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今週 8/22(水)に、300人規模のホールでのイベントを開催して、お陰様で大盛況のうちに無事に終了しました。今回は、舞台に上がる人が160名近い人数で、プロ音楽家たちの演奏会という形のコンサートではなく、素人の合唱団が次々と舞台に上がり発表し合う「合唱祭」という場をつくりました。そして、今回は東日本大震災のチャリティーイベントとして、友人が具体的に活動を始めている「被災地に歌を届けるボランティア活動」をご紹介し、支援のための募金を集めました。出演してくださった皆様には素敵な体験を提供することができ、募金は、予想外の多額な金額が集まりました。なので、イベントとして大成功。ある面、全てうまくいって何も問題なかったのですが、終了後になんだか私の中では変にモヤモヤして変な感じです。気持ちわるいので、ついついあれこれ理由を考えてしまいます。この経験をしたことは、これから先の何かに繋がる、そのための準備になっていると、思っているのですが、具体的に、それがなんだか分からないことにすっきりしないのか?いや、理由は、探し出そうとすればいくらでもつくれるでしょう。それで、理由探しというより、今のモヤモヤを最近読んだ、「奇跡の脳」の本の内容を参考にして、このように理解することにしました。右脳(私は魂と同義語だと思うのですが)感覚を使えば、いつでも全く問題なし、全ては完璧、全ては完全。左脳(エゴ、自我、頭、マインドなど)の感覚を使えば、すべてに疑問あり、問題を見つけようとすればいくらでも作れる、全ては不完全で完成途上。だから、問題解決のための具体的な行動が出来る。ここ1ヶ月くらいは、たった一人でこのイベントの準備をしていたので、来る日も来る日も、左脳フル回転で、様々なシュミレーションして、朝から晩まで、頭の中で上手くいく、あるいは上手くいかなくなる可能性を探し出して、それに出来る限り手を打てるように準備を進めてきました。自他の区別さえない、「すべてはひとつ、同じもの」という感覚をもつ右脳だけなら、そういうことは何ひとつできません。自分、そしてそれ以外と区別して、他者とかかわり、何か一つのもの、ひとつの形、ひとつの結果を出すためには、やっぱり「左脳」が働いてくれないとどうにもなりません。今回私の、左脳くんは、本当によくよく働いてくれました。でも、どうやら、イベントが終了して左脳くんの仕事はひと段落ついたのに、いままでフル活動していたので、急に仕事がなくなった状況に馴染めず、まだ仕事を探し、何かを成し遂げようとするモードでいるらしいです。だから、なんだか左脳くんはやることを探してでも、みつからないのでモヤモヤしている気がします。次には9/9に、いつもの小規模なコンサートを開催する予定ですが、まだそれほど具体的(事務的)な準備は必要ありません。だから今はあれこれ考えて対策考えなくていいんです左脳くんの出番はもうすこし後になってからです。(苦笑)左脳くんにドクターストップかけて、強制的にお休みしていただきましょう。実は明日の日曜日と翌週の日曜日は、人前で歌をうたう本番があります。歌をうたうときの集中力と気迫と感情移入もろもろは、「今、ここ」に意識を集中できる右脳優位でないと難しい。左脳くんの今回のイベントの仕事での活躍を労い、このブログをUPして皆様へのご報告を済ませた上で、左脳くんにはお休みしていただき、事務的なことは、今日はすべて放っておいて、これから何もしなくていい時間を過ごしたいと思います~
2012.08.25
正直、昔は「家族」というものが嫌いでした。「家族」の誰がというのではなくて、「家族」という、至近距離の人間関係があまりに重くて嫌でした。どうしたって親子関係というのは、共依存的で、力の優劣による、ある種の暴力性を含んでしまいますから。でも、さすがに年をとって、それなりに人生経験が増えて、知恵も諦めも増えてくると、「家族」のよさがようやく分かってきました。といっても、最初から無条件で家族がいいなんて思ってなかったので、かなりシビアでクールな目でみつつ、それでも私自身がどんな人とも泥沼の関係にはならない距離感が、保てるようになったということでしょうか。今は、両親と同居していますが、家族として日常的に関わることが楽しいし嬉しいと感じています。震災の後、無条件に「家族」のつながりは、「人と人」とのつながりは素晴らしいとマスコミで宣伝され、繋がりをとりもどそうと叫ばれていましたが、人と人の繋がりというのは、そんなに無条件でよいものではないでしょう。天国から地獄までの、すべての感情を味あわせてくれる人間独特の仕組みではないでしょうか?それはそれは大変そうな家族関係の中で生きている方をいま身近に何人も知っています。聞くだに心が痛むし、人間の底知れぬ感情の闇を垣間見て、やりきれない気持ちになります。でも、それも結局、その人の人生勉強で、このハンデを乗り越えて先に進むか、それとも今回の人生は、このドロドロに巻き込まれて、先に進めずに朽ち果て、次の人生というものがあるなら、そこでリベンジをするのか。どちらにしても、起きていることには意味があり、魂の次元では全てが完璧でしかない。のだと思います。いや、そう信じることにします。そう信じないと、生きるのしんどいしね。わたしは、今回の人生はとにかく楽しく過ごしたい。精神の自由が何より好きです。もしかして前生が、思い出すのも辛いような、相当大変な人生だったのかもしれません。自分の人生に対する享楽志向は、その反動なんじゃないかなとよく思ったりします。なんであれ、今、この瞬間に感じる感情は自分自身が選んでいるものですから、あまり不快なものに執着しないよう気をつけたいと思います。では、おやすみなさい。
2012.08.15
7/21にブログ書いてから、もう2週間以上。ご無沙汰してます。今日までに、2回くらいUPしようと試みたのですが、ちゃんとまとまりのある文章にしようと思ってしまったら最後時間が足りず途中で挫折、放棄して、お蔵入りの文章がたまってしまいました。(苦笑)もっと、サクサク文章書いて、それほど校正しないでUPデキタラどんなに楽かしら?と思うのですが、文章書くのは、好きだけど、苦手みたい。ところで、前のブログの後にすぐ書こうとしていたことは、「右脳」と「左脳」のことについてですが、「奇跡の脳」を読んで自分のことがいろいろ分かってきた気がしてなんだか今まで以上に楽しく、ラクになってきました。「こんな変わり者の自分のこと、書いたって仕方ないよね。」と、いつも思ってしまっているのですが、今日はあえて、自分のこと書いてみます。何かしら、だれかの役にも立ちそうな気がするので。この「奇跡の脳」という本を読んだところ、わたしは、いまは、かなり右脳の感覚を優位にして生きているみたいです。ここ10年位でどんどん右脳優位型になってきている気もします。会社辞めて、毎日毎日、しかも一日中パソコンばかりいじる生活をやめたせいかもしれません。パソコンは左脳酷使しますから・・・「右脳」の感覚とは、本も参考にすると、例えば、今、この瞬間しか気にしない幸せで楽しいことが大好きフレンドリーいつもハッピー楽観的感情を我慢しないで表現するというのが、右脳の人格の特徴らしいのですが、自分で思う限りは、私はほぼそういう風に生きています。(人から見ると違うかもしれないけど?)もともとが、割りと楽観的でおおらかな(おおざっぱ)な性格ではありますが、それでも、10代、20代、30代とかなりウツっぽくて気難しい性格だったので、40代に入ってから、年のせいでずうずうしくなったせいか、何かふっきれたのか?ずいぶん性格が子供返りして無邪気になりました。でも、左脳が批判的にみると右脳のこれらの性格はこう見えます「今、この瞬間しか気にしない」「幸せで楽しいことが大好き」というのは、 = 刹那的、快楽的、無責任、自分勝手、無計画フレンドリーいつもハッピー楽観的感情を我慢しないで表現するというのは、無防備、怖いもの知らず、慎重さに欠ける、リスクマネジメントがなってない人の心に土足で入り込むずうずうしさ、無神経、粗雑、品性に欠ける、人の心の傷に対する無理解、配慮のなさ、大人気ない、ということろでしょうか。(まだまだ あるでしょうけど)近しい人から、はっきりこんな風に言われたり、叱られたり、非難されることは日常茶飯事なので、周囲がわたしのことをどう感じるか、マイナスの評価はそれなりに知っています。母や親友たちは、結構、みなさん言いたいこと私に言ってきます。多分、私は言われてもほとんど気にしないから、言いやすいのでしょう。 右脳優位でいることは、とっても幸せで楽しいのですが、現実的には、かなり困った人でもあります。自分がイヤなことや不得意なことや出来ないと思うことは、基本やりません。逆に、人の手を借りて助けてもらうこと、わりと平気です。だからずうずうしいと思われることもあるでしょう。でも、右脳は「人類みな兄弟」みたいに感じているので、多分わたしは知らない人に対しても、かなり親切な人です。自分で言うのもなんですが。自分が親切なので、人の親切も遠慮なく受け取れます。ところが、本人は本当は嫌なのに、義務感やプライドやいい人に思われたくてしてくれる親切は、私はその本心が見抜けないので、よくトラブルになったりもします。世の中、善意や親切な人ばかりではないし、自分が損をせずに得をすることばかり考える人もいるし、憎しみや怒りに満ちて、周囲の人を自分と同じように不幸にすることに快感をおぼえる人もいるそうです。でも自分が右脳優位でいると、そういう人の悪意に対して鈍感になるので、嘘が分からなくなるんですよね。みんな「いい人」にみえちゃうし、疑わずにそう信じてしまう。たまに大きく騙され大怪我します(苦笑)でも、私が知っている99%の人はいい人です(爆)右脳はあくまでもこんな感じ。で、自分自身の左脳的人格も、周囲の左脳優位の人も、右脳優位人格の「わたし」の生き方ががあまりに危なっかしくて、しっかりしてないので、心配しちゃうんですよね。で、確かに「うわー!」と思うような失敗、時々やります。先日は、車ぶつけて廃車にしてしまいましたわ。 とほほ自損事故で不幸中の幸い。失敗後は、一時的に左脳優位になります。今後は注意深く、慎重に生きるように心に誓います。同じ失敗は繰り返さないように今まで以上にこのことに対しては慎重になります。一方、右脳は・・・・学ばないんだな、これが。なんたって、楽観的だから。で、普通は、この左脳は、この世で現実的に生きていく上では、右脳の保護者みたいなものだから、痛い目にあうと、左脳が右脳を叱って、右脳の行動を押さえ込んで、安全だけど、不自由な状態にしちゃう。その結果、誰もが知っているあの状態になる。「世間的にも立派で評価が高い生き方してる(求めてる)けど、心は退屈、あるいは怒りやストレスが溜まっていて、疲れやすくて、楽しくない」になっちゃうんだと思う。でも、私はそうしないことにしてる。というか、それが出来なくなってしまってるみたい。それは、左脳優位で突っ走っていったときに人生で行き着く先を、もう20代の時に実感して体験してしまったような気がしているから。だから、左脳優位にして生き抜く人生は、私にとっては生きる意味も価値もないと感じてる。それで、この危なっかしい、失敗ばかりする、無邪気な右脳的な人格をたとえ失敗しても、できるだけ押さえ込んだり、いじめたり、戒めたり、罰を与えたり、しないような生き方をすることにしてます。右脳は猫みたいなもの。気まぐれで、媚びないし、好き放題で、何の責任もとらず、人使いが荒いんだけど、こちらがお仕えすると、どちらも超ハッピーになれる。左脳は、右脳をお姫様のように大事に扱い、自由にさせてあげて、陰で、支えたり、心使いをしてあげれば、結局、右脳も左脳もともに幸せな気分でいられるんじゃないかなあ。と思う。自分を振り返ってみて、そうなるために、必要なことは、とにかく執着をなくすことだった。自分の肉体的生命についてもしかり。起きることは全て運命、あるがままに受け入れ、起きたことを諦め、起きなかったとこを諦め、どちらにしても、もっとも宇宙的に意味のある完璧なことが今、起きていると信じきり喜ぶ理由をつくる。それだけのこと。わたしも、40代に入り、徐々にそう思えるようになるにつれて、左脳が右脳を自由にさせて上げられるようになったみたい。あーながくなったね。今日はもう読み返さないで、このままUPします。右脳が書きたかったこと、左脳がチェックすると、もうUPできなくなっちゃうから。これは、わたしの単なるひとりごとで書いてます。ききながしてくださいませ。ではおやすみなさい。
2012.08.07
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