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昨日は1月17日阪神大震災から17年目の日 だそう。17年前のこの日、私は寝坊して昼頃まで夢の中。友人からの電話で目が覚め、大変なことが起きたからテレビ見るようにと言われ、すぐにつけたテレビの画面が映し出したのは、とても信じられない破壊された街の光景。あの日の驚きと緊迫感は一生忘れられない。そして昨年の東日本大震災の恐怖と悲しみも。17年も経ったなんて、なんて早いんでしょうね。あの頃私は何していたんだろう?あなたは何をしていましたか?人の人生は、思ったよりずっと短くはかない。毎日の普通の生活、あたりまえの日常を本当に大切にしていかなければと改めて思う。でも、きっとどんなに大事にしようとしても、何か大切なもの、あるいは大切な人を失った時には、失ったものの、大きな価値とかけがえのなさに気がつき呆然と立ち尽くしてしまうのだろうな。それが人間というもの。失うまではその価値がわからない。悲しいさがだと思う。だからこそ、人は愚かで、危うくて、一生懸命で いとおしい。
2012.01.18
先日、言霊書き方勉強会 というものに参加した。セルフカウンセリングみたいなもので、以下の流れで自分で文章を書いてゆく。1. 自分の願望、こうなって欲しい、こんなことがしたい、こういう状態になりたいという思いを書き出す2. 実際には理想の状態になっていない、心の葛藤や問題と感じていることを書き出すことで認識する3. 今、自分が現実的に理想の実現に向けて出来ることを探す4. 以上3つのことから、自分の「世界観」「人生観」「宇宙観」を変化させて、書き出す一緒に講座に参加した人が言うには、ほとんどの人が1と2を行ったり来たりして、3にはたどり着かないし、ましてや4など想像の範囲外。あるいは、1の自分の理想さえ、よくわからないという人も沢山いる。だいたい、自分でこういう文章が書けるくらい、思考と感情が明晰ならば、悩みなどすぐ自分で解決できるし、人に相談する必要もない。ほとんどの人がそうできないから悩んでいる。というご意見。なるほどそうかもしれない。で、どうやら自分が提供している「スピリチュアル・カウンセリング」は、4の新しい世界観や人間観を紹介し、その観点から3(実際の解決方策)を一緒にみつけてゆくお手伝いをするということをやっているのだと気がついた。自分が一体カウンセリングを通じて何を提供しているのか?こんな視点で考えたことはなかったけど、とても腑に落ちて納得しました。自分がこれからやるべきこと。方向性。教えてもらった気がする。今年は、大きく変化しようと思ってる。思っているというか、予感でもあり、内側から沸いてくる衝動が私を知らない場所へ連れていってくれると思う。とても楽しみでもあり、ちょっと怖い。でも、何よりも有難い。とにかくこの「わたし」は人間という生き物として、この地球で生きているってことだよね。理想も矛盾も葛藤も混乱も、全部経験させてくれて本当にありがとう!と全てにつたえたい。
2012.01.15
この正月は、「池上彰の現代史講義」http://www.bs-j.co.jp/gendaishi/という番組を興味深く観させていただきました。「へー」とか「いやー大変だ」とか「なるほどねえ」とかずっと独り言言いながら観てました。それから、この番組も観ました。「ホットスポット 最後の楽園」http://www.nhk.or.jp/hotspot/#/jp/home/schedule悠久なる地球の大自然の話と、20世紀から21世紀の現在までの人類社会の動き全く違う視点だけど、どちらの番組もとてもよく作られていて素晴らしい内容で、いろいろ考えさせられました。答えはこれ、原因はこれ、全てはこの視点で考えれば答えがでる。と、私も答えを早く出したいがために物事をついつい、必要以上に単純化して判断して、一度結論を出したら、その後考えない、見直したりもしないということ結構あります。でも、時にそれは大きな弊害をもたらすこともあります。「何かを信じる」というのは、人が生きていくために必要な心のシステムです。例えば、「何もかも信じられなくなった」という状態の人を想像しただけで、それがどんなに感情的に不安定で辛いことなのか容易にわかります。しかし、その「信じる」心のシステムが人間自身を苦難に追いやることもしばしばです。戦争、内乱しかり、全ての争いごとは「我を信じる」者同士の闘いです。そして人間(民衆)というのは、心に余裕がなくなると単純盲目思考に陥り、その時の自分の都合のよい理屈で結論づけ、その状態を継続するための共依存的人間関係をつくったり、何かにアディクション(中毒)して無思考状態を加速させるので、なかなか、そこから抜けられなくなったりもします。単純、盲目思考にはまると、本人はとても楽なんです。自分の中で悩んだり、迷ったり、色々な角度から考えて長い時間をかけて少しずつ自分なりの答えをみつけてゆくプロセスを省けます。私たちは日々忙しいし、沢山の義務と責任とプレッシャーを背負わされ、人間社会の中で生き延びるのに精一杯。だから、自分で考えるより、人の出した答えをそのまま自分の意見にする方が手間が省ける。あるいは、自分に一番都合のよい方を正しいこととして違う観点や反対意見は全く耳を貸さない方が悩みは少ない。そうするとエネルギーが節約できて、沢山の「やらねばならないこと」や「やりたいこと」が出来る。だけど、それは人類が今はまってしまっている、危険なカケだなと思いました。単純思考、ひとつの考え方への盲目的な確信。現代史を紐解くと、それは、たいてい膨大な人命が悲劇的に失われる結果に結びついているようです。何事もまずは「疑ってみる」こと。無批判に盲信しないこと。常に、反対意見や違う観点からの意見を耳に入れる機会をつくること。でも、そういう客観的、中立的な立場でい続けるのは至難の業です。だからこそ意識的に今信じていること、当たり前と思っていることを時々は、見直すようなことをしてゆきたいなと改めて思いました。
2012.01.04
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