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先日米国の8/28(木)、9/12の日本帰国に向けての最大イベントの1つ『船便による荷物の送り出し』をやっと終えることができた。。。(^-^)長らくダイアリの更新ができなかったのも、この最大のイベントがあったからと言える。そもそも、8/11に某運送会社に引越し見積もりをしてもらったのだが、その際に提示された見積もり量が『会社が負担する荷物の規定量に対して、ぎりぎり もしくはオーバーするかもしれない』という厳しい内容であった。自分達の荷物が どう考えても1年間でそこまで増えたと思えないこと、また、我家の引越しに送り出す荷物を混ぜてほしい、というリクエストを2軒のお宅から受けていたことなどから、その見積もり量を疑いつつ『おまかせパック』にも関わらず殆ど全ての荷物を自ら『最密パッケージ(^-^;)』で徹底的に詰めて、スペース効率の向上に全力投球(!!)することにした。。。この作業により、ほぼ4日~5日程度 半徹夜状態が続き、ダイアリどころの騒ぎではなくなってしまった。。。(^-^;)(^-^;)(^-^;)結果として、パッケージに必要なダンボール数が未知であったマウンテンバイク(ジョン万次郎号)やコーヒーテーブル等も含めて、トータルパッケージ数は会社の規定量を大きく下回った。。。(おい、おい。。。)自分達のパッケージング能力(??)を自画自賛する前に(^-^;)、やはり余りにも当初の運送会社による見積もり精度が悪すぎた、と言わざるを得ない。こうした見積もり誤差がここまで大きくなると、当初持って帰ろうとしていたものを諦めた経緯など含めて、それはそれで大きな問題である。正直なところ、安全サイドに倒す(余分を大きくとって多くの見積もり数を言う)のも分からないではないが、わざわざ引っ越す家庭に足を運んでもらってFace-to-Faceの話合いをして、実物まで見ているのだから、いくらなんでも もう少し正確な見積もりをするのがプロというものでしょう、と思ってしまった。。。何はともあれ、シャットダウン処理の最大の山場が終了した。。。本当は引越し終了後、爆睡といきたいところだったが、すぐにSanFranciscoまで車を飛ばし、会社からの給与振込み先となっている某銀行の口座をクローズするための処理をしに行った。また、同時にサンフランシスコ日本領事館に出かけ、依頼していた証明証を受け取ってきた。こうしたタスクが全て完了してから、SanFranciscoの語学スクール滞在時によく通った場所近くでスターバックスに入り、ホット・ラテと普段は食べないチョコレート・ケーキを口にしたとき、初めて一連の作業の充実感を感じることができた。。。今後は、最後に生活インフラのシャットダウンを実施し、航空便を送り、車を引継げば本当に完全にシャットダウン完了である。。。この日は、SanFranciscoにしても、スタンフォードエリアにしても、1年前米国に来た頃を彷彿とさせるには十分心地よい天気だった。。。
2003/08/30
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この日米国8/20(水)、8/1以降 約3週間に渡って我家に滞在していた妹が日本へ帰国していった。。。日本の中枢銀行の丸の内は本店で長らく銀行員として働いてきた妹だったが、最近の銀行の堰を切った人員削減を含む合理化による負荷集中のため、最終的に体調を崩し退社をした。。。話を聞いていて、その頑張りとそれでも容赦のない負荷集中にやりきれない点も多く、もし我々の帰国間際でも良ければ、緑豊かで陽光の眩しい ここシリコンバレーに来てはどうか?ということになり、退社後落ち着いてから渡米してきたのだった。3週間に渡って少しは心身のリフレッシュができたのならよいのだが。。。我家でのいくつかのホームパーティや、英会話、プレゼンの特訓見学、サンフランシスコ周辺やNapaバレー観光、そして、大停電のニューヨーク旅行まで経験した中身の濃い3週間を送ってくれたように思う。こうした、全く違う環境での生活が、少しでも元気のトリガになってくれれば、と思った。。。。と同時に、自分達は帰国直前であり、何かと自分自身苛立っていることも多く、その点だけが妹に対して申し訳なく心残りである。。。どうか、早く完全に元気になって再出発してほしいと思う。 一方、この日妹をSFO(サンフランシスコ国際空港)に送った後、今度は夜に 本HPからリンクの張られているhogeさんの壮行会へと出かけた。。。彼は私とは全く別の企業からVisitingScholarとしてスタンフォードに来られていたが、この1年間、公私に渡って本当に仲良くして頂いた。彼の帰国は、普段仲良くしているVisitingScholar仲間の内で最速日程であり、周囲の仲間達は 彼の帰国を前に、本当に米国での滞在期間が短くなってきていることを実感するのだった。。。(T_T)壮行会には、hogeさんの後任のYさんや、いつもの仲間 N澤さんやK村さんも参加されていた。そして食事後、hogeさんの帰国を惜しむように駐車場での談笑はなかなか絶えなかった。。。是非、日本に帰ってからも ときどきお会いしましょう!お互い、この1年間をよい糧にしましょうね。 そして、私自身は。。。と言えば、この8/20の晩から いよいよ8/28(木)の船便送出を前に、Moving outの荷造りを開始した。。。実を言えば、このダイアリを う~んと後になって書いている(^-^;)8/25(月)は、ここ数日のパッケージングによる寝不足でふらふらしている。。。そして9/12(金)には、泣いても笑っても いよいよ日本帰国!考えてみれば、こうしたシャットダウン処理が益々熱を帯びてくるのは当然と言える。最近のカリフォルニアの暑さに負けず、淡々と諸々のシャットダウン処理を進めている。。。ふ~、それにしても暑い暑い。。。(^-^;)
2003/08/20
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まずは、米国8/16(土)の消化スケジュールだけ簡単に下記します。ブロードウェイやセントラル・パークにほど近い滞在ホテルを出発して、『RADIO City』を通過後、『ロックフェラー・センター』『セント・パトリック教会』を訪れる。その後、地下鉄の中央駅として著名な『グランド・セントラル・ターミナル駅』や『エンパイア・ステート・ビルディング』『NY市立図書館』を観てから、地下鉄6番線を南下して2001年911の被災地『グランド・ゼロ』を観てきた。その後、地下鉄R-lineで、ブロードウェイまで北上し、『美女と野獣(The beauty and beats)』のチケット購入後、20時から観劇した。詳細はまた後日ということで。。。
2003/08/16
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米国東部時刻8/14(木)夕方より、皆さんご存知の通り NYをはじめニュージャージ、デトロイト、オタワ、トロント等に渡り、超広域の大停電が発生している。史上最悪の大停電と言われ、21もの発電所が連鎖的にシャットダウンし、なんと5000万人以上もの被害者が出ているという。我家は まさにNYに向かう途中、LAでのトランジット後、飛行機に乗り込むまさに数分前に、この知らせを突如知らされ、そのままLAに滞在を余儀なくされている。。。少々、生々しいが その際の様子を以下に記すことにする。。。明日以降の展開が読めない。。。■1.順次キャッチしたCNN等の公共放送より―――――――――――――――――――――――・21箇所の発電所が3分間に渡って停止した。・テロを示す証拠はない。・ナイアガラ発電所における過負荷が原因か?と繰り返し報道されている。・ブッシュはゆっくりではあるが、確実に回復することを約束するとしている。・ナイアガラの発電所への過負荷、過剰期待が危険という論調。・早速、発電システムの冗長性と信頼性についての議論がなされている。・NYC、NJ、DETROIT、OTTAWA、TRONTに対して、非常事態宣言が出された。■2.我家の行動記録より―――――――――――――・15:10頃 LA空港でのトランジット出発直前にフライトキャンセルの知らせを受ける。・16:00頃 LA空港でキャンセル対応を待つ間、米国TV局の取材と写真撮影のリクエストを受ける。・16:40頃 LA空港で格安のホテルチケット・クーポンの支給を受ける。・17:00頃 ホテルへの送迎シャトルが来ない。$30払って、Marriottの別便に乗車して、なんとかホテルに到着。・17:15 ラップトップPCを持参していたため、即座にAOL経由でInternet接続し、関連の新聞サイトをチェックすると共に、CNNの放送を見始める。・17:30 予約していたNYのホテルの予約のうち、早速 今晩分をキャンセルするものの、16時を過ぎてのリクエストということで、通常ルートではキャンセル不可なことを知る。とにかく、キャンセルの主張をして、カスタマーサービスへLetterを書いてもらう。・~19時頃 CNNの放送で、情報を収集する。・~20:30頃 仮眠を取る。・21:15~ LAの高校時代の友人に連絡を取り、LAの街で食事を取ると共に、いたしかたなく簡単な夜間市中見学をする。・25:00頃 CNN等で、NYの回復状況を確認しつつ、昼のリスケジュールされたフライトに乗るべきか否かを思案中。。。
2003/08/14
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米国8/11(月)、日本帰国のための引越し見積もりのため、渡米以来 お世話になっているクロネコでお馴染みのY運輸の方が約束の時間きっかりの昼過ぎにやって来られた。(やはり日本人のしっかりした時間感覚とカスタマー・サービスは特筆ものである!)帰国時は、渡米時と同様 少し時間的余裕のあるものは船便を使用し、急ぐものに関しては航空便を使用するが、船便は輸送所要時間がかかるだけでなく輸送量も非常に多いため、前もって運送会社による見積もりが必要となるのである。私の所属する会社の留学生向け規定では、我家は船便150cft(=150キュービック・フィート みかん箱にして約84箱分)、航空便が60kgまで 会社が全額費用負担してくれる。この規定量は各社・各団体の自社ルールによって様々であるだけでなく、同じ会社内でも駐在員と我々のような社費留学生に対してでは、かなりの規定上限量の差があるのが普通である。(ちなみに、当然 駐在員向け規定の方が遥かにゆるい。)通常、我家のような世帯では、船便150cftという規定量は少々つらい。。。米国で気に入ったものをちょっと買い足すと、かなりあっさりとこの上限を超えてしまう。我家の場合、シンプルな内装が好きであることから無駄なものは少なく、更に今回はアパートメントと家具を丸々他社からの社費留学生に引継ぐため、持ち帰る分は少ないと思ったものの、それでも渡米以降1年の間に かなりのモノが増えた。そこで 今回の見積もりでは、(かなり梱包を丁寧に余裕目に見て頂いた上で)この上限量に対してぎりぎり、もしくは少し超過という判断となった。おそらく 気に入って購入した『コーヒーテーブル』と『"ジョン万次郎"ことマウンテンバイク』『(小ぶりの)PCデスク』『(スタンド型の)フロア・ライト』等がかさを占めている。(^-^;)当初、多少の余裕がある目論見であったため、その余裕分を使ってお土産やカリフォルニア・ワインを多数送るつもりだったが、少し計画を見直すと共に、荷物送出の8/28(木)までに少し荷物ダイエットが必要そうである。。。こうした作業は、おそらく周囲の各社留学生の皆さんと同様、苦労のしどころだろう。。。つい、日本には売っていないお気に入りの品々を持って帰りたくなってしまう。。。(^-^;)さてさて、そんな中、、最後の研究発表会も終了したため、少しまとまった休みをとって(日本ではちょっと遅めのお盆休みですね) 8/14(木)~8/18(月)の短期日程でNYはマンハッタンまで出かけてこようと思います。その様子は、また順次 現地NYからお送りします!(って、ニュース・レポーターみたいだ。(^-^;))
2003/08/11
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この日米国8/9(土)、普段から仲良くして頂いているTiwaneseのご家庭(元・某日本企業の台湾支社長さんのお宅で、皆さん本当に朴訥とした大の日本人びいきのご家庭)に誘われて、ある豪邸のお庭にプラム狩りに出かけることになった。その豪邸たるや日本円にして約25億円の資産価値というもので、シリコンバレーエリアでも『Atherton』の街と並んで最も富裕層の多い『ロスアルトスHills』に位置していた。広大な自然と陽光いっぱいの庭にオレンジやプラムをはじめとした各種の果物がなり、室内にふんだんにアジアン・テイストが取り入れられた趣味のよいお宅であった。。。見せて頂いていて早速驚かされたのが、この豪邸 なんとセカンドハウスということで、本邸ではないということ。。。本邸も やはりシリコンバレーにあるとのことだったが、この家のご主人は、その他に台湾と上海に自宅をもつらしく(^-^;)、最近NYのマンションを売却したばかりというから、もはや我々の金銭感覚では何が何だかよく分からなくなる。。。(^-^;)この広大なお屋敷に本人は、1年間のうちトータルでわずか2ヶ月程度しか滞在しないらしく、そのため仲の良いTiwaneseのご家族は ほぼ自由にお客さんを案内できる、ということである。。。(^-^;)その豪邸の様子は以下の写真の通り。。。豪邸という言葉から ともすると連想されがちなギラギラさはなく、どの部屋も我々が十分に心安らぐ雰囲気をもっている。 【上段左】見せて頂いたお宅の門扉周辺。眩しい自然の緑があふれている。【上段中】豪邸の裏手。壁面の色と、バルコニーの凝った造形が美しい。【上段右】1Fのサンデッキのついた応接スペース。【中段左】1Fエントランス奥手の応接スペース。ここにアジアの品の良い置物が多かった。【中段中】エントランス正面から2Fにかけて左右に円弧状に広がる階段スペース。【中段右】2Fのバス・スペース。実はこのお宅、豪邸内に10以上のトイレスペースをもつ。【下段左】17号線の山間部にある静かで美しい湖『ロック・ロモンド』。【下段中】豪邸の地下にあるシアター・ルーム!プロジェクタがすごすぎ!【下段右】同じく17号線の山間部にある静かで美しい湖『ロック・ロモンド』。この豪邸のオーナーは、このTiwaneseの一家と大変仲のよいお宅のご主人なのだが、そのご本人たるや驚くほどの大人物である。どうも、シリコンバレーで最も成功したアジア人ということで経済誌や新聞など多数を飾ってきた人物で、当初は大学教授であったのが、その後IBMに移り 非常に短期で登りつめてGeneralプレジデントを務めたという。その後、PC好きには馴染みの台湾のAcer社に移り、ここでCEO(最高執行責任者)を務める。更に、それから2つ程度の会社のマネージメントを経て、現在は個人で起業し、ハードウェアとソフトウェアから成るPC関連製品の会社を60歳を過ぎて元気に運営しているというからすごい。差し詰め、アジア人が実現したアメリカンドリームと言ったところだろう。。。彼の書斎にはボードメンバを対象とした資料が高く積み上げられていたが、それらの資料外観からして十分に重責が伝わってくる。。。さて、私はシリコンバレーから間もなく帰国することになるが、その間際にこうしたある意味分かりすいシリコンバレーのアイコン的成功事例を目の当たりにするのも良かったように思う。。。いやいや、本当に上には上がいるものである。。。この手の成功例には事欠かないシリコンバレーでも、彼の長期に渡る確実なステップアップに伴うサクセス・ストーリーは 少々特異なケースなのかもしれない。。。いずれにせよ、同じアジア人として学ぶ点も多く、勇気付けられる点も多いように思う。見学会(??)が終わると、そのまま17号線をSantaCruz方面に向かい、途中山間部に入り『ロック・ロモンド』という湖で、そのTiwaneseのご家族と日本人の3家庭でアジアンBBQとハイク、ちょっとしたPartyゲームを楽しんだ。からっとした快晴の中、良い意味で現実感の乏しい(^-^;)、それでいて心地のよい休日を過ごすことができた。。。
2003/08/09
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先日の、最後の研究発表会も怒涛の木曜日も無事なんとか乗り切ったため、この日は休みをとって、朝から妹を含む我家3人で SanJoseの更に南は ギルロイの街にある『プレミアム・アウトレット』へと出かけた(正確に書くと 出かけさせられた。。。?)このギルロイの『プレミアム・アウトレット』は なんでも全米最大の売り場面積を誇るとかで、確かに多数の そして人気の高いテナント・ブランドが セクションAからDに渡って軒を並べている。。。炎天下の猛暑の中ギルロイに着くと、最も人気店の集中するセクションAに向かい、早速『COACH』へと突入した(正確に書くと これまた突入させられた。。。(^-^;))もっとも、自分達の買い物だけでなく、多方面へのお土産の小物を買いそろえるにも『COACH』は良い選択ではないか?とのことだったが、買い物は延々1時間半におよび、会計はあっさり$600を超えた。。。やはり、アウトレットとは言え、『COACH』の単価はそうそう安いものではない。。。おいおい、まだ1店舗目だぞ。。。等と無駄な抵抗も空しく、僕のカードから あっさりと代金が引落とされていく。。。(^-^;)(T_T)(T_T)続けて『Nike』でお土産のTシャツ等を購入した後、やっと僕が興味をもつ『AmericanTourister/Samsonite』の店舗に入ることができた。渡米以来念願の 機能性と機能美に優れた『Samsonite』のソフトスーツケースとラップトップPCを収納可能なビジネス・ブリーフケースのコンビネーションを購入した。。。素材はいずれも、最近人気の『TUMI』等でお馴染みの"バリスティック・ナイロン製"で、引裂き強度と軽量さ、キャリーのスムーズさ等はこの上なく、海外出張時のタフ・ユースにも問題ないことは明らかだ。確かに『TUMI』も購入候補に入れていたのだが、あまりに高い値段(日本に比べればそれでも半額近い値段のものもあるが。。。)にやはり不条理さを覚え、結局 機能性と一定の品格、デザイン等の総合点で『Samsonite』に落ち着いた。。。。。。と、なんと妹も似たような構成の赤のソフトスーツケースとボストンのコンビネーションを狙っていたとかで、こちらも『TUMI』と『COACH』(こちらはデザインは洗練されていたが機能性に少々欠けていた。。。)を退けて『Samsonite』を購入することになった。。。僕のカードを全ての立替え用に使ったとは言え、ここでもあっさり$600オーバーをマークし、妹の会計立替え時に、『COACH』『AmericanTourister/Samsonite』共に同一店でそれぞれ2度の会計をし、その額がいずれも普段の使用に比べて高額という『不自然使用の嫌疑(??)』で、カード会社と直接通話する羽目になった。。。ほら、ほら言わんこっちゃない。。。(^-^;)今日の怒涛の購入計画の趣旨を英語で説明し、母親の苗字を含む(←これ米国では一般的な照会情報の1つです)自分の各種情報を提供し、購入物に関する簡単な照合インタビューがあった後、無事 無罪放免となった。。。(そりゃ、勿論何も悪いことはしていませんからねぇ。。。(^-^;))かくして、この日は この後 更に『ラルフローレン』でカジュアルなウェアを買い足して、お土産を口実とした怒涛の買い物ツアー第1回目のスケジュールが終了した。。。『あ~ぁ、この量、どうやってもって帰るのよ的不安』を抱えつつ、夕方から予定されていた同社MYさんとの食事会へと急いだのだった。。。
2003/08/08
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前日のダイアリに書いたように、8/6(水)は社費留学生活最後の研究発表会だったのだが、実は翌日にあたる この日8/7(木)のスケジュールの方が遥かに強烈だった。。。(^-^;)ざっと内容だけ書くと次のような予定が詰まっていた。。。 ――――――――――――――――――――――――――――・10:00~11:00 Terryさん夫妻との"English-in-Action"・14:30~16:00 日本の修学旅行生のStanford見学対応・16:00~18:30 Mさんとの研究に関する打合せ・20:00~23:00 Yさん主催の英会話スクールでのプレゼン特訓――――――――――――――――――――――――――――■1. Terryさん夫妻との"English-in-Action"――――――――――――――――――――― 毎週木曜日の朝恒例の『English-in-Action』。いつもは、シリコンバレーの申し子のようなTerryさんとのMan-to-Man構成だが、この日はいつもと違っていた。。。というのも、今日はTerryさんが 奥さんのCarolynさんを連れてこられ、我家も妹を含む3人構成で臨んだためである。。。妹から「米国での普段の生活を覗いてみたい/体験してみたい。」という希望があったため参加させたのだが、普段よりも少々短いながら 皆で様々な話題に盛り上がった。。。興味深かったのは、日本帰国に際してベイエリアもしくはカリフォルニアのお土産として好ましいもの、我々が学生時代に習う『"He has gone~"という現在完了表現は しばしば "彼は死んでしまってもういない"という意味で取られる、という教育内容は少なくとも米国では全くナンセンスであること』等など。。。普段の話題に比べると随分初心者向けだったが楽しかった。■2. 日本の修学旅行生グループのStanford見学対応――――――――――――――――――――――――― 一方、14時半から1時間半程度、四国T中学から修学旅行の一環としてStanfordに訪問に来ている中学生15名と先生4名からなる皆さんの見学対応をした。この企画は、某社からのVisitingScholarであるhogehoge1967さんから紹介を受けて随分前に引き受けた仕事であった。本企画のオーガナイザーであるKさんのリクエストを受けて、以下の内容について話をさせて頂いた。。。 1.日本・米国での仕事・研究対象 2.米国に来て感じたこと・印象に残ったこと 3.中学生の頃(!!)どのような生徒で何を考えていたか?事前に簡単なプレゼンをPowerPointで作成したのだが、日本語でのプレゼン作成は本当に久々。一部を紙に印刷して皆さんに配布したため、少しは皆さんにも印象が残ったかもしれない。。。ところで、自分の中学生の頃を振り返ると、まさにやんちゃな盛りで悪がきだったことを思い出す。。。そして当時はまさか自分が米国Stanfordのお世話になる等とは夢にも思っていなかった。。。いずれにせよ、少しでも自分の経験が あの純朴そうな中学生の皆さん(自分の中学生の頃よりよっぽどいい子だ。。。(^-^;))の何らかの"きっかけ"に役立ってくれれば、と思った。。。■3. Mさんとの研究に関する打合せ――――――――――――――――― 上記の修学旅行生への対応が終わると、同社中央研究所の同じくStanford留学生であるMさんとの打合せを実施した。彼と私は、担当する製品分野が異なるものの、この留学中 双方の応用による共通分野に強い興味をもっており、以前から小さな打合せを何回か開催していた。。。今回は、私の方の留学期間が終了間際ということで、その集中開催ということになった。次回以降は、同中央研究所のN澤さんの分野も交えて共通的な応用を探っていけたらと思う。。。■4. Yさん主催の英会話スクールでのプレゼン特訓―――――――――――――――――――――――― さてさて、この日のやっと最終スケジュール。。。20時から英会話の会社を設立されたYさんのお宅に出かけ、留学期間中最後となるレッスンに参加した。Yさんが英会話の会社を設立するに当たり、生徒としてモニタとして超微力ながら参加させて頂いた企画もこの日が最後である。この日は、Yさんの他に、この会社の設立スタッフであり、エンジニアであり これまた新しい会社を設立しようとしているDanがWashingtonDCから出向いて来ていた。そこで、数日前から この日は効果的なプレゼン特訓の回と予定されていた。 前日の研究発表会で使用したプレゼンテーション・マテリアルを使用し、ビデオで撮影しながら、その際のプレゼンスタイルや表現方法、コロケーションと呼ばれるつなぎの言葉、ボキャブラリ、グラマーチェックなどを広範に、かつ微に入り細に入り、チェックしてもらった。 結局、現時点でのプレゼン能力については高い評価を頂いたものの、Danの懇切丁寧なネイティブにとって、『より自然な表現』や『よりスムーズな論理展開に関する表現』に関するアドバイスは、大変効果的で まさに感謝・感謝といったところ。長きに渡り、Yさん、Danさん、Meguさんありがとうございました。m(__)m今回は、一緒に連れて行った妹にとっても大変よい刺激になったようです。。。。というわけで、怒涛の木曜日が終了しました~!!疲れたぁ~!!
2003/08/07
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米国8/6(水) この日は ついに所属研究プロジェクト最後の研究発表会出席となった。。。私が所属していたプロジェクトは このダイアリ上でも何回か紹介してきたように、Stanford大学とUCB(UCバークレイ)の共同プロジェクトであり、毎月どちらかのキャンパスで定期的な研究発表会が開催されてきた。勿論、このプロジェクト自体はまだ今後も継続するのだが、9月の帰国を前に、私が出席するのは今回が最後となる。そこで、今回は『有終の美(??)』を飾るべく、かなり力を入れたプレゼンを用意して臨むことになっていた。。。最後に自分のリサーチしてきた内容を少しでも両教授や所属の皆に効果的に伝わるよう論理組み立ては勿論、PowerPointのプレゼン資料も、スピーチもかなりの時間をかけて練っていた。。。それでも、やはり いざプロジェクトへの参加が最後となると寂しいものがある。せっかく、抽象度議論への英語での参画も可能になり、自身の経験や得意分野の知識を皆にフィードバックできるようになったと思ったら、もう1年経過である。。。最近は急伸してきた(と信じたい。。。(^-^;))リスニング力によって、皆の議論に効果的に参加することも難しくなく、適切にカットインして自分の主張を通すようなことも少しずつできるようになってきていただけに、そういう観点ではこのタイミングでの帰国は残念である。。。こうして考えると、慣れた仕事に対する1年とは違って大変なことも多かったのだな、と思う。。。かくして、これまでのどの発表時よりもオリジナル色の強いプレゼンは、約25分に渡る所要時間を経て終了し、ひとしおの充実感を感じることができた。今日の最後の研究発表会と、単身で留学中の皆さんの慰労を含めて、帰宅すると『刺身Party』が待っていた。。。この刺身は、10~20世帯程度で構成される購入グループで、直接 魚屋さんを呼んで仕入れた新鮮なネタである。。。研究発表会の充実感と、適度な疲労が重なって、Beerも日本酒も刺身も わさびも旨い!!この日だけは、少し自分を褒めてやってもよいかな、と思った。。。(^-^;)気力は十分残っているので、まだまだ ここシリコンバレーで知的好奇心を振り回して、吸収できるだけ吸収して帰国しようと思うが、まずはちょっと一休み。。。頑張りました!
2003/08/06
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昨年2002年8月 Stanfordエリアに移る前 1ヶ月間通ったSan Francisco市内の『UC Extension(UCバークレイの外郭機関である英会話スクール)』時代の、友人Tommaso(トマーゾ)が、8/1突然米国にやって来ることになった。Tommasoは 見た目は なかなかハンサムでインテリジェンス漂うイタリア人で、現在はイタリア国内の某大学で哲学を専攻する博士課程の学生と講師を同時に勤めている。。。"哲学専攻"だの"博士課程"だのと言うと、これ以上ないほどお堅い人物をイメージするが、これが すっかり逆(?)で、昨年の語学スクール時は、夜な夜な一緒にクラブ(←踊る方ね)やBarを巡っては、年齢を忘れて 一緒に騒ぎに騒いだ悪友である。。。(^-^;)その彼が、トータル3週間ものバケーションをひっさげて、カリフォルニア入りしてきた。。。当時の仲間宛てに『まだ、San Franciscoで会える人がいたら、3日間滞在するから、是非会おうよ!』という主旨のメールが届いた。当時、最も気のあった悪友ということ、そして私がまだStanfordエリアに滞在していることから、会わない理由はない。。。(^-^;) 折りしも、8/1から妹が長い休みをとって転がり込んできていることから、我家とTommasoで カリフォルニア最大のワイナリとして知られるNapaバレーへと出かけることにした。。。アルコールをこよなく愛するTommasoにとってはこれ以上のロケーションはないだろう。。。(^-^;)ワイン(いやアルコール全般?)を好む私も、様々な客人のアテンダントを含めて4回目のNapaバレー行きとなるが、120以上ものワイナリがひしめくNapaには、まだまだ行けていない所が多い。。。普段乗る、米国製ノッチバック・セリカではあまりに小さいので、San Jose空港でミニバンを借りて、San FranciscoでTommasoをピックアップすべく、一気に北上した。San Francisco繁華街のど真ん中はユニオン・スクェアそばのホテル前で、無事1年ぶりの再会を果たし、しばし談笑した後、早速 Napaバレーに向かった。。。本来はもう1人イタリア人の友人がいる予定とのことだったが、昨晩遅くまでTommasoと飲みすぎて体調を崩したらしく、同行は不可能とのことだった。。。(おいおい、子供じゃないんだから。。。)そんなことなら、こんな でかいミニバンは借りずに、米国生活最後とばかり元気なフルサイズのオープンでも借りたのに。。。(T_T)かくして、Tommasoのタイトなスケジュールにあわせた大忙しのワイナリ・ツアーが始まった。。。当初、スパークリングワインとピノノアール種 専門のワイナリとして知られる『Domaine Carnerosワイナリ』に行こうとしたが、Tommasoの時間制約上 それを泣く泣く諦めて、ピクニックランチの定番『V.Sattuiワイナリ』と、ワイナリ私設のケーブルカーを使って到着する『Sterlingワイナリ』の2つに絞って訪れることにした。毎度ながら、強い日差しの晴天に恵まれた日曜日とあって『V.Sattuiワイナリ』はいつもよりも遥かに混んでいたが、なんとか緑の絨毯に覆われて陽光がさんさんと降り注ぐ 屋外のテーブルを確保することができた。持参のテーブル・クロスをばっと広げて、みんなで チーズとパン、生ハム、サラミ サラダを相手にオフドライのリースリング・ワインを空けた。。。「あ~生きてるって素晴らしい!(^-^;)」そんな気持ちにさせるランチだった。続けて、Napaの最も深いエリア、つまりカリストガに程近いエリアにまで進んで『Sterlingワイナリ』を見つけた。。。確かに、小高い丘の上のワイナリに向かって私設のケーブルカーが通っている。。。 正直言って、何も無理にケーブルカーを通さなくてもいいような気が 大いにしてしまう(^-^;)ロケーションである。。。(^-^;)(^-^;)(^-^;)駐車場脇の緑と色とりどりの花に囲まれる乗り場からケーブルカーに乗り、ワイナリに着くなり 早速テイスティングを開始したが、『V.Sattui』でのワインが効いていて、この暑さと乾燥した体にはアルコールだけが残留し、どんどん だるさが蓄積していく。。。みんな間もなく朦朧となりながら、見晴らしのよいバルコニーでそよ風を浴びて酔いをなくした後、早くも帰途に着かなければならなかった。。。帰りは Tommasoの時間的制約から、ひたすらSan Franciscoに向かって南下したが、彼も喜んでくれたようで 充実したNapaバレー行きだったと思う。。。ふと気付くと、Tommasoのイタリア訛り英語にもめげず、元気に英語で楽しくやりとりしながら運転する自分がいた。。。彼らとの語学スクールでの生活後、1年間で ごくわずか、そうした英語力と生活力(?)がついたのなら、やはり喜ばしいことではないか。。。国や環境の違いを越えて馬鹿騒ぎできる悪友の突然の訪問に感謝しつつ、彼の旅行が充実するよう、最後 ちょっとだけ米国生活の手伝いをして、再会を約束しながら さらっと別れた。おい Tommasoよ! あまり羽目を外さずに、元気でバケーションを過ごせよ。そして、今度は 君が言うようにミラノかパリか東京で会おう!(目標だけはかっこいい。。。)仕事でイタリアに行くことは まずないと思うけど、ドイツくらいなら行く機会もあるだろう。。。そうしたら、今度はパトリックやミケールにも声をかけて みんなで会ってみよう!いずれにせよ、それまでに僕は真面目にダイエットするよ。。。(^-^;)
2003/08/03
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