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2004.01.16
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 昨日はネパールのお祭り?(マゲショワール・ジャヤンティーと聞こえたけど、ホントのところなんだかよく分かりません)で、村に行っていつものようにヤギを殺して食べたり、山芋をボイルして食べたり、黒砂糖の甘いお菓子を食べたりしました。

 現在、私は月に2.3度村を訪れて、それと同じぐらい回数で村からお義父さんが様子を見に来てくれます。お義父さんは数回日本を訪れており、合計で1年程は日本で同居したことになります。ですから子供たちも慣れているし、多くは語りませんが息子のジャパニーズ・ワイフである私のよき理解者でもあります。思えば、お義父さんの前でも主人と大喧嘩したこともあったっけ…(笑)結婚をするときにお義父さん以外の親戚は当然大反対していました。(ヒンドゥー教徒で違うカーストの人と結婚するのはタブーに近いくらい大変なのです)お義父さんだけは若い頃海外で仕事したこともあるせいか、その辺は寛大でしたがお義母さんがいたらそんな風には行かなかったと思います。主人も結婚した後に言っていましたが、「もし母さんが生きていて、外国人と結婚することを反対していればどんなに好きでも結婚はしなかったよ」と。主人だけではなく、多くのネパール人にとって母はとても偉大な存在なのです。
 義妹たちはそれぞれ嫁いでいますが、昨年のティハールの時に6.7年ぶりに会って、私のことを「バウジュー」(お兄さんのお嫁さん)と呼んでくれたときは、うれしさで胸がいっぱいでした。それまでは「すしら・ディディ(姉さん)」としか呼んでもらえなかったので。そうです、私のハンドルネーム「すしら」はネパールでの私の名前なのです。最初にネパールに来た時に、自分の本名にはこういう意味があるとネパール人の友達に言うと、じゃあ、ネパールだとスシラっていう名前と同じ意味だね。っということで、私の名前はすしらになり、結婚前から主人をはじめ親戚一同が私のことをすしらと呼びます。それは今でも変わっていませんが、「バウジュー」と「ディディ」では大違いなのです。やっと家族として認められたような気がしました。
 家族とは別居していることもあって、家族、親戚と同居している(特にネワールのような)ネパール特有のガチガチの家族関係はありません。他のネパール人と結婚した人はお義母さんに料理やサリーの着方を教えてもらったりしてうらやましいこともありますが、自由にやらせてもらっています。そして、私はヒンドゥー教徒の嫁にはどんなにがんばってもなれません。それにはヒンドゥー教徒は生まれたときからヒンドゥー教徒で途中から改宗することは出来ても、違った宗教からヒンドゥーにはなれないという考えがあるからです。ただ私もちょっとは嫁らしくなりたいと思い、主人に仕来り的なことを聞いたことがありますが、「お前は毎朝、旦那の足を洗った水を飲めるか?」と言われ、出来ないなら安易にそんなことを聞くな、今のままでいいんだからと言われました。主人も私がヒンドゥー教徒の嫁ではないことを承知で結婚したんだし、無理に仕来りを押し付けることもしません。家族も同様で、儀式ごとに招待はしてくれますがあくまでもそれはお客さんとしてだと思います。家族との溝を感じる時もありますが、それは宗教的な考え上仕方ないことです。それより、私のような外国人を何かある度に来てねと招待してくれて、その度に今日は泊まっていってねと言ってくれる家族の気遣いをうれしく思います。
 結婚当初は、ネパール人に近づきたいとか思っていましたが、今考えれば無理な話です。私は世界中どこへ行っても結局は日本人なのです。肩の力を抜いて「ネパール人」にも「ヒンドゥー教徒」にもなれないけど、私なりのやり方で、外国人の嫁として彼らとこれからもいい関係を保っていけたらと思っています。

西暦のお正月に日本にいる主人も休みなので、電話でゆっくり話したということから妹たちとお義父さんにウチに来て泊まってもらいました。上の義妹はマオバディの影響が結構大きいところに嫁いでいて、それとは関係ないかもしれませんが慢性的に仕事がない地域のようで、嫁ぎ先の家も苦労しているようです。その上、日本に兄さんが行っているので服やお金はいくらでも入ってくるだろうと、何か買う時でもあとまわしにされているようです。どのような経緯でそうなったのかは聞きませんでしたが、とにかく兄弟が日本に行っているというねたみも混じって風当たりが強いようで、昨日村へ行ったときも嫁ぎ先には帰らずに実家で過ごしていました。お正月も涙ながらに電話で訴えていたし、今日も私とそのことについて話をしたときに涙ぐんでいました。その涙から相当苦労していることは分かりました。「兄弟が日本に行っているからお金を送ってくれるだろう」という言葉は私にはとても耳の痛い言葉です。本当はネパールへ仕送りもしてあげたい、でも今まで私たちは共働きをしていても、家族4人で日本で生活していくので精一杯でした。出稼ぎネパール人と日本で家族を持って生活しているネパール人ではネパールの家族に入ってくるお金が違うのは当然です。でも多くのネパール人は、日本へ行った=お金持ちになったといまだに思っている人が多いようです。心の中ではなんとかしてあげたいと思っても、今の私に何が出来るわけでもなくやりきれない気分です。同じぐらいの歳の私と妹なのに、かたや親の反対を押し切って結婚し自由奔放にやっていて、かたや親の決めてきた相手と結婚し苦労しているこの現実…義妹は、これもカルマ(運命)と思っているだろうか?でも身内としては当然ですが、同じ女性として何とか幸せになって欲しいと思ってやみません。





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Last updated  2004.01.16 08:55:29
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