌う理由」であり「VB側の我々がVCに対してコメントするとネガティブになってしまう理由」である。。。VBを取り巻く実環境を知った人ならではの現実味あふれるコメントであった。。。
2003/03/06
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先週のウイルス性のひどい流行性感冒から回復はしたものの、なかなか本調子に戻れていなかった。。。急激に悪くなった揺れ戻しか、ちょっとしたショック症状があって全く食欲がない日が続いた。もっとも体重も4.5kgも落ちたが、これに関しては渡米後太った体にはよかったかも。。。(^-^;) 病み上がり後は しばし家で作業をしていたが、それもなんとか回復して久々にキャンパスに出向くことができた。すると。。。ちょっと見ない間に、随分と春めいたことに気付く。。。緑は色濃く定着し、日本に比べて明らかに色目の濃いピンクの桜の花がどこにも満開である。この桜の満開はちょっとした桜おたく(??)の私にはやはり嬉しいものである(日本では今、早咲きの川津桜が所により満開だという)。。。そして、何よりも日差しがすごい。久々の運転に日差しのコントラストがつらいほどだ。。。こういうときサングラスの必然性を強く実感する。 研究室に着いて、これまでと少々違うスタンスで研究をスタートしてみた。これまではどちらかというと研究室の方向性と、自分の研究の方向性の違いを気にしてみたり、アウトプットの出し方を気にかけてみたり、という傾向が少なからずあったが、少し気楽に企業側のスタンスに振って研究を進めて行こうと考えた。途中、全面ガラス張りのモダンなEE(ElectricEngineering:電気工学科)1Fのカフェに移って無線LAN環境を浴しながら、新たなアイデアをドキュメントに起こしたり、そこそこ有意義な時間を過ごすことができた。さてさて、超低空飛行から やっと上昇気流に移れるかと思い、帰りに某簡単なレストランに入ってみた。。。ところが、これがすごい!見た目は中華や日本食を扱う店なのであるが、凄まじくまずい!! 料理人はそれぞれもっともらしい格好をしているのだが、出てくるものはまるでダメだ。。。(^-^;)危うく上昇気流に昇るところを撃ち落とされそうになってしまったので、そそくさと出てきてしまった。。。危ない、危ない、上昇運が落ちてしまう。。。(^-^;)(^-^;)少しアルコールを注入して、恒例のExcitingな木曜日に備えるとしよう!
2003/03/05
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ひどい体調不良で長らくダイアリをお休みしていましたが、やっと復活につき、楽しいセミナ出席時の話題をご提供しようと思います。。。ご心配頂いた皆さん、沢山のメッセージをありがとうございました。m(__)m先日、まさに流行性感冒が最悪の事態を迎える前日の晩、つまり米国2/25(火)の晩に、スタンフォードのすぐそばにある中華レストラン『Ming’s』で開催された ある有料のセミナに出かけた。。。このセミナは、マツダの『Miata』(ミアータ) 日本名:『ユーノス・ロードスター』をデザインされた俣野氏という国際的自動車デザイナの方のセミナ。。。『Miata』=『ロードスター』の設計時の様々なストーリーを聞けるとあり、元々車好き、特に『ロードスター』とそのマーケティングに興味のあった私としては大変楽しみにしていた企画だった。。。体調はこの時点でかなり悪かったが、出かける前に少しだけ睡眠を取り、少々無理を押して出かけてしまった。(^-^;) その際の詳細は、Topページ左の『各種セミナ・レポート』→『ロードスター』デザイナ俣野氏セミナをご覧頂きたいのだが、内容をざっと掻い摘むと以下のよ通り。。。非常に気さくな飾らない人柄が大変魅力的な方だった。俣野氏は、最初LAの地に渡米後、しばしデザイン学校で勉強をされてから、1974年にデトロイトのGM(ジェネラル・モーターズ)に入社された。そこで、しばしオイル・ショックに対応した小型のボディ設計を担当される。その後、オーストラリアに渡るものの、ヨーロッパ、特にドイツの車作りに魅了され、ポルシェやドイツ・フォード、BMW等に受かる。結局、BMWに入社され、しばし(現在から2世代前の)『3シリーズ』の設計を担当される。そのうち、米国に新しく拠点を構えたMAZDAからの招きを受けて、再び米国へと地を移して、あの世界的大ヒット『Miata』(ミアータ)、日本名『ユーノス・ロードスター』のデザインを引き受ける。この車は世界中に手軽で軽快なオープン2シータの魅力を余すことなく伝え、数々の自動車メーカに大きなインパクトを与え、以降のオープン2シータ・ブームの火付け役となったことは皆さんの記憶にも新しいはず。。。以降は、2代目の『Miata』=『ユーノス・ロードスター』も引き続き手がけ、現在に至っている。。。彼の『Miata』作りとそのエピソードで印象的だったのは、メインとなる米国市場のマーケットや生活環境をきめ細かくフィールド調査され、以下のようなユニークな成功ファクタからなるクルマを編み出されたことだった。【1】米国のオーナが眠る際に思わず『おやすみ!』とガレージに言いに行きたくなるようなクルマ。または、ニックネームをつけたくなってしまうようなクルマ。【2】誰からも嫌がられることのない『ローバー・ミニ』や『VWビートル』のようなシンプルなデザインのクルマ。【3】広い土地柄ゆえ前入れ駐車する米国の傾向=つまり歩行者は他車のリアフェイスばかり見ていること、そして走行中のドライバの視線の両方を意識して、リアフェイスが魅力的であるクルマ。【4】3モデルに渡って同じ車種が流通する米国市場を意識して、100mの遠方から見れば同じであり、50mの遠方から見えれば何かが違う、しかしフォルム自体はあきらかに印象を継承しているようなモデル・チェンジをするクルマ。この他にも、なぜ初代ではリトラクタブル・ライトが採用され、2代目はそれを廃した固定のライトにしたか? また、初代はどうしてあのような低価格設定が可能となったか?3代目ではどうなっていくのか? なぜ『Miata』という名前になったのか?等々ちょっとしたクルマ好きなら、誰でもわくわくするような魅力的な話が、日本と米国の文化や考え方の違いと共に楽しく語られている。。。そして、世界で大成功する人はどんな秘訣をもっているか?と思えば、意外なほど素朴なエピソードの数々が返ってくる。。。そんな俣野氏の魅力あふれるセミナのレポートは、こちらを参照頂きたい。あわせてこちらのMAZDAのHPより、"ロードスター"と"歴史"をキーワードに検索されるページも併せて参照されると大変楽しいことだろう。。。
2003/03/02
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