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でぇくさんの話のつづきです。肝機能が戻り、また、抗癌剤投与の日がやって来ました。これまでも、お元気はお元気で、でぇくの仕事もこなしてますけども、副作用ってヤツはやはり、それなりにやってきてました。そりゃ、普通に辛い。でも、それが過ぎれば元気を取り戻すの繰り返しです。ところが、今回はちと違った。頻繁な下痢、腹痛、発熱。。。それも40度超え本人の感想をそのまま書くならば、「死ぬほど辛かった」状態です。さすがに参り、いつもの病院へ。そこで、今度は腎機能がおかしくなっていることが判明。入院の話もでましたけど、本人、これを拒否。週明けにまた通院という約束をして、解熱剤貰って、点滴受けて帰宅。家に帰ったのは良いけれど、いよいよ動けなくなってしまったらしい。家の中の移動が、一苦労どころか重労働。下痢なのに、トイレに行く体力もない。それに何故か、手足がこわばる。そこで再びメールが届きました。 こんな状態なんですけど、入院した方が良いですかもちろん、早く病院へと返事。酷い下痢からくる、脱水症状による電解質異常だと思ったんです。人間の体は、電気信号で動いているようなもの。電解質のバランスが崩れれば、筋肉に正常な信号を送れない。筋肉って、何も手足だけじゃなく、臓器だって筋肉。脱水症状を侮ってはいけない、意識が飛ぶこともあるからと、多少、脅しを入れつつ、入院を勧めました。それから連絡はパッタリ・・・どうしたのか、どうしているのか、気になって仕方ない。でも、状態が状態だから、連絡したくても出来ないのかも。。。だからじっと待っていました。米村先生には、今回の件も逐一報告を入れていたので、米村先生の方から、どうなったと聞かれ、それで、こちらから連絡を入れてみました。具合の良い時で良いから、落ち着いている時で良いから連絡くださいって、遠慮しつつメール送信。すると、本人から返事が直ぐに返ってきました。あの後、入院するべく家を出たのは良いけれど、まるでカタツムリのような動きで、何時もなら30秒で動ける長さを10分かけて動いたそうな。車に乗り込んだ途端、意識が飛んだ・・・んだそうな。(脅し文句だったけど、本当に、意識が飛んでしまいました)ご家族が、大声で何度も何度も名を呼ぶと、意識が戻ったんだそうな。病院に着くと、クレアチニンが6もあったそうな。レントゲンを撮ると、ナント、肺気胸が見つかったんだそうな。まぁ、あれやこれや大変だった・・・そうな。(・・・ってシャレにならん)入院時の大事件を書きつつ、今もまだ入院中なれど、全てにおいて正常値に戻り、食欲旺盛。間食にカップラーメンを食べたとか、昼間はヒマだから、家から近いので家まで歩いて脱走しているとか・・・まぁ、人の心配をよそに、あっかるい内容。安心したら、ちょっとあったま来てしまい、 ヒマとか言うなら、もっと早くに連絡寄越さんかいって返事に書いて送ってみた。私、これまで患者さんを怒ったことはないです。基本、女性と患者さんには優しい(つもり)なんで。私が怒鳴る相手と言えば、うちの博士と米村先生くらいのもの。そしたら、また直ぐに返事。 姉貴に怒られているみたいです 怒られるうちが花ですですってまぁ、兎に角、今は退院して元気になったんで本当に本当に良かった。肺気胸って、痩せている男性に多い症状で、これ自体は癌とは無関係で起きます。肺に穴が空いてしまい、肺が十分に膨らまない状態です。今回は肺気胸と、副作用の下痢による脱水症状があいまってしまったよう。それと、以前からちょっと尿路感染症があったようで、これも原因みたいですねぇ。。。とにかく、ようやく安心できた私でした。ちなみに。。。私が怒鳴ると、どんな反応をるすかと言うと・・・米村先生は 「くっくっくくく・・・」って笑うし、うちの博士は、「ウンチ出てないの」とか言うしぃ・・・あーーーーーーーーもぉどいつもこいつもぉ
2014年06月26日
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今日は、あのでぇくさん(以前は30代後半と書いてたけど、今は40代突入)の話です。4月11日以来となります。これまでの経過を簡単に書くと。。。腸閉塞の手術で虫垂癌が判明したのが、2011年夏。それから半年後の2012年2月に腹膜播種で再発。PET CT 検査でわかりました。2012年夏に米村先生受診し、その後米村先生の手術を受けたのが、2012年の秋。米村先生の術後1年8ヶ月ってとこです。その後の元気ぶりは、時折、書いてきました。前回の4月には、お元気な近況を何時ものように書きましたが、その直後に突然の体調不良・・・・術後は、XELOX を受けていましたが、半年くらい経つと、術後直後は正常値だった腫瘍マーカーが少しばかり高くなってしまいました。何せ、米村先生の手術を受ける前はCA19-9 が800超えた時期があり、正常値に下がるって、スゴイです。術後は、治療を請け負う地元の医師が実に熱心でね。少しばかりのマーカーの上昇ではあるけれど、心配し、治療メニュー変更となり、今は、IRIS療法です。治療メニュー変更したら、腫瘍マーカーは正常値に。変更して8ヶ月が経過。4月11日の日記に書いたように、普通にお元気で、普通にでぇくやってました。ところが、ところが。。。突然の、肝機能低下本人が、鏡で見てハッキリわかるくらい白目が黄色い。そう、黄疸が出ました。ビルビリン値なんて5を超え、絶対何かおかしい。。画像上、どうやら胆管に異常があるようで、地元で手術の話が出ました。肝臓というのは、沈黙の臓器と呼ばれるほどの我慢強い臓器です。ここに異常が出るということは、そうとう頑張ったけどもう限界って、肝臓が悲鳴を上げたということ。我慢に我慢を重ねただけに、改善にはその分、相当時間がかかる・・・ものだと思ってました。それが、手術をどうしよう、地元で受けるか米村先生にお願いするか・・・って、真剣に悩んでいるうちに、異常な数値だった肝臓の数値が全てにおいて下がり始めました。黄疸も消え、ビルビリン値も正常に。何だかわからないまま、手術する必要もなくなり、もしや再発ってな疑惑も出たけど、そうとも言い切れず・・・何と言っても、再発ならこんなに早く正常値にはならんだろ・・・(これ、地元の医師と米村先生の共通見解)ってな具合で、じゃ、また何時も通りに抗癌剤治療ね・・・って落ち着いたのでした。この時も、米村先生との連携でドタバタ落ち着いたんで、本人も元気になったんで、めでたしめでたしでまた IRIS療法が始まりました。そしたら・・・今度は長くなったんで、次回に。これ、直ぐ、書きます。ご心配なく、本人、私から怒鳴られるほど、今、元気なんで
2014年06月25日
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ふと気づけば、かなり更新をサボってましたねm(_ _)mまぁ、何かとドタバタです緊急連絡も幾つかあって、早急に対応ってな感じです。こういう時って、大概、一つじゃないんです。で、患者さんサイドからの連日の連絡は普通ですけども、今回なんぞは米村先生からも、連日電話がくるほどの緊急度でした珍しく米村先生、マメに報告なんかも下さいまして、お陰で今回は、患者さんに不安を与えず、スムーズでしたけどね。はい、困った時の皆さんの為のひろりんでございますまぁ、今日はこの話は置いておいてですね。あのGWのドタバタの一つをお話しましょう。もう何年ものお付き合いのある40代の女性患者さんの話です。何度かここでもご紹介してますんで、長年の私のブログの愛読者はどの患者さんの話か、見当がつくと思いますけども、今回の話は、彼女に恥をかかせちゃいけませんので、敢えて伏せます虫垂癌・腹膜播種からの闘病開始でしたけども、米村先生の手術を受けて、もう5年経ちます。そんな元気な彼女なんですが、ある日、ご主人からメール。 「妻が、便がしばらく出ない、腸閉塞かもしれないって言って、 自己判断で絶食始めました。 さすがに数日、絶食するとフラフラになってしまって、 今日、近所の病院で点滴を受けに行ったんですが、 そこでも、腸閉塞気味と言われ、大きな病院での検査を勧められて帰宅しました。 どうしたら良いでしょう。。。」という内容。 焦ったのは私です元気だとばかり思っていたのに、再発なんて思いもしなかったのに、この間の検査では何ともなかったのに・・・突然の再発 なんて事は、過去に何度もありましたから。。。慌ててて電話入れました。するとご主人、バツが悪そうに 「すみません、妻には内緒で相談メール送りました 今、ここに妻がいますので、電話代わっても良いでしょうか。」と言われる。すると思いの他、元気で明るい声が聞こえました。 お久しぶりです~ (あれ、元気そうやん)拍子抜けしました。ですが私、この時、既に米村先生に電話を入れており、直ぐに外来に来るように伝言を預かっておりました。だから、米村先生の伝言をそのまま伝えると やだなぁ、米村先生もひろりんさんも、大げさなんだからぁと言って、きゃははっは・・・と笑います。 大阪まで行く程のことじゃないですよぉと言われて、はいそうですかと引き下がる訳にはいきません。アタシもこの道13年越えてますから。そう言わないで、ねっ、念のため、あくまでも念のためだからもう予約は取ったからと、なだめてすかしてご機嫌とって・・・(ちょっと大袈裟ですが)すると、渋々 「まぁ、考えます」 ってとこまで持っていったここで私との電話は終わったけど、その後、ご主人は相当怒られたらしい。忙しい米村先生とひろりんさんに、余計な手を煩わせてって。本人、私の手前、まぁ、行ってもイイですけどって感じで収めたけど、やはり、行きたくないようで、こりゃ、予約もドタキャンだな・・・って思ってました。まぁ、気持ちは何となしにわかるんです。沢山の患者さんの声を聞いてきましたから。打ち消したい気持ちが大きくて、勘違いって思いたくて、不安と心配を表に出したくなくて、出しちゃうのが怖くて・・・みたいな。その後、ご主人が説得を続けたようです。本人、行かないって言い張っていたけど、やはり便は出ない。お腹は張る。。。何より、本人、癌発覚時に腸閉塞を経験してます。その時の感覚に似ている・・・これ、本人にしかわかりません。さすがに折れてご主人に言いました。 大阪行くから、お金は出してよねご主人、お小遣いから出したのか、ヘソクリから出したのか、交通費を工面。そして大阪へ。米村先生ご自身が、受診予約やら検査予約やら入れていたので、当日は、実にスムーズ。で結果なんですが、再発ではなく、腸閉塞でもなく胃が疲れていただけ。仕事絡みで、月に3度もフレンチや、イタリアンのフルコースを堪能したんだとか。受診時に米村先生が、 いやぁ、再発かと思って心配した~ と言ったんだそうな。特に必要な薬もないけど、整腸剤として漢方を処方されたらしい。結局、るんるんで帰宅。ご主人が、直ぐに連絡をくれたので私も、ホッとしました。いやぁ~、良かった、良かった。。。で、ふと気づいた。あっあれほど、大阪行きを勧めたのはアタシやんか。ご主人に、かなり出費させても~た。奥さんは元気だけど、ご主人の懐は相当、寂しくなってしまったんじゃなかろか。あっちゃ~、どうしよ~ご主人、「安心料と思えば、安いもの」って笑ってたけど、ひもじい思いをしているんじゃなかろか・・・と、今度はご主人が心配になった私でした
2014年06月19日
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昨夜、ある患者さんの娘さんからケータイにメール着信。「くだらなくてスルーしようと思ったんですけど、お知らせだけしておきます」って。この娘さんとも長年の付き合いで、私が信頼している方の一人。どうやらどこぞの掲示板に 「スキルス胃癌サポート ひろりん」のなりすましが出没しているようです。私はこの楽天ブログと、ヤフーブログ 共に名前は 「スキルス胃癌サポート」以外に、一切書き込み等致しておりませんので、目にされた方、ご注意くださいませ。それ、私じゃないです。。って私は目にしてないんですけども。また、私、かなり疎くてですねぇ、こういう事態はまったくもって気づかず・・・なんです。そもそも、老眼入ってきて目が辛くなってきているのに、小さな文字の羅列なんて、見る余裕なし。そこでは、相当の嫌なヤツらしいですよ、ひろりんってヤツはまたまた逆に、これまたある掲示板では、私を褒め称えて下さっている方もおられるそうで・・・これも、この娘さんが教えてくれました。これまた、全くもって気づかず・・・でスミマセン。そしてありがとうございます先日、ある冬の晩の切ない思いを書いてから、当の奥さんから、今度はエールを頂いた話を書きました。そしたら今度は、丁度一周忌を終えたばかりのご遺族からメールが届きましてね。面白いことに、患者さんのご主人からはケータイに、実のお兄さんからはPCに、ほぼ同時に届きました。どちらからも、本当に暖かなエールでした。 「ありがとう、ずっと応援します、頑張って下さい」と。ひろりんは相当の悪者で嫌われ者らしいですが、こう思って下さるかたもいて、結果的にバランスって取れているんでしょうかねぇ。。。私、悪い評価も自分だと認識してますんで。否定は致しませんです、はい、それも当たりなんでしょう。ここからが、肝心のテーマです。このブログでは、何度も登場している、スキルス胃癌の患者さんの話です。以前は、50代・男性って書いてましたけど、今は60代・男性にチェンジ6年前、2008年9月に胃癌、それも印環細胞癌の手術を受けました。この時、癌は胃壁を通過している状態ながら、腹膜転移は認められず。リンパ節にも転移は見つかりませんでした。ですが、癌が胃壁を浸潤していたことから、術後はTS-1服用となりました。ですが、数ヶ月後には腫瘍マーカーが上昇。CA19-9 57120経過を見る限り、検査結果も踏まえ、腹膜播種による再発と決定付けられたのが2009年2月。その後、米村先生のもとへ。ここで本格的な腹膜播種の治療開始となりました。そう、腹腔内化学療法です。初回の投与で、腫瘍マーカーは60台に下がり、その後も順調に低下。2009年の秋には、標準値に。様子をみているうちに、今に至る。。。という何とも不思議な患者さんです。米村先生、腹膜播種で飛び込んで来られたこの患者さん、「腹膜播種じゃないんじゃないかなぁ」と首を捻ること5年です。ただ、胃癌とは無関係に途中、甲状腺癌が見つかってます。米村先生が、たまたまひらめいた検査で見つかったというこれまた、不思議な結果でした。ある意味、幸運でした。胃癌になった時、2人のお子さんは大学生になったばかりでねぇ。。。自営業だし、会社畳むか、売り飛ばすか・・・とにかくもう、お先真っ暗の癌発覚でしたけども、今は、この患者さんご自身が、事業拡大するわ、2人のお子さんは、この春、見事に国家試験にパスして新たな道を歩き始めました長年、お付き合いさせて頂いていて、この方も私が信頼する方の一人です
2014年06月11日
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辛い話はスルーしたい方は、また別の機会ということで6月2日に、「届かぬ訃報 ある冬の夜 大腸癌・腹膜播種」 と題してブログを書いたら、この患者さんの奥さんからメールが届きましたのでご報告します。今も、このブログを時折、訪れてくださっていたようです。「お礼とご報告が遅くなって誠にすみません」との前置きがあって、その後の経過が書かれていました。私のケータイにメールが届いたのは2月のある晩でした。その後の緩和ケアでの状態が書かれていました。「緩和ケア」 と一言で申しましても、患者さんの状況や環境はそれぞれ違います。この患者さんは、危篤と言われてからも3週間は院内を自由に歩きまわっていたそうです。旅立つ2日前まで、自分でシャワーを浴びたりと、それなりに入院生活を、言うならば 「普通」 に過ごしておられたようです。とても残念でなりませんが、3月下旬に旅立たれたと。。。発病(2013年4月余命宣告)から闘病(手術は2013年秋)、そして旅立ちまでの時間は、決して長いものではありませんでしたが、患者さんも奥さんも、米村先生に本当に感謝されていました。そうでなければ、緩和ケアに移るにあたり、気持ちで負けない為に米村先生からエールが欲しいとは言われないでしょう。何より、共に戦ってくれる医師と出会えたことが心の支えだったそうです。以下の文面は、そのままの抜粋です 夫は、残念ながら亡くなってしまいましたが、 米村先生という使命感溢れる先生のお力を借りて 共に、戦えたことは、夫婦の誇りです。 米村先生と、ひろりんさんが 全力で私たちに 力を貸して下さったことに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ここは力入れて申しますが、私は本当に感謝されるようなことはしていないので、ここで出てくる「ひろりん」はホントあつかましい限りなんですが。。。そして不思議なことが。この患者さんが旅立たれた翌々日、米村先生から どうしとると電話があったんだそうで。。。奥さんが、「主人の魂が大阪に御礼を言いに行ったものと思います」って言われます。たまたまの偶然と言ってしまえば、それまでですけども、昔から日本には 「虫の知らせ」 という言葉もありますからね。そう思っても良いですよね。今、奥さんはご実家に戻られ、ご主人との夢を叶えるべく努力を始めたようです。2人でお店を持つのが夢だったそうですよ。辛くて悲しくて、寂しい思いはあるはずです。でも、そんな気持ちに負けないご主人との夢がある。。。悲観的な内容は何もありませんでした。訃報を知らせることで、私が落ち込まないように、辛い思いをしないようにと、暖かく深い思いやりも感じました。米村先生の治療は、時に批判の対象にもなりますが、この患者さんの奥さんは、それもとても心配されていました。「私達の選択は、何も間違っていなかったと 胸を張って断言できます」とありました。米村先生ご自身は 僕は医者やから、病気を治さないかん 治せんかった時は、ほんま悔しいんですわと常々仰います。結果的に治せなかったけどこの患者さんと、奥さんのお心はちゃんと伝えようと思います。それから。。。今度は私がエールを頂いちゃいました。 ひろりんさんを応援し続けますって
2014年06月08日
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久しぶりに、あの 「覚悟が足りない」虫垂癌の患者さん(70代・男性)の近況です。昨年の4月以来ですから、ホント、久しぶりになります。簡単に経過を書くと2011年秋に虫垂癌・腹膜播種が判明。この時、腫瘍マーカーのCEA が25 ありました。ゼロックス + アバスチン の治療を受けておられました。米村先生の元へ来られ手術となったのが、2012年4月です。腹膜切除と術中温熱療法です。人工肛門となりましたが、ご本人、想定外でしたが、あっさりと新しいご自身のお体を受け入れました。その後の経過は、時々書いていました。術後も抗癌剤治療は続いてましたが、本当に心身共にお元気だったんです。それが、2013年夏に再発が認められました。同年秋には、CEAが30にまで上昇。それで、再手術となったのが、今年の1月です。開いてわかったんですが、今回は腸間膜やら小腸、左右の横隔膜に癌。骨盤内にも播種、肝臓の表面にもポチポチと癌がありまして。。。兎に角切れるだけは切りました。小腸なんて1.5M切ってます。今回も温熱療法を行いました。上記の内容からおわかりになりますように、さすがに今回ばかりは術後の回復が思わしくなく、大変な入院生活となりました。消化管穿孔は起きるし、廃液は多量に出てくるし・・・ご本人は辛すぎて、「もう死にたい」 とまで漏らすほどです。私も今回ばかりは、もう相当厳しいと思いました。このまま退院して自宅療養しても、回復は期待できないんじゃないか・・・そもそも、小腸が短くなっているんだから、食べても食べても、栄養の吸収率は低い訳だから、どこまで栄養として体に回ってくれるかわからない・・・お歳を考えれば、もう元気になることはないかもしれない。。。真剣にそう思ってました。入院期間は延長され、約2ヶ月となりましたが、何とか退院にこぎつけました。この時点では、よく連絡をくれる娘さんも、「今までのように、数時間かけての通院は無理」と思ったそうです。もう、米村先生にも会えないかもしれない。。。って。実際、家に帰っても本人、寝てばかり。リハビリなんてする気にもなれないのか、体が動かないのか・・・全然、前向きじゃない。と・こ・ろ・が・・・つい先日、米村先生の外来日だったんですが、ご本人が車を2時間運転して、米村先生を受診。まぁ、普通にお元気。なのに、以前、腫瘍マーカーは高い。恐らく、癌は以前として残っていると思われるんだけど・・・更に驚くのは、術後、あんなに苦しい思いをして、辛い思いをして、「死にたい」 とまで呟いていたのに、米村先生に また、手術してくださいと言ったとか。。。寝てばかりだった筈なのに、今では、ゴルフまで行くようになったんだとかいやぁ。。。コレ、完全に良い意味での想定外でした。。。まだまだいけますな。
2014年06月06日
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癌の治療は、患者さんに選択権がある病気です。「治療をしない」 という選択肢もある、変わった病気でもあります。あるスキルス胃癌の若い男性患者さんが、こんな事を言いました。この患者さん、腹膜播種だけではなく、腹部大動脈周囲のリンパ節に転移があること、尚且つ、鎖骨近くにあるリンパ節(遠隔転移)にも癌がみられることから、手術不能、延命治療しかないと言われました。納得のいかないこの患者さんは、腹腔内化学療法に治験で参加している某大学病院を訪れます。この治験は、TS-1 + シスプラチン 療法との比較検討試験となっています。簡単に言うと、現在のファーストラインの胃癌の治療法である「 TS-1 + シスプラチン」と「腹腔内化学療法+全身化学療法」のどちらの手法が、より延命できるか・・・の試験です。治験ですから、患者さんには条件が設けられます。同じような患者さんを集めなければ、比較検討になりませんからね。で、某大学病院にセカンドオピニオンで訪れたこの患者さん、残念ながら治験参加条件を満たさず、希望の治療が受けられませんでした。鎖骨リンパ節への転移が、ネックだったんです。この大学病院の医師、患者さんがお若いこともあって、単に治療対象外で門前払いをするのは気の毒だと思ったようで、米村先生の紹介となりました。それで、米村先生を受診され米村先生の元で治療を受ける事になったのですが、決め手は、医師の姿勢でした。 地元病院の医師が、治療に前向きな姿勢を見せてくれたら、 地元で治療を受けても良かったんです だけど、地元の医師にはそれが全くなかったそう言われました。病院を渡り歩くうちに、自分の置かれている厳しい状況は感じていました。例え、駄目であっても、治そうという姿勢の医師の治療を受けたいと思ったようです。また、つい先日のこと。やはりお若い大腸癌・腹膜播種の患者さんが米村先生を訪れました。地元では、延命治療しかありませんと断言された患者さんです。ご家族が必死に病気の勉強を始め、私のブログに辿りついたようです。どこを調べても暗い情報しかない。どれほど、この病状が厳しいものなのか、嫌と言うほど知りました。ですが、先のことはわかりませんが、少なくても、今は 「延命治療しかない」とか、「緩和ケアの選択肢」 を選ぶ時期じゃないと思っています。同じ治療なら、前向きになれる治療を選択したいのです。この方の言われることは、実にもっともだと思いました。経験を積んだ地元の医師が言うことにも嘘はないでしょう。裏付ける情報も溢れ返っています。でも、それも真実かもしれないけど、今は受け入れられない。希望を持ちたい、駄目だったらまた考えるけど、今はその時じゃない。だから、米村先生の治療を選びますと。。。結局のところ。。。こういうものじゃないでしょうか。癌には色々な選択肢があります。何を選ぶかは、タイミングというものがあります。体と心がマッチした治療を選択する必要性を感じています。
2014年06月05日
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良いお話ばかりを書いていたいところですが、どう取り繕っても、腹膜播種は圧倒的に厳しい病状であるのは偽りの無い現実なので、そういった厳しい現実も書き残すことが、私のポリシーです。良い話も、そうではない話も踏まえたうえで、治療の選択をされて頂きたいと私は思っております。ですから、今日の話題はスルーをご選択の方はここまでということでまた、別の機会にご訪問くださいませ。今年の2月の夜のことです。ある大腸癌(40代前半・男性)の患者さんの奥さんから、ケータイにメールが届きました。これまで、PCには何度かメールのやり取りはあるものの、ケータイへのメールは初めてでした。夜9時を回っていたこと、ケータイへのメールだったことから急用であることが想像できました。実はこの1ヶ月ちょっと前から、患者さんの状態が芳しくない連絡が届いてました。大腸癌・腹膜播種で米村先生の手術を受けたのは2013年の秋です。大腸全摘、小腸も部分切除、そしてストマ造設です。小腸を焼いたとお聞きしておりましたことと、切除内容から、かなり厳しい状態であったことがわかります。何とか取れるだけの癌は切除した・・・と言ったところです。切らねば、直ぐ目前に大変な事態が待ち受けていたとも言えます。ですが、手術をしたものの、回復は思わしくなく、術後の抗癌剤治療も滞るようになり、体力も衰えてしまったとこの1ヶ月ちょっと前に連絡がきていたのです。この時、米村先生の外来予定日が、1ヶ月後にあって、外来に出向くのが今の目標であり、希望だと書かれていました。この患者さん、遠方の方で飛行機での移動となります。ですから私は、 「ご本人の移動は大変でしょうから、当日は奥さんの代理受診でも大丈夫ですよ それも、季節的にも遠いから大変ですよね なら、データだけ米村先生に送るという手もあります」と返事しました。データを郵送で送る方が早いし、簡単で安いですが、直接、米村先生とお話したいという方も少なくないんです。この時、米村先生と地元の担当医との連携は既に取れていましたけどね。この1ヶ月後の夜のケータイメール着信となったのですが。。。そこには、 「残念ながら、もうどうにもできないことを悟りました 米村先生の外来にも行けなくなりました 本人も緩和ケアに移行する決心をしました でも、本人は諦めたわけではなくて、 緩和ケアに移るにあたり、米村先生からエールの言葉が欲しいと申します 勝手なお願いですが、この希望を叶えて頂けないでしょうか」とありました。冬の夜のことでした。何とも切なく胸に沁みていきます。翌日、米村先生に電話を入れて、この患者さんのご希望を伝えました。 そぉかぁ。。。と呟かれた後、 よっしゃ、じゃぁ・・・と細かな指示を出されまして、直接、米村先生と患者さんが話せる手はずを整えました。 先生もお辛いですねぇ・・・ まぁ、しゃ~ないねぇ と言ってため息です。このご指示を患者さんの奥さんに伝えると、大層、喜ばれました。その後のことはわかりません。連絡が途絶えたままです。厳しい状況の中、ご自身の死期を悟る時の中でも、一瞬でも心から笑えた瞬間があったことを願うばかりです。
2014年06月02日
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