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米国7/26(土)~7/28(月)、そして7/29(火)~7/30(水)と、父親が米国出張の一環で ここStanfordエリアに来ていた。前半はキャンパスにほど近い『Westinホテル』に滞在したが、後半は我家にほぼ寝るだけの短期滞在をして日本に帰国して行った。当初は、7/24から1週間に渡る日程でシカゴやボストンをまわり、このStanfordエリアにも寄るというスケジュールだったのだが、少々予定が変わったことで、Stanfordエリア-ボストン間(飛行機で片道6時間もかかる!そして時差は3時間)を1往復半もすることになってしまい、本人もさすがに随分と疲れたようだった。(^-^;)父は、今年の春に還暦を迎えたが、現在ある会社の役員をしており、こうして元気に飛び回りながら面倒な交渉をこなしている姿を見ると、その元気さと いまだに海外のビジネス・トレンドや経営スタイル、ハイテク・トレンド、知的所有権などによく注意を払っているスタンスに感心してしまう。(本人を前にそんなことは言いませんが。。。(^-^;))そんな父の米国出張予定がほぼ決まった際に、Tiwaneseのご家族から、我家やStanfordのお医者さん、エンジニア等、若手日本人夫婦を是非、自宅の食事会に招待して親交を深めましょう、というお誘いがあった。どのご家庭も普段、仲のよいお宅であり、会って話をすれば常に新鮮な知的好奇心を煽られることから、早い時期から参加表明をしていた。そこに、父の出張も重なったため、今回はこの元気なStanfordエリアの若手集会(?)に父も混ぜてしまおう、という計画だった。もっとも、父も以前、ある大きな企業でエンジニアである傍ら、若手をStanford等の米国大学に派遣審査する立場にあったことから、こうした試みには早くから興味を示していた。今回の食事会のホスト家庭は、以前のダイアリにも書いた日本企業の元・台湾支社長さんのご家庭で、私と同じ年齢の息子さんTがいる。TはUCB(UCバークレイ)で数学と物理を専攻して卒業後、現在はStanfordそばの特許事務所で、ベンチャー企業向けの特許弁護士を務めている。一方、招待された側は、我家の他に、Stanfordのメディカルに留学中のNさんご夫婦と、Mさんご夫婦、そして世界最大手通信機器会社C社勤務のKさんご夫婦、最後に関西系電気会社勤務のAさんご夫婦。Nさんご夫婦、Mさんご夫婦は、以前の参加させて頂いたお医者さんたちとのホームパーティ以降、大変仲良くさせて頂いている。Nさんは脳外科がご専門で、Mさんは整形外科がご専門。Nさん、Mさんの奥さんはそれぞれ、かつて航空会社のグランド・ホステス、スチュワーデスさんだっただけあり、いずれも華やかで元気な雰囲気いっぱいである。この中で、非常に偶然なのは大手通信機器にエンジニアとして勤めるKさん。実は、今回のパーティに父を呼んだのは このKさんの存在があったことが大きい。。。というのも、Kさんと父は、某国内大手電気メーカの同じ中央研究所から同じ事業所に渡ったという経緯をもち、直接の上司・部下の経験はないものの、どう見てもどこかですれ違っているはずなのである。。。(^-^;)Kさんは、その後 その会社を退社し、通信機器の専門会社を経て現在に至っている。一方、父はその会社を退職し、現在は別の会社で役員をしている。当然、非常に良く似た環境を経験した彼らの間で話が盛り上がっていたのは言うまでもない。。。(^-^;)こうした多種多様なバックグラウンドをもつ皆さんが、元気に集合しそれぞれ、様々な話題で談笑し、情報交換をすることができた。その中で皆さんの関心を最もひいたのは、やはり脳外科のお医者さんNさんの脳外科手術時の苦労話やエピソードの数々だろう。。。彼は、それをあえて面白おかしく話すことはなく、いたって真摯に語って下さる姿に皆が引き込まれた。。。大掛かりな脳外科手術では、飲まず食わずでトイレにも行かず、10時間程度をすごすことも珍しくないこと。。。場合によっては、20時間以上も継続する手術を行わなければならないこと。。。子供の方が大人に比べて遥かに脳の損傷からの回復・代替機能による再生が早いこと(例えば左脳の大規模な損傷であっても、子供なら言語野が右脳に形成することも可能等)。。。本当に興味深い話を教えて頂いた。ここで1つ気付くのは、メディカル(医学)、コンピュータサイエンス、経済、法律など、様々な分野からのStanford社会人留学者は、いずれもご主人が34歳を中心として、その±2歳程度に収まってしまうということ。。。これはStanfordの中を見渡す限り、非常に言い得ている特徴だと思う。こうした一定の世代に集中して、こうした渡米による文化吸収がなされていることを見て、うちの父親やKさん(KさんはStanfordとは直接関係がなく、我々世代より一回り強 年上)は こうした世代が少しずつ日本の閉塞感を打破していくのかもしれない可能性と、そのまま米国のような自由な活躍の場に流出して行ってしまう危惧を議論していた。。。とにもかくにも、ホストファミリーのお母さんの台湾料理フルコースとあいまって、楽しく知的好奇心に溢れた会話がいっぱいの大変有意義な会食となった。。。おそらく、米国での最も印象的なできごとの1つとして記憶に残ることだろう。。。
2003/07/26
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ここ数日、ダイアリの更新がままならなかった最大の理由が、帰国時のアパートメント引継ぎに関する作業だった。。。先の『第1弾 一気に本格化』のダイアリに書いたように、今の部屋を 家具や諸々の家電品等と共に まるまる引継いで下さる方が現れたことで、いわゆるMoving Sale(米国で一般的な引越しに伴う家財品セール)を大々的に行う必要がなくなって大助かりなのだが、それはそれで少し異質の作業が発生していた。まず、現在の私の部屋を アパートメント経営側の介入なしに(透過的に)引き渡すため、アパートメントのマネージャが本来行うような契約書まわりのペーパーワークを、前住人(つまり私)が 次に入居する方に積極展開する必要がある。まあ、もっとも次の入居の方が日本人の方で、現在まだ日本に住まれているため、直接私が対応しないとマネージャ(米国人)は いかんともしがたい、というのが大きいのだが。。。また、上記のような透過的な引継ぎであるため、私が入居時に支払ったデポジットは返金されないし、メンテナンスも実施されない。したがって、次の入居者の方との間で、その額の折半交渉やそうしたシステムの理解のお願いが必要となる。こうした1つ1つの作業は多少面倒ではあるが、同時に、1つ1つこなしていく充実感もあって、個人的には嫌いではない。。。そして最大の仕事は、引継ぎ可能な家具・家電品・日用品等を全てリスト・アップし 値付けをした上で、それを次の入居者の方に提示すること。この家財品の売り先が、不特定多数となれば一般のMovingSaleと何ら変らないのだが、売り主と買い主が双方一定の認識ができた者同士ということになるので、その安心感は格段に上がる。それゆえに、一層いい加減な対応はできないということがあるし、引継いで下さる方の渡米準備のタイミングに上手くあわせてリストを提示してあげなければ、家財品がダブってしまい、その方の貴重な船便や航空便の規定量を無駄にしてしまうことにもなりかねず、一定の緊張感が発生する。信用とタイミングが大事ということになる。。。実は、今日米国7/24(木)にその詳細なリスト・アップと値付けが終わり、次の入居者の方にメール送信し終えた。日本の週明け早々にその方からの回答が返ってくると思われが、少しでもこちらの家財品が その方の渡米負担を軽減してくれれば、と思っている。お互い、負担を最小化する『Win-Win』の関係が成立するといいな。。。一方、こちらでの愛車・米国仕様のノッチバック『セリカ』はワシントン州の知人に売却が決まっているが、その際はカリフォルニア州と違って、譲渡時のSmogCheck(排ガス・チェック)の必要性が低く(居住地域に依存するが、SmogCheck不要エリアが圧倒的)、今回は不要となる。これも私の負担を大きく軽減してくれるが、引継ぎの方が 現在日本に長期で一旦帰国しているため、これまた引継ぎタイミングが難しい。。。(^-^;)そんなこんなで、シャットダウン処理の第1弾ピークは何とか通過しそうです。。。今日の内容は、ちょっとマニアックすぎたかな。。。(^-^;)(^-^;)(^-^;)
2003/07/24
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今日 米国・木曜日は通常、朝10:30から2時間程度、シリコンバレーの申し子のようなTerryさんと恒例のFace-to-Faceの英会話『English-in-Action』がある日。ところが、ここ最近2つ目の会社の運営が忙しいのか、Terryさん側の都合でスケジュール変更されるケースが増えていた。。。そんなスケジュール変更を気にしてか、Terryさんから『今日7/17(木)のEnglish-in-Actionは いつものスタンフォードのキャンパス内から場所と時間を移して、スタンフォード・ショッピングセンターのパティオでJazzを楽しみながらやらないか?』という何とも魅力的なオファーがあった。。。(^-^;)スタンフォード・ショッピングセンターとは、スタンフォード大学の西側に位置する米国でも名の通った高級ショッピングセンター。その一角『Max’s opera cafe』前のテラスで、夕方の5時に待ち合わせということになった。約束の5時にTerryさんと奥さんのCarolynさんと我家で待ち合わせ、しばし40分程度テラスにて、先日のLA強行1泊旅行の話や、父親が米国出張で再び渡米してくる話、妹が夏の休みに渡米してくる話等 お互い近況を報告しあってから、中央の野外コンサート会場へと向かった。会場には多数の簡易の椅子が並べられていたが、そのうち4つが既にCarolynさんによって抑えられていたことに少々驚いた。席に着くなりCarolynさんが 用意してくれてきた『ゴート・チーズ』やクラッカーをスパークリング・ウォーターと一緒にサーブしてくれた。夕方6時になると、強烈な西日を受ける中、コンサートが始まった。Saxとウッド・ベース、ドラムス、エレピによる基本的なコンポーネントによるバンド構成で、主にスィングJazz系ナンバーが多かった。。。スパークリング・ウォーターはどうにも違和感があったが、それが空くと、Terryさんが今度はグラスにシャルドネの白ワインを注いでくれた。。。本当にいつも、いつも心憎いまでに洒落た演出が ごく自然にできるご夫婦である。。。(^-^;)強い西日の中、水分を欲した体にアルコールとスィングJazzは実に効果的で(^-^;)、丁度いい倦怠感に包まれてしまった。。。今日のコンサート『San Francisco Jazz Festival』 の後援にはサンフランシスコのあるFM局がついていたのだが、企画の運営自体は非営利組織の『SFJAZZ』が行っている。。。Carolynさんとの会話で分かったのは、この非営利組織『SFJAZZ』はJazzを好む多くの人達からのDonation(寄付金)を大きな収入源としていること、そしてTerryさん夫婦は、やはりこの『SFJAZZ』にもDonationしているということだった。毎回 彼らを見ていて驚かされるのは、そのお金の使い方の旨さである。彼らは、自分達2人の名前を冠した児童向けの基金を設立し 子供達の国際化プログラムに貢献する一方、UCSB(UCサンタバーバラ)+UCLA向け科学研究に関する基金にもDonationしたりしている。しかし、まさかこうしたJazzの育成にまでDonationをしているとは知らなかった。。。そうした夢のあるお金の使い方に感心しながら、今日 座らせてもらった席が そうしたDonationをしてくれた皆さんに確保された席の一部であることに気付いて、思わずはっとした。。。きっと、この日の『English in Action』特別版も楽しく有意義な記憶として残るだろう。。。
2003/07/18
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ここ最近、しばしダイアリの更新が少々滞っていた。 。。。というのも、2日ほど前から、いよいよ帰国のためのシャットダウン処理が一気に本格化し始めたためである。ただ、これから帰国までずっとこのような状態が続くわけではなく、おそらくポイント、ポイントで忙しい時期が集中するのだと思われる。。。。で、ここ数日は何がそんなに多忙かと言えば、アパートメントの引継ぎ関係処理なのである。当初は特に、現在住んでいる部屋をどなたかにそのまま引継ぐことは予定していなかったのだが、期せずして「現在の部屋を一切合財、諸々の家具ごと引継ぎたい」と言ってくださる方が2名も現れ、双方の利便性からそうした引継ぎ形態をとることにした。この場合の双方のメリットとは、前の住人と新しい住人にとって以下のようなものである。――――――――――――――――――――――――――――▼前の住人のメリット引越しのためのMovingSale(米国ではごく一般的な引越し時の『引越しセール』)を開催する必要なく 最後の最後まで慣れた部屋で、使い慣れた環境をレベル・ダウンすることなく滞在可能なこと。▼新しい住人のメリットMovingSaleやレンタル、新規購入などの煩雑な苦労や費用負担なしに、一定レベルの動作保証付き家財道具がアパートメントの部屋と共に一気にそろってしまうこと。――――――――――――――――――――――――――――自分が昨年7月末に渡米してきた際には、サンフランシスコに滞在しながら、週末にはシリコンバレーエリアに南下してアパートメントを探し、入居後、様々なチャネルから家具をそろえていった楽しくも大変な苦労を考えると、こういったパターンもあるのだな、というある種新鮮な気持ちがしている。。。今回のような一切合財 引継ぎ可能な場合は、当然 生活の立ち上げはスムーズであり、自分の研究に早期に着手することもできるし、お子さんがおられるような場合は、そちらへの環境構築に集中することもでき、効率的だと思う。一方、全部自分で都合する場合は、ある種非効率ではあるが、いきなり米国での生の生活立ち上げを体感することができ、それはそれで一気に経験値が上がることから、有意義でもある。そんなこんなで、ここ2日程度はアパートメントの各種契約書類や詳細な設備・間取り図の送付、当アパートメントのセールスポイントや多少の問題点の送付、引継ぎ家具のリストアップとその仕様、価格の提示などが続いている。いずれのシーンにおいても、スキャナ+メール ベースで、日米の時差をものともせず、詳細なコミュニケーションができるので大変便利である。。。(ほんと、便利な世の中だなぁ。。。等と、コンピュータ・エンジニアらしからぬ、すっかり素朴な感想を抱きながら。。。(^-^;) )ちなみに、こちらでの愛車・米国仕様のノッチバック『セリカ』もワシントン州の知人に売却が確定している。。。こちらはこちらで、州またがりの所有者変更に関して手続きが少々ややこしそうなため、現在信用できる筋に各種問い合わせ中である。一方こうした中、ここ2~3週間、当サイトに対する日々のアクセスが飛躍的に伸びてきている。1日3桁台のアクセスも珍しくなく、そのアクセスパターンも楽天コミュニティ以外の方一色、ということも全く珍しくない。。。どうも、スタンフォード大学に対する留学に興味をもっておられる方が、当サイトを見つけて多数アクセスして下さっているようだ。。。そうした客観性が強くなってくると、発信する情報にも益々気をつけないと。。。。。。と思いながら、きっとくだらない情報も発信してしまうんだろうなぁ。。。(^-^;)
2003/07/17
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今日米国7/13(日)は、同じ楽天コミュニティの谷尾さんの発案で、シリコンバレーはロスガトス・エリア奥のワイナリー『Byington Winery & Vineyard』『Byington Winery & Vineyard』 でオフ会を開いた。※「オフ会」という言葉に馴染みのない方へ:「オフ会」とは「Off line meeting」の略で、「ライン(つまりネットワーク)を離れてのミーティング」という意味を持ちます。つまり、普段のネットワーク上の付き合いとは別に、実際に顔をあわせて交流をもつ機会を指します。私自身、こうしたオフ会に参加するのも、ましてや開催するのも初めてであるが、谷尾さんとの計画の中で 早い時点から「せっかくのカリフォルニア晴れの続くシーズン、ワイナリでBBQを開催しましょう。」ということになった。谷尾さんの綿密な下調べは素晴らしく、BBQは私の得意分野ということもあり、皆さんの協力のもと、当日まで準備は滞りなく進んでいった。。。参加者は 同じ楽天コミュニティでは、谷尾さんのお宅とlulugirlさん宅、hogehoge1967さん、そして各HPによく参加をされている スタンフォードVisitingScholar仲間のN澤さん、K村さん。。。※ 上記コミュニティの皆さんはいずれも私のHPのTopページからリンクが張られています。。。■ ウォーミングアップ。。。(^-^;)―――――――――――――――――『Byington Winery & Vineyard』には13時からBBQを開始する旨で予約を入れていたが、我家は その少し前に 約200~300m手前に位置する『David Bruce Winery』ワイナリ 『David Bruce Winery』 にも寄ってみた。ここは 谷尾さんご推薦のワイナリーであり、ピノノアール種が評判とのことだった。行ってみると、既にN澤さんとK村さんが微妙に赤い顔をしてテイスティング・カウンタでテイスティングを開始していた。。。(^-^;) 確かに若々しく甘いピノノアールは美味しく、早速ボトルで1本購入してみた。■ いざ、本番。。。――――――――――続いて、BBQ設備のある『Byington Winery & Vineyard』に到着すると、無料テイスティングの後、早速BBQコンロを点検に行った。チャコール(炭)使用の大型レンガ製BBQコンロと、ガス式のポータブルBBQコンロ(とは言っても日本のものに比べると破格に大きい。。。(^-^;))があった。本来はチャコール(炭)でBBQをする方が、適度な『いぶし効果』が加わって旨味が随分と増すのだが、日差しの関係や席数の関係から、ガス式コンロとその周囲のテーブル・エリアを使用することとにした。。。ガス式コンロだと着火時のちょっとしたテクニックや面白みには欠けるのだが、その代わりスムーズな開始と安定した火力が得られ、便利さはこの上なかった。。。(^-^;)途中、lulugirlさん宅も合流し、会はますます熱気を帯びて盛り上がっていった。。BBQの食材的には、韓国スーパーで合計7ポンド(3.15kg)も購入していった韓国焼肉3種やハッシュド・ポテト、もやしのホイル蒸し等の評判が良かったように思う。その他、谷尾さんにはトマトの上にモッツアレラチーズを乗せたさっぱりサラダやガーリック・ブレッド(これもコンロで加熱した)等を持ってきて頂き、美味しく頂いた。その場での話題としては、仕事でIT関係の方が多いためか そちら方面の話やベンチャービジネス関係の話題、米国滞在全般に関する話題、楽天コミュニティを中心としたネット上でのエピソード等々の話題が続いた。。。いずれにせよ、普段ネット上で色々とやりとりさせて頂いていた皆さんと、カリフォルニアの抜けるような快晴のもと、爽やかにBBQとワインをやりながら、直接交流できたのはお互いを知る上で何よりもよい機会だったと思う。。。皆さん帰国まで日数がなくなってきているが、今回の企画は米国でのよい思い出の1つとなったのは確かである。。。谷尾さんはじめ、参加者の皆さん、ご協力ありがとうございました。m(__)m帰国したら、今度は都内ででも また開催しますか。。?! (^-^)
2003/07/13
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同級生S氏とW氏との久々の再会の翌日・LA滞在2日目は、『Westin Bonaventureホテル』を11時にチェック・アウトし、夕方までLA市中観光をすることにした。チェックアウト時に、たまたまホテル内に日本客向けの情報デスクを見つけたため、そこで簡単にLAの見所をおさらいした後(やはり日本語は楽でいいなぁ。。。)、10号線にのってダウンタウンから車で20分程度西に離れたハリウッド/ビバリーヒルズ・エリアへと向かった。■ ハリウッド・エリア――――――――――――ハリウッド・エリアは、前日にメインストリートを流しただけだったため、少々ミーハーな観は否めないものの、まずはハリウッド・スターの手形でよく知られる『Chinese Theater』を訪れた。率直な感想としては、思っていたよりも遥かに小さなエリアだということ。。。歩道に埋め込まれた星型の著名ミュージシャンやハリウッドスターの名前を刻んだタイルやら、例の手形・足型+サインのタイルを見つけては、『おっ!』とか『へぇ~』等と炎天下で朦朧としながら柄にもなく、ミーハーツアーを実践した。。。(^-^;)続けて『Chinese Theater』すぐ脇の『Kodak Theater』から山肌に掲げられた『HOLLYWOOD』サインを眺めたりしながら、涼しく昼食をとったが、屋外は本当に凄い熱波で熱射病になってもおかしくないような日差しだった。。。【上段左】ハリウッドのメインストリートにある『Kodak Theater』の中央広場。【上段中】この『Kodak Theater』のアーチから見える山肌のお馴染み『HOLLYWOOD』サイン。【上段右】昼食をとった『Kodak Theater』内のイタリアン・レストラン。【中段左】イーグルスの名曲『ホテル・カリフォルニア』のレコード・ジャケットのモデルとなった『The Beverly Hillsホテル』のエントランス・ゲートにて。。。【中段中】『The Beverly Hillsホテル』脇の住宅街。【中段右】今回の片道600kmオーバーの旅程を快走してくれたこちらでの愛車ノッチ・バック『セリカ』。【下段左】ビバリーヒルズの最富裕エリアであり、特別行政区である『ベル・エア地区』の住宅。。。【下段中】同じく。。。きれいな門です。。。【下段右】LAを去るときに、たまたま見つけたWeddingセレモニーでのストリングス部隊。。。いいなぁ。。。――――――――――――――――――――――――――――――■ ビバリーヒルズ『ベル・エア地区』――――――――――――――――――昼食後、『Sunset Blvd.』を更に西に向かい、わずか10分程度でビバリーヒルズ・エリアへと到着した。このエリアで興味があったのは、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』のレコード・ジャケットのモデルとなった『ビバリーヒルズ・ホテル(The Beverly Hills Hotel)』と、特別行政区となっている最富裕エリア『ベル・エア地区(Bel-Air neighborhood)』だった。。。まずは、高さ15mはあろうかと思うヤシの街路樹が続く『ビバリーヒルズ・ホテル』脇に車を停め、しばしシリコンバレーエリアに比べて幾分湿度の高い晴天の住宅地を歩いてから、ホテル敷地内へと入り、その晴天に映えるフラミンゴ・カラーの外観をはじめ雰囲気を楽しんだ。。。続いて、明るい緑に囲まれた『ベル・エア地区』へと移った。ここは、一般にはハリウッド・スターや政財界等の各界著名人が住む豪邸エリアとして知られる。高い質の生活環境を実現すべく、防犯や各種生活インフラに対して特別なサービスを提供する特別行政区となっているのが興味深い。個人的には、どこがどの著名人の家か?といったことには興味はなかったものの、そのエリアに行くと『Star Map』といった露骨な名前のデスクが目に入り、著名人の邸宅案内ツアーやら詳細な住所リストの販売サービスが実施されている。。。(^-^;)本当の著名人ともなると、こうして住所までが商品化されてしまうのだろうか?こんなツアーまで組まれたのでは、例え2ndハウスや3rdハウスで普段不在だとしても、プライバシーも何もあったものじゃないなと思う。。。(^-^;)最近、カリフォルニア知事選の本命と目されるアーノルド・シュワルツネッガー等は『ベル・エア地区』よりも更に西のサンタモニカビーチ寄りに住んでいるようだが、やはり主たるエリアはこの一帯であり、レーガン元大統領を始めトム・クルーズ等、本当に著名人の邸宅が多い。。。一般に公開された情報からしてもざっとこれだけの邸宅がリストされている。。。(トム・クルーズの家は2つの道路脇に面したアクセスしやすいと所だったので眺めさせてもらった。。。)■ 『ベル・エア地区』とスタンフォード・エリアの違い――――――――――――――――――――――――――この『ベル・エア地区』が、同じく全米屈指の富裕エリアであるスタンフォードのお膝元『Palo Alto』や『アサート(Atherton)』等と異なるのは、徹底して「作られた街並み」であるという点。。。シリコンバレーの富裕エリアの中核をなす『Palo Alto』や『アサートン(Atherton)』にも、勿論そうしたエリアがあるものの、基本的にオークやユーカリ、レッドウッド等の自然と上手く調和させた豪邸が多いのに対し、ビバリーヒルズ『ベル・エア地区』は生息している植物を中心にかなり趣きが異なる。。。平たく言えば『ベル・エア地区』は より南国的(ヤシの木いっぱい!)で人工的な限られたエリアであるのに対し、シリコンバレーの富裕エリアは 緑の多いしっとりとした落ち着いた雰囲気が広い範囲に渡って一様に広がっている観がある。。。「両者を比較をするならば、おそらくLA周辺の方が圧倒的に緑が少なく、貧富の差も容易に判断できてしまうだろう。。。」というのが、LA11年目を迎える同級生S氏の言葉。。。確かに、それは当たっているように思う。おそらく、スタンフォード一帯のような緑に囲まれた 皆さん平均して相当の富裕層といった雰囲気は またLAのそれとは異なるのだが、そうした諸々の違いを実際に見て体感できたのが、今回の新鮮な収穫でもあった。。。■ そして帰途へ。。。―――――――――――こうした大急ぎの1泊2日の旅程を終えて、当初、LA西端のサンタモニカビーチから1号線と101号線を使って北上し、スペイン文化の色濃い『サンタバーバラ』の街を通ってシリコンバレーエリアに帰ろうとしたが、ひどい渋滞を前に、やはり荒野を突っ切る(味気はないが、時間的に早い)5号線(I-5)を使うことにした。途中、あまりの熱波に発火したLAそばのブッシュの山火事によってLA方面への道路5車線がびっしり100マイル(=160km!!)も渋滞しているのにたまげてしまった。。。シリコンバレー方面への通行には実害がなかったが、完全に視力を奪われる凄まじい西日を左方に受けながら、ベイカーフィールドの街で99号線に入って更にひたすら北上と続けた。。。私のそばに住む皆さんにアドバイス差し上げるなら、荒野を突っ切るI-5は車のトラブル時にはリカバリのしようないので(^-^;)、道の周辺に延々街並みが続く99号線をくれぐれもお勧めします。(まるで880号線のような雰囲気です。。。)SF-LA往復時の安心感が全く違うことでしょう。。。今回も長くなってしまいましたが、これで怒涛のLAの旅行記を終わりとします。。。m(__)m
2003/07/06
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前日の7/4(金)米国独立記念日の巨大なPartyとSFでの打上げ花火の余韻覚めやらぬまま、米国7/5(土)朝8時半過ぎ、自宅のあるスタンフォードエリアを車で出発して、約600km南下したLos Angelsの街に行くこととなった。。。意外にも私自身、これまでの米国出張を含めてもLAは初めてである。そこで 本来ならもっと時間をとってゆっくりと行きたかったのだが、ぎりぎりまで(これまでダイアリに何回となく書いてきている)戦略特許の仕事やら何やらが続き、最後まで予定が流動的だったため、車による1泊の強行軍となった。。。(^-^;)『I-5』と呼ばれる西海岸を南北に貫くFreewayを使うと、シリコンバレーはサンノゼ・ギルロイあたりから、LAまで1本で到達することができる。朝8時半にStanfordエリアを出て、LAには14時半頃に着いたが、その間 給油をしただけで、正味5時間半ぶっつづけで120km/h平均の速度を保って走っていたことになる。『I-5』をサンノゼから100マイルも南下すると、日差しが 残酷とも言えるほどに強くなり、大気の温度が一気に上昇したのが冷房をした車中でも十分に分かった。そうした日差しは 砂漠とブッシュで構成されるシリコンバレー・LA間を貫く『I-5』の路面を強烈に焦がし、それを証明するかのように 至るところにおびただしい数のバーストしたタイヤ片が散らばっていた。こうした光景はLAの中心部に入るまで延々と続くのだった。。。一方、この『I-5』はLAに入る前に長い勾配を上りきり、数10マイルに渡る長いスロープを経て市の中心部へと向かうのだが、その勾配頂上に位置するブッシュの山では熱波による山火事がくすぶっていたほどの暑さだった。。。(^-^;) 【上段左】サンノゼ・ギルロイ方面から来た152号線がI-5に当たるすぐそばにあるリザーバー(巨大な貯水用の湖)【上段中】LAはHollywood周辺。ヤシの木が美しい。【上段右】シリコンバレー・エリアとLAを結ぶFreeway『I-5』脇の荒野の光景。。。【中段左】UCLAの中心部にて。。。【中段中】さて、これが私含めた高校の同級の3人。【中段右】同じくUCLAの中心部にて。。。【下段左】宿泊した『Westin』の部屋からダウンタウンの高層ビル群を望む。【下段中】これはUCLAの例のキャンパス・ノベルティGoodsを売る売店の建物。。。かのUCLAブームを思い出す。。。(^-^;)【下段右】Hollywood Blvd.沿いのスーベニアショップ。―――――――――――――――――――――――――――――― LAに入ると、まず疲れを取るために高層ビルが建ち並ぶダウンタウン・エリアに向かい、予約済みの『Westin Bonaventureホテル』に早速チェック・インした。チェック・イン後早々、持参したラップトップPCを電話回線に接続し、高校時代の同級生であるS氏とW氏からのメールのレスポンスをチェックしたが、応答が来ていない。。。!さすがに、前日深夜に出したメールじゃ無理もないか?ということで、電話でそれぞれに連絡をつけ、少々驚いている2人と夕食の約束をしてから1時間強の仮眠を取った。仮眠からあけると、まずはW氏と会うために、早速ダウンタウンから車を西に飛ばして、見どころが ごく近い範囲に密集した『ハリウッド/UCLA/ビバリーヒルズ・エリア』に向かった。ハリウッドのスターの手形で知られる『ChineseTheater』等が並ぶハリウッド通り(Hollywood Blvd.)を流して、UCLAの敷地を簡単に見たりしながら、W氏のアパートメントに着き、しばし談笑をした。ある意味非常によく似たコースを歩んできている彼とは会社も違い、1年半ぶりの再会だが、共通の話題には困らなかった。その後、連休の狭間ですっかり静かに落ち着いたUCLAのキャンパスを案内してもらった。。。同じカリフォルニア大学とは行っても、日頃よく出かけるUCB(UCバークレイ)が日本の大学の雑然とした雰囲気をもっているのに対し、UCLAは重厚なヨーロッパ的な雰囲気が色濃い洒落た雰囲気をもっていた。。。その後、今度はいよいよS氏も加わって、皆でLAの西の端にあるサンタモニカビーチの最も賑やかなエリア『3rd Ave.』で、イタリアンの店を選び、久々の再会の祝杯をあげた。S氏は、W氏共々 私の高2~3時代の同級生であり、高校卒業と同時に渡米し、LA滞在だけでも今年で11年目というツワモノである。。。現在は日系企業をクライアントの中心に据え、会計士として活躍している。。。食事はさておき、それぞれの経験値の範囲で、米国での生活や近況などを楽しく語り合い、あっという間に夜が更けていった。。。考えてみれば、それぞれ違う選択をしながらも、卒業後18年も経ってこうして米国はLAで酒を酌み交わすのも意外なものである。。。とにかく皆それぞれのステージで活躍しているのだ。店を出てから、皆でしばしビルの上で 潮風を浴びたのだが、SFやシリコンバレーエリアに比べて随分と湿気の高いLAの潮の香は 我々3人が高校時代を過ごした茅ヶ崎の街とそんなに変わらないんだな。。。と思った。近々、今度は私が滞在するスタンフォードエリアでの再会を約束して『突然の同窓会 in LA』を終えたのだった。。。さて、2日目はまた7/6(日)のダイアリにて。。。
2003/07/05
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7/4(金)は皆さんご存知のように米国は独立記念日で祝日である。2001年911のテロ以降初めての独立記念日となった昨年2002年は、まさに私が渡米しようとしていた直前であり、米国内のテロ警戒レベルが非常に高かったことを思い出す。これを考えれば 今年の独立記念日は昨年とは比較にならないほど穏やかだったと言えるかもしれない。。。■ 参加者150名超の個人主催『独立記念日Party』――――――――――――――――――――――――そんな中、元・有名日本企業の台湾支社長だったTiwaneseのご家族の紹介で、ある日本人 実業家Oさんのお宅の『独立記念日パーティ』に誘って頂いた。この方は ここシリコンバレー一帯である4つの教室を経営されている方で、その傘下の生徒数は1500余名を数えるという。。。そんなOさんが主催するPartyは、お宅の庭で開催されたものなのだが、あまりの規模と凝り具合にすっかり驚いてしまった。何でも、今回が9回目という この『独立記念日Party』は毎年開催されるもので、周辺の方々や関係者の皆さんの間では すっかりお馴染みの一大イベントであるらしい。芝生が青々とした庭には ぎっしりとイベント用のテントが立ち並び、家と庭の間のテラス空間には本格的なステージが設置され、そのステージ上には グランドピアノ、ドラムセット、キーボード等が配置されていた。ステージ脇にはミキサー卓まで並んでいた。。。(^-^;) また、少し離れたテントの下には、数々のポットラック料理(参加者持寄りの料理)と巨大なBBQコンロが用意されていた。そこに集まった皆さんの多くは、日本人で占められていたが、総勢150名超の参加ということだった。。。 【上段左】彼が 今回この会を紹介してくれたTiwaneseの自慢の1人息子さんのTさん。この会ではバイオリンで日本の『さくらさくら♪』を演奏してくれた。【上段中】第1部の『Sopianos』の皆さん。いずれも米国を中心に活躍するプロのオペラ歌手やピアノ・プレーヤーから成る。【上段右】第2部のラストを飾ったピアノ・プレーヤーの長部正太氏とJazzシンガーの細川綾子氏。長部さんは『スイング・ジャーナル誌』で今年4月にベスト・アルバム賞を受賞。細川さんはメロウな歌声が魅力。思わず帰りがけに細川さんのCDを購入してしまった。。。(^-^;)【中段左】盛り上がりでごった返す『独立記念日Party』会場。【中段中】SFのフェリー・ビルディングそばの『Fog City Diner』の美しいネオン。。。【中段右】仲間内で、はい!ポーズ!【下段右】SFフェリー・ターミナル周辺での路面電車。このレトロなフォルムはいつ見ても魅力的。製造元はヨーロッパ各国によるもので、意外にもSFはその中古車両を使用。(^-^;)【下段中】日没を待って、フィッシャーマンズ・ワーフ・エリアの打上げ花火が始まった。。。【下段右】完全にリニューアル工事が終わったフェリー・ビルディング。ここからイースト・ベイのアムトラック(長距離列車)の駅まで送迎用のバスが出ている。――――――――――――――――――――――――――まず、Oさん自身と娘さんの司会でPartyが始まった。日本語のアナウンスはOさん自身がされ、英語の流暢なアナウンスは娘さんがこなされていた。その後、各種音楽イベントが夕食を挟んで2部構成で展開された。第1部では、この会に紹介して頂いたTiwaneseのご家族の息子さんTさんがバイオリンを弾いた(写真上段左)。彼はUCB(UCバークレイ)で数学と物理を専攻したインテリジェンスあふれる青年で、現在はメンロパークで特許弁護士をしている。最近は、その目利きの能力が有力ヘッジファンドに買われ、脅威的なサラリーを稼ぎ出しているという。。。Tさんは 私と同い年ということ、大の日本びいきであること、最近 私が特許関係で一色だったこと等から共通の話題が多く、会話が非常に盛り上がった。続けて『Sopianos』と呼ばれるオペラ歌手とピアノの混声ユニットによるプレイがあった(写真上段中)。彼女達は、それぞれ米国を中心にソロでも活躍するプロであり、SF等で よくリサイタルを開いている。その他にも、規模の大きなコーラス等が続いた。。。第1部でも盛りだくさんだったが、やがて、ポットラックとBBQを中心とした夕食の時間となった。何気でBBQを焼く係となって、汗だくになって活躍しておられたのがスタンフォードの元体育教授のH先生。。。彼は このPartyで全く偶然に久々に会った知人である。。。いつもながら全く飾らない人柄だが、何を隠そうアトランタ・オリンピックの米国男子体操チームのコーチ兼実質監督を務めた有名人である。。。毎度のことだが、本当にここスタンフォード・エリアにいると凄い人にごく自然に会えてしまって、感覚が麻痺してくる。。。(^-^;)夕食後、第2部はさらにパワーアップして展開された。複数のプレーヤーのラストを飾ったのは、『スイング・ジャーナル誌』で今年4月のベストアルバム賞を飾ったピアノ・プレーヤー長部正太氏とJazzシンガーとして知られる細川綾子氏(写真上段右)。2人ともプロであり、熱心なファンの多い著名な人達であるが、他の皆さん同様 今回は全編無料でスタンダードJazzのナンバーを聞かせてくれた。。。第2部が終わる頃には、陽もかなり傾き、日中の炎天が穏やかになり、すっかり会場はメロウな雰囲気に包まれてきた。。。Oさん、そしてTiwaneseのSさん、本当に楽しいPartyへのお誘いをありがとうございました。m(__)m 米国での大変いい思い出になりました。■ サンフランシスコでの花火イベント――――――――――――――――――― このOさん宅での『独立記念日Party』は19時半すぎに終わったので、早速 車でFreeway280号線を北に向けて飛ばし、サンフランシスコのベイブリッジのたもとまで急いだ。。。わずか1年強の米国滞在において、最初で最後となる独立記念日恒例のフィッシャーマンズ・ワーフ打上げ花火を見るためである。。。到着すると、既にベイブリッジ下からフィッシャーマンズ・ワーフに向けて人の波ができていた。。。花火は 日の長いベイエリアの事情を考慮して、日没後の21時半に開始される。辺りが暗くなると、ベイブリッジ対岸のオークランドやバークレイの海辺で、一足先に花火が打ち上がり始めた。。。そうした周囲の雰囲気と共に観客の期待が盛り上がるのがよく分かり、周囲の人の波と車の渋滞が最高潮に達していた。。。やがて、フィッシャーマンズ・ワーフの方向を向いて左右から、コンピュータでシンクロされた打上げ花火が連続して上がり始めた。。。日本の花火大会に比べ、多少規模は小さいものの、SFの金融街『ファイナンシャル・ディストリクト』の摩天楼の夜景と花火の組み合わせは非常に魅力的できれいだった。。。この花火もおそらく米国での記憶として残ることだろう。。。ところが。。。!そんな魅力的な花火が終わって、『Fog City Diner』(写真中段中)のネオンに惹かれながら気持ちよく駐車場に向かってビルの合間を通っていると、いきなり鼓膜を直撃するような物凄い大爆発音が起こった!!。。。と同時に、もともと周囲を巡回していた多数のパトロールカーと警官がそちらに猛然とラッシュをかけて集結していった。。。とっさに『やっぱり!』という悪い想像が働き、身構えながら、すぐにビル街から避難した。。。どう見ても尋常な事態ではなかった。。。翌日、ニュースを気にしていたものの、特に大きな爆発があったという報道されていなかったように思う。あの極端な爆発音は何だったのだろう。。。良くも悪くも印象的な米国の独立記念日を満喫した1日となった。。。 そして、この日から始まった3連休は怒涛のロスアンジェルス強行1泊2日の旅へと進む。。。(^-^;)
2003/07/04
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今日米国7/2(水)、ついにカリフォルニアのドライバーズ・ライセンスに合格した。ペーパー試験も実技試験も一発で通ったのだが、何せへそ曲がりな性格なのか、米国1年程度の滞在において国際免許を認めないというカリフォルニア州のスタンスがどうにもこうにも気に入らなくて長らく抵抗していたが、ついに屈して免許取得の行動に出ることになった。。。 そのいきさつをもう少し詳しく書くと、さすが国際免許も有効期間が1年だから 私の滞在には足りない。その場合カリフォルニアのドライバーズ・ライセンスが必要になるわけだが、その取得条件として ビザの有効期間が残り3ヶ月以上あることが要求され、帰国直前に滑り込み取得というわけにもいかない。一方、今回の滞在で取得しておけば、帰国後の海外出張先として最も頻度と確率の高いカリフォルニアでは何かと重宝するのは明らかである。。。そんなこんなで、やっと思い腰を上げたわけである。。(重すぎますね。。(^-^;))現在、米国は夏休みシーズンで免許取得のための機関DMV(Department of Mortor Vehicle : 日本の陸運局+免許センターに相当)が大変混んでいるため、予約の関係でこの時期まで受験がずれこんだが、手続き事態は随分前から着手していた。。。何はともあれ、気の重いタスクが完全にクリアされた。。。SSN(ソーシャル・セキュリティ・ナンバー=社会保障番号)の取得からも十分時間が経っていることから、免許の発行にも3週間しかかからないと言われる。めでたし。。。めでたし。。。※ 米国入国直後のSSN取得段階に すぐドライバーズ・ライセンスを取得しようとすると、関係データベースへの反映が未完という行政側の都合で、免許の配達が2~3ヶ月レベルで遅れること、もしくはそうしたペンディングを繰り返さえることが多々ある。。。■ ところで『Atherton(アサートン)』の街へ。。。――――――――――――――――――――――――ところで、このDMVでの実技試験合格の後、スタンフォードのすぐ目の前を走る『El Camino Real(英語でThe King’s Roadの意)』という幹線道路を通ってきたが、その際 ふと『Atherton(アサートン)』の街を見たくなった。。。なんでも、スタンフォードのお膝元 全米屈指のリッチ・エリア『Palo Alto(パロ・アルト)』よりも更にリッチと言われる街で、『Menlo Park(メンロパーク)』の北隣りに位置する街である。。。これが、行ってみて確かにたまげた。。。閑静なヤシやユーカリ、レッドウッドの木立に沿って一遍40~50mクラスの一戸建ての敷地がざらにあり、その城壁のような塀沿いの門から、色とりどりの花や鮮やかな芝生が満ちた庭を通って、まるで城のような家まで距離の遠いこと、遠いこと。。。(^-^;) 爽やかな薫風が心地よい超高級住宅街と言える。。。 いやぁ、やはり噂通り『Atherton』はすごかった。。。『Palo Alto』や『Los Altos(ロスアルトス)』等の大邸宅には見慣れていたが、更にその上を行くかのような佇まい。。まぁ、もっとも我々庶民にはとても手が届かないのは事実なのだか、夢を見るには楽しいエリアである。。。ごちそうさまでした。。。(^-^;)
2003/07/02
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この日米国7/1(火)は、例の戦略特許の打合せで、初めて本件の直接担当である当社のAttorney(アトーニー:特許弁護士)の方にお会いし、4時間に渡るミーティングを実施した。この方 勿論ネイディブではあるが、中国系アメリカンの方で、大変に細かやなことまで気付く優しい方で、会った直後から和やかに冷静に話が進んだ。 ここしばらくダイアリに書いている この特許対応の仕事も6月の中旬以来、なんだかんだで3週間続いたが、担当弁理士の方との直接対話ということで、いよいよ最終ステージと言える。その彼と今回 会うまでにはちょっとした面白い偶然があった。通常、我々エンジニアは特許を書き終えると、それ以降の国内/国外出願の事務処理や、特許のクレーム(請求項)の修正、アトーニー(特許弁護士)への対応、拒絶に対する反駁などは、会社の知的所有権本部なる組織の担当者が専門に対応することになっている。ところが、最近のコンピュータ業界のように技術進歩が極端に早い世界では、どんなに知的所有権本部の方や、アトーニーの方々が広い経験と知識を持ち合わせていても、あまりに詳細な内容にまでは、対応がつかないことが多い。特に競合他社との類似発明による特許拒絶時の反駁などはその端的な例と言える。 そうした場合は、特許の発明者・執筆者である我々エンジニアが直接対応にあたるわけだが、外国出願時は エンジニアと知的所有権本部のスタッフが日本、アトーニーは米国在住ということで タイトなスケジュールと時差に悩まされることが多い。 今回は まさにそうしたケースに相当するのだが、当初、私は担当のアトーニーの方は 米国でももっと全然違う場所で働かれているとばかり思っていた。。。ところが、双方でお互いの情報を交換すると、なんと我家から車で20分程度の驚くべき近距離に住んでいることが分かった。その場所は、まさにスタンフォードのお膝元の『Palo Alto』エリアである。。。そうなれば、話は早い。。。すかさず関係者に、発明者である私とアトーニーである彼で直接会って対応すべき旨を伝え、今回のミーティングが実現した。ミーティング自体は4時間に渡るもので、終始英語で自分の特許の詳細と、競合他社発明との違いを説明しまくる状況だったが、専門分野であるため、英語のスピーキングもリスニングも全く苦にならず、何だかとても充実して楽しい時間となった。アトーニーの方も、今回の機会で理解が十分深まったこと、競合他社の発明との差異に対して十分楽観的な展開が可能になった、とのことで大変喜んでくれた。。。さて、これで完全終結となるか。。。?ただ、状況は確実に好転している。。。(^-^)
2003/07/01
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