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携帯に着信がありました。この市外局番は、北海道・・・予想通り、F町役場の戸籍係さんからのお電話でした。私の申請した 高祖父の父親・勘四郎さんの戸籍がないので、申請書類をお返しします、というお話でした。たしか、除籍になって80年?経過したものは 破棄される、ということを、どこかで 読んだ覚えがあります。念のために お伺いしましたら、やはり、F町には存在しない(=よその市町村にある)という意味ではなく、もう戸籍そのものが存在していない、ということでした。残念ではありますが、そろそろ そういうこともあるだろうな、と、予想は していたところ。樺太の一件を超えて、ここまで追いかけられたことが、そもそも ラッキーでした。「該当なし」と、そのまま書類を 返送することも出来たのに、わざわざ 「どうしましょう?」と ご親切にも お電話をくだった、F町の戸籍係さん。ありがとうございました。せっかく お話できるチャンスなので、もう1つ、訊いてみました。高祖父 林蔵さんの妻、キワさんの欄に記載してあった唯一の情報、「△△の長女」ということについて、です。私には 解読できなかったのですが、さすがは 戸籍係の方、ふだんから ムカシの字を 見慣れていらっしゃるだけあります。私の読めなかった部分は、「清五郎」というお名前でした。清五郎さんの戸籍は? と ダメ元で お尋ねしたところ、調べてくださったのですが、やはり、そちらも 入手不能。さすがの私も、もう あきらめて、申請書類と定額小為替を 返していただくことにしました。家に帰り、解読できた情報をもとに 調べてみましたら、キワさんは、「亡養祖父 清五郎の長女」であったことが 判明。・・・ということは。清五郎さんは、勘四郎さんのお父さん?そのひとの養女ってことは、勘四郎さんとは 戸籍上の兄妹??だけど、キワさんの夫、林蔵さんは 勘四郎さんの養子よね?そもそも、「養祖父の長女」って おかしくない?ちょっと考えただけでも、疑問の嵐。ムカシは いろいろな事情があったのでしょうが、整理してみないことには、まったく わけが わかりません。どちらにしても。私の苗字のご先祖さまを、戸籍だけで調べることは、これ以上は 不可能となりました。あとは、過去帳、お墓、聞き取り調査。ほかに、北海道の地元の図書館に なにか資料があればなにかわかるかもしれませんが、いまは それも ちょっと無理です。父方の調査は、ここで いったん 終了することにしました。とりあえず いま できることは、ここまで調べた全員分を整理して、系図にしてみること。とにかく まずは さかのぼることを考えていたので、直系尊属の欄以外は きちんと 目を通していなかったのですが、それは それは たくさんの「関係者」がいるのです。友人たちの話では・・・地元の市役所に行ったら その場で 5代上まで取れた、とか、実は お母さんが過去帳を持っていた、とか、ご先祖が たまたま いま住んでいるところの近くだった、とか。わりと すんなりと さかのぼれたケースが多かったようです。それと比べ、もともと 親戚づきあいのない家で育ったにしろ、戸籍を取るだけでも これだけ 右往左往した 私って・・・やっぱり、ドラマ好き?(笑)が、ご先祖調査、予想以上に おもしろかったです。調査していく途中で、いままで考えてもみなかったことを 知り、感じたこと、そして 出会えたものが、たくさん ありました。調査そのものよりも、その過程で、行動面・感情面、さまざまな経験をできることがいちばんの ご先祖さまからのプレゼントなのかもしれませんね。ありがとうございます。そして、なによりも。「こんなこと、わかったよ!」と、ひとりで興奮してドラマチックに 書き連ねるのが、めっちゃ 楽しかった~☆いろんな名前が飛び交って わけわかんないし、ヒトんちの歴史なんて おもしろくもなんともないでしょうに(笑)ここまで 読んでくださって、どうもありがとうございました。こっそりメールくださった方も、ありがとうございました。そして、与那嶺先生をはじめ、講座を主催してくださった方々、誘ってくださった方、一緒に参加してくださった方々。どうもありがとうございました。父方の整理がついたら、次は 母方の調査ですね。小休止はするけれど、ご先祖調査物語、まだまだ続きます。・・・たぶん。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづく・・・かも?ご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪ご先祖調査物語 番外編 永訣の朝ご先祖調査物語 番外編2 めざせ70代!?ご先祖調査物語 その8 ウラワザご先祖調査物語 その9 光を追ってご先祖調査物語 その10 嘉永のひと ご先祖調査物語 その11 意外な関係参考図書 家系を科学する ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2009.02.13
ご先祖調査を始めてから、早くも1ヶ月が 経とうとしています。いままでのご先祖調査物語は、こちら ↓ご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪ご先祖調査物語 番外編 永訣の朝ご先祖調査物語 番外編2 めざせ70代!?ご先祖調査物語 その8 ウラワザご先祖調査物語 その9 光を追ってご先祖調査物語 その10 嘉永のひと さて。回り道をしながらも やっと手に入れた 高祖父の謄本に目を通していた私は、意外な事実を 発見しました。高祖父の出生地。それは、青森県でした。父~高祖父の代まで さかのぼり、北海道⇒樺太⇒北海道というルートで 追いかけてきたけれど。与那嶺先生のお話によると、我が家の苗字のルーツは 滋賀県にあるのだとか。由緒正しくもなんともない たばちゃん家ですから、滋賀県まで 無事にたどりつくかどうかは 疑問ですが・・・とにかく、北海道から 本州まで つながった、ということで、少なくとも 滋賀県へ ちょっと近づいたのは 間違いありません。ふむ、ふむ。ここから先のお問い合わせ先は、青森県になるのね。期待に胸をふくらませ、その下の欄へと目を移した私は・・・ええええ? と 大声を 上げていました。通常は 両親の名前が記載してある欄に、母親の名前はなく、「養父 ○○勘四郎」 とだけ 書いてあったのです!えええ?私のおじいちゃんのおじいちゃん、養子だったのぉ???びっくりしつつも、謄本の 達筆すぎる字を 解読してみると。私の高祖父、林蔵さんは、青森県北津軽郡の「木村」家から 北海道F町の「たばちゃん」家へ 養子に来たようでした。ムカシは、「養子に出す」というのが 珍しくなかったのですね。別に、我が家は 天皇家でもなんでもないのですから、養子のひとりやふたり入っていたところで、どうってことないでしょう。だけど、自分に関することとなると、いくら 数世代前とはいえ、なぜか 少々 動揺してしまっています。つい ひと月前までは ご先祖さまに 興味もなかったのですから、誠に勝手なもの。が、そんなにも驚いている自分が、ちょっと意外でもありました。さてさて、問題は、ここからです。高祖父 林蔵さんは、どういう「養子」なんだろう?どちらかの家の事情で、ひとりの子供として 養子に入ったのでしょうか?それとも、この家の女の子と結婚し、お婿さんとして 養子になったのでしょうか?というのも、ここから 上へと さかのぼる際、家系学的には 血のつながりで 風景が伝播されるため、「血の先祖」を重要視するから、なんです。(与那嶺先生の家系学セミナー資料より)林蔵さんが 婿養子であるのならば、奥さんである キワさんを通して血がつながりますので、このまま、いまの私の苗字の家を たどればよいことになります。が、林蔵さんが、養父・勘四郎さんと 血のつながりがない以上、もし キワさんも 他家からお嫁に来たひとであれば、私の血の先祖は 林蔵さんの元の家、木村家となりそうです。よって、今度は、林蔵さんの実の父親を追って 青森へ向かうことになります。ということは、キワさんの立場、めっちゃ 重要ではありませんか!?キワさんは、どんなひと!!??ところが。キワさんの個人的な情報を記載する欄は、またしても 空欄でした。(林蔵さんの)「妻」という文字、そして、「△△の長女」という文字があるだけです。しかも、その△△さんとは ちょっと複雑な関係にあるように見えるのですが、肝心な箇所が意味不明&解読不能!うーむ。とりあえず、私は、林蔵さんの養父・勘四郎さんの戸籍を取ってみることにしました。林蔵さんは、明治19年に 勘四郎さんより分家して、自分を戸主とする戸籍をつくっています。なので、それより以前のこと、つまり 養子になった年月日、婚姻の年月日などはここには 書かれていないのです。それならば、勘四郎さんの戸籍の方には、その当時の情報が 記載されているでしょう。また、キワさんに関しても、なにか わかるかもしれません。私は、F町へ 3度目の申請書を 送りました。手元に残った謄本の、林蔵さんの欄に記載されている「養父 勘四郎」という文字が、ひときわ大きく 感じられました。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづく参考図書 家系を科学する ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。
2009.02.09
高祖父、林蔵さんの除籍謄本が 届きました。今までに比べ、戻ってくるまでに 日数が かかっていたので、ちょっと心配していたのですが・・・私の推理通り、F町には、高祖父一家が樺太へ渡る前の戸籍が 残されていました!あぁ、これで また、一度は切れた糸を つなぎ、たどっていくことができます。ありがとうございます。さて、待ちに待った、高祖父の戸籍を 見てみると、そこには やはり、達筆すぎて読めない文字が 並んでいます。実は、高祖父の戸籍に関して、私が とても楽しみにしていたものがありました。それは、生年月日。祖父、曾祖父までは、明治生まれでした。明治は、ごく普通の 馴染みのある元号。珍しくもなんともありません(笑)だけど、友人のひいおじいちゃんのお父さんは、なんと「天保」生まれだったのだとか!?ならば、ぜひとも 私も「天保」という年号を 拝みたい!!そんな どーしよーもない理由もあって、高祖父の戸籍を楽しみにしていたのです。高祖父の生年月日欄を見ると、そこには、念願かなって、嘉永 という文字が!おまけに、高祖母の生年月日は、安政勝った☆ (笑)それにしても、嘉永だの 安政だのって、どれくらい前なんだろう。江戸時代でしょうけど、日本史を勉強してから はや、うん十年経過。「○○の乱」の○○の文字さえも 記憶にございません。そこで 年号一覧表を探し出し、調べてみると・・・嘉永や安政は、天保よりも ちょっと新しい時代でした。勝った☆ と 思っていたら、負けていた★もちろん、これらは 勝ち負けの問題ではないのですが (笑)友人も言っていたとおり、なんだか 歴史が 身近に感じられますね。教科書の中の「暗記項目」としてではなく、生身の人間が生きていた時代、ということを実感しました。さて、生年月日の年号で ひとしきり 一喜一憂すると、私は ふたたび 高祖父の謄本に 目を戻しました。曾祖父の謄本で見た名前が、こちらでも ちらほらと登場しています。さて、高祖父は、どこで生まれたんだろう?そして、高祖父のお父さん・お母さんは、どんなひとなんだろう?なんて名前なんだろう?高祖父以上は、もう「曾祖父」「高祖父」などの正式な呼び名はないらしく、「○代目のおじいちゃん」などと呼ぶそうです。ここで 私は、記載欄に ある文字を発見し、カタマりました。な、な、なんですと!?そこには・・・本に 事例としては書いてあるし、さして珍しくもないことだけど、まさか 自分の家系で発見するとは 想像したことすらなかった、ある文字が、記載されていたのでした。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪ご先祖調査物語 番外編 永訣の朝ご先祖調査物語 番外編2 めざせ70代!?ご先祖調査物語 その8 ウラワザご先祖調査物語 その9 光を追って 参考図書 家系を科学する 更新情報○ふんわりすと ここから つくりたて ○ AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~【レシピ】りんごのシャーベット ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。
2009.02.02
曾祖母の実家の改製原戸籍謄本が届き、私は、弐女である曾祖母の欄を こわごわ 覗きこみました。曾祖母の転籍先、つまり 曾祖父と結婚したときの住所は・・・あ、だめだ。この住所、どこかで 見たことがあるもの。それは、たしか 曾祖父の戸籍に記載されていた住所でした。空白期間の、その前を 求めていたのに、空白期間の、その後と つながってしまった。万事休す。でも。あれ?見覚えがあるものの、その住所は、F町です。曾祖父の戸籍の住所は、たしか R市だったはず・・・急いで 手持ちの資料を調べると、曾祖父の改製原戸籍謄本の住所は、R市内でした。R市役所へ申請して入手したものですから、当然といえば、当然です。私は、曾祖母の実家の戸籍に 目を戻しました。よく読むと、曾祖母は、曾祖父と結婚したとき、F町にある 高祖父の 戸籍に 入籍したことになっていました。あ、そうか!?現在は、結婚すると、夫も妻も それぞれの戸籍を離れ、ふたりで 新しい戸籍をつくります。が、当時は、妻は 夫とともに、夫の父親(戸主)の戸籍に 入っていたようです。子供が生まれると、そのまま 子供も その戸籍に加わったので、私が入手した曾祖父の戸籍には、祖父母の子供である 私の父も含め、3世代が 入っていました。同じように、祖父の兄弟の配偶者・子供も 曾祖父の戸籍に入っていますので、謄本には 総勢21名! の記載があります。ムカシの謄本が 分厚いのは、子供の数が多かったから だけでなく配偶者・孫まで 同じ戸籍に入っていたからなんですね。・・・話が 逸れました。そんなわけで、曾祖母は、結婚しても 曾祖父とともに 新しい戸籍を つくることなく、そのまま 高祖父の戸籍に入ったのでした。ということは。私が入手したR市の戸籍は、樺太から戻ってきた後の戸籍で、曾祖母の嫁ぎ先、F町の戸籍は、樺太へ渡る前の戸籍なのでは?期待していた通りの結果です。それでは、私が その住所を「見覚えがある」と思ったのは、どこで見たものなのでしょうか?それは、祖父(とその兄弟たち)が出生したときの住所でした。だから、曾祖父や祖父の戸籍で、なんども 目にしていて、見覚えがあったのでした。ということは、なおさら、F町の住所は、曾祖父一家が 樺太へ渡る前の住所、という可能性が高いです。だから、曾祖父の謄本を よーく見て、よーく考えていれば。曾祖父の戸籍⇒曾祖母の実家の戸籍⇒高祖父の戸籍 なんて複雑な途をたどらなくても、曾祖父の出生地の住所を元に、最初から F町へ 高祖父の戸籍を請求することは可能だったのでした。ちゃんちゃん♪だけど。曾祖母は「曾祖父の妻」というだけではありません。私の曾祖母、ひいおばあちゃんなんです。ともすると、上に さかのぼることばかりを目的に、父親系のルートばかりを 重視してしまいがちな、ご先祖調べ。ルーツをたどるという目的から見れば 回り道かもしれませんが、私に関わるご先祖さまを調べる、という点では、曾祖母の家を調べることも、とても大切なことでした。そして、もうひとつ。この、曾祖母の戸籍から当たる、と言う方法を 思い出し、実際に 探し当てたことで、戸籍調査に関する推理力?が養われたように思います。与那嶺先生も、「先祖調べは 探偵だ」と おっしゃっていました。どんな些細な情報も見逃さず、仮説を立てては 検証し、事実を 探り出していく。これで、墓石調査や 過去帳調べ、親類への聞き込み調査が加われば、ほんとに 探偵業務そのもの。現段階では、私は そこまでは やるつもりはないので、自称‘机上の探偵’止まりですが・・・いずれは、北海道まで お墓参りに行くつもりです。ぐちゃぐちゃになっていた流れが、ちょっとだけ見えてきました。私の推理では・・・F町に戸籍のあった高祖父の長男、曾祖父は、F町生まれの曾祖母と結婚した。そこで、祖父をはじめ、10人!の子供が 生まれた。その後、高祖父一家は 樺太へ渡り、そこで、祖父は 樺太生まれの祖母と結婚。R町で、伯父(父の兄)と 父が 生まれた。終戦後、高祖父一家は、樺太から 北海道R市へ移住。ということに なりそうです。F町役場には、高祖父母&曾祖父母の、樺太へ渡る前の戸籍が 残っているかもしれません!!この ひとすじの光を頼りに・・・私は、高祖父・林蔵さんの、樺太へ渡る前の戸籍を申請するべく、ふたたび、F町へ 書類を 送付しました。ここから先は、崖っぷちの1本道。目の前に大きな岩が 落ちていたら、もう 前には 進めません。孫、曾孫の代から 先祖をたどるのも 1本道ですが、それは あくまでも 書類上のこと。子を産み、守り、次の世代へ バトンを渡していくのは、命がけの真剣勝負、それこそ 崖っぷち続きの1本道だったでしょう。「生きているうちの供養が、いちばんなんですよ。」あの日、講座で。私の中で 一生 覆ることのないと思っていた ある感情を、一瞬にして ひっくり返した、与那嶺先生の言葉。その言葉が、よみがえってきました。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪ご先祖調査物語 番外編 永訣の朝ご先祖調査物語 番外編2 めざせ70代!?ご先祖調査物語 その8 ウラワザ参考図書 家系を科学する ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.30
さて、高祖父の戸籍は 樺太にあり、今となっては取得不可能である、ということが わかりました。外務省のHPで調べた限りでは、高祖父の戸籍のあったらしき村は、戸籍が保存されていません。ここで あきらめかけたものの、もしかしたら、役所の戸籍係の方なら、もっとなにかご存知かも!?そんな願いをこめて、これまでお世話になったR市役所へ、ひとことお礼も言いたくて、お電話をしてみました。与那嶺先生だって おっしゃっていたもの。全部取れたと思っても、絶対 もう一言 いってみましょう。「この上の戸籍は もう取れないのですか?」が、やはり回答は、私が調べたものと、同じ。それ以上の情報は 得られませんでした。そんなとき。とりあえず 家系図をつくり始めた私の脳裏に、ふっと 浮かんできたことが ありました。あの方法なら、高祖父の上の戸籍につながる可能性が・・・?私は、与那嶺先生の 「家系を科学する」 を 取り出し、ページを めくりました。似たような事例を 読んだような気がしたのです。あ、あった、あった。これだ・・・そこには、このような内容のことが書いてありました。(以下は、要約です。)大戦の空襲のため 戸籍謄本が焼失し、取れない場合もある。(東京都江東区・台東区、富山県富山市、愛知県名古屋市など)そのときは、取れた戸籍の一番上のお祖母さんの実家の戸籍を申請するとよい。そこには、二人の入籍時の住所が 載っている。その住所が、空襲で焼失した場所(東京など)へ出てくる前の戸籍があったところなので、それが見つかれば、焼けた戸籍が取れなくても、それ以前の戸籍を取ることができる。そして、そこから また上へ 遡ることができる。 正確なところは、与那嶺正勝先生著・「家系を科学する」P.209 を ご覧ください。やっぱり・・・。この方法ならば、もう少し上まで つながるかもしれない!上記の例と同様、樺太の戸籍謄本は もう 手に入れることができないけれど。私が把握している一番上、曾祖母の実家の戸籍を取れば、曾祖父と結婚したときの住所が わかる。曾祖母が婚姻により転籍した先の、戸籍の住所。その住所ならば、たぶん、曾祖父母が樺太へ渡る前の住所でしょう。もし、その住所が、私が入手した 曾祖父の戸籍の住所と 一致していれば、アウト。そこで 戸籍と戸籍は つながって、それ以外の道は ふさがり、万事終了です。でも。もし、一致していなければ・・・結婚当時の住所が、曾祖父の戸籍の住所とは 別の住所ならば・・曾祖父母が樺太に渡る前の住所、それに、曾祖父の両親である 高祖父母の戸籍を取るための手がかりが、なにか つかめるかもしれません。私は、さっそく 曾祖母の実家のあった F町役場へ、申請書を 送りました。そして 今回、申請する先の役所によって、申請に必要な書類が異なる場合もある、ということを 知りました。対象者と申請者の関係がわかる謄本の原本が必要な役所。(原本を送っても、申請した謄本と一緒に返してくれます。)関係のわかる謄本は、コピーでOK。ただし、申請者の身分証明書のコピーも必要、という役所。さまざまです。あらかじめ、それぞれの役場のHPなどで チェックしておくといいですね。数日後、曾祖母の実家の謄本が 届きました。それなりの厚みがあり、期待できそうです。私は、中の謄本を取り出すと、はやる気持ちを抑え、ゆっくりと ページを めくりました。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪ご先祖調査物語 番外編 永訣の朝ご先祖調査物語 番外編2 めざせ70代!?参考図書 家系を科学する 更新情報 ふんわりすと ここから 【銀のはちみつ物語】魔女と長ネギ ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.29
H県のJさま(笑) より ご質問を いただきました。>何代前まで調べるのがお勧めだったっけ?このとき、「ごめん、わからない!」と お返事したのですが、その後も 気になっていて、さらに 調べてみましたところ、答が 見つかりました!昨年4月の 与那嶺先生の家系講座を主催してくださったのは、「マレッジプレミアム」でおなじみの赤城夫婦、そして ファインネットワールドの 赤木広紀さん。その赤木さんの 某SNSの日記に、書いてありました。当時のメルマガを あさってみたり、たしか、以前は ファインネット のサイトに アッキーさんの公式ブログがあって、そこで読んだような気がしていたのですが、結局 それは 見つけられませんでした ~ こほん。← 咳払いお待たせいたしました。答は・・・ 20 代 !!!20代 さかのぼって調べると、独身の人は結婚相手が見つかり、子供のいない人は子供ができると、与那嶺先生がおっしゃっていて・・・というくだりが ありました。アッキー(赤木)さんなりの解釈なども 書かれていましたので、ご興味がある方は、のぞいてみてくださいな。ただし、アミーゴさんのブログでは、 10代 という説も。アミブロ : 家系を調べてみると・・・ま、どちらにしろ、4代めに渡れるか!?と 四苦八苦している私には途方もない数字です。だけど、もともと 理由や目的があって 始めたことではなく、そういえば!と 調べ始めたら おもしろくなった、という感じなのでできるところまで調べれば それで 満足かな。Jさんも コメントしてくださったように、>その過程で 何を感じ 何を受け取るか、なのかもしれないね^^まさに、そのとおりだと思うのです。家系調査って、自分を見つめるための ひとつの切り口にもなるようです。 実は、答は わかったものの・・・この「何代まで?」というのを調べている最中にもちょっとした気づきがあり、それに関して ブログを書いていたら、肝心な お答について書くのを すっかり忘れていたのでした(爆)Jさま、ごめんなさい。ってか、メールすればいいのにね ご質問、ありがとうございました。ちなみに、与那嶺先生の著書、家系を科学する によると、日本人であれば、最高60~70代(約2000年)さかのぼることも可能なんだとか。苗字の後ろに「藤」がつく方は、藤原鎌足公の子孫に関わりのあることが多いそうです。思いあたる方は、70代 めざして、がんばってくださいね(笑)<たばちゃん家 ご先祖調査物語> 番外編2 おわりご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪ご先祖調査物語 番外編1 永訣の朝参考図書 家系を科学する 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら から。 ↑会場では、家系に関するご質問も、どうぞ(笑) ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.28
高祖父の戸籍は、樺太にある。おかしなことですが、もう これ以上手が出せなくなって初めて、樺太という地に 興味を持つようになりました。私が子供の頃は、「北方領土は日本固有の領土です」というCMを やっていました。その樺太に、父が幼い頃 住んでいたんだ、ということはなんとなく 知っていました。余談ですが、当時は私の中で「樺太=外国」というイメージがあり、父が樺太からやってきた、ということを知ったときには、ほんの一瞬「私、もしかしてハーフ?」と喜んだ記憶があります。どう見ても、父も 祖父母も ばりばり日本人顔なんだけど!(笑)が、「樺太」といえば、せいぜい そこまで。父たちが住んでいた町の名前を 謄本で知り、北海道の地図を見てみても、どのへんなのか 見当もつきません。自分のあまりの無知に、もう少し 樺太について 知りたくなって、図書館で「樺太」をキーワードに検索し、まずは 読みやすそうな本を 1冊、借りてきました。 永訣の朝 ~樺太に散った九人の逓信乙女戦争が終わったはずの 1945年8月20日の朝、樺太・真岡郵便局の9人の女性電話交換手(通信乙女)たちがソ連軍進駐に 精神的に追いつめられ、次々と 自決。その詳細が、当時の関係者からの証言をもとに 検証され、まとめられています。知りませんでした。こんなことがあった、ということさえも。高校1年生のときの「現代社会」という科目では、先生の方針だったのでしょう、広島・長崎の原爆について、かなり徹底的に 叩き込まれました。その影響か、20代後半までは、自分自身が 原爆投下直前の広島にいる夢を何度も ひんぱんに 見ていました。原爆の投下日時を知っている 夢の中の私は、もう逃げられないことも知っていて、じっと そのときを 待っている。そのときが来たら、一瞬にして 命を落すはずなのに。ものすごい爆音がして、周りは 炎で包まれているのに。いつまでも、意識は続いていて・・・恐怖とともに、汗びっしょりで 目を覚ます。そんな夢を、何度も 何度も、繰り返し 見ていました。そんな夢を見るたびに、現代社会の I先生を 恨みました。でも。樺太については、なんにも 知らなかった。父が、子供の頃、 引き揚げ船で 樺太から 引き揚げてきた。途中 船酔いで 大変だった。そんな話は 小学生のときに 聴いたことがあったけど。それは ただ単に 戦争が終わり、領地の変更に伴って帰国した、ただそれだけのことだと思っていたのです。この本に載っていた地図を見てみると、父たちの住所は、通信乙女の自決事件のあった真岡のすぐ近く。きっと 状況は 似たようなものだったでしょう。それを考えると、父も、伯父も、祖父母も、よくぞ 無事に 日本へ帰ってこられたもの、と驚きます。実際、真岡でも、引き揚げの途中でも、たくさんの方々が 亡くなっているのですから。寝る前に ほんのちょっと 読むだけ・・・のつもりだったのに、結局2時間で読み通してしまい、その後も 眠れなくなりました。60年余り経った 今となっては、この 通信乙女たちの悲しい事実さえも、読者である私からみれば 文字の世界の出来事になってしまいます。それでも、この本を読んだことで、いままでの どんな資料に触れたときよりも。「この中のだれひとり欠けても いまの私は生まれていなかった」この言葉の重みを 実感することとなりました。戦争があって、徴兵があって、空襲があって、上陸があって、毎日 命の危険に さらされていた。そんなこと、夢のまた夢のようになってしまった現在。たった 数十年で、環境も 生活も 生き方も 価値観もここまで 変わってしまうものなのでしょうか。「知りたい」という欲求と、「これ以上 見たくない、感じたくない」という 迷い。「知ってどうするんだ?」 という、疑問。なにも考えず、軽い気持ちで始めた ご先祖調べで、こんなところを通ることになるとは 思ってもみませんでした。でも、きっと、いちばん大切なのは。たどりついたルーツ(結果) を 知ることよりも、ルーツをたどっていく過程で、感情を含め、なにかを 経験すること。「ご先祖さまを調べると、いいよ」 と言った方々の言葉には、これが 隠されていたのかもしれません。そして、いま ふと 思ったのですが・・・これは、60余年前の通信乙女たちから、これから波乱を迎える現代への、メッセージのような気がしました。わたくしたちは、いざというときには 命を捨てることを 前提に、生きてきました。価値観は、時代とともに 変わるもの。あなたがたは、いま、なにを 前提に 生きていますか?なにを 前提に 生きていきますか?こうして 言葉にすると、こじつけがましく思えるのですが、なんとなく、そんな感じがしました。いま、私に起こっていること、すべてに。ありがとうございます。さて、行き詰まった 父方のご先祖調査ですが・・・曽祖父の謄本から得た ある情報をもとに、F町役場へ資料請求中。そろそろ 回答が来る頃です。一度 途切れた糸は、ふたたび つながるのでしょうか?<たばちゃん家 ご先祖調査物語> 番外編 おわりご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?ご先祖調査物語 その7 家系図をつくろう♪参考図書 家系を科学する 更新情報 ふんわりすと ここから 命あってこそ ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.28
家系図を無料でつくることのできる、便利なサイトが あります。 【ネット de 家系図】与那嶺正勝先生の家系講座の主催者、ファインネットワールドの赤木広紀さん が 紹介してくださっていた、サイトです。 私も、曽祖父の謄本まで入手したことを 区切りに、このサイトを利用して 家系図を つくりはじめることにしました。この家系図ソフト? なかなか 便利で、おもしろいです。誰を中心(基準)として 家系図を表示するか?が 選べたり。生年月日を西暦で選択すると、自動的に 元号で表示されたり。私が いちばんウケたのは、「生まれた場所」「亡くなった場所」の欄でした。プルダウンで、都道府県一覧から 選べるのですが・・・はて、困りました。私の父や祖母は 樺太で生まれているのです。これ、「北海道」でいいのかなぁ?「北海道」と「樺太」の区別、つけたいんだけどなぁ。と 思って、プルダウンリストを ぐーっと スクロールしてみると。出てくる、出てくる。「沖縄県」の下には、「海外」「不明」という選択肢を はじめとして「伊賀」「尾張」「駿河」「出羽」「武蔵」「越前」「近江」「出雲」「因幡」「紀伊」「讃岐」「土佐」「薩摩」「琉球」などなど。おぉ、これぞ 日本国!This is Japan! と 叫びたくなるような、いわゆる 「お国」の名前が、約90個。それもそうですよね。ムカシは、都道府県なんて なかったんですもの。ずらーっと並んだ中の 最後の最後、最後から2番目に、「樺太」も ちゃんと 用意されていました。クリックしながら あれこれ 入力していくと、ひとり分 入力し終わるごとに 家系図に 反映され、だんだん それらしくなってきました。それと同時に、エクセルを立ち上げ、謄本から抜き取った情報を、どんどん 入力していきます。名前私との関係本籍地(戸籍筆頭者の本籍地)生年月日&場所婚姻年月日&場所死亡年月日&場所入籍、転籍などの記録そして、謄本の記録から 私が推理した、居住地の移り変わり。(北海道⇒樺太⇒北海道、など)なぜ こんなリストをつくったかというと、謄本の文字は、達筆すぎ&旧字体のため、とにかく 読みづらい!ぱっと見て ぱっと理解できるように、リストにしておきました。すると。ちゃんと整理した甲斐が ありました。高祖父以上の謄本入手は無理かも? とあきらめていたのですが、ある情報から、一筋の光が 射し込んできたのです。私は、あわてて、与那嶺先生の著書「家系を科学する」を取り出し、ページを めくりました。たしか、これと同じような事例が あったはず・・・。もしかしたら。高祖父の戸籍は 無理だとしても、もしかして もしかしたら、高祖父の両親の戸籍が取れるかも!?そんな可能性が 浮かび上がってきました☆<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1 はじめの一歩ご先祖調査物語 その2 知らなかった名前ご先祖調査物語 その3 消えた長女ご先祖調査物語 その4 不自然な空白ご先祖調査物語 その5 与那嶺先生のお言葉ご先祖調査物語 その6 いざ 樺太へ!?参考図書 家系を科学する 更新情報ふんわりすと ここから : パリのフランスパン ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.23
高祖父の除籍謄本の申請書を投函して、2日後。今度は、期待通り?の 分厚い封筒が 届きました。結論から言うと、高祖父の除籍謄本を手に入れることは できませんでした。その理由は・・・高祖父の戸籍は、樺太にあったから。今回は、申請書に同封した 謄本に関する質問への回答代わりに、曽祖父の改製原戸籍謄本が 送られてきました。申請したものは 高祖父の除籍謄本 だったのですが、その役所には保管されていないため、その代金を充てて、代わりに 曽祖父の原戸籍を 送付してくださったようです。さすが、原戸籍だけあって、B4用紙6枚分!のボリュームでした。これ、これ。これが欲しかったの!私、自分の戸籍謄本を 申請したときに、窓口の方が自動的に 改製原戸籍謄本を一緒に出してくれたので、すべて その調子で いくと思っていたのです。相変わらず、達筆すぎて解読の難しい文字が並んでいますが、謎だった 曽祖父の過去も、これで 少しは 明らかになりそうです。添えられたメモには、「林蔵さん(私の高祖父)の戸籍も、樺太にあったようです」と、書いてありました。なるほど、よく見ると、「樺太 真岡郡 蘭泊村・・・から転籍」と 最初に記載されており、それが 最も古い情報でした。ならば。いざ、樺太へ! ← もちろん、書類だけ。でも、樺太の戸籍って、どうやって 取るんだろ。調べてみたところ、樺太の戸籍簿は、そのほとんどが 戦争で失われたようです。ごく一部の地域の資料は 日本国内に 持ち帰られたため現在も 取り寄せ可能とのことですが・・・。残念なことに、高祖父の戸籍のある 蘭泊村は、その対象外でした。 ⇒ 詳しいことは、こちら をどうぞ。こうなると、行き止まりです。だけど、すでに 私の頭の中は、混乱状態。それに、なぜか 「ここまでは やった!」という、妙な満足感も ありました。とりあえず、すぐに手のつけられるところまでは やったので、まずは ここで、いちど 整理してみることに。父⇒祖父⇒曽祖父⇒高祖父それぞれの足跡を整理していけば、また なにか いい考えが 浮かんでくるかもしれません。それに、いままで まったく知らなかった親族のお名前を見て、おひとり おひとりに もう少し 思いを馳せてみたい。どんなひとが いたんだろう?このひとは、どんな一生を送ったんだろう?いままで、不思議なほど 親戚に 興味のなかった自分としては意外なのですが、そんな気持ちにも なりました。それにしても、R市役所の戸籍住民係さんには 大変お世話になりました。特に今回は、私の知りたい情報を 的確に出してくださったほか、「他に 何かありましたら 電話を下さい」というメモまで付けてくださっていました。電話だと 直系卑属であるという本人確認が出来ないため問い合わせをしても答えてもらえないかな?と 思っていたので、そのお言葉が 嬉しかったです。あちらからしてみれば、個人の趣味レベルのご先祖調べでしょ?それなのに、親身になって対応してくださったことに、感謝です。ご担当の Nさま。どうもありがとうございました。さてさて。整理するために、まずは 家系図をつくってみましょう。いい方法があるんです。私は、いそいそと PCに 向かいました。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1ご先祖調査物語 その2ご先祖調査物語 その3ご先祖調査物語 その4ご先祖調査物語 その5 更新情報ふんわりすと ここから : きっかけをつくるひと ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.22
出生地もなにも記載されていない、曽祖父の除籍謄本。ただし、その戸籍のインデックスとしての曽祖父の名前と本籍地は、戸籍筆頭者として 記載してありました。高祖父の謄本を取るには、それだけが、頼りです。私は、これで3度目となる、R市役所への除籍謄本の申請書に、今度は お手紙を つけました。私の高祖父 「林蔵さん」の除籍謄本が欲しいのだが、情報は、これしかない、ということ。そして、曽祖父「喜作さん」の除籍謄本において、当人の欄が まったくの空白であり、長男~六男までの情報が記載されていないのには、なにか理由があるのか知りたい、ということ。実は、与那嶺正勝先生の家系講座でのお話で、なぜか ずっと 心に残っている言葉がありました。家系調査をする方法として、戸籍をさかのぼって調べる方法のほかお寺で過去帳なるものを見せていただく、という方法があります。しかし、お寺に行っても、資料を調べてもらえない場合があるのだそうです。それに関して、与那嶺先生は、このようなことをおっしゃっていたように思います。そういうときは、しつこく追及せずに、お引き下がりなさい。戦争で焼けてしまって、資料が残っていないこともあるんです。それを はっきりと言えない あちらの立場を察して、そういうときは、さっさと 引き下がってくるものですよ。自分の調査に熱中するあまり、知る権利を盾に資料を出してこない相手に対して、ついつい熱く迫ってしまいそうになることもあるかもしれません。だけど、「察する」ということが 大切なのですね。与那嶺先生の このお言葉が ずっと残っていたものですから、役所宛に 同封したお手紙も、なるべく丁寧な文面になるよう心がけました。いろいろ 調べていましたら、この謄本の請求についても、興味深い実話が ありました。郵送請求では「該当ありません」と回答が来ていた案件が、その後 実際に 窓口へ行って 請求してみたら、取ることができて、さらに そこから 3代分も遡ることが出来た、というものです。もしも。もしも、ほかに 詳しい資料があるのならば・・・手違いで、「謄本」ではなく「抄本」が 送られてきたのなら・・・とりあえず、1度だけは お尋ねしてみようと思ったわけです。また、もう1つ。法律改正など、なんらかの事情があり、それこそ、戸籍の原資料から、そのとき必要だった部分を抜き書きしてまとめた結果が、現在残っている情報である、というような可能性も あるかもしれません。現に、私が 自分の謄本を取り寄せたときにも、窓口の方は、古いものと 整備されたもの、2種類のものを出してくださいました。新しい整備されたものには記載されていない情報が古い方には 記載されていたりしました。たしかに、謄本を取ると、意外な情報が得られたりしますので、個人情報としては 危険?な側面も あるかもしれません。ちょっと話が逸れましたが、そのあたりの事情がわかれば、今後 調べていくにあたっても有効な知識となるので お尋ねしてみた、という理由もありました。窓口へ出向けば、たぶん1回で済むものを、役所の方には 何度も お手数をおかけして 申し訳ないです。さて、高祖父の謄本は無事に 手に入れることができるのでしょうか!?<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1ご先祖調査物語 その2ご先祖調査物語 その3ご先祖調査物語 その4 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.19
さて、お次は、曽祖父の除籍謄本。こちらも、びっくりするくらい早く、届きました。R市役所 戸籍住民係さん。いつも 迅速なご対応 ありがとうございます。が、手元に 封筒が届いたとき、かすかな不安が 私の胸をよぎりました。封筒の厚みが やけに薄く、重さも軽いのです。今回の申請では、曽祖父と私の関係(直系卑属であること)を証明するため、私の戸籍謄本祖父の除籍謄本のコピーを 同封しました。なので、返送されたきた この封筒には、上記2つのほか、曽祖父の除籍謄本が 入っています。ムカシのひとなので、子供が たくさんで、きっと 祖父の謄本と同じくらいの枚数となるでしょう。ということは、私が発送したよりも 枚数が増えるのは 確実で、かなりの厚みになるはずなのです。また、それを想定して、返信用封筒には、切手も 多めに貼っておきました。もしかして。なにかが足りなくて そのまま返されたのかしら。それとも、祖父が出生した場所の住所と 曽祖父の名前で申請したのだけれど、それでは わからなかったのかしら。どきどきしながら、開封しました。答は、簡単でした。今回、祖父の除籍謄本は、曽祖父の除籍謄本の申請先と同じR市役所発行のものだったので、コピーを 同封しました。なので、コピーの方は 返送されず、私の戸籍謄本(原本)と、曽祖父の除籍謄本のみが入っていたためやけに軽い封書だったのでした。が・・・曽祖父の除籍謄本を見て、私は また 驚きました。!!!!!!1枚ぽっきりなのです。祖父の除籍謄本は、3枚綴りでした。祖父・祖母・子供8人分。どの欄にも、達筆な字でそれぞれの入籍・除籍の跡が 刻まれていました。が、この 曽祖父の除籍謄本には、曽祖父・曾祖母。そして、なぜか 子供は 「七男」のみ、記載。3人分だけ、その1枚だけが、あっさりと 姿をあらわしたのです。な、なぜ?曽祖父母の長男である、私のおじいちゃんは、どこに消えたの !?それに、「七男」なる人物がいる、ってことは、少なくとも、おじいちゃんと「七男」さんの間に 5人の男の子、そして もしかしたら 複数の女の子も、いるはず。彼らは、どこへ行ってしまったの!?私の祖父の年代ですから、みな、結婚したり 亡くなったりして、除籍されているでしょう。でも、その記録が 残っているはず・・・。これでは、まるで、「七男」さんの除籍抄本を取ったかのようです。びっくりしたのは、それだけでは ありませんでした。戸籍筆頭主、つまり 私の曽祖父である 喜作さん。その喜作さんの欄には、その両親の名前と続柄、そして 出生年月日以外は なにも記載されていないのです。え?どういうこと?いままで 取り寄せた謄本には、個々の名前ごとに、上下2段に分かれた記入欄が、設けてありました。下段には、生年月日、両親の名前と続柄が 記載されています。そして、上段には、何月何日 どこで出生、だれそれと結婚、などと、そのひと個人の足跡ともいえる記載が ありました。が、曽祖父の上段には、ただの1行も 記入がありません。まったくの空欄です。こ、これは・・・???私は、狐につままれたような気持ちで、曽祖父の奥さん、つまり 私の曽祖母の欄へ 視線をずらしました。祖母の欄、上段には、死亡による除籍である旨がその年月日とともに書かれているだけでした。出生、結婚などについての記録は ありません。ど、どういうことなんだろう。なんだか、もともとあった戸籍謄本から 抜き書きしたかのようです。曽祖父母の周辺は、謎に包まれていました。そして、そのご両親、つまり 私にとっての高祖父母の名前はわかったものの、これでは、彼らの戸籍の所在地が わかりません。この先、どうしたらいいんだろう。私は、曽祖父・喜作さんの戸籍の、不自然ともいえる空欄を呆然と 見つめるばかりでした。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1ご先祖調査物語 その2ご先祖調査物語 その3 更新情報ふんわりすと ここから : おとなの余裕 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.19
祖父の除籍謄本を見ているうちに、おかしなことに 気づきました。亡くなった方も含め、男子5人、女子3人。8人兄弟の中に、「長女」がいません。私がいままで「長女」だと思っていた、父の妹、M子さんは、最初に生まれた女の子なのに、「弐女」と記載されていました。亡くなったH子さんは、「参女」その下のF子さんは「四女」です。祖父母の間に生まれた女の子は 3人なのに、四女がいる。長女が、いない。M子さんの前に生まれているのは、男子ふたり、長男&弐男。女子が 生まれた記録は、ありません。もし、M子さんの前に女の子が生まれていて、その「長女」が亡くなっていたのだとしても、記録は残っているはず。??????謄本を眺めているうちに、思いついたことが ありました。もしかして???その並び、右方向を見ていくと、「長女」との文字が・・・しかし、その「長女」は、母親。つまり、私の祖母であり、父たちの母、サダさんです。サダさんは、その両親、M次郎さん、M恵さんの長女。その意味で、サダさんの欄には「長女」と記載されています。でも、もしも。当時の戸籍係の勘違いで、サダさんを、この戸籍の中の、両親(喜一さんとサダさん)の長女としてカウントしてしまっていたら?それならば、最初の女の子であるM子さんは「弐女」と記載されるでしょう。その後の女の子も、順次「参女」「四女」となるでしょう。でも、この仕事のプロともいえる 戸籍係さん、そんなミスをするかしら?記録として残す前に、複数のひとが チェックしたりしないのかしら?不思議です。そして、可能性は、もうひとつ。実は、長男と弐男(私の父)は、戦前・戦中に、樺太で 生まれているのです。父が5歳まで樺太に住んでいた、という話を聴いたことがありますし、戸籍にも「樺太郡○×町にて出生」と記載されています。その頃は 裕福な暮らしをしていて、家に お手伝いさんがいた、「お坊ちゃま」と呼ばれていた、とか。戦後、北海道へ引き揚げてきてからは 悲惨な生活となったらしいのですが、その経緯は あまり 聴いたこともありませんでした。が、謄本の情報からすると。祖父は、北海道で生まれ育ち、樺太へ渡り、そこで、樺太生まれの祖母と知り合い、結婚。長男・弐男 が 樺太で生まれ、長女(戸籍では 弐女)以降の子供は 北海道で生まれた。そういうことになっています。てっきり、祖父母は 結婚してから 樺太へ 渡ったものとばかり思っていたのですが、違っていたようです。祖母のご両親は、戦後、どうされたのかしら?いまとなっては 確かめようもないことです。話が少し逸れましたが、「長女存在不明」のもう1つの仮説は ここに 関係してきます。「長女」は、たしかに存在していた。樺太で生まれ、8歳以下で、樺太で 亡くなった。でも、北海道へ戻ったときには 生存していなかったため、あえて 届を出すこともなく、戸籍にも 明記されなかった。そんな仮説も、立てられます。というのも・・・祖父は、北海道へ引き揚げたときに 戸籍をつくり直す必要があったようで、両親(私にとっては祖父母)、「長男」「弐男」に関しては、その新しくつくった戸籍に、樺太・北海道、両方の記録があるから。戦後のドタバタで、すでに亡くなった子の分まで 届け出る、という気持ちの余裕がなかった、という可能性も考えられます。・・・だとしても。「長女」が戸籍に記載されず、存在しないことになっている以上、「弐女」と書かれているM子さんを、書類上では「長女」とした方が理屈は合う、と思うのですが。どちらにしても、おかしな話です。父には 本当は「姉」もしくは もうひとりの「妹」がいたのかどうか?このへんは、父に 聞いてみるしかなさそうですね。でも。父を含め、ご家族全員、ご自分の戸籍謄本を取られたこともあったでしょう。あれ?おかしい!?って 思ったり、しなかったのかしら?それに、今回「除籍謄本」が取れたのに、よく見ると、戸籍上は まだ ひとり残っていることになっているんです。(お名前に ばってんが つけられていません)その方は ご結婚されているので 籍を出ていますし、第一、本当に 残っているのであれば 「除籍」にならないから、私も「除籍謄本」は 取れなかったはず。それも ちょっと 疑問に思うところです。人間のやることですから 間違いは あるでしょうけど、すっごく きちんと 管理されているわりには 妙なところが抜けていたりして、なんだか 不思議な感じがしました。ご先祖さまを調べているだけなのに、ちょっとした 探偵ごっこになってしまいそうですね。それにしても。ほかの方々の例を見ていますと、ものすごい昔まで 遡って謄本を取ることができた方も いらっしゃるようで。現代と違い、すべて「紙」で管理していた時代。戦争があったのに、すごいと思います。外国でも、そうなのかしら?日本人の几帳面さ、そして、代々 組織として それを 管理しつづけてきたことの重みを感じ、感謝しています。ありがとうございます。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづくご先祖調査物語 その1ご先祖調査物語 その2 更新情報ふんわりすと ここから : ゆがんだ唇 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.18
初めて取り寄せた、祖父の戸籍謄本。死亡や結婚により、家族は もう全員 その戸籍から出ていますので、正確には 除籍謄本です。 <ご先祖調査物語 その1> は、コチラ古めかしい文字が びっしりと書き込まれたその用紙は、単なる紙ではありませんでした。そこには、私の知らない名前が いくつもありました。まずは、祖父母の両親の名前。当然のことですが、祖父にも 祖母にも 両親があります。が、私は いままで、祖父母の両親にまで思いを馳せたことは 一度も ありませんでした。私の父も母も、10代の頃に、それぞれ 北海道・福島から、東京へ 働きに出てきました。そして、東京で知り合い、結婚します。ふたりとも、実家は裕福な家庭ではなかったため、子供の頃から 相当な苦労をしたようです。仕送りは ずっとしていたのですが、遠方ですし、実際の親戚づきあいは ほとんど ありませんでした。そのせいか、祖父母に両親がある、なんてあたりまえのことをも、恥ずかしいことではありますが、私は、まったく意識したことが なかったのです。おまけに、大きくなってから聴いた祖父の評判は、とても悪いものでした。こんなひとだった。あんなひとだった。家族に対する 仕打ち。家族は どれだけ 苦労したか。亡くなったとき、お葬式で泣いたひとは 誰もいなかった、とか。みんなが ほっとした、とか。私の数少ない記憶の中では いいおじいちゃんでしたが、父などの話を聞いていると、決して 褒められる親ではなかったようです。そんな、「悪人」と呼ばれたひと。だけど。謄本を見ると、そこには 祖父の両親の名前が ありました。祖父の名前は、「喜一」その父親の名前は、「喜作」お父さんの名前から、ひと文字とって、名づけられているのです。祖父は、明治生まれですから、戦争を いくつも 経験していくうちにもしかしたら、噂どおりの「悪人」になったのかもしれません。でも、生まれたときは、ただのひとりの赤ちゃんで、とても 歓迎されて 生まれてきたんだ。本当に、可愛がられて、宝もののように大切にされ、育ったんだ。名前を見ただけで、そんなことが 感じられました。それが 本当かどうかは わからないけれど、祖父の、誰も知らない一面を見たように 思いました。そして、ホッチキスで留められた 除籍謄本をめくっていくと・・・長男。次男。← 私の父長女。三男。次女。5人兄弟であるはずの戸籍には、そのほかに 3人の子供の名前が 載っていました。長女と三男の間に、2人。三男と次女の間に、1人。三男のはずだった叔父は、本当は 四男で。5人兄弟は、本当は 8人兄弟だった。早い段階で 除籍された この3人は、生後3年以内に(そのうち2人は、1年以内に)亡くなっていました。私の、叔父さん、叔母さんとなるはずだったひとたち。たしかに、そういえば。「本当は ほかにも兄弟がいたんだけど 貧乏だったから食べるものも 食べさせられずに 小さい頃に 亡くなったんだ」と、父から 聴いた覚えが ありました。でも、それは 昔話だった。私にとっては、現実のこととしては 感じられなかった。なのに、名前を見ると。何年何月何日、どこで出生、誰それによって届けられ、入籍。 何年何月何日、どこで死亡、誰それによって届けられ、除籍。ほんとに、本当の本当に、そのひとは 存在していたのです。歩くこともないまま この世を去った 赤ちゃん。子供を失った母親(私にとっては祖母)の悲しみ。父親(私にとっては祖父)は どのような思いでそれを届けるために 役所へ向かったのだろう。こんな世の中でなければ、もっと生きられたはずなのに。大人になるまで 育った子供。赤ん坊のまま 亡くなった子供。同じ大きさ、重さの いのちのはずなのに、その違いは、どこにあるんだろう。たった数行の文章の中に、まぎれもない その事実は 隠されている。ほんの一瞬のうちに、さまざまな思いが 駆けめぐりました。いままでも、私よりも先に家系調査を始めた方から、聴いたことは あったのです。この中の誰が 欠けても、自分は 存在しなかったんだ。という言葉を。でも、いままでの私にとって、それは そのひとの 単なる感想、上っ面を するりと 耳から 抜けていった言葉でした。それが、いま、自分のものとして わかりました。本当に、そうなんだ。誰ひとり欠けても。そして、幼くして亡くなった子供が、もし「次男」だったら?「次男」は結婚することもなく、自分の戸籍を設けることもなく、自分の子供を持つこともない。私は、こんなところで 生きていない。言葉にすると、とても 簡単なことなのですが、それを 自分自身で、本当に 実感することができた。それが いちばんの収穫でした。ただの、紙。もうその戸籍には、誰も 存在しない。わら半紙のように 古紙の混入された、白くはない、紙。いくつも 線が引かれ、ばってんが つけられて。「原本と相違ないと認証する」と 役所の印鑑が押された、紙。たった3枚のB4用紙に、たくさんのひとの人生が、いのちが、詰まっていました。私は、どきどきしながら、新しい申込書に、祖父の生まれた住所と曽祖父の名前を 記入しました。今度は、曽祖父の除籍謄本です。自分の戸籍謄本、取り寄せたばかりの祖父の除籍謄本も、同封。自分⇒父⇒祖父⇒曽祖父という 簡単な系図を、申込用紙の余白に、鉛筆で 書いておきました。これで、なんとか、わかりますように。ここからが、私の まったく知らない世界となります。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづく 更新情報ふんわりすと ここから : 素敵な呪文 AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~ 【レシピ】さつまいものオレンジジュース煮 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.17
いまさら・・・ですが、ようやく家系の調査を始めました。昨年のGWに、与那嶺正勝先生の家系講座を 受講しまして。家系を科学するなんと 我が家の苗字のルーツは 滋賀県らしい!? というお話が ありました。その後すぐ、自分の戸籍謄本を入手しに、市役所へ。そしたら、あれ、本籍地でないと 手に入らないのでしたね。すっかり忘れていました。本籍地、といっても 私の場合、同じ県内なのですが当然のごとく、役所って 平日の昼間しか やっていないでしょ?謄本を取るために わざわざ一日 休むのもなぁ。母か妹に頼んでもよかったんだけど、自分で やってこそ・・という思いもありまして。お盆休みになって 実家へ帰ったときに、本籍地の市役所へ行き、ようやく 手に入れることができました。結局、母も妹も お散歩代わりに くっついてきたのですが・・(笑)若くてカッコいい 戸籍係の方が 親切に 出してきてくれた私の戸籍謄本、特に 目新しい発見も ありませんでした。ええ。ここまでは、ごくカンタンなんです。今までにも やったこと、ありますし。ここから先が、問題です。うちの父の出身は、北海道。祖父は だいぶ前に 亡くなっています。同じ県内に出向くのも 重い腰だったのに戸籍謄本をとるために 平日に 北海道までは 行けません。郵送で 取り寄せることにして、市役所で その用紙を もらってきました。が・・・ここから、放置でした(爆)どうせなら できるだけ たくさん いっぺんに 取ってしまおう!どうしたらいいか、北海道の某市役所へ 電話して訊かなきゃ。でも、役所の勤務時間帯は、私の勤務時間帯でもあるんです(笑)なんか めんどくさいなぁ。ということで、そのうち 熱意も薄れ、すっかり 忘れ去り、そのまま ずっと 放置していました。以前にも どこかで書いたことがあったけど、「やらなきゃ」って思っているうちは、やらないんですね。年が明け、PCまわりのお片づけをしていたら、自分の戸籍謄本が 出てきました。おぉぉぉ。なぜか、とつぜん やる気になりました♪私の場合、市役所に電話するのが 面倒だったわけで。(どのように説明したら 欲しいものが手に入るのか、考えるのが 面倒だったのです)だったら、郵送料や手間は かかるかもしれないけれどまずは おじいちゃんの分を取り寄せて、そこから1つずつそのお父さん、そのお父さんへと さかのぼればいいじゃないの。それなら、電話しなくても、済むわ。 ← 電話嫌い(笑)郵便局で、定額小為替を購入し、申込用紙に記入。祖父と私の関係がわかるよう、自分の戸籍謄本を同封し、返信用封筒に切手を貼って、投函しました。(自分の戸籍謄本は、祖父のと一緒に返してくれます)そういえば。私、戸籍謄本と除籍謄本の違いがよくわからなくて、生きているひとの戸籍をあらわしているのが戸籍謄本、亡くなった方のは除籍謄本、だと思っていたら、違うみたいです。その戸籍に属して?いたひと 全員が、亡くなったり、結婚したりして その戸籍を出ると、その戸籍は 空っぽになってしまいます。その 空になった戸籍謄本を 除籍謄本というらしく、それは 普通の戸籍綴り?から はずされて、別のところへ移されます。あぁ。別の場所に保管してあるのを 引っ張り出さないといけないから。だから、手数料も 高いのね? ← ほんとかどうか 知りません(笑)「戸籍筆頭者」というのは、戸籍のインデックスのようなもの。その戸籍の戸籍筆頭者が亡くなっていても、インデックスとしては 活きています。だれか ひとりでも その戸籍を出ていないひとがいれば、戸籍筆頭者は、亡くなっていたとしても、戸籍筆頭者として存在し続けます。だから、亡くなった方の謄本を取る場合には、そのひとの属する戸籍に、まだ だれか 残っているかどうか?によって、「戸籍謄本」or 「除籍謄本」どちらを取るか変わってくるようです。ただし、↑ これらは 私の調べた範囲内での解釈なので、間違っているかもしれないし、用語の使い方も違うかもしれません。気になる方は きちんと 調べてみてくださいね。このあたりを ネットで調べていたら、市役所戸籍係の方が 匿名で開設しているサイトがありました。さまざまな届けモノに関する 正しい知識とともに、世間で誤解されていること、困ったお客さん?への対応など書いてあって、すごく おもしろかった & 勉強になりました。さてさて。申請書を投函し、間に 土日祝日を挟んだ数日後、祖父の謄本が 届きました。速達にしたせいか、北海道とはいえ、すっごく早く届くんですね。市役所の戸籍係の方、依頼書が着いたその日のうちに 返送してくださったようです。ありがとうございます。さっそく 取り出してみると・・・Oh!This is 戸籍謄本!!と言いたくなるような、達筆すぎて判読が難しい文字にて 書き連ねられた紙、紙。それは、単なる紙ではありませんでした。そこには、私の知らない名前が いくつも ありました。<たばちゃん家 ご先祖調査物語> つづく 更新情報○ふんわりすと ここから : 名前 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.15
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