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久しぶりに、本当に久しぶりに、胃癌患者さん(30代・女性)から近況メールが届きました。かなり前(2012年7月13日)に、この患者さんの話は書いています。2012年4月、体調不良で病院に行き、胃カメラを受けると癌が見つかりました。その後、癌専門病院に転院し、そこで腹腔鏡検査を受けると腹膜播種であることが、わかりました。腹膜播種が判明して、「助けてください」 って私にメールが届いたのが同年7月でした。その時のドタバタ劇を、2012年7月13日の日記に書いてます。胃癌って言っても、彼女の場合は未分化の癌。つまり、癌の中でも悪性度が高い癌とされます。今は、あまり未分化って言葉は使わなくなり、低分化の癌に含まれるようになりましたが、その昔は、高分化、低分化、未分化って区分けだったんです。米村先生の元へ行く直前に、ドタバタ劇があったんですけども、セカンドオピニオンの後、全身化学療法+腹腔内化学療法を経て、同年10月に手術となりました。米村先生の手術を受けた方は、皆さんが頷くところでしょうけども、ベッドの回転事情から、長期入院が難しく、できるだけ早期の退院をお願いされます。米村先生の元へ来られる患者さんは、どなた様も、 「直ぐに手術しないと、死んじゃうんじゃないか」って不安にかられている方ばかりで、実際、直ぐに死んじゃう事はないですが、それでも、早く手術した方が良いことは確かな訳で、ベッドの回転事情ってヤツがどうしても生まれちゃうんです。この患者さんも例外ではなく、早々の退院を促され、退院後は、地元の病院で継続入院となり、体調の回復を図りました。この患者さんの場合、原因がよくわからなかったんですが、退院してからも、痛みが消えません。調べても、これと言った原因は見つからず、それでも、本人は相当の痛みで、麻薬系の鎮痛剤が何時まで経っても手放せず、痛みのせいで、殆ど寝てばかりの毎日が長期い渡りました。 何故、こんなにも痛みが続くのでしょうって何度もメールが届いたものです。いつか、痛みは消えるからって言い続けるしかなかったですねぇ。これは何も、あてずっぽうで言った訳じゃないです。過去にも、同じような患者さんがいらして、えっ?まだその薬を服用しているの?って驚くくらい、麻薬系の鎮痛剤を長期使っている方がいましたからね。それでも、何時しか不要になりましたから。だから、痛みはいつか消えるって言い続けたんです。こんな状態が、長らく続いたものだから、食事もなかなか摂れず、体重は減り続け、激減ご本人の自己申告なんですが、ナント30kg もの激減(これは、ここだけの話にして下さいよ、元は80Kgあったそうです)とにかく、毎日痛いわ、起き上がれないわ、体重は減るわ・・・術後の山と谷は、ハンパなかったんです。ですが。。。今は、体重も増え、54Kg の理想体重となり、パートながらも、元の職場に復帰米村先生の外来も、当初の毎月から、2ヶ月毎になり、今は3ヶ月毎となりました。術後のTS-1は続いていて、この副作用に時にやられつつも誰もが認める元気になりました痛い、痛いってあれほど泣いていたのに、今は、「元気ですよ~」ってで、今回はご本人からの実に愉快なメール内容でね。これ、言っちゃってイイかなぁ~一度太った肉を包んでいた皮って、なかなか戻らないらしいんです。この皮をぜ~んぶ胸にかき集めたら、Gカップになれるんだそうですアタシが欲しい。。。
2014年09月27日
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今年も秋の便りが届きましたこのブログの長年の愛読者の方なら、「あぁ~」って思い出してくれると思います。そうです鳥取県から、あのカズオさんの梨が今年も届きました。カズオさんが、スキルス胃癌で闘病していたのは2005年の事でした。腹膜播種で、既に腹水も認められる状態でお会いしたのは、6月だったか・・・当時、静岡の米村先生の元へ奥さんと一緒にセカンドオピニオンに来られたんです。今なら一旦、腹水を全部抜いて、直接、抗癌剤を腹腔に投与する手法や、腹腔鏡による温熱療法を施行してみて、その奏功によっては、手術という選択肢も出てくるし、手術まではいかずとも、この手法が上手くいけばもう少し永らえることが出来たかもしれません。だけど、ガイドラインの治療はあの頃と殆ど同じで今もって尚、選択肢は少ない。あの頃と、特に変わらない。当時、カズオさんは僅かの治療法の中から、何とかするしかなかったんですよね。「自分は梨ばかなんです」 と言われるほどご自分の仕事が好きで、誇りをもっておられた方でした。だから、梨畑に戻ることが念願だったんです。そんなカズオさんが、入院する事態となりその病床から送って下さったのが、この梨でした。 ひろりんさんに食べて欲しいから送るんですと我を張られましてねぇ。。。カズオさんの名前で届いたのは、2005年の秋の1回だけ。翌年からは、奥さんの名前に変わって毎年届くようになり今年で10回目の秋となりました。10回目の秋に届いたカズオさんの梨は、物凄く甘くて大きいです。2005年当時、高校生と中学生の息子さんがいて、お舅さんとお姑さんとの同居生活をしていて、自営業者でもあったカズオさんの存在は、奥さんにとっては、なくてはならない存在でした。泣いてばかりの毎日でした。あれから奥さんは・・・規模を大幅に縮小して梨農園、つまりカズオさんの意思と夢を継ぎ、義父母の養子となって、正真正銘の跡継ぎとなり、小柄の細腕ながら、逞しく農家をやってます。毎年届く大きな梨は、カズオさんの笑顔のようです。
2014年09月21日
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先週の米村先生の外来は、相当の混雑だったようですねぇ。。。患者さんサイドから、ご報告が届いております。ちなみに、この患者さんは5時間待ち。先週、外来に出向かれた患者さん方、大変お疲れ様でした。米村先生に、かなり混んだみたいですねって言ったら、 そうなんやわ、このところ外来受診者が50人を切らないからねぇって仰ってました。米村先生もかなりのお疲れだった筈です。米村先生のスケジュールを私がこなしたら、多分、1ヶ月で過労で倒れるんじゃないかと思うほど本当にハードな生活を送っておられます。皆さん、命がけで全国から来院されます。これから外来を控えている方々、待ち時間が長いことはご了承下さいませ。ところで、今日はあの常連さんの近況です。8月20日以来となります。再びの肝臓の転移が判明して、ラジオ波で焼く治療を行った話を前回は書きました。これまで大きな手術を3回も受けている患者さんですから、それに比べれば、ラジオ波治療なんて軽いものかと思っていたら、ご本人 注射が痛いからもう嫌の感想。。。。娘さん、手術の方が大変でしょ、あんなに大きな手術だったんだからとちょっと呆れながら返すと 手術は寝ている間に終わるから平気なんだそうで。。。さすがにこの感想、私も理解不能。。。やはり、大きな山を乗り越えた方は、ちょっと違いますな。米村先生のところへ初めて来られた時は76歳になったばかりだったんです。それが今月、めでたく81歳になられました。初回の開腹手術で、確実に存在した腹膜播種。そのせいで、癌性腹膜炎から大量の腹水がありました。当時は、余命数ヶ月の告知が本人にもされましてね。今でこそ、こんな摩訶不思議なコメントをされる患者さんですが、当時は、泣き暮れました。何歳になっても、突然こんなコト言われたら、誰だって泣きますよ。最初に告知された余命なら、生まれたばかりの赤ん坊がやっと首が座る頃に旅立ちです。それが、そんな赤ん坊が来年はランドセルを背負うまでの時間を得た計算です。これだけの時間があれば、大抵のことはできます。実際、状況して歌舞伎見物を何回もしてますし、TDLにも行きましたし、息子夫婦と海外旅行もしましたし、SMAPのコンサートでペンライトも振りました。今も、やりたいことは何でもできる体調です。そんな患者さんですから、先週の外来では、誰の目から見ても具合の悪い患者さんもおられたようで、ご自分だって5時間待っていると言うのに、 具合の悪い人を先に診てあげてくださいって米村先生に言ったんだとか。ご自分が痛みを負った分、その痛みは温かい優しさに変わるんですね。で、この患者さん、肝臓にあった癌は焼いたので、今後は、年齢やこれまでの治療を踏まえ、一旦治療は卒業です。また、アイツが出てくるようなコトがあれば、そりゃまた、対処しまっせ~
2014年09月16日
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今日は1年以上前に書いた患者さんの訃報です。2013年4月30日以来となります。ですから、何時ものように辛い話題はスルーをご選択の方はここまでと言う事で・・・と言いたいところですが、今日ばかりは、出来ればそんな方もご覧頂けたらと思います。この患者さんのご遺族の心情を思いますと、まだ書く時期ではないかもしれませんが、この患者さんの治療のご選択や、生き方、行動力を早く伝えておいた方が、今、戦っている方々のある種の決断に繋がるような気がしています。この患者さん(60代・男性)の経過はこうでした。2011年3月、検診にて、初期の肺癌がみつかります。手術にあたり、念のため転移を調べる為にPET CTを受けました。すると、大腸癌が腹膜播種の状態でみつかりました。初期の肺癌よりも、大腸癌・腹膜播種の方が重大だとわかり、米村先生の元へこられたのです。そして同年5月に米村先生による腹膜切除+術中温熱療法を受けました。次に地元病院にて、同年7月に肺の手術も受けました。この時、初期の肺癌ではなく大腸癌の肺転移であることが病理診断で判明しました。術後の体調の波はあっても元気は回復。ですが、翌年2012年2月、肺への再発が認められました。幾つも存在する、多発性転移でした。2013年には、肝臓への再発も認められます。抗癌剤治療や、ラジオ波治療を受けていましたけど、2013年4月30日の日記に書きましたように、腫瘍マーカーが徐々に上昇を始め、この時、家族は一大決心をします。諦めた訳じゃない、治療だって続ける、でもやりたい事も思い切ってやるそれで、日記に書いたようなラスベガス旅行となったのです。時間の都合がつかないとか、お金がかるからとか・・・そんな理由でやりたい事を先延ばしにしている場合じゃないと思ったのでしょう。誰もが、やりたい事や、行きたい場所を聞かれたら幾つも答えるでしょう。でも、それを 「今」 やらないのは、時間がつかないから、お金がかかるから、そんな余裕が 「今」 はないから・・・だと思います。だけど、よ~く考えると、自宅を売却しないと出来ないような内容じゃない。仕事を止めないと出来ない事でもない。そんな内容が大半ではないでしょうか。自分が癌という病気になり、もしくは家族が癌という病気になった時、命には期限があるのだと、思い知らされたからこそできる事もあります。人間、生きている時間というより自由に動ける時間は思うほど長くはないです。 「思い立ったが吉日」なんて言葉もあります。予想を裏切り、思いのほか長生きしてもあの時、やりたい事をやらなきゃ良かったとか、行かなきゃ良かったとは思わないでしょう。この患者さんはラスベガス旅行を楽しみ、帰国してからは、治療に励み、次々に出てくる症状にその都度対処して、決して諦めることなく最後まで過ごしました。残念ながら今年の6月に旅立たれましたが、娘さんからは、「厚みのある3年間でした」とご報告が届きました。後悔が全くない訳じゃないけど、治療も生活も、やれるだけの事はやったと思いますと書かれていました。今はまだ辛くて、楽しかった思い出がなかなか思い出せないご様子ですが、楽しい時間を意識して全力で作ったからこそ、思い出せる患者さんの笑顔があるでしょう。
2014年09月08日
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これまで、本当に沢山の癌患者さんや、そのご家族からのご相談を受けて参りました。皆さん、ステージ4の患者さんばかりです。ごくごく稀に初期の癌患者さんもおられますが、片手に余る数です。ご相談件数は、数えたことがないので正確な数字は出せませんが、800~1000というところでしょうか。。。たぶん。。。ご家族からのご相談の場合、これ、殆どと言って良いですが、あくまでも、このご家族の方が患者さんの思っている事、感じている事を推測しての内容です。患者さんのお気持ちや考えを、患者さんご自身の言葉や文章で確認した・・・という事は、まずありません。殆どのご家族が、確認なんて出来ないのが現実です。だって、本当の病状が言えてない、余命なんて言える訳がない。患者さんだって、真実を知らされていないのだから、本当の気持ちなんて、本人だってわからない。だから、言える訳なんてない。そんな中で、家族は考えるわけです。性格、家庭環境、経済事情・・・全てを十分知り尽くしている仲だから、患者さんの気持ちが推測できると自負しているのが家族というものです。ですが。。。命が危ぶまれるような病気に直面すると、これまで全く知らなかった一面が出てくる事が多々あります。ご家族も驚かれますが、恐らく、患者さんご本人が一番驚いているかもしれません。こんな一面が自分にあったことをね。7月4日にご紹介した患者さんが、正にそうでした。スキルス胃癌の60代の男性患者さんです。あれからも腹水は溜まる事なく、お孫さんとお祭りを楽しんだり、本当にお元気そのものです。それでも気がかりなのは、自分の病気は治るんだろうか。。。という点。呟くことはあっても、家族にも医者にも聞けないご自分がいました。治療が実に上手くいって、手術の話が具体化しました。手術に対する懸念事項は、実は私がずっと前に娘さんだけにはかなりシビアな話をしていました。 「今の良い状態は、残念ながら長く続くことはないでしょう。 抗癌剤治療には、必ず限界が訪れてしまいます。 だから、最後のチャンスとして手術という選択肢もあります。 ですが、必ずしも良い結果ばかりは訪れません。」と。。。こんな話は、ご本人には言えないまま手術の日が近づきました。そして、最後まで言えなかったシビアな話が、手術の前に、担当医よりご本人にされました。今まで、口に出して聞けなかったけどご本人は、薄々感じていたのでしょう。でなければ、ご家族が絶対にありえないと思った遠方の地での手術など本気で考える筈はないのですから。長いとは言えない余命をこのまま穏やかに過ごすか、リスクを負っても手術に挑戦するか・・・ついに、真実を知った上で、ご自身が選択をする日がきたのです。そしてこの患者さんは言いました。 このまま死ぬよりも、挑戦して生きたいと。。。迷いもなく、力強く言われました。相談メールが届いた頃、ご家庭の諸事情も絡み、ご本人の医療意識からも、遠い病院での治療などは論外。転院など考えた事もなく、治らないなら手術などしない。こんな頑固で、医療情報の疎い父が、米村先生の治療や手術を受けると言うとは思えませんが・・・というスタートでした。誰もが、自身でも認識していない一面を持っているもの。家族なんだからと、十分わかっているつもりでいると、見出せない一面もあるのです。
2014年09月06日
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