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自分が心から望む人生を送ることを、自分に許してあげる。ずいぶん前に、メンターから聴いた言葉です。そのときは、いつものように「いま わからなくていい」状態だったのですが・・・きのうの午後、突然、「あ、こういうこと!?」と、ずきん、と きました。あることについて、いっぱい いっぱい 考えて。いろんなことに 気がついて。それから、それらを、ぜ~んぶ 横に置いたとき。自分の中で、GO! という感覚が 感じられました。そして、その 内側からの GO!と いう言葉を 手にしたとき、自由になったような、のびのびとするような・・・まさに、「Free!」という感覚が、胸に広がりました。そのとき、「自分に、自分のやりたいようにやることを、許してあげる」という言葉が、とても しっくりきたのです。それは、私自身の言葉で言うと、「自分の中に住んでいる ちっちゃな猫に、好きにさせてあげる」ということでした。その‘ちっちゃな猫’は、ひとによっては、‘魂’だったり、‘内在神’だったり、‘真の自己’だったり・・・いろいろな呼び方が あるでしょう。私にとって、その存在は、‘ちっちゃな猫’が いちばん ぴったりする呼び方でした。いままで、ずっと。猫なのに、首輪をつけて、リードをつけて、犬小屋に閉じ込めて。「お手」とか「待て」とか、無理やり 教え込んで。ずっとずっと、窮屈な場所に、押し込めてきたんだなぁ。そんなことに 気づいたのです。だって、日本社会では、猫より犬の方が、好かれるから。きちんとしていないといけないから。犬小屋に閉じ込めておかないと、逃げられてしまうから。理由は、たくさんあるけれど、それも また、「もう、いいや」って、思いました。猫は 猫らしく。せめて 家の中くらいは、自由に 闊歩させてあげよう。ここぞ!というときは、お外にも 出してあげよう。・・・そう、うちのちゅぅちゃんみたいに、ね。‘ちっちゃな猫’の存在に、もっと早く 気づいてあげればよかったんだけど。今回、私には 数十年(爆) という年月が 必要だったようです。とはいえ、これからも、いままでのクセが抜けなくて、ついつい、犬小屋の扉を ばたん、と閉めてしまうかもしれません。寝ている猫を たたき起こして、「お手!」「お座り!」と、命令してしまうかもしれません。だけど、生まれ変わったような、この すがすがしさを大切に胸に抱き、丁寧に 生きていけたらいいなぁ、と 思います。ありがとうございます。 更新情報○ AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~<みんなの AUDREY'S KITCHEN>生春巻 チーズ入り♪ ~千人の方に一羽ずつ鶴を折ってもらって、それを糸で結んだ千羽鶴を8月平和公園に持っていこう~私、しばらく 折り紙を持って歩いています。参加してくださる方は、お気軽に声をかけてくださいね。説明用のチラシが必要な方は、↓ こちらをどうぞ。その1 その2 その3 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 ただいま、『光と影の法則』キャンペーン中。心屋仁之助さん の新刊、『光と影の法則』を、直筆メッセージカード付きで プレゼントしちゃいます☆ クリックするだけで募金ができます。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。ただいま、クォンタム・タッチの無料体験をしていただいています。ご希望の方は、ご予約時に お問い合わせくださいね
2009.05.20
最近、ある種のトラブルでは 感情が揺さぶられなくなりました。過去を ふりかえってみて 見えてきたのが、「私は 自分の正しさを証明したかったんだな」ということ。しかも「正しいという状態」を「証明したかった」のではなく、「正しさを証明したい」という「行動をしたかった」らしく・・・あ、だから!!何度も何度も、「証明しなきゃ」という状況をつくりだしていたのだな、ということが、あっさりと 見えてきました。とほほ。無意識の意図が ほんのちょっとズレているだけで、まったく 違う状況を 引き起こすようです。でも、まぁ。こんなことに気づけたならば。きのうからの トラブル続出も 意味があった、というもの(笑)ありがとうございます。 更新情報○ふんわりすと ここから 春から初夏のお花たち ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。ただいま、クォンタム・タッチの無料体験をしていただいています。ご希望の方は、ご予約時に お問い合わせくださいね クリックするだけで募金ができます。
2009.03.12
ここ数ヶ月のテーマは、『自動的な反応で行動するのを やめる』 ことでした。単なる反応で その行動を選んでいたことをも 知らないまま、同じようなことを ずっとずっと 繰り返してきました。ようやく、それが 私のいつものパターンなのだ、ということに気づいて・・・とりあえず いちど 立ち止まり、自分で選択する、ということを やろうとしていました。そして、どういうときに 「それ」は 起こるのか?なんのために やっていたのか?立ち止まり、自分で選択する練習を 重ねていくうちに、それらが 少しずつ 見えてきたところでした。いままでとは 違う道を歩こうとしているわけだから。方向を見失っては、同じところを ぐるぐる歩き回る。転ぶ。溝にハマる。犬に追っかけられる(笑)・・・などなど。そう簡単には いつものパターンを 抜けられません。本当に、この道で いいのだろうか?終わりのないようにさえ見える 同じことの繰り返しにどんよりとしていたとき、1枚の絵葉書が 届きました。e-mail が 瞬時に届く、この世の中。5日も かかって届いた air mail は、端っこが少し折れていました。そこには、私の行ったことのない街、見たことのない夕暮れが、光り輝いていました。そして、懐かしい筆跡で記されたメッセージに、また 自動的に反応しそうになって。私は、気づきました。これが、私の繰り返してきたパターンの 『根っこ』!?それが 私の価値証明の方法である、ということには、だいぶ前から 気づいていました。だから なかなか やめられないことも、知っていました。だけど、その真の目的は、もっと切実なものだったのです。周囲に自分の価値を証明する以前に、自分ですら認められない 自身の存在価値を、そこに 見出そうとしていたらしい。薄々 知ってはいたけれど、ようやく それを 自分のこととして 認めました。そして、もうひとつ。それをやることによって、私は 自分のエネルギーチャージを していたのです。いえ、正確に言うと、それによって エネルギーチャージできる、と、想定外の領域で 信じ込んでいたのでした。でもね、よぉく考えてみると。その行動は、その真の目的を果たすためには少しばかり 的外れであることが わかります。飲んだお酒の体内アルコール度数を下げるためなのか、口直しなのか、日本酒とお水を交互に飲むおじさんがいますが・・私が やっていたのは、お水の代わりにビールを頼み、「日本酒をビールで薄めてるの♪」と日本酒とビールを交互に飲む、・・・みたいなことでした(爆)いま、思うと。そのときは 美味しいかもしれないけどK子ちゃんじゃないんだから、そりゃ、潰れますわ(笑)これじゃ、二日酔いにもなるよな。少なくとも、悪酔い防止には なっとらんよな・・・要は、気づいてみれば 理論的にも合っていないようなことを、ずっと ずっと 一生懸命 やり続けてきた、ということなのです。人生は、自分に対する問いかけとその答の連続で、答は、いつでも、どこにでも 用意されている。いつ 気づくか?どこで 気づくか?それもまた、自分の選択。多くの存在、出来事に助けられ、そして ときには、知らないうちに 誰かに 手を貸しながら。それぞれ 自分の道を、草刈りをしながら、歩いていく。絵葉書に書かれている、とっても魅力的な、しかし 計算しつくされた(笑) 申し出に。自分のパターンの‘根っこ’を知った 私は、またもや 選択を迫られて、にやにやと 笑うばかりなのでした。Thank you, Jamie ☆お返事書くの めんどくさいから・・・(爆) 30秒で 日本に帰ってきてくださいっhahahahaha! 更新情報○ふんわりすとへようこそ!右足と左足、そしてエジプトの壁画より ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。ただいま、クォンタム・タッチの無料体験をしていただいています。ご希望の方は、ご予約時に お問い合わせくださいね。 クリックするだけで募金ができます。
2009.03.10
数十年前の今日、私は 生まれました。本当は、3日後、3月6日に 生まれるはずだったのです。が、母が、うんと 頑張りました(笑)当時は、生まれてみないと 男の子か女の子か わからなかったし、私が あまりに元気に おなかを 蹴っ飛ばすものだから、おなかの外では 男の子用の名前が 用意されていました。だけど、母の誕生日も、3月3日。男の子だったとしても、どうせなら、同じ誕生日にするわ☆ と 母は燃えました(笑)ちょうど、雪が降っていたのだそうです。「運動すると 早く産まれるらしい」という誰かの言葉を信じた母は、なんと、外で、近所の子供たちと 雪合戦をしたんですって(驚)そんな努力?の甲斐あって、数十年前の今日、私は 生まれました。ええ。両親の期待と準備を 大幅に 裏切って。元気な 元気な 女の子でした(笑)そんなわけで、母と私は 同じ誕生日なのです。毎年、母に「お誕生日おめでとう」と 電話します。すると 母も「みみちゃんも、おめでとう」と 言ってくれます。今日も お昼休みに 母に電話すると、花福さん にお願いしたお花が すでに 届いていて、とっても 喜んでくれていました。ごめんね。わたしは (収入がなくて)なにも プレゼントできないのに・・・と いじらしいことを言う 母に、思わず 私は・・・いいのよ。産んでくれて・・・ありがとう。うる、うる、うる。。。なんてことを さらりと言う、かわいい娘では ありません。いいよ。たいていのものは、持ってるから。と返す、相変わらず 高飛車な(しかも学習してない) 口の減らない、爆撃娘 オヌシ、なにやってん!?ココやろっココで、「産んでくれて ありがとう」やろっ!?天から、黒いコートを着たひとが 叫んではります(笑)ま、しかたないわよねぇ。やれやれ。そこから ちょっと 話をして、普通に 電話を切りました。先週も 一度 実家に 立ち寄っているし、再来週も 行くことになっているので、たいした話は ないのです。切る直前、ポロリ、と 口を すべらせました。ぶたさーん。 ← 母の愛称産んでくれて、ありがとう・・・・。カードにも 書いてあったわねぇ。そう。花福さんにお願いしたカード の最後の行には、この「禁断のひとこと」が 書いてあったのでした。いやぁ。こんなこと言うの、「生まれてこなきゃ よかった」とか「産んでくれと頼んだ覚えはない!」とかって騒いだことあるような、言い方だけどね(笑)そうなんです。私が それを言うのを 抵抗していたのは、いままでに、そんなふうに思ったことが、なかったから。人並みに、「死んでしまいたい」と 思ったことはあるけれど。「生まれてこなきゃよかった」と 思ったことはないし、「産んでくれと頼んだ覚えはない!」と 親と喧嘩したことも、ない。だから、わざわざ 「産んでくれて ありがとう」なんてこと、口にする必要性を 感じなかったのです。それに、自分で言うのも ナンですが、大昔に 大喧嘩したことはあったけど、いまは両親とは ごく普通に 仲が良く、特別な確執などもありません。言おうと思えば、いつでも言える。だから、なにも いま、言わなくたって・・・それって、なんか、わざとらしいじゃん。言いたくなったら、言えばいいじゃん。ずっと、そんな感じでした。もちろん、日本男児としては (わたしゃ 男児ではないが・・)そんな こっ恥ずかしいこと、ぬけぬけと 言えるかい!?というのも、あったんですけどね(笑)だけど。ぽろっと。言っちゃった・・・が、さすがは、うちの母 でした。一瞬の間のあと・・・あーら。うん● みたいに、ぽろっと出ちゃったのよー。だから、あなた、私の うん● なのよ? おかーさま。もうちょっと、なにか、言い方が ございますでしょ?よりによって、娘をつかまえて うん● だなんて。わざわざ 大文字にする 私も、私である(爆)↑ やれやれ。結局は、似たもの親子なんですね。私は、一生、この母には 勝てないでしょう。親に 「うん●」と 認定された私は、冷たい空気の中、急ぎ足で 会社に 戻りました。灰色の空からは、はらり はらりと 小雪が 散り始めていました。雪は 積もるのでしょうか?私が生まれた あの年のように。 ~ 禁断のひとこと物語 全2回(予定) 第1話 <完> ~ ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。ただいま、クォンタム・タッチの無料体験をしていただいています。ご希望の方は、ご予約時に お問い合わせくださいね。 クリックするだけで募金ができます。 3月5日、広島で、CTCのオープンセミナー あります。 ~ 幸せになるコミュニケーション ~
2009.03.03
改札口で 待ち合わせをしていました。かなり早めに着いた私は、柱に もたれかかって、ぼーっと 待っていました。待っているの、好きなんです。本を読んでいてもよかったんだけど、その待っている時間を 味わいたくて。マスター式呼吸法(笑)で、立ち坐禅?を してみました。残念ながら、「無」になることは できなかったけれど、いろんなことを 思い出しました。ほんとに、いろんなことを 思い出しました。ついでに、思い出しました。本当は、自分は 幸せだったんだ、ということを。言葉にすると 嘘くさいかもしれないんだけど、「気づいた」のではなく「思い出した」のです。ぽろぽろと、涙が あふれてきました。マズい。このままでは「バレンタインデーに 約束をすっぽかされた女の子」に なってしまう!涙をぬぐっていたら、コンタクトレンズに ゴミが入って左目だけ、大泣きしました(爆)・・・・幸せの涙で終わっていれば、『いい話』だったのにね(笑)ありがとうございます。 更新情報ふんわりすと ここから お弁当の思い出3 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。ご希望の方には、クォンタム・タッチのモニター施術サービス中♪ クリックするだけで募金ができます。
2009.02.14
続けることに 理由はない。メンターのブログに書いてあったことを、思い出しました。詳しくは、こちらを どうぞ。 ⇒ 「理由がないゆえに継続する」相変わらず 坐禅は続かない、というか、すっかり ごぶさたしたままの 私ですが 最近、その言葉を 自分の体験として 実感しています。飽きっぽい私にしては 珍しく、もう半年以上毎朝 続けていることが あるのです。その勝因(笑) は・・・・簡単で さほど時間を要さない。・できるときだけ、やればよい、と思っているなのですが、さらに もう1つ。それをすることに、理由や期待がない。そんなことに 最近 気づき、あの、メンターの言葉を 思い出したのでした。期待がないから、それを続けた結果として なにも なくても、痛くも 痒くも ないわけです。おまけに、それをする理由がないから、やめる理由も、ない(笑)「理由がない」って、実は 楽なことなんだな、ということも、知りました。これは、私にとって、とても わかりやすい事例だったけど、生きていく上で、これと似たようなことって、意外と たくさんあるのかもしれませんね。そして、「期待していない」と 言いつつも。いま現在、大きな不幸に見舞われることもなく、毎日 普通に、生きていられる。このことこそが、もしかしたら、大きな結果なのかもしれません。生かしていただいて、ありがとうございます。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.24
その夜、白ずきんちゃんは 初めて、ひとりで おでんやさんのカウンターに 座りました。カッコいいおやじさんの仕切っている このおでんやさんは、女の子たちの間で とても人気があり、白ずきんちゃんも数年前から 通っているお店でした。が、いつも お友達と 一緒でしたし、ランチタイムには ひとりで来たことがあるものの、夜、カウンター席に ひとりで 座るのは、初めてのことでした。白ずきんちゃんが どきどきしながら 座っていると、おやじさんは、いろいろなお話をしながら、白ずきんちゃんの好きなものを たくさん 食べさせてくれました。ココに ひとりで来るなんて、ムリ!ずっと そう思っていたのに、実際に やってみたら、意外にも どうってことない感覚で座っている自分に びっくりした白ずきんちゃんでした。おなかも だいぶ いっぱいになりかけたところで、おやじさんは 言いました。白ずきんちゃん。次は、卵だよ。白ずきんちゃんは、わなわなと 首をふりました。わたし、卵は いいです。なんで?卵は、おでんの花形です。おやじさんは、不思議に思ったようでした。わたしが、た、たまごだなんて・・・白ずきんちゃんの目が、泳いでいます。おやじさんは にやりと 笑いました。白ずきんちゃんは、卵を、どんなものだと思っているの?白ずきんちゃんは、ちょっと 考えました。卵って・・・あのぉ、白身と黄身と、2つの顔があって。ひとつの食べ物のくせに、わけわかんないでしょ?どっちかにしろ、って感じじゃないですか。わたし、卵は、いいです。白ずきんちゃんが 卵を嫌う理由こそ、わけわかんないものでした。それでも 白ずきんちゃんは、わなわなと 首を ふり続けました。おやじさんは、にっこり笑って、言いました。卵っていうのはね・・・白身には 白身の味わいがあり、黄身には 黄身の味わいがある。白身の ぷるぷる加減に、黄身の しっとりとした この儚さ。僕は、両方 好きだなぁ。別々に食べてもよし、一緒に食べてもよし・・・おやじさんは、卵の魅力に関する おやじさんの持論を、とくとくと 語ってくれました。白身には白身の味わいがあり、黄身には黄身の味わいがある・・・白ずきんちゃんは、つぶやきました。実は、白ずきんちゃんは、卵を 食べたことがなかったのです。なぜなら、こんな平凡なわたしが、卵なんか 食べてはいけない! と、信じていたから。白ずきんちゃんは、わけもなくわたしは 卵に ふさわしくない! と、思い込んでいたのでした。白身のぷるぷると、黄身のしっとり・・・白ずきんちゃんは、おやじさんの言葉を繰り返すと、そのまま 宙を見つめて 黙ってしまいました。そんな白ずきんちゃんを見て、おやじさんは、ふたたび にやりと 笑いました。特定のネタを食べることに抵抗を覚えるお客さんは、実は 少なくないのです。長いこと この商売をやっている おやじさんには、その仕組みが よく わかっていました。白ずきんちゃん。卵、食べていいんだよ?ひ、ひぇぇぇ!白ずきんちゃんは 目をむきました。ほんとは 卵、食べてみたいんでしょ?ぶるんぶるん 頭をふる 白ずきんちゃんのほっぺたは、真っ赤になっていました。い、いいです。この次までに、考えときます。ご、ご、ごちそうさまでした!白ずきんちゃんは、ぶるぶると首をふりながら、カウンター席の高い椅子から 飛び降りると・・・・うまく着地できずに、コケました。こんなところで コケてるようじゃ、わたしに 卵を食べる資格なんて。。。白ずきんちゃんは、ますます悲しくなりましたが、おやじさんは、白ずきんちゃんがコケたところは スルーしてくれたようです。卵、美味しいのになぁおやじさんは、お鍋の中をのぞきこみながら、ひっそりと つぶやいていました。たまご、たまご、たまご・・・白ずきんちゃんは、外に出ると、真っ赤な顔に 白ずきんを深くかぶり直し、ぶつぶつ つぶやきながら 歩き出しました。その白ずきんが、卵の殻と同じ役割を果たしていることに・・・白ずきんちゃんは、まだ 気づいていませんでした。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.21
これって、キリがないんじゃないのかな。そう思いました。ここ数ヶ月で、いくつかの影を 見つけてきたけれど。たぶん、影は いくらでもあって、浅いものから 深いものまで、次から次へと 姿を見せる。いくら 影を統合したところで、この状態を 自ら 抜け出そうとしない限り、抜け出せないのでは?影踏みに興じてばかり・・・になっていない?『鏡』の出現もあり、そんなことに 気づきました。うん。もう いいや。ここ、抜ける!そう決めて 飛び出そうとしたときに 見えてきた、もうひとつの姿は・・・大きくて、薄っぺらくて、透明で、私に ぴったりと張りついている、だけど ほんとは ちっぽけで、とても 怖くて 哀れな存在でした。誰にも、見せられない。自分にも 見せたくないから、隠してた。いままで ぜんぜん 知らなかった。ううん。どこかで知っていたけれど、見ないふりをしていたのよね。弱くて 透明な、最強の影。これが 今までで いちばん 強かった。でも、それも、たしかに、間違いなく、私。こんなんでも、私。自分でも すごく意外だったけど、私。ずっと 一生 一緒にいる、私。統合とは・・・そんな自分がいることを 認識し、そんな自分に OKを出し、そんな自分と 一生 共にいること。いままで 感覚としてしか わからなかった『統合』をようやく 自分の言葉で つかむことが できました。ありがとうございます。 更新情報ふんわりすと ここから 涙 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ! Jamie's workshop in Hong Kong !
2009.01.21
それ は 私から離れたわけではなく、奥深くへ 潜りこんでいただけでした。過去の鏡、と 思っていたけれど、いま、ここに あらわれてくるからには、やっぱり 意味がある。鏡に映っている この私。なぜ、そのメイクをしているんだろう。なにが欲しくて、その色の服を選び続けているんだろう。どうして?なぜ?それは、なに?映った自分を見ながら、映している自分に 問いかける。ゆっくり、ゆっくり 潜っていけば、鏡の中の私は、しぶしぶ 口を開き始める。小さな声で つぶやいた、それ は・・・とっくの昔に手放した、と 思っていたものでした。そっか、これも 影だったんだ。一生懸命 外に追い出そうとしていたけれど、間違いなく、私の一部だったんだ。黒く、硬く、コチコチになった影は、猫のように 素早く、さっと 私の中に 飛び込んでくる。かつて 異物として扱われた、その影は、猫のように そろそろと、様子を伺いながら。私の中に 溶け込んでいく。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.20
やっと見つけた、あなたの名前。ううん、ほんとは 1年も前から 知っていたのにね。知らん顔を、していたの。ずっと ずっと、私の中に 隠れて住み続けていたくせに、急に、じわじわと 胸に広がりはじめた、黒い影。あなたの正体は、わかってる。あとは「名前」を 見つけるだけ。でも、どんな名前で あなたを呼んでも、響かない。なんか、違う。どこか、違う。正しい呼び名を、ここ数ヶ月、ずっと 探していたよ。あまりに長い かくれんぼ。鬼を助けるために やってきたのは、足の長い天使でした。熱に侵された天使は、私の目の前で「あの言葉」を なんども なんども 繰り返していたっけ。こんなにもわかりやすいメッセージ。いまごろ やっと 気づくなんて。もとはといえば 自分の中から出てきた「あの言葉」は回りまわって、私の元へ 戻ってきました。統合への道しるべとなってふたたび 私の前へと あらわれました。あぁ、これが あなたの ほんとの姿だったのね。それが あなたの名前だったのね。種明かしをしてみれば、どれも これもが すべて わかっていたことなのに。ただ、1本の線で つながるだけで、影は 影として 名乗り出てくる。やっと、見つけたよ。声をかけるよ。名前を呼ぶよ。巨大なまでに広がっていた 厚く大きな黒い影は、あのときと同じように。胸の奥で、あたたかく 薄く、光を放つ。やっと わかったよ。ずっと そこに、いたんだね?自分の居場所を与えられた『影』は、色を失い、ただ 蛍のように ぼぉっと光る。わかってるよ。ずっと、そこに、いるんだよね? ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 赤木広紀さんが ミッション について お話します。 詳細は、こちら を どうぞ。 ゆうこちゃんは 自分のキャッチフレーズ作成教室 やりますよ!
2009.01.16
メンターが 教えてくれたことのひとつに、「○○のおかげ」というのを 手放す というのがあります。もう 何度か書いているかと思うのですが、セミナー後の雑談でこの言葉を聴いたとき、いやに むずむずする自分がいました。その後、この言葉に関しては、何度も、「あ!」という発見があります。先日、洗濯をしている最中に、また 「あ!」と 気づいたことがありました。ちなみに、洗濯そのものは、関係ありません(笑)が・・・私、いまだに 二槽式の洗濯機を使っているのだけど、どうも、洗濯層から脱水層へ 洗濯物を移す作業中に、さまざまな気づきや ひらめきが 降りてくることが、多いみたいです。二槽式洗濯機愛好家にはそれなりの理由があるようです。←ホントか? さて。そのとき 気づいたこと、というのは・・・(具体的には 書かないけれど)一瞬、一瞬であると同時に、継続である 、ということ。どれも これもが 大切な一瞬であるけれども、それだけでは 成り立たない。その瞬間があるからこそ、次の瞬間がある、ということ。そして、それは ずっと継続している、ということ。う~ん。言葉で うまく 説明できないなぁ。これ、先日の「判断しない」 と似たようなものなのかもしれません。今回、これに 気づいたことで、私自身の中にある、あるものが あぶりだされたわけだけど。それは 置いといて(笑)それでも、やっぱり、言いたい。○○のおかげです。私が 認識していないかもしれない一瞬に 想いを馳せるとともに、私が 認識した一瞬に対して、言いたいのです。ありがとうございます。○○のおかげです。 「○○のおかげ」を手放す を耳にしたのは・・・ここ 更新情報 ふんわりすとへ ようこそ! クリスマスの香り ふんわりすと ここから ドジったサンタ 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.12.26
また、ゲド戦記から・・です。 ゲド戦記3 さいはての島へこのような言葉が ありました。「探す男は セリダー(←地名)にはいないが、見つけ出すためには そこへ行かなければだめだ」読んでいる最中は ストーリーを追うのに夢中で、さして 気にもとめていなかったのですが、あとから 気づいたことがありました。「探すものは それではないが、見つけだすためには それをしなければだめだ」このような意味も 含まれているのではないか? と。人生の目的や ライフワークを探して、あれやこれや いっぱい やってきたけれど。たとえ その中に 答は なくとも、それを経験することで 得たものは、はかりしれません。結局のところ、経験することが いちばん大切なようです。手に取ってみないと、それが 探していたものなのかどうか、わからないのだから。たとえ 手に取ったものが 探していたものではなかったとしても、「これじゃなかった」という答を 得ることができるのです。そういえば、あのとき あのひとも そんなお話をしてくれていたのでした。あまりに「ハズレ」が続くと くじけそうになるけど。ハズレ券を いっぱい集めればなにか いいもんと 交換できることがある(笑)実は、ハズレ券の裏側には、探しもののヒントとなる共通の魔法の呪文が 書かれているのかもしれません。・・・探しているうちは 見つからないけど、ね。ありがとうございます。 更新情報 ふんわりすと ここから 【銀のはちみつ物語】あのとき 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.12.24
いまさら・・・ですが、ゲド戦記シリーズを 読んでいます。 最初は、師匠 の メルマガ に書いてあったことから 興味を持ち、どうせなら!と 原書で読み始めたものの、まもなく挫折(笑)ほったらかしだったところに、メンター から 興味深いエピソードを聴いて、早く読みたくなって、日本語訳版に切り替えたのでした。3冊目を 読み終えたところなのですが、ついさっき、「あぁ!」と 納得したことがありました。物語では、登場人物は、真の名前を そう簡単には 明かしません。真の名前を知られた相手には、自由に操られてしまうから。もしかしたら。これって、自分自身のシャドー(影)についても同じことが言えるのではないかな?と 思ったのです。私の場合、ある感情とか感覚とか、状態とかについて、自分にとっての適切な『呼び名』が 明らかにならないと、自分のものとして 認めることができません。どんなに 一般的な表現でも、他の人も使っている 適切な表現だとしても。あなた、○○を持っていますね!?と 指摘されたとき。その ○○ という名前が、私にとって ぴん!とこなければ、どうにも しっくり こないのです。ところが、ある瞬間、私の中の その存在の、私にとっての 真の名前が 浮かび上がると・・・あぁ、これは たしかに、自分の中に あるものだ。そのとき、初めて、その存在を認めることが できるのです。先日 経験した、「影を統合する」という感覚も、その影の、私にとっての真の名前を 探し当てた瞬間に、初めて、感じることができました。胸の奥に灯がともるような、ほんのりと温かい感じ。統合とは。飲み込むことでも 違う色に染め直すことでも ありませんでした。ただ、「そこに いるんだね」「ずっと そこに いたんだね」それに 気づくことでした。私の場合。ここ数ヶ月で 浮き上がってきた、また別の影が あります。おぼろげな輪郭は、わかっているのに、捕まらない。その影に呼びかけるべき名前が見つかるまでは、私の外側を 跳ね回り、するりと カタチを変えて、逃げ続ける。なんと呼べばいいんだろう、この感覚は。真の名前を見つけるまでの間、その存在と一緒に過ごそうとする歩みよりが、もしかしたら、いちばん 大切なのかもしれません。ありがとうございます。 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.12.23
メンターが 教えてくれたことの ひとつに、自分が 自分に仕掛けた 人生の謎解き というのがあります。(細かい言葉遣いは忘れてしまったのですが、こんなような意味です) 人生は すべて予定通り。どんな出来事も、なにかに気づくため、自分が 引き起こしている、もしくは 引き寄せている。生まれてきた目的、今回の課題など、大事なことは生まれてくるときに 忘れてきてしまったけれど、それを 思いだすヒントは、ちゃんと 仕掛けてある。自分で 自分に なぞなぞを 出して、それを 解いていくんだよ。そんなような お話だったかと思います。私が 心底 ずどんと落ちて「もう降参するから、その答、教えてください!!」と お願いしても。自分で解いていくのがおもしろいんだ。他人が 答を教えてあげるなんで、野暮なこと このうえない。そう言って、教えては くれませんでした。そのとき話題にしていたことに関しては、いまでも 謎解きは 出来ていないけれど。少なくとも 「自分で解いていくのが おもしろい」という点については、このごろ、よく わかってきました。答は とつぜん やってきて。ずどん、と 胸の奥を爆破します。その瞬間は、理屈ではないんです。理屈が大好きな、この私が(笑)「理屈なんかじゃない」と言い切れるほどの衝撃で、突然 やってきます。私の場合、「腑に落ちる」という感覚ではなくて、胸に風が通った後で すぐに頭に昇っていく感じなんだけど。それって、ほかのひとにとっての「腑に落ちる」感覚と同じなんだと思います。後から 振り返って、理屈で追おうとしても、うまく いかない。誰かに説明しようとしても、たぶん 納得できるような説明は できない。あたり・はずれ が あるとしたら、「これが あたりだ」と わかるのは、自分だけ。おまけに、あまりに 気づきが大きいと、気づくきっかけになった言葉(状況)、その過程など、肝心なことが 飛んでしまうのが、めっちゃ 悔しい(笑)でもね。ぱっと、豆電球が点く程度の気づきから、その瞬間に泣きだすほどの衝撃的なものまで、その深さは、さまざまだけど。その、わかった瞬間が、たまらないのです。止まらないのです。どんなにショックな内容だったとしても、「気づいたこと」に対する嬉しさの方が 大きかったりする(爆)ほんとに、ほんとでした。ぜんぶ、自分で つくってる。こんな おもろいこと、自分で発見しないで、どうするんだろう。手強いものは 誰かに 手伝ってもらいたいけど。ただ単に「気づくだけ」のための基礎体力をつけるトレーニングにずいぶん 時間を 費やしたけど。たぶん、自分で 気づかないと、意味がない。誰かの なにげない ひとこと だったり。誰かの 意図的な ひとこと だったり。そんなことを きっかけとして、ひとつひとつ 輪をつなげていくことで、たどりつく。どこに ヒントが隠れているかは、わからない。転んでも、崖から落ちても、海で おぼれても。それでも、その視点でしか 見えないことが ある。ふだんの自分の目の高さでは、気づけないことが ある。ぜんぶ、ぜんぶ、吸収して。ぜんぶ、ぜんぶ、受け止めて。自分で 大地を蹴って、歩いていく。こんな 楽しい遊び方を 教えてくださった メンター に、感謝です。ありがとうございます。 ちょっとマニアックな遊園地の切符売り場は、こちら です。 更新情報 ふんわりすと ここから 1+1=3 AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~ <ひとあしお先に> リンゴのコンポート 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.12.21
この世には、真実は ひとの数だけ 存在しているのかもしれません。この地点からの真実が見えるのは、このひとだけ。あの地点からの真実が見えるのは、あのひとだけ。どれも ほんとで、どれも、幻。そして、その真実に触れたとき、そこには 事実が存在するだけ。罪悪感は、真実を覆い隠す 隠れ蓑にしかなりません。だから。『罪悪感は 要らない』のかもしれません。ふと、そんなことを思いました。ありがとうございます。 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です。 ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.12.19
道を歩いていたら、いきなり バレーボールが 飛んできて、アタマに 当たりました。バレーボールの持ち主は、見当たりません。どこから 飛んできたのかも、わかりません。そのボール、どこへ 返したらいいのかも、わかりません。そのボールを 蹴っ飛ばしたり、壁にぶつけたり、「だれのボールですかぁ?」と 叫んでみたり。しばらく、そんなことを していました。今までだったら、「なんやねん!」と 怒涛のごとく 怒っていたのですが(爆)どうせ私の前に 転がってきた ボールは、私に関係があるんだもの。ちょっと 怒ってみたりもしたけれど(笑)あきらめ半分、ボールを 転がしておりました。なかなか 持ち主が見つからなくて。これ、どうしたもんかいなー とボールを じーっと見つめていたら、あることに 気づきました。あ、このボール。私が 1年前に 放り投げたボールと よく似てるやん。投げたボールは、いつか 返ってきます。同じ色で 返ってくるとは 限りません。同じ大きさで 返ってくるとも 限りません。投げた方角から 返ってくるとも 限りません。ぜーったいに 返ってくるとも 限りません。だけど、私のボールは、私の元へと返ってくるみたいです。少なくとも、このとき、このボールは あのとき 私が投げたものだったんだ と いうことに、気づきました。そっか、そっか。このボール、あのとき 投げたものやったんか。よーく見ると、そのボール。私が投げたのは、ボーリングの球だったのに、飛んで返ってきたときには バレーボールになっていました。よーく見たら、そのボール。自分の投げたものである、ということに気づいた途端、いつのまにか、おもちゃのビーチボールに なっていました。私が あのとき 投げたボールなら、しかたない。自分で持って帰ることにしよう。ビーチボールを両手に抱え、とことこ 歩きだしたら、そのボールを 私に投げた人物が、あらわれました。「すんまへん。そのボールで遊んでたら、飛んでしもうて・・・」人生って、ほんとに おもしろい。こんなおもしろいことに 引きずりこんでくれた メンター に、感謝ですありがとうございます。 マスターのシリーズセミナー次回のテーマは、パートナーシップです。 更新情報 ふんわりすと ここから 幸せは・・・ 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.12.03
その存在を、こんなにも穏やかに受け入れることができたのは、初めてでした。ちょっと顔をのぞかせているのを発見しては、即座に押し戻し、鏡に映った姿を見ては、ピシリと叱責し。そんな自分がいることを、ものすごく毛嫌いしてきました。それの、なにが そんなに いけなかったんだろう。どこを そんなに 嫌がっていたんだろう。たしかに、そんな自分がいることを認めるのは、恥ずかしいことだし、かっこ悪いとも思うけどね。今は ただ、ちょっと恥ずかしくて かっこ悪い その存在と、一緒にいる。お得意の分析もせず、妥当性承認もせず、突っ張った否定もせず。黙って、胸に 置いておく。ヤツも、黙って、そこにいる。自分の中の『影』は・・・怖れていたような、おどろおどろしいものではありませんでした。真っ黒い、目を背けたくなるようなものでもありませんでした。あることがきっかけで、『闇』や『影』って、怖れているほどのものでもないのかもしれない。意外と、たいしたものではないのかもしれない。と 思うようになって。そんなふうに 条件を下げてみたら、『影』は、姿を見せてくれました。これから、いくつの『影』と ご対面していくことになるんだろう。夕陽に照らされて 長く伸びた影が、私が振り返るのを待っています。鏡は 本当に 鏡であった、ということ。ただし、その姿が 自分のものとして 受け入れられるようになるにはほんのちょっとの言い回しの違いが 大切だ、ということ。そして。今回、『統合』の感覚が、初めてわかりました。ありがとうございます。 マスターのシリーズセミナー次回のテーマは、パートナーシップです。 更新情報 ふんわりすとへ ようこそ! 精油とペンデュラム ふんわりすと ここから : 宿題 AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~厚揚げと水菜のサラダ 東京神社めぐり してみませんか?開催決定のため、明日まで お申し込み受付中です。「日本の神様カード」を使った ミニカードリーディングもあるかも 2009年版 天使のカレンダー☆プレゼント中です ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.11.22
不思議なもので、あることに気づいた瞬間、すっと 軽くなりました。その言葉自体は、何度も メンター から 聴いていた 言葉だけど。「自分のもの」として 入ってきたのは、初めてかもしれません。そっか。この言葉、そういう意味でも 使うんやったな。しばらく続くかと思われた、長く深いトンネルからも、思いがけず 早く 出てくることができました。んー。ちょっと違うかな。そこが、私にとって トンネルでなくなっただけなのかもしれません。認めたほうが、早い。この世界で起きていることは、自分で ボールを 天高く放り投げ、落ちてきたものを 受けとめるようなものだけど。私は、落ちてきたボールを、「私の、こんなボールやなかった!」といって壁に向かって投げ返すもんだから。それが跳ね返ってきて、怪我をする。次から次へと 壁を変えて ぶつけるもんだから、あっちからも こっちからも 勢いを増して 返ってくる。「なんで こんな痛いめにあうのよ!」と 性懲りもなく片っ端から 投げ返すもんだから。・・・あとは ご想像に おまかせします(笑)天に投げて、落ちてきたボール、そのまんま 受け取るだけでよかったのにね。自分は、がっしりと、そこに 立っていることが 必要だったのにね。そして。黙って そこに立ち、落ちてきたボールを そのまんま すんなり 受け取ってみたら。湧いてくるものから 逃げずに、どこにも ぶつけずに。ただ ただ それを 持っていたら。・・・答が出てくるの、はやっ 答は・・・さんざん ぐるぐると 歩き回り、掘り返していたところとはまったく 別のところから 飛んできたりする。でも、そこを 掘り返さない限り、出てこないものだったりもする。自分の身の回りで起きる出来事は、みんな「私のせい」「私が悪いから」ではなくただ 単に 「私に責任がある」というだけのこと。「責任」という言葉に、よけいな観念をくっつける必要は、なかった。なにも くっつけずに、ただ、自分自身を 見ること。それは、「認める」「認めない」という『意志』の問題ではなく、「認められる」「認められない」という『状態』の問題なのかもしれません。そこまでのプロセスが 大切だったのかもしれません。いろんなことがあって。たくさん反発もして、やっと ここまで たどりついたから。実は。いつか 抜けられるのがわかっているトンネルだったから、どことなく それを楽しんでいる自分も いました。なによりも大きかったのは、ある感情を体験できたこと。凹んでいる最中でも、ふとあ、あのひとが あのとき 感じていたのは、これだったんだ!と わかるのが、不謹慎なほどに、嬉しくて。両サイドを、同時に、大切に 感じていました。低く下がった視線で 初めて 見えるものも ある。そこでしか 感じられないものも ある。100パーセント 自分に 責任が ある。あれこれ 理屈を こねているよりも、認めてしまったほうが、結局、解決は 早かった!これから、何度となく 襲ってくるかもしれない、この波をすいすいと 乗り継いでいく、強力なツールを 得たようです。ありがとうございます。 更新情報○ふんわりすと ここから: メルマガ はじめます ○ AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~<ここがポイント!> にんじんの細切りストック たばちゃん♪天使のカレンダー プレゼント中です!ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.11.12
胸に浮かんできた いやな感じのするものと、ただ、ともにいる。自分を責めたり。正当化したり。消そうとしたり。誰かに なすりつけたり。その根っこを 探そうとしたり。なにか やらずには いられないけれど。ぜんぶ やめて。逃げないで。ただ 一緒にいる。逃げたいのを我慢して、ただ ただ 一緒にいてみたら。奥の方には、膝を抱えてうつむいている、深い深い悲しみが かくれんぼしていました。私には、痛みなんか、ない。ずっと ずっと がんばってきたけれど、やっぱり、それは、そこにいた。私には、痛みなんか、ない。痛みの存在を認めることは、両親を汚すことになるから。だから、ぜったい、私には、なんにもない。そう思っていたことにも、気づきました。カタチもなく あらわれた悲しみは、どこに行くにも ついてくる。一緒に連れ歩くのは一緒に眠りにつくのは、しんどいことだけど。この悲しみを 自分の世界に投影していたんだな。そんなふうに ぼんやりと 気づいても、やはり、そこに、ずっと。黙りこくったまま、存在しつづける。 マスターの新しいサイト、OPENしました。 更新情報○ふんわりすと ここから: 神様のおつかい ○ AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~<オードリー先生御用達> 練り胡麻 たばちゃん♪天使のカレンダー プレゼント中です!ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.11.10
物理的に捨てるものは、そりゃぁ 山ほどありますが・・・精神面で捨てるべきものが、はっきり見えてきました。これまでの立ち位置を捨て、別のところに立つべきときが来ているというのを はっきりと感じる出来事が ありました。アタマでは、ものすごく よくわかっているつもりなんだけど。今までも ずっと、それを捨てようとしてきたんだけど。ふと気づくと、まるで肌に張りついているかのようにぴったりと 私に密着している、その在りかた。ここ数ヶ月の間に、選んで、決めて、やってきたことは、ココに つながっていたのかな。ずっと、そんな価値観を 自分が持っていることも、知らなかった。きのうまでは、それが 自分の肌に張りついている、ということにも 気づいていなかった。できる、できない、の前に。やる、やらない。そして、知っている、知らない。できないことを責める前に、気づけたことに感謝して、忘れても、忘れても、そこに 立ち戻る努力をしていくだけ。いつかは 取り組む修行なら、この種目を選んで、よかったよ。ありがとうございます。 更新情報○ふんわりすとへようこそ! 背中の魅力 ○ AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~<ココがポイント!> 包丁の使い方・3 たばちゃん♪天使のカレンダー プレゼント中☆ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.11.07
携帯電話の画面メモが いっぱいになったので 整理していたら、ある方のブログの、数ヶ月前の ある記事が、保存されていました。あぁ、これ。たしか・・・タイミング的に、私に向けて 書いてくださったんだよな、たぶん。ほろ苦いものを飲み込みながら 読み直してみると・・・笑っちゃうくらい、当時とは まったく 違うものが 見えました。文章が、言葉が、そのまま 入ってくる。あのときは、この文章が なにを言おうとしているのさえも 読み取れなくて。ただ ただ、どうしようもない怒りと悲しみと苦しみの中、そこに書いてある その言葉を、完璧にスルーしていました。その言葉は、その言葉でしかないのに、いろんなものを くっつけて、姿が 見えなくなっていました。なぁんだ。このことだったんじゃないの!ちゃんと書いてあるじゃん!?今 読み直してみると、ほんとに そのまんま 書いてあるのに、どうして あのときは これが 見えなかったんだろう。答は、簡単。文章や言葉は目に入るけど、感情というフィルターにブロックされて、あちこちへ 飛び散って。さらに いろんなものが くっついて、その言葉を そのまま通すことが できなかったから。今でも、そのときの自分の言い分は、ちゃんと覚えています。そりゃ、もっともだわなぁ。と、当時とは違う立ち位置から、妥当性承認することもできます。だけど、あのひとの言いたかったことは、『そこ』では なかった。なのに、私は、『そこ』に ひっかかって、『あっち』へ激突して、ぐるぐると回り続けていたのです。そして そのことが、今読むと、すごく よくわかるのでした。なぁんだ。ちゃんと 書いてあるのになぁ。。。そこに書いてあること、今でも まだ、ちゃんと 理解できていないかもしれません。実際、後半部分に書いてあることは、いったいどうやったら それが前半部分とつながるのか、今でも ちょっと 意味不明です。数ヶ月後になるのか、数年後になるのか、わかりませんが、いつか やっぱり。「ここに書いてあるじゃん!」と、大笑いする日が 来るのでしょうか。おもしろい体験をすることができました。あのときは、きちんと 受け取ることができなかったけれど。伝えようとしてくださって、ありがとうございました。 更新情報○ふんわりすとへようこそ!:ひとりに ふたつずつ○ふんわりすと ここから : すりすり ころんハート○AUDREY'S KITCHEN ~カンタン菜食美人生活 はじめよう♪~厚揚げと野菜のマリネ・ジェラ○編 はなの刺繍やさんキャンペーン実施中☆ ご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。 マスターのセミナー お申し込み受付中です。人生 深入りしたいひとは、どうぞ。 Chie & Jamie & Chigusa の SPACE U オープンしました。まっさらになりたいひとは、どうぞ。
2008.10.08
映像で出てくるひとって、いいよな。いつも うらやましく思っていました。マスターが、セミナーで、 ブログで、メルマガでよくお話してくれたことなのですが・・・幼い頃の この場面が わけもなく よみがえってくることがある。その場面には なにか メッセージが 隠されている。生まれてくる前に自分が書いたシナリオの、重要な一場面。子供の頃の記憶が あまりない私には、そんな重要な一場面が残っているはずもなく。いつも 「いいな、いいな」と 思っていたのでした。だって。「あの場面が・・・」というストーリーを持っているのは、カッコいいし、ドラマチックだし、ネタにもなるもの。でも。そんな私にも、とうとう 『あの場面』 が、見つかりました。思い出しました。ううん。ずっと、そこに ありました。なにかというと よみがえってきていたのに。ちゃんと映像で 出てきていたのに。ぜんぜん 気づいていませんでした。あのとき 感じたイヤな感情までもが よみがえってくるのが イヤだから。すぐに、無意識のうちに、その場面を どこかへ 押しやっていたのでした。出てきた瞬間、もみ消していたのでした。あれは、いくつの頃だったろう。両親は そこには いなくて。妹と、私。妹と、私と、知らないおじさん。私は 自転車に乗れるようになったばかりでした。妹は まだ 三輪車に乗っていました。あの頃 住んでいた家の すぐ近く。U病院の玄関前のロータリーでの出来事でした。数ヶ月前、「競争意識が強い」というような指摘を受けたとき。私には ぜんぜん ピンと きませんでした。へ?この、私、が?この、私の、どこに、競争意識が見えるの?ぽかんとしながらも、奥底では 小さな声が つぶやいていました。ちっ。バレてたのか・・・そして、その 1ヵ月後。気づきました。競争意識がなかったわけではない。「競争意識」という言葉に ピンとこなかっただけなんだ。私は「勝ちたい」わけではないんだもの。勝ってしまうと、罪悪感を感じるから。ただ、「負けたくない」だけ。勝たなくていい。勝ちたくもない。ただ、負けたくない。負けたくない。だけど、勝ってしまうと 罪悪感に 襲われる。だから、わざと負けるように 仕向けるのも しばしばでした。でも、もうひとりの私は 叫んでいました。負けたくなーい!! それなら、なぜ?私が負けたくない相手は、誰なんだろう。なぜ、私は、勝つことで 罪悪感を感じてしまうのだろう。その理由が、小さな頃の 『あの場面』 に 隠れていました。勝った私は。勝った私は・・・。勝ったにもかかわらず、罪悪感に 押しつぶされそうになっていました。ズルいことは、していない。ズルいことを、したくない。ズルをしなかったから 勝ったのに。どうして、私が ズルいことをしたかのようになっているの?どうして、知らない この おじさんは、わたしを責めるの?思いやりに見せかけたズルを 強要する、おとなたち。やっと 思い出しました。私の「勝つことへの罪悪感」が生まれた場所。このごろ、どう考えても「妹に対する競争意識が具現化している」としか思えないような現象が、現実として あらわれていました。母親がヤキモチを焼くくらい、とっても仲良しな、妹と私なのに。意識の上では、妹に対する ライバル意識なんて まったくないのに。ズルをしなかった私は、勝った瞬間に、「ズルいおねーちゃん」に 差し替えられていました。ズルをして勝った、おねーちゃん。おじさんの目は、そう言っていました。ズルをしないから勝った おねーちゃん は、ズルをして勝った おねーちゃん に、書き換えられていました。ズルい 私なんか、キライだ。ズルい私を、私は、一生 許さない。出てきてしまえば、あまりにも あっさりとしたものでした。あぁ、そうか。だから、私は、「勝つ」ことに関して 罪悪感を抱え続けてきたのね。私は、あのときの あの自分を ずっと 許さないで、ずっと どこかで 憎み続けてきたのね。ほんとは、「勝つ」も「負ける」もないのに、ね。さて、どうしましょう?ここまで 出てきたものの、この先は、どうしよう?「負けたくない!」っていうのは まだまだ 残っているのかしら。しかたがない。向きあうのがイヤで、枕元に置いたまま1ページも めくっていない アレに、いよいよ 取り掛かるか? そして。濱田さん。はまだくん。ハマダっ。そのとき一緒にいるひとに合わせて、今でも いろいろ 呼び名を変えているけれど。私には、やっぱり 「マスター」が いい。新しい場所に立ったひとに。「置いていかないでー」と 言ってるつもりはなくて。足を引っ張っているつもりもなくて。何度 訊いても 「いいよ」と言ってくれるから。私は、当面の間、「マスター」と呼びます。あるとき、気が変わったら、そのとき しっくりくる名前で お呼びします。名前が変わっても。どんなふうに 呼ばれても。マスターは、マスターとして。マスターは、マスターのままで。そこに、いてほしい。ありがとうございます。 濱田義之さん 講演会 は、こちら。大阪 : 8月22日広島 : 8月30日詳細 ⇒ http://www.officeheartnet.com/ 8月のご予約状況は こちら から ご覧いただけます。 クリックするだけで募金ができます。
2008.08.18
もう すっかり忘れていたのに、今ごろ 届いたもの。カコカワ 106号 (4/25発行)これ、ちゃんと 4/25に 発行されていたのに、私のところには 届いていなかったのです。そのことを、thinkingmanさんのブログで知りました。・・・私は、そのメルマガを 彼ほどは 楽しみに待ち構えているわけではなかったので届いていないことに 気づいていませんでした(爆)ほかの友人たちに聞いてみたところ、みんなには ちゃんと 届いていたようでした。サーバートラブルなどが原因ではないみたい。な、なぜ、彼と私だけが・・・?ほかのひとならともかく彼と私という組み合わせであるがゆえ、妙に気になりました。(笑)しかたなく、まぐまぐのバックナンバーサイトでその記事を読みました。そこで、数日前、別の友人が話してくれたことが、ようやくわかったのでした。彼女は この話がきっかけで「嵐山へ行きたい」と言っていて、私も一緒に連れて行ってもらったのですが・・・そのときは その記事を読んでいなかったので、私は いまいち そこへ行った意味も、そこで話されていた内容もわかっていなかったのです。そして、今朝。突然 届きました。カコカワ 106号 (4/25発行)たいしたこと書いてなかったよな・・とは思ったけど(爆)それが今頃になって届いたことに興味を持ち、もう一度、読み直してみました。うわぁっ。アタマでは、「ふ~ん。(それは あなたの体験ですね)」という感じで、自分とは切り離した感覚で 読んでいるのに。カラダには、じわ~ っと流れ込んでくるようなものがあったのです。流れ込んでくるのか、自分から流れ出していくのか・・・どちらか わかりませんが、とにかく、じわ~っと なにかが・・・とても不思議な感覚でした。その感覚自体は・・・リフレクで ソーラープレクサスというリラックスポイントを押しているとき。神社に 行ったとき。(たまに)なんでもなくても、日常で 理由のない幸せを感じるとき。などなど。今までにも感じたことのある感覚に似たものではあったのですが、ここまで アタマとカラダが切り離されていることを意識したのは、初めてでした。(ちょっと 的確に表現できません)私には 『大きなもの』の存在を感じることはできません。知識として 知ってはいるけれど、信じているわけでもありません。でも、この内容が 今 私に必要だから、あのときではなく、今、届いたのでしょうね。誰だか知らないけど(笑) 『大きなもの』のしわざなんでしょう。最初に まぐまぐのサイトで それを読んだときには、なんにも感じなかったもの。あいかわらず アタマでは「ふ~ん」とか「なにが必要なんだろう?」とかって状態ですが・・・わかっていることは、とにかく おもしろい体験ができたこと。どうもありがとうございました (^-^) 5月末までに ふんわりフレクソロジー各コースをお申し込みくださった方には、ふんわりゅうみゃく☆ぷちせらぴー + ハンドリフレクソロジー無料サービスします♪ クリックするだけで募金ができます。 オーケストラ・ミューズのコンサート、ご案内は こちら です。
2008.05.30
知らずに ずっと やっていました。気づいたときは、びっくりしたけど。注意しているうちに、だんだん薄くなってきました。そこで 私は 油断しました。もう、大丈夫だ!残っていない!!だけど。まだまだ それは 残っていて、見えないように 上から色を塗りつぶしていただけだったのです。いちいち 立ち止まり、自分と対話することに。ともすれば 自分をジャッジしていることに。苦しくなっていたのかもしれません。もう一度、やり直し。注意深く観察し、意識的に やめてみようと思います。まずは 手前で 立ち止まる。また 私は それを やろうとは していないかしら?ときどき、境目がわからなくなって うずくまるけれど。直視させてくださって、ありがとうございました。 オーケストラ・ミューズのコンサート、ご案内は こちら です。 クリックするだけで募金ができます。 日時・場所は お気軽にご相談くださいね
2008.05.13
真の武士は、刀を抜かないのだそうです。敵を斬っているようでいて。実は、戦っている相手は、自分自身。「なんで、こんなひとばっかりなんだろう・・・」そんな長年の謎が、今日、解けました。細かいことにとらわれていたから 見えていなかったけれど。大きく引いてみれば、ほんとに、私の在り方を そのまんま 映していただけでした。そして、私の、人生のパターン。上手に隠していたつもりだったのに、周りの方には バレバレだった、ということを知り、とっても恥ずかしかった。自分が崖っぷちに立っていたことも知りました。「置いていかれる恐怖」というのは、今となっては、かなりのものです。どうにも ピンとこない部分もあるものの、自分が自分に出題した、数十年モノのクイズが あるそうです。正直なところ、めんどくさい。とっとと わかれば、いくらでもそれを生きるのに・・・とも、思うけれど。今まで 外の世界に目が向いていたものを 内側に向け、じっくり解いていきます。今日一日で たくさんのヒントをいただきました。さっそく、 ちょこっと調べてみたら、今日 ふたりの方から 別々に言われたことがぴったり リンクしていて、驚きでした。何度も落ちては、懲りずに 同じことを繰り返す。ほんとに 傲慢で どうしようもない私なのに。ゴレンジャーとして数えてくださって、ありがとうございます。「私は、違う・・・こんな中に、いられない」ちょっと前まで、そうやって そっと輪から外れようとしてきたけれど。今は ただ、そこに居させてくださることに、感謝します。あのとき、あそこに。今、ここに。一緒にいてくださって、ありがとうございます。
2008.05.12
人生、たいしたことは 起こらないよ。そのとき 参っていた私に、メンターがかけてくれた言葉でした。ドラマを手放しさえすれば、人生、たいしたことは 起こらない。・・・らしい。 (どこかで意味を取り違えている可能性もありますので あしからず) 自分の身の回りで起こる出来事は、すべて 自分が 引き寄せていること。抵抗しつつも、それを受け入れ始めている この頃。肝が据わってまいりました。私ごときが引き寄せていることならば、そんなに たいしたことが 起こるはずもない。なんとかならないことが、そうそう あるわけもない。だけど。今朝。恐れていたもののうち、かなりの高順位だったことが 起こりました。会社で使っているPC、突然 おかしくなりました!!↑なんだ その程度のこと? と言われるの覚悟です(笑) ものぐさな私が バックアップを マメにとっているわけもなく・・・イヤな予感がした直後、あわてて最小限のデータだけ救出しました。バックアップの最中で 再度ダウン。その後、なんど トライしても 起動せず。個人所有のPCを会社に持ち込んで仕事しているため、小道具は すべて 自宅に保管してあります。会社に私がいても、PCが動かなくては 仕事にならないので早退して 自宅で作業することにしました。 (↑ちょっと寂しい (笑)) 人生、たいしたことは 起こらないよ。電車の中で ノートパソコンを抱え、メンターの言葉を繰り返し 思い出していました。最小限のデータは 取り出したものの、現状で リカバリー沙汰にでもなったら、大変。リカバリーは 今年に入ってから2回、自宅のPCで経験しているのでもう 精神的にも慣れたけど、仕事用のPCとなれば、話は別。平静を装ってはいるものの、心臓は ばくばくでした。が・・・ふと 思いました。このままリカバリー、下手すれば 新しいPCに買い換えとなっても。最悪の事態は すでに免れているわけだから、それほど 大変なことになるわけでもない。いや、大変なのは 大変だけど・・・とりかえしのつかないほどではなくて、 私が めんどくさいだけ (爆)となれば、命にかかわるわけでもなく。ひとに迷惑がかかるわけでもなく。たいしたことでは ないよなー ということに 気づきました。そう。薄々、知っていたのです。そのPCに保存されているもののうち、ほとんどは、過去のもの。今の私には、それを手放す必要があるのかもしれない。ということを。自宅に戻り、持ち帰ったPCに、バックアップ用に使っている 外付ハードディスクを接続。何度かトライし、あきらめかけた頃、なんとか ウィンドウズが 起動してくれたので、出来る限りのバックアップをとっている最中です。私の願いが通じたのか?一度 手放す覚悟をしたからか?この調子でいくと、かなりのデータが残せそうです。でもね、実は 私は 知っている。こうして 大切にバックアップをとったところで・・・リカバリー後は ほんとに必要なデータだけをPCに戻すだろうということを。そして、せっかく残した大切な(・・・だったはずの)過去のデータは外に保存したまま、もしかしたら もう見ることはないかもしれない、ということも。今、私には 手放すべきものが たくさんあります。精神的にも、物理的にも。ぜーんぶ なくなったって、たいしたこと ないんだよ。今回の出来事は、もしかしたら それを証明するための第一幕だったのかもしれません。・・・でも 無事に 復旧できますように! あなたのお体 復旧します。
2008.04.22
おまえが悪いんや!そやそや、わしが悪いんや。ぜんぶ、おまえのせいや!そやそや、ぜんぶ わしのせいや。これ、先日 メンターに教えてもらったものです。あることで めっちゃ抵抗している私に、「これで ええやん」と教えてくれた考え方でした。そのときは、「そんなこと言っても・・・」と 抵抗を続けていたのですが、ここ数日で じわじわと、本来の目的とは別の方向で 解凍されてきたようです。自分の中にないものは 見えない。これも、何度も 言われている言葉。最近、ほんとに、そう思うようになりました。アタマでは すっごくよくわかるし、少しずつ 認めつつはあったんだけど。どうしても 認められない、認めたくない部分もありました。だけど。良い・悪いは 置いといて。自分の中にないものは 見えない。これだけを受け入れると、これほど シンプルなことは ないのです。なにかを見つけて ひっかかっているのなら。「自分の中にあるから それが見えている」 ただ、それだけのこと。私の中に それがあるから、見えるんだ。私、こんなの 持っているんだな。ちょっと 突き放して観察することさえできれば、「自分の中にある」ということが、リトマス試験紙のように、簡単に 明らかに 判別できるのです。今までの私は・・・見たくないものを見てしまうことで 「それを受け入れなければならない!」「これを受け入れたからには 消えてなくなるはずだ!」などという、脅迫めいたものや 結果に対する期待を持っていたように思います。だけど。ただ単純に「持っている」「持っていない」の判定基準として「見える」という感覚を使ってみたとき。良い・悪いの判断をやめて 「持っている」ということだけを ただ見たとき。結果に対する執着や期待が どうでもよくなったとき。ほんとに シンプルなことなんだなーということが わかりかけてきたのでした。こうして書いてみると、冒頭の掛け合いの言葉と、「あるから見える」を受け入れること、いったい どんな関係があったんだろう?と不思議に思ったりもするけれど。どうも あれが きっかけだったように思います。また、こうして、ある1つの分野において なにかをつかむと、ほかの領域でも 応用が可能になるような気がしています。なんだか おもしろくなってきました♪私に必要だったものを、ちょうどよい力の抜き加減で 教えていただけました。どうもありがとうございました。
2008.04.21
剥いて。剥いて。剥いて。剥いていって。1枚ずつ ていねいに 剥いていったとき、一番奥に隠れているものは・・・ ○○ メンターが、そんなことを話してくれました。それを聴いたとき。ワタクシは・・・恐れ多くも・・・そんなの アタリマエじゃん! と思いました。と、同時に。それって・・・私が 今 持っている概念としての ○○ とは、違う、もっと深い ○○ っていうのが あるのかもしれないな。そんなふうにも 感じていました。はたして、それは 本当でした。それを知ったとき・・・ それ は、私が思っていた ○○ とは 違うものだったけど。私が持っていた ○○ とは 別のものでもないように感じました。私が それまで ○○ だと 思っていたもの。それは、卵の白身。彼が言っていた ○○ というもの。それは、卵の黄身。私がいつも感じていた 『 ○○ らしきもの 』も、○○ であり、そして、その ずっと奥に、もっと もっと 深い ○○ がある。白身に守られた黄身のように。ずっと奥深いところで、大切に守られている。なんか、そんなふうに感じました。ネタバレになるといけないので伏字にしましたが・・・○○ の正体が知りたい方は、 こちら へ どうぞ。でっかい ○○ のカタマリに会えますよ 卵かけごはんのように、白身も黄身も両方味わえるかも!?↓ ↓ ↓
2008.04.18
あなたの予言が、いつも私を不安から救ってくれます。なんにも根拠はないけれど。いつも 未来を明るくしてくれる。あのとき、こう言ってくれたからね・・・いつか そんな話ができたらいいな。そう 思います。だから。そんな未来にいられる、私に、なる。
2008.04.17
手放したあとに入ってくるもの。それは、信頼かもしれません。自分に対する、信頼。手を離すのが 怖かった。これがないと 私は・・・これがなくなったら、私は・・・しかたなく それを 手放してみたけれど。怖れていたことには ならなかった。・・・なっていなかった。そんなことに、ふと 気づきました。手放してから だいぶ経った、このときに。それならば。安心して 手を離してみようかな。今の不安も わがままも、すべては 幻想。そして、ひとこと 付け加えるのです。逃げていませんか? あなたに。いいえ、わたしに。ふんわりゅうみゃく☆ぷちせらぴー サービス中です。
2008.04.16
ここ半年ばかり、たばちゃん♪を ずーっと追いかけてくる【鏡的なもの】が おりました。たばちゃん♪は、もちろん、今までのように、逃げました。逃げて、逃げて、逃げまくりました。でも。逃げても、逃げても、それは 追いかけてきます。ずーっと、ずーっと、追いかけてきます。たばちゃん♪は ブチぎれました。なんで そんなに 追っかけてくるのよ ブチぎれても、【鏡的なもの】は追いかけてきました。それもそのはず。それは、たばちゃん♪自身なんですもの。そして、幻想に過ぎないんですもの。そんなこと、たばちゃん♪には わかりきっていました。ずいぶん、いろんなこと、お勉強してきたもん。でも!あんなの、私じゃないわ!たとえ 世間でいうところの【鏡】だったとしても、私は あんなに ひどくないわ!!たばちゃん♪は、逃げ続けました。逃げながら、ふと思うこともありました。これ・・・。私が【鏡的なもの】から 逃げるのをやめるのが必要なのよね?でも。逃げるのをやめたら、追いつかれて 食べられてしまいます。それが怖い たばちゃん♪は、 後ろを振り返り、振り返り、さらに 逃げ続けました。ある日、へとへとになった たばちゃん♪は 気づきました。私・・・。逃げていたいから、逃げているのよね。【鏡的なもの】が許せないから キライなのではないのよね。【鏡的なもの】をキライなだけなのよね。キライままでいたいから、許したくないのよね。許したくないから、理由がいるのよね。【鏡的なもの】が追っかけてくれば、キライな理由ができるもの。キライでいるための理由が必要だから、【鏡的なもの】が追っかけてくるのよね。そんなことに気づいた たばちゃん♪は・・・それでもいいもん! と、逃げ続けました(笑)実際のところ、いつでも逃げているわけではないのです。【鏡的なもの】が 見えないときもあれば、気にならないときもあるのです。「もう逃げなくても 大丈夫」そんなふうに思ったことだって、何度もあったのです。でも。【鏡的なもの】が 気配をあらわすやいなや、ぞっとした寒気が たばちゃん♪を襲ってくるのです。ぞっとした寒気を感じるたび、たばちゃん♪は なにも考えずぜんぶ放り出して 逃げるのでした。ある日。街の長老、酒瓶を持ったおじいさんから お手紙が届きました。そのおじいさんは いつも 広場で お酒を飲んでいます。みんな そのおじいさんのことが大好きです。いつも おじいさんを取り囲み、一緒にお酒を飲みながらいろんな 紙芝居を見せてもらっていました。おじいさんは 自分の経験をもとに たくさんの紙芝居をつくり、おとなのおとぎ話を いっぱい 話してくれます。そして、それを 毎週 お手紙にまとめ、欲しいひとには惜しみなく 配ってくれるのでした。たばちゃん♪も、そのおじいさんのことが大好きで、よく 紙芝居を見に行っていました。そのおじいさんからは、何度も、【鏡的なもの】攻略法を教えてもらっていました。紙芝居を見るたびに「もう 逃げるのをよそう!」と決めるたばちゃん♪でしたが・・・いつも感じる ぞっとした寒気に勝てず、結局は 【鏡的なもの】から逃げ出してしまうのでした。その日 たばちゃん♪に届いた おじいさんからのお手紙には、今までに なんども聴かせてもらったことが 書いてありました。おじいさんが、そのお話に関して、自分の体験談をまじえ涙ながらに 語っているところも 見たことがありました。でも、そのときのたばちゃん♪には「ふ~ん」としか響いていませんでした。それなのに・・・そのお手紙に書いてあった言葉が、なぜか たばちゃん♪の胸に ざわめきを起こしたのです。そうかぁ。私が 選んだことだったんだ!!それまで、たばちゃん♪には【鏡的なもの】の‘状態’しか見えていませんでした。状態がイヤだから、逃げる。ばっちぃから、逃げる。怖いから、逃げる。それが 自分を映しているのが わかっていても、逃げる。だけど。それは、たばちゃん♪が選んだことだったのです。自分では まったく 選んだつもりではなかったけれど。成長していくために、間違いなく 自分が 選んだことだったのです。もちろん、たばちゃん♪は、そんなことは、ずっと前から 知っていました。知っていたけど・・・ちゃんと 見えていませんでした。ほんとに わかっては いませんでした。それまで ‘状態’しか見えていなかった たばちゃん♪には、その‘目的’が見えたことが、ものすごく 新鮮だったのです。あ、そうか♪これは、私が選んだことだったんだ!!「あなた」ではなく「わたし」が選んだことだったのです。そこが、たばちゃん♪にヒットしたのでした。たぶん、おじいさんは、そのことを これまでも何度も話してくれていたのでしょう。でも、【鏡的なもの】を あえてキライでいたかった たばちゃん♪にはその部分は まったく聴こえていなかったのでした。あ、そうか♪これは、自分の成長のために、私が 選んだことだったんだ!!残念ながら、そのことがわかったからといって、幻想である【鏡的なもの】が まったく気にならなくなったのかどうか今のたばちゃん♪には 自信がありません。ばっちくて、怖ろしい姿をした【鏡的なもの】の気配を感じたら、また ぞっとした寒気を感じるのかもしれません。でも。それも、私が選んだことなのね。そうなのです。あなたが、わたしが、選んだこと。そして、あと、ひとこと。たった ひとことです。わたしが選んだことならば、わたしは それを受け入れます。だけど。そのひとことが言えず、たばちゃん♪は、おじいさんからのお手紙を握りしめ、そこに立ち尽くすのでした。酒瓶を持ったおじいさんからのお手紙。まだ読んでいない方は・・・こちらから、どうぞ
2008.04.09
たとえば、おもてなし。そこに、そのひとの底力を感じました。だけど、してもらったことは、別の方向にお返しします。そうやって バトンを渡していくのが、誰もが持っている 人生の必修科目のひとつなのかもしれないから。差し出されたバトンを 受け取り損なったり。ずっと自分で持って走っていたり。いろいろ失敗してきたけれど。ちゃんと きれいに バトンを渡すことができるようになりたいな。なんだか、そんなふうに思うのです。五反田サロンは 毎週木曜日 ご予約受付中です。
2008.04.08
お待たせいたしました。(しきちゃん、ごめんね!)マスター に教えてもらった その本とは・・・数年前のベストセラーだそうです。私は 読んでいなくて、今回 初めて手に取りました。まだ 半分くらいまでしか 読んでいないのですが・・・マスターがブログ、WS等で 話してくれたこと。ソース。エニアグラム。コーチング。修行。『アミ』シリーズ。先週末のWSでのこと。読み進むにつれ、すべてが つながっていくのです。読み始めたときには 知る由もなかった 私自身の近未来がこの本に 描かれていた。・・・と言ったら、言いすぎでしょうか。だけど、読んでいくうちに、「あ、あれ、こういうことだったんだ」と つながることが、とっても多くて。先に体験しておいたことが、この本により 理屈で説明されていくようで、アタマでっかちな私としては、さらに理解が深まり、嬉しいのです。だけど。今、このタイミングで読んでいるから、それがわかるのかも。数年前ならもちろん、ほんの数週間前だったとしても、わからない部分、読み流した部分が たくさんあったことでしょう。もしかしたら、途中で読むのをやめてしまったかもしれません。そして 『今』でも、まだ理解できずに スルーしている部分がたくさんあるはずです。体感していないことも、まだまだ いっぱい。それを考えると、タイミングって 本当に重要だな、って思います。これから先、どんなことになるのか、どきどきしながら読んでいます。ほんとに マスターが言ってたようなことが書いてあるのか・・!?疑っているわけではありません(笑)私自身が どこまで見つけることができるのか? ちょっと楽しみなのです。ゆうべは、おもしろくて お風呂の中にまで持ち込んで読んでいたものの、内容が ちょっと 痛い と感じていたところ。今朝、電車の中で読むつもりだったのを、遠まわしに『読まない』という選択をしたところ・・・ (座って眠ってしまっただけなんだけど!)バチがあたりました(笑) やっぱり、今、読んだほうが よさそうです ^^「痛い」って自覚できているってことは、今が 突破 のタイミングなのでしょう。マスター。このタイミングで この本をご紹介くださって、ありがとうございます。マスターのシリーズセミナー、残席わずかです。五反田サロンは 毎週木曜日 ご予約受付中です。
2008.03.13
今、一番 私を落ち着かなくさせる、ある1つの≪仮定≫について考える。ううん、まさか。そんなはずがない。何度打ち消しても、日増しに強くなる、その≪仮定≫への想い。「たばちゃん、その頃には 自分でわかってるやろ」ニッコリと笑うミキちゃんの声だけが、暗闇の中の灯火となり、何度も 頭を駆け巡る。もしも。本当に それなのだとしたら、 どんなに嬉しいだろう。今はもう、自分の価値証明のためだけではなく。それを必要としているひとのため。覚悟ができているひとのため。世界のため。・・・「自分の価値証明のためではない」と 胸を張っては言い切れないところが、情けないけれど。だけど。もしも、それなのだとしたら、 どんなに嬉しいだろう。ううん、でも。そんなわけがない。私に そんなことができるわけがない。悔しいけれど、それが事実。努力でまかないきれないもの。才能が必須のもの。そういうものは、この世の中に 間違いなく 存在する。だけど。もし。もしも、その仮定が正しかったら?何度も打ち消している、大それた その≪仮定≫を繰り返すとき。もしも、その仮定が正しかったなら。すべてが、予定通り。冗談としか思えなかった、あの言葉も。あのひとに めぐりあったことも。あのひとに めぐりあうために、あのひとに めぐりあったことも。そのあのひとに めぐりあうため、私が 引き起こしてきた、あのことも、このことも。あのこが、あんなふうになっちゃったことも。私のこの性格も。感覚さえも。すべてが、つながっていく。まるでマインドマップのように。次々と、私の人生が つながりはじめる。そして、その先端が、いつも私に安心を与えてくれるあのひとに行き着いたとき。いや、戻ってきたとき。その瞬間。私は、いかに 自分が 安心 を追い求めているか ということに。その、程度の深さに。愕然としました。私は、これほどにも、安心したかったんだ。。。涙が あふれてくる。呼吸がおいつかず、しゃくりあげる。子どものように声をあげて、泣きじゃくる。赤に青にオレンジに 光が訪れる 暗闇の中で。私は、どれだけ 安心が欲しかったのだろう。自分が『安心・安全志向』であることは、重々承知していたはずでした。安心を求める自分の臆病さを、ずっと責めてきました。後ろめたく、恥ずかしく思っていました。それが、不安を原動力とするヘッドセンターの特徴であると知り、安心したこともありました。自分の そんな癖を把握し、受け入れようとしながらも。私は どれだけ 安心を得ることを必要としてきたのか。こんなにまでも、安心を求め続けていたのか。そして、次の瞬間、動けなくなりました。安心を求めるということは・・・・つまりは、私は、不安だったんだ・・・。見ないように、認めないようにしてきたけれど。ずっと、ずーっと。どこか下の方で、奥の方で。不安を感じ続けてきたんだ、私。マスターが、ブログで、メルマガで、WSで何度 伝えてくれたことか。○○があればOK、ということは、実は 深い部分では○○がないとNG、って感じている、ということ。ときには うなづき、ときには 笑って、読んで、聴いてきたけれど。私は、自分のことに関しては 全然 わかっていなかった。こんなに簡単なことだったのに。私、ほんとは、そんなに不安だったんだ・・・泣きじゃくる私を包むかのように、音楽が変わりました。音楽が消え、しばらくしてから 照明も落ちました。私は ゆっくりと起き上がり、涙をぬぐって 部屋を出ました。これが、フローティング・マカバ 4回めの気づきです。 私の原点、マスターのWSです。ご希望の日にち・お時間をお気軽にご相談ください。
2008.03.12
電車の中で、携帯メールの受信箱から 不要になったメールを削除していました。今まで捨てられなかったメールを、今の時点で捨てられるところまで 1つ1つ削除していく。1つ1つ読み返しているうちに。今はもう 今の私に関係ないことだと わかっているのに。アタマでは わかっているけれど、ハートが どきどきと 反応しているのが、わかる。あのときの悲しみ。あのときの喜び。今すぐに あのときに戻って再演できるほど、一瞬にして リアルに 感情が よみがえってくる。半年も前のことなのに。ニンゲンって、スゴイ。ワタシって、スゴイ。・・・・ (笑)あ、これも、自動的な反応の1つなんだろうな。と、ふと 気づく。今は ただ、「過去のことだ」ってアタマで完璧に理解しているから、このハートの揺さぶりに負けることはないけれど。ここまで センチメンタルではないにしろ。日常生活では、気づかぬうちに、過去に経験した さまざまな感情を 無意識のうちに ひっぱりだして、それを基準に『今の』行動を 決めていることがあるのかもしれない。今まで さんざん 聴かされてきたことだけど(笑)改めて、自分の実感として とらえた出来事でした。携帯メールの整理は 途中で止まったまま。地下鉄の駅を出ると、暗い空には・・・ボーリング場のシンボル、でっかい ボーリングピンがぼんやりと灯りを燈して立っている姿が 際立って見えました。五反田サロンは 毎週木曜日 ご予約受付中です。
2008.03.10
やはり すべては 幻想だった。そんなふうには まだまだ言いきれないけれど。1つの問題が起こったことで、必死で考え、気づき・・・薄々知ってはいたけれど。お気に入りの肩書きが減るのがイヤで持ち続けていたあるものを、手放すことができました。うーん。どうかな。ほんとに手放せているのかな。私がいなくても うまくいっているその場を、遠くから 一生懸命 リモコン操作しようとしている私の姿。優しげな皮を被った、強力なコントローラー。もしかしたら、ドラマティックな人形劇の あやつり師は私だったのかもしれない。でも、それも もう おしまい。えぇ えぇ。そうですとも。どーせ 私なんかいなくたって あそこは うまく回ってますよ!!(笑)心の底に 沈めた心配を、見ないふりをしようとしているのか。それらを持ったままでも 進もうとしているのか。寂しさ 半分、肩の荷が下りた気分 半分。どっちでもいいから、とりあえず このまま歩いていこう。マスターは やっぱり大きな愛でした。どうもありがとうございました 五反田サロンは 毎週木曜日 ご予約受付中です。マスターのシリーズセミナー、次回は3月です。
2008.02.24
さっき、これを読みながら感じたのは・・・ 怖さなんだろう、これ。重苦しく広がる、この感じ。心臓が どくどくしている。息苦しくなってきた。味わってるのが苦しくなって 日記を書き始めました(爆)でも、怖い・怖いと言いながら、それをまた味わいたくて何度も何度も 画面を切り替えては 読んでしまう(笑)さて、この感覚を抱えたまま、どうしましょう。 これだけのことなんだからコメントつければいいのに、つけらんない。そのとき たばちゃんの中には なにが起こっているんでしょうねぇ~という某セミナートレーナーの声が聴こえてきそうです(笑)
2007.12.21
前に出る必要は ない。先頭に立つ必要も ない。場をつくることのできるひと。Sちゃん、Mちゃん、Kちゃんを見てごらん? ね?また ひっくり返されました。マスター ありがとう♪でも、勘弁してください(爆)
2007.12.17
本当は 怖かったもの。【 変 化 】マスターのブログを読んで、胸の奥が騒ぎだしました。まず 最初に ひっかかったところは、「周りの友人たちのスイッチが切り替わるのをたくさん見てきた」という部分。あぁ、私、まだまだだぁ。。。 (x _ x)↑ でも これ、私の‘お約束’なので(笑) とりあえず、置いとく。少し成長したのは「友人」ってところに ひっかからなくなったこと。もう どうでもいいのじゃ(爆) が、そのあと。人生の流れが幸せに、豊かに変わってもかまわない、その為におとずれるであろう様々な変化もうけいれるって覚悟を決めた人には、そのような瞬間が、あるとき訪れます。(マスターのブログより 引用させていただきました)ここを読んだ瞬間、胸の奥が ざわざわしだしたのです。おかしいな。今までも、それは わかっているつもりだったのに。<安全第一主義>(笑) の私には 【変化】は、なによりも怖いもの。おまけに、めんどくさいもの(笑)そして、「自分を変えたい」と騒いでるひとを見ては ウザく感じ(爆)わざわざ 今の自分を否定して変えようとしなくたって、なりたいように自然に変わっていけばいいじゃんこっそり そんなふうに思っていたりしたのでした。そう。【変化】が怖いのは、わかっているつもりでした。なのに、この ざわざわは なんだろう。今までは「変化が嫌い」とわかっていただけで、本当は「怖い」のだとは わかっていなかったのかな。「めんどくさい」って思っていること、実は 怖かったってことかな。「自分を変えたい!」って言葉に反応してたのは、これまた 実は 本当は 怖かったのかな。それよりも、なによりも。私、【変化】ってところにばかり フォーカスしてて、変化のその後のところ、得られる結果の部分は スルーしてるぞ!?アタマが ぐるぐる回りだすけど、とりあえず、ストップ。その居心地の悪さと一緒にいてください そんな革パン某セミナートレーナーの言葉が聴こえてきそうです(笑) <放置プレイ♪>大好きな 某セミナートレナーの秘技の数々。体験してみたい方は、こちらからどうぞ。 ↑なんで小文字やねん(笑)
2007.12.06
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